2020年4月17日金曜日

2020.04.17 わが友に贈る

どんな逆境でも
諦めなければ
必ず「活路」はある。
わが不屈の一念から
希望を生みだそう!

秋元殿御返事 P1071
『弥(いよいよ)信心をいたし給うべし、信心をいたし給うべし』

【通解】
ますます信心に励んでいきなさい。信心に励んでいきなさい。

名字の言 「一年生になったら」の歌を、息子はこう歌った 2020年4月17日
「歌は世につれ、世は歌につれ」。世の中の変化とともに歌は移り変わっていくが、今頃の季節になると、思い出す歌がある。作詞・まどみちおさん、作曲・山本直純さんのゴールデンコンビが生んだ「一年生になったら」である▼歌詞には一年生になったら百人の友達と、やってみたいことがつづられる。"一緒に富士山でおにぎりを食べたい""一緒に日本中を駆け回りたい"と▼先日、ある婦人部員から電話があった。入学式もなく、長期休校の中、小学1年生になった息子を、母は"クラスメートと触れ合えず、友達と思いきり遊べず、つらいのではないか"と案じていた▼だが、息子のある行動が、婦人に勇気をくれた。息子は先の歌の、友達が"百人できるかな"の部分を、"百人できるんだ!"と受け取って、毎日、元気いっぱいに歌っている。以来、婦人も変毒為薬を誓い、力強く唱題に励んでいる▼仏教では「安心」の意味を、信仰により心が不動の境地に達することと教える。先行きの見えない不安はある。だが不動の信心こそ幸福と勇気の光源になると、強く信じて進もう。先の歌の最後は、友達百人と世界中を震わせるくらい、ワッハッハと笑いたいという内容だ。親子の笑顔が輝く時を一日も早く、と願う。(代)

寸鉄 2020年4月17日

「善友は日蓮等の類いなり」御書。同志の絆こそ宝。励ましの声弛みなく
山形県婦人部の日。信心は自他共に心の財積みゆく実践。今日も朗らかに
「御書根本」が学会の魂。リーダー率先で学び深め日々新鮮な生命で出発を
感染者7割は50代以下。「3密」避け不急の外出自粛を徹底。今が正念場
温室効果ガス5年連続減危機の克服へ"心の変革""行動の変革"更に広げ

☆第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム� 「七つの鐘」構想の発表
◇弟子の戦いと栄光を信ずる
1958年(昭和33年)5月3日、東京スタジアム(後の日大講堂)で創価学会の春季総会が開催された。
この日は、約1カ月前に第2代会長・戸田城聖先生が逝去してから、初めて迎える「5・3」だった。
戸田先生の遺影が掲げられた会場で、当時、青年部の室長だった池田先生は「七つの鐘」の未来構想を発表。悲しみに沈んでいた数万の同志は皆、希望の前進の目標に奮い立った。
先生は当時を振り返り、こうつづっている。
新生の五月三日を目前に控え、私は一人誓った。
「戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。
一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒濤を乗り越えて。本門の青春に入る」
青年が、恩師の叫びを師子吼するしかない。弟子が学会精神の炎となり、師子奮迅の戦いをするしかないのだ。
五月三日、私は、"七年を区切りに広布の鐘を打て"と語られた師の心をいだいて、広宣流布の希望の前進の目標となる「七つの鐘」の構想を発表した。
六月三十日には、学会でただ一人の「総務」となった。広布のため、全同志のために、決然と一人立ったのだ。
「組織の力で、広宣流布が進展するのではない。それは、強盛な信心の『一人』の力による。ゆえに、一人の真正の師子がいればよいのだ」とは、戸田先生の結論である。
ともあれ、一切の誹謗中傷を打ち破り、日本中が驚嘆する大発展をもって、二年後(昭和三十五年)の五月三日、私は第三代会長に就任した。
地球上、いずこの地であっても、いつの瞬間であっても、不二の弟子が一人立つならば、そこに、創価の烽火は上がる。
「いつか」ではない。
「今、この時」だ。
蓮祖は厳命されている。
「いよいよ強盛の御志あるべし」(御書一二二一ページ)
「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同一一九二ページ)
いよいよ、新しき人間革命の本舞台の幕は上がった! 師弟不二の大いなる闘魂に燃えた、誠実一路の弟子を、私は待つ。
その弟子の戦いと栄光を、私は信ずる。

師子と立て
 師子と進めや
 師子と勝て

◇池田先生の日記から
春季総会(1958年〈昭和33年〉5月3日)で「七つの鐘」の構想に言及した池田先生は、同年5月12日の日記に次のように記した。
五月三日の大総会を終え、学会は第二段階に入る。
「"広布実現を目指して"と題する講演は、明確なる学会の指針を示せり」と、幹部より感謝さる。
私の闘争は始まる。先生、ご照覧を。祈る、加護を。正義のわれを。