大切なのは免疫力。
風呂等で体を温めたり
適度な運動・睡眠
バランスの良い食事を。
手洗い・嗽も入念に。
十法界明因果抄 P430
『常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁義礼智信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり』
【通解】
つねに他人に勝つことを願い、その心を抑えきれず、人を見くだし、他者を軽んじ、自分だけを尊ぶ。それはまるで、トンビが高く飛んで、下を見おろす姿のようである。それでいて外面は、仁・義・礼・智・信という徳を掲げて、(表面的で、自己満足の)低級な善心を起こし、修羅道を行ずるのである。
名字の言 文筆家の外山滋比古さん。届いた郵便物で最も心引かれるのは? 2020年3月27日
「うちにいる日は郵便の来るのがたのしみ」と語るのは文筆家の外山滋比古氏。「もうそろそろその頃合いだと思うころになると、玄関脇の郵便受けあたりに神経を向ける」と▼ダイレクトメール、雑誌や書籍類、仕事の連絡など、届いた郵便物を眺めながら分類するのも面白いという。中でも「表に平信、とことわってあるのは、とりたてて用件はありませんが、ということであって、もっとも心ひかれる」(『老いの練習帳』朝日新書)▼直接、訪ねるのがはばかられる昨今、「平信」をつづる機会が増えた。平信とは"無事のたより"の意味。催しの案内などと違って定型の書き方はないので、何を書こうか難儀することもある。必要に駆られてではなく、わざわざ自分のために心を砕いてくれた——その気持ちが伝わるから、受け取る人は平信を喜んでくれるのだろう▼古代ローマの哲人キケロは言った。「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ」(中務哲郎訳)▼終息の見えない新型コロナウイルスの感染拡大で気が滅入っている人も多い。だからこそ励まし合いたい。普段より時間がある今は、平信を記す好機でもある。(誼)
寸鉄 2020年3月27日
「心あさからん事は後悔あるべし」御聖訓。いざという時に強き勇者たれ
新社会人に求める資質、積極性がトップ—調査。臆さず自分らしく挑め!
就寝前のスマホ使用で睡眠の質が低下。生活スタイル整え生命力を満々と
SNS利用者は「正しさ」より「面白さ」等優先と。嘘に荷担せぬよう賢明に
中学教科書のページ数が明年から7%増。教員の環境改善など対策も急務
☆3月度座談会拝読御書 兵衛志殿御返事(三障四魔事)研さんのために
大きな苦難は大きく変わるチャンス——日蓮大聖人は、三障四魔を勝ち越える「賢者の信心」を教えられています。ここでは3月度座談会拝読御書である「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」の研さんのために、池田先生の指導と解説を掲載します。
◇拝読御文
『しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』(御書全集1091ページ15行目〜16行目)
◇[池田先生の指針から]乗り越えれば必ず仏に
三障四魔は成仏への関門です。ここを乗り越えれば必ず仏に成れる。
だからこそ「賢者はよろこび愚者は退くこれなり」なのです。
反対に言えば、三障四魔が競わない信心は、本物ではありません。
偉大な「創価学会の信心」は、初代会長の牧口先生以来、障魔を恐れずに、不惜身命、死身弘法の戦いを貫き通してきたからこそ、確立されたのです。
このことを永遠に忘れてはなりません。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
創価の父・牧口先生が「魔が起るか起らないかで信者と行者の区別がわかる」と指導されたことは有名です。
「自分の一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起らない。之に反して菩薩行という大善生活をやれば必ず魔が起る。起ることを以って行者と知るべきである」とも指導されました。
三障四魔は自他共の無明の発動です。自他共の法性を開く菩薩行を行うゆえに、必ず障魔が競い起こる。
牧口先生は、さらに、「進んで魔の働きを駆り出して」いくことを教えられています。
魔を駆り出して克服することで、信仰を深め、無量の功徳を積み、変毒為薬を実現し、最高の幸福境涯を確立することができる——これが牧口先生の指導です。
そして、その覚悟のままに大難にあわれ、魔と戦い抜く創価の信心を残されました。
戸田先生もまた、「三類の強敵と戦い抜き、三障四魔を断破していくなかに、真の大利益・人間革命の真髄がある」ことを身をもって示されました。そして、いかなる大難に遭おうとも、「これが魔だ!」と見破れば、後は勇気百倍して乗り切れると、繰り返し指導されました。
そして戸田先生は、三類の強敵が必ず出現することを断言されていた。
「これがでると、私もうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか」——こう、私たちに呼び掛けられたのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻)
◇三障四魔と戦い幸福境涯の確立を
◇[キーワード1]信心を深くする
"凡夫が仏になる時も、必ず三障四魔という妨げが出てくる"と仰せです。
信心に純真に励んでいる最中に難が現れたならば、それは、仏に成れるかどうかの勝負どころであるということです。
つまり、信心が間違っていたから苦難が起こったのではなく、正しい信仰に励んでいるからこそ魔が起こったのであり、仏になるチャンスが到来したと捉えていくことが大切なのです。
得てして"難なんてない方がいい"と、思ってしまいがちです。しかし、大聖人は、難を避けたり、恐れたりするのではなく、真正面から挑み、打ち勝っていくことで、幸福境涯を確立していくことを教えられています。
それは、魔と戦うことによって、自分自身の信心をより深く、強くしていくことができるからです。唱題根本に、苦難に挑むから、最高の勇気である「師子王の心」を取り出していくことができます。つまり、信心を根本に難と戦っている瞬間瞬間に、仏界の生命が涌現しているのです。「難即悟達」です。
信心が強ければ、魔はかえって成仏の助けとなります。故に、大聖人は「賢者は喜び、愚者は退く」と仰せなのです。
苦難に直面した時、"頑張ってきたのに、なぜ"と疑ったり、"もうダメだ"と諦めたりするのではなく、いよいよ"使命を果たす好機"と、立ち向かうことです。私たちは、勇気ある賢者として、信心で戦う中で仏の境涯を開いていきましょう。
◇[キーワード2]師弟の誓願で勝つ
魔に勝つには、その正体を鋭く見破っていくことです。
どうすれば、魔を見極めることができるのでしょうか。
三障四魔は、紛らわしい形をとって法華経の行者に襲いかかってきます。それも一番、弱いところを巧妙に突いてきます。
自分が大切にする妻子や、従わなければならない主君の身に入り替わって責めてくることもあります。また、社会での成功や評判、世間の常識という形をとって、"信心よりも一時の成功を取ることが当然であり、正しいことである"ように思わせて、信心を破壊してくるのです。
本抄を与えられた池上兄弟の弟・宗長も、まさに当時の世間の常識に照らせば、信心を捨てることが正しいことのように思えたことでしょう。
だからこそ、賢く、そして鋭く見破っていかなければ、知らず知らずのうちに、魔にたぶらかされてしまいます。大聖人は、大切な門下が退転しないように、渾身の指導と励ましを送られているのです。
魔を見破るために大事なことは、根本の目的を忘れないことです。私たちにとっては広布の「誓願」にほかなりません。それを教えてくれるのが師匠です。
師弟の誓願に生きる時、魔に打ち勝つ力が湧き、魔を見破る智慧が光り、幸福と勝利の軌道を、恐れなく勇敢に歩んでいくことができるのです。