朝の祈りが
一日のリズムをつくる。
今日の努力が
明日の自分を輝かせる。
月々日々に前進だ!
富木尼御前御返事 P975
『設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり』
【通解】
たとえ業病であっても、法華経の御力は頼もしく、病が治癒しないはずはない。
阿闍世王は法華経を受持して四十年という寿命を延ばし、天台大師の兄の陳臣も十五年の命を延ばしたといわれる。
名字の言 再会した恩師は柔らかく言ってくれた。「変わりはなかったかい?」 2020年3月7日
ある詩人が恩師と久々の再会を果たした。恩師は「変わりはなかったかい?」と声を掛けてくれた▼詩人は振り返る。あの時、「元気だったかい?」と言われれば、「ええ、元気です」と答えるしかなかった。でも、恩師は「変わりはなかったかい?」と言ってくれた。この柔らかい一言に、ずっと自分のことを思い、見守ってくれていた恩師の優しさを感じたという▼だから「言葉は心の仕事です」と詩人。「人を内面から変えることができるのは、言葉だけなのです」とも。御書に「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563ページ)とある。言葉は心であり、相手を思う心が届いた時、その人を幸せにするエネルギーに変わるのだろう▼仏法は「身口意の三業」を説く。私たちの生命活動は、行動(身)・言葉(口)・心(意)として表れるということである。心と行動とともに、言葉が自分という人間を決める重要な要素であることに注目したい▼心ある言葉を大切にするアイヌの箴言を思い出した。「一人のうそつきがいるとコタン(集落)は滅びる」。一つでもうそがあれば、心ある言葉で成り立っている世界は崩れるからだ。心ない言葉ばかりが目立つ社会だからこそ、自分の本当の心を託した言葉を届け続けたい。(側)
寸鉄 2020年3月7日
大目的が確立すれば中目的、小目的は明確—牧口先生。誓願の炎を赤々と
天才とは、まず苦悩を受け止める先駆的な能力—作家。青年よ挑戦王たれ
消防記念日。可燃物整理や火の元始末を再確認。油断の火種絶ち無事故で
感染予防で1時間に5分は換気を—医師。手洗い・咳エチケットと併せ励行
「マスクを無料送付」不審電話やメール等相次ぐ。怪しい話はキッパリ無視
☆負けじ魂ここにあり——わが生命の学園生 第26回 東京校・関西校
学べ勝ち抜け 世界まで!
君たちには正義の勝利の旗を
打ち立てる「栄光の使命」が!
「師弟の出会いがあるところ、豊かな『詩』が生まれます。師弟の闘争があるところ、魂の旋律ともいうべき偉大な『歌』が生まれます」
創立40周年を前に、創価学園では、創立者・池田先生が作詞した新たな"父子の歌"が次々と誕生していた。
2005年11月には、関西創価学園歌「関西創価 わが誇り」が。
翌06年2月には、女子学園生歌「幸福の乙女」。
そして、40周年を翌月に控えた07年10月、関西創価学園寮歌「我らの城」が発表された。
◇
"寮歌を作ろう!"
関西校の男子寮である金星寮では、これまで何度も「寮歌作成」の挑戦が繰り広げられてきた。本格化したのは1999年頃。"新世紀に向かう歌を"との創立者の言葉を受けて火がついた。
学園の歴史や創立の精神を学び深め、歌詞を練る。いくつか候補となる歌が出来上がったものの、全員が心から納得のいくものではなかった。以来、先輩から後輩へ、決意のバトンが託されてきた。
寮生たちは良き伝統を築こうと、勉強、クラブ活動、読書、対話にも励んだ。寮歌作成の熱意は、学園建設の新たな息吹を巻き起こしながら、作成委員会の枠を超え、次第に寮全体へと波及していったのである。
"よし! これなら!"。ようやく、心一つに歌を完成させることができたのは、池田先生の金星寮訪問10周年となる2005年10月のことだった。
「おめでとう!」
ずっと、彼らの挑戦を見守り続けてきた先生も、心からの祝福の言葉を送った。
その後、金星寮生は折々に、決意を込めて歌声を録音し、先生に届けていった。
2年後の07年10月、金星寮の日(10月10日)を記念して届けられた歌を聞いた先生は、その心意気に応えるように作詞のペンを執った。何度も推敲を重ねて作られた歌が、関西学園寮歌「我らの城」である。
発表されたのは10月12日。その翌日、朝早くから寮内に、力強い歌声が響いた。
♪ああ関西の 秀才城
君も 勝利の博士なり
師弟の生命の 天空に
一番星よ 光り舞え
後に、関西学園の卒業生に向け、先生は次のようなメッセージを贈った。
「君たちは、学園時代、私と会えなくとも、私の心をわが心として、関西創価学園の新たな黄金時代を築いてくれた」
「どうして、私の生命から離れることがあるだろうか」
「後輩たちが誇らかに歌っている、『関西創価 わが誇り』や『幸福の乙女』、『我らの城』の愛唱歌も、私と君たちで、一緒に創り、一緒に歌い上げた、『魂の共鳴の曲』です」
◇"一番星"の誇り
2007年10月24日、夕暮れ迫る東京・八王子市の創価大学キャンパスに、関西校の高校2年生の姿があった。伝統の創大研修である。
記念撮影のために池田記念講堂の前庭に集まっている時、誰かが叫んだ。
「池田先生や!」
整列した生徒たちの元へ、創立者を乗せた車がゆっくりと近づいて来る。
「先生!」。思いがあふれて言葉にならない学園生。
先生は窓を全開にし、白い帽子を振って真心の励ましを。
「ありがとう、ありがとう」「ご苦労さま」「お父さん、お母さんに、くれぐれも、よろしく」
そして「みんなに会えて本当によかった」「関西校は盤石だな」と語り、別れ際、クラクションが何度も何度も鳴らされた。
感動の余韻が残る講堂前で、学園生は創立者に届けと、あかね色の空に向かって、「我らの城」「関西創価 わが誇り」を力いっぱい歌い上げた。
「あの日のことを思い出すたびに、"もっと頑張らなあかんな"と、やる気が込み上げてきます」と語るのは、長沢賢一さん(関西高34期)。先生の励ましを受けて自身の限界に挑み、無理だと諦めかけていた英検1級に合格。卒業時には、創立者賞に輝いた。
アメリカ創価大学(SUA)を出た後、ミシガン大学の経済学博士課程に進学。そこで苦難の壁にぶつかった。
指導教官から与えられた研究課題に取り組むも、なかなか結果が出ない。教官との関係も悪化し、"博士課程を続けられないのでは"との焦りが募った。
それでも、学園で培った粘り強さで、さまざまな研究手法を調査。片っ端から試していった。
そんな長沢さんに、教官は"最後のチャンス"として別の課題を指示。これが転機となった。それまで試した研究手法を駆使し、教官の予想を上回る見事な研究結果を導き出したのである。
昨年、念願の博士号を取得。現在はイギリスのウォーリック大学で研究に励む。
学園時代は、金星寮で人格を磨いた長沢さん。「いつか、社会に大きく貢献できる経済学者に」と、胸には"一番星"の誇りが輝いている。
◇創立者の講座
創立50周年に向けた"新たな10年"は、池田先生からの"うれしい知らせ"で幕を開けた。
2008年4月9日に開催された東京校の第41回、関西校の第36回入学式の席上、創立者が特別文化講座「大詩人ダンテを語る」を準備していることが発表されたのだ。
待望の紙上講座は、同月23日から5回にわたって本紙に掲載された。その中で先生は、ダンテの生涯や『神曲』を通して、「正義の人生」を歩む誉れや、「師弟の絆」の重要性などを訴えた。
「大難に遭い、大難に勝つ正義の人生は、不滅の歴史を刻み、人類から永遠の喝采を受ける」「わが学園生には、正義の『勝利の旗』を未来永遠に打ち立てゆく、『栄光の使命』があると申し上げたい」
「『師弟』がなければ、破れない壁があります。『師弟』でなければ、進めない道があります」「師弟の絆ほど、美しく、強いものはない」「師弟あればこそ、弟子は困難に飛び込んでいける」
紙面に掲載される講座を、学園生たちは、創立者から直接、講義を受ける思いで真剣に学び深めた。今も人生の指針にしている人は多い。
◇負けない人生を
2009年3月11日、東京校の講堂に歓声が上がった。
「創立者が『負けじ魂ここにあり』に、新たに5番の歌詞を付けてくださいました!」
「負けじ魂ここにあり」は、1978年に東京校の生徒が作り、池田先生が加筆して、さらに4番の歌詞を贈った愛唱歌である。長年、多くの学園生に歌われてきた。
「あの日、講堂のスクリーンに5番の歌詞が映し出され、涙しながら歌ったことを、今でも鮮明に覚えています」と、川田加奈子さん(東京高39期)は語る。
当時は高校3年生。SUAを目指すも、英語のスコアが出願基準にあと一歩届かず、悔しい思いをした。世界への道を開くため、卒業後は、創価大学に進学。3年次にアフリカのケニアに渡った。現地では、NGOのインターンシップに参加し、子どもたちの健康を守る事業に携わった。
4カ月がたった頃、川田さんを試練が襲う。体調を崩して緊急入院。医師から告げられた病名は「白血病」だった。
すぐに帰国し、抗がん剤治療が始まった。髪が段々と抜け落ち、副作用に悩まされた。
"なんで自分が……"
弱気な心に覆われていく川田さんを支えたのは、創立者からの励ましと、これまで何度も口ずさんできた「負けじ魂ここにあり」だった。
"ここで、負けるわけにはいかない!"
川田さんの強い気持ちに呼応するように、治療は順調に進んだ。抗がん剤治療は1回で終了。幸いにも、白血球の型が姉と一致することが分かり、すぐに造血幹細胞移植を受けることができた。医師も驚く"理想的な最短コース"で、完全寛解になった。
川田さんはその後、"人々の健康向上に尽くしたい"と、東京大学大学院で国際保健学修士号を取得。現在は、国際的な医療機関で広報に携わる。
◇
5番の歌詞発表から、5日後の3月16日。
東京校と関西校を中継で結んで行われた卒業式で、東西の学園生が心一つに「負けじ魂ここにあり」を合唱した。
♪正義の誇りに 胸を張れ
君に託さん この大城を
学べ勝ち抜け 世界まで
負けじ魂 朗らかに
池田先生は右手を上げて節をとりながら、歌声を重ねた。
"全員が幸福に!"
"負けない人生を!"
学園生一人一人にエールを送るように——。
【池田先生の主な足跡】(2006年4月〜09年3月)
2006年
〈9月13日〉
修学旅行で東京を訪れた関西創価小学校の6年生を激励(新宿区)
2007年
〈3月16日〉
関西創価学園と中継で結び、行われた東京・創価学園の第37回卒業式に出席。「若いときは、うんと苦労するのだ。その青春の嵐の苦闘のなかで、成長し、がっちりと力をつけて、光り輝いていけばいいのだ。勝利の人生を飾っていくのだ」とスピーチ
〈9月13日〉
修学旅行で東京を訪れた関西小の6年生を激励(新宿区)
〈10月12日〉
関西学園寮歌「我らの城」を発表
〈10月24日〉
創価大学・創価女子短期大学で研修中の関西高の2年生を激励
2008年
〈3月16日〉
関西校と中継で結び、行われた東京校の第38回卒業式に出席
〈4月23日〉
創価学園特別文化講座「大詩人ダンテを語る」の第1回を本紙に掲載(全5回)
〈8月28日〉
創大・工学部(当時)でのサイエンス・サマースクールに参加していた東京・関西の中学3年、高校1年の生徒を激励
〈10月1日〉
10月1日の「栄光寮の日」を記念して、長編詩「大切な そして優秀な 創価学園栄光寮の英才に贈る」を詠む
〈10月22日〉
修学旅行で東京を訪れた関西小の6年生を激励(新宿区)
〈12月6日〉
長編詩「英知と正義の星たれ! わが学園生に贈る」を詠む(本紙発表は12月8日付)
2009年
〈3月11日〉
愛唱歌「負けじ魂ここにあり」の「5番」の歌詞を新たに作詞し、発表
〈3月16日〉
関西校と中継で結び、行われた東京校の第39回卒業式に出席。「思うようにいかない時も、へこたれない。あきらめない。朗らかに前へ進み続けた人生が、最後は必ず勝つ。まさしく不屈の『負けじ魂』こそ、真の生命の宝であり、底力であります」とスピーチ