2020年3月25日水曜日

2020.03.25 わが友に贈る

もうすぐ新年度。
生活習慣を改善する
絶好の機会としよう!
自分史の新たな章を
つづり始める気概で!

四条金吾殿御返事 P1169
『日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』

【通解】
日蓮は、若き日より、今世の栄を祈ったことはない。ただ仏になろうと思い願ってきただけである。
けれども、あなたの事は、いつも法華経、釈尊、日天にお願いしている。そのわけは、あなたが法華経の命脈を継ぐ人だと思うからである。

名字の言 本紙の購読期間が終わった知人からの手紙。「勧められたから読んでいたが……」 2020年3月25日
先月、東京・板橋の壮年部員に1通の手紙が届いた。差出人は名古屋に住む取引先の方で、壮年の勧めで本紙を長年購読している。その購読期間が1月で終わったが、壮年は忙しさにかまけ、ついそのままにしていた▼手紙の用件は"聖教新聞をぜひまた入れてほしい"という依頼。勧められたから読んでいるつもりだったが、新聞に目を通さなくなって初めて、聖教に日々、励まされていたことに気付いたという▼再び新聞が配達された今月、2通目の手紙が来た。そこには感謝の言葉と共に「朝、郵便受けに聖教新聞が入っていると、ほっとした気分になります」と▼普段は特に気に留めなくても、無くなるとその価値が分かることがある。最近では、演奏会や演劇の公演もその一つ。音楽評論家の林田直樹氏は本紙の連載で、生の舞台の美しさ、豊かさをかみ締めつつ、再開されたときには「ライブな舞台というものを、もっと大切にできるようになっていたい」と述べた▼世界の各地で、人々の"当たり前"が様変わりしている。だが、それは"かけがえのないもの"を深く知る機会にもなろう。今、ここで生きていること。支えてくれる家族、友人、同志がいること。その一つ一つに感謝しつつ、励まし合って日々を歩みたい。(起)

寸鉄 2020年3月25日
『新・人間革命』こそ時を超えて読み継がれる名作—学長。今日も心に刻み
東京・江東が「師弟勝利の原点の日」40周年。共戦の魂漲る人材城は堂々と
「根深ければ則ち条茂く」御書。信心の根しっかり。張りのある勤行から出発
精神を前向きにするのは良き人間関係—心理学。学会の励ましの絆こそ宝
中高生4割超、SNSに顔や制服姿を投稿。危機意識を。これ犯罪の火種

☆「新・人間革命」が広布の源泉 第3回
困難な時こそ、創価の希望の励ましで、友の心を明るく照らしていきたい。小説『新・人間革命』の中から、指針を抜粋して紹介する。

◇"大悪は大善の瑞相"と確信し
学会が「社会の年」と定めた一九七四年(昭和四十九年)は、第四次中東戦争、石油危機に始まった世界経済の激動のなかで幕を開けた。
元日の午前十時、全国各地の会館などで、新春恒例の新年勤行会が、一斉に開催された。
(中略)
学会本部での勤行会に出席した山本伸一は、マイクに向かうと、「減劫御書」の一節を拝した。
「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(1467ページ)
そして、確信のこもった声で語っていった。
「大聖人御在世当時、社会は、大地震や同士打ち、また、蒙古襲来と、乱れに乱れ、激動しておりました。しかし、大聖人は『決して、悲観すべきではない。むしろ、こういう時代こそ、仏法の広宣流布という大善が到来するのである』と宣言されているのであります。
私どもは今、戦後最大といわれる経済の激動のなかで、日夜、広宣流布に邁進しております。筆舌に尽くしがたい困難もあるでしょう。だが、どんな障害があろうが、『大悪は大善の来るべき瑞相』であると、強く、強く確信し、いよいよ意気盛んに大飛躍を遂げてまいろうではありませんか!」
伸一の呼びかけに、「はい!」という明るい声がはね返った。
すべての逆境を前進のバネへと転じていくのが、信心の一念なのだ。(第18巻「飛躍」の章)

◇今いる場所を立正安国の楽土に
大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、"もう、何をしてもだめだ"との思いをいだき、"この苦しい現実からなんとか逃れたい"と考えてしまいがちなものだ。そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。
それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく"弱さ"の根を絶とうとされたのである。
大聖人は、「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と叫ばれている。
南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているのが日蓮仏法である。(第29巻「清新」の章)

◇励まし社会の創出へ不軽の実践
伸一は常に、"どうすれば皆が喜び、勇気をもって信仰に励めるのか""明るく元気に頑張れるのか"を考え続けていた。
彼の一念も、行動も、日々、友への励ましに貫かれていた。
励ましとは、安心と希望と勇気を与えることである。相手の生命を燃え上がらせ、何ものにも負けない力を引き出す、精神の触発作業である。
励ましの本義は、相手の幸福を願う心にある。
法華経に説かれた不軽菩薩は、あらゆる人びとに対して、礼儀を、誠意を尽くして、礼拝していった。
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経557ページ)
〈私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです〉
つまり、一人ひとりが、最高の人格の輝きを放ち、何ものにも負けない師子王となるのだ。人びとを救いゆく使命の人なのだ——と叫び抜いているのだ。
だが、人びとは彼を杖や木で打ちすえ、瓦や石をぶつけた。それでも、彼は、それぞれのもつ無限の可能性を教え抜いていったのだ。この不軽菩薩の生き方にこそ、励ましの原点がある。
創価学会のめざす広宣流布とは一次元から言えば、"励まし社会"の創出である。(第21巻「共鳴音」の章)