2020年3月15日日曜日

2020.03.15 わが友に贈る

◇今週のことば
「願くは我が弟子等・
大願ををこせ」
広布誓願の題目で
足下から希望の泉を!
毎日が「3・16」なれば。
2020年3月15日

三三蔵祈雨事 P1468
『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず』

【通解】
日蓮が仏法を判断するのに、道理が正しく証文がきちんとそろっているもに過ぎるものはありません。
さらに、道理、証文よりも現証に勝るものはないのです。

名字の言 交通事故で手足の自由を失った青年の蘇生のドラマ 2020年3月15日
星野富弘氏の詩「むぎのほ」にこうある。「ゼロはいくつ足しても/ゼロだけれど/〇・一でも残っていれば/いつか一になり/百にだってなれる」(『四季抄 風の旅』所収、学研プラス)。小さな挑戦でいい。続けさえすれば大きな幸福をつかめる。作者の温かい詩心が伝わってくる▼「ぼくの青春は事故で壊され、学会で蘇った」と語る青年がいる。18歳の時、交通事故で手足の自由を失った。食事から排せつまで、人の手を借りなければ生きていけない▼絶望して何度、生きることを諦めかけたか。そんな彼を地域の同志が懸命に励ました。「孤独になんかさせない」「不幸には絶対にさせないからね」。熱い真心が彼の生きる力を蘇らせた▼そして"自分も人を元気づけたい"とリハビリに励み、車いすで活動できるように。パソコンの音声入力で文章もつづれるようになった。「ぼくは大河のようには動けません。でも"一滴の水"の努力は続けられる」「『雨垂れ石を穿つ』の心で人生を勝ってみせます」。その笑顔、その言葉、その心に触れ、多くの友が奮起している▼「できない」ではなく、「できる」ことを見つけ、挑戦する。一歩ずつ可能性を開き続ける。その生き方に、真の幸福がある。真の自由もある。青年の姿を見て、そう実感した。(誠)

寸鉄 2020年3月15日
各地で『新・人間革命』の読了運動が活発。今こそ師弟の魂をわが心肝に!
あす静岡青年部「後継の日」。君らの成長が正義の証明。鍛えの道を堂々と
桜は「木の中よりさきいづ」御書。開花近し。我らも祈り抜き、新生の春を
米の食味ランキング、福島が最多「特A」獲得と。風評払拭の生産者に喝采
調査に答えれば謝礼金—言葉巧みに個人情報聞く詐欺横行。甘い話は注意

☆心に御書を 第25回 題目から無限の福徳を
〈御文〉
『同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』』(乙御前御消息、1221ページ)

〈通解〉
同じ法華経ではあっても、信心をさらに深め、実践を重ねていくならば、他の人よりも輝きが増し、利益もはっきりとあらわれてくるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
南無妙法蓮華経は宇宙の根源の法である。ゆえに唱題に励むとき、妙法に合致し宇宙大の力を涌現できる。題目から無限の福徳が広がるのだ。
我らの勤行は「世界の平和と一切衆生の幸福」を祈念する、厳粛にして壮大な会座である。
日々、従藍而青の志で、いよいよ強盛に祈り、一切を希望の方向、勝利の方向へ動かしゆこう!

☆紙上講義「諸法実相抄」(下) 森中教学部長
折伏しようとする心——それ自体が仏の心である

創価学会が妙法を世界中に広げ、「地涌の義」を実現——。ここでは、森中教学部長の紙上講義(下)を掲載します。範囲は、2月度御書講義の研さん教材である「諸法実相抄」(御書1360ページ6行目〜13行目)です。((上)は2月29日付2面に掲載。「大白蓮華」2月号も参考にしてください)

= 御文1 =
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし』(御書1360ページ9行目〜11行目)

◆ ◇ ◆
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり」とは、「一人」の先覚者が立ち上がれば、地涌の使命に目覚めた人が必ず陸続と続いていくとの大聖人の御確信です。
現代社会において、人的交流や移動の手段が増え、通信環境が整うなど、状況は目まぐるしく変化しています。そうした人間を取り巻く状況がいかに変わろうとも、「一人」から「一人」へと、誠実な対話によって妙法を弘めていくという広宣流布の方程式は、いささかも変わるものではありません。
この大聖人の仰せ通りに、創価の三代の会長の指導のもと、実際に一対一の対話を繰り広げてきたのが、創価学会です。
続いて「是あに地涌の義に非ずや」と仰せです。対話によって、地涌の自覚が呼び覚まされていくことは間違いありません。

■「地涌の義」を証明
大聖人は「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」と、日本中の人、今日でいえば、世界中の人が南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的とするように確かなことであると述べられています。
この「地涌の義」は、世界の地涌の同志によって、現実のものとなっています。
池田先生は、次のように述べられています。
「いずこの地にあっても、一粒種から広布が始まり、一人また一人と、地道に粘り強い拡大によって、今日の大潮流が築かれたのです」「まさしく、大聖人の『地涌の義』を、創価学会が証明したのです。『未来も又しかるべし』とは、創価学会の出現を予言された御文であると私は確信してやみません」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第17巻)
戸田先生は戦後の焼け野原に一人立たれ、「国士訓」で「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と叫ばれました。まさに、その言葉の通り、二人、三人、百人、さらには千人、万人と、地涌の使命を自覚する人材群を広げていったのが創価学会の歴史です。
創価の師弟が出現していなければ、今の世界広宣流布はありません。
私たちは、妙法を受持し、創価学会員として生きることを最高の栄誉として、「ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」との御文のままに、どこまでも御本尊根本に、生涯、弘教・拡大の誉れの闘争を貫きたいと思います。

= 御文2 =
『釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』(御書1360ページ11行目〜13行目)

◆ ◇ ◆
大聖人は、「虚空会の儀式」とは、「唯ひとへに末法の令法久住の故なり」と示されている通り、「末法の令法久住」のためであったと仰せです。
「令法久住」とは「法をして久しく住せしめん」(法華経387ページ)と読みます。未来永遠に妙法蓮華経が伝えられていくようにすることです。
すなわち、大聖人は、法華経は「末法の広宣流布」を断絶させないために説かれた、"末法のための経典"であることを強調されています。
大聖人は、他の御書の中でも「法華経は誰のために説かれた経典なのか」という問いを立てられて、「法華経は末法の衆生のために説かれた経典である」と仰せになられています(御書333ページ、趣意)。

■わが地域が使命の舞台
これらの御金言を拝せば、末法の私たち地涌の菩薩が活躍する地域がそのまま、「地涌の義」にかなった舞台であり、現代に霊鷲山を再現している天地であるといえるでしょう。
「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず)という言葉があります。釈尊が霊鷲山で法華経を説いた霊山の会座は、いまなお厳然として散らず、永遠に常住しているという意味です。
池田先生は、「大白蓮華」3月号の巻頭言において、次のようにつづってくださいました。
「久遠から広布を誓い合った同志が、今この時この天地に共に躍り出たのだ。『御義口伝』に説かれる『霊山一会儼然未散』(御書757ページ)は他のどこでもない。我らの地区にある。
ゆえに、苦楽を分かち合って進むのだ。『あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』(同1124ページ)と仰せの通り、一人一人の人生と、愛する地域に幸福勝利の花を爛漫と咲かせゆこう!」

■識者が学会に注目
私は創価学会が草創以来、各地で開催してきた座談会は、宗教的にも社会的にも、幾重にも深い意義があると思います。
今は、作家の佐藤優氏をはじめ、識者が学会を正面から論ずる時代に入りました。先日発売された『ワールド セイキョウ』2020年春号にも、ジャーナリストである田原総一朗氏のインタビューが掲載されています。氏は自著『創価学会』でも触れていますが、学会の座談会に注目し、実際に取材しています。そうしたなかで、座談会を"小さな集まりで体験を赤裸々にしゃべる""都会にコミュニティーがなくなっている日本社会において、何でも話せるコミュニティー"と評価しています。
さらに、「宿命転換」の考え方にも注目しており、"宿命転換の体験を、座談会で、上から目線でなく、皆が平等に語り合うことが学会の良さだ"と指摘しています。
こうした学会の座談会の特徴については、海外の識者も注目しています。まさに、地涌の民衆の連帯が、ますます、社会的にも、世界的にも注目を浴びる時代がきていると実感します。

■次世代へ信心を継承
あらためて「地涌の義」に即して御文を拝すると、広宣流布を断絶させないために地涌の菩薩が陸続と登場するわけですから、地涌の菩薩たる私たちは、"自分自身が地涌の菩薩だ"と自覚するだけでとどまってはなりません。
一つは、縁する全ての人に妙法を語り抜くこと。そして、その使命を果たすと同時に、次の世代の信心継承の道を開いていくことが私たちの使命です。
池田先生は、つづられています。
「広宣流布は、世界へという『横の広がり』とともに、世代から世代への『縦のつながり』によって織りなす大絵巻だ。
世代を重ねるごとに、いよいよ力ある『従藍而青』の人材を育成する。これが、末法万年尽未来際の『令法久住』を開く大道である」(「随筆『人間革命』光あれ」<師弟凱歌の言論城>)
私たちが、後継の青年部を励まし、応援していくこと、また、各家庭や組織で未来部のメンバーへの激励に着実に取り組むことで、いよいよ力ある「従藍而青」の人材が陸続と誕生していきます。それが「末法の令法久住」にも通じていくのです。

■折伏行こそ仏の願い
現在、新型コロナウイルス対策のため、会合や訪問・激励を自粛していますが、電話やメール、手紙を活用するなど、知恵と工夫で仏縁を広げることはできます。大切なのは、どんな状況であっても折伏精神をしっかり堅持する、ということです。
池田先生は「大白蓮華」2月号の「世界を照らす太陽の仏法」の中で「発心下種と聞法下種の功徳は同じである」ことについて、次のように講義されています。
「(戸田先生は)なかなか弘教が実らずに悩んでいる、健気な同志には、『何も嘆くことはないよ。すぐに信心する発心下種と法を聞かせる聞法下種は、功徳は同じだ。必ず実る時が来る。だから、どしどし下種をするんだ』と温かく励まされました。
実る、実らないを問わず、折伏をしようという心それ自体が、仏の心です。折伏を行じることそのものが、仏の願いである万人の幸福を実現する聖業に参加していることになるのです。無量の功徳は間違いありません」
池田先生は「折伏をしようという心それ自体が、仏の心です」と、弘教に励む私たちに最大の激励を送ってくださっています。
池田先生の第3代会長就任60周年の「5・3」、学会創立90周年の「11・18」と、意義深い佳節が続く本年、一人一人が「地涌の菩薩」の誇りを胸に、一歩一歩前進しようではありませんか。