「一日に二三度
えみて向へとなり」
父母に笑顔の花束を!
報恩こそ仏法の魂。
親孝行第一であれ!
御義口伝巻上 P710
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり生死即涅槃と開覚するを照則闇不生とは云うなり、煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり』
【通解】
今、日蓮大聖人およびその門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、生死の闇を照らし晴らし、涅槃の智火が明了に現われることである。
すなわち生死即涅槃と開覚することを、文句では「照らすは則ち闇生ぜず」といっているのである。
また、妙法を唱え奉ることは、煩悩の薪を焼いて菩提の慧火が現前することである。
名字の言 娘からの質問。「なんでパパは学会活動してるの?」 2020年3月22日
歌人・俵万智さんの歌集『サラダ記念日』に、こんな歌がある。「やさしさをうまく表現できぬこと許されており父の世代は」▼出版は1987年。当時はまだ、"背中で語る"父親が時流に抗して頑張っていたらしい。日本では「以心伝心」が美徳とされてきたが、実際は、どんな思いも言葉にしなければ伝わらない。気心知れた家族でも同じだろう▼ある男子部員は今月、ファミリー座談会を毎週開催している。そのたび、小学4年の娘からの質問にハッとさせられるという。「なんでパパは学会活動してるの?」「なんで池田先生を尊敬してるの?」▼どれも日頃の言動を通して、分かってもらえていると思っていたことばかり。忙しさにかまけ、伝える努力をおろそかにしていた自分を反省した。「パパにとってはね……」。できるだけ表現をかみ砕きながら、精いっぱい答え続けたからだろうか。娘は朝晩、自ら進んで御本尊の前に座り、勤行をするようになった▼「表現」という言葉は英語で「express」。語源には「外に押し出す」という意味がある。信仰の喜びや信念といった自身の内なる思いを、言葉にして表し、宝の子どもたちに伝えたい。31日まで「未来部希望月間」。親子の語らいを深める絶好の機会である。(之)
寸鉄 2020年3月22日
「題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」御書。春の彼岸。故人の冥福祈念
関西男子部の日。常勝のバトン受け継ぐ師子よ!信心の実証を今いる所で
苦難越えた時に以前より良くなるのが妙法—牧口先生。この大確信で前進
社会人の半数が全く読書せずと。活字離れは深刻。良書の喜びを知る契機と
世界水の日。節水等、皆の努力が"水の惑星"守る。依正不二の視座を基軸に
★原田会長を中心に全国方面長会議 2020年3月20日
4月19日まで「各地の会合は中止」「会館は閉館」「訪問・激励は自粛」
5月6日まで誓願勤行会を中止
全国方面長会議が19日午後7時から、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長ら各部の代表が出席し、全国の方面長・方面婦人部長らとテレビ中継で結び、東京・信濃町の学会本部別館で行われた。
席上、会長から、新型コロナウイルスの感染拡大に関する現下の情勢を受けて、学会本部として決定した、今後の組織活動の方針が次の通り発表された。
�4月19日(日)まで「各地の会合は中止」「会館は閉館」「訪問・激励は自粛」を継続する。
※これに伴い、4月5日(日)、6日(月)に予定されていた「教学の日」の部別御書講義は、今回のみ、森中教学部長の御書講義をSOKAnetで視聴できるようにする。視聴者は御書講義への参加とみなす(詳細は後日、本紙に掲載)。
※4月12日(日)の「未来部の日」を中心に予定されていた「創価ファミリー勤行会」は中止する。
�広宣流布大誓堂での誓願勤行会は、ゴールデンウイークの5月6日(水)まで中止し、大誓堂は休館とする。
�5月に予定されていた婦人部総会は延期とする。
原田会長は、全国の同志、とりわけ本紙を配達する「無冠の友」の労苦に深謝。師と共に、世界の同志と共に感染の一日も早い終息を祈り、賢明に無事故第一を期しながら、一日一日を価値的に進みたいと呼び掛けた。
☆心に御書を 第26回 師弟こそ仏法の根幹
〈御文〉
『よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』(華果成就御書、900ページ)
〈通解〉
よい弟子をもつならば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養うならば師弟はともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。
〈池田先生が贈る指針〉
仏法の根幹は師弟不二なり。師弟あればこそ広布の誓願は継承され、不二なればこそ地涌の生命は脈動する。「3・16」の魂もここにある。
師と同じ心で唱える題目は無敵の師子吼であり、万事を勝ち開く力だ。
師匠は大地であり、弟子は草木である。使命の花を咲かせ、勝利の実を結ぶことが、報恩の道なのだ。
☆池田先生の指導に学ぶ 彼岸の意義
◇最高無上の生命の軌道を 久遠からの同志とともに
きょう17日は、春の彼岸の入りです。ここでは、池田大作先生のスピーチを通して、仏法本来の「彼岸」や「回向」の意義について学びます。
——かつて池田先生は、真剣な求道の息吹に燃える新入会の青年の質問に答える形で、「彼岸」の意味について、次のように語られました。
◇広宣流布に生き抜く学会員こそ幸福と勝利の彼岸に到達できる
「彼岸」という言葉は知っていても、その意義については、知っているようで知らないことも多い。これまでも何度か紹介してきたが、この機会にあらためて少々、論じさせていただきたい。
◇ ◇ ◇
仏法では、迷いに満ちた現実の世界を「此岸」(こちらの岸)に譬える。
それに対して、悟りの世界、仏道修行の完成を、「彼岸」という言葉で表すのである。
すなわち、真の「彼岸」、成仏の完成に至るためには、現実の迷いや悩みに打ち勝つ「修行」が不可欠なのである。この点を忘れてはならない。
ゆえに、"坊主に拝んでもらわなければ、お彼岸にならない。供養にならない"などという考えは、完全な"迷信"にすぎないのである。
日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず」(御書1448ページ)と仰せである。
妙法を持ち、広宣流布に生きぬく創価学会員こそ、「生死の大海」に満ちる苦悩の荒波を乗り越えて、「幸福の彼岸」「勝利の彼岸」へ到達することができるのである。
——仏教本来の意義に立ち返り、学会員の日々の信仰にこそ「彼岸」に至る道があることを教えられました。
その上で、先祖や亡くなられた家族や同志への追善のありかたについて語られます。
◇自分自身が修行で得た福徳を「廻し向ける」のが「回向」
「回向」の本義について、大聖人は「御義口伝」で次のように述べておられる。
「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり」(御書712ページ)
妙法の題目は、全宇宙を照らしゆく力を持っている。その慈悲の大光は、無間地獄にまで至るとの、大聖人の大確信である。
いかなる権力でも、いかなる財宝でも、いかなる科学でも、成し得ないことがある。
それが一生成仏であり、故人への追善回向である。
回向の根本は、自分自身が御本尊を信じ、広布に励むことである。自身が仏道修行で得た功徳を「廻し向ける」ことが、「回向」の本義であり、真の追善となるのである。
ともあれ、「彼岸」にせよ、「回向」にせよ、「自分自身の仏道修行」という一点を忘れてしまえば、本来の意義から外れてしまう。
私たちは最高無上の生命の軌道を、久遠からの同志とともに、歓喜に燃えて歩んでまいりたい。
——「彼岸会」が日本独特の風習であることに触れられ、学会が彼岸法要を行うのは「随方毘尼」の考えからであることを述べられます。
◇広布の友と行う勤行・唱題こそ大聖人の御心に最も適った実践
さらに「彼岸」の意義について考えたい。
日本には、「春分の日」と「秋分の日」を中心に、先祖の供養や墓参などを行う「彼岸会」がある。
じつはこの行事は、インドや中国から伝来したものではなく、日本独特の風習である。
聖徳太子の時代から始まったとも言われ、『源氏物語』にも「彼岸」の言葉が見られる。
「春分の日」「秋分の日」は、大きく見れば、昼と夜の長さが等しくなる、地球の運行の"リズムの節目"にあたる。
また、日本人にとっては、「暑さ寒さも彼岸まで」などと言われるように、"季節の節目"である。
この日には、古代、農耕儀礼が行われていたようであり、それが仏教と結びついて、祖先を供養する「彼岸会」になったのではないかという説がある。
また、太陽に豊作を願った「日願」が由来ではないかとも言われる。
ともあれ、御書には、悟りの世界を表す「彼岸」は使われているが、いわゆる年中行事としての彼岸会についてはふれられていない。
私どもが行う彼岸法要については、「随方毘尼」(仏法の本義に違わないかぎり、各地域や時代の風習に随うべきである)の考えのうえから、意義づけるべきであろう。
そして、春分・秋分の日という地球のリズムに則って、会館等にすがすがしく集い合い、異体同心の広布の友と行う勤行・唱題こそ、大聖人の御心に最も適った彼岸の法要であることを確認しておきたい。
——亡き家族への追善供養とは、日々の勤行・唱題であり、信心根本に前進していくことであると教えられます。
◇難と戦う勇気ある信心の功徳で亡き家族をも成仏させられる
大聖人は、在家の門下である曾谷教信が、毎朝、亡き父のために自我偈を読誦し、追善回向していることについて、「是こそ実の孝養にては候なれ」(御書1051ページ)と讃えられた。
この曾谷教信のことを、「法蓮上人」(同1047ページ)という尊称で呼ばれている。
また、南条時光に、大聖人は仰せである。
「自分にとって大事な人々から信仰を反対されたり、大きな難が来るであろう。その時こそ、諸天の加護が必ずあると信じていよいよ強盛に信心していきなさい。
そうすれば(父上の)聖霊は仏になられるであろう。(父上が仏に)なられたならば、来られて、(あなたを必ず)守られるであろう」(同1512ページ、通解)
難と戦い、難を打ち破る。その勇気ある信心に、計り知れない功徳がそなわっていく。
その人は、亡くなった家族をも、皆、成仏させることができる。
そして、すべての縁する人を救い、皆から守られていく。
目指すべき真の「彼岸」は、どこか遠くにあるのではない。私たちが日々、勤行・唱題し、広宣流布に励みゆく実践こそ、真の彼岸の供養となる。大聖人の仏法においては、「常彼岸」なのである。
池田先生の指導は、『普及版 池田大作全集 スピーチ』2005年[4]から
◇墓園に春の彩り
四季の彩りが美しい学会の墓地公園は、地域に開かれた自然豊かな名所として、多くの人に愛されています。
ここでは、以前に撮影した「富士桜自然墓地公園」(静岡県富士宮市)と「関西池田記念墓地公園」(兵庫県丹波市)の春の映像を紹介します。