2020年3月16日月曜日

2020.03.16 わが友に贈る

新聞休刊日

御義口伝巻上 P725
『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり』

【通解】
一念三千も信の一字から起きる。三世の諸仏の成道も、信の一字によるのである。この信の字は元品の無明を切る利剣である。

〈社説〉2020・3・15 あす「広宣流布記念の日」
常に「今」が広布の本番の時
令和に入って初めての、3・16「広宣流布記念の日」を迎える。
62年前のこの日、戸田先生は、生涯の願業であった75万世帯の弘教を成し遂げ、式典に集結した6000人の創価の若人に師子吼した。
「創価学会は、宗教界の王者である」——以来、この日は広宣流布の師匠に対し、弟子が大願の実現を誓う「師弟誓願の日」となっている。
当時、戸田先生は、「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」と語った。青年部の室長だった池田先生は一人、決然と立ち上がり、師への誓いを胸に、今日まで命を懸けた大闘争を貫いた。
戸田先生の言われた通り、創価学会は民衆を救う「宗教界の王者」として、世界へ飛躍したのである。
池田先生は「3・16」に懸ける思いを随筆につづっている。
「『3・16』は、弟子が決然と立つ節だ。/常に出発だ。常に挑戦だ。/常に団結だ。常に前進だ。/常に破折だ。永遠に勝利だ。/汝自身が、師と共に『広宣流布の大願』を起こすことである。/『師子奮迅の力』でいよいよ勇み立ってこそ、真の『広宣流布記念の日』となる」
当時、戸田先生の言う「模擬試験」「予行演習」の"本番"はいつ来るのだろうかと思った人もいたかもしれない。
だが、"本番"とは、漫然と迎えるべきものではない。常に「今」が、まさに広布の"本番"の時——そう決めて戦うことこそ、不二の弟子の姿勢であり、「3・16」の精神だといえよう。
師への誓いに燃える弟子たちが、新たな決意で前進を開始する「きょうこの日」こそ「3・16」なのだ。
世界の青年たちも、この思いで、一人一人が日々、友を励まし、学会理解を広げる対話に挑み、自他の成長を期して現実社会で奮闘している。
欧州青年部は今、"一日一日、池田先生との原点を築こう"との思いで、小説『新・人間革命』の研さん運動に取り組んでいる。
ポルトガルのある男子部員は、8年前に御本尊を受持。再就職を勝ち取った。
日々、『新・人間革命』で師匠の行動を学び実践。あらゆる苦境を打開してきた。「師匠と共に歩めば、必ず道は開かれる」と彼は確信する。
"今こそ広布の本番!"と決意するからこそ『新・人間革命』の研さんも、師から直接、指導を受ける思いでの研さんとなる。
そうした中で、"広宣流布の誓願"を深めた青年たちが、新たな世界広布の流れをつくっているのだ。
後継の真の弟子とは、いかなる状況にあろうとも、今この時に、師の心をわが心として戦う人であり、今いる場所で希望の突破口を開く人だ。
我らは、「毎日が3・16」の決意で出発しよう。

☆勇気の旗高く 池田先生が香川の友に贈る指針 微動だにしない信心
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は香川県を掲載する。

◇世界への航海
<四方を海に囲まれた四国は、「四方に開かれた四国」ともいえる。香川は古来、その海上交通の要衝となった。
江戸時代末期、日本人の操縦で初めて太平洋を横断した「咸臨丸」には、多くの香川出身の人々が乗船していた。池田先生は、香川で行われた「四国栄光総会」(1993年)で、その歴史的な航海を可能にした原動力について語った>
この「咸臨丸」で、実質的に航海を支えた船乗り五十人のうち、じつに三十五人までが、ここ香川の塩飽諸島の出身者であった。
長い伝統を誇り、経験、訓練、努力で鍛えられた塩飽の人々の秀でた航海術。そして、荒波をものともしない勇気。困難に対しては団結して当たる誠実な人柄——。
それらの力が、歴史に輝く大航海を見事、成功させたと語り継がれている。
事実のうえで、歴史を前進させるのはだれか——。
それは民衆である。名もなき庶民である。
有名人でもなければ、権力欲の政治家でもない。地位もなく、巨富もなく、名声もなくとも、日々を真剣に生きる民衆の力である。
民衆ほど偉大なものはない。民衆ほど強く、永遠のものはない。
この「民衆が中心となる時代」——。それこそが「広宣流布の時」であり、真の「人間主義の時代」である。
その時代を開くために、私は戦っている。民衆の一人として、民衆の友として、奔走している。
世界に「民衆の友情の大道」を開こうとしている。

◇根本は「祈り」
<1993年(平成5年)12月、高松市の四国池田文化会館で行われた四国最高会議で、先生は、リーダーの姿勢について語った>
大聖人は、在家の婦人(富木常忍の夫人)が病気と聞いて、こう励まされた。
「尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」(御書978ページ)
——尼御前のご病気のことは、わが身一身の上のことと思っておりますので、昼も夜も(夫人の健康を)諸天に祈っております——。
「一人の人を大切にする」と言っても、根本は、その人のことを祈っていくことである。祈りもなく、真心もなくして、口先だけの指導などで、人を救えるはずがない。誠実しかない。策ではない。
根底に相手を思う一念があり、祈りがあれば、最後は全部、いちばん良い方向へいく。
大聖人は、一婦人の病気を、"私自身の一身のことである"と言われて、祈ってくださった。大聖人は、本当の仏様であられた。
この大慈悲を拝して、万分の一でも、友のため、悩める人のために祈り、行動していく。その人が真の大聖人門下である。学会のリーダーである。
学会の組織にはむだはない。苦労すべき責任が大きくなればなるほど、大きな功徳を受ける。戸田先生は「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。かんたんなことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と言われた。
大事なのは「信心」である。自分だけでなく、何十人、何百人、何千人もの人を幸福にするのだ、功徳を受けさせるのだ、人材に育てるのだという一念で、題目を唱え、行動することである。

◇「共戦」の一念で
<第1次宗門事件の渦中の79年(昭和54年)4月、先生は会長を辞任した。翌年1月、四国の友は「さんふらわあ7」号に乗り、香川を出港。神奈川で師との出会いを果たす。そして81年(同56年)11月、先生は香川の地を訪れ、「もう一度、指揮を執らせていただきます!」と師子吼した。その時の模様が随筆につづられている>
懐かしき研修道場には、愛する同志が多数、生き生きと集まってこられた。
「宗門や反逆者への反撃は、私がいたします! これ以上、皆様にご心配、ご苦労をかけたくない。私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
私の呼びかけに、嵐のごとく轟いた共戦の大拍手は、香川の大空に響き渡っていった。皆の心に、魔性との戦い、激しき攻防の戦い、すなわち広宣流布への炎が、赤々と燃え上がっていった。
この日を、誰人も忘れることはできない。
「共戦」の二字が金文字で刻まれた、四国・香川の広布の大絵巻は、今も燦然と輝いている。
「共戦」とは、師弟一体の広宣流布への真剣な祈りであり、行動である。最も大切な、戦いの呼吸も、「師弟不二」も、ここから深まる。
「共戦」とは、自分の一念を広布の主戦場に定めることだ。そこに自己の殻を破り、大我の人生を開く道もある。
そして「共戦」とは、広布の全責任を勇んで担わんとする精神だ。誰かがやるだろう、自分は関係ないという官僚主義と、徹して戦うことだ。
「共戦」の心があれば、広宣の大河は無限に広がる。

◇信心は揺るがず
<先生が"共戦"を呼びかけた4日後の11月14日、学会歌「紅の歌」が生まれた。四国の青年と共に、先生が歌詞を書き上げた"師弟一体の歌"である。当時の思いが、2009年6月に本紙に掲載された「御書と師弟」に記されている>
正義の反転攻勢の息吹の中で誕生した学会歌が「紅の歌」です。
真剣な輝く瞳の四国の青年たちと一緒に、私は二十数回の推敲を重ねて完成させました。この歌で、最初から最後まで一貫して残った言葉が「魁光りぬ」の「さきがけ」でした。
どんなに「邪悪の徒」が立ちはだかろうとも、我ら青年が、師と共に断じて「さきがけ」の戦を起こしゆくのだ。
この一節に託された青年の心意気が、私は嬉しかった。
三代の師弟は「さきがけ」の勇気で勝ちました。そして、これからも、「二陣三陣」の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。師弟不二なる創価の師子吼の前には、いかなる誹謗・中傷も、「風の前の塵」にすぎません。
大聖人の御在世と同じく、今、時代は乱気流の中に入っている。しかし、いかに社会が動揺していても、いな社会が動揺しているからこそ、自分の信心だけは微動だにしてはならない。
"広布のため""学会のため"という心の操縦桿を握りしめていけば、必ず打開できる、勝利できる。こう確信して、師子奮迅の力を出し切っていくことです。
かつて先生は語った。香川は「四国の"異体同心の要"であり、正義の進軍の"電源地"である」と。師との絆も強く、香川の友は、きょうも共戦の歴史をつづる。