価値創造の信心だ。
制限がある中でこそ
新たな発想や工夫を!
どんな状況であれ
心は無限に広げられる。
盂蘭盆御書 P1428
『僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんとせんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず』
【通解】
今の僧等は、二百五十戒は名ばかりで、持戒ということに事を寄せて人をたぶらかし、一分の神通力もありません。大石が天に昇ろうとしてもできないようなものです。智慧の劣っていることは牛や羊のようで、たとえ千万人を集めたとしても父母の一苦をも救うこたができるでしょうか。
名字の言 カミュの『ペスト』から見えてくるもの 2020年3月24日
フランスの作家・カミュの代表作『ペスト』(宮崎嶺雄訳)。「黒死病」と恐れられた伝染病の脅威に立ち向かう市民の姿が描かれている。最近、新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、同書の売り上げが伸びている▼物語の舞台はアルジェリアの都市オラン。そこでペストがまん延していく。犠牲者は増え続け、やがて街は封鎖される。民衆は不安におびえ、団結することができない。そんな彼らの様子を「みんな自分のことを考えていた」と、作者は言う▼その時、タルーという青年と医師のリウーが立ち上がり、有志で「保健隊」を結成。"見えない敵"ペストとの闘いを開始した。彼らは"自分さえ良ければ"という利己主義を捨て、懸命に行動した。リウーは語る。「ペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです」▼池田先生はかつて、この小説を紹介しつつ、「保健隊」の行動は仏法の「同苦」の精神に通じると指摘し、こう語った。「真の誠実とは、人々のために、なし得る限りのことをなすことである。自らの使命に生ききることだ」▼状況は日々変わるが、直接会うことが難しい日々が続く。それでも、友のためにできることはあるはずだ。祈りを根本に「誠実」の二字を貫き、温かな励ましを送り続けたい。(糸)
寸鉄 2020年3月24日
人材、人材の学会でいけ—恩師。後輩を自分以上の闘士に!激励絶やさず
福井師弟原点の日。常勝関西の"北の砦"は難攻不落。祈りを一つに前へ
「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」御書。題目の人に恐れなし。必ず勝利
感染防止へ日・中・韓で、ワクチン開発等でも連携と。今こそ協力の強化を
詐欺の被害者9割、「自分は被害に遭わないと思っていた」。心の隙排し撃退
☆「新・人間革命」が広布の源泉 第2回
総千葉の「弘教・人材」旭日拡大月間(2月16日まで)が、たけなわ。友は今、2・16「千葉の日」へ勇み立つ。今回は小説『新・人間革命』から「二月闘争」の精神、折伏・仏法対話の指針を抜粋して掲載する。
◇"一人立つ"が二月闘争の大精神
ある青年は、こう山本伸一に質問してきた。
「私が担当しております組織は、男子部員も少ないうえに、実態は極めて厳しいものがあります。どうすれば、こうした事態を変えていくことができるでしょうか」
即座に、伸一の大きな声が響いた。
「君が立ち上がればいいんだ!」
場内に緊張が走った。水を打ったような静けさに包まれた。
「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。
(中略)事態が厳しければ、自分が一人立つ——常に、私はその精神でやってきた。
蒲田支部の支部幹事として、折伏の指揮をとった時もそうだ。当時は、大支部といっても、折伏は百世帯そこそこだった。"これでは、戸田先生が掲げた七十五万世帯という大願を果たすことはできない"と、私は思った。
では、誰がやるのか。弟子がやるしかない。ゆえに私は戦いを起こした。そして、一支部で二百一世帯という、当時としては未曾有の布教を成し遂げた。これは私が、二十四歳の時だ。支部には、もちろん壮年も、婦人もいた。ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。
なぜか。私は真剣であったからだ。誰よりも、必死であったからだ。"自分たちには、あれほどの活動はできない。この人の言う通りにやれば、必ず壁を破ることもできるだろう"と、みんなが思ったからだ。そして、私は結果を出した。
私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。ポーズだけの、遊び半分やふざけ半分の青年など、学会には必要ない。
君も立て! 断じて立つんだ。見ているぞ!」(第8巻「宝剣」の章)
◇悔しい思いをした先に宿命転換
「折伏に行って、悪口を言われ、時には、罵詈罵倒されることもあるでしょう。また、悔しい思いをすることもあるでしょう。それは、すべて、経文通り、御書に仰せ通りのことなんです。その時に、負けるものかと、歯を食いしばって頑張り続けることによって、過去世からの罪障が消滅できるんです。仏道修行は、罪障消滅、宿命転換のためでもあるんです。そう確信できれば、『苦』もまた、楽しいではありませんか!」
壮年は、伸一の指導を思い返すうちに、"山本室長は、今ごろ、どうされているのだろうか"と思った。
(編集部注=無実の罪で不当逮捕された大阪事件で)"もう何日も、勾留されている。毎日、過酷な取り調べを受けているんだろう。出歩くこともできなければ、自由に家族と連絡を取ることもできない。そのなかで、室長は、学会の正義を叫び、必死に獄中闘争を展開されている……。その室長と比べれば、自分は、なんと恵まれた環境にいるんだろう。こんなことで、弱気になったり、負けてしまったら、室長は慨嘆されるにちがいない。
負けるものか! 明日こそ、必ず折伏を実らせてみせる。室長、見ていてください!"
こう心で叫ぶと、ふつふつと、胸に勇気がたぎるのを覚えた。
(中略)
法のために味わった悔しさは、やがて、栄誉と賞讃となって、わが人生を飾る。(第25巻「福光」の章)
◇聞法下種こそ 折伏・弘教の根本
「折伏、すなわち成仏の種子を下ろす下種には、『聞法下種』と『発心下種』とがあります。『聞法下種』とは、仏法を説き聞かすことです。『発心下種』とは、その結果として信心を発し、御本尊を受持することです。
たとえ、相手が、すぐに信心しなくとも、仏法を語れば、心田に仏種を植えたんですから、いつか、必ず信心します。ゆえに、この『聞法下種』こそが折伏の根本なんです」
伸一は、懸命に折伏に励みながら、相手を入会させることができずに悩んでいる同志のことを思うと、胸が痛んでならなかった。彼は力説した。
(中略)
「仏法を聞いて、信心するかどうかは相手の問題です。要は、人びとの幸せを願い、何人の方に仏法を説き聞かせることができたかが大事なんです。
もちろん、皆が正法を信じ、幸福になることが目的ですから、断じて信心させようとの強い一念が大切であることは、言うまでもありません。しかし、信心しなくとも、決して落ち込んだりする必要はありません。
一人当たって駄目なら二人。二人当たって駄目なら三人、五人、十人と当たり、十人で駄目なら二十人。二十人で駄目なら三十人、四十人……と、ますます意気軒昂に、弘教していくんです。それが、すべて、功徳、福運となり、宿命転換の力となっていきます。
皆さんは、現代の不軽菩薩であり、また、地涌の菩薩です。そして、日蓮大聖人と同じ仏道修行の大道を歩んでいるんです」(同巻「共戦」の章)