2020年3月31日火曜日

2020.03.31 わが友に贈る

一人一人が聡明に
為すべき事を成そう!
皆で心を合わせれば
その力は何倍にもなる。
共に助け合う社会を!

法華初心成仏抄 P557
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』

【通解】
わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れられるところを仏というのである。

名字の言 ふさぎ込みがちな少年に笑顔が戻った。その訳は? 2020年3月31日
今春、中学へ進む少年に、ある婦人が一冊の絵本を贈った。「きょうも あしたも あなたは たくさんの ドアを あけていく」との書き出しが印象的な『たくさんのドア』(主婦の友社)▼少年の母親が絵本を手に取り、読み聞かせを始めた。卒業や入学など、新しい"ドア"を開けていく息子に、母の声で温かな言葉の数々が送られていく。「あなたは まだ しらない じぶんが どれほど つよいかを」「はるばるとした おおきなものに あなたは まもられている なにがあろうと」▼少年が通っていた小学校では、新型コロナウイルスの影響で卒業式が中止に。以来、ふさぎ込みがちになっていた彼は、絵本の言葉や絵からあふれる励ましに包まれ、笑顔を取り戻した。それは読み聞かせた母親も同じだった▼「優れた作品は読み手が大人であるか、子どもであるかを問わない」とは、「絵本ナビ」代表取締役社長の金柿秀幸氏。良質な絵本は年齢を問わず、人間の成長に必要な滋養を与え、人生にとって不可欠なものに気付かせてくれる▼4月9日まで絵本週間。一冊の絵本が、何げない毎日に意外な潤いを与えてくれることがある。子どもたちの"心田"に夢や希望、勇気の種をまき、親子で「心の宝」を育む契機にしたい。(叶)

寸鉄 2020年3月31日
「いよいよ道心堅固に」御書。苦難に直面する程、われらは祈りと決意強く
教育本部の日。未来の宝育む聖業に献身する友。創価三代の思想は脈々と
4月は新聞閲読月間。信心の息吹届ける無冠の友に感謝。呉々も無事故を
肺炎、50歳未満の15%が中・重症化。全世代が要警戒。一人一人が当事者だ
改正健康増進法があす施行。望まない受動喫煙を防止。配慮深き社会皆で

☆小説「新・人間革命」学習のために 第3巻
◇仏法との出あいは千載一遇!
<1961年(昭和36年)、山本伸一は、香港の座談会で質問を受け、仏法に出あえたことがいかに類いまれなことであるかを説いていく>

「私たちは今、人間として生まれてきた。しかも、大宇宙の根本法を知り、学会員として、広宣流布のために働くことができる。これは大変なことです。
たとえば、森に足を踏み入れると、その足の下には、数万から数十万の、ダニなどの小さな生物がいるといわれています。
さらに、細菌まで含め、全地球上の生命の数を合わせれば、気の遠くなるような数字になります。
そのなかで、人間として生まれ、信心することができた。それは、何回も宝くじの一等が当たることより、遥かに難しいはずです。
まさに、大福運、大使命のゆえに、幸いにも、一生成仏の最高のチャンスに巡りあったのです。
ところが、宝くじで一回でも一等が当たれば大喜びするのに、人間と生まれて信心ができたすばらしさがなかなかわからないで、退転していく人もいます。残念極まりないことです。
私たちにとっては、この生涯が、一生成仏の千載一遇のチャンスなのです。どうか、この最高の機会を、決して無駄にしないでいただきたい。
永遠の生命といっても、いっさいは『今』にあります。過去も未来も『今』に収まっている。ゆえに、この一瞬を、今日一日を、この生涯を、感謝と歓喜をもって、広宣流布のために、力の限り生き抜いていってください」
(「仏法西還」の章、69〜70ページ)

◇広布は宿命からの解放闘争
<インドで伸一は、ガンジーを荼毘に付したラージ・ガートに立ち寄り、「すべての人びとの目から涙をぬぐい去りたい」と行動した、ガンジーの崇高な精神を語る>

「ガンジーは『私の宗教には地理的な境界はない』と語っている。彼のその慈愛は、インドの国境を超えて、世界の宝となった。
戸田先生も、『地球上から"悲惨"の二字をなくしたい』と言われ、そのために戦われた。先生の慈愛にも国境はない。私は、そこに二人に共通した崇高な精神を感じる。そして、大事なことは、誰がその精神を受け継いで実践し、理想を実現していくかです。
ガンジーが行った民衆運動は、それまで、だれもやったことのない闘争であった。だから『出来るわけがない』『不可能だ』との批判も少なくなかった。それも当然かもしれない。
しかし、彼は厳然と言い切っている。『歴史上、いまだ起こったことがないから不可能だというのは、人間の尊厳に対する不信の表れである』と……。
断固たる大確信です。どこまでも人間を、民衆を信じ抜いた言葉です。
そして、ガンジーは、この信念の通り、インドを独立に導き、民衆の勝利の旗を高らかに掲げた。
広宣流布の遠征も、未曾有の民衆凱歌の戦いだ。まさに非暴力で、宿命の鉄鎖から民衆を解放する戦いであり、魂の自由と独立を勝ち取る闘争です。歴史上、だれもやったことがない。やろうともしなかった。
その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはずです」
(「月氏」の章、121〜122ページ)

◇魔と戦い続ける人こそ仏
<釈尊は菩提樹の下で「生命の法」を覚知したが、悟った法を説くことをためらう>

彼(=釈尊)は考えた。
"誰も法を理解できなければ、無駄な努力に終わってしまうだけでなく、人びとは、かえって悪口するかもしれない。さらに、わからぬがゆえに、迫害しようとする人もいるであろう。
もともと私が出家したのは、何よりも、自身の老・病・死という問題を解決するためであった。
それに、自分が悟りを得たことは、誰も知らないのだ。ただ、黙ってさえいれば、人から非難されることはない。そうだ。人には語らず、自分の心にとどめ、法悦のなかに、日々を生きていけばよいのだ……"(中略)
釈尊は布教に突き進むことに、なぜか、逡巡と戸惑いが込み上げてきてならなかった。彼は悩み、迷った。
魔は、仏陀となった釈尊に対しても、心の間隙を突くようにして競い起こり、さいなみ続けたのである。
「仏」だからといって、決して、特別な存在になるわけではない。
悩みもあれば、苦しみもある。病にもかかる。そして、魔の誘惑もあるのだ。
ゆえに、この魔と間断なく戦い、行動し続ける勇者が「仏」である。反対に、いかなる境涯になっても、精進を忘れれば、一瞬にして信仰は破られてしまうことを知らねばならない。(中略)
彼は、遂に決断する。
"私は行こう! 教えを求める者は聞くだろう。汚れ少なき者は、理解するだろう。迷える衆生のなかへ、行こう!"
釈尊は、そう決めると、新しき生命の力が込み上げてくるのを感じた。
一人の偉大な師子が、人類のために立ち上がった瞬間であった。
(「仏陀」の章、184〜186ページ)

◇未来を開く"一人"の育成を
<初のアジア歴訪の折、伸一は組織建設の要諦を、同行した幹部に示す>

秋月英介が発言した。
「今回、訪問した地域には、カンボジアを除いて、一応、メンバーがいることは確認されましたが、実際に組織をつくるとなると、かなり難しいのではないかと思います」
すると、森川が頷きながら言った。
「そうですね。各国に地区をつくるにしても、地区部長となるべき人物がいません。まだ、あまりにも弱いというのが、私の実感です。任命しても、責任を全うできるかどうか……」
理事たちは、皆、深刻な顔をして、黙り込んでしまった。
すると、伸一が、断固とした口調で語り始めた。
「森川さん、まだ弱いと思ったら、それを強くしていくのが幹部の戦いだよ。ましてや、あなたは、東南アジアの総支部長になるのだから、ただ困っていたのではしょうがない。森川さんは、三十年後には、それぞれの国の広宣流布を、どこまで進めようと思っているのかい」
「三十年後ですか……」
森川は答えに窮した。
「私は、たとえば、この香港には、数万人の同志を誕生させたいと思う。また、香港はもとより、タイやインドにも、今の学会本部以上の会館が建つぐらいにしたいと考えている。そうでなければ、戸田先生が念願された東洋広布など、永遠にできません。時は来ているんです。
ともあれ、今回、訪問したほとんどの国に、わずかでもメンバーがいたというのは、大変なことです。『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。
だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです。そのために何が必要かを考えなくてはならない」
(「平和の光」の章、332〜334ページ)

◇伸一の平和構想
「平和の光」の章には、山本伸一が思索を重ねながら、平和実現のための具体的な構想を語るシーンが描かれている。
長兄が戦死したビルマの地を訪れた伸一は、日本人墓地に立ち、亡き兄も眺めたであろう夕日を仰ぎながら、平和のために一歩踏み出すことを深く決意する。
続いて伸一たち一行は、ラングーン市内を見学。伸一の胸には、長兄との思い出が次々と浮かんでは消えていく。
兄のことを思うたびに、彼の胸には、ビルマ戦線に送られた一兵士を描いた竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』の一場面が去来した。
——終戦を迎えながら、それを知らずに敗走する日本軍の一隊。この隊は隊長の影響で、よく歌を合唱した。周囲をイギリス軍に包囲された時も、合唱の最中だった。
日本軍が突撃しようとした時、イギリス軍から、日本軍が歌っていた「埴生の宿」「庭の千草」の英語の歌が聞こえてきた。実は、これらの歌は、イギリスで古くから歌われていた歌であった。
結局、戦闘は始まらず、日本兵は戦争がすでに終わったことを、そこで知ったのだった——。
同章では、歌が人間の心と心をつないだこのシーンを通して、「音楽や芸術には、国家の壁はない」(310ページ)とつづられている。
その後、一行はタイへ。伸一はそこで、アジア平和旅の間、思索を重ねてきた構想を同行の幹部に語る。
「法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を世界に展開していける人材を育む必要がある。それらをふまえ、東洋の哲学、文化、民族の研究機関を設立していきたい」(315〜316ページ)
「もう一つ構想がある。真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。
そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか。音楽や舞踊、絵画などには国境はない。
民族の固有性をもちながら、同時に、普遍的な共感性をもっている。そこで、音楽など、芸術の交流の推進を考えていきたい」(316〜317ページ)
長兄への深い思いは、平和を希求する揺るがない信念となり、伸一の構想は後に「東洋哲学研究所」「民主音楽協会」として結実していったのである。

2020年3月30日月曜日

2020.03.30 わが友に贈る

◇今週のことば
「朝朝・仏と共に起き
夕夕 仏と共に臥し」
妙法のリズムに則り
今日も負けない一日を。
仏の智慧と大生命力で!
2020年3月30日

兄弟抄 P1080
『さればこの法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり、一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ十方の仏の身より血を出す罪にもこへ』

【通解】
それゆえにこの法華経は一切の眼目であり、教主釈尊の本師である。
よって、この法華経の一字一点でも捨てる人がれば、その人は千万の父母を殺した罪よりも重罪であり、十方の仏の身から血を出す罪にも超えている。

名字の言 自閉症の娘と歩んだ母。"うちの子は、なんてすてきなんだろう" 2020年3月30日
「なんてったって楽しかった」。自閉症の娘と歩んだ思い出をそう語る、快活な婦人がいる▼とはいえ、苦労がなかったわけではない。著しい多動、激しい感情の起伏、睡眠障害……。途方に暮れ、涙する日もあった。だが懸命に祈り、娘に寄り添う中で婦人は感じるようになる。"うちの子は、何てすてきな個性の持ち主なんだろう"▼振り返れば、心が癒やされる出来事がいっぱいあった。石ころを宝石と信じてピカピカに磨いた娘。電線にとまったカラスに向かって、「カァー! カァー!」と話し掛けた娘。「学校なんか、ヤダー!」と叫びながらも、後ろ向きに歩いて登校した娘。婦人は言う。「娘の"癒やしのエネルギー"で、どんなに豊かな日々を過ごせたか」「わが家こそ、世界一の幸福家族です」▼仏法に「不改本位の成仏」という法理がある。信心を貫けば、その身を改めることなく、ありのままの姿で幸福境涯を開いていける。だれもが必ず個性を輝かせていくことができる▼一人の生命に、どれほど尊い使命があるか、どれほど素晴らしい可能性があるか、計り知れない。ゆえに、どこまでも一人を信じ、一人を大切に。皆が安心し、自信をもって力を出していけるよう、知恵と工夫の励ましを重ねていきたい。(誠)

寸鉄 2020年3月30日
「人は善根をなせば必ずさかう」御書。この確信で希望と勇気の励ましを!
会長の青年室長就任の日—広布後継の新しき発想と闘争が歴史に。君よ今
中国方面「師弟正義の日」電話一つでも心は通う。連帯強く共に勝利へ前進
世界の肺炎感染、1週間で倍増と。ここが正念場。不要不急の外出は控えて
テレワークの導入企業、前年比3倍超。誰もが活躍できる社会築く契機と

☆心に御書を 第29回 「ありのまま」に祈り抜け
〈御文〉
『此の文は煩悩即菩提生死即涅槃を説かれたり、法華の行者は貪欲は貪欲のまま瞋恚は瞋恚のまま愚癡は愚癡のまま普賢菩薩の行法なりと心得可きなり』(御義口伝、785ページ)

〈通解〉
この文(法華経の結経である普賢経の「不断煩悩不離五欲」)は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を説かれたものである。法華経の行者は、貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、愚癡は愚癡のままで、「普賢菩薩の行法」となると自覚していくべきである。

〈池田先生が贈る指針〉
「煩悩即菩提」の仏法である。見栄や体裁などにとらわれず、ありのまま、御本尊に祈りをぶつけていけばよいのだ。
なかんずく「広宣流布」の悩みは、尊き仏の悩みである。法のため、人のため苦労した分、境涯を開き、人間革命できる。
どんな苦悩にも負けずに、自在の振る舞いで、社会へ価値を創造していくのだ。

☆小説「新・人間革命」学習のために 第2巻
◇師との絆が学会の強さ
<1960年(昭和35年)5月の女子部幹部会で、山本伸一は恩師・戸田城聖について語る>

「(戸田)先生が、一人ひとりを励ますために、陰でどれほど心を砕いていたか計り知れない。生涯を通じて、連日、個人指導に何時間も時間を費やし、また、手紙で、電話で、あるいは人を介して、さまざまな指導、激励の手を差し伸べられた。先生に、直接、指導を受け、幸せになっていった人は、何万人にものぼります。
つまり、一人ひとりが先生につながり、人間として、師匠として、敬愛していたから、皆が自主的に、喜び勇んで、広宣流布に挺身してきた。だからこそ、学会は、花のような明るい笑顔に包まれ、ここまで発展を遂げたんです。それが学会の強さの秘密です。学会は、信心を根本に、戸田先生との人間の絆で結ばれた、自立と調和の共同体であるといえましょう。
その学会の真実を見極めようとせず、戸田先生のことを、命令一つで組織を動かすカリスマのように思っている。なかには、敢えてそのように喧伝し、学会の悪印象を植えつけようとするマスコミも一部にありました。
戸田先生は、そうしたなかで、自分は凡夫であると言い切られた。それは、宗教の神秘主義、権威主義への挑戦です。また、大聖人の人間仏法の本義もそこにあります。
戸田先生が、ご自身を"立派な凡夫"と言われた意味は、仏法のうえでも、深いものがあります。
現実の振る舞いに即して"立派な凡夫"ということを論じれば、それは自己の人間完成に向かって、常に学び、磨き高めていく、向上、求道の生き方といえます」
(「先駆」の章、27〜28ページ)

◇悩みは幸福へのステップ
<7月の婦人部大会で婦人部長の清原かつは、婦人の信心の在り方を訴える>

「女子部の幹部の方たちに、どういう動機で信心をしたのかを尋ねてみました。すると、七人いた女子部員全員が、生活も大変ななかで、グチも文句も言わずに、いつも笑顔で頑張っている母親の姿を見て、信心をしてみようという気になったと言うのです。
つまり、お母さんの強さや優しさ、また、すばらしさの源泉が、信心にあることに気づき、若い娘さんが信心を始めているのです。(中略)
もう一つ申し上げておきたいことは、皆、それぞれに悩みを抱えていますが、その克服を自分の課題として、学会活動に励んでいこうということであります。たとえば、夫の仕事がうまくいかずに悩んでいるなら、今月は、それを願って一人の友人に信心を教えよう、何遍の唱題に挑戦しようというように、悩みを広宣流布の活動のバネにしていくことが大事ではないかと思います。
広宣流布のために働き、祈るならば、必ず功徳があります。したがって、一つ一つの活動に自分の悩みをかけて、幸福へのステップとしていくことです。個人としての活動の意味が明確になれば、張り合いも生まれ、力も出ます。私たちは、全員が幸福という確かな道を、堂々と歩んでまいりましょう」
(「錬磨」の章、93〜94ページ)

◇新入会の友を広布の人材に
<10月の本部幹部会で、伸一は折伏の目的と個人指導の重要性を確認>

「折伏の目的は相手を幸せにすることであり、それには、入会後の個人指導が何よりも大切になります。皆さんが担当した地区、班、組のなかで、何人の人が信心に奮い立ち、御本尊の功徳に浴したか。それこそ、常に心しなければならない最重要のテーマです。
本年は十二月まで折伏に励み、明年一月は『個人指導の月』とし、人材の育成に力を注いでいくことを発表して、私の本日の話といたします」
弘教が広がれば広がるほど、新たに入会した友にも、信心指導の手が差し伸べられなければならない。
信心をした友が、一人の自立した信仰者として、仏道修行に励めるようになってこそ、初めて弘教は完結するといってよい。
三百万世帯に向かう"怒濤の前進"のなかで、その基本が見失われ、砂上の楼閣のような組織となってしまうことを、伸一は最も心配していたのである。
また、世界広布といっても、今はその第一歩を踏み出したばかりであり、広漠たる大草原に、豆粒ほどの火がともされた状態にすぎない。それが燎原の火となって燃え広がるか、あるいは、雨に打たれて一夜にして消えてしまうかは、ひとえに今後の展開にかかっている。そのためにも、今なすべきことは、一人ひとりに信心指導の手を差し伸べ、世界広布を担う真金の人材に育て上げることにほかならなかった。
(「勇舞」の章、176〜177ページ)

◇布教は最極の友情の証
<伸一は11月の女子部総会で、弘教に挑戦する友へ励ましを送る>

「大聖人が、折伏をすれば宿命を転換し、成仏できると、お約束なさっている。ですから、自分の宿命の転換のため、幸福のためにやろうというのです。
しかも、それが友を救い、社会の繁栄と平和を築く源泉となっていく。これほどの"聖業"はありません。
なかには、一生懸命に弘教に励んでいても、なかなか実らないこともあるかもしれない。(中略)
皆さんは、まだ若いのですから、決して、結果を焦る必要はありません。
布教していくということは、自身を高める、人間としての最高の慈愛の修行であるとともに、人びとを幸福と平和へと導きゆく、最極の友情の証なんです。
大切なことは、"あの人がかわいそうだ。幸福になってほしい"という心で、周囲の人に、折に触れ、仏法を語り抜いていくことです。今は信心しなくとも、こちらの強い一念と友情があれば、やがて、必ず仏法に目覚める時が来ます。
また、幹部は、弘教が実らずに悩んでいる人を(中略)優しく包み、仏の使いとして、懸命に生きようとしている姿勢を讃え、励ましてあげていただきたい。
さらに、いろいろな境遇や立場で、思うように活動に参加できない人もいるでしょう。そのメンバーに対しても、『必ず春が来るように、時間的にも余裕がもてる時が来るから、その時はいつでもいらっしゃい』と言って、温かく励ましてほしいのです」
(「民衆の旗」の章、270〜271ページ)

◇歓喜の体験談に創価の実像
<12月に開催された大分支部結成大会では、感動的な体験発表が行われた>

最後に辻堂糸子は、しみじみとした口調で語った。
「私は学問もないし、誇れるもんはなんもありません。ただ信心だけは素直にやってきました。それで、自分でも信じられんぐらい、幸せになっちょります。御本尊様に不可能はないちゅうことです。その信心を教えてもろうた学会に、心から感謝しちょります」(中略)
辻堂は、壇上で万雷の拍手に包まれながら、山本伸一の方を見た。目と目が合うと、伸一は大きく頷きながら、祝福の拍手を送り続けた。
体験発表とは、見方によっては、自分の過去の恥を暴露することともいえる。しかし、その体験談が学会の随所で、喜々として語られているのは、それに勝る苦悩を克服した喜びがあるからだ。そして、同じように苦悩を抱えている人びとに対して、早く幸せになってほしいという、慈愛の発露にほかならない。さらに、どんなに自分の過去をさらけ出しても、それによって、蔑まれたり、差別されることはないという信頼の絆があってこそ、成り立つものといえよう。
ともあれ、無名の民衆が織り成す人生の凱歌の姿のなかにこそ、日蓮仏法の偉大なる法理の証明があり、創価学会の実像がある。
(「民衆の旗」の章、307〜308ページ)

◇父・山本伸一
<「民衆の旗」の章には、わが子の成長を願い、行動する父・山本伸一の姿が描かれている>

会長になる前は、わずかな時間だが、子どもたちと接する時間をつくることもできた。三人の子どもを連れて、銭湯に行ったこともあった。
物語などを話してやったこともあった。豊かな情操を培い、夢と勇気と正義の心を育みたいとの気持ちからである。もっとも、彼の健気な努力にもかかわらず、「ママの方がうまいよ!」と、正直だが、手厳しい感想を聞かされることもあったが……。
長男の正弘には、一緒に武蔵野の美しい自然を眺めながら、自ら詩をつくり、詩の書き方を教えたこともあった。
(326〜327ページ)

会長として活動を開始した彼は、多忙に多忙を極めたが、子どもとの心の交流は怠らなかった。全国を駆け巡りながらも、行く先々で子どもたちに絵葉書を送った。文面は今日はどこに来ていて、明日はどこへ行くという簡単なものであったが、宛名は連名にせず、必ず一人ひとりに出した。
また、土産を買うことも忘れなかった。それは、決して高価なものではなかったが、そこには彼の、子どもたちへの親愛の情が託されていた。
(329ページ)

彼は、嘘をついてはならないということだけは、厳しく言ってきた。あとはまことに鷹揚であった。父親が叱ってばかりいれば、どうしても子どもは、萎縮してしまうからである。
彼は、親の責任として、子どもたちを、生涯、広宣流布の使命に生き抜く"正義の人"に育て上げねばならないと誓っていた。
(333〜334ページ)

2020年3月29日日曜日

2020.03.29 わが友に贈る

"一身の安堵を思わば
四表の静謐を禱らん"
これが立正安国の精神。
自他共の幸福へ
唱題第一に徹しゆこう!

富木尼御前御返事 P975
『尼ごぜん又法華経の行者なり御信心月のまさるがごとくしをのみつがごとし、いかでか病も失せ寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし身を持し心に物をなげかざれ』

【通解】
あなた(富木尼御前)もまた法華経の行者であり、御信心は月が満ち、潮が満ちるように強盛であるから、どうして病が癒えず、寿命の延びないことがありましょうか。こう強く確信して、御身を大切にして、心の中で、あれこれ嘆かないことです。

名字の言 ガンジーとネルー。2人が獄中で取り組んだこと 2020年3月29日
独立運動に身を投じたインドの初代首相ネルーは、生涯に9度、投獄されている。最初の投獄の際、運動に参加できない焦りやいら立ちをガンジーに訴えた▼それを知ったガンジーは手紙を送り「もっぱらなにか大きな研究や手仕事をするように」と助言した。以来、ネルーは獄中で執筆活動などに打ち込む。彼の主著『父が子に語る世界歴史』『インドの発見』は、そうして獄中で書かれたものである▼一方、ガンジーは自らが投獄された刑務所を「マンディル(ヒンドゥー教の寺院)」と呼んだ。ガンジーには刑務所でさえ、信仰を深め、自身を磨く道場であった。身は獄につながれていても、心は自在だった▼ガンジーは刑務所から毎週、弟子たちに手紙を送った。その中に「誓願の重要性」を訴えた一通がある。「せっかくの決意も不便さの前に屈するというなら、なんの価値もありません」「わたしたちは、自己浄化や自己実現のために、誓願の必要をゆめゆめ疑ってはなりません」(森本達雄訳『獄中からの手紙』岩波文庫)▼新型コロナウイルスの感染拡大で、日々の生活にさまざまな制約があるが、気持ちまで窮屈になる必要はない。どこにいようと、人生は心一つで変わる。広布への誓いを胸に、わが境涯を大きく開こう。(芯)

寸鉄 2020年3月29日
強盛な信心なくば時代の波に足を取られる―戸田先生。日々、生命力満々と
東京・目黒の日。どんな戦いも勝つ!師弟有縁の地に巻き起こる題目の渦
暗い報道が多い中で人々結ぶ聖教新聞の役割は大―識者。紙面充実を益々
三寒四温の今こそ健康に留意。空調調節、重ね着等工夫を。手洗いも忘れず
五輪延期でも燃え続ける聖火。我らも広布の灯を赤々と。希望世紀を共に

☆心に御書を 第28回 広布の祈りが不可能を可能に
〈御文〉
『日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし』(経王殿御返事、1124ページ)

〈通解〉
この御本尊は日蓮の魂を墨に染めながして書き認めたものである。信じていきなさい。釈尊の本意は法華経である。日蓮の魂は南無妙法蓮華経以外のなにものでもない。

〈池田先生が贈る指針〉
御本尊は御本仏の生命そのものである。御本尊を信じ、広布の祈りを貫くとき、我らの生命も「根本尊敬」たる宝塔と輝く。師子王の勇気と無限の智慧を涌現させ、いかなる宿命をも転換できるのだ。
妙法への大確信は一切を諸天善神の働きに変えゆく力がある。人類社会へ最極の生命尊厳の哲理の光を、大聖人と共に!

☆小説「新・人間革命」学習のために 第1巻
各地で今、小説『新・人間革命』研さんの輪が広がっている。新連載「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」では、山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介していく。今回は第1巻を掲載。次回の第2巻は21日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

◇人間の蘇生こそ平和の原点
<1960年(昭和35年)10月、山本伸一はハワイの座談会で、アメリカ人と結婚し、孤独を抱えながら暮らす日本人女性を励ます>

「あなた以外にも、このハワイには、同じような境遇の日本女性がたくさんいると思います。
あなたが、ご家族から愛され、慕われ、太陽のような存在になって、見事な家庭を築いていけば、日本からやってきた婦人たちの最高の希望となり、模範となります。みんなが勇気をもてます。
あなたが幸せになることは、あなた一人の問題にとどまらず、このハワイの全日本人女性を蘇生させていくことになるんです。
だから、悲しみになんか負けてはいけません。強く、強く生きることですよ。そして、どこまでも朗らかに、堂々と胸を張って、幸せの大道を歩いていってください。さあ、さあ、涙を拭いて」
伸一の指導は、婦人の心を、激しく揺さぶらずにはおかなかった。慈愛ともいうべき彼の思いが、婦人の胸に熱く染みた。彼女は、ハンカチで涙をぬぐい、深く頷くと、ニッコリと微笑んだ。
「はい、負けません」
その目に、また涙が光った。それは、新たな決意に燃える、熱い誓いの涙であった。
伸一の平和旅は、生きる希望を失い、人生の悲哀に打ちひしがれた人びとに、勇気の灯を点じることから始まったのである。それは、およそ世界の平和とはほど遠い、微細なことのように思えるかもしれない。
しかし、平和の原点は、どこまでも人間にある。一人ひとりの人間の蘇生と歓喜なくして、真実の平和はないことを、伸一は知悉していたのである。
(「旭日」の章、59~60ページ)

◇学会の理解者に最大の敬意
<サンフランシスコで伸一は、信心に励む妻を支える未入会の夫への感謝を語る>

「信心をしていないのに、学会をよく理解し、協力してくれる。これほどありがたいことはない。私は、その尽力に、最大の敬意を表したいんです。
みんなは、ただ信心しているか、していないかで人を見て、安心したり、不安がったりする。しかし、それは間違いです。その考え方は仏法ではありません。
信心はしていなくとも、人格的にも立派な人はたくさんいる。そうした人たちの生き方を見ると、そこには、仏法の在り方に相通じるものがある。また、逆に信心はしていても、同志や社会に迷惑をかけ、学会を裏切っていく人もいます。
だから、信心をしているから良い人であり、していないから悪い人だなどというとらえ方をすれば、大変な誤りを犯してしまうことになる。いや、人権問題でさえあると私は思っているんです」
伸一の思考のなかには、学会と社会の間の垣根はなかった。仏法即社会である限り、仏法者として願うべきは、万人の幸福であり、世界の平和である。
また、たとえば広い裾野をもつ大山は容易に崩れないが、断崖絶壁はもろく、崩れやすいものだ。同様に、盤石な広布の建設のためには、大山の裾野のように、社会のさまざまな立場で、周囲から学会を支援してくれる人びとの存在が大切になってくる。
更に、そうした友の存在こそが、人間のための宗教としての正しさの証明にほかならないことを、彼は痛感していたのである。
(「新世界」の章、118~119ページ)

◇「地涌の菩薩」の使命を自覚
<シカゴの座談会で伸一は、人種差別に苦しみ、自分のルーツに縛られてきた黒人の青年に、「地涌の菩薩」の自覚に立つよう促す>

「仏法では、私たちは皆、『地涌の菩薩』であると教えています。
『地涌の菩薩』とは、久遠の昔からの仏の弟子で、末法のすべての民衆を救うために、広宣流布の使命を担って、生命の大地から自らの願望で出現した、最高の菩薩のことです。
もし、ルーツと言うならば、これこそが、私たちの究極のルーツです。つまり、私たちは、いや、人間は本来、誰もが社会の平和と幸福を実現していく使命をもった久遠の兄弟なんです。
自己自身の立脚点をどこに置くかによって、人生の意味は、まったく異なってきます。たとえば、緑の枝を広げた大樹は、砂漠や岩の上には育ちません。それは、肥沃な大地にこそ育つものです。
同じように、豊かな人間性を開花させ、人生の栄冠が実る人間の大樹になるには、いかなる大地に立って生きていくかが大事になります。その立脚点こそ、『地涌の菩薩』という自覚なんです。
この大地は普遍であり、人種や民族や国籍を超え、すべての人間を蘇生させ、文化を繁茂させます。その地中には、慈悲という清らかな利他の生命の泉が湧いています。皆がこの『地涌の菩薩』の使命を自覚し、行動していくならば、真実の世界の平和と人間の共和が築かれていくことは間違いありません」
(「錦秋」の章、184~185ページ)

◇最高の宝石は自身の中に
<ニューヨークの座談会を訪れた伸一は、信心の確信を持てない婦人たちを温かく包み込むように指導>

「信心を貫くならば、一人も漏れなく、幸福になれます。現に、日本では、百万人を超える同志が幸せになっています。それが最大の証明ではないですか。仏典には、こんな話が説かれています。
昔、ある男が、親友の家で酒を振る舞われ、酔って眠ってしまった。親友は、この男が決して生活に困り、嘆くことのないように、寝ている間に、最高の高価な宝石を衣服の裏に縫いつけてあげた」
参加者は、吸い込まれるように、伸一の話に聞き入っていった。
「……やがて、男は別の土地に行き、おちぶれて食べるにも事欠くほど貧乏になってしまった。しかし、自分の衣服に、そんな高価な宝石が縫いつけられていることなど、全く気づかなかった。おちぶれた果てに、男は親友と再会する。親友は、男の衣服に、高価な宝石を縫いつけたことを教える。その宝石のことを知った男が、幸せになったのはいうまでもありません。
これは、法華経に説かれた『衣裏珠の譬』という説話です。最高の宝石とは、皆さんの心にある『仏』の生命のことです。御本尊に唱題し、広宣流布のために戦うことによって、その『仏』の生命を引き出し、最高の幸福境涯を築くことができる。
しかし、せっかく信心をしながら、それがわからずに、ただ悲しみに沈んでいるとしたなら、この説話の男と同じようなものです」
(「慈光」の章、228~229ページ)

◇"広布誓願"の決意の祈りを
<ブラジルのサンパウロの座談会で伸一は、農業を営み、不作に悩む壮年の質問に答える>

「仏法というのは、最高の道理なんです。ゆえに、信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません。そして、その挑戦のエネルギーを湧き出させる源泉が真剣な唱題です。それも"誓願"の唱題でなければならない」
「セイガンですか……」
壮年が尋ねた。皆、初めて耳にする言葉であった。
伸一が答えた。
「"誓願"というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです。祈りといっても、自らの努力を怠り、ただ、棚からボタモチが落ちてくることを願うような祈りもあります。それで良しとする宗教なら、人間をだめにしてしまう宗教です。
日蓮仏法の祈りは、本来、"誓願"の唱題なんです。その"誓願"の根本は広宣流布です。
つまり、"私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください"という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです」
(「開拓者」の章、294~295ページ)

◇恩師との胸中の語らい
1960年(昭和35年)10月2日、山本伸一は初の海外平和旅に出発。最初の訪問地ハワイに向かう機中で、彼は恩師・戸田先生との語らいを思い起こした。
伸一は、静かに胸に手をあてた。彼の上着の内ポケットには、恩師・戸田城聖の写真が納められていた。彼は、戸田が逝去の直前、総本山で病床に伏しながら、メキシコに行った夢を見たと語っていたことが忘れられなかった。
――あの日、戸田は言った。
「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……。伸一、世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ。世界は広いぞ」
伸一は、戸田が布団のなかから差し出した手を、無言で握り締めた。
すると、戸田は、まじまじと伸一の顔を見つめ、力を振り絞るように言った。
「……伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」
戸田の目は鋭い光を放っていた。伸一は、その言葉を遺言として胸に刻んだ。
彼は、亡き恩師に代わって、弟子の自分が世界広布の第一歩を印すことを思うと、熱い感慨が込み上げてならなかった。
彼が初の海外訪問の出発の日を十月二日と決めたのも、二日が戸田の命日にあたるからであった。伸一には、「世界に征くんだ」と語った戸田の思いが痛いほどわかった。
(「旭日」の章、14ページ)

2020年3月28日土曜日

2020.03.28 わが友に贈る

「学は光」「知は力」。
教学研鑽や読書に励み
思索の時間を作ろう。
今は力を蓄える時だ。
向学の志を絶やさずに!

報恩抄 P328
『日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり』

【通解】
日本から漢土(中国)、月氏(インド)、そして全世界において、仏法の智慧がある人と、そうでない人を分け隔てることなく、一人一人がみんな一緒に他の修行を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えるべきである。
このことは、いまだ広まっていない。全世界の中で、釈尊の入滅後、二千二百二十五年の間、一人も唱えなかったのである。ただ日蓮一人が、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と、声も惜しまず唱えているのである。

名字の言 にょき、にょき、にょき…ツクシの花言葉は? 2020年3月28日
近所の土手からツクシが顔を出した。婦人が1本2本と摘みながら、歌を口ずさんでいる。「ずーくぼんじょ ずくぼんじょ ずっきん かぶって でてこらさい……」▼話を聞けば佐賀の「わらべうた」だという。「ずくぼんじょ」は「ツクシ」を意味する方言で、"頭巾をかぶって出ておいで"と呼び掛けている。確かにそんな風貌だ。歌詞は「にょき にょき」と続く。「空に向かって伸びていくツクシの姿を見ると、私も頑張らなきゃと思いますね」と、婦人はほほ笑んだ▼ツクシは別名をツクヅクシといい、食用としても親しまれてきた春野菜の一つ。鎌倉時代、日蓮大聖人に届けた門下もいたようだ。御書には、「土筆給い候い畢んぬ」(1377ページ)等と、御礼から始まるお手紙もある▼その中で紹介されているのが、中国の有名な故事「竜門の滝」。「滝を登り切った鯉は竜になる」との伝説だ。滝を登ろうとする鯉には数々の困難が襲い掛かる。大聖人は、仏の境涯を開く難しさを「是を以て知りぬべし」(同ページ)と仰せになりつつ、信念をもって信仰を貫くよう門下を励まされている▼いかなる状況にあっても、自身の境涯の高みを目指して上へ、また上へ。信心とは無限の成長の道にほかならない。ツクシの花言葉は「向上心」である。(之)

寸鉄 2020年3月28日
災害に遭っても「心を壊る能わず」と御書。試練のこの時、大確信の祈りで
沖縄女性の日。幸福島を照らしゆく勇気の太陽。励ましの声掛けを今こそ
読み聞かせは子の想像力高めると。親子で良書に触れる好機に。絵本週間
コロナ対策、皆で三つの「密」を回避。�密閉空間�密集場所�密接場面。
免疫力強化が鍵。入浴で体を温め、適度な運動・睡眠、バランス良い食事を

☆四季の励まし 学び続ける人は「聡明な人」 2020年3月22日
【写真の説明】青々と葉を茂らせて伸びる木々。1983年(昭和58年)6月、ルーマニアの首都ブカレストの市内で、池田大作先生がカメラに収めた。
先生は同国に滞在中、名門ブカレスト大学で「文明の十字路に立って」と題し記念講演を。ロシア・モスクワ大学、フランス学士院など、これまで先生が行ってきた海外の大学・学術機関等での講演は32回に及ぶ。アメリカのコロンビア大学では「今の私の98%は、すべて、恩師より学んだものであります」と語った。
私たちもまた、池田先生の精神闘争に連なる思いで、「学びの道」を朗らかに歩みゆこう。

◇池田先生の言葉
学びゆく人は、強い。
学び続ける人は、
何ものも恐れない。
だれびとにも臆さない。
「学ぶ」というのは、
人間がもてる一つの力である。
ゆえに「学問は権利」だ。
義務ではない。
「学問は人生の光」である。
そして
「学問は、人生勝利の法則」だ。
 
精神の大地を耕して、
豊かな感情を培うには
どうすればいいか。
いろいろな方法があると思うが、
私はその重要な一つとして、
読書ということを提案したい。
多くの書を読み、
そこから思索を深めていく。
読書と思索は、
不可欠の精神の養分であり、
偉大な自己を確立するための
重要な柱である。
 
何があろうが、太陽は毎日昇る。
それと同じく、あせらず、休まず、
堂々と、「努力」し抜いてほしい。
努力また努力——そのなかに、
創造力が、人格が、忍耐力が、
挑戦が、生きゆく力がある。
 
信念に生き抜く人に、後悔はない。
いわんや、
偉大な仏法を持った皆さんには、
後悔なんて必要がない。
仏法は、常に「さあ今から!」
「これからだ!」と、
前へ前へ進んでいく
希望の哲学だからである。
 
聡明な人間とは、
生涯、学び続ける人である。
旺盛な向上心、
求道心をもった人である。
日々、妙法を学び、
実践する私たちは、
最高に聡明な人生を生きていける。
宇宙と生命を貫く法則を
知っているからだ。
「聡明」でいきましょう!

2020年3月27日金曜日

2020.03.27 わが友に贈る

大切なのは免疫力。
風呂等で体を温めたり
適度な運動・睡眠
バランスの良い食事を。
手洗い・嗽も入念に。

十法界明因果抄 P430
『常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁義礼智信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり』

【通解】
つねに他人に勝つことを願い、その心を抑えきれず、人を見くだし、他者を軽んじ、自分だけを尊ぶ。それはまるで、トンビが高く飛んで、下を見おろす姿のようである。それでいて外面は、仁・義・礼・智・信という徳を掲げて、(表面的で、自己満足の)低級な善心を起こし、修羅道を行ずるのである。

名字の言 文筆家の外山滋比古さん。届いた郵便物で最も心引かれるのは? 2020年3月27日
「うちにいる日は郵便の来るのがたのしみ」と語るのは文筆家の外山滋比古氏。「もうそろそろその頃合いだと思うころになると、玄関脇の郵便受けあたりに神経を向ける」と▼ダイレクトメール、雑誌や書籍類、仕事の連絡など、届いた郵便物を眺めながら分類するのも面白いという。中でも「表に平信、とことわってあるのは、とりたてて用件はありませんが、ということであって、もっとも心ひかれる」(『老いの練習帳』朝日新書)▼直接、訪ねるのがはばかられる昨今、「平信」をつづる機会が増えた。平信とは"無事のたより"の意味。催しの案内などと違って定型の書き方はないので、何を書こうか難儀することもある。必要に駆られてではなく、わざわざ自分のために心を砕いてくれた——その気持ちが伝わるから、受け取る人は平信を喜んでくれるのだろう▼古代ローマの哲人キケロは言った。「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ」(中務哲郎訳)▼終息の見えない新型コロナウイルスの感染拡大で気が滅入っている人も多い。だからこそ励まし合いたい。普段より時間がある今は、平信を記す好機でもある。(誼)

寸鉄 2020年3月27日
「心あさからん事は後悔あるべし」御聖訓。いざという時に強き勇者たれ
新社会人に求める資質、積極性がトップ—調査。臆さず自分らしく挑め!
就寝前のスマホ使用で睡眠の質が低下。生活スタイル整え生命力を満々と
SNS利用者は「正しさ」より「面白さ」等優先と。嘘に荷担せぬよう賢明に
中学教科書のページ数が明年から7%増。教員の環境改善など対策も急務

☆3月度座談会拝読御書 兵衛志殿御返事(三障四魔事)研さんのために
大きな苦難は大きく変わるチャンス——日蓮大聖人は、三障四魔を勝ち越える「賢者の信心」を教えられています。ここでは3月度座談会拝読御書である「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」の研さんのために、池田先生の指導と解説を掲載します。

◇拝読御文
『しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』(御書全集1091ページ15行目〜16行目)

◇[池田先生の指針から]乗り越えれば必ず仏に
三障四魔は成仏への関門です。ここを乗り越えれば必ず仏に成れる。
だからこそ「賢者はよろこび愚者は退くこれなり」なのです。
反対に言えば、三障四魔が競わない信心は、本物ではありません。
偉大な「創価学会の信心」は、初代会長の牧口先生以来、障魔を恐れずに、不惜身命、死身弘法の戦いを貫き通してきたからこそ、確立されたのです。
このことを永遠に忘れてはなりません。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
創価の父・牧口先生が「魔が起るか起らないかで信者と行者の区別がわかる」と指導されたことは有名です。
「自分の一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起らない。之に反して菩薩行という大善生活をやれば必ず魔が起る。起ることを以って行者と知るべきである」とも指導されました。
三障四魔は自他共の無明の発動です。自他共の法性を開く菩薩行を行うゆえに、必ず障魔が競い起こる。
牧口先生は、さらに、「進んで魔の働きを駆り出して」いくことを教えられています。
魔を駆り出して克服することで、信仰を深め、無量の功徳を積み、変毒為薬を実現し、最高の幸福境涯を確立することができる——これが牧口先生の指導です。
そして、その覚悟のままに大難にあわれ、魔と戦い抜く創価の信心を残されました。
戸田先生もまた、「三類の強敵と戦い抜き、三障四魔を断破していくなかに、真の大利益・人間革命の真髄がある」ことを身をもって示されました。そして、いかなる大難に遭おうとも、「これが魔だ!」と見破れば、後は勇気百倍して乗り切れると、繰り返し指導されました。
そして戸田先生は、三類の強敵が必ず出現することを断言されていた。
「これがでると、私もうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか」——こう、私たちに呼び掛けられたのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻)

◇三障四魔と戦い幸福境涯の確立を
◇[キーワード1]信心を深くする
"凡夫が仏になる時も、必ず三障四魔という妨げが出てくる"と仰せです。
信心に純真に励んでいる最中に難が現れたならば、それは、仏に成れるかどうかの勝負どころであるということです。
つまり、信心が間違っていたから苦難が起こったのではなく、正しい信仰に励んでいるからこそ魔が起こったのであり、仏になるチャンスが到来したと捉えていくことが大切なのです。
得てして"難なんてない方がいい"と、思ってしまいがちです。しかし、大聖人は、難を避けたり、恐れたりするのではなく、真正面から挑み、打ち勝っていくことで、幸福境涯を確立していくことを教えられています。
それは、魔と戦うことによって、自分自身の信心をより深く、強くしていくことができるからです。唱題根本に、苦難に挑むから、最高の勇気である「師子王の心」を取り出していくことができます。つまり、信心を根本に難と戦っている瞬間瞬間に、仏界の生命が涌現しているのです。「難即悟達」です。
信心が強ければ、魔はかえって成仏の助けとなります。故に、大聖人は「賢者は喜び、愚者は退く」と仰せなのです。
苦難に直面した時、"頑張ってきたのに、なぜ"と疑ったり、"もうダメだ"と諦めたりするのではなく、いよいよ"使命を果たす好機"と、立ち向かうことです。私たちは、勇気ある賢者として、信心で戦う中で仏の境涯を開いていきましょう。

◇[キーワード2]師弟の誓願で勝つ
魔に勝つには、その正体を鋭く見破っていくことです。
どうすれば、魔を見極めることができるのでしょうか。
三障四魔は、紛らわしい形をとって法華経の行者に襲いかかってきます。それも一番、弱いところを巧妙に突いてきます。
自分が大切にする妻子や、従わなければならない主君の身に入り替わって責めてくることもあります。また、社会での成功や評判、世間の常識という形をとって、"信心よりも一時の成功を取ることが当然であり、正しいことである"ように思わせて、信心を破壊してくるのです。
本抄を与えられた池上兄弟の弟・宗長も、まさに当時の世間の常識に照らせば、信心を捨てることが正しいことのように思えたことでしょう。
だからこそ、賢く、そして鋭く見破っていかなければ、知らず知らずのうちに、魔にたぶらかされてしまいます。大聖人は、大切な門下が退転しないように、渾身の指導と励ましを送られているのです。
魔を見破るために大事なことは、根本の目的を忘れないことです。私たちにとっては広布の「誓願」にほかなりません。それを教えてくれるのが師匠です。
師弟の誓願に生きる時、魔に打ち勝つ力が湧き、魔を見破る智慧が光り、幸福と勝利の軌道を、恐れなく勇敢に歩んでいくことができるのです。

2020年3月26日木曜日

2020.03.26 わが友に贈る

我らの信心は——
苦難に勝つためにある。
幸福になるためにある。
ゆえに今日という一日を
大切に生き抜こう!

種種御振舞御書 P912
『あらをもしろや平左衛門尉がものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをす』

【通解】
なんとも面白い平左衛門の気違い沙汰を見よ!おのおのがたはただ今日本国の柱をたおしているのであるぞ。

名字の言 現代の技術でも再現が難しい製鉄法「たたら」。その職人技の極意とは? 2020年3月26日
島根県の山間部には「たたら」と呼ばれる日本古来の製鉄法が今も残る。燃え盛る炉で三日三晩、砂鉄を溶かし、「玉鋼」という鉄を造る。その質の高さは現代の技術でも再現は難しいとされる▼一度、作業が始まれば、炉の中にある鉄の様子は分からない。だが、たたら師には、それを"見る"技があった。その日の砂鉄の手触り、炎の色、空気の流れ……。五感を研ぎ澄ませ、鉄に向き合うことから「誠実が美鋼を生む」といわれた▼心を鍛錬する中で一流の技は磨かれる。同県のドクター部の壮年は山間地域で診療所を開いて28年。「たった一人で診察するのに大切なこと」を問うと「多くの医療技術を持つ以上に、謙虚であることです」との答えが。孤独、惰性、慢心——祈りを根本に自身の心と戦うからこそ、患者の何げない一言や表情から病状に気付けるという▼人の見えない心を見抜く仏の力を「眼根清浄」という。神秘的な超能力などではない。衆生を救おうとする慈悲の一念が「智慧の眼」を開き、人々の悩みを見抜くことを可能にすると説く▼御書に「鉄は炎打てば剣となる」(958ページ)と。鉄は高温の炎で熱し、何度も打つことで不純物が除かれる。人間も同様に、たゆまぬ精神闘争の中で、宝剣のごとき人格が輝き始める。(子)

寸鉄 2020年3月26日
トインビー・池田対談に平和への普遍的指針が—総長。青年が率先し学べ
「一切法華経に其の身を任せて」御書。どんな時も題目!勝利の兵法ここに
スマホの「ながら運転」による死亡事故に実刑。一瞬の油断が人生を破壊
世界保健機関装う詐欺発生。メールで偽サイトに誘導し情報盗む。警戒を
家庭排出のCO2が10%減—環境省。行動の積み重ねで持続可能な社会へ

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第3回
現実の上で、妙法を弘めていくことは「難事中の難事」です。なかなか思うに任せないことが多いかもしれません。折伏を実践する当たって、どのような姿勢が大切なのでしょうか。壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から、池田先生の指導を通してお答えします(指導集158ページから160ページまでを抜粋)。

●テーマ 弘教拡大
折伏を実践する上での心構えは?
〈懸命に祈り抜く〉
まず、折伏をさせてくださいと、御本尊に懸命に祈り抜くことです。すると、そういう人が出てきます。また、ともかく、あらゆる人と仏法の対話をしていくんです。
もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。種を蒔き、それを大切に育て続けていけば、いつか、必ず花が咲き、果実が実ります。焦る必要はない。
さらに、入会しなくとも、ともに会合に参加して教学を勉強したり、一緒に勤行したりすることもよいでしょう。自然な広がりが大事です。
(小説『新・人間革命』第13巻「北斗」)

〈「慈悲」と「信念」で〉
ある名医のところに、毒キノコと知らずに食べてしまった病人が担ぎこまれたとする。名医は、病人がどんな人であれ、当然、あらゆる手を尽くして治療し、真心の励ましを送るでしょう。これが人への寛容の姿といえる。
そして、患者に、「もう毒キノコなんか、絶対に食べてはいけない」と、注意もするはずです。患者が、「毒キノコは美味かったから、また食べたい」と言っても、「そうですか」などと言って、賛成したり、妥協する医者はいません。それが、法に対する厳格さといえる。
どちらも、患者の苦しみを取り除こうとする、医師としての慈悲と信念から発した行為です。仏法者の在り方もそうです。
(小説『新・人間革命』第1巻「慈光」)

〈勇気を奮い起こして〉
折伏は難事中の難事なりと、御書に明確に説かれている。勇気なくしては、成し遂げられない。
恩師は常々、言われた。
「凡夫には慈悲など、なかなか出るものではない。だから慈悲に代わるものは『勇気』です。『勇気』をもって、正しいものは正しいと語っていくことが『慈悲』に通じる。表裏一体なのです。表は勇気です」
この指導のままに、私も不屈の勇気を奮い起こして折伏に挑戦してきた。(中略)
たとえ相手が信心しなくても、勇気をもって語っておけば、その人の生命の大地には仏種が植えられる。それは、いつか必ず花開く時が来るのだ。
さらに勇気の対話の波動の中で、思いがけない人が仏法に目覚めるものだ。
(2013年9月13日付本紙「随筆 我らの勝利の大道」)

2020年3月25日水曜日

2020.03.25 わが友に贈る

もうすぐ新年度。
生活習慣を改善する
絶好の機会としよう!
自分史の新たな章を
つづり始める気概で!

四条金吾殿御返事 P1169
『日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』

【通解】
日蓮は、若き日より、今世の栄を祈ったことはない。ただ仏になろうと思い願ってきただけである。
けれども、あなたの事は、いつも法華経、釈尊、日天にお願いしている。そのわけは、あなたが法華経の命脈を継ぐ人だと思うからである。

名字の言 本紙の購読期間が終わった知人からの手紙。「勧められたから読んでいたが……」 2020年3月25日
先月、東京・板橋の壮年部員に1通の手紙が届いた。差出人は名古屋に住む取引先の方で、壮年の勧めで本紙を長年購読している。その購読期間が1月で終わったが、壮年は忙しさにかまけ、ついそのままにしていた▼手紙の用件は"聖教新聞をぜひまた入れてほしい"という依頼。勧められたから読んでいるつもりだったが、新聞に目を通さなくなって初めて、聖教に日々、励まされていたことに気付いたという▼再び新聞が配達された今月、2通目の手紙が来た。そこには感謝の言葉と共に「朝、郵便受けに聖教新聞が入っていると、ほっとした気分になります」と▼普段は特に気に留めなくても、無くなるとその価値が分かることがある。最近では、演奏会や演劇の公演もその一つ。音楽評論家の林田直樹氏は本紙の連載で、生の舞台の美しさ、豊かさをかみ締めつつ、再開されたときには「ライブな舞台というものを、もっと大切にできるようになっていたい」と述べた▼世界の各地で、人々の"当たり前"が様変わりしている。だが、それは"かけがえのないもの"を深く知る機会にもなろう。今、ここで生きていること。支えてくれる家族、友人、同志がいること。その一つ一つに感謝しつつ、励まし合って日々を歩みたい。(起)

寸鉄 2020年3月25日
『新・人間革命』こそ時を超えて読み継がれる名作—学長。今日も心に刻み
東京・江東が「師弟勝利の原点の日」40周年。共戦の魂漲る人材城は堂々と
「根深ければ則ち条茂く」御書。信心の根しっかり。張りのある勤行から出発
精神を前向きにするのは良き人間関係—心理学。学会の励ましの絆こそ宝
中高生4割超、SNSに顔や制服姿を投稿。危機意識を。これ犯罪の火種

☆「新・人間革命」が広布の源泉 第3回
困難な時こそ、創価の希望の励ましで、友の心を明るく照らしていきたい。小説『新・人間革命』の中から、指針を抜粋して紹介する。

◇"大悪は大善の瑞相"と確信し
学会が「社会の年」と定めた一九七四年(昭和四十九年)は、第四次中東戦争、石油危機に始まった世界経済の激動のなかで幕を開けた。
元日の午前十時、全国各地の会館などで、新春恒例の新年勤行会が、一斉に開催された。
(中略)
学会本部での勤行会に出席した山本伸一は、マイクに向かうと、「減劫御書」の一節を拝した。
「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(1467ページ)
そして、確信のこもった声で語っていった。
「大聖人御在世当時、社会は、大地震や同士打ち、また、蒙古襲来と、乱れに乱れ、激動しておりました。しかし、大聖人は『決して、悲観すべきではない。むしろ、こういう時代こそ、仏法の広宣流布という大善が到来するのである』と宣言されているのであります。
私どもは今、戦後最大といわれる経済の激動のなかで、日夜、広宣流布に邁進しております。筆舌に尽くしがたい困難もあるでしょう。だが、どんな障害があろうが、『大悪は大善の来るべき瑞相』であると、強く、強く確信し、いよいよ意気盛んに大飛躍を遂げてまいろうではありませんか!」
伸一の呼びかけに、「はい!」という明るい声がはね返った。
すべての逆境を前進のバネへと転じていくのが、信心の一念なのだ。(第18巻「飛躍」の章)

◇今いる場所を立正安国の楽土に
大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、"もう、何をしてもだめだ"との思いをいだき、"この苦しい現実からなんとか逃れたい"と考えてしまいがちなものだ。そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。
それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく"弱さ"の根を絶とうとされたのである。
大聖人は、「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と叫ばれている。
南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているのが日蓮仏法である。(第29巻「清新」の章)

◇励まし社会の創出へ不軽の実践
伸一は常に、"どうすれば皆が喜び、勇気をもって信仰に励めるのか""明るく元気に頑張れるのか"を考え続けていた。
彼の一念も、行動も、日々、友への励ましに貫かれていた。
励ましとは、安心と希望と勇気を与えることである。相手の生命を燃え上がらせ、何ものにも負けない力を引き出す、精神の触発作業である。
励ましの本義は、相手の幸福を願う心にある。
法華経に説かれた不軽菩薩は、あらゆる人びとに対して、礼儀を、誠意を尽くして、礼拝していった。
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経557ページ)
〈私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです〉
つまり、一人ひとりが、最高の人格の輝きを放ち、何ものにも負けない師子王となるのだ。人びとを救いゆく使命の人なのだ——と叫び抜いているのだ。
だが、人びとは彼を杖や木で打ちすえ、瓦や石をぶつけた。それでも、彼は、それぞれのもつ無限の可能性を教え抜いていったのだ。この不軽菩薩の生き方にこそ、励ましの原点がある。
創価学会のめざす広宣流布とは一次元から言えば、"励まし社会"の創出である。(第21巻「共鳴音」の章)

2020年3月24日火曜日

2020.03.24 わが友に贈る

価値創造の信心だ。
制限がある中でこそ
新たな発想や工夫を!
どんな状況であれ
心は無限に広げられる。

盂蘭盆御書 P1428
『僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんとせんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず』

【通解】
今の僧等は、二百五十戒は名ばかりで、持戒ということに事を寄せて人をたぶらかし、一分の神通力もありません。大石が天に昇ろうとしてもできないようなものです。智慧の劣っていることは牛や羊のようで、たとえ千万人を集めたとしても父母の一苦をも救うこたができるでしょうか。

名字の言 カミュの『ペスト』から見えてくるもの 2020年3月24日
フランスの作家・カミュの代表作『ペスト』(宮崎嶺雄訳)。「黒死病」と恐れられた伝染病の脅威に立ち向かう市民の姿が描かれている。最近、新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、同書の売り上げが伸びている▼物語の舞台はアルジェリアの都市オラン。そこでペストがまん延していく。犠牲者は増え続け、やがて街は封鎖される。民衆は不安におびえ、団結することができない。そんな彼らの様子を「みんな自分のことを考えていた」と、作者は言う▼その時、タルーという青年と医師のリウーが立ち上がり、有志で「保健隊」を結成。"見えない敵"ペストとの闘いを開始した。彼らは"自分さえ良ければ"という利己主義を捨て、懸命に行動した。リウーは語る。「ペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです」▼池田先生はかつて、この小説を紹介しつつ、「保健隊」の行動は仏法の「同苦」の精神に通じると指摘し、こう語った。「真の誠実とは、人々のために、なし得る限りのことをなすことである。自らの使命に生ききることだ」▼状況は日々変わるが、直接会うことが難しい日々が続く。それでも、友のためにできることはあるはずだ。祈りを根本に「誠実」の二字を貫き、温かな励ましを送り続けたい。(糸)

寸鉄 2020年3月24日
人材、人材の学会でいけ—恩師。後輩を自分以上の闘士に!激励絶やさず
福井師弟原点の日。常勝関西の"北の砦"は難攻不落。祈りを一つに前へ
「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」御書。題目の人に恐れなし。必ず勝利
感染防止へ日・中・韓で、ワクチン開発等でも連携と。今こそ協力の強化を
詐欺の被害者9割、「自分は被害に遭わないと思っていた」。心の隙排し撃退

☆「新・人間革命」が広布の源泉 第2回
総千葉の「弘教・人材」旭日拡大月間(2月16日まで)が、たけなわ。友は今、2・16「千葉の日」へ勇み立つ。今回は小説『新・人間革命』から「二月闘争」の精神、折伏・仏法対話の指針を抜粋して掲載する。

◇"一人立つ"が二月闘争の大精神
ある青年は、こう山本伸一に質問してきた。
「私が担当しております組織は、男子部員も少ないうえに、実態は極めて厳しいものがあります。どうすれば、こうした事態を変えていくことができるでしょうか」
即座に、伸一の大きな声が響いた。
「君が立ち上がればいいんだ!」
場内に緊張が走った。水を打ったような静けさに包まれた。
「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。
(中略)事態が厳しければ、自分が一人立つ——常に、私はその精神でやってきた。
蒲田支部の支部幹事として、折伏の指揮をとった時もそうだ。当時は、大支部といっても、折伏は百世帯そこそこだった。"これでは、戸田先生が掲げた七十五万世帯という大願を果たすことはできない"と、私は思った。
では、誰がやるのか。弟子がやるしかない。ゆえに私は戦いを起こした。そして、一支部で二百一世帯という、当時としては未曾有の布教を成し遂げた。これは私が、二十四歳の時だ。支部には、もちろん壮年も、婦人もいた。ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。
なぜか。私は真剣であったからだ。誰よりも、必死であったからだ。"自分たちには、あれほどの活動はできない。この人の言う通りにやれば、必ず壁を破ることもできるだろう"と、みんなが思ったからだ。そして、私は結果を出した。
私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。ポーズだけの、遊び半分やふざけ半分の青年など、学会には必要ない。
君も立て! 断じて立つんだ。見ているぞ!」(第8巻「宝剣」の章)

◇悔しい思いをした先に宿命転換
「折伏に行って、悪口を言われ、時には、罵詈罵倒されることもあるでしょう。また、悔しい思いをすることもあるでしょう。それは、すべて、経文通り、御書に仰せ通りのことなんです。その時に、負けるものかと、歯を食いしばって頑張り続けることによって、過去世からの罪障が消滅できるんです。仏道修行は、罪障消滅、宿命転換のためでもあるんです。そう確信できれば、『苦』もまた、楽しいではありませんか!」
壮年は、伸一の指導を思い返すうちに、"山本室長は、今ごろ、どうされているのだろうか"と思った。
(編集部注=無実の罪で不当逮捕された大阪事件で)"もう何日も、勾留されている。毎日、過酷な取り調べを受けているんだろう。出歩くこともできなければ、自由に家族と連絡を取ることもできない。そのなかで、室長は、学会の正義を叫び、必死に獄中闘争を展開されている……。その室長と比べれば、自分は、なんと恵まれた環境にいるんだろう。こんなことで、弱気になったり、負けてしまったら、室長は慨嘆されるにちがいない。
負けるものか! 明日こそ、必ず折伏を実らせてみせる。室長、見ていてください!"
こう心で叫ぶと、ふつふつと、胸に勇気がたぎるのを覚えた。
(中略)
法のために味わった悔しさは、やがて、栄誉と賞讃となって、わが人生を飾る。(第25巻「福光」の章)

◇聞法下種こそ 折伏・弘教の根本
「折伏、すなわち成仏の種子を下ろす下種には、『聞法下種』と『発心下種』とがあります。『聞法下種』とは、仏法を説き聞かすことです。『発心下種』とは、その結果として信心を発し、御本尊を受持することです。
たとえ、相手が、すぐに信心しなくとも、仏法を語れば、心田に仏種を植えたんですから、いつか、必ず信心します。ゆえに、この『聞法下種』こそが折伏の根本なんです」
伸一は、懸命に折伏に励みながら、相手を入会させることができずに悩んでいる同志のことを思うと、胸が痛んでならなかった。彼は力説した。
(中略)
「仏法を聞いて、信心するかどうかは相手の問題です。要は、人びとの幸せを願い、何人の方に仏法を説き聞かせることができたかが大事なんです。
もちろん、皆が正法を信じ、幸福になることが目的ですから、断じて信心させようとの強い一念が大切であることは、言うまでもありません。しかし、信心しなくとも、決して落ち込んだりする必要はありません。
一人当たって駄目なら二人。二人当たって駄目なら三人、五人、十人と当たり、十人で駄目なら二十人。二十人で駄目なら三十人、四十人……と、ますます意気軒昂に、弘教していくんです。それが、すべて、功徳、福運となり、宿命転換の力となっていきます。
皆さんは、現代の不軽菩薩であり、また、地涌の菩薩です。そして、日蓮大聖人と同じ仏道修行の大道を歩んでいるんです」(同巻「共戦」の章)

2020年3月23日月曜日

2020.03.23 わが友に贈る

◇今週のことば
進学・就職・転居など
新出発の友に励ましを!
「さいわいは心より
いでて我をかざる」
胸張り使命の桜道へ!
2020年3月23日

種種御振舞御書 P912
『八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か』

【通解】
「八幡大菩薩に最後にいうべきことがある」といって馬からおりて大高声で次のようにいった。「本当に八幡大菩薩はまことの神であるか」

名字の言 大岡越前守の名裁き。こんな見方もあるのでは? 2020年3月23日
「大岡政談」に二人の女性が子を取り合う話がある。"私がこの子の実母"と譲らない二人に大岡越前守は、両者で挟んだ子の手を引っ張り合うように命じた▼痛さに子が泣きだすと、一人の女性が手を離した。大岡裁きは、痛がるわが子を哀れんでこそ実母と判断した、という内容である。だが"一時の痛みに子が泣こうが、手を離さない親の愛情もあるのでは"という考え方もあるはず。そう思ったのは、ある母娘が脳裏に浮かんだからだ▼娘である婦人部員は20年前、緑内障で左目の視力を失った。直後、母が病に倒れ、「余命1週間」と告げられた。その後、奇跡的に回復した母は娘を毎日、病院へ見舞いに来させた。娘はかろうじて見える右目を頼りに、往復2時間ほどの道を歩いて通った。母は半年も寿命を延ばし、霊山に旅立った▼婦人は語る。「これから先、私が一人でも強く生きていける力を、母は命懸けで鍛えてくれました」と。そして「それまで右目の視力が落ちないことを願っていましたが、あれ以来、私の祈りは"広布に生き抜く体になる"という誓願に変わりました」とも▼その後、婦人の左目はわずかに視力が戻り、現在、拡大鏡で本紙を熟読しては信心に励む日々だという。あの時の母の"真の愛情"に感謝しながら。(城)

寸鉄 2020年3月23日
パラオ共和国大統領から会長夫妻に顕彰。平和に尽くす思想と行動に共鳴
中部女性の日。さあ満々たる生命力で前進!希望の一番星は明るく朗らか
「陰徳あれば陽報あり」御書。電話・手紙で地道に激励重ねる友に福徳必ず
普段できぬ事に挑む時!まずリストアップ。書き出せば祈りも動きも明確
新聞に触れる子は成績も高い—調査。親から良き習慣を。本紙も充実益々

☆心に御書を 第27回 強盛な信心こそ最高の回向
〈御文〉
『いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほり給うべし、其の時一切は心にまかせんずるなり』(上野殿御返事、1512ページ)

〈通解〉
いよいよ強盛に信心していきなさい。そうすれば(父上の)聖霊は仏になられるであろう。(父上が仏に)なられたならば、(あなた方のもとに)来て、(あなた方を必ず)守られるであろう。そのとき、一切は心のままである。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、苦難の中で勇敢に信心を貫く青年門下に、亡き父は必ず成仏され、厳然と家族を守られるとお約束である。
広布に尽くす誓願の題目こそ、故人への最極の供養となる。その福徳は、一家眷属も大きく明るく包む。
「生も歓喜、死も歓喜」という常楽我浄の大境涯を開く、最も力強く自在なる追善回向なのだ。

☆未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ 女子未来部長 先崎和美さん
〈池田先生の言葉〉
うれしい悲しい、楽しいつらい……心は常に揺れ動きます。青春時代は、なおさらだ。
御書に「心の師とはなっても、自分の心を師としてはならない」(1088ページ、通解)とあります。
自分の心を中心に、わがまま放題に生きれば楽しいかもしれない。しかし、結局、心がいつも揺れ動いて迷走してしまう。
だから、揺るぎなき「心の師」をもつことが大切です。私の心には、常に戸田先生がおられます。今でも、毎日、対話しています。
(『未来対話』278ページ)

◇師匠と心で"対話"して
「自分の性格が嫌い」「私には取りえがない」「あの子は、すごいな」「あの人みたいに、なれたらな……」
そんなことを考えて苦しんだり、悩んだりした経験は、未来部の皆さんなら誰もが持っているのではないでしょうか。
私も中学・高校時代、他人と自分を比べては、一喜一憂してばかり。何かに挑戦したとしても、思うような結果が出せない現実に直面するたび、「劣等感」がグサグサと胸に突き刺さるような痛みを覚えていました。
当時、池田先生の言葉にどれほど支えられたか分かりません。聖教新聞や未来部機関紙に掲載された先生の指導をノートに切り貼りして、何度も読み返しました。「心は常に揺れ動きます。青春時代は、なおさらだ」との言葉に触れた時、"これは私のことだ!"と思ったものです。
池田先生は、ただただ師匠・戸田先生のために生きてこられた真情を、教えてくださいました。「先生なら、どうされるか、どうすれば、先生に喜んでいただけるか——。心に、この原点があるから何も迷わない。何も怖くありません」と。
自分が周りにどう見られたいかという"自分中心"の生き方ではなく、師匠に喜んでいただける生き方が大事だと、私は気付いたのです。
「先生の励ましに応えたい!」。そう決めて御本尊に真剣に祈ると、勇気と力が湧いてくるのを感じました。勉強においても、吹奏楽部の練習においても、毎日、心の中で池田先生に自分の決意を伝え、目標を立て、挑戦を"報告"しました。やがて、小さなことで悩んでいた自分がうそのように、笑顔で、胸を張って毎日を過ごせるようになっていったのです。
今、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で不安な毎日を過ごしているメンバーは少なくありません。特に卒業生の中には、何ともいえない寂しさを覚えている人もいるのではないでしょうか。
私が中学を卒業したのは2011年3月。東日本大震災の直後でした。両親が東北の出身でもあり、私は悲しみでいっぱいでした。その中で先生の数々の励ましに触れ、「大変な時こそ未来部が皆の希望に!」との師の期待を、心から実感することもできたのです。
先生は『未来対話』で「私も毎日、皆さんと心で語り合っています。皆さんのことを思い浮かべて題目を送っています。未来部は私の命だもの。離れていても、会わなくても、生命と生命は、強く固く、結ばれています」と語られています。
かけがえのない青春時代です。師匠を自分の心に置いて、一日また一日と、成長の思い出を刻んでいきましょう。

2020年3月22日日曜日

2020.03.22 わが友に贈る

「一日に二三度
えみて向へとなり」
父母に笑顔の花束を!
報恩こそ仏法の魂。
親孝行第一であれ!

御義口伝巻上 P710
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり生死即涅槃と開覚するを照則闇不生とは云うなり、煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり』

【通解】
今、日蓮大聖人およびその門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、生死の闇を照らし晴らし、涅槃の智火が明了に現われることである。
すなわち生死即涅槃と開覚することを、文句では「照らすは則ち闇生ぜず」といっているのである。
また、妙法を唱え奉ることは、煩悩の薪を焼いて菩提の慧火が現前することである。

名字の言 娘からの質問。「なんでパパは学会活動してるの?」 2020年3月22日
歌人・俵万智さんの歌集『サラダ記念日』に、こんな歌がある。「やさしさをうまく表現できぬこと許されており父の世代は」▼出版は1987年。当時はまだ、"背中で語る"父親が時流に抗して頑張っていたらしい。日本では「以心伝心」が美徳とされてきたが、実際は、どんな思いも言葉にしなければ伝わらない。気心知れた家族でも同じだろう▼ある男子部員は今月、ファミリー座談会を毎週開催している。そのたび、小学4年の娘からの質問にハッとさせられるという。「なんでパパは学会活動してるの?」「なんで池田先生を尊敬してるの?」▼どれも日頃の言動を通して、分かってもらえていると思っていたことばかり。忙しさにかまけ、伝える努力をおろそかにしていた自分を反省した。「パパにとってはね……」。できるだけ表現をかみ砕きながら、精いっぱい答え続けたからだろうか。娘は朝晩、自ら進んで御本尊の前に座り、勤行をするようになった▼「表現」という言葉は英語で「express」。語源には「外に押し出す」という意味がある。信仰の喜びや信念といった自身の内なる思いを、言葉にして表し、宝の子どもたちに伝えたい。31日まで「未来部希望月間」。親子の語らいを深める絶好の機会である。(之)

寸鉄 2020年3月22日
「題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」御書。春の彼岸。故人の冥福祈念
関西男子部の日。常勝のバトン受け継ぐ師子よ!信心の実証を今いる所で
苦難越えた時に以前より良くなるのが妙法—牧口先生。この大確信で前進
社会人の半数が全く読書せずと。活字離れは深刻。良書の喜びを知る契機と
世界水の日。節水等、皆の努力が"水の惑星"守る。依正不二の視座を基軸に

★原田会長を中心に全国方面長会議 2020年3月20日
4月19日まで「各地の会合は中止」「会館は閉館」「訪問・激励は自粛」
5月6日まで誓願勤行会を中止

全国方面長会議が19日午後7時から、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長ら各部の代表が出席し、全国の方面長・方面婦人部長らとテレビ中継で結び、東京・信濃町の学会本部別館で行われた。
席上、会長から、新型コロナウイルスの感染拡大に関する現下の情勢を受けて、学会本部として決定した、今後の組織活動の方針が次の通り発表された。

�4月19日(日)まで「各地の会合は中止」「会館は閉館」「訪問・激励は自粛」を継続する。
※これに伴い、4月5日(日)、6日(月)に予定されていた「教学の日」の部別御書講義は、今回のみ、森中教学部長の御書講義をSOKAnetで視聴できるようにする。視聴者は御書講義への参加とみなす(詳細は後日、本紙に掲載)。
※4月12日(日)の「未来部の日」を中心に予定されていた「創価ファミリー勤行会」は中止する。

�広宣流布大誓堂での誓願勤行会は、ゴールデンウイークの5月6日(水)まで中止し、大誓堂は休館とする。

�5月に予定されていた婦人部総会は延期とする。

原田会長は、全国の同志、とりわけ本紙を配達する「無冠の友」の労苦に深謝。師と共に、世界の同志と共に感染の一日も早い終息を祈り、賢明に無事故第一を期しながら、一日一日を価値的に進みたいと呼び掛けた。

☆心に御書を 第26回 師弟こそ仏法の根幹
〈御文〉
『よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』(華果成就御書、900ページ)

〈通解〉
よい弟子をもつならば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養うならば師弟はともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。

〈池田先生が贈る指針〉
仏法の根幹は師弟不二なり。師弟あればこそ広布の誓願は継承され、不二なればこそ地涌の生命は脈動する。「3・16」の魂もここにある。
師と同じ心で唱える題目は無敵の師子吼であり、万事を勝ち開く力だ。
師匠は大地であり、弟子は草木である。使命の花を咲かせ、勝利の実を結ぶことが、報恩の道なのだ。

☆池田先生の指導に学ぶ 彼岸の意義
◇最高無上の生命の軌道を 久遠からの同志とともに
きょう17日は、春の彼岸の入りです。ここでは、池田大作先生のスピーチを通して、仏法本来の「彼岸」や「回向」の意義について学びます。

——かつて池田先生は、真剣な求道の息吹に燃える新入会の青年の質問に答える形で、「彼岸」の意味について、次のように語られました。

◇広宣流布に生き抜く学会員こそ幸福と勝利の彼岸に到達できる
「彼岸」という言葉は知っていても、その意義については、知っているようで知らないことも多い。これまでも何度か紹介してきたが、この機会にあらためて少々、論じさせていただきたい。
◇ ◇ ◇
仏法では、迷いに満ちた現実の世界を「此岸」(こちらの岸)に譬える。
それに対して、悟りの世界、仏道修行の完成を、「彼岸」という言葉で表すのである。
すなわち、真の「彼岸」、成仏の完成に至るためには、現実の迷いや悩みに打ち勝つ「修行」が不可欠なのである。この点を忘れてはならない。
ゆえに、"坊主に拝んでもらわなければ、お彼岸にならない。供養にならない"などという考えは、完全な"迷信"にすぎないのである。
日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず」(御書1448ページ)と仰せである。
妙法を持ち、広宣流布に生きぬく創価学会員こそ、「生死の大海」に満ちる苦悩の荒波を乗り越えて、「幸福の彼岸」「勝利の彼岸」へ到達することができるのである。

——仏教本来の意義に立ち返り、学会員の日々の信仰にこそ「彼岸」に至る道があることを教えられました。
その上で、先祖や亡くなられた家族や同志への追善のありかたについて語られます。

◇自分自身が修行で得た福徳を「廻し向ける」のが「回向」
「回向」の本義について、大聖人は「御義口伝」で次のように述べておられる。
「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり」(御書712ページ)
妙法の題目は、全宇宙を照らしゆく力を持っている。その慈悲の大光は、無間地獄にまで至るとの、大聖人の大確信である。
いかなる権力でも、いかなる財宝でも、いかなる科学でも、成し得ないことがある。
それが一生成仏であり、故人への追善回向である。
回向の根本は、自分自身が御本尊を信じ、広布に励むことである。自身が仏道修行で得た功徳を「廻し向ける」ことが、「回向」の本義であり、真の追善となるのである。
ともあれ、「彼岸」にせよ、「回向」にせよ、「自分自身の仏道修行」という一点を忘れてしまえば、本来の意義から外れてしまう。
私たちは最高無上の生命の軌道を、久遠からの同志とともに、歓喜に燃えて歩んでまいりたい。

——「彼岸会」が日本独特の風習であることに触れられ、学会が彼岸法要を行うのは「随方毘尼」の考えからであることを述べられます。

◇広布の友と行う勤行・唱題こそ大聖人の御心に最も適った実践
さらに「彼岸」の意義について考えたい。
日本には、「春分の日」と「秋分の日」を中心に、先祖の供養や墓参などを行う「彼岸会」がある。
じつはこの行事は、インドや中国から伝来したものではなく、日本独特の風習である。
聖徳太子の時代から始まったとも言われ、『源氏物語』にも「彼岸」の言葉が見られる。
「春分の日」「秋分の日」は、大きく見れば、昼と夜の長さが等しくなる、地球の運行の"リズムの節目"にあたる。
また、日本人にとっては、「暑さ寒さも彼岸まで」などと言われるように、"季節の節目"である。
この日には、古代、農耕儀礼が行われていたようであり、それが仏教と結びついて、祖先を供養する「彼岸会」になったのではないかという説がある。
また、太陽に豊作を願った「日願」が由来ではないかとも言われる。
ともあれ、御書には、悟りの世界を表す「彼岸」は使われているが、いわゆる年中行事としての彼岸会についてはふれられていない。
私どもが行う彼岸法要については、「随方毘尼」(仏法の本義に違わないかぎり、各地域や時代の風習に随うべきである)の考えのうえから、意義づけるべきであろう。
そして、春分・秋分の日という地球のリズムに則って、会館等にすがすがしく集い合い、異体同心の広布の友と行う勤行・唱題こそ、大聖人の御心に最も適った彼岸の法要であることを確認しておきたい。

——亡き家族への追善供養とは、日々の勤行・唱題であり、信心根本に前進していくことであると教えられます。

◇難と戦う勇気ある信心の功徳で亡き家族をも成仏させられる
大聖人は、在家の門下である曾谷教信が、毎朝、亡き父のために自我偈を読誦し、追善回向していることについて、「是こそ実の孝養にては候なれ」(御書1051ページ)と讃えられた。
この曾谷教信のことを、「法蓮上人」(同1047ページ)という尊称で呼ばれている。
また、南条時光に、大聖人は仰せである。
「自分にとって大事な人々から信仰を反対されたり、大きな難が来るであろう。その時こそ、諸天の加護が必ずあると信じていよいよ強盛に信心していきなさい。
そうすれば(父上の)聖霊は仏になられるであろう。(父上が仏に)なられたならば、来られて、(あなたを必ず)守られるであろう」(同1512ページ、通解)
難と戦い、難を打ち破る。その勇気ある信心に、計り知れない功徳がそなわっていく。
その人は、亡くなった家族をも、皆、成仏させることができる。
そして、すべての縁する人を救い、皆から守られていく。
目指すべき真の「彼岸」は、どこか遠くにあるのではない。私たちが日々、勤行・唱題し、広宣流布に励みゆく実践こそ、真の彼岸の供養となる。大聖人の仏法においては、「常彼岸」なのである。

池田先生の指導は、『普及版 池田大作全集 スピーチ』2005年[4]から

◇墓園に春の彩り
四季の彩りが美しい学会の墓地公園は、地域に開かれた自然豊かな名所として、多くの人に愛されています。
ここでは、以前に撮影した「富士桜自然墓地公園」(静岡県富士宮市)と「関西池田記念墓地公園」(兵庫県丹波市)の春の映像を紹介します。

2020年3月21日土曜日

2020.03.21 わが友に贈る

いかなる悩みや課題も
解決の鍵は御書にある。
徹底して学び抜き
信心即生活の実証を!
ここに勝利の道がある。

呵責謗法滅罪抄 P1132
『何なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』

【通解】
いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

名字の言 読書で「不安を乗り越える力」を養う 2020年3月21日
「出会えたね。とびっきりの一冊に。」——来月23日から始まる「こどもの読書週間」の標語だ。主催する読書推進運動協議会が先日、「子どもと本をつなぐみなさんへ」との一文をホームページに公開した▼臨時休校や外出の自粛など、閉塞感が広がる中で「こんなときこそ、子どもたちに読書をすすめ、不安を乗り越える力、生きる力を身につけてほしい」として、「子どもたちに読んでほしい本、子どもたちが笑顔になれる本の情報を届けてください」と訴えている▼「読書は自分と異なる視点を手に入れるのに役立ちます」と語るのは、明治大学教授の齋藤孝氏。円すいは上から見ると丸だが、横から見れば三角に見えるように、視点が変われば、物事の見え方も大きく変わる。氏は、読書によって「厚みや深み、広がりのある視点を持つことができる」と(『読書する人だけがたどり着ける場所』SB新書)▼休校や図書館などの休館が続く。子どもたちの心身に少なからぬ負担が掛かる今こそ、良書に触れ、心の視野を広げることが大切だ▼池田先生は「一人の人間が、実際に体験できる人生は一つしかないが、読書は、あらゆる人生を教えてくれる」と。親子で語り合いつつ、わが家の"とびっきりの一冊"を見つける春に。(誼)

寸鉄 2020年3月21日
「強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ」御書。いかなる時も勇気の祈り
先駆・九州の日。同志の胸に脈打つ誓願の魂。乗り越えられない壁はない!
東北青年部の日。君達の成長こそ福光の象徴と。使命の場所で希望と輝け
なすべき事を着々と実践せよ—戸田先生。今できる事をやり抜く人が勝者
生命尊厳の視座を今こそ世界の大潮流に。きょう国際人種差別撤廃デー。

☆創大・短大学位記授与式への池田先生のメッセージ 2020年3月19日
◇「誓願の 誉れの生命は 朗らかに」
一、キャンパスのしだれ桜をはじめ花々も、わが愛する卒業生を寿ぐ心を宿しているかのように、いつもより早く咲き薫っています。
創大46期生ならびに短大34期生の皆さん、通信教育部の皆さん、さらに、大学院生の皆さん、そして世界からの留学生の皆さん、栄光の門出、誠におめでとう!
それぞれの国で今日を迎えている卒業生も、心は一つです。生命で結ばれています。
皆、本当によく頑張ってくれました。新たな伝統を堂々と築いてくれました。
私は、一人ひとり、奮闘を讃えながら、固い握手を交わす思いで、全てを見守っております。
どうか、皆さんの晴れ姿を何よりの喜びとされている父上方、母上方に、勝利の学位記を、最大の感謝とともに捧げてください。そして、希望あふれるご一家の新出発の劇を、聡明な親孝行の心で思い出深く飾っていただきたいのであります。
一、新型コロナウイルスの感染拡大の渦中に、新社会人として第一歩を踏み出す皆さんへ、私は22歳の時の一詩を謹んで贈りたい。
70年前の当時も、日本の経済界全体が未曽有の苦境に直面していました。恩師の事業は荒波に翻弄され、私は青年らしく一心不乱に支え働きました。日々、悪戦苦闘の只中で、自らを鼓舞して綴った詩です。

「苦闘よ、苦闘よ。
 汝は、その中より、真の人間が出来るのだ。
 汝は、その中より、鉄の意思が育つのだ。
 汝は、その中より、真実の涙を知ることができるのだ。
 汝よ、その中より、人間革命があることを知れ」と。

この創価の青春の負けじ魂を、不二の皆さんに託したいのであります。

◇たくましき価値創造の走者たれ
一、私は「平和のフォートレス」たる創価大学の創立と同時に、世界の知性と文明を結び、人類を結ぶ対話を開始しました。その忘れ得ぬ語らいを偲びつつ、今日は一点、「21世紀を照らす、たくましき価値創造の走者たれ!」と申し上げたい。
トインビー博士のご紹介でお会いした、世界的な医学・細菌学者のルネ・デュボス博士も、創大が掲げる「人間教育の最高学府たれ」との建学の精神に深い共感を寄せてくださった一人であります。
「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球的に考え、地域で行動する)」という有名な標語を編み出し、環境保護に心血を注がれた闘士でもありました。
感染症をはじめ人類を苦しめる病の脅威と戦い続けてきたデュボス博士は、人間の潜在的可能性に揺るぎない信頼を持たれていました。
ゆえに「新しい環境に遭遇したときは、いつでも新しい創造が生じうる」(野島徳吉・遠藤三喜子訳『人間であるために』紀伊國屋書店)と強調され、試練に屈しない人間生命の開花にこそ、文明の成長の希望を見いだされていたのであります。
人生100年の時代を迎え、皆さんには21世紀を丸ごと生き抜き、けん引する使命がゆだねられています。
「創価」の哲学を抱いた皆さんは、人生と社会の難局に遭遇すればするほど、たくましく価値創造の英知の光を放っていただきたいのであります。

◇21世紀から22世紀へ 平和と共生の「灯」を
一、私との語らいでも笑みを絶やさなかったデュボス博士は、社会の最も有益な存在として「生きる喜びに最も貢献する人」を挙げ、「明朗と快活」「自然なほほえみと笑い」が、皆の幸福にとって、どれほど大切であるかを力説されていました。<参照�長野敬・中村美子訳『人間への選択』紀伊國屋書店>
そして博士は、リレーの走者のように「生命の灯」を次々に手渡しながら、人類の未来へ尽くし続けていくことを呼び掛けてやまなかったのであります。<参照�長野敬・新村朋美訳『生命の灯』思索社>
どうか、世界にまで感動を贈ってくれた、あの箱根駅伝のように、皆さんの勇気と連帯の力走で、今世紀を「生命尊厳の世紀」に、「平和と共生の世紀」に照らし晴らしてください。
そして22世紀へ「価値創造の灯」をつないでいただきたいのです。
終わりに

誓願の
 誉れの生命は
  朗らかに
 走れ広げよ
   民衆の笑顔を

と贈り、祝福のメッセージとします。
かけがえのない、わが命たる君たちに、幸福凱歌あれ!

2020年3月20日金曜日

2020.03.20 わが友に贈る

継続は偉大な力だ。
小さな事からでいい。
日々の課題を定め
黙々と取り組む中に
不屈の境涯が築かれる。

寺泊御書 P953
『日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる』

【通解】
日蓮は、この(勧持品の)文の通り、悪口罵詈されている。汝らは、なぜ、この経文の通りになっていないのか。

名字の言 「万有引力の法則」を発見したニュートンの「創造的休暇」 2020年3月20日
 大科学者ニュートンが「万有引力の法則」の着想を得たのは24歳の頃。力学、微分積分学、光学における彼の重要な発見のほとんどは、この1665年からの約20カ月間に集中しているという▼この時期、英国ではペストが流行していた。大学を卒業したばかりのニュートンは母校で研究を続けていたが、ペストの影響で大学が閉鎖され、故郷への避難を余儀なくされた▼不遇の時にも思えるが、彼にとっては"願ってもない好機"になった。大学のさまざまな校務から解放され、自身の研究に心ゆくまで没頭することができたからだ。彼の偉業の大半が生まれたこの期間は「驚異の年」とも「創造的休暇」とも呼ばれる(『天才の時間』NTT出版)▼どんな環境の中でも新たな創造の機会は必ずある。時間は皆に等しく与えられている。そして本来、使い方は自分で決めるもの。"何にどう時間を使うか"という判断の積み重ねが、人生を形づくるともいえる▼ローマの哲人セネカは言った。「時間だけなのだよ、これぞ自分のものと言えるのは」「これこそ、どんなに感謝してもし足りないほど値打ちのある唯一つのもの」(中野孝次『セネカ 現代人への手紙』岩波書店)。自身の向上のために、自他共の幸福のために時を無駄にすまい。(踊)

寸鉄 2020年3月20日
大聖人の確信に触れれば信心の火が燃える—戸田先生。教学を深める好機
長崎の日。"平和の世紀"建設の主役は我らなり。青年を先頭に共々に成長
北陸婦人部の日。皆で綴る冬は必ず春の共戦譜!励ましの花束を友の心に
「わざはひも転じて幸と」御書。題目第一!広宣の闘士は一切を飛躍の糧と
肺炎に便乗した詐欺や不審電話相次ぐ。不安につけ込む魔物だ。賢く撃退

☆池田先生の指針とともに——わが家で創価の心を学ぼう! 2020年3月6日
春3月は、進級や進学などに備え、自身の可能性を見つめながら夢を描く大切な時期です。宝の未来部を応援するために、親子で創価の心を学び、明日への活力となる池田先生の指針などを紹介します。

◇池田先生の指針を一緒に読もう
◇勤行は毎日の生活のエネルギー(『青春対話1』普及版から)
勤行は、毎日の心の掃除であり、心の用意です。一日の出発のエンジンをかけることです。女の人が毎朝、お化粧するようなものだ。
人によって、大きなエンジンを持っている人と、小さなエンジンを持っている人がいる。エンジンの大きさによって、人生の一生の行動が変わってくる。大きな違いです。
勤行・唱題という行に励むことは、自分自身のエンジンを大きくしているのです。
真剣に勤行・唱題を続けたら、どれほどすばらしいか。全部、自分のためです。義務ではなく、自分の権利です。
少しずつでも、毎日することが大事です。毎日、ご飯を食べてエネルギーとなる。勉強も毎日、積み重ねることによって力となる。「毎日の生活が即人生」となる。だから「毎日の生活即向上」でなければならない。その推進力が勤行です。

◇読書は永遠に光り輝く宝物(『希望の大空へ わが愛する王子王女に贈る』から)
私は、小さいころから体が弱かったので、学校を休むこともありました。でも、心のなかは広々としていました。そばに本という友だちがいてくれたからです。
本さえあれば、どこにいても、いつの時代の、どの国へも自由に旅することができます。歴史上の偉人や、物語に出てくる大英雄たちとも話すことができます。その人たちになりきって、何十回も、何百回も、偉大な人生を生きることもできるのです。
みなさんも、読書に挑戦してください。
自分の夢をえがき、実現するために! お父さん、お母さんに親孝行するために!
そして、この世界から不幸と悲惨をなくすために! 
読書は、夢に続く階段です。
読書は、友情のかけ橋です。
読書は、永遠に光りかがやく宝物です。
みなさんの、きょうの読書が、自分のためになり、人のためになり、社会のためになり、世界を変えていくのです。

◇目標は夢をかなえる助走(「春夏秋冬ほがらかに」から)
将来、「こんな自分になりたい」「こんな活やくをしたい」などの夢があるでしょう。夢がかなうかどうか心配かもしれない。
でも思い切って勇気の挑戦を始めてみよう。それが、助走になるからです。
夢がまだはっきりしていなくても、まず、これならできるという目標を決めてみたら、どうだろうか。
「早寝早起きをする」でもいい。「苦手な科目をがんばる」「お母さんのお手伝いをする」などなど、具体的に決めてみることです。
そして決めたら助走の開始です。一日できれば、一日分、成長しています。
挑戦を積み重ねていけば、自分の夢が見つかって、大きくはばたける日が必ずやってきます。

◇わが家の実践 "忍者のように頑張りたい"
横浜市神奈川区 岡田麻友美さん(保育士)
15年前に入会した母から祖母、私、夫、妹とつながってきた、わが家の"信心の輪"。その後、父と一緒に入会した長男は、もうすぐ、小学2年生になります。
明るく元気な長男ですが、苦手なことが多く、入学前は学校生活に不安がありました。
でも、学会の庭で育った長男は、すぐにクラス全員の名前を覚えて、みんなと仲良く過ごしています。新たな発見や学びも増えてきました。
時々、失敗してしまうこともありますが、担任の先生は「学校は失敗しながら学んでいくところ」と、いつも優しく励ましてくださっています。その中で、長男の心も大きく成長しています。
新型コロナウイルスの影響で休校になり、"このまま大好きな友達や先生に会えなくなってしまうのではないか"と心配していた長男に、「一緒にお題目をあげよう」と提案しました。
忍者が好きな長男はうれしそうに「いいね! 修行したい!」と語ってくれました。
地区婦人部長からいただいた、1分で1マスずつ色が塗れる"題目手帳"を使って、親子で楽しく挑戦しています。
"大変な時こそチャンス"と決めて、子どもたちが笑顔でまた学校に戻れるよう、励ましていきます。

2020年3月19日木曜日

2020.03.19 わが友に贈る

育児・介護・看病に
奮闘する友にエールを!
一家の健康を守りゆく
尊き献身に心から感謝!
家庭こそ幸福の拠点だ。

佐渡御書 P960
『高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん』

【通解】
高い山に登る者は必ず下るように、人を軽しめば、かえって人に軽しめられる。

名字の言 人とのつながりは大事。でも、つながりに縛られてしまう時ってない? 2020年3月19日
「皆さんの語りの中に『つながり』という言葉が何回も出てきました」。2月、宮城県気仙沼市で行われた「女性の復興カフェ」の中心者が教えてくれた▼復興カフェでは、阪神・淡路大震災と東日本大震災の被災者が自身の体験や課題、将来などを自由に語り合う。2011年から継続して開かれ、各自を丸ごと受け入れてくれる場として、共感を呼んでいるようだ▼人間は一人では生きていけないから、つながりは大事。「ただ、その『つながり』に縛られているようにも感じたのです」と冒頭の中心者。"このつながりしかない"という思い込みが、潜在的な不安となって人を息苦しくさせているのではないか、と。「でも、心を開いている限り、新しい『つながり』は、どこにでも生まれるのです」▼つながりは、自身の存在を実感できる人間関係である。だから心は軽くなり、生きる力になる。医師で作家の鎌田實さんは月刊誌「潮」4月号で震災9年を振り返り、ハード面の復興が進んだ今日、「人間と人間の関係の復興」が極めて重要と訴える。さらに被災地支援の力として、「地域に根差したネットワーク」を持つ創価学会に期待する▼家庭、地域、職場など、さまざまなつながりがある。一人一人が自分らしく輝く関係を築いていきたい。(側)

寸鉄 2020年3月19日
創価大学で学位記授与式青春の鍛えと学友は不朽の宝。さあ使命の大空へ
福岡・筑紫総県の日。和楽の創価家族は決して負けない!工夫して励ましを
「心は工なる画師の如く」御書。広布の勇者に尽きぬ希望あり。心は自在だ
笑顔も免疫力向上に効果と。今日も快活に前へ!楽観主義は周囲に波及す
18歳未満のSNS犯罪被害最多。被害者8割、閲覧制限なし。保護者が確認

☆☆「3・16」って何? 池田先生の指針とともに——わが家で創価の心を学ぼう!
あす16日は「広宣流布記念の日」。1958年(昭和33年)の3月16日、戸田城聖先生から池田先生を中心とする青年たちに、広布のバトンが託されてから62周年です。池田先生の指針とともに、親子で「3・16」の意義を学び、語り合ってみてはいかがでしょうか。

【池田先生の指針】
(3月16日は)戸田先生のもとに、私たち青年が集まって、先生の後を受けつぎ、世界の平和と民衆の幸福のために戦っていく、決意の式典をおこなった日です。
富士山のすそのに、全国から六千人の青年が、かけつけました。
式典が大成功するように、すべてをまかされたのが、当時、三十歳の私です。
戸田先生は、前の年に重い病気にかかられたこともあって、歩くことも困難な、お体でした。
それにもかかわらず、先生は、まだ寒いなか、朝早く、遠くから集まってくる青年たちのためにと、あたたかい「とん汁」まで用意してくださったのです。
弟子を思う師匠の心に、みなが胸を熱くしました。

式典は、私の司会でスタートしました。
戸田先生は、青年たちに「未来は君たちにまかせる。たのむぞ、広宣流布を!」と、叫ばれました。そして晴れ晴れと、「創価学会は、宗教界の王者である」と、力強く宣言されたのです。
日本一の王者の山である富士山が、すべてを見守ってくれていました。
私たちは、「戸田先生に続いて、富士山のように堂々と、王者の力を持つのだ! 広宣流布を進めて、世界の大指導者とも、広々と友情を結んでいくのだ!」と心から決意しました。
今、その通りの世界的な創価学会になっていることは、みなさんも、よく知っていることでしょう。

「3・16」の式典(三月十六日におこなわれたことから、こう呼ばれています)を通して、私は、戸田先生から、一番大事なものを受けつぎました。
それは、広宣流布という、最も偉大な平和の使命のバトンです。
陸上のリレーでは、先の走者と後の走者が二人いっしょに全力で走りながら、タイミングを合わせてバトンを手渡していきますね。
同じように、弟子は、ただ待っているのではありません。自分から決意して走りだして、師匠からのバトンを受け取っていくのです。
このバトンを、私は今、未来に向かって前進している、希望あふれる少年少女部のみなさんに渡します。
「3・16」は、みなさんと私の晴れやかな「旅立ちの式典」です。
私が、これまで命をかけて開いてきた、世界への「友情の大道」「平和の大道」は、すべて、みなさんのためにあります。
富士のように、堂々と前進しよう!
王者のように、今日も勝利しよう!
そのために、私も毎日、題目をあげて、みなさんにエールを送り続けていきます。
(『希望の大空へ わが愛する王子王女に贈る』)

【わが家の実践】
楽しく"時間割"を作成
東京都小平市 水島友美子さん(保育士)

私は、10歳の娘と一緒に生活しています。主人は今、単身赴任しており、東北の地で頑張っています。
今回、学校が休校になっただけでなく、習い事も休み。お出掛けもなかなかできない。あるのは宿題の山と時間だけになりました。当初は、自宅で勉強ができるのか、運動不足になるのではないか、と心配もありました。
私自身、昨年から、十数年ぶりに保育の現場に復帰し、週に2日、働いています。
娘の学校が休校になってからは、午前中のみの時短勤務を使っています。この時間帯だけは、娘が一人でお留守番をしています。
わが家では、一日一日を価値的に過ごすために、裏紙を使って、楽しく"時間割"を作成し始めました。
几帳面な娘は毎日、英語や皿洗い、読書など挑戦項目を決め、それが達成できた時間帯を「〇時〜〇時 英語」というように記しています。
私が仕事から戻ると、「できたよ!」と元気に報告してくれます。また、「ママは仕事、どうだったの?」と、私の話まで聞いてくれます。そして互いに「頑張ったね!」とたたえ合っています。
親子で過ごす時間が増え、私の考え方も変わりました。
これまでは、娘が学校に行っている間に買い物を済ませ、急いで夕飯の支度をするなど"効率"を重視していました。今は、掃除、洗濯、買い物、料理などを、娘と一緒に楽しみながら取り組んでいます。
いつも以上に時間はかかりますが、娘は張り切ってお手伝いをしてくれます。私にとっても新鮮な毎日です。
わが家の日課は、朝・晩の勤行、30分間の唱題です。
それに加えて、親子で聖教新聞をじっくり読む時間ができました。
娘は「創価家族の種まき絵本」の熱狂的ファンですが、最近は「声」の欄や「ワカモノ+」なども熟読するようになり、同志の皆さんの挑戦に、触発を受けています。
今後も、親子で工夫を凝らしながら、充実した日々を過ごしていきたいと思います。

娘が主役の家族部員会
京都市上京区 岩瀬雅美さん(主婦)

わが家は、会社員の夫、6歳の長女、2歳の次女の4人暮らしです。
先日、ファミリー部員会の開催を提案すると、夫も、長女も「やりたい!」と大賛成してくれました。
司会は、長女にお願いしました。すると、長女は、家族もびっくりするほど、張り切っていました。
"本番"に備え、私が用意した司会原稿を、何度も練習しているのです。
さらに「いわせファミリーぶいんかい」という"大書き"も作ってくれました。
これまで娘たちを連れて、座談会や会合に参加していましたが、今回は、長女なりに"私が主役!"と感じてくれたのだと思います。
当日は、勤行の後、SOKAチャンネルVODで配信中の番組「げんきのスイッチ」の第1話「どうして、せんせいっていうの?」を視聴し、私が紙芝居を披露しました。
続いて、一人一言コーナーでは、まず、地区部長の夫が「パパは毎日、なかなかお会いできない同志の皆さんの健康と無事故を祈っています。家族のために、仕事も一生懸命、頑張るから応援してください」と語りました。
すると、4月から小学生になる長女が、ぴんと正座し、「私も、小学校に行って、お友達をたくさんつくって、お勉強をたくさん頑張ります」と決意を述べました。
次女からは、私が「一緒に頑張ろうね」と語ると、「うん!」と元気な返事がありました。
最後は、学会歌「威風堂々の歌」と少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」を大合唱し、楽しく踊る娘たちに、大拍手を送りました。
今、普段の生活では、なかなか気付けなかった娘たちの成長を実感する日々です。
また、親子で「一緒に」「楽しく」信心を学べる幸せをかみ締めています。
これからも、定期的に「いわせファミリーぶいんかい」を開催しながら、祖父母の代から受け継いできた"信心のバトン"をわが子につないでいきます。

2020年3月18日水曜日

2020.03.18 わが友に贈る

広布誓願の題目は
国を超えて我らを結ぶ。
世界の同志と心一つに
地球の平和と安穏を
強盛に祈り抜こう!

減劫御書 P1467
『大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ』

【通解】
大悪は大善が来るべき瑞相(前兆)である。一閻浮提(全世界)がひどく乱れたならば、法華経に説かれている「閻浮提の内に広く流布せしめる(世界広宣流布)」の文が実現することは、よもや疑いないでしょう。

名字の言 阪神タイガースひと筋の和田豊さん。語り継がれる引退時の言葉 2020年3月18日
プロ野球の選手時代を一貫して阪神タイガースで送った和田豊さん。現役引退セレモニーでのあいさつは、今も語り草である。甲子園球場の整備を請け負う会社と社員に対し、「日本一の球場で常に良いコンディションで試合をさせていただいた」とお礼を述べた。スタンドからは、ひときわ大きな拍手が送られた▼"この人の陰の尽力のおかげで私は頑張れた"という感謝を忘れない。その豊かな人間性は多くの人に慕われたことだろう。引退後は同球団のコーチ、監督も務めた▼本紙配達員の「無冠の友」から心に残る一言を聞いた。「今朝届ける、この新聞が"読者の人生を変えるかもしれない"と思いながら配っ☆青は藍よりも青し
新しき朝(あした)は 青年のものである
朝霜(あさしも) 鮮やかに 青き麦畑にも似て

弥生・三月とはいえ
暁の富士の寒気は厳しい
稲妻の閃光の如き
突然の知らせに
勇み馳せ参じたる
若き地涌の同志(とも)六千

吐く息は白く
いまだ 目醒めぬ
大地を踏みしめる足音が
未明の森に谺(こだま)す

頬(ほお)を紅潮させた乙女がいた
学生服のいとけなき少年もいた
防寒具もなく
しかし凛然と胸張る青年がいた

その瞳は
暗き冷気の中で
夜明けとともに
大いなる"時"を迎えんとする
確かな鼓動に
煌(きらめ)きを増していた
ああ
青年の純一なる生命の発露が
清らかに力強く
新しき燦たる太陽の上昇を告げる

おお 不滅となれり
3.16

それは
恩師のもとに
広宣流布の大図式(モデル)を描いた日——
そして
未来永劫に変わらざる
師弟共戦の誓いの日なり

故に この日に甚深の意義を留(とど)めて
「広宣流布記念の日」と名付く

人類の嵐のような
今世紀の大闘諍去りて
広布脈動の源流は
闇と雨に身を包み
一人決然と立ちたる勇者の
不惜の乱舞に発(はっ)した

昭和二十六年 五月三日
「七十五万世帯の達成なくば
遺骨は品川沖に投げ棄てよ」
との大地に響く宣言に
同志の胸は炎と広がる

以来七星霜
寿命(いのち)を削る激闘また激闘
今戦わずして 戦う時はない
今一日 全力を挙げて戦うことが
幾百千年の価値あることを
示さんとするかのように

ああ 過ぎし日々
蘇生の友の歓喜の波動は
遂に 七十五万の地涌の勇者の
陣列となる

大聖哲立ちて七百年
時の熟せるか
否 時を創り招きたるか
不思議なる哉(かな)
末法広宣の礎は築かれた

昭和三十三年三月一日
外護の赤誠は
待望久しき法華本門大講堂落慶となる
先生の宿願一つここに達成するなり

その時
諸天の計らいか
梵天・帝釈の来下(らいげ)か
一国の宰相来るとの
知らせあり
その日は三月十六日
恩師いわく
この日を一つの広宣流布の模擬的儀式にと——

若き地涌の青年こそ
盛儀の主人公なりと
急の連絡(しらせ)に集まりし友六千
広布の楽雄(がくゆう)の姿も見えた
平和の天使鼓笛の乙女も
勇壮に また華麗に
その行進をば彩った

厳寒の早朝 皆で食した
あたたかき豚汁(とんじる)の美味
師の心は 身にも心にも沁(し)みわたった
身なりは貧しくとも
使命に生きる幸せと誇りに満ちて
師と共に生き
師と共に進む歓びは
会心の笑みとなる

家もいらず 名誉もいらず
財宝(たから)もいらず 功徳さえ
ただひたすらに
師と共に生き 尊き大法に
すべてを捧げ殉じゆくことを願い求める
清冽(せいれつ)にして雄渾なる魂
その生死を超えた誓願の弘法(ぐほう)によってこそ
御金言に説かれしままの
魔性の波浪も
決して止めることのできない
絶対なる勝利の歴史が刻印されたのだ

思えば昭和三十三年の元朝
病魔との熾烈な格闘の渦中に
「あと七年 二百万世帯まで闘いたい」
と漏らされし不撓の師の叫び
その胸中を察し
ただ一人 断腸の思い深く
たとえ大地にこの身を叩きつけても
生涯を賭けて広布達成の松明(たいまつ)を
見事継承しゆくことを誓ったあの日

多くの同志
師の重体を知らず
回復を楽観すれど
我は一人来るべき広布の将来を展望し
夢寐(むび)にも師の指導(おしえ)を忘るまいと
胸奥(きょうおう)の一念を定めしなり
師もまた常に側を離るるなと
渾身の訓練(きたえ)あり

私は忘れない
「もう何もいらない
ただ
信頼できる人材がほしい」
との師の心の叫びを

ああ 三月十六日
宰相見えざるも
その婦人と愛婿(あいせい)来たりて
儀式始まりぬ
恩師は病躯(びょうく)をおして
自ら若き地涌の陣頭に立ち
ここに広布達成への一念(こころ)を定めたり

奇しくも 晴れの式典は
後継の印綬の旗をば
師から弟子へと
託し渡しゆく
厳粛なる儀式となれり

衰弱した身体を押しつつ
敢然と指揮を執らんとされる師父(しふ)
弟子が用意した
一台の車駕あれど
厳として
「大きすぎて戦の役に立たない」
との叱咤あり
されど
「弟子が真心で作りしもの」
とその車駕に乗られたり
深き心と心で
無限の言葉を交わしつつ

——成否を誰かあげつらふ
一死 尽くしし身の誠——

五丈原の孔明の雄姿にも似て
車駕上の恩師の姿は
今も不滅の光芒を放つ

——我らは宗教界の王者なり と
七百年の杉の巨木に
広布不世出の大英雄の
厳たる叫びは谺(こだま)した

それは
かのアレキサンダー大王の
大遠征でさえ色褪せる
末法万年
全世界に轟きわたりゆく
民衆王者の誉れの凱歌なりと
私は 訴え残したい

先生の病は
あまりにも重かった
その腕(かいな)を支える私に
生命(いのち)をふり搾(しぼ)って
毅然と言い遺された一語は
今なお 耳朶(じだ)に鮮やかに蘇る
「これで私の仕事は全部終わった
いつ死んでもよいと思っている
大作 あとは頼むぞ」と

この時 師五十八歳
弟子三十歳
師より寿命を受け継ぎし故か
今 師の代わりに還暦を迎えた
青年の君たちよ
今 師の思い そのままに
後継を頼まむ

ああ 今も深き深き
感謝をもって思い起こすは
終始見守り下さった
第六十五世日淳上人の
大慈悲なり

幾度も激しき戦の指揮を
敢然と執り終えし先生は
今やその身を病床に横たえ
ある時は
「今 何の本を読んでいるか」と
学べ また学べとの
厳愛の叱咤なり
また ある時は
「メキシコへ行った夢を見た」
と温かき慈眼(じがん)
「君よ 世界を頼むよ」と。

我はその師の心を心として
世界広布への飛翔を誓った
大鵬(おおとり)の空をぞ かける姿して との
言葉のままに

そして逝去四日前
厳格に かつ 凛冽(りんれつ)に放たれた
「追撃の手をゆるめるな!」
との師子吼は
門下の怒涛の前進の支柱となった

ああ 忘れ得ぬ 四月二日
万朶(ばんだ)の桜に見送られて
霊山に向かわれた恩師
そして遺された分身の生命は
広布達成へ
毅然たる追撃の生涯を開始せり

時の日記に私は記した
「一人の 戸田門下の青年は進む
一人 凛然と 北風に向って」

あれから三十星霜
一人烈風に身をさらしつつ
一人烈日に身を焦がしつつ
愛する我が同志を守り抜かんと
一切の障魔との対決に
一歩も退(ひ)かぬ一日 また一日

所詮 仏法は勝負なるを
知悉(ちしつ)したが故に
怒り狂う波間にあって
一瞬の停滞も逡巡もなかった
真の丈夫の姿をば
阿修羅の如く示し残さんと

栄光の「3.16」に集った
あの懐かしの兄弟も
また
敢然と また健気(けなげ)にも
三十星霜
不退の長征に
見事なる栄冠の戦譜(せんぷ)を
私と共に歩んだ

三類の嵐は
幾度となく
我らの前途に立ちはだかった

卑劣な怒涛の日もあった
邪知の小才子(こさいし)の裏切りもあった

しかし 私たちは
晴れ晴れとして 完勝した
希望の翼をもって
幾多の風雪を乗り越え
若き乙女たちは今
幸の金風(きんぷう)に包まれた女王として
青年は偉大なる人間の
尊き平和の砦(とりで)の柱として
堂々と 揺ぎなき基盤を築いた
久遠に結んだ不思議なる同志の
異体を同心とする団結の力
御聖訓の理想に殉ぜんとする
峻厳なる絆をば
金剛不壊の中心軸として
万年への広布の基盤は できあがった

限りなく続く青年の意気が
碧(あお)き水平線の彼方
今日も明日も 白雲の如く湧き起こり
再び新世紀の天空を駆ける時
障魔の黒き雲はない
凛々しき仏子の青年の顔(かんばせ)輝き
一陣の薫風に花びらが舞う

青年は無限の財宝
いかなる労苦も
はたまた 勝利も敗北もすべて
すばらしき躍動の飛躍台となる
君よ 君たちよ
新たなる第二の「七つの鐘」を頼む

法理のままの東漸(とうぜん)
日本に仏教伝来し 七百年にして
太陽の如く 大聖哲出ず
それより七百年して不思議なる会生まれる
正法の広宣の波は今ここに西漸(せいぜん)
アジアの そして世界の海辺を洗い始む
今まさに 妙法という
生命史上の大いなる光明は
青き地球を包みゆかんとするか

その広布の大河の流れが
歴史の必然であるか否かを
君よ問うなかれ

汝自身の胸中に
自らの汗と労苦により
広布を必然たらしめんとする
熱情のありや無しやを 常に問え

広布とは——
大聖人の御遺命のままに
尊極(そんごく)なる仏の生命の座を
人類の魂に打ち据えて
爛漫たる生命ルネサンスの華を
この地球の大地に永遠に
開花させゆくことだ

天台云く「従藍而青(じゅうらんにしょう)」
青は藍より出でて藍より青し

君もまた 宇宙の森羅万象を貫く
根本の法をもち
生命の内奥より
無限の光彩を放ちつつ
民衆凱歌の歴史の軌跡を
思う存分描いてくれることを
私はひたすら祈る

いかなる約束なるか
青年世紀の開幕に
陸続と躍り出でたる
使命の勇者あり
ああ
新たなる三十年の
大遠征が 今始まる

君たちが
また あなたたちが
未聞(みもん)の険難の尾根を堂々と踏破し
新たなる世紀の暁鐘を
晴れがましく乱打することを
私は信じている。

時は巡り来り
ここに迎えた広宣流布記念の日
この日こそ我が愛する門下の
新たなる希望の朝(あした)だ

青年よ
あくまでも 日々の研鑽の労苦に
敢然と挑みながら
朗らかにして 逞しき
青春の詩(うた)を
高らかに 高らかに謳(うた)いたまえ

そして生涯崩れぬ黄金のスクラムで
ただひたすらに
人類史の新しき扉を開きゆく
この聖業を完遂してくれたまえ

昭和三十三年三月十六日早朝より儀式のため寒風のなか登山して下さった全出席者の友に心より感謝し ご多幸とご長寿を祈りつつ
合掌
桂冠詩人
一九八八年三月九日ています」。言葉には人の心を動かす力がある。その"言葉"を届ける使命感にあふれる姿勢に胸を打たれた▼新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、学会活動にあっても平時とは異なる態勢の日々が続く。だが私たち一人一人の「信心の成長」に停滞はない。ゆえに本紙は、どこまでも読者の希望の光源であり続けたい▼本紙の配達員制度は、本年で65周年を迎える。「無冠の友」の長きにわたる奮闘のおかげで、今日までの学会の発展は支えられてきたと言っても過言ではない。改めて感謝し、健康と無事故を祈る。(代)

寸鉄 2020年3月18日
ブラジル創価学園で高校1期が卒業式。人類貢献の英才は世界から陸続と
福井婦人部の日、35周年。師弟共戦の誉れの歩み。嵐に揺るがぬ信仰今こそ
東京・杉並の日。勇気とは未来を信じ続けること!互いに励まし合って前進
医師に相談できるネット窓口設置—経産省。賢く活用。感染のリスク防げ
"坊主が拝まねば成仏せぬ"は御書になき邪義。広布の友の唱題こそ追善に

☆四季の励まし 祈りから希望が生まれる 2020年3月15日
【写真の説明】春の陽光に照らされ、黄色い菜の花が一段と輝いていた。今月3日、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
菜の花の花言葉に「快活」「明るさ」と。冬を越えて生き生きと咲き薫る姿は、不屈の祈りを根本に、悩みを飛躍のバネにして生きる、創価の友の雄姿と重なる。
インド独立の父マハトマ・ガンジーは言った。「祈る人間には退却というものはない」(保坂俊司ほか訳『私にとっての宗教』新評論)
あすは、3・16「広宣流布記念の日」。広布誓願の祈りをさらに深めつつ、心豊かに向上と充実の日々を歩んでいこう。

◇池田先生の言葉
祈りは、
人間の人間たる
崇高な証しである。

無宗教だという人も、
何か祈っている。
「苦境を脱したい」
「よりよく生きたい」
「家族を守りたい」などと
強く欲するのは、
人間として
本然的な心である。

思いやりも、
友情も、
祈りから始まる。
祈りこそ、
人間と人間を
結びゆく力である。

我らの祈りは、
「人間革命の祈り」だ。
人や周囲が
変わってくれるのを
待つのではない。
強盛な一念で
自分自身が変わり、
その波動を広げるのだ。
我らの祈りは、
「自他共の幸福の祈り」だ。
あの友も、この友も、
共々に
仏の生命を開きながら、
絶対に幸福を
つかんでいくための
原動力なのだ。
我らの祈りは、
「誓願の祈り」である。
広宣流布の大願へ、
拡大と勝利を誓い、
自ら行動を起こし、
実現していくのだ。

希望を自ら生み出す
原動力こそ、
「南無妙法蓮華経」の
唱題行である。
題目の力は無限だからだ。
題目を唱えた瞬間から、
自身の一念を変革し、
希望の明日を
創り開いていけるのだ。

日々、自分のなすべき
具体的な目標を
明確に定めて、
一つ一つの成就を祈り、
挑戦していくことだ。
その真剣な一念から、
智慧が湧き、
創意工夫が生まれ、
そこに成功がある。
つまり、「決意」と「祈り」、
そして、「努力」と「工夫」が
揃ってこそ、
人生の勝利がある。


☆青は藍よりも青し
新しき朝(あした)は 青年のものである
朝霜(あさしも) 鮮やかに 青き麦畑にも似て

弥生・三月とはいえ
暁の富士の寒気は厳しい
稲妻の閃光の如き
突然の知らせに
勇み馳せ参じたる
若き地涌の同志(とも)六千

吐く息は白く
いまだ 目醒めぬ
大地を踏みしめる足音が
未明の森に谺(こだま)す

頬(ほお)を紅潮させた乙女がいた
学生服のいとけなき少年もいた
防寒具もなく
しかし凛然と胸張る青年がいた

その瞳は
暗き冷気の中で
夜明けとともに
大いなる"時"を迎えんとする
確かな鼓動に
煌(きらめ)きを増していた
ああ
青年の純一なる生命の発露が
清らかに力強く
新しき燦たる太陽の上昇を告げる

おお 不滅となれり
3.16

それは
恩師のもとに
広宣流布の大図式(モデル)を描いた日——
そして
未来永劫に変わらざる
師弟共戦の誓いの日なり

故に この日に甚深の意義を留(とど)めて
「広宣流布記念の日」と名付く

人類の嵐のような
今世紀の大闘諍去りて
広布脈動の源流は
闇と雨に身を包み
一人決然と立ちたる勇者の
不惜の乱舞に発(はっ)した

昭和二十六年 五月三日
「七十五万世帯の達成なくば
遺骨は品川沖に投げ棄てよ」
との大地に響く宣言に
同志の胸は炎と広がる

以来七星霜
寿命(いのち)を削る激闘また激闘
今戦わずして 戦う時はない
今一日 全力を挙げて戦うことが
幾百千年の価値あることを
示さんとするかのように

ああ 過ぎし日々
蘇生の友の歓喜の波動は
遂に 七十五万の地涌の勇者の
陣列となる

大聖哲立ちて七百年
時の熟せるか
否 時を創り招きたるか
不思議なる哉(かな)
末法広宣の礎は築かれた

昭和三十三年三月一日
外護の赤誠は
待望久しき法華本門大講堂落慶となる
先生の宿願一つここに達成するなり

その時
諸天の計らいか
梵天・帝釈の来下(らいげ)か
一国の宰相来るとの
知らせあり
その日は三月十六日
恩師いわく
この日を一つの広宣流布の模擬的儀式にと——

若き地涌の青年こそ
盛儀の主人公なりと
急の連絡(しらせ)に集まりし友六千
広布の楽雄(がくゆう)の姿も見えた
平和の天使鼓笛の乙女も
勇壮に また華麗に
その行進をば彩った

厳寒の早朝 皆で食した
あたたかき豚汁(とんじる)の美味
師の心は 身にも心にも沁(し)みわたった
身なりは貧しくとも
使命に生きる幸せと誇りに満ちて
師と共に生き
師と共に進む歓びは
会心の笑みとなる

家もいらず 名誉もいらず
財宝(たから)もいらず 功徳さえ
ただひたすらに
師と共に生き 尊き大法に
すべてを捧げ殉じゆくことを願い求める
清冽(せいれつ)にして雄渾なる魂
その生死を超えた誓願の弘法(ぐほう)によってこそ
御金言に説かれしままの
魔性の波浪も
決して止めることのできない
絶対なる勝利の歴史が刻印されたのだ

思えば昭和三十三年の元朝
病魔との熾烈な格闘の渦中に
「あと七年 二百万世帯まで闘いたい」
と漏らされし不撓の師の叫び
その胸中を察し
ただ一人 断腸の思い深く
たとえ大地にこの身を叩きつけても
生涯を賭けて広布達成の松明(たいまつ)を
見事継承しゆくことを誓ったあの日

多くの同志
師の重体を知らず
回復を楽観すれど
我は一人来るべき広布の将来を展望し
夢寐(むび)にも師の指導(おしえ)を忘るまいと
胸奥(きょうおう)の一念を定めしなり
師もまた常に側を離るるなと
渾身の訓練(きたえ)あり

私は忘れない
「もう何もいらない
ただ
信頼できる人材がほしい」
との師の心の叫びを

ああ 三月十六日
宰相見えざるも
その婦人と愛婿(あいせい)来たりて
儀式始まりぬ
恩師は病躯(びょうく)をおして
自ら若き地涌の陣頭に立ち
ここに広布達成への一念(こころ)を定めたり

奇しくも 晴れの式典は
後継の印綬の旗をば
師から弟子へと
託し渡しゆく
厳粛なる儀式となれり

衰弱した身体を押しつつ
敢然と指揮を執らんとされる師父(しふ)
弟子が用意した
一台の車駕あれど
厳として
「大きすぎて戦の役に立たない」
との叱咤あり
されど
「弟子が真心で作りしもの」
とその車駕に乗られたり
深き心と心で
無限の言葉を交わしつつ

——成否を誰かあげつらふ
一死 尽くしし身の誠——

五丈原の孔明の雄姿にも似て
車駕上の恩師の姿は
今も不滅の光芒を放つ

——我らは宗教界の王者なり と
七百年の杉の巨木に
広布不世出の大英雄の
厳たる叫びは谺(こだま)した

それは
かのアレキサンダー大王の
大遠征でさえ色褪せる
末法万年
全世界に轟きわたりゆく
民衆王者の誉れの凱歌なりと
私は 訴え残したい

先生の病は
あまりにも重かった
その腕(かいな)を支える私に
生命(いのち)をふり搾(しぼ)って
毅然と言い遺された一語は
今なお 耳朶(じだ)に鮮やかに蘇る
「これで私の仕事は全部終わった
いつ死んでもよいと思っている
大作 あとは頼むぞ」と

この時 師五十八歳
弟子三十歳
師より寿命を受け継ぎし故か
今 師の代わりに還暦を迎えた
青年の君たちよ
今 師の思い そのままに
後継を頼まむ

ああ 今も深き深き
感謝をもって思い起こすは
終始見守り下さった
第六十五世日淳上人の
大慈悲なり

幾度も激しき戦の指揮を
敢然と執り終えし先生は
今やその身を病床に横たえ
ある時は
「今 何の本を読んでいるか」と
学べ また学べとの
厳愛の叱咤なり
また ある時は
「メキシコへ行った夢を見た」
と温かき慈眼(じがん)
「君よ 世界を頼むよ」と。

我はその師の心を心として
世界広布への飛翔を誓った
大鵬(おおとり)の空をぞ かける姿して との
言葉のままに

そして逝去四日前
厳格に かつ 凛冽(りんれつ)に放たれた
「追撃の手をゆるめるな!」
との師子吼は
門下の怒涛の前進の支柱となった

ああ 忘れ得ぬ 四月二日
万朶(ばんだ)の桜に見送られて
霊山に向かわれた恩師
そして遺された分身の生命は
広布達成へ
毅然たる追撃の生涯を開始せり

時の日記に私は記した
「一人の 戸田門下の青年は進む
一人 凛然と 北風に向って」

あれから三十星霜
一人烈風に身をさらしつつ
一人烈日に身を焦がしつつ
愛する我が同志を守り抜かんと
一切の障魔との対決に
一歩も退(ひ)かぬ一日 また一日

所詮 仏法は勝負なるを
知悉(ちしつ)したが故に
怒り狂う波間にあって
一瞬の停滞も逡巡もなかった
真の丈夫の姿をば
阿修羅の如く示し残さんと

栄光の「3.16」に集った
あの懐かしの兄弟も
また
敢然と また健気(けなげ)にも
三十星霜
不退の長征に
見事なる栄冠の戦譜(せんぷ)を
私と共に歩んだ

三類の嵐は
幾度となく
我らの前途に立ちはだかった

卑劣な怒涛の日もあった
邪知の小才子(こさいし)の裏切りもあった

しかし 私たちは
晴れ晴れとして 完勝した
希望の翼をもって
幾多の風雪を乗り越え
若き乙女たちは今
幸の金風(きんぷう)に包まれた女王として
青年は偉大なる人間の
尊き平和の砦(とりで)の柱として
堂々と 揺ぎなき基盤を築いた
久遠に結んだ不思議なる同志の
異体を同心とする団結の力
御聖訓の理想に殉ぜんとする
峻厳なる絆をば
金剛不壊の中心軸として
万年への広布の基盤は できあがった

限りなく続く青年の意気が
碧(あお)き水平線の彼方
今日も明日も 白雲の如く湧き起こり
再び新世紀の天空を駆ける時
障魔の黒き雲はない
凛々しき仏子の青年の顔(かんばせ)輝き
一陣の薫風に花びらが舞う

青年は無限の財宝
いかなる労苦も
はたまた 勝利も敗北もすべて
すばらしき躍動の飛躍台となる
君よ 君たちよ
新たなる第二の「七つの鐘」を頼む

法理のままの東漸(とうぜん)
日本に仏教伝来し 七百年にして
太陽の如く 大聖哲出ず
それより七百年して不思議なる会生まれる
正法の広宣の波は今ここに西漸(せいぜん)
アジアの そして世界の海辺を洗い始む
今まさに 妙法という
生命史上の大いなる光明は
青き地球を包みゆかんとするか

その広布の大河の流れが
歴史の必然であるか否かを
君よ問うなかれ

汝自身の胸中に
自らの汗と労苦により
広布を必然たらしめんとする
熱情のありや無しやを 常に問え

広布とは——
大聖人の御遺命のままに
尊極(そんごく)なる仏の生命の座を
人類の魂に打ち据えて
爛漫たる生命ルネサンスの華を
この地球の大地に永遠に
開花させゆくことだ

天台云く「従藍而青(じゅうらんにしょう)」
青は藍より出でて藍より青し

君もまた 宇宙の森羅万象を貫く
根本の法をもち
生命の内奥より
無限の光彩を放ちつつ
民衆凱歌の歴史の軌跡を
思う存分描いてくれることを
私はひたすら祈る

いかなる約束なるか
青年世紀の開幕に
陸続と躍り出でたる
使命の勇者あり
ああ
新たなる三十年の
大遠征が 今始まる

君たちが
また あなたたちが
未聞(みもん)の険難の尾根を堂々と踏破し
新たなる世紀の暁鐘を
晴れがましく乱打することを
私は信じている。

時は巡り来り
ここに迎えた広宣流布記念の日
この日こそ我が愛する門下の
新たなる希望の朝(あした)だ

青年よ
あくまでも 日々の研鑽の労苦に
敢然と挑みながら
朗らかにして 逞しき
青春の詩(うた)を
高らかに 高らかに謳(うた)いたまえ

そして生涯崩れぬ黄金のスクラムで
ただひたすらに
人類史の新しき扉を開きゆく
この聖業を完遂してくれたまえ

昭和三十三年三月十六日早朝より儀式のため寒風のなか登山して下さった全出席者の友に心より感謝し ご多幸とご長寿を祈りつつ
合掌
桂冠詩人
一九八八年三月九日

2020年3月17日火曜日

2020.03.17 わが友に贈る

「はたらかさず・
つくろわず・もとの儘」
形式や格好ではない。
素直な信心に
無上の幸福が築かれる!

撰時抄 P289
『現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか』

【通解】
(仏法においては)事実、勝れていることを勝れているということは、慢に似ているようだが、じつは大功徳となるのである。

名字の言 藤井聡太七段の師匠も昨年50歳で昇級。その心意気とは? 2020年3月17日
将棋界では「C級に落ちたら、B級には戻れない」といわれる。昨年、勢いのある若手が多い激戦区のC級1組から、50歳の杉本昌隆八段がB級2組に昇級。史上4位の"年長記録"となった▼「強くなりたい。あきらめない。その気持ちに年齢は関係ありません」と杉本八段。弟子の藤井聡太七段の活躍に"自分も"と奮起し研究を重ねたという。氏は「成長や学びは若い人だけの特権ではない」とも▼一局の勝敗が昇級を左右する厳しい世界だが、その結果以上に杉本八段は"自分の現状をどう捉えるか"を重視する。すなわち、どんな苦境も「自分が不幸と思わなければ『負け』ではない」。「些細なことを楽しいと感じる気持ちがあれば、その人は『勝ち』を手に入れています。ならば、極論すれば『人生には勝ちしかない』」(『悔しがる力』PHP研究所)▼受験シーズンも最終盤。不本意な結果から進路に迷う人がいるかもしれない。だが重ねた努力は消えないし、培った心の強さは人生の宝と輝く。"自分自身"を諦めない限り、道は必ず開ける▼池田先生は未来部の友に呼び掛けた。「だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる」。この信念で"勝利の春"を進む友に真心のエールを送りたい。(誼)

寸鉄 2020年3月17日
逆境でも勝てる事を証明した会長の行動は手本—総長。師に学び、師に続け
学会の動画チャンネルが好評。共有すれば信心の触発はいつでもどこでも
SNSで連携し同盟唱題等、各地で工夫光る取り組み。智慧出し、団結固く
仕事ついていけるか不安—就職内定者67%。人生の岐路に周囲の励ましを
多重債務者が増加。携帯使った借り入れや買い物が一因と。安易に考えず

☆随筆「人間革命」光あれ 冬は必ず春となる 2020年3月11日
◇大震災から9年 風雪越えて我らは堂々と
♪風雪越えし 我等こそ
地涌の正義の 旗頭
今堂々の 陣列は
使命の旗を 高らかに
 …… ……
ああ東北の
    凱歌の人々よ

今朝も妻がかけてくれた東北の歌「青葉の誓い」を聴きながら、愛してやまぬ、みちのくの天地に思いを馳せた。
「東日本大震災」から九年——。
東北をはじめ被災地の宝友たちは、どれほどの苦難と辛労の風雪を越えてこられたことか。
未曽有の大災害から歯を食いしばって立ち上がり、友に手を差し伸べ、愛する郷土の蘇生のために尽くし抜かれてきた「地涌の正義の旗頭」の一人ひとりに、私は最敬礼し合掌する思いである。
それは一日また一日、何ものにも壊されない「心の財」を積み上げてきた"三千三百日"なりと、必ずや御本仏が照覧してくださっているであろう。
あらためて、全ての犠牲者の方々に、また震災後に逝去された方々に、心から追善回向の題目を捧げたい。
亡くなられたご家族、同志、友人方も皆、生死を超えて、厳然と妙法の無量無辺の福光に包まれていることを、私は確信してやまない。

◇「元初の太陽と」
「青葉の誓い」には、「これぞ元初の 太陽と」と歌われている。
私は、東北の友のありのままの人間味が大好きだ。そこには「元初の太陽」の輝きがある。太陽だから、気取りや体裁など必要ない。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(御書七五九ページ)の生命で、明るく温かな思いやりの光を、皆に送っていくのだ。
殉教の師・牧口先生は戦時中の弾圧下、福島県の郡山、二本松に足を運ばれた。一人の青年の父母への対話などのためであった。この先師が大切にされていた御聖訓がある。後に特高警察に押収された「御義口伝」にも線が引かれていた。
「煩悩の淤泥の中に真如の仏あり我等衆生の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華の仏と云うなり」(同七四〇ページ)
苦悩が渦巻く社会に飛び込み、泥まみれになって、人びとのために戦い続けていく人こそ「当体蓮華の仏」なのである。
わが東北の同志たちは底知れぬ逆境の闇夜にも断じて屈しなかった。
時に悲嘆の涙を流し、時に運命の非情さに憤怒しながら、題目を唱え抜き、「負げでたまっか」と励まし合って、広宣流布に邁進してきたのだ。
ここにこそ、日蓮大聖人に直結する真実の仏の誉れの実像があると、創立の父も讃えておられるにちがいない。
大震災を乗り越えてきた創価の少年少女と青年たちが、たくましく成長している。頼もしいその英姿こそ、何よりの希望である。苦悩を突き抜けて、朗らかに大輪を咲かせる「蓮華」の生命そのものではないか。

◇尊き無冠の走者
太陽がまだ昇りきらぬ寒い朝も、"無冠の友"は一軒また一軒、聖教新聞を届けてくれている。感謝は尽きない。どうか、今日もお元気で! 日々絶対に無事故で!と申し上げたい。
今、読者の心へ、希望の声、勇気の言葉を送る言論城・聖教の使命は、極めて大きい。
被災地である宮城県東松島市の母も、幸福勝利のバトンをつなぐ走者として配達されている。大震災の津波で母上と次男を亡くされた悲しみを胸の奥に畳み、できることは何でも喜んでと、励ましに生き抜く母である。
私がかつて共に対談集を発刊したアメリカ・エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士も、はるばるこの尊き母たちを訪ねられ、その「強い心」に感銘し、出会いを宝とされた。博士から送られたメッセージでも、「互いにどんな時も全力で献身を」と固く約し合われたのだ。

◇希望の歌声届け
岩手県の三陸の友からも嬉しい便りが届いた。
先月の初め、音楽隊・しなの合唱団による「希望の絆」コンサートが、岩手県三陸沿岸の六市町村——大槌町、山田町、宮古市、田野畑村、普代村、洋野町で行われたのである。
歌声に乗せて、勇気の春風を届ける若き楽雄たちを、地域を挙げて歓迎してくださり、多くのご友人も来て喜ばれたと伺った。
「学会の皆さんの気持ちに触れて、元気が出ました」「被災地の生活は大変ですが、長生きしたいと思いました」等々、反響が寄せられている。
わが同志が、いかに粘り強く地域に貢献し、友情と信頼の花を咲かせてきたことか。一歩また一歩と前進し、あの友この友のために、誠実に心を砕いていることか——。この人間性の輝きこそが福光の希望となり、復興の底力となるのだ。

◇常磐線駅の邂逅
間もなく、JRの常磐線が九年ぶりに「全線運転再開」となる。
常磐線といえば、福島・浜通りの同志との出会いが懐かしく蘇る。それは、私が会長に就任した年(一九六〇年)の十一月のことである。
盛岡からの帰路、湯本駅(現いわき市)に地元の友らが駆けつけてくれたのだ。たまたま発車が遅れたので、十五分ほど駅のベンチで懇談できた。
駅で励ました乙女が今も広布の母として活躍するなど、いわきの友の勝利の近況が嬉しい。
東北家族が不二の心で織り成してきた、無数の「人間革命」の凱歌に私は胸を熱くする。
長く厳しい復興への奮闘の中で、体調を崩した宝友もおられるが、全ての利他の振る舞いが尊い「身の供養」である。「転重軽受」「変毒為薬」の大功力は厳然だ。「常楽我浄」の軌道を、永遠に進みゆかれることは断じて間違いない、と確信する。

◇最後は必ず勝つ
東北の友と異体同心のスクラムで吹雪に胸を張って前進してきたのが、北海道の友である。
この三月十一日は、北海天地で、創価の正義を満天下に示した歴史的な「小樽問答」から満六十五年でもある。
あの「3・16」広布後継の大儀式を間近にしていた時、小樽支部の初代支部長として戦った友を、戸田先生が激励されたことがある。
「いやなこと、辛いこと、悲しいこともあるにちがいない。むしろ、人生は、その連続だろう」
「だが、信心を全うし抜いていけば、最後は必ず勝つ。いろいろなことがあっても、幸福と言い切れる境涯になるよ」
三代城・北海道と青葉の人材城・東北への恩師の思いは、あまりにも深かった。私も師と同じ心で、北国の友と生き抜いてきた。

◇爛漫と咲け! 負けじ魂の「福光桜」
碧(あお)い湖畔に、待ちかねたように桜が咲いた。春へ、春へと、自然は確かな足取りで進む(1983年4月、池田先生撮影、宮城県の釜房湖で)

◇耐えてこそ開花
北国の冬は長く、厳しい。だが、寒風の下でも、木々は力を蓄え、芽吹きの時を待つ。
大震災の年の九月、私は小説『新・人間革命』の「福光」の章を綴った。
昭和五十二年(一九七七年)の三月十一日に福島を訪れ、三日間にわたって東北の友を励ました歴史である。この折、私は「創価之山桜」など"桜"の揮毫を東北の友に贈った。
いかなる試練や苦難の冬が続こうとも、我らは胸張り耐え抜いて、断固として咲き誇るのだ! 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)という希望の大哲理を社会へ、世界へ、未来へ示していくのだ!——との願いを込めたのである。
まさしく、不撓不屈の負けじ魂で、「冬は必ず春」を実証してきた同志こそ創価山の"福光桜"にほかならない。
大聖人は、こうも仰せである。
「冬と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同一〇九一ページ)
我らは、変化を恐れまい。一人も残らず、勇敢な賢者として価値を創造していくのである。

◇新たな黄金時代へ 先駆者の使命は深し
現在、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、国内外で医療関係者はもとより社会全体で力を尽くしている。昼夜を分かたぬ多くの方々の労苦に深謝するとともに、一日も早い終息、安穏な日常の回復を、強く深く祈り願ってやまない。
かのトインビー博士は呼び掛けられた。
——「危機の時代」を生きる人間は、事態をよい方向へと打開し、今を「偉業の行われた時代」に転じ、「黄金の時代の先駆者」となるのだ、と。
若き地涌の勇者たちが世界の友と手を携えて、強く賢く朗らかに「黄金の時代」を開いていくことを、私は信じている。

◇「自然に仏界に」
東北・北海道をはじめ全同志と繰り返し拝してきた「開目抄」の御金言を、今再び、心肝に染めたい。
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(御書二三四ページ)
創価の師弟は、諸難の連続の中にあって、この仰せを「まことの時」に断じて忘れず貫き通してきた。だからこそ、一人ひとりが「自然に仏界」を勝ち開いてきたのだ。
そして、これからも、諸難を一つまた一つ、勝ち越えながら、いやまして「仏界」という最極の生命の大連帯を、地球社会へ広げていこうではないか!

2020年3月16日月曜日

2020.03.16 わが友に贈る

新聞休刊日

御義口伝巻上 P725
『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり』

【通解】
一念三千も信の一字から起きる。三世の諸仏の成道も、信の一字によるのである。この信の字は元品の無明を切る利剣である。

〈社説〉2020・3・15 あす「広宣流布記念の日」
常に「今」が広布の本番の時
令和に入って初めての、3・16「広宣流布記念の日」を迎える。
62年前のこの日、戸田先生は、生涯の願業であった75万世帯の弘教を成し遂げ、式典に集結した6000人の創価の若人に師子吼した。
「創価学会は、宗教界の王者である」——以来、この日は広宣流布の師匠に対し、弟子が大願の実現を誓う「師弟誓願の日」となっている。
当時、戸田先生は、「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」と語った。青年部の室長だった池田先生は一人、決然と立ち上がり、師への誓いを胸に、今日まで命を懸けた大闘争を貫いた。
戸田先生の言われた通り、創価学会は民衆を救う「宗教界の王者」として、世界へ飛躍したのである。
池田先生は「3・16」に懸ける思いを随筆につづっている。
「『3・16』は、弟子が決然と立つ節だ。/常に出発だ。常に挑戦だ。/常に団結だ。常に前進だ。/常に破折だ。永遠に勝利だ。/汝自身が、師と共に『広宣流布の大願』を起こすことである。/『師子奮迅の力』でいよいよ勇み立ってこそ、真の『広宣流布記念の日』となる」
当時、戸田先生の言う「模擬試験」「予行演習」の"本番"はいつ来るのだろうかと思った人もいたかもしれない。
だが、"本番"とは、漫然と迎えるべきものではない。常に「今」が、まさに広布の"本番"の時——そう決めて戦うことこそ、不二の弟子の姿勢であり、「3・16」の精神だといえよう。
師への誓いに燃える弟子たちが、新たな決意で前進を開始する「きょうこの日」こそ「3・16」なのだ。
世界の青年たちも、この思いで、一人一人が日々、友を励まし、学会理解を広げる対話に挑み、自他の成長を期して現実社会で奮闘している。
欧州青年部は今、"一日一日、池田先生との原点を築こう"との思いで、小説『新・人間革命』の研さん運動に取り組んでいる。
ポルトガルのある男子部員は、8年前に御本尊を受持。再就職を勝ち取った。
日々、『新・人間革命』で師匠の行動を学び実践。あらゆる苦境を打開してきた。「師匠と共に歩めば、必ず道は開かれる」と彼は確信する。
"今こそ広布の本番!"と決意するからこそ『新・人間革命』の研さんも、師から直接、指導を受ける思いでの研さんとなる。
そうした中で、"広宣流布の誓願"を深めた青年たちが、新たな世界広布の流れをつくっているのだ。
後継の真の弟子とは、いかなる状況にあろうとも、今この時に、師の心をわが心として戦う人であり、今いる場所で希望の突破口を開く人だ。
我らは、「毎日が3・16」の決意で出発しよう。

☆勇気の旗高く 池田先生が香川の友に贈る指針 微動だにしない信心
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は香川県を掲載する。

◇世界への航海
<四方を海に囲まれた四国は、「四方に開かれた四国」ともいえる。香川は古来、その海上交通の要衝となった。
江戸時代末期、日本人の操縦で初めて太平洋を横断した「咸臨丸」には、多くの香川出身の人々が乗船していた。池田先生は、香川で行われた「四国栄光総会」(1993年)で、その歴史的な航海を可能にした原動力について語った>
この「咸臨丸」で、実質的に航海を支えた船乗り五十人のうち、じつに三十五人までが、ここ香川の塩飽諸島の出身者であった。
長い伝統を誇り、経験、訓練、努力で鍛えられた塩飽の人々の秀でた航海術。そして、荒波をものともしない勇気。困難に対しては団結して当たる誠実な人柄——。
それらの力が、歴史に輝く大航海を見事、成功させたと語り継がれている。
事実のうえで、歴史を前進させるのはだれか——。
それは民衆である。名もなき庶民である。
有名人でもなければ、権力欲の政治家でもない。地位もなく、巨富もなく、名声もなくとも、日々を真剣に生きる民衆の力である。
民衆ほど偉大なものはない。民衆ほど強く、永遠のものはない。
この「民衆が中心となる時代」——。それこそが「広宣流布の時」であり、真の「人間主義の時代」である。
その時代を開くために、私は戦っている。民衆の一人として、民衆の友として、奔走している。
世界に「民衆の友情の大道」を開こうとしている。

◇根本は「祈り」
<1993年(平成5年)12月、高松市の四国池田文化会館で行われた四国最高会議で、先生は、リーダーの姿勢について語った>
大聖人は、在家の婦人(富木常忍の夫人)が病気と聞いて、こう励まされた。
「尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」(御書978ページ)
——尼御前のご病気のことは、わが身一身の上のことと思っておりますので、昼も夜も(夫人の健康を)諸天に祈っております——。
「一人の人を大切にする」と言っても、根本は、その人のことを祈っていくことである。祈りもなく、真心もなくして、口先だけの指導などで、人を救えるはずがない。誠実しかない。策ではない。
根底に相手を思う一念があり、祈りがあれば、最後は全部、いちばん良い方向へいく。
大聖人は、一婦人の病気を、"私自身の一身のことである"と言われて、祈ってくださった。大聖人は、本当の仏様であられた。
この大慈悲を拝して、万分の一でも、友のため、悩める人のために祈り、行動していく。その人が真の大聖人門下である。学会のリーダーである。
学会の組織にはむだはない。苦労すべき責任が大きくなればなるほど、大きな功徳を受ける。戸田先生は「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。かんたんなことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と言われた。
大事なのは「信心」である。自分だけでなく、何十人、何百人、何千人もの人を幸福にするのだ、功徳を受けさせるのだ、人材に育てるのだという一念で、題目を唱え、行動することである。

◇「共戦」の一念で
<第1次宗門事件の渦中の79年(昭和54年)4月、先生は会長を辞任した。翌年1月、四国の友は「さんふらわあ7」号に乗り、香川を出港。神奈川で師との出会いを果たす。そして81年(同56年)11月、先生は香川の地を訪れ、「もう一度、指揮を執らせていただきます!」と師子吼した。その時の模様が随筆につづられている>
懐かしき研修道場には、愛する同志が多数、生き生きと集まってこられた。
「宗門や反逆者への反撃は、私がいたします! これ以上、皆様にご心配、ご苦労をかけたくない。私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
私の呼びかけに、嵐のごとく轟いた共戦の大拍手は、香川の大空に響き渡っていった。皆の心に、魔性との戦い、激しき攻防の戦い、すなわち広宣流布への炎が、赤々と燃え上がっていった。
この日を、誰人も忘れることはできない。
「共戦」の二字が金文字で刻まれた、四国・香川の広布の大絵巻は、今も燦然と輝いている。
「共戦」とは、師弟一体の広宣流布への真剣な祈りであり、行動である。最も大切な、戦いの呼吸も、「師弟不二」も、ここから深まる。
「共戦」とは、自分の一念を広布の主戦場に定めることだ。そこに自己の殻を破り、大我の人生を開く道もある。
そして「共戦」とは、広布の全責任を勇んで担わんとする精神だ。誰かがやるだろう、自分は関係ないという官僚主義と、徹して戦うことだ。
「共戦」の心があれば、広宣の大河は無限に広がる。

◇信心は揺るがず
<先生が"共戦"を呼びかけた4日後の11月14日、学会歌「紅の歌」が生まれた。四国の青年と共に、先生が歌詞を書き上げた"師弟一体の歌"である。当時の思いが、2009年6月に本紙に掲載された「御書と師弟」に記されている>
正義の反転攻勢の息吹の中で誕生した学会歌が「紅の歌」です。
真剣な輝く瞳の四国の青年たちと一緒に、私は二十数回の推敲を重ねて完成させました。この歌で、最初から最後まで一貫して残った言葉が「魁光りぬ」の「さきがけ」でした。
どんなに「邪悪の徒」が立ちはだかろうとも、我ら青年が、師と共に断じて「さきがけ」の戦を起こしゆくのだ。
この一節に託された青年の心意気が、私は嬉しかった。
三代の師弟は「さきがけ」の勇気で勝ちました。そして、これからも、「二陣三陣」の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。師弟不二なる創価の師子吼の前には、いかなる誹謗・中傷も、「風の前の塵」にすぎません。
大聖人の御在世と同じく、今、時代は乱気流の中に入っている。しかし、いかに社会が動揺していても、いな社会が動揺しているからこそ、自分の信心だけは微動だにしてはならない。
"広布のため""学会のため"という心の操縦桿を握りしめていけば、必ず打開できる、勝利できる。こう確信して、師子奮迅の力を出し切っていくことです。
かつて先生は語った。香川は「四国の"異体同心の要"であり、正義の進軍の"電源地"である」と。師との絆も強く、香川の友は、きょうも共戦の歴史をつづる。

2020年3月15日日曜日

2020.03.15 わが友に贈る

◇今週のことば
「願くは我が弟子等・
大願ををこせ」
広布誓願の題目で
足下から希望の泉を!
毎日が「3・16」なれば。
2020年3月15日

三三蔵祈雨事 P1468
『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず』

【通解】
日蓮が仏法を判断するのに、道理が正しく証文がきちんとそろっているもに過ぎるものはありません。
さらに、道理、証文よりも現証に勝るものはないのです。

名字の言 交通事故で手足の自由を失った青年の蘇生のドラマ 2020年3月15日
星野富弘氏の詩「むぎのほ」にこうある。「ゼロはいくつ足しても/ゼロだけれど/〇・一でも残っていれば/いつか一になり/百にだってなれる」(『四季抄 風の旅』所収、学研プラス)。小さな挑戦でいい。続けさえすれば大きな幸福をつかめる。作者の温かい詩心が伝わってくる▼「ぼくの青春は事故で壊され、学会で蘇った」と語る青年がいる。18歳の時、交通事故で手足の自由を失った。食事から排せつまで、人の手を借りなければ生きていけない▼絶望して何度、生きることを諦めかけたか。そんな彼を地域の同志が懸命に励ました。「孤独になんかさせない」「不幸には絶対にさせないからね」。熱い真心が彼の生きる力を蘇らせた▼そして"自分も人を元気づけたい"とリハビリに励み、車いすで活動できるように。パソコンの音声入力で文章もつづれるようになった。「ぼくは大河のようには動けません。でも"一滴の水"の努力は続けられる」「『雨垂れ石を穿つ』の心で人生を勝ってみせます」。その笑顔、その言葉、その心に触れ、多くの友が奮起している▼「できない」ではなく、「できる」ことを見つけ、挑戦する。一歩ずつ可能性を開き続ける。その生き方に、真の幸福がある。真の自由もある。青年の姿を見て、そう実感した。(誠)

寸鉄 2020年3月15日
各地で『新・人間革命』の読了運動が活発。今こそ師弟の魂をわが心肝に!
あす静岡青年部「後継の日」。君らの成長が正義の証明。鍛えの道を堂々と
桜は「木の中よりさきいづ」御書。開花近し。我らも祈り抜き、新生の春を
米の食味ランキング、福島が最多「特A」獲得と。風評払拭の生産者に喝采
調査に答えれば謝礼金—言葉巧みに個人情報聞く詐欺横行。甘い話は注意

☆心に御書を 第25回 題目から無限の福徳を
〈御文〉
『同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』』(乙御前御消息、1221ページ)

〈通解〉
同じ法華経ではあっても、信心をさらに深め、実践を重ねていくならば、他の人よりも輝きが増し、利益もはっきりとあらわれてくるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
南無妙法蓮華経は宇宙の根源の法である。ゆえに唱題に励むとき、妙法に合致し宇宙大の力を涌現できる。題目から無限の福徳が広がるのだ。
我らの勤行は「世界の平和と一切衆生の幸福」を祈念する、厳粛にして壮大な会座である。
日々、従藍而青の志で、いよいよ強盛に祈り、一切を希望の方向、勝利の方向へ動かしゆこう!

☆紙上講義「諸法実相抄」(下) 森中教学部長
折伏しようとする心——それ自体が仏の心である

創価学会が妙法を世界中に広げ、「地涌の義」を実現——。ここでは、森中教学部長の紙上講義(下)を掲載します。範囲は、2月度御書講義の研さん教材である「諸法実相抄」(御書1360ページ6行目〜13行目)です。((上)は2月29日付2面に掲載。「大白蓮華」2月号も参考にしてください)

= 御文1 =
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし』(御書1360ページ9行目〜11行目)

◆ ◇ ◆
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり」とは、「一人」の先覚者が立ち上がれば、地涌の使命に目覚めた人が必ず陸続と続いていくとの大聖人の御確信です。
現代社会において、人的交流や移動の手段が増え、通信環境が整うなど、状況は目まぐるしく変化しています。そうした人間を取り巻く状況がいかに変わろうとも、「一人」から「一人」へと、誠実な対話によって妙法を弘めていくという広宣流布の方程式は、いささかも変わるものではありません。
この大聖人の仰せ通りに、創価の三代の会長の指導のもと、実際に一対一の対話を繰り広げてきたのが、創価学会です。
続いて「是あに地涌の義に非ずや」と仰せです。対話によって、地涌の自覚が呼び覚まされていくことは間違いありません。

■「地涌の義」を証明
大聖人は「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」と、日本中の人、今日でいえば、世界中の人が南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的とするように確かなことであると述べられています。
この「地涌の義」は、世界の地涌の同志によって、現実のものとなっています。
池田先生は、次のように述べられています。
「いずこの地にあっても、一粒種から広布が始まり、一人また一人と、地道に粘り強い拡大によって、今日の大潮流が築かれたのです」「まさしく、大聖人の『地涌の義』を、創価学会が証明したのです。『未来も又しかるべし』とは、創価学会の出現を予言された御文であると私は確信してやみません」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第17巻)
戸田先生は戦後の焼け野原に一人立たれ、「国士訓」で「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と叫ばれました。まさに、その言葉の通り、二人、三人、百人、さらには千人、万人と、地涌の使命を自覚する人材群を広げていったのが創価学会の歴史です。
創価の師弟が出現していなければ、今の世界広宣流布はありません。
私たちは、妙法を受持し、創価学会員として生きることを最高の栄誉として、「ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」との御文のままに、どこまでも御本尊根本に、生涯、弘教・拡大の誉れの闘争を貫きたいと思います。

= 御文2 =
『釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』(御書1360ページ11行目〜13行目)

◆ ◇ ◆
大聖人は、「虚空会の儀式」とは、「唯ひとへに末法の令法久住の故なり」と示されている通り、「末法の令法久住」のためであったと仰せです。
「令法久住」とは「法をして久しく住せしめん」(法華経387ページ)と読みます。未来永遠に妙法蓮華経が伝えられていくようにすることです。
すなわち、大聖人は、法華経は「末法の広宣流布」を断絶させないために説かれた、"末法のための経典"であることを強調されています。
大聖人は、他の御書の中でも「法華経は誰のために説かれた経典なのか」という問いを立てられて、「法華経は末法の衆生のために説かれた経典である」と仰せになられています(御書333ページ、趣意)。

■わが地域が使命の舞台
これらの御金言を拝せば、末法の私たち地涌の菩薩が活躍する地域がそのまま、「地涌の義」にかなった舞台であり、現代に霊鷲山を再現している天地であるといえるでしょう。
「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず)という言葉があります。釈尊が霊鷲山で法華経を説いた霊山の会座は、いまなお厳然として散らず、永遠に常住しているという意味です。
池田先生は、「大白蓮華」3月号の巻頭言において、次のようにつづってくださいました。
「久遠から広布を誓い合った同志が、今この時この天地に共に躍り出たのだ。『御義口伝』に説かれる『霊山一会儼然未散』(御書757ページ)は他のどこでもない。我らの地区にある。
ゆえに、苦楽を分かち合って進むのだ。『あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』(同1124ページ)と仰せの通り、一人一人の人生と、愛する地域に幸福勝利の花を爛漫と咲かせゆこう!」

■識者が学会に注目
私は創価学会が草創以来、各地で開催してきた座談会は、宗教的にも社会的にも、幾重にも深い意義があると思います。
今は、作家の佐藤優氏をはじめ、識者が学会を正面から論ずる時代に入りました。先日発売された『ワールド セイキョウ』2020年春号にも、ジャーナリストである田原総一朗氏のインタビューが掲載されています。氏は自著『創価学会』でも触れていますが、学会の座談会に注目し、実際に取材しています。そうしたなかで、座談会を"小さな集まりで体験を赤裸々にしゃべる""都会にコミュニティーがなくなっている日本社会において、何でも話せるコミュニティー"と評価しています。
さらに、「宿命転換」の考え方にも注目しており、"宿命転換の体験を、座談会で、上から目線でなく、皆が平等に語り合うことが学会の良さだ"と指摘しています。
こうした学会の座談会の特徴については、海外の識者も注目しています。まさに、地涌の民衆の連帯が、ますます、社会的にも、世界的にも注目を浴びる時代がきていると実感します。

■次世代へ信心を継承
あらためて「地涌の義」に即して御文を拝すると、広宣流布を断絶させないために地涌の菩薩が陸続と登場するわけですから、地涌の菩薩たる私たちは、"自分自身が地涌の菩薩だ"と自覚するだけでとどまってはなりません。
一つは、縁する全ての人に妙法を語り抜くこと。そして、その使命を果たすと同時に、次の世代の信心継承の道を開いていくことが私たちの使命です。
池田先生は、つづられています。
「広宣流布は、世界へという『横の広がり』とともに、世代から世代への『縦のつながり』によって織りなす大絵巻だ。
世代を重ねるごとに、いよいよ力ある『従藍而青』の人材を育成する。これが、末法万年尽未来際の『令法久住』を開く大道である」(「随筆『人間革命』光あれ」<師弟凱歌の言論城>)
私たちが、後継の青年部を励まし、応援していくこと、また、各家庭や組織で未来部のメンバーへの激励に着実に取り組むことで、いよいよ力ある「従藍而青」の人材が陸続と誕生していきます。それが「末法の令法久住」にも通じていくのです。

■折伏行こそ仏の願い
現在、新型コロナウイルス対策のため、会合や訪問・激励を自粛していますが、電話やメール、手紙を活用するなど、知恵と工夫で仏縁を広げることはできます。大切なのは、どんな状況であっても折伏精神をしっかり堅持する、ということです。
池田先生は「大白蓮華」2月号の「世界を照らす太陽の仏法」の中で「発心下種と聞法下種の功徳は同じである」ことについて、次のように講義されています。
「(戸田先生は)なかなか弘教が実らずに悩んでいる、健気な同志には、『何も嘆くことはないよ。すぐに信心する発心下種と法を聞かせる聞法下種は、功徳は同じだ。必ず実る時が来る。だから、どしどし下種をするんだ』と温かく励まされました。
実る、実らないを問わず、折伏をしようという心それ自体が、仏の心です。折伏を行じることそのものが、仏の願いである万人の幸福を実現する聖業に参加していることになるのです。無量の功徳は間違いありません」
池田先生は「折伏をしようという心それ自体が、仏の心です」と、弘教に励む私たちに最大の激励を送ってくださっています。
池田先生の第3代会長就任60周年の「5・3」、学会創立90周年の「11・18」と、意義深い佳節が続く本年、一人一人が「地涌の菩薩」の誇りを胸に、一歩一歩前進しようではありませんか。

2020年3月14日土曜日

2020.03.14 わが友に贈る

御義口伝巻上 P751
『元品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し云云』

【通解】
元品の無明を対治する利剣は信の一字である。(法華文句巻十上の)「疑い無きを信という」という釈をよく考えるべきである。

名字の言 文字に思いを込めて——。葉書や手紙を使ってみては? 2020年3月14日
夏目漱石の小説『門』に、主人公の宗助が「どうも字というものは不思議だよ」とつぶやく場面がある。「近来の近の字はどう書いたっけね」と妻に尋ねた▼いくら易しい字でも、これは変だと思って疑いだすと分からなくなる。紙に書いて眺めても、違う気がしてしまう。宗助が「御前そんな事を経験した事はないかい」と問うと、妻は言った。「まさか」▼最近、同志に送る便りを手書きしていると、しばしば漢字を思い出せない時がある。「まさか」と笑えない。年のせいか、それともパソコンやスマホで文章を作ることに慣れてしまったせいか▼若き日の池田先生のカバンには、常に葉書と便箋が入っていた。寸暇を惜しんで同志への励ましをつづるためだ。「深刻な悩みをかかえている友も多い。一葉の葉書で人生を決することもある」「一念を研ぎ澄まし、凝縮した言葉を紡ぎ出す"精神の格闘"であった」と述懐している▼友に直接会えないとき、電話やメール、SNSで心を通わせ、励まし合うことは大事だ。その上で、あえて葉書や手紙を使ってみるのもいい。手書きには一つとして同じ形はない。思いを込めてつづった文字には、おのずと書き手の心がにじみ出るものだろう。友のもとへ「真心」を形にして届けたい。(之)

寸鉄 2020年3月14日
「煩悩の淤泥の中に真如の仏あり」御聖訓。今こそ満々たる生命力輝かせて
京都婦人部の日。希望の春へ共々に励まし前進。"常勝の太陽"は祈り強く
我々は人生という大芝居の共演者—詩人。皆、最後は勝つのが広布の舞台
3月下旬は特に暖かく—予報。「寒暖差疲労」注意を。聡明な生活リズムで
手洗い・咳エチケット・換気…予防の基本、再確認。警戒緩めず冷静な対策を

☆心に御書を 第24回 創価家族を守る黄金柱たれ
〈御文〉
『日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり』(種種御振舞御書、919ページ)

〈通解〉
日蓮によって日本国の存亡は決まる。譬えば、家に柱がなければ家は保たれず、人に魂がなければ死人であるのと同じである。日蓮は日本の人の魂である。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏に連なる創価の壮年は真正の黄金柱である。「信心」という最極の信念の力で、家族も職場も地域も支え立つのだ。
苦難の尽きない娑婆世界で、厳然と悠然と、皆に安心と勇気を送るのが、我ら「能忍(能く忍ぶ)」の丈夫である。
弥生三月は壮年部結成の月。いよいよ「負けじ魂」を光らせ、生き生きと大確信の人生を!

☆紙上講義「諸法実相抄」(上) 森中教学部長
我こそ地涌の菩薩である——自覚した時に境涯は広がる!

行学錬磨の前進へ、森中教学部長の紙上講義を、上下2回にわたって掲載します。学ぶ御文は、2月度御書講義の研さん範囲である「諸法実相抄」(御書1360ページ6行目〜13行目)です。創価学会が「地涌の義」を現実にし、世界に妙法を広げてきた誇りと確信を学びます。((下)は3月3日付4面に掲載の予定。「大白蓮華」2月号も参考にしてください)

■はじめに
今回研さんする「諸法実相抄」の範囲は、日蓮大聖人が「地涌の義」について仰せになっている箇所になります。
創価学会こそ、仏意仏勅の、地涌の菩薩の陣列であることを、ともどもに確認したいと思います。
池田先生は、「大白蓮華」2月号に掲載の「世界を照らす太陽の仏法」の中で、次のように語られています。
「折伏・弘教は、日蓮大聖人から末法広布を託された仏意仏勅の教団にして、地涌の菩薩の陣列である創価学会の誇り高き使命です。ここにこそ、自他共の幸福を実現する日蓮仏法の真髄があり、宗教の生命線があります」
まさに、「創価学会こそ、大聖人から広宣流布を託された地涌の陣列の教団である」という自覚が根本であり、このことが、今回の講義の主題です。
「地涌の菩薩」は、法華経において、釈尊が滅後悪世の末法における弘教を託した偉大な菩薩です。
日蓮大聖人は、末法に「地涌の菩薩」が出現し、この「地涌の菩薩」が、南無妙法蓮華経を弘通して、一切衆生を救うことを明らかにされています。
この地涌の系譜を受け継いだ団体が、創価学会です。今や、1日24時間、1年365日、地球上のいずこかで南無妙法蓮華経の題目が響き、広布推進の対話が繰り広げられる「世界広布新時代」を迎えました。その学会員一人一人の胸中に赤々と燃えているのが、「地涌の誓願」にほかなりません。
ここでは、「諸法実相抄」の一節を拝して、地涌の菩薩の意義と精神を研さんします。

■背景と大意
本抄は、文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡・一谷で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされています。
大聖人は本抄で、法華経方便品にある「諸法実相」の法理について論及されていきます。
「諸法実相」とは、私たちが毎日、読誦している方便品第2の経文です。これは、法華経にしか説かれていない「万人成仏」の裏付けとなる法理です。
続いて大聖人は、法華経の「虚空会の儀式」について示されます。
法華経では、見宝塔品第11にいたって、突然、巨大な宝塔が現れ、空中に浮かび、その中に釈尊と多宝如来の二仏が並んで座り、虚空会の儀式が始まります。その儀式のハイライトが、大地から涌現した無数の地涌の菩薩に対し、滅後の悪世に、あらゆる仏を成仏させた根源の大法を広宣流布する使命が託される場面です(従地涌出品第15、如来神力品第21など)。
これを受けて大聖人は、末法に地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩が弘めるべき妙法を、自ら弘めるとともに、虚空会の儀式を用いて、人々が根本とすべき御本尊を顕されました。ゆえに本抄で大聖人は、御自身のことを「地涌の菩薩のさきがけ」(御書1359ページ)と仰せになられています。
さらに、大聖人お一人だけでなく、大聖人の門下となり、大聖人と同じ心で戦う人もまた地涌の菩薩であると宣言されます。
そして大聖人が、ただ一人、唱え始められた南無妙法蓮華経は、一人から一人、そしてまた次の一人へと唱え伝えられていくと述べられ、これが「地涌の義」であると仰せになります。
ここでは、この「地涌の義」について学び深めていきます。

= 御文1 =
『いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり』(御書1360ページ6行目〜8行目)

◆ ◇ ◆
冒頭の「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし」との御文は、信心を最後まで貫いていくことの大切さを教えられています。
「なりとをし給うべし」との一節からは、弟子たちに対して"師弟共に大難を受ける中で、せっかく信心をしたのだから、いかなる難が競い起ころうとも、最後の最後まで信心を貫くのですよ"と励まされる、大聖人の深き慈愛が感じられてなりません。
そして、この御文には、最後まで信心を貫く「不退の信仰」の本質は、どこまでも師匠を求め、弟子の道を歩み抜いていく「師弟不二」の信心にあることが示されています。

■不思議なる縁
その上で大聖人は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せです。
「私たちは地涌の菩薩である」との使命の自覚こそ、日蓮仏法の根幹です。
自分はどこから来て、何のために生きるのか——人類の根源の疑問に答えゆく甚深の哲学がここにあります。
仏法の眼から見れば、私たちは久遠の昔に妙法流布を誓い、三世にわたって師匠と共に妙法を広げていく、不思議なる縁で結ばれた師弟である。このように確信していくのだ——この大聖人の大確信の仰せが、続いての「地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」の御文になります。また、それを裏付ける法華経涌出品の経文が、続いての箇所で引かれている「我久遠より来かた是等の衆を教化す」になります。
「我こそ地涌の菩薩である」と真に自覚した時、私たちの境涯は、大きく広がっていきます。

■宿命を使命に
法華経以外の経では、偉大な菩薩は、清浄な世界に生まれます。悪世末法には生まれません。
しかし、民衆救済の願いを立てる菩薩は「誓願」によって、自ら願った宿業を背負って悪世末法に出現することが法華経に説かれます。
その誓願とは、あえて背負った宿業を、妙法によって転換し、その現実の姿を見せることによって、妙法の偉大さを示していくという誓いです。この「願兼於業」の誓願に生き抜く人こそ、地涌の菩薩にほかならないのです。
したがって私たちの宿業は、自分で誓ったものです。だから、乗り越えられないはずはありません。
この「地涌の使命の自覚」に、「宿命を使命に変える」という日蓮仏法の真髄があります。

■苦難に負けない
苦難に直面した時に、その宿業の重さにうちひしがれ、諦めてしまうのか。"この苦難こそ、自らが乗り越えて信心の偉大さを示すと誓ったものだ"と捉えて立ち向かっていくのか。
同じ苦難にあっても、地涌の使命を自覚した人と、そうでない人とでは、その意味合いが全く違ってきます。
使命に生き抜くならば、いかなる苦難にも負けない、絶対的幸福の境涯を開いていくことができます。
こうした地涌の菩薩の集いこそが、創価学会なのです。

■学会と共に歩み抜く
学会の原点は、「我、地涌の菩薩なり」との大確信を示された戸田先生の「獄中の悟達」です。
池田先生は、戸田先生に初めてお会いし、その確信と誠実な人格に触れた感動を、「われ 地より湧き出でんとするか」と即興詩として詠まれました。
この地涌の師弟の絆によって、世界広宣流布の道が開かれました。この偉大な師弟と共に、学会と共に異体同心のスクラムで広宣流布に歩み抜いていくことが、地涌の菩薩の自覚に立つことになるのです。

= 御文2 =
末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり(御書1360ページ8行目〜9行目)

◆ ◇ ◆
大聖人は「男女はきらふべからず」と仰せです。地涌の菩薩であることに、性別や立場などは関係ありません。
1月度の座談会で拝読した「阿仏房御書(宝塔御書)」の中にも「法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」「貴賤上下をえらばず」(同1304ページ)とあります。
また別の門下(椎地四郎)への御書でも、男性であろうと女性であろうと、法華経の「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)と仰せになっています。
続く「諸法実相抄」の御文では「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せです。
"今、南無妙法蓮華経の題目を唱えることができている、そのこと自体が、地涌の菩薩であることの揺るぎない証拠である"との仰せと拝されます。この大聖人直結の題目を唱えているのが創価学会であることは、いうまでもありません。

2020年3月13日金曜日

2020.03.13 わが友に贈る

身近な家族にこそ
感謝を伝えよう!
当たり前を当たり前と
思わない豊かな心に
信仰の輝きは表れる。

崇峻天皇御書 P1173
『返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし』

【通解】
返す返す今も忘れないことは、首を切られようとした時、あなたが、私の供をして、馬の口に取りついて泣き悲しまれたことです。これを、いかなる世に忘れることがありましょうか。たとえ、あなたの罪が深くて地獄に堕ちられたとしても、その時は、日蓮が釈迦仏から、どれほど「仏になれ」と誘われようとも、従うことはありません。あなたと同じく、私も地獄に入るでしょう。

名字の言 女子マラソン。代表の座をつかんだ一山麻緒選手の楽観主義 2020年3月13日
東京五輪・女子マラソン代表の最後の1枠を懸けた8日の選考レース。日本歴代4位の2時間20分29秒で、夢の切符をつかんだのは、22歳の一山麻緒選手だ▼直前の合宿では目標の"2時間20分台"を体にたたき込んだ。5キロを16分40秒のペースで6本(30キロ)、もう2本(10キロ)でペースをさらに上げる計40キロの過酷な練習を重ねたことが、自信につながったという▼本番も練習通りに30キロ付近でペースアップ。30〜35キロ区間を、この日最速の16分14秒で刻み、先頭を独走した。強い雨と寒さの悪条件にも、「やってきた練習は雨なんかに負けない」と動じなかった。それどころか、「こういう(悪天候の)日に、五輪を決めたらかっこいいと思った」と笑う前向きな姿が印象的だった▼何事も、目標達成への近道はない。どんな逆風に遭っても、楽観主義で挑み続けていくからこそ目標に近づける。ただ、この楽観主義とは、努力を怠り、"どうにかなるだろう"という生き方ではない。万全の手を尽くす中で磨かれる、不屈の心の異名である▼池田先生は「楽観主義の人は強い。何が起ころうとも、いい方向へ、楽しい方向へ、前向きの方向へと受け止めていく」と。わが目標へ、具体的に祈り、一歩ずつ、できることから挑戦しよう。(差)

寸鉄 2020年3月13日
「法華経を持ち奉る処を当詣道場」御書。今いる場所から励ましを拡大!
東京・品川「広布誓願の日」。創価源流の誇り光る大城。未来開く祈り強く
平和と安穏の世界築くのが仏法の法理—戸田先生人間革命の歩みを弛まず
各地で卒業式。中継や縮小態勢などで。夢を描き羽ばたけ!君達こそ希望
マスクの高値転売が15日から禁止。パニック煽るデマ情報等も皆で根絶へ

☆シンポジウムへの池田先生のメッセージ 2020年3月5日
人類社会に希望の曙光を送りゆく国際シンポジウムの開幕、誠におめでとうございます。
名門イースト大学と、わが創価大学との友情の絆を、さらに強めゆく意義深き知性の集いに、心からの御礼を申し上げます。
シンポジウムに掲げられたテーマ「平和・人権・環境保護における青年の参画の主流化」は、まさに時宜を得たものであります。

◇青年の価値創造の連帯を
本年、創設75周年を迎える国連でも、「持続可能な開発目標(SDGs)」推進の重要な担い手に「青年」が位置付けられるなど、国際社会における青年の役割は、いやまして重視されております。
私も、本年1月に発表した「SGIの日」記念提言に「青年こそ希望なり」「青年こそ未来なり」との限りない期待を込めました。若人の連帯があるところ、乗り越えられない壁など断じてない——この一貫した信念を胸に、私は、貴国をはじめ世界の教育界のリーダー方と手を携えて、青年の「エンパワーメント(内発的な力の開花)」に力を注いできた一人であります。
そこで本日は、新たな地球社会の希望の潮流たる青年の力と連帯を、さらに深め広げゆくためのポイントを、確認し合いたいと思います。

◇可能性引き出す「よいきっかけ」
長年にわたって、尊きソーシャルワーカーの労作業や紛争解決の難局に挑んでこられたシドニー平和財団の創立者リース博士と私は、6年前、青年に「平和の哲学と詩心」を託しゆく対談集を発刊しました。
その中で博士が、ご自身の経験を踏まえて、人々が新しい生き方に踏み出すためには「よいきっかけ」と「確かな手応え」が大切であると語られたことを、感銘深く思い起こすのであります。
博士は、「依存する側」から「自立する側」へと転換して、主体的にエンパワーメントを成し遂げていく3段階を明快に挙げられました。
すなわち、第1段階は、「どうせ、何をしてもだめだ」という諦めの克服。
第2段階は、共に努力する仲間との信頼の構築。
第3段階は、自立のための環境づくり、手段や技術の教育。
そして、「小さな勝利」の積み重ねこそ重要であると示されたのです。
私も全く同感であります。若き伸びゆく生命は「よいきっかけ」を得れば、秘められていた可能性に目覚め、「確かな手応え」をつかみ、自信をもって成長することができます。まさに諦めを克服する希望の劇といえましょう。

◇国連のSDGs「誰も置き去りにしない」社会へ
そのための大いなる力がロールモデル(手本)の存在であります。
そして世界の青年に、限りない触発と励ましを送り続けてくれる偉大な先人こそ、貴国フィリピンの大英雄ホセ・リサール博士ではないでしょうか。
リサール博士は「人間の目的は進歩と完成の道を歩みつつ、自らと他の人間の幸福を探し求めることにある」と叫び、人類への貢献を貫きました。
まさに、国連のSDGsの「誰も置き去りにしない」との根本理念と一致しており、博士の青春を平和と人道の鑑と仰ぐゆえんが、ここにあります。
とともに、このリサール博士の精神を受け継ぐ貴国の開かれた教育界には「世界市民を育てるリーダーシップ」が脈打っています。
光栄にも、わが創価大学は貴イースト大学をはじめ貴国の多くの大学と教育交流を結ばせていただいております。その継続のなかで、共に平和の創造へ努力しゆく最高の「信頼の連帯」を構築することができました。
この席をお借りし、私は改めて満腔の感謝を申し上げます。

◇人間教育の結合で智慧を発揮
そして、かけがえのない人間教育の結合を核としながら、21世紀の若き世界市民が「平和」「人権」「環境保護」のために、一段と自立して、智慧と力を存分に発揮できる晴れ舞台を整えたいと思うのであります。
この全幅の期待を込め、今回、私は、国連がSDGsの達成へ2030年に向けて立ち上げた「行動の10年」の一環として、気候変動に焦点を当てた"青年行動の10年"ともいうべき運動を起こしていくことを提言しました。
また、平和と安全保障における青年の役割を強調した国連安全保障理事会の2250決議に続く形で、気候変動の問題に関わる意思決定への青年の参画を主流化させる安保理決議の採択も提案したのであります。それがまた、"人類の議会"としての国連の新たな前進の原動力となっていくことを、私は確信してやみません。

◇難題を前進の力へと転じ人類の未来を照らしゆけ
教育を人生最大の事業と定めた私が、若き日から心に定めてきたことがあります。それは「私心を捨て、人類の幸福のために生き抜く自らの姿を通して、青年の魂を触発していこう」という一点であります。
青年の魂は信頼に必ず応えてくれます。青年の価値創造の英知と情熱に行き詰まりはありません。青年の草の根の連帯こそ、山積する難題も人類の前進の力へと転じ、地球社会の未来を断固として創り照らしてくれます。
私も、ここにお集まりの先生方と心一つに、命の限り、世界の青年の道を開き、希望と勇気を送り続けていく決意であります。

◇リサール博士の詩 君たちの勝利をもって人間の偉大さを示せ
その心を、ホセ・リサール博士の詩に託し、愛する青年たちに捧げます。
「さあ、征け! さすれば、君たちの天賦の才は 聖なる炎となって 栄冠へと向かう。
君たちの勝利をもって、 人間の偉大さを 広く示しゆくのだ」
シンポジウムの大成功と、ご参加の皆さまのますますのご健勝、そして偉大なる「青年の大国」フィリピンの永遠の栄光と平和を心より祈念し、私のメッセージとさせていただきます。
マラミン・サラマッポ!(フィリピノ語で「誠にありがとうございました!」)(大拍手)

2020年3月12日木曜日

2020.03.12 わが友に贈る

季節の変わり目だ。
激しい寒暖差に注意。
疲れをためない工夫も。
賢明な体調管理で
健康第一の日々を!

忘持経事 P976
『槃特尊者は名を忘る此れ閻浮第一の好く忘るる者なり今常忍上人は持経を忘る日本第一の好く忘るるの仁か』

【通解】
槃特尊者は自分の名さえ忘れたというから、これこそ世界第一の物忘れの人である。今、常忍上人は御持経をお忘れになったから、日本第一の物忘れをされる方といえようか。

名字の言 車いすの少年と父親が挑むトライアスロン——映画「グレートデイズ!」から見えてくるもの 2020年3月12日
電動車いすで生活する少年が父親に「一緒にトライアスロンに出たい」と言った。父は「無理だ」と一蹴するが息子の熱意に出場を決意した——実話を基にした映画「グレートデイズ! 夢に挑んだ父と子」(2014年公開)である▼過酷な練習を積んで臨んだレースの最終盤、車いすを押して走る父が力尽きてしまう。だが息子は諦めない。不自由な手で車いすをこぎ出す。その姿に父は力を取り戻し、ついに親子はゴールする。「家族とは」「生きるとは」——映画は訴えてやまない▼中学卒業後、約50年の会社員生活を終えた岩手県の壮年部員。向学の思いで2010年、創価大学通信教育部に入学するが勉強の難しさに四苦八苦。そんな時、東日本大震災に遭い、さらに娘が病に倒れた▼"娘と代わってやりたいができない。ならば負けない姿でエールを送る!"と奮起。壮年は喜寿となる今春、通教を卒業。娘は病と闘いながら昨年、今年と弘教を実らせた。父と娘の勝利の物語はこれからも続く▼先の映画は当初の「フィニッシャーズ」(完走者たち)というタイトルから改題された。「3・11から9年」という節目もまた、復興のゴールではない。未来へ希望をつくる歩みは続く。その一歩一歩が「グレートデイズ」(偉大な日々)に結実する。(白)

寸鉄 2020年3月12日
陰徳を積む人に「大果報は又来るべし」御書。今こそ大確信の祈りを強く!
東京・喜多区女性の日。冬は必ず春!友に励ましを送る模範の婦女の連帯
子供向け"歴史読み物"の売り上げ増加と。家庭で共に学び語らう機会にも
自動車免許の自主返納が過去最多の60万人。運転は安全第一…更に心して
マスクの無料送付等騙る不審電話やメール発生。旨い話の嘘を冷静に喝破

☆創価学園卒業式への池田先生のメッセージ 2020年3月4日
◇青春の努力の光は消せない
青春の友情の宝は壊せない
一、何ものにも消せない青春の光があります。それは「努力」という光です。
何ものにも壊せない青春の宝があります。それは「友情」という宝です。
私の生命には、わが卒業生の不屈の努力と揺るがぬ友情が映し出されています。
「君も負けなかった! あなたも勝った!」——きょうは、お父さんやお母さん方と共々に、愛する一人一人の頭に月桂冠をかぶせる思いで大拍手を送っております。

◇新たな十年 わが宝剣を磨け
不思議な縁で結ばれた皆さんは、わが創価学園の創立50周年の歴史を堂々と飾ってくれました。そして創価教育の100周年への黄金の十年、偉大なる使命の青春を晴れ晴れと舞いゆくのです。
その壮大なる前途に思いをはせ、私は「新たな十年、わが宝剣を磨け! そして、人類の平和の新時代を開きゆけ!」とエールを贈りたい。

一、私も、師匠・戸田先生のもとで、10年間、学び抜き、鍛え抜きました。
その厳しい薫陶の中で、少年雑誌の編集長として私が執筆し、戸田先生に喜んでいただいた偉人伝があります。18世紀、イギリスに誕生した医師ジェンナーです。
5歳で両親を相次いで亡くしたジェンナーは、悲しみに負けず、たくましく育ち、10代から弟子入りして医学を学びます。
当時、「天然痘」という恐ろしい感染症が世界的な大流行を繰り返して、多くの人の命を奪い、傷つけていました。
若きジェンナーは、この難病に挑みます。新しい着眼から事前に予防する方法を探り、粘り強く実験を積み重ねました。いわれない中傷を浴びせられましたが、断じて屈せず、有効な治療法を確立したのです。
それは世紀を超えて世界に広まり、ついに40年ほど前、WHO(世界保健機関)が天然痘の根絶を宣言するに至りました。ジェンナーの挑戦は、全てのワクチン開発の礎となり、免疫学の原点となって、今も不滅の輝きを放っています。

一、人類の営みは、どこまでも試練との戦いです。けれども、若人の勇気の挑戦がある限り、必ずや、そこから新たなる無限の価値創造が成し遂げられていくのです。
どうか、わが誉れの学園生は、この人類の前進の先頭に躍り出て、一つまた一つ、眼前の課題に勇敢に忍耐強く挑み抜き、自分らしく民衆に社会に世界に貢献しゆく英知の宝剣を磨き上げてください。
その誓いを込めて、きょう家に帰ったら、お父さん、お母さんに最高の笑顔で感謝を伝えていただきたい。これが私のお願いです。
「胸を張れ不二の生命の学園生」
かけがえのない皆さん一人一人の健康と幸福と勝利を祈りつつ——

胸を張れ
 不二の生命の
  学園生
 負けじのスクラム
   地球の明日へ

と贈ります。
いずこにあっても、私たちの心は一つです。一日また一日、朗らかに勝ち進め!(大拍手)

☆インド「創価池田女子大学」卒業式への池田先生ご夫妻のメッセージ 2020年3月6日
一、誇り高き17期生の皆さん、希望の門出、誠におめでとうございます!
それぞれの尊き奮闘の様子は、何よりうれしく伺っております。
一人ももれなく、青春の大勝利者です。
今、私と妻の心も、愛するチェンナイの天地へ飛んでおります。
晴れの式典に一緒に連なり、若き宝の女性リーダーの皆さん一人一人に、賞讃と祝福の大拍手を送っております。
今年は、開学より20年。
敬愛してやまないクマナン議長ご夫妻をはじめ、サムシャット学長、教職員の方々の多大なご尽力に、心より感謝は尽きません。
誠に誠にありがとうございます。

一、本日は、タミル・ナドゥ体育スポーツ大学のシーラ・ステファン副総長が、ご臨席くださっております。
オックスフォード大学をはじめ世界各国の大学と交流を結ばれながら、幾多の目覚ましい学術成果を残してこられたことも、よく存じ上げております。
45年前、私が対談集を発刊したトインビー博士はオックスフォード大学に、また最良のパートナーであったベロニカ夫人はケンブリッジ大学に学ばれました。
博士との対話を重ねる中、私が両大学を訪ねると、ご夫妻がそれぞれに、母校への訪問を最大に喜んでくださったことが思い起こされます。
母校への愛を持ち続ける人生は、美しく尊貴である。そして青春の原点を一生涯、貫き通すことができると、私は感動しました。
卒業生の皆さんの前途が、この誉れの母校とともに、同窓の姉妹とともに、限りない幸福と歓喜と勝利の年輪を刻まれゆくことを、私は祈り、また信じております。

◇宇忍耐強く朗らかに学び、栄光の花を咲かせゆけ
一、トインビー博士は、21世紀の新しい精神の大光が、貴国インドから放たれゆくことを深く期待されておりました。
「青年の国」たる貴国は、2030年までに、世界一の15億人の人口になるとも推定されております。
その清々しい希望の光を旭日の如く輝かせる皆さんに、私は、「忍耐強く、そして自信満々と、栄光の花を咲かせゆけ」と、はなむけの言葉を贈りたいのであります。
ここタミル・ナドゥ州には、美しい「州の花」があります。
燃え立つように真っ赤な花をつけるユリ「グロリオサ」です。その名は「栄光のユリ」を意味します。
何と麗しい響きでありましょうか。
このグロリオサは、地中に根ざした球根が大きく力強いほど、見事な花が咲くといわれます。
皆さんには、ご家族が送り出してくださった、この大学で育んできた「英知」と「人格」の立派な球根があります。
これからの新生活の中で、「創価」すなわち「価値創造」という勇気と智慧を自分らしく発揮して、一つ一つに挑戦していってください。
なかなか思うようにいかないことがあっても、今はじっくり球根を育てる時だと決めて、忍耐強く、前へ前へ進んでいただきたいのであります。

一、マハトマ・ガンジーの令孫で、私と妻の友人であるエラ・ガンジー博士は、南アフリカでの人権闘争の中、迫害にも歌を歌って勇敢に乗り越えられました。博士は語られます。
「私たち全員に力があります。そして、私たちが一緒に手を取り合う時、もっと大きな力をもち、世界を変えることができるのです」と。
どうか、何があっても、自信満々と胸を張って、皆さんの世界市民の友情を、地域へ、社会へ、さらには地球の未来へ豊かに広げ、歌声響く平和のスクラムを創造していただきたいのであります。
晴れの日も、嵐の日も、わが誓いの舞台で、明るくたくましく朗らかに学び続けて、青春凱歌の栄光の花を、共々に咲かせていってください。
終わりに、かけがえのない皆さん一人一人の健康と幸福、そしてご家族の繁栄を祈りに祈って、私と妻のメッセージといたします。
皆さん、いついつまでも、お元気で!(大拍手)

2020年3月11日水曜日

2020.03.11 わが友に贈る

一番苦労した人が
一番幸せになる信心。
我らの不屈の姿こそ
後世に輝く模範であり
社会を照らす希望だ!

種種御振舞御書 P910
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひめこををもひ所領をかへりみることなかれ、無量劫よりこのかたをやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりもをほし、法華経のゆへにはいまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかどもかかる事出来せしかば退転してやみにき』

【通解】
各々、日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も、臆する心を起こしてはなりません。法華経のためには、親を思い、妻子を思い、所領を顧みるようなこと があってはなりません。
無量劫の昔から現在に至るまで、親子のため・所領のために命を捨てた事は、大地微塵の数より多くても、法華経のために命を捨てた事は、未だに一度 もありません。 若干、法華経を行じたことがあっても、このような大難が出来してき たために退転して、信仰を止めてしまったのであります。

名字の言 9年前、ある小学校の卒業式で校長先生が児童に語ったこと 2020年3月11日
落語家の林家たい平さんが述懐している。娘が小学校を卒業した2011年3月のこと。東日本大震災の影響で、卒業式は卒業生と保護者、教職員代表だけのささやかなものになった▼席上、校長先生が児童たちに語り掛けた。「人が一番嬉しいと感じるのは、どういう時か知っていますか?」「人を助けた時と、人から助けられた時です」(『3・11を心に刻んで2019』岩波ブックレット)▼皆が先の見えない不安にいる中、たい平さんはこの言葉に深く救われたという。その後、"自分も誰かの、何かの助けになれれば"との思いで被災地を回った。そうして結んだ縁が今、噺家としての支えにもなっていると語る▼福島県のある壮年部員は工芸品制作で培った腕を生かし、被災地でキャンドルライトをともす取り組みを始めた。共感の輪が少しずつ広がり、その数は8万本を超えた。「寄り添う心を表現したかった」と語る壮年は、家族の病気や経済苦との闘いを、同志の励ましで勝ち越えた体験を持つ▼御書に「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(1598ページ)と。自他共の幸福にこそ、真の充実と深い喜びがある。きょう「3・11」。"誰かのため、今の自分に何ができるのか"を考え、行動する日としたい。(閃)

寸鉄 2020年3月11日
震災9年。犠牲者の方々の冥福祈る。皆が福光の春感じるその日まで共に
小樽問答65周年。歴史を開くのは青年の声!君よ学べ。破邪顕正の剣磨け
岐阜の日。師との誓いに生きる堅塁の要。今こそ原点胸に題目第一の前進
復興庁の設置期限10年延長。公明よ現場に寄り添い、こまやかな支援頼む
自治体指定ごみ袋をレジ袋に—千葉で実験販売。プラ削減へ皆で知恵出し

☆新時代を築く 創価の女性は「希望の太陽」 2020年3月3日
日蓮大聖人は一年の節目である五節句の意義を門下から尋ねられて、「妙法蓮華経の五字の次第の祭なり」(御書1070ページ)と示され、「三月三日は法の一字のまつりなり」(同ページ)と教えられた。
そして「此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし」(同ページ)と仰せである。
きょうは、わが女子部の「華陽姉妹 誓春の日」であり、「大阪婦人部の日」、「先駆九州女性の日」でもある。
広布に生きる女性たちこそ「希望の太陽」であり、「平和の太陽」である。気高い奮闘を心からねぎらいたい。

* * *
古来、ひな人形には、全ての女性に幸光れ、との願いが込められてきた。
かつて空襲でわが家が全焼した時、必死に取り出した長持(長方形の蓋付きの箱)に入っていたのは、ひな人形と1本の傘だけだった。
しかし母は、落胆する家族に笑顔で言った。
「このおひなさまが飾れるような家に、また、きっと住めるようになるよ……」
あの明るい一言で、皆がどれだけ救われ、心を一つに立ち上がることができたか。
同じく戦時中、猛烈な台風に襲われ、夜中に家の窓ガラスが割れ、突風が吹き込んできたことがあった。真っ暗な中で動揺する幼い弟妹たちに父は厳として「お父さんがいるから、心配するな! 怖くない!」と大きな声で叫んだ。雄々しき音声が今も蘇る。
いざという時の言葉の力は、まことに大きい。
我らには、どんな逆境も、変毒為薬できる信心がある。
大変な時こそ、仲良く励まし合い、全てを希望の方向へ転じ、価値創造していくのだ。

* * * 
先師・牧口先生が、九州出身の教育者に送られたはがきがある。日付は昭和15年(1940年)3月3日。
大誠実の文面で、信心は"最大最善の人生の法則"であり、"生命の安全地帯"である。共々に素晴らしい人生を生きていこうよと、学会への入会を力強く勧められたのだ。戦時下の折伏である。
この教育者が入会したのはそれから18年後であり、生涯、師弟の道を貫き通した。先師の蒔かれた妙法の種は、いずこにも花開いている。
牧口先生は「いまだこりず候」(同1056ページ)との御聖訓のままに、いかなる時も、一人を大切に、創意工夫して仏縁を結んでいかれた。
創立の師の戦いを思えば、勇気は滾々と湧いてくる。

* * * 
新型コロナウイルスの感染拡大の防止に、日本も世界も挑む今、私たちはいやまして強盛に師子吼の題目を唱え、一日も早い終息と安穏を異体同心で祈りたい。
そして、何があろうと決然と昇る旭日の如く、日々たゆまず聖教新聞を配達してくださっている尊き貴き「無冠の友」へ、心より感謝を込めて、健康と無事故をひたぶるに妻と祈念しております。

2020年3月10日火曜日

2020.03.10 わが友に贈る

宝の未来部よ
忍耐強く学び抜け!
力を蓄え 心を磨き
理想の翼を広げよう!
それが真の親孝行だ!

如説修行抄 P505
『南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり』

【通解】
南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱えとおして死んでいくならば、釈迦・多宝・それに十方の諸仏が、霊山会上で約束があったとおりに、ただちに飛んで来て、手を取って肩にかけ、霊山にたちまち連れていって下さるのであり、
薬王菩薩と勇勢菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、それから十羅刹女等が、妙法受持の者をかばい護り、諸天善神は天蓋を指し旗をかかげわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に、送りとどけて下さるのである。

名字の言 詩人・金子みすゞさんの作品を口ずさんでみよう。 2020年3月10日
いつも通る道の周りがカラフルになった。早咲きのピンクの桜や春の花々が風に踊っている。畑には緑の春野菜が鮮やかだ▼童謡詩人・金子みすゞさんの作品「土」を口ずさんだ。「こっつん、こっつん、/打たれる土は、/よい畑になって、/よい麦生むよ」「朝から晩まで、/踏まれる土は、/よい路になって、/車をとおすよ」(『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)▼「童謡は声を出して書いています。つまり、作家の呼吸のリズムなんです」と、ある童謡詩人が教えてくれた。「だから、みすゞさんの作品を声に出して読むと、彼女の呼吸が自分の呼吸になるので、作品が読む人の心に深く強く入ってくるのではないでしょうか」▼作品「土」は、こう続く。「打たれぬ土は、/踏まれぬ土は、/要らない土か」「いえいえ、それは、/名のない草の、/お宿をするよ」。みすゞさんのまなざしには、いつもハッとさせられる。いろいろなことに気付かせてくれる▼世界桂冠詩人の池田先生は、名もなき花や草木、道端の小石や砂など、地球上の全てのものに、かけがえのない「いのちの輝き」を見るのが「詩人の目」である、と。春の野菜は「芽吹き野菜」という。生命力に満ちあふれる季節は「いのちの輝き」に満ちている。(川)

寸鉄 2020年3月10日
信仰は生活であって観念の遊戯でない—戸田先生苦境でも実証示す勇者に
きょう農山漁村女性の日命育む聖業支える農漁光部"婦女"の友の活躍光る
励ましは相手の話を聴くことから。電話一本も心込め。抜苦与楽の精神で
手洗い時、半数超の人が指先までよく洗えていないと。基本を励行し防御
仕事の連絡等装った不審メール急増。テレワークの人ら標的。警戒忘るな

☆池田大作先生の珠玉の励まし 誓いの明日へ——日蓮門下を語る(未来ジャーナル3月1日付から)
<妙一尼>
◇"人類の春"へ 師弟の大道を
青年こそ、希望です。人類の宝であり、未来の建設者です。
わが師・戸田城聖先生は、青年への限りない信頼を語られました。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」 
戸田先生が青年に託されたのは、苦しむ民衆を救う「世界広布」の実現であり、仏法を基調として、壮大な平和・文化・教育の花が咲く新世紀です。
私は、同じ思いで、わが未来部を見つめています。皆さんこそ、21世紀を創り、22世紀も照らしていく主人公だからです。
人類は今、重大な分岐点に立っています。核兵器、気候変動、疫病、難民——世界の英知を結集し、乗り越えなければならない課題が山積しています。
その活路を開く希望こそ、日々、学び鍛えゆく若き皆さんの「熱と力」なのです。
日蓮大聖人が立宗宣言された時も、また創価学会が創立された時も、自然災害や争いなど、民衆は不安と苦悩の渦中にありました。
最も大変な"冬の時代"にこそ、人々の"新たな春"を断固と勝ち開く! ここに、創価の誉れの原点があり、使命があります。

今回は、世界の同志が人生の指針とする、「妙一尼御前御消息」の一節を一緒に学ぼう!
大聖人が「竜の口の法難」「佐渡流罪」という大難に遭われる中、門下にも弾圧の嵐が吹き荒れ、退転してしまう人間も多く出ました。しかし、鎌倉に住む妙一尼とその夫は、所領を没収されるなどの迫害にも屈せず、師弟の道を貫き通したのです。
その後、大聖人は佐渡流罪を勝ち越えられました。残念ながら、妙一尼の夫は、その知らせを聞く前に亡くなります。残された妙一尼は、体が強くない上に、病気の子どもを抱えていました。
そうした大変な中でも、大聖人のもとでお仕えするように家の使用人を遣わし、また、真心の御供養の品々をお届けしました。
強く清らかな信心が輝く妙一尼に対し、大聖人は、万感を込めて励ましのお手紙をつづられました。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を」(御書1253ページ)
冬は必ず春となる——これは、不変の自然の法則です。冬が秋に逆戻りすることはありません。同じように、まじめに信心に生き抜く人が、悩みに迷う凡夫のままで終わることは絶対にない。必ず仏の境涯を開いて、晴れ晴れと幸福勝利の春を迎えることができる——これが大聖人のお約束です。
桜が冬の寒さに耐え、美しい花を満開に咲かせるように、人間もまた、厳しい鍛錬の冬があってこそ、強く、たくましくなれる。可能性の花を咲かせ、栄光の実を結ぶことができます。
冬の試練の間の成長は、目には見えないかもしれません。でも、皆さんの生命の奥深くでは、前へ前へと、絶え間ない成長のリズムが刻まれています。冬の間にこそ、どう力を蓄えるか。どう心を磨き、夢と理想の翼を広げるか。ここに青春を勝ちゆく鍵があります。
「法華経を信ずる人は冬のごとし」です。苦難の冬に、成長と勝利の因を積んでいけるのが、信心であり、題目です。"題目の人に断じて不幸なし"と申し上げておきたいのです。

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
私が小説『人間革命』『新・人間革命』の執筆を通して半世紀以上、訴えてきた主題です。"苦悩の冬を勝利の春へ"と変える一人の人間革命の劇は、それぞれの家庭に社会に、さらに国土に"春"をもたらし、そして全人類の"春"をも実現することができる。
皆さんが、現在、直面している悩みに打ち勝つことは、自分自身の青春の凱歌はもとより、人々の平和と幸福へ連動していくのです。
この「人間革命」の哲理に深く賛同してくださったのが、世界的な研究機関「ローマクラブ」の創設者アウレリオ・ペッチェイ博士です。
会見で博士は語られました。
「経済の成長に限界はあります。しかし、人間の学習に限界はありません」
「外の資源は有限ですが、人間の内なる富は無限です。未開発です。これを引き出していくのが人間革命です」
そして博士は、何よりも未来を開きゆく青年たちに、大きな期待を寄せられました。
わが後継の未来部の発足は1964年——。私は、アジア、オセアニア、ヨーロッパと世界各地を回り、小説『人間革命』の執筆を開始する中で、次代の一切を託す、新生の未来部を結成しました。
今や世界のあの地この地で、未来部出身の友が、人間革命の勇者として大活躍しています。
学会創立100周年の2030年、そして22世紀から遥かその先へ、世界広布の万年の流れを決する後継の源流こそ、今の未来部の皆さんです。
学会の未来、そして世界の未来を、私は皆さんに託します。
さあ、人類の春を呼ぶ偉大な青春の大道を、朗らかに歩みゆこう!
永遠に私と共に! 
世界の同志と共々に!

2020年3月9日月曜日

2020.03.09 わが友に贈る

◇今週のことば

2020年2月17日

可延定業書 P986
『きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』

【通解】
(四条金吾殿は)極めて負けじ魂の人で、自分の味方(信心の同志)のことを大切にする人です。

名字の言 『御書全集』のスペイン語監修者。「日蓮は宗派を超えて精神世界にそびえ立つ」 2020年3月9日
久しぶりに電話で話をした信心の大先輩。「最近、御書を開く時間が増えて、感動を新たにしています」と語っていた▼約1600ページにわたり、びっしりと詰まった日蓮大聖人の言々句々。その多くが迫害の嵐の中でつづられた、門下への励ましのお手紙である。電話口の先輩の声は弾んでいた。「大聖人の大慈悲が心に染みます。私も地区の同志の顔を思い浮かべ、筆を執る毎日です」▼「文は人なり」という。御書を拝することは、大聖人の御境涯に迫り触れることにほかならない。スペイン語版『御書全集』の総合監修を務めたカルロス・ルビオ博士は言う。「日蓮の手紙を読むと、誠実さや人間的な温かさと知性がにじみ出ており、宗派性を超えて高く精神世界にそびえ立っています。人間としての日蓮に親しみが湧いてくるのは、私だけではないでしょう」▼文永9年3月に、大聖人が流罪の地から弟子一同に対して認められた「佐渡御書」の末文には、「佐渡の国は紙候はぬ」(御書961ページ)と。"本当は一人一人に書いて送りたいが、紙もなく、この一通しか書けないので志ある弟子たち皆で読んでほしい"との心情が拝せられる▼困難の時こそ、御聖訓を拝せる有り難さが分かる。御書は未来を照らす希望の光源である。(之)

寸鉄 2020年3月9日
『新・人間革命』は世界の若者を啓発する力が凝結—識者。心に刻む一時を
中国方面の「女性の日」。何があろうが題目!勝利の春呼ぶ婦女一体の連帯
苦難の中でこそ智慧は得られる—詩人。男子部がライブ講義。逞しき発想
紙製品買い占めは媒体の過剰報道も因—日本の学者。情報社会の落とし穴
肺炎で便乗詐欺。「水道管にウイルス付着で除菌が必要」は嘘。冷静に見破れ

☆池田大作先生の珠玉の励まし 春夏秋冬ほがらかに(少年少女きぼう新聞3月1日付から)
<学びの旅へ>
2030年へ ヒマラヤのように堂々と
6年生のみなさん、卒業おめでとう。1年生から5年生のみんなも、進級おめでとう!
この「少年少女きぼう新聞」との名前の通り、みなさんは私の希望です。創価家族の最高の希望です。毎月、新聞に光っているみんなの笑顔を、私は何よりの楽しみとして、見つめています。
創価学会ができて90周年。みんなのお父さんやお母さんたちと目指してきた100周年(2030年)まで、あと10年となりました。世界にとって、全人類にとって、とても大事な10年です。
学会の「人間革命」の運動は、平和を願う人々から、かけがえのない世界市民の連帯として注目され、期待されています。その後を継ぐみなさんこそ、21世紀の大舞台で活躍し、22世紀まで照らしていく宝の人です。これからの10年、みなさんとともに地球の希望は大きく明るく輝きゆくのです。

成長するみなさんを思う時、私の胸には一つの光景がうかびます。ネパールからシンガポールへ移動するなかで機中から見た、ヒマラヤ山脈の堂々たる姿です。
ヒマラヤは「世界の屋根」と呼ばれ、東西2400キロに、世界一高い8848メートルのエベレストをはじめ、8000メートルをこえる山が14もある大山脈です。
私には、みなさんが将来、力強く胸をはって、世界の友と仲良く肩を組んでいく姿に見えます。
なぜヒマラヤは、あんなに高く、立派なのでしょうか。
実は、地球の大地は、長い時間をかけて動いています。はるか大昔、今のインドの大地がアジア大陸にしょうとつし、そこにしわがよって盛り上がったのが、ヒマラヤ山脈です。大きな大地のかたまり同士がぶつかって、固い岩ばんを曲げるほど強い力が生まれ、高い山脈ができたのです。
以来、ヒマラヤは毎年、少しずつ高くなり続けています。山頂では、岩をもけずるような風速320キロのもうれつな風が吹いていますが、王者のごとく、なおも成長し続けています。だから、あんなに高く、立派なのです。
夢に向かって挑戦を続ける人は、必ず成長できます。たとえ、1日1ミリであったとしても、1年たったら36センチ5ミリです。10年では3メートル65センチになります。勉強やスポーツも、習い事も、少しずつでも挑戦し、成長していけば、いつの日か、自分でも思ってもみないほど前進しています。
今は、夢が見つからなくても大丈夫。一つ一つ、自分らしく、ねばり強く努力していく時、もう成長は始まっているからです。好きなこと、やりたいことも、だんだんと見えてきます。
一つ、大切なポイントがあります。「ほかの人にいやな思いをさせないこと」です。少しむずかしい言い方をすると、「他人の不幸の上に、自分の幸福を築くことはしない」ということです。これは、私がハーバード大学で講演した時にも多くの人が賛成してくれた、創価の哲学の一つです。

大好きな少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」の歌詞に、「笑顔はみんなのパスポート」とあります。
日蓮大聖人は「困難を楽しんでいきなさい」(御書750ページ、意味)と教えられました。何があっても、春夏秋冬ほがらかに、笑顔で前進できる人は、未来の勝利者となる。大きく友情を広げていけます。
どうか、ヒマラヤのごとく高く成長し、ヒマラヤのごとくゆう然と友情のスクラムを組んで、2030年に向かって、強くほがらかに進んでいってください。
今日も新たな学びの旅の出発です。
一緒に、世界へ羽ばたこう!

2020年3月8日日曜日

2020.03.08 わが友に贈る

心に師を持つ人は強い。
苦しい時も楽しい時も
「師ならどうするか」
自身に問い掛けながら
無限の向上の歴史を!

上野殿御消息 P1527
『されば昔は一切の男は父なり女は母なり然る間生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり』

【通解】
ですから、昔(過去世)は一切の男が父であり、女は母なのです。そういうわけで、生々世々に皆、恩のある衆生なのですから、皆が仏になれるようにと願うべきなのです。

名字の言 イソップ童話「うさぎとかめ」。世界ではどう読まれている? 2020年3月8日
イソップ童話の「うさぎとかめ」は、足の速いウサギと遅いカメが競走し、油断して眠ったウサギに、カメが勝利する物語。ゆっくりでも着実に前進する大切さを伝える話とされる▼童話は世界的に有名だが「人や国によって解釈が異なるようです」と、取材先の識者が教えてくれた。ある国際会議で彼が童話の教訓を話すと、エジプトの学者はウサギとカメの競走自体が愚かだと力説。ウサギにもカメにもそれぞれ良さがあることから、「個性の尊重」が童話の真意ではないかと述べた▼一方、タイの学者は「共に生きる」がテーマと主張した。ウサギが横たわっているのに、なぜ声を掛けないのか。眠っているだけならいいが、病気やけがだったら大変だ。そんな時はウサギを起こして一緒にゴールを目指すことを子どもたちに教えたい、と▼「着実な前進」「個性の尊重」「共生」——同じ話でも国や文化が異なれば受け止め方も違う。とはいえ、どれも知恵に満ちた興味深い観点。捉え方の"違い"は"豊かさ"ともいえよう▼心の状態によって現実は姿を変える。御書に「浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(384ページ)と。伸びよう、学ぼうという心がある限り、どんな状況も成長の好機に変えられる。(燦)

寸鉄 2020年3月8日
「災来るとも変じて幸と為らん」御書。変毒為薬の信心。確信の祈りで前進
芸術部の日。妙法の名優の活躍は同志の誉れ!更なる高みへ心と技を錬磨
国際女性デー。婦人部・女子部こそ「女性の世紀」の太陽。皆様に福徳あれ
本紙届ける「無冠の友」に心から感謝。地道な献身ありて希望哲学は社会へ
日本人の睡眠時間は世界最短と。心身の不調の元。生活リズムの見直し賢く

☆中央ミンダナオ大学の名誉博士号授与式 池田先生の謝辞
一、本日、「教育の大国」フィリピン屈指の名門学府より、最高に誉れある「名誉教育経営学博士号」を賜りました。
この栄誉を、模範の良き国民、良き市民として地域社会の発展に貢献を貫く、わがフィリピンSGIの不二の宝友と共に拝受させていただきます。
そして、平和の信念の人間教育者として、貴国をはじめアジアを深く愛し、「地球民族主義」の理念を提唱した、わが師・戸田城聖先生に謹んで捧げさせていただきたいのであります。
恩師の生誕120年に当たり、弟子としてこれほどの光栄はございません。
デリへ学長はじめ諸先生方のご厚情に、心より御礼を申し上げます。
誠に誠に、ありがとうございます(拍手)。

◇大山の如く厳然たる未来の指標
一、貴大学は、1910年設立の農業学校を淵源とし、世紀を超えて幾多の卓越した人材を育成してこられました。
山は人を育て、人を高みへ導きます。
まさしく校章に描かれた、秀麗なムスアン山の如く、ミンダナオの天地に聳え立つ教育の大山として厳然と、また悠然と青年を薫陶されるとともに、崇高なる未来への指標を明確に示されてきたのであります。
高度な教育・研究機関の充実を通して、地域の産業の発展や医療への貢献とともに、緑化をはじめ環境の改善に寄与してこられたことも、感銘深く伺っております。教員やエンジニアなど国家試験の合格率でも極めて高い評価を勝ち取ってこられました。
英邁なるデリへ学長のリーダーシップのもと、貴大学は「持続可能な地球環境と人道的な社会の創造のための全人教育に取り組み、アセアンをリードする」とのビジョンを掲げて、前進されています。
私は心からの共鳴を禁じ得ません。

◇民衆の大地を潤すのは「青年」
一、実は、この1月、発表した提言で、私は気候変動などの未曽有の危機も、時代の潮流を転換させるチャンスに変えることができるとの信条を吐露しました。
そして人類が共に直面する試練をグローバルな行動の連帯を生み出す触媒へ転じていく要として、青年と大学に光を当てたのです。
その意味において、貴大学の先駆の挑戦に学びつつ、新たな潮流を強め広げゆく三つの希望の力を確認し合いたいと思います。
第一の希望は、青年への信頼と励ましの力であります。
貴大学の校歌には、青年の学びと貢献の力への信頼が高らかに謳われております。
「私たちは今、偽りの心なく/あなたの泉から湧き出る水を飲む/わが愛する祖国に尽くせるよう/自らを備えるために」とあります。
貴大学の満々たる「知性の泉」から、若き逸材は生き生きと英知を湧き出しながら、力強く民衆の大地を潤してきたのであります。
その青年の向学と献身をいやまして高める原動力こそ、デリヘ学長が率先して続けておられる学生一人一人への励ましではないでしょうか。
学長が学生たちの輪の中に飛び込んで、ある時は「探究の先輩」として、また、ある時は「慈愛の父」として、激励をされている姿はまさに人間教育の鑑であります。
私は、偉大な民衆教育の先人でもあった、貴国のホセ・リサール博士が、皆の前で褒められた子は、翌日、それに倍する勉強をして登校してくるというエピソードを紹介されていたことを思い起こします。博士は「自信が英雄的事業を生む」(岩崎玄訳『ノリ・メ・タンヘレ—わが祖国に捧げる—』井村文化事業社)と論じておりました。
私の恩師も青年を信じ、一切を青年に託してくださいました。その信頼と励ましがあればこそ、私たちは思う存分の力を発揮できたのであります。
この人間教育の希望の連鎖を、私たちは一段と強め、拡大していきたいと思います。

◇「希望の太陽」はわが生命に
一、第二の希望は、不屈の楽観主義が生み出す建設のエネルギーであります。
10年前、わが創価学園、創価大学にお迎えしたデリへ学長が、不屈の楽観主義で青春の苦闘を勝ち越えられた足跡を通し、大いなる勇気を若き生命に贈ってくださったことも、忘れ得ぬ思い出です。
人生も社会も、いたずらに不安や悲観や落胆などに流されず、いかに前進の一歩を踏み出していくか。
45年前、共に対談集を発刊した、大歴史学者のトインビー博士とも、人類が、いかなる試練にも屈せず、新たな生命尊厳の文明を創造していく21世紀を展望し合いました。この博士が、どんな苦難もはねかえす活力と楽観主義を見いだして感嘆されていたのが、貴国フィリピンの民衆だったのであります。
フィリピンSGIの友と私の合言葉の一つも「希望の太陽」であります。
時代の闇が深ければ深いほど、明るく朗らかな歌声を忘れずに、一人一人の生命から「希望の太陽」を昇らせ、建設のエネルギーを漲らせていきたいのであります。

◇友情の絆強めて調和の世紀を
一、第三の希望は、世界の大学の連帯の力であります。
貴国フィリピンには、高貴な伝統精神たる「パキキサマ(友情)」「パグカカイサ(団結)」の心が脈打ってきました。それは、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の根本理念である「誰も置き去りにしない」とも強く共鳴しております。
デリヘ学長をはじめ貴国の教育界の先生方と手を携えて、大学の交流を幾重にも結ぶ中で、この貴国の開かれた心の大きさと温かさに感服してきた一人であります。
学長が確信されている「結合と協力の圧倒的な力」を、私もまた信じてやみません。
今年の提言で、私はSDGsの達成期限である2030年へ"青年行動の10年"ともいうべき波を起こすことを呼びかけるとともに、世界の大学の取り組みに期待を託しました。
創価大学も「国連アカデミック・インパクト」の一員として挑戦を開始しております。
貴大学との尊き「パキキサマ(友情)」「パグカカイサ(団結)」の絆を強めながら、人道と調和と共生の世紀の建設へ、共々に邁進しゆくことをお約束し、謝辞とさせていただきます。
愛するフィリピン共和国に、無窮の繁栄と平和あれ! マラミン・サラマッポ!(フィリピノ語で「誠にありがとうございました!」)(大拍手)