使命に生き抜く
男子・女子部の部長よ
君たちの奮闘こそ
希望の前進の原動力!
社会を照らす光明だ!
阿仏房尼御前御返事 P1308
『法華経に云く「恐畏の世に於て能く須臾も説く」云云、悪世末法の時三毒強盛の悪人等集りて候時正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天人供養あるべしと云う経文なり』
◇希望の明日へ
人間の心、境涯1それ自体は、あたかも空間が肉眼で見えないように、決してHには見えない。しかし、そこには仏法で説く空という状態で、無限のエネルギーが秘められている。その内なる"心の大空""境涯の宇宙"のかぎりない力をどう引き出すか。ここに、人間の一念の力を説く大乗仏教の核心がある。
平3・6・28
☆女性に贈ることば 十一月七日
四十代からが、女性のひとつの勝負です。それまでは、焦らず、着々と、崩れざる福徳の土台を固めていくことです。
☆今日のことば 十一月七日
先輩よ 真の勇気ある人になれ
われも 平凡のなかに勇気ある人になりたし
これ後輩に対する責任なり
☆生命の光母の歌第2章 声の力、文化の力
池田SGI会長 この連載を、日本全国の友が喜んでくれています。北海道の同志からは「1991年の8月、札幌での本部幹部会でサイフェルト博士に『母』の歌を披露していただいた思い出がよみがえりました」との声が寄せられています。
あの時、博士の独唱には、婦人部の皆さんの歌声も加わり、やがて会場が一体となっての壮大なハーモニーとなりました。総立ちとなった参加者からは、万雷の拍手と"ブラボー"の歓声がいつまでも鳴りやみませんでしたね。
サイフェルト博士 ええ! 覚えていますとも。まるでサッカースタジアムにいるような、熱気あふれるひとときでした。
この曲は、今や私の「十八番(おはこ)」です。日本以外でもよく歌ってきました。オーストリアやアメリカ、アルゼンヂン等々……。お気に入りのアンコール曲です。
そして歌い終わると、常に会場は満場の喝采に包まれます。それは、この曲が持つ音楽性も影響しているかもしれません。というのも、日本語が分からない聴衆にとっては、この歌詞の内容がすぐには理解できないわけですから。
この曲は、どのようにして作られたのでしょうか。
池田 もともと、この「母」の歌の原詩を私が発表したのは、1971年の秋でした。残酷な戦争に苦しめられ、人生の風雪と悲しみに耐え続け、最も生命の尊厳を知っている庶民の母たちに思いを馳せて綴ったものです。それから5年後、音楽大学出身の2人の乙女が、この詩に曲をつけてくれたのです。
実は当時、私の母は健康が優れず、病床に伏しており、奇しくも、この歌は母が亡くなるひと月ほど前に完成しました。母もテープを聴いて、喜んでくれたようです。
母よ、あなたの願いが翼となって天空に舞いくる日まで、いついつまでも達者に−−この祈りを基調にして紡ぎ出してくれたメロディーなのです。
ところで、博士はコンサートが終わると、毎回、客席に花束を持って下《お》りていき、聴衆に花を配られると伺いました。
サイフェルト それは、私が初めてコンサートの舞台に立って以来、ずっと習慣にしていることです。最初に歌った時、「これから先、コンサートでいただくお花は、せっかく足を運んでくださった方に差し上げていこう」と誓いました。ステージで歌わせていただいたことへの「感謝のしるし」なのです。
私にとって、舞台に立って演奏することは、聖なるもの−−カトリック的に言えば聖霊でしょうか−−からの贈り物を受け取り、他の人に継承することです。
私がこれまで達成したことは、どれ一つとっても、自分一人で成し得たことではありません。全て私に与えられたものなのです。だからこそ、非常に大切なのが感謝の気持ちだと思っています。
池田 深い美しい心に胸を打たれます。今、自分がこうして生きているのは、決して一人の力ではない。父母をはじめ、あらゆる人の支えがある。さまざまな恩恵のおかげで、自分の存在がある。ゆえに仏法でも「知恩」「報恩」を最大に重んじます。恩を知り、恩に報いる生き方を教えているのです。
サイフェルト博士の真心が共鳴を奏でた日本各地での公演では、「浜辺の歌」「荒城の月」なども見事な日本語で披露され、大きな感動を広げたそうですね。
サイフェルト 来場された方にとって馴染みの深い歌を通し、それぞれの思い出に語りかけ、懐かしい時を共有したかったのです。日本の歌曲には舌がもつれそうな時もありますが。
残念なのは、私がいまだに日本語を話せないことです。とても好きで、興味のある言語なのですが、日本語を読み出して5分もたつと頭痛が始まり、目で追えなくなってしまうのです。
ただ、日本語の響きと構造は大変に興味深く、美しいと思います。音楽的でさえあります。ですので、よく耳を澄まして聴いていると、その響きから、何を話しているのかは大体分かります。
池田 日本語の難しさといえば、アメリカの大科学者ポーリング博士との語らいを思い起こします。私のように姓が「I」から始まる場合、英米では「アイ」と読んでしまうことなどを挙げられながら、「日本語の発音、アクセントは私たちには分かりづらい」と嘆かれていました。
それはそれとして、優れた音楽家は、他国の言語であっても、独特の直感力で言葉の実の真情をくみ取ることができるのではないでしょうか。
そこにも私は、音楽の力、芸術の力を感じます。それは立場や民族、国境を超えて、人々の心と心を結ぶ大いなる力です。