2012年9月19日水曜日

2012.09.19 わが友に贈る

戦いが困難なほど
舞を舞うごとく
喜び勇んで進め!
我らには絶対勝利の
師弟と同志の絆がある!

兄弟抄 P1087
『此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず』

◇希望の明日へ
諸法(現実のもろもろの姿)は即、実相(真実)である。姿を見れば、心がわかる。にじみ出てくるものがある。話し方、目つき、礼儀や行動に内面が表れている。すがすがしい人間性、揺るぎない確信、毅然たる意志、堂々たる決意−−人格の人には、色あせない輝きがある。
平5・9・7

☆池田大作 名言100選 歴史
歴史観とは人間観である。
歴史を学ぶことは人間を見る目も豊かにする。

☆我らの勝利の大道No.083「不滅の原水禁宣言55周年」
◇歴史的な大師子吼
それは、一九五七年(昭和三十二年)の九月八日の日曜日。「若人の祭典」(第四回東日本体育大会)が行われた横浜・三ツ沢の陸上競技場は、台風一過の透き通るような秋空に包まれていた。
この祭典の棹尾を飾ったのが、戸田先生の師子吼であった。青年を中心にした約五万人を前に「宣言」が放たれ、こだました。
「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
当時、水爆や大陸間弾道弾(ICBM)の実験が行われ、米ソの核兵器開発競争が激化していた。核戦争などによって、人類が滅亡に至るまでの残り時間を象徴的に示す「世界終末時計」も、二分前という滅亡寸前まで進んでいたのだ。
そうした渦中に、わが師は、人類の生存さえ断絶しかねない原水爆の本質を、国家や政治体制、人種や民族といった次元を超え、「人間生命」という深層から告発したのである。
ある参加者は広島で被爆した友人を思い出し、平和な世界を築くために、師と共に、心固く歩んでいこうと決意を新たにした。
学会が"貧乏人と病人の集まり"と悪口された時代である。だが、困難な境遇など一切突き抜け、恩師の叫びは、皆を「広宣流布」即「世界平和」への使命に目覚めさせる、偉大な光源となった。

◇断じて許さない!
実は、この大宣言に至るまで、戸田先生は入念に思索を重ねられていた。
一年以上も前(一九五六年六月)、福岡の八幡市民広場(当時)での質開会に出席した時には、核戦争が危惧される世界情勢に触れるや、「原爆などを使う人間は最大の悪人だ!」と憤りを露わにされた。
また、盲言の二ヵ月前の七月十二日には、雑誌での対談で断言されている。
「原子爆弾だけは許せん。アメリカでも、ロシアでも、どっちであっても、そういうことは断じて許さん」と。
その発言には、仏法の生命尊厳の哲理を根底とした、核廃絶への揺るぎない思想的基盤があった。
御聖訓には、『いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり』(P1596)と仰せである。この尊き生命を脅かし奪い去る魔性の暴力は、絶対に容認することはできない。
東西冷戦下、世界の危機的な分断と対立が深まっていた一九五二年(昭和二十七年)、恩師は決然と「地球民族主義」を提唱された。国境やイデオロギーの壁を超えて人類を結ぶという先駆的な思想である。人類の生存を脅かす核兵器が、すべての人びとの共通の敵であるという叫びも、ここから帰結されるのだ。
一九五五年(昭和三十年)には、世界的な科学者が署名し、核兵器による人類の危機に際し、戦争の廃絶を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表された。どの民族、どの国の人びとも、絶対に犠牲にされない世界の構築という恩師の理想に呼応するかのように、核廃絶への国際世論は高まっていった。
さらに「ラッセル・アインシュタイン宣言」の署名者で、発表に尽力したロートブラッド博士が中心となり、二年後(一九五七年)の七月、その精神を受け継ぐ科学者の連帯「パグウォッシュ会議」が発足したのである。
恩師の「原水爆禁止宣言」の発表は、その二ヵ月後の九月。厳たる歴史の刻印を確認するにつけ、戸田先生の先見に感銘を深くする。
ロートブラッド博士は、志を同じくする「平和の英雄」と、先生を讃えてくださっている。
私は、師の宣言の重大な意義を直感していた。ゆえに記録にも心を砕き、モノクロ(白黒)映像が主流だった時代に、カラーで撮影するなど手を尽くした。この大宣言を、後世永遠に残し伝えたい一心であった。