2012年9月12日水曜日

2012.09.12 わが友に贈る

副役職の友の
朗らかな前進が
皆に勇気と希望を送る!
今いる使命の場所で
信心の模範と輝け!

強仁状御返事 P184
『身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣武家の責を恐れず昼は国主に奏し夜は弟子等に語る』

◇希望の明日へ
御書にも恩を強調されている通り、知恩、報恩は人間性の精髄である。忘恩は人間性の放棄である。
平3・5・25

☆池田大作 名言100選 苦難
もっとも不幸を味わった人こそ、
もっとも幸福になる権利がある。

☆我らの勝利の大道No.82「永遠なる師弟の絆」
◇不忘山の同志たち

堂々と
 この人生を
  勝ちぬきて
 三世の宝冠
  誇りてかぶれや

「八・二四」は、黄金柱の誉れも高い「壮年部の日」である。
思えば、一九九〇年(平成二年)のこの日、私は東北の地にいた。
標高千七百五メートルの名峰・不忘山を望む宮城・白石市の東北記念墓地公園で、尊き同志と本部幹部会に出席したのである。
草創の頃、「不忘」の地の同志は石巻の組織に所属していた。会合に行く時は山道を五、六時間も歩いて白石に出て、列車で仙台、さらに石巻へと通った。帰りは仙台駅のホームで夜を明かし、翌朝、再び列車と徒歩で長き道をたどり、「不忘」に戻ったという。
石巻の友も、幾度となくこの地に足を運び、弘教に勇んで挑戦しておられた。あまりにも偉大な、広布の開拓者たちである。
この同志の不屈の行動によって、東北広布の道なき道が開かれてきたことも、この同志の金剛の絆によって、東日本大震災の苦難を耐え、乗り越えてこられたことも、私は「不忘山」の名の如く、決して忘れない。
この一九九〇年の東北訪問の際、墓地公園の周辺を視察していた私は、偶然、三人の壮年と出会った。地元の蔵王支部の方々であった。各種行事の無事故・大成功を、婦人部の皆様と共に、近くの場所で、陰ながら祈ってくださっていたのである。
私は、三人と固い握手を交わし、感謝を込めて「白石の三勇士」と呼ばせていただき、再会を期した。
四年後(一九九四年)、再び、この地を訪れた折、立派に広宣流布の拡大を成し遂げた友らと、晴れがましく再会を果たすことができたのである。
誓いを忘れず──不忘の人生は荘厳である。
この支部では、婦人部も壮年部も青年部も皆、本当に仲良き創価家族の絆で結ばれていた。
その秘訣を教えてくれるかのように、婦人部の方が語っていた。「うちの壮年部は、みんな、親切で優しいんです」
あれも、これも、壮年部が手伝ってくれました、と誇らしげであった。
壮年が婦人部を守り、大切にする組織は、必ず発展する。喜びがあり、希望が広がる。

◇壮年は励ます力を
壮年の「壮」の字には、「勢いが盛ん」「意気に燃えている」等の意味があり、ほかにも「元気づける」という意もある。「壮行」といえば、前途を祝し励ましを贈ることである。
つまり自分だけでなく、周囲を励ます力を持つのが「壮年」とはいえまいか。
青年を励ます壮年の言葉には、真心の思いやりがあり、心からの期待があり、経験を重ねた確信がある。
石巻出身の作家・志賀直哉は言った。
「築く。築くといふ事が大事だ。そしてそれをくづさぬやう、くづされぬやう、本物で築き上げて行く」
我ら壮年は、自らが礎となり、石垣となり、柱となって、永遠に崩れざる人材城を築き上げ、青年たちに譲り託していくのだ。いかに時代が揺れ動こうとも、厳然と勝利へ指揮を執っていくのだ。これほど不滅の人生はない。
「いよいよの心」を燃え上がらせ、私も壮年部の栄えある一員として、断固として戦い抜く決心である。

岩手県が生んだ世界市民である新渡戸稲造博士は、「如何なる手腕技倆あるものでも、最初の決心を継続して行ふものでなければ、決してその事に成功しない」と綴られた。
そうだ。常に初心を忘れず、地道に粘り強く、戦い抜くことだ。その人が一番強い。最後は必ず勝つ。
岩手でも、この夏、わが壮年部の友が一丸となり、聖教新聞の拡大に黄金の汗を流してくださった。ありかたい限りである。
もちろん、壮年部の奮闘も、青年部の躍進も、その陰には、偉大な婦人部の懸命な祈りと真心の支えがあることはいうまでもない。