2019年4月30日火曜日

2019.04.29 わが友に贈る

◇今週のことば
「母の御恩忘れがたし」
母たちへの感謝の心から
幸福と平和が広がる。
太陽の婦人部を讃え
創価家族は笑顔で前進!
2019年4月29日

松野殿御返事 P1389
『法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む』

【通解】
法華怪には、(法華経の)行者を怨む者は、阿鼻地獄に堕ちる人であると定めている。

〈寸鉄〉 2019年4月29日
会長の著作は読むほどに自らの生き方が深まる—識者。青年よ成長の糧に
東京・大田の日。地域に見事なる友情スクラム。師弟源流の人材城は盤石
信仰とは無限の向上だ—戸田先生。昨日より今日。普段できないことに挑戦
東日本中心に流感の患者が再び増加と。手洗い・嗽等の励行を。健康第一で
五月病は連休中の生活の乱れが因に—医師。聡明に英気養い充実の日々を

☆ふるさとを照らす誉れの長者 地域部 2019年4月19日
"創価の全権大使"として、あの地この地で信頼と友情を広げる地域部の友。「部の日」の淵源となった「第1回地域部総会」で、池田先生は語った。「皆さま方の人生こそ、世間で仰がれる聖賢、指導者をもはるかに超えた尊極の人生である」と。地域のよりよき未来を築くため、献身する地域部の代表を紹介する。

山梨・大月市 小沢和枝さん
●一人一人と向き合いながら
富士山への玄関口として知られる山梨・大月駅。JR中央本線と富士急行線の乗換駅であり、近年は富士山や富士五湖などに向かう外国人観光客でにぎわう。
同駅からのびる線路の柵の外には、色とりどりの花が植えられた植木鉢がずらり。植栽したのは、小沢和枝さん(大月栄光県副婦人部長)を中心とする地元の婦人たちだ。美化活動を目的とした市の「アダプト・プログラム」の一環として、小沢さんが13年前に植栽グループを発足。年に2回、ビオラやマリーゴールドなどを植え、明るい町づくりを推進している。 
「カメラで列車を撮影する方も多いですし、少しでも周囲が華やいで、喜んでもらえたらうれしいです」
地域を愛してやまない小沢さんには、"もう一つの顔"がある。保護司を務めて24年。非行や犯罪に走った人の更生に尽くし、市の保護司会事務局長としても活躍してきた。
保護司は法務大臣の委嘱を受けた無給・非常勤の国家公務員。保護観察の対象になった人が社会復帰できるよう、生活上の助言や就労援助をするなど、更生をサポートするのが役目だ。
保護観察の対象者は月2回ほど保護司の自宅等へ足を運び、面談を受ける。そこで保護司は更生を図るための約束事(遵守事項)を守るよう指導や助言などを行うが、当然、一筋縄でいかないことが多いという。
「約束を破られることは、珍しくありません。面と向き合っても無口だったり、"本当に反省してる?"と思ってしまう態度を取られたり……でもじっくり話を聞くと、複雑な家庭環境や孤独による寂しさから犯罪に手を染めてしまったことが分かってきます。みんな本当は、心根が優しく、よりよく生きたいと願っている——それを信じ抜くことが、私の戦いだと思っています」
その信念を支えるのは、学会活動の中で培ってきた経験だ。"この人が立ち上がるまで諦めない"との覚悟の祈りを欠かさない。ときに全てを包容する"母"となり、ときに夢を語り励ます"友"となりながら、粘り強く一人一人と向き合ってきた。
保護観察が終わっても、直接自宅に来たり、手紙や電話で近況を報告してくれたりする人もいる。「資格が取れました!」「赤ちゃんの顔を見せにきました」——その時の彼ら彼女らの笑顔を見ることほど、うれしいものはない。
「より良い町に——その思いでこれまで走り抜いてきました。小さな一歩一歩がやがて、大きな喜びにつながると確信しています」
小沢さんは法務省主催の「社会を明るくする運動」の一環として、地域の防犯パトロールや中学校での非行防止教室などにも携わる。それらの長年の功労がたたえられ、昨年9月、法務大臣表彰を受けた。
「気配り上手で笑顔を忘れない小沢さんは、まさに地域貢献の見本」とは周囲の声。小沢さんの夫・端さん(副圏長)も今春から地元の自治会長に就任し、夫婦で地域貢献の人生を歩む。"愛する地域を幸福の楽土に"——と。

宮城・仙台市 永田佑さん
●誰もが助け合える町を共に
「ピンクのおじさん、こんにちは!」——夕暮れの町に小学生の声が響く。児童の視線の先には、「横断中」と書かれた旗を持つ永田佑さん(宮城・青葉大勝区副区長)の姿が。下校する児童の見守りを終えた後、ピンクの自転車で町をパトロールする永田さんの姿から、先の愛称が付けられた。
「きょうはずいぶん、元気だね!」「うん、テストで良い点が取れたんだ!」——児童が通るたびに、和やかな語らいが広がる。その一こま一こまを、柔らかな西日が照らしている。
学校ボランティア防犯巡視員として13年。児童や保護者が安心して暮らせるようにと毎日、見守りを続けてきた。誰よりも地域の防災や安全を考え、献身の汗を流してきた永田さんへの信頼は絶大だ。
定年退職後、仙台市青葉区国見ケ丘の町内会役員として"地域デビュー"したのが2005年。当時は宮城県沖地震の発生が危惧されていたが、町内会に防災組織は存在しなかった。
永田さんは防災懇談会を開き、自主防災組織委員会の発足に尽力。防災マップや指定避難所の運営マニュアル等の作成や、雨水をためる天水桶を集会所や自宅に設置するなど、具体的な対策を推進してきた。
あの東日本大震災の折には、天水桶がトイレの雑用水や清掃に役立ち、避難所運営もスムーズに。これが模範の取り組みとして、テレビでも紹介された。これらの防災対策を中心的に進めた永田さんは翌年、役員の総意で町内会長に選出された。
震災後、青葉区に避難してきた人は少なくない。
新たな地域で生活を始める不安、震災で負った心の傷……。その一つ一つを抱きとめるように、永田さんは寄り添った。"転勤族"だった永田さん自身にも、行く先々で温かく迎えてくれた同志の存在があったからこそ、今度は"自分が支える番だ"と決めていたのである。
誰もが助け合える町づくりを——その思いで永田さんは、町内会全25班それぞれの座談会の開催を推進。また月1回の班長会では、各家庭の近況や地域の課題を共有し、行政機関らと連携した。これまでカーブミラーの設置や交通表示の補修などを進め、町民一人一人に町を良くする主体者との自覚が芽生えていった。
震災後に青葉区に移り住んだ岩崎武宏さん(副本部長)と田川彰一さん(地区幹事)も、永田さんの面倒見の良さと行動力に感銘。今、共に手を携えて地域貢献に励む日々だ。
「地域の皆さまの協力と献身があってこそです」と永田さん。町内会長を2期4年務め、現在は顧問として町内会を支える。また小学校の学校関係者評価委員として学校運営のアドバイスも行う。毎年5月には、地元の市立小学校の1年生全員に、無事故を願う手紙とともに、震災後に咲いた"ど根性ひまわり"の種を贈り続けている。
今年で75歳。「"生涯現役"の心意気で、町民の皆さんの手足になりたい」。地域に理想郷を築く永田さんの挑戦は終わらない。