出掛ける際は安全第一!
「前前の用心」怠らず
余裕ある計画を。
有意義に英気を養い
友好広げる黄金週間に!
御義口伝巻上 P740
『四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら四徳の香を吹くなり』
【通解】
(宝塔の)四つの面とは、生老病死という四つの相のことである。この生老病死をもって、我らの一身の生命の宝塔を荘厳するのである。
我らが生老病死に際して、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま常楽我浄の四つの徳の香りを薫らせることになるのである。
〈寸鉄〉 2019年4月28日
立宗の日。三代の激闘で立正安国の魂は現代に。さあ勢いよく連続闘争へ
北陸から友情の大輪を—新時代は燃える誓願の友ありて。石川・富山の日
青年は真剣勝負で自分を鍛えよ—戸田先生。大胆に動き、対話の中で磨け
千里の行も足下より始まる—老子。家族や近隣を大切に。そこに広布あり
乳幼児の誤飲事故に注意を。煙草・医薬品・電池の保管厳重に。子の目線で
☆地域を歩く 岩手・金ケ崎町 2019年4月19日
◇貢献の使命に生きる 人材をもって城となす
岩手・金ケ崎町。西部の駒ケ岳を有する高地と東部の北上川が流れる低地との間にある1300メートル以上の標高差が、多様な気候や風土を生み出す。
町では広大な牧草地を活用した畜産が盛んだ。
「酪農についてもっと学びたいと思い、一人で金ケ崎町にやって来ました」。清水萌子さん(女子地区リーダー)は今春、町内にある県立農業大学校を卒業し、同校の牛舎で指導助手として働き始めた。
横浜市出身。都会から地方に移住した"Iターン組"だ。幼い頃から、牧場を経営する親戚のもとに通い、乳牛と触れ合ってきた。酪農に関わりたいと思うようになり、神奈川県内の農業高校に進学した。
だが、鶏を殺して食べたり、牛の殺処分に携わったりするたびに、"家畜たちの生きる意味は何なのか""かわいそうで耐えられない"と悩み、生まれて初めて真剣に題目を唱えた。
そんなある日、高校を訪れた子どもたちが、搾った牛乳をおいしそうに飲む姿に接してハッとした。「真心込めて育てた牛から搾った牛乳を通し、命の大切さを伝えることが、牛への恩返しだと気付きました」
親元を離れての生活は苦労も多かったが、母親のように親身に接してくれた婦人部や女子部の先輩を支えに、学内の弁論大会で優秀賞、牛を引く技術を競う競技で全国大会進出を勝ち取るなど、充実の学生時代を過ごすことができた。感謝の思いを胸に、理想の酪農を目指す。
金ケ崎町を含む県南地域のブランド牛「いわて奥州牛」を肥育する及川秀信さん(壮年部員)。
農協の肥育部会奥州牛支部の金ケ崎分会で分会長を務める。及川さんの牛肉は、かつて県の枝肉研究会で最優秀賞を獲得。県内外から視察が相次ぐ。
そんな活躍著しい及川さんだが、農業大学校に通っていた学生時代は、肉牛の肥育に関わるつもりはなかった。
卒業を迎えた1999年(平成11年)は"就職氷河期"真っ最中。求人はなく、やむを得ず両親の後を継ぎ、肉牛の肥育を始めた。だが、両親が教えてくれるわけでも、"マニュアル"があったわけでもなかった。
一般的に、高値で売買されるブランド牛の肥育方法は、誰も教えたがらない。及川さんは手探り状態から、徐々に自分なりのやり方を考えた。
その間、なかなか販売成績は上がらない。そればかりか、出荷寸前の牛を病気で失ったり、東日本大震災による風評被害で牛肉が一時出荷停止になったりと、困難が次々と襲った。そんな及川さんを支えてきたのは、仏法の生命尊厳の思想だ。
「食べるということは、尊い命をいただいているということです。だからこそ、どんなことがあっても、一頭一頭の命に責任を持つ。そう決めています」
生産者の減少など、依然、肉牛の肥育を取り巻く状況は厳しい。その中で「いわて奥州牛」の第一人者を目指す及川さんへの信頼は、ひときわ厚い。
金ケ崎町生まれの齊藤時勝さん(男子部本部長)は高校卒業後、経済苦にあえぐ家族を支えるため、地元のメッキ加工工場に就職。同時に、男子部の活動にも参加するようになった。
当初は、仕事と活動の両立に奮闘していたものの、仕事の忙しさのあまり、やがて活動から足が遠のいていった。その後、仕事を転々とするように。将来の夢はあったものの、それも実現が難しいことが分かると、いよいよ行き詰まった。
齊藤さんは振り返る。
「このままで本当にいいのかと思いました。独りよがりでは生きていけないのかなと初めて考えるようになりました」
再び信心根本の前進を決意した齊藤さん。その中で紹介を受けたのが、現在勤める就職先だった。男子部の活動で培ってきた後輩の育成や、周囲への気配りが職場で生かされた。
一方、齊藤さんは町を代表する市民ランナーとしても活躍。中国の姉妹都市・長春に派遣されたこともある。
地域の模範として、さらなる輝きを! それが齊藤さんの誓いだ。
県内最大級の工業団地がある金ケ崎町。町内の経済は日本や世界の状況に左右されてきた。
高校卒業後、就職を機に、金ケ崎町にやって来た、宮古市出身の千葉一幸さん(支部長)。
当時は"金が先"と揶揄されるほど地域経済が潤い、工業団地は活気にあふれていた。
だが、仕事は終わりが見えないほどの量。千葉さんは、ストレスが原因で十二指腸潰瘍になり入院。その時、宮古市の病院まで、わざわざ見舞いに来てくれたのが、金ケ崎町に住む学会員だった。
学会3世の千葉さんだが、まじめに信心をしようと思ったのは、この時が初めてだった。以来、仕事や子育てなどの悩みなど、地域の学会家族に支えられながら乗り越えてきた。
一方、時代の流れとともに、工業団地の様子も変化した。リーマン・ショックや東日本大震災の影響による配置転換やリストラで、多くの同僚や近隣の住民が転居を余儀なくされた。
千葉さんは今も、工業団地にある大手自動車部品メーカーに勤め、近くに住む。地域の人間関係の希薄さに危機感を覚え、学会員であるなしに関係なく声を掛ける等、自分でできることから挑戦する。
「住民の入れ替わりの激しい地域に住み続けていられるのは、本当にたまたまです。いついかなる時も支え合うつながりを、職場や地域につくることが大切だと思います」
工業団地の近隣住民に多い核家族。高橋法子さん(地区婦人部長)は3人の子育てをしながら、孤立しがちな母親を応援する取り組みをしている。
学会2世として北上市で生まれた。結婚を機に金ケ崎町へ。子育てサークルで地域に友好を広げる中、町が抱える課題が見付かった。
「さまざまな悩みを持つママがいる中で、気軽に相談できる場所が少ないと感じました。ママ同士がコミュニケーションを取っていけば、子どもたちにも良い影響があると思いました」
そんな高橋さんが仲間と立ち上げたのが、子育て支援団体「おーばる」。行政や専門機関・団体など地域の皆で子どもを育てる"共同養育"を目指し、料理教室などの交流の場を設け、訪問活動、情報誌の発行等を行う。
高橋さん自身、子育てに関する悩みは尽きることがない。だが、同じ状況の母親と痛みを分かち合うことで、お互いに心が軽くなるという。「子どもは地域の未来を開く宝の存在です。ママも子どもも笑顔輝く金ケ崎町を築いていきます!」
◇
今月は、1954年(昭和29年)4月25日に東北を訪れた戸田先生が「学会は、人材をもって城となすのだ」と池田先生に語ってから65周年の佳節。
現在、桜前線が北上中の東北北部では、今週末を中心に開花を迎える予想となっている。
金ケ崎町には、それぞれの"使命の花"を一足早く咲かせた人材城が築かれていた。