「一切空しく過して
万歳悔ゆること勿れ」
二度とないこの瞬間を
全力で走り抜こう!
自分に勝つ人たれ!
御義口伝巻下 P775
『又云く肉髻は随縁真如の智なり白毫は不変真如の理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此等の相好を具足するなり、我等が生の始は赤色肉髻なり死後の白骨は白毫相なり、生の始の赤色は随縁真如の智死後の白骨は不変真如の理なり秘す可し秘す可し云云』
【通解】
また肉髻は随縁真如の智であり、白毫は不変真如の理である。いま日蓮大聖人およびその弟子が南無妙法蓮華経と唱えるのは、随縁不変・一念寂照で、この肉髻・白毫の二相を具足するのである。
すなわち、わが生命の本質が妙法の当体であるということは不変真如の理であり、題目を唱えて妙法の力が生命活動の上に顕現していく智慧は随縁真如の智である。
〈寸鉄〉 2019年4月6日
歴史を創らずして、何の人生か—恩師。誓いを果たす時は今。限界を突破
大阪の此花・西淀川・都島が猛追。圧倒的拡大を。関西に民衆勝利の旗を!
「自他彼此の心なく水魚の思を成し」御書。団結こそ勝利の要諦。心一つで
公明は「命を守る」ことにどこまでも真剣な党—識者。小さな声を必ず形に
春の新聞週間。愛読者と無冠の皆様に感謝。希望送る紙面作りへ決意新た
☆ふるさとを照らす誉れの長者 団地部 2019年3月26日
池田大作先生は団地のことを「小さな合衆国」と表現した。出自や価値観の異なる多様な人々が、一つの団地という世界で共に生きる——「その団地の人びとを、友情と信頼の固い絆で結び、人間共和の礎をつくらねばならない」と。師の期待に応えようと奮闘する団地部の代表を紹介する。
◇大阪・高槻市 下田部団地
●「変わらない」姿勢を貫いて
「いち、にー、さん、し」と、体操の掛け声が始まった。「ごー、ろく、しち、はち」と続くと思いきや、「ます! ます! げん! き!」と、30人ほどの高齢者が口をそろえて言う。
こちらが思わず目を丸くしたのを、杉田武司さん(副支部長兼地区部長)は見逃さなかった。
「これ、『ますます元気体操』っていうんですよ」
大阪・高槻市が作成した介護予防の体操だという。
約70棟を擁する下田部団地の集会所は、いつもにぎやかだ。寿会(敬老会)の会長である杉田さんが中心となって、定期的に体操を行っている。
体操が終わっても"ますます元気"になった人たちがおしゃべりしだして、なかなか散会しそうにない。
「仲ええでしょ? これがうちの団地の自慢なんです」と杉田さん。
寿会事務局長の佐々木宏道さんも、相づちを打つ。「私は今も仕事を続けているんですが、長期出張から帰ってくると皆さんが口々に『おかえりなさい』って笑顔で迎えてくれるんです。それがうれしくてねえ」
最初からそうだったわけではない。杉田さんの入居は1970年。当時の住民は大阪府外で炭鉱労働に従事していた人など、出身地はバラバラ。気質の違いなどもあり、皆がまとまることは難しかったそうだ。
杉田さんが実践したことは「別に特別なことじゃない」。一人一人の顔と名前を覚え、自分から笑顔で声を掛けた。団地のためならどんな役割も率先して引き受けた。10年、20年、30年……。行政と住民の間に入り、複雑な問題に対する意見を調整したことも一度や二度ではない。自治会長の任期を終えた後も、その姿勢は変わらなかった。
"変わらない"姿が住民の心を"変えた"。理想を分かち合ってくれる人が、一人また一人と続き、互いに声を掛け合う「文化」が育まれていった。
ある年の猛暑の日、独居の高齢者が部屋でぐったり倒れていたところを同じ団地の婦人が見つけ、最悪の事態を免れたこともある。日頃の声掛けを継続していたことが功を奏した出来事だったという。
団地をもり立てるため、毎年の秋祭りにも創意工夫を重ねている。2017年には鼓笛隊の出演が実現。これが反響を呼び、住民に請われて翌18年にも鼓笛隊が団地内をパレードした。
杉田さんは、現在75歳。「まだまだ、これからですよ。池田先生に『世界一の"合衆国"ができました!』と胸を張れるまでね」と、"ますます元気"だ。
◇千葉・八千代市 米本団地
●「変わろう」と決めた時から
朝、少しおしゃれな装いをした小学生たちが、同じ方角に向かって団地の敷地内を歩いていく。
「あら! おめでとう」と今井初恵さん(婦人部副本部長兼地区婦人部長)が声を掛けると、子どもたちは照れくさそうに会釈した。
ここは千葉・八千代市の米本団地。隣接する小学校で卒業式が行われるという。
今井さんは団地自治会が主導する「ゴミパトロール」の巡回中。近年、外国人の居住者も増えているため、ゴミ分別の確認が欠かせない。分別の案内チラシは英語や中国語など5カ国語で併記されるようになった。
「まさに"合衆国"ですよね」と今井さん。今では大勢の住民でにぎわう朝のラジオ体操や住民同士の交流の場「朝カフェ」など、さまざまな取り組みが県民の注目を集める団地となったが、ここまで活発になったのは近年のことだ。
今井さんが自治会役員に就いた20年前は、価値観が全く異なる住民たちと意見が衝突することが少なくなかったという。相手を"変えよう"とばかりしていた自分を変えてくれたのは、池田先生の言葉だった。
1974年9月、先生は旧ソ連を初訪問。日本国内で「宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか」との声が上がった。だが先生は言下に答えた。「そこに人間がいるからです」と。
「次元は異なるかもしれないけれど、思いは同じでありたい」——今井さんはそう心に決めた。
さまざまな違いはあれど「同じ人間」として見る。この当たり前のことを皆で当たり前にできる団地になれば、ここが理想の郷土となるに違いない。その信念で、一つまた一つと信頼を築いてきた。「今は感謝しかありません。自治会や住民の皆さんに、どれほど支えられているか」
団地に住む学会員も、思いは同じだ。竪山澄子さん(婦人部副本部長)は、舞踊サークルの仲間と共にデイサービス施設や病院などで慰問を行っている。自身も胃がんを患った時、師の励ましや皆の支えによって乗り越えたからこそ「今度は私が希望を届けたい」と。
自治会事務所での作業を終えた今井さんと、サークルの練習を終えた竪山さんが合流した。ほぼ同じタイミングで、正装した鎌田豊彦さん(副支部長)が事務所前に姿を現す。自治会長代理として、小学校の卒業式に出席してきたという。
人間共和の理想郷を築こうとする"合衆国の同志"が顔を合わせると、話が尽きることはない。
「今日は、これからあの人に会いにね……」