2019年4月24日水曜日

2019.04.24 わが友に贈る

学会こそ日本の「柱」
「眼目」「大船」なり。
全民衆の幸福と勝利へ
共戦の同志と団結固く
威風堂々と進みゆこう!

新池御書 P1439
『此の経にあひ奉りぬれば諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』

【通解】
この法華経にあったならば、積み重なった悪業や罪も、妙法の太陽によって霜や露のように消え去るのである。

〈寸鉄〉 2019年4月24日
庶民が強くなるとは学会が強くなる事—恩師。立正安国の魂は我らに厳然
常勝大阪・師弟誓願の日。不撓不屈の勇者の連帯。世界が仰ぎ見る大行進を
「一切の草木は地より出生せり」御書。家庭こそ育みの大地。信心継承の礎
体験は力!希望の光源!自身の劇、語り伝えよう。「五十展転」の功徳ここに
幼児同乗の自転車事故や転倒に注意。ヘルメット着用等必ず。尊き命守れ

☆御書と歩む� 第65回 「勇気」こそ師弟の精髄
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず』(種種御振舞御書、910ページ)

◇通解
おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は一人も臆する心を起こしてはならない。

◇同志への指針
御本仏の永遠の大宣言であられる。
弟子を名乗る限りは、断じて臆してはならない。どんな試練の烈風が吹き荒れようとも、怯まず胸を張るのだ。
「勇気」こそ、日蓮門下の魂なのである。
大聖人は「各各思い切り給へ」とも仰せである。決然と一念を定め、師弟の誓願勝利の道を、まっしぐらに進みゆこうではないか!

☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「地涌の本舞台」 2019年4月16日
◇この時、この場を選んで広布を誓った使命の勇者
人間の生命には、計り知れない力が具わっています。この本然の力を発揮する鍵こそ、「地涌の菩薩」の自覚です。池田先生は、つづっています。「我らは末法広宣流布を誓い合った地涌の菩薩である。この時代、この場所を、自ら選んで生まれた使命の勇者だ。その大使命を自覚し、大願に生き抜く青春に、力が出ないわけがない。時代を変えゆく智慧が、湧かないわけがない」(『随筆 民衆凱歌の大行進』〈誓いの青年に贈る〉)。まぎれもなく、今いる所が使命の本舞台です。一人一人が、自分らしく朗らかに、痛快なる勝利劇をつづろうではありませんか。

◇歓喜の舞を共々に
●御文
『迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(大悪大善御書、1300ページ)

●通解
迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から現れた時には、まさに踊り出られたのである。

成仏の法を聞いて歓喜に舞い踊った迦葉や舎利弗。
妙法流布のために大地から踊り出た上行菩薩。
——正法に出あったうれしさ、妙法を弘める喜びが、計り知れないことを教えられた御文です。
本抄は、一部のみが伝えられているお手紙で、誰に与えられたか不明です。社会が騒然とする中で、"いよいよ妙法が広まるのだ"との御確信をつづられたと拝されます。
法華経の会座で、釈尊は、末法の妙法流布の使命を託すために、真の弟子を呼び出しました。その時、大地から踊り出たのが地涌の菩薩であり、その上首(最高リーダー)が上行菩薩です。
なぜ大歓喜の心で踊り出たのでしょう。それは、悪世末法が、地涌の菩薩にとって、自身の使命を果たすべき最高の舞台だからです。
私たちにとっても、厳しき現状は、決して厭うべきものではなく、勇敢に立ち向かうべきものです。
得てして人は、あまりにも大きな壁や困難に直面してしまうと、萎縮し、弱気になってしまいがちです。
しかし、本物の覚悟、不屈の勇気を持った人は、逆に現状が厳しければ厳しいほど、困難を克服した未来に心を弾ませ、挑戦の気概にあふれていくものです。
さあ、地涌の使命に燃えて、嘆かず、怯まず、生命の底力を発揮し、共々に勝利の舞を舞いましょう。

◇わが地域に正義の旗を
●御文
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし』(高橋殿御返事、1467ページ)

●通解
その国の仏法流布は、あなたにお任せします。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。

誰がやらなくとも、自分がやる! 誰かではなく、自分が道を開く!——こう決めた人が勝利をつかむことができるのです。
御文は、自らが地域の"幸福責任者"との自覚に立つ大切さを教えられた一節です。
全責任を担う覚悟を決めれば、環境に左右される存在から、自らが環境をより良く変えていく存在へと変わることができます。
いわんや私たちは、広宣流布を誓って出現した地涌の菩薩です。であるならば、今いる地域・職場の環境、そして人間関係も、決して偶然の巡り合わせではありません。むしろ、自らが妙法の偉大さを証明する舞台として選んだ、使命の天地なのです。
「まかせたてまつり候」とは、単に任せたといった次元の言葉ではなく、大聖人と同じ決意、同じ覚悟で、"使命を果たし抜け"との、師匠の熱き期待にほかなりません。
「仏種は縁に従って起る」と仰せの通り、広宣流布といっても、仏縁を広げていくことが根本です。その方途が"法華経を説く"ことです。私たちにとっては、仏法対話であり、真実と正義を語り、善の連帯を広げていくことです。
もちろん、反発する人も、興味を示さない人もいるでしょう。しかし、2回、3回……10回と、粘り強く、仏縁を結び続けていくことです。
一人一人が、幸福責任者として、わが地域に正義の旗を打ち立てましょう!

◇コラム 対話の達人、勇気の戦士
「末代の大難忍びがたかるべし、我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべし」(御書905ページ)と、末法広宣流布を託されたのが「地涌の菩薩」です。
では、「地涌の菩薩」は、どんな力を持つのでしょうか。
法華経に説かれる特徴を探ってみます。
「志念力は堅固にして」(法華経466ページ)——何ものにも壊されない固き決意を持つ人。誓いを貫く人。
「難問答に巧みにして」(同472ページ)——大確信と智慧をもった対話の達人。
「其の心に畏るる所無く」(同ページ)——勇気の人、勇敢な広布の戦士。
「忍辱の心は決定し」(同ページ)——何があってもへこたれない不撓不屈の闘士。
「端正にして威徳有り」(同ページ)——"あの人のようになりたい""あの人は立派だ"と言われるような魅力ある人。
このように、法華経には、とても立派な姿で描かれていますが、この力が、「地涌の菩薩」である私たち一人一人にも具わっているのです。
その力は、喜び勇んで戦う信心によって発揮されるのです。