2019年4月3日水曜日

2019.04.03 わが友に贈る

広布新時代を担う
縦濫而青の若人こそ
わが地域の希望だ。
一人一人を信じ 励まし
共々に成長の歩みを!

松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』

【通解】
女性の身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、大梵天王も天眼をもって御覧になり、帝釈天は合掌して礼拝され、
地神は、御足を大切に押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう。

〈寸鉄〉 2019年4月3日
創価大・女子短大が入学式。最高の学友と綴る偉大な青春譜。学びに学べ
兵庫の川西・猪名川、伊丹が急追。勢いと団結で圧倒を!"勝ち鬨"満天下に
大阪の大正・平野区、堺市西区が奮戦!世界の友が仰ぐ錦州城に栄光の旗を
埼玉の上尾・伊奈、草加、大宮区よ攻撃あるのみ!民衆パワーで凱旋断じて
新社会人よ頑張れ。まず朝に勝つ事から。地道に努力し使命の職場で光れ

☆勇気の旗高く 池田先生と群馬 2019年3月25日
◇「臆病にては叶うべからず」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は群馬県を掲載する。

◇広布の"中心軸"
群馬は、北海道から九州までのほぼ「中央」であり、いわば蝶番の位置にある。
池田先生は指導集『人材の王国 群馬』の発刊に寄せて、万感の思いをつづった。
「日本列島の真ん中に、私の愛してやまない、明るい太陽の宝土があります。ここには、私の信頼してやまない、快活にして大誠実の仲間がいます」「それが、いつも苦楽を分かち合ってきた、わが誉れの群馬家族です。私の心の真ん中には、『人材の王国』群馬の誓願のスクラムが光っているのです」
1999年(平成11年)9月の随筆では、広布の"中心軸"の使命に言及した。

"中心軸"の回転が車輪を動かすように、群馬の団結の同志こそ、時代を動かし、堂々たる民衆の世紀を開きゆく、黄金の車軸となる使命がある。そのために、一にも二にも、諸天をも動かす、「ひたぶるな祈り」「勇気の行動」で前進していくことだ。
それが、いっさいを勝利へ、幸福へ、広布へと動かす原動力である。
「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(御書1187ページ)と、蓮祖大聖人は厳然と仰せである。
ともあれ、人生は「戦い」があるから面白い。前進か、後退か。成長か、停滞か。間断なき、挑戦と応戦の連続が一生である。

群馬の同志は、私と共に、あまたの広布の戦闘をくぐり抜けてきた。冷たい"からっ風"に胸を張り、中傷や迫害の礫をもはね返し、皆さまは、毅然と行進してこられた。
同じ戦うなら、勇んで戦うことである。はつらつと戦えば、いつも若々しい。生命が鍛えられ、強くなる。
そして、強い人は、いっさいを善知識とし、勝利と成長の糧にしていける。わが人生を深く味わい、感謝していける。何ものも恐れず、二十一世紀へ突き進む、皆さまの闘魂の瞳に輝くもの——その名は「勝利の楽土」群馬である。

また、2003年(同15年)4月の随筆では「群馬といえば、雷、空っ風、生糸、コンニャク……。ローマ字で書くと、頭文字が"K"になるものが数多い」と述べた後、その"K"にちなんで、群馬の同志を鼓舞している。

今、わが群馬の同志が誇りとする"K"は何か。
それは——
「確信ある祈り」だ!
「歓喜の前進」だ!
「敢然たる行動」だ!
そして、「広宣流布の雄々しき大闘争」だ!

我らは断固、戦う! 人びとのため、社会のために。
そこにこそ、人生の無上の幸福と歓びがあるからだ!

◇雄々しき勇者に
池田先生は「人材の王国」群馬の友に、信仰者のあるべき姿を訴えてきた。
1993年(同5年)7月7日、渋川平和会館で開催された本部幹部会・群馬県総会では、苦難に立ち向かう信心について語った。

人生には、さまざまな苦難がある。どんな人も、何らかの苦難がある。
ユゴーは言う。その苦難に対して、�あきらめるか�傍観するか�飛び込んでいくか——これによって「未来」は大きく変わる、と。(『ユーゴー全集』9、ユーゴー全集刊行会、趣意)
まず、何かあると、すぐに、"できない""私には力がない"とあきらめる人。それは「弱虫」である。その人にとって、未来は「不可能」でしかない。何ひとつすばらしいものを生めない。幸福もない。
次に、手をこまぬいて何もせず、"私は知らない""私には関係ない"と傍観する人。それは「卑怯者」である。その人にとって、未来はいつまでも「不可知」なまま、わからないままなのである。

第三に、"断じて私は負けない"と雄々しく現実の真っただ中に飛び込む人がいる。ユゴーは、その人こそ「哲人」であり「勇者」である、と。
その人にとって未来は、「理想」として現れると論じている。明るく美しい未来が約束されている。これは仏法の説く生き方にも通じよう。
三つの生き方に三つの未来。心ひとつで、行動いかんで、未来は変わっていく。

大聖人は、「臆病にては叶うべからず」(御書1193、1282ページ)と繰り返し仰せになっておられる。
妙法には無限の力がある。しかし、それを引き出す人の信心が臆病であってはならない。願いも叶わない。
皆さまは、広宣流布という大いなる「理想」に向かって、日々、現実のなかへ飛び込んでおられる。
皆さまこそ、偉大な「哲人」である。「賢者」である。「仏使」であられる。 

2001年(同13年)8月13日、群馬代表研修会(群馬多宝研修道場)では、"人生は心で決まる"とスピーチした。

「心こそ大切」である。
「どこまでも学会とともに」進みゆく心。「虚栄のため」「世間体のため」「自分一人のため」ではなく、「友のため」「世界のため」「広宣流布のため」に、わが人生を捧げゆく心。いかなる権威・権力の迫害も恐れず、ひとたび決めた正義の誓いを、生涯、貫きゆく心。この心で生きぬく人生が光る。
永遠の勝利へ、見事なる総仕上げをしていっていただきたい。

◇朗らかな心で
群馬は「太陽の国」。晴天が多く、年間の日照時間の長さは全国トップクラスである。
池田先生は「群馬は"太陽がいっぱい"のすばらしき国土である」「"わが群馬は、世界で最高の国土"と胸を張り、この地に生きる幸せを満喫していっていただきたい」とたたえている。
1991年(同3年)8月9日の群馬県総会(渋川平和会館)では、「太陽の国」の誇りも高く進む群馬の友に大きな期待を寄せた。

皆さまは、赫々たる旭日のごとき信心で、いちだんと朗らかに、いちだんと堂々と進んでいただきたい。
「無敵・群馬」を合言葉に、これまで以上に戦うべき時には断固戦う"誉れの信心"を貫いていただきたい。

どうか皆さまは、何があっても、「朗らかな心」で、「朗らかな前進」を重ね、「朗らかな人生」を生きぬいていただきたい。その「知恵」と「境涯」を開くのが「信心」である。
かけがえのない人生である。「賢明」でなければ、また「強く」なければ、幸福に生きぬけない。
ゆえに皆さまは、だれよりも「聡明に」、だれよりも「強く」また「強く」、痛快なる「正義の勝者」の人生を送っていただきたい。