◇今週のことば
我ら民衆の連帯こそ
揺るがぬ日本の柱なり。
誇り高く信念の対話を!
朗らかに友情の深化を!
勝利の物語を未来まで。
2019年4月14日
中興入道消息 P1332
『去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間退転なく申しつより候事月のみつるがごとくしほのさすがごとくはじめは日蓮只一人唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人耳をふさぎ眼をいからかし口をひそめ手をにぎりはをかみ父母兄弟師匠ぜんうもかたきとなる』
【通解】
去る建長5年の4月28日より、今の弘安2年11月に至る27年の間というもの、退転なく、強盛に南無妙法蓮華経の弘通に努めてきたことは、月が満ち、潮が満ちていくごとくであった。
はじめは日蓮ただ一人、題目を唱えていたが、見る人、会う人、聞く人、いずれも耳をふさぎ、眼を怒らせ、□をゆがめ、手を握りしめ、歯がみをして、父母、兄弟、師匠、同僚までも、敵対した。
〈寸鉄〉 2019年4月14日
「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」御書。勇猛果敢に最激戦の地へ
東京・目黒区、文京区よ師子となって断固勝て!一気呵成の猛攻で凱旋を
私たちはスピードの時代を生きる—文豪。幹部は変化見落とさず手を打て
熊本地震3年。心のケア必要な青少年は1800人と。寄り添う心を常に
統一地方選、市区議選が告示。さあ後半戦。公明よ大衆の期待担い走り抜け
☆御書と歩む� 第62回 「強盛な信心」で勝利の春を
『敵は・ねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし』(四条金吾殿御返事、1186ページ)
◇通解
(あなた〈四条金吾〉も、石虎将軍の故事と同様である)敵は狙っているであろうが、法華経への信心が強盛であるので、大難も、事が起きる前に消えたのでありましょうか。これにつけても、よくよく強盛な信心を起こしていきなさい。
◇同志への指針
恩師は"母の仇討ちの一念で放った矢が岩をも貫いた"という石虎将軍の故事を、よく語られた。そして、この御聖訓を拝し、いかなる強敵も恐れるな! 正義の人生は勝利への執念を貫け! と師子吼されたのである。
恩師が教えてくださった御本仏直伝の「強盛なる信心」で、一切を乗り越え、創価桜の道を爛漫と勝ち開こうではないか!
☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「異体同心」 2019年4月6日
◇学会と共に、同志と共に「人間革命」の自分史を
「団結は力である。団結は正しい。団結は美しい。団結は楽しい」(「随筆 新・人間革命」〈勝利の鉄則〉、『池田大作全集』第132巻所収)——創価の世界は、互いに尊敬し、励まし、助け合っていく、麗しい団結の世界です。使命深き仏の世界です。だからこそ異体同心で、一切の障魔を打ち破り、勝利を開いてくることができたのです。池田先生はつづっています。「学会と共に! 同志と共に! 正義の師弟が共々に! その心があればこそ、偉大なる人間革命の山を登ることができるのだ」(同)。「異体同心」の団結で、人生と広布の歴史を勝ち飾ろう。
団結が勝敗を決する
●御文
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし(異体同心事、1463ページ)
●通解
『日蓮の一門は異体同心なので、人数は少なくても大事を成し遂げて、必ず法華経は広まるだろうと思うのである。悪は多くても一善に勝つことはない。』
仏法は勝負です。勝敗を決するのは、人数の多寡でもなければ、置かれている状況の優劣でもありません。「異体同心」の団結こそ、絶対勝利の要諦です。
本抄は、「熱原の法難」の渦中にある、駿河地方(静岡県中央部)の門下に与えられたとされています。
当時、悪侶と悪しき権力が結託し、大聖人門下に迫害を加えていました。
悪の輩が、利害だけで徒党を組み、法華経の行者を迫害する構図は、いつの時代も同じです。また、正義をおとしめる手段は、ウソやデマ、そして命に及ぶ脅しです。
それらは、同志の絆を分断し、信心を破壊しようとします。だからこそ、支え、励まし合い、信心の団結を強固にしていくことが大事なのです。
妙法流布の途上で、難に遭うのは必然です。否、広宣流布が進んでいるからこそ、難が競い起こるのです。
その時、異体同心の団結を強くし、折伏精神をみなぎらせて拡大に打って出れば、必ず大事を成し遂げることができるのです。
大聖人は、「悪は多くても一善に勝つことはない」と、御確信を述べられています。
これは、仏法の道理であるだけでなく、弟子が"断じて勝つ!"と皆で心を合わせ、団結する大切さを教えられています。
恐れなく、強気で、善の連帯を広げれば、必ず悪を打ち破っていけるのです。
◇広布への祈りを合わせる
●御文
総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(生死一大事血脈抄、1337ページ)
●通解
総じて日蓮の弟子檀那らが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えていくことを生死一大事の血脈というのである。
広宣流布を目指し、互いに同志を尊敬し、祈りを合わせることで、信心の血脈を受け継ぐことができるのです。
本抄は、文永9年(1272年)2月、佐渡の地で認められ、最蓮房に与えられたとされます。内容から、「生死一大事の血脈」という仏法の極理についての質問に対する、御返事とされています。
「生死一大事血脈」とは、万人成仏の法のことです。その法を受け継ぐ信心の姿勢の一つとして「異体同心」が挙げられています。
大聖人は、分け隔ての心をもたず、親密な思いを抱く姿を「異体同心」と仰せです。
組織といっても、人間の集まりです。意見が合わないことも、相手の欠点が目につくこともあるでしょう。そうした時、"団結しよう""相手を尊敬できるようになろう"と、まず自身が人間革命していくことです。
団結するとは、広宣流布という崇高な目的に心を定め、自他共の幸福を願うことのできる自分になるということです。また、相手を尊敬することは、相手の生命に仏性を見いだすことであり、それは取りも直さず、自身の仏性に目覚めることでもあります。
一人一人が広布誓願の祈りを合わせ、小さな自身の殻を破り、大きく相手を包み込める自分になることで、異体同心の団結は生まれるのです。
異体同心を目指す前進の中に、広宣流布の前進も、自身の人間革命もあるのです。
◇コラム 自らが「一人立つ」
団結というと、何か自分の気持ちを抑え込んだりして、皆に合わせていくイメージを抱く人もいるでしょう。しかし、信心の団結は、個性をつぶし、横並びを強制するような"同調圧力"などとは無縁です。
「異体同心」の「異体」には、一人一人を大切にする人間主義の思想が脈打っています。一人ももれなく、かけがえのない広布の人材だからです。
それと対極にあるのが「同体異心」です。表面的には、周りと合わせているようでも、心がバラバラであれば、一人一人の力も、全体としての力も発揮することなどできません。
「異体同心」を実現する要が「同心」です。目的を同じにすることです。その究極が信心であり、広布の大願です。
誓願を同じくする一人一人が、"誰かがやるだろう"といった油断を排し、今いる場所で使命を果たすことで、不可能を可能にする「異体同心」の団結の力が発揮されるのです。
一人一人が、自ら一人立ち、最高の力を出し切るからこそ、その力は単なる足し算ではなく、かけ算となって拡大し"まさか"とさえ思うような大事を成し遂げることができるのです。