GWは友情深める好機。
訪問・電話・手紙等で
真心の声を届けよう!
旧交を温める中に
新たな縁も生まれる。
如説修行抄 P501
『真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり』
【通解】
真実の法華経の如説修行の行者として師となり、その弟子檀那となるならば、三類の敵人が必ず現れるのである。
〈寸鉄〉 2019年4月30日
世界宗教に飛躍した平成の30年。192カ国に輝く民衆連帯こそ平和世紀の柱
妙法で人生の苦が解決できる事は絶対に疑いない—恩師。誓願の祈り深く
書物を一頁読む度に私は豊かに—文豪。良書は心の宝。今日、図書館記念日
改元詐欺多発。"銀行カードの変更が必要""還付金貰える"は嘘。警戒心強く
自転車の死亡・重傷事故4割が高齢者。ヘルメット着用で自衛を—警察庁
☆知性の架け橋 アメリカ・ハーバード大学(下) 2019年4月20日
◇1993年9月24日 開かれた対話こそ平和創出の源泉
1993年9月24日、池田先生はハーバード大学(米マサチューセッツ州ケンブリッジ市)で、「21世紀文明と大乗仏教」と題し、91年9月に続く、同大学での2度目の講演を行った。
ちょうどこの年、同大学のサミュエル・ハンチントン博士が「文明の衝突」論を発表。"衝突の要因は宗教"と見るこの言説が、論争を呼んでいた中での講演であった。
先生は冒頭、「生も歓喜、死も歓喜」との大乗仏教に流れ通う生死観を紹介。21世紀においては、生命観の変革こそが最重要になってくると主張した。
その上で、大乗仏教が21世紀の文明に貢献しうる視点として、「平和創出の源泉」「人間復権の機軸」「万物共生の大地」の3点を提示。対話や言論を徹底して重視してきた仏教の精神性に触れ、「開かれた心」による「開かれた対話」こそ、平和創出の源泉であると述べた。
講演は、あらゆる差異を超えて、人々を分断から調和へと導く「文明間の対話」の重要性を強く訴えるものとなった。
聴講者からは、「池田氏のメッセージをできるだけ多くの人に聴いてほしい」(ノーベル化学賞受賞者のダドリー・ハーシュバック博士)、「我々にとって多くの学ぶべき点がある」(ハーバード大学のハービー・コックス名誉教授)などの声が寄せられた。
この講演を受けて、同大学に隣接する地に設立されたのが、「池田国際対話センター(旧・ボストン21世紀センター)」である。講演の翌日に、第1回運営委員会が行われた。
同センターは、人類が直面する諸課題に対し、仏法の人間主義の視点から解決の方途を探る平和研究機関。「文明間の対話」を掲げ、これまで、多彩な識者を招き、平和建設のためのシンポジウムやセミナー等を活発に開催してきた。
同センターの取り組みに共感を寄せるハーバード大学のヌール・ヤーマン名誉教授は、「未来への大きな可能性を持った機関」と、その活動を高く評価する。
ハーバード大学での2度の講演は、"知性の都"ボストン地域に、仏法のヒューマニズムへの理解と共感を大きく広げる契機となった。
◇講演から
大乗仏教で説くこの「大我」とは、一切衆生の苦を我が苦となしゆく「開かれた人格」の異名であり、常に現実社会の人間群に向かって、抜苦与楽の行動を繰り広げるのであります。
こうした大いなる人間性の連帯にこそ、いわゆる「近代的自我」の閉塞を突き抜けて、新たな文明が志向すべき地平があるといえないでしょうか。
そしてまた、「生も歓喜であり、死も歓喜である」という生死観は、このダイナミックな大我の脈動のなかに、確立されゆくことでありましょう。
日蓮大聖人の「御義口伝」には、「四相(=生老病死)を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(御書740ページ)とあります。
21世紀の人類が、一人一人の「生命の宝塔」を輝かせゆくことを、私は心から祈りたい。
そして、「開かれた対話」の壮大な交響に、この青き地球を包みながら、「第三の千年」へ、新生の一歩を踏み出しゆくことを、私は願うものであります。
☆「平成」最後のわが友です。
青春を過ごした「平成」に感謝しつつ、「令和」に向けても頑張ります(^^♪
2019年4月30日火曜日
2019.04.29 わが友に贈る
◇今週のことば
「母の御恩忘れがたし」
母たちへの感謝の心から
幸福と平和が広がる。
太陽の婦人部を讃え
創価家族は笑顔で前進!
2019年4月29日
松野殿御返事 P1389
『法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む』
【通解】
法華怪には、(法華経の)行者を怨む者は、阿鼻地獄に堕ちる人であると定めている。
〈寸鉄〉 2019年4月29日
会長の著作は読むほどに自らの生き方が深まる—識者。青年よ成長の糧に
東京・大田の日。地域に見事なる友情スクラム。師弟源流の人材城は盤石
信仰とは無限の向上だ—戸田先生。昨日より今日。普段できないことに挑戦
東日本中心に流感の患者が再び増加と。手洗い・嗽等の励行を。健康第一で
五月病は連休中の生活の乱れが因に—医師。聡明に英気養い充実の日々を
☆ふるさとを照らす誉れの長者 地域部 2019年4月19日
"創価の全権大使"として、あの地この地で信頼と友情を広げる地域部の友。「部の日」の淵源となった「第1回地域部総会」で、池田先生は語った。「皆さま方の人生こそ、世間で仰がれる聖賢、指導者をもはるかに超えた尊極の人生である」と。地域のよりよき未来を築くため、献身する地域部の代表を紹介する。
山梨・大月市 小沢和枝さん
●一人一人と向き合いながら
富士山への玄関口として知られる山梨・大月駅。JR中央本線と富士急行線の乗換駅であり、近年は富士山や富士五湖などに向かう外国人観光客でにぎわう。
同駅からのびる線路の柵の外には、色とりどりの花が植えられた植木鉢がずらり。植栽したのは、小沢和枝さん(大月栄光県副婦人部長)を中心とする地元の婦人たちだ。美化活動を目的とした市の「アダプト・プログラム」の一環として、小沢さんが13年前に植栽グループを発足。年に2回、ビオラやマリーゴールドなどを植え、明るい町づくりを推進している。
「カメラで列車を撮影する方も多いですし、少しでも周囲が華やいで、喜んでもらえたらうれしいです」
地域を愛してやまない小沢さんには、"もう一つの顔"がある。保護司を務めて24年。非行や犯罪に走った人の更生に尽くし、市の保護司会事務局長としても活躍してきた。
保護司は法務大臣の委嘱を受けた無給・非常勤の国家公務員。保護観察の対象になった人が社会復帰できるよう、生活上の助言や就労援助をするなど、更生をサポートするのが役目だ。
保護観察の対象者は月2回ほど保護司の自宅等へ足を運び、面談を受ける。そこで保護司は更生を図るための約束事(遵守事項)を守るよう指導や助言などを行うが、当然、一筋縄でいかないことが多いという。
「約束を破られることは、珍しくありません。面と向き合っても無口だったり、"本当に反省してる?"と思ってしまう態度を取られたり……でもじっくり話を聞くと、複雑な家庭環境や孤独による寂しさから犯罪に手を染めてしまったことが分かってきます。みんな本当は、心根が優しく、よりよく生きたいと願っている——それを信じ抜くことが、私の戦いだと思っています」
その信念を支えるのは、学会活動の中で培ってきた経験だ。"この人が立ち上がるまで諦めない"との覚悟の祈りを欠かさない。ときに全てを包容する"母"となり、ときに夢を語り励ます"友"となりながら、粘り強く一人一人と向き合ってきた。
保護観察が終わっても、直接自宅に来たり、手紙や電話で近況を報告してくれたりする人もいる。「資格が取れました!」「赤ちゃんの顔を見せにきました」——その時の彼ら彼女らの笑顔を見ることほど、うれしいものはない。
「より良い町に——その思いでこれまで走り抜いてきました。小さな一歩一歩がやがて、大きな喜びにつながると確信しています」
小沢さんは法務省主催の「社会を明るくする運動」の一環として、地域の防犯パトロールや中学校での非行防止教室などにも携わる。それらの長年の功労がたたえられ、昨年9月、法務大臣表彰を受けた。
「気配り上手で笑顔を忘れない小沢さんは、まさに地域貢献の見本」とは周囲の声。小沢さんの夫・端さん(副圏長)も今春から地元の自治会長に就任し、夫婦で地域貢献の人生を歩む。"愛する地域を幸福の楽土に"——と。
宮城・仙台市 永田佑さん
●誰もが助け合える町を共に
「ピンクのおじさん、こんにちは!」——夕暮れの町に小学生の声が響く。児童の視線の先には、「横断中」と書かれた旗を持つ永田佑さん(宮城・青葉大勝区副区長)の姿が。下校する児童の見守りを終えた後、ピンクの自転車で町をパトロールする永田さんの姿から、先の愛称が付けられた。
「きょうはずいぶん、元気だね!」「うん、テストで良い点が取れたんだ!」——児童が通るたびに、和やかな語らいが広がる。その一こま一こまを、柔らかな西日が照らしている。
学校ボランティア防犯巡視員として13年。児童や保護者が安心して暮らせるようにと毎日、見守りを続けてきた。誰よりも地域の防災や安全を考え、献身の汗を流してきた永田さんへの信頼は絶大だ。
定年退職後、仙台市青葉区国見ケ丘の町内会役員として"地域デビュー"したのが2005年。当時は宮城県沖地震の発生が危惧されていたが、町内会に防災組織は存在しなかった。
永田さんは防災懇談会を開き、自主防災組織委員会の発足に尽力。防災マップや指定避難所の運営マニュアル等の作成や、雨水をためる天水桶を集会所や自宅に設置するなど、具体的な対策を推進してきた。
あの東日本大震災の折には、天水桶がトイレの雑用水や清掃に役立ち、避難所運営もスムーズに。これが模範の取り組みとして、テレビでも紹介された。これらの防災対策を中心的に進めた永田さんは翌年、役員の総意で町内会長に選出された。
震災後、青葉区に避難してきた人は少なくない。
新たな地域で生活を始める不安、震災で負った心の傷……。その一つ一つを抱きとめるように、永田さんは寄り添った。"転勤族"だった永田さん自身にも、行く先々で温かく迎えてくれた同志の存在があったからこそ、今度は"自分が支える番だ"と決めていたのである。
誰もが助け合える町づくりを——その思いで永田さんは、町内会全25班それぞれの座談会の開催を推進。また月1回の班長会では、各家庭の近況や地域の課題を共有し、行政機関らと連携した。これまでカーブミラーの設置や交通表示の補修などを進め、町民一人一人に町を良くする主体者との自覚が芽生えていった。
震災後に青葉区に移り住んだ岩崎武宏さん(副本部長)と田川彰一さん(地区幹事)も、永田さんの面倒見の良さと行動力に感銘。今、共に手を携えて地域貢献に励む日々だ。
「地域の皆さまの協力と献身があってこそです」と永田さん。町内会長を2期4年務め、現在は顧問として町内会を支える。また小学校の学校関係者評価委員として学校運営のアドバイスも行う。毎年5月には、地元の市立小学校の1年生全員に、無事故を願う手紙とともに、震災後に咲いた"ど根性ひまわり"の種を贈り続けている。
今年で75歳。「"生涯現役"の心意気で、町民の皆さんの手足になりたい」。地域に理想郷を築く永田さんの挑戦は終わらない。
「母の御恩忘れがたし」
母たちへの感謝の心から
幸福と平和が広がる。
太陽の婦人部を讃え
創価家族は笑顔で前進!
2019年4月29日
松野殿御返事 P1389
『法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む』
【通解】
法華怪には、(法華経の)行者を怨む者は、阿鼻地獄に堕ちる人であると定めている。
〈寸鉄〉 2019年4月29日
会長の著作は読むほどに自らの生き方が深まる—識者。青年よ成長の糧に
東京・大田の日。地域に見事なる友情スクラム。師弟源流の人材城は盤石
信仰とは無限の向上だ—戸田先生。昨日より今日。普段できないことに挑戦
東日本中心に流感の患者が再び増加と。手洗い・嗽等の励行を。健康第一で
五月病は連休中の生活の乱れが因に—医師。聡明に英気養い充実の日々を
☆ふるさとを照らす誉れの長者 地域部 2019年4月19日
"創価の全権大使"として、あの地この地で信頼と友情を広げる地域部の友。「部の日」の淵源となった「第1回地域部総会」で、池田先生は語った。「皆さま方の人生こそ、世間で仰がれる聖賢、指導者をもはるかに超えた尊極の人生である」と。地域のよりよき未来を築くため、献身する地域部の代表を紹介する。
山梨・大月市 小沢和枝さん
●一人一人と向き合いながら
富士山への玄関口として知られる山梨・大月駅。JR中央本線と富士急行線の乗換駅であり、近年は富士山や富士五湖などに向かう外国人観光客でにぎわう。
同駅からのびる線路の柵の外には、色とりどりの花が植えられた植木鉢がずらり。植栽したのは、小沢和枝さん(大月栄光県副婦人部長)を中心とする地元の婦人たちだ。美化活動を目的とした市の「アダプト・プログラム」の一環として、小沢さんが13年前に植栽グループを発足。年に2回、ビオラやマリーゴールドなどを植え、明るい町づくりを推進している。
「カメラで列車を撮影する方も多いですし、少しでも周囲が華やいで、喜んでもらえたらうれしいです」
地域を愛してやまない小沢さんには、"もう一つの顔"がある。保護司を務めて24年。非行や犯罪に走った人の更生に尽くし、市の保護司会事務局長としても活躍してきた。
保護司は法務大臣の委嘱を受けた無給・非常勤の国家公務員。保護観察の対象になった人が社会復帰できるよう、生活上の助言や就労援助をするなど、更生をサポートするのが役目だ。
保護観察の対象者は月2回ほど保護司の自宅等へ足を運び、面談を受ける。そこで保護司は更生を図るための約束事(遵守事項)を守るよう指導や助言などを行うが、当然、一筋縄でいかないことが多いという。
「約束を破られることは、珍しくありません。面と向き合っても無口だったり、"本当に反省してる?"と思ってしまう態度を取られたり……でもじっくり話を聞くと、複雑な家庭環境や孤独による寂しさから犯罪に手を染めてしまったことが分かってきます。みんな本当は、心根が優しく、よりよく生きたいと願っている——それを信じ抜くことが、私の戦いだと思っています」
その信念を支えるのは、学会活動の中で培ってきた経験だ。"この人が立ち上がるまで諦めない"との覚悟の祈りを欠かさない。ときに全てを包容する"母"となり、ときに夢を語り励ます"友"となりながら、粘り強く一人一人と向き合ってきた。
保護観察が終わっても、直接自宅に来たり、手紙や電話で近況を報告してくれたりする人もいる。「資格が取れました!」「赤ちゃんの顔を見せにきました」——その時の彼ら彼女らの笑顔を見ることほど、うれしいものはない。
「より良い町に——その思いでこれまで走り抜いてきました。小さな一歩一歩がやがて、大きな喜びにつながると確信しています」
小沢さんは法務省主催の「社会を明るくする運動」の一環として、地域の防犯パトロールや中学校での非行防止教室などにも携わる。それらの長年の功労がたたえられ、昨年9月、法務大臣表彰を受けた。
「気配り上手で笑顔を忘れない小沢さんは、まさに地域貢献の見本」とは周囲の声。小沢さんの夫・端さん(副圏長)も今春から地元の自治会長に就任し、夫婦で地域貢献の人生を歩む。"愛する地域を幸福の楽土に"——と。
宮城・仙台市 永田佑さん
●誰もが助け合える町を共に
「ピンクのおじさん、こんにちは!」——夕暮れの町に小学生の声が響く。児童の視線の先には、「横断中」と書かれた旗を持つ永田佑さん(宮城・青葉大勝区副区長)の姿が。下校する児童の見守りを終えた後、ピンクの自転車で町をパトロールする永田さんの姿から、先の愛称が付けられた。
「きょうはずいぶん、元気だね!」「うん、テストで良い点が取れたんだ!」——児童が通るたびに、和やかな語らいが広がる。その一こま一こまを、柔らかな西日が照らしている。
学校ボランティア防犯巡視員として13年。児童や保護者が安心して暮らせるようにと毎日、見守りを続けてきた。誰よりも地域の防災や安全を考え、献身の汗を流してきた永田さんへの信頼は絶大だ。
定年退職後、仙台市青葉区国見ケ丘の町内会役員として"地域デビュー"したのが2005年。当時は宮城県沖地震の発生が危惧されていたが、町内会に防災組織は存在しなかった。
永田さんは防災懇談会を開き、自主防災組織委員会の発足に尽力。防災マップや指定避難所の運営マニュアル等の作成や、雨水をためる天水桶を集会所や自宅に設置するなど、具体的な対策を推進してきた。
あの東日本大震災の折には、天水桶がトイレの雑用水や清掃に役立ち、避難所運営もスムーズに。これが模範の取り組みとして、テレビでも紹介された。これらの防災対策を中心的に進めた永田さんは翌年、役員の総意で町内会長に選出された。
震災後、青葉区に避難してきた人は少なくない。
新たな地域で生活を始める不安、震災で負った心の傷……。その一つ一つを抱きとめるように、永田さんは寄り添った。"転勤族"だった永田さん自身にも、行く先々で温かく迎えてくれた同志の存在があったからこそ、今度は"自分が支える番だ"と決めていたのである。
誰もが助け合える町づくりを——その思いで永田さんは、町内会全25班それぞれの座談会の開催を推進。また月1回の班長会では、各家庭の近況や地域の課題を共有し、行政機関らと連携した。これまでカーブミラーの設置や交通表示の補修などを進め、町民一人一人に町を良くする主体者との自覚が芽生えていった。
震災後に青葉区に移り住んだ岩崎武宏さん(副本部長)と田川彰一さん(地区幹事)も、永田さんの面倒見の良さと行動力に感銘。今、共に手を携えて地域貢献に励む日々だ。
「地域の皆さまの協力と献身があってこそです」と永田さん。町内会長を2期4年務め、現在は顧問として町内会を支える。また小学校の学校関係者評価委員として学校運営のアドバイスも行う。毎年5月には、地元の市立小学校の1年生全員に、無事故を願う手紙とともに、震災後に咲いた"ど根性ひまわり"の種を贈り続けている。
今年で75歳。「"生涯現役"の心意気で、町民の皆さんの手足になりたい」。地域に理想郷を築く永田さんの挑戦は終わらない。
2019年4月28日日曜日
2019.04.28 わが友に贈る
出掛ける際は安全第一!
「前前の用心」怠らず
余裕ある計画を。
有意義に英気を養い
友好広げる黄金週間に!
御義口伝巻上 P740
『四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら四徳の香を吹くなり』
【通解】
(宝塔の)四つの面とは、生老病死という四つの相のことである。この生老病死をもって、我らの一身の生命の宝塔を荘厳するのである。
我らが生老病死に際して、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま常楽我浄の四つの徳の香りを薫らせることになるのである。
〈寸鉄〉 2019年4月28日
立宗の日。三代の激闘で立正安国の魂は現代に。さあ勢いよく連続闘争へ
北陸から友情の大輪を—新時代は燃える誓願の友ありて。石川・富山の日
青年は真剣勝負で自分を鍛えよ—戸田先生。大胆に動き、対話の中で磨け
千里の行も足下より始まる—老子。家族や近隣を大切に。そこに広布あり
乳幼児の誤飲事故に注意を。煙草・医薬品・電池の保管厳重に。子の目線で
☆地域を歩く 岩手・金ケ崎町 2019年4月19日
◇貢献の使命に生きる 人材をもって城となす
岩手・金ケ崎町。西部の駒ケ岳を有する高地と東部の北上川が流れる低地との間にある1300メートル以上の標高差が、多様な気候や風土を生み出す。
町では広大な牧草地を活用した畜産が盛んだ。
「酪農についてもっと学びたいと思い、一人で金ケ崎町にやって来ました」。清水萌子さん(女子地区リーダー)は今春、町内にある県立農業大学校を卒業し、同校の牛舎で指導助手として働き始めた。
横浜市出身。都会から地方に移住した"Iターン組"だ。幼い頃から、牧場を経営する親戚のもとに通い、乳牛と触れ合ってきた。酪農に関わりたいと思うようになり、神奈川県内の農業高校に進学した。
だが、鶏を殺して食べたり、牛の殺処分に携わったりするたびに、"家畜たちの生きる意味は何なのか""かわいそうで耐えられない"と悩み、生まれて初めて真剣に題目を唱えた。
そんなある日、高校を訪れた子どもたちが、搾った牛乳をおいしそうに飲む姿に接してハッとした。「真心込めて育てた牛から搾った牛乳を通し、命の大切さを伝えることが、牛への恩返しだと気付きました」
親元を離れての生活は苦労も多かったが、母親のように親身に接してくれた婦人部や女子部の先輩を支えに、学内の弁論大会で優秀賞、牛を引く技術を競う競技で全国大会進出を勝ち取るなど、充実の学生時代を過ごすことができた。感謝の思いを胸に、理想の酪農を目指す。
金ケ崎町を含む県南地域のブランド牛「いわて奥州牛」を肥育する及川秀信さん(壮年部員)。
農協の肥育部会奥州牛支部の金ケ崎分会で分会長を務める。及川さんの牛肉は、かつて県の枝肉研究会で最優秀賞を獲得。県内外から視察が相次ぐ。
そんな活躍著しい及川さんだが、農業大学校に通っていた学生時代は、肉牛の肥育に関わるつもりはなかった。
卒業を迎えた1999年(平成11年)は"就職氷河期"真っ最中。求人はなく、やむを得ず両親の後を継ぎ、肉牛の肥育を始めた。だが、両親が教えてくれるわけでも、"マニュアル"があったわけでもなかった。
一般的に、高値で売買されるブランド牛の肥育方法は、誰も教えたがらない。及川さんは手探り状態から、徐々に自分なりのやり方を考えた。
その間、なかなか販売成績は上がらない。そればかりか、出荷寸前の牛を病気で失ったり、東日本大震災による風評被害で牛肉が一時出荷停止になったりと、困難が次々と襲った。そんな及川さんを支えてきたのは、仏法の生命尊厳の思想だ。
「食べるということは、尊い命をいただいているということです。だからこそ、どんなことがあっても、一頭一頭の命に責任を持つ。そう決めています」
生産者の減少など、依然、肉牛の肥育を取り巻く状況は厳しい。その中で「いわて奥州牛」の第一人者を目指す及川さんへの信頼は、ひときわ厚い。
金ケ崎町生まれの齊藤時勝さん(男子部本部長)は高校卒業後、経済苦にあえぐ家族を支えるため、地元のメッキ加工工場に就職。同時に、男子部の活動にも参加するようになった。
当初は、仕事と活動の両立に奮闘していたものの、仕事の忙しさのあまり、やがて活動から足が遠のいていった。その後、仕事を転々とするように。将来の夢はあったものの、それも実現が難しいことが分かると、いよいよ行き詰まった。
齊藤さんは振り返る。
「このままで本当にいいのかと思いました。独りよがりでは生きていけないのかなと初めて考えるようになりました」
再び信心根本の前進を決意した齊藤さん。その中で紹介を受けたのが、現在勤める就職先だった。男子部の活動で培ってきた後輩の育成や、周囲への気配りが職場で生かされた。
一方、齊藤さんは町を代表する市民ランナーとしても活躍。中国の姉妹都市・長春に派遣されたこともある。
地域の模範として、さらなる輝きを! それが齊藤さんの誓いだ。
県内最大級の工業団地がある金ケ崎町。町内の経済は日本や世界の状況に左右されてきた。
高校卒業後、就職を機に、金ケ崎町にやって来た、宮古市出身の千葉一幸さん(支部長)。
当時は"金が先"と揶揄されるほど地域経済が潤い、工業団地は活気にあふれていた。
だが、仕事は終わりが見えないほどの量。千葉さんは、ストレスが原因で十二指腸潰瘍になり入院。その時、宮古市の病院まで、わざわざ見舞いに来てくれたのが、金ケ崎町に住む学会員だった。
学会3世の千葉さんだが、まじめに信心をしようと思ったのは、この時が初めてだった。以来、仕事や子育てなどの悩みなど、地域の学会家族に支えられながら乗り越えてきた。
一方、時代の流れとともに、工業団地の様子も変化した。リーマン・ショックや東日本大震災の影響による配置転換やリストラで、多くの同僚や近隣の住民が転居を余儀なくされた。
千葉さんは今も、工業団地にある大手自動車部品メーカーに勤め、近くに住む。地域の人間関係の希薄さに危機感を覚え、学会員であるなしに関係なく声を掛ける等、自分でできることから挑戦する。
「住民の入れ替わりの激しい地域に住み続けていられるのは、本当にたまたまです。いついかなる時も支え合うつながりを、職場や地域につくることが大切だと思います」
工業団地の近隣住民に多い核家族。高橋法子さん(地区婦人部長)は3人の子育てをしながら、孤立しがちな母親を応援する取り組みをしている。
学会2世として北上市で生まれた。結婚を機に金ケ崎町へ。子育てサークルで地域に友好を広げる中、町が抱える課題が見付かった。
「さまざまな悩みを持つママがいる中で、気軽に相談できる場所が少ないと感じました。ママ同士がコミュニケーションを取っていけば、子どもたちにも良い影響があると思いました」
そんな高橋さんが仲間と立ち上げたのが、子育て支援団体「おーばる」。行政や専門機関・団体など地域の皆で子どもを育てる"共同養育"を目指し、料理教室などの交流の場を設け、訪問活動、情報誌の発行等を行う。
高橋さん自身、子育てに関する悩みは尽きることがない。だが、同じ状況の母親と痛みを分かち合うことで、お互いに心が軽くなるという。「子どもは地域の未来を開く宝の存在です。ママも子どもも笑顔輝く金ケ崎町を築いていきます!」
◇
今月は、1954年(昭和29年)4月25日に東北を訪れた戸田先生が「学会は、人材をもって城となすのだ」と池田先生に語ってから65周年の佳節。
現在、桜前線が北上中の東北北部では、今週末を中心に開花を迎える予想となっている。
金ケ崎町には、それぞれの"使命の花"を一足早く咲かせた人材城が築かれていた。
「前前の用心」怠らず
余裕ある計画を。
有意義に英気を養い
友好広げる黄金週間に!
御義口伝巻上 P740
『四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら四徳の香を吹くなり』
【通解】
(宝塔の)四つの面とは、生老病死という四つの相のことである。この生老病死をもって、我らの一身の生命の宝塔を荘厳するのである。
我らが生老病死に際して、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま常楽我浄の四つの徳の香りを薫らせることになるのである。
〈寸鉄〉 2019年4月28日
立宗の日。三代の激闘で立正安国の魂は現代に。さあ勢いよく連続闘争へ
北陸から友情の大輪を—新時代は燃える誓願の友ありて。石川・富山の日
青年は真剣勝負で自分を鍛えよ—戸田先生。大胆に動き、対話の中で磨け
千里の行も足下より始まる—老子。家族や近隣を大切に。そこに広布あり
乳幼児の誤飲事故に注意を。煙草・医薬品・電池の保管厳重に。子の目線で
☆地域を歩く 岩手・金ケ崎町 2019年4月19日
◇貢献の使命に生きる 人材をもって城となす
岩手・金ケ崎町。西部の駒ケ岳を有する高地と東部の北上川が流れる低地との間にある1300メートル以上の標高差が、多様な気候や風土を生み出す。
町では広大な牧草地を活用した畜産が盛んだ。
「酪農についてもっと学びたいと思い、一人で金ケ崎町にやって来ました」。清水萌子さん(女子地区リーダー)は今春、町内にある県立農業大学校を卒業し、同校の牛舎で指導助手として働き始めた。
横浜市出身。都会から地方に移住した"Iターン組"だ。幼い頃から、牧場を経営する親戚のもとに通い、乳牛と触れ合ってきた。酪農に関わりたいと思うようになり、神奈川県内の農業高校に進学した。
だが、鶏を殺して食べたり、牛の殺処分に携わったりするたびに、"家畜たちの生きる意味は何なのか""かわいそうで耐えられない"と悩み、生まれて初めて真剣に題目を唱えた。
そんなある日、高校を訪れた子どもたちが、搾った牛乳をおいしそうに飲む姿に接してハッとした。「真心込めて育てた牛から搾った牛乳を通し、命の大切さを伝えることが、牛への恩返しだと気付きました」
親元を離れての生活は苦労も多かったが、母親のように親身に接してくれた婦人部や女子部の先輩を支えに、学内の弁論大会で優秀賞、牛を引く技術を競う競技で全国大会進出を勝ち取るなど、充実の学生時代を過ごすことができた。感謝の思いを胸に、理想の酪農を目指す。
金ケ崎町を含む県南地域のブランド牛「いわて奥州牛」を肥育する及川秀信さん(壮年部員)。
農協の肥育部会奥州牛支部の金ケ崎分会で分会長を務める。及川さんの牛肉は、かつて県の枝肉研究会で最優秀賞を獲得。県内外から視察が相次ぐ。
そんな活躍著しい及川さんだが、農業大学校に通っていた学生時代は、肉牛の肥育に関わるつもりはなかった。
卒業を迎えた1999年(平成11年)は"就職氷河期"真っ最中。求人はなく、やむを得ず両親の後を継ぎ、肉牛の肥育を始めた。だが、両親が教えてくれるわけでも、"マニュアル"があったわけでもなかった。
一般的に、高値で売買されるブランド牛の肥育方法は、誰も教えたがらない。及川さんは手探り状態から、徐々に自分なりのやり方を考えた。
その間、なかなか販売成績は上がらない。そればかりか、出荷寸前の牛を病気で失ったり、東日本大震災による風評被害で牛肉が一時出荷停止になったりと、困難が次々と襲った。そんな及川さんを支えてきたのは、仏法の生命尊厳の思想だ。
「食べるということは、尊い命をいただいているということです。だからこそ、どんなことがあっても、一頭一頭の命に責任を持つ。そう決めています」
生産者の減少など、依然、肉牛の肥育を取り巻く状況は厳しい。その中で「いわて奥州牛」の第一人者を目指す及川さんへの信頼は、ひときわ厚い。
金ケ崎町生まれの齊藤時勝さん(男子部本部長)は高校卒業後、経済苦にあえぐ家族を支えるため、地元のメッキ加工工場に就職。同時に、男子部の活動にも参加するようになった。
当初は、仕事と活動の両立に奮闘していたものの、仕事の忙しさのあまり、やがて活動から足が遠のいていった。その後、仕事を転々とするように。将来の夢はあったものの、それも実現が難しいことが分かると、いよいよ行き詰まった。
齊藤さんは振り返る。
「このままで本当にいいのかと思いました。独りよがりでは生きていけないのかなと初めて考えるようになりました」
再び信心根本の前進を決意した齊藤さん。その中で紹介を受けたのが、現在勤める就職先だった。男子部の活動で培ってきた後輩の育成や、周囲への気配りが職場で生かされた。
一方、齊藤さんは町を代表する市民ランナーとしても活躍。中国の姉妹都市・長春に派遣されたこともある。
地域の模範として、さらなる輝きを! それが齊藤さんの誓いだ。
県内最大級の工業団地がある金ケ崎町。町内の経済は日本や世界の状況に左右されてきた。
高校卒業後、就職を機に、金ケ崎町にやって来た、宮古市出身の千葉一幸さん(支部長)。
当時は"金が先"と揶揄されるほど地域経済が潤い、工業団地は活気にあふれていた。
だが、仕事は終わりが見えないほどの量。千葉さんは、ストレスが原因で十二指腸潰瘍になり入院。その時、宮古市の病院まで、わざわざ見舞いに来てくれたのが、金ケ崎町に住む学会員だった。
学会3世の千葉さんだが、まじめに信心をしようと思ったのは、この時が初めてだった。以来、仕事や子育てなどの悩みなど、地域の学会家族に支えられながら乗り越えてきた。
一方、時代の流れとともに、工業団地の様子も変化した。リーマン・ショックや東日本大震災の影響による配置転換やリストラで、多くの同僚や近隣の住民が転居を余儀なくされた。
千葉さんは今も、工業団地にある大手自動車部品メーカーに勤め、近くに住む。地域の人間関係の希薄さに危機感を覚え、学会員であるなしに関係なく声を掛ける等、自分でできることから挑戦する。
「住民の入れ替わりの激しい地域に住み続けていられるのは、本当にたまたまです。いついかなる時も支え合うつながりを、職場や地域につくることが大切だと思います」
工業団地の近隣住民に多い核家族。高橋法子さん(地区婦人部長)は3人の子育てをしながら、孤立しがちな母親を応援する取り組みをしている。
学会2世として北上市で生まれた。結婚を機に金ケ崎町へ。子育てサークルで地域に友好を広げる中、町が抱える課題が見付かった。
「さまざまな悩みを持つママがいる中で、気軽に相談できる場所が少ないと感じました。ママ同士がコミュニケーションを取っていけば、子どもたちにも良い影響があると思いました」
そんな高橋さんが仲間と立ち上げたのが、子育て支援団体「おーばる」。行政や専門機関・団体など地域の皆で子どもを育てる"共同養育"を目指し、料理教室などの交流の場を設け、訪問活動、情報誌の発行等を行う。
高橋さん自身、子育てに関する悩みは尽きることがない。だが、同じ状況の母親と痛みを分かち合うことで、お互いに心が軽くなるという。「子どもは地域の未来を開く宝の存在です。ママも子どもも笑顔輝く金ケ崎町を築いていきます!」
◇
今月は、1954年(昭和29年)4月25日に東北を訪れた戸田先生が「学会は、人材をもって城となすのだ」と池田先生に語ってから65周年の佳節。
現在、桜前線が北上中の東北北部では、今週末を中心に開花を迎える予想となっている。
金ケ崎町には、それぞれの"使命の花"を一足早く咲かせた人材城が築かれていた。
2019年4月27日土曜日
2019.04.27 わが友に贈る
健康は幸福の礎だ。
賢明な生活リズムで
心身を整えよう。
勤行・唱題を根本に
充実の一日一日を!
日興遺誡置文 P1618
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』
【通解】
未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである。
〈寸鉄〉 2019年4月27日
学会こそ日本の柱であり魂だ—恩師。誇りを胸に立正安国の大道を堂々と
黄金週間が開始!浩然の気養い、友情拡大に挑戦。"絶対無事故"の祈り深く
新しい時代が始まる大型連休。親子で楽しく朗らかに未来を語らう一時を
架空請求被害等の相談が数年で3倍超と。不審に感じたら電話「188」へ
ヘルメット非着用の自転車運転は致死率2・4倍。小事が大事。油断排して
☆虹を懸ける 池田先生と米ボストン� 2019年4月18日
◇創価のルネサンスの光彩を
アメリカの歴史と知性の街ボストン。池田先生は1991年と93年の2度、この地を訪れている。ボストンに輝く広布史と師弟のドラマを追った。
◇「世界に征くんだ」
1960年(昭和35年)10月2日、第3代会長に就任したばかりの池田先生は、戸田先生の遺言を胸に、北・南米へ旅立った。
上着の内ポケットには、恩師の写真が大切に納められていた。
アメリカでは、ハワイ、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、ニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルスを歴訪。異国の地で生活する同志の心に勇気の灯を点じることから、世界広布の火ぶたが切られたのだ。
ボストンで本格的な妙法流布が始まったのは、その数年後のことである。
◇無名の開拓者
ボストンから車で南へ約1時間。ロードアイランド州コベントリーで暮らす92歳のテルコ・ラングウェルさんは、草創メンバーの一人である。
63年に青森で入会。その後、東京で行われる会合に駆け付け、池田先生との出会いを何度も刻んだ。
「将来、世界中で座談会が開かれるようになる」。青年会長の確信の声に、胸を躍らせたラングウェルさん。やがて基地で働くアメリカ人と結ばれ、海を渡ったのは69年のことだった。
当時、ボストン一帯で活動していた日本人のメンバーは数えるほど。彼女たちの励みになったのは、先生が草創の友に示した三指針——「市民権を得て良き市民に」「自動車の運転免許を取る」「英語のマスター」だった。
ラングウェルさんは、すぐに免許を取得し、来る日も来る日も学会活動に明け暮れた。生来、病弱で子どもを産めなかった分、青年たちをわが子だと思い、大切にした。貧しい大学生たちも多い。よく家に招き、手料理をふるまった。
「いつか必ず、先生をボストンにお迎えしたい。この素晴らしい若者たちを見ていただきたい——その一心でした」
その願いが実現したのは、22年後のこと。91年9月24日、池田先生が、ロサンゼルスから空路、ボストンに降り立ったのである。
先生は多忙な行事の合間を縫い、一人一人に励ましを送った。
後継の未来部員にも"お父さんやお母さんに叱られないように、しっかり勉強してください"と、ユーモアを交えて語り掛ける。役員としてその場に居合わせたラングウェルさんは、先生が青年たちと触れ合う姿を、後方でじっと見つめた。
「あの日の感動は生涯、忘れることはありません。命の限り、アメリカ広布にこの身をささげていく決心です。それが先生との誓いですから」
先生が予見した通り、今、世界中で"ザダンカイ"が行われる時代が到来した。コベントリーの集いは、いつもラングウェルさんと青年たちの笑顔であふれている。
◇
60年に福岡で入会したハルコ・ハリソンさんは、空軍に勤める夫と共に3人の子を連れて64年にアメリカへ。一家和楽を誓い、異国の地へと移住した。
だが、夫は肺結核になり、30代で歩行困難に。代わりにハリソンさんが料理人として働きに出た。家計は厳しく、氷点下になる冬もガス代が払えず、お湯さえ満足に使えない月日もあった。自暴自棄になった夫は、何度も命を絶とうとした。
娘のマーガレットさん(圏婦人部長)は思い返す。
「それでも母は、"これは私の人間革命の戦いなのよ"と御本尊に向かっていました。何時間も、お題目を唱えていました。わが家にとって、学会の会合が唯一、心が温まる時間でした」
逆境の中でも、ハリソンさんは弘教に歩いた。語学力は十分ではなかったが、「ナンミョウホウレンゲキョウ」「ブッダ」「ベネフィット(功徳)」の単語を駆使し、身ぶり手ぶりで仏法を語っていった。
池田先生の2度目のボストン訪問(93年)の折、ハリソンさんは、夫と6人の娘たちで撮った家族写真を届けた。すると先生から、"お写真ありがとう。とても美しいご家族の皆さんですね"との真心の伝言が。「今も一家の宝として大切にしています。先生は、全部分かってくださっている。本当に私たちは幸せです」
夫は亡くなる前に一層発心し、一家は経済苦も全て乗り越えた。ハリソンさんは現在、がんとの闘いの真っただ中。それでも「なぜ、いつも幸せそうなのですか」と尋ねてきた医師に仏法の確信を朗らかに語っている。
「"パイオニアの皆さんは、100歳まで長生きしてください"って、池田先生がおっしゃいましたから、絶対に負けません。"ああ、今日も先生と一緒に戦える"って、感謝の毎日です」
無名の開拓者たちの胸に宿る"信仰の炎"は、今も燃えている。
◇師弟の思い出
スティーブ・サパスティーンさん(副方面長)は73年に入会。街で知り合った人から、「仏教の会合に来てみないか?」と誘われたのがきっかけだった。
「大学を卒業後、進むべき道が分からず途方に暮れていました。インド、イスラエル、フィンランド、デンマークなどを旅し、帰国した矢先に声を掛けられたんです。仏教に興味を持ち始めていた時で、翌朝から題目を唱えました」
ベトナム戦争が泥沼化し、価値観が揺らいでいた時代。ヒッピーの全盛期が終わり、さまざまな新興宗教が青年たちを取り込んでいた。現実逃避する若者も増えていた。
ある日のこと。サパスティーンさんは、家族に信心のことを理解してもらおうと、実家にSGIの機関紙を置いて帰った。
後日、父親から電話が入った。
「家にあった新聞を読んだよ。ところで今、池田先生は何をされているんだい? この方と一緒に進んでいけば、きっと間違いないだろう」
生命力を高め、可能性を開き、社会に貢献する——初めて聞く「人間革命」の運動には、確かな哲理があった。サパスティーンさんの周囲では、創価の哲学への共感が広がっていった。
「まさにこれ以上ないタイミングでした。当時の青年たちは、ある意味で社会の犠牲者でした。希望を失っていた。そこへ日本人の婦人たちがやって来て、素晴らしい仏法を教えてくれたのです」
ボストンでは青年世代のメンバーが続々と誕生し、サパスティーンさんたちは、雨の日も雪の日も対話の先頭に立った。草創の婦人たちは、おにぎりを作って応援してくれた。
91年、青年部のリーダーとして、諸行事の運営役員を務めたサパスティーンさん。ボストン会館(当時)を訪れた池田先生が語った言葉を、胸に深く刻んできた。
「先生は、壁に掛かっていた大きな時計を指して、こう言われました。"この時計には、この部屋は少し小さいかもしれないね。いつか皆さんの手で、この時計にふさわしい会館を建てようよ"と。いつの日か、先生の期待にお応えできる青年の陣列をもって、広布の宝城を築く——これが先生との誓いになりました」
2016年、ボストンの同志が集い合う「ニューイングランド会館」が完成。その一番大きな部屋に、"師弟の思い出"が詰まったこの時計が掛けられている。
◇確かなる軌道
ボストンを初めて訪れた池田先生は、翌日の9月25日から、一級の学識者たちと会見を重ねていった。そして、メンバーが感動に胸を震わせる"出来事"が起きた。
ボストン近郊に立つ世界的名門・ハーバード大学のケネディ政治大学院で、先生が「ソフト・パワーの時代と哲学」と題し、講演を行ったのである(9月26日)。
89年に冷戦が終結し、講演の3カ月後にはソ連が崩壊するという時代の転換期。歴史の動因は、軍事や権力、富といった「ハード・パワー」から、知識や情報、文化などの「ソフト・パワー」に移っていた。先生は、仏法の「縁起」の思想に触れつつ、内発的精神に支えられた「自己規律」が求められていると訴えた。
講演は、時代の要請に応えるものだった。後にアメリカ国防長官を務めたアシュトン・カーター教授は述べている。「ソフト・パワーへの時流を確たるものにしなければならない」と。
当時、総合方面婦人部長だったキャサリーン・オレスキーさん。73年、大学生の時に入会し、草創の女子部として活動に励んできた。
先生を迎える直前、オレスキーさんは突然の関節リウマチを発症。加えて、夫のビジネスが苦境に陥った。子育てをしながら、寝る間も惜しんで諸行事の準備・運営に奔走していた。
「先生の講演は、私たちにとって新しい目覚めでした。視野が世界に広がり、自分たちの偉大な使命に目を見開いた瞬間だったのです。悩みも一気に吹き飛びました」
講演の翌日、さらなる喜びのニュースが。先生が、諸行事が大成功で終わった感謝を込め、ボストンのメンバーに詩を贈ったのだ。
わがボストンの
妙法の哲人たちよ
新しき
創価の
ルネサンスの光彩を
鮮烈に 力強く
輝かしてくれたまえ
詩には、「開拓」と「自由」と「平等」の原点の地・ボストンに生きる久遠の地涌の同志たちへの、限りない期待がつづられていた。
オレスキーさんは、先生が出席した会合で誓いを語った。「わがボストンに、全米一、世界一の麗しい"人間共和のスクラム"を築いてまいります!」
以来、自身の宿命転換に挑み、広布の先頭を走った。病も完治し、経済苦も乗り越えた。3人の子どもたちも立派に成長し、一家で広布の道を進む。
◇
池田先生の初訪問から2カ月後の91年11月28日、学会は宗門から「魂の独立」を果たす。その報は、ボストンの地でも喜びとなって広がった。自由の天地で、広布の新章が始まりを告げたのだ。
先生は、ボストンの同志への詩で詠んでいる。
この愉快な共進を
陰湿な妬みの徒に
断じて邪魔させては
ならない
人間のための宗教
生活のための信仰
幸福のための組織
この確かなる軌道を
迷いなく
また ためらわず
堂々と
そして聡明に
進みゆくことだ
賢明な生活リズムで
心身を整えよう。
勤行・唱題を根本に
充実の一日一日を!
日興遺誡置文 P1618
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』
【通解】
未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである。
〈寸鉄〉 2019年4月27日
学会こそ日本の柱であり魂だ—恩師。誇りを胸に立正安国の大道を堂々と
黄金週間が開始!浩然の気養い、友情拡大に挑戦。"絶対無事故"の祈り深く
新しい時代が始まる大型連休。親子で楽しく朗らかに未来を語らう一時を
架空請求被害等の相談が数年で3倍超と。不審に感じたら電話「188」へ
ヘルメット非着用の自転車運転は致死率2・4倍。小事が大事。油断排して
☆虹を懸ける 池田先生と米ボストン� 2019年4月18日
◇創価のルネサンスの光彩を
アメリカの歴史と知性の街ボストン。池田先生は1991年と93年の2度、この地を訪れている。ボストンに輝く広布史と師弟のドラマを追った。
◇「世界に征くんだ」
1960年(昭和35年)10月2日、第3代会長に就任したばかりの池田先生は、戸田先生の遺言を胸に、北・南米へ旅立った。
上着の内ポケットには、恩師の写真が大切に納められていた。
アメリカでは、ハワイ、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、ニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルスを歴訪。異国の地で生活する同志の心に勇気の灯を点じることから、世界広布の火ぶたが切られたのだ。
ボストンで本格的な妙法流布が始まったのは、その数年後のことである。
◇無名の開拓者
ボストンから車で南へ約1時間。ロードアイランド州コベントリーで暮らす92歳のテルコ・ラングウェルさんは、草創メンバーの一人である。
63年に青森で入会。その後、東京で行われる会合に駆け付け、池田先生との出会いを何度も刻んだ。
「将来、世界中で座談会が開かれるようになる」。青年会長の確信の声に、胸を躍らせたラングウェルさん。やがて基地で働くアメリカ人と結ばれ、海を渡ったのは69年のことだった。
当時、ボストン一帯で活動していた日本人のメンバーは数えるほど。彼女たちの励みになったのは、先生が草創の友に示した三指針——「市民権を得て良き市民に」「自動車の運転免許を取る」「英語のマスター」だった。
ラングウェルさんは、すぐに免許を取得し、来る日も来る日も学会活動に明け暮れた。生来、病弱で子どもを産めなかった分、青年たちをわが子だと思い、大切にした。貧しい大学生たちも多い。よく家に招き、手料理をふるまった。
「いつか必ず、先生をボストンにお迎えしたい。この素晴らしい若者たちを見ていただきたい——その一心でした」
その願いが実現したのは、22年後のこと。91年9月24日、池田先生が、ロサンゼルスから空路、ボストンに降り立ったのである。
先生は多忙な行事の合間を縫い、一人一人に励ましを送った。
後継の未来部員にも"お父さんやお母さんに叱られないように、しっかり勉強してください"と、ユーモアを交えて語り掛ける。役員としてその場に居合わせたラングウェルさんは、先生が青年たちと触れ合う姿を、後方でじっと見つめた。
「あの日の感動は生涯、忘れることはありません。命の限り、アメリカ広布にこの身をささげていく決心です。それが先生との誓いですから」
先生が予見した通り、今、世界中で"ザダンカイ"が行われる時代が到来した。コベントリーの集いは、いつもラングウェルさんと青年たちの笑顔であふれている。
◇
60年に福岡で入会したハルコ・ハリソンさんは、空軍に勤める夫と共に3人の子を連れて64年にアメリカへ。一家和楽を誓い、異国の地へと移住した。
だが、夫は肺結核になり、30代で歩行困難に。代わりにハリソンさんが料理人として働きに出た。家計は厳しく、氷点下になる冬もガス代が払えず、お湯さえ満足に使えない月日もあった。自暴自棄になった夫は、何度も命を絶とうとした。
娘のマーガレットさん(圏婦人部長)は思い返す。
「それでも母は、"これは私の人間革命の戦いなのよ"と御本尊に向かっていました。何時間も、お題目を唱えていました。わが家にとって、学会の会合が唯一、心が温まる時間でした」
逆境の中でも、ハリソンさんは弘教に歩いた。語学力は十分ではなかったが、「ナンミョウホウレンゲキョウ」「ブッダ」「ベネフィット(功徳)」の単語を駆使し、身ぶり手ぶりで仏法を語っていった。
池田先生の2度目のボストン訪問(93年)の折、ハリソンさんは、夫と6人の娘たちで撮った家族写真を届けた。すると先生から、"お写真ありがとう。とても美しいご家族の皆さんですね"との真心の伝言が。「今も一家の宝として大切にしています。先生は、全部分かってくださっている。本当に私たちは幸せです」
夫は亡くなる前に一層発心し、一家は経済苦も全て乗り越えた。ハリソンさんは現在、がんとの闘いの真っただ中。それでも「なぜ、いつも幸せそうなのですか」と尋ねてきた医師に仏法の確信を朗らかに語っている。
「"パイオニアの皆さんは、100歳まで長生きしてください"って、池田先生がおっしゃいましたから、絶対に負けません。"ああ、今日も先生と一緒に戦える"って、感謝の毎日です」
無名の開拓者たちの胸に宿る"信仰の炎"は、今も燃えている。
◇師弟の思い出
スティーブ・サパスティーンさん(副方面長)は73年に入会。街で知り合った人から、「仏教の会合に来てみないか?」と誘われたのがきっかけだった。
「大学を卒業後、進むべき道が分からず途方に暮れていました。インド、イスラエル、フィンランド、デンマークなどを旅し、帰国した矢先に声を掛けられたんです。仏教に興味を持ち始めていた時で、翌朝から題目を唱えました」
ベトナム戦争が泥沼化し、価値観が揺らいでいた時代。ヒッピーの全盛期が終わり、さまざまな新興宗教が青年たちを取り込んでいた。現実逃避する若者も増えていた。
ある日のこと。サパスティーンさんは、家族に信心のことを理解してもらおうと、実家にSGIの機関紙を置いて帰った。
後日、父親から電話が入った。
「家にあった新聞を読んだよ。ところで今、池田先生は何をされているんだい? この方と一緒に進んでいけば、きっと間違いないだろう」
生命力を高め、可能性を開き、社会に貢献する——初めて聞く「人間革命」の運動には、確かな哲理があった。サパスティーンさんの周囲では、創価の哲学への共感が広がっていった。
「まさにこれ以上ないタイミングでした。当時の青年たちは、ある意味で社会の犠牲者でした。希望を失っていた。そこへ日本人の婦人たちがやって来て、素晴らしい仏法を教えてくれたのです」
ボストンでは青年世代のメンバーが続々と誕生し、サパスティーンさんたちは、雨の日も雪の日も対話の先頭に立った。草創の婦人たちは、おにぎりを作って応援してくれた。
91年、青年部のリーダーとして、諸行事の運営役員を務めたサパスティーンさん。ボストン会館(当時)を訪れた池田先生が語った言葉を、胸に深く刻んできた。
「先生は、壁に掛かっていた大きな時計を指して、こう言われました。"この時計には、この部屋は少し小さいかもしれないね。いつか皆さんの手で、この時計にふさわしい会館を建てようよ"と。いつの日か、先生の期待にお応えできる青年の陣列をもって、広布の宝城を築く——これが先生との誓いになりました」
2016年、ボストンの同志が集い合う「ニューイングランド会館」が完成。その一番大きな部屋に、"師弟の思い出"が詰まったこの時計が掛けられている。
◇確かなる軌道
ボストンを初めて訪れた池田先生は、翌日の9月25日から、一級の学識者たちと会見を重ねていった。そして、メンバーが感動に胸を震わせる"出来事"が起きた。
ボストン近郊に立つ世界的名門・ハーバード大学のケネディ政治大学院で、先生が「ソフト・パワーの時代と哲学」と題し、講演を行ったのである(9月26日)。
89年に冷戦が終結し、講演の3カ月後にはソ連が崩壊するという時代の転換期。歴史の動因は、軍事や権力、富といった「ハード・パワー」から、知識や情報、文化などの「ソフト・パワー」に移っていた。先生は、仏法の「縁起」の思想に触れつつ、内発的精神に支えられた「自己規律」が求められていると訴えた。
講演は、時代の要請に応えるものだった。後にアメリカ国防長官を務めたアシュトン・カーター教授は述べている。「ソフト・パワーへの時流を確たるものにしなければならない」と。
当時、総合方面婦人部長だったキャサリーン・オレスキーさん。73年、大学生の時に入会し、草創の女子部として活動に励んできた。
先生を迎える直前、オレスキーさんは突然の関節リウマチを発症。加えて、夫のビジネスが苦境に陥った。子育てをしながら、寝る間も惜しんで諸行事の準備・運営に奔走していた。
「先生の講演は、私たちにとって新しい目覚めでした。視野が世界に広がり、自分たちの偉大な使命に目を見開いた瞬間だったのです。悩みも一気に吹き飛びました」
講演の翌日、さらなる喜びのニュースが。先生が、諸行事が大成功で終わった感謝を込め、ボストンのメンバーに詩を贈ったのだ。
わがボストンの
妙法の哲人たちよ
新しき
創価の
ルネサンスの光彩を
鮮烈に 力強く
輝かしてくれたまえ
詩には、「開拓」と「自由」と「平等」の原点の地・ボストンに生きる久遠の地涌の同志たちへの、限りない期待がつづられていた。
オレスキーさんは、先生が出席した会合で誓いを語った。「わがボストンに、全米一、世界一の麗しい"人間共和のスクラム"を築いてまいります!」
以来、自身の宿命転換に挑み、広布の先頭を走った。病も完治し、経済苦も乗り越えた。3人の子どもたちも立派に成長し、一家で広布の道を進む。
◇
池田先生の初訪問から2カ月後の91年11月28日、学会は宗門から「魂の独立」を果たす。その報は、ボストンの地でも喜びとなって広がった。自由の天地で、広布の新章が始まりを告げたのだ。
先生は、ボストンの同志への詩で詠んでいる。
この愉快な共進を
陰湿な妬みの徒に
断じて邪魔させては
ならない
人間のための宗教
生活のための信仰
幸福のための組織
この確かなる軌道を
迷いなく
また ためらわず
堂々と
そして聡明に
進みゆくことだ
2019年4月26日金曜日
2019.04.26 わが友に贈る
「徹して一人を大切に」
これが創価の魂だ。
焦らず忍耐強く
友に寄り添い続けよう。
深き祈りをたゆみなく!
松野殿御返事 P1386
『天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』
【通解】
天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である。
〈寸鉄〉 2019年4月26日
学会員の社会変革の努力こそ平和を築く力—識者我らの前進を良識は期待
長野の日。人材山脈は隆々と。師弟有縁の天地で更なる正義の大叙事詩を
陰の人々、無名の人たちが一番偉いんだよ—詩人幹部は尊き同志に最敬礼
仕事ぶりを認められた新社会人はやる気も増す—調査。励ましこそ万の力
連休は交通機関が混雑。長距離運転は無理せず余裕持って。絶対無事故で
☆知性の架け橋 アメリカ・ハーバード大学(上)
◇1991年9月26日 人間の内発的精神が"分断"を封じ込める
世界最高峰の知性の学府ハーバード大学(米マサチューセッツ州ケンブリッジ市)。同大学ケネディ政治大学院の招請を受けた池田先生は1991年9月26日、「ソフト・パワーの時代と哲学」と題して講演した。
会場のウィナー講堂には、マサチューセッツ工科大学、ボストン大学など名門大学の学識者や、ノーベル賞受賞者など、そうそうたる顔ぶれが並び、耳を傾けた。
2年前の89年11月、「ベルリンの壁」が崩壊し、12月には米ソ首脳が冷戦終結を宣言。
以後、激動の国際情勢にあって、軍事力や権力、富などの「ハード・パワー」ではなく、知識や情報、文化などの「ソフト・パワー」に光を当てる思潮に注目が集まり始めていた。
この新しい概念を提唱した同大学国際問題研究センター所長(当時)のジョセフ・ナイ博士から2度にわたって招聘状が寄せられ、池田先生の学術講演が実現したのである。
先生は講演で、ソフト・パワーの潮流を不可逆なものとする鍵として、精神の"内発的なるもの"に言及。異文化の衝突が起こったような時に忍耐と熟慮を重ねることで、良心の内発的な働きは鍛え上げられ、「人間関係を分断し、破壊する悪を、最小限度に封じ込めることができる」等と述べた。
終了後、ナイ博士は「(講演は)世界に普遍的な貴重な未来へのメッセージ」と評価。同大学ケネディ政治大学院のスチーブ・ケルマン教授は「講演が実現できたことは実に意義深い。日米間の文化理解を深めるうえで、今回の講演は大きく寄与した」と語った。
その後、同大学と池田先生の交流は一層広がっていった。
92年3月、文化人類学部長のヌール・ヤーマン博士と会見。同年5月には、応用神学部長のハービー・コックス博士と語り合った。〈後に、両者との対話や書簡は、対談集にそれぞれ結実している〉
さらに両博士から、再度の講演を求める招聘状が届く。93年9月24日、池田先生は同大学で、2度目の講演に臨んだ(〈下〉に続く)。
◇講演から
ハード・パワーというものの習性は"外発的"に、時には"外圧的"に人間をある方向へ動かしますが、それとは逆に、人間同士の合意と納得による"内発的"な促し、内発的なエネルギーを軸とするところに、ソフト・パワーの大きな特徴があります。
このことは古来、人間の精神性や宗教性に根差した広い意味での哲学の本領とするところでありました。
ソフト・パワーの時代とはいえ、そうした哲学を欠けば、つまり、人間の側からの"内発的"な対応がなければ、知識や情報がいかに豊富でも、例えば容易に権力による情報操作を許し、"笑顔のファシズム"さえ招来しかねないのであります。
その意味からも、ソフト・パワーの時代を支え、加速していけるか否かは、あげて哲学の双肩にかかっているといっても過言ではないでしょう。
これが創価の魂だ。
焦らず忍耐強く
友に寄り添い続けよう。
深き祈りをたゆみなく!
松野殿御返事 P1386
『天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』
【通解】
天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である。
〈寸鉄〉 2019年4月26日
学会員の社会変革の努力こそ平和を築く力—識者我らの前進を良識は期待
長野の日。人材山脈は隆々と。師弟有縁の天地で更なる正義の大叙事詩を
陰の人々、無名の人たちが一番偉いんだよ—詩人幹部は尊き同志に最敬礼
仕事ぶりを認められた新社会人はやる気も増す—調査。励ましこそ万の力
連休は交通機関が混雑。長距離運転は無理せず余裕持って。絶対無事故で
☆知性の架け橋 アメリカ・ハーバード大学(上)
◇1991年9月26日 人間の内発的精神が"分断"を封じ込める
世界最高峰の知性の学府ハーバード大学(米マサチューセッツ州ケンブリッジ市)。同大学ケネディ政治大学院の招請を受けた池田先生は1991年9月26日、「ソフト・パワーの時代と哲学」と題して講演した。
会場のウィナー講堂には、マサチューセッツ工科大学、ボストン大学など名門大学の学識者や、ノーベル賞受賞者など、そうそうたる顔ぶれが並び、耳を傾けた。
2年前の89年11月、「ベルリンの壁」が崩壊し、12月には米ソ首脳が冷戦終結を宣言。
以後、激動の国際情勢にあって、軍事力や権力、富などの「ハード・パワー」ではなく、知識や情報、文化などの「ソフト・パワー」に光を当てる思潮に注目が集まり始めていた。
この新しい概念を提唱した同大学国際問題研究センター所長(当時)のジョセフ・ナイ博士から2度にわたって招聘状が寄せられ、池田先生の学術講演が実現したのである。
先生は講演で、ソフト・パワーの潮流を不可逆なものとする鍵として、精神の"内発的なるもの"に言及。異文化の衝突が起こったような時に忍耐と熟慮を重ねることで、良心の内発的な働きは鍛え上げられ、「人間関係を分断し、破壊する悪を、最小限度に封じ込めることができる」等と述べた。
終了後、ナイ博士は「(講演は)世界に普遍的な貴重な未来へのメッセージ」と評価。同大学ケネディ政治大学院のスチーブ・ケルマン教授は「講演が実現できたことは実に意義深い。日米間の文化理解を深めるうえで、今回の講演は大きく寄与した」と語った。
その後、同大学と池田先生の交流は一層広がっていった。
92年3月、文化人類学部長のヌール・ヤーマン博士と会見。同年5月には、応用神学部長のハービー・コックス博士と語り合った。〈後に、両者との対話や書簡は、対談集にそれぞれ結実している〉
さらに両博士から、再度の講演を求める招聘状が届く。93年9月24日、池田先生は同大学で、2度目の講演に臨んだ(〈下〉に続く)。
◇講演から
ハード・パワーというものの習性は"外発的"に、時には"外圧的"に人間をある方向へ動かしますが、それとは逆に、人間同士の合意と納得による"内発的"な促し、内発的なエネルギーを軸とするところに、ソフト・パワーの大きな特徴があります。
このことは古来、人間の精神性や宗教性に根差した広い意味での哲学の本領とするところでありました。
ソフト・パワーの時代とはいえ、そうした哲学を欠けば、つまり、人間の側からの"内発的"な対応がなければ、知識や情報がいかに豊富でも、例えば容易に権力による情報操作を許し、"笑顔のファシズム"さえ招来しかねないのであります。
その意味からも、ソフト・パワーの時代を支え、加速していけるか否かは、あげて哲学の双肩にかかっているといっても過言ではないでしょう。
2019年4月25日木曜日
2019.04.25 わが友に贈る
近隣や地域を大切に!
清々しいあいさつと
良識豊かな振る舞いが
友好を深める根本だ。
誠実に勝る外交なし!
松野殿御消息 P1380
『昔し徳勝童子と申せしをさなき者は土の餅を釈迦仏に供養し奉りて阿育大王と生れて閻浮提の主と成りて結句は仏になる』
【通解】
昔、徳勝童子という幼い者は、土の餅を釈迦仏に供養して、阿育大王と生まれて閻浮提の王となり、最後には仏になったのである。
〈寸鉄〉 2019年4月25日
道徳心を再生し良き社会築く学会に期待—元総長皆が創価哲学の体現者と
江戸川「師弟勝利の日」。栄光燦たる信心の横綱。堂々たる凱歌の前進更に
国連記念日。平和の文化創る人類の議会。持続可能な未来へ民衆の声結集
長期外出時の空き巣に注意。施錠確認、郵便・新聞の一時停止等、対策を
子供主動の関わりが自己肯定感育むと。子の興味・関心を真っすぐ伸ばそう
☆御書と歩む� 第66回 不撓の前進不屈の闘争を!
『題目を唱うる人・如来の使なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり』(四条金吾殿御返事、1181ページ)
◇通解
題目を唱える人は、如来の使いである。また最初から最後まで、生涯、妙法を捨てることなく、大難を受けても受持し通す人は、如来の使いである。
◇同志への指針
最後まで貫き通す。ここに信仰の真髄がある。いかなる逆境にも題目を唱え、正義を語り切る——この人にこそ、仏の生命が脈打つ。
広宣流布は現実社会で具体的な目標に挑む前進だ。一人一人が「自分らしく戦い切った」と人間革命の歴史を刻むことが恩師の願いであった。共々に励まし、立正安国の使命の道を走り抜く先に、民衆の歓喜の凱歌は轟くのだ。
☆みんなで学ぶ教学〜新会員教室〜第24回 主師親の三徳
◇万人を救う熱願を示された大聖人
末法の御本仏・日蓮大聖人が自らの御振る舞いで示された、民衆救済の偉大な人間像とは——。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「主師親の三徳」をテーマに学びます。
◇尊敬すべき三つの徳
——仕事で大きな責任を担うことになりました。
飛躍のチャンスですね! かつて池田先生は、リーダーに求められる資質に、「責任感」「智慧」「慈悲」を挙げました。これらは、日蓮大聖人が示された「主師親の三徳」を、それぞれ現代的に展開されたものです。
——「主師親の三徳」とは何でしょうか?
一切衆生が尊敬すべき「主の徳」「師の徳」「親の徳」の三徳のことです。徳とは、人に具わった力、人々に恵みを与える力といえます。
大聖人は「開目抄」の冒頭で、「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(御書186ページ)と示され、この三つの徳を兼ね備えた仏こそ根本として尊敬すべき対象である、と教えられています。
——それぞれ詳しく教えてください。
まず「主の徳」とは、人々を守る力・働きです。「主」とは「臣」に対するもので、主には、臣下を守り、その生活を支える"責任"がありました。幸・不幸をもたらす因果の理法をはっきり示し、人々を守る徳を表します。
二つ目の「師の徳」とは、正しい法に基づいて、人々を教え導く力・働きです。何が正しい法なのか、どのように実践するのがよいのか、幸福になるための"智慧"を教え示すことを表します。
最後に「親の徳」とは、人々を育て慈しむ力・働きです。親が子を"慈悲"の心で包むように、全ての人を平等に大切にし、自らと同じ境涯へと高めようと育むことを表します。
◇「柱」「眼目」「大船」に
——リーダーの資質に通じることがよく分かります。
「開目抄」の冒頭では、一応の結論として釈尊が真の主師親であることを述べられた上で、"末法の衆生に対して三徳を具えている仏とは誰なのか"が論じられます。
そして、真の成仏の法であり、末法の衆生を救う「一念三千」を覚り、"寿量文底下種の妙法"を弘める大聖人御自身が法華経の行者であることを明かしていきます。
大聖人はその御自覚から、一切衆生を救済する大願を次のように仰せです。
「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)——「柱」が「主の徳」、「眼目」が「師の徳」、「大船」が「親の徳」を表していると拝することができます。
本抄の結びに、「日蓮は日本国の諸人にしうし父母(主師親)なり」(同237ページ)と、御自身こそ、主師親の三徳を具える末法の御本仏であられることを宣言されるのです。
しかも、佐渡流罪という命に及ぶ大難の渦中で、大聖人は本抄を著されたのです。
◇使命深き学会の運動
——命を賭しての宣言に、力強い御確信が伝わってきます。
「報恩抄」の次の一節にも、大聖人における主師親の三徳が明らかにされています。
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(同329ページ)
ここで「日蓮が……ながるべし」が衆生を慈しむ「親の徳」に、「日本国の……功徳あり」が人々に正しい生き方を指し示す「師の徳」に、そして「無間地獄の道をふさぎぬ」が衆生を守り抜く「主の徳」に当たります。
大聖人は、末法の主師親の三徳を具える存在として、全人類を救う道を開いてくださいました。この大聖人の熱願を継承し、世界広宣流布を進めてきたのが創価学会です。
——私たちにも深い使命があるのですね。
そうです。例えば、学会が進めてきた平和・文化・教育の運動は、主師親の三徳を社会における「価値創造」の原理として具現化したものといえます。
池田先生は語っています。
「生命の尊厳を護る『主の徳』を目指すのは、平和の貢献です。青年を正しく導く『師の徳』を体現するのが、人間教育です。人類の心を耕し、結び合う『親の徳』は、文化の交流です」
私たちは、妙法を根本に人格を磨き、仏法の精神を社会の基調にしていく挑戦を続けていきましょう。
放課後メモ
「主師親の三徳」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『開目抄講義』下巻76ページ(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第3巻68ページ(同)
○…『永遠の経典「御書」に学ぶ』第1巻83ページ(同)
清々しいあいさつと
良識豊かな振る舞いが
友好を深める根本だ。
誠実に勝る外交なし!
松野殿御消息 P1380
『昔し徳勝童子と申せしをさなき者は土の餅を釈迦仏に供養し奉りて阿育大王と生れて閻浮提の主と成りて結句は仏になる』
【通解】
昔、徳勝童子という幼い者は、土の餅を釈迦仏に供養して、阿育大王と生まれて閻浮提の王となり、最後には仏になったのである。
〈寸鉄〉 2019年4月25日
道徳心を再生し良き社会築く学会に期待—元総長皆が創価哲学の体現者と
江戸川「師弟勝利の日」。栄光燦たる信心の横綱。堂々たる凱歌の前進更に
国連記念日。平和の文化創る人類の議会。持続可能な未来へ民衆の声結集
長期外出時の空き巣に注意。施錠確認、郵便・新聞の一時停止等、対策を
子供主動の関わりが自己肯定感育むと。子の興味・関心を真っすぐ伸ばそう
☆御書と歩む� 第66回 不撓の前進不屈の闘争を!
『題目を唱うる人・如来の使なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり』(四条金吾殿御返事、1181ページ)
◇通解
題目を唱える人は、如来の使いである。また最初から最後まで、生涯、妙法を捨てることなく、大難を受けても受持し通す人は、如来の使いである。
◇同志への指針
最後まで貫き通す。ここに信仰の真髄がある。いかなる逆境にも題目を唱え、正義を語り切る——この人にこそ、仏の生命が脈打つ。
広宣流布は現実社会で具体的な目標に挑む前進だ。一人一人が「自分らしく戦い切った」と人間革命の歴史を刻むことが恩師の願いであった。共々に励まし、立正安国の使命の道を走り抜く先に、民衆の歓喜の凱歌は轟くのだ。
☆みんなで学ぶ教学〜新会員教室〜第24回 主師親の三徳
◇万人を救う熱願を示された大聖人
末法の御本仏・日蓮大聖人が自らの御振る舞いで示された、民衆救済の偉大な人間像とは——。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「主師親の三徳」をテーマに学びます。
◇尊敬すべき三つの徳
——仕事で大きな責任を担うことになりました。
飛躍のチャンスですね! かつて池田先生は、リーダーに求められる資質に、「責任感」「智慧」「慈悲」を挙げました。これらは、日蓮大聖人が示された「主師親の三徳」を、それぞれ現代的に展開されたものです。
——「主師親の三徳」とは何でしょうか?
一切衆生が尊敬すべき「主の徳」「師の徳」「親の徳」の三徳のことです。徳とは、人に具わった力、人々に恵みを与える力といえます。
大聖人は「開目抄」の冒頭で、「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(御書186ページ)と示され、この三つの徳を兼ね備えた仏こそ根本として尊敬すべき対象である、と教えられています。
——それぞれ詳しく教えてください。
まず「主の徳」とは、人々を守る力・働きです。「主」とは「臣」に対するもので、主には、臣下を守り、その生活を支える"責任"がありました。幸・不幸をもたらす因果の理法をはっきり示し、人々を守る徳を表します。
二つ目の「師の徳」とは、正しい法に基づいて、人々を教え導く力・働きです。何が正しい法なのか、どのように実践するのがよいのか、幸福になるための"智慧"を教え示すことを表します。
最後に「親の徳」とは、人々を育て慈しむ力・働きです。親が子を"慈悲"の心で包むように、全ての人を平等に大切にし、自らと同じ境涯へと高めようと育むことを表します。
◇「柱」「眼目」「大船」に
——リーダーの資質に通じることがよく分かります。
「開目抄」の冒頭では、一応の結論として釈尊が真の主師親であることを述べられた上で、"末法の衆生に対して三徳を具えている仏とは誰なのか"が論じられます。
そして、真の成仏の法であり、末法の衆生を救う「一念三千」を覚り、"寿量文底下種の妙法"を弘める大聖人御自身が法華経の行者であることを明かしていきます。
大聖人はその御自覚から、一切衆生を救済する大願を次のように仰せです。
「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)——「柱」が「主の徳」、「眼目」が「師の徳」、「大船」が「親の徳」を表していると拝することができます。
本抄の結びに、「日蓮は日本国の諸人にしうし父母(主師親)なり」(同237ページ)と、御自身こそ、主師親の三徳を具える末法の御本仏であられることを宣言されるのです。
しかも、佐渡流罪という命に及ぶ大難の渦中で、大聖人は本抄を著されたのです。
◇使命深き学会の運動
——命を賭しての宣言に、力強い御確信が伝わってきます。
「報恩抄」の次の一節にも、大聖人における主師親の三徳が明らかにされています。
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(同329ページ)
ここで「日蓮が……ながるべし」が衆生を慈しむ「親の徳」に、「日本国の……功徳あり」が人々に正しい生き方を指し示す「師の徳」に、そして「無間地獄の道をふさぎぬ」が衆生を守り抜く「主の徳」に当たります。
大聖人は、末法の主師親の三徳を具える存在として、全人類を救う道を開いてくださいました。この大聖人の熱願を継承し、世界広宣流布を進めてきたのが創価学会です。
——私たちにも深い使命があるのですね。
そうです。例えば、学会が進めてきた平和・文化・教育の運動は、主師親の三徳を社会における「価値創造」の原理として具現化したものといえます。
池田先生は語っています。
「生命の尊厳を護る『主の徳』を目指すのは、平和の貢献です。青年を正しく導く『師の徳』を体現するのが、人間教育です。人類の心を耕し、結び合う『親の徳』は、文化の交流です」
私たちは、妙法を根本に人格を磨き、仏法の精神を社会の基調にしていく挑戦を続けていきましょう。
放課後メモ
「主師親の三徳」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『開目抄講義』下巻76ページ(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第3巻68ページ(同)
○…『永遠の経典「御書」に学ぶ』第1巻83ページ(同)
2019年4月24日水曜日
2019.04.24 わが友に贈る
学会こそ日本の「柱」
「眼目」「大船」なり。
全民衆の幸福と勝利へ
共戦の同志と団結固く
威風堂々と進みゆこう!
新池御書 P1439
『此の経にあひ奉りぬれば諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』
【通解】
この法華経にあったならば、積み重なった悪業や罪も、妙法の太陽によって霜や露のように消え去るのである。
〈寸鉄〉 2019年4月24日
庶民が強くなるとは学会が強くなる事—恩師。立正安国の魂は我らに厳然
常勝大阪・師弟誓願の日。不撓不屈の勇者の連帯。世界が仰ぎ見る大行進を
「一切の草木は地より出生せり」御書。家庭こそ育みの大地。信心継承の礎
体験は力!希望の光源!自身の劇、語り伝えよう。「五十展転」の功徳ここに
幼児同乗の自転車事故や転倒に注意。ヘルメット着用等必ず。尊き命守れ
☆御書と歩む� 第65回 「勇気」こそ師弟の精髄
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず』(種種御振舞御書、910ページ)
◇通解
おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は一人も臆する心を起こしてはならない。
◇同志への指針
御本仏の永遠の大宣言であられる。
弟子を名乗る限りは、断じて臆してはならない。どんな試練の烈風が吹き荒れようとも、怯まず胸を張るのだ。
「勇気」こそ、日蓮門下の魂なのである。
大聖人は「各各思い切り給へ」とも仰せである。決然と一念を定め、師弟の誓願勝利の道を、まっしぐらに進みゆこうではないか!
☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「地涌の本舞台」 2019年4月16日
◇この時、この場を選んで広布を誓った使命の勇者
人間の生命には、計り知れない力が具わっています。この本然の力を発揮する鍵こそ、「地涌の菩薩」の自覚です。池田先生は、つづっています。「我らは末法広宣流布を誓い合った地涌の菩薩である。この時代、この場所を、自ら選んで生まれた使命の勇者だ。その大使命を自覚し、大願に生き抜く青春に、力が出ないわけがない。時代を変えゆく智慧が、湧かないわけがない」(『随筆 民衆凱歌の大行進』〈誓いの青年に贈る〉)。まぎれもなく、今いる所が使命の本舞台です。一人一人が、自分らしく朗らかに、痛快なる勝利劇をつづろうではありませんか。
◇歓喜の舞を共々に
●御文
『迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(大悪大善御書、1300ページ)
●通解
迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から現れた時には、まさに踊り出られたのである。
成仏の法を聞いて歓喜に舞い踊った迦葉や舎利弗。
妙法流布のために大地から踊り出た上行菩薩。
——正法に出あったうれしさ、妙法を弘める喜びが、計り知れないことを教えられた御文です。
本抄は、一部のみが伝えられているお手紙で、誰に与えられたか不明です。社会が騒然とする中で、"いよいよ妙法が広まるのだ"との御確信をつづられたと拝されます。
法華経の会座で、釈尊は、末法の妙法流布の使命を託すために、真の弟子を呼び出しました。その時、大地から踊り出たのが地涌の菩薩であり、その上首(最高リーダー)が上行菩薩です。
なぜ大歓喜の心で踊り出たのでしょう。それは、悪世末法が、地涌の菩薩にとって、自身の使命を果たすべき最高の舞台だからです。
私たちにとっても、厳しき現状は、決して厭うべきものではなく、勇敢に立ち向かうべきものです。
得てして人は、あまりにも大きな壁や困難に直面してしまうと、萎縮し、弱気になってしまいがちです。
しかし、本物の覚悟、不屈の勇気を持った人は、逆に現状が厳しければ厳しいほど、困難を克服した未来に心を弾ませ、挑戦の気概にあふれていくものです。
さあ、地涌の使命に燃えて、嘆かず、怯まず、生命の底力を発揮し、共々に勝利の舞を舞いましょう。
◇わが地域に正義の旗を
●御文
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし』(高橋殿御返事、1467ページ)
●通解
その国の仏法流布は、あなたにお任せします。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。
誰がやらなくとも、自分がやる! 誰かではなく、自分が道を開く!——こう決めた人が勝利をつかむことができるのです。
御文は、自らが地域の"幸福責任者"との自覚に立つ大切さを教えられた一節です。
全責任を担う覚悟を決めれば、環境に左右される存在から、自らが環境をより良く変えていく存在へと変わることができます。
いわんや私たちは、広宣流布を誓って出現した地涌の菩薩です。であるならば、今いる地域・職場の環境、そして人間関係も、決して偶然の巡り合わせではありません。むしろ、自らが妙法の偉大さを証明する舞台として選んだ、使命の天地なのです。
「まかせたてまつり候」とは、単に任せたといった次元の言葉ではなく、大聖人と同じ決意、同じ覚悟で、"使命を果たし抜け"との、師匠の熱き期待にほかなりません。
「仏種は縁に従って起る」と仰せの通り、広宣流布といっても、仏縁を広げていくことが根本です。その方途が"法華経を説く"ことです。私たちにとっては、仏法対話であり、真実と正義を語り、善の連帯を広げていくことです。
もちろん、反発する人も、興味を示さない人もいるでしょう。しかし、2回、3回……10回と、粘り強く、仏縁を結び続けていくことです。
一人一人が、幸福責任者として、わが地域に正義の旗を打ち立てましょう!
◇コラム 対話の達人、勇気の戦士
「末代の大難忍びがたかるべし、我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべし」(御書905ページ)と、末法広宣流布を託されたのが「地涌の菩薩」です。
では、「地涌の菩薩」は、どんな力を持つのでしょうか。
法華経に説かれる特徴を探ってみます。
「志念力は堅固にして」(法華経466ページ)——何ものにも壊されない固き決意を持つ人。誓いを貫く人。
「難問答に巧みにして」(同472ページ)——大確信と智慧をもった対話の達人。
「其の心に畏るる所無く」(同ページ)——勇気の人、勇敢な広布の戦士。
「忍辱の心は決定し」(同ページ)——何があってもへこたれない不撓不屈の闘士。
「端正にして威徳有り」(同ページ)——"あの人のようになりたい""あの人は立派だ"と言われるような魅力ある人。
このように、法華経には、とても立派な姿で描かれていますが、この力が、「地涌の菩薩」である私たち一人一人にも具わっているのです。
その力は、喜び勇んで戦う信心によって発揮されるのです。
「眼目」「大船」なり。
全民衆の幸福と勝利へ
共戦の同志と団結固く
威風堂々と進みゆこう!
新池御書 P1439
『此の経にあひ奉りぬれば諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』
【通解】
この法華経にあったならば、積み重なった悪業や罪も、妙法の太陽によって霜や露のように消え去るのである。
〈寸鉄〉 2019年4月24日
庶民が強くなるとは学会が強くなる事—恩師。立正安国の魂は我らに厳然
常勝大阪・師弟誓願の日。不撓不屈の勇者の連帯。世界が仰ぎ見る大行進を
「一切の草木は地より出生せり」御書。家庭こそ育みの大地。信心継承の礎
体験は力!希望の光源!自身の劇、語り伝えよう。「五十展転」の功徳ここに
幼児同乗の自転車事故や転倒に注意。ヘルメット着用等必ず。尊き命守れ
☆御書と歩む� 第65回 「勇気」こそ師弟の精髄
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず』(種種御振舞御書、910ページ)
◇通解
おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は一人も臆する心を起こしてはならない。
◇同志への指針
御本仏の永遠の大宣言であられる。
弟子を名乗る限りは、断じて臆してはならない。どんな試練の烈風が吹き荒れようとも、怯まず胸を張るのだ。
「勇気」こそ、日蓮門下の魂なのである。
大聖人は「各各思い切り給へ」とも仰せである。決然と一念を定め、師弟の誓願勝利の道を、まっしぐらに進みゆこうではないか!
☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「地涌の本舞台」 2019年4月16日
◇この時、この場を選んで広布を誓った使命の勇者
人間の生命には、計り知れない力が具わっています。この本然の力を発揮する鍵こそ、「地涌の菩薩」の自覚です。池田先生は、つづっています。「我らは末法広宣流布を誓い合った地涌の菩薩である。この時代、この場所を、自ら選んで生まれた使命の勇者だ。その大使命を自覚し、大願に生き抜く青春に、力が出ないわけがない。時代を変えゆく智慧が、湧かないわけがない」(『随筆 民衆凱歌の大行進』〈誓いの青年に贈る〉)。まぎれもなく、今いる所が使命の本舞台です。一人一人が、自分らしく朗らかに、痛快なる勝利劇をつづろうではありませんか。
◇歓喜の舞を共々に
●御文
『迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(大悪大善御書、1300ページ)
●通解
迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から現れた時には、まさに踊り出られたのである。
成仏の法を聞いて歓喜に舞い踊った迦葉や舎利弗。
妙法流布のために大地から踊り出た上行菩薩。
——正法に出あったうれしさ、妙法を弘める喜びが、計り知れないことを教えられた御文です。
本抄は、一部のみが伝えられているお手紙で、誰に与えられたか不明です。社会が騒然とする中で、"いよいよ妙法が広まるのだ"との御確信をつづられたと拝されます。
法華経の会座で、釈尊は、末法の妙法流布の使命を託すために、真の弟子を呼び出しました。その時、大地から踊り出たのが地涌の菩薩であり、その上首(最高リーダー)が上行菩薩です。
なぜ大歓喜の心で踊り出たのでしょう。それは、悪世末法が、地涌の菩薩にとって、自身の使命を果たすべき最高の舞台だからです。
私たちにとっても、厳しき現状は、決して厭うべきものではなく、勇敢に立ち向かうべきものです。
得てして人は、あまりにも大きな壁や困難に直面してしまうと、萎縮し、弱気になってしまいがちです。
しかし、本物の覚悟、不屈の勇気を持った人は、逆に現状が厳しければ厳しいほど、困難を克服した未来に心を弾ませ、挑戦の気概にあふれていくものです。
さあ、地涌の使命に燃えて、嘆かず、怯まず、生命の底力を発揮し、共々に勝利の舞を舞いましょう。
◇わが地域に正義の旗を
●御文
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし』(高橋殿御返事、1467ページ)
●通解
その国の仏法流布は、あなたにお任せします。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。
誰がやらなくとも、自分がやる! 誰かではなく、自分が道を開く!——こう決めた人が勝利をつかむことができるのです。
御文は、自らが地域の"幸福責任者"との自覚に立つ大切さを教えられた一節です。
全責任を担う覚悟を決めれば、環境に左右される存在から、自らが環境をより良く変えていく存在へと変わることができます。
いわんや私たちは、広宣流布を誓って出現した地涌の菩薩です。であるならば、今いる地域・職場の環境、そして人間関係も、決して偶然の巡り合わせではありません。むしろ、自らが妙法の偉大さを証明する舞台として選んだ、使命の天地なのです。
「まかせたてまつり候」とは、単に任せたといった次元の言葉ではなく、大聖人と同じ決意、同じ覚悟で、"使命を果たし抜け"との、師匠の熱き期待にほかなりません。
「仏種は縁に従って起る」と仰せの通り、広宣流布といっても、仏縁を広げていくことが根本です。その方途が"法華経を説く"ことです。私たちにとっては、仏法対話であり、真実と正義を語り、善の連帯を広げていくことです。
もちろん、反発する人も、興味を示さない人もいるでしょう。しかし、2回、3回……10回と、粘り強く、仏縁を結び続けていくことです。
一人一人が、幸福責任者として、わが地域に正義の旗を打ち立てましょう!
◇コラム 対話の達人、勇気の戦士
「末代の大難忍びがたかるべし、我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべし」(御書905ページ)と、末法広宣流布を託されたのが「地涌の菩薩」です。
では、「地涌の菩薩」は、どんな力を持つのでしょうか。
法華経に説かれる特徴を探ってみます。
「志念力は堅固にして」(法華経466ページ)——何ものにも壊されない固き決意を持つ人。誓いを貫く人。
「難問答に巧みにして」(同472ページ)——大確信と智慧をもった対話の達人。
「其の心に畏るる所無く」(同ページ)——勇気の人、勇敢な広布の戦士。
「忍辱の心は決定し」(同ページ)——何があってもへこたれない不撓不屈の闘士。
「端正にして威徳有り」(同ページ)——"あの人のようになりたい""あの人は立派だ"と言われるような魅力ある人。
このように、法華経には、とても立派な姿で描かれていますが、この力が、「地涌の菩薩」である私たち一人一人にも具わっているのです。
その力は、喜び勇んで戦う信心によって発揮されるのです。
2019年4月23日火曜日
2019.04.23 わが友に贈る
広布に尽くす奮闘に
無量無辺の福徳は燦然!
誉の創価家族と共に
新時代の「5/3」を
晴れやかに迎えよう!
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
【通解】
弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない
。
〈寸鉄〉 2019年4月23日
「題目を唱うる人・如来の使」御書。皆に無二の使命あり。肩組み次なる峰へ
三重県婦人部の日。地域照らす太陽の母は燦々!模範の前進に諸天も喝采
会場提供の同志に大感謝家族・近隣にも配慮を。仏法の会座を皆で守ろう
子ども読書の日。良書は心も頭脳も豊かにする最高の滋養。親子して挑戦
高齢者の一人暮らし増加20年後、東京は約3割と。互助の絆が一段と重要に
☆四季の励まし 「いよいよの心」で堂々と 2019年4月14日
勢い——。
それは、
"断じて成し遂げよう!"という、
強き決意と闘魂から生まれる。
自ら勇んでなそうとする、
自主、自発の行動から生まれる。
間髪を容れぬ
迅速な実践によって生まれる。
皆が互いに競い合い、
触発し合う切磋琢磨から生まれる。
そして、
戦いは、勢いのある方が勝つ。
「一」言われたら「三」言い返す。
「三」言われたら「十」言い返す
——この不屈の反撃精神こそ
言論戦の方程式である。
言うべきときに言わなければ、
悪が増長するだけである。
語らなければ、心は伝わらない。
心で思っていても、
それだけでは相手にはわからない。
真実を叫ぶのだ。
そうすれば、
敵をも味方に変えることができる。
信心とは——
断じてあきらめない勇気である。
自分と友の生命の可能性を
あきらめない。
幸福の拡大をあきらめない。
正義の勝利をあきらめない。
平和の創造をあきらめない。
大法弘通を、
断じてあきらめない勇気なのだ。
何が起ころうが、
私には信心がある!
わが家には信心がある!
我らには偉大な信心がある!
だから何ものも恐れない。
だから絶対に
乗り越えられない苦難はない。
真面目に、誠実に、勇敢に、
信心をやり切って、
最後は必ず勝つのだ!
この合言葉で、
いよいよこれからと、
「強盛の信心」で、
威風も堂々、進みゆこう!
春の訪れを喜ぶかのように、にぎやかに咲く黄色いヤマブキ。薄紅色の桜と美しいハーモニーを奏でている。池田大作先生が先月31日、学会本部の分室があった東京・市ケ谷周辺などを回った折に撮影した。
5・3「創価学会の日」を目指し、全国各地で"対話の花"が満開に咲いている。
かつて池田先生は全国の同志に呼び掛けた。「わが創価学会は、何の力で勝ってきたか。『勇気』である」「そして『忍耐』である。『団結』である。この三つで学会は勝ってきた。これを忘れてはならない」
勇気・忍耐・団結を胸に、「いよいよの心」で前進し、「5・3」を勝ち飾ろう!
無量無辺の福徳は燦然!
誉の創価家族と共に
新時代の「5/3」を
晴れやかに迎えよう!
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
【通解】
弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない
。
〈寸鉄〉 2019年4月23日
「題目を唱うる人・如来の使」御書。皆に無二の使命あり。肩組み次なる峰へ
三重県婦人部の日。地域照らす太陽の母は燦々!模範の前進に諸天も喝采
会場提供の同志に大感謝家族・近隣にも配慮を。仏法の会座を皆で守ろう
子ども読書の日。良書は心も頭脳も豊かにする最高の滋養。親子して挑戦
高齢者の一人暮らし増加20年後、東京は約3割と。互助の絆が一段と重要に
☆四季の励まし 「いよいよの心」で堂々と 2019年4月14日
勢い——。
それは、
"断じて成し遂げよう!"という、
強き決意と闘魂から生まれる。
自ら勇んでなそうとする、
自主、自発の行動から生まれる。
間髪を容れぬ
迅速な実践によって生まれる。
皆が互いに競い合い、
触発し合う切磋琢磨から生まれる。
そして、
戦いは、勢いのある方が勝つ。
「一」言われたら「三」言い返す。
「三」言われたら「十」言い返す
——この不屈の反撃精神こそ
言論戦の方程式である。
言うべきときに言わなければ、
悪が増長するだけである。
語らなければ、心は伝わらない。
心で思っていても、
それだけでは相手にはわからない。
真実を叫ぶのだ。
そうすれば、
敵をも味方に変えることができる。
信心とは——
断じてあきらめない勇気である。
自分と友の生命の可能性を
あきらめない。
幸福の拡大をあきらめない。
正義の勝利をあきらめない。
平和の創造をあきらめない。
大法弘通を、
断じてあきらめない勇気なのだ。
何が起ころうが、
私には信心がある!
わが家には信心がある!
我らには偉大な信心がある!
だから何ものも恐れない。
だから絶対に
乗り越えられない苦難はない。
真面目に、誠実に、勇敢に、
信心をやり切って、
最後は必ず勝つのだ!
この合言葉で、
いよいよこれからと、
「強盛の信心」で、
威風も堂々、進みゆこう!
春の訪れを喜ぶかのように、にぎやかに咲く黄色いヤマブキ。薄紅色の桜と美しいハーモニーを奏でている。池田大作先生が先月31日、学会本部の分室があった東京・市ケ谷周辺などを回った折に撮影した。
5・3「創価学会の日」を目指し、全国各地で"対話の花"が満開に咲いている。
かつて池田先生は全国の同志に呼び掛けた。「わが創価学会は、何の力で勝ってきたか。『勇気』である」「そして『忍耐』である。『団結』である。この三つで学会は勝ってきた。これを忘れてはならない」
勇気・忍耐・団結を胸に、「いよいよの心」で前進し、「5・3」を勝ち飾ろう!
2019年4月22日月曜日
2019.04.22 わが友に贈る
◇今週のことば
新時代開く凱歌、万歳!
全宝友の勇戦に最敬礼。
「心の財」は尊く輝く。
結び広げた信頼の絆で
地域の明日へ幸の光を!
2019年4月22日
富木殿御返事 P978
『若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ』
【通解】
もし悩まし乱す者は頭が七つに破れ、供養する者は福徳が仏に供養するよりもまさる。
〈寸鉄〉 2019年4月22日
勝利とは何と痛快!列島に歓喜の花。日本の柱は厳たり。世界の友も喝采
「ほむれば弥功徳まさる」御書。互いの奮闘を讃え合い栄光の「5・3」へ!
間もなく大型連休。銀行・病院の長期休業等の把握を。これも「前前の用心」
地球の日。温暖化対策は待ったなし。依正不二の哲理を今こそ時代精神に
公明党よここからが本当の勝負だ。「大衆と共に」の原点胸に実績で応えよ
☆新時代を築く 皆を味方に!友に希望を 2019年4月13日
「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(御書1578ページ)
まさに、この仰せ通りに、わが同志の立正安国の対話が、いずこでも貴き「蘭室の友」をつくり、尊き「娑婆即寂光」の宝土を広げている。
御本仏・日蓮大聖人は、どれほど讃えておられるか。
広宣流布の行動は全てが「我が一念に納めたる功徳善根」(同383ページ)であり、「今生人界の思出」(同467ページ)となる。
* * *
懐かしい東京の市ケ谷周辺を回るたびに、恩師との共戦譜が思い出される。今、縁の街々が栄え、後継の宝友たちが活躍する姿を、恩師もさぞお喜びであろう。
昭和26年5月、第2代会長に就任されて間もなく、お堀端に立つ3階建ての市ケ谷ビルに、戸田先生の会社の事務所が移転した。聖教新聞の編集室も置かれ、続いて学会本部の分室が設けられた。毎朝の「戸田大学」の講義が行われた場所でもある。
ここで先生は、毎日、会員の指導・激励に当たり、切実な悩みを抱えて訪ねて来た友を渾身の力で励まされた。
「大丈夫。この信心をして幸福にならないわけがない。心は王者でいきなさい。創価学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜きなさい」
皆、生まれ変わったように笑顔で帰っていった。悩みがなくなったのではない。しかし、自分自身が何ものにも負けぬ「妙法の当体」として、悩みを見下ろせる勇気と希望を持ったのだ。
創価の師弟は、まさしく「地涌の菩薩」の陣列である。一人一人が「広宣流布の闘士」として胸を張り、「宿命」を「使命」に転じ、誓願の国土で幸福と平和の連帯を築いていくのだ。
* * *
市ケ谷ビルでの若き日々、私は青年らしく元気な挨拶を心掛け、誠心誠意、内外の方々と語らいを重ねた。ビル全体の受付の方とも、2軒先にあった食堂のご家族や店員さんとも、ビルの前に来ていた行商の植木屋さんとも、心を通わせた。皆、学会に深い理解と信頼を寄せてくれた。
「仏種は縁に従って起る」(同1467ページ)
今、青年部が真剣に広げている対話が、どんなに大きな花を咲かせることか。私は楽しみでならない。
* * *
思えば4月14日は、再三にわたる第3代会長就任の要請を、私が受諾した日である。
——直弟子としてご恩を返す時が来た。日本の歴史、世界の歴史を創りゆく戦いを、同志と貫くのだ、と。
巡り来る60年目の5月3日へ、皆を味方に、友に希望を広げながら、晴れわたる創価の凱歌を共々に!
新時代開く凱歌、万歳!
全宝友の勇戦に最敬礼。
「心の財」は尊く輝く。
結び広げた信頼の絆で
地域の明日へ幸の光を!
2019年4月22日
富木殿御返事 P978
『若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ』
【通解】
もし悩まし乱す者は頭が七つに破れ、供養する者は福徳が仏に供養するよりもまさる。
〈寸鉄〉 2019年4月22日
勝利とは何と痛快!列島に歓喜の花。日本の柱は厳たり。世界の友も喝采
「ほむれば弥功徳まさる」御書。互いの奮闘を讃え合い栄光の「5・3」へ!
間もなく大型連休。銀行・病院の長期休業等の把握を。これも「前前の用心」
地球の日。温暖化対策は待ったなし。依正不二の哲理を今こそ時代精神に
公明党よここからが本当の勝負だ。「大衆と共に」の原点胸に実績で応えよ
☆新時代を築く 皆を味方に!友に希望を 2019年4月13日
「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(御書1578ページ)
まさに、この仰せ通りに、わが同志の立正安国の対話が、いずこでも貴き「蘭室の友」をつくり、尊き「娑婆即寂光」の宝土を広げている。
御本仏・日蓮大聖人は、どれほど讃えておられるか。
広宣流布の行動は全てが「我が一念に納めたる功徳善根」(同383ページ)であり、「今生人界の思出」(同467ページ)となる。
* * *
懐かしい東京の市ケ谷周辺を回るたびに、恩師との共戦譜が思い出される。今、縁の街々が栄え、後継の宝友たちが活躍する姿を、恩師もさぞお喜びであろう。
昭和26年5月、第2代会長に就任されて間もなく、お堀端に立つ3階建ての市ケ谷ビルに、戸田先生の会社の事務所が移転した。聖教新聞の編集室も置かれ、続いて学会本部の分室が設けられた。毎朝の「戸田大学」の講義が行われた場所でもある。
ここで先生は、毎日、会員の指導・激励に当たり、切実な悩みを抱えて訪ねて来た友を渾身の力で励まされた。
「大丈夫。この信心をして幸福にならないわけがない。心は王者でいきなさい。創価学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜きなさい」
皆、生まれ変わったように笑顔で帰っていった。悩みがなくなったのではない。しかし、自分自身が何ものにも負けぬ「妙法の当体」として、悩みを見下ろせる勇気と希望を持ったのだ。
創価の師弟は、まさしく「地涌の菩薩」の陣列である。一人一人が「広宣流布の闘士」として胸を張り、「宿命」を「使命」に転じ、誓願の国土で幸福と平和の連帯を築いていくのだ。
* * *
市ケ谷ビルでの若き日々、私は青年らしく元気な挨拶を心掛け、誠心誠意、内外の方々と語らいを重ねた。ビル全体の受付の方とも、2軒先にあった食堂のご家族や店員さんとも、ビルの前に来ていた行商の植木屋さんとも、心を通わせた。皆、学会に深い理解と信頼を寄せてくれた。
「仏種は縁に従って起る」(同1467ページ)
今、青年部が真剣に広げている対話が、どんなに大きな花を咲かせることか。私は楽しみでならない。
* * *
思えば4月14日は、再三にわたる第3代会長就任の要請を、私が受諾した日である。
——直弟子としてご恩を返す時が来た。日本の歴史、世界の歴史を創りゆく戦いを、同志と貫くのだ、と。
巡り来る60年目の5月3日へ、皆を味方に、友に希望を広げながら、晴れわたる創価の凱歌を共々に!
2019.04.21 わが友に贈る
御聖訓「ちかいし願
やぶるべからず」
広布の栄光の峰へ
励まし合いながら
誓いの道を歩み抜こう!
中興入道消息 P1332
『後には所の地頭領家かたきとなる後には一国さはぎ後には万民をどろくほどに、或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ或は悪口のためにとなへ或は信ずるに似て唱へ或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経』
【通解】
後には故郷の地頭や領家も敵対し、ついには、一国をあげて騒ぎ、万民が驚くありさまになった。そうしたなかで、人の口まねをして南無妙法蓮華経と唱える者がいたり、あるいは悪口のために唱え、あるいは信ずるに似て唱え、またあるいは誹謗するに似て唱える者などがおり、すでに日本国の民衆の10分の1は、一向に南無妙法蓮華経と(唱えるようになった)。
〈寸鉄〉 2019年4月21日
共生の心を広げる学会の青年は人類の希望—教授後継よ!友情育む対話へ
「一身一念法界に遍し」御書。いかなる状況をも動かす信心。祈りを貫け
勝利は最後まで努力した人間がつかむ—孫文。今できる事を地道に着実に
横断歩道でない場所渡る人の事故多し。危険行為と戒めて。運転側も注意
平成最後の統一選・後半の投票日。新時代の針路決める選択。賢明な一票
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 ロシア・モスクワ大学(下)
1994年5月17日
「地球的連帯の世紀」へ
教育の交流をさらに!
1994年5月17日、池田先生はモスクワ大学で2度目の学術講演を行った。会場は75年5月の初講演と同じく、同大学の文化宮殿だった。
しかし、その19年間で同大学を取り巻く状況は劇的に変わっていた。世界を東西に二分した冷戦は終わり、ソ連から、ロシアを含む15の独立国家が誕生。学生にとっては、社会主義体制の柱であったマルクス・レーニン主義思想も、必修科目ではなくなっていた。
「センセイは今回まさにまったく新しい国に来たようなもの」(トローピン元副総長)だったといえる。
そしてまた、自由ゆえの政治・経済の混乱、武力紛争などが世界各地で噴出していた。
2度目の講演のタイトルは「人間——大いなるコスモス」。1回目の講演と同様に、ロシアの精神史に流れる「人間」への深い洞察が、講演を貫くテーマになっていた。
先生は、大乗仏教の視点から、�外からではなく人間の内面からつくる規範性�万物の共生を促す普遍性�蘇生を可能にする内発性——の3点を通し、優れた人格を育む真の宗教の使命に言及。世界の紛争の一凶である"閉鎖性"を、人間の普遍性から問い直す重要性を述べた。
そして、「地球的連帯の世紀」に向けて、全ての壁を超える「平和への対話」「文化・教育の交流」が、一段と重要になっていることを訴えた。
同講演は高い評価をもって迎えられた。
92年から今日まで同大学の総長を務めるサドーヴニチィ博士は、"たとえ思想は異なっていても、人間と人間同士が理解し合うための障害では決してないことを、自然に納得させる講演だった"と回想する。
同講演から25年。
創価大学で学んだロシアと日本の幾多の人材が今、活躍の舞台を広げている。モスクワ大学の卒業生で、創大に留学した、現ロシア大使のガルージン氏は語った。「その人材を育てられたのは、事実上、池田先生です。『人材育成』こそが、池田先生の露日関係への最大の貢献であると私は思います」
池田先生が2度の講演で放った知性の光は啓発を続け、両国を結んだ文化の架け橋は、輝きを増している。
◇講演から
仏典では、「心こそ大切なれ」という簡潔な言葉で、「内発性」を勧めております。また、釈尊の生涯の最大の目的を「人の振る舞い」として、人格の錬磨、完成こそ、修行の眼目と位置づけているのであります。改めて論ずるまでもありませんが、「地球的連帯の世紀」へ向け、宗教、民族、国家などの壁を超えた「平和への対話」と「文化・教育の交流」が、ますます要請されております。
とともに、無原則な離合集散ではなく、それぞれが、こうした人格形成の競い合い、いうなれば「世界市民」輩出の競争をしゆくことが、より創造的であろうと、私は思うのであります。(中略)
カオスをコスモスに転じゆく主役、機軸となるのが、「人間」であります。宗教も哲学も、文化や政治、経済も、その一点へと、収斂されていかねばならない時代であります。
やぶるべからず」
広布の栄光の峰へ
励まし合いながら
誓いの道を歩み抜こう!
中興入道消息 P1332
『後には所の地頭領家かたきとなる後には一国さはぎ後には万民をどろくほどに、或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ或は悪口のためにとなへ或は信ずるに似て唱へ或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経』
【通解】
後には故郷の地頭や領家も敵対し、ついには、一国をあげて騒ぎ、万民が驚くありさまになった。そうしたなかで、人の口まねをして南無妙法蓮華経と唱える者がいたり、あるいは悪口のために唱え、あるいは信ずるに似て唱え、またあるいは誹謗するに似て唱える者などがおり、すでに日本国の民衆の10分の1は、一向に南無妙法蓮華経と(唱えるようになった)。
〈寸鉄〉 2019年4月21日
共生の心を広げる学会の青年は人類の希望—教授後継よ!友情育む対話へ
「一身一念法界に遍し」御書。いかなる状況をも動かす信心。祈りを貫け
勝利は最後まで努力した人間がつかむ—孫文。今できる事を地道に着実に
横断歩道でない場所渡る人の事故多し。危険行為と戒めて。運転側も注意
平成最後の統一選・後半の投票日。新時代の針路決める選択。賢明な一票
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 ロシア・モスクワ大学(下)
1994年5月17日
「地球的連帯の世紀」へ
教育の交流をさらに!
1994年5月17日、池田先生はモスクワ大学で2度目の学術講演を行った。会場は75年5月の初講演と同じく、同大学の文化宮殿だった。
しかし、その19年間で同大学を取り巻く状況は劇的に変わっていた。世界を東西に二分した冷戦は終わり、ソ連から、ロシアを含む15の独立国家が誕生。学生にとっては、社会主義体制の柱であったマルクス・レーニン主義思想も、必修科目ではなくなっていた。
「センセイは今回まさにまったく新しい国に来たようなもの」(トローピン元副総長)だったといえる。
そしてまた、自由ゆえの政治・経済の混乱、武力紛争などが世界各地で噴出していた。
2度目の講演のタイトルは「人間——大いなるコスモス」。1回目の講演と同様に、ロシアの精神史に流れる「人間」への深い洞察が、講演を貫くテーマになっていた。
先生は、大乗仏教の視点から、�外からではなく人間の内面からつくる規範性�万物の共生を促す普遍性�蘇生を可能にする内発性——の3点を通し、優れた人格を育む真の宗教の使命に言及。世界の紛争の一凶である"閉鎖性"を、人間の普遍性から問い直す重要性を述べた。
そして、「地球的連帯の世紀」に向けて、全ての壁を超える「平和への対話」「文化・教育の交流」が、一段と重要になっていることを訴えた。
同講演は高い評価をもって迎えられた。
92年から今日まで同大学の総長を務めるサドーヴニチィ博士は、"たとえ思想は異なっていても、人間と人間同士が理解し合うための障害では決してないことを、自然に納得させる講演だった"と回想する。
同講演から25年。
創価大学で学んだロシアと日本の幾多の人材が今、活躍の舞台を広げている。モスクワ大学の卒業生で、創大に留学した、現ロシア大使のガルージン氏は語った。「その人材を育てられたのは、事実上、池田先生です。『人材育成』こそが、池田先生の露日関係への最大の貢献であると私は思います」
池田先生が2度の講演で放った知性の光は啓発を続け、両国を結んだ文化の架け橋は、輝きを増している。
◇講演から
仏典では、「心こそ大切なれ」という簡潔な言葉で、「内発性」を勧めております。また、釈尊の生涯の最大の目的を「人の振る舞い」として、人格の錬磨、完成こそ、修行の眼目と位置づけているのであります。改めて論ずるまでもありませんが、「地球的連帯の世紀」へ向け、宗教、民族、国家などの壁を超えた「平和への対話」と「文化・教育の交流」が、ますます要請されております。
とともに、無原則な離合集散ではなく、それぞれが、こうした人格形成の競い合い、いうなれば「世界市民」輩出の競争をしゆくことが、より創造的であろうと、私は思うのであります。(中略)
カオスをコスモスに転じゆく主役、機軸となるのが、「人間」であります。宗教も哲学も、文化や政治、経済も、その一点へと、収斂されていかねばならない時代であります。
2019年4月20日土曜日
2019.04.20 わが友に贈る
「湿れる木より
火を出し」御聖訓。
強盛なる祈りが
不可能を可能にする。
負けじ魂で突き進もう!
法華初心成仏抄 P552
『地獄には堕つるとも仏になる法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり』
【通解】
地獄に堕ちても、仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になると説かれたのである。
〈寸鉄〉 2019年4月20日
本紙創刊記念日。全読者、「無冠の友」に感謝。師と同志つなぐ紙面充実誓う
戦は最後の5分で決まる—英雄。私はやり切ったと言える勝利の自分史を
疲れや寝不足は交通事故の因。薄暮時に多発。声掛け絶やすな。破壊は一瞬
改元めぐる詐欺、頻発と。「銀行カードの交換が必要」など。焦らず嘘を撃退
大衆に「同苦」し動くのが公明党—識者。立党精神胸に断じて期待に応えよ
☆私がつくる平和の文化 第4回 持続可能な開発
インタビュー 成蹊大学名誉教授 廣野良吉さん
「誰も置き去りにしない」社会を
「私がつくる平和の文化」第4回のテーマは「持続可能な開発」。登場していただくのは、長年にわたり国連開発計画など国際機関で活躍されてきた成蹊大学名誉教授の廣野良吉さんです。今、世界中で取り組んでいる「持続可能な開発目標(SDGs)」(注)の意義も含めて、分かりやすく語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
僕は中学生の時、学校では禁止されていたのに、こっそり映画を見に行きました。
ある国の緑豊かな谷で、炭鉱会社が森林を破壊して石炭を掘り出した。そのために、お金はたくさん入ってきたけれど、住民がどんどん呼吸器の病気になって苦しみだした。「これでは一体、何のための開発か?」。そこにやって来た宣教師の青年と、炭鉱主の娘が立ち上がる。彼らの戦いで炭鉱は閉鎖され、やがて美しい緑を取り戻す、という物語でした。
僕は感動して劇場で泣きました。地球のどこであっても人々の暮らしや環境を壊すような開発、経済発展は絶対にいけないと。また、身内であっても、悪は悪として堂々と主張することが、人々に幸せをもたらすのだと。この映画が僕の人生観を変えました。
今、世界中の国が2030年までに「持続可能な開発目標(SDGs)」を達成しようと挑戦しています。
「持続可能な開発」とは、一言で言えば、「地球上の限られた水、空気、土壌などの資源を、汚したり枯渇させたりせずに、未来の子どもたちにつなげるように開発しましょう」ということです。
世界を見渡すと、経済発展や技術開発によって、生活が豊かになった国がたくさんある。それは世界から貧困をなくすために大事なことです。しかし、その陰で、環境が破壊されたり、貧富の差が広がったりしている。教育を受けられない子どもがいる。「やっぱり誰かが取り残されている」ということが分かった。
これじゃあいけない。さらに気候変動のように、全ての国が協力しなければ解決できない問題も起きてきた。だから先進国も途上国も一緒に、世界中で「誰も置き去りにしない」と約束したんです。
◇地球が我々の家
ですが、いくら素晴らしい理念を掲げても、大事なことはそれを「いかにして実現するか」です。だからSDGsでは家庭や地域、職場、政府が、みんなで力を合わせて問題を解決していきましょう、と強調しているんです。
今の時代、私たちは世界で起きていることに無関心では生きていけません。最近は、「中国がくしゃみをすると、世界が風邪をひく」といわれます。ブラジルでコーヒー豆が不作になれば、日本のコーヒーも値上がりする。中東の内戦で発生した難民問題がヨーロッパを揺るがしている。日本は、少子高齢化で働く人が足りなくなって、外国の方に仕事をお願いせざるを得なくなっている。
世界の人々が自立心を持ちながら、お互いに支え合い、経済的に「相互依存」するしかない。「地球が我々の家なんだ」と考えざるを得ない時代になっているのです。
◇家庭から始まる
紛争が続くシリアなどの現状を見ると、まずは平和が来なければ「開発」などできません。だけど、平和になっても「持続可能な開発」ができるとは限らない。
それぞれの国や地域で、優先すべき課題は違います。それに、食べる物、着る物、暮らし方、何が好きか、みんな違います。それを理解しないで、上から「これをやれ」と無理やり押し付けても、誰もやりません。だから僕は国際会議に行っては、「平和の文化」がなければ「持続可能な開発」はあり得ない、と強調しています。「平和の文化」とは、各地域に住む人々の多様性・自主性を尊重し、一人一人の日常生活が、常に平和の方向へ動くようになることだからです。
さて、SDGsの推進といっても日々の家庭生活から始まります。僕の住んでいる武蔵野市では、家庭教育としてゴミの減量、分別、リサイクルに力を入れています。親御さんが意識を高く持っていれば、それがお子さんたちの言動にそのまま表れますよね。
池田先生の提言は全部読ませていただいています。また創価学会は、環境展示や中高生のSDGsフォトコンテスト(別掲)などにも取り組んでこられた。今後は、もっと視覚や感性に訴える新しい啓発運動を考えられたらいいと思います。僕も長年、若者に呼び掛けて環境問題のミュージカルを一緒にやっています。
テーマは、「青い地球は誰のもの?」。皆さん、地球は誰のものだと思いますか。そう、「自分たちのもの」です。また、未来の世代から借りているものです。みんながそう思えば、もっと大切にできるのではないでしょうか。
ひろの・りょうきち 1931年、静岡県生まれ。成蹊大学教授、政策研究大学院大学の客員教授等を歴任。諸外国で大学院客員教授の他、国連経済社会理事会議長、またアジア開発銀行、国連開発計画等の国際機関で局長として勤務。外務省ODA懇談会委員、国際開発学会会長、日本評価学会副会長等を務める。日本ユニセフ協会理事など多数の諮問委員も担う。
●持続可能な開発目標(SDGs)
国連加盟国が2030年までに達成すべき目標として採択したもの。貧困や飢餓の撲滅、不平等の解消、教育の確保、気候変動への対策など17分野の目標、169のターゲットを設定。
池田先生の指針から
今、必要な「地球人意識」。
それは、遠いどこかにあるのではない。
コンピューターの画面の中にあるのでもない。
人間として人間のために"胸を痛める心"の中にあるのだ。
「あなたが苦しんでいるかぎり、私も苦しむ。あなたが、だれであろうと! あなたの悩みが何であろうと!」と。
池田大作
(『君が世界を変えていく』から)
未来部「SDGsフォトコンテスト」から
中高生が「持続可能な開発目標(SDGs)」を身近に意識して撮影した写真を、池田先生の言葉とともに紹介します。
●『明日をみつめて』から
多くの資源を消費し、豊かな生活をしている一部の人びとの陰で、世界の多くの人びとが飢えにさいなまれ、「人間の尊厳」を侵されている。(中略)悲惨な現実を知りながら、実際の行動を起こさずにいることは、臆病との謗りを免れまい。
●『青春対話』から
仏法の真髄においては、一本の草も木も、石ころや塵でさえも「仏」の生命をもっていると見るのです。これ以上の「生命の尊厳」の哲学はない。
●『青年抄』から
世の中には、「自分一人では何も変えることはできない」という諦めの風潮がある。そんなことはない。一人が変われば、一人一人が行動すれば、必ず、周囲に、そして世界に、大きな影響を及ぼしていける。
火を出し」御聖訓。
強盛なる祈りが
不可能を可能にする。
負けじ魂で突き進もう!
法華初心成仏抄 P552
『地獄には堕つるとも仏になる法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり』
【通解】
地獄に堕ちても、仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になると説かれたのである。
〈寸鉄〉 2019年4月20日
本紙創刊記念日。全読者、「無冠の友」に感謝。師と同志つなぐ紙面充実誓う
戦は最後の5分で決まる—英雄。私はやり切ったと言える勝利の自分史を
疲れや寝不足は交通事故の因。薄暮時に多発。声掛け絶やすな。破壊は一瞬
改元めぐる詐欺、頻発と。「銀行カードの交換が必要」など。焦らず嘘を撃退
大衆に「同苦」し動くのが公明党—識者。立党精神胸に断じて期待に応えよ
☆私がつくる平和の文化 第4回 持続可能な開発
インタビュー 成蹊大学名誉教授 廣野良吉さん
「誰も置き去りにしない」社会を
「私がつくる平和の文化」第4回のテーマは「持続可能な開発」。登場していただくのは、長年にわたり国連開発計画など国際機関で活躍されてきた成蹊大学名誉教授の廣野良吉さんです。今、世界中で取り組んでいる「持続可能な開発目標(SDGs)」(注)の意義も含めて、分かりやすく語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
僕は中学生の時、学校では禁止されていたのに、こっそり映画を見に行きました。
ある国の緑豊かな谷で、炭鉱会社が森林を破壊して石炭を掘り出した。そのために、お金はたくさん入ってきたけれど、住民がどんどん呼吸器の病気になって苦しみだした。「これでは一体、何のための開発か?」。そこにやって来た宣教師の青年と、炭鉱主の娘が立ち上がる。彼らの戦いで炭鉱は閉鎖され、やがて美しい緑を取り戻す、という物語でした。
僕は感動して劇場で泣きました。地球のどこであっても人々の暮らしや環境を壊すような開発、経済発展は絶対にいけないと。また、身内であっても、悪は悪として堂々と主張することが、人々に幸せをもたらすのだと。この映画が僕の人生観を変えました。
今、世界中の国が2030年までに「持続可能な開発目標(SDGs)」を達成しようと挑戦しています。
「持続可能な開発」とは、一言で言えば、「地球上の限られた水、空気、土壌などの資源を、汚したり枯渇させたりせずに、未来の子どもたちにつなげるように開発しましょう」ということです。
世界を見渡すと、経済発展や技術開発によって、生活が豊かになった国がたくさんある。それは世界から貧困をなくすために大事なことです。しかし、その陰で、環境が破壊されたり、貧富の差が広がったりしている。教育を受けられない子どもがいる。「やっぱり誰かが取り残されている」ということが分かった。
これじゃあいけない。さらに気候変動のように、全ての国が協力しなければ解決できない問題も起きてきた。だから先進国も途上国も一緒に、世界中で「誰も置き去りにしない」と約束したんです。
◇地球が我々の家
ですが、いくら素晴らしい理念を掲げても、大事なことはそれを「いかにして実現するか」です。だからSDGsでは家庭や地域、職場、政府が、みんなで力を合わせて問題を解決していきましょう、と強調しているんです。
今の時代、私たちは世界で起きていることに無関心では生きていけません。最近は、「中国がくしゃみをすると、世界が風邪をひく」といわれます。ブラジルでコーヒー豆が不作になれば、日本のコーヒーも値上がりする。中東の内戦で発生した難民問題がヨーロッパを揺るがしている。日本は、少子高齢化で働く人が足りなくなって、外国の方に仕事をお願いせざるを得なくなっている。
世界の人々が自立心を持ちながら、お互いに支え合い、経済的に「相互依存」するしかない。「地球が我々の家なんだ」と考えざるを得ない時代になっているのです。
◇家庭から始まる
紛争が続くシリアなどの現状を見ると、まずは平和が来なければ「開発」などできません。だけど、平和になっても「持続可能な開発」ができるとは限らない。
それぞれの国や地域で、優先すべき課題は違います。それに、食べる物、着る物、暮らし方、何が好きか、みんな違います。それを理解しないで、上から「これをやれ」と無理やり押し付けても、誰もやりません。だから僕は国際会議に行っては、「平和の文化」がなければ「持続可能な開発」はあり得ない、と強調しています。「平和の文化」とは、各地域に住む人々の多様性・自主性を尊重し、一人一人の日常生活が、常に平和の方向へ動くようになることだからです。
さて、SDGsの推進といっても日々の家庭生活から始まります。僕の住んでいる武蔵野市では、家庭教育としてゴミの減量、分別、リサイクルに力を入れています。親御さんが意識を高く持っていれば、それがお子さんたちの言動にそのまま表れますよね。
池田先生の提言は全部読ませていただいています。また創価学会は、環境展示や中高生のSDGsフォトコンテスト(別掲)などにも取り組んでこられた。今後は、もっと視覚や感性に訴える新しい啓発運動を考えられたらいいと思います。僕も長年、若者に呼び掛けて環境問題のミュージカルを一緒にやっています。
テーマは、「青い地球は誰のもの?」。皆さん、地球は誰のものだと思いますか。そう、「自分たちのもの」です。また、未来の世代から借りているものです。みんながそう思えば、もっと大切にできるのではないでしょうか。
ひろの・りょうきち 1931年、静岡県生まれ。成蹊大学教授、政策研究大学院大学の客員教授等を歴任。諸外国で大学院客員教授の他、国連経済社会理事会議長、またアジア開発銀行、国連開発計画等の国際機関で局長として勤務。外務省ODA懇談会委員、国際開発学会会長、日本評価学会副会長等を務める。日本ユニセフ協会理事など多数の諮問委員も担う。
●持続可能な開発目標(SDGs)
国連加盟国が2030年までに達成すべき目標として採択したもの。貧困や飢餓の撲滅、不平等の解消、教育の確保、気候変動への対策など17分野の目標、169のターゲットを設定。
池田先生の指針から
今、必要な「地球人意識」。
それは、遠いどこかにあるのではない。
コンピューターの画面の中にあるのでもない。
人間として人間のために"胸を痛める心"の中にあるのだ。
「あなたが苦しんでいるかぎり、私も苦しむ。あなたが、だれであろうと! あなたの悩みが何であろうと!」と。
池田大作
(『君が世界を変えていく』から)
未来部「SDGsフォトコンテスト」から
中高生が「持続可能な開発目標(SDGs)」を身近に意識して撮影した写真を、池田先生の言葉とともに紹介します。
●『明日をみつめて』から
多くの資源を消費し、豊かな生活をしている一部の人びとの陰で、世界の多くの人びとが飢えにさいなまれ、「人間の尊厳」を侵されている。(中略)悲惨な現実を知りながら、実際の行動を起こさずにいることは、臆病との謗りを免れまい。
●『青春対話』から
仏法の真髄においては、一本の草も木も、石ころや塵でさえも「仏」の生命をもっていると見るのです。これ以上の「生命の尊厳」の哲学はない。
●『青年抄』から
世の中には、「自分一人では何も変えることはできない」という諦めの風潮がある。そんなことはない。一人が変われば、一人一人が行動すれば、必ず、周囲に、そして世界に、大きな影響を及ぼしていける。
2019年4月19日金曜日
2019.04.19 わが友に贈る
「今」という時は
二度と戻らない。
広宣流布の大願成就へ
瞬時も無駄にせず
全精魂を注ぎ切ろう!
曾谷入道殿許御書 P1039
『既に之を謗る者に大罰有り之を信ずる者何ぞ大福無からん』
【通解】
すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか。
〈寸鉄〉 2019年4月19日
庶民を守れば永遠に栄える—恩師。正義の学会は192カ国に拡大。平和の礎
仏法は勝負。「本因妙」の祈りと勇敢な行動でわが新記録を!歴史刻む好機
あらゆる障害は奮励努力により打破される—偉人青年よ全ての壁を越えよ
自転車事故に注意。忙しい時こそ一重深く。携帯等のながら運転は厳禁だ
再生可能エネの導入等でCO2排出が1・2%減。社会全体で更なる対策を
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 ロシア・モスクワ大学(中)
1975年5月27日
人間を結ぶ文化交流で「精神のシルクロード」を
池田先生が米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で行った初の海外学術講演から今月で45年。ここでは先生の32回の講演の中から、代表的なものの概要や反響等を紹介する。
◇
池田先生が2度目の学術講演を行ったのは、ロシア(当時、ソ連)のモスクワ大学だった。1975年5月、第2次訪ソの折である。
1755年に創立された同国最高峰の学府。その歩みは、「ロシア人のアイデンティティの歴史」(トローピン元副総長)というほど、広範な影響を与えてきたという。
「東西文化交流の新しい道」と題した講演で先生は、ロシアに脈打つ豊かな精神文化に光を当てた。ゴーリキーやトルストイら文豪に通底するのが、「人間」の追究にあったと指摘。あらゆる人々を文化の交流で結ぶ「精神のシルクロード」が、今ほど要請されている時はないと述べた(要旨を別掲)。
"社会主義国の大学で、精神性を強調した講演が受け入れられるか"——関係者を包んだ緊張感を破るように、聴衆から大拍手が鳴り響いた。
先生が前年9月に同国を初訪問した際、内外から"なぜ宗教否定の国に行くのか"と批判が起こった。ソ連にとっても日本は「実に遠い国」(同副総長)だった。しかし先生は"そこに人間がいるかぎり、私は行く"との信念で、民衆や学生の中に飛び込み、真心を尽くした。わずか8カ月後、再びソ連へ。
講演に先立ち、モスクワ大学側からの強い要請を受け、「名誉博士号」を受章。これが先生にとって最初の名誉学術称号となった。
74年、75年の訪問以来、池田先生が自らリーダーシップをとり、青年部代表の訪ソ、民音によるソ連の民族舞踊の日本公演、同大学と創価大学の留学生交流等と幾重にも文化と教育の橋が築かれ、心の扉が開かれていく。
同講演は、大学にも厳しい制約があった社会主義の時代にあって"国家の頭脳であるモスクワ大学に「考える種」をまくことに成功した"(評論家の佐藤優氏)とも評される。
池田先生が同大学で2度目の講演を行ったのは、第6次訪問の94年5月のことだった(〈下〉に続く)。
◇講演から
人間歓喜の高鳴る調べが、あたかも人々の胸中に張られた絃に波動し、共鳴音を奏でるように、文化は人間本来の営みとして、あらゆる隔たりを超えて、誰人の心をもとらえるのであります。
この人間と人間との共鳴にこそ、文化交流の原点があると、私は考えるのであります。したがって、人間性の共鳴を基調とする文化の性格というものは調和であり、まさに、武力とは対極点に立つものであります。(中略)
東西文化交流を求める声が世界の潮流になって来ていることは、疑いない事実であります。
民族、体制、イデオロギーの壁を超えて、文化の全領域にわたる民衆という底流からの交わり、つまり人間と人間との心をつなぐ「精神のシルクロード」が、今ほど要請されている時代はないと、私は訴えたいのであります。
二度と戻らない。
広宣流布の大願成就へ
瞬時も無駄にせず
全精魂を注ぎ切ろう!
曾谷入道殿許御書 P1039
『既に之を謗る者に大罰有り之を信ずる者何ぞ大福無からん』
【通解】
すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか。
〈寸鉄〉 2019年4月19日
庶民を守れば永遠に栄える—恩師。正義の学会は192カ国に拡大。平和の礎
仏法は勝負。「本因妙」の祈りと勇敢な行動でわが新記録を!歴史刻む好機
あらゆる障害は奮励努力により打破される—偉人青年よ全ての壁を越えよ
自転車事故に注意。忙しい時こそ一重深く。携帯等のながら運転は厳禁だ
再生可能エネの導入等でCO2排出が1・2%減。社会全体で更なる対策を
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 ロシア・モスクワ大学(中)
1975年5月27日
人間を結ぶ文化交流で「精神のシルクロード」を
池田先生が米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で行った初の海外学術講演から今月で45年。ここでは先生の32回の講演の中から、代表的なものの概要や反響等を紹介する。
◇
池田先生が2度目の学術講演を行ったのは、ロシア(当時、ソ連)のモスクワ大学だった。1975年5月、第2次訪ソの折である。
1755年に創立された同国最高峰の学府。その歩みは、「ロシア人のアイデンティティの歴史」(トローピン元副総長)というほど、広範な影響を与えてきたという。
「東西文化交流の新しい道」と題した講演で先生は、ロシアに脈打つ豊かな精神文化に光を当てた。ゴーリキーやトルストイら文豪に通底するのが、「人間」の追究にあったと指摘。あらゆる人々を文化の交流で結ぶ「精神のシルクロード」が、今ほど要請されている時はないと述べた(要旨を別掲)。
"社会主義国の大学で、精神性を強調した講演が受け入れられるか"——関係者を包んだ緊張感を破るように、聴衆から大拍手が鳴り響いた。
先生が前年9月に同国を初訪問した際、内外から"なぜ宗教否定の国に行くのか"と批判が起こった。ソ連にとっても日本は「実に遠い国」(同副総長)だった。しかし先生は"そこに人間がいるかぎり、私は行く"との信念で、民衆や学生の中に飛び込み、真心を尽くした。わずか8カ月後、再びソ連へ。
講演に先立ち、モスクワ大学側からの強い要請を受け、「名誉博士号」を受章。これが先生にとって最初の名誉学術称号となった。
74年、75年の訪問以来、池田先生が自らリーダーシップをとり、青年部代表の訪ソ、民音によるソ連の民族舞踊の日本公演、同大学と創価大学の留学生交流等と幾重にも文化と教育の橋が築かれ、心の扉が開かれていく。
同講演は、大学にも厳しい制約があった社会主義の時代にあって"国家の頭脳であるモスクワ大学に「考える種」をまくことに成功した"(評論家の佐藤優氏)とも評される。
池田先生が同大学で2度目の講演を行ったのは、第6次訪問の94年5月のことだった(〈下〉に続く)。
◇講演から
人間歓喜の高鳴る調べが、あたかも人々の胸中に張られた絃に波動し、共鳴音を奏でるように、文化は人間本来の営みとして、あらゆる隔たりを超えて、誰人の心をもとらえるのであります。
この人間と人間との共鳴にこそ、文化交流の原点があると、私は考えるのであります。したがって、人間性の共鳴を基調とする文化の性格というものは調和であり、まさに、武力とは対極点に立つものであります。(中略)
東西文化交流を求める声が世界の潮流になって来ていることは、疑いない事実であります。
民族、体制、イデオロギーの壁を超えて、文化の全領域にわたる民衆という底流からの交わり、つまり人間と人間との心をつなぐ「精神のシルクロード」が、今ほど要請されている時代はないと、私は訴えたいのであります。
2019年4月18日木曜日
2019.04.18 わが友に贈る
勝負を決するのは
最後の最後まで走り抜く
種年と粘り強さだ!
さあ 栄光のゴールへ
自分らしく 悔いなく!
種種御振舞御書 P916
『依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと』
【通解】
依智に滞在すること二十余日、その間、鎌倉で、あるいは放火が七・八度あり、あるいは殺人が絶えなかった。讒言の者どもが「日蓮の弟子どもが火をつけたのである」と。
〈寸鉄〉 2019年4月18日
勇気の一人がいれば大事を成就—牧口先生。それは「私」と!主体者の心で
東京の中央・目黒・文京よ勇敢に攻め勝て!スピードと団結で乱戦突破を
大学会の日。各界に希望送る仏法即社会の世雄。若き日の誓い果たしゆけ
人のために生きることは疑いのない幸福—文豪。立正安国の大道を今日も
SNSの儲け話に注意。宣伝するだけ、調査に答えるだけは嘘だ。冷静に
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第18回 関西校 1994〜96年度
闇を破って煌々と輝く金星に!
「自分はやりきった」という挑戦の先に勝利の人生がある。
「気取らないでやりましょう。ワイワイと楽しく!」
1994年10月25日、関西創価学園で行われた第5回「友好交歓会」。創立者・池田先生の呼び掛けに、場内は和やかな雰囲気に包まれた。
オープニングを飾ったのは、小学校のアンジェリック・ブラスバンドの「新世界より」(ドボルザーク作曲)。続く中学・高校の吹奏楽部は、シベリウス作曲の「フィンランディア」を力強く響かせた。
その後、中学・高校の女子生徒、男子生徒、小学生がそれぞれ愛唱歌を熱唱した。すると、海外の来賓たちが、飛び入り参加して自国の歌謡曲を次々と披露。学園生たちは、オペラやアフリカの民謡などに心を躍らせ、喝采を送った。
この日、約2年ぶりに関西学園を訪れた池田先生は、インド初代首相のネルー氏と娘との逸話を通してスピーチ。「どんなに離れていても、父と娘の心の扉は、いつも開かれていた。私と学園生の皆さんも、まったく同じである」と強調した。
さらに、氏が獄中から娘に宛てた書簡「人間は、一念を定めさえすれば、天国からの風にも、地獄からの風にも、不動の姿勢で立ち向かえるのです。そして人間は、運命そのものを左右し、転換することができるのです」を紹介。これを「私の生命の娘であり、息子である学園生に贈りたい」と語り掛けた。
当時、小学4年生で、アンジェリック・ブラスバンドの一員として参加したエリアス明日香さん(小学校14期)。この年に入部し、クラリネットを始めたばかりだった。
「先生は曲が終わる前に立ち上がり、惜しみない拍手を送ってくださいました。それが、とてもうれしかったことを覚えています」
高校3年次には、プロの奏者を目指して音大を受験するも、最終面接で涙をのんだ。
しかし、エリアスさんは"日本がだめなら世界へ"とアメリカに渡り、ニューヨーク市立大学クイーンズ・カレッジの音楽学部に進学。同大を首席で卒業し、奨学金を得て名門ジュリアード音楽院へ。現在は、フリーランスのクラリネット奏者として室内楽やオーケストラの演奏活動などを行っている。
「将来は、貧しい子どもたちに、音楽の魅力を伝える仕事がしたい」
学園での原点が、世界で活躍する原動力だ。
世界の指導者が
第14回健康祭を終えた95年10月8日の夜、男子寮生たちの元にうれしい知らせが届く。「池田先生が寮を訪問される!」——それは、男女共学となった82年以来、男子寮生の悲願でもあった。
その2日後、先生は、完成したばかりの新「金星寮」へ。到着するや、真っ先に管理者夫妻の元へ向かい、「寮生は私の宝ですから、くれぐれもよろしくお願いします」とあいさつ。建物内を視察し、寮生たちとの記念の集いに出席した。
席上、先生は金星寮の名前の意義について言及した。
「金星は、夜明け前、暁の東空に高く輝く(『明けの明星』)。また、夕焼けの余韻のなか、真っ先に西の空に光を放つ(『宵の明星』)。天空高く、どの星よりも明るく、闇を破って煌々と輝く——それが『金星』である。そして、これこそが、21世紀の『金星』たる、学園生の使命である」
さらに、若き日に関西に移り住んで学ぶことを希望していた恩師・戸田城聖先生の言葉「我れを支配するものは我れなり……」を紹介。「人生は、結局、『自分はこう生きる』と自分で決めるしかない。人に決めてもらうものではない。自分で目的を決め、挑戦し、『自分はやりきった』と自分で満足していく。そこに、勝利の人生がある」と力説した。
寮の落成に寄せて、先生は次の言葉を揮毫して贈った。「金星寮 この中より 日本の指導者が 世界の指導者が」
以来、24星霜。鍛えの青春を共にした学友たちが、いよいよ各地で輝き光る時を迎えている。
後退するな
96年3月17日に挙行された第21回卒業式。式典には、2日前に香港から関西入りした池田先生が祝福に駆け付けた。
中学生代表で卒業証書を受け取ったのは、乾華子さん(高校24期)。
「私が証書を受け取る様子を、池田先生はじっと見つめてくださいました。その慈愛のまなざしからは、"この先も、ずっと見守っているからね"との思いが感じられてなりませんでした」
乾さんが暮らしていた神戸市は、前年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災で甚大な被害に見舞われた。交通網が遮断され、ライフラインは壊滅状態に。
数日後、通学できない乾さんの元に、クラスメートたちから寄せ書きのファクスが届く。さらに学園の教職員らが交通の不便な中、救援物資を担いで会いに来てくれた。その後、鉄道が復旧するまでの期間、教職員宅に友人と下宿させてもらうことに。池田先生からも、たびたび見舞いの伝言や激励が届けられた。
「学園で受けた多くの励ましが、その後の生き方を変えてくれました」
以来、"誰か困っている人がいれば、今度は私が励ます番"と、報恩の人生を歩む乾さん。今も愛する神戸の地で、「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」との平和の哲学を広げている。
◇
同じく、あの日の卒業式を心に刻む小野浩志さん(高校21期)は、大阪・吹田市にある産業廃棄物を処理する会社で、代表取締役を務めている。
創価大学を卒業後、東京の旅行会社に就職。病に倒れた祖父を支えるため、2004年に大阪へ戻り、会社を手伝った。
だが、間もなくして祖父が大腸がんで他界。さらに翌年、専務の叔父が心筋梗塞で急逝してしまう。屋台骨を失い、経営が悪化の一途をたどる中、小野さんは意を決して代表取締役に就任。しかしその直後、リーマン・ショックによる不況の荒波が容赦なく襲い掛かった。
「倒産」の二文字が頭をよぎる。そんな小野さんの心に浮かんだのは、学園の卒業式での先生のスピーチだった。
先生はあの日、父と夫の死別を乗り越えて8人の子を育て上げた香港の著名な画家・方召?氏の生涯を通して訴えた。
「人生は順調な時ばかりではない。また、そうであっては人間ができるはずがない」「これからの皆さんの前途にも、思いがけない悲しみや悩みがあるかもしれない。しかし、その時こそ、絶対に負けてはならない。あきらめてはならない。後退してはならない」
小野さんは、どんな状況にも逃げないと決め、耐えに耐えた。得意先の会社が閉鎖し、廃業寸前にまで追い込まれた時も"全て成長するための試練だ"と自身に言い聞かせ、踏みとどまった。
そんなある日、後継ぎのいなくなった同業者から、仕事を引き継いでほしいとの相談が。別の会社からも新たな仕事を任され、窮地を脱することができた。今では、経営も安定。2013年には産業廃棄物処理業界の模範として「地方優良事業所表彰」が贈られた。
小野さんは振り返る。「どんな苦難にも動じなくなったことが、一番の財産だと思います」
池田先生は、卒業式で訴えた。「苦労につぐ苦労、波瀾万丈の人生を生きぬいてこそ、深みのある本物の人物ができるのである。その『揺るぎなき境涯』にこそ本当の幸福もある」
最後の最後まで走り抜く
種年と粘り強さだ!
さあ 栄光のゴールへ
自分らしく 悔いなく!
種種御振舞御書 P916
『依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと』
【通解】
依智に滞在すること二十余日、その間、鎌倉で、あるいは放火が七・八度あり、あるいは殺人が絶えなかった。讒言の者どもが「日蓮の弟子どもが火をつけたのである」と。
〈寸鉄〉 2019年4月18日
勇気の一人がいれば大事を成就—牧口先生。それは「私」と!主体者の心で
東京の中央・目黒・文京よ勇敢に攻め勝て!スピードと団結で乱戦突破を
大学会の日。各界に希望送る仏法即社会の世雄。若き日の誓い果たしゆけ
人のために生きることは疑いのない幸福—文豪。立正安国の大道を今日も
SNSの儲け話に注意。宣伝するだけ、調査に答えるだけは嘘だ。冷静に
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第18回 関西校 1994〜96年度
闇を破って煌々と輝く金星に!
「自分はやりきった」という挑戦の先に勝利の人生がある。
「気取らないでやりましょう。ワイワイと楽しく!」
1994年10月25日、関西創価学園で行われた第5回「友好交歓会」。創立者・池田先生の呼び掛けに、場内は和やかな雰囲気に包まれた。
オープニングを飾ったのは、小学校のアンジェリック・ブラスバンドの「新世界より」(ドボルザーク作曲)。続く中学・高校の吹奏楽部は、シベリウス作曲の「フィンランディア」を力強く響かせた。
その後、中学・高校の女子生徒、男子生徒、小学生がそれぞれ愛唱歌を熱唱した。すると、海外の来賓たちが、飛び入り参加して自国の歌謡曲を次々と披露。学園生たちは、オペラやアフリカの民謡などに心を躍らせ、喝采を送った。
この日、約2年ぶりに関西学園を訪れた池田先生は、インド初代首相のネルー氏と娘との逸話を通してスピーチ。「どんなに離れていても、父と娘の心の扉は、いつも開かれていた。私と学園生の皆さんも、まったく同じである」と強調した。
さらに、氏が獄中から娘に宛てた書簡「人間は、一念を定めさえすれば、天国からの風にも、地獄からの風にも、不動の姿勢で立ち向かえるのです。そして人間は、運命そのものを左右し、転換することができるのです」を紹介。これを「私の生命の娘であり、息子である学園生に贈りたい」と語り掛けた。
当時、小学4年生で、アンジェリック・ブラスバンドの一員として参加したエリアス明日香さん(小学校14期)。この年に入部し、クラリネットを始めたばかりだった。
「先生は曲が終わる前に立ち上がり、惜しみない拍手を送ってくださいました。それが、とてもうれしかったことを覚えています」
高校3年次には、プロの奏者を目指して音大を受験するも、最終面接で涙をのんだ。
しかし、エリアスさんは"日本がだめなら世界へ"とアメリカに渡り、ニューヨーク市立大学クイーンズ・カレッジの音楽学部に進学。同大を首席で卒業し、奨学金を得て名門ジュリアード音楽院へ。現在は、フリーランスのクラリネット奏者として室内楽やオーケストラの演奏活動などを行っている。
「将来は、貧しい子どもたちに、音楽の魅力を伝える仕事がしたい」
学園での原点が、世界で活躍する原動力だ。
世界の指導者が
第14回健康祭を終えた95年10月8日の夜、男子寮生たちの元にうれしい知らせが届く。「池田先生が寮を訪問される!」——それは、男女共学となった82年以来、男子寮生の悲願でもあった。
その2日後、先生は、完成したばかりの新「金星寮」へ。到着するや、真っ先に管理者夫妻の元へ向かい、「寮生は私の宝ですから、くれぐれもよろしくお願いします」とあいさつ。建物内を視察し、寮生たちとの記念の集いに出席した。
席上、先生は金星寮の名前の意義について言及した。
「金星は、夜明け前、暁の東空に高く輝く(『明けの明星』)。また、夕焼けの余韻のなか、真っ先に西の空に光を放つ(『宵の明星』)。天空高く、どの星よりも明るく、闇を破って煌々と輝く——それが『金星』である。そして、これこそが、21世紀の『金星』たる、学園生の使命である」
さらに、若き日に関西に移り住んで学ぶことを希望していた恩師・戸田城聖先生の言葉「我れを支配するものは我れなり……」を紹介。「人生は、結局、『自分はこう生きる』と自分で決めるしかない。人に決めてもらうものではない。自分で目的を決め、挑戦し、『自分はやりきった』と自分で満足していく。そこに、勝利の人生がある」と力説した。
寮の落成に寄せて、先生は次の言葉を揮毫して贈った。「金星寮 この中より 日本の指導者が 世界の指導者が」
以来、24星霜。鍛えの青春を共にした学友たちが、いよいよ各地で輝き光る時を迎えている。
後退するな
96年3月17日に挙行された第21回卒業式。式典には、2日前に香港から関西入りした池田先生が祝福に駆け付けた。
中学生代表で卒業証書を受け取ったのは、乾華子さん(高校24期)。
「私が証書を受け取る様子を、池田先生はじっと見つめてくださいました。その慈愛のまなざしからは、"この先も、ずっと見守っているからね"との思いが感じられてなりませんでした」
乾さんが暮らしていた神戸市は、前年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災で甚大な被害に見舞われた。交通網が遮断され、ライフラインは壊滅状態に。
数日後、通学できない乾さんの元に、クラスメートたちから寄せ書きのファクスが届く。さらに学園の教職員らが交通の不便な中、救援物資を担いで会いに来てくれた。その後、鉄道が復旧するまでの期間、教職員宅に友人と下宿させてもらうことに。池田先生からも、たびたび見舞いの伝言や激励が届けられた。
「学園で受けた多くの励ましが、その後の生き方を変えてくれました」
以来、"誰か困っている人がいれば、今度は私が励ます番"と、報恩の人生を歩む乾さん。今も愛する神戸の地で、「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」との平和の哲学を広げている。
◇
同じく、あの日の卒業式を心に刻む小野浩志さん(高校21期)は、大阪・吹田市にある産業廃棄物を処理する会社で、代表取締役を務めている。
創価大学を卒業後、東京の旅行会社に就職。病に倒れた祖父を支えるため、2004年に大阪へ戻り、会社を手伝った。
だが、間もなくして祖父が大腸がんで他界。さらに翌年、専務の叔父が心筋梗塞で急逝してしまう。屋台骨を失い、経営が悪化の一途をたどる中、小野さんは意を決して代表取締役に就任。しかしその直後、リーマン・ショックによる不況の荒波が容赦なく襲い掛かった。
「倒産」の二文字が頭をよぎる。そんな小野さんの心に浮かんだのは、学園の卒業式での先生のスピーチだった。
先生はあの日、父と夫の死別を乗り越えて8人の子を育て上げた香港の著名な画家・方召?氏の生涯を通して訴えた。
「人生は順調な時ばかりではない。また、そうであっては人間ができるはずがない」「これからの皆さんの前途にも、思いがけない悲しみや悩みがあるかもしれない。しかし、その時こそ、絶対に負けてはならない。あきらめてはならない。後退してはならない」
小野さんは、どんな状況にも逃げないと決め、耐えに耐えた。得意先の会社が閉鎖し、廃業寸前にまで追い込まれた時も"全て成長するための試練だ"と自身に言い聞かせ、踏みとどまった。
そんなある日、後継ぎのいなくなった同業者から、仕事を引き継いでほしいとの相談が。別の会社からも新たな仕事を任され、窮地を脱することができた。今では、経営も安定。2013年には産業廃棄物処理業界の模範として「地方優良事業所表彰」が贈られた。
小野さんは振り返る。「どんな苦難にも動じなくなったことが、一番の財産だと思います」
池田先生は、卒業式で訴えた。「苦労につぐ苦労、波瀾万丈の人生を生きぬいてこそ、深みのある本物の人物ができるのである。その『揺るぎなき境涯』にこそ本当の幸福もある」
2019年4月17日水曜日
2019.04.17 わが友に贈る
心を動かすのは心。
策ではない。
根本は真剣な祈りだ。
友のため社会のため
誠心誠意で語り抜こう!
南部六郎殿御書 P1374
『眠れる師子に手を付けざれば瞋らず流にさをを立てざれば浪立たず謗法を呵嘖せざれば留難なし』
【通解】
眠っている師子に、こちらから手を付けなければ瞋ることはない。水の流れにさおを立てなければ、浪は立たない。これと同様に謗法を呵嘖しなければ難を受けることはない。
〈寸鉄〉 2019年4月17日
「苦楽ともに思い合せて」御書。題目の人に行き詰まりなし。強盛の信力を
東京の大田・世田谷よ競り勝て。炎となり大攻勢を!勝利こそ本陣の使命
狛江市・多摩市が勇戦。ここが正念場だ。民衆の底力示し栄光の旗必ず!
8年連続の人口減。故に一人を一騎当千の人に。青年の激励に精魂込めて
詐欺検挙者、10代少年が多く。バイト感覚で参加と。啓発強め絶対に根絶
☆世界に魂を 心に翼を 第14回 沖縄芸能の光彩(中)
◇「私が見たのは"本当の涙"」
「これまで脚光を浴びたことのない沖縄の芸能が、日本中、世界中で喝采に包まれたわけですから。みんな、一回りも二回りも大きくなって、自信にあふれていました」
琉球舞踊家の玉城秀子氏(玉城流の二代目家元)が当時を振り返る。
ちょうど50年前、民音が主体となり、沖縄の舞踊家が流派を超えて一つになった「沖縄歌舞団」。陰りが見えていた芸能を画期的な演出で舞台化し、新たな展開に導いた。
全国公演(1969年)に続き、諸団体の助成を得て行われた海外公演は、30カ国以上で注目を集めている。
イギリスの新聞記者は"これほどの舞台が、まだ世界にあったとは。神が隠していた宝物だ"と絶賛。かつて沖縄で戦ったというアメリカの観客は"あの沖縄に、こんな素晴らしい踊りがあったのか"と声を震わせた。
歌舞団が結成された直後は、伝統を重んじる一部の文化人から批判もあった。従来の優雅な古典舞踊に加え、島々に伝わるエネルギッシュな民俗芸能も取り入れていたからだ。
「秀子先生のような家元が、こんな舞台をしてもいいんですか?」
玉城流の将来を憂う声さえあったが、いざ公演が始まると、そうした批判は影を潜めた。舞台には、かつて目にしたことのない躍動的な沖縄芸能が広がり、舞踊家たちも確かな手応えを感じていた。
玉城氏は言う。「何よりお客さまが喜んでくださった。時代に挑戦しなければ、守るべきものも守れません。古典に立脚した上で、新たな深みをさまざまに見せる。それが"守る"ということではないでしょうか」
前例のない規模の公演は、まさに"初めて尽くし"。その一幕一幕に忘れがたいドラマがあった。
東西冷戦の真っただ中、ソ連(当時)の首都モスクワでの舞台。
国や都市によっては、目の肥えた観衆もおり、公演途中でも遠慮なく退席することがあると聞いていた。
ステージ上から観衆の表情をうかがうが、反応は読み取れない。公演を最後まで見てくれるように——祈る思いで懸命に演技を続けた。
迎えた終演、数千人の観衆が総立ちに。万雷の喝采が沸き起こり、アンコールを求める拍手がやまない。涙を拭う人もいた。
アンコールに応じた後も、再演を望む拍手は続き、上演した作品を一から披露し直すほどの大盛況に。
「よかった!」「公演してよかったね!」。肩を組み合い、団員が固い握手を交わす。歌舞団を結成した当初は、アンコールを求められるなど想像すらしていなかった。
玉城氏は「大きな転換点でした。かつては差別がありましたから」と回想する。アメリカの施政下に置かれてきた沖縄は、戦争の傷痕が残る"辛苦の島"との印象も強かった。
「沖縄では頭に荷物を載せているとか、裸で暮らしていて、ちゃんとした日本語が話せないとか。そう言われるような時代でした。だから、観客の涙も素直に受け止められなくて……。芸を本当に喜んでくださっているのか。それとも、沖縄を哀れむ同情の涙なのか。でも、終演の瞬間に分かりました。私が見たのは本当の感動の涙でした。その時から、自分に誇りを持てたんです」
◇ ◆ ◇
その会見は、新たな時代の幕開けを予感させた。
本土復帰から約2年となる74年4月、那覇に民音のサービスセンターが開設。記者会見には、沖縄の舞踊家が流派を超えて一堂に会した。
芸術文化の交流を通し、伝統芸能のさらなる発展に尽くす——。会見では、民音の展望と、創立者である池田先生の理念が示されている。
この2月、池田先生は八重山諸島を初訪問。石垣島のヤドピケ浜では、先生を迎え、友が喜びに舞い踊っていた。先生もズボンの裾をたくし上げ、波打ち際へ。大粒の汗を光らせながら「安里屋ユンタ」を舞うと、周囲も次々と後に続いた。
同センターの初代所長を務めた大西国司さんは追想する。
「うれしい時も、悲しい時も、歌と踊りで乗り越えてきた沖縄です。池田先生と共に舞う、笑顔また笑顔。あの光景は忘れられません」
これが7度目の沖縄訪問だった。先生は60年の初訪問以来、一貫して「万国の津梁(懸け橋)」たる沖縄の使命を訴えてきた。"「文」をもって「化」する力"こそ沖縄の心であり、戦略、軍略的見地から「太平洋の要石」と呼ばれた沖縄を、世界に誇る「海のシルクロードの要石」に転換したいと繰り返し述べた。
池田先生は大西さんを見かけるたびに、親しみを込めて「沖縄!」と声を掛けている。「"大事な沖縄の人たちに、心から楽しんでもらえる取り組みを。そのための民音だよ"と、期待してくださいました」
サービスセンターの開設記念コンサート(74年5月)では、「読売日本交響楽団」を那覇に招いた。日本を代表するオーケストラの来沖である。沖縄中が沸き返った。
この日、読響の団員は、楽器を胸元に掲げるように入場している。
会場の那覇市民会館には、離島の小・中学生をはじめとする、250人の児童・生徒が招待されていた。
石垣島からは50人の生徒が参加していたが、引率の教員から、「まだ本当の楽器を見たことがない生徒もいるので、楽器をよく見せてほしい」との要望があり、そのリクエストに応えての入場だった。
曲目はドボルザークの交響曲第9番「新世界より」など。指揮はペーター・シュバルツ氏である。
南大東島から参加した女子中学生は、「この感動は、言葉では表現できません。本当の音楽をありがとうございます」と喜びを語っている。
バイオリン奏者を務めていた宮下要氏。その後、首席奏者として活躍するが、数々の演奏会の中でも、この時の公演は今も鮮明だ。「子どもたちの笑顔が、ひときわ印象的でした。団員も沖縄で演奏できる喜びにあふれていました」
県外から多彩な音楽芸術を紹介する一方で、民音は「おきなわ藍と紅と」(76年)、「南の七つ星」(80年)等の沖縄歌舞団の公演に尽力。離島などでの学校コンサートは70回を数える。
◇ ◆ ◇
84年7月、海上に広がる文化交流を描き出す民音公演「マリンロード音楽の旅」がスタートした。
第1回の舞台は、沖縄とタイ。
かの大航海時代に先駆け、琉球の民は、小さな船で黒潮に乗ってシャム湾へ。チャオプラヤー川を上り、アユタヤ王朝と交易を続けてきた。沖縄の泡盛はタイ米を原料とし、当時の名残が今に伝わっている。
全国16会場で開かれた公演には、両国を代表する舞踊家が名を連ね、タイからはシリントーン王女が主宰する「タイ国立民族舞踊団」が来日。200年の伝統と格式を誇る王立劇場のトップスターたちである。
一方、沖縄からは玉城秀子氏、佐藤太圭子氏ら、世界を舞台に活躍する舞踊家が出演。音楽を手掛けたのは、後に沖縄の伝統芸能で初となる人間国宝(琉球古典音楽)の認定を受けた、照喜名朝一氏である。
敗戦後、山原の収容所で手にした三線。いかなる境遇の人をも鼓舞する音楽の力を信じ、歌を紡いだ。
照喜名氏が初めて民音のステージに立ったのは、50年以上前。以来、民音を見つめて半世紀が過ぎた。
「大きな目覚めです。古典界にとっても、民謡界にとっても」
そう形容し、氏は言葉を継いだ。
「世界の民音だからこそ、沖縄だけでは出来ないことが可能になる。国と国との交流は大きな財産です。民音の取り組みを機に、沖縄では新たな作品が生まれていきました」
◇ ◆ ◇
公演の開幕を飾ったのは琉球舞踊の「四つ竹」。真紅の花笠が照明に浮かび、場内にどよめきが上がる。
タイ舞踊のこまやかな指先、しなやかな肢体の表現は、まさに琉球舞踊のコネリ(指先の技)や、ナヨリ(肢体のくねり技)そのもの。見え隠れする共通性を解き明かすような展開に、観客は胸を高鳴らせた。
最高潮のフィナーレは、全出演者によるカチャーシーの共演。地元・那覇での公演は、感極まった聴衆も飛び込んでの乱舞となった。
「精神のシルクロードは、海の道にも通じていましたね」。関係者が感嘆の声を漏らす。
かつて池田先生はモスクワ大学での記念講演で、"世界を「音楽」の光で照らした時、「精神のシルクロード」ともいうべき、文化交流の生命線が浮かび上がるに違いない"と述べた。民音の「シルクロード音楽の旅」では、陸路を舞台に文化交流を浮き彫りにしたが、その精神の道は、海上にも確かに広がっていた。
タイから始まったマリンロードの公演は、98年まで8回にわたって催され、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、ブルネイ、ベトナム、スリランカの芸術家を日本に招いた。初来日となる招聘も多く、相互交流の新たな礎となってきた。
回を重ねるたび、話題になったのが、マリンロードにおける沖縄の存在感。「万国津梁」の名の通り、まさに南の海の"主役"であった。
あの沖縄歌舞団の公演から20年余り——。いつしか、沖縄の"新たな舞台"を望む声が高まり、それはやがて、沖縄で初となる一大ミュージカルの誕生につながっていく。
舞台は、交易華やかな16世紀前後の琉球。島を飛び出した若者たちが、東南アジアの国々を旅し、さまざまな人や音楽と出会いを結ぶ——。
マリンロードの国々も加わり、沖縄芸能界が再び一つとなる。
策ではない。
根本は真剣な祈りだ。
友のため社会のため
誠心誠意で語り抜こう!
南部六郎殿御書 P1374
『眠れる師子に手を付けざれば瞋らず流にさをを立てざれば浪立たず謗法を呵嘖せざれば留難なし』
【通解】
眠っている師子に、こちらから手を付けなければ瞋ることはない。水の流れにさおを立てなければ、浪は立たない。これと同様に謗法を呵嘖しなければ難を受けることはない。
〈寸鉄〉 2019年4月17日
「苦楽ともに思い合せて」御書。題目の人に行き詰まりなし。強盛の信力を
東京の大田・世田谷よ競り勝て。炎となり大攻勢を!勝利こそ本陣の使命
狛江市・多摩市が勇戦。ここが正念場だ。民衆の底力示し栄光の旗必ず!
8年連続の人口減。故に一人を一騎当千の人に。青年の激励に精魂込めて
詐欺検挙者、10代少年が多く。バイト感覚で参加と。啓発強め絶対に根絶
☆世界に魂を 心に翼を 第14回 沖縄芸能の光彩(中)
◇「私が見たのは"本当の涙"」
「これまで脚光を浴びたことのない沖縄の芸能が、日本中、世界中で喝采に包まれたわけですから。みんな、一回りも二回りも大きくなって、自信にあふれていました」
琉球舞踊家の玉城秀子氏(玉城流の二代目家元)が当時を振り返る。
ちょうど50年前、民音が主体となり、沖縄の舞踊家が流派を超えて一つになった「沖縄歌舞団」。陰りが見えていた芸能を画期的な演出で舞台化し、新たな展開に導いた。
全国公演(1969年)に続き、諸団体の助成を得て行われた海外公演は、30カ国以上で注目を集めている。
イギリスの新聞記者は"これほどの舞台が、まだ世界にあったとは。神が隠していた宝物だ"と絶賛。かつて沖縄で戦ったというアメリカの観客は"あの沖縄に、こんな素晴らしい踊りがあったのか"と声を震わせた。
歌舞団が結成された直後は、伝統を重んじる一部の文化人から批判もあった。従来の優雅な古典舞踊に加え、島々に伝わるエネルギッシュな民俗芸能も取り入れていたからだ。
「秀子先生のような家元が、こんな舞台をしてもいいんですか?」
玉城流の将来を憂う声さえあったが、いざ公演が始まると、そうした批判は影を潜めた。舞台には、かつて目にしたことのない躍動的な沖縄芸能が広がり、舞踊家たちも確かな手応えを感じていた。
玉城氏は言う。「何よりお客さまが喜んでくださった。時代に挑戦しなければ、守るべきものも守れません。古典に立脚した上で、新たな深みをさまざまに見せる。それが"守る"ということではないでしょうか」
前例のない規模の公演は、まさに"初めて尽くし"。その一幕一幕に忘れがたいドラマがあった。
東西冷戦の真っただ中、ソ連(当時)の首都モスクワでの舞台。
国や都市によっては、目の肥えた観衆もおり、公演途中でも遠慮なく退席することがあると聞いていた。
ステージ上から観衆の表情をうかがうが、反応は読み取れない。公演を最後まで見てくれるように——祈る思いで懸命に演技を続けた。
迎えた終演、数千人の観衆が総立ちに。万雷の喝采が沸き起こり、アンコールを求める拍手がやまない。涙を拭う人もいた。
アンコールに応じた後も、再演を望む拍手は続き、上演した作品を一から披露し直すほどの大盛況に。
「よかった!」「公演してよかったね!」。肩を組み合い、団員が固い握手を交わす。歌舞団を結成した当初は、アンコールを求められるなど想像すらしていなかった。
玉城氏は「大きな転換点でした。かつては差別がありましたから」と回想する。アメリカの施政下に置かれてきた沖縄は、戦争の傷痕が残る"辛苦の島"との印象も強かった。
「沖縄では頭に荷物を載せているとか、裸で暮らしていて、ちゃんとした日本語が話せないとか。そう言われるような時代でした。だから、観客の涙も素直に受け止められなくて……。芸を本当に喜んでくださっているのか。それとも、沖縄を哀れむ同情の涙なのか。でも、終演の瞬間に分かりました。私が見たのは本当の感動の涙でした。その時から、自分に誇りを持てたんです」
◇ ◆ ◇
その会見は、新たな時代の幕開けを予感させた。
本土復帰から約2年となる74年4月、那覇に民音のサービスセンターが開設。記者会見には、沖縄の舞踊家が流派を超えて一堂に会した。
芸術文化の交流を通し、伝統芸能のさらなる発展に尽くす——。会見では、民音の展望と、創立者である池田先生の理念が示されている。
この2月、池田先生は八重山諸島を初訪問。石垣島のヤドピケ浜では、先生を迎え、友が喜びに舞い踊っていた。先生もズボンの裾をたくし上げ、波打ち際へ。大粒の汗を光らせながら「安里屋ユンタ」を舞うと、周囲も次々と後に続いた。
同センターの初代所長を務めた大西国司さんは追想する。
「うれしい時も、悲しい時も、歌と踊りで乗り越えてきた沖縄です。池田先生と共に舞う、笑顔また笑顔。あの光景は忘れられません」
これが7度目の沖縄訪問だった。先生は60年の初訪問以来、一貫して「万国の津梁(懸け橋)」たる沖縄の使命を訴えてきた。"「文」をもって「化」する力"こそ沖縄の心であり、戦略、軍略的見地から「太平洋の要石」と呼ばれた沖縄を、世界に誇る「海のシルクロードの要石」に転換したいと繰り返し述べた。
池田先生は大西さんを見かけるたびに、親しみを込めて「沖縄!」と声を掛けている。「"大事な沖縄の人たちに、心から楽しんでもらえる取り組みを。そのための民音だよ"と、期待してくださいました」
サービスセンターの開設記念コンサート(74年5月)では、「読売日本交響楽団」を那覇に招いた。日本を代表するオーケストラの来沖である。沖縄中が沸き返った。
この日、読響の団員は、楽器を胸元に掲げるように入場している。
会場の那覇市民会館には、離島の小・中学生をはじめとする、250人の児童・生徒が招待されていた。
石垣島からは50人の生徒が参加していたが、引率の教員から、「まだ本当の楽器を見たことがない生徒もいるので、楽器をよく見せてほしい」との要望があり、そのリクエストに応えての入場だった。
曲目はドボルザークの交響曲第9番「新世界より」など。指揮はペーター・シュバルツ氏である。
南大東島から参加した女子中学生は、「この感動は、言葉では表現できません。本当の音楽をありがとうございます」と喜びを語っている。
バイオリン奏者を務めていた宮下要氏。その後、首席奏者として活躍するが、数々の演奏会の中でも、この時の公演は今も鮮明だ。「子どもたちの笑顔が、ひときわ印象的でした。団員も沖縄で演奏できる喜びにあふれていました」
県外から多彩な音楽芸術を紹介する一方で、民音は「おきなわ藍と紅と」(76年)、「南の七つ星」(80年)等の沖縄歌舞団の公演に尽力。離島などでの学校コンサートは70回を数える。
◇ ◆ ◇
84年7月、海上に広がる文化交流を描き出す民音公演「マリンロード音楽の旅」がスタートした。
第1回の舞台は、沖縄とタイ。
かの大航海時代に先駆け、琉球の民は、小さな船で黒潮に乗ってシャム湾へ。チャオプラヤー川を上り、アユタヤ王朝と交易を続けてきた。沖縄の泡盛はタイ米を原料とし、当時の名残が今に伝わっている。
全国16会場で開かれた公演には、両国を代表する舞踊家が名を連ね、タイからはシリントーン王女が主宰する「タイ国立民族舞踊団」が来日。200年の伝統と格式を誇る王立劇場のトップスターたちである。
一方、沖縄からは玉城秀子氏、佐藤太圭子氏ら、世界を舞台に活躍する舞踊家が出演。音楽を手掛けたのは、後に沖縄の伝統芸能で初となる人間国宝(琉球古典音楽)の認定を受けた、照喜名朝一氏である。
敗戦後、山原の収容所で手にした三線。いかなる境遇の人をも鼓舞する音楽の力を信じ、歌を紡いだ。
照喜名氏が初めて民音のステージに立ったのは、50年以上前。以来、民音を見つめて半世紀が過ぎた。
「大きな目覚めです。古典界にとっても、民謡界にとっても」
そう形容し、氏は言葉を継いだ。
「世界の民音だからこそ、沖縄だけでは出来ないことが可能になる。国と国との交流は大きな財産です。民音の取り組みを機に、沖縄では新たな作品が生まれていきました」
◇ ◆ ◇
公演の開幕を飾ったのは琉球舞踊の「四つ竹」。真紅の花笠が照明に浮かび、場内にどよめきが上がる。
タイ舞踊のこまやかな指先、しなやかな肢体の表現は、まさに琉球舞踊のコネリ(指先の技)や、ナヨリ(肢体のくねり技)そのもの。見え隠れする共通性を解き明かすような展開に、観客は胸を高鳴らせた。
最高潮のフィナーレは、全出演者によるカチャーシーの共演。地元・那覇での公演は、感極まった聴衆も飛び込んでの乱舞となった。
「精神のシルクロードは、海の道にも通じていましたね」。関係者が感嘆の声を漏らす。
かつて池田先生はモスクワ大学での記念講演で、"世界を「音楽」の光で照らした時、「精神のシルクロード」ともいうべき、文化交流の生命線が浮かび上がるに違いない"と述べた。民音の「シルクロード音楽の旅」では、陸路を舞台に文化交流を浮き彫りにしたが、その精神の道は、海上にも確かに広がっていた。
タイから始まったマリンロードの公演は、98年まで8回にわたって催され、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、ブルネイ、ベトナム、スリランカの芸術家を日本に招いた。初来日となる招聘も多く、相互交流の新たな礎となってきた。
回を重ねるたび、話題になったのが、マリンロードにおける沖縄の存在感。「万国津梁」の名の通り、まさに南の海の"主役"であった。
あの沖縄歌舞団の公演から20年余り——。いつしか、沖縄の"新たな舞台"を望む声が高まり、それはやがて、沖縄で初となる一大ミュージカルの誕生につながっていく。
舞台は、交易華やかな16世紀前後の琉球。島を飛び出した若者たちが、東南アジアの国々を旅し、さまざまな人や音楽と出会いを結ぶ——。
マリンロードの国々も加わり、沖縄芸能界が再び一つとなる。
2019年4月16日火曜日
2019.04.16 わが友に贈る
「いまだこりず候」
いかなる苦難にも
決然と前を向くのだ!
毀誉褒貶に揺るがぬ
信仰の勇者・賢者たれ!
食物三徳御書 P1598
『譬へば人のために火をともせば我がまへあきらかなるがごとし』
【通解】
例えば、人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである。
〈寸鉄〉 2019年4月16日
御書「大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり」。勝負は長の一念。情熱の指揮を
香川女性の日。志の国に対話の花爛漫。婦女一体の団結で幸福楽土を建設
雄弁は言葉だけでなく声や顔にも表れる—文人。生命力満々に正義を語れ
小まめな運動は健康寿命延ばす秘訣と。友の為の一歩一歩は心身共に充実
大麻摘発者、半数が20代以下。未来を考えよ。一度の好奇心で一生を壊すな
☆御書と歩む� 第64回 題目の利剣で魔を打ち破れ
『日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず』(最蓮房御返事、1340ページ)
◇通解
日蓮は智者ではないけれども、第六天の魔王が、私の身に入ろうとしても、かねてからの用心が深いので身に寄せ付けない。
◇同志への指針
人々の生命力を奪い、不幸に陥れる魔の働きは、あらゆる姿をとって心の隙に忍び寄る。御本仏が御自ら、断じて寄せ付けぬ深き用心を示してくださった。
こちらが臆すれば、魔は増長して付け入る。魔と見破り、"さあ来い!"と題目の利剣で迎え撃てば退散するのだ。競い起こる障魔を痛快に打ち破り、月月・日日に強く弛まず境涯を開きゆこう!
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2019年4月13日
〈教えて〉 今いる場所で、信頼を築いていきたいです。
〈御文〉 主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ
(崇峻天皇御書、御書1173ページ)
〈通解〉 「主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間における心掛けにおいても、大変に素晴らしい」と鎌倉の人々の口にうたわれていきなさい。
青年が勝ち取るべき第一のものは、信用だ。
青春時代は、未完成が当然である。
見栄を張ったり、取り繕ったりする必要はない。
自分らしく眼前の仕事に全力で取り組む。約束をしたことは誠実に守る。失敗しても、そこから学び、また挑戦する。地道であっても、忍耐強く創意工夫を重ねていくことだ。そうした姿に、信用は必ず築かれる。(『勝利の人間学』)
◇ ◆ ◇
自分らしく、信心を根本に、大誠実に徹していけば、全てを生かして、必ずいい方向に転じていくことができる。仕事で勝ち、信頼を広げることができる。これが、妙法です。(中略)
どこまでも「誠実一路」で行こう! 朗らかに堂々と勝とう! 仕事で。人生で。
みんな、私の弟子なのだから。最後は必ず勝てる!(2012・5・24付、「若き君へ 新時代の主役に語る」)
いかなる苦難にも
決然と前を向くのだ!
毀誉褒貶に揺るがぬ
信仰の勇者・賢者たれ!
食物三徳御書 P1598
『譬へば人のために火をともせば我がまへあきらかなるがごとし』
【通解】
例えば、人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである。
〈寸鉄〉 2019年4月16日
御書「大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり」。勝負は長の一念。情熱の指揮を
香川女性の日。志の国に対話の花爛漫。婦女一体の団結で幸福楽土を建設
雄弁は言葉だけでなく声や顔にも表れる—文人。生命力満々に正義を語れ
小まめな運動は健康寿命延ばす秘訣と。友の為の一歩一歩は心身共に充実
大麻摘発者、半数が20代以下。未来を考えよ。一度の好奇心で一生を壊すな
☆御書と歩む� 第64回 題目の利剣で魔を打ち破れ
『日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず』(最蓮房御返事、1340ページ)
◇通解
日蓮は智者ではないけれども、第六天の魔王が、私の身に入ろうとしても、かねてからの用心が深いので身に寄せ付けない。
◇同志への指針
人々の生命力を奪い、不幸に陥れる魔の働きは、あらゆる姿をとって心の隙に忍び寄る。御本仏が御自ら、断じて寄せ付けぬ深き用心を示してくださった。
こちらが臆すれば、魔は増長して付け入る。魔と見破り、"さあ来い!"と題目の利剣で迎え撃てば退散するのだ。競い起こる障魔を痛快に打ち破り、月月・日日に強く弛まず境涯を開きゆこう!
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2019年4月13日
〈教えて〉 今いる場所で、信頼を築いていきたいです。
〈御文〉 主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ
(崇峻天皇御書、御書1173ページ)
〈通解〉 「主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間における心掛けにおいても、大変に素晴らしい」と鎌倉の人々の口にうたわれていきなさい。
青年が勝ち取るべき第一のものは、信用だ。
青春時代は、未完成が当然である。
見栄を張ったり、取り繕ったりする必要はない。
自分らしく眼前の仕事に全力で取り組む。約束をしたことは誠実に守る。失敗しても、そこから学び、また挑戦する。地道であっても、忍耐強く創意工夫を重ねていくことだ。そうした姿に、信用は必ず築かれる。(『勝利の人間学』)
◇ ◆ ◇
自分らしく、信心を根本に、大誠実に徹していけば、全てを生かして、必ずいい方向に転じていくことができる。仕事で勝ち、信頼を広げることができる。これが、妙法です。(中略)
どこまでも「誠実一路」で行こう! 朗らかに堂々と勝とう! 仕事で。人生で。
みんな、私の弟子なのだから。最後は必ず勝てる!(2012・5・24付、「若き君へ 新時代の主役に語る」)
2019年4月15日月曜日
2019.04.15 わが友に贈る
新聞休刊日
上野殿御返事 P1510
『今始めて申すにあらず二十余年が間音もをしまずよばはり候いぬるなり、あなかしこあなかしこ、この御文は大事の事どもかきて候、よくよく人によませてきこしめせ、人もそしり候へものともおもはぬ法師等なり、恐恐謹言』
【通解】
このことは今初めていうのではない。立宗以来二十余年の間、音も惜しまず叫んできているのである。あなかしこ・あなかしこ、この御文には大事のことを書き記してある。よくよく人に読ませてお聞かせなさい。人が謗るであろうが、我等日蓮一門は、それらをものとも思わぬ法師等である。恐恐謹言。
☆御書と歩む� 第63回 「法華経の行者」の不退の祈り
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(祈祷抄、1351ページ)
◇通解
大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。
◇同志への指針
広宣流布のために戦う「法華経の行者」の祈りには、広大無辺の力がある。これが御本仏のお約束である。
祈り抜き、祈り切る。そして行動を貫き通す時、無限の智慧が湧く。十界のいかなる衆生も諸天善神となって、仏の陣列を護りに護る。
戦う題目に勝るものはない。不退の信力・行力こそ、不可能を可能にしゆく仏力・法力の原動力なのだ。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 如説修行抄(上) 2019年4月13日
平和な社会を建設する挑戦者に!
"負けない心"で広布に励む
今月は、「如説修行抄」の前半を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「どこまでも『師匠の仰せのまま』に、苦難に臆さず理想のために戦う仏弟子の生き方を教えられたのが本抄です。『師弟不二の書』ともいうべきこの重書を、ただただ末法万年の広布のために、未来永遠の創価の勝利のために、魂に刻みつけて拝してまいりたい」
創価の誉れの「如説修行」の信心で、広布拡大の新たな歴史を勝ち開きましょう。(拝読範囲は501ページ冒頭〜502ページ9行目です)
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡・一谷で著され、門下一同に与えられた書です。
題号の「如説修行」とは、「仏の説の如く修行する」との意です。仏とは釈尊のことですが、大聖人門下にとっては、末法の御本仏・日蓮大聖人のことと拝されます。
佐渡流罪という命に及ぶ大難の渦中で大聖人は、「開目抄」「観心本尊抄」を認められ、末法万年に民衆を救いゆく仏法の骨格を確立されます。
そして、両書の後に書かれた本抄では、三類の強敵が競うのは、真実の「如説修行の行者」の証しであり、門下に対し、大聖人と同じ不退の心で、折伏の実践を貫くよう、渾身の激励をされています。
◇御文
『法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』(御書502ページ5行目〜9行目)
◇通解
「法華経の折伏は、権教の理を打ち破る(法華折伏・破権門理)」の金言であるので、ついに権教を信ずる輩を一人も残さず攻め落として仏の門下とし、国中のすべての人々が、二乗や菩薩などをめざす低い教えを捨てて最高の成仏の教えを信じ、妙法だけが独り盛んになった時、すべての人々が同じく、南無妙法蓮華経と唱えるならば、吹く風は枝を鳴らさず、雨は優しく降って土を砕かず、時代は理想とうたわれた伏羲・神農のような世となって、今世では不幸な災難を払い長寿の方法を得て、人も法も共に不老不死の姿が現実となる時を、皆それぞれ御覧なさい。「現世は安穏」という経文に何の疑いもないのである。
◇解説
掲げた御文は、"法華経薬草喩品に「現世安穏」と説かれているのに、「如説修行の行者」はなぜ難に遭うのか"との疑いに答えた箇所です。
この前の部分で大聖人は、仏の正しい教えが見失われ、争いが絶えない末法で、権教(仮の教え)と実教(真実の教え)を明確に立て分けていく、「如説修行の行者」の御闘争を示されます。
さらに、その御確信のままに「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と、三類の強敵の出現を御覚悟の上で他宗の誤りを指摘し、妙法を弘通したと述べられます。
掲げた御文の冒頭では、大聖人の御確信の根拠として、天台大師の『法華玄義』にある「法華折伏・破権門理」を引用されています。
すなわち、権教に執着する人々は、"法華経で仏自身が権門の理を破折している"ので、結局は仏意に随わざるをえません。万人が仏意に正しく随うことを「法王の家人」となると言われ、全ての教えが法華経のもとに統合されることを「諸乗一仏乗」と言われています。
そして、人々が妙法を受け入れ、妙法を根本とする社会が築かれる時に、「現世安穏」の世が実現すると仰せです。
「現世安穏」の象徴として、理想的な天候に恵まれることと、中国の伝説上の名君が治めた太平の世が挙げられます。
また、「人法共に不老不死」といって、妙法の働きが衰えることなく一切を包み、老いや死の苦しみに左右されない境涯が確立されるとも仰せです。
現代にあって私たちが、「仏法の人間主義」を掲げ、粘り強い対話で共感の輪を広げていることは、「現世安穏」の社会を築く挑戦です。
また、私たち一人一人に当てはめれば、「現世安穏」とは、何の悩みも葛藤もないということではありません。
いかなる困難があったとしても、師弟不二の心で友の幸福を祈り、誠実に正義を語り抜く——私たちが、"何があっても負けない心"で、日々の学会活動に励む、この境涯そのものが「現世安穏」の姿にほかならないのです。
師と共に栄光の「5・3」へ——朗らかに友情の語らいを広げ、前進していきましょう。
★池田先生の講義から
「現世安穏」といっても、決して彼方の理想社会にのみあるものではありません。法華経の教えの通りに、「自他共の幸福」と「平和安穏の国土」の実現を目指して戦う如説修行の行者の境涯そのものが、実は既に「現世安穏」なのです。(中略)
戦えば、自身の仏界が躍動します。最高の歓喜が満ちあふれてきます。
日蓮仏法の不惜身命には悲壮感はありません。溌剌たる挑戦には、常に歓喜の生命が漲るものです。(中略)
広宣流布への挑戦は苦闘の連続です。それは同時に、無上の歓喜が伴う仏界涌現の実践にほかならないのです。
戦う生命の中に成仏の喜悦の大境涯が躍動する。「大難即成仏」「大難即悟達」の境涯にまさる「現世安穏」はありません。
大聖人の御指導のままに、御書の仰せの通りに、広宣流布に戦う魂を赫々と燃え上がらせていくなかにこそ、幸福と希望の大前進があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第5巻)
◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第5巻(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻(同)
上野殿御返事 P1510
『今始めて申すにあらず二十余年が間音もをしまずよばはり候いぬるなり、あなかしこあなかしこ、この御文は大事の事どもかきて候、よくよく人によませてきこしめせ、人もそしり候へものともおもはぬ法師等なり、恐恐謹言』
【通解】
このことは今初めていうのではない。立宗以来二十余年の間、音も惜しまず叫んできているのである。あなかしこ・あなかしこ、この御文には大事のことを書き記してある。よくよく人に読ませてお聞かせなさい。人が謗るであろうが、我等日蓮一門は、それらをものとも思わぬ法師等である。恐恐謹言。
☆御書と歩む� 第63回 「法華経の行者」の不退の祈り
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(祈祷抄、1351ページ)
◇通解
大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。
◇同志への指針
広宣流布のために戦う「法華経の行者」の祈りには、広大無辺の力がある。これが御本仏のお約束である。
祈り抜き、祈り切る。そして行動を貫き通す時、無限の智慧が湧く。十界のいかなる衆生も諸天善神となって、仏の陣列を護りに護る。
戦う題目に勝るものはない。不退の信力・行力こそ、不可能を可能にしゆく仏力・法力の原動力なのだ。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 如説修行抄(上) 2019年4月13日
平和な社会を建設する挑戦者に!
"負けない心"で広布に励む
今月は、「如説修行抄」の前半を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「どこまでも『師匠の仰せのまま』に、苦難に臆さず理想のために戦う仏弟子の生き方を教えられたのが本抄です。『師弟不二の書』ともいうべきこの重書を、ただただ末法万年の広布のために、未来永遠の創価の勝利のために、魂に刻みつけて拝してまいりたい」
創価の誉れの「如説修行」の信心で、広布拡大の新たな歴史を勝ち開きましょう。(拝読範囲は501ページ冒頭〜502ページ9行目です)
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡・一谷で著され、門下一同に与えられた書です。
題号の「如説修行」とは、「仏の説の如く修行する」との意です。仏とは釈尊のことですが、大聖人門下にとっては、末法の御本仏・日蓮大聖人のことと拝されます。
佐渡流罪という命に及ぶ大難の渦中で大聖人は、「開目抄」「観心本尊抄」を認められ、末法万年に民衆を救いゆく仏法の骨格を確立されます。
そして、両書の後に書かれた本抄では、三類の強敵が競うのは、真実の「如説修行の行者」の証しであり、門下に対し、大聖人と同じ不退の心で、折伏の実践を貫くよう、渾身の激励をされています。
◇御文
『法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』(御書502ページ5行目〜9行目)
◇通解
「法華経の折伏は、権教の理を打ち破る(法華折伏・破権門理)」の金言であるので、ついに権教を信ずる輩を一人も残さず攻め落として仏の門下とし、国中のすべての人々が、二乗や菩薩などをめざす低い教えを捨てて最高の成仏の教えを信じ、妙法だけが独り盛んになった時、すべての人々が同じく、南無妙法蓮華経と唱えるならば、吹く風は枝を鳴らさず、雨は優しく降って土を砕かず、時代は理想とうたわれた伏羲・神農のような世となって、今世では不幸な災難を払い長寿の方法を得て、人も法も共に不老不死の姿が現実となる時を、皆それぞれ御覧なさい。「現世は安穏」という経文に何の疑いもないのである。
◇解説
掲げた御文は、"法華経薬草喩品に「現世安穏」と説かれているのに、「如説修行の行者」はなぜ難に遭うのか"との疑いに答えた箇所です。
この前の部分で大聖人は、仏の正しい教えが見失われ、争いが絶えない末法で、権教(仮の教え)と実教(真実の教え)を明確に立て分けていく、「如説修行の行者」の御闘争を示されます。
さらに、その御確信のままに「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と、三類の強敵の出現を御覚悟の上で他宗の誤りを指摘し、妙法を弘通したと述べられます。
掲げた御文の冒頭では、大聖人の御確信の根拠として、天台大師の『法華玄義』にある「法華折伏・破権門理」を引用されています。
すなわち、権教に執着する人々は、"法華経で仏自身が権門の理を破折している"ので、結局は仏意に随わざるをえません。万人が仏意に正しく随うことを「法王の家人」となると言われ、全ての教えが法華経のもとに統合されることを「諸乗一仏乗」と言われています。
そして、人々が妙法を受け入れ、妙法を根本とする社会が築かれる時に、「現世安穏」の世が実現すると仰せです。
「現世安穏」の象徴として、理想的な天候に恵まれることと、中国の伝説上の名君が治めた太平の世が挙げられます。
また、「人法共に不老不死」といって、妙法の働きが衰えることなく一切を包み、老いや死の苦しみに左右されない境涯が確立されるとも仰せです。
現代にあって私たちが、「仏法の人間主義」を掲げ、粘り強い対話で共感の輪を広げていることは、「現世安穏」の社会を築く挑戦です。
また、私たち一人一人に当てはめれば、「現世安穏」とは、何の悩みも葛藤もないということではありません。
いかなる困難があったとしても、師弟不二の心で友の幸福を祈り、誠実に正義を語り抜く——私たちが、"何があっても負けない心"で、日々の学会活動に励む、この境涯そのものが「現世安穏」の姿にほかならないのです。
師と共に栄光の「5・3」へ——朗らかに友情の語らいを広げ、前進していきましょう。
★池田先生の講義から
「現世安穏」といっても、決して彼方の理想社会にのみあるものではありません。法華経の教えの通りに、「自他共の幸福」と「平和安穏の国土」の実現を目指して戦う如説修行の行者の境涯そのものが、実は既に「現世安穏」なのです。(中略)
戦えば、自身の仏界が躍動します。最高の歓喜が満ちあふれてきます。
日蓮仏法の不惜身命には悲壮感はありません。溌剌たる挑戦には、常に歓喜の生命が漲るものです。(中略)
広宣流布への挑戦は苦闘の連続です。それは同時に、無上の歓喜が伴う仏界涌現の実践にほかならないのです。
戦う生命の中に成仏の喜悦の大境涯が躍動する。「大難即成仏」「大難即悟達」の境涯にまさる「現世安穏」はありません。
大聖人の御指導のままに、御書の仰せの通りに、広宣流布に戦う魂を赫々と燃え上がらせていくなかにこそ、幸福と希望の大前進があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第5巻)
◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第5巻(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻(同)
2019年4月14日日曜日
2019.04.14 わが友に贈る
◇今週のことば
我ら民衆の連帯こそ
揺るがぬ日本の柱なり。
誇り高く信念の対話を!
朗らかに友情の深化を!
勝利の物語を未来まで。
2019年4月14日
中興入道消息 P1332
『去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間退転なく申しつより候事月のみつるがごとくしほのさすがごとくはじめは日蓮只一人唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人耳をふさぎ眼をいからかし口をひそめ手をにぎりはをかみ父母兄弟師匠ぜんうもかたきとなる』
【通解】
去る建長5年の4月28日より、今の弘安2年11月に至る27年の間というもの、退転なく、強盛に南無妙法蓮華経の弘通に努めてきたことは、月が満ち、潮が満ちていくごとくであった。
はじめは日蓮ただ一人、題目を唱えていたが、見る人、会う人、聞く人、いずれも耳をふさぎ、眼を怒らせ、□をゆがめ、手を握りしめ、歯がみをして、父母、兄弟、師匠、同僚までも、敵対した。
〈寸鉄〉 2019年4月14日
「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」御書。勇猛果敢に最激戦の地へ
東京・目黒区、文京区よ師子となって断固勝て!一気呵成の猛攻で凱旋を
私たちはスピードの時代を生きる—文豪。幹部は変化見落とさず手を打て
熊本地震3年。心のケア必要な青少年は1800人と。寄り添う心を常に
統一地方選、市区議選が告示。さあ後半戦。公明よ大衆の期待担い走り抜け
☆御書と歩む� 第62回 「強盛な信心」で勝利の春を
『敵は・ねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし』(四条金吾殿御返事、1186ページ)
◇通解
(あなた〈四条金吾〉も、石虎将軍の故事と同様である)敵は狙っているであろうが、法華経への信心が強盛であるので、大難も、事が起きる前に消えたのでありましょうか。これにつけても、よくよく強盛な信心を起こしていきなさい。
◇同志への指針
恩師は"母の仇討ちの一念で放った矢が岩をも貫いた"という石虎将軍の故事を、よく語られた。そして、この御聖訓を拝し、いかなる強敵も恐れるな! 正義の人生は勝利への執念を貫け! と師子吼されたのである。
恩師が教えてくださった御本仏直伝の「強盛なる信心」で、一切を乗り越え、創価桜の道を爛漫と勝ち開こうではないか!
☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「異体同心」 2019年4月6日
◇学会と共に、同志と共に「人間革命」の自分史を
「団結は力である。団結は正しい。団結は美しい。団結は楽しい」(「随筆 新・人間革命」〈勝利の鉄則〉、『池田大作全集』第132巻所収)——創価の世界は、互いに尊敬し、励まし、助け合っていく、麗しい団結の世界です。使命深き仏の世界です。だからこそ異体同心で、一切の障魔を打ち破り、勝利を開いてくることができたのです。池田先生はつづっています。「学会と共に! 同志と共に! 正義の師弟が共々に! その心があればこそ、偉大なる人間革命の山を登ることができるのだ」(同)。「異体同心」の団結で、人生と広布の歴史を勝ち飾ろう。
団結が勝敗を決する
●御文
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし(異体同心事、1463ページ)
●通解
『日蓮の一門は異体同心なので、人数は少なくても大事を成し遂げて、必ず法華経は広まるだろうと思うのである。悪は多くても一善に勝つことはない。』
仏法は勝負です。勝敗を決するのは、人数の多寡でもなければ、置かれている状況の優劣でもありません。「異体同心」の団結こそ、絶対勝利の要諦です。
本抄は、「熱原の法難」の渦中にある、駿河地方(静岡県中央部)の門下に与えられたとされています。
当時、悪侶と悪しき権力が結託し、大聖人門下に迫害を加えていました。
悪の輩が、利害だけで徒党を組み、法華経の行者を迫害する構図は、いつの時代も同じです。また、正義をおとしめる手段は、ウソやデマ、そして命に及ぶ脅しです。
それらは、同志の絆を分断し、信心を破壊しようとします。だからこそ、支え、励まし合い、信心の団結を強固にしていくことが大事なのです。
妙法流布の途上で、難に遭うのは必然です。否、広宣流布が進んでいるからこそ、難が競い起こるのです。
その時、異体同心の団結を強くし、折伏精神をみなぎらせて拡大に打って出れば、必ず大事を成し遂げることができるのです。
大聖人は、「悪は多くても一善に勝つことはない」と、御確信を述べられています。
これは、仏法の道理であるだけでなく、弟子が"断じて勝つ!"と皆で心を合わせ、団結する大切さを教えられています。
恐れなく、強気で、善の連帯を広げれば、必ず悪を打ち破っていけるのです。
◇広布への祈りを合わせる
●御文
総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(生死一大事血脈抄、1337ページ)
●通解
総じて日蓮の弟子檀那らが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えていくことを生死一大事の血脈というのである。
広宣流布を目指し、互いに同志を尊敬し、祈りを合わせることで、信心の血脈を受け継ぐことができるのです。
本抄は、文永9年(1272年)2月、佐渡の地で認められ、最蓮房に与えられたとされます。内容から、「生死一大事の血脈」という仏法の極理についての質問に対する、御返事とされています。
「生死一大事血脈」とは、万人成仏の法のことです。その法を受け継ぐ信心の姿勢の一つとして「異体同心」が挙げられています。
大聖人は、分け隔ての心をもたず、親密な思いを抱く姿を「異体同心」と仰せです。
組織といっても、人間の集まりです。意見が合わないことも、相手の欠点が目につくこともあるでしょう。そうした時、"団結しよう""相手を尊敬できるようになろう"と、まず自身が人間革命していくことです。
団結するとは、広宣流布という崇高な目的に心を定め、自他共の幸福を願うことのできる自分になるということです。また、相手を尊敬することは、相手の生命に仏性を見いだすことであり、それは取りも直さず、自身の仏性に目覚めることでもあります。
一人一人が広布誓願の祈りを合わせ、小さな自身の殻を破り、大きく相手を包み込める自分になることで、異体同心の団結は生まれるのです。
異体同心を目指す前進の中に、広宣流布の前進も、自身の人間革命もあるのです。
◇コラム 自らが「一人立つ」
団結というと、何か自分の気持ちを抑え込んだりして、皆に合わせていくイメージを抱く人もいるでしょう。しかし、信心の団結は、個性をつぶし、横並びを強制するような"同調圧力"などとは無縁です。
「異体同心」の「異体」には、一人一人を大切にする人間主義の思想が脈打っています。一人ももれなく、かけがえのない広布の人材だからです。
それと対極にあるのが「同体異心」です。表面的には、周りと合わせているようでも、心がバラバラであれば、一人一人の力も、全体としての力も発揮することなどできません。
「異体同心」を実現する要が「同心」です。目的を同じにすることです。その究極が信心であり、広布の大願です。
誓願を同じくする一人一人が、"誰かがやるだろう"といった油断を排し、今いる場所で使命を果たすことで、不可能を可能にする「異体同心」の団結の力が発揮されるのです。
一人一人が、自ら一人立ち、最高の力を出し切るからこそ、その力は単なる足し算ではなく、かけ算となって拡大し"まさか"とさえ思うような大事を成し遂げることができるのです。
我ら民衆の連帯こそ
揺るがぬ日本の柱なり。
誇り高く信念の対話を!
朗らかに友情の深化を!
勝利の物語を未来まで。
2019年4月14日
中興入道消息 P1332
『去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間退転なく申しつより候事月のみつるがごとくしほのさすがごとくはじめは日蓮只一人唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人耳をふさぎ眼をいからかし口をひそめ手をにぎりはをかみ父母兄弟師匠ぜんうもかたきとなる』
【通解】
去る建長5年の4月28日より、今の弘安2年11月に至る27年の間というもの、退転なく、強盛に南無妙法蓮華経の弘通に努めてきたことは、月が満ち、潮が満ちていくごとくであった。
はじめは日蓮ただ一人、題目を唱えていたが、見る人、会う人、聞く人、いずれも耳をふさぎ、眼を怒らせ、□をゆがめ、手を握りしめ、歯がみをして、父母、兄弟、師匠、同僚までも、敵対した。
〈寸鉄〉 2019年4月14日
「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」御書。勇猛果敢に最激戦の地へ
東京・目黒区、文京区よ師子となって断固勝て!一気呵成の猛攻で凱旋を
私たちはスピードの時代を生きる—文豪。幹部は変化見落とさず手を打て
熊本地震3年。心のケア必要な青少年は1800人と。寄り添う心を常に
統一地方選、市区議選が告示。さあ後半戦。公明よ大衆の期待担い走り抜け
☆御書と歩む� 第62回 「強盛な信心」で勝利の春を
『敵は・ねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし』(四条金吾殿御返事、1186ページ)
◇通解
(あなた〈四条金吾〉も、石虎将軍の故事と同様である)敵は狙っているであろうが、法華経への信心が強盛であるので、大難も、事が起きる前に消えたのでありましょうか。これにつけても、よくよく強盛な信心を起こしていきなさい。
◇同志への指針
恩師は"母の仇討ちの一念で放った矢が岩をも貫いた"という石虎将軍の故事を、よく語られた。そして、この御聖訓を拝し、いかなる強敵も恐れるな! 正義の人生は勝利への執念を貫け! と師子吼されたのである。
恩師が教えてくださった御本仏直伝の「強盛なる信心」で、一切を乗り越え、創価桜の道を爛漫と勝ち開こうではないか!
☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「異体同心」 2019年4月6日
◇学会と共に、同志と共に「人間革命」の自分史を
「団結は力である。団結は正しい。団結は美しい。団結は楽しい」(「随筆 新・人間革命」〈勝利の鉄則〉、『池田大作全集』第132巻所収)——創価の世界は、互いに尊敬し、励まし、助け合っていく、麗しい団結の世界です。使命深き仏の世界です。だからこそ異体同心で、一切の障魔を打ち破り、勝利を開いてくることができたのです。池田先生はつづっています。「学会と共に! 同志と共に! 正義の師弟が共々に! その心があればこそ、偉大なる人間革命の山を登ることができるのだ」(同)。「異体同心」の団結で、人生と広布の歴史を勝ち飾ろう。
団結が勝敗を決する
●御文
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし(異体同心事、1463ページ)
●通解
『日蓮の一門は異体同心なので、人数は少なくても大事を成し遂げて、必ず法華経は広まるだろうと思うのである。悪は多くても一善に勝つことはない。』
仏法は勝負です。勝敗を決するのは、人数の多寡でもなければ、置かれている状況の優劣でもありません。「異体同心」の団結こそ、絶対勝利の要諦です。
本抄は、「熱原の法難」の渦中にある、駿河地方(静岡県中央部)の門下に与えられたとされています。
当時、悪侶と悪しき権力が結託し、大聖人門下に迫害を加えていました。
悪の輩が、利害だけで徒党を組み、法華経の行者を迫害する構図は、いつの時代も同じです。また、正義をおとしめる手段は、ウソやデマ、そして命に及ぶ脅しです。
それらは、同志の絆を分断し、信心を破壊しようとします。だからこそ、支え、励まし合い、信心の団結を強固にしていくことが大事なのです。
妙法流布の途上で、難に遭うのは必然です。否、広宣流布が進んでいるからこそ、難が競い起こるのです。
その時、異体同心の団結を強くし、折伏精神をみなぎらせて拡大に打って出れば、必ず大事を成し遂げることができるのです。
大聖人は、「悪は多くても一善に勝つことはない」と、御確信を述べられています。
これは、仏法の道理であるだけでなく、弟子が"断じて勝つ!"と皆で心を合わせ、団結する大切さを教えられています。
恐れなく、強気で、善の連帯を広げれば、必ず悪を打ち破っていけるのです。
◇広布への祈りを合わせる
●御文
総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(生死一大事血脈抄、1337ページ)
●通解
総じて日蓮の弟子檀那らが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えていくことを生死一大事の血脈というのである。
広宣流布を目指し、互いに同志を尊敬し、祈りを合わせることで、信心の血脈を受け継ぐことができるのです。
本抄は、文永9年(1272年)2月、佐渡の地で認められ、最蓮房に与えられたとされます。内容から、「生死一大事の血脈」という仏法の極理についての質問に対する、御返事とされています。
「生死一大事血脈」とは、万人成仏の法のことです。その法を受け継ぐ信心の姿勢の一つとして「異体同心」が挙げられています。
大聖人は、分け隔ての心をもたず、親密な思いを抱く姿を「異体同心」と仰せです。
組織といっても、人間の集まりです。意見が合わないことも、相手の欠点が目につくこともあるでしょう。そうした時、"団結しよう""相手を尊敬できるようになろう"と、まず自身が人間革命していくことです。
団結するとは、広宣流布という崇高な目的に心を定め、自他共の幸福を願うことのできる自分になるということです。また、相手を尊敬することは、相手の生命に仏性を見いだすことであり、それは取りも直さず、自身の仏性に目覚めることでもあります。
一人一人が広布誓願の祈りを合わせ、小さな自身の殻を破り、大きく相手を包み込める自分になることで、異体同心の団結は生まれるのです。
異体同心を目指す前進の中に、広宣流布の前進も、自身の人間革命もあるのです。
◇コラム 自らが「一人立つ」
団結というと、何か自分の気持ちを抑え込んだりして、皆に合わせていくイメージを抱く人もいるでしょう。しかし、信心の団結は、個性をつぶし、横並びを強制するような"同調圧力"などとは無縁です。
「異体同心」の「異体」には、一人一人を大切にする人間主義の思想が脈打っています。一人ももれなく、かけがえのない広布の人材だからです。
それと対極にあるのが「同体異心」です。表面的には、周りと合わせているようでも、心がバラバラであれば、一人一人の力も、全体としての力も発揮することなどできません。
「異体同心」を実現する要が「同心」です。目的を同じにすることです。その究極が信心であり、広布の大願です。
誓願を同じくする一人一人が、"誰かがやるだろう"といった油断を排し、今いる場所で使命を果たすことで、不可能を可能にする「異体同心」の団結の力が発揮されるのです。
一人一人が、自ら一人立ち、最高の力を出し切るからこそ、その力は単なる足し算ではなく、かけ算となって拡大し"まさか"とさえ思うような大事を成し遂げることができるのです。
2019年4月13日土曜日
2019.04.13 わが友に贈る
「心の固きに仮りて
神の守り則ち強し」
広布に生き抜く人を
諸天は厳然と護る。
福徳の道を堂々と!
御義口伝巻下 P775
『八万四千とは我等が八万四千の塵労なり南無妙法蓮華経と唱え奉る処にて八万四千の法門と顕るるなり』
【通解】
八万四千とは、われらの凡夫の八万四千の塵労であり、南無妙法蓮華経と唱えたとき、その八万四千の塵労は則八万四千の法門とあらわれる。法華経の文字の数は、開経の無量義経、結経の観音賢菩薩行法経も合わせ、八万四千字である。
〈寸鉄〉 2019年4月13日
青年部がしっかりしていれば学会は永久に発展—恩師。使命に胸張り邁進
東京・中央区の友が激戦。執念の攻勢で突破口開け感激の同志の勝ち鬨を!
徳島女性の日。幸の春風を送る希望の連帯。婦女一体の対話で地域を変革
改元に便乗の詐欺メール横行。大手携帯通信会社装い。慌てず冷静に撃退
公明には声を聴く優しさと実現する力強さが—識者。総力で期待に応えよ
☆創価小学校入学式への池田先生のメッセージ 2019年4月9日
わが宝の学園生よ、英知桜・友情桜・親孝行桜を爛漫と
心の宝箱を開けるカギ
�「勇気」のカギでチャレンジ!
�「友情」のカギで楽しく仲良く
�「読書」のカギで喜びと知恵を
喜びいっぱいの入学、おめでとう! わが創価小学校へ、ようこそ!
きょうから皆さんは、この「希望の城」の王子・王女です。
皆さんの出発を、花も鳥も、風も空も、そして太陽も、きっと喜んでくれていることでしょう。
大切なお子さまを送り出してくださったご家族の方々に、心からお祝いと感謝を申し上げます。
この希望の城で、皆さんは、すばらしい宝物をたくさん発見していってください。
じつは、皆さんは、最高の宝箱をもっています。それは、何だと思いますか?
自分の胸に手を当ててみてください。そう、「心の宝箱」です。
きょうは、この「心の宝箱」を大きく開く「三つのカギ」を、皆さん一人ひとりにわたします。
一つめは「勇気」というカギです。
「よし、やるぞ!」「負けないぞ!」という強い気持ちです。朝、早く起きるのも勇気。勉強をがんばるのも勇気です。くじけそうになっても、ねばり強くチャレンジしていけば、皆さんの無限の力がグングン出ていきます。
二つめは「友情」というカギです。
朝は、「おはよう!」と明るくあいさつして、楽しく仲良く出発しよう! また、こまっている友だちがいたら、「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と温かく声をかけられる人になってください。宝の友だちといっしょなら、大きな坂も必ずこえていけます。
三つめは「読書」というカギです。
本をひらけば、世界中、宇宙までも旅をすることができます。偉大な人や、美しい物語に出あうこともできます。毎日、少しずつでいいから、良い本を読んで、ワクワクする冒険の旅へ出かけましょう。新しいことを知れば、大きな喜びと知恵があふれてきます。
皆さんには、どんな時も、助け守ってくれる創価小学校の先生方がついています。
さあ、私といっしょに、希望の大空を見つめて、栄光の山を登ろう!
大好きな皆さんの健康と成長を祈っています。みんな、元気で!(大拍手)
神の守り則ち強し」
広布に生き抜く人を
諸天は厳然と護る。
福徳の道を堂々と!
御義口伝巻下 P775
『八万四千とは我等が八万四千の塵労なり南無妙法蓮華経と唱え奉る処にて八万四千の法門と顕るるなり』
【通解】
八万四千とは、われらの凡夫の八万四千の塵労であり、南無妙法蓮華経と唱えたとき、その八万四千の塵労は則八万四千の法門とあらわれる。法華経の文字の数は、開経の無量義経、結経の観音賢菩薩行法経も合わせ、八万四千字である。
〈寸鉄〉 2019年4月13日
青年部がしっかりしていれば学会は永久に発展—恩師。使命に胸張り邁進
東京・中央区の友が激戦。執念の攻勢で突破口開け感激の同志の勝ち鬨を!
徳島女性の日。幸の春風を送る希望の連帯。婦女一体の対話で地域を変革
改元に便乗の詐欺メール横行。大手携帯通信会社装い。慌てず冷静に撃退
公明には声を聴く優しさと実現する力強さが—識者。総力で期待に応えよ
☆創価小学校入学式への池田先生のメッセージ 2019年4月9日
わが宝の学園生よ、英知桜・友情桜・親孝行桜を爛漫と
心の宝箱を開けるカギ
�「勇気」のカギでチャレンジ!
�「友情」のカギで楽しく仲良く
�「読書」のカギで喜びと知恵を
喜びいっぱいの入学、おめでとう! わが創価小学校へ、ようこそ!
きょうから皆さんは、この「希望の城」の王子・王女です。
皆さんの出発を、花も鳥も、風も空も、そして太陽も、きっと喜んでくれていることでしょう。
大切なお子さまを送り出してくださったご家族の方々に、心からお祝いと感謝を申し上げます。
この希望の城で、皆さんは、すばらしい宝物をたくさん発見していってください。
じつは、皆さんは、最高の宝箱をもっています。それは、何だと思いますか?
自分の胸に手を当ててみてください。そう、「心の宝箱」です。
きょうは、この「心の宝箱」を大きく開く「三つのカギ」を、皆さん一人ひとりにわたします。
一つめは「勇気」というカギです。
「よし、やるぞ!」「負けないぞ!」という強い気持ちです。朝、早く起きるのも勇気。勉強をがんばるのも勇気です。くじけそうになっても、ねばり強くチャレンジしていけば、皆さんの無限の力がグングン出ていきます。
二つめは「友情」というカギです。
朝は、「おはよう!」と明るくあいさつして、楽しく仲良く出発しよう! また、こまっている友だちがいたら、「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と温かく声をかけられる人になってください。宝の友だちといっしょなら、大きな坂も必ずこえていけます。
三つめは「読書」というカギです。
本をひらけば、世界中、宇宙までも旅をすることができます。偉大な人や、美しい物語に出あうこともできます。毎日、少しずつでいいから、良い本を読んで、ワクワクする冒険の旅へ出かけましょう。新しいことを知れば、大きな喜びと知恵があふれてきます。
皆さんには、どんな時も、助け守ってくれる創価小学校の先生方がついています。
さあ、私といっしょに、希望の大空を見つめて、栄光の山を登ろう!
大好きな皆さんの健康と成長を祈っています。みんな、元気で!(大拍手)
2019年4月12日金曜日
2019.04.12 わが友に贈る
正義と真実の声が
ウソとデマを打破する。
沈黙は悪への加担だ。
立正安国の言論戦で
社会に希望と活力を!
四条金吾殿御返事 P1136
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』
【通解】
火に薪を加える時には火は盛んに燃えます。大風が吹けば求羅という虫は大きくなります。松は万年の長寿を持つゆえに枝を曲げられるのです。
法華経の行者は火と求羅のようなものであり、薪と風は大難のようなものです。法華経の行者は久遠長寿の如来です。
修行の枝を切られ、曲げられることは疑いないのです。これより以後は「此経難持」の四字をしばらくも忘れず思索していきなさい。
〈寸鉄〉 2019年4月12日
祈りとは"あきらめない勇気"。執念で自身の壁破れ。弛まぬ唱題が根本
東京・狛江、多摩の勇者よ本領発揮の時だ!団結固く未来までの勝利の劇を
「すこしも・をそるる心なかれ」御書。攻めの対話で活路を!青年が先駆せよ
新しい事を学び続ける人は若い—実業家。生涯求道の多宝の友が輝く時代
気温の変化による「寒暖差疲労」に注意。運動・食事・休養など聡明に工夫
☆創価学園入学式への池田先生のメッセージ 2019年4月9日
努力を貫く人が最後に勝つ
勇敢に学び創造と革新の力で世界に貢献を
ハーバード大学の研究「幸せは人から人へ伝わる」 民衆に幸福広げる人格を磨きゆけ!
一、我らの「負けじ魂ここにあり」の歌のごとく、今日は、桜の舞いゆく春の陽に包まれた入学式になりました。東京校は第52期生の皆さん、関西校は第47期生の皆さん、本当におめでとう!
私の創立した創価教育の学びの門に、よくぞ集ってくれました。送り出してくださったご家族の方々、誠にありがとうございます!
一、先日、私は、日本を代表する国立劇場の前で、誇りと感謝を込めて、一本の満開の桜の写真を撮りました。それは、この劇場で、わが東西の学園の箏曲部が、優秀校として毎年のように行ってきた演奏を、20年来、ずっと見守ってきてくれた桜なのです。
いついかなる時も、いずこにあっても、私の心から学園生のことが離れることはありません。学園生は、私の命そのものだからです。
私が撮影した、この桜は、「ソメイヨシノ」を受け継ぐ「ジンダイアケボノ」という新しい品種であり、丈夫で病気に負けず、これからの新しい世代の桜として、大きな期待が寄せられています。
今日、入学された皆さんは、まさしく新時代の誉れの「学園桜」です。大切な大切な一人一人と、固い心の握手を交わしつつ、三つのエールを贈ります。
◇「偉大な価値とは富ではなく知恵」
一、第一に、「勇敢に! 学び伸びゆく英知桜たれ!」と申し上げたい。
創価学園の校訓に、私は「進取の気性に富み、栄光ある日本の指導者、世界の指導者に育て」と掲げました。そして創立者である私自身が、先頭に立って、学園生の道を開きゆかんと、世界の大学や学術機関でも講演を行ってきました。45年前の4月、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校を第1回として32回を数えます。
20世紀最高峰の大歴史学者トインビー博士をはじめ、世界の知性とも人類の平和への対話を貫いてきました。発刊した対談集は約80点となります。
「人間革命」と「地球革命」をテーマに語り合い、一緒に対談集を出版したのは、世界的な研究機関・ローマクラブの会長を務められたホフライトネル博士です。スペインのリーダーでもあり、六つの言語を駆使する大国際人です。
この博士が、お父さんから学んだ大事な指針を語ってくれたことがあります。
それは「偉大な価値とは、物質的な富ではなく、知恵の獲得である」ということです。学ぶこと自体が何よりの宝であるとの教えを胸に、博士は勇敢に大胆に学び抜き、「創造の力」「革新の力」で世界に貢献してきました。とともに、人々に尽くされた尊きご両親に、真心あふれる親孝行を果たされたのです。
わが学園には、世界に開かれた最高の教育環境が整い、創価教育の精神を体現して全力で皆さんを育まれる先生方、職員の方々がそろっております。
どうか、この学びの園で、思い切り学び、限りない英知の大桜と伸びていってください。そして麗しい「親孝行桜」を咲き薫らせていただきたいのであります。
◇1ミリでも前へと諦めずに挑戦を
一、第二に申し上げたいのは、「快活に! 挑み光る努力桜たれ!」ということです。
先日、「現代のナイチンゲール」ともたたえられるイギリスの看護師のバーチンガー博士が創価大学で講演を行い、皆さんの先輩たちと有意義に交流されました。
紛争や飢餓で苦しむ人々や子どもたちを救うため、アフリカや中東など世界で、医療活動に奔走してきた偉大な女性です。
博士は、若き日々、読み書きが困難な学習障がいで苦しみました。しかし、いつもお母さんが「山を眺めているのではなく、山を登ろう」と背中を押してくれました。
そして、何としても夢を叶えようと、常に10倍の努力を心掛けて、目の前の課題の山を一つ一つ勝ち越えてきたのです。
学園の草創期、私は勉学で悪戦苦闘している友に、「卑屈になってはいけない。今度こそ、今度こそと、挑戦していくんだよ」と励ましたことがあります。今、立派な大学者・大教育者となって、多くの若人を育成されています。
思うようにいかない時も、「1ミリでも、2ミリでも前進を」と決めて、諦めずに努力を続けた人が最後は勝つ。「努力桜」こそ「勝利桜」なのです。
◇希望にあふれて良き友と一緒に
一、第三に、「聡明に! 喜び広げる友情桜たれ!」と申し上げたい。
私はハーバード大学での講演の折、関西創価学園で申し上げた「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」との信条を紹介しました。
このハーバード大学での有名な研究の中に、「幸せな気持ちは人から人へ伝わる」という洞察があります。つまり、一人が幸福を感じていれば、その友人も、さらに友人の友人も、幸福感が高まるというのです。
現実社会の真っただ中で、民衆に幸福を広げていける人格を薫陶するのが、創価の人間教育です。その根本の力は、良き友情を結ぶことです。
残念ながら、今の時代は、人を不幸に陥れる悪い縁が渦巻いています。皆さんは聡明に鋭く善と悪を見極め、常に明るい希望の太陽の方向へ良き友と進んでいってください。
そうして咲かせる「友情桜」が、やがて世界を照らす「平和桜」と広がります。
最後に、晴れの門出に一首を贈ります。
咲き光れ
勇気と希望の
学園桜
縁の友と
世界へ 未来へ
ウソとデマを打破する。
沈黙は悪への加担だ。
立正安国の言論戦で
社会に希望と活力を!
四条金吾殿御返事 P1136
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』
【通解】
火に薪を加える時には火は盛んに燃えます。大風が吹けば求羅という虫は大きくなります。松は万年の長寿を持つゆえに枝を曲げられるのです。
法華経の行者は火と求羅のようなものであり、薪と風は大難のようなものです。法華経の行者は久遠長寿の如来です。
修行の枝を切られ、曲げられることは疑いないのです。これより以後は「此経難持」の四字をしばらくも忘れず思索していきなさい。
〈寸鉄〉 2019年4月12日
祈りとは"あきらめない勇気"。執念で自身の壁破れ。弛まぬ唱題が根本
東京・狛江、多摩の勇者よ本領発揮の時だ!団結固く未来までの勝利の劇を
「すこしも・をそるる心なかれ」御書。攻めの対話で活路を!青年が先駆せよ
新しい事を学び続ける人は若い—実業家。生涯求道の多宝の友が輝く時代
気温の変化による「寒暖差疲労」に注意。運動・食事・休養など聡明に工夫
☆創価学園入学式への池田先生のメッセージ 2019年4月9日
努力を貫く人が最後に勝つ
勇敢に学び創造と革新の力で世界に貢献を
ハーバード大学の研究「幸せは人から人へ伝わる」 民衆に幸福広げる人格を磨きゆけ!
一、我らの「負けじ魂ここにあり」の歌のごとく、今日は、桜の舞いゆく春の陽に包まれた入学式になりました。東京校は第52期生の皆さん、関西校は第47期生の皆さん、本当におめでとう!
私の創立した創価教育の学びの門に、よくぞ集ってくれました。送り出してくださったご家族の方々、誠にありがとうございます!
一、先日、私は、日本を代表する国立劇場の前で、誇りと感謝を込めて、一本の満開の桜の写真を撮りました。それは、この劇場で、わが東西の学園の箏曲部が、優秀校として毎年のように行ってきた演奏を、20年来、ずっと見守ってきてくれた桜なのです。
いついかなる時も、いずこにあっても、私の心から学園生のことが離れることはありません。学園生は、私の命そのものだからです。
私が撮影した、この桜は、「ソメイヨシノ」を受け継ぐ「ジンダイアケボノ」という新しい品種であり、丈夫で病気に負けず、これからの新しい世代の桜として、大きな期待が寄せられています。
今日、入学された皆さんは、まさしく新時代の誉れの「学園桜」です。大切な大切な一人一人と、固い心の握手を交わしつつ、三つのエールを贈ります。
◇「偉大な価値とは富ではなく知恵」
一、第一に、「勇敢に! 学び伸びゆく英知桜たれ!」と申し上げたい。
創価学園の校訓に、私は「進取の気性に富み、栄光ある日本の指導者、世界の指導者に育て」と掲げました。そして創立者である私自身が、先頭に立って、学園生の道を開きゆかんと、世界の大学や学術機関でも講演を行ってきました。45年前の4月、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校を第1回として32回を数えます。
20世紀最高峰の大歴史学者トインビー博士をはじめ、世界の知性とも人類の平和への対話を貫いてきました。発刊した対談集は約80点となります。
「人間革命」と「地球革命」をテーマに語り合い、一緒に対談集を出版したのは、世界的な研究機関・ローマクラブの会長を務められたホフライトネル博士です。スペインのリーダーでもあり、六つの言語を駆使する大国際人です。
この博士が、お父さんから学んだ大事な指針を語ってくれたことがあります。
それは「偉大な価値とは、物質的な富ではなく、知恵の獲得である」ということです。学ぶこと自体が何よりの宝であるとの教えを胸に、博士は勇敢に大胆に学び抜き、「創造の力」「革新の力」で世界に貢献してきました。とともに、人々に尽くされた尊きご両親に、真心あふれる親孝行を果たされたのです。
わが学園には、世界に開かれた最高の教育環境が整い、創価教育の精神を体現して全力で皆さんを育まれる先生方、職員の方々がそろっております。
どうか、この学びの園で、思い切り学び、限りない英知の大桜と伸びていってください。そして麗しい「親孝行桜」を咲き薫らせていただきたいのであります。
◇1ミリでも前へと諦めずに挑戦を
一、第二に申し上げたいのは、「快活に! 挑み光る努力桜たれ!」ということです。
先日、「現代のナイチンゲール」ともたたえられるイギリスの看護師のバーチンガー博士が創価大学で講演を行い、皆さんの先輩たちと有意義に交流されました。
紛争や飢餓で苦しむ人々や子どもたちを救うため、アフリカや中東など世界で、医療活動に奔走してきた偉大な女性です。
博士は、若き日々、読み書きが困難な学習障がいで苦しみました。しかし、いつもお母さんが「山を眺めているのではなく、山を登ろう」と背中を押してくれました。
そして、何としても夢を叶えようと、常に10倍の努力を心掛けて、目の前の課題の山を一つ一つ勝ち越えてきたのです。
学園の草創期、私は勉学で悪戦苦闘している友に、「卑屈になってはいけない。今度こそ、今度こそと、挑戦していくんだよ」と励ましたことがあります。今、立派な大学者・大教育者となって、多くの若人を育成されています。
思うようにいかない時も、「1ミリでも、2ミリでも前進を」と決めて、諦めずに努力を続けた人が最後は勝つ。「努力桜」こそ「勝利桜」なのです。
◇希望にあふれて良き友と一緒に
一、第三に、「聡明に! 喜び広げる友情桜たれ!」と申し上げたい。
私はハーバード大学での講演の折、関西創価学園で申し上げた「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」との信条を紹介しました。
このハーバード大学での有名な研究の中に、「幸せな気持ちは人から人へ伝わる」という洞察があります。つまり、一人が幸福を感じていれば、その友人も、さらに友人の友人も、幸福感が高まるというのです。
現実社会の真っただ中で、民衆に幸福を広げていける人格を薫陶するのが、創価の人間教育です。その根本の力は、良き友情を結ぶことです。
残念ながら、今の時代は、人を不幸に陥れる悪い縁が渦巻いています。皆さんは聡明に鋭く善と悪を見極め、常に明るい希望の太陽の方向へ良き友と進んでいってください。
そうして咲かせる「友情桜」が、やがて世界を照らす「平和桜」と広がります。
最後に、晴れの門出に一首を贈ります。
咲き光れ
勇気と希望の
学園桜
縁の友と
世界へ 未来へ
2019年4月11日木曜日
2019.04.11 わが友に贈る
「誰かがやるだろう」では
真の力は発揮できない。
「私が戦う!」との
一人立つ覚悟の信心が
無限の智慧を引き出す!
御義口伝巻下 P787
『自身の仏乗を悟つて自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり』
【通解】
自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは自身の宮殿に入っていくのである。
〈寸鉄〉 2019年4月11日
「今に至るまで軍やむ事なし」御書。さあ正義の連続闘争へ。溌剌と前進
東京・世田谷が猛攻勢。勇気の拡大で押し捲れ!山の手に民衆勝利の旗を
ヤング・ミセスの日。家庭・地域で奮闘。幸の連帯築く先頭走者に福徳あれ
塩分過多など悪い食習慣が死亡原因の2割—研究バランス整え健康第一で
多様なニーズ捉える地方議員こそ公明党の底力—教授。存在感示す時は今
☆創価大学・女子短期大学入学式への池田先生のメッセージ 2019年4月3日
◇新時代の創造的世界市民と育て 向学と挑戦の青春を
一、武蔵野の天地に、新しい春が来ました。厳しい冬を越え、花は咲き、鳥も歌い、新入生の皆さんを歓迎しております。
何よりも、皆さん一人一人こそが、躍動する希望の春の生命そのものなのであります。
創価大学は49期生の皆さん、創価女子短期大学は35期生の皆さん、また大学院生の皆さん、さらに通信教育部の皆さん、そして留学生の皆さん、誉れの入学、誠におめでとう! 私の創立した大学に、よくぞ来てくれました。
送り出してくださったご家族の方々にも、心よりお祝いと御礼を申し上げます。
今日は、地元・八王子の方々からも深く愛されている、我らのキャンパスの桜並木を一緒に散策しながら語り合う思いで、簡潔に三つの指針を送ります。
一、第一に、「地球民族の和楽のスクラムを広げよ!」と申し上げたい。
思えば、わが創大の起工式を行ったのは、50年前の今日この日でありました。
4月2日は、創価教育の源流である私の師匠・戸田城聖先生の祥月命日であります。
起工式の折、私は、植樹してまもない桜など、1万6000本の苗木を見晴らしつつ、やがて桜梅桃李の花また花に彩られゆく未来のキャンパスに思いをはせました。
とともに、戦後いち早く、わが恩師が提唱した「地球民族主義」という遠大な平和のビジョンを実現する大学へと発展させゆくことを、強く心に期したのであります。
半世紀を経て、今、その通りになりました。スーパーグローバル大学として、世界との学術・教育交流も、60カ国・地域、200大学を超えております。
皆さんには、かけがえのない自分自身を、第一級の力ある世界市民に錬磨し、使命の大空へ堂々と飛翔しゆく最高の環境とチャンスが、広々と開かれています。
創大・短大の先生方、また職員の方々も一段とフレッシュな息吹で、皆さんを迎えてくれております。
不思議な縁で集い合った世界の良き学友たちと互いに励まし切磋琢磨しながら、人類の平和と共生の縮図ともいうべき「地球民族の和楽のスクラム」を、仲良く朗らかに築き、広げていっていただきたいのであります。
◇自らの努力で
一、第二に申し上げたいのは、「新時代を開く学びの新風を起こせ!」ということです。
新しい時代は新しい英知から生まれる。そして、新しい英知をたゆみなく生み出すのが大学であり、その英知の新風を起こすのが、新入生の皆さんなのです。
私の敬愛してやまない「現代化学の父」ポーリング博士も、大学の新1年生と共に学ぶことを、ことの外大切にされ、喜びとされていました。
皆さんは今、胸に抱いているみずみずしい向学と探究、挑戦と独創の初心を、誇りとし、宝として、一日一日、いよいよ輝かせゆく学びの青春であってください。
学ぶことこそ、青春の権利であり、人間の誉れなのであります。学ぶ生命には、断じて行き詰まりはありません。
私が共に対談集を発刊した中国を代表する文豪・王蒙元文化相が語っていた至言が思い起こされます。すなわち「我、学ぶゆえに我あり」と言われるのであります。
さらに王蒙先生は、青年たちへの期待と信頼を込めて、「学習は頭脳と魂に光と未来を与えてくれます」と語られました。
とりわけ若き日、ご自身が異郷の地での逆境に負けず、学ぶ喜びを見いだし、語学を習得された体験を踏まえて、エールを送ってくださっております。
「人生を生き抜くには、開かれた心を持つことです。異なる文化に対する関心を持つことです」「異なる言語を学ぶなかで、世界を感じ、生命を感じ、愛と信仰を、人間の力を、大自然の力を感じることです」と。
ともあれ「新時代」とは、受け身で待つものでもなければ、流されるものでもない。
若人こそが先駆して、自らの学びの努力で切り開いていくものでありましょう。
「我らが学んだ分だけ、時代は進み、社会は勝ち栄える」との気概をもって、この平和のフォートレスから自在闊達なる知性の新風を巻き起こしてください。
◇民衆を照らせ
一、第三に、「創造的生命の旭日を昇らせよ!」と申し上げたい。
私の忘れ得ぬ友に、アカデミー・フランセーズ会員で、世界的な美術史家ルネ・ユイグ先生がいます。
ルーブル美術館の人類の至宝をナチスの魔手から守り抜いた文化の闘士であり、東京富士美術館を最大に応援してくださった大恩人です。
ユイグ先生の信条は「生命は創造が目的」(西野嘉章・寺田光徳訳『かたちと力』、潮出版社刊)ということです。
だからこそ、私たちの「創価」つまり「価値創造」の哲学に限りない共鳴を寄せられていたのです。
先生の盟友であるリディ・ユイグ夫人も、"一人一人が、まだ知らない自分自身の生命の内なる力と可能性を信じて開拓する。その時に、闇のように見える現実から暁に近づくことができる"と明晰に論じておられました。
短大は明年の開学35周年、創大は明後年の開学50周年を目指して、いやまして「創造的世界市民」の育成に力を注いでおります。
この学城で、思う存分、自らの創造的生命の旭日を決然と昇らせていってください。そして、大恩ある父母を包み、尊き民衆を照らし、さらには、いまだ混迷の闇深き世界を赫々と晴らして、人間主義の凱歌の暁を告げていただきたいのであります。
結びに、わが命たる皆さんの健康と無事故、大成長を祈り、和歌を送ります。
青春の
旭日昇れ
限りなく
勝利の暁
勇気の光で
今日は、本当におめでとう!
これから一緒に栄光の歴史を創りゆこう!(大拍手)
真の力は発揮できない。
「私が戦う!」との
一人立つ覚悟の信心が
無限の智慧を引き出す!
御義口伝巻下 P787
『自身の仏乗を悟つて自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり』
【通解】
自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは自身の宮殿に入っていくのである。
〈寸鉄〉 2019年4月11日
「今に至るまで軍やむ事なし」御書。さあ正義の連続闘争へ。溌剌と前進
東京・世田谷が猛攻勢。勇気の拡大で押し捲れ!山の手に民衆勝利の旗を
ヤング・ミセスの日。家庭・地域で奮闘。幸の連帯築く先頭走者に福徳あれ
塩分過多など悪い食習慣が死亡原因の2割—研究バランス整え健康第一で
多様なニーズ捉える地方議員こそ公明党の底力—教授。存在感示す時は今
☆創価大学・女子短期大学入学式への池田先生のメッセージ 2019年4月3日
◇新時代の創造的世界市民と育て 向学と挑戦の青春を
一、武蔵野の天地に、新しい春が来ました。厳しい冬を越え、花は咲き、鳥も歌い、新入生の皆さんを歓迎しております。
何よりも、皆さん一人一人こそが、躍動する希望の春の生命そのものなのであります。
創価大学は49期生の皆さん、創価女子短期大学は35期生の皆さん、また大学院生の皆さん、さらに通信教育部の皆さん、そして留学生の皆さん、誉れの入学、誠におめでとう! 私の創立した大学に、よくぞ来てくれました。
送り出してくださったご家族の方々にも、心よりお祝いと御礼を申し上げます。
今日は、地元・八王子の方々からも深く愛されている、我らのキャンパスの桜並木を一緒に散策しながら語り合う思いで、簡潔に三つの指針を送ります。
一、第一に、「地球民族の和楽のスクラムを広げよ!」と申し上げたい。
思えば、わが創大の起工式を行ったのは、50年前の今日この日でありました。
4月2日は、創価教育の源流である私の師匠・戸田城聖先生の祥月命日であります。
起工式の折、私は、植樹してまもない桜など、1万6000本の苗木を見晴らしつつ、やがて桜梅桃李の花また花に彩られゆく未来のキャンパスに思いをはせました。
とともに、戦後いち早く、わが恩師が提唱した「地球民族主義」という遠大な平和のビジョンを実現する大学へと発展させゆくことを、強く心に期したのであります。
半世紀を経て、今、その通りになりました。スーパーグローバル大学として、世界との学術・教育交流も、60カ国・地域、200大学を超えております。
皆さんには、かけがえのない自分自身を、第一級の力ある世界市民に錬磨し、使命の大空へ堂々と飛翔しゆく最高の環境とチャンスが、広々と開かれています。
創大・短大の先生方、また職員の方々も一段とフレッシュな息吹で、皆さんを迎えてくれております。
不思議な縁で集い合った世界の良き学友たちと互いに励まし切磋琢磨しながら、人類の平和と共生の縮図ともいうべき「地球民族の和楽のスクラム」を、仲良く朗らかに築き、広げていっていただきたいのであります。
◇自らの努力で
一、第二に申し上げたいのは、「新時代を開く学びの新風を起こせ!」ということです。
新しい時代は新しい英知から生まれる。そして、新しい英知をたゆみなく生み出すのが大学であり、その英知の新風を起こすのが、新入生の皆さんなのです。
私の敬愛してやまない「現代化学の父」ポーリング博士も、大学の新1年生と共に学ぶことを、ことの外大切にされ、喜びとされていました。
皆さんは今、胸に抱いているみずみずしい向学と探究、挑戦と独創の初心を、誇りとし、宝として、一日一日、いよいよ輝かせゆく学びの青春であってください。
学ぶことこそ、青春の権利であり、人間の誉れなのであります。学ぶ生命には、断じて行き詰まりはありません。
私が共に対談集を発刊した中国を代表する文豪・王蒙元文化相が語っていた至言が思い起こされます。すなわち「我、学ぶゆえに我あり」と言われるのであります。
さらに王蒙先生は、青年たちへの期待と信頼を込めて、「学習は頭脳と魂に光と未来を与えてくれます」と語られました。
とりわけ若き日、ご自身が異郷の地での逆境に負けず、学ぶ喜びを見いだし、語学を習得された体験を踏まえて、エールを送ってくださっております。
「人生を生き抜くには、開かれた心を持つことです。異なる文化に対する関心を持つことです」「異なる言語を学ぶなかで、世界を感じ、生命を感じ、愛と信仰を、人間の力を、大自然の力を感じることです」と。
ともあれ「新時代」とは、受け身で待つものでもなければ、流されるものでもない。
若人こそが先駆して、自らの学びの努力で切り開いていくものでありましょう。
「我らが学んだ分だけ、時代は進み、社会は勝ち栄える」との気概をもって、この平和のフォートレスから自在闊達なる知性の新風を巻き起こしてください。
◇民衆を照らせ
一、第三に、「創造的生命の旭日を昇らせよ!」と申し上げたい。
私の忘れ得ぬ友に、アカデミー・フランセーズ会員で、世界的な美術史家ルネ・ユイグ先生がいます。
ルーブル美術館の人類の至宝をナチスの魔手から守り抜いた文化の闘士であり、東京富士美術館を最大に応援してくださった大恩人です。
ユイグ先生の信条は「生命は創造が目的」(西野嘉章・寺田光徳訳『かたちと力』、潮出版社刊)ということです。
だからこそ、私たちの「創価」つまり「価値創造」の哲学に限りない共鳴を寄せられていたのです。
先生の盟友であるリディ・ユイグ夫人も、"一人一人が、まだ知らない自分自身の生命の内なる力と可能性を信じて開拓する。その時に、闇のように見える現実から暁に近づくことができる"と明晰に論じておられました。
短大は明年の開学35周年、創大は明後年の開学50周年を目指して、いやまして「創造的世界市民」の育成に力を注いでおります。
この学城で、思う存分、自らの創造的生命の旭日を決然と昇らせていってください。そして、大恩ある父母を包み、尊き民衆を照らし、さらには、いまだ混迷の闇深き世界を赫々と晴らして、人間主義の凱歌の暁を告げていただきたいのであります。
結びに、わが命たる皆さんの健康と無事故、大成長を祈り、和歌を送ります。
青春の
旭日昇れ
限りなく
勝利の暁
勇気の光で
今日は、本当におめでとう!
これから一緒に栄光の歴史を創りゆこう!(大拍手)
2019年4月10日水曜日
2019.04.10 わが友に贈る
朝に勝つことが
一日の勝利の原動力だ!
朗々たる勤行・唱題で
強き生命力を湧かせ
地域で職場で輝こう!
日興遺誡置文 P1617
『那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云』
【通解】
信徒の神社、仏閣への参詣を禁ずべきである。まして、僧侶の身でありながら、見物してみようといって、謗法を犯して悪鬼が乱入している寺や神社に行ってよいはずがない。そのような僧侶がいることは、返す返すも残念なことである。これは、私が勝手に言っているのでは決してない。経文や御書などに説かれている通りに誡めているのである。
〈寸鉄〉 2019年4月10日
人を救い世を救ってこそ宗教—先師。我らの戦いは全て立正安国の為なり
東京・大田の友が総立ち。先手必勝で勝ち上がれ!源流の地に凱歌轟かせよ
奈良婦人部の日。万葉の都に輝く民衆城。母の祈りで地域に福徳の花満開
「婦人を尊敬せよ」詩人。民衆のスクラム広げゆく気高き創価女性に最敬礼
風疹が依然流行。手洗い・マスク着用など対策を。妊娠中の女性は特に注意
☆新時代を築く 師弟の勝利桜よ咲き誇れ 2019年4月2日
わが師・戸田城聖先生の祥月命日である4月2日が桜花とともに巡り来た。
北陸と北海道——冬の厳しい北国を故郷とする恩師は、爛漫の春を告げる桜をことのほか愛されていた。
「大作、厳寒の冬を耐えて、また桜が咲いたな」
師の声を胸に、折々に総本部の周辺を車で回りながら、全国各地で広布に走る宝友たちに届けと、題目を送る日々である。
皇居のお堀端に近い国立劇場の桜も見事であった(3月27日)。
「ここで学園生が琴を奏でてきましたね」と妻が微笑んだ。東京・創価高校と関西創価高校の箏曲部が優秀校として、この20年来、毎夏のように公演を重ねているのである。
お堀端といえば、先生の事業が最悪の苦境にあった春の日、一緒に歩いたことが蘇る。急に冷たい雨が激しく降りだしたが、傘もなく、タクシーも来ない。当時のGHQ(連合国軍総司令部)のビルが高くそびえ立っていた。
私は先生に申し上げた。
「必ず、将来、先生に乗っていただく車も買います。広宣流布のための立派なビルも建てます。どうか、ご安心ください」
今、いずこにも、創価の"桜の城"が輝いている。
恩師が霊山へ旅立たれた翌日の本部幹部会で、私は青年部代表として訴えた。
"師恩に報いる道は、ただ一つ。師匠が命を懸けて戦われた広宣流布に邁進する以外にない"
この報恩の道こそ、地涌の若人が無限に続く創価桜の道であり、令法久住という平和の大道なのである。
* * *
災害や争いが絶えず、不幸が渦巻く濁世にあって、日蓮大聖人は、留難の新潟・佐渡で宣言なされた。
「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)
この御本仏の大誓願に連なる創価の師弟は、「平和の柱」「青年の眼目」「世界市民の大船」として、いやまして民衆の幸福と安穏のために戦い勝っていくのだ。
「人生は強気でいけ!」「追撃の手をゆるめるな!」との恩師の厳たる師子吼のままに。
* * *
師に捧げた小説『人間革命』全12巻が完結した折、私は聖教新聞本社の前庭に「師弟桜」を植樹した。四半世紀を経て、仰ぎ見る大樹と育った。
そして『新・人間革命』全30巻を完結させて迎えた最初の春。あの地でもこの地でも、わが愛弟子たちが、師弟の勝利桜を咲かせゆく晴れ姿を、恩師は笑顔で見守られているに違いない。
一日の勝利の原動力だ!
朗々たる勤行・唱題で
強き生命力を湧かせ
地域で職場で輝こう!
日興遺誡置文 P1617
『那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云』
【通解】
信徒の神社、仏閣への参詣を禁ずべきである。まして、僧侶の身でありながら、見物してみようといって、謗法を犯して悪鬼が乱入している寺や神社に行ってよいはずがない。そのような僧侶がいることは、返す返すも残念なことである。これは、私が勝手に言っているのでは決してない。経文や御書などに説かれている通りに誡めているのである。
〈寸鉄〉 2019年4月10日
人を救い世を救ってこそ宗教—先師。我らの戦いは全て立正安国の為なり
東京・大田の友が総立ち。先手必勝で勝ち上がれ!源流の地に凱歌轟かせよ
奈良婦人部の日。万葉の都に輝く民衆城。母の祈りで地域に福徳の花満開
「婦人を尊敬せよ」詩人。民衆のスクラム広げゆく気高き創価女性に最敬礼
風疹が依然流行。手洗い・マスク着用など対策を。妊娠中の女性は特に注意
☆新時代を築く 師弟の勝利桜よ咲き誇れ 2019年4月2日
わが師・戸田城聖先生の祥月命日である4月2日が桜花とともに巡り来た。
北陸と北海道——冬の厳しい北国を故郷とする恩師は、爛漫の春を告げる桜をことのほか愛されていた。
「大作、厳寒の冬を耐えて、また桜が咲いたな」
師の声を胸に、折々に総本部の周辺を車で回りながら、全国各地で広布に走る宝友たちに届けと、題目を送る日々である。
皇居のお堀端に近い国立劇場の桜も見事であった(3月27日)。
「ここで学園生が琴を奏でてきましたね」と妻が微笑んだ。東京・創価高校と関西創価高校の箏曲部が優秀校として、この20年来、毎夏のように公演を重ねているのである。
お堀端といえば、先生の事業が最悪の苦境にあった春の日、一緒に歩いたことが蘇る。急に冷たい雨が激しく降りだしたが、傘もなく、タクシーも来ない。当時のGHQ(連合国軍総司令部)のビルが高くそびえ立っていた。
私は先生に申し上げた。
「必ず、将来、先生に乗っていただく車も買います。広宣流布のための立派なビルも建てます。どうか、ご安心ください」
今、いずこにも、創価の"桜の城"が輝いている。
恩師が霊山へ旅立たれた翌日の本部幹部会で、私は青年部代表として訴えた。
"師恩に報いる道は、ただ一つ。師匠が命を懸けて戦われた広宣流布に邁進する以外にない"
この報恩の道こそ、地涌の若人が無限に続く創価桜の道であり、令法久住という平和の大道なのである。
* * *
災害や争いが絶えず、不幸が渦巻く濁世にあって、日蓮大聖人は、留難の新潟・佐渡で宣言なされた。
「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)
この御本仏の大誓願に連なる創価の師弟は、「平和の柱」「青年の眼目」「世界市民の大船」として、いやまして民衆の幸福と安穏のために戦い勝っていくのだ。
「人生は強気でいけ!」「追撃の手をゆるめるな!」との恩師の厳たる師子吼のままに。
* * *
師に捧げた小説『人間革命』全12巻が完結した折、私は聖教新聞本社の前庭に「師弟桜」を植樹した。四半世紀を経て、仰ぎ見る大樹と育った。
そして『新・人間革命』全30巻を完結させて迎えた最初の春。あの地でもこの地でも、わが愛弟子たちが、師弟の勝利桜を咲かせゆく晴れ姿を、恩師は笑顔で見守られているに違いない。
2019年4月9日火曜日
2019.04.09 わが友に贈る
「なをなを信心をはげむ
を・まことの道心者」と。
我らの誓願の旅路は
広布への間断なき戦い。
断じて前へ進みゆこう!
可延定業書 P986
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり』
【通解】
命というものはわが身にとって第一の珍宝である。たとえ一日であっても寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさるのである。
〈寸鉄〉 2019年4月9日
東西創価学園で桜花舞う入学式。君達の舞台は世界!鳳雛よ学び勝ちゆけ
「存外に功徳身にあつまらせ給うべし」御書。献身の汗は全て自身の福徳に
青年が存分に働けるよう応援する人が偉い—恩師真心込め後継を伸ばそう
世界平均寿命は72歳。国の豊かさが格差に顕在。「SDGs」の取組加速を
昨年度、"人手不足"関連の倒産が過去最多と。政治は更なる具体策急げ
☆御書と歩む� 第61回 異体同心が広宣流布の要
『日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』(異体同心事、1463ページ)
◇通解
日蓮の一門は異体同心なので、人数は少なくても大事を成し遂げて、必ず法華経は広まるだろうと思うのである。悪は多くても、一善に勝つことはない。
◇同志への指針
「異体同心」こそ、広宣流布の要の中の要である。
人類が夢見た人間共和の最極の連帯を、我らは築いているのだ。いかなる魔性も、創価の「一善」の前進を阻むことは断じてできない。
人数ではない。師弟誓願の祈りで異体を同心とし、金剛不壊の団結で突き進むのだ。どんな逆境もはね返し、民衆の正義の凱歌を轟かせようではないか!
☆4月度座談会拝読御書 日眼女造立釈迦仏供養事
◇広宣流布の誓願に立つ 全宇宙を揺さぶる祈りを!
◇拝読御文
『譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき』御書全集 1187ページ6行目〜8行目
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、身延の地から、鎌倉の門下である四条金吾の妻・日眼女に送られたお手紙です。
弘安2年(1279年)、もしくは弘安3年の御執筆と考えられています。
この年、日眼女は37歳の厄年に当たっていました。当時、厄年は「厄」、つまり災難に遭うおそれがあるとして、用心する風習がありました。
本抄は、日眼女が厄年に際し、御供養を行ったことに対する返礼のお手紙です。
冒頭、大聖人は、"御守り御本尊を書いて差し上げましょう"と、厄年の用心といっても、根本は強き信心に立つことであることを示され、励まされています。
続いて、三世十方の諸仏・菩薩・諸天善神等は、その本来の境地は、教主釈尊という仏であり、この根本の仏を動かせば、万物を揺り動かしていけることを教えられています。
さらに、信心の発露である御供養の真心によって、諸天善神から必ず守護され、成仏は間違いないとの御確信を述べられます。
最後に、念仏者がはびこる世の中で、女人成仏を明かした妙法を持つ女性は、女性の中の第一の存在であると励まされています。
◇「教主釈尊」を動かす
本抄で大聖人は、"教主釈尊を動かせば、揺るがない草木があるだろうか、騒がない水があるだろうか"と、妙法の祈りの偉大さを教えられています。
拝読御文の前段で、法華経の文を踏まえ、全宇宙の仏・菩薩、諸天善神は全て、教主釈尊という仏から現れ出たものであると述べられています。
だからこそ教主釈尊という根本を動かすことで、森羅万象の一切を揺り動かしていくことができると仰せです。
ここでの教主釈尊とは、宇宙と生命を貫く根源の一法である、南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。
大聖人は、仏の生命である南無妙法蓮華経を、末法の衆生のために御本尊として顕してくださいました。
故に、私たちにとって"教主釈尊を動かす"実践とは、御本尊を信受して真剣に祈ることです。
大聖人は他の御書で、「あへて臆病にては叶うべからず候」(御書1193ページ)、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」(同1262ページ)と、臆病な祈り、弱気な祈りでは何も叶わないことを、繰り返し強調されています。
大事なことは、大宇宙をも"揺さぶる"ような、真剣で強盛な祈りです。
そのために、まず動かすべきは、自身の心です。言い訳や弱気などを捨て去って、まずは決定した一念で御本尊に向かうことです。ひたぶるな祈りで、仏界の生命を涌現させることです。そして、仏の生命という無敵の勇気を満々とみなぎらせ、変革へと打って出ることです。
祈りが即行動となれば、必ず勝利の突破口が開けるのです。
◇断じて勝つ
日蓮大聖人の仏法は、人間を超越した存在に願いを叶えてもらうような"おすがり信仰"などではありません。
自分自身が、強盛な祈りで、生命の底力を発揮し、大宇宙をも揺り動かしていくのが日蓮仏法です。
運命や宿命といったものに、なすすべもなく翻弄され、誰かに救ってもらうのをこいねがうような人生ではなく、自分自身が主人公となって、幸福を勝ち取っていくのが仏法者の生き方です。
現実の世界は、さまざまなことが複雑に絡み合っています。"こうすればこうなる"と、簡単には解決しないことばかりです。
しかし、相互に関連し合っているからこそ、その中の一つが動けば、周りに影響が広がっていきます。たとえ、表面的に変わっていないように見えたとしても、何らかの変化は必ず起こっているのです。
故に、"自分一人が何かしたところで変わるわけがない"と、無力感に陥ったり、悲観的になったり、諦めたりする必要などありません。
大聖人は、「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(御書808ページ)と仰せです。私たちの唱える題目が届かないところはありません。全宇宙に轟き、森羅万象を動かしていくことができるのです。
故に、祈り通す、祈り切ることが大切なのです。
"こうなればいいな"といった弱々しい願いではなく、"断じて勝つ"と、強盛に祈っていくことです。
小さな自分の殻に閉じこもった祈りでは、教主釈尊を揺り動かすことなど叶いません。
広宣流布の誓願に立つことで、世界を、未来を、大きく変えていくことができるのです。
◇女性が輝く
大聖人は、女性門下を大切にされました。四条金吾の夫人である日眼女もその一人です。夫の信仰を陰ながら支えていることを、最大にたたえられています。
本抄では、厄年を迎え、不安を抱えていた日眼女に、妙法を持ったのだから、必ず諸天善神に守られ、成仏は疑いないと、大確信の励ましを送っています。
本抄の後半で「抑女人は一代五千・七千余巻の経経に仏にならずと・きらはれまします、但法華経ばかりに女人・仏になると説かれて候」(御書1188ページ)と仰せです。
法華経以外の諸経では、女性は成仏できないとされていました。ただ、法華経だけに、女人成仏が明かされています。妙法を持つ女性は、成仏が約束されているのです。
さらに大聖人は、日眼女に、「女人の中の第一なりとおぼしめすべし」(同ページ)とも仰せです。
日本国中で念仏が信仰されている中で、この仏法に巡り合い、広宣流布に邁進できることが、どれほど福運があり、喜ばしいことであるのかを教えられていると拝せます。妙法を持ち、学会と共に、師匠と共に、広布に歩むことができる人は、必ず所願満足の人生と輝いていきます。
いかなる状況、境遇にあっても、希望を見つけられる人は幸せです。一方で、不平、不満ばかり抱く人は不幸です。
どうせ生きるなら、明るく、楽しく、人生を謳歌していくことです。そのための究極の希望となるのが、妙法なのです。故に、信心に励む女性は輝いていくことができるのです。
★池田先生の指針から 決定した一念で前進!
大聖人から「日蓮よりも強盛の御志どもあり」(御書1126ページ)と讃えられた日眼女への御聖訓を拝したい。
「頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同1187ページ)
経済苦や病気、介護、家庭の問題……現実には幾つも悩みがあろう。
だが、一念を定め、題目根本に課題に挑む時、苦しみも悲しみも越え、必ず充実と歓喜の人生が開ける。
思ってもみなかった大福徳に包まれる。
これが「変毒為薬」の妙法であり、日蓮仏法の真髄である。
広布の前進を守る幾多の諸天善神は、我らの決定した一念で呼び起こしていくものなのだ。(2018年5月10日付本紙、「随筆 永遠なれ創価の大城」〈五月の空に栄光の虹〉)
◇ ◆ ◇
特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の「本国土」とはならないのだ。
一番足元の近隣・地域の人びとを眷属と慈しみ、妙法の光で楽土へ照らしていくことが、立正安国の大道なのである。(2019年2月4日付本紙、「随筆 『人間革命』光あれ」〈新時代の黎明〉)
◇ ◆ ◇
一念の力は計り知れない。その究極が不屈の勇気の信心である。決然たる妙法の音声は全宇宙に轟き渡り、一切を諸天の働きへと変えていく。
壁にぶつかった時こそ題目だ。思うようにいかない時こそ、もう一歩、執念を燃やして祈り抜き、祈り切るのだ。
その勇猛精進の唱題から、逆境をはね返す「智慧」が生まれ、新たな勝利への大回転が始まる。(2018年10月4日付本紙、「御書と歩む�——池田先生が贈る指針」)
を・まことの道心者」と。
我らの誓願の旅路は
広布への間断なき戦い。
断じて前へ進みゆこう!
可延定業書 P986
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり』
【通解】
命というものはわが身にとって第一の珍宝である。たとえ一日であっても寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさるのである。
〈寸鉄〉 2019年4月9日
東西創価学園で桜花舞う入学式。君達の舞台は世界!鳳雛よ学び勝ちゆけ
「存外に功徳身にあつまらせ給うべし」御書。献身の汗は全て自身の福徳に
青年が存分に働けるよう応援する人が偉い—恩師真心込め後継を伸ばそう
世界平均寿命は72歳。国の豊かさが格差に顕在。「SDGs」の取組加速を
昨年度、"人手不足"関連の倒産が過去最多と。政治は更なる具体策急げ
☆御書と歩む� 第61回 異体同心が広宣流布の要
『日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』(異体同心事、1463ページ)
◇通解
日蓮の一門は異体同心なので、人数は少なくても大事を成し遂げて、必ず法華経は広まるだろうと思うのである。悪は多くても、一善に勝つことはない。
◇同志への指針
「異体同心」こそ、広宣流布の要の中の要である。
人類が夢見た人間共和の最極の連帯を、我らは築いているのだ。いかなる魔性も、創価の「一善」の前進を阻むことは断じてできない。
人数ではない。師弟誓願の祈りで異体を同心とし、金剛不壊の団結で突き進むのだ。どんな逆境もはね返し、民衆の正義の凱歌を轟かせようではないか!
☆4月度座談会拝読御書 日眼女造立釈迦仏供養事
◇広宣流布の誓願に立つ 全宇宙を揺さぶる祈りを!
◇拝読御文
『譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき』御書全集 1187ページ6行目〜8行目
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、身延の地から、鎌倉の門下である四条金吾の妻・日眼女に送られたお手紙です。
弘安2年(1279年)、もしくは弘安3年の御執筆と考えられています。
この年、日眼女は37歳の厄年に当たっていました。当時、厄年は「厄」、つまり災難に遭うおそれがあるとして、用心する風習がありました。
本抄は、日眼女が厄年に際し、御供養を行ったことに対する返礼のお手紙です。
冒頭、大聖人は、"御守り御本尊を書いて差し上げましょう"と、厄年の用心といっても、根本は強き信心に立つことであることを示され、励まされています。
続いて、三世十方の諸仏・菩薩・諸天善神等は、その本来の境地は、教主釈尊という仏であり、この根本の仏を動かせば、万物を揺り動かしていけることを教えられています。
さらに、信心の発露である御供養の真心によって、諸天善神から必ず守護され、成仏は間違いないとの御確信を述べられます。
最後に、念仏者がはびこる世の中で、女人成仏を明かした妙法を持つ女性は、女性の中の第一の存在であると励まされています。
◇「教主釈尊」を動かす
本抄で大聖人は、"教主釈尊を動かせば、揺るがない草木があるだろうか、騒がない水があるだろうか"と、妙法の祈りの偉大さを教えられています。
拝読御文の前段で、法華経の文を踏まえ、全宇宙の仏・菩薩、諸天善神は全て、教主釈尊という仏から現れ出たものであると述べられています。
だからこそ教主釈尊という根本を動かすことで、森羅万象の一切を揺り動かしていくことができると仰せです。
ここでの教主釈尊とは、宇宙と生命を貫く根源の一法である、南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。
大聖人は、仏の生命である南無妙法蓮華経を、末法の衆生のために御本尊として顕してくださいました。
故に、私たちにとって"教主釈尊を動かす"実践とは、御本尊を信受して真剣に祈ることです。
大聖人は他の御書で、「あへて臆病にては叶うべからず候」(御書1193ページ)、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」(同1262ページ)と、臆病な祈り、弱気な祈りでは何も叶わないことを、繰り返し強調されています。
大事なことは、大宇宙をも"揺さぶる"ような、真剣で強盛な祈りです。
そのために、まず動かすべきは、自身の心です。言い訳や弱気などを捨て去って、まずは決定した一念で御本尊に向かうことです。ひたぶるな祈りで、仏界の生命を涌現させることです。そして、仏の生命という無敵の勇気を満々とみなぎらせ、変革へと打って出ることです。
祈りが即行動となれば、必ず勝利の突破口が開けるのです。
◇断じて勝つ
日蓮大聖人の仏法は、人間を超越した存在に願いを叶えてもらうような"おすがり信仰"などではありません。
自分自身が、強盛な祈りで、生命の底力を発揮し、大宇宙をも揺り動かしていくのが日蓮仏法です。
運命や宿命といったものに、なすすべもなく翻弄され、誰かに救ってもらうのをこいねがうような人生ではなく、自分自身が主人公となって、幸福を勝ち取っていくのが仏法者の生き方です。
現実の世界は、さまざまなことが複雑に絡み合っています。"こうすればこうなる"と、簡単には解決しないことばかりです。
しかし、相互に関連し合っているからこそ、その中の一つが動けば、周りに影響が広がっていきます。たとえ、表面的に変わっていないように見えたとしても、何らかの変化は必ず起こっているのです。
故に、"自分一人が何かしたところで変わるわけがない"と、無力感に陥ったり、悲観的になったり、諦めたりする必要などありません。
大聖人は、「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(御書808ページ)と仰せです。私たちの唱える題目が届かないところはありません。全宇宙に轟き、森羅万象を動かしていくことができるのです。
故に、祈り通す、祈り切ることが大切なのです。
"こうなればいいな"といった弱々しい願いではなく、"断じて勝つ"と、強盛に祈っていくことです。
小さな自分の殻に閉じこもった祈りでは、教主釈尊を揺り動かすことなど叶いません。
広宣流布の誓願に立つことで、世界を、未来を、大きく変えていくことができるのです。
◇女性が輝く
大聖人は、女性門下を大切にされました。四条金吾の夫人である日眼女もその一人です。夫の信仰を陰ながら支えていることを、最大にたたえられています。
本抄では、厄年を迎え、不安を抱えていた日眼女に、妙法を持ったのだから、必ず諸天善神に守られ、成仏は疑いないと、大確信の励ましを送っています。
本抄の後半で「抑女人は一代五千・七千余巻の経経に仏にならずと・きらはれまします、但法華経ばかりに女人・仏になると説かれて候」(御書1188ページ)と仰せです。
法華経以外の諸経では、女性は成仏できないとされていました。ただ、法華経だけに、女人成仏が明かされています。妙法を持つ女性は、成仏が約束されているのです。
さらに大聖人は、日眼女に、「女人の中の第一なりとおぼしめすべし」(同ページ)とも仰せです。
日本国中で念仏が信仰されている中で、この仏法に巡り合い、広宣流布に邁進できることが、どれほど福運があり、喜ばしいことであるのかを教えられていると拝せます。妙法を持ち、学会と共に、師匠と共に、広布に歩むことができる人は、必ず所願満足の人生と輝いていきます。
いかなる状況、境遇にあっても、希望を見つけられる人は幸せです。一方で、不平、不満ばかり抱く人は不幸です。
どうせ生きるなら、明るく、楽しく、人生を謳歌していくことです。そのための究極の希望となるのが、妙法なのです。故に、信心に励む女性は輝いていくことができるのです。
★池田先生の指針から 決定した一念で前進!
大聖人から「日蓮よりも強盛の御志どもあり」(御書1126ページ)と讃えられた日眼女への御聖訓を拝したい。
「頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同1187ページ)
経済苦や病気、介護、家庭の問題……現実には幾つも悩みがあろう。
だが、一念を定め、題目根本に課題に挑む時、苦しみも悲しみも越え、必ず充実と歓喜の人生が開ける。
思ってもみなかった大福徳に包まれる。
これが「変毒為薬」の妙法であり、日蓮仏法の真髄である。
広布の前進を守る幾多の諸天善神は、我らの決定した一念で呼び起こしていくものなのだ。(2018年5月10日付本紙、「随筆 永遠なれ創価の大城」〈五月の空に栄光の虹〉)
◇ ◆ ◇
特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の「本国土」とはならないのだ。
一番足元の近隣・地域の人びとを眷属と慈しみ、妙法の光で楽土へ照らしていくことが、立正安国の大道なのである。(2019年2月4日付本紙、「随筆 『人間革命』光あれ」〈新時代の黎明〉)
◇ ◆ ◇
一念の力は計り知れない。その究極が不屈の勇気の信心である。決然たる妙法の音声は全宇宙に轟き渡り、一切を諸天の働きへと変えていく。
壁にぶつかった時こそ題目だ。思うようにいかない時こそ、もう一歩、執念を燃やして祈り抜き、祈り切るのだ。
その勇猛精進の唱題から、逆境をはね返す「智慧」が生まれ、新たな勝利への大回転が始まる。(2018年10月4日付本紙、「御書と歩む�——池田先生が贈る指針」)
2019年4月8日月曜日
2019.04.08 わが友に贈る
◇今週のことば
尊き貴き大奮闘を
御本仏が御賞讃である。
功徳善根は無量なり。
いざ凱歌の五月三日へ
共に励まし団結明るく!
2019年4月8日
曾谷殿御返事 P1056
『但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ』
【通解】
ただ正法に対して素直で、少欲知足である僧こそが真実の僧である。
〈寸鉄〉 2019年4月8日
学会の草の根対話は民衆が主役の時代を築く力—識者。立正安国の道更に
「戦いは、いよいよ、これからだ」戸田先生。次なる栄光の峰へ勢いよく拡大
遅いということはどんな術にとっても敵だ—医聖一流は迅速。御礼・激励も
毎日20分の歩行で睡眠の質は改善と。友のために歩く我らは心身共に爽快
公明議員よ支持者の熱誠忘るな。政治は結果。行動・実績で他党を圧倒せよ
☆虹を懸ける 池田先生とボリビア�=完 2019年3月30日
◇師との出会いから15年 12人の創価の母
◇誓いに生きる人は美しい
2004年5月5日、ボリビア最古の名門サン・フランシスコ・ハビエル・デ・チュキサカ大学から、池田先生に東洋人初となる「名誉博士号」が贈られた。
創価大学で挙行された授与式には、師の栄誉を祝福するため、同国SGIの婦人部員12人も参加した。
式典終了後、先生は12人のもとへ。苦難の峰を越え、広布の道なき道を勝ち開いてきた創価の母一人一人を、抱きかかえるようにして励ました。
「よく来られた。本当によく来られましたね。皆さま方の広宣流布の素晴らしき前進は、いつも、うかがっています。偉大です。崇高です。必ず諸天が守ります。大聖人のおほめは、絶対にまちがいありません。私は栄えある皆さまのお名前を永遠に顕彰して差し上げたいのです」
忘れ得ぬ出会いから15年。師弟の誓いを胸に、同国で広布に励む友の声を紹介する。
◇トキコ・タケノさん(副総合婦人部長)
2000年に夫を亡くし、失意に沈みました。しかし、同志の皆さんに励まされ、夫の分も広布に生きようと決意。弘教拡大に挑みました。それまでも折伏を実践してきましたが、心の底から"自身の弱さを打ち破ろう"と挑戦したのは、この時が初めてでした。
そして迎えた池田先生との出会い。あの日が原点となり、その後の苦難も一つ一つ乗り越えてくることができました。また、あの励ましを思い起こせば、これからも何があろうと絶対に負けないという勇気がふつふつと湧いてきます。
弘教はこれまで52世帯。先生の平和の心を、ボリビアの人々に伝えていくことが自らの使命と定め、"生涯青春"の気概で広布に尽くしていきます。
◆◇◆
マチコ・エジマさん(婦人部支部幹事)
池田先生との出会いを刻んだあの時、"信心一筋で生き抜こう"と誓いました。
4歳の時、島根県からサンファンに移住。9歳で入会しました。約30年、支部の「書籍係」を。毎月1回、サンタクルスまで出て、新しい機関誌や学会書籍をサンファンのメンバーに届けています。
4人の子のうち、3人は日本にいます。よく子どもたちと話します。「本当に学会員でよかったね」と。御本尊を受持できた喜びを胸に、これからも地域広布に走ります。
◆◇◆
リエ・コンドウさん(支部婦人部長)
2000年に夫の母国ボリビアへ移住し、サンファンへ。言葉も分からない中、会合に参加し、必死に学会活動に励みました。
池田先生との感動の出会いからしばらくして、夫が仕事のストレスから心の病に。"必ず深い意味がある"と決め、かつてない唱題に挑みました。薄紙をはぐように症状は回復し、題目が2千万遍に達した頃、医師からも「治りました。よく頑張りましたね」と太鼓判をもらいました。
ボリビアの国立大学で学ぶ息子も、創価班として後継の道を歩んでいます。この15年、苦難の連続でしたが、今は「全てが功徳だ!」と言い切れる境涯になれました。
◆◇◆
キョウコ・オグラ・デ・ディアスさん(婦人部地区幹事)
忘れもしない2004年5月、念願だった池田先生との出会いがかないました。"生涯、先生についていこう。大勢の人に仏法を広め、幸福の種を蒔いていこう"と決めました。
1974年、母と一緒に入会。夫は最初は信心に反対でしたが、今ではSGIの良き理解者に。母の一途な信心が私の模範です。
今、出会いを結んだ一人一人に仏法を紹介するカードを配りながら対話しています。あの日の誓いを永遠に貫きます。
◆◇◆
ヒロコ・ササキさん(総合婦人部長)
時が止まったような瞬間でした。"よく来たね。分かってるよ"との池田先生の声が今も耳朶に響いています。
この半年前、ボリビアの婦人部長に就任。「先生のもとへ行こう!」と呼び掛け、無我夢中で弘教拡大に挑み抜いて迎えたSGI研修会でした。感謝を胸に、今日まで奔走してきました。
常に自らに問い掛けてきたことが二つあります。一つは、"先生がボリビアにおられたらどうされるだろう"ということ。もう一つは、"どうすればメンバーが喜び勇んで学会活動に励み、功徳を受けられるか"という点です。先生の大恩に報いるため、団結固くボリビア広布に走り抜いていきます。
◆◇◆
ミスズ・ナカジマさん(方面婦人部長)
看護師としてボリビアで国際協力事業に従事していましたが、不条理に人が亡くなっていく状況に憤りを覚えていました。その時に現在の夫から、仏法の生命観を聞き、感動。92年に入会しました。
2004年の出会い以来、"自分が広布のためにできることは何か"と考えて積極的に行動するように。仏法対話のために本格的にスペイン語を覚え、現在は主に通訳として働いています。
新しく出会った人たちとの縁を大切にし、弘教を実らせてくることができました。ラパスの素晴らしい同志と共に、希望の連帯を広げていきます。
◆◇◆
ヒロコ・コンドウさん(地区婦人部長)
貧乏のどん底の中、父が苦労に苦労を重ねて育ててくれました。
結婚後、医師からは"お子さんは望めません"と宣告されましたが、学会活動に励む中で、念願の子宝にも恵まれました。
現在は海外からバイクを輸入し、販売する会社を経営。子どもたちも大学を卒業し、広布の人材に成長しています。
信心のおかげで、人生が180度変わりました。今、本当に幸せです! 池田先生の指導を人生の指標とし、後継の青年たちに伝えていきます。
ジャネ・エルゲロさん(婦人部方面幹事)
私は当時、支部婦人部長でした。シングルマザーとして4人の子を育てながら、仕事に学会活動に駆け回っていました。
"もっと題目を!"を合言葉に、懇談・激励や折伏・弘教に挑み抜き、池田先生のもとに集いました。
"一生涯、大切な同志を守り、広布のために生きよう"——あの時の誓いは今も赤々と燃えています!
◆◇◆
ドローレス・ヤマシロさん(婦人部方面幹事)
池田先生はあの時、私たち全員に、じっと視線を注いでくださいました。私も先生と目が合いました。"この先、何があっても、わが使命を果たしていこう"と決意しました。
昨年、夫が亡くなりましたが、使命を果たし切ったのだと実感します。子どもたちは、婦人部の合唱団、音楽隊、鼓笛隊と、創価の庭で育っています。
創価学会の一員で本当によかった! 先生・奥さま、同志への感謝は尽きません。
◆◇◆
ソノミ・タナカさん(婦人部方面幹事)
私の人生は、10年ごとに大きな節目を刻んできました。
1984年、ペルーで初めて池田先生とお会いしました。その10年後、娘が誕生。そして10年後、日本での先生との出会い。さらに2014年には広宣流布大誓堂を初訪問することができました。
04年の先生との出会いの前、子育てに母の病が重なり、自身も心身のバランスを崩してしまいました。
"もう一度、ゼロから信心に取り組もう"と立ち上がった時、先生との出会いが実現したのです。感動とともに帰国。学会活動に奔走する中で、気付けば体調が回復していました。今では自分のこと以上に、周囲の人々の幸せを心から祈れる境涯へと成長することができました。
昨年、2世帯の弘教が実りました。師の心を身に体し、友に尽くし抜いていきます。
◆◇◆
ロサルバ・バスケスさん(白ゆり長)
当時、私の孫が大病を患い、夫もがんで闘病中でした。研修会でボリビアを離れるかどうか迷いましたが、夫が背中を押してくれ、"一家の宿命転換のために行こう"と腹が決まりました。食費を切り詰め、なんとか旅費を工面できました。
創価大学で、私たちを優しく見つめ、励ましてくださった池田先生。"全部分かってくださっている"と、それまでの苦労が全て報われた思いでした。
孫は寿命を1年以上延ばし、霊山へ。夫は病から立ち直り、一家は経済革命を果たしました。8年前、夫は亡くなりましたが、使命の人生を生き抜いたと思います。
昨年、入会20年を迎えました。これからがスタートです。師匠への感謝を胸に、対話拡大に一段と力を入れていきます。
◆◇◆
ソレダ・アンテサーナさん(婦人部方面幹事)
2004年、私は8カ月の幼子を連れて、スクレの町で学会活動に奔走していました。
同志を励まし、対話を広げながら、時には各界の識者のもとを訪ねて、池田先生の偉大さを訴えていったのです。そうした中で、スクレの名門学府から、先生に栄誉が贈られると聞き、喜びがあふれました。
授与式当日の、先生の温かな振る舞いを忘れることはできません。"これが人間主義のリーダーの姿だ"と命に刻みました。
現在、薬品輸入販売の会社を経営しています。今再び、師弟共戦の心で広布にまい進していきます。同志と共に! 先生と共に!
尊き貴き大奮闘を
御本仏が御賞讃である。
功徳善根は無量なり。
いざ凱歌の五月三日へ
共に励まし団結明るく!
2019年4月8日
曾谷殿御返事 P1056
『但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ』
【通解】
ただ正法に対して素直で、少欲知足である僧こそが真実の僧である。
〈寸鉄〉 2019年4月8日
学会の草の根対話は民衆が主役の時代を築く力—識者。立正安国の道更に
「戦いは、いよいよ、これからだ」戸田先生。次なる栄光の峰へ勢いよく拡大
遅いということはどんな術にとっても敵だ—医聖一流は迅速。御礼・激励も
毎日20分の歩行で睡眠の質は改善と。友のために歩く我らは心身共に爽快
公明議員よ支持者の熱誠忘るな。政治は結果。行動・実績で他党を圧倒せよ
☆虹を懸ける 池田先生とボリビア�=完 2019年3月30日
◇師との出会いから15年 12人の創価の母
◇誓いに生きる人は美しい
2004年5月5日、ボリビア最古の名門サン・フランシスコ・ハビエル・デ・チュキサカ大学から、池田先生に東洋人初となる「名誉博士号」が贈られた。
創価大学で挙行された授与式には、師の栄誉を祝福するため、同国SGIの婦人部員12人も参加した。
式典終了後、先生は12人のもとへ。苦難の峰を越え、広布の道なき道を勝ち開いてきた創価の母一人一人を、抱きかかえるようにして励ました。
「よく来られた。本当によく来られましたね。皆さま方の広宣流布の素晴らしき前進は、いつも、うかがっています。偉大です。崇高です。必ず諸天が守ります。大聖人のおほめは、絶対にまちがいありません。私は栄えある皆さまのお名前を永遠に顕彰して差し上げたいのです」
忘れ得ぬ出会いから15年。師弟の誓いを胸に、同国で広布に励む友の声を紹介する。
◇トキコ・タケノさん(副総合婦人部長)
2000年に夫を亡くし、失意に沈みました。しかし、同志の皆さんに励まされ、夫の分も広布に生きようと決意。弘教拡大に挑みました。それまでも折伏を実践してきましたが、心の底から"自身の弱さを打ち破ろう"と挑戦したのは、この時が初めてでした。
そして迎えた池田先生との出会い。あの日が原点となり、その後の苦難も一つ一つ乗り越えてくることができました。また、あの励ましを思い起こせば、これからも何があろうと絶対に負けないという勇気がふつふつと湧いてきます。
弘教はこれまで52世帯。先生の平和の心を、ボリビアの人々に伝えていくことが自らの使命と定め、"生涯青春"の気概で広布に尽くしていきます。
◆◇◆
マチコ・エジマさん(婦人部支部幹事)
池田先生との出会いを刻んだあの時、"信心一筋で生き抜こう"と誓いました。
4歳の時、島根県からサンファンに移住。9歳で入会しました。約30年、支部の「書籍係」を。毎月1回、サンタクルスまで出て、新しい機関誌や学会書籍をサンファンのメンバーに届けています。
4人の子のうち、3人は日本にいます。よく子どもたちと話します。「本当に学会員でよかったね」と。御本尊を受持できた喜びを胸に、これからも地域広布に走ります。
◆◇◆
リエ・コンドウさん(支部婦人部長)
2000年に夫の母国ボリビアへ移住し、サンファンへ。言葉も分からない中、会合に参加し、必死に学会活動に励みました。
池田先生との感動の出会いからしばらくして、夫が仕事のストレスから心の病に。"必ず深い意味がある"と決め、かつてない唱題に挑みました。薄紙をはぐように症状は回復し、題目が2千万遍に達した頃、医師からも「治りました。よく頑張りましたね」と太鼓判をもらいました。
ボリビアの国立大学で学ぶ息子も、創価班として後継の道を歩んでいます。この15年、苦難の連続でしたが、今は「全てが功徳だ!」と言い切れる境涯になれました。
◆◇◆
キョウコ・オグラ・デ・ディアスさん(婦人部地区幹事)
忘れもしない2004年5月、念願だった池田先生との出会いがかないました。"生涯、先生についていこう。大勢の人に仏法を広め、幸福の種を蒔いていこう"と決めました。
1974年、母と一緒に入会。夫は最初は信心に反対でしたが、今ではSGIの良き理解者に。母の一途な信心が私の模範です。
今、出会いを結んだ一人一人に仏法を紹介するカードを配りながら対話しています。あの日の誓いを永遠に貫きます。
◆◇◆
ヒロコ・ササキさん(総合婦人部長)
時が止まったような瞬間でした。"よく来たね。分かってるよ"との池田先生の声が今も耳朶に響いています。
この半年前、ボリビアの婦人部長に就任。「先生のもとへ行こう!」と呼び掛け、無我夢中で弘教拡大に挑み抜いて迎えたSGI研修会でした。感謝を胸に、今日まで奔走してきました。
常に自らに問い掛けてきたことが二つあります。一つは、"先生がボリビアにおられたらどうされるだろう"ということ。もう一つは、"どうすればメンバーが喜び勇んで学会活動に励み、功徳を受けられるか"という点です。先生の大恩に報いるため、団結固くボリビア広布に走り抜いていきます。
◆◇◆
ミスズ・ナカジマさん(方面婦人部長)
看護師としてボリビアで国際協力事業に従事していましたが、不条理に人が亡くなっていく状況に憤りを覚えていました。その時に現在の夫から、仏法の生命観を聞き、感動。92年に入会しました。
2004年の出会い以来、"自分が広布のためにできることは何か"と考えて積極的に行動するように。仏法対話のために本格的にスペイン語を覚え、現在は主に通訳として働いています。
新しく出会った人たちとの縁を大切にし、弘教を実らせてくることができました。ラパスの素晴らしい同志と共に、希望の連帯を広げていきます。
◆◇◆
ヒロコ・コンドウさん(地区婦人部長)
貧乏のどん底の中、父が苦労に苦労を重ねて育ててくれました。
結婚後、医師からは"お子さんは望めません"と宣告されましたが、学会活動に励む中で、念願の子宝にも恵まれました。
現在は海外からバイクを輸入し、販売する会社を経営。子どもたちも大学を卒業し、広布の人材に成長しています。
信心のおかげで、人生が180度変わりました。今、本当に幸せです! 池田先生の指導を人生の指標とし、後継の青年たちに伝えていきます。
ジャネ・エルゲロさん(婦人部方面幹事)
私は当時、支部婦人部長でした。シングルマザーとして4人の子を育てながら、仕事に学会活動に駆け回っていました。
"もっと題目を!"を合言葉に、懇談・激励や折伏・弘教に挑み抜き、池田先生のもとに集いました。
"一生涯、大切な同志を守り、広布のために生きよう"——あの時の誓いは今も赤々と燃えています!
◆◇◆
ドローレス・ヤマシロさん(婦人部方面幹事)
池田先生はあの時、私たち全員に、じっと視線を注いでくださいました。私も先生と目が合いました。"この先、何があっても、わが使命を果たしていこう"と決意しました。
昨年、夫が亡くなりましたが、使命を果たし切ったのだと実感します。子どもたちは、婦人部の合唱団、音楽隊、鼓笛隊と、創価の庭で育っています。
創価学会の一員で本当によかった! 先生・奥さま、同志への感謝は尽きません。
◆◇◆
ソノミ・タナカさん(婦人部方面幹事)
私の人生は、10年ごとに大きな節目を刻んできました。
1984年、ペルーで初めて池田先生とお会いしました。その10年後、娘が誕生。そして10年後、日本での先生との出会い。さらに2014年には広宣流布大誓堂を初訪問することができました。
04年の先生との出会いの前、子育てに母の病が重なり、自身も心身のバランスを崩してしまいました。
"もう一度、ゼロから信心に取り組もう"と立ち上がった時、先生との出会いが実現したのです。感動とともに帰国。学会活動に奔走する中で、気付けば体調が回復していました。今では自分のこと以上に、周囲の人々の幸せを心から祈れる境涯へと成長することができました。
昨年、2世帯の弘教が実りました。師の心を身に体し、友に尽くし抜いていきます。
◆◇◆
ロサルバ・バスケスさん(白ゆり長)
当時、私の孫が大病を患い、夫もがんで闘病中でした。研修会でボリビアを離れるかどうか迷いましたが、夫が背中を押してくれ、"一家の宿命転換のために行こう"と腹が決まりました。食費を切り詰め、なんとか旅費を工面できました。
創価大学で、私たちを優しく見つめ、励ましてくださった池田先生。"全部分かってくださっている"と、それまでの苦労が全て報われた思いでした。
孫は寿命を1年以上延ばし、霊山へ。夫は病から立ち直り、一家は経済革命を果たしました。8年前、夫は亡くなりましたが、使命の人生を生き抜いたと思います。
昨年、入会20年を迎えました。これからがスタートです。師匠への感謝を胸に、対話拡大に一段と力を入れていきます。
◆◇◆
ソレダ・アンテサーナさん(婦人部方面幹事)
2004年、私は8カ月の幼子を連れて、スクレの町で学会活動に奔走していました。
同志を励まし、対話を広げながら、時には各界の識者のもとを訪ねて、池田先生の偉大さを訴えていったのです。そうした中で、スクレの名門学府から、先生に栄誉が贈られると聞き、喜びがあふれました。
授与式当日の、先生の温かな振る舞いを忘れることはできません。"これが人間主義のリーダーの姿だ"と命に刻みました。
現在、薬品輸入販売の会社を経営しています。今再び、師弟共戦の心で広布にまい進していきます。同志と共に! 先生と共に!
2019年4月7日日曜日
2019.04.07 わが友に贈る
「広布と人生の勝利史を
必ず残してみせる!」
この覚悟の祈りから
仏の智慧と勇気が湧く。
皆が心の財の大長者に!
道場神守護事 P979
『災来るとも変じて幸と為らん』
【通解】
災が来たとしても、それは変じて幸いとなるであろう。
〈寸鉄〉 2019年4月7日
会長ほど平和の連帯を世界に広げた人はいない—識者。絆結ぶ対話、我らも
一日が全人生であるかのように生きよ—哲人。己に悔いなく。今日を全力
世界保健デー。健康世紀開くドクター部・白樺の友に感謝。幸と栄光あれ
春は小学生の交通事故が多発。親子で危険箇所の確認を。運転者も要注意
統一地方選挙・前半戦の投票日。地域の未来を決める選択。賢明な一票を
☆勇気の旗高く 池田先生と宮崎 2019年3月28日
◇真剣の一念で不滅の歴史を
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は宮崎県を掲載する。
◇信心は「確信」
1958年(昭和33年)の初訪問以来、池田先生は宮崎に足を運ぶたび、3400人の同志との記念撮影会(67年9月)や、1日5回に及んだ1万人の自由勤行会(78年8月)をはじめ、一人また一人と心の絆を結んできた。
91年2月に宮崎を訪れた折には、延岡の友に「いつの日か 延岡ゆきたし 桜かな」と詠み贈っている。その友は、67年の記念撮影会で「先生、延岡に来てください!」と懇願した女性だった。
一瞬の出会いを大切にし、励ましを重ねる——この師の心をわが心として、宮崎の友は広布の裾野を広げてきた。
91年2月の第1回宮崎県記念総会では、宮崎の四季折々の美しさや太陽のごとく明るい友の心をたたえつつ、師弟の信心で進もうと望んだ。
宮崎は実に美しい。一年中、恵まれたみずみずしい緑。雄大な太平洋。「日向」という名も、"日の出に向かう"ことに由来するとの説があるほど、太陽は燦々と降りそそぐ。
どれだけ広布のために戦い、人のために尽くしたかが、人生の勝敗を決めていく。また一切が、生々世々にわたる、自身の「財宝」となる。信心にムダはない。法のため、人々のために尽くした分だけ、自分自身を大きく輝かせていく。
信心は学歴ではない。理論でもない。確信である。御本尊への強い確信の信心に、無量の知恵がわいてくる。
◇
いつの時代、いずこの世界にあっても、「師弟」という人生の原点をもっている人こそ、最も聡明に人生を生きている人なのである。
「法華経を持ち説く者」とは、妙法を受持し、いかなる圧迫があろうとも、民衆のなかで広宣流布へと戦う人のことである。
その広布の戦士には、いかなる差別もない。在家であれ、出家であれ、尊き仏の使いであり、仏であると説かれている。その人を、悪意をもって、ことさらに陥れ、見下していく人は、大変な罪を得る、仏敵となると仰せである。
ともあれ私どもは、経文のまま、御書の教えのままに進む。ゆえに何ものも恐れない。一切は時とともに明確になっていく。
「世界一の学会」、また「世界一の宮崎」を目指していきたい。信心の世界で、世界一を目指し、祈り、努力していくことは、因果倶時で、自分自身が、世界一の長者、幸福者となっていくからだ。
◇大海原の境涯
本年は99年2、3月の宮崎指導から20周年。沖縄から空路で宮崎入りした先生は、宮崎研修道場に到着するやいなや、陰で奮闘する守る会の友らのもとへ。握手を交わし、心からの感謝を伝えている。
この折、先生は同行の幹部に語った。「私は会長になって以来、いや、なる前から、学会を支え、守ってくださる方を一番大事にしてきた。この魂がある限り、創価学会は永遠に発展していく」と。
九州・宮崎創価同窓の集い(2月28日)では、"日南の大海原のような境涯で対話の波を"と呼び掛けた。
ともあれ、相手がだれ人であろうとも、怯んではならない。臆してもならない。
仏法では「本有無作」と説く。要するに"はたらかさず、つくろわず、もとのまま"である。本然のわが生命を「最高最善」に輝かせていく生き方である。
日南の大海原のような、こういう広々とした境涯になったら、勝ちである。自由自在である。
小さな、狭いエゴに固まったり、つまらない意地を張っても、損をするだけである。
「言葉一つ」「言い方一つ」そして「心一つ」で、人生は、どのようにでも悠々と開いていける。
これが「智慧」である。
「知識」それ自体は、幸福ではない。「幸福」をつくるのは「智慧」である。「知識」だけでは行き詰まりがある。「智慧」は行き詰まりがない。「智慧」の水は、わが心の泉から限りなく汲み出していけるのである。
これからの激動の時代は、いよいよ「智慧」のある人が勝つ時代である。
◇折伏精神を胸に
同窓の集いの翌日(99年3月1日)には全九州最高協議会が開かれ、九州各地から代表が宮崎研修道場に集った。
日蓮大聖人は仰せである。
「強敵を伏して始て力士をしる」(御書957ページ)
「強敵を臥伏するに始て大力を知見する是なり」(同332ページ)
広宣流布の試練の法戦を堂々と戦い、そして晴れ晴れと勝ち越えてきた、九州の勇敢なる全同志と、私は"心と心の握手"を交わしたい。
けなされようが、ばかにされようが、仏意仏勅のために一番苦労し、働き続けておられる皆さまこそ、どんな有名人よりも尊い方々である。「無上の人」である。大聖人が、お守りくださらないわけがない。信心という「最高の宝」をもった皆さま方の功徳は、末代まで永遠であることを確信していただきたい。
何ものにも負けぬ、何ものをも恐れぬ折伏精神、広宣流布の精神が、永遠不滅の「九州魂」である。
大聖人は、仏眼、法眼をもって、社会の動静を鋭く見つめておられた。また、その人の立場になって、こまやかに思いやっておられた。そして、内外を問わず、一人一人の心を強く深く、つかんでいかれたのである。
法華経には「観世音菩薩」が説かれる。観世音の「世」とは社会である。社会の声を観じ、世の中の動きを観じていく力が「観世音」にはある。
仏法の指導者は、観世音の力を発揮しながら、適切な手を打ち、味方を増やし、広宣流布の正義の陣列を固めていくのである。
◇共に勝利の春へ
99年2月27日の宮崎最高会議で、池田先生は重ねて宮崎の尊き使命を訴えた。
師の深き期待を胸に、同志の心には広布拡大の誓願が熱く燃え盛っている。
宮崎は、大事な大事な国土である。その皆さま方のご健闘を、私は心から、ねぎらいたい。称えたい。そして、爛漫の勝利への春風を、私は送りたい。
だれが見ていなくても、皆さま方の労苦に、御本尊は必ず必ず報いてくださる。
功徳とは、遠くに「追い求めるもの」ではない。広宣流布を目指し、自行化他の信心に励みゆくなかで、自然のうちに備わってくるものである。
◇
どのような立場になろうと、広宣流布の戦いにあっては、遠慮があってはならない。
御聖訓には「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して」(同1337ページ)と仰せである。「臨終只今にあり」——この熱烈たる真剣な一念に燃えてこそ、はじめて不滅の歴史を残すことができる。
愛する宮崎の地涌の菩薩の皆さま! 無限の希望に満ちた宮崎広宣流布の「開拓」を、私と一緒に進めてまいりましょう!
必ず残してみせる!」
この覚悟の祈りから
仏の智慧と勇気が湧く。
皆が心の財の大長者に!
道場神守護事 P979
『災来るとも変じて幸と為らん』
【通解】
災が来たとしても、それは変じて幸いとなるであろう。
〈寸鉄〉 2019年4月7日
会長ほど平和の連帯を世界に広げた人はいない—識者。絆結ぶ対話、我らも
一日が全人生であるかのように生きよ—哲人。己に悔いなく。今日を全力
世界保健デー。健康世紀開くドクター部・白樺の友に感謝。幸と栄光あれ
春は小学生の交通事故が多発。親子で危険箇所の確認を。運転者も要注意
統一地方選挙・前半戦の投票日。地域の未来を決める選択。賢明な一票を
☆勇気の旗高く 池田先生と宮崎 2019年3月28日
◇真剣の一念で不滅の歴史を
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は宮崎県を掲載する。
◇信心は「確信」
1958年(昭和33年)の初訪問以来、池田先生は宮崎に足を運ぶたび、3400人の同志との記念撮影会(67年9月)や、1日5回に及んだ1万人の自由勤行会(78年8月)をはじめ、一人また一人と心の絆を結んできた。
91年2月に宮崎を訪れた折には、延岡の友に「いつの日か 延岡ゆきたし 桜かな」と詠み贈っている。その友は、67年の記念撮影会で「先生、延岡に来てください!」と懇願した女性だった。
一瞬の出会いを大切にし、励ましを重ねる——この師の心をわが心として、宮崎の友は広布の裾野を広げてきた。
91年2月の第1回宮崎県記念総会では、宮崎の四季折々の美しさや太陽のごとく明るい友の心をたたえつつ、師弟の信心で進もうと望んだ。
宮崎は実に美しい。一年中、恵まれたみずみずしい緑。雄大な太平洋。「日向」という名も、"日の出に向かう"ことに由来するとの説があるほど、太陽は燦々と降りそそぐ。
どれだけ広布のために戦い、人のために尽くしたかが、人生の勝敗を決めていく。また一切が、生々世々にわたる、自身の「財宝」となる。信心にムダはない。法のため、人々のために尽くした分だけ、自分自身を大きく輝かせていく。
信心は学歴ではない。理論でもない。確信である。御本尊への強い確信の信心に、無量の知恵がわいてくる。
◇
いつの時代、いずこの世界にあっても、「師弟」という人生の原点をもっている人こそ、最も聡明に人生を生きている人なのである。
「法華経を持ち説く者」とは、妙法を受持し、いかなる圧迫があろうとも、民衆のなかで広宣流布へと戦う人のことである。
その広布の戦士には、いかなる差別もない。在家であれ、出家であれ、尊き仏の使いであり、仏であると説かれている。その人を、悪意をもって、ことさらに陥れ、見下していく人は、大変な罪を得る、仏敵となると仰せである。
ともあれ私どもは、経文のまま、御書の教えのままに進む。ゆえに何ものも恐れない。一切は時とともに明確になっていく。
「世界一の学会」、また「世界一の宮崎」を目指していきたい。信心の世界で、世界一を目指し、祈り、努力していくことは、因果倶時で、自分自身が、世界一の長者、幸福者となっていくからだ。
◇大海原の境涯
本年は99年2、3月の宮崎指導から20周年。沖縄から空路で宮崎入りした先生は、宮崎研修道場に到着するやいなや、陰で奮闘する守る会の友らのもとへ。握手を交わし、心からの感謝を伝えている。
この折、先生は同行の幹部に語った。「私は会長になって以来、いや、なる前から、学会を支え、守ってくださる方を一番大事にしてきた。この魂がある限り、創価学会は永遠に発展していく」と。
九州・宮崎創価同窓の集い(2月28日)では、"日南の大海原のような境涯で対話の波を"と呼び掛けた。
ともあれ、相手がだれ人であろうとも、怯んではならない。臆してもならない。
仏法では「本有無作」と説く。要するに"はたらかさず、つくろわず、もとのまま"である。本然のわが生命を「最高最善」に輝かせていく生き方である。
日南の大海原のような、こういう広々とした境涯になったら、勝ちである。自由自在である。
小さな、狭いエゴに固まったり、つまらない意地を張っても、損をするだけである。
「言葉一つ」「言い方一つ」そして「心一つ」で、人生は、どのようにでも悠々と開いていける。
これが「智慧」である。
「知識」それ自体は、幸福ではない。「幸福」をつくるのは「智慧」である。「知識」だけでは行き詰まりがある。「智慧」は行き詰まりがない。「智慧」の水は、わが心の泉から限りなく汲み出していけるのである。
これからの激動の時代は、いよいよ「智慧」のある人が勝つ時代である。
◇折伏精神を胸に
同窓の集いの翌日(99年3月1日)には全九州最高協議会が開かれ、九州各地から代表が宮崎研修道場に集った。
日蓮大聖人は仰せである。
「強敵を伏して始て力士をしる」(御書957ページ)
「強敵を臥伏するに始て大力を知見する是なり」(同332ページ)
広宣流布の試練の法戦を堂々と戦い、そして晴れ晴れと勝ち越えてきた、九州の勇敢なる全同志と、私は"心と心の握手"を交わしたい。
けなされようが、ばかにされようが、仏意仏勅のために一番苦労し、働き続けておられる皆さまこそ、どんな有名人よりも尊い方々である。「無上の人」である。大聖人が、お守りくださらないわけがない。信心という「最高の宝」をもった皆さま方の功徳は、末代まで永遠であることを確信していただきたい。
何ものにも負けぬ、何ものをも恐れぬ折伏精神、広宣流布の精神が、永遠不滅の「九州魂」である。
大聖人は、仏眼、法眼をもって、社会の動静を鋭く見つめておられた。また、その人の立場になって、こまやかに思いやっておられた。そして、内外を問わず、一人一人の心を強く深く、つかんでいかれたのである。
法華経には「観世音菩薩」が説かれる。観世音の「世」とは社会である。社会の声を観じ、世の中の動きを観じていく力が「観世音」にはある。
仏法の指導者は、観世音の力を発揮しながら、適切な手を打ち、味方を増やし、広宣流布の正義の陣列を固めていくのである。
◇共に勝利の春へ
99年2月27日の宮崎最高会議で、池田先生は重ねて宮崎の尊き使命を訴えた。
師の深き期待を胸に、同志の心には広布拡大の誓願が熱く燃え盛っている。
宮崎は、大事な大事な国土である。その皆さま方のご健闘を、私は心から、ねぎらいたい。称えたい。そして、爛漫の勝利への春風を、私は送りたい。
だれが見ていなくても、皆さま方の労苦に、御本尊は必ず必ず報いてくださる。
功徳とは、遠くに「追い求めるもの」ではない。広宣流布を目指し、自行化他の信心に励みゆくなかで、自然のうちに備わってくるものである。
◇
どのような立場になろうと、広宣流布の戦いにあっては、遠慮があってはならない。
御聖訓には「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して」(同1337ページ)と仰せである。「臨終只今にあり」——この熱烈たる真剣な一念に燃えてこそ、はじめて不滅の歴史を残すことができる。
愛する宮崎の地涌の菩薩の皆さま! 無限の希望に満ちた宮崎広宣流布の「開拓」を、私と一緒に進めてまいりましょう!
2019年4月6日土曜日
2019.04.06 わが友に贈る
「一切空しく過して
万歳悔ゆること勿れ」
二度とないこの瞬間を
全力で走り抜こう!
自分に勝つ人たれ!
御義口伝巻下 P775
『又云く肉髻は随縁真如の智なり白毫は不変真如の理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此等の相好を具足するなり、我等が生の始は赤色肉髻なり死後の白骨は白毫相なり、生の始の赤色は随縁真如の智死後の白骨は不変真如の理なり秘す可し秘す可し云云』
【通解】
また肉髻は随縁真如の智であり、白毫は不変真如の理である。いま日蓮大聖人およびその弟子が南無妙法蓮華経と唱えるのは、随縁不変・一念寂照で、この肉髻・白毫の二相を具足するのである。
すなわち、わが生命の本質が妙法の当体であるということは不変真如の理であり、題目を唱えて妙法の力が生命活動の上に顕現していく智慧は随縁真如の智である。
〈寸鉄〉 2019年4月6日
歴史を創らずして、何の人生か—恩師。誓いを果たす時は今。限界を突破
大阪の此花・西淀川・都島が猛追。圧倒的拡大を。関西に民衆勝利の旗を!
「自他彼此の心なく水魚の思を成し」御書。団結こそ勝利の要諦。心一つで
公明は「命を守る」ことにどこまでも真剣な党—識者。小さな声を必ず形に
春の新聞週間。愛読者と無冠の皆様に感謝。希望送る紙面作りへ決意新た
☆ふるさとを照らす誉れの長者 団地部 2019年3月26日
池田大作先生は団地のことを「小さな合衆国」と表現した。出自や価値観の異なる多様な人々が、一つの団地という世界で共に生きる——「その団地の人びとを、友情と信頼の固い絆で結び、人間共和の礎をつくらねばならない」と。師の期待に応えようと奮闘する団地部の代表を紹介する。
◇大阪・高槻市 下田部団地
●「変わらない」姿勢を貫いて
「いち、にー、さん、し」と、体操の掛け声が始まった。「ごー、ろく、しち、はち」と続くと思いきや、「ます! ます! げん! き!」と、30人ほどの高齢者が口をそろえて言う。
こちらが思わず目を丸くしたのを、杉田武司さん(副支部長兼地区部長)は見逃さなかった。
「これ、『ますます元気体操』っていうんですよ」
大阪・高槻市が作成した介護予防の体操だという。
約70棟を擁する下田部団地の集会所は、いつもにぎやかだ。寿会(敬老会)の会長である杉田さんが中心となって、定期的に体操を行っている。
体操が終わっても"ますます元気"になった人たちがおしゃべりしだして、なかなか散会しそうにない。
「仲ええでしょ? これがうちの団地の自慢なんです」と杉田さん。
寿会事務局長の佐々木宏道さんも、相づちを打つ。「私は今も仕事を続けているんですが、長期出張から帰ってくると皆さんが口々に『おかえりなさい』って笑顔で迎えてくれるんです。それがうれしくてねえ」
最初からそうだったわけではない。杉田さんの入居は1970年。当時の住民は大阪府外で炭鉱労働に従事していた人など、出身地はバラバラ。気質の違いなどもあり、皆がまとまることは難しかったそうだ。
杉田さんが実践したことは「別に特別なことじゃない」。一人一人の顔と名前を覚え、自分から笑顔で声を掛けた。団地のためならどんな役割も率先して引き受けた。10年、20年、30年……。行政と住民の間に入り、複雑な問題に対する意見を調整したことも一度や二度ではない。自治会長の任期を終えた後も、その姿勢は変わらなかった。
"変わらない"姿が住民の心を"変えた"。理想を分かち合ってくれる人が、一人また一人と続き、互いに声を掛け合う「文化」が育まれていった。
ある年の猛暑の日、独居の高齢者が部屋でぐったり倒れていたところを同じ団地の婦人が見つけ、最悪の事態を免れたこともある。日頃の声掛けを継続していたことが功を奏した出来事だったという。
団地をもり立てるため、毎年の秋祭りにも創意工夫を重ねている。2017年には鼓笛隊の出演が実現。これが反響を呼び、住民に請われて翌18年にも鼓笛隊が団地内をパレードした。
杉田さんは、現在75歳。「まだまだ、これからですよ。池田先生に『世界一の"合衆国"ができました!』と胸を張れるまでね」と、"ますます元気"だ。
◇千葉・八千代市 米本団地
●「変わろう」と決めた時から
朝、少しおしゃれな装いをした小学生たちが、同じ方角に向かって団地の敷地内を歩いていく。
「あら! おめでとう」と今井初恵さん(婦人部副本部長兼地区婦人部長)が声を掛けると、子どもたちは照れくさそうに会釈した。
ここは千葉・八千代市の米本団地。隣接する小学校で卒業式が行われるという。
今井さんは団地自治会が主導する「ゴミパトロール」の巡回中。近年、外国人の居住者も増えているため、ゴミ分別の確認が欠かせない。分別の案内チラシは英語や中国語など5カ国語で併記されるようになった。
「まさに"合衆国"ですよね」と今井さん。今では大勢の住民でにぎわう朝のラジオ体操や住民同士の交流の場「朝カフェ」など、さまざまな取り組みが県民の注目を集める団地となったが、ここまで活発になったのは近年のことだ。
今井さんが自治会役員に就いた20年前は、価値観が全く異なる住民たちと意見が衝突することが少なくなかったという。相手を"変えよう"とばかりしていた自分を変えてくれたのは、池田先生の言葉だった。
1974年9月、先生は旧ソ連を初訪問。日本国内で「宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか」との声が上がった。だが先生は言下に答えた。「そこに人間がいるからです」と。
「次元は異なるかもしれないけれど、思いは同じでありたい」——今井さんはそう心に決めた。
さまざまな違いはあれど「同じ人間」として見る。この当たり前のことを皆で当たり前にできる団地になれば、ここが理想の郷土となるに違いない。その信念で、一つまた一つと信頼を築いてきた。「今は感謝しかありません。自治会や住民の皆さんに、どれほど支えられているか」
団地に住む学会員も、思いは同じだ。竪山澄子さん(婦人部副本部長)は、舞踊サークルの仲間と共にデイサービス施設や病院などで慰問を行っている。自身も胃がんを患った時、師の励ましや皆の支えによって乗り越えたからこそ「今度は私が希望を届けたい」と。
自治会事務所での作業を終えた今井さんと、サークルの練習を終えた竪山さんが合流した。ほぼ同じタイミングで、正装した鎌田豊彦さん(副支部長)が事務所前に姿を現す。自治会長代理として、小学校の卒業式に出席してきたという。
人間共和の理想郷を築こうとする"合衆国の同志"が顔を合わせると、話が尽きることはない。
「今日は、これからあの人に会いにね……」
万歳悔ゆること勿れ」
二度とないこの瞬間を
全力で走り抜こう!
自分に勝つ人たれ!
御義口伝巻下 P775
『又云く肉髻は随縁真如の智なり白毫は不変真如の理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此等の相好を具足するなり、我等が生の始は赤色肉髻なり死後の白骨は白毫相なり、生の始の赤色は随縁真如の智死後の白骨は不変真如の理なり秘す可し秘す可し云云』
【通解】
また肉髻は随縁真如の智であり、白毫は不変真如の理である。いま日蓮大聖人およびその弟子が南無妙法蓮華経と唱えるのは、随縁不変・一念寂照で、この肉髻・白毫の二相を具足するのである。
すなわち、わが生命の本質が妙法の当体であるということは不変真如の理であり、題目を唱えて妙法の力が生命活動の上に顕現していく智慧は随縁真如の智である。
〈寸鉄〉 2019年4月6日
歴史を創らずして、何の人生か—恩師。誓いを果たす時は今。限界を突破
大阪の此花・西淀川・都島が猛追。圧倒的拡大を。関西に民衆勝利の旗を!
「自他彼此の心なく水魚の思を成し」御書。団結こそ勝利の要諦。心一つで
公明は「命を守る」ことにどこまでも真剣な党—識者。小さな声を必ず形に
春の新聞週間。愛読者と無冠の皆様に感謝。希望送る紙面作りへ決意新た
☆ふるさとを照らす誉れの長者 団地部 2019年3月26日
池田大作先生は団地のことを「小さな合衆国」と表現した。出自や価値観の異なる多様な人々が、一つの団地という世界で共に生きる——「その団地の人びとを、友情と信頼の固い絆で結び、人間共和の礎をつくらねばならない」と。師の期待に応えようと奮闘する団地部の代表を紹介する。
◇大阪・高槻市 下田部団地
●「変わらない」姿勢を貫いて
「いち、にー、さん、し」と、体操の掛け声が始まった。「ごー、ろく、しち、はち」と続くと思いきや、「ます! ます! げん! き!」と、30人ほどの高齢者が口をそろえて言う。
こちらが思わず目を丸くしたのを、杉田武司さん(副支部長兼地区部長)は見逃さなかった。
「これ、『ますます元気体操』っていうんですよ」
大阪・高槻市が作成した介護予防の体操だという。
約70棟を擁する下田部団地の集会所は、いつもにぎやかだ。寿会(敬老会)の会長である杉田さんが中心となって、定期的に体操を行っている。
体操が終わっても"ますます元気"になった人たちがおしゃべりしだして、なかなか散会しそうにない。
「仲ええでしょ? これがうちの団地の自慢なんです」と杉田さん。
寿会事務局長の佐々木宏道さんも、相づちを打つ。「私は今も仕事を続けているんですが、長期出張から帰ってくると皆さんが口々に『おかえりなさい』って笑顔で迎えてくれるんです。それがうれしくてねえ」
最初からそうだったわけではない。杉田さんの入居は1970年。当時の住民は大阪府外で炭鉱労働に従事していた人など、出身地はバラバラ。気質の違いなどもあり、皆がまとまることは難しかったそうだ。
杉田さんが実践したことは「別に特別なことじゃない」。一人一人の顔と名前を覚え、自分から笑顔で声を掛けた。団地のためならどんな役割も率先して引き受けた。10年、20年、30年……。行政と住民の間に入り、複雑な問題に対する意見を調整したことも一度や二度ではない。自治会長の任期を終えた後も、その姿勢は変わらなかった。
"変わらない"姿が住民の心を"変えた"。理想を分かち合ってくれる人が、一人また一人と続き、互いに声を掛け合う「文化」が育まれていった。
ある年の猛暑の日、独居の高齢者が部屋でぐったり倒れていたところを同じ団地の婦人が見つけ、最悪の事態を免れたこともある。日頃の声掛けを継続していたことが功を奏した出来事だったという。
団地をもり立てるため、毎年の秋祭りにも創意工夫を重ねている。2017年には鼓笛隊の出演が実現。これが反響を呼び、住民に請われて翌18年にも鼓笛隊が団地内をパレードした。
杉田さんは、現在75歳。「まだまだ、これからですよ。池田先生に『世界一の"合衆国"ができました!』と胸を張れるまでね」と、"ますます元気"だ。
◇千葉・八千代市 米本団地
●「変わろう」と決めた時から
朝、少しおしゃれな装いをした小学生たちが、同じ方角に向かって団地の敷地内を歩いていく。
「あら! おめでとう」と今井初恵さん(婦人部副本部長兼地区婦人部長)が声を掛けると、子どもたちは照れくさそうに会釈した。
ここは千葉・八千代市の米本団地。隣接する小学校で卒業式が行われるという。
今井さんは団地自治会が主導する「ゴミパトロール」の巡回中。近年、外国人の居住者も増えているため、ゴミ分別の確認が欠かせない。分別の案内チラシは英語や中国語など5カ国語で併記されるようになった。
「まさに"合衆国"ですよね」と今井さん。今では大勢の住民でにぎわう朝のラジオ体操や住民同士の交流の場「朝カフェ」など、さまざまな取り組みが県民の注目を集める団地となったが、ここまで活発になったのは近年のことだ。
今井さんが自治会役員に就いた20年前は、価値観が全く異なる住民たちと意見が衝突することが少なくなかったという。相手を"変えよう"とばかりしていた自分を変えてくれたのは、池田先生の言葉だった。
1974年9月、先生は旧ソ連を初訪問。日本国内で「宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか」との声が上がった。だが先生は言下に答えた。「そこに人間がいるからです」と。
「次元は異なるかもしれないけれど、思いは同じでありたい」——今井さんはそう心に決めた。
さまざまな違いはあれど「同じ人間」として見る。この当たり前のことを皆で当たり前にできる団地になれば、ここが理想の郷土となるに違いない。その信念で、一つまた一つと信頼を築いてきた。「今は感謝しかありません。自治会や住民の皆さんに、どれほど支えられているか」
団地に住む学会員も、思いは同じだ。竪山澄子さん(婦人部副本部長)は、舞踊サークルの仲間と共にデイサービス施設や病院などで慰問を行っている。自身も胃がんを患った時、師の励ましや皆の支えによって乗り越えたからこそ「今度は私が希望を届けたい」と。
自治会事務所での作業を終えた今井さんと、サークルの練習を終えた竪山さんが合流した。ほぼ同じタイミングで、正装した鎌田豊彦さん(副支部長)が事務所前に姿を現す。自治会長代理として、小学校の卒業式に出席してきたという。
人間共和の理想郷を築こうとする"合衆国の同志"が顔を合わせると、話が尽きることはない。
「今日は、これからあの人に会いにね……」
2019年4月5日金曜日
2019.04.05 わが友に贈る
我ら創価の勇躍前進に
越えられぬ山はない!
今こそ本領発揮の時。
断固たる決意と言論で
正義の陣列を広げゆけ!
聖人御難事 P1190
『過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』
【通解】
過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者と民衆は、はじめは何事もないようであっても、ついには滅びない者はない。
〈寸鉄〉 2019年4月5日
師子は吼えてこそ師子—恩師。若人の熱と力が時代動かす。決定打を頼む
大阪の吹田、茨木、高槻・島本よ走り抜け!入魂の対話で歴史的な勝利劇を
山口市、広島・呉が反転攻勢。悔いなき拡大を最後まで!栄光の頂へ登れ
愛知・春日井よ、もう一歩だ。強気で押しまくれ!"堅塁"の勇者の凱旋待つ
公明がいるから政治は真っすぐ進む—知事。安定の要として死力を尽くせ
☆4月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 諫暁八幡抄 2019年3月30日
◇ただ誓願に生きよ! 烈風はね返す勇気の対話
4月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「諫暁八幡抄」を研さん。日蓮大聖人の御生涯から、広宣流布の大願を貫く姿勢を学ぶ。
◇御文
『今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり』(御書585ページ)
◇通解
今、日蓮は、去る建長5年4月28日(の立宗の日)から、(本抄を著した)今年弘安3年12月に至るまで、28年の間、他事は一切ない。
ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。
◇背景と大意
本抄は弘安3年(1280年)12月、日蓮大聖人が身延で門下一同のために著された御書である。題号には「"法華経の行者を守護する"との誓いを果たさない八幡大菩薩を諫め暁す」との意味が込められている。
本抄が執筆された前月の11月に鎌倉の鶴岡八幡宮が炎上。蒙古再来襲の緊張が強まる中で、鎌倉幕府の守護神とされていた八幡大菩薩の社殿が焼亡したことにより、人々の不安は高まっていた。
大聖人は、この火災は、八幡大菩薩が諸天善神としての誓いを怠って、法華経の行者を守護せず、その敵を罰しようとしないことによって、逆に、梵天・帝釈から責められたのだと、八幡大菩薩に対して強く諫暁された。
さらに、本抄の末尾では、太陽が東から西に向かうように、末法では大聖人の仏法が日本から世界へ広まっていくという「仏法西還」の原理を示され、門下を励まされている。
◇解説
建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は末法の全民衆を救う根本の妙法である「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、立宗宣言をされた。32歳の時である。
その御心境について、大聖人は「開目抄」で次のようにつづられている。
「いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし」(御書200ページ)
不幸の原因は、人々が正法に背いて、誤った思想や教えを信じていることにある。この真実を言うべきか、言わざるべきか。言わなければ現世は安穏でも、後生は必ず無間地獄に堕ち、言えば三障四魔が競い起こってくる——。
大聖人は法華経・涅槃経の経文に照らして思索の末、「二辺の中には・いうべし」と決断される。つまり、大難を受けることを恐れず、妙法流布の道をあえて選ばれたのだ。立宗宣言には、全民衆を思う大聖人の慈悲があふれているのである。
以来28年間、予見通り、大聖人への迫害は絶えることがなかった。
「立正安国論」をもって、時の実質的な最高権力者・北条時頼を諫暁したことを契機に、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪が起き、そして小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪と、命に及ぶ大難が次々に襲いかかる。多くの敵対者から罵詈雑言も浴びせられた。
しかし、大聖人は、「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」と大慈悲をもって、「他事」なく妙法流布に全てを捧げられたのである。
その忍難弘通の御生涯は、「ちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)との御文の通り、立宗以来、ただ一筋に広宣流布・立正安国の誓願に生き抜かれた歴史である。いわば「誓願」こそ、一切の苦難を乗り越える力なのだ。
大聖人の大願を継承し、世界広布を実現してきたのが創価学会であり、誉れの後継の使命に生き抜くのが、私たち男子部にほかならない。
大聖人直結の地涌の陣列に連なる誇りも高く"わが地域こそ誓願の本舞台"と定め、友情と信頼の拡大にまい進していきたい。
池田先生は「『立正安国』の誓願を燃え上がらせ、朗々と妙法を唱え戦う我らに、『師子奮迅の力』が漲ってくることは絶対に間違いない。何ものも恐れるな! 断じて負けるな! 共に励まし合い、共々に『師子奮迅の力』を出して、戦い、勝とうではないか!」と指導されている。
万物が躍動する春4月。誓願に生き抜く私たち男子部は、いかなる烈風もはね返し、勇気の対話を貫こう。凱歌の春を目指して!
☆ブラジル作家連盟から池田先生に最高栄誉メダル 2019年3月26日
◇ノローニャ会長 博士は人間主義と寛容の精神を広めた平和の伝道者
ブラジル最古の作家団体「ブラジル作家連盟」から、池田大作先生に最高栄誉の「ジョルジェ・アマード・メダル」が贈られた。これは世界的な著作活動によって人間主義の思想を広めた偉業をたたえたもので、アジア人初の栄誉となる。授与式は16日(現地時間)、サンパウロ市のブラジル池田文化会館で挙行。同連盟のドゥルヴァウ・デ・ノローニャ・ゴヨス・ジュニオル会長をはじめ、ブラジル日本文化福祉協会の呉屋新城春見会長、世界的音楽家のアマラウ・ビエイラ氏ら来賓、地元SGI(創価学会インタナショナル)メンバーら約450人が出席した。
「池田博士は、人間主義に基づく文化・教育運動などを通して、寛容の精神を広めてこられた平和の伝道者です」——授与の辞に立ったノローニャ会長の言葉に熱がこもる。
「ブラジル作家連盟は博士と同じく、人間主義の価値を普及する伝統を有しているからこそ、その価値を世界に広めゆく人物に、この最高栄誉を贈りたいのです」。会場は万雷の拍手喝采。その音が、しばし鳴りやむことはなかった——。
1958年に創設の同連盟は、作家集会や討論会をはじめ、コンクール等を開き、毎年、優秀な作家には国内最高峰の文学賞を授賞。さらに「ノーベル文学賞」の選考委員会であるスウェーデン・アカデミーからは毎年、候補者を推薦する団体に認定され、表現の自由の擁護や活字文化の普及に努めてきた。
創設されてからの会員は約3700人。著名な女性作家のリジア・ファグンデス・テレス氏(ブラジル文学アカデミー会員)をはじめ、ブラジル元大統領のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ氏も、名を連ねる。
今回、授与された「ジョルジェ・アマード・メダル」は、民主化運動のリーダーの一人であったブラジルの文豪の名にちなんで創設されたもの。「人間主義」「寛容性」「民衆の声」など、文化や文明の価値を最大限に表現した文学を生み出す人物に与えられ、これまでに世界で5人しか贈られていない。
同連盟は2015年6月に池田先生を「在外会員」に迎えており、その3カ月前に就任したのがノローニャ会長である。著名な法律家で多くの専門書などを著してきた同会長は、池田先生の対談集や平和提言などを精読し、その人間主義の思想と哲学から深い啓発を受けてきた。
そして昨年10月、同連盟の理事会の厳正な審査を経て、全会一致で、このたびの授与が決定したのである。
式典はブラジル国歌の斉唱で幕を開けた。続いて、ノローニャ会長が授与の辞を。「特筆すべき功績を残された池田博士にジョルジェ・アマード・メダルを授与します」と述べ、ブラジルSGIのチナ主席副理事長にメダルが代理授与された。
その後、ブラジル婦人部の合唱団と軽音楽グループが、慶事を寿ぐ合唱と演奏を響かせると、聴衆は立ち上がっての拍手で、池田先生の晴れの受賞を祝福した。
式典後、ノローニャ会長は力を込めた。
「人類は、まさに池田博士の思想を必要としています。平和と寛容の精神、人権尊重の精神の啓発を広めるために、同じ価値観を共有する私たちは、人間主義の善の力を広めゆく作家として、これからも同じ方向を向いて進んでいきたい」
越えられぬ山はない!
今こそ本領発揮の時。
断固たる決意と言論で
正義の陣列を広げゆけ!
聖人御難事 P1190
『過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』
【通解】
過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者と民衆は、はじめは何事もないようであっても、ついには滅びない者はない。
〈寸鉄〉 2019年4月5日
師子は吼えてこそ師子—恩師。若人の熱と力が時代動かす。決定打を頼む
大阪の吹田、茨木、高槻・島本よ走り抜け!入魂の対話で歴史的な勝利劇を
山口市、広島・呉が反転攻勢。悔いなき拡大を最後まで!栄光の頂へ登れ
愛知・春日井よ、もう一歩だ。強気で押しまくれ!"堅塁"の勇者の凱旋待つ
公明がいるから政治は真っすぐ進む—知事。安定の要として死力を尽くせ
☆4月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 諫暁八幡抄 2019年3月30日
◇ただ誓願に生きよ! 烈風はね返す勇気の対話
4月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「諫暁八幡抄」を研さん。日蓮大聖人の御生涯から、広宣流布の大願を貫く姿勢を学ぶ。
◇御文
『今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり』(御書585ページ)
◇通解
今、日蓮は、去る建長5年4月28日(の立宗の日)から、(本抄を著した)今年弘安3年12月に至るまで、28年の間、他事は一切ない。
ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。
◇背景と大意
本抄は弘安3年(1280年)12月、日蓮大聖人が身延で門下一同のために著された御書である。題号には「"法華経の行者を守護する"との誓いを果たさない八幡大菩薩を諫め暁す」との意味が込められている。
本抄が執筆された前月の11月に鎌倉の鶴岡八幡宮が炎上。蒙古再来襲の緊張が強まる中で、鎌倉幕府の守護神とされていた八幡大菩薩の社殿が焼亡したことにより、人々の不安は高まっていた。
大聖人は、この火災は、八幡大菩薩が諸天善神としての誓いを怠って、法華経の行者を守護せず、その敵を罰しようとしないことによって、逆に、梵天・帝釈から責められたのだと、八幡大菩薩に対して強く諫暁された。
さらに、本抄の末尾では、太陽が東から西に向かうように、末法では大聖人の仏法が日本から世界へ広まっていくという「仏法西還」の原理を示され、門下を励まされている。
◇解説
建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は末法の全民衆を救う根本の妙法である「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、立宗宣言をされた。32歳の時である。
その御心境について、大聖人は「開目抄」で次のようにつづられている。
「いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし」(御書200ページ)
不幸の原因は、人々が正法に背いて、誤った思想や教えを信じていることにある。この真実を言うべきか、言わざるべきか。言わなければ現世は安穏でも、後生は必ず無間地獄に堕ち、言えば三障四魔が競い起こってくる——。
大聖人は法華経・涅槃経の経文に照らして思索の末、「二辺の中には・いうべし」と決断される。つまり、大難を受けることを恐れず、妙法流布の道をあえて選ばれたのだ。立宗宣言には、全民衆を思う大聖人の慈悲があふれているのである。
以来28年間、予見通り、大聖人への迫害は絶えることがなかった。
「立正安国論」をもって、時の実質的な最高権力者・北条時頼を諫暁したことを契機に、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪が起き、そして小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪と、命に及ぶ大難が次々に襲いかかる。多くの敵対者から罵詈雑言も浴びせられた。
しかし、大聖人は、「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」と大慈悲をもって、「他事」なく妙法流布に全てを捧げられたのである。
その忍難弘通の御生涯は、「ちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)との御文の通り、立宗以来、ただ一筋に広宣流布・立正安国の誓願に生き抜かれた歴史である。いわば「誓願」こそ、一切の苦難を乗り越える力なのだ。
大聖人の大願を継承し、世界広布を実現してきたのが創価学会であり、誉れの後継の使命に生き抜くのが、私たち男子部にほかならない。
大聖人直結の地涌の陣列に連なる誇りも高く"わが地域こそ誓願の本舞台"と定め、友情と信頼の拡大にまい進していきたい。
池田先生は「『立正安国』の誓願を燃え上がらせ、朗々と妙法を唱え戦う我らに、『師子奮迅の力』が漲ってくることは絶対に間違いない。何ものも恐れるな! 断じて負けるな! 共に励まし合い、共々に『師子奮迅の力』を出して、戦い、勝とうではないか!」と指導されている。
万物が躍動する春4月。誓願に生き抜く私たち男子部は、いかなる烈風もはね返し、勇気の対話を貫こう。凱歌の春を目指して!
☆ブラジル作家連盟から池田先生に最高栄誉メダル 2019年3月26日
◇ノローニャ会長 博士は人間主義と寛容の精神を広めた平和の伝道者
ブラジル最古の作家団体「ブラジル作家連盟」から、池田大作先生に最高栄誉の「ジョルジェ・アマード・メダル」が贈られた。これは世界的な著作活動によって人間主義の思想を広めた偉業をたたえたもので、アジア人初の栄誉となる。授与式は16日(現地時間)、サンパウロ市のブラジル池田文化会館で挙行。同連盟のドゥルヴァウ・デ・ノローニャ・ゴヨス・ジュニオル会長をはじめ、ブラジル日本文化福祉協会の呉屋新城春見会長、世界的音楽家のアマラウ・ビエイラ氏ら来賓、地元SGI(創価学会インタナショナル)メンバーら約450人が出席した。
「池田博士は、人間主義に基づく文化・教育運動などを通して、寛容の精神を広めてこられた平和の伝道者です」——授与の辞に立ったノローニャ会長の言葉に熱がこもる。
「ブラジル作家連盟は博士と同じく、人間主義の価値を普及する伝統を有しているからこそ、その価値を世界に広めゆく人物に、この最高栄誉を贈りたいのです」。会場は万雷の拍手喝采。その音が、しばし鳴りやむことはなかった——。
1958年に創設の同連盟は、作家集会や討論会をはじめ、コンクール等を開き、毎年、優秀な作家には国内最高峰の文学賞を授賞。さらに「ノーベル文学賞」の選考委員会であるスウェーデン・アカデミーからは毎年、候補者を推薦する団体に認定され、表現の自由の擁護や活字文化の普及に努めてきた。
創設されてからの会員は約3700人。著名な女性作家のリジア・ファグンデス・テレス氏(ブラジル文学アカデミー会員)をはじめ、ブラジル元大統領のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ氏も、名を連ねる。
今回、授与された「ジョルジェ・アマード・メダル」は、民主化運動のリーダーの一人であったブラジルの文豪の名にちなんで創設されたもの。「人間主義」「寛容性」「民衆の声」など、文化や文明の価値を最大限に表現した文学を生み出す人物に与えられ、これまでに世界で5人しか贈られていない。
同連盟は2015年6月に池田先生を「在外会員」に迎えており、その3カ月前に就任したのがノローニャ会長である。著名な法律家で多くの専門書などを著してきた同会長は、池田先生の対談集や平和提言などを精読し、その人間主義の思想と哲学から深い啓発を受けてきた。
そして昨年10月、同連盟の理事会の厳正な審査を経て、全会一致で、このたびの授与が決定したのである。
式典はブラジル国歌の斉唱で幕を開けた。続いて、ノローニャ会長が授与の辞を。「特筆すべき功績を残された池田博士にジョルジェ・アマード・メダルを授与します」と述べ、ブラジルSGIのチナ主席副理事長にメダルが代理授与された。
その後、ブラジル婦人部の合唱団と軽音楽グループが、慶事を寿ぐ合唱と演奏を響かせると、聴衆は立ち上がっての拍手で、池田先生の晴れの受賞を祝福した。
式典後、ノローニャ会長は力を込めた。
「人類は、まさに池田博士の思想を必要としています。平和と寛容の精神、人権尊重の精神の啓発を広めるために、同じ価値観を共有する私たちは、人間主義の善の力を広めゆく作家として、これからも同じ方向を向いて進んでいきたい」
2019年4月4日木曜日
2019.04.04 わが友に贈る
「但偏に国の為
法の為 人の為」
社会に幸福を築くのが
広宣流布の闘争だ。
民衆の凱歌を断じて!
御義口伝巻下 P788
『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』
【通解】
初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。
〈寸鉄〉 2019年4月4日
若い世代が平和に尽くす学会は人類の希望—識者後継の君よ使命に胸張れ
大阪市の都島区・北区が激戦突破の猛攻。不屈の師子吼で断固競り勝て!
札幌市の北・東区が熱闘。開拓魂と弾ける勢いで切り込め!歓喜の万歳必ず
福岡市早良区、宮崎・延岡市、執念で攻め上がれ!正義の叫びで大逆転劇を
児童虐待した親の7割が過去に被害の経験。暴力は連鎖。社会の絆で断て
☆勇気の旗高く 池田先生と福岡 2019年3月26日
◇壁を破れ! それが先駆
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は福岡県を掲載する。
◇能動の人たれ
「先駆」——大九州の心臓部たる福岡に託された永遠の使命であり、責任である。
1967年(昭和42年)7月、池田先生は福岡で「常に先駆の九州たれ」との不滅の指針を発表。以来、折に触れて、広布拡大をリードしゆく同志に「先駆」の意義を訴えてきた。
「先駆の人」とは能動の人であり、みずから率先の人である。そこに栄光も勝利もある。すべてにおいて先駆をめざし、考え行動していく、根性、努力の人こそ、偉大であるし、平凡をつきぬけた英雄である。そこにほんとうの充実感と喜びがあることを知っていただきたい。
「先駆」とは、"人に先んじる"だけではない。
いざ新たな戦いを起こそうとした時、誰でも最初に突き当たるのは、自分自身の心の壁である。「難しい」「苦手だ」「できない」——そうした自身の壁に、勇気を奮ってぶつかることだ。
壁を破れ! 汝の戦場から逃げてはならない。(中略)"自分との戦いに先んじる"人こそ、偉大なる深き人生を生き抜いた、まことの勝利の人の異名だ。
「先駆の九州」は即「二十一世紀の先駆」であり「人類の先駆」である。世界市民への成長へ、期待が寄せられている。
人生は戦いである。戦い続けるのが人生である。戦うごとに強くなる人が幸福者であり、真の「人間」である。皆さまは、全員が九州新時代の人である。
思えば、かつての九州本部は、やはり、防塁が残る西新(福岡市早良区)にあった。今は、同じ敷地に福岡平和会館が建っている。
この地を拠点として、草創の九州は、新たに大きな潮騒となって、東洋広布の先陣を切っていった。
私が第三代会長に就任した年(一九六〇年)、福岡支部は、一年でなんと五回も、「月間の折伏日本一」の圧倒的な大勝利を飾ったのであった。
我らの法戦は、仏と魔との永遠の闘争である。
その最前線に打って出て、邪悪と戦う活発な魂と勇気が、正義の光に包まれた城壁を築き上げる。
万巻を読みし知恵以上の仏の智慧を、わが胸中に宿らせながら、彼らは、新時代の黎明の鐘を打ち続けていった。
東洋広布は九州から!
九州広布は福岡から!
これが、「先駆」の久遠の誓願を果たさんと、力強く立ち上がった同志の心意気であった。
「先駆」——
なんと気高く、光輝な、勝利の心をもった生命であろうか。
◇九州広布の源流
九州の政治・経済の中心である福岡は、創価三代の師弟の魂が深く刻まれた九州広布源流の地だ。
戦前、初代会長・牧口常三郎先生は、現在の北九州市門司区を起点に九州各地を弘教へと歩いた。後に池田先生は、九州最初の支部が結成された牧口先生、二代会長・戸田城聖先生有縁の福岡・八女へ。横暴な国家権力と戦い抜いた先師の雄姿をしのびつつ、師弟の精神を打ち込んだ。
正しき妙法流布の行動に、怖いものは何もなし!
「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(御書287ページ)
蓮祖の厳たる師子吼の通り、牧口先生は、信教の自由の旗を高く、また高く掲げて、権力という魔物に、真っ向から立ち向かい、戦いを挑んだ。
これが学会魂である。
私は、初代会長のご尊顔を胸に浮かべ、深く決意した。
——いかなる迫害に遭おうとも、私は、断固、広宣流布の指揮をとる。人間の自由を奪おうとする、ありとあらゆる悪魔と戦う! 民衆の幸福と正義の勝利のために!
私は、地元の筑後方面の方々をはじめ、そこに集いし福岡の指導者に訴えた。
「リーダーは、巌のごとき信念で、『絶対に勝つ』という一念をもて!」
戦いは甘くない。戦う格好だけの、遊び半分の心で、勝てるわけがない。(中略)いわんや、我らがなさんとするのは、正義と平和の永遠の都を築きゆく、広宣流布という高邁な大闘争だ!
ゆえに、勇気ある先駆の九州の健児は、皆、真剣である。皆、懸命である。
だから、歓喜がわき、知恵がわく。無敵の団結が、あらゆる怪物の障魔を打ち破ることができるのだ。
◇痛烈な地響きを
80年(同55年)4月30日。第5次訪中を終え、長崎に滞在していた池田先生は、列車に乗って福岡へ。この翌日、県本部長会に出席し、反転攻勢の師子吼を轟かせた。第3代会長を辞任後、本格的な地方指導は九州から始まった。
五月一日、私は九州平和会館(当時)を訪問し、わが福岡の弟子に訴えた。
「広宣流布の胸中の旗を断じて降ろしてはならない!」
「折伏の修行の法旗を決して降ろしてはならない!」
「一生涯の成仏の、信心の炎の光を消しては絶対にならない!」
私は一回、もう一回と、この言葉を強く繰り返した。
立ち上がれ、大九州の心臓部・福岡の友よ! 先駆の中の先駆・北九州の友よ!
我らの天地から、大反撃の痛烈な先駆けの地響きを起こしゆけ!
戦いの魂を、戦いの牙を、戦いの炎を失えば、わが同志を守れない。正義を倒さんとする邪悪を滅亡させることもできない。
◇勇気と執念
福岡の誇りは「青年」である。本年は、九州青年部による「5万人の第九」から25周年の佳節。さらに2001年(平成13年)には「10万人の第九」を実現させ、"民衆の凱歌"を高らかに歌い上げた。
この年に師から贈られた随筆を誉れとし、福岡の同志は今再び、青年を先頭に"先駆の勝ち鬨"を響かせる。
九州は勝った。
大九州は、見事に勝った。
その九州の正義の広宣の総本山は、福岡である。
福岡の王者の風格は、連戦連勝の雄大なる威風を持っている。
わが福岡はアジア大交流の希望の玄関だ。
ここには、アジア侵略という蛮行を犯した日本の軍国主義と、生命をかけて戦われた牧口先生の魂がある。
さあ新たな心の交流を! 新たな友情を!
そして、途絶えることなき信頼の大いなる流れを!
偉大な先駆の九州よ!
新世紀の冒頭より、完勝に先駆する王者の福岡よ!
勇気と執念を燃やし、総力をあげ、大勝利の波を日本中に与えてくれ給え!
信念の先駆の九州よ!
燃えよ、燃えよ、燃え上がれ! わが「火の国」の正義の勇者たちよ!
二十一世紀の夢に見た大民衆の大勝利をよろしく頼む!
法の為 人の為」
社会に幸福を築くのが
広宣流布の闘争だ。
民衆の凱歌を断じて!
御義口伝巻下 P788
『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』
【通解】
初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。
〈寸鉄〉 2019年4月4日
若い世代が平和に尽くす学会は人類の希望—識者後継の君よ使命に胸張れ
大阪市の都島区・北区が激戦突破の猛攻。不屈の師子吼で断固競り勝て!
札幌市の北・東区が熱闘。開拓魂と弾ける勢いで切り込め!歓喜の万歳必ず
福岡市早良区、宮崎・延岡市、執念で攻め上がれ!正義の叫びで大逆転劇を
児童虐待した親の7割が過去に被害の経験。暴力は連鎖。社会の絆で断て
☆勇気の旗高く 池田先生と福岡 2019年3月26日
◇壁を破れ! それが先駆
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は福岡県を掲載する。
◇能動の人たれ
「先駆」——大九州の心臓部たる福岡に託された永遠の使命であり、責任である。
1967年(昭和42年)7月、池田先生は福岡で「常に先駆の九州たれ」との不滅の指針を発表。以来、折に触れて、広布拡大をリードしゆく同志に「先駆」の意義を訴えてきた。
「先駆の人」とは能動の人であり、みずから率先の人である。そこに栄光も勝利もある。すべてにおいて先駆をめざし、考え行動していく、根性、努力の人こそ、偉大であるし、平凡をつきぬけた英雄である。そこにほんとうの充実感と喜びがあることを知っていただきたい。
「先駆」とは、"人に先んじる"だけではない。
いざ新たな戦いを起こそうとした時、誰でも最初に突き当たるのは、自分自身の心の壁である。「難しい」「苦手だ」「できない」——そうした自身の壁に、勇気を奮ってぶつかることだ。
壁を破れ! 汝の戦場から逃げてはならない。(中略)"自分との戦いに先んじる"人こそ、偉大なる深き人生を生き抜いた、まことの勝利の人の異名だ。
「先駆の九州」は即「二十一世紀の先駆」であり「人類の先駆」である。世界市民への成長へ、期待が寄せられている。
人生は戦いである。戦い続けるのが人生である。戦うごとに強くなる人が幸福者であり、真の「人間」である。皆さまは、全員が九州新時代の人である。
思えば、かつての九州本部は、やはり、防塁が残る西新(福岡市早良区)にあった。今は、同じ敷地に福岡平和会館が建っている。
この地を拠点として、草創の九州は、新たに大きな潮騒となって、東洋広布の先陣を切っていった。
私が第三代会長に就任した年(一九六〇年)、福岡支部は、一年でなんと五回も、「月間の折伏日本一」の圧倒的な大勝利を飾ったのであった。
我らの法戦は、仏と魔との永遠の闘争である。
その最前線に打って出て、邪悪と戦う活発な魂と勇気が、正義の光に包まれた城壁を築き上げる。
万巻を読みし知恵以上の仏の智慧を、わが胸中に宿らせながら、彼らは、新時代の黎明の鐘を打ち続けていった。
東洋広布は九州から!
九州広布は福岡から!
これが、「先駆」の久遠の誓願を果たさんと、力強く立ち上がった同志の心意気であった。
「先駆」——
なんと気高く、光輝な、勝利の心をもった生命であろうか。
◇九州広布の源流
九州の政治・経済の中心である福岡は、創価三代の師弟の魂が深く刻まれた九州広布源流の地だ。
戦前、初代会長・牧口常三郎先生は、現在の北九州市門司区を起点に九州各地を弘教へと歩いた。後に池田先生は、九州最初の支部が結成された牧口先生、二代会長・戸田城聖先生有縁の福岡・八女へ。横暴な国家権力と戦い抜いた先師の雄姿をしのびつつ、師弟の精神を打ち込んだ。
正しき妙法流布の行動に、怖いものは何もなし!
「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(御書287ページ)
蓮祖の厳たる師子吼の通り、牧口先生は、信教の自由の旗を高く、また高く掲げて、権力という魔物に、真っ向から立ち向かい、戦いを挑んだ。
これが学会魂である。
私は、初代会長のご尊顔を胸に浮かべ、深く決意した。
——いかなる迫害に遭おうとも、私は、断固、広宣流布の指揮をとる。人間の自由を奪おうとする、ありとあらゆる悪魔と戦う! 民衆の幸福と正義の勝利のために!
私は、地元の筑後方面の方々をはじめ、そこに集いし福岡の指導者に訴えた。
「リーダーは、巌のごとき信念で、『絶対に勝つ』という一念をもて!」
戦いは甘くない。戦う格好だけの、遊び半分の心で、勝てるわけがない。(中略)いわんや、我らがなさんとするのは、正義と平和の永遠の都を築きゆく、広宣流布という高邁な大闘争だ!
ゆえに、勇気ある先駆の九州の健児は、皆、真剣である。皆、懸命である。
だから、歓喜がわき、知恵がわく。無敵の団結が、あらゆる怪物の障魔を打ち破ることができるのだ。
◇痛烈な地響きを
80年(同55年)4月30日。第5次訪中を終え、長崎に滞在していた池田先生は、列車に乗って福岡へ。この翌日、県本部長会に出席し、反転攻勢の師子吼を轟かせた。第3代会長を辞任後、本格的な地方指導は九州から始まった。
五月一日、私は九州平和会館(当時)を訪問し、わが福岡の弟子に訴えた。
「広宣流布の胸中の旗を断じて降ろしてはならない!」
「折伏の修行の法旗を決して降ろしてはならない!」
「一生涯の成仏の、信心の炎の光を消しては絶対にならない!」
私は一回、もう一回と、この言葉を強く繰り返した。
立ち上がれ、大九州の心臓部・福岡の友よ! 先駆の中の先駆・北九州の友よ!
我らの天地から、大反撃の痛烈な先駆けの地響きを起こしゆけ!
戦いの魂を、戦いの牙を、戦いの炎を失えば、わが同志を守れない。正義を倒さんとする邪悪を滅亡させることもできない。
◇勇気と執念
福岡の誇りは「青年」である。本年は、九州青年部による「5万人の第九」から25周年の佳節。さらに2001年(平成13年)には「10万人の第九」を実現させ、"民衆の凱歌"を高らかに歌い上げた。
この年に師から贈られた随筆を誉れとし、福岡の同志は今再び、青年を先頭に"先駆の勝ち鬨"を響かせる。
九州は勝った。
大九州は、見事に勝った。
その九州の正義の広宣の総本山は、福岡である。
福岡の王者の風格は、連戦連勝の雄大なる威風を持っている。
わが福岡はアジア大交流の希望の玄関だ。
ここには、アジア侵略という蛮行を犯した日本の軍国主義と、生命をかけて戦われた牧口先生の魂がある。
さあ新たな心の交流を! 新たな友情を!
そして、途絶えることなき信頼の大いなる流れを!
偉大な先駆の九州よ!
新世紀の冒頭より、完勝に先駆する王者の福岡よ!
勇気と執念を燃やし、総力をあげ、大勝利の波を日本中に与えてくれ給え!
信念の先駆の九州よ!
燃えよ、燃えよ、燃え上がれ! わが「火の国」の正義の勇者たちよ!
二十一世紀の夢に見た大民衆の大勝利をよろしく頼む!
2019年4月3日水曜日
2019.04.03 わが友に贈る
広布新時代を担う
縦濫而青の若人こそ
わが地域の希望だ。
一人一人を信じ 励まし
共々に成長の歩みを!
松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』
【通解】
女性の身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、大梵天王も天眼をもって御覧になり、帝釈天は合掌して礼拝され、
地神は、御足を大切に押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう。
〈寸鉄〉 2019年4月3日
創価大・女子短大が入学式。最高の学友と綴る偉大な青春譜。学びに学べ
兵庫の川西・猪名川、伊丹が急追。勢いと団結で圧倒を!"勝ち鬨"満天下に
大阪の大正・平野区、堺市西区が奮戦!世界の友が仰ぐ錦州城に栄光の旗を
埼玉の上尾・伊奈、草加、大宮区よ攻撃あるのみ!民衆パワーで凱旋断じて
新社会人よ頑張れ。まず朝に勝つ事から。地道に努力し使命の職場で光れ
☆勇気の旗高く 池田先生と群馬 2019年3月25日
◇「臆病にては叶うべからず」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は群馬県を掲載する。
◇広布の"中心軸"
群馬は、北海道から九州までのほぼ「中央」であり、いわば蝶番の位置にある。
池田先生は指導集『人材の王国 群馬』の発刊に寄せて、万感の思いをつづった。
「日本列島の真ん中に、私の愛してやまない、明るい太陽の宝土があります。ここには、私の信頼してやまない、快活にして大誠実の仲間がいます」「それが、いつも苦楽を分かち合ってきた、わが誉れの群馬家族です。私の心の真ん中には、『人材の王国』群馬の誓願のスクラムが光っているのです」
1999年(平成11年)9月の随筆では、広布の"中心軸"の使命に言及した。
"中心軸"の回転が車輪を動かすように、群馬の団結の同志こそ、時代を動かし、堂々たる民衆の世紀を開きゆく、黄金の車軸となる使命がある。そのために、一にも二にも、諸天をも動かす、「ひたぶるな祈り」「勇気の行動」で前進していくことだ。
それが、いっさいを勝利へ、幸福へ、広布へと動かす原動力である。
「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(御書1187ページ)と、蓮祖大聖人は厳然と仰せである。
ともあれ、人生は「戦い」があるから面白い。前進か、後退か。成長か、停滞か。間断なき、挑戦と応戦の連続が一生である。
群馬の同志は、私と共に、あまたの広布の戦闘をくぐり抜けてきた。冷たい"からっ風"に胸を張り、中傷や迫害の礫をもはね返し、皆さまは、毅然と行進してこられた。
同じ戦うなら、勇んで戦うことである。はつらつと戦えば、いつも若々しい。生命が鍛えられ、強くなる。
そして、強い人は、いっさいを善知識とし、勝利と成長の糧にしていける。わが人生を深く味わい、感謝していける。何ものも恐れず、二十一世紀へ突き進む、皆さまの闘魂の瞳に輝くもの——その名は「勝利の楽土」群馬である。
また、2003年(同15年)4月の随筆では「群馬といえば、雷、空っ風、生糸、コンニャク……。ローマ字で書くと、頭文字が"K"になるものが数多い」と述べた後、その"K"にちなんで、群馬の同志を鼓舞している。
今、わが群馬の同志が誇りとする"K"は何か。
それは——
「確信ある祈り」だ!
「歓喜の前進」だ!
「敢然たる行動」だ!
そして、「広宣流布の雄々しき大闘争」だ!
我らは断固、戦う! 人びとのため、社会のために。
そこにこそ、人生の無上の幸福と歓びがあるからだ!
◇雄々しき勇者に
池田先生は「人材の王国」群馬の友に、信仰者のあるべき姿を訴えてきた。
1993年(同5年)7月7日、渋川平和会館で開催された本部幹部会・群馬県総会では、苦難に立ち向かう信心について語った。
人生には、さまざまな苦難がある。どんな人も、何らかの苦難がある。
ユゴーは言う。その苦難に対して、�あきらめるか�傍観するか�飛び込んでいくか——これによって「未来」は大きく変わる、と。(『ユーゴー全集』9、ユーゴー全集刊行会、趣意)
まず、何かあると、すぐに、"できない""私には力がない"とあきらめる人。それは「弱虫」である。その人にとって、未来は「不可能」でしかない。何ひとつすばらしいものを生めない。幸福もない。
次に、手をこまぬいて何もせず、"私は知らない""私には関係ない"と傍観する人。それは「卑怯者」である。その人にとって、未来はいつまでも「不可知」なまま、わからないままなのである。
第三に、"断じて私は負けない"と雄々しく現実の真っただ中に飛び込む人がいる。ユゴーは、その人こそ「哲人」であり「勇者」である、と。
その人にとって未来は、「理想」として現れると論じている。明るく美しい未来が約束されている。これは仏法の説く生き方にも通じよう。
三つの生き方に三つの未来。心ひとつで、行動いかんで、未来は変わっていく。
大聖人は、「臆病にては叶うべからず」(御書1193、1282ページ)と繰り返し仰せになっておられる。
妙法には無限の力がある。しかし、それを引き出す人の信心が臆病であってはならない。願いも叶わない。
皆さまは、広宣流布という大いなる「理想」に向かって、日々、現実のなかへ飛び込んでおられる。
皆さまこそ、偉大な「哲人」である。「賢者」である。「仏使」であられる。
2001年(同13年)8月13日、群馬代表研修会(群馬多宝研修道場)では、"人生は心で決まる"とスピーチした。
「心こそ大切」である。
「どこまでも学会とともに」進みゆく心。「虚栄のため」「世間体のため」「自分一人のため」ではなく、「友のため」「世界のため」「広宣流布のため」に、わが人生を捧げゆく心。いかなる権威・権力の迫害も恐れず、ひとたび決めた正義の誓いを、生涯、貫きゆく心。この心で生きぬく人生が光る。
永遠の勝利へ、見事なる総仕上げをしていっていただきたい。
◇朗らかな心で
群馬は「太陽の国」。晴天が多く、年間の日照時間の長さは全国トップクラスである。
池田先生は「群馬は"太陽がいっぱい"のすばらしき国土である」「"わが群馬は、世界で最高の国土"と胸を張り、この地に生きる幸せを満喫していっていただきたい」とたたえている。
1991年(同3年)8月9日の群馬県総会(渋川平和会館)では、「太陽の国」の誇りも高く進む群馬の友に大きな期待を寄せた。
皆さまは、赫々たる旭日のごとき信心で、いちだんと朗らかに、いちだんと堂々と進んでいただきたい。
「無敵・群馬」を合言葉に、これまで以上に戦うべき時には断固戦う"誉れの信心"を貫いていただきたい。
どうか皆さまは、何があっても、「朗らかな心」で、「朗らかな前進」を重ね、「朗らかな人生」を生きぬいていただきたい。その「知恵」と「境涯」を開くのが「信心」である。
かけがえのない人生である。「賢明」でなければ、また「強く」なければ、幸福に生きぬけない。
ゆえに皆さまは、だれよりも「聡明に」、だれよりも「強く」また「強く」、痛快なる「正義の勝者」の人生を送っていただきたい。
縦濫而青の若人こそ
わが地域の希望だ。
一人一人を信じ 励まし
共々に成長の歩みを!
松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』
【通解】
女性の身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、大梵天王も天眼をもって御覧になり、帝釈天は合掌して礼拝され、
地神は、御足を大切に押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう。
〈寸鉄〉 2019年4月3日
創価大・女子短大が入学式。最高の学友と綴る偉大な青春譜。学びに学べ
兵庫の川西・猪名川、伊丹が急追。勢いと団結で圧倒を!"勝ち鬨"満天下に
大阪の大正・平野区、堺市西区が奮戦!世界の友が仰ぐ錦州城に栄光の旗を
埼玉の上尾・伊奈、草加、大宮区よ攻撃あるのみ!民衆パワーで凱旋断じて
新社会人よ頑張れ。まず朝に勝つ事から。地道に努力し使命の職場で光れ
☆勇気の旗高く 池田先生と群馬 2019年3月25日
◇「臆病にては叶うべからず」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は群馬県を掲載する。
◇広布の"中心軸"
群馬は、北海道から九州までのほぼ「中央」であり、いわば蝶番の位置にある。
池田先生は指導集『人材の王国 群馬』の発刊に寄せて、万感の思いをつづった。
「日本列島の真ん中に、私の愛してやまない、明るい太陽の宝土があります。ここには、私の信頼してやまない、快活にして大誠実の仲間がいます」「それが、いつも苦楽を分かち合ってきた、わが誉れの群馬家族です。私の心の真ん中には、『人材の王国』群馬の誓願のスクラムが光っているのです」
1999年(平成11年)9月の随筆では、広布の"中心軸"の使命に言及した。
"中心軸"の回転が車輪を動かすように、群馬の団結の同志こそ、時代を動かし、堂々たる民衆の世紀を開きゆく、黄金の車軸となる使命がある。そのために、一にも二にも、諸天をも動かす、「ひたぶるな祈り」「勇気の行動」で前進していくことだ。
それが、いっさいを勝利へ、幸福へ、広布へと動かす原動力である。
「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(御書1187ページ)と、蓮祖大聖人は厳然と仰せである。
ともあれ、人生は「戦い」があるから面白い。前進か、後退か。成長か、停滞か。間断なき、挑戦と応戦の連続が一生である。
群馬の同志は、私と共に、あまたの広布の戦闘をくぐり抜けてきた。冷たい"からっ風"に胸を張り、中傷や迫害の礫をもはね返し、皆さまは、毅然と行進してこられた。
同じ戦うなら、勇んで戦うことである。はつらつと戦えば、いつも若々しい。生命が鍛えられ、強くなる。
そして、強い人は、いっさいを善知識とし、勝利と成長の糧にしていける。わが人生を深く味わい、感謝していける。何ものも恐れず、二十一世紀へ突き進む、皆さまの闘魂の瞳に輝くもの——その名は「勝利の楽土」群馬である。
また、2003年(同15年)4月の随筆では「群馬といえば、雷、空っ風、生糸、コンニャク……。ローマ字で書くと、頭文字が"K"になるものが数多い」と述べた後、その"K"にちなんで、群馬の同志を鼓舞している。
今、わが群馬の同志が誇りとする"K"は何か。
それは——
「確信ある祈り」だ!
「歓喜の前進」だ!
「敢然たる行動」だ!
そして、「広宣流布の雄々しき大闘争」だ!
我らは断固、戦う! 人びとのため、社会のために。
そこにこそ、人生の無上の幸福と歓びがあるからだ!
◇雄々しき勇者に
池田先生は「人材の王国」群馬の友に、信仰者のあるべき姿を訴えてきた。
1993年(同5年)7月7日、渋川平和会館で開催された本部幹部会・群馬県総会では、苦難に立ち向かう信心について語った。
人生には、さまざまな苦難がある。どんな人も、何らかの苦難がある。
ユゴーは言う。その苦難に対して、�あきらめるか�傍観するか�飛び込んでいくか——これによって「未来」は大きく変わる、と。(『ユーゴー全集』9、ユーゴー全集刊行会、趣意)
まず、何かあると、すぐに、"できない""私には力がない"とあきらめる人。それは「弱虫」である。その人にとって、未来は「不可能」でしかない。何ひとつすばらしいものを生めない。幸福もない。
次に、手をこまぬいて何もせず、"私は知らない""私には関係ない"と傍観する人。それは「卑怯者」である。その人にとって、未来はいつまでも「不可知」なまま、わからないままなのである。
第三に、"断じて私は負けない"と雄々しく現実の真っただ中に飛び込む人がいる。ユゴーは、その人こそ「哲人」であり「勇者」である、と。
その人にとって未来は、「理想」として現れると論じている。明るく美しい未来が約束されている。これは仏法の説く生き方にも通じよう。
三つの生き方に三つの未来。心ひとつで、行動いかんで、未来は変わっていく。
大聖人は、「臆病にては叶うべからず」(御書1193、1282ページ)と繰り返し仰せになっておられる。
妙法には無限の力がある。しかし、それを引き出す人の信心が臆病であってはならない。願いも叶わない。
皆さまは、広宣流布という大いなる「理想」に向かって、日々、現実のなかへ飛び込んでおられる。
皆さまこそ、偉大な「哲人」である。「賢者」である。「仏使」であられる。
2001年(同13年)8月13日、群馬代表研修会(群馬多宝研修道場)では、"人生は心で決まる"とスピーチした。
「心こそ大切」である。
「どこまでも学会とともに」進みゆく心。「虚栄のため」「世間体のため」「自分一人のため」ではなく、「友のため」「世界のため」「広宣流布のため」に、わが人生を捧げゆく心。いかなる権威・権力の迫害も恐れず、ひとたび決めた正義の誓いを、生涯、貫きゆく心。この心で生きぬく人生が光る。
永遠の勝利へ、見事なる総仕上げをしていっていただきたい。
◇朗らかな心で
群馬は「太陽の国」。晴天が多く、年間の日照時間の長さは全国トップクラスである。
池田先生は「群馬は"太陽がいっぱい"のすばらしき国土である」「"わが群馬は、世界で最高の国土"と胸を張り、この地に生きる幸せを満喫していっていただきたい」とたたえている。
1991年(同3年)8月9日の群馬県総会(渋川平和会館)では、「太陽の国」の誇りも高く進む群馬の友に大きな期待を寄せた。
皆さまは、赫々たる旭日のごとき信心で、いちだんと朗らかに、いちだんと堂々と進んでいただきたい。
「無敵・群馬」を合言葉に、これまで以上に戦うべき時には断固戦う"誉れの信心"を貫いていただきたい。
どうか皆さまは、何があっても、「朗らかな心」で、「朗らかな前進」を重ね、「朗らかな人生」を生きぬいていただきたい。その「知恵」と「境涯」を開くのが「信心」である。
かけがえのない人生である。「賢明」でなければ、また「強く」なければ、幸福に生きぬけない。
ゆえに皆さまは、だれよりも「聡明に」、だれよりも「強く」また「強く」、痛快なる「正義の勝者」の人生を送っていただきたい。
2019年4月2日火曜日
2019.04.02 わが友に贈る
きょう一日を
「最高の日」に!
決意即行動で
限りある時間を
最大に生かしきろう!
上野殿後家尼御返事 P1506
『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にもこれあるなり、釈迦仏御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき凡夫のふるまひを示し給うか』
【通解】
亡くなられたご主人は、法華経の行者であられたので、即身成仏は疑いありません。それほど嘆かれることはないのです。しかしまた、嘆かれるのが凡夫として当然でありましょう。聖人にも、この嘆きはあるのです。
釈迦仏が御入滅されたとき、悟りを得ている多くの高弟らが嘆かれたことは、凡夫の振る舞いを示されたのでしょうか。
〈寸鉄〉 2019年4月2日
桜花の4・2。創価の師弟の激闘は仏法史に燦然。魂継ぐ青年が世界に陸続
京都の山科・中京・下京が気迫の猛追。強気でいけ。勝利の劇はここからだ!
滋賀・大津、奈良市・山添村よ総立ちで拡大更に!常勝の空に凱歌轟かせよ
新潟の長岡・出雲崎、長野の飯田・下伊那、大逆転を"師子王の心"で勝ち捲れ
振込詐欺グループがタイで逮捕と。手口は一段と狡猾に。絶対、隙つくるな
☆四季の励まし 我ら創価の春が来た! 2019年3月31日
出会いは人生の花だ。
信じ合える絆は宝だ。
私も、正義に生きる
恩師・戸田先生との出会いが
人生を決めた。
苦悩渦巻く社会で、
この流転から人々を解放し、
困難を打開しゆく仏法ならば、
一生をかけてみよう——
こう決意して、
師弟の道を歩み始めた。
わが一念を定めれば、
全てが開けていく。
信心根本の軌道ほど、
強く、充実した人生はない。
正義の戦いを起こすならば、
断じて勝つことだ。
異体同心で進むことである。
我らの目的は
広宣流布 即 世界平和である。
我らの前進は、
どこまでも信仰を根幹に、
全民衆を幸福にしていくのである。
民衆を利用し、
民衆を苦しめる動きは、
断じて許さない。
まじめな庶民が馬鹿を見ない社会。
一番、苦しんできた人が、
一番、幸福になる世界。
それを築くための戦いだ。
まず張り切って、
一歩を踏み出すことだ。
たとえ、つまずいても、
朗らかに、たくましく、
次の一歩を踏み出せばよい。
今日一日を勝つことだ。
桜の生命と同じように、
我々も力の限り、
生きて生きて生き抜いて、
己の使命の花を
咲き薫らせていくことだ。
これが本然の法則だ。
我らに春が来た!
勝利の春が来た!
創価の同志の春が来た!
爛漫たる桜花が青空に映える。桜の下では、にぎやかな語らいの輪が広がっていた——今月27日、東京の桜が満開に。池田大作先生は同日、都内で、咲き誇る桜をカメラに収めた。
来る4月2日は、桜をこよなく愛した第2代会長・戸田城聖先生の祥月命日。
かつて池田先生は、戸田先生を偲びつつ、こうつづった。
「毎日が、恩師との対話であり、恩師への誓いであり、恩師との共戦であった」
いよいよ春本番の4月。わが誓願を胸に、創価勝利への新たな前進を開始する時が来た。桜前線の北上とともに、我らも友情と信頼の"対話の花"を満開に咲かせていきたい。
「最高の日」に!
決意即行動で
限りある時間を
最大に生かしきろう!
上野殿後家尼御返事 P1506
『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にもこれあるなり、釈迦仏御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき凡夫のふるまひを示し給うか』
【通解】
亡くなられたご主人は、法華経の行者であられたので、即身成仏は疑いありません。それほど嘆かれることはないのです。しかしまた、嘆かれるのが凡夫として当然でありましょう。聖人にも、この嘆きはあるのです。
釈迦仏が御入滅されたとき、悟りを得ている多くの高弟らが嘆かれたことは、凡夫の振る舞いを示されたのでしょうか。
〈寸鉄〉 2019年4月2日
桜花の4・2。創価の師弟の激闘は仏法史に燦然。魂継ぐ青年が世界に陸続
京都の山科・中京・下京が気迫の猛追。強気でいけ。勝利の劇はここからだ!
滋賀・大津、奈良市・山添村よ総立ちで拡大更に!常勝の空に凱歌轟かせよ
新潟の長岡・出雲崎、長野の飯田・下伊那、大逆転を"師子王の心"で勝ち捲れ
振込詐欺グループがタイで逮捕と。手口は一段と狡猾に。絶対、隙つくるな
☆四季の励まし 我ら創価の春が来た! 2019年3月31日
出会いは人生の花だ。
信じ合える絆は宝だ。
私も、正義に生きる
恩師・戸田先生との出会いが
人生を決めた。
苦悩渦巻く社会で、
この流転から人々を解放し、
困難を打開しゆく仏法ならば、
一生をかけてみよう——
こう決意して、
師弟の道を歩み始めた。
わが一念を定めれば、
全てが開けていく。
信心根本の軌道ほど、
強く、充実した人生はない。
正義の戦いを起こすならば、
断じて勝つことだ。
異体同心で進むことである。
我らの目的は
広宣流布 即 世界平和である。
我らの前進は、
どこまでも信仰を根幹に、
全民衆を幸福にしていくのである。
民衆を利用し、
民衆を苦しめる動きは、
断じて許さない。
まじめな庶民が馬鹿を見ない社会。
一番、苦しんできた人が、
一番、幸福になる世界。
それを築くための戦いだ。
まず張り切って、
一歩を踏み出すことだ。
たとえ、つまずいても、
朗らかに、たくましく、
次の一歩を踏み出せばよい。
今日一日を勝つことだ。
桜の生命と同じように、
我々も力の限り、
生きて生きて生き抜いて、
己の使命の花を
咲き薫らせていくことだ。
これが本然の法則だ。
我らに春が来た!
勝利の春が来た!
創価の同志の春が来た!
爛漫たる桜花が青空に映える。桜の下では、にぎやかな語らいの輪が広がっていた——今月27日、東京の桜が満開に。池田大作先生は同日、都内で、咲き誇る桜をカメラに収めた。
来る4月2日は、桜をこよなく愛した第2代会長・戸田城聖先生の祥月命日。
かつて池田先生は、戸田先生を偲びつつ、こうつづった。
「毎日が、恩師との対話であり、恩師への誓いであり、恩師との共戦であった」
いよいよ春本番の4月。わが誓願を胸に、創価勝利への新たな前進を開始する時が来た。桜前線の北上とともに、我らも友情と信頼の"対話の花"を満開に咲かせていきたい。
2019.04.01 わが友に贈る
◇今週のことば
御本仏直結の大確信で
朗らかに走り抜こう!
「何事か成就せざるべき」
異体同心のスクラム固く
桜満開の人生を共々に!
2019年4月1日
御義口伝巻上 P738
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云、此れ諸天善神等男女と顕れて法華経の行者を供養す可しと云う経文なり』
【通解】
いま南無妙法蓮華経と唱え奉る日蓮大聖人の弟子檀那の信心は清信である。
この文証は、諸天善神が、信心強盛な男女の姿をとって、法華経の行者、日蓮大聖人およびその門下を供養するという経文である。
〈寸鉄〉 2019年4月1日
会長の大学講演こそ世界の運命を変える平和の光—識者。時代建設の指針
大阪の茨木市、高槻市・島本町が激戦。歴史創れ。庶民の底力で押し勝て!
神戸市須磨・長田、姫路市よ断固攻め抜け!兵庫に常勝の不滅の金字塔築け
爽やかな挨拶から新年度を出発。新しい友と友情結ぶ好機。清新な息吹で
中高年ひきこもり、契機は退職が最多。問われる人生観。広布は生涯青春
☆大白蓮華巻頭言 2019年4月号 創価には「しりぞく心なし」
「さあ、勇敢に、楽しく戦おうじやないか!」
恩師は、大変であればあるほど、悠然と言い放たれた。どんな断崖絶壁の苦境に追い込まれよう、一歩も退かないと決めた勇気ある信心で、必ず難局を切り開らける。
苦難の中でこそ、偉大な創造が成されるのだ。思えば、聖教新間の創刊も、最大の試練の渦中に構想された。
御本仏・日蓮大聖人は、「広宣流布」「立正安国」とは、法華経の行者と第六天の魔王とが、生死の苦悩の逆巻く大海で、この娑婆世界を「とられじ・うばはんと・あらそう」(1224ページ)大法戦の舞台であると示されている。
一切衆生を魔軍から守り、不幸の流転から救い切っていくために、大聖人御自身が戦いを起こされて、「一度もしりぞく心なし」(同ページ)と仰せなのである。
この甚深の御書をいただいたのは、庶民の母である。度重なる大難に臆病な弟子らが退転しても、決して退かなかった健気な信心を、御本仏は「釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか」(同ページ)と讃えておられるのだ。
"あなたこそ、私と同じ不退の心の法華経の行者だよ"それは、学会家族への御賞讚と拝されてならない。
大聖人が開始なされた、人類の宿命を転換しゆく壮大なる平和と幸福の師弟共戦を、そのまま受け継いでいる地涌の陣列こそ、創価の父母たちであるからだ。
いかに障魔が競い起こり、いかに災難が打ち続こうとも、我らは「立正安国」の旗を断じて降ろさない。強敵が立ちはだかるほどに、誓願同心の民衆がいやまして団結し、底力を発揮して、一切を勝ち超えていくのだ。
広布の大闘争から、一人一人の「人間革命」の劇が生まれ、それぞれの地域の「三変土田」の歴史が創られる。
「御義口伝」には、「依報も正法も福運・智慧ともに無量であり、いわゆる南無妙法蓮華経とは福智の二法なのである」(792ページ、通解)と明かされている。
個人も社会も妙法の福智の光りで包みながら、幸と安穏の世界を広げゆこう! 創価には「しりぞく心なし」と。
久遠より
共に誓いし
この地にて
皆が笑顔の
勝利の旗ふれ
☆4月の広布史
◎4・2「第2代会長戸田城聖先生命日」
1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が、広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。
※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」
◎4・11「ヤング・ミセスの日」
86年(同61年)4月11日、池田先生ご夫妻が出席して行われた東京・北多摩圏(現・学園総区)のヤング・ミセスの集いにちなんで定められた。
※参考資料=ヤング・ミセス指導集『幸福の太陽』
◎4・20「聖教新聞創刊記念日」
51年(同26年)4月20日、聖教新聞が創刊。当時は、発行部数5000部、月3回刊の2ページ建て。71年(同46年)1月から現在の日刊12ページ建てとなり、公式ウェブサイト「セイキョウオンライン」には、世界190カ国・地域からアクセスがあるなど、大きく発展した。
※参考資料=『新・人間革命』第4巻「凱旋」、第10巻「言論城」、第14巻「大河」
◎4・28「立宗の日」
1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。「聖人御難事」には「建長五年太歳癸丑四月二十八日に(中略)此の法門申しはじめて」(御書1189ページ)としたためられている。
御本仏直結の大確信で
朗らかに走り抜こう!
「何事か成就せざるべき」
異体同心のスクラム固く
桜満開の人生を共々に!
2019年4月1日
御義口伝巻上 P738
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云、此れ諸天善神等男女と顕れて法華経の行者を供養す可しと云う経文なり』
【通解】
いま南無妙法蓮華経と唱え奉る日蓮大聖人の弟子檀那の信心は清信である。
この文証は、諸天善神が、信心強盛な男女の姿をとって、法華経の行者、日蓮大聖人およびその門下を供養するという経文である。
〈寸鉄〉 2019年4月1日
会長の大学講演こそ世界の運命を変える平和の光—識者。時代建設の指針
大阪の茨木市、高槻市・島本町が激戦。歴史創れ。庶民の底力で押し勝て!
神戸市須磨・長田、姫路市よ断固攻め抜け!兵庫に常勝の不滅の金字塔築け
爽やかな挨拶から新年度を出発。新しい友と友情結ぶ好機。清新な息吹で
中高年ひきこもり、契機は退職が最多。問われる人生観。広布は生涯青春
☆大白蓮華巻頭言 2019年4月号 創価には「しりぞく心なし」
「さあ、勇敢に、楽しく戦おうじやないか!」
恩師は、大変であればあるほど、悠然と言い放たれた。どんな断崖絶壁の苦境に追い込まれよう、一歩も退かないと決めた勇気ある信心で、必ず難局を切り開らける。
苦難の中でこそ、偉大な創造が成されるのだ。思えば、聖教新間の創刊も、最大の試練の渦中に構想された。
御本仏・日蓮大聖人は、「広宣流布」「立正安国」とは、法華経の行者と第六天の魔王とが、生死の苦悩の逆巻く大海で、この娑婆世界を「とられじ・うばはんと・あらそう」(1224ページ)大法戦の舞台であると示されている。
一切衆生を魔軍から守り、不幸の流転から救い切っていくために、大聖人御自身が戦いを起こされて、「一度もしりぞく心なし」(同ページ)と仰せなのである。
この甚深の御書をいただいたのは、庶民の母である。度重なる大難に臆病な弟子らが退転しても、決して退かなかった健気な信心を、御本仏は「釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか」(同ページ)と讃えておられるのだ。
"あなたこそ、私と同じ不退の心の法華経の行者だよ"それは、学会家族への御賞讚と拝されてならない。
大聖人が開始なされた、人類の宿命を転換しゆく壮大なる平和と幸福の師弟共戦を、そのまま受け継いでいる地涌の陣列こそ、創価の父母たちであるからだ。
いかに障魔が競い起こり、いかに災難が打ち続こうとも、我らは「立正安国」の旗を断じて降ろさない。強敵が立ちはだかるほどに、誓願同心の民衆がいやまして団結し、底力を発揮して、一切を勝ち超えていくのだ。
広布の大闘争から、一人一人の「人間革命」の劇が生まれ、それぞれの地域の「三変土田」の歴史が創られる。
「御義口伝」には、「依報も正法も福運・智慧ともに無量であり、いわゆる南無妙法蓮華経とは福智の二法なのである」(792ページ、通解)と明かされている。
個人も社会も妙法の福智の光りで包みながら、幸と安穏の世界を広げゆこう! 創価には「しりぞく心なし」と。
久遠より
共に誓いし
この地にて
皆が笑顔の
勝利の旗ふれ
☆4月の広布史
◎4・2「第2代会長戸田城聖先生命日」
1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が、広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。
※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」
◎4・11「ヤング・ミセスの日」
86年(同61年)4月11日、池田先生ご夫妻が出席して行われた東京・北多摩圏(現・学園総区)のヤング・ミセスの集いにちなんで定められた。
※参考資料=ヤング・ミセス指導集『幸福の太陽』
◎4・20「聖教新聞創刊記念日」
51年(同26年)4月20日、聖教新聞が創刊。当時は、発行部数5000部、月3回刊の2ページ建て。71年(同46年)1月から現在の日刊12ページ建てとなり、公式ウェブサイト「セイキョウオンライン」には、世界190カ国・地域からアクセスがあるなど、大きく発展した。
※参考資料=『新・人間革命』第4巻「凱旋」、第10巻「言論城」、第14巻「大河」
◎4・28「立宗の日」
1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。「聖人御難事」には「建長五年太歳癸丑四月二十八日に(中略)此の法門申しはじめて」(御書1189ページ)としたためられている。
2019.03.31 わが友に贈る
「各各思い切り給へ」
広布一筋の信心が
いかなる逆境も覆す。
「よしやるぞ!」と
勇猛精進の日々を!
経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』
【通解】
この曼陀羅をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。
〈寸鉄〉 2019年3月31日
教育本部の日。創価三代の理想は友の心に脈々!子らの笑顔輝く世紀開け
愛知・春日井市、名古屋市西区よ果敢に攻め勝て!勝負決する師子吼今こそ
鹿児島市・鹿児島郡、福岡市東区が疾風怒濤の追い上げ。勝利の誓い果たせ
昨年の犯罪被害、2千万人と。不審メールは開くな。暗証番号も厳重管理
あす新元号発表。学会が宗門と別れ、世界宗教に飛躍した平成。歴史に燦
☆新時代を築く 励ましの春風を友へ地域へ 2019年3月25日
「創価桜」の春が来た!"桜守"の方々の丹精に応えて、年輪を重ねた総本部の「青年桜」も開花した。
桜を愛でられた御本仏は、「十界互具」の譬えとして「木中の花」と表現されている(御書242ページ)。
冬の木には花が潜んでいるとは見えないけれども、春が巡り来れば咲き薫る。仏界の涌現も同じである。
学会家族は、この法理の通り、宿命転換の実証の花を咲かせてきた。何があっても、強盛な祈りと実践で、妙法の無限の力を発揮し、不可能を可能にしていくのだ。
* * *
我らの創価桜の道は、常に日蓮大聖人とご一緒だ。
「御義口伝」には、「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処(皆、共に宝処に至る)なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し」(同734ページ)と説かれる。
大聖人と共に、妙法と共に、広宣流布に挑む我らの前進は、断じて行き詰まらない。必ず諸天も動き、活路は絶対に開かれる。
広布の労苦には、少しの無駄もない。あとから振り返れば、最も苦しい時こそ、最も人間革命が進み、最も輝く「今生人界の思出」(同467ページ)となるのだ。
戸田先生は言われた。
「仏法を現実社会の中で行じ、人間のため、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖人門下ではないか」
この共戦の旅路の中で、新しい人材は陸続と育つ。そして仏縁を深め、幸と平和の宝処へ共に歩む仲間を一段と創りゆけるのだ。
* * *
仏法では、「闘諍言訟」の末法は、万般に争いが絶えない時代と喝破されている。いわば、社会のいずこも「自界叛逆」という分断に引き裂かれる宿命を帯びているのだ。
それを妙法の力で大転換し、民衆の一人一人が幸福と和楽を開きながら、桜梅桃李の麗しい人間共和の世界を築き上げていくことが、立正安国である。
今、我らの「異体同心」の団結こそが、どんな差異も超え、青年を結び、人々を結ぶ連帯として、力強く平和の光を放っている。
大聖人は、「ほむれば弥功徳まさる」(同1242ページ)と仰せになられた。
励ましは、希望を生み、勇気を伝える「万の力」だ。
進学、就職、転居等、新たな出発の季節でもある。友へ地域へ、励ましの春風を明るく温かく広げゆこう!
栄光の5・3へ、共々に福徳勝利の花また花を爛漫と咲かせようではないか!
広布一筋の信心が
いかなる逆境も覆す。
「よしやるぞ!」と
勇猛精進の日々を!
経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』
【通解】
この曼陀羅をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。
〈寸鉄〉 2019年3月31日
教育本部の日。創価三代の理想は友の心に脈々!子らの笑顔輝く世紀開け
愛知・春日井市、名古屋市西区よ果敢に攻め勝て!勝負決する師子吼今こそ
鹿児島市・鹿児島郡、福岡市東区が疾風怒濤の追い上げ。勝利の誓い果たせ
昨年の犯罪被害、2千万人と。不審メールは開くな。暗証番号も厳重管理
あす新元号発表。学会が宗門と別れ、世界宗教に飛躍した平成。歴史に燦
☆新時代を築く 励ましの春風を友へ地域へ 2019年3月25日
「創価桜」の春が来た!"桜守"の方々の丹精に応えて、年輪を重ねた総本部の「青年桜」も開花した。
桜を愛でられた御本仏は、「十界互具」の譬えとして「木中の花」と表現されている(御書242ページ)。
冬の木には花が潜んでいるとは見えないけれども、春が巡り来れば咲き薫る。仏界の涌現も同じである。
学会家族は、この法理の通り、宿命転換の実証の花を咲かせてきた。何があっても、強盛な祈りと実践で、妙法の無限の力を発揮し、不可能を可能にしていくのだ。
* * *
我らの創価桜の道は、常に日蓮大聖人とご一緒だ。
「御義口伝」には、「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処(皆、共に宝処に至る)なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し」(同734ページ)と説かれる。
大聖人と共に、妙法と共に、広宣流布に挑む我らの前進は、断じて行き詰まらない。必ず諸天も動き、活路は絶対に開かれる。
広布の労苦には、少しの無駄もない。あとから振り返れば、最も苦しい時こそ、最も人間革命が進み、最も輝く「今生人界の思出」(同467ページ)となるのだ。
戸田先生は言われた。
「仏法を現実社会の中で行じ、人間のため、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖人門下ではないか」
この共戦の旅路の中で、新しい人材は陸続と育つ。そして仏縁を深め、幸と平和の宝処へ共に歩む仲間を一段と創りゆけるのだ。
* * *
仏法では、「闘諍言訟」の末法は、万般に争いが絶えない時代と喝破されている。いわば、社会のいずこも「自界叛逆」という分断に引き裂かれる宿命を帯びているのだ。
それを妙法の力で大転換し、民衆の一人一人が幸福と和楽を開きながら、桜梅桃李の麗しい人間共和の世界を築き上げていくことが、立正安国である。
今、我らの「異体同心」の団結こそが、どんな差異も超え、青年を結び、人々を結ぶ連帯として、力強く平和の光を放っている。
大聖人は、「ほむれば弥功徳まさる」(同1242ページ)と仰せになられた。
励ましは、希望を生み、勇気を伝える「万の力」だ。
進学、就職、転居等、新たな出発の季節でもある。友へ地域へ、励ましの春風を明るく温かく広げゆこう!
栄光の5・3へ、共々に福徳勝利の花また花を爛漫と咲かせようではないか!
2019.03.30 わが友に贈る
さあ 行動の春本番。
わが愛する地域で
笑顔満開の対話を!
心暖かな励ましを!
まず祈りから出発だ。
減劫御書 P1466
『殷の代の濁りて民のわづらいしを大公望出世して殷の紂が頚を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし、此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人はしらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり』
【通解】
殷の世が混乱して、民衆が苦しんでいた時に大公望が世に出て、殷の紂王の頸を切り、民の嘆きを解決した。秦の第二代皇帝が民衆を苦しめた時に張良が出て世の中を治め、民の生活を豊かにした。
これらは仏法が中国に伝わる以前ではあるけれども、教主釈尊の御使いとして、民衆を助けたのである。外経を信ずる人々にはわからなかったが、民衆を救った彼らの内心には、仏法の智慧を含んでいたのである。
〈寸鉄〉 2019年3月30日
池田先生の青年室長就任65周年。若人よ今いる場所で全責任を担い立て!
札幌市の北・東・清田・厚別区よ、断じて押し捲れ。痛快なる勝利劇を共に!
福岡市早良区、宮崎・延岡市が総決起!攻め抜いた方が勝つ。破竹の勢いで
「一の師子王吼れば百子力を得て」御書。一人の勇気こそ未来を開く突破口
CO2濃度、過去最高を更新。増加傾向止まらず。環境保全へ取り組み急務
☆四季の励まし 勇気と信念の声を高らかに 2019年3月24日
◇先駆の大闘争心こそ九州の魂
人間の価値は、
財産でもなければ、地位でもない。
どのような哲学を持ち、
どのような
実践をしているかで決まる。
ゆえに、最高無上の妙法を持ち、
行じ、弘めゆく創価の同志こそ、
男女はきらわず、
最高無上の大人材なのである。
たとえ不遇な状況におちいっても、
笑われても、けなされ、
謗られ、迫害されても——
いかなる苦難にあっても、
決して屈しない。
まったく動じない。
そのような、
堂々たる「人格」を鍛え、
自分自身として輝き続ける。
そのための信仰である。
それが真の学会員の誇りなのだ。
人の胸を打つのは「真剣さ」だ。
「必死の一念」である。
そこから、勝つための智慧も
わき出てくるものだ。
「もういいだろう」
「このへんでやめておこう」と
手を抜いてしまえば、
それ以上は絶対に前に進まない。
妙法の力は、無限である。
もう一歩、あと一歩の執念で、
わが目標の完遂へ
勇んで突き進んでまいりたい。
仏は
対話に臨んで逡巡しない。
遠慮もしない。
いかなる違いや葛藤があっても、
相手の仏の生命を呼び覚まし、
広宣流布の味方に変えていける。
誰に対しても
臆さずに真実を訴える。
悩める友を真心から励ます。
この同志の声ほど、尊く強く、
妙なる生命の名曲があろうか。
信念と希望と決意の声を響かせ、
前進だ!
夕日に照らされた九州池田講堂(福岡市東区)。1994年(平成6年)11月、池田大作先生が撮影した。先生は同月、福岡ドームでの「アジア青年平和音楽祭」に出席。音楽祭では、5万人の青年が楽聖ベートーベンの"歓喜の歌"を歌い上げ、学会の正義を満天下に示した。本年は、この5万人の"正義の歌声"から25周年の佳節を迎える。
ベートーベンは述べている。
「困難な何ごとかを克服するたびごとに私はいつも幸福を感じました」(ロマン・ロラン著、片山敏彦訳『ベートーヴェンの生涯』岩波書店)
私たちもいかなる困難があろうとも、勇気と信念の声を高らかに響かせ、愛する地域に平和と幸福のスクラムを広げよう。
わが愛する地域で
笑顔満開の対話を!
心暖かな励ましを!
まず祈りから出発だ。
減劫御書 P1466
『殷の代の濁りて民のわづらいしを大公望出世して殷の紂が頚を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし、此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人はしらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり』
【通解】
殷の世が混乱して、民衆が苦しんでいた時に大公望が世に出て、殷の紂王の頸を切り、民の嘆きを解決した。秦の第二代皇帝が民衆を苦しめた時に張良が出て世の中を治め、民の生活を豊かにした。
これらは仏法が中国に伝わる以前ではあるけれども、教主釈尊の御使いとして、民衆を助けたのである。外経を信ずる人々にはわからなかったが、民衆を救った彼らの内心には、仏法の智慧を含んでいたのである。
〈寸鉄〉 2019年3月30日
池田先生の青年室長就任65周年。若人よ今いる場所で全責任を担い立て!
札幌市の北・東・清田・厚別区よ、断じて押し捲れ。痛快なる勝利劇を共に!
福岡市早良区、宮崎・延岡市が総決起!攻め抜いた方が勝つ。破竹の勢いで
「一の師子王吼れば百子力を得て」御書。一人の勇気こそ未来を開く突破口
CO2濃度、過去最高を更新。増加傾向止まらず。環境保全へ取り組み急務
☆四季の励まし 勇気と信念の声を高らかに 2019年3月24日
◇先駆の大闘争心こそ九州の魂
人間の価値は、
財産でもなければ、地位でもない。
どのような哲学を持ち、
どのような
実践をしているかで決まる。
ゆえに、最高無上の妙法を持ち、
行じ、弘めゆく創価の同志こそ、
男女はきらわず、
最高無上の大人材なのである。
たとえ不遇な状況におちいっても、
笑われても、けなされ、
謗られ、迫害されても——
いかなる苦難にあっても、
決して屈しない。
まったく動じない。
そのような、
堂々たる「人格」を鍛え、
自分自身として輝き続ける。
そのための信仰である。
それが真の学会員の誇りなのだ。
人の胸を打つのは「真剣さ」だ。
「必死の一念」である。
そこから、勝つための智慧も
わき出てくるものだ。
「もういいだろう」
「このへんでやめておこう」と
手を抜いてしまえば、
それ以上は絶対に前に進まない。
妙法の力は、無限である。
もう一歩、あと一歩の執念で、
わが目標の完遂へ
勇んで突き進んでまいりたい。
仏は
対話に臨んで逡巡しない。
遠慮もしない。
いかなる違いや葛藤があっても、
相手の仏の生命を呼び覚まし、
広宣流布の味方に変えていける。
誰に対しても
臆さずに真実を訴える。
悩める友を真心から励ます。
この同志の声ほど、尊く強く、
妙なる生命の名曲があろうか。
信念と希望と決意の声を響かせ、
前進だ!
夕日に照らされた九州池田講堂(福岡市東区)。1994年(平成6年)11月、池田大作先生が撮影した。先生は同月、福岡ドームでの「アジア青年平和音楽祭」に出席。音楽祭では、5万人の青年が楽聖ベートーベンの"歓喜の歌"を歌い上げ、学会の正義を満天下に示した。本年は、この5万人の"正義の歌声"から25周年の佳節を迎える。
ベートーベンは述べている。
「困難な何ごとかを克服するたびごとに私はいつも幸福を感じました」(ロマン・ロラン著、片山敏彦訳『ベートーヴェンの生涯』岩波書店)
私たちもいかなる困難があろうとも、勇気と信念の声を高らかに響かせ、愛する地域に平和と幸福のスクラムを広げよう。
2019.03.29 わが友に贈る
偉大な使命の人生だ。
「これだけは!」と
誇れる自分史を残そう。
一日一日を悔いなく
充実と向上の歩みを!
顕謗法抄 P447
『若し仏此の地獄の苦を具に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり』
【通解】
もし仏がこの地獄の苦しみをつぶさに説かれたならば、人はこれを聞いて血をはいて死ぬだろうから、仏はくわしく説かれなかったと思われる。
〈寸鉄〉 2019年3月29日
青年が動けば波動が広がる。立正安国の理想胸に正々堂々と!先駆を頼む
長野の飯田・下伊那、上田・小県、勇敢に切り込め。新時代の栄光の歴史を!
長岡・三島、新潟市中央よ勢いと団結で勝ち進め!激戦制する拡大を今こそ
地方選告示。地域の針路決める機会。誰が働くか政策・実績等、見極め選択
「専門職大学」が誕生へ。55年ぶり新種類の学府。"実践力"育む教育に期待
☆勇気の旗高く 池田先生と愛知 2019年3月21日
◇必死の一人は万軍に勝る
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は愛知県を掲載する。
◇攻めの姿勢
「この地から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の天下人3人も生まれている。人材を生む天地である」
池田先生は折に触れ、歴史回天の要となってきた愛知の重要性に言及してきた。
天下統一への転機となった「桶狭間の戦い」は、現在の名古屋市緑区で繰り広げられたともいわれる。兵数に諸説あるものの、今川義元の軍勢は2万5000。一方、織田信長は、わずか2000。実に10分の1以下の劣勢である。
なぜ、信長が勝利を収めることができたのか。池田先生は2007年5月のスピーチで、その勝因の一つに「攻めの姿勢」を挙げた。
まず信長は、籠城などの「守りの態勢」ではなかった。あくまでも自ら打って出て、断固、陣頭に立って戦う「攻めの姿勢」で臨んだ。
「攻め」の行動が、時をつかむ。「勝利のチャンス」を開く。
そもそも信長は、天下統一への30年にわたる戦いで、受け身の「籠城戦」は一度もしなかった。むしろ、信長は、敵の領域まで打って出て戦うのが、常であったという。
御聖訓には、「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と仰せである。この、徹底した広宣流布の攻撃精神こそ、学会精神である。
吉川英治氏は小説『新書太閤記』で、迫り来る今川の大軍との戦いを前に、気概に燃える信長の心境を、こう描いている。
「按じるに信長には、今が逆境の谷底と見えた。おもしろや逆境。しかも相手は大きい。この大濤こそ、運命が信長に与えてくれた生涯の天機やも知れぬ」(講談社)
さらにまた、主君・信長とともに「桶狭間」を戦った若き秀吉についても、こう描いている。
「どんな濤でものりこえて見せようという覚悟が、強いて覚悟と意識しないでも肚にすわっている。そこに洋々たる楽しさが前途に眺められた。波瀾があればあるほど、この世はおもしろく観じられるのであった」(同)
青春には、そして人生には、大なり小なり、試練の決戦の時がある。それは、それぞれの「桶狭間の戦い」といってよい。
大聖人は、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)と仰せである。
いざという時に、いかなる「一念」で戦いに臨むのか。これが、決定的に重要なのである。すっきりした一念でなければ、戦いは勝てない。
戸田先生は、この一戦の勝因について、こう喝破されていた。
「どんなに多勢でも、団結がなければ戦には負ける。信長軍は少数であったが、『敵の大将を討つ!』という明確な目標に向かって団結したから勝ったのだ」と。
団結こそ、勝利の根本の力である。
なかんずく、「破邪」の一念で一丸となった異体同心の団結ほど、強いものはない。
◇常に自身を変革
愛知・豊田市には、トヨタ自動車の本社がある。
世界をリードし続ける発展の要因は何か。
池田先生は、同社の代名詞ともいえる「カイゼン(改善)」の精神に触れ、呼び掛けている。
トヨタの合言葉である「カイゼン」は、今や世界中に知られる国際語となった。自身を常に変革していく勇気——それが、トヨタの世界的な躍進を可能にしているのである。
毎日が戦いだ。
毎日が進歩のための闘争である。改善のための改善ではなく、勝利のための「改善」である。価値を生むための「改善」に取り組むことだ。生きた「改善」を繰り返していくことだ。それが、勝つための法則である。
今いる環境に安住して、新たな挑戦の行動を起こさなければ、その団体はやがて滅びていく。
大切なのは、常に自身を変革していくことだ。私たちでいえば「人間革命」である。
自らをつねに新たにし、成長させていくのが、我らの信仰である。そのための最高の方法が、唱題であり、学会活動である。
重要なのは行動だ。自らの行動で、道を切り開いていくことだ。どうか全リーダーが先頭に立ち、新たな大前進への波動を起こしていっていただきたい。
◇諸天を動かせ
愛知の同志が、いつも胸に響かせる歌がある。
池田先生が作詞を手掛けた中部歌「この道の歌」。
2001年7月の随筆では、中部指導(1978年7月)の間隙を縫い、同歌の推敲を重ねた真情がつづられた。
先生は、歌詞の結びにあった「諸天舞う」を、「諸天舞え」と変えている。
たった一字の違いだが、ここに、一切を勝利に転じゆく深い一念が込められている。
この師弟の呼吸を生命に刻み、愛知の友は決然と立つ。
諸天が「舞う」だけでは、主体である我々にとっては、受動的になってしまう。
大事なのは、諸天をも「舞わせる」、つまり「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動にしていくべきである。
仏法の勝負は厳しい。
中途半端な、ひ弱な精神では、断じて勝てない。
民衆の悲嘆の流転を変え、堂々たる民衆勝利の大喝采を叫ぶことはできない。
ゆえに、徹して、断じて強くあれ! ひとたび戦いを起こしたなら、必ず勝て!
必死の一人は、万軍に勝るのだ!
蓮祖は仰せである。
「頭をふれば かみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、(中略)教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(御書1187ページ)
強い祈りが、教主釈尊を動かし、諸天善神を存分に働かせていくのである。
猛然と祈り動けば、必ず、多くの人びとが諸天善神となって味方と変わる。
これが、大仏法の原則だ。
敬愛する愛知の友よ!
新しき、また新しき正義の戦いに勝利し、壮大なる広宣流布の大城を、護り築いていただきたい。
偉大なる愛知よ!
新世紀の「創価の烈士」よ!
遂に来た決戦の時、未来永劫に、その名を輝かせゆくのだ。
「これだけは!」と
誇れる自分史を残そう。
一日一日を悔いなく
充実と向上の歩みを!
顕謗法抄 P447
『若し仏此の地獄の苦を具に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり』
【通解】
もし仏がこの地獄の苦しみをつぶさに説かれたならば、人はこれを聞いて血をはいて死ぬだろうから、仏はくわしく説かれなかったと思われる。
〈寸鉄〉 2019年3月29日
青年が動けば波動が広がる。立正安国の理想胸に正々堂々と!先駆を頼む
長野の飯田・下伊那、上田・小県、勇敢に切り込め。新時代の栄光の歴史を!
長岡・三島、新潟市中央よ勢いと団結で勝ち進め!激戦制する拡大を今こそ
地方選告示。地域の針路決める機会。誰が働くか政策・実績等、見極め選択
「専門職大学」が誕生へ。55年ぶり新種類の学府。"実践力"育む教育に期待
☆勇気の旗高く 池田先生と愛知 2019年3月21日
◇必死の一人は万軍に勝る
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は愛知県を掲載する。
◇攻めの姿勢
「この地から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の天下人3人も生まれている。人材を生む天地である」
池田先生は折に触れ、歴史回天の要となってきた愛知の重要性に言及してきた。
天下統一への転機となった「桶狭間の戦い」は、現在の名古屋市緑区で繰り広げられたともいわれる。兵数に諸説あるものの、今川義元の軍勢は2万5000。一方、織田信長は、わずか2000。実に10分の1以下の劣勢である。
なぜ、信長が勝利を収めることができたのか。池田先生は2007年5月のスピーチで、その勝因の一つに「攻めの姿勢」を挙げた。
まず信長は、籠城などの「守りの態勢」ではなかった。あくまでも自ら打って出て、断固、陣頭に立って戦う「攻めの姿勢」で臨んだ。
「攻め」の行動が、時をつかむ。「勝利のチャンス」を開く。
そもそも信長は、天下統一への30年にわたる戦いで、受け身の「籠城戦」は一度もしなかった。むしろ、信長は、敵の領域まで打って出て戦うのが、常であったという。
御聖訓には、「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と仰せである。この、徹底した広宣流布の攻撃精神こそ、学会精神である。
吉川英治氏は小説『新書太閤記』で、迫り来る今川の大軍との戦いを前に、気概に燃える信長の心境を、こう描いている。
「按じるに信長には、今が逆境の谷底と見えた。おもしろや逆境。しかも相手は大きい。この大濤こそ、運命が信長に与えてくれた生涯の天機やも知れぬ」(講談社)
さらにまた、主君・信長とともに「桶狭間」を戦った若き秀吉についても、こう描いている。
「どんな濤でものりこえて見せようという覚悟が、強いて覚悟と意識しないでも肚にすわっている。そこに洋々たる楽しさが前途に眺められた。波瀾があればあるほど、この世はおもしろく観じられるのであった」(同)
青春には、そして人生には、大なり小なり、試練の決戦の時がある。それは、それぞれの「桶狭間の戦い」といってよい。
大聖人は、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)と仰せである。
いざという時に、いかなる「一念」で戦いに臨むのか。これが、決定的に重要なのである。すっきりした一念でなければ、戦いは勝てない。
戸田先生は、この一戦の勝因について、こう喝破されていた。
「どんなに多勢でも、団結がなければ戦には負ける。信長軍は少数であったが、『敵の大将を討つ!』という明確な目標に向かって団結したから勝ったのだ」と。
団結こそ、勝利の根本の力である。
なかんずく、「破邪」の一念で一丸となった異体同心の団結ほど、強いものはない。
◇常に自身を変革
愛知・豊田市には、トヨタ自動車の本社がある。
世界をリードし続ける発展の要因は何か。
池田先生は、同社の代名詞ともいえる「カイゼン(改善)」の精神に触れ、呼び掛けている。
トヨタの合言葉である「カイゼン」は、今や世界中に知られる国際語となった。自身を常に変革していく勇気——それが、トヨタの世界的な躍進を可能にしているのである。
毎日が戦いだ。
毎日が進歩のための闘争である。改善のための改善ではなく、勝利のための「改善」である。価値を生むための「改善」に取り組むことだ。生きた「改善」を繰り返していくことだ。それが、勝つための法則である。
今いる環境に安住して、新たな挑戦の行動を起こさなければ、その団体はやがて滅びていく。
大切なのは、常に自身を変革していくことだ。私たちでいえば「人間革命」である。
自らをつねに新たにし、成長させていくのが、我らの信仰である。そのための最高の方法が、唱題であり、学会活動である。
重要なのは行動だ。自らの行動で、道を切り開いていくことだ。どうか全リーダーが先頭に立ち、新たな大前進への波動を起こしていっていただきたい。
◇諸天を動かせ
愛知の同志が、いつも胸に響かせる歌がある。
池田先生が作詞を手掛けた中部歌「この道の歌」。
2001年7月の随筆では、中部指導(1978年7月)の間隙を縫い、同歌の推敲を重ねた真情がつづられた。
先生は、歌詞の結びにあった「諸天舞う」を、「諸天舞え」と変えている。
たった一字の違いだが、ここに、一切を勝利に転じゆく深い一念が込められている。
この師弟の呼吸を生命に刻み、愛知の友は決然と立つ。
諸天が「舞う」だけでは、主体である我々にとっては、受動的になってしまう。
大事なのは、諸天をも「舞わせる」、つまり「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動にしていくべきである。
仏法の勝負は厳しい。
中途半端な、ひ弱な精神では、断じて勝てない。
民衆の悲嘆の流転を変え、堂々たる民衆勝利の大喝采を叫ぶことはできない。
ゆえに、徹して、断じて強くあれ! ひとたび戦いを起こしたなら、必ず勝て!
必死の一人は、万軍に勝るのだ!
蓮祖は仰せである。
「頭をふれば かみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、(中略)教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(御書1187ページ)
強い祈りが、教主釈尊を動かし、諸天善神を存分に働かせていくのである。
猛然と祈り動けば、必ず、多くの人びとが諸天善神となって味方と変わる。
これが、大仏法の原則だ。
敬愛する愛知の友よ!
新しき、また新しき正義の戦いに勝利し、壮大なる広宣流布の大城を、護り築いていただきたい。
偉大なる愛知よ!
新世紀の「創価の烈士」よ!
遂に来た決戦の時、未来永劫に、その名を輝かせゆくのだ。
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