私たち一人一人が
平和創造の主体者だ!
立正安国の大精神は
創価の連帯に脈々。
誇り高く進みゆこう!
撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』
☆女性に贈ることば 九月二十四日
先哲は「賢聖は罵言して試みるなるべし」と言われた。
その人が本物かどうかは、悪口や、非難を言われてみればわかる。それに負けないのが本物だ。
子どもにも、いざという時に信念を貫き通せる強さを養わせたい。
☆今日のことば365 九月二十四日
自然の開発にせよ、人体の健康にせよ、これからは、自然のリズムをいかに巧みにとらえ、それを活用していくかが、より重要な課題になっていくにちがいない。自然は、けっして、静止した。"死"の世界ではない。生命の充満した巨大な有機的連合体なのだ。人間もまた、そのひとつの環にすぎない。
☆世界写真紀行第22回 ドミニカ共和国 2017年9月14日
◇広布は一人から一人へ
エメラルドグリーンの海。どこまでも続く白い砂浜。まさに"カリブの宝石"だ。
中米のドミニカ共和国。
イスパニョーラ島にある同国は、日本の九州と山口県を合わせたほどの面積。ここに1000万人が暮らす。
底抜けに明るい国民性。ひとたび音楽が流れれば、皆がリズムに合わせて踊りだす。
第2次世界大戦後、日本政府は中南米諸国への移民政策を推し進めた。ドミニカには1950年代、約1300人が移り住んだ。
"広大な土地が無償で譲渡され、給付金ももらえる"——希望を胸に移住したものの、現実は厳しかった。与えられた土地に灌漑設備はなく、岩だらけの草むらや塩の浮いた荒れ地ばかりだった。
数年後には、日本からの移住者の8割がドミニカを去った。その苦闘の中で、数人の同志が広布開拓に立ち上がったのである。
友は、題目を唱え、生きるために血のにじむような努力を重ねた。寸暇を惜しんで弘教に走り、日本から送られてくる機関紙を、ぼろぼろになるまで皆で回して読んだ。
1966年3月16日、ドミニカ支部が誕生。翌67年の春、池田先生は、日本に一時帰国したドミニカの友と学会本部で会い、励ました。
「ドミニカに信心の根っこを張ってください。あなたが大樹として育つことです」「今は苦しいかもしれないが、必ずいっぺんに花咲く時が来る。仲良く、団結して、包容力をもって進んでください」
師の言葉を胸に、草創の友は広布拡大に挑んだ。そして「良き市民」として、社会で実証を示していく。
87年2月、池田先生のドミニカ訪問が実現。4日間の訪問中、バラゲール大統領との会見、ドミニカ共和国の最高勲章である「クリストバル・コロン大十字勲章」の授章式など重要な行事が続いた。それは、SGIに対するドミニカ社会の信頼の大きさを物語っていた。
記念勤行会に出席した池田先生は、同国独立のエピソードを紹介した。
——ドミニカ共和国が独立したのは1844年。その淵源は、独立の6年前に結成された9人の青年グループにあったといわれる。
彼らはまず、3人ずつ三つのグループに分かれた。そして、1人がさらに3人ずつ同志を増やし、そのまた1人が3人の同志をつくる、という言論の戦いを繰り返した。そうした粘り強い前進を通し、5年間のうちに、同国全体に独立の機運を高めた——。
そして先生は呼び掛けた。
「ドミニカ独立の原動力も、はじめは小さく、決して華やかではない、少数の青年たちの情熱と団結によったのである」
「ドミニカでは、まだ地涌の友は比較的少数かもしれない。しかし、皆さま方がいる。皆さま方はかけがえなく尊き先駆の勇者である。広宣流布への『一�』であり『一微塵』である。ゆえに皆さま方、お一人お一人が、御本尊の無量の功力を満身に受けつつ、朗らかに、また強く、良き人生を生きぬいていくことである」
本年は先生の訪問から30周年。ドミニカSGIは、当時の1本部4支部から、7本部16支部へと大発展した。
世界広布といっても「一人」から始まる。一人が敢然と立ち、仏法対話や訪問激励に取り組む。その中で、新しい一人を見つけ、大切に育てていく。一人から一人へ——これが最も確かな広布拡大の方程式である。