◇今週のことば
教学試験へ挑む友へ
真心の励ましを!
「我もいたし
人をも教化候へ」
行学の二道を共々に!
2017年9月18日
御講聞書 P813
『父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏即ち父母の成仏なり』
☆女性に贈ることば 九月十八日
何よりも自分らしく生きることである。世のため人のために尽くしきって、この一生を総仕上げしよう、という決意こそ大切である。
☆今日のことば365 九月十八日
詩は言葉の羅列ではない
故に巧緻華麗の詩句のみを
私は 欲しない
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 スイス2 2017年9月9日
◇勇気の唱題で勝利の証しを
チューリヒ市内を走るジール川。そのへりに立つニレの木立を初夏の風が吹き抜ける。緑陰からは、にぎやかな声が響いていた。
川に面する中華レストラン「リー・タイ・ペイ」(当時)。1983年6月11日、ここで、初のスイスSGI総会が開かれた。
会場中央には、フランス語の赤い花文字で「BIENVENUE SENSEI(ようこそ、先生)」との横断幕が。他の欧州諸国やナイジェリアからも友が集い、祝賀の催しが開かれた。
ジュネーブ、チューリヒ、ルガノ、ベルンの友らによる民謡や民族音楽の合唱・演奏を見守った池田先生は、「美しき国で、美しき心の人々と、美しき調べを聞きながら、有意義なひとときを過ごせました」と感謝を述べ、スピーチした。
時間やルールに厳格なスイスの国民性を踏まえ、先生が話のテーマに据えたのは、「限られた時間をどう活用するか」。アメリカの鉄鋼王カーネギーが、夕食後の時間を重視したことを通し、「人生を決定づける"黄金の時間"を、我々は福運を積むため、宿命の打開のため、法のため、社会のため、平和のため、広宣流布のために費やしている。これほど尊い、有意義な時間の活用はない」と語った。
この時、スイスSGIに本部が結成され、ジュネーブ、チューリヒ、ルガノに新支部が誕生。チューリヒの初代支部長に就任したのは、フミオ・イナガキさん(参与)である。
イナガキさんは、33年11月、台湾の豊原で生まれた。5人兄弟の次男。父は精糖会社で働き、母は小学校の教師をしていた。日本への引き揚げは、第2次世界大戦の終戦の翌46年4月である。
当初、名古屋の伯父の家に入ったが、翌月に父が肺結核で急逝。佐賀に住む叔母のもとに身を寄せた。
大学進学で広島へ。福山で見たバレエ公演に魅了され、卒業後に上京。渋谷でバレエダンサーを目指した。
小牧バレエ団などを経て、チャイコフスキー記念東京バレエ学校に在籍。海外進出を考えるも、資金も人脈もない。「かなわぬ夢」と諦めていた。
ある日、道玄坂にあった呉服屋の主人に声を掛けられる。「若いのにさえない顔をしているね」。主人に誘われ、初めて学会の座談会に参加した。
"海外に出たい"と夢を語ったイナガキさんに、「1年間、真剣に信心をすれば、ロンドンでも、パリでも、どこにでも行けるよ」との返答が。いちるの望みを懸け、64年11月、御本尊を受持した。
初信の功徳で、仕事が次々に舞い込み、渡航資金がたまった。また、知り合いのパントマイマーが仕事でパリに行くことに。翌65年夏、彼を頼りに、イナガキさんも、念願のパリの地を踏む。
やがて、知人の紹介で、バレエダンサーとして、チューリヒにあるオペラ劇場の舞台に立つチャンスを得た。
67年12月、向かったチューリヒには、SGIのメンバーが一人もいなかったという。イナガキさんは、在籍したバレエ学校の仲間を折伏。毎月、弘教を実らせていった。
83年6月11日、チューリヒに滞在していた先生から「何か望みはありますか」と聞かれ、「スイスでも学会の出版物が読めるようになれば、うれしいです」と答えた。翌月から聖教新聞や大白蓮華が届くように。師の指針を抱き締め、メンバーのもとへと駆けた。
86年、市内に個人会館を構え、93年秋にはチューリヒ会館が誕生した。イナガキさんは個人会館の時から30年以上、会館での朝の勤行を欠かさない。
83歳の今もバレエの講師として、オペラ劇場付属のバレエ学校に所属し、自らも舞台に立ちながら後進を育成。教え子たちは、世界各国の舞台で華々しく活躍している。
第1回スイス総会。会場内の横断幕には、丁寧な手書きの文字で、"初のスイスSGI総会"と。全参加者が読めるように、フランス語、ドイツ語、イタリア語の3カ国語で書かれてあった。
先生は「こんな素晴らしい横断幕は、日本でも作れる人はいないよ」と感嘆し、作成者をねぎらった。
その一人、ピエトロ・ボナノミさん(総合壮年部長)は、「先生は、"陰の人"を徹して大事にしてくださる方なのだと知り、感動で胸が震えました」と述懐する。
ルガノで生まれたボナノミさん。幼少時から青少年のためのボランティア活動に参加。中学卒業後は、専門学校で建築技術・デザインを学び、建設会社などで働いた。
多忙な日々にも空虚感を覚え、充実の人生を模索するように。ある日、剣道仲間から本を手渡される。池田先生の著書だった。
「人生には『師弟の精神』が不可欠だと確信しました。先生の弟子になり、自他共の幸福を開く生き方をしたいと思ったのです」
76年に入会し、一度は断念した進学の道を目指す。
30歳を超えての挑戦。苦学の末、82年に難関のスイス連邦工科大学ローザンヌ校への入学を果たした。
学会活動も一歩も引かず、翌年には、ローザンヌ班の班長に就任。信心根本に研究に励んだ。
そして87年には資格を取得し、憧れの建築家になる。大学や専門学校の教壇にも立つなど、信心の実証を示していった。
夢を実現したボナノミさんにとって、忘れ得ぬ出会いが訪れる。89年6月17日、ジュネーブで、第2回スイスSGI総会が開催。舞台で、民族楽器「アルペンホルン」を吹くボナノミさんのもとに歩み寄った先生は、肩を抱いて励ました。
ボナノミさんからアルペンホルンを受け取った先生は、ユーモアをこめ、吹く仕草を。その真心に参加者は感動し、会場は明るい笑顔の花に包まれた。
第1回スイス総会の終盤、先生は「勇気の信心」の重要性について、こう語った。
「石を打つ時、力が弱ければ火は出ない。同じように、『信』弱き唱題では、所願の成就は難しい」
「御本尊への勇気をもった唱題、大聖人の仰せ通りの勇気ある実践に、想像もできない功徳の実証と人生勝利の証しがあることを確信してください」
この指針を胸に、スイスの友は、着実に広布を進めてきた。
83年6月に結成された1本部3支部から、現在は3方面13支部に拡大。国土の隅々まで、師弟の絆で結ばれた「異体同心の団結」が輝いている。