苦難と闘う友よ
断じて負けるな!
逆行こそ飛躍の好機だ。
不撓不屈の信心で
試練の山を越えゆこう!
義浄房御書 P892
『相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり』
☆女性に贈ることば 九月五日
人間、孤独では生きていけない。独りで自分勝手に生きることが自由で幸せのように見えることもあろうが、実際はそうではない。人との連帯、励ましあいのなかでこそ、人間は生きがいをもち、使命感や向上心を失わずに進んでいくことができる。
☆今日のことば365 九月五日
自然も、世界も、宇宙も、一瞬として止まってはいない。向上を失った瞬間から、すでに人生の退歩がはじまっている。つねに自分の人生を切りひらき、創造し、前進していくことこそ、真実に生きていることの証であり、それが青年の特権である。
☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 九州 2017年8月28日
◇歌え! わが生命の歓喜の歌を
「常に先駆の九州たれ」
九州の同志の胸に輝くモットーが発表されて、今年で50周年。友は「先駆」の誇りに燃えて、幾多の試練を勝ち越え、広布の地平を切り開いてきた。
1990年(平成2年)に勃発した第2次宗門事件。嫉妬に狂った宗門は学会を権威・権力で攻撃し始め、池田先生がベートーベンの「第九」について語ったことを「外道礼賛」として、時代錯誤の難癖をつけてきた。これに対し学会は、仏意仏勅の団体として堂々と前進し、人間生命の歓喜を歌い上げる文化運動によって、宗教ルネサンスの戦いを開始。その勢いは1992年(平成4年)2、3月、九州・大分の地で加速した。
◆◇◆
「大分は完全に勝利した!」「完璧に勝った」
10年ぶりに来県した池田先生は、第1次宗門事件で最も苦しみ、抑圧に耐え抜いた同志をたたえ、高らかに宣言した。
歓喜に沸いたレインボー音楽祭。「荒城の月」の合唱が始まった。10年前、竹田・岡城址で先生と歌った忘れ得ぬ曲だ。
1番を歌い終えたその時だった。スピーカーから歌声が聞こえてきた。池田先生も一緒に歌っている!
響き合う師弟の旋律。あの時を思い出し、涙にむせぶ友もいた。会場は、今再びの共戦に燃え立つ誓いの熱唱に包まれた。
男子部部長として参加した久保田基さん(圏長)も師の歌声に涙声を重ねた。
妻の留美子さん(支部副婦人部長)は地元で音楽祭の成功を祈っていた。81年12月の幹部会には女子部として参加。長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」の発表に、流れる涙もぬぐわず夢中でメモを取った。
結婚後、長女のさやかさん(総県女子部長)、長男の幸夫さん(男子部員)を身ごもった時から、「わが子を広布の後継者に」とひたぶるに祈り続けた。
夫婦は一度、離婚・別居するが、互いに広布の活動に一歩も引かず励むなか、2013年11月18日、全てを乗り越えて復縁。そこには10年間、一家和楽を祈り続けたさやかさんの存在があった。家族は今、師と共に生きる幸せをかみしめ、使命の天地を舞いゆく。
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1993年の12月、九州は新たな"音楽文化の連続闘争"を打ち出した。
学会創立65周年(95年)を絢爛と開くべく、94年夏から各県で音楽祭・合唱祭等を行い、民衆凱歌のうねりを九州中に巻き起こす。その総仕上げとして、11月に福岡ドーム(現・福岡ヤフオク!ドーム)で前代未聞の「5万人の第九」を開催するというものだった。
池田先生の「創立65周年には5万人で、創立70周年には10万人で、『第九』の合唱を」との提案を、九州青年部こそが実現するという誓願の証しであった。
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まず先駆を切ったのは長崎。8月14日に5000人の青年平和総会を県立総合体育館で開催し、"平和のたいまつ"を受け継ぐ若人たちの賛歌を響かせた。
8月14日は、池田先生と恩師・戸田先生の出会いの日。池田先生は、アジアの民の幸福を願った恩師を偲びつつ、メッセージを贈った。「平和とは、単に『争いなき平穏』を指すのではない。一人一人の内なる生命の変革なくして、揺るがぬ真の平和を築きゆくことはできない」「平和のために勇気を、平和のために行動を、平和のために連帯を」——。
総会では、師の期待に呼応するように、「長崎青年平和宣言」を発表。100人の被爆証言ビデオの制作、反戦・平和の常設展示、平和意識調査などの行動方針が示された。
総会に列席した長崎市の本島等市長(故人)は語った。「私は創価学会の平和運動を高く評価しています。それは、いつの時代も『平和の旗』を高らかに掲げ、真剣に行動する青年がいるからです」
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続いて行われたのが、9月11日の鹿児島青年栄光合唱祭(鹿児島アリーナ)。
その前月、青年部の代表が、リハーサルの模様を収めたアルバムを池田先生に届けた。若人たちのほとばしる情熱が詰まった一葉一葉の写真を見た先生は、「21世紀を開く合唱祭だね!」と、大成功を心から期待した。
合唱祭のテーマは、「世紀乱舞人」。これは1983年3月、鹿児島文化会館の開館に寄せて贈られた、池田先生の揮毫である。
後継の若き志士たちよ、新しき世紀へ舞いに舞いゆけ!——師の願いが凝縮したこの5文字をもとに、合唱祭は「19世紀——薩摩人」「20世紀——鹿児島人」「21世紀——世界人」の3景で構成。歴史回天の先駆に燃える5000人の見事な祭典となった。
この時、贈られた池田先生のメッセージは、鹿児島の永遠の使命をとどめたものであった。
「時代を変え、歴史を変える『核』の存在となってきたのが、まさしく、ここ鹿児島の天地」「このロマンあふれる美しき故郷から、新たなる民衆の幸福のスクラムを、世界へ、世紀へ、拡大していただきたい」
11月3日の宮崎青年部総会には、意気に燃え立つ日向の若人ら6000人がシーガイアコンベンションセンターに集った。新会員ら1000人の大合唱や和太鼓など迫力の演目の後、横暴な宗門などに対して声を上げる集いを行った。
これを聞いた池田先生は、正義の言論に立ち上がった青年の勇気をたたえ、「思い切ってやりなさい」と万感のエールを送った。
県青年部長として総会を指揮した鬼束武人さん(県総合長)。長男の雄人さん(男子部部長)、次男の真人さん(圏男子部長)も当時、未来部として参加した。
武人さんは19歳で入会。家業の倒産を乗り越えて、信心一筋で現在の総合印刷会社を築いた苦労人。息子たちに常に語っているのは「人生の師匠を持つ大切さ」と「青年として苦労し、人格を磨くこと」。父の背中を見て育った息子たちは今、父の会社を担うとともに、広布の舞台でも青年部の中核として奮闘する。
2人の心にはいつも、池田先生の言葉が響いている。「宮崎の若き開拓者の諸君よ、太陽に向かって、決然と立ち上がれ!」
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熊本青年文化合唱祭(11月6日、熊本平和会館で)では、"広布の田原坂"に挑む火の国の若者たちの歌・劇・ダンスが。
池田先生は東京から成功を見守り、和歌を贈った。
「仰ぎみむ 大宮殿に 乱舞せる 我が弟子 嬉しや 熊本健児よ」
「気高くも 広布の歌声 美しく 乙女の成長 諸仏は護らむ」
「松明は 君らに継がれん 新時代 幸福戦士と 走りに走れや」
演目では、新入会の友200人の合唱団が、フレッシュな歌声を響かせた。
この時、水本ルミさん(地区婦人部長)は半年前に入会したばかり。入会前の数年は、宗門による学会員への「御本尊下付停止」のため会友として活動。自宅のある上天草の維和島では理解者も少なく、家族や近隣からの風当たりも強かった。しかし、自室で題目を唱え、広布に励むと命が躍動した。合唱の練習にも車で1時間半かけて練習会場に通った。合唱祭を通し、黄金の思い出を刻んだ。
夫の竜太郎さん(地区部長)と結婚後も夫婦で対話に奔走。今年も家族で2世帯の弘教を実らせた。今、長男・光一さん(学生部ビクトリー・リーダー)、長女・真弓さん(高校3年)を後継の大樹へと育みながら、使命の勝利島を駆け巡る。
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そして決勝点の11月23日。「5万人の第九」の当日を迎えた。大晴天。諸天も勝利の一日を約束した。
福岡ドームに参加者を乗せたバスが続々と到着する。隣県の佐賀からも"栄えの国"の若き勇者、華陽の乙女が参加した。
大野千恵子さん(支部婦人部長)は当時、女子部部長として部のメンバーと共に合唱団の一員に。「池田先生との原点を築こうね」と、ドイツ語の合唱練習にも必死に食らいついた。
池田先生が会場へ。広い広いドームで、大野さんの席からは先生の姿は豆つぶのようだったが、確かにそこに師匠がいる。スクリーンに映し出される師の姿をまぶたに焼き付けながら、全身全霊で歌った——。
大野さんは結婚後、一女一男を出産。長女の美咲さん(女子部員)が中学2年の時、不登校に。「この子を絶対に広布の人材に!」と泣きながら御本尊に祈った。薄紙を?ぐように美咲さんは立ち直り、高校、専門学校へと進学。3年前の青年大会では、母と同じく「第九」を元気に歌った。不滅の名曲が母娘を結ぶ絆のシンフォニーとなった。
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福岡ドームの「第九」はいよいよ第4楽章へ。
♪おお友よ、もっと快い、喜びに満ちた歌を歌おう!——。
やがて合唱がクライマックスに入ると、開閉式のドームの屋根が、ゆっくりと開き始めた。天井から一条の光が差し込む。
頭上を見上げる池田先生。光の筋は、帯となり、大合唱の舞台へ、煌々と降り注いだ。まさに、戸田先生が詠まれた"アジアの民に 日をぞ送らん"との和歌の一節を現出したかのような光景だった。
ドームを揺るがす5万人による瀑布のような歌声。それは、「民衆勝利の栄光の賛歌」であり「精神闘争の不滅の凱歌」であった。
終了後、池田先生は「すごかった。いまだに合唱の響きが残っているよ。よく一つになれたね」と。そして力強く語った。「九州は勝った! 完璧だったよ」
——その後、九州は2001年に116会場を中継で結んだ「10万人の第九」、05年には、沖縄と韓国の友も参加した「アジアの第九」を実現。九州はいかなる障魔の嵐が吹き荒れようと、堂々と師弟の大道を歩み、「第九」とともに勝利また勝利を開いてきた。その歴史は、不滅の"師弟の物語"として、世代を超えて、受け継がれていく。