夏の疲れが出る頃だ。
交通ルールを順守し
"ながら運転"等は厳禁!
百千万億倍の用心で
無事故第一の日々を!
☆女性に贈ることば 九月六日
私の母は多くの子を育てた。苦労の多かった人生の坂道を、無言の力強さで黙々と歩んだ。
そんな母の最後の言葉は「私の人生は勝ったよ」だった。
☆今日のことば365 九月六日
子供にとって栄養のように大事なのは、親の愛情であり、ときに良薬の苦さのような厳しさと、無限の包容力をもった理解が、子供を大きくたくましく育てるのだ。
☆地域を歩く 岐阜県・関ケ原町 2017年8月31日
◇天下分け目の古戦場
山、山、山。
東西南北、どこを向いても小高い山が見える。
岐阜県不破郡の関ケ原町は、古くから東西を結ぶ交通の要衝である。8世紀初めには、関西と関東の分かれ目といわれた「不破関」が置かれた。現在も、JRの東海道本線、東海道新幹線、名神高速道路といった大動脈が町内を走る。
村田勇さん(支部長)の案内で町内を巡った。
言わずと知れた、天下分け目の合戦が行われた古戦場。町のあちこちに、各武将が陣取っていた地点を示す石碑や、家紋が染め抜かれた3メートルほどの「のぼり」が立っている。
石田三成軍の陣跡がある笹尾山から、町を望んだ。車も電車もない時代に、各地から十数万人がここに集った。眼下には、合戦の終盤、最も激しい攻防が繰り広げられたとされる「決戦地」の碑が見える。戦うということ、生きるということを、しばし考えずにはいられない。
JR関ケ原駅に行ってみた。駅前には「いざ! 関ケ原」と書かれた看板が目を引く、瓦屋根の建物が立っている。土産物店や案内所、小憩スペースを併設している観光交流館だ。
付近には県外ナンバーの車や観光バスが次々に停まり、電車が到着するたびに、大きなリュックサックを背負った観光客が降りてくる。子ども連れの家族や、"歴女"(歴史好き・歴史通の女性)の姿も。皆、案内所で地図やパンフレットを受け取ると、史跡巡りに繰り出していく。
◇自他共の幸福を祈る異体同心の"将軍学"
「こんにちは。ようこそ!」「どこからお越しになったのですか?」
赤い法被を着て、案内所で観光客を迎えているのは、谷口京子さん(地区副婦人部長)。10年ほど前から、ここでボランティアガイドを務めている。
最近は海外からの観光客も増えたため、英会話を勉強し始めたという。
「学会活動で培った、相手を尊重する『おもてなしの心』で、心が通い合うような対応を心掛けています。『また来たいです』と、喜んでもらえたら最高です」
幼少から体が弱く、運動会や遠足には参加できなかった。寝たきりの時期もあった。
19歳で学会に入会し、自転車に乗って広布に駆けた。医師から「心臓が悪いので、子どもは諦めてください」と言われたが、2人の子を授かることができた。
"広布のお役に立てる強い体をください"と常に祈ってきた。皮膚がんや、心臓病など、たびたび病気に見舞われたが、谷口さんの「前向きに生きる気力」は、どの病魔にも、打ち勝ってきた。
退職を機に、何か町の発展に貢献できることはないかと思い、ボランティアガイドを始めた。
いつも前向きな姿に、この20年間で5人の友人・知人が入会している。
元気の秘訣を尋ねると、「題目です」とキッパリ。「でも、自分一人だけでは、信心できません。同志がいるから、"私も頑張らなくちゃ"って思える。本当に、同志はありがたい」
◇
「谷口さんには本当に励まされました」と語るのは清水直美さん(地区婦人部長)。88年に、関ケ原で家具店を営む家に嫁いだ。店は県外からも買い付けに来るほどの盛況ぶり。2人の娘に恵まれ、何不自由ない生活をしていた。
しかしある時、人にだまされ、一気に経済苦に。家庭の不和、そして夫との死別が、苦しみに追い打ちをかけた。
多くの友人が離れていく中で、親身になって話を聞いてくれたのが、学会員の友人だった。2004年、入会を決めた。
関ケ原の同志が、励ましに通ってくれた。中でも谷口さんは、清水さん母子を身内のように包み込み、共に泣き、共に喜んでくれた。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)——本当の幸せは心の豊かさであり、自分は目に見える幸福ばかり追いかけていたのだと気が付いた。
長女の菜月さん(女子地区リーダー)は、当時のことを振り返る。「お題目をあげるようになって、母は見る見る元気になっていきました。笑えるようになり、少しずつ会話も増えました」。母に遅れること1年。娘たち2人も入会を決めた。
清水さんは今、地域のメンバーの激励に走る。
「とにかく一人一人の話に耳を傾けるようにしています。私が先輩たちにしてもらったように」
菜月さんは「母の御祈念帳は、学会員さんや友人のことばかり。私も白蓮グループの活動を通じて、人のために祈ることが、自身の福運となることを知りました」と。
次女の夕貴さん(華陽リーダー)も今年、白蓮グループに入った。
◇
「『戦いの烽火は西から上がる』と言われるほど、昔から、広布拡大の模範の地域なんですよ」と語る幸野邦彦さん(圏長)が、草創の人を紹介してくれた。
その一人、酒井精次さん(副圏長)。60歳で建設関係の会社を設立した。
長年、広布の会場を提供してきた。池田先生が揮毫した「関ケ原」の額は、「支部の宝です」。
支部長時代、支部の皆と2カ月で60世帯の弘教を実らせたことが忘れられないという。
「この地域には古来、勝った人の喜びと、負けた人の悔しさも染みこんでいる。勝負の厳しさが刻まれた所だと思います。だからこそ、皆が幸せに生きられる地にしたいと、仏法を語り抜いてきました」
地域の老人会の会長を務めて10年。町の連合の老人会では、広報部長として広報誌を作成している。「文章を書くことは苦手ですが、地域のことを祈って、少しでも喜んでもらいたいという思いで書いています」
◇
同じく関ケ原の草創期を築いた杉山勝己さん(県主事)。59年に入会。地域の人と協力して、花火大会や、たこ揚げ大会を企画したりと、積極的な地域貢献を心掛けてきた。
79年の宗門事件では、本部長として、妻と共に同志を守るために奔走。89年、池田先生から「全部分かっていますよ」と温かく激励されたことが生涯の誉れだ。
夫妻で題目に徹してきた。「唱題すると、不思議と、周囲の人たちの良いところが見えるんですよ」と杉山さんが言うと妻の信子さん(圏副婦人部長)が相づちを打つ。「そうそう、みんないい人たちばかりだなって、感謝があふれてくる。そう感じるときは、どんな広布拡大の戦いでも、必ず結果が出るんです」
◇
かつて関ケ原を訪れた池田先生は、天下分け目の決戦に触れながら、つづっている。
「『真の団結』は、中心者が、どこまで同志を尊敬できるか、どこまで、同志のもてる力を発揮させることができるか、で決まるといってよいだろう。ゆえに、輝く勝利は、御聖訓にある『異体同心』という厳たる団結にある」と。
皆の幸せを祈り、たたえ、尊重する——関ケ原の友の人生には、その"異体同心の将軍学"が脈打っている。
☆9月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 開目抄 2017年8月26日
◇広布の誓願に生きよ! 大難にも負けない信心を
9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「開目抄」を研さん。いかなる大難にも揺るがない「広布誓願の信心」について学ぶ。
◇御文
『種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(御書232ページ)
◇通解
「種々の大難が出てきても、私の正しい法義が智者に破られることがない限り、彼らの要求を決して受け入れることはない。それ以外の大難は、私にとっては風の前の塵のような、取るに足りないものである。私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」などと誓った大願は、決して破ることはない。
◇背景と大意
本抄は文永9年(1272年)2月、日蓮大聖人が佐渡流罪の渦中に、四条金吾を通し大聖人の門下一同に与えられた。
「開目抄」の開目とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生を救う大聖人に"目を開け"との呼び掛けとも拝される。
当時、迫害の嵐は門下にも及び、退転する者が続出した。
「大聖人が法華経の行者であれば、なぜ諸天善神の守護がないのか」——この疑いを晴らすため、本抄で大聖人は、経文に照らして御自身が法華経の行者であることを明白にされる。
その上で、身命をなげうって民衆救済に立ち上がる大願を明かされるとともに、御自身が、「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを示される。
◇解説
今回の拝読範囲は、大聖人が「法華経の行者」としての御心境と御決意を述べられる重要な御文である。
この前段で大聖人は、法華経の行者が難を受ける理由を、経文を通して説明される。その上で、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と仰せになる。"諸天の加護がなかろうと問題ではない。いかなる大難があろうが、身命を賭して妙法を弘通していく"という、死身弘法の決意を示されたのだ。
それを受けた拝読御文で、こうした大聖人の誓いが、揺らぐことはないと述べられる。
すなわち、「法華経を捨てて念仏信仰に入ったら、日本国の王位を譲ろう」との誘惑や、「念仏を称えなければ父母の首をはねる」との脅迫も、「わが法義が智者に破られる」ことがない限り、そうしたものに従うことはないと、不退転の覚悟を示される。
そして、「わが法義が智者に破られる」ほかの、どのような迫害や大難も、"風の前の塵のように、取るに足りないものだ"と仰せになっている。
最後に大聖人は、「立宗の日」以来、貫かれてきた大願を示される。それが「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」との一節である。
これを「主師親の三徳」に配すれば、柱とは「主徳」、眼目とは「師徳」、大船とは「親徳」に当たる。主徳とは、衆生を守る力、働き。師徳とは衆生を指導する力、働き。親徳とは、衆生を慈しむ力、働きを指す。
この一節は、大聖人が一切衆生に対して、「主師親の三徳」をお持ちであることを表されている。そして「ちかいし願やぶるべからず」と、一切衆生救済の誓願は、どんなことがあっても破ることはないとの言葉で、研さん範囲の御文は締めくくられている。
この大聖人の不惜身命の誓願を受け継ぎ、全民衆の幸福のために戦い続けてきたのが、創価三代の師弟である。
池田先生は、つづられた。
「『誓願』は、悪世末法に法を弘めるうえで根幹の柱です。正義に生きる強い誓いの心がなければ、濁世の激流を押し返すことなどできません。魔性を打ち返すことはできません。いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です」
さあ、いよいよ下半期がスタートした。創価学会創立記念日の「11・18」へ、われら男子部は、大聖人直結の広布の誓願を胸に燃やし、圧倒的な弘教拡大のうねりを起こしていきたい。