2017年9月23日土曜日

2017.09.23 わが友に贈る

仏法者の真価は
「振る舞い」にあり!
礼儀や言葉遣いなど
大誠実の真心と行動に
納得と共感が広がる。

寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』

☆女性に贈ることば 九月二十三日
「何のため」という、たしかな原点がある人は強い。この一が定まっていれば、人生に迷わない。苦しくても、へこたれない。まっすぐに伸びていける。

☆今日のことば365 九月二十三日
あの人の青春は
 ただ派手のなかに
  青春を消耗している
私は 日々安定のなかに
 幸福という栄光を築いている

☆誓いの天地 富山市 2017年9月13日
◇少しでも地域の力に 広布の健児は ついに立ちたり
海の幸に恵まれた富山湾、登山家を魅了する雄大な立山連峰。自然豊かな富山市は、低炭素社会の実現に向け、先進的な取り組みを行う「環境モデル都市」に選定されている。
また、都市機能を中心部へ集積し、利便性の高いまちづくり「コンパクトシティー」を掲げる。LRT(ライト・レール・トランジット=次世代型路面電車)の導入、バスの利便性アップなどの活性化策を展開してきた。
これにより、公共交通で移動する人が増加。高齢者の利用も伸びており、富山市の65歳以上の高齢者の平均歩数は、全国平均より1000歩も多いという。
中心市街地の再開発事業も進む。4月には、地域医療と介護の拠点機能を持つセンターが開設した。
山岸正恵さん(富山正義県、女子部本部長)は、医療福祉専門学校を卒業後、介護福祉士の資格を取得。現在、地域の特別養護老人ホームに勤務する。
高齢者の転倒は、骨折などの大けがにつながる。気配り、目配りは欠かせない。朝、心ゆくまで無事故を祈り、自宅を出発する。
施設には認知症の高齢者も多い。時には、思うような介護ができず、歯がゆい思いをすることも。そんな時は、同じ施設で働く母の美智子さん(同、婦人部副本部長・支部婦人部長兼任)と、"どのように介護すればいいか"を語り合っている。
今年、介護施設が互いに声を掛け合い、地域の高齢者を対象とした催しを企画。山岸さんは、演劇を披露した。「少しでも"地域の力になれば"との思いでした」
実家は広布の会場。幼い頃から、学会家族の温かさに包まれてきた。その中で、"他者に尽くす心"を学んだ。
山岸さんは誓う。「"この施設で良かった"と、皆さんに喜んでもらえる介護をしていきます」
◇ 
中学から大学までラグビーで自らを鍛えた石川建さん(富山正義県、県男子部書記長・圏男子部長兼任)。厨房機器メーカーで営業を担当する。
入社1年目、学会活動に挑戦しつつ、仕事に励んだ。抜群の営業成績を残し、全国の新入社員の中から、社長賞に選ばれた。
だが、"できる"という自信は"営業なんて楽勝"という慢心に。入社2年目、御本尊の前に座ることがなくなった。自分の成績ばかりが気に掛かり、顧客を見失った。売り上げは激減した。
「君は会社に必要ないんじゃないか」。上司からは、解雇をにおわせる話も出た。どうしようもない状況に、男子部の先輩に連絡した。
先輩は飛んできて、一緒に題目をあげてくれた。その真心に、"もう一度、信心で立ち上がろう"と腹を決めた。必死に祈り、1週間で、会社が要求する売り上げを出した。
以来、一途に学会活動に励んだ。これまでに8世帯の弘教を実らせている。
今年の前期、石川さんは再び社長賞を受賞。後期の営業成績も伸ばしている。「お客さまと信頼関係を築いてきた結果、お客さまが新しいお客さまを紹介してくれるようになりました」
先月、地域広布を進めてきた富山市特別区が発展的に解消され、富山正義県、富山王者県が誕生。石川さんは新たな役職に就き、勢いよくスタートを切った。
「先輩に温かく包み込んでもらって、今の自分があります。今度は自分が後輩の成長を支えていきます」

栄光の共戦譜
「富山といえば、大地を赤や黄に彩る、あの『チューリップ畑』が目に浮かぶ」
池田先生は、こう述懐したことがある。厳冬を越えて咲くチューリップは、育てる側が休むことなく関わり続けることが必要だ。
先生は、その粘り強い励ましは、富山の同志の姿と二重写しになる、と友をたたえてきた。
富山県への訪問は、これまで8回。初訪問は、1957年(昭和32年)10月27日である。高岡市の指導会に出席後、富山市での指導会にも足を運んだ。
先生は質問会を行い、「わが胸中に功徳善根を輝かせていくのが、信仰の目的です」と、一人一人が幸福をつかむよう望んだ。
この日は今、「富山広宣流布原点の日」。今年は60周年の佳節を迎える。師への報恩を胸に、友は対話の花を咲かせている。
◇ 
60年(同35年)5月3日、池田先生は第3代会長に就任。初の世界広布旅を終えた翌月の11月12日、富山支部結成大会に臨んだ。
終了後、先生は運営役員にねぎらいの言葉を掛け、一人一人と握手を。場外で整理役員をしていた奥邦夫さん(富山王者県、県主事)は、「しっかり頑張りなさい」との激励を受けた。
この原点から2年後、奥さんは結核を患う。"死の恐怖"と戦いながら、懸命に祈り抜いた。
治療も功を奏し、1年半で社会復帰を果たした。その後、結核が再発し、劇症肝炎も併発したが、再び信心で病魔を乗り越えた。
78年(同53年)、奥さんは支部長に。当時、第1次宗門事件の嵐が、支部にも吹き荒れていた。
その中で、東京・立川文化会館で行われた支部長会に参加。終了後、師からの色紙が届いた。そこには、「仏法は 勝負と君よ 断固立て」と。この言葉を胸に、同志を守り抜いた。
父から農家を継いで45年。地域からの信頼も厚く、今年、農業用水の維持・管理などに携わる責任者になった。「入会当初は、地域の農家から白い目で見られていました。"仏法は勝負"ですね」
次男の孝徳さんは先月、富山王者県の県長に。黄金柱の誇りに燃え、友の激励に率先する。
◇ 
64年(同39年)7月15日、旧・富山会館の落成入仏式が行われた。
この時、五十嵐佳子さん(富山王者県、総県婦人部主事)に、先生は仕事や家族の状況を聞き、励ましを送った。
「前日の金沢会館の入仏式に参加した折も、声を掛けてくださいました。重ねての真心に、胸が熱くなりました」
69年(同44年)、東京・日大講堂(当時)での本部幹部会に参加するために上京。信濃町で偶然、師との出会いを刻んだ。
先生は「覚えているよ。元気でね」と。さらに、本部幹部会終了後、書籍に「福運の人生のために 忍耐と勇気の信心を」と揮毫し、五十嵐さんに贈った。
数々の師の激励を胸に、結婚後は、夫・弘泰さん(同、県主事)と夫婦二人三脚で、広布の最前線を駆けてきた。
2人の子どもは、広布のリーダーとして活躍。4人の孫にも、信心が受け継がれている。
富山会館の開館から12年後、富山文化会館が完成した。76年(同51年)11月14日、先生は同会館を初訪問。「元初より この日を待ちて 今ここに 富山の健児は ついに立ちたり」との和歌を贈った。
同会館を中心として、富山の友は心一つに前進を開始。そして、82年(同57年)9月8日から6日間の北陸指導で、再び師を富山文化会館に迎えたのである。
11日、先生は石川から富山へ。13日までの3日間、富山の同志に会い、励ましを送り続けた。
横山正利さん(富山王者県、副総県長・県総合長兼任)、由美さん(富山正義県、総県総合婦人部長)夫婦は、この時の出会いが忘れられない。
11日の会館到着後、先生は運営役員と記念撮影。任務に就いていた横山さん、富山の白蓮グループ委員長を務めていた由美さんも、師とカメラに納まった。
13日には、富山学生部のリーダーだった横山さんに「学乃将 祈りたのまむ 富山かな」、由美さんに「ああ白蓮 ついに幸あり 功徳あり」との句を贈った。
さらに、横山さん夫婦は、「北陸青年部の日」の淵源である84年(同59年)8月24日の「北陸青年部勤行会」にも参加。宝の原点を刻んだ。
その3日後、北陸青年部の人材グループの結成式が行われた。
会場の入り口には、学生部が署名した九谷焼の大皿が置いてあった。先生は「立」との一字をしたためた。その場にいた横山さんは、"生涯、師と共に立ち、勝利する"と誓った。
結婚後、三つ子が誕生。しかし、由美さんの体を、心臓肥大、肺血栓塞栓症が襲った。命の危険もあったが、夫婦で祈り、健康を回復していった。
「この時、同志の方々が次々に激励してくださいました。同志のありがたさを身をもって知りました」と夫婦は目を潤ませる。
師と同志への感謝を胸に、夫婦は富山広布に走り続ける。
——池田先生は、富山の友への万感の思いを込めて詠んでいる。
「富山には 縦横無尽の活躍が 実り実りて 富める人かな」
明2018年は、北陸の歌「ああ誓願の歌」誕生から40周年。師弟の誓願に燃える富山の友の縦横無尽の活躍が、再び始まる。