多忙な合間を縫って
役員に就かれる方々
本当にありがとう。
尊き労苦に功徳は燦然!
皆で感謝し 称えよう!
十字御書 P1492
『我等は父母の精血変じて人となりて候へば三毒の根本婬欲の源なり』
☆女性に贈ることば 九月七日
大勢の人に尽くす。その人がいちばん偉い。どんな有名人よりも、権力者よりも偉い。
人生の最期に、みんなが 「ああ、あの人のおかげで、私は幸せになったんだ。あの人の励ましで、私は立ちあがれたんだ」と、慕って集まってくる。そういう人が、人間としていちばん偉い。そして、いちばん幸福です。
☆今日のことば365 九月七日
社会は、家庭という、小さな単位から、学校、さらに国にいたるまで、人間が、おたがいに信用しあうことによって成りたっているのです。ですから、責任を果たすということを、少年時代から、しっかり身につけることが、社会人になるための、もっともだいじな訓練といえます。
☆明日を求めて 池田先生の対話録� 第42回 核戦争防止国際医師会議創設者 バーナード・ラウン博士 2017年9月1日
◇「目の前の一人」を守るために 人類を滅ぼす病(核兵器)と闘い続ける
「ようこそ。お待ちしていました。"行動する医師""行動する知性"であるラウン博士に再びお会いでき、大変にうれしく思います」
1989年3月22日、池田先生がバーナード・ラウン博士を聖教新聞本社に迎えると、柔らかなほほ笑みが返ってきた。
「池田会長の平和行動は、以前から、よく存じております。その進取性に富んだ思想に強く心打たれ、多くのことを学んでおります。特にトインビー博士との対談集には深い感銘を覚えました。同書に込められた思想は、私たちの志向するところと全く一致するものです」
ラウン博士は核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の創設者であり、著名な心臓専門医として、突然死の研究に取り組んできた。
かつてアメリカでは、90秒に1人が心臓疾患による突然死に襲われた。博士は、不整脈と突然死の関係について研究を重ね、直流除細動器を開発。その傍ら、臨床医として患者の病苦に向き合った。
"患者に診察費を請求するのは気が引ける"と博士は言う。「命の危機を救い、長く生きられるように他の人を助ける喜びほど、すばらしいものはない。患者こそ私の最大の教師である。私を医師に育ててくれたのは患者である」
そんなラウン博士だからこそ、"人類の危機"を知り、わが事として受け止めたのだろう。
ある時、博士は平和運動家の講演に誘われた。
"核戦争で、人類は2000年までに死滅する恐れがある"
そう警告され、ラウン博士は葛藤する。医師は"患者の側"にいるだけでは足りない。核兵器の脅威から目を背けていては、目の前の一人すら守れない——。
博士は他の医師と協力し、論文を相次いで発表。核兵器は人類を滅ぼす"凶器""悪魔"であり、そんな兵器を製造して何の益があるのかと訴えた。
池田先生との会談で、ラウン博士は語っている。
「何とか人々を突然死という『不幸な死』から救い出したい。その思いが、やがて、人類全体の『死』をもたらす核兵器の廃絶に向けた信念へと昇華されていったのです」
来し方を振り返る博士に、池田先生はうなずいて言った。
「『一人』への徹底した慈愛は、必然的に『生命』そのものへの慈愛へと深められ、また『人類』全体への責任感に高められていくものです」
◇
IPPNW創設のきっかけは1980年12月、ジュネーブで行われた医師6人による会談だった。
ラウン博士ら3人のアメリカの医師と、3人のソ連の医師がテーブルに向かい合った。
この年の7月、共産圏初開催となるモスクワ五輪が開かれたが、アメリカをはじめ多くの西側諸国が参加を辞退。東西冷戦の真っただ中で、思想も信条も異なる両大国の医師の会談は"けんか腰"の論争になった。
「そちらが先に核実験をやめるべきだ!」
「いや、そちらが先だろう!」
議論は2日間にわたったが、何一つ合意点は見いだせない。テーブルをたたいて怒鳴り、席を蹴って退出する医師もいた。
ラウン博士は言った。
"私たちは医師だ。医師として「すべての生命を守る」使命がある。それがコレラであれ、核兵器であれ、力を合わせて闘う使命がある"
同じ医師として生命尊厳の立場を確認し合う中で、"共通の敵"であり"人類最悪の疫病"である「核兵器」廃絶のために協力することが話し合われ、IPPNWの発足へとつながったのである。
3カ月後、アメリカで開いた大会には12カ国80人の医師が参加。
冷戦下、米ソの医師による運動は国内の批判にさらされ、「共産主義の手先」と書き立てられた。
だが博士は引かなかった。
ユダヤ人として欧州リトアニアに生まれ育った博士は、多くの親類や友人がホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲となっていた。博士自身も、ヨーロッパからの脱出が遅れれば、ナチスの収容所に送られていたという。
「この原体験が、ホロコーストよりさらに恐ろしい、核兵器による大量殺戮に対して抗議の声を上げた一つの理由です」
病も核兵器も「予防」が先決であると訴えるラウン博士。その信念に呼応するように、IPPNWは5年間で60カ国20万人の医師の連帯に発展。85年、ラウン博士らにノーベル平和賞が授与された。
◇
池田先生とラウン博士の出会いは、87年5月25日。
SGI等が主催する"核の脅威展"がモスクワで開かれ、開幕式に博士が駆け付けた。
その後、SGIは国連本部において「戦争と平和」展をIPPNWと共同で開催。さらにSGIの代表がIPPNWの世界大会に参加し、池田先生が同大会にメッセージを贈るなど、両団体は、核兵器のない世界を目指すパートナーとして、長年にわたり協力を重ねてきた。
こうした交流は今日、IPPNWによって2007年に立ち上げられた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)とSGIの核兵器禁止に向けての協力の基礎となっている。
1989年3月に再会した折、池田先生は博士に語った。
「生命を守る医師が、人類の救済という最も崇高な目的のために戦っておられる。いわば最も偉大なる『善』の行動であると思います。人間として生きている限り、最高善の実践に生きるべきです。最高の『善』に対して反対すれば最大の『悪』となり、最高の『善』に賛同し共に行動すれば、自らもそれに連なっていくことができるというのが私の信念です」
青年を平和へと啓発するSGIの運動に触れ、博士は応じた。
「青年への平和の呼び掛けは最も有意義な事であると同時に、最も困難な事の一つであり、池田会長の真心に心から感謝したい。青年が自己の利害や、狭い国家意識を超えて、人類全体という広い視野を獲得することが重要です」
今月は第2代会長・戸田城聖先生の原水爆禁止宣言から60周年。7月の「核兵器禁止条約」採択を経て、核兵器廃絶への取り組みは新たなステージに入った。
平和を願い、行動を続ける人々の連帯は、核時代の終焉を見据えている。
バーナード・ラウン 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)創設者。ハーバード大学名誉教授。1921年、リトアニア生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学医学部を卒業し、74年から91年までハーバード大学公衆衛生学院教授。ジギタリス剤とカリウムの関係の研究や直流除細動器の開発、不整脈と心臓突然死の先駆的研究などで知られる。80年、IPPNWをソ連の医師と創設。その功績により、85年、IPPNWを代表してノーベル平和賞を受賞。医師の立場から核戦争の防止を目指す、国際的活動の中心者として尽力してきた。