「信心速行動」
「行動即栄光」だ!
時を逃さぬスピードで
先手先手を打とう!
価値創造の一日一日を!
上野殿御消息 P1527
『父の恩の高き事須弥山猶ひきし母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし』
☆女性に贈ることば 九月二十日
価値ある人生を開くもの−−それは「今までどうであったか」ではない。「これからどう生きるのか」、この力強い前向きの一念である。
☆今日のことば365 九月二十日
理想と現実とが交錯して、複雑な心になることがある。周期的に−−。
人を責めたくなる時がある。自己の非を棚に上げて−−。
思索と反省を怠ってはならぬ。
☆御書と歩む 第82回 「負けじ魂」のリーダーたれ
『きわめて・まけじだましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』(可延定業書、986ページ)
◇通解
(四条金吾は)極めて負けじ魂の人で、自分の味方を大切にする人である。
◇同志への指針
御本仏は「負けじ魂」を大切になされた。その模範が四条金吾である。医術に優れ、自らが苦境にあっても、同志を守り、旗頭となって戦い抜いた。創価のドクター部の大先輩といってよい。
"師弟のため、同志のため、一歩も退かない!"との一念に、いかなる魔も打ち破る力が湧く。わが友よ、「あの人がいれば安心だ」と慕われゆくリーダーたれ!
☆創価青年大会 青森 不屈の開拓者たれ! 2017年9月14日
青森総県の創価青年大会が10日、リンクステーションホール青森(青森市文化会館)で開催された。これには池田先生が万感のメッセージを贈り、青年を「新たな時代を照らす太陽」であるとたたえた。
当日朝の雷雨が、開始前には雲一つない大晴天へと変わった。まさに先生のメッセージの如く、あらゆる暗雲を突き抜けて勝利をつかむ若人の祭典となった。
青森広布の淵源——それは1958年(昭和33年)11月の青森支部結成。池田先生は「青森の"青"は青年の青であり、"森"は広布の人材の森」との指針を贈った。因習深い土地柄で草創の友への非難や嘲笑、抑圧は激しかった。だが友はあきらめなかった。不屈の負けじ魂で広布へ駆ける友に、先生は「非難は、開拓者の証し」と励ました。
「青年よ 不屈の開拓者たれ!」とのテーマで行われた大会は、北東北音楽隊の歓迎演奏、男子部による「滝の詩」の合唱で幕を開けた。「滝の詩」の歌詞は、先生が71年(同46年)に青森・奥入瀬渓流を訪れた感慨を詠んだものだ。
会場では、壮年・婦人部が声援や手拍子で、男女青年部の合唱やダンスに温かなエールを送る。さらに体育や音楽などの大会に出場する未来部員や、営業で日本一を獲得した友など、青森で活躍するメンバーの紹介へと続いた。
6年前に入会した下北新世紀県の浜端将史さんも、その中の一人。グラフィックアーティストを目指し、18才で上京するも道半ばで挫折。青森へ帰郷した。自己中心的な性格で友人に迷惑ばかり掛ける毎日。「何をやっているんだろう」。そんな時に出会った婦人部の友から、「悩みあるでしょ」と言い当てられ、思いの丈を全て話し、入会した。
今では町の柔道や剣道などの大会のポスターを手掛けるなど、地元に貢献。青年大会のロゴも作成し、夢もかなえた。「入会前とは人生が180度変わりました。何より人に尽くす喜びを知りました」と浜端さんは笑顔を輝かせた。
続いて、地域おこし協力隊として尽力する青森牧口県の入野谷千代子さんがライフジャケットを身に着けて登場した。世界自然遺産の白神山地を有する西目屋村でラフティング(ゴムボートでの急流下り)やカヌーのガイドとして奮闘中。村民のために何ができるかを日々考えながら、観光事業の発展と地域貢献に汗を流す。入野谷さんは「青森の魅力を世界に発信していきたい」と力を込めた。
◇
大会を目指し、対話拡大へ走り抜いた青森青年部。
女子部の合唱に参加した青森戸田県の小笠原晴華さんは、圏女子部長として、かつてないほどの唱題を決意。対話を重ねた親戚が、入会を希望するまでに。リーダー率先の戦いが皆を鼓舞し、新たに弘教に挑戦するメンバーが続々と誕生。学会理解の輪が広がった。
男子部の演目に出演した青森常勝県の吉田信也さんは青果店で働きながら、創価班大学校生として対話に挑む。早朝からの仕事だが睡眠時間を削って練習と対話に駆けた。弘教が実り、入会した友人が友を折伏し、その友も入会を希望するなど模範の拡大を果たした。
青森池田県の田頭龍也さんは「練習も折伏も全力でやり抜きました。しかし、ここからがスタートです。支えてくれた人々への感謝を忘れず、さらなる拡大に挑みます」と語った。
94年の第1回青森県総会で池田先生は呼び掛けた。
「信心も、やり通してこそ成仏はある。境涯の開拓を途中でやめれば、本当の幸福はない。貫いた人が勝つ。不屈の人が勝つ」と。
青森には今、不屈の開拓魂を刻む青年の森が、幾重にも広がっている。