新しい歴史を創るのは
常に青年の熱と力だ。
生まれ変わった決意と
はつらつとした息吹で
君よ今日も力走を!
佐渡御書 P956
『身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる』
☆女性に贈ることば 九月三十日
母親になったからといって、自らの成長を忘れてはならない。
つねにはつらつと若々しく、子どもにとって誇りとされる母親であってほしいと願う。
☆今日のことば365 九月三十日
公私を問わず、およそ物事の約束にあたっては、まず最初の取り決めが肝心である。遠く未来までも見通す展望のうえに立って、勇気をもち、厳しいまでの姿勢で臨まなければならない。ほんの一時のごまかしが、やがて将来にわたる惨めな禍根を残さないともかぎらないからである。
☆四季の励まし 今こそ「黄金の自分史」を綴ろう 2017年9月24日
「いざ」という時が大事だ。
その時に
はじめて人間の真価が分かる。
意気地なしであってはならない。
圧迫が強ければ強いほど、
朗らかに、
堂々と正義を語り抜く——
これが学会精神である。
日々、前進だ!
日々、決戦だ!
日々、勝利だ!
広宣流布に生き抜く我らに
停滞はない。
前進してやまぬ生命
それ自体が常に勝利者である。
時を逃すな!
スピードが力だ。
勢いで決まる。
今この瞬間の一念が変われば、
それが「現在の因」となって
「未来の果」を
いくらでも変えていける。
日蓮仏法は、太陽の仏法である。
わびしさや諦めなどない。
愚痴をこぼすことなどない。
今の一念がどうか。
それによって、常勝の道が
深く、強く、できあがっていく。
ひるむ前に「行動」である。
「行動」すれば、
どんな困難の山も越えられる。
まず足を踏み出すことである。
前に進むことである。
かけがえのない今この時に、
何をすれば一番、価値的か。
それを明確にして、
「黄金の自分史」を
綴り残していただきたい。
師弟不二の歯車に、
わが心のギアを、
がっちりと、かみ合わせ、
皆が力を合わせてこそ、
勝利は輝く。
心一つに進むのだ。
紺碧の空のもと、白雪を冠したアンデスの山々が幾重にも連なる。1993年(平成5年)2月、池田大作先生が、南米パラグアイからチリへ向かう機中で撮影した。60年(昭和35年)10月から始まった世界広布の平和旅は、この時ちょうど、50カ国・地域目になろうとしていた。
人生、誰にでも試練の山がある。まして、「広宣流布」という大いなる目標への途上には、必ず大きな山が立ちはだかる。しかし、臆していては、勝利の峰に到達できない。眼前にそびえる山が高く、険しければ険しいほど、登攀した喜びは大きい。洋々たる未来も開かれる。
さあ、自身の勝利の峰へ、新たな一歩を力強く踏み出そう!
2017年9月30日土曜日
2017年9月29日金曜日
2017.09.29 わが友に贈る
誰もが広布の主役だ!
この確信と励ましで
互いに心と心を結ぼう。
一人ももれなく
幸福と勝利の陣列に!
唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』
☆女性に贈ることば 九月二十九日
「自分なんかもうダメだ」と思うような瀬戸際の時がある。実はその時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである。わが人生を敗北から勝利へ、不幸から幸福へと大転換しゆく分かれ目が、ここにある。
☆今日のことば365 九月二十九日
まことの指導者は、一人が百歩前進することより、百人を一歩前進せしめることを常に考えているものだ。
☆随筆永遠なれ創価の大城 第24回 「行学の闘士」の誉れ 2017年9月23日
◇「天晴れぬれば地明かなり」 自信満々と学べ 語れ! 太陽の哲理を
御本仏・日蓮大聖人は高らかに宣言なされた。
「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)と。
我らには「太陽の哲理」がある。「仏法」即「社会」という赫々たる英知の大光がある。
ゆえに、いかなる混沌の闇にも惑わない。
いかなる変化の乱気流にも怯まないのだ。
夕張炭労事件の渦中、苦難をものともせぬ北海道の朗らかな同志と、この御文を心肝に染めて、意気天を衝く気迫で邁進したことも懐かしい。
今年は、恩師・戸田城聖先生の熱誠によって、『日蓮大聖人御書全集』が出版されて六十五周年の佳節である。
先生は「発刊の辞」に、我ら学会は「大聖人の御書を敬い之に親しむこと天日(=太陽)を拝するが如く」と綴られた。
草創以来、創価家族は常に御書を開き、無限の生命の陽光を浴びて、確信の対話を広げながら一切を勝ち越えてきた。
まさに、「御書根本で勝つ」ところに、学会精神の真髄がある。
後半戦の出発に、わが愛する求道の同志は、教学部初級試験・青年部教学試験三級に取り組み、「行学の二道」の金の汗を流してきてくれた。
合否を超えて、一人ももれなく信心の勝利者に――これが、私の偽らざる念願である。
受験する宝友を支えてくれた先輩方に、満腔の感謝を捧げるとともに、この尊き研鑽を通して、実りの秋に"勝ち戦"の確かなリズムが刻まれたことを讃えたいのだ。
◇立正安国へ立つ
この二十一日、私は妻と共に、三年ぶりに神奈川文化会館を訪問した。彼岸にあたり、追善回向をさせていただき、そして日本全国、全世界の同志に届けと真剣に勤行・唱題を行った。
また、九州はじめ日本各地の台風の被災、カリブ海地域・米国南部を襲うハリケーンやメキシコの大地震等々、大規模な災害も続いている。
「立正安国」を願われた大聖人の御心を拝しつつ、大切な宝友の無事安穏、速やかな復興、救援に当たる方々の健勝を強盛に祈る日々である。
「正義」の神奈川は、まさしく大聖人が「立正安国」の大闘争を起こされた天地に他ならない。
「立正安国論」には、「言わずんばある可からず」(同一七ページ)とある。一宗一派のためではない。民衆の幸福と安穏のため、「今、真実を語らずして、いつ叫ぶのか!」との炎の仰せであられる。
一九五七年(昭和三十二年)の九月、核兵器の脅威が高まる中で、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を、ここ神奈川から放たれた。それは、大聖人に直結する「立正安国」即「世界平和」への師子吼であったといってよい。
この宣言の草稿を書き留められた先生の手帳も、懐かしく拝見した。
六十周年の本年、神奈川の友は、世界の若人と共に、宣言の大精神を力強く響かせてくれた。
折しも、国連本部で「核兵器禁止条約」の署名式が行われ、各国の署名も進む今、平和を願う市民社会の声をさらに結集し、強めてまいりたい。
神奈川文化会館からの帰路、車窓から鶴見の記念講堂を眺めた。草創の鶴見支部の同志たちと「立正安国論」を学び合ったことも蘇る。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(同三一ページ)――今、お隣の韓国をはじめ世界中の同志も、「立正安国の対話」を誠実に繰り広げてくれている。
わが一念の変革から、人生も、環境も、やがて世界も変えていける。その人間革命の哲理が、どれほど勇気と希望の光源となることか。
「自他共の幸福」を祈り、友情の対話と社会への貢献を積み重ねることこそが、最も地道でありながら、最も確実な世界平和への直道なのだ。
「立正安国論」の結論の段には、「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり」(同三二ページ)と呼び掛けられている。
「決意」は即「行動」である。
立つべき時に立つ!
時を逃さずに戦う!
電光石火の共戦こそ、創価の師弟の心であり、楽土を築きゆく地涌の闘争なることを忘れまい。
◇カッシナの戦い
人生も社会も「いざ」という時が勝負である。
芸術の秋、広島県立美術館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」(東京富士美術館企画)で展示されている、誠に示唆深い名画がある。
巨匠ミケランジェロが描いた「カッシナの戦い」の下絵の模写である。
その戦いは、一三六四年、フィレンツェ軍が勝利した史実である。しかし、周到に準備して臨めた戦いではなかった。
暑さをしのぐため、軍が休憩をとり、アルノ川で水浴びをしている最中に、突如、敵軍の襲撃の報せを受けたのである。
さぞかし驚いたに違いない。だが、フィレンツェ軍の兵士たちは直ちに川から上がり、身支度を整え、郷土のための戦いに渾身の力で挑んでいった。その逞しい勇者たちの群像を、ミケランジェロは描いたのである。
現実は、思いも寄らぬ事態に遭う時がある。
しかし、逡巡せず決然と行動を開始するのだ。そして自らのなし得る限りを、信ずる仲間と共に一気呵成に果たしていくのだ。この「やらんかな」の心意気に、逆転勝利の道は必ず開かれる。
「わたしは自分の今あるもろもろの条件の下で最善をつくすだけだ」とは、ミケランジェロの信条であった。
◇わが境涯を開け
広宣流布、立正安国の大闘争は、そのまま一人ひとりが宿命転換を加速し、一生成仏の大境涯を開く戦いに他ならない。
竜の口の法難、佐渡流罪という大難の中で、勇気ある信心を貫き通してきた一人の鎌倉の女性門下がいた。夫に先立たれ、幼子たちを抱えて懸命に生きる母であった。
大聖人は、亡き功労の夫君のことも追善されつつ、心を尽くして一家を励まされた。そして仰せになられたのである。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)
試練の厳冬の中にある誰もが、一人残らず幸福勝利の大歓喜の春を迎えられるように!――この御本仏の大慈大悲が胸に迫ってならない。
戸田先生は、こうした御聖訓を通されながら、「大聖人が、功徳の出ない、境涯の開けない戦いをさせるわけがないんだよ」と言われていた。
御書には、一人にここまでも心を配られるのかという、大誠実の「人の振舞」が随所に示されている。その究極の人間主義を深く学びながら、私たちも、一人ひとりを大切にし、一人ひとりと仏縁を結んでいくのだ。
「御義口伝」には、「日蓮に共する時は宝処に至る可し」(同七三四ページ)ともお約束である。
我らは、どこまでも、大聖人と「共に」、広宣流布へ、立正安国へ、仲良く賑やかに大行進していく。そして周囲も、いな自分さえも、あっと驚くほどの実証と功徳を現していただきたい。そう私は祈り続けている。
◇異体同心で前進
熱原の法難に屈しなかった烈士たちのことを、御書には「御勘気を蒙るの時・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、偏に只事に非ず」(同一四五五ページ)と讃嘆されている。
あの六十年前の雷雨の大阪大会の後、戸田先生は、この御聖訓を私にそっと示された。そして、「御本仏は、大作と関西の同志たちをさぞかし褒めておられるよ。学会は、この民衆の正義の声と不二の団結で、これからも、あらゆる戦いを勝ち切っていくのだ」と。
二カ月後の九月二十五日、私は東京・葛飾の総ブロック長として、模範の地域の建設へ、熱き心の同志と共に出陣した。
それは恩師の生涯の願業たる「七十五万世帯」達成へ、弟子の総仕上げの挑戦であった。
私たちは第一に、勤行・唱題の「誓願の祈り」の呼吸を深く合わせた。
第二に、どこまでも、「御書根本」の「法華経の兵法」で、智慧と勇気を湧き出して戦った。
第三に、「異体同心の団結」をがっちりと固めながら前進した。
この鉄壁の大東京のスクラムは、威風も堂々と「七十五万世帯」成就の原動力となり、師弟凱歌の栄光を飾ったのである。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
創価の「一善」の陣列に恐れるものはない。
我ら「行学の闘士」は、正義の勝利の太陽を、断固と勝ち昇らせようではないか!
――神奈川文化会館からは青い海を望んだ。かつて船上の四国の友を、懐中電灯を振って見送ったことも思い出される。
館内に、私が揮毫した「ああ陽は昇る」(神奈川の歌)の歌詞も掲げてあった。それを見ながら、妻と一緒に口ずさんだ。
この世悔いなく 暁鐘を
広布の友は 雲と涌く
このリズムをば 誰人も
讃え仰がん 限りなく
ああ陽は昇る
我等の同志にも
この確信と励ましで
互いに心と心を結ぼう。
一人ももれなく
幸福と勝利の陣列に!
唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』
☆女性に贈ることば 九月二十九日
「自分なんかもうダメだ」と思うような瀬戸際の時がある。実はその時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである。わが人生を敗北から勝利へ、不幸から幸福へと大転換しゆく分かれ目が、ここにある。
☆今日のことば365 九月二十九日
まことの指導者は、一人が百歩前進することより、百人を一歩前進せしめることを常に考えているものだ。
☆随筆永遠なれ創価の大城 第24回 「行学の闘士」の誉れ 2017年9月23日
◇「天晴れぬれば地明かなり」 自信満々と学べ 語れ! 太陽の哲理を
御本仏・日蓮大聖人は高らかに宣言なされた。
「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)と。
我らには「太陽の哲理」がある。「仏法」即「社会」という赫々たる英知の大光がある。
ゆえに、いかなる混沌の闇にも惑わない。
いかなる変化の乱気流にも怯まないのだ。
夕張炭労事件の渦中、苦難をものともせぬ北海道の朗らかな同志と、この御文を心肝に染めて、意気天を衝く気迫で邁進したことも懐かしい。
今年は、恩師・戸田城聖先生の熱誠によって、『日蓮大聖人御書全集』が出版されて六十五周年の佳節である。
先生は「発刊の辞」に、我ら学会は「大聖人の御書を敬い之に親しむこと天日(=太陽)を拝するが如く」と綴られた。
草創以来、創価家族は常に御書を開き、無限の生命の陽光を浴びて、確信の対話を広げながら一切を勝ち越えてきた。
まさに、「御書根本で勝つ」ところに、学会精神の真髄がある。
後半戦の出発に、わが愛する求道の同志は、教学部初級試験・青年部教学試験三級に取り組み、「行学の二道」の金の汗を流してきてくれた。
合否を超えて、一人ももれなく信心の勝利者に――これが、私の偽らざる念願である。
受験する宝友を支えてくれた先輩方に、満腔の感謝を捧げるとともに、この尊き研鑽を通して、実りの秋に"勝ち戦"の確かなリズムが刻まれたことを讃えたいのだ。
◇立正安国へ立つ
この二十一日、私は妻と共に、三年ぶりに神奈川文化会館を訪問した。彼岸にあたり、追善回向をさせていただき、そして日本全国、全世界の同志に届けと真剣に勤行・唱題を行った。
また、九州はじめ日本各地の台風の被災、カリブ海地域・米国南部を襲うハリケーンやメキシコの大地震等々、大規模な災害も続いている。
「立正安国」を願われた大聖人の御心を拝しつつ、大切な宝友の無事安穏、速やかな復興、救援に当たる方々の健勝を強盛に祈る日々である。
「正義」の神奈川は、まさしく大聖人が「立正安国」の大闘争を起こされた天地に他ならない。
「立正安国論」には、「言わずんばある可からず」(同一七ページ)とある。一宗一派のためではない。民衆の幸福と安穏のため、「今、真実を語らずして、いつ叫ぶのか!」との炎の仰せであられる。
一九五七年(昭和三十二年)の九月、核兵器の脅威が高まる中で、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を、ここ神奈川から放たれた。それは、大聖人に直結する「立正安国」即「世界平和」への師子吼であったといってよい。
この宣言の草稿を書き留められた先生の手帳も、懐かしく拝見した。
六十周年の本年、神奈川の友は、世界の若人と共に、宣言の大精神を力強く響かせてくれた。
折しも、国連本部で「核兵器禁止条約」の署名式が行われ、各国の署名も進む今、平和を願う市民社会の声をさらに結集し、強めてまいりたい。
神奈川文化会館からの帰路、車窓から鶴見の記念講堂を眺めた。草創の鶴見支部の同志たちと「立正安国論」を学び合ったことも蘇る。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(同三一ページ)――今、お隣の韓国をはじめ世界中の同志も、「立正安国の対話」を誠実に繰り広げてくれている。
わが一念の変革から、人生も、環境も、やがて世界も変えていける。その人間革命の哲理が、どれほど勇気と希望の光源となることか。
「自他共の幸福」を祈り、友情の対話と社会への貢献を積み重ねることこそが、最も地道でありながら、最も確実な世界平和への直道なのだ。
「立正安国論」の結論の段には、「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり」(同三二ページ)と呼び掛けられている。
「決意」は即「行動」である。
立つべき時に立つ!
時を逃さずに戦う!
電光石火の共戦こそ、創価の師弟の心であり、楽土を築きゆく地涌の闘争なることを忘れまい。
◇カッシナの戦い
人生も社会も「いざ」という時が勝負である。
芸術の秋、広島県立美術館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」(東京富士美術館企画)で展示されている、誠に示唆深い名画がある。
巨匠ミケランジェロが描いた「カッシナの戦い」の下絵の模写である。
その戦いは、一三六四年、フィレンツェ軍が勝利した史実である。しかし、周到に準備して臨めた戦いではなかった。
暑さをしのぐため、軍が休憩をとり、アルノ川で水浴びをしている最中に、突如、敵軍の襲撃の報せを受けたのである。
さぞかし驚いたに違いない。だが、フィレンツェ軍の兵士たちは直ちに川から上がり、身支度を整え、郷土のための戦いに渾身の力で挑んでいった。その逞しい勇者たちの群像を、ミケランジェロは描いたのである。
現実は、思いも寄らぬ事態に遭う時がある。
しかし、逡巡せず決然と行動を開始するのだ。そして自らのなし得る限りを、信ずる仲間と共に一気呵成に果たしていくのだ。この「やらんかな」の心意気に、逆転勝利の道は必ず開かれる。
「わたしは自分の今あるもろもろの条件の下で最善をつくすだけだ」とは、ミケランジェロの信条であった。
◇わが境涯を開け
広宣流布、立正安国の大闘争は、そのまま一人ひとりが宿命転換を加速し、一生成仏の大境涯を開く戦いに他ならない。
竜の口の法難、佐渡流罪という大難の中で、勇気ある信心を貫き通してきた一人の鎌倉の女性門下がいた。夫に先立たれ、幼子たちを抱えて懸命に生きる母であった。
大聖人は、亡き功労の夫君のことも追善されつつ、心を尽くして一家を励まされた。そして仰せになられたのである。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)
試練の厳冬の中にある誰もが、一人残らず幸福勝利の大歓喜の春を迎えられるように!――この御本仏の大慈大悲が胸に迫ってならない。
戸田先生は、こうした御聖訓を通されながら、「大聖人が、功徳の出ない、境涯の開けない戦いをさせるわけがないんだよ」と言われていた。
御書には、一人にここまでも心を配られるのかという、大誠実の「人の振舞」が随所に示されている。その究極の人間主義を深く学びながら、私たちも、一人ひとりを大切にし、一人ひとりと仏縁を結んでいくのだ。
「御義口伝」には、「日蓮に共する時は宝処に至る可し」(同七三四ページ)ともお約束である。
我らは、どこまでも、大聖人と「共に」、広宣流布へ、立正安国へ、仲良く賑やかに大行進していく。そして周囲も、いな自分さえも、あっと驚くほどの実証と功徳を現していただきたい。そう私は祈り続けている。
◇異体同心で前進
熱原の法難に屈しなかった烈士たちのことを、御書には「御勘気を蒙るの時・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、偏に只事に非ず」(同一四五五ページ)と讃嘆されている。
あの六十年前の雷雨の大阪大会の後、戸田先生は、この御聖訓を私にそっと示された。そして、「御本仏は、大作と関西の同志たちをさぞかし褒めておられるよ。学会は、この民衆の正義の声と不二の団結で、これからも、あらゆる戦いを勝ち切っていくのだ」と。
二カ月後の九月二十五日、私は東京・葛飾の総ブロック長として、模範の地域の建設へ、熱き心の同志と共に出陣した。
それは恩師の生涯の願業たる「七十五万世帯」達成へ、弟子の総仕上げの挑戦であった。
私たちは第一に、勤行・唱題の「誓願の祈り」の呼吸を深く合わせた。
第二に、どこまでも、「御書根本」の「法華経の兵法」で、智慧と勇気を湧き出して戦った。
第三に、「異体同心の団結」をがっちりと固めながら前進した。
この鉄壁の大東京のスクラムは、威風も堂々と「七十五万世帯」成就の原動力となり、師弟凱歌の栄光を飾ったのである。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
創価の「一善」の陣列に恐れるものはない。
我ら「行学の闘士」は、正義の勝利の太陽を、断固と勝ち昇らせようではないか!
――神奈川文化会館からは青い海を望んだ。かつて船上の四国の友を、懐中電灯を振って見送ったことも思い出される。
館内に、私が揮毫した「ああ陽は昇る」(神奈川の歌)の歌詞も掲げてあった。それを見ながら、妻と一緒に口ずさんだ。
この世悔いなく 暁鐘を
広布の友は 雲と涌く
このリズムをば 誰人も
讃え仰がん 限りなく
ああ陽は昇る
我等の同志にも
2017年9月28日木曜日
2017.09.28 わが友に贈る
「賢者はよろこび
愚者は退く」御聖訓。
喜び勇み立つ心で
烈風をはね返そう!
誉れの人生を共に!
乙御前御消息 P1222
『いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし見奉らん山中にて共にうえ死にし候はん』
☆女性に贈ることば 九月二十八日
「ありがとう」は奇跡の言葉である。
口に出せば、元気が出る。耳に入れば、勇気がわく。
☆今日のことば365 九月二十八日
獅子は伴侶を求めず、伴侶を心待ちにした時、百獣の王、獅子は失格する。
獅子には、絶対、孤独感はない。伴侶は求めずして、ついて来るものだ。
☆少年少女部結成記念大会への池田先生のメッセージ 2017年9月19日
友情は希望の光
読書は知恵の扉
負けじ魂は勝利の泉
大好きな少年少女部の皆さん! 朗らかな大会、誠におめでとう!
担当者の方々も、いつも本当にありがとう!
私は、未来を託しゆく宝の皆さん一人ひとりと心の握手を固く交わす思いで、すべてを見守っております。
今日は、一人の偉大な女性の負けじ魂を通しながら、皆さんにメッセージを送ります。アメリカのヘレン・ケラーという人です。
気の毒なことにヘレンは、幼い頃の病気が原因で、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、話すこともできなくなってしまいました。
しかし7歳になる頃から、サリバンという立派な先生に教わり、言葉を覚え、勉強を頑張り抜いていきました。そして、「人のために生きよう」と決め、体が不自由な人が暮らしやすい社会になるよう、世界を駆けめぐり、尽くしていったのです。
なぜ、ヘレンは、苦しい試練を乗り越えることができたのか?
一つは、いい友だちをたくさん作ったからです。ヘレンは自分の一生は"友情の宝の記録"というほど、よき友との励まし合いを大切にしました。
友情は「生命を輝かせる希望の光」です。
二つ目は、本をたくさん読んだからです。目が見えなくとも、指先で点字をなぞって本を読み、生き生きと学んで、心の世界を広げていきました。
読書は「心を豊かにする知恵の扉」です。
三つ目は、「絶対にへこたれない」執念です。ヘレンは話す練習に挑んで、何度失敗してもグチをこぼさず、ついに言葉がしゃべれるようになりました。
負けじ魂は「未来を開く勝利の泉」です。
日蓮大聖人は、「題目は、獅子(ライオン)が吼えるようなものです」(御書1124ページ、趣意)と仰せです。皆さんが挑戦している勤行・唱題は、百獣の王の叫びのように、自分自身の勇気を湧かせ、周りの人にも勇気を送る力があるのです。
何があっても、題目を忘れず、「よし! やるぞ」と、明るく、ねばり強く、学び進んでいってください。
皆さんの一歩また一歩の前進こそ、世界の創価家族の喜びです。
愛する少年少女部、万歳! 笑顔で親孝行を頼みます。
☆明日を求めて 池田先生の対話録�第43回 周恩来総理との会見の通訳 林麗?氏 2017年9月24日
◇「人民に奉仕」。この総理の心を中日の青年に伝えたい
「あの日のことは、今も、私の心に鮮烈に刻まれています」
林麗?氏は、かつて本紙のインタビューで語った。
氏が回想した「あの日」とは、1974年12月5日。池田先生が中国の周恩来総理と、北京市内の病院で会見した日である。氏は、通訳として同席していた。
「周総理と池田先生がしっかりと手を握り合った瞬間をはっきりと覚えています。思い出すたびに胸が熱くなります。この歴史的な瞬間にまみえたことを、いつも自分の励みにしてまいりました」
総理との会見に先立つ74年10月、中国中央楽団団長として来日していた氏を、先生は関西文化会館(当時)に歓迎している。
2カ月ぶりの再会で、氏は、先生と総理の、最初で最後の会見の"証言者"となった。
膀胱がんを患っていた総理が、北京の305病院に入院したのは会見の半年前だった。がん切除の手術を2度受けた総理の体は、極度に衰弱していた。
"命の保証はできない"との医師の忠告を押し切って、総理は先生との会見を強く望んだ。
会見中にも、「そろそろお休みください」と書かれたメモが、総理の手元に届いた。だが、それに目も通さず、総理は語り続けた。この時すでに、総理は自らの命が長くないことを知っていた。
日中友好の未来を託すような総理の言葉を、心を、伝える役目を全うしたのが氏であった。
「われわれは、世々代々にわたる友好を築かねばなりません」
「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。すべての国が平等な立場で助け合わなければなりません」
この総理の心を継ぎ、先生は中国の歴代指導者らと出会いを結び、友好の未来を開いていった。
◇
林氏は33年、台湾生まれ。小学2年生の時に一家で来日し、兵庫県神戸市で12年間を過ごした。
戦時中、大好きな神戸の町が焼かれた。平和のために働こうと決めたのは、その悲惨な光景を目に焼き付けたからである。
高校卒業後は神戸中華同文学校で教壇に立ち、52年、建国されたばかりの新中国に渡る。54年からは、周総理の通訳を務めた。
創価学会の発展に注目していた総理の指示で、関西文化祭(66年9月)の記録フィルムを見たのも氏である。雨の中で泥まみれになりながら演技をする青年の姿に、強く胸を打たれた氏は、"大衆を基盤とした活力のある団体"との印象を総理に伝えている。
若き日の思い出を、氏が池田先生に語ったのは、99年11月5日。東京牧口記念会館での会見の折である。冒頭、先生は言った。
「周総理は世界一の大政治家であり、傑出した指導者でした。天が遣わしたかのような不思議な方でした。周総理のもとで長らく通訳をされた林先生に、きょうは、さまざまに思い出を語っていただきたいのです」
こうして会見は、総理との思い出などについて先生が質問し、氏が答える形で進んだ。
——行事を終えたある日の明け方、ドアを開けると、冷たい風が入ってきた。側にいる関係者に、総理はそっと自分のコートを掛けたという。
ある時は、記念会の会場に入れなかった人たちに会うため、総理は第2、第3会場にも足を運び、丁重に歓迎した——。
氏の回想の一つ一つから、総理の温かな人柄がにじみ出ていた。
先生は「何と美しいお話でしょうか。この人柄、この振る舞い。日本を含め、全ての指導者に聞かせたい」と。
さらに、先生が「中国語で一番好きな言葉は」と聞くと、氏は、総理が語ったという「人民に奉仕する」との言葉を挙げた。そして、こう続けた。
「これを一生涯、やり通すためには、自分の修養を深めなければなりません。人民に奉仕——池田先生の『人類愛』に通じると思います」
また、通訳に当たって総理が氏に送ったアドバイスについては、「単に『言葉』を伝えるだけでなく、『心』を伝えなければならない」と。
心を伝える——そのために、総理が怒っている時は、自らも強い口調で。総理が喜んでいる時は、自分も弾む口調で。そうした通訳を、氏は心掛けたという。
74年の総理との会見で、強く先生の印象に残った場面がある。薄着でいた香峯子夫人を見て、氏は「それでは寒いでしょう」と、自身のコートを貸したのである。
先生は、後につづっている。
「なにげない振る舞いのなかに、周総理の薫陶が染みこんでおられた。それは『総理の心を伝える』という通訳の使命に徹してこられた結果であるにちがいない」
◇
99年の会見で、林氏は「若い人々には、心に、平和への愛の根を下ろしてほしい」と。
それに先立ち創価大学を訪れた折にも、歓迎する学生たちを前にはつらつとした声で語った。「皆さまと、中国の青年たちが手を取り合って、『21世紀の友好』を築き、平和を守ってください!」
先生の提案で、中国最大の青年団体・中華全国青年連合会(全青連)と学会青年部の間に「交流議定書」が交わされたのは、85年。
総理が念願した「世々代々の友好」の証しともいうべき交流は、今も活発に続いている。
今月、日本と中国の国交正常化から45周年の佳節を迎える。
今日を開いた先人の心を知る青年たちがいる限り、友好の根から風雪に揺るがぬ大木が育ち、平和の空へと天高く伸びていく。
林麗?(りん・れいうん) 1933年、台湾生まれ。小学2年から日本の神戸に住む。兵庫県立湊川高等学校卒業後、神戸中華同文学校教師を務める。52年に中国に渡り、北京大学で学ぶ。日中友好のために働くようになり、54年から周恩来総理の通訳に。72年の日中国交正常化交渉や、74年の池田先生と周総理との会見の通訳等を務めた。党中央対外連絡部局長、中日友好協会理事、全国人民代表大会常務委員会委員、同華僑委員会副主任、全国婦女連合会副主席などを歴任した。
〈引用・参考文献〉池田大作著『地球市民の讃歌——世界の指導者と語る�』潮出版社、同著『新・人間革命』第20・28巻、張佐良著『周恩来・最後の十年』早坂義征訳・日本経済新聞社ほか。
愚者は退く」御聖訓。
喜び勇み立つ心で
烈風をはね返そう!
誉れの人生を共に!
乙御前御消息 P1222
『いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし見奉らん山中にて共にうえ死にし候はん』
☆女性に贈ることば 九月二十八日
「ありがとう」は奇跡の言葉である。
口に出せば、元気が出る。耳に入れば、勇気がわく。
☆今日のことば365 九月二十八日
獅子は伴侶を求めず、伴侶を心待ちにした時、百獣の王、獅子は失格する。
獅子には、絶対、孤独感はない。伴侶は求めずして、ついて来るものだ。
☆少年少女部結成記念大会への池田先生のメッセージ 2017年9月19日
友情は希望の光
読書は知恵の扉
負けじ魂は勝利の泉
大好きな少年少女部の皆さん! 朗らかな大会、誠におめでとう!
担当者の方々も、いつも本当にありがとう!
私は、未来を託しゆく宝の皆さん一人ひとりと心の握手を固く交わす思いで、すべてを見守っております。
今日は、一人の偉大な女性の負けじ魂を通しながら、皆さんにメッセージを送ります。アメリカのヘレン・ケラーという人です。
気の毒なことにヘレンは、幼い頃の病気が原因で、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、話すこともできなくなってしまいました。
しかし7歳になる頃から、サリバンという立派な先生に教わり、言葉を覚え、勉強を頑張り抜いていきました。そして、「人のために生きよう」と決め、体が不自由な人が暮らしやすい社会になるよう、世界を駆けめぐり、尽くしていったのです。
なぜ、ヘレンは、苦しい試練を乗り越えることができたのか?
一つは、いい友だちをたくさん作ったからです。ヘレンは自分の一生は"友情の宝の記録"というほど、よき友との励まし合いを大切にしました。
友情は「生命を輝かせる希望の光」です。
二つ目は、本をたくさん読んだからです。目が見えなくとも、指先で点字をなぞって本を読み、生き生きと学んで、心の世界を広げていきました。
読書は「心を豊かにする知恵の扉」です。
三つ目は、「絶対にへこたれない」執念です。ヘレンは話す練習に挑んで、何度失敗してもグチをこぼさず、ついに言葉がしゃべれるようになりました。
負けじ魂は「未来を開く勝利の泉」です。
日蓮大聖人は、「題目は、獅子(ライオン)が吼えるようなものです」(御書1124ページ、趣意)と仰せです。皆さんが挑戦している勤行・唱題は、百獣の王の叫びのように、自分自身の勇気を湧かせ、周りの人にも勇気を送る力があるのです。
何があっても、題目を忘れず、「よし! やるぞ」と、明るく、ねばり強く、学び進んでいってください。
皆さんの一歩また一歩の前進こそ、世界の創価家族の喜びです。
愛する少年少女部、万歳! 笑顔で親孝行を頼みます。
☆明日を求めて 池田先生の対話録�第43回 周恩来総理との会見の通訳 林麗?氏 2017年9月24日
◇「人民に奉仕」。この総理の心を中日の青年に伝えたい
「あの日のことは、今も、私の心に鮮烈に刻まれています」
林麗?氏は、かつて本紙のインタビューで語った。
氏が回想した「あの日」とは、1974年12月5日。池田先生が中国の周恩来総理と、北京市内の病院で会見した日である。氏は、通訳として同席していた。
「周総理と池田先生がしっかりと手を握り合った瞬間をはっきりと覚えています。思い出すたびに胸が熱くなります。この歴史的な瞬間にまみえたことを、いつも自分の励みにしてまいりました」
総理との会見に先立つ74年10月、中国中央楽団団長として来日していた氏を、先生は関西文化会館(当時)に歓迎している。
2カ月ぶりの再会で、氏は、先生と総理の、最初で最後の会見の"証言者"となった。
膀胱がんを患っていた総理が、北京の305病院に入院したのは会見の半年前だった。がん切除の手術を2度受けた総理の体は、極度に衰弱していた。
"命の保証はできない"との医師の忠告を押し切って、総理は先生との会見を強く望んだ。
会見中にも、「そろそろお休みください」と書かれたメモが、総理の手元に届いた。だが、それに目も通さず、総理は語り続けた。この時すでに、総理は自らの命が長くないことを知っていた。
日中友好の未来を託すような総理の言葉を、心を、伝える役目を全うしたのが氏であった。
「われわれは、世々代々にわたる友好を築かねばなりません」
「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。すべての国が平等な立場で助け合わなければなりません」
この総理の心を継ぎ、先生は中国の歴代指導者らと出会いを結び、友好の未来を開いていった。
◇
林氏は33年、台湾生まれ。小学2年生の時に一家で来日し、兵庫県神戸市で12年間を過ごした。
戦時中、大好きな神戸の町が焼かれた。平和のために働こうと決めたのは、その悲惨な光景を目に焼き付けたからである。
高校卒業後は神戸中華同文学校で教壇に立ち、52年、建国されたばかりの新中国に渡る。54年からは、周総理の通訳を務めた。
創価学会の発展に注目していた総理の指示で、関西文化祭(66年9月)の記録フィルムを見たのも氏である。雨の中で泥まみれになりながら演技をする青年の姿に、強く胸を打たれた氏は、"大衆を基盤とした活力のある団体"との印象を総理に伝えている。
若き日の思い出を、氏が池田先生に語ったのは、99年11月5日。東京牧口記念会館での会見の折である。冒頭、先生は言った。
「周総理は世界一の大政治家であり、傑出した指導者でした。天が遣わしたかのような不思議な方でした。周総理のもとで長らく通訳をされた林先生に、きょうは、さまざまに思い出を語っていただきたいのです」
こうして会見は、総理との思い出などについて先生が質問し、氏が答える形で進んだ。
——行事を終えたある日の明け方、ドアを開けると、冷たい風が入ってきた。側にいる関係者に、総理はそっと自分のコートを掛けたという。
ある時は、記念会の会場に入れなかった人たちに会うため、総理は第2、第3会場にも足を運び、丁重に歓迎した——。
氏の回想の一つ一つから、総理の温かな人柄がにじみ出ていた。
先生は「何と美しいお話でしょうか。この人柄、この振る舞い。日本を含め、全ての指導者に聞かせたい」と。
さらに、先生が「中国語で一番好きな言葉は」と聞くと、氏は、総理が語ったという「人民に奉仕する」との言葉を挙げた。そして、こう続けた。
「これを一生涯、やり通すためには、自分の修養を深めなければなりません。人民に奉仕——池田先生の『人類愛』に通じると思います」
また、通訳に当たって総理が氏に送ったアドバイスについては、「単に『言葉』を伝えるだけでなく、『心』を伝えなければならない」と。
心を伝える——そのために、総理が怒っている時は、自らも強い口調で。総理が喜んでいる時は、自分も弾む口調で。そうした通訳を、氏は心掛けたという。
74年の総理との会見で、強く先生の印象に残った場面がある。薄着でいた香峯子夫人を見て、氏は「それでは寒いでしょう」と、自身のコートを貸したのである。
先生は、後につづっている。
「なにげない振る舞いのなかに、周総理の薫陶が染みこんでおられた。それは『総理の心を伝える』という通訳の使命に徹してこられた結果であるにちがいない」
◇
99年の会見で、林氏は「若い人々には、心に、平和への愛の根を下ろしてほしい」と。
それに先立ち創価大学を訪れた折にも、歓迎する学生たちを前にはつらつとした声で語った。「皆さまと、中国の青年たちが手を取り合って、『21世紀の友好』を築き、平和を守ってください!」
先生の提案で、中国最大の青年団体・中華全国青年連合会(全青連)と学会青年部の間に「交流議定書」が交わされたのは、85年。
総理が念願した「世々代々の友好」の証しともいうべき交流は、今も活発に続いている。
今月、日本と中国の国交正常化から45周年の佳節を迎える。
今日を開いた先人の心を知る青年たちがいる限り、友好の根から風雪に揺るがぬ大木が育ち、平和の空へと天高く伸びていく。
林麗?(りん・れいうん) 1933年、台湾生まれ。小学2年から日本の神戸に住む。兵庫県立湊川高等学校卒業後、神戸中華同文学校教師を務める。52年に中国に渡り、北京大学で学ぶ。日中友好のために働くようになり、54年から周恩来総理の通訳に。72年の日中国交正常化交渉や、74年の池田先生と周総理との会見の通訳等を務めた。党中央対外連絡部局長、中日友好協会理事、全国人民代表大会常務委員会委員、同華僑委員会副主任、全国婦女連合会副主席などを歴任した。
〈引用・参考文献〉池田大作著『地球市民の讃歌——世界の指導者と語る�』潮出版社、同著『新・人間革命』第20・28巻、張佐良著『周恩来・最後の十年』早坂義征訳・日本経済新聞社ほか。
2017年9月27日水曜日
2017.09.27 わが友に贈る
わが地区から
広布推進の突破口を!
地区部長・婦人部長の
強き一念が時代を開く!
皆に希望送る名指揮を!
一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』
☆女性に贈ることば 九月二十七日
子どもの教育においては、早くから小さく完成させようとする必要はない。ひとつの型にはめようと強いることは、いつか無理が現れてしまう。
むしろ、大樹と育つための板を張らせることが、最も重要であろう。
☆今日のことば365 九月二十七日
青春には苦しいこともあるが、希望が輝いていることも事実だ。つねに未来に希望をもち、成長していく人こそ、真に青春を謳歌している人生といえまいか。
☆国際メディアIDNに池田先生が寄稿 2017年9月20日
◇「人類の平和と生存」へ市民社会の力を結集し意識転換を
国際通信社INPS(インターナショナル・プレス・シンジケート)の基幹媒体で、分析記事に定評があるIDN(インデプスニュース)が、18日付で池田大作先生の寄稿を掲載した。きょう20日から核兵器禁止条約への各国の署名が始まることに寄せたもの。池田先生は、核兵器は安全保障の観点のみで判断され続けるべきものではないとし、問題の本質は核保有国と非核保有国との対立にあるのではなく、核兵器の脅威と人類の生存の権利との対立にあると指摘。こうした意識転換を促す力としてグローバルな市民社会の声が重要になるとし、核兵器のない世界に向け、一層努力していきたいと述べている。寄稿の内容を掲載する。
国連で、7月に採択された核兵器禁止条約の署名開放の日を迎えた。
加盟国の3分の2近くが交渉に参加し成立をみた条約の発効に向けて、いよいよ動き出すことに特別の感慨を覚える。
条約の採択に賛成した122カ国をはじめ、多くの国の署名を得て、早期の発効を果たすことを切に望むものである。
核兵器のない世界の追求は、そもそも、国連の誕生を受けての最初の総会決議(1946年1月)で焦点となったテーマであり、その後、何度も決議が積み重ねられてきた70年越しの課題であった。
その突破口を開いたのは、近年の「核兵器の非人道性」に対する国際社会の認識の高まりである。
"同じ苦しみを誰にも味わわせてはならない!"との世界の被爆者の切なる思いが、長年にわたり訴え続けられる中で、核問題を巡る議論の流れを大きく変えてきたのだ。
一石また一石と国際社会に投じられてきたこうした叫びが、まさに禁止条約の礎石となったのである。その重みを物語るように、条約の前文には「ヒバクシャ」の文字が2カ所も刻まれている。
条約の意義は、何と言っても、核兵器の保有から使用と威嚇にいたるまで、一切の例外を認めずに禁止したことにある。
それは、96年の国際司法裁判所の勧告的意見で指摘された"明示的な禁止規範の不在"の克服につながるものにほかならない。
思い返せば、私の師である創価学会の戸田第2代会長が60年前の9月8日に発表した「原水爆禁止宣言」で訴えたのも、いかなる理由があろうと核兵器の使用は絶対に許されないという一点であった。
私どもSGI(創価学会インタナショナル)はこの宣言を胸に、近年ではICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと条約づくりを後押しする活動を行ってきたほか、他のFBO(信仰を基盤とした団体)と連携し、核兵器を憂慮する宗教コミュニティーとして共同声明を8回にわたって発信してきた。
「核兵器は、安全と尊厳の中で人類が生きる権利、良心と正義の要請、弱き者を守る義務、未来の世代のために地球を守る責任感といった、それぞれの宗教的伝統が掲げる価値観と相容れるものではない」と、倫理的観点からの問題提起を続けてきたのである。
冷戦以来の「不信のスパイラル(悪循環)」が生み出した核抑止政策の奥には、"自国を守るために、どれだけ多くの民衆の犠牲が生じてもやむを得ない"との生命軽視の思想が横たわっている。
戸田会長が「原水爆禁止宣言」で強調したように、核兵器の存在は一人一人の「生命の権利」、人類の「生存の権利」に対する最大の脅威なのだ。
核兵器禁止条約は、その生命軽視の思想に楔を打ち込むものであり、交渉会議で議長を務めたコスタリカのホワイト大使が述べたように、そこで打ち立てられた規範には「21世紀の新たな安全保障のパラダイムを発展させる」という歴史的な意義が込められている。
禁止条約では、核保有国や核依存国の状況を踏まえた制度設計がなされている。つまり、「加盟前の核兵器全廃」を必ずしも前提とせず、「核兵器配備の解除と廃棄計画の提出」をもって条約に加わる道も開かれているのだ。
交渉会議でオーストリアの代表が指摘した通り、「国々や人々の安全を損ないたいと思っている者など誰もいない」はずだ。
どの国にとっても平和や安全はかけがえのないものであり、その意味で問い直すべきは、核兵器の非人道性を踏まえてもなお、自国を守る方法が、"核兵器を必須とする安全保障であり続けるしかないのか"との点ではないだろうか。
その意味でも私は、唯一の戦争被爆国であり、非核三原則を掲げる日本が、"自分たちの生きている間に核兵器のない世界の実現を見届けたい"と命を懸けての行動を続けてきた被爆者の方々の思いをかみしめて、条約への参加に向けた検討に踏み出すことを、強く訴えたい。
核兵器がひとたび使用され、その応酬が始まってしまえば、壊滅的な結果が生じ、救援活動や対応能力の確立が不可能であるばかりか、その影響は国境を越え、長期にわたるものになるということは、核保有国であるアメリカやイギリスも参加した「核兵器の非人道性に関する国際会議」で、明確になったところである。
そうした議論の積み重ねの上に採択された核兵器禁止条約が問うているのは、「核保有の継続と安全保障とを同一視するような認識を改める必要性」ではないだろうか。
核兵器の問題は、一国の安全保障の観点からのみ判断され続けて良いものでは決してない。人類全体の平和と世界の民衆の「生存の権利」に軸足を置き、「21世紀の新たな安全保障のパラダイム」を見いだす努力を傾ける中で、廃絶への道を共同作業として開かねばならない。問題の本質は、核保有国と非核保有国との対立にあるのではなく、「核兵器の脅威」と「人類の生存の権利」の対立にこそあるのだ。
私は、その意識転換を促す最大の原動力となるのが、グローバルな市民社会の声を結集することだと考える。
「平和首長会議」に加盟する都市が、今や162カ国・地域、7400近くに及んでいるように、核兵器のない世界を求める声は、核保有国や核依存国の間でも広がっている。
条約づくりの作業も、被爆者の方々をはじめとする市民社会の力強い後押しがなければ、前に進めなかったものだった。
交渉会議の場で市民社会の席は後ろ側であったが、採択後にエジプトの代表がいみじくも、その情熱と献身ゆえ市民社会は"尊敬の最前列にある"と語った通りの大きな役割を担ってきたのだ。
核兵器禁止条約の採択により、核兵器廃絶への挑戦は新たなステージに入った。条約の意義を普及させ、その支持をいかに幅広く堅固なものとしていけるかが、これからの課題となろう。
条約の第12条には、「条約を普遍化するための努力」が規定されている。そのためには、被爆者の方々が訴え続けてきた原爆被害の実相に対する認識が、国や世代を超えて幅広く共有され維持されることが必要だ。その鍵を握るのは、平和・軍縮教育である。それは、核保有国や核依存国が、「核兵器のない世界」という地球的な取り組みへの歩みを共にするために欠かせない基盤ともなる。
そして、市民社会の参加と貢献を得て採択された条約の特質に鑑みれば、平和・軍縮教育の推進をはじめとする「条約を普遍化するための努力」を後押しすることが、市民社会の重要な役割となってくる。
ICANなど多くの団体と協力しながら、条約の普遍化のための取り組みを進め、「核兵器のない世界」への道を力強く開いていくことを、この9月20日の署名開放の日に固く誓うものである。
なお、英文の寄稿は以下のウェブサイトから閲覧できます。(www.indepthnews.net/index.php/opinion/1366-heed-the-voices-of-the-hibakusha-urging-all-states-to-sign-the-treaty-on-the-prohibition-of-nuclear-weapons)
☆御書と歩む 第83回 心ゆくまで追善の題目を
『いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん』(上野殿後家尼御返事、1506ページ)
◇通解
何としても、追善供養を心の及ぶ限り、励まれるのがよいであろう。昔の智者の言葉にも「心の根底を第九識におき、修行は六識においてしなさい」と教えているが、道理ではないだろうか。
◇同志への指針
家族や宝友との愛別離苦は誰人も避けられない。しかし、自行化他の題目を唱えることで、心の及ぶ限り追善供養できる。生死を超えて、共に妙法の光明に包まれるのだ。
広宣流布を目指し、現実の生活の中で、日々、仏道修行に励むことこそ、最高の追善となる。その福徳が、無量の先祖、無量の子孫までの「常楽の旅路」を赫々と照らし晴らしゆくのだ。
広布推進の突破口を!
地区部長・婦人部長の
強き一念が時代を開く!
皆に希望送る名指揮を!
一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』
☆女性に贈ることば 九月二十七日
子どもの教育においては、早くから小さく完成させようとする必要はない。ひとつの型にはめようと強いることは、いつか無理が現れてしまう。
むしろ、大樹と育つための板を張らせることが、最も重要であろう。
☆今日のことば365 九月二十七日
青春には苦しいこともあるが、希望が輝いていることも事実だ。つねに未来に希望をもち、成長していく人こそ、真に青春を謳歌している人生といえまいか。
☆国際メディアIDNに池田先生が寄稿 2017年9月20日
◇「人類の平和と生存」へ市民社会の力を結集し意識転換を
国際通信社INPS(インターナショナル・プレス・シンジケート)の基幹媒体で、分析記事に定評があるIDN(インデプスニュース)が、18日付で池田大作先生の寄稿を掲載した。きょう20日から核兵器禁止条約への各国の署名が始まることに寄せたもの。池田先生は、核兵器は安全保障の観点のみで判断され続けるべきものではないとし、問題の本質は核保有国と非核保有国との対立にあるのではなく、核兵器の脅威と人類の生存の権利との対立にあると指摘。こうした意識転換を促す力としてグローバルな市民社会の声が重要になるとし、核兵器のない世界に向け、一層努力していきたいと述べている。寄稿の内容を掲載する。
国連で、7月に採択された核兵器禁止条約の署名開放の日を迎えた。
加盟国の3分の2近くが交渉に参加し成立をみた条約の発効に向けて、いよいよ動き出すことに特別の感慨を覚える。
条約の採択に賛成した122カ国をはじめ、多くの国の署名を得て、早期の発効を果たすことを切に望むものである。
核兵器のない世界の追求は、そもそも、国連の誕生を受けての最初の総会決議(1946年1月)で焦点となったテーマであり、その後、何度も決議が積み重ねられてきた70年越しの課題であった。
その突破口を開いたのは、近年の「核兵器の非人道性」に対する国際社会の認識の高まりである。
"同じ苦しみを誰にも味わわせてはならない!"との世界の被爆者の切なる思いが、長年にわたり訴え続けられる中で、核問題を巡る議論の流れを大きく変えてきたのだ。
一石また一石と国際社会に投じられてきたこうした叫びが、まさに禁止条約の礎石となったのである。その重みを物語るように、条約の前文には「ヒバクシャ」の文字が2カ所も刻まれている。
条約の意義は、何と言っても、核兵器の保有から使用と威嚇にいたるまで、一切の例外を認めずに禁止したことにある。
それは、96年の国際司法裁判所の勧告的意見で指摘された"明示的な禁止規範の不在"の克服につながるものにほかならない。
思い返せば、私の師である創価学会の戸田第2代会長が60年前の9月8日に発表した「原水爆禁止宣言」で訴えたのも、いかなる理由があろうと核兵器の使用は絶対に許されないという一点であった。
私どもSGI(創価学会インタナショナル)はこの宣言を胸に、近年ではICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと条約づくりを後押しする活動を行ってきたほか、他のFBO(信仰を基盤とした団体)と連携し、核兵器を憂慮する宗教コミュニティーとして共同声明を8回にわたって発信してきた。
「核兵器は、安全と尊厳の中で人類が生きる権利、良心と正義の要請、弱き者を守る義務、未来の世代のために地球を守る責任感といった、それぞれの宗教的伝統が掲げる価値観と相容れるものではない」と、倫理的観点からの問題提起を続けてきたのである。
冷戦以来の「不信のスパイラル(悪循環)」が生み出した核抑止政策の奥には、"自国を守るために、どれだけ多くの民衆の犠牲が生じてもやむを得ない"との生命軽視の思想が横たわっている。
戸田会長が「原水爆禁止宣言」で強調したように、核兵器の存在は一人一人の「生命の権利」、人類の「生存の権利」に対する最大の脅威なのだ。
核兵器禁止条約は、その生命軽視の思想に楔を打ち込むものであり、交渉会議で議長を務めたコスタリカのホワイト大使が述べたように、そこで打ち立てられた規範には「21世紀の新たな安全保障のパラダイムを発展させる」という歴史的な意義が込められている。
禁止条約では、核保有国や核依存国の状況を踏まえた制度設計がなされている。つまり、「加盟前の核兵器全廃」を必ずしも前提とせず、「核兵器配備の解除と廃棄計画の提出」をもって条約に加わる道も開かれているのだ。
交渉会議でオーストリアの代表が指摘した通り、「国々や人々の安全を損ないたいと思っている者など誰もいない」はずだ。
どの国にとっても平和や安全はかけがえのないものであり、その意味で問い直すべきは、核兵器の非人道性を踏まえてもなお、自国を守る方法が、"核兵器を必須とする安全保障であり続けるしかないのか"との点ではないだろうか。
その意味でも私は、唯一の戦争被爆国であり、非核三原則を掲げる日本が、"自分たちの生きている間に核兵器のない世界の実現を見届けたい"と命を懸けての行動を続けてきた被爆者の方々の思いをかみしめて、条約への参加に向けた検討に踏み出すことを、強く訴えたい。
核兵器がひとたび使用され、その応酬が始まってしまえば、壊滅的な結果が生じ、救援活動や対応能力の確立が不可能であるばかりか、その影響は国境を越え、長期にわたるものになるということは、核保有国であるアメリカやイギリスも参加した「核兵器の非人道性に関する国際会議」で、明確になったところである。
そうした議論の積み重ねの上に採択された核兵器禁止条約が問うているのは、「核保有の継続と安全保障とを同一視するような認識を改める必要性」ではないだろうか。
核兵器の問題は、一国の安全保障の観点からのみ判断され続けて良いものでは決してない。人類全体の平和と世界の民衆の「生存の権利」に軸足を置き、「21世紀の新たな安全保障のパラダイム」を見いだす努力を傾ける中で、廃絶への道を共同作業として開かねばならない。問題の本質は、核保有国と非核保有国との対立にあるのではなく、「核兵器の脅威」と「人類の生存の権利」の対立にこそあるのだ。
私は、その意識転換を促す最大の原動力となるのが、グローバルな市民社会の声を結集することだと考える。
「平和首長会議」に加盟する都市が、今や162カ国・地域、7400近くに及んでいるように、核兵器のない世界を求める声は、核保有国や核依存国の間でも広がっている。
条約づくりの作業も、被爆者の方々をはじめとする市民社会の力強い後押しがなければ、前に進めなかったものだった。
交渉会議の場で市民社会の席は後ろ側であったが、採択後にエジプトの代表がいみじくも、その情熱と献身ゆえ市民社会は"尊敬の最前列にある"と語った通りの大きな役割を担ってきたのだ。
核兵器禁止条約の採択により、核兵器廃絶への挑戦は新たなステージに入った。条約の意義を普及させ、その支持をいかに幅広く堅固なものとしていけるかが、これからの課題となろう。
条約の第12条には、「条約を普遍化するための努力」が規定されている。そのためには、被爆者の方々が訴え続けてきた原爆被害の実相に対する認識が、国や世代を超えて幅広く共有され維持されることが必要だ。その鍵を握るのは、平和・軍縮教育である。それは、核保有国や核依存国が、「核兵器のない世界」という地球的な取り組みへの歩みを共にするために欠かせない基盤ともなる。
そして、市民社会の参加と貢献を得て採択された条約の特質に鑑みれば、平和・軍縮教育の推進をはじめとする「条約を普遍化するための努力」を後押しすることが、市民社会の重要な役割となってくる。
ICANなど多くの団体と協力しながら、条約の普遍化のための取り組みを進め、「核兵器のない世界」への道を力強く開いていくことを、この9月20日の署名開放の日に固く誓うものである。
なお、英文の寄稿は以下のウェブサイトから閲覧できます。(www.indepthnews.net/index.php/opinion/1366-heed-the-voices-of-the-hibakusha-urging-all-states-to-sign-the-treaty-on-the-prohibition-of-nuclear-weapons)
☆御書と歩む 第83回 心ゆくまで追善の題目を
『いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん』(上野殿後家尼御返事、1506ページ)
◇通解
何としても、追善供養を心の及ぶ限り、励まれるのがよいであろう。昔の智者の言葉にも「心の根底を第九識におき、修行は六識においてしなさい」と教えているが、道理ではないだろうか。
◇同志への指針
家族や宝友との愛別離苦は誰人も避けられない。しかし、自行化他の題目を唱えることで、心の及ぶ限り追善供養できる。生死を超えて、共に妙法の光明に包まれるのだ。
広宣流布を目指し、現実の生活の中で、日々、仏道修行に励むことこそ、最高の追善となる。その福徳が、無量の先祖、無量の子孫までの「常楽の旅路」を赫々と照らし晴らしゆくのだ。
2017.09.26 わが友に贈る
「仏法は勝負」なれば
中途半端が一番の敵だ。
誓願を立てて挑もう!
断固と果たし抜く人に
人生勝利の栄冠は輝く!
椎地四郎殿御書 P1448
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』
☆女性に贈ることば 九月二十六日
絶対に、あなたにはあなたにしかできない、この世の使命がある。あなたでしか咲かせられない人生がある。
何を疑ったとしても、このことだけは、疑ってはならない。
☆今日のことば365 九月二十六日
人を批判する前に、自己を、自分を、吾れをと、反省し、自らの凝視を忘れるな。
☆四季の励まし あすは敬老の日 心の張りが健康をつくる 2017年9月17日
「第三の人生」は
「第三の青春」でありたい。
青春は、年とともに
消え去っていくものではない。
自分がどう思うかである。
いくつになっても、
前向きの挑戦の心がある限り、
ますます深みを増し、輝いていく。
苦労さえも美しさに変えるような
生き方とは何か。
それは
世界でたったひとつしかない
自分の人生を愛おしみ、
一日一日をていねいに生き、
一生を自分らしく
仕上げていくことではないか。
その人には愚痴がないし、
いつまでも
若々しい心の張りがある。
心の張りは
健康もつくっていくのである。
釈尊は、
高齢者を大切にする人は、
自らが「寿命」と「美しさ」と
「楽しみ」と「力」を
増していくと説いている。
高齢者を尊敬する社会こそ
人間を尊敬する社会であり、
それでこそ
生き生きと栄えゆく社会となろう。
"よし、やるぞ!"との
雄々しき心が大切である。
信心とは、
一に勇気、
二に勇気といってもよい。
一日一日を、
自分らしく勝利していく——
その繰り返しのなかにしか、
三世にわたる
幸福と勝利の軌道を
築いていく道はない。
青空に映える稜線。辺り一面に咲くキバナコスモスが、初秋の風に揺れる。2005年(平成17年)9月、池田大作先生が、山梨の山中湖周辺でシャッターを切った。
嵐に襲われても、倒された茎から根を出し、再び立ち上がるコスモスの花。その姿は、池田先生と共に幾多の障魔と苦難を勝ち越え、世界広布の大道を開いてきた草創の同志と重なる。
アメリカの詩人ホイットマンは謳った。「若い者は美しい——しかも老いたる者は若い者より更に美しい」(白鳥省吾訳)と。功労の父母の笑顔皺は、"人生凱歌の証し"と輝く。
あすは「敬老の日」。人生の大先輩に心から感謝し、報恩の道を歩みゆこう。
☆世界写真紀行 第23回 ハワイ・ワイキキの浜辺 2017年9月22日
◇皆が歴史をつくる主役
寄せては返す波。風に揺れるヤシの葉。かなたには名勝「ダイヤモンドヘッド」が見える。"常夏の楽園"といえば、ここを思い浮かべる人も多いに違いない。
ハワイの州都ホノルルに広がる、ワイキキの浜辺。
世界有数のリゾート地として知られるハワイ。かつて、日本軍の真珠湾攻撃によって、太平洋戦争が始まった地でもある。
戦火の地から平和の大光を——世界広宣流布は、ここハワイが起点となった。
1960年10月2日の朝。
池田先生は一人、この浜辺に立っていた。前夜、海外訪問の第一歩としてホノルルの空港に降り立ち、ワイキキの浜辺沿いのホテルに宿泊していた。
早朝の海を眺める先生。この6年前の夏には、恩師・戸田先生と北海道・厚田の浜辺で語り合った。「ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ」——恩師の言葉を胸に、池田先生は"分身"として世界広布に雄飛したのである。
2日午後の座談会。会場には、さまざまな悩みを持った友が集まっていた。
「戦争花嫁」として渡米し、日本に帰りたいと涙する婦人。不遇の人生と必死に格闘してきた青年。文化や生活習慣の違いに人知れず苦しむ婦人——。先生は、一人一人を抱きかかえるように励ました。友は、師の期待を胸に、広布と人生の勝利を誓った。
この2年後、先生は再びハワイへ。空港で出迎えたメンバーの姿は、見違えるように変わっていた。広布に生きる誇りと、人生を勝ち抜く喜びに輝いていたのである。
前回と同じ宿舎で行われたメンバーとの懇談。その様子が、小説『新・人間革命』第7巻「萌芽」の章につづられている。
2年前の座談会は日本語だけで通じたが、今回は英語の通訳が必要になっていた。それ自体が、ハワイ広布の発展を物語っていた。
山本伸一会長は、創価学会は、今や300万世帯を突破し、日本や世界の指導者が、学会の行く手に注目する時代になっていると述べ、次のように語った。
「世界中の人たちが学会に注目しているだけに、これからは、皆さんが功徳を受け、幸福になり、社会にも貢献していくことが、極めて大切になってきます。皆さん方こそ、学会の代表です」
「歴史をつくるのは民衆です。一人ひとりが自己自身に挑み、わが人生、わが舞台の"主役"として力を出しきっていく時、必ず新しい時代の扉は開かれます。それぞれが広宣流布の大ドラマをつづりながら、力を合わせ、さらに、さらに、ハワイの平和と繁栄を築いていってください」
192カ国・地域に広がった世界広布のスクラムも、師の期待に応えようと、一人また一人が、立ち上がるところから始まった。
広宣流布に"脇役"などいない。全員が、なくてはならない"主役"である。誰にも遠慮などいらない。
一人一人が自身の尊き使命に目覚め、わが本舞台に猛然と躍り出る時、新たな広布の新時代が開く。
中途半端が一番の敵だ。
誓願を立てて挑もう!
断固と果たし抜く人に
人生勝利の栄冠は輝く!
椎地四郎殿御書 P1448
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』
☆女性に贈ることば 九月二十六日
絶対に、あなたにはあなたにしかできない、この世の使命がある。あなたでしか咲かせられない人生がある。
何を疑ったとしても、このことだけは、疑ってはならない。
☆今日のことば365 九月二十六日
人を批判する前に、自己を、自分を、吾れをと、反省し、自らの凝視を忘れるな。
☆四季の励まし あすは敬老の日 心の張りが健康をつくる 2017年9月17日
「第三の人生」は
「第三の青春」でありたい。
青春は、年とともに
消え去っていくものではない。
自分がどう思うかである。
いくつになっても、
前向きの挑戦の心がある限り、
ますます深みを増し、輝いていく。
苦労さえも美しさに変えるような
生き方とは何か。
それは
世界でたったひとつしかない
自分の人生を愛おしみ、
一日一日をていねいに生き、
一生を自分らしく
仕上げていくことではないか。
その人には愚痴がないし、
いつまでも
若々しい心の張りがある。
心の張りは
健康もつくっていくのである。
釈尊は、
高齢者を大切にする人は、
自らが「寿命」と「美しさ」と
「楽しみ」と「力」を
増していくと説いている。
高齢者を尊敬する社会こそ
人間を尊敬する社会であり、
それでこそ
生き生きと栄えゆく社会となろう。
"よし、やるぞ!"との
雄々しき心が大切である。
信心とは、
一に勇気、
二に勇気といってもよい。
一日一日を、
自分らしく勝利していく——
その繰り返しのなかにしか、
三世にわたる
幸福と勝利の軌道を
築いていく道はない。
青空に映える稜線。辺り一面に咲くキバナコスモスが、初秋の風に揺れる。2005年(平成17年)9月、池田大作先生が、山梨の山中湖周辺でシャッターを切った。
嵐に襲われても、倒された茎から根を出し、再び立ち上がるコスモスの花。その姿は、池田先生と共に幾多の障魔と苦難を勝ち越え、世界広布の大道を開いてきた草創の同志と重なる。
アメリカの詩人ホイットマンは謳った。「若い者は美しい——しかも老いたる者は若い者より更に美しい」(白鳥省吾訳)と。功労の父母の笑顔皺は、"人生凱歌の証し"と輝く。
あすは「敬老の日」。人生の大先輩に心から感謝し、報恩の道を歩みゆこう。
☆世界写真紀行 第23回 ハワイ・ワイキキの浜辺 2017年9月22日
◇皆が歴史をつくる主役
寄せては返す波。風に揺れるヤシの葉。かなたには名勝「ダイヤモンドヘッド」が見える。"常夏の楽園"といえば、ここを思い浮かべる人も多いに違いない。
ハワイの州都ホノルルに広がる、ワイキキの浜辺。
世界有数のリゾート地として知られるハワイ。かつて、日本軍の真珠湾攻撃によって、太平洋戦争が始まった地でもある。
戦火の地から平和の大光を——世界広宣流布は、ここハワイが起点となった。
1960年10月2日の朝。
池田先生は一人、この浜辺に立っていた。前夜、海外訪問の第一歩としてホノルルの空港に降り立ち、ワイキキの浜辺沿いのホテルに宿泊していた。
早朝の海を眺める先生。この6年前の夏には、恩師・戸田先生と北海道・厚田の浜辺で語り合った。「ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ」——恩師の言葉を胸に、池田先生は"分身"として世界広布に雄飛したのである。
2日午後の座談会。会場には、さまざまな悩みを持った友が集まっていた。
「戦争花嫁」として渡米し、日本に帰りたいと涙する婦人。不遇の人生と必死に格闘してきた青年。文化や生活習慣の違いに人知れず苦しむ婦人——。先生は、一人一人を抱きかかえるように励ました。友は、師の期待を胸に、広布と人生の勝利を誓った。
この2年後、先生は再びハワイへ。空港で出迎えたメンバーの姿は、見違えるように変わっていた。広布に生きる誇りと、人生を勝ち抜く喜びに輝いていたのである。
前回と同じ宿舎で行われたメンバーとの懇談。その様子が、小説『新・人間革命』第7巻「萌芽」の章につづられている。
2年前の座談会は日本語だけで通じたが、今回は英語の通訳が必要になっていた。それ自体が、ハワイ広布の発展を物語っていた。
山本伸一会長は、創価学会は、今や300万世帯を突破し、日本や世界の指導者が、学会の行く手に注目する時代になっていると述べ、次のように語った。
「世界中の人たちが学会に注目しているだけに、これからは、皆さんが功徳を受け、幸福になり、社会にも貢献していくことが、極めて大切になってきます。皆さん方こそ、学会の代表です」
「歴史をつくるのは民衆です。一人ひとりが自己自身に挑み、わが人生、わが舞台の"主役"として力を出しきっていく時、必ず新しい時代の扉は開かれます。それぞれが広宣流布の大ドラマをつづりながら、力を合わせ、さらに、さらに、ハワイの平和と繁栄を築いていってください」
192カ国・地域に広がった世界広布のスクラムも、師の期待に応えようと、一人また一人が、立ち上がるところから始まった。
広宣流布に"脇役"などいない。全員が、なくてはならない"主役"である。誰にも遠慮などいらない。
一人一人が自身の尊き使命に目覚め、わが本舞台に猛然と躍り出る時、新たな広布の新時代が開く。
2017年9月25日月曜日
2017.09.25 わが友に贈る
◇今週のことば
信心は「勇気」だ。
戦いは「勢い」だ。
満々たる生命力で
語りに語ろう!
「声仏事を為す」と。
2017年9月25日
富木入道殿御返事 P956
『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』
☆女性に贈ることば 九月二十五日
信頼できる人、頼れる人、何でも相談できる人−−そういう人をもち、自分もそういう人になる。その人は幸福である。
☆今日のことば365 九月二十五日
長い歴史の積み重ねによって、築かれてきたものも、失うのは一瞬である。しかし、ひとたび失ったものを、元にもどすには、築いてきたと、おなじ歴史の経過が必要とされるにちがいない。
☆御書の解説 「秋季彼岸勤行法要」のために 2017年9月19日
◇拝読御文
『このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらせ候、あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし、妙荘厳王は二子にみちびかる、かの王は悪人なり、こうへのどのは善人なり、かれにはにるべくもなし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』上野殿御返事P1507
◇本抄について
流罪地・佐渡から鎌倉へ御帰還後、身延に入られた直後の日蓮大聖人のもとへ、南条家から御供養の品々が届けられました。本抄は文永11年(1274年)7月26日、その返礼として認められたお手紙であり、若き南条時光との再会の喜びをつづられています。
時光の父・南条兵衛七郎が亡くなった時(文永2年)、時光は7歳の少年でした。以来、9年が過ぎ、立派な青年に成長したその姿に、大聖人は兵衛七郎の面影や人柄を偲ばれたのでしょう。この時に、兵衛七郎への追善の読経をされています。
大聖人は本抄で、子に導かれて仏道に入った妙荘厳王の故事を引かれ、兵衛七郎と残された一家が成仏の軌道に入っていることは間違いないとたたえられています。
◇回向
日蓮大聖人は拝読御文で、御自身の読誦した法華経の功徳の一分を故・南条兵衛七郎に廻向(=回向)したと仰せです。
大聖人は続けて、子息の南条時光が、亡き父の信仰を受け継いでいることについて、"あふれる涙をぬぐうことができない"とたたえられています。時光が信仰を実践していることも、亡き父への追善となることは言うまでもありません。
ここで回向とは、"回らし向ける"こと、すなわち自身が仏法を実践・修行した功徳を、他の人々へ手向けることです。また追善とは、故人に対して、故人が生前に積んだ功徳に追加して、遺族などが功徳を回向することをいいます。
御書に照らせば、回向とは、�法華経(その真髄である南無妙法蓮華経)を信じ実践する功徳によって可能であること�その功徳は自身が関わる全ての人に手向けられるものであること、が明らかです。
過去の一切の諸仏・菩薩が妙法への信によって成仏の境涯を開いてきたように、私たち自身も妙法を実践することで境涯を開き、偉大な功徳をわが身に具えることができます。その功徳を故人に回らし向けていくのが、日蓮仏法における「追善回向」です。
大聖人は「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」(御書1429ページ)と仰せです。追善回向の本義は、私たち自身が御本尊を信じ、信心に励んでいくことにあります。
大聖人の御遺命である広宣流布へ行動しているのは、創価学会以外にありません。
勤行・唱題をはじめとする、広布を願っての信心の実践こそ、故人に対する最高の追善回向となるのです。
◇妙荘厳王
御文で言及されている妙荘厳王は、法華経妙荘厳王本事品第27に説かれる故事の中に出てきます。故事のあらすじは次の通りです。
——無量無辺不可思議阿僧祇劫というはるか昔に、浄蔵・浄眼という2人の王子がいました。
この2人は、雲雷音宿王華智仏のもとで菩薩行を修して覚りを得ました。
2人は、雲雷音宿王華智仏から法華経の説法を聞いて歓喜し、母である浄徳夫人に"共に仏の所に詣でましょう"と勧めました。
しかし、母は、まずバラモンの教えを信奉している父・妙荘厳王を仏教に帰依させるよう勧めます。
浄蔵・浄眼の2人は、父王の前で、さまざまな神通力を現じました。
この神通力に感心した父が、師はだれかと問い、浄蔵・浄眼が雲雷音宿王華智仏であることを告げたところ、父王は、夫人だけでなく多くの眷属を引き連れて仏の前に詣で、王と夫人は多くの眷属らと仏道を行じて成道を果たすことができたのです。
この故事が示すように、たとえ父が(仏道に励んでいなかった)悪人であっても、子の信心で救うことができます。まして時光の父は、日蓮大聖人に帰依して善根を積んでおり、成仏は間違いありません。
大聖人は、亡き南条兵衛七郎の功徳が妙荘厳王と比べようもないほど大きいこと、"親子一体の成仏"は間違いないことを教えられています。
◇謗法への布施を止めよ
●御聖訓 "悪に供養すれば悪道へ"
日顕宗は、"坊主を呼んで追善しなければ、先祖は成仏しない""塔婆を立てないと追善回向できない"等と主張していますが、これは御書のどこにも説かれていない全くの邪義です。
日蓮大聖人は「四条金吾殿御書(盂蘭盆由来御書)」で、堕落した僧侶を「食法がき」(御書1111ページ)と痛烈に破折されています。
日顕宗の坊主は「お経回り」と称して檀家を回り、僧侶の読経をありがたいものだと思わせては供養を稼いでいます。
また、塔婆や戒名を"金もうけの道具"にするなど、仏法を利用して供養集めをしています。そうした姿こそ「食法餓鬼」そのものです。
日顕宗は広布を破壊し、大聖人に違背する大謗法の邪宗です。大聖人は「真心からの供養であっても、悪への供養であれば功徳とならず、かえって悪道に堕ちてしまうことになる」(同1486ページ、趣意)と仰せになり、謗法への供養を戒められています。
日顕宗に塔婆供養などを頼めば、謗法の与同罪で功徳どころか罰を受けてしまいます。日顕宗への供養は、全て「謗法への布施」となり、かえって自身が悪業を積むことになるのです。
◇池田先生の指針から
信心は、どこまでも「現当二世」で進んでいかねばならない。ゆえに、たとえ家族に先立たれたとしても、残された家族は"遺族"というよりも、"後継者"との自覚を深くもつべきである。信心を継承し、亡くなった人の分までも、希望をもって妙法流布のために生きぬいていく——故人への追善回向をしつつも、そこに"後継"への思いを新たにしていくべきである、と私は思う。
墓参といっても、世間一般のいわゆる過去に向いたものではなく、三世永遠の生命観に立って、力強く未来を志向していくものでありたいものだ。(『池田大作全集』第69巻)
◇ ◆ ◇
七歳の時に日蓮大聖人にお会いしたとされる南条時光は十六歳から、師のもとで直々の薫陶を受けた。
大聖人は、亡き父の信心を立派に継承する時光の姿を讃えられ、こう仰せになられた。
「あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし」(御書1507ページ)と。
門下の子弟を皆、わが子の如く慈しみ、育んでくださる。
これが大聖人の御心であられた。(『随筆 対話の大道』)
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 一生成仏抄(下) 2017年9月9日
◇唱題こそ生命変革の根幹の実践
今月は「一生成仏抄」の後半を研さんします。池田先生は、つづっています。
「『自身』が変われば『世界』が変わる。
『我が一念の変革』が、すべての変革の鍵なのです。これが『人間革命』です。
そして、誰にでも、その変革の力が具わっている。この生命の真実に気づけば、いつでも、どこでも、どのような状況にあっても、その力を現実に開き顕していくことができます」
今回は、生命変革の根幹の実践である"唱題行のあり方"を学んでいきましょう。(拝読範囲は、御書383ページ15行目「之に依って」〜384ページ本抄末尾)
◇本抄について
本抄は、御執筆の年次や宛先は不明ですが、立宗から間もない建長7年(1255年)に認められ、富木常忍に与えられたと伝えられています。
題号の「一生成仏」とは、凡夫が、この一生のうちに成仏するということです。本抄では、日蓮大聖人の仏法の根幹である唱題行の意義について、法理と実践の両面から明らかにされ、南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題行こそが、成仏の直道であることを示されます。
◇御文
『又衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(御書384ページ1行目〜5行目)
◇通解
また、浄名経には「人々の心がけがれれば、その人々が住む国土もけがれ、人々の心が清ければ国土も清い」とある。すなわち、浄土といっても、穢土といっても、二つの別々の国土があるわけではなく、ただそこに住む私たちの心の善悪によって違いが現れると説かれているのである。
衆生といっても仏といっても、またこれと同じである。迷っている時には衆生と名づけ、覚った時には仏と名づけるのである。たとえば、曇っている鏡も磨いたならば、輝く玉のように見えるようなものである。
今の私たちの一念が、無明におおわれて迷いの心である時は磨いていない鏡であり、これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。強く信心を起こして、日夜朝暮に怠ることなく磨いていきなさい。では、どのようにして磨くのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということである。
〈解説〉"持続の信心"で幸福の土台を
日蓮大聖人の仏法は、生命変革の仏法です。
掲げた御文で大聖人は、浄名経を引かれ、仏の住む清らかな国土である「浄土」と、けがれた国土である「穢土」は、別々の世界ではなく、そこに住む衆生の「心の善悪」によって、この違いが現れると仰せです。
そして、同じように、「衆生」と「仏」といっても別々の存在ではなく、一人の人間における「迷い」と「覚り」の生命状態の違いであることを教えられています。
この「迷い」を「覚り」へと転換することができるのが、「南無妙法蓮華経」の唱題行です。題目を唱え、自身の生命を変革することによって、周りの環境をも変革し、あらゆる悩みや苦難も幸福の方向へと開いていくことができるのです。
この自身の生命を変革する唱題行を、大聖人は鏡の譬えを通して示されています。
曇ってものを映さない鏡も、磨けばものをはっきりと映します。同じように、無明という根本の迷いに覆われた生命(磨かざる鏡)も、南無妙法蓮華経の唱題行に励むことによって、仏の覚りの生命(明鏡)へと輝かせていくことができると述べられています。
私たちは日々の勤行・唱題の実践によって、自身の生命を磨き、本来持っている無限の力を自在に発揮することができるのです。
この唱題行を実践していく上で大事なことが二つあります。一つは「深く信心を発して」と仰せのように、強く信心を起こすことです。
現実の悩みに真正面から向き合い、「この信心で必ず乗り越えてみせる!」と腹を決めて勇んで祈り抜く姿勢が重要です。
もう一つは、「日夜朝暮に又懈らず磨くべし」と仰せのように、持続することです。
御聖訓に「苦楽ともに思い合せて」(御書1143ページ)とあるように、苦しい時も、楽しい時も、日々たゆみなく唱題に挑戦していくなかで、何があっても負けない絶対的幸福境涯を築くことができるのです。
池田先生は、本抄の講義でつづっています。
「唱題行によって生命を根底から鍛えれば、心はいくらでも深くなり、生命はいくらでも強くなり、境涯はいくらでも広くなります」
友の幸福を祈り、勇気の対話に挑戦し、地涌のスクラムを大きく広げていきましょう!
◇池田先生の講義から
唱題は、まず「勇んで為す」という挑戦の心が大切なのです。それは「深く信心を発す」との大聖人の教えのままに、「我が己心の妙理を呼び起こすことができる」「我が生命に本来具わる仏界を現すことができる」「必ず一生成仏できる」という、生命の奥底からの信を起こしていくことでもあると言えます。
それはまた、題目を唱えることを妨げる三障四魔との戦いに立ち上がっていくことでもあります。紛然と競い起こる障魔に、恐れることなく、倦むことなく、退くことのない挑戦の心が大切なのです。
挑戦し、戦って、無明を打ち破ってこそ、生命を磨くことができるからです。
◇ ◆ ◇
題目は「前進」の力です。題目は「勝利」の力です。あらゆる戦いは、まず祈ることから始まります。(中略)
私たちは、どこまでも日夜朝暮にたゆまず題目を唱えながら、我が生命を鍛え抜いて、勝利また勝利の人生を築き上げていこうではありませんか。
(『一生成仏抄講義』)
◇研さんのために
○…『一生成仏抄講義』(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第1巻、「一生成仏」(同)
○…『信仰の基本「信行学」』、「現代に菩薩行を貫く 学会の『行動』」(同)
信心は「勇気」だ。
戦いは「勢い」だ。
満々たる生命力で
語りに語ろう!
「声仏事を為す」と。
2017年9月25日
富木入道殿御返事 P956
『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』
☆女性に贈ることば 九月二十五日
信頼できる人、頼れる人、何でも相談できる人−−そういう人をもち、自分もそういう人になる。その人は幸福である。
☆今日のことば365 九月二十五日
長い歴史の積み重ねによって、築かれてきたものも、失うのは一瞬である。しかし、ひとたび失ったものを、元にもどすには、築いてきたと、おなじ歴史の経過が必要とされるにちがいない。
☆御書の解説 「秋季彼岸勤行法要」のために 2017年9月19日
◇拝読御文
『このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらせ候、あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし、妙荘厳王は二子にみちびかる、かの王は悪人なり、こうへのどのは善人なり、かれにはにるべくもなし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』上野殿御返事P1507
◇本抄について
流罪地・佐渡から鎌倉へ御帰還後、身延に入られた直後の日蓮大聖人のもとへ、南条家から御供養の品々が届けられました。本抄は文永11年(1274年)7月26日、その返礼として認められたお手紙であり、若き南条時光との再会の喜びをつづられています。
時光の父・南条兵衛七郎が亡くなった時(文永2年)、時光は7歳の少年でした。以来、9年が過ぎ、立派な青年に成長したその姿に、大聖人は兵衛七郎の面影や人柄を偲ばれたのでしょう。この時に、兵衛七郎への追善の読経をされています。
大聖人は本抄で、子に導かれて仏道に入った妙荘厳王の故事を引かれ、兵衛七郎と残された一家が成仏の軌道に入っていることは間違いないとたたえられています。
◇回向
日蓮大聖人は拝読御文で、御自身の読誦した法華経の功徳の一分を故・南条兵衛七郎に廻向(=回向)したと仰せです。
大聖人は続けて、子息の南条時光が、亡き父の信仰を受け継いでいることについて、"あふれる涙をぬぐうことができない"とたたえられています。時光が信仰を実践していることも、亡き父への追善となることは言うまでもありません。
ここで回向とは、"回らし向ける"こと、すなわち自身が仏法を実践・修行した功徳を、他の人々へ手向けることです。また追善とは、故人に対して、故人が生前に積んだ功徳に追加して、遺族などが功徳を回向することをいいます。
御書に照らせば、回向とは、�法華経(その真髄である南無妙法蓮華経)を信じ実践する功徳によって可能であること�その功徳は自身が関わる全ての人に手向けられるものであること、が明らかです。
過去の一切の諸仏・菩薩が妙法への信によって成仏の境涯を開いてきたように、私たち自身も妙法を実践することで境涯を開き、偉大な功徳をわが身に具えることができます。その功徳を故人に回らし向けていくのが、日蓮仏法における「追善回向」です。
大聖人は「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」(御書1429ページ)と仰せです。追善回向の本義は、私たち自身が御本尊を信じ、信心に励んでいくことにあります。
大聖人の御遺命である広宣流布へ行動しているのは、創価学会以外にありません。
勤行・唱題をはじめとする、広布を願っての信心の実践こそ、故人に対する最高の追善回向となるのです。
◇妙荘厳王
御文で言及されている妙荘厳王は、法華経妙荘厳王本事品第27に説かれる故事の中に出てきます。故事のあらすじは次の通りです。
——無量無辺不可思議阿僧祇劫というはるか昔に、浄蔵・浄眼という2人の王子がいました。
この2人は、雲雷音宿王華智仏のもとで菩薩行を修して覚りを得ました。
2人は、雲雷音宿王華智仏から法華経の説法を聞いて歓喜し、母である浄徳夫人に"共に仏の所に詣でましょう"と勧めました。
しかし、母は、まずバラモンの教えを信奉している父・妙荘厳王を仏教に帰依させるよう勧めます。
浄蔵・浄眼の2人は、父王の前で、さまざまな神通力を現じました。
この神通力に感心した父が、師はだれかと問い、浄蔵・浄眼が雲雷音宿王華智仏であることを告げたところ、父王は、夫人だけでなく多くの眷属を引き連れて仏の前に詣で、王と夫人は多くの眷属らと仏道を行じて成道を果たすことができたのです。
この故事が示すように、たとえ父が(仏道に励んでいなかった)悪人であっても、子の信心で救うことができます。まして時光の父は、日蓮大聖人に帰依して善根を積んでおり、成仏は間違いありません。
大聖人は、亡き南条兵衛七郎の功徳が妙荘厳王と比べようもないほど大きいこと、"親子一体の成仏"は間違いないことを教えられています。
◇謗法への布施を止めよ
●御聖訓 "悪に供養すれば悪道へ"
日顕宗は、"坊主を呼んで追善しなければ、先祖は成仏しない""塔婆を立てないと追善回向できない"等と主張していますが、これは御書のどこにも説かれていない全くの邪義です。
日蓮大聖人は「四条金吾殿御書(盂蘭盆由来御書)」で、堕落した僧侶を「食法がき」(御書1111ページ)と痛烈に破折されています。
日顕宗の坊主は「お経回り」と称して檀家を回り、僧侶の読経をありがたいものだと思わせては供養を稼いでいます。
また、塔婆や戒名を"金もうけの道具"にするなど、仏法を利用して供養集めをしています。そうした姿こそ「食法餓鬼」そのものです。
日顕宗は広布を破壊し、大聖人に違背する大謗法の邪宗です。大聖人は「真心からの供養であっても、悪への供養であれば功徳とならず、かえって悪道に堕ちてしまうことになる」(同1486ページ、趣意)と仰せになり、謗法への供養を戒められています。
日顕宗に塔婆供養などを頼めば、謗法の与同罪で功徳どころか罰を受けてしまいます。日顕宗への供養は、全て「謗法への布施」となり、かえって自身が悪業を積むことになるのです。
◇池田先生の指針から
信心は、どこまでも「現当二世」で進んでいかねばならない。ゆえに、たとえ家族に先立たれたとしても、残された家族は"遺族"というよりも、"後継者"との自覚を深くもつべきである。信心を継承し、亡くなった人の分までも、希望をもって妙法流布のために生きぬいていく——故人への追善回向をしつつも、そこに"後継"への思いを新たにしていくべきである、と私は思う。
墓参といっても、世間一般のいわゆる過去に向いたものではなく、三世永遠の生命観に立って、力強く未来を志向していくものでありたいものだ。(『池田大作全集』第69巻)
◇ ◆ ◇
七歳の時に日蓮大聖人にお会いしたとされる南条時光は十六歳から、師のもとで直々の薫陶を受けた。
大聖人は、亡き父の信心を立派に継承する時光の姿を讃えられ、こう仰せになられた。
「あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし」(御書1507ページ)と。
門下の子弟を皆、わが子の如く慈しみ、育んでくださる。
これが大聖人の御心であられた。(『随筆 対話の大道』)
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 一生成仏抄(下) 2017年9月9日
◇唱題こそ生命変革の根幹の実践
今月は「一生成仏抄」の後半を研さんします。池田先生は、つづっています。
「『自身』が変われば『世界』が変わる。
『我が一念の変革』が、すべての変革の鍵なのです。これが『人間革命』です。
そして、誰にでも、その変革の力が具わっている。この生命の真実に気づけば、いつでも、どこでも、どのような状況にあっても、その力を現実に開き顕していくことができます」
今回は、生命変革の根幹の実践である"唱題行のあり方"を学んでいきましょう。(拝読範囲は、御書383ページ15行目「之に依って」〜384ページ本抄末尾)
◇本抄について
本抄は、御執筆の年次や宛先は不明ですが、立宗から間もない建長7年(1255年)に認められ、富木常忍に与えられたと伝えられています。
題号の「一生成仏」とは、凡夫が、この一生のうちに成仏するということです。本抄では、日蓮大聖人の仏法の根幹である唱題行の意義について、法理と実践の両面から明らかにされ、南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題行こそが、成仏の直道であることを示されます。
◇御文
『又衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(御書384ページ1行目〜5行目)
◇通解
また、浄名経には「人々の心がけがれれば、その人々が住む国土もけがれ、人々の心が清ければ国土も清い」とある。すなわち、浄土といっても、穢土といっても、二つの別々の国土があるわけではなく、ただそこに住む私たちの心の善悪によって違いが現れると説かれているのである。
衆生といっても仏といっても、またこれと同じである。迷っている時には衆生と名づけ、覚った時には仏と名づけるのである。たとえば、曇っている鏡も磨いたならば、輝く玉のように見えるようなものである。
今の私たちの一念が、無明におおわれて迷いの心である時は磨いていない鏡であり、これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。強く信心を起こして、日夜朝暮に怠ることなく磨いていきなさい。では、どのようにして磨くのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということである。
〈解説〉"持続の信心"で幸福の土台を
日蓮大聖人の仏法は、生命変革の仏法です。
掲げた御文で大聖人は、浄名経を引かれ、仏の住む清らかな国土である「浄土」と、けがれた国土である「穢土」は、別々の世界ではなく、そこに住む衆生の「心の善悪」によって、この違いが現れると仰せです。
そして、同じように、「衆生」と「仏」といっても別々の存在ではなく、一人の人間における「迷い」と「覚り」の生命状態の違いであることを教えられています。
この「迷い」を「覚り」へと転換することができるのが、「南無妙法蓮華経」の唱題行です。題目を唱え、自身の生命を変革することによって、周りの環境をも変革し、あらゆる悩みや苦難も幸福の方向へと開いていくことができるのです。
この自身の生命を変革する唱題行を、大聖人は鏡の譬えを通して示されています。
曇ってものを映さない鏡も、磨けばものをはっきりと映します。同じように、無明という根本の迷いに覆われた生命(磨かざる鏡)も、南無妙法蓮華経の唱題行に励むことによって、仏の覚りの生命(明鏡)へと輝かせていくことができると述べられています。
私たちは日々の勤行・唱題の実践によって、自身の生命を磨き、本来持っている無限の力を自在に発揮することができるのです。
この唱題行を実践していく上で大事なことが二つあります。一つは「深く信心を発して」と仰せのように、強く信心を起こすことです。
現実の悩みに真正面から向き合い、「この信心で必ず乗り越えてみせる!」と腹を決めて勇んで祈り抜く姿勢が重要です。
もう一つは、「日夜朝暮に又懈らず磨くべし」と仰せのように、持続することです。
御聖訓に「苦楽ともに思い合せて」(御書1143ページ)とあるように、苦しい時も、楽しい時も、日々たゆみなく唱題に挑戦していくなかで、何があっても負けない絶対的幸福境涯を築くことができるのです。
池田先生は、本抄の講義でつづっています。
「唱題行によって生命を根底から鍛えれば、心はいくらでも深くなり、生命はいくらでも強くなり、境涯はいくらでも広くなります」
友の幸福を祈り、勇気の対話に挑戦し、地涌のスクラムを大きく広げていきましょう!
◇池田先生の講義から
唱題は、まず「勇んで為す」という挑戦の心が大切なのです。それは「深く信心を発す」との大聖人の教えのままに、「我が己心の妙理を呼び起こすことができる」「我が生命に本来具わる仏界を現すことができる」「必ず一生成仏できる」という、生命の奥底からの信を起こしていくことでもあると言えます。
それはまた、題目を唱えることを妨げる三障四魔との戦いに立ち上がっていくことでもあります。紛然と競い起こる障魔に、恐れることなく、倦むことなく、退くことのない挑戦の心が大切なのです。
挑戦し、戦って、無明を打ち破ってこそ、生命を磨くことができるからです。
◇ ◆ ◇
題目は「前進」の力です。題目は「勝利」の力です。あらゆる戦いは、まず祈ることから始まります。(中略)
私たちは、どこまでも日夜朝暮にたゆまず題目を唱えながら、我が生命を鍛え抜いて、勝利また勝利の人生を築き上げていこうではありませんか。
(『一生成仏抄講義』)
◇研さんのために
○…『一生成仏抄講義』(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第1巻、「一生成仏」(同)
○…『信仰の基本「信行学」』、「現代に菩薩行を貫く 学会の『行動』」(同)
2017年9月24日日曜日
2017.09.24 わが友に贈る
私たち一人一人が
平和創造の主体者だ!
立正安国の大精神は
創価の連帯に脈々。
誇り高く進みゆこう!
撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』
☆女性に贈ることば 九月二十四日
先哲は「賢聖は罵言して試みるなるべし」と言われた。
その人が本物かどうかは、悪口や、非難を言われてみればわかる。それに負けないのが本物だ。
子どもにも、いざという時に信念を貫き通せる強さを養わせたい。
☆今日のことば365 九月二十四日
自然の開発にせよ、人体の健康にせよ、これからは、自然のリズムをいかに巧みにとらえ、それを活用していくかが、より重要な課題になっていくにちがいない。自然は、けっして、静止した。"死"の世界ではない。生命の充満した巨大な有機的連合体なのだ。人間もまた、そのひとつの環にすぎない。
☆世界写真紀行第22回 ドミニカ共和国 2017年9月14日
◇広布は一人から一人へ
エメラルドグリーンの海。どこまでも続く白い砂浜。まさに"カリブの宝石"だ。
中米のドミニカ共和国。
イスパニョーラ島にある同国は、日本の九州と山口県を合わせたほどの面積。ここに1000万人が暮らす。
底抜けに明るい国民性。ひとたび音楽が流れれば、皆がリズムに合わせて踊りだす。
第2次世界大戦後、日本政府は中南米諸国への移民政策を推し進めた。ドミニカには1950年代、約1300人が移り住んだ。
"広大な土地が無償で譲渡され、給付金ももらえる"——希望を胸に移住したものの、現実は厳しかった。与えられた土地に灌漑設備はなく、岩だらけの草むらや塩の浮いた荒れ地ばかりだった。
数年後には、日本からの移住者の8割がドミニカを去った。その苦闘の中で、数人の同志が広布開拓に立ち上がったのである。
友は、題目を唱え、生きるために血のにじむような努力を重ねた。寸暇を惜しんで弘教に走り、日本から送られてくる機関紙を、ぼろぼろになるまで皆で回して読んだ。
1966年3月16日、ドミニカ支部が誕生。翌67年の春、池田先生は、日本に一時帰国したドミニカの友と学会本部で会い、励ました。
「ドミニカに信心の根っこを張ってください。あなたが大樹として育つことです」「今は苦しいかもしれないが、必ずいっぺんに花咲く時が来る。仲良く、団結して、包容力をもって進んでください」
師の言葉を胸に、草創の友は広布拡大に挑んだ。そして「良き市民」として、社会で実証を示していく。
87年2月、池田先生のドミニカ訪問が実現。4日間の訪問中、バラゲール大統領との会見、ドミニカ共和国の最高勲章である「クリストバル・コロン大十字勲章」の授章式など重要な行事が続いた。それは、SGIに対するドミニカ社会の信頼の大きさを物語っていた。
記念勤行会に出席した池田先生は、同国独立のエピソードを紹介した。
——ドミニカ共和国が独立したのは1844年。その淵源は、独立の6年前に結成された9人の青年グループにあったといわれる。
彼らはまず、3人ずつ三つのグループに分かれた。そして、1人がさらに3人ずつ同志を増やし、そのまた1人が3人の同志をつくる、という言論の戦いを繰り返した。そうした粘り強い前進を通し、5年間のうちに、同国全体に独立の機運を高めた——。
そして先生は呼び掛けた。
「ドミニカ独立の原動力も、はじめは小さく、決して華やかではない、少数の青年たちの情熱と団結によったのである」
「ドミニカでは、まだ地涌の友は比較的少数かもしれない。しかし、皆さま方がいる。皆さま方はかけがえなく尊き先駆の勇者である。広宣流布への『一�』であり『一微塵』である。ゆえに皆さま方、お一人お一人が、御本尊の無量の功力を満身に受けつつ、朗らかに、また強く、良き人生を生きぬいていくことである」
本年は先生の訪問から30周年。ドミニカSGIは、当時の1本部4支部から、7本部16支部へと大発展した。
世界広布といっても「一人」から始まる。一人が敢然と立ち、仏法対話や訪問激励に取り組む。その中で、新しい一人を見つけ、大切に育てていく。一人から一人へ——これが最も確かな広布拡大の方程式である。
平和創造の主体者だ!
立正安国の大精神は
創価の連帯に脈々。
誇り高く進みゆこう!
撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』
☆女性に贈ることば 九月二十四日
先哲は「賢聖は罵言して試みるなるべし」と言われた。
その人が本物かどうかは、悪口や、非難を言われてみればわかる。それに負けないのが本物だ。
子どもにも、いざという時に信念を貫き通せる強さを養わせたい。
☆今日のことば365 九月二十四日
自然の開発にせよ、人体の健康にせよ、これからは、自然のリズムをいかに巧みにとらえ、それを活用していくかが、より重要な課題になっていくにちがいない。自然は、けっして、静止した。"死"の世界ではない。生命の充満した巨大な有機的連合体なのだ。人間もまた、そのひとつの環にすぎない。
☆世界写真紀行第22回 ドミニカ共和国 2017年9月14日
◇広布は一人から一人へ
エメラルドグリーンの海。どこまでも続く白い砂浜。まさに"カリブの宝石"だ。
中米のドミニカ共和国。
イスパニョーラ島にある同国は、日本の九州と山口県を合わせたほどの面積。ここに1000万人が暮らす。
底抜けに明るい国民性。ひとたび音楽が流れれば、皆がリズムに合わせて踊りだす。
第2次世界大戦後、日本政府は中南米諸国への移民政策を推し進めた。ドミニカには1950年代、約1300人が移り住んだ。
"広大な土地が無償で譲渡され、給付金ももらえる"——希望を胸に移住したものの、現実は厳しかった。与えられた土地に灌漑設備はなく、岩だらけの草むらや塩の浮いた荒れ地ばかりだった。
数年後には、日本からの移住者の8割がドミニカを去った。その苦闘の中で、数人の同志が広布開拓に立ち上がったのである。
友は、題目を唱え、生きるために血のにじむような努力を重ねた。寸暇を惜しんで弘教に走り、日本から送られてくる機関紙を、ぼろぼろになるまで皆で回して読んだ。
1966年3月16日、ドミニカ支部が誕生。翌67年の春、池田先生は、日本に一時帰国したドミニカの友と学会本部で会い、励ました。
「ドミニカに信心の根っこを張ってください。あなたが大樹として育つことです」「今は苦しいかもしれないが、必ずいっぺんに花咲く時が来る。仲良く、団結して、包容力をもって進んでください」
師の言葉を胸に、草創の友は広布拡大に挑んだ。そして「良き市民」として、社会で実証を示していく。
87年2月、池田先生のドミニカ訪問が実現。4日間の訪問中、バラゲール大統領との会見、ドミニカ共和国の最高勲章である「クリストバル・コロン大十字勲章」の授章式など重要な行事が続いた。それは、SGIに対するドミニカ社会の信頼の大きさを物語っていた。
記念勤行会に出席した池田先生は、同国独立のエピソードを紹介した。
——ドミニカ共和国が独立したのは1844年。その淵源は、独立の6年前に結成された9人の青年グループにあったといわれる。
彼らはまず、3人ずつ三つのグループに分かれた。そして、1人がさらに3人ずつ同志を増やし、そのまた1人が3人の同志をつくる、という言論の戦いを繰り返した。そうした粘り強い前進を通し、5年間のうちに、同国全体に独立の機運を高めた——。
そして先生は呼び掛けた。
「ドミニカ独立の原動力も、はじめは小さく、決して華やかではない、少数の青年たちの情熱と団結によったのである」
「ドミニカでは、まだ地涌の友は比較的少数かもしれない。しかし、皆さま方がいる。皆さま方はかけがえなく尊き先駆の勇者である。広宣流布への『一�』であり『一微塵』である。ゆえに皆さま方、お一人お一人が、御本尊の無量の功力を満身に受けつつ、朗らかに、また強く、良き人生を生きぬいていくことである」
本年は先生の訪問から30周年。ドミニカSGIは、当時の1本部4支部から、7本部16支部へと大発展した。
世界広布といっても「一人」から始まる。一人が敢然と立ち、仏法対話や訪問激励に取り組む。その中で、新しい一人を見つけ、大切に育てていく。一人から一人へ——これが最も確かな広布拡大の方程式である。
2017年9月23日土曜日
2017.09.23 わが友に贈る
仏法者の真価は
「振る舞い」にあり!
礼儀や言葉遣いなど
大誠実の真心と行動に
納得と共感が広がる。
寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』
☆女性に贈ることば 九月二十三日
「何のため」という、たしかな原点がある人は強い。この一が定まっていれば、人生に迷わない。苦しくても、へこたれない。まっすぐに伸びていける。
☆今日のことば365 九月二十三日
あの人の青春は
ただ派手のなかに
青春を消耗している
私は 日々安定のなかに
幸福という栄光を築いている
☆誓いの天地 富山市 2017年9月13日
◇少しでも地域の力に 広布の健児は ついに立ちたり
海の幸に恵まれた富山湾、登山家を魅了する雄大な立山連峰。自然豊かな富山市は、低炭素社会の実現に向け、先進的な取り組みを行う「環境モデル都市」に選定されている。
また、都市機能を中心部へ集積し、利便性の高いまちづくり「コンパクトシティー」を掲げる。LRT(ライト・レール・トランジット=次世代型路面電車)の導入、バスの利便性アップなどの活性化策を展開してきた。
これにより、公共交通で移動する人が増加。高齢者の利用も伸びており、富山市の65歳以上の高齢者の平均歩数は、全国平均より1000歩も多いという。
中心市街地の再開発事業も進む。4月には、地域医療と介護の拠点機能を持つセンターが開設した。
山岸正恵さん(富山正義県、女子部本部長)は、医療福祉専門学校を卒業後、介護福祉士の資格を取得。現在、地域の特別養護老人ホームに勤務する。
高齢者の転倒は、骨折などの大けがにつながる。気配り、目配りは欠かせない。朝、心ゆくまで無事故を祈り、自宅を出発する。
施設には認知症の高齢者も多い。時には、思うような介護ができず、歯がゆい思いをすることも。そんな時は、同じ施設で働く母の美智子さん(同、婦人部副本部長・支部婦人部長兼任)と、"どのように介護すればいいか"を語り合っている。
今年、介護施設が互いに声を掛け合い、地域の高齢者を対象とした催しを企画。山岸さんは、演劇を披露した。「少しでも"地域の力になれば"との思いでした」
実家は広布の会場。幼い頃から、学会家族の温かさに包まれてきた。その中で、"他者に尽くす心"を学んだ。
山岸さんは誓う。「"この施設で良かった"と、皆さんに喜んでもらえる介護をしていきます」
◇
中学から大学までラグビーで自らを鍛えた石川建さん(富山正義県、県男子部書記長・圏男子部長兼任)。厨房機器メーカーで営業を担当する。
入社1年目、学会活動に挑戦しつつ、仕事に励んだ。抜群の営業成績を残し、全国の新入社員の中から、社長賞に選ばれた。
だが、"できる"という自信は"営業なんて楽勝"という慢心に。入社2年目、御本尊の前に座ることがなくなった。自分の成績ばかりが気に掛かり、顧客を見失った。売り上げは激減した。
「君は会社に必要ないんじゃないか」。上司からは、解雇をにおわせる話も出た。どうしようもない状況に、男子部の先輩に連絡した。
先輩は飛んできて、一緒に題目をあげてくれた。その真心に、"もう一度、信心で立ち上がろう"と腹を決めた。必死に祈り、1週間で、会社が要求する売り上げを出した。
以来、一途に学会活動に励んだ。これまでに8世帯の弘教を実らせている。
今年の前期、石川さんは再び社長賞を受賞。後期の営業成績も伸ばしている。「お客さまと信頼関係を築いてきた結果、お客さまが新しいお客さまを紹介してくれるようになりました」
先月、地域広布を進めてきた富山市特別区が発展的に解消され、富山正義県、富山王者県が誕生。石川さんは新たな役職に就き、勢いよくスタートを切った。
「先輩に温かく包み込んでもらって、今の自分があります。今度は自分が後輩の成長を支えていきます」
栄光の共戦譜
「富山といえば、大地を赤や黄に彩る、あの『チューリップ畑』が目に浮かぶ」
池田先生は、こう述懐したことがある。厳冬を越えて咲くチューリップは、育てる側が休むことなく関わり続けることが必要だ。
先生は、その粘り強い励ましは、富山の同志の姿と二重写しになる、と友をたたえてきた。
富山県への訪問は、これまで8回。初訪問は、1957年(昭和32年)10月27日である。高岡市の指導会に出席後、富山市での指導会にも足を運んだ。
先生は質問会を行い、「わが胸中に功徳善根を輝かせていくのが、信仰の目的です」と、一人一人が幸福をつかむよう望んだ。
この日は今、「富山広宣流布原点の日」。今年は60周年の佳節を迎える。師への報恩を胸に、友は対話の花を咲かせている。
◇
60年(同35年)5月3日、池田先生は第3代会長に就任。初の世界広布旅を終えた翌月の11月12日、富山支部結成大会に臨んだ。
終了後、先生は運営役員にねぎらいの言葉を掛け、一人一人と握手を。場外で整理役員をしていた奥邦夫さん(富山王者県、県主事)は、「しっかり頑張りなさい」との激励を受けた。
この原点から2年後、奥さんは結核を患う。"死の恐怖"と戦いながら、懸命に祈り抜いた。
治療も功を奏し、1年半で社会復帰を果たした。その後、結核が再発し、劇症肝炎も併発したが、再び信心で病魔を乗り越えた。
78年(同53年)、奥さんは支部長に。当時、第1次宗門事件の嵐が、支部にも吹き荒れていた。
その中で、東京・立川文化会館で行われた支部長会に参加。終了後、師からの色紙が届いた。そこには、「仏法は 勝負と君よ 断固立て」と。この言葉を胸に、同志を守り抜いた。
父から農家を継いで45年。地域からの信頼も厚く、今年、農業用水の維持・管理などに携わる責任者になった。「入会当初は、地域の農家から白い目で見られていました。"仏法は勝負"ですね」
次男の孝徳さんは先月、富山王者県の県長に。黄金柱の誇りに燃え、友の激励に率先する。
◇
64年(同39年)7月15日、旧・富山会館の落成入仏式が行われた。
この時、五十嵐佳子さん(富山王者県、総県婦人部主事)に、先生は仕事や家族の状況を聞き、励ましを送った。
「前日の金沢会館の入仏式に参加した折も、声を掛けてくださいました。重ねての真心に、胸が熱くなりました」
69年(同44年)、東京・日大講堂(当時)での本部幹部会に参加するために上京。信濃町で偶然、師との出会いを刻んだ。
先生は「覚えているよ。元気でね」と。さらに、本部幹部会終了後、書籍に「福運の人生のために 忍耐と勇気の信心を」と揮毫し、五十嵐さんに贈った。
数々の師の激励を胸に、結婚後は、夫・弘泰さん(同、県主事)と夫婦二人三脚で、広布の最前線を駆けてきた。
2人の子どもは、広布のリーダーとして活躍。4人の孫にも、信心が受け継がれている。
富山会館の開館から12年後、富山文化会館が完成した。76年(同51年)11月14日、先生は同会館を初訪問。「元初より この日を待ちて 今ここに 富山の健児は ついに立ちたり」との和歌を贈った。
同会館を中心として、富山の友は心一つに前進を開始。そして、82年(同57年)9月8日から6日間の北陸指導で、再び師を富山文化会館に迎えたのである。
11日、先生は石川から富山へ。13日までの3日間、富山の同志に会い、励ましを送り続けた。
横山正利さん(富山王者県、副総県長・県総合長兼任)、由美さん(富山正義県、総県総合婦人部長)夫婦は、この時の出会いが忘れられない。
11日の会館到着後、先生は運営役員と記念撮影。任務に就いていた横山さん、富山の白蓮グループ委員長を務めていた由美さんも、師とカメラに納まった。
13日には、富山学生部のリーダーだった横山さんに「学乃将 祈りたのまむ 富山かな」、由美さんに「ああ白蓮 ついに幸あり 功徳あり」との句を贈った。
さらに、横山さん夫婦は、「北陸青年部の日」の淵源である84年(同59年)8月24日の「北陸青年部勤行会」にも参加。宝の原点を刻んだ。
その3日後、北陸青年部の人材グループの結成式が行われた。
会場の入り口には、学生部が署名した九谷焼の大皿が置いてあった。先生は「立」との一字をしたためた。その場にいた横山さんは、"生涯、師と共に立ち、勝利する"と誓った。
結婚後、三つ子が誕生。しかし、由美さんの体を、心臓肥大、肺血栓塞栓症が襲った。命の危険もあったが、夫婦で祈り、健康を回復していった。
「この時、同志の方々が次々に激励してくださいました。同志のありがたさを身をもって知りました」と夫婦は目を潤ませる。
師と同志への感謝を胸に、夫婦は富山広布に走り続ける。
——池田先生は、富山の友への万感の思いを込めて詠んでいる。
「富山には 縦横無尽の活躍が 実り実りて 富める人かな」
明2018年は、北陸の歌「ああ誓願の歌」誕生から40周年。師弟の誓願に燃える富山の友の縦横無尽の活躍が、再び始まる。
「振る舞い」にあり!
礼儀や言葉遣いなど
大誠実の真心と行動に
納得と共感が広がる。
寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』
☆女性に贈ることば 九月二十三日
「何のため」という、たしかな原点がある人は強い。この一が定まっていれば、人生に迷わない。苦しくても、へこたれない。まっすぐに伸びていける。
☆今日のことば365 九月二十三日
あの人の青春は
ただ派手のなかに
青春を消耗している
私は 日々安定のなかに
幸福という栄光を築いている
☆誓いの天地 富山市 2017年9月13日
◇少しでも地域の力に 広布の健児は ついに立ちたり
海の幸に恵まれた富山湾、登山家を魅了する雄大な立山連峰。自然豊かな富山市は、低炭素社会の実現に向け、先進的な取り組みを行う「環境モデル都市」に選定されている。
また、都市機能を中心部へ集積し、利便性の高いまちづくり「コンパクトシティー」を掲げる。LRT(ライト・レール・トランジット=次世代型路面電車)の導入、バスの利便性アップなどの活性化策を展開してきた。
これにより、公共交通で移動する人が増加。高齢者の利用も伸びており、富山市の65歳以上の高齢者の平均歩数は、全国平均より1000歩も多いという。
中心市街地の再開発事業も進む。4月には、地域医療と介護の拠点機能を持つセンターが開設した。
山岸正恵さん(富山正義県、女子部本部長)は、医療福祉専門学校を卒業後、介護福祉士の資格を取得。現在、地域の特別養護老人ホームに勤務する。
高齢者の転倒は、骨折などの大けがにつながる。気配り、目配りは欠かせない。朝、心ゆくまで無事故を祈り、自宅を出発する。
施設には認知症の高齢者も多い。時には、思うような介護ができず、歯がゆい思いをすることも。そんな時は、同じ施設で働く母の美智子さん(同、婦人部副本部長・支部婦人部長兼任)と、"どのように介護すればいいか"を語り合っている。
今年、介護施設が互いに声を掛け合い、地域の高齢者を対象とした催しを企画。山岸さんは、演劇を披露した。「少しでも"地域の力になれば"との思いでした」
実家は広布の会場。幼い頃から、学会家族の温かさに包まれてきた。その中で、"他者に尽くす心"を学んだ。
山岸さんは誓う。「"この施設で良かった"と、皆さんに喜んでもらえる介護をしていきます」
◇
中学から大学までラグビーで自らを鍛えた石川建さん(富山正義県、県男子部書記長・圏男子部長兼任)。厨房機器メーカーで営業を担当する。
入社1年目、学会活動に挑戦しつつ、仕事に励んだ。抜群の営業成績を残し、全国の新入社員の中から、社長賞に選ばれた。
だが、"できる"という自信は"営業なんて楽勝"という慢心に。入社2年目、御本尊の前に座ることがなくなった。自分の成績ばかりが気に掛かり、顧客を見失った。売り上げは激減した。
「君は会社に必要ないんじゃないか」。上司からは、解雇をにおわせる話も出た。どうしようもない状況に、男子部の先輩に連絡した。
先輩は飛んできて、一緒に題目をあげてくれた。その真心に、"もう一度、信心で立ち上がろう"と腹を決めた。必死に祈り、1週間で、会社が要求する売り上げを出した。
以来、一途に学会活動に励んだ。これまでに8世帯の弘教を実らせている。
今年の前期、石川さんは再び社長賞を受賞。後期の営業成績も伸ばしている。「お客さまと信頼関係を築いてきた結果、お客さまが新しいお客さまを紹介してくれるようになりました」
先月、地域広布を進めてきた富山市特別区が発展的に解消され、富山正義県、富山王者県が誕生。石川さんは新たな役職に就き、勢いよくスタートを切った。
「先輩に温かく包み込んでもらって、今の自分があります。今度は自分が後輩の成長を支えていきます」
栄光の共戦譜
「富山といえば、大地を赤や黄に彩る、あの『チューリップ畑』が目に浮かぶ」
池田先生は、こう述懐したことがある。厳冬を越えて咲くチューリップは、育てる側が休むことなく関わり続けることが必要だ。
先生は、その粘り強い励ましは、富山の同志の姿と二重写しになる、と友をたたえてきた。
富山県への訪問は、これまで8回。初訪問は、1957年(昭和32年)10月27日である。高岡市の指導会に出席後、富山市での指導会にも足を運んだ。
先生は質問会を行い、「わが胸中に功徳善根を輝かせていくのが、信仰の目的です」と、一人一人が幸福をつかむよう望んだ。
この日は今、「富山広宣流布原点の日」。今年は60周年の佳節を迎える。師への報恩を胸に、友は対話の花を咲かせている。
◇
60年(同35年)5月3日、池田先生は第3代会長に就任。初の世界広布旅を終えた翌月の11月12日、富山支部結成大会に臨んだ。
終了後、先生は運営役員にねぎらいの言葉を掛け、一人一人と握手を。場外で整理役員をしていた奥邦夫さん(富山王者県、県主事)は、「しっかり頑張りなさい」との激励を受けた。
この原点から2年後、奥さんは結核を患う。"死の恐怖"と戦いながら、懸命に祈り抜いた。
治療も功を奏し、1年半で社会復帰を果たした。その後、結核が再発し、劇症肝炎も併発したが、再び信心で病魔を乗り越えた。
78年(同53年)、奥さんは支部長に。当時、第1次宗門事件の嵐が、支部にも吹き荒れていた。
その中で、東京・立川文化会館で行われた支部長会に参加。終了後、師からの色紙が届いた。そこには、「仏法は 勝負と君よ 断固立て」と。この言葉を胸に、同志を守り抜いた。
父から農家を継いで45年。地域からの信頼も厚く、今年、農業用水の維持・管理などに携わる責任者になった。「入会当初は、地域の農家から白い目で見られていました。"仏法は勝負"ですね」
次男の孝徳さんは先月、富山王者県の県長に。黄金柱の誇りに燃え、友の激励に率先する。
◇
64年(同39年)7月15日、旧・富山会館の落成入仏式が行われた。
この時、五十嵐佳子さん(富山王者県、総県婦人部主事)に、先生は仕事や家族の状況を聞き、励ましを送った。
「前日の金沢会館の入仏式に参加した折も、声を掛けてくださいました。重ねての真心に、胸が熱くなりました」
69年(同44年)、東京・日大講堂(当時)での本部幹部会に参加するために上京。信濃町で偶然、師との出会いを刻んだ。
先生は「覚えているよ。元気でね」と。さらに、本部幹部会終了後、書籍に「福運の人生のために 忍耐と勇気の信心を」と揮毫し、五十嵐さんに贈った。
数々の師の激励を胸に、結婚後は、夫・弘泰さん(同、県主事)と夫婦二人三脚で、広布の最前線を駆けてきた。
2人の子どもは、広布のリーダーとして活躍。4人の孫にも、信心が受け継がれている。
富山会館の開館から12年後、富山文化会館が完成した。76年(同51年)11月14日、先生は同会館を初訪問。「元初より この日を待ちて 今ここに 富山の健児は ついに立ちたり」との和歌を贈った。
同会館を中心として、富山の友は心一つに前進を開始。そして、82年(同57年)9月8日から6日間の北陸指導で、再び師を富山文化会館に迎えたのである。
11日、先生は石川から富山へ。13日までの3日間、富山の同志に会い、励ましを送り続けた。
横山正利さん(富山王者県、副総県長・県総合長兼任)、由美さん(富山正義県、総県総合婦人部長)夫婦は、この時の出会いが忘れられない。
11日の会館到着後、先生は運営役員と記念撮影。任務に就いていた横山さん、富山の白蓮グループ委員長を務めていた由美さんも、師とカメラに納まった。
13日には、富山学生部のリーダーだった横山さんに「学乃将 祈りたのまむ 富山かな」、由美さんに「ああ白蓮 ついに幸あり 功徳あり」との句を贈った。
さらに、横山さん夫婦は、「北陸青年部の日」の淵源である84年(同59年)8月24日の「北陸青年部勤行会」にも参加。宝の原点を刻んだ。
その3日後、北陸青年部の人材グループの結成式が行われた。
会場の入り口には、学生部が署名した九谷焼の大皿が置いてあった。先生は「立」との一字をしたためた。その場にいた横山さんは、"生涯、師と共に立ち、勝利する"と誓った。
結婚後、三つ子が誕生。しかし、由美さんの体を、心臓肥大、肺血栓塞栓症が襲った。命の危険もあったが、夫婦で祈り、健康を回復していった。
「この時、同志の方々が次々に激励してくださいました。同志のありがたさを身をもって知りました」と夫婦は目を潤ませる。
師と同志への感謝を胸に、夫婦は富山広布に走り続ける。
——池田先生は、富山の友への万感の思いを込めて詠んでいる。
「富山には 縦横無尽の活躍が 実り実りて 富める人かな」
明2018年は、北陸の歌「ああ誓願の歌」誕生から40周年。師弟の誓願に燃える富山の友の縦横無尽の活躍が、再び始まる。
2017年9月22日金曜日
2017.09.22 わが友に贈る
さあ今日も対話を!
最も身近な地域から
友情の輪を広げよう。
人と会い、人と語る。
それが広宣流布だ!
法華初心成仏抄 P552
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』
☆女性に贈ることば 九月二十二日
人生には、悲しみもある。苦しみもある。山もある。川もある。谷もある。しかし、悲しみの川が深ければ深いほど、若しみの山が大きければ大きいほど、それを乗り越えた喜びは深く、幸せは大きい。
☆今日のことば365 九月二十二日
狭く皮相的な行動を
私は とりたくない
しかし
自己の信念の道に向かっては
非難する人が多くあっても
その正義の実相を
強調しつづけるであろう
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 スイス3=完 2017年9月12日
◇師と共に 黄金の時を刻む
スイス・ジュネーブのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の本部に万雷の拍手が鳴り響いた。1989年6月16日、人道的見地からの長年にわたる努力と功績をたたえ、池田先生に「人道賞」が授与されたのだ。
高等弁務官から顕彰盾を受章した先生は、「この章は、スイスをはじめ、SGIの全同志と共に拝受する誉れであります」と、謝辞を述べている。
スイスSGIの代表として、この場に列席したマッシモ・マラッツィさん(理事長)は、感動の面持ちで述懐する。「先生のご受章は、私たち同志の誇りとなり、SGIへの理解を広げる力になりました」
マラッツィさんは、56年2月、スイスのルガノで生まれた。建築家として、役所や学校の建設を手掛け、91年には、現在の個人事務所を開設。社会貢献に尽力している。
ジュネーブ大学在学中の83年1月、一時滞在したイタリアのフィレンツェで、友人に誘われ、SGIの座談会に参加。「宿命転換の法理」や「楽観主義の生き方」に感銘を受ける。2人の友に弘教を実らせ、4カ月後に自身も入会した。
マラッツィさんは言う。「当時、イタリアは先生が訪問(81年)された直後で、広布拡大の上げ潮が起きていました。私は、その中で折伏を受け、仏法に巡り合いました」
入会の翌月、チューリヒの空港で先生との出会いが。先生は歓迎したマラッツィさんのもとに歩み寄り、握手をしてくれた。
89年6月には、先生の6度目のスイス訪問が実現。UNHCRでの授章式の翌17日、ジュネーブ市内では、第2回スイスSGI総会が開かれている。
先生はスピーチで、スイスにゆかりの深い物理学者アインシュタイン博士に触れた。
戸田先生が、青年時代に牧口先生と共に、博士の講演を聴いた思い出を語っていたことを振り返り、"時にかなう人生の生きがい"について語った。
「皆さま方は、いまだ仏法のよく知られていない、ここスイスの地で、初めて大聖人の正法を実践しておられる。どれほどの福徳と深き使命の方々であるか」「三世永遠に崩れざる幸福の軌道に入っておられることを確信していただきたい」
慈愛あふれる言々句々に、マラッツィさんをはじめ、同志は深い感動に包まれた。
またこの日、ジュネーブの宿舎の庭園で、マラッツィさんは、先生ご夫妻から声を掛けられ、一緒にジェラートを食べた。その折、隣に座る先生が、空へカメラを向けた。
見上げると、白と黄色のパラソルのかなたに、雲一つない青空が広がっている。高度を上げる飛行機が見えたその瞬間、先生はシャッターを切った。
数年後、先生は、その時の写真に和歌を添えて、スイスの友に贈った。「記念にと 世界平和の 拠点をば 尊く見つめて シャッター切るらむ」
89年、先生のスイス訪問時、運営役員を務めた、タミコ・ドゥミエールさん(副総合婦人部長)。
総会や記念撮影の折も裏方に徹し、行事の成功を陰で支えた。
6月18日、先生はスイスでの全行程を終え、パリへ。ドゥミエールさんも役員として、ジュネーブの空港へ見送りに行った。
搭乗口に向かう途中、先生は彼女の姿を見つけ、「お元気で」と、2度声を掛けてくれた。その温かな声は、今も耳から離れない。
長年、観光ガイドとして、愛する地域の発展に尽くしてきたドゥミエールさん。その原動力は、この日の先生の激励だった。
彼女は、秋田・男鹿半島の出身。高等部の時、先生の"これからは世界だ。語学を勉強しなさい"との指針に出合い、海外への挑戦を志した。
60年代前半に、外交官の家で働くため、ジュネーブへ。「この時の外交官の方は、後(89年)に、UNHCRでの先生の授章式に来賓として列席されました。そうしたことを振り返っても、私はスイス広布に縁があったのだと思います」
"スイスの広宣流布に貢献したい"との思いで、ドゥミエールさんは69年、ジュネーブに移住する。「当時はまだメンバーが少なかったので、広布の一粒種である婦人部のサキ・ブローさんと共に活動していました」
苦労したのは、フランス語の習得。教学用語を覚えるため、御書の仏語訳を用いて勉強した。
その間も、日本語や英語を使い、縁する人に仏法の素晴らしさを語り広げた。
83年には、チューリヒで開かれた第1回スイスSGI総会で、新体制となったジュネーブ支部の副婦人部長に就任。人生の苦難も信心で勝ち越えた。
移住から半世紀。師弟の誓いを胸に、勇気の信心を貫く彼女の姿は、後継の青年たちの模範と輝いている。
ドラム奏者のマティアス・ブロートベックさん(書記長)には、ある悩みがあった。
公演の直前、緊張からか、体の不調が起きること。その中で、世界的に有名なドラマーと会う機会があり、彼から折伏を受ける。
言われるがままに唱題を実践すると、自身の殻を破る生命力が湧いた。気付けば、公演前の動揺がなくなり、自分の力を発揮することができるように。
周囲に仏法の素晴らしさを語り広げ、98年1月、対話を進めていた3人の友人と共に、御本尊を受持した。
同年9月、日本のSGI青年研修会に参加。本部幹部会で先生のスピーチを聴いた。
先生は「御義口伝」を通し、「我が身それ自体が『妙法』であり、一つの宇宙であると仏法は説く」「『妙』は仏界、『法』は九界。生命と宇宙の全体が『妙法』である」と。
万人の仏性と無限の可能性を信じ抜く先生の言葉に胸が震えた。
英語版の小説『新・人間革命』第1巻を買い、帰りの機中で読んだ。描かれていたのは、米・ハワイに世界広布の第一歩をしるした青年・山本伸一の姿。「師の誓願に呼応して、私もスイス広布に全力を注ごうと決意したのです」
以来、男子部長などを歴任し、青年部のリーダーとしてスイス広布をけん引。現在は、チューリヒ市立コンセルヴァトリウム音楽院など3校の公立音楽院でドラムを教える。"空席待ち"の講習希望者が出るほどの人気講師になった。
先生は昨年のエッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」(月刊誌「パンプキン」)の中で、「わが旧友は、生命の尊厳に国境はないとの信条で、多文化のスイスにヨーロッパの共生の模範を築きたいと誓って、日々、奮闘しています」とつづり、和歌を詠んでいる。
わが街を
人間共和の
都にと
汗する日々は
黄金の時なり
個人主義が広がり、多文化が共存するスイス社会にあって、広布を進める根本の力は、「師弟の精神」にほかならない。
89年の先生の訪問からメンバー数は13倍に拡大。きょうもスイスの同志は、壮麗なアルプスの山々に歓喜の凱歌を響かせながら、師と共に、黄金の時を刻んでいる。
最も身近な地域から
友情の輪を広げよう。
人と会い、人と語る。
それが広宣流布だ!
法華初心成仏抄 P552
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』
☆女性に贈ることば 九月二十二日
人生には、悲しみもある。苦しみもある。山もある。川もある。谷もある。しかし、悲しみの川が深ければ深いほど、若しみの山が大きければ大きいほど、それを乗り越えた喜びは深く、幸せは大きい。
☆今日のことば365 九月二十二日
狭く皮相的な行動を
私は とりたくない
しかし
自己の信念の道に向かっては
非難する人が多くあっても
その正義の実相を
強調しつづけるであろう
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 スイス3=完 2017年9月12日
◇師と共に 黄金の時を刻む
スイス・ジュネーブのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の本部に万雷の拍手が鳴り響いた。1989年6月16日、人道的見地からの長年にわたる努力と功績をたたえ、池田先生に「人道賞」が授与されたのだ。
高等弁務官から顕彰盾を受章した先生は、「この章は、スイスをはじめ、SGIの全同志と共に拝受する誉れであります」と、謝辞を述べている。
スイスSGIの代表として、この場に列席したマッシモ・マラッツィさん(理事長)は、感動の面持ちで述懐する。「先生のご受章は、私たち同志の誇りとなり、SGIへの理解を広げる力になりました」
マラッツィさんは、56年2月、スイスのルガノで生まれた。建築家として、役所や学校の建設を手掛け、91年には、現在の個人事務所を開設。社会貢献に尽力している。
ジュネーブ大学在学中の83年1月、一時滞在したイタリアのフィレンツェで、友人に誘われ、SGIの座談会に参加。「宿命転換の法理」や「楽観主義の生き方」に感銘を受ける。2人の友に弘教を実らせ、4カ月後に自身も入会した。
マラッツィさんは言う。「当時、イタリアは先生が訪問(81年)された直後で、広布拡大の上げ潮が起きていました。私は、その中で折伏を受け、仏法に巡り合いました」
入会の翌月、チューリヒの空港で先生との出会いが。先生は歓迎したマラッツィさんのもとに歩み寄り、握手をしてくれた。
89年6月には、先生の6度目のスイス訪問が実現。UNHCRでの授章式の翌17日、ジュネーブ市内では、第2回スイスSGI総会が開かれている。
先生はスピーチで、スイスにゆかりの深い物理学者アインシュタイン博士に触れた。
戸田先生が、青年時代に牧口先生と共に、博士の講演を聴いた思い出を語っていたことを振り返り、"時にかなう人生の生きがい"について語った。
「皆さま方は、いまだ仏法のよく知られていない、ここスイスの地で、初めて大聖人の正法を実践しておられる。どれほどの福徳と深き使命の方々であるか」「三世永遠に崩れざる幸福の軌道に入っておられることを確信していただきたい」
慈愛あふれる言々句々に、マラッツィさんをはじめ、同志は深い感動に包まれた。
またこの日、ジュネーブの宿舎の庭園で、マラッツィさんは、先生ご夫妻から声を掛けられ、一緒にジェラートを食べた。その折、隣に座る先生が、空へカメラを向けた。
見上げると、白と黄色のパラソルのかなたに、雲一つない青空が広がっている。高度を上げる飛行機が見えたその瞬間、先生はシャッターを切った。
数年後、先生は、その時の写真に和歌を添えて、スイスの友に贈った。「記念にと 世界平和の 拠点をば 尊く見つめて シャッター切るらむ」
89年、先生のスイス訪問時、運営役員を務めた、タミコ・ドゥミエールさん(副総合婦人部長)。
総会や記念撮影の折も裏方に徹し、行事の成功を陰で支えた。
6月18日、先生はスイスでの全行程を終え、パリへ。ドゥミエールさんも役員として、ジュネーブの空港へ見送りに行った。
搭乗口に向かう途中、先生は彼女の姿を見つけ、「お元気で」と、2度声を掛けてくれた。その温かな声は、今も耳から離れない。
長年、観光ガイドとして、愛する地域の発展に尽くしてきたドゥミエールさん。その原動力は、この日の先生の激励だった。
彼女は、秋田・男鹿半島の出身。高等部の時、先生の"これからは世界だ。語学を勉強しなさい"との指針に出合い、海外への挑戦を志した。
60年代前半に、外交官の家で働くため、ジュネーブへ。「この時の外交官の方は、後(89年)に、UNHCRでの先生の授章式に来賓として列席されました。そうしたことを振り返っても、私はスイス広布に縁があったのだと思います」
"スイスの広宣流布に貢献したい"との思いで、ドゥミエールさんは69年、ジュネーブに移住する。「当時はまだメンバーが少なかったので、広布の一粒種である婦人部のサキ・ブローさんと共に活動していました」
苦労したのは、フランス語の習得。教学用語を覚えるため、御書の仏語訳を用いて勉強した。
その間も、日本語や英語を使い、縁する人に仏法の素晴らしさを語り広げた。
83年には、チューリヒで開かれた第1回スイスSGI総会で、新体制となったジュネーブ支部の副婦人部長に就任。人生の苦難も信心で勝ち越えた。
移住から半世紀。師弟の誓いを胸に、勇気の信心を貫く彼女の姿は、後継の青年たちの模範と輝いている。
ドラム奏者のマティアス・ブロートベックさん(書記長)には、ある悩みがあった。
公演の直前、緊張からか、体の不調が起きること。その中で、世界的に有名なドラマーと会う機会があり、彼から折伏を受ける。
言われるがままに唱題を実践すると、自身の殻を破る生命力が湧いた。気付けば、公演前の動揺がなくなり、自分の力を発揮することができるように。
周囲に仏法の素晴らしさを語り広げ、98年1月、対話を進めていた3人の友人と共に、御本尊を受持した。
同年9月、日本のSGI青年研修会に参加。本部幹部会で先生のスピーチを聴いた。
先生は「御義口伝」を通し、「我が身それ自体が『妙法』であり、一つの宇宙であると仏法は説く」「『妙』は仏界、『法』は九界。生命と宇宙の全体が『妙法』である」と。
万人の仏性と無限の可能性を信じ抜く先生の言葉に胸が震えた。
英語版の小説『新・人間革命』第1巻を買い、帰りの機中で読んだ。描かれていたのは、米・ハワイに世界広布の第一歩をしるした青年・山本伸一の姿。「師の誓願に呼応して、私もスイス広布に全力を注ごうと決意したのです」
以来、男子部長などを歴任し、青年部のリーダーとしてスイス広布をけん引。現在は、チューリヒ市立コンセルヴァトリウム音楽院など3校の公立音楽院でドラムを教える。"空席待ち"の講習希望者が出るほどの人気講師になった。
先生は昨年のエッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」(月刊誌「パンプキン」)の中で、「わが旧友は、生命の尊厳に国境はないとの信条で、多文化のスイスにヨーロッパの共生の模範を築きたいと誓って、日々、奮闘しています」とつづり、和歌を詠んでいる。
わが街を
人間共和の
都にと
汗する日々は
黄金の時なり
個人主義が広がり、多文化が共存するスイス社会にあって、広布を進める根本の力は、「師弟の精神」にほかならない。
89年の先生の訪問からメンバー数は13倍に拡大。きょうもスイスの同志は、壮麗なアルプスの山々に歓喜の凱歌を響かせながら、師と共に、黄金の時を刻んでいる。
2017年9月21日木曜日
2017.09.21 わが友に贈る
未来を開くのは
自らの意思土力だ。
「よし、やろう!」と
目標を定め祈ることだ。
そこから無限の勇気が!
唱法華題目抄 P1
『かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず』
☆女性に贈ることば 九月二十一日
子育ては、ほめるのが七割、叱るのが三割というくらいの心づもりでよいのではないか。
とくに子どもにとって、母親から激励され、ほめてもらった記憶は、嬉しく、いつまでも忘れないものだ。
☆今日のことば365 九月二十一日
人間は、心のどこかに、帰るべき原点を求めている。それは漠とした、観念の世界ではなく、自然と切り離すことのできない実在の世界である。郷里こそ、人々の心に描かれた真実の平和郷ではないだろうか。
☆イタリアから広がる世界平和の波 2017年9月10日
戸田先生の「原水爆禁止宣言」発表60周年
「センツァトミカ(核兵器はいらない)」運動 100万人超に拡大
市民社会の代表として国連での交渉会議に参加
第2代会長・戸田城聖先生は師子吼した。"人類の生存の権利を脅かす魔物を、断じて許してはならぬ! この思想を広めることこそ、青年の使命である!"——60年前、この烈々たる原水爆禁止宣言は「遺訓の第一」として、青年たちに託された。その実現のために平和闘争を貫いてきた池田先生に続き、今、世界各地で青年が立ち上がる。イタリアの地でも、平和への師弟の熱願は輝きを放っている。宣言から60周年を記念する「青年不戦サミット」(2日)の席上、イタリアSGI(創価学会インタナショナル)のダニエレ・サンティ男子部長が、同国青年部有志による核兵器廃絶を訴える「センツァトミカ」運動について報告した。ここでは、その要旨とともに、今夏、米ニューヨークの国連本部での交渉会議に参加した同国の副女子学生部長のソーレ・ベカーリさんの話を紹介する。
◇イタリア男子部長 ダニエレ・サンティさん
2009年9月、池田先生が戸田先生の生誕110周年を記念して、提言「核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を」を発表。5項目の提案が盛り込まれた提言では、4番目までが国やNGO(非政府組織)に対するもので、5番目は"世界の民衆の声を結集する"という呼び掛けでした。
師匠の言葉に呼応し、イタリアの青年は立ち上がりました。有志が集い、イタリアで核兵器廃絶への連帯を、どのように築いていくか、議論を重ねていきました。
池田先生の提言をはじめ、小説『新・人間革命』等を学び深める中で、核兵器廃絶や平和への道はどこか遠くにあるのではなく、変革をもたらす力が各人に備わっていると気付かせることにある、と意見の一致をみたのです。
そして、核兵器廃絶を訴える展示の開催を決定。11年2月、「核兵器はいらない」を意味する「センツァトミカ」運動をスタートさせました。
展示を、より体験的に観賞できるよう、低速度撮影の映像を使って核爆発のシミュレーションを行ったり、被爆者の証言映像を会場に流しました。さらに展示開催に併せ、フラッシュモブ(路上ライブ)やコンサート、創作ダンス、シンポジウムなど、さまざまなイベントも開きました。
展示開催が決まった地域では、ボランティアによる実行委員会が結成されます。
地域への展示案内などの広報活動、イベントの企画、来場者の歓迎などを担当。これまで展示は全国70都市で開催され、約1万4000人が運営役員として携わりました。
展示の来場者数は32万人(約3分の1が小・中学校の児童・生徒)を超え、関連イベントへの参加者も合わせれば、100万人以上の"民衆の連帯"へと広がりました。
「センツァトミカ」運動は、今やイタリアを代表する平和運動となり、多くの平和運動家たちから「青年の心を突き動かし、青年を糾合する素晴らしい運動」と高く評価されています。
今夏、米ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約の交渉会議にメンバーが参加。イタリアの市民社会を代表して声明を国連に届け、交渉会議において重要な役割を果たしました。
歴史的な条約制定への動きは、被爆者をはじめ、世界の民衆が声を上げ続けてきたことで生まれました。池田先生が願われた"民衆の声の結集"に貢献することができた青年たちは、深い感動に包まれました。
この条約は魔法のように、一夜にして核兵器を消滅させるわけではありません。いよいよ、これからです。核兵器のない世界の実現へ、草の根の運動を継続していきます。
◇同副女子学生部長 ソーレ・ベカーリさん
——「センツァトミカ」運動で力を入れてきたことは?
展示では、より多くの人に核時代の現実を知ってもらう場を提供しました。もう一つ私たちが取り組んできたのは、イタリアで長年、平和運動を続けている団体と連携を密にしていくことです。
一つの良き出会いから、新たな良き出会いが生まれます。
SGIと交流を重ねてきた、パグウォッシュ会議やIPPNW(核戦争防止国際医師会議)、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)をはじめ、イタリア非核武装ネットワークやUSPID(イタリア軍縮科学者連盟)等と友情の絆を結んできました。
そんな中、日本のNGOの方から、今年5月に被爆者らがサルデーニャ島の都市カリアリに立ち寄るとの知らせを受けました。
カリアリで開催された、そのイベントで、私も「センツァトミカ」運動について紹介する機会に恵まれ、大きな平和の流れをつくることができたと思っています。
——国連本部での交渉会議に、イタリアの市民社会を代表して参加されました。
3月の交渉会議に続き、(核兵器禁止条約が採択された)7月7日の歴史の舞台に立つことができました。
これまでイタリアで平和運動に携わってきた各種団体の皆さんや、全てのイタリアSGIメンバーの活動のおかげです。
長きにわたり行われた交渉会議は、決してスムーズに進んだわけではありません。困難な状況が多々ありましたが、そのたびに皆が心一つに奮起することができたのは、被爆者の皆さんの"核兵器を必ずなくす"という信念にも似た決意の声でした。その声が私たちの力となったのです。
条約が採択!——あの感動的な瞬間は忘れることができません。会場は拍手喝采に包まれ、皆で肩を抱き、喜び合いました。
今年は、戸田先生の「原水爆禁止宣言」60周年という意義深き節目です。その恩師の思いを胸に、池田先生が切り開かれた、この平和への道に、私たちも続き、これからも挑戦していきます。世界平和のために、人類のために、そして未来の世代のために——。
自らの意思土力だ。
「よし、やろう!」と
目標を定め祈ることだ。
そこから無限の勇気が!
唱法華題目抄 P1
『かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず』
☆女性に贈ることば 九月二十一日
子育ては、ほめるのが七割、叱るのが三割というくらいの心づもりでよいのではないか。
とくに子どもにとって、母親から激励され、ほめてもらった記憶は、嬉しく、いつまでも忘れないものだ。
☆今日のことば365 九月二十一日
人間は、心のどこかに、帰るべき原点を求めている。それは漠とした、観念の世界ではなく、自然と切り離すことのできない実在の世界である。郷里こそ、人々の心に描かれた真実の平和郷ではないだろうか。
☆イタリアから広がる世界平和の波 2017年9月10日
戸田先生の「原水爆禁止宣言」発表60周年
「センツァトミカ(核兵器はいらない)」運動 100万人超に拡大
市民社会の代表として国連での交渉会議に参加
第2代会長・戸田城聖先生は師子吼した。"人類の生存の権利を脅かす魔物を、断じて許してはならぬ! この思想を広めることこそ、青年の使命である!"——60年前、この烈々たる原水爆禁止宣言は「遺訓の第一」として、青年たちに託された。その実現のために平和闘争を貫いてきた池田先生に続き、今、世界各地で青年が立ち上がる。イタリアの地でも、平和への師弟の熱願は輝きを放っている。宣言から60周年を記念する「青年不戦サミット」(2日)の席上、イタリアSGI(創価学会インタナショナル)のダニエレ・サンティ男子部長が、同国青年部有志による核兵器廃絶を訴える「センツァトミカ」運動について報告した。ここでは、その要旨とともに、今夏、米ニューヨークの国連本部での交渉会議に参加した同国の副女子学生部長のソーレ・ベカーリさんの話を紹介する。
◇イタリア男子部長 ダニエレ・サンティさん
2009年9月、池田先生が戸田先生の生誕110周年を記念して、提言「核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を」を発表。5項目の提案が盛り込まれた提言では、4番目までが国やNGO(非政府組織)に対するもので、5番目は"世界の民衆の声を結集する"という呼び掛けでした。
師匠の言葉に呼応し、イタリアの青年は立ち上がりました。有志が集い、イタリアで核兵器廃絶への連帯を、どのように築いていくか、議論を重ねていきました。
池田先生の提言をはじめ、小説『新・人間革命』等を学び深める中で、核兵器廃絶や平和への道はどこか遠くにあるのではなく、変革をもたらす力が各人に備わっていると気付かせることにある、と意見の一致をみたのです。
そして、核兵器廃絶を訴える展示の開催を決定。11年2月、「核兵器はいらない」を意味する「センツァトミカ」運動をスタートさせました。
展示を、より体験的に観賞できるよう、低速度撮影の映像を使って核爆発のシミュレーションを行ったり、被爆者の証言映像を会場に流しました。さらに展示開催に併せ、フラッシュモブ(路上ライブ)やコンサート、創作ダンス、シンポジウムなど、さまざまなイベントも開きました。
展示開催が決まった地域では、ボランティアによる実行委員会が結成されます。
地域への展示案内などの広報活動、イベントの企画、来場者の歓迎などを担当。これまで展示は全国70都市で開催され、約1万4000人が運営役員として携わりました。
展示の来場者数は32万人(約3分の1が小・中学校の児童・生徒)を超え、関連イベントへの参加者も合わせれば、100万人以上の"民衆の連帯"へと広がりました。
「センツァトミカ」運動は、今やイタリアを代表する平和運動となり、多くの平和運動家たちから「青年の心を突き動かし、青年を糾合する素晴らしい運動」と高く評価されています。
今夏、米ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約の交渉会議にメンバーが参加。イタリアの市民社会を代表して声明を国連に届け、交渉会議において重要な役割を果たしました。
歴史的な条約制定への動きは、被爆者をはじめ、世界の民衆が声を上げ続けてきたことで生まれました。池田先生が願われた"民衆の声の結集"に貢献することができた青年たちは、深い感動に包まれました。
この条約は魔法のように、一夜にして核兵器を消滅させるわけではありません。いよいよ、これからです。核兵器のない世界の実現へ、草の根の運動を継続していきます。
◇同副女子学生部長 ソーレ・ベカーリさん
——「センツァトミカ」運動で力を入れてきたことは?
展示では、より多くの人に核時代の現実を知ってもらう場を提供しました。もう一つ私たちが取り組んできたのは、イタリアで長年、平和運動を続けている団体と連携を密にしていくことです。
一つの良き出会いから、新たな良き出会いが生まれます。
SGIと交流を重ねてきた、パグウォッシュ会議やIPPNW(核戦争防止国際医師会議)、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)をはじめ、イタリア非核武装ネットワークやUSPID(イタリア軍縮科学者連盟)等と友情の絆を結んできました。
そんな中、日本のNGOの方から、今年5月に被爆者らがサルデーニャ島の都市カリアリに立ち寄るとの知らせを受けました。
カリアリで開催された、そのイベントで、私も「センツァトミカ」運動について紹介する機会に恵まれ、大きな平和の流れをつくることができたと思っています。
——国連本部での交渉会議に、イタリアの市民社会を代表して参加されました。
3月の交渉会議に続き、(核兵器禁止条約が採択された)7月7日の歴史の舞台に立つことができました。
これまでイタリアで平和運動に携わってきた各種団体の皆さんや、全てのイタリアSGIメンバーの活動のおかげです。
長きにわたり行われた交渉会議は、決してスムーズに進んだわけではありません。困難な状況が多々ありましたが、そのたびに皆が心一つに奮起することができたのは、被爆者の皆さんの"核兵器を必ずなくす"という信念にも似た決意の声でした。その声が私たちの力となったのです。
条約が採択!——あの感動的な瞬間は忘れることができません。会場は拍手喝采に包まれ、皆で肩を抱き、喜び合いました。
今年は、戸田先生の「原水爆禁止宣言」60周年という意義深き節目です。その恩師の思いを胸に、池田先生が切り開かれた、この平和への道に、私たちも続き、これからも挑戦していきます。世界平和のために、人類のために、そして未来の世代のために——。
2017年9月20日水曜日
2017.09.20 わが友に贈る
「信心速行動」
「行動即栄光」だ!
時を逃さぬスピードで
先手先手を打とう!
価値創造の一日一日を!
上野殿御消息 P1527
『父の恩の高き事須弥山猶ひきし母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし』
☆女性に贈ることば 九月二十日
価値ある人生を開くもの−−それは「今までどうであったか」ではない。「これからどう生きるのか」、この力強い前向きの一念である。
☆今日のことば365 九月二十日
理想と現実とが交錯して、複雑な心になることがある。周期的に−−。
人を責めたくなる時がある。自己の非を棚に上げて−−。
思索と反省を怠ってはならぬ。
☆御書と歩む 第82回 「負けじ魂」のリーダーたれ
『きわめて・まけじだましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』(可延定業書、986ページ)
◇通解
(四条金吾は)極めて負けじ魂の人で、自分の味方を大切にする人である。
◇同志への指針
御本仏は「負けじ魂」を大切になされた。その模範が四条金吾である。医術に優れ、自らが苦境にあっても、同志を守り、旗頭となって戦い抜いた。創価のドクター部の大先輩といってよい。
"師弟のため、同志のため、一歩も退かない!"との一念に、いかなる魔も打ち破る力が湧く。わが友よ、「あの人がいれば安心だ」と慕われゆくリーダーたれ!
☆創価青年大会 青森 不屈の開拓者たれ! 2017年9月14日
青森総県の創価青年大会が10日、リンクステーションホール青森(青森市文化会館)で開催された。これには池田先生が万感のメッセージを贈り、青年を「新たな時代を照らす太陽」であるとたたえた。
当日朝の雷雨が、開始前には雲一つない大晴天へと変わった。まさに先生のメッセージの如く、あらゆる暗雲を突き抜けて勝利をつかむ若人の祭典となった。
青森広布の淵源——それは1958年(昭和33年)11月の青森支部結成。池田先生は「青森の"青"は青年の青であり、"森"は広布の人材の森」との指針を贈った。因習深い土地柄で草創の友への非難や嘲笑、抑圧は激しかった。だが友はあきらめなかった。不屈の負けじ魂で広布へ駆ける友に、先生は「非難は、開拓者の証し」と励ました。
「青年よ 不屈の開拓者たれ!」とのテーマで行われた大会は、北東北音楽隊の歓迎演奏、男子部による「滝の詩」の合唱で幕を開けた。「滝の詩」の歌詞は、先生が71年(同46年)に青森・奥入瀬渓流を訪れた感慨を詠んだものだ。
会場では、壮年・婦人部が声援や手拍子で、男女青年部の合唱やダンスに温かなエールを送る。さらに体育や音楽などの大会に出場する未来部員や、営業で日本一を獲得した友など、青森で活躍するメンバーの紹介へと続いた。
6年前に入会した下北新世紀県の浜端将史さんも、その中の一人。グラフィックアーティストを目指し、18才で上京するも道半ばで挫折。青森へ帰郷した。自己中心的な性格で友人に迷惑ばかり掛ける毎日。「何をやっているんだろう」。そんな時に出会った婦人部の友から、「悩みあるでしょ」と言い当てられ、思いの丈を全て話し、入会した。
今では町の柔道や剣道などの大会のポスターを手掛けるなど、地元に貢献。青年大会のロゴも作成し、夢もかなえた。「入会前とは人生が180度変わりました。何より人に尽くす喜びを知りました」と浜端さんは笑顔を輝かせた。
続いて、地域おこし協力隊として尽力する青森牧口県の入野谷千代子さんがライフジャケットを身に着けて登場した。世界自然遺産の白神山地を有する西目屋村でラフティング(ゴムボートでの急流下り)やカヌーのガイドとして奮闘中。村民のために何ができるかを日々考えながら、観光事業の発展と地域貢献に汗を流す。入野谷さんは「青森の魅力を世界に発信していきたい」と力を込めた。
◇
大会を目指し、対話拡大へ走り抜いた青森青年部。
女子部の合唱に参加した青森戸田県の小笠原晴華さんは、圏女子部長として、かつてないほどの唱題を決意。対話を重ねた親戚が、入会を希望するまでに。リーダー率先の戦いが皆を鼓舞し、新たに弘教に挑戦するメンバーが続々と誕生。学会理解の輪が広がった。
男子部の演目に出演した青森常勝県の吉田信也さんは青果店で働きながら、創価班大学校生として対話に挑む。早朝からの仕事だが睡眠時間を削って練習と対話に駆けた。弘教が実り、入会した友人が友を折伏し、その友も入会を希望するなど模範の拡大を果たした。
青森池田県の田頭龍也さんは「練習も折伏も全力でやり抜きました。しかし、ここからがスタートです。支えてくれた人々への感謝を忘れず、さらなる拡大に挑みます」と語った。
94年の第1回青森県総会で池田先生は呼び掛けた。
「信心も、やり通してこそ成仏はある。境涯の開拓を途中でやめれば、本当の幸福はない。貫いた人が勝つ。不屈の人が勝つ」と。
青森には今、不屈の開拓魂を刻む青年の森が、幾重にも広がっている。
「行動即栄光」だ!
時を逃さぬスピードで
先手先手を打とう!
価値創造の一日一日を!
上野殿御消息 P1527
『父の恩の高き事須弥山猶ひきし母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし』
☆女性に贈ることば 九月二十日
価値ある人生を開くもの−−それは「今までどうであったか」ではない。「これからどう生きるのか」、この力強い前向きの一念である。
☆今日のことば365 九月二十日
理想と現実とが交錯して、複雑な心になることがある。周期的に−−。
人を責めたくなる時がある。自己の非を棚に上げて−−。
思索と反省を怠ってはならぬ。
☆御書と歩む 第82回 「負けじ魂」のリーダーたれ
『きわめて・まけじだましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』(可延定業書、986ページ)
◇通解
(四条金吾は)極めて負けじ魂の人で、自分の味方を大切にする人である。
◇同志への指針
御本仏は「負けじ魂」を大切になされた。その模範が四条金吾である。医術に優れ、自らが苦境にあっても、同志を守り、旗頭となって戦い抜いた。創価のドクター部の大先輩といってよい。
"師弟のため、同志のため、一歩も退かない!"との一念に、いかなる魔も打ち破る力が湧く。わが友よ、「あの人がいれば安心だ」と慕われゆくリーダーたれ!
☆創価青年大会 青森 不屈の開拓者たれ! 2017年9月14日
青森総県の創価青年大会が10日、リンクステーションホール青森(青森市文化会館)で開催された。これには池田先生が万感のメッセージを贈り、青年を「新たな時代を照らす太陽」であるとたたえた。
当日朝の雷雨が、開始前には雲一つない大晴天へと変わった。まさに先生のメッセージの如く、あらゆる暗雲を突き抜けて勝利をつかむ若人の祭典となった。
青森広布の淵源——それは1958年(昭和33年)11月の青森支部結成。池田先生は「青森の"青"は青年の青であり、"森"は広布の人材の森」との指針を贈った。因習深い土地柄で草創の友への非難や嘲笑、抑圧は激しかった。だが友はあきらめなかった。不屈の負けじ魂で広布へ駆ける友に、先生は「非難は、開拓者の証し」と励ました。
「青年よ 不屈の開拓者たれ!」とのテーマで行われた大会は、北東北音楽隊の歓迎演奏、男子部による「滝の詩」の合唱で幕を開けた。「滝の詩」の歌詞は、先生が71年(同46年)に青森・奥入瀬渓流を訪れた感慨を詠んだものだ。
会場では、壮年・婦人部が声援や手拍子で、男女青年部の合唱やダンスに温かなエールを送る。さらに体育や音楽などの大会に出場する未来部員や、営業で日本一を獲得した友など、青森で活躍するメンバーの紹介へと続いた。
6年前に入会した下北新世紀県の浜端将史さんも、その中の一人。グラフィックアーティストを目指し、18才で上京するも道半ばで挫折。青森へ帰郷した。自己中心的な性格で友人に迷惑ばかり掛ける毎日。「何をやっているんだろう」。そんな時に出会った婦人部の友から、「悩みあるでしょ」と言い当てられ、思いの丈を全て話し、入会した。
今では町の柔道や剣道などの大会のポスターを手掛けるなど、地元に貢献。青年大会のロゴも作成し、夢もかなえた。「入会前とは人生が180度変わりました。何より人に尽くす喜びを知りました」と浜端さんは笑顔を輝かせた。
続いて、地域おこし協力隊として尽力する青森牧口県の入野谷千代子さんがライフジャケットを身に着けて登場した。世界自然遺産の白神山地を有する西目屋村でラフティング(ゴムボートでの急流下り)やカヌーのガイドとして奮闘中。村民のために何ができるかを日々考えながら、観光事業の発展と地域貢献に汗を流す。入野谷さんは「青森の魅力を世界に発信していきたい」と力を込めた。
◇
大会を目指し、対話拡大へ走り抜いた青森青年部。
女子部の合唱に参加した青森戸田県の小笠原晴華さんは、圏女子部長として、かつてないほどの唱題を決意。対話を重ねた親戚が、入会を希望するまでに。リーダー率先の戦いが皆を鼓舞し、新たに弘教に挑戦するメンバーが続々と誕生。学会理解の輪が広がった。
男子部の演目に出演した青森常勝県の吉田信也さんは青果店で働きながら、創価班大学校生として対話に挑む。早朝からの仕事だが睡眠時間を削って練習と対話に駆けた。弘教が実り、入会した友人が友を折伏し、その友も入会を希望するなど模範の拡大を果たした。
青森池田県の田頭龍也さんは「練習も折伏も全力でやり抜きました。しかし、ここからがスタートです。支えてくれた人々への感謝を忘れず、さらなる拡大に挑みます」と語った。
94年の第1回青森県総会で池田先生は呼び掛けた。
「信心も、やり通してこそ成仏はある。境涯の開拓を途中でやめれば、本当の幸福はない。貫いた人が勝つ。不屈の人が勝つ」と。
青森には今、不屈の開拓魂を刻む青年の森が、幾重にも広がっている。
2017年9月19日火曜日
2017.09.19 わが友に贈る
どうすれば悩める友に
希望の灯をともせるか。
真剣に祈り抜こう!
一人一人に同苦する
大誠実のリーダーたれ!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
☆女性に贈ることば 九月十九日
自分自身に生ききる−−これは簡単なようで、実は大変に難しい。
とかく人は、華やかに見える世界に憧れるものである。もっと自分にあった仕事があるのではないかと、思い惑ったりもする。そのために、人は、自分の拠って立つ場所を打ち捨てて、あちらこちらを掘り返す。そして、結局は、何ものも掘り当てることができないまま、貴重な人生を費やしてしまう場合が、あまりにも多い。
足下を掘れ、そこに泉あり、である。
☆今日のことば365 九月十九日
人生の深い英知、幅広い教育、そして人々に対する暖かい思いやりをもった、幅の広い人であっていただきたい。
忍耐、勇気、正義感を養うことも大事である。政治、経済、科学、教育などといった社会的問題への関心と、洞察力の養成も忘れてはならない。要は人生の広さと、深さを求めて、どこまでも勉強し、努力することを忘れるな、ということである。
☆新時代を進む 第16回 不二の愛弟子よ勝ちまくれ
広宣流布の新しいリーダーが、各地で躍り出ている。
日蓮大聖人は、「教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり」(御書1121ページ)と仰せになられた。
我らは、御本仏から頂戴した使命を担い、それぞれの宿縁の国土に来たのだ。この一点を深く自覚すれば、無窮の力が湧いてくる。
60年前の9月、「原水爆禁止宣言」の直後、私は東京・葛飾区の初代の総ブロック長として出発した。
戸田先生の心を体し——
「ここで全国に先駆けて模範の組織をつくるのだ」
「ここに幸せあふれる地域を広げるのだ」
「ここに民衆の勝利の都を築き上げるのだ」
こう一念を定めて、私は走った。一人また一人、愛する葛飾の友の心に火を点し、75万世帯の願業の成就へ、拡大そして勝利の劇を師匠に捧げた。
師弟不二ならば、恐れるものなど何もない。
今、新たな役職に就いた愛弟子たちが、新時代の晴れ舞台で、思う存分、広布と人生の栄光の歴史を残しゆくことを、私は祈っている
— ◇ —
バトンタッチする先輩方の奮闘も心から労いたい。人材の流れをつくり、立派に後輩の道を開いたことは、一家眷属の福運となる。
法華経に、無量千万億の地涌の菩薩が「同時に涌出せり」と説かれる如く、世界広布の「天の時」を迎えた。
皆が地涌の誇りに燃えて、いよいよ団結するのだ。
かつて東北の青森支部が新出発した時、私は、新支部長を真ん中に囲んで、9人の地区部長の方々に肩を組んでもらった。「この固いスクラムで進もう!」と。
「異体同心なれば万事を成じ」(同1463ページ)との御金言通り、どんな立場になろうと、どこまでも創価家族と一緒に、励まし合い、守り合っていくのだ。
— ◇ —
9月12日は「竜の口の法難」の日。大聖人は、御命にも及ぶ大難の中で、「発迹顕本」なされた。
「これほどの悦びをば・わらへかし」(同914ページ)とは、この折の仰せである。
戸田先生は教えられた。
「何があっても、大信力を奮い起こして、朗らかに行き詰まりを乗り越え、境涯を開いていくのだ。これが、我々の月々日々の『発迹顕本』だよ」と。
さあ、今日も、清新な息吹で人間革命に挑戦だ。世界の友と心を通わせながら、勇敢に勝ちまくれ!
希望の灯をともせるか。
真剣に祈り抜こう!
一人一人に同苦する
大誠実のリーダーたれ!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
☆女性に贈ることば 九月十九日
自分自身に生ききる−−これは簡単なようで、実は大変に難しい。
とかく人は、華やかに見える世界に憧れるものである。もっと自分にあった仕事があるのではないかと、思い惑ったりもする。そのために、人は、自分の拠って立つ場所を打ち捨てて、あちらこちらを掘り返す。そして、結局は、何ものも掘り当てることができないまま、貴重な人生を費やしてしまう場合が、あまりにも多い。
足下を掘れ、そこに泉あり、である。
☆今日のことば365 九月十九日
人生の深い英知、幅広い教育、そして人々に対する暖かい思いやりをもった、幅の広い人であっていただきたい。
忍耐、勇気、正義感を養うことも大事である。政治、経済、科学、教育などといった社会的問題への関心と、洞察力の養成も忘れてはならない。要は人生の広さと、深さを求めて、どこまでも勉強し、努力することを忘れるな、ということである。
☆新時代を進む 第16回 不二の愛弟子よ勝ちまくれ
広宣流布の新しいリーダーが、各地で躍り出ている。
日蓮大聖人は、「教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり」(御書1121ページ)と仰せになられた。
我らは、御本仏から頂戴した使命を担い、それぞれの宿縁の国土に来たのだ。この一点を深く自覚すれば、無窮の力が湧いてくる。
60年前の9月、「原水爆禁止宣言」の直後、私は東京・葛飾区の初代の総ブロック長として出発した。
戸田先生の心を体し——
「ここで全国に先駆けて模範の組織をつくるのだ」
「ここに幸せあふれる地域を広げるのだ」
「ここに民衆の勝利の都を築き上げるのだ」
こう一念を定めて、私は走った。一人また一人、愛する葛飾の友の心に火を点し、75万世帯の願業の成就へ、拡大そして勝利の劇を師匠に捧げた。
師弟不二ならば、恐れるものなど何もない。
今、新たな役職に就いた愛弟子たちが、新時代の晴れ舞台で、思う存分、広布と人生の栄光の歴史を残しゆくことを、私は祈っている
— ◇ —
バトンタッチする先輩方の奮闘も心から労いたい。人材の流れをつくり、立派に後輩の道を開いたことは、一家眷属の福運となる。
法華経に、無量千万億の地涌の菩薩が「同時に涌出せり」と説かれる如く、世界広布の「天の時」を迎えた。
皆が地涌の誇りに燃えて、いよいよ団結するのだ。
かつて東北の青森支部が新出発した時、私は、新支部長を真ん中に囲んで、9人の地区部長の方々に肩を組んでもらった。「この固いスクラムで進もう!」と。
「異体同心なれば万事を成じ」(同1463ページ)との御金言通り、どんな立場になろうと、どこまでも創価家族と一緒に、励まし合い、守り合っていくのだ。
— ◇ —
9月12日は「竜の口の法難」の日。大聖人は、御命にも及ぶ大難の中で、「発迹顕本」なされた。
「これほどの悦びをば・わらへかし」(同914ページ)とは、この折の仰せである。
戸田先生は教えられた。
「何があっても、大信力を奮い起こして、朗らかに行き詰まりを乗り越え、境涯を開いていくのだ。これが、我々の月々日々の『発迹顕本』だよ」と。
さあ、今日も、清新な息吹で人間革命に挑戦だ。世界の友と心を通わせながら、勇敢に勝ちまくれ!
2017年9月18日月曜日
2017.09.18 わが友に贈る
◇今週のことば
教学試験へ挑む友へ
真心の励ましを!
「我もいたし
人をも教化候へ」
行学の二道を共々に!
2017年9月18日
御講聞書 P813
『父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏即ち父母の成仏なり』
☆女性に贈ることば 九月十八日
何よりも自分らしく生きることである。世のため人のために尽くしきって、この一生を総仕上げしよう、という決意こそ大切である。
☆今日のことば365 九月十八日
詩は言葉の羅列ではない
故に巧緻華麗の詩句のみを
私は 欲しない
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 スイス2 2017年9月9日
◇勇気の唱題で勝利の証しを
チューリヒ市内を走るジール川。そのへりに立つニレの木立を初夏の風が吹き抜ける。緑陰からは、にぎやかな声が響いていた。
川に面する中華レストラン「リー・タイ・ペイ」(当時)。1983年6月11日、ここで、初のスイスSGI総会が開かれた。
会場中央には、フランス語の赤い花文字で「BIENVENUE SENSEI(ようこそ、先生)」との横断幕が。他の欧州諸国やナイジェリアからも友が集い、祝賀の催しが開かれた。
ジュネーブ、チューリヒ、ルガノ、ベルンの友らによる民謡や民族音楽の合唱・演奏を見守った池田先生は、「美しき国で、美しき心の人々と、美しき調べを聞きながら、有意義なひとときを過ごせました」と感謝を述べ、スピーチした。
時間やルールに厳格なスイスの国民性を踏まえ、先生が話のテーマに据えたのは、「限られた時間をどう活用するか」。アメリカの鉄鋼王カーネギーが、夕食後の時間を重視したことを通し、「人生を決定づける"黄金の時間"を、我々は福運を積むため、宿命の打開のため、法のため、社会のため、平和のため、広宣流布のために費やしている。これほど尊い、有意義な時間の活用はない」と語った。
この時、スイスSGIに本部が結成され、ジュネーブ、チューリヒ、ルガノに新支部が誕生。チューリヒの初代支部長に就任したのは、フミオ・イナガキさん(参与)である。
イナガキさんは、33年11月、台湾の豊原で生まれた。5人兄弟の次男。父は精糖会社で働き、母は小学校の教師をしていた。日本への引き揚げは、第2次世界大戦の終戦の翌46年4月である。
当初、名古屋の伯父の家に入ったが、翌月に父が肺結核で急逝。佐賀に住む叔母のもとに身を寄せた。
大学進学で広島へ。福山で見たバレエ公演に魅了され、卒業後に上京。渋谷でバレエダンサーを目指した。
小牧バレエ団などを経て、チャイコフスキー記念東京バレエ学校に在籍。海外進出を考えるも、資金も人脈もない。「かなわぬ夢」と諦めていた。
ある日、道玄坂にあった呉服屋の主人に声を掛けられる。「若いのにさえない顔をしているね」。主人に誘われ、初めて学会の座談会に参加した。
"海外に出たい"と夢を語ったイナガキさんに、「1年間、真剣に信心をすれば、ロンドンでも、パリでも、どこにでも行けるよ」との返答が。いちるの望みを懸け、64年11月、御本尊を受持した。
初信の功徳で、仕事が次々に舞い込み、渡航資金がたまった。また、知り合いのパントマイマーが仕事でパリに行くことに。翌65年夏、彼を頼りに、イナガキさんも、念願のパリの地を踏む。
やがて、知人の紹介で、バレエダンサーとして、チューリヒにあるオペラ劇場の舞台に立つチャンスを得た。
67年12月、向かったチューリヒには、SGIのメンバーが一人もいなかったという。イナガキさんは、在籍したバレエ学校の仲間を折伏。毎月、弘教を実らせていった。
83年6月11日、チューリヒに滞在していた先生から「何か望みはありますか」と聞かれ、「スイスでも学会の出版物が読めるようになれば、うれしいです」と答えた。翌月から聖教新聞や大白蓮華が届くように。師の指針を抱き締め、メンバーのもとへと駆けた。
86年、市内に個人会館を構え、93年秋にはチューリヒ会館が誕生した。イナガキさんは個人会館の時から30年以上、会館での朝の勤行を欠かさない。
83歳の今もバレエの講師として、オペラ劇場付属のバレエ学校に所属し、自らも舞台に立ちながら後進を育成。教え子たちは、世界各国の舞台で華々しく活躍している。
第1回スイス総会。会場内の横断幕には、丁寧な手書きの文字で、"初のスイスSGI総会"と。全参加者が読めるように、フランス語、ドイツ語、イタリア語の3カ国語で書かれてあった。
先生は「こんな素晴らしい横断幕は、日本でも作れる人はいないよ」と感嘆し、作成者をねぎらった。
その一人、ピエトロ・ボナノミさん(総合壮年部長)は、「先生は、"陰の人"を徹して大事にしてくださる方なのだと知り、感動で胸が震えました」と述懐する。
ルガノで生まれたボナノミさん。幼少時から青少年のためのボランティア活動に参加。中学卒業後は、専門学校で建築技術・デザインを学び、建設会社などで働いた。
多忙な日々にも空虚感を覚え、充実の人生を模索するように。ある日、剣道仲間から本を手渡される。池田先生の著書だった。
「人生には『師弟の精神』が不可欠だと確信しました。先生の弟子になり、自他共の幸福を開く生き方をしたいと思ったのです」
76年に入会し、一度は断念した進学の道を目指す。
30歳を超えての挑戦。苦学の末、82年に難関のスイス連邦工科大学ローザンヌ校への入学を果たした。
学会活動も一歩も引かず、翌年には、ローザンヌ班の班長に就任。信心根本に研究に励んだ。
そして87年には資格を取得し、憧れの建築家になる。大学や専門学校の教壇にも立つなど、信心の実証を示していった。
夢を実現したボナノミさんにとって、忘れ得ぬ出会いが訪れる。89年6月17日、ジュネーブで、第2回スイスSGI総会が開催。舞台で、民族楽器「アルペンホルン」を吹くボナノミさんのもとに歩み寄った先生は、肩を抱いて励ました。
ボナノミさんからアルペンホルンを受け取った先生は、ユーモアをこめ、吹く仕草を。その真心に参加者は感動し、会場は明るい笑顔の花に包まれた。
第1回スイス総会の終盤、先生は「勇気の信心」の重要性について、こう語った。
「石を打つ時、力が弱ければ火は出ない。同じように、『信』弱き唱題では、所願の成就は難しい」
「御本尊への勇気をもった唱題、大聖人の仰せ通りの勇気ある実践に、想像もできない功徳の実証と人生勝利の証しがあることを確信してください」
この指針を胸に、スイスの友は、着実に広布を進めてきた。
83年6月に結成された1本部3支部から、現在は3方面13支部に拡大。国土の隅々まで、師弟の絆で結ばれた「異体同心の団結」が輝いている。
教学試験へ挑む友へ
真心の励ましを!
「我もいたし
人をも教化候へ」
行学の二道を共々に!
2017年9月18日
御講聞書 P813
『父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏即ち父母の成仏なり』
☆女性に贈ることば 九月十八日
何よりも自分らしく生きることである。世のため人のために尽くしきって、この一生を総仕上げしよう、という決意こそ大切である。
☆今日のことば365 九月十八日
詩は言葉の羅列ではない
故に巧緻華麗の詩句のみを
私は 欲しない
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 スイス2 2017年9月9日
◇勇気の唱題で勝利の証しを
チューリヒ市内を走るジール川。そのへりに立つニレの木立を初夏の風が吹き抜ける。緑陰からは、にぎやかな声が響いていた。
川に面する中華レストラン「リー・タイ・ペイ」(当時)。1983年6月11日、ここで、初のスイスSGI総会が開かれた。
会場中央には、フランス語の赤い花文字で「BIENVENUE SENSEI(ようこそ、先生)」との横断幕が。他の欧州諸国やナイジェリアからも友が集い、祝賀の催しが開かれた。
ジュネーブ、チューリヒ、ルガノ、ベルンの友らによる民謡や民族音楽の合唱・演奏を見守った池田先生は、「美しき国で、美しき心の人々と、美しき調べを聞きながら、有意義なひとときを過ごせました」と感謝を述べ、スピーチした。
時間やルールに厳格なスイスの国民性を踏まえ、先生が話のテーマに据えたのは、「限られた時間をどう活用するか」。アメリカの鉄鋼王カーネギーが、夕食後の時間を重視したことを通し、「人生を決定づける"黄金の時間"を、我々は福運を積むため、宿命の打開のため、法のため、社会のため、平和のため、広宣流布のために費やしている。これほど尊い、有意義な時間の活用はない」と語った。
この時、スイスSGIに本部が結成され、ジュネーブ、チューリヒ、ルガノに新支部が誕生。チューリヒの初代支部長に就任したのは、フミオ・イナガキさん(参与)である。
イナガキさんは、33年11月、台湾の豊原で生まれた。5人兄弟の次男。父は精糖会社で働き、母は小学校の教師をしていた。日本への引き揚げは、第2次世界大戦の終戦の翌46年4月である。
当初、名古屋の伯父の家に入ったが、翌月に父が肺結核で急逝。佐賀に住む叔母のもとに身を寄せた。
大学進学で広島へ。福山で見たバレエ公演に魅了され、卒業後に上京。渋谷でバレエダンサーを目指した。
小牧バレエ団などを経て、チャイコフスキー記念東京バレエ学校に在籍。海外進出を考えるも、資金も人脈もない。「かなわぬ夢」と諦めていた。
ある日、道玄坂にあった呉服屋の主人に声を掛けられる。「若いのにさえない顔をしているね」。主人に誘われ、初めて学会の座談会に参加した。
"海外に出たい"と夢を語ったイナガキさんに、「1年間、真剣に信心をすれば、ロンドンでも、パリでも、どこにでも行けるよ」との返答が。いちるの望みを懸け、64年11月、御本尊を受持した。
初信の功徳で、仕事が次々に舞い込み、渡航資金がたまった。また、知り合いのパントマイマーが仕事でパリに行くことに。翌65年夏、彼を頼りに、イナガキさんも、念願のパリの地を踏む。
やがて、知人の紹介で、バレエダンサーとして、チューリヒにあるオペラ劇場の舞台に立つチャンスを得た。
67年12月、向かったチューリヒには、SGIのメンバーが一人もいなかったという。イナガキさんは、在籍したバレエ学校の仲間を折伏。毎月、弘教を実らせていった。
83年6月11日、チューリヒに滞在していた先生から「何か望みはありますか」と聞かれ、「スイスでも学会の出版物が読めるようになれば、うれしいです」と答えた。翌月から聖教新聞や大白蓮華が届くように。師の指針を抱き締め、メンバーのもとへと駆けた。
86年、市内に個人会館を構え、93年秋にはチューリヒ会館が誕生した。イナガキさんは個人会館の時から30年以上、会館での朝の勤行を欠かさない。
83歳の今もバレエの講師として、オペラ劇場付属のバレエ学校に所属し、自らも舞台に立ちながら後進を育成。教え子たちは、世界各国の舞台で華々しく活躍している。
第1回スイス総会。会場内の横断幕には、丁寧な手書きの文字で、"初のスイスSGI総会"と。全参加者が読めるように、フランス語、ドイツ語、イタリア語の3カ国語で書かれてあった。
先生は「こんな素晴らしい横断幕は、日本でも作れる人はいないよ」と感嘆し、作成者をねぎらった。
その一人、ピエトロ・ボナノミさん(総合壮年部長)は、「先生は、"陰の人"を徹して大事にしてくださる方なのだと知り、感動で胸が震えました」と述懐する。
ルガノで生まれたボナノミさん。幼少時から青少年のためのボランティア活動に参加。中学卒業後は、専門学校で建築技術・デザインを学び、建設会社などで働いた。
多忙な日々にも空虚感を覚え、充実の人生を模索するように。ある日、剣道仲間から本を手渡される。池田先生の著書だった。
「人生には『師弟の精神』が不可欠だと確信しました。先生の弟子になり、自他共の幸福を開く生き方をしたいと思ったのです」
76年に入会し、一度は断念した進学の道を目指す。
30歳を超えての挑戦。苦学の末、82年に難関のスイス連邦工科大学ローザンヌ校への入学を果たした。
学会活動も一歩も引かず、翌年には、ローザンヌ班の班長に就任。信心根本に研究に励んだ。
そして87年には資格を取得し、憧れの建築家になる。大学や専門学校の教壇にも立つなど、信心の実証を示していった。
夢を実現したボナノミさんにとって、忘れ得ぬ出会いが訪れる。89年6月17日、ジュネーブで、第2回スイスSGI総会が開催。舞台で、民族楽器「アルペンホルン」を吹くボナノミさんのもとに歩み寄った先生は、肩を抱いて励ました。
ボナノミさんからアルペンホルンを受け取った先生は、ユーモアをこめ、吹く仕草を。その真心に参加者は感動し、会場は明るい笑顔の花に包まれた。
第1回スイス総会の終盤、先生は「勇気の信心」の重要性について、こう語った。
「石を打つ時、力が弱ければ火は出ない。同じように、『信』弱き唱題では、所願の成就は難しい」
「御本尊への勇気をもった唱題、大聖人の仰せ通りの勇気ある実践に、想像もできない功徳の実証と人生勝利の証しがあることを確信してください」
この指針を胸に、スイスの友は、着実に広布を進めてきた。
83年6月に結成された1本部3支部から、現在は3方面13支部に拡大。国土の隅々まで、師弟の絆で結ばれた「異体同心の団結」が輝いている。
2017年9月17日日曜日
2017.09.17 わが友に贈る
非常に強い台風に警戒!
暴風雨や高波など
油断は絶対に禁物だ。
「前前の用心」怠らず
安全・無事故第一で!
三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり』
☆女性に贈ることば 九月十七日
先哲の教えに「親に何か良い物を差しあげようと思っても何もないときは、一日に二度三度と笑顔を見せてあげなさい」とある。この人問学の精髄を、生活の劇のなかで賢く朗らかに実践していきたい。
☆今日のことば365 九月十七日
個人は、外から侵されることのない権利をもつと同時に、その結合体を維持し、より豊かなものへ、楽しいものへと高めていくために責任を持たなければならない。責任ないし義務のない権利は、権利としても成り立たないものである。
☆御書と歩む 第81回 朗らかに人間革命の劇を
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり』(御義口伝、781ページ)
◇通解
(法華経の行者が)法華経を受持する所を「当詣道場」というのである。この娑婆世界を去って、極楽浄土等のほかの国土へ行くことではない。「道場」とは十界の衆生の住所である娑婆世界をいうのである。
◇同志への指針
仏道修行の道場は遠くではない。「今」「ここ」にある。わが地域である。
60年前の9月、私は、東京・葛飾区に初代の総ブロック長として立った。一人一人に「信心してよかった」という喜びを味わわせてほしいとの師の心を体し、人情あふれる友と地域広布へ走った。
我らの地域よ、十界互具の衆生の朗らかな「人間革命」の劇で輝き光れ!
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 一生成仏抄(上) 2017年8月12日
◇唱題根本に崩れざる幸福境涯を
今月から2回にわたり、「一生成仏抄」を学びます。
池田先生は、つづっています。
「日蓮大聖人の仏法は、永遠に崩れない最高の幸福境涯を築き、自他ともに無上の人生を送りゆく希望の宗教です。誰人も、皆、仏になれる。しかも、この身そのままで、仏になれる。そして、何よりも、この一生のうちに、必ず仏になれる。この素晴らしき成仏への道を明確に示されたのが、日蓮大聖人の仏法です」
今回は、自他共の無限の可能性を開きゆく信心の姿勢を心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は、御書383ページ冒頭〜15行目「取るべきなり」)
◇本抄について
本抄は、御執筆の年次や宛先は不明ですが、立宗から間もない建長7年(1255年)に認められ、富木常忍に与えられたと伝えられています。
題号の「一生成仏」とは、凡夫が、この一生のうちに成仏するということです。本抄では、日蓮大聖人の仏法の根幹である唱題行の意義について、法理と実践の両面から明らかにされ、南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題行こそが、成仏の直道であることを示されます。
◇御文
『但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり、そ法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり』(御書383ページ6行目〜9行目)
◇通解
ただし妙法蓮華経と唱え持っているといっても、もし、自身の生命の外に法があると思ったならば、それはまったく妙法ではなく、そ法(不完全な法)である。
そ法は、法華経ではない。法華経でなければ方便の教えであり、仮の教えである。方便であり、仮の教えであるならば、成仏へ直ちに至る道ではない。成仏へ直ちに至る道でなければ、何度も繰り返し生まれて重ねる長遠な修行を経て成仏できるわけでもないので、一生成仏はついに叶うことはない。ゆえに、妙法と唱え蓮華と読む時は、自身の一念を指して妙法蓮華経と名付けているのだ、と深く信心を起こすべきである。
◇解説 "自身が妙法そのもの"と確信
日蓮大聖人の仏法は、全ての人に尊極な仏の生命が具わることを説いています。
そして、一人一人が仏の生命を現し、絶対的幸福境涯を開くための方途として、大聖人は、南無妙法蓮華経と唱える唱題行を確立されました。
題目を唱えれば、いつでも、誰でも、その身のままで、仏の生命を現すことができます。大聖人によって初めて、万人成仏を現実のものとする道が開かれたのです。
この万人の幸福を開きゆく唱題行の実践に当たって、最も大事なことは何か——。それは、「妙法蓮華経とは自分自身のことである」と確信することです。
掲げた御文では、南無妙法蓮華経と唱えていても、「己心の外」、つまり自身の生命の外に法があると思ったならば、妙法ではなく、そ法(不完全な法)になってしまうと戒められています。
そして、そ法の例として、爾前権教(法華経以前に説かれた教え)を挙げられています。
爾前権教では、成仏するためには、何度も生死を繰り返しながら長遠な期間にわたって仏道修行をしなければならないと説かれており、凡夫と仏とはかけ離れた存在として捉えられています。このような「己心の外」に仏を求める生き方は、自身の無限の可能性を否定することにつながります。
私たちで言えば、例えば、悩みや苦難の原因を他人や環境のせいにしたり、仕方がないと諦めたり、今いる場所から離れたところに幸福を求めたりすることも、「己心の外」に法を求めている姿といえます。これではどんなに題目を唱えていても、妙法を信じていることにはならず、苦難を乗り越えることもできません。
ゆえに大聖人は、"自身の一念を指して妙法蓮華経と名付けているのだ、と深く信心を起こしていきなさい"と強調されているのです。
"自身が妙法蓮華経なのだ"と決めて題目を唱え、広宣流布に前進していくなかで、揺るがぬ幸福の土台が築かれていきます。
池田先生は、第2代会長・戸田城聖先生の指導を私たち女子部に贈っています。
「信心とは、最も強く自分で確信することです。自分自身が妙法の当体なのだから、諸天善神が守らないわけがないと確信して、題目をあげた時に、必ずそうなるんだよ」
どこまでも自身の可能性を確信して「行学の二道」に励み、池田先生の入信70周年を荘厳していきましょう!
◇池田先生の講義から
「妙法蓮華経は我が己心にあり」と信じることは"私は必ず幸せになれる""私は必ず一生成仏できる"と確信することです。そして"自分も友も幸せになれる。だから友に語っていこう"と、広宣流布の戦いに打って出る信心です。(中略)
「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。
私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、"いかなる苦難も乗り越えていける""断じて幸福を勝ち取っていくことができる"との大確信で、全てに向かって勇敢に挑戦していくことです。
「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。(『一生成仏抄講義』)
◇研さんのために
○…『一生成仏抄講義』(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第1巻、「一生成仏」(同)
☆親が子に語る物語 雪山の寒苦鳥 2017年8月27日
◇やるべきことをすぐに実践しよう!
むかし むかしのインドのおはなしです。一年じゅうふかい雪におおわれた雪山に 寒苦鳥という名の おすとめすの鳥がすんでいました。巣をもたない宿なし鳥でした。
なぜ宿なしか といえば、いつまでたっても巣をつくりはじめなかったから。ただ、それだけでした。
ここ雪山では、夜があけると、一面のまっ白な雪が朝日にてりはえて、たいそう美しい銀世界となります。
お昼ごろになれば、いよいよ ぽかぽかあたたかく、鳥たちもゆかいにさえずり、たわむれるのでした。
ところが、夜のさむさといったらありません。
この夜も、「ごおぅ、ごおぅ」という地ひびきとともにはげしい雪がふりつづけていました。
天からも地からもふぶき、だれも目などあけていられません。
宿なしの寒苦鳥たちは、目をぎゅっとつぶり、からだをよせあい、さむさをしのいでいました。
「さむくて さむくて こおっちゃう。こおっちゃったら しんじゃう」
めすどりは、息もたえだえに うたい鳴きます。
すると、おすどりは、それにこたえるように、「もうすぐ もうすぐ 夜があける。夜があけたなら 巣をつくろう」と、うたい鳴くのでした。
2わの寒苦鳥は、そうやって一晩じゅうくりかえし くりかえし鳴きつづけました。
やがて、夜明けをむかえました。
いきをのむような みごとな朝やけが あたりをそめあげ、ここ雪山の一日のはじまりです。
寒苦鳥たちにとっては、まちにまった巣づくりの朝が やってきたのです。
ところが——。2わの寒苦鳥は、なかなか、うごきだしません。さむくてねむれなかったので、うとうとしているのでしょうか。
そうこうしているうちに、お日さまは、どんどん高くのぼりつづけ、とうとう まうえにあがりました。
明るい ぽかぽかのひざしが 2わのからだをつつみこみます。ゆっくりとはねをひろげ、寒苦鳥たちは、そらへと飛び立ちました。
やっと巣づくりのスタートです。と、おもいきや、2わは くちばしでつつきあい、たのしそうに たわむれているではありませんか。
夜のさむさを すっかりわすれてしまったのでしょうか。あそびほうけているばあいではありません。また、すぐに夜は やってくるというのに。
耳をすますと、おすどりののんきなうたごえが きこえてきました。
「やだね やだやだ 巣づくりなんて。どうせそのうちしぬんだもん。はやけりゃ きょうか明日か あさってか」
こうして、また、こごえる夜をむかえました。2わは、じゅんばんにすすりなき、夜があけたら明日こそ巣をつくろうとおもいました。
そして、朝をむかえると、巣づくりなんてどこへやら。
やはり あそびほうけてしまい、またまた、日がくれて……と、いくつもの朝と夜がとおりすぎました。
そして、ある夜。いつにもまして、はげしいふぶきが けむりのように雪山じゅうをつつむなか、2わのなきごえがきこえてきました。
「さむくて さむくて こおっちゃう。こおっちゃったら しんじゃう」
「もうすぐ もうすぐ 夜があける。夜があけたなら 巣をつくろう」
この夜も うたいつづけました。そろそろ朝日がのぼります。はたして、寒苦鳥たちは、巣をつくることができるのでしょうか。
◆ ◇ ◆
おうちの方へ
今回の物語は、「新池御書」などに出てくる「雪山の寒苦鳥」の説話を基にしたものです。
日蓮大聖人は「雪山の寒苦鳥は寒苦に責められ、夜が明ければ巣を作ろうと鳴くけれども、日が出ると朝日の暖かさに眠って忘れてしまい、また巣を作らずに一生むなしく鳴くのである。全ての人々も、このようなものである」(御書1440ページ、通解)と、仏道修行をなおざりにする人間も、この鳥と異ならないと教えられています。
人間は、苦しい状況にある時は、二度と苦しまないように努力しようと決意します。しかし一度、楽になると、苦しかったことを忘れて努力しなくなる傾向があるようです。
やるべきことを後回しにせず、その時に、きちんと終わらせていくことの大切さを確認していきましょう。
暴風雨や高波など
油断は絶対に禁物だ。
「前前の用心」怠らず
安全・無事故第一で!
三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり』
☆女性に贈ることば 九月十七日
先哲の教えに「親に何か良い物を差しあげようと思っても何もないときは、一日に二度三度と笑顔を見せてあげなさい」とある。この人問学の精髄を、生活の劇のなかで賢く朗らかに実践していきたい。
☆今日のことば365 九月十七日
個人は、外から侵されることのない権利をもつと同時に、その結合体を維持し、より豊かなものへ、楽しいものへと高めていくために責任を持たなければならない。責任ないし義務のない権利は、権利としても成り立たないものである。
☆御書と歩む 第81回 朗らかに人間革命の劇を
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり』(御義口伝、781ページ)
◇通解
(法華経の行者が)法華経を受持する所を「当詣道場」というのである。この娑婆世界を去って、極楽浄土等のほかの国土へ行くことではない。「道場」とは十界の衆生の住所である娑婆世界をいうのである。
◇同志への指針
仏道修行の道場は遠くではない。「今」「ここ」にある。わが地域である。
60年前の9月、私は、東京・葛飾区に初代の総ブロック長として立った。一人一人に「信心してよかった」という喜びを味わわせてほしいとの師の心を体し、人情あふれる友と地域広布へ走った。
我らの地域よ、十界互具の衆生の朗らかな「人間革命」の劇で輝き光れ!
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 一生成仏抄(上) 2017年8月12日
◇唱題根本に崩れざる幸福境涯を
今月から2回にわたり、「一生成仏抄」を学びます。
池田先生は、つづっています。
「日蓮大聖人の仏法は、永遠に崩れない最高の幸福境涯を築き、自他ともに無上の人生を送りゆく希望の宗教です。誰人も、皆、仏になれる。しかも、この身そのままで、仏になれる。そして、何よりも、この一生のうちに、必ず仏になれる。この素晴らしき成仏への道を明確に示されたのが、日蓮大聖人の仏法です」
今回は、自他共の無限の可能性を開きゆく信心の姿勢を心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は、御書383ページ冒頭〜15行目「取るべきなり」)
◇本抄について
本抄は、御執筆の年次や宛先は不明ですが、立宗から間もない建長7年(1255年)に認められ、富木常忍に与えられたと伝えられています。
題号の「一生成仏」とは、凡夫が、この一生のうちに成仏するということです。本抄では、日蓮大聖人の仏法の根幹である唱題行の意義について、法理と実践の両面から明らかにされ、南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題行こそが、成仏の直道であることを示されます。
◇御文
『但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり、そ法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり』(御書383ページ6行目〜9行目)
◇通解
ただし妙法蓮華経と唱え持っているといっても、もし、自身の生命の外に法があると思ったならば、それはまったく妙法ではなく、そ法(不完全な法)である。
そ法は、法華経ではない。法華経でなければ方便の教えであり、仮の教えである。方便であり、仮の教えであるならば、成仏へ直ちに至る道ではない。成仏へ直ちに至る道でなければ、何度も繰り返し生まれて重ねる長遠な修行を経て成仏できるわけでもないので、一生成仏はついに叶うことはない。ゆえに、妙法と唱え蓮華と読む時は、自身の一念を指して妙法蓮華経と名付けているのだ、と深く信心を起こすべきである。
◇解説 "自身が妙法そのもの"と確信
日蓮大聖人の仏法は、全ての人に尊極な仏の生命が具わることを説いています。
そして、一人一人が仏の生命を現し、絶対的幸福境涯を開くための方途として、大聖人は、南無妙法蓮華経と唱える唱題行を確立されました。
題目を唱えれば、いつでも、誰でも、その身のままで、仏の生命を現すことができます。大聖人によって初めて、万人成仏を現実のものとする道が開かれたのです。
この万人の幸福を開きゆく唱題行の実践に当たって、最も大事なことは何か——。それは、「妙法蓮華経とは自分自身のことである」と確信することです。
掲げた御文では、南無妙法蓮華経と唱えていても、「己心の外」、つまり自身の生命の外に法があると思ったならば、妙法ではなく、そ法(不完全な法)になってしまうと戒められています。
そして、そ法の例として、爾前権教(法華経以前に説かれた教え)を挙げられています。
爾前権教では、成仏するためには、何度も生死を繰り返しながら長遠な期間にわたって仏道修行をしなければならないと説かれており、凡夫と仏とはかけ離れた存在として捉えられています。このような「己心の外」に仏を求める生き方は、自身の無限の可能性を否定することにつながります。
私たちで言えば、例えば、悩みや苦難の原因を他人や環境のせいにしたり、仕方がないと諦めたり、今いる場所から離れたところに幸福を求めたりすることも、「己心の外」に法を求めている姿といえます。これではどんなに題目を唱えていても、妙法を信じていることにはならず、苦難を乗り越えることもできません。
ゆえに大聖人は、"自身の一念を指して妙法蓮華経と名付けているのだ、と深く信心を起こしていきなさい"と強調されているのです。
"自身が妙法蓮華経なのだ"と決めて題目を唱え、広宣流布に前進していくなかで、揺るがぬ幸福の土台が築かれていきます。
池田先生は、第2代会長・戸田城聖先生の指導を私たち女子部に贈っています。
「信心とは、最も強く自分で確信することです。自分自身が妙法の当体なのだから、諸天善神が守らないわけがないと確信して、題目をあげた時に、必ずそうなるんだよ」
どこまでも自身の可能性を確信して「行学の二道」に励み、池田先生の入信70周年を荘厳していきましょう!
◇池田先生の講義から
「妙法蓮華経は我が己心にあり」と信じることは"私は必ず幸せになれる""私は必ず一生成仏できる"と確信することです。そして"自分も友も幸せになれる。だから友に語っていこう"と、広宣流布の戦いに打って出る信心です。(中略)
「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。
私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、"いかなる苦難も乗り越えていける""断じて幸福を勝ち取っていくことができる"との大確信で、全てに向かって勇敢に挑戦していくことです。
「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。(『一生成仏抄講義』)
◇研さんのために
○…『一生成仏抄講義』(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第1巻、「一生成仏」(同)
☆親が子に語る物語 雪山の寒苦鳥 2017年8月27日
◇やるべきことをすぐに実践しよう!
むかし むかしのインドのおはなしです。一年じゅうふかい雪におおわれた雪山に 寒苦鳥という名の おすとめすの鳥がすんでいました。巣をもたない宿なし鳥でした。
なぜ宿なしか といえば、いつまでたっても巣をつくりはじめなかったから。ただ、それだけでした。
ここ雪山では、夜があけると、一面のまっ白な雪が朝日にてりはえて、たいそう美しい銀世界となります。
お昼ごろになれば、いよいよ ぽかぽかあたたかく、鳥たちもゆかいにさえずり、たわむれるのでした。
ところが、夜のさむさといったらありません。
この夜も、「ごおぅ、ごおぅ」という地ひびきとともにはげしい雪がふりつづけていました。
天からも地からもふぶき、だれも目などあけていられません。
宿なしの寒苦鳥たちは、目をぎゅっとつぶり、からだをよせあい、さむさをしのいでいました。
「さむくて さむくて こおっちゃう。こおっちゃったら しんじゃう」
めすどりは、息もたえだえに うたい鳴きます。
すると、おすどりは、それにこたえるように、「もうすぐ もうすぐ 夜があける。夜があけたなら 巣をつくろう」と、うたい鳴くのでした。
2わの寒苦鳥は、そうやって一晩じゅうくりかえし くりかえし鳴きつづけました。
やがて、夜明けをむかえました。
いきをのむような みごとな朝やけが あたりをそめあげ、ここ雪山の一日のはじまりです。
寒苦鳥たちにとっては、まちにまった巣づくりの朝が やってきたのです。
ところが——。2わの寒苦鳥は、なかなか、うごきだしません。さむくてねむれなかったので、うとうとしているのでしょうか。
そうこうしているうちに、お日さまは、どんどん高くのぼりつづけ、とうとう まうえにあがりました。
明るい ぽかぽかのひざしが 2わのからだをつつみこみます。ゆっくりとはねをひろげ、寒苦鳥たちは、そらへと飛び立ちました。
やっと巣づくりのスタートです。と、おもいきや、2わは くちばしでつつきあい、たのしそうに たわむれているではありませんか。
夜のさむさを すっかりわすれてしまったのでしょうか。あそびほうけているばあいではありません。また、すぐに夜は やってくるというのに。
耳をすますと、おすどりののんきなうたごえが きこえてきました。
「やだね やだやだ 巣づくりなんて。どうせそのうちしぬんだもん。はやけりゃ きょうか明日か あさってか」
こうして、また、こごえる夜をむかえました。2わは、じゅんばんにすすりなき、夜があけたら明日こそ巣をつくろうとおもいました。
そして、朝をむかえると、巣づくりなんてどこへやら。
やはり あそびほうけてしまい、またまた、日がくれて……と、いくつもの朝と夜がとおりすぎました。
そして、ある夜。いつにもまして、はげしいふぶきが けむりのように雪山じゅうをつつむなか、2わのなきごえがきこえてきました。
「さむくて さむくて こおっちゃう。こおっちゃったら しんじゃう」
「もうすぐ もうすぐ 夜があける。夜があけたなら 巣をつくろう」
この夜も うたいつづけました。そろそろ朝日がのぼります。はたして、寒苦鳥たちは、巣をつくることができるのでしょうか。
◆ ◇ ◆
おうちの方へ
今回の物語は、「新池御書」などに出てくる「雪山の寒苦鳥」の説話を基にしたものです。
日蓮大聖人は「雪山の寒苦鳥は寒苦に責められ、夜が明ければ巣を作ろうと鳴くけれども、日が出ると朝日の暖かさに眠って忘れてしまい、また巣を作らずに一生むなしく鳴くのである。全ての人々も、このようなものである」(御書1440ページ、通解)と、仏道修行をなおざりにする人間も、この鳥と異ならないと教えられています。
人間は、苦しい状況にある時は、二度と苦しまないように努力しようと決意します。しかし一度、楽になると、苦しかったことを忘れて努力しなくなる傾向があるようです。
やるべきことを後回しにせず、その時に、きちんと終わらせていくことの大切さを確認していきましょう。
2017年9月16日土曜日
2017.09.16 わが友に贈る
広布を担う青年は
実践の中でこそ育つ。
共に祈り 共に語り
一緒に行動しよう!
後輩を自分以上に!
神国王御書 P1524
『国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきかいかがしたりけん諸人の讒言ををさめて一人の余をすて給う』
☆女性に贈ることば 九月十六日
私の母は、成績については何も言わなかったが、日頃の生活習慣などには厳しかった。
小さい頃、母によく言われた。「他人に迷惑をかけてはいけな
い」「嘘をついてはいけない」と。少し大きくなってからは、「自分で決意したことは、責任をもってやり遂げなさい」という言葉が加わった。
☆今日のことば365 九月十六日
私たちは、全ての発想の原点に、しっかりと「人間」の存在を凝視すべきである。その重みを、深く受け止めていけるような価値観を把握すべきである。形式的な論理のつじつまが合っていようと、壮大な体系で飾られていようと、どこかに「人間」を忘れ去っているような思想や、運動に対して、私たちは眩惑されない眼をもたなければなるまい。
☆イギリスのヨーク大学でIPPNW(核戦争防止国際医師会議)第22回世界大会 2017年9月6日
◇SGIが協力団体として参加 核兵器廃絶へ 高まる市民社会の役割
【ヨーク4日】IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の第22回世界大会が4日、イギリスのヨーク大学で開幕した(主催=IPPNW、Medact、ヨーク大学、ハル・ヨーク・メディカル・スクール)。これに合わせ、SGI(創価学会インタナショナル)とICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が共同制作した「核兵器なき世界への連帯」展が同大学でスタートし、開幕式にはIPPNWのティルマン・ラフ共同会長、IPPNW本部のジョン・ロレッツ・プログラム部長、ICANのベアトリス・フィン事務局長らが出席した。世界大会と連帯展は、共に6日まで行われる。
世界大会の開会を告げるスピーチに立ったIPPNWのティルマン・ラフ共同会長が、参加者一人一人に優しい口調で語り掛けた。
「約2カ月前、私たちは非常に大きな成功を遂げました。今、私が手に持っているものが、それです」
ラフ共同会長は、紙の束を高く掲げながら語気を強めた。
「(7月7日に採択された)核兵器禁止条約の条文です!」
ホール内の静寂を大きな拍手が打ち破る。
それは、核兵器廃絶を誓うIPPNWの決意の表明でもあった。生命を守る立場の医師として、人類の生存を脅かす核兵器の存在を断じて許しはしない!——と。
IPPNWの創設は1980年、東西冷戦の渦中だった。
核戦争の危険性を憂慮する、アメリカとソ連(当時)の医師7人が、「敵か味方か」という二項対立を超えて、互いに手を取り合ったのである。
広島と長崎に投下された原爆の被害の詳細なデータを基に、科学的研究を進めるチームを結成。被爆の惨状を明らかにし、政府関係者から市民社会に至るまでの幅広い層に核兵器廃絶の重要性を提唱した。
IPPNWは、創設5年の85年には60カ国20万人の医師の連帯へと発展。同年、ノーベル平和賞を受賞している。
IPPNWの世界大会は81年3月にアメリカで初めて開催され、今回のヨークでの大会で22回目。世界35カ国から、医師、医学生、医療団体をはじめNGOの代表ら約500人が参加した。「平和を通じた健康」をテーマに、平和構築、社会正義、非軍事化、核兵器廃絶への取り組みなどについて、活発な議論が交わされている。
◇池田先生とIPPNW
池田大作先生とIPPNWとの交流の始まりは30年前にさかのぼる。
1987年5月、ソ連(当時)を訪問した池田先生は"核の脅威展"の開幕式に出席。席上、IPPNWの共同創設者バーナード・ラウン会長(当時)と初の出会いを刻んだ。89年3月には東京で再会を果たし、語らいを交わした。池田先生は「両者が手を携えて、人類の幸福と安穏へ、抜苦与楽の共闘を行っていくべきだと考えています」と語っている。
また同年10月には共同創設者の一人、ミハイル・クジン会長(当時)とも会談。クジン会長は「我々は日々、患者一人一人の生命を守るために汗を流しています。しかし、もし核戦争が起きたら——それもすべて徒労となる。だから医師も核廃絶に立たねばなりません」と訴えた。
SGIとIPPNWとの交流の歴史の根底に、池田先生と2人の共同創設者が結んだ固い絆がある。
SGIはIPPNWからの呼び掛けを受け、今大会の協力団体として名を連ねた。
これまでSGIは、池田先生のリーダーシップのもと、IPPNWと共に「戦争と平和」展などの各種展示、同団体から講師を招いての講演会やシンポジウム等を開催してきた。
近年は、IPPNWによって立ち上げられた100カ国のNGO(非政府組織)からなるICANと共に、核兵器禁止条約の採択に向けて尽力してきた。
今大会の行事の一つとして開催されている「核兵器なき世界への連帯」展は、人道、環境、ジェンダーなど12の観点から核兵器の問題点を明らかにしたものである。
今回で19カ国79都市目となる連帯展の開幕式では、SGIの河合平和・人権部長があいさつ。続いてIPPNW本部のジョン・ロレッツ・プログラム部長が語り始めた。
「この展示は、自分にとって大切なものは何なのかという肯定的な問い掛けから、なぜ核兵器を廃絶しなければならないのかという理由について訴えています」
また、SGIとの長年にわたる協力関係について言及し、「私たちはSGIと手を携えてきました。その基礎には常に友情と信頼があります。さらにSGIの特筆すべき点は、青年に焦点を当てた運動であることです。SGIは青年のリーダーシップの支援と向上に力を注いできました」と、たたえた。
ICANのベアトリス・フィン事務局長は核兵器禁止条約の交渉会議において被爆者と接する中で、「核兵器の問題とは"人間に立ち返らなければならない問題"であることを感じました」と振り返りながら、信仰を基盤とするアプローチにこそ、"人間の顔"を取り戻す最も確かな力があると強調。
「宗教の視座は"人間の顔"を取り戻してくれます。また医学的アプローチは、人道的見地の基礎となっています。その両方のアプローチによって、核兵器禁止条約に向けた核軍縮の議論における勝利の決定打が生まれました。SGIは宗教的視座を、IPPNWは医学的視座を提供してくれたのです」と感謝を述べた。
実践の中でこそ育つ。
共に祈り 共に語り
一緒に行動しよう!
後輩を自分以上に!
神国王御書 P1524
『国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきかいかがしたりけん諸人の讒言ををさめて一人の余をすて給う』
☆女性に贈ることば 九月十六日
私の母は、成績については何も言わなかったが、日頃の生活習慣などには厳しかった。
小さい頃、母によく言われた。「他人に迷惑をかけてはいけな
い」「嘘をついてはいけない」と。少し大きくなってからは、「自分で決意したことは、責任をもってやり遂げなさい」という言葉が加わった。
☆今日のことば365 九月十六日
私たちは、全ての発想の原点に、しっかりと「人間」の存在を凝視すべきである。その重みを、深く受け止めていけるような価値観を把握すべきである。形式的な論理のつじつまが合っていようと、壮大な体系で飾られていようと、どこかに「人間」を忘れ去っているような思想や、運動に対して、私たちは眩惑されない眼をもたなければなるまい。
☆イギリスのヨーク大学でIPPNW(核戦争防止国際医師会議)第22回世界大会 2017年9月6日
◇SGIが協力団体として参加 核兵器廃絶へ 高まる市民社会の役割
【ヨーク4日】IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の第22回世界大会が4日、イギリスのヨーク大学で開幕した(主催=IPPNW、Medact、ヨーク大学、ハル・ヨーク・メディカル・スクール)。これに合わせ、SGI(創価学会インタナショナル)とICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が共同制作した「核兵器なき世界への連帯」展が同大学でスタートし、開幕式にはIPPNWのティルマン・ラフ共同会長、IPPNW本部のジョン・ロレッツ・プログラム部長、ICANのベアトリス・フィン事務局長らが出席した。世界大会と連帯展は、共に6日まで行われる。
世界大会の開会を告げるスピーチに立ったIPPNWのティルマン・ラフ共同会長が、参加者一人一人に優しい口調で語り掛けた。
「約2カ月前、私たちは非常に大きな成功を遂げました。今、私が手に持っているものが、それです」
ラフ共同会長は、紙の束を高く掲げながら語気を強めた。
「(7月7日に採択された)核兵器禁止条約の条文です!」
ホール内の静寂を大きな拍手が打ち破る。
それは、核兵器廃絶を誓うIPPNWの決意の表明でもあった。生命を守る立場の医師として、人類の生存を脅かす核兵器の存在を断じて許しはしない!——と。
IPPNWの創設は1980年、東西冷戦の渦中だった。
核戦争の危険性を憂慮する、アメリカとソ連(当時)の医師7人が、「敵か味方か」という二項対立を超えて、互いに手を取り合ったのである。
広島と長崎に投下された原爆の被害の詳細なデータを基に、科学的研究を進めるチームを結成。被爆の惨状を明らかにし、政府関係者から市民社会に至るまでの幅広い層に核兵器廃絶の重要性を提唱した。
IPPNWは、創設5年の85年には60カ国20万人の医師の連帯へと発展。同年、ノーベル平和賞を受賞している。
IPPNWの世界大会は81年3月にアメリカで初めて開催され、今回のヨークでの大会で22回目。世界35カ国から、医師、医学生、医療団体をはじめNGOの代表ら約500人が参加した。「平和を通じた健康」をテーマに、平和構築、社会正義、非軍事化、核兵器廃絶への取り組みなどについて、活発な議論が交わされている。
◇池田先生とIPPNW
池田大作先生とIPPNWとの交流の始まりは30年前にさかのぼる。
1987年5月、ソ連(当時)を訪問した池田先生は"核の脅威展"の開幕式に出席。席上、IPPNWの共同創設者バーナード・ラウン会長(当時)と初の出会いを刻んだ。89年3月には東京で再会を果たし、語らいを交わした。池田先生は「両者が手を携えて、人類の幸福と安穏へ、抜苦与楽の共闘を行っていくべきだと考えています」と語っている。
また同年10月には共同創設者の一人、ミハイル・クジン会長(当時)とも会談。クジン会長は「我々は日々、患者一人一人の生命を守るために汗を流しています。しかし、もし核戦争が起きたら——それもすべて徒労となる。だから医師も核廃絶に立たねばなりません」と訴えた。
SGIとIPPNWとの交流の歴史の根底に、池田先生と2人の共同創設者が結んだ固い絆がある。
SGIはIPPNWからの呼び掛けを受け、今大会の協力団体として名を連ねた。
これまでSGIは、池田先生のリーダーシップのもと、IPPNWと共に「戦争と平和」展などの各種展示、同団体から講師を招いての講演会やシンポジウム等を開催してきた。
近年は、IPPNWによって立ち上げられた100カ国のNGO(非政府組織)からなるICANと共に、核兵器禁止条約の採択に向けて尽力してきた。
今大会の行事の一つとして開催されている「核兵器なき世界への連帯」展は、人道、環境、ジェンダーなど12の観点から核兵器の問題点を明らかにしたものである。
今回で19カ国79都市目となる連帯展の開幕式では、SGIの河合平和・人権部長があいさつ。続いてIPPNW本部のジョン・ロレッツ・プログラム部長が語り始めた。
「この展示は、自分にとって大切なものは何なのかという肯定的な問い掛けから、なぜ核兵器を廃絶しなければならないのかという理由について訴えています」
また、SGIとの長年にわたる協力関係について言及し、「私たちはSGIと手を携えてきました。その基礎には常に友情と信頼があります。さらにSGIの特筆すべき点は、青年に焦点を当てた運動であることです。SGIは青年のリーダーシップの支援と向上に力を注いできました」と、たたえた。
ICANのベアトリス・フィン事務局長は核兵器禁止条約の交渉会議において被爆者と接する中で、「核兵器の問題とは"人間に立ち返らなければならない問題"であることを感じました」と振り返りながら、信仰を基盤とするアプローチにこそ、"人間の顔"を取り戻す最も確かな力があると強調。
「宗教の視座は"人間の顔"を取り戻してくれます。また医学的アプローチは、人道的見地の基礎となっています。その両方のアプローチによって、核兵器禁止条約に向けた核軍縮の議論における勝利の決定打が生まれました。SGIは宗教的視座を、IPPNWは医学的視座を提供してくれたのです」と感謝を述べた。
2017年9月15日金曜日
2017.09.15 わが友に贈る
折伏の功徳は
語る人にも 聞く人にも
無量無辺に輝き渡る。
自他共の幸福を築く
勇気と誠実の対話を!
辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』
☆女性に贈ることば 九月十五日
胸中の希望に光を注ぎ、燃えあがらせるものこそ、温かな「軌まし」ではないだろうか。
「励」ましという文字には「万」の「力」とある。まさに、人びとに「万」 の「力」をおくるものこそ、心からの「励まし」である。
☆今日のことば365 九月十五日
立派な人は
泣く事を知る
叱責することを知る
じっと忍ぶことを知る
人の悩みを知る
☆創価青年大会 宮城 師弟の福光(ひかり)で世界を照らせ! 2017年9月5日
池田先生は本年3月の東北総会で和歌を贈った。
「いざ昇れ 元初の太陽 燦々と 冬は必ず 春の福光を」
2011年の東日本大震災以来、池田先生は「福光」の二字を示し、愛する東北の友に慈愛の励ましを送り続けてきた。
6年の歩みの中で、宮城青年部は、その二字に込められた意味を学び深めた。
「福光」——それは、いかなる困難にも負けない「生命の強さ」。同時に、自身が「希望の光源」となって周囲を照らし、励ましを送り続けるとの「誓い」であると。
師と共に、不撓不屈の前進をしてきた宮城の青年たちは、この"師弟の福光"を輝かせ、地域の発展と社会の復興に挑戦。そして今、この青年大会から、対話の力であらゆる壁を破り、自他共の幸福を実現する人材城を築こうと立ち上がったのである。
◇
男子部の演目で三色旗を力強く振り続けた渡邉一馬さん(地区副リーダー)。
昨年2月、仕事中に左手の指を粉砕骨折する事故に遭った。指の切断は免れたものの"後遺症は避けられない"と医師は診断した。
しかし、池田先生や男子部の先輩からの激励に、渡邉さんは沈む心を奮い立たせ、題目根本に治療に臨んだ。その結果、左手は日常生活に支障のないほど回復。"祈りとしてかなわざるなし"の確信を深めた。
渡邉さんはこの体験をかつての同僚に語り、先月、晴れて御本尊授与を。その功徳の実証は現れ、昨年来、けがで離職していた中、大手企業の内定を勝ち取った。渡邉さんは感謝の心で、さらに折伏の波を起こそうと決意に燃える。
◇
女子部の合唱の出演者でスタッフも務めた菊地眞依子さん(華陽リーダー)。学会理解を深めた小学校時代の友人と対話を継続中だ。
以前、ある仏法対話の席で、菊地さんは知人の否定的な反応に自信を失ったことがあった。そんな中、今回の青年大会の出演の話が。他の出演者が懸命に対話に挑む姿に、負けじ魂が燃えた。"弱い自分に負けるものか!"。
小学校時代の友人には、"背伸びせず、ありのままの姿で"と決め、仕事の悩みを信心で乗り越えた体験や、彼女の幸せを祈っていることを素直に語った。
すると友人は「私のことを祈ってくれていたんだね。私も眞依ちゃんのことを祈りたい」と。真心が通じた瞬間だった。2人は今、悩みを分かち合いながら、手を取り合って前に進む。
石巻出身の菊地さんは、東日本大震災によって自宅が全壊。現在は仙台市内の復興公営住宅で両親と暮らす。大会では、どんな大変な時も支えてくれる親への感謝を込めた。
「大会本番は、皆と心が一つになった宝の一日でした。これからも池田先生の心を胸に、励ましを送る太陽になります!」
◇
学生部の木下陸央さん(グループ長)は、特別支援学校の教師を目指し、日々奮闘する。
小学生の時、友人関係の悩みをきっかけに、池田先生の『希望対話』を読んだ。身近で語り掛けるような先生の言葉に、勇気が湧くのを感じた。以来、"先生のような人になりたい"と思い描くように。
高校卒業後、県内の教育大学に進学。一人の可能性を信じ抜く師の姿を最高の模範として、仏法対話に挑戦。今大会前に弘教を実らせた。「生涯、挑戦者の精神で、池田先生にお応えできる教育者に成長します!」
語る人にも 聞く人にも
無量無辺に輝き渡る。
自他共の幸福を築く
勇気と誠実の対話を!
辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』
☆女性に贈ることば 九月十五日
胸中の希望に光を注ぎ、燃えあがらせるものこそ、温かな「軌まし」ではないだろうか。
「励」ましという文字には「万」の「力」とある。まさに、人びとに「万」 の「力」をおくるものこそ、心からの「励まし」である。
☆今日のことば365 九月十五日
立派な人は
泣く事を知る
叱責することを知る
じっと忍ぶことを知る
人の悩みを知る
☆創価青年大会 宮城 師弟の福光(ひかり)で世界を照らせ! 2017年9月5日
池田先生は本年3月の東北総会で和歌を贈った。
「いざ昇れ 元初の太陽 燦々と 冬は必ず 春の福光を」
2011年の東日本大震災以来、池田先生は「福光」の二字を示し、愛する東北の友に慈愛の励ましを送り続けてきた。
6年の歩みの中で、宮城青年部は、その二字に込められた意味を学び深めた。
「福光」——それは、いかなる困難にも負けない「生命の強さ」。同時に、自身が「希望の光源」となって周囲を照らし、励ましを送り続けるとの「誓い」であると。
師と共に、不撓不屈の前進をしてきた宮城の青年たちは、この"師弟の福光"を輝かせ、地域の発展と社会の復興に挑戦。そして今、この青年大会から、対話の力であらゆる壁を破り、自他共の幸福を実現する人材城を築こうと立ち上がったのである。
◇
男子部の演目で三色旗を力強く振り続けた渡邉一馬さん(地区副リーダー)。
昨年2月、仕事中に左手の指を粉砕骨折する事故に遭った。指の切断は免れたものの"後遺症は避けられない"と医師は診断した。
しかし、池田先生や男子部の先輩からの激励に、渡邉さんは沈む心を奮い立たせ、題目根本に治療に臨んだ。その結果、左手は日常生活に支障のないほど回復。"祈りとしてかなわざるなし"の確信を深めた。
渡邉さんはこの体験をかつての同僚に語り、先月、晴れて御本尊授与を。その功徳の実証は現れ、昨年来、けがで離職していた中、大手企業の内定を勝ち取った。渡邉さんは感謝の心で、さらに折伏の波を起こそうと決意に燃える。
◇
女子部の合唱の出演者でスタッフも務めた菊地眞依子さん(華陽リーダー)。学会理解を深めた小学校時代の友人と対話を継続中だ。
以前、ある仏法対話の席で、菊地さんは知人の否定的な反応に自信を失ったことがあった。そんな中、今回の青年大会の出演の話が。他の出演者が懸命に対話に挑む姿に、負けじ魂が燃えた。"弱い自分に負けるものか!"。
小学校時代の友人には、"背伸びせず、ありのままの姿で"と決め、仕事の悩みを信心で乗り越えた体験や、彼女の幸せを祈っていることを素直に語った。
すると友人は「私のことを祈ってくれていたんだね。私も眞依ちゃんのことを祈りたい」と。真心が通じた瞬間だった。2人は今、悩みを分かち合いながら、手を取り合って前に進む。
石巻出身の菊地さんは、東日本大震災によって自宅が全壊。現在は仙台市内の復興公営住宅で両親と暮らす。大会では、どんな大変な時も支えてくれる親への感謝を込めた。
「大会本番は、皆と心が一つになった宝の一日でした。これからも池田先生の心を胸に、励ましを送る太陽になります!」
◇
学生部の木下陸央さん(グループ長)は、特別支援学校の教師を目指し、日々奮闘する。
小学生の時、友人関係の悩みをきっかけに、池田先生の『希望対話』を読んだ。身近で語り掛けるような先生の言葉に、勇気が湧くのを感じた。以来、"先生のような人になりたい"と思い描くように。
高校卒業後、県内の教育大学に進学。一人の可能性を信じ抜く師の姿を最高の模範として、仏法対話に挑戦。今大会前に弘教を実らせた。「生涯、挑戦者の精神で、池田先生にお応えできる教育者に成長します!」
2017年9月14日木曜日
2017.09.14 わが友に贈る
個人会館・会場は
地域広布の宝城だ。
使用時は駐輪・駐車
外での立ち話など
近隣に細心の配慮を!
守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』
☆女性に贈ることば 九月十四日
人問、「肌身で感じる」「生命で感じる」といった経験を通してしか、学べないものがある。
単なる知識だけなら、本を読んだりして、一人で学べるかもしれないが、人間にとって最も大切な生きる力は、自発的な体験や、人と人との触れあいのなかでこそ養われるものだ。
☆今日のことば365 九月十四日
静かな音楽に聞き入るときは、大海原の深さ、広さに思いをはせる。そこからふたたび現実のさまざまな問題をば、冷静にみつめ、未来を考えるゆとりが得られた。
−−音楽は、私たちに新たな勇気と限りない夢と力を与えてくれるのではなかろうか。
☆創価青年大会 山形 皆が主役、皆が人材。桜梅桃李の光彩(かがやき)放て 2017年9月5日
山形総県の青年大会は「桜梅桃李の光彩——山形の心が、世界を明るくする」をテーマに行われた。
「桜梅桃李」——山形の同志の胸にはいつも、池田先生が示した、この仏法の精神が響いている。それは、厳冬を越えた百花繚乱の春に先生を迎えた第1回山形県総会(1983年〈昭和58年〉4月18日)。
この時、先生は北国の広布に生きゆく、けなげな同志に語り掛けた。「桜梅桃李の原理のごとく、だれ人が見ていようが見ていまいが、あくまでも妙法につつまれて自分らしく生きていくことが大事なのである」
皆が主役、皆が人材。自分らしく輝くことを説いた「桜梅桃李」の精神は、世代を超え、今、青年たちの心に刻まれている。
◇
「大好きな庄内の地で広布の使命を果たします!」
こう語るのは齋藤雄一さん(男子部本部長)。現在、地元の金融機関の本店で働きながら大学院で学ぶ。
信心強盛な両親のもとに生まれた。発心のきっかけは、就職直後に父・勇さんが余命半年の宣告を受けたことだった。母・光代さんと共に御本尊に祈った。創価班大学校にも入校し、初めての弘教も実らせた。
成長した齋藤さんの姿を喜んでくれた父は、約2年も寿命を延ばし、10・2「世界平和の日」に霊山へ。その旅立ちは齋藤さんにとって、世界広布の使命と期待を託されたと感じられてならないものだった。
「両親や同志、そして池田先生への感謝を胸に、今いる場所で、国際社会に貢献できる人間に成長していきます!」。齋藤さんは今年も「10・2」を目指して、仕事に、学会活動に、全力で走り抜く。
◇
女子部の鶴巻寿さん(地区副リーダー)は、高校2年の時、進行性の神経疾患との診断を受けた。徐々に足に力が入らなくなり、車いすの生活に。
皆と同じことができない悔しさ、心ない言葉を掛けられる悲しさ——心を閉ざしたくなる自分に、同志はいつも寄り添い、立ち向かう勇気をくれた。
鶴巻さんは、真剣に題目を上げ、仕事と学会活動に全力で挑戦。4年前には、アビリンピック(障害者技能競技大会)のDTP(パソコンでデザイン、レイアウトを行う)種目で全国2位の「銀賞」を受賞するなど、次々と実証を示した。
現在、新たな治療法やリハビリに励みながら、技能にいっそうの磨きをかける。「できないことを嘆くのではなく、全てを前向きに」と語る鶴巻さん。
大会の舞台では、駆け付けた同僚や友人を前に、自分らしく輝く姿で勝利の歌声を響かせていた。
◇
学生部の先輩と共に、折伏に挑んで大会当日を迎えた西堀公聖さん(ビクトリー・リーダー)。今までの学生生活にない充実感が湧き、その喜びをありのままに語り抜いた。
対話を続ける友人が見守る中、西堀さんは、報恩感謝の人生を歩む決意を和傘の演舞に込めた。
地域広布の宝城だ。
使用時は駐輪・駐車
外での立ち話など
近隣に細心の配慮を!
守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』
☆女性に贈ることば 九月十四日
人問、「肌身で感じる」「生命で感じる」といった経験を通してしか、学べないものがある。
単なる知識だけなら、本を読んだりして、一人で学べるかもしれないが、人間にとって最も大切な生きる力は、自発的な体験や、人と人との触れあいのなかでこそ養われるものだ。
☆今日のことば365 九月十四日
静かな音楽に聞き入るときは、大海原の深さ、広さに思いをはせる。そこからふたたび現実のさまざまな問題をば、冷静にみつめ、未来を考えるゆとりが得られた。
−−音楽は、私たちに新たな勇気と限りない夢と力を与えてくれるのではなかろうか。
☆創価青年大会 山形 皆が主役、皆が人材。桜梅桃李の光彩(かがやき)放て 2017年9月5日
山形総県の青年大会は「桜梅桃李の光彩——山形の心が、世界を明るくする」をテーマに行われた。
「桜梅桃李」——山形の同志の胸にはいつも、池田先生が示した、この仏法の精神が響いている。それは、厳冬を越えた百花繚乱の春に先生を迎えた第1回山形県総会(1983年〈昭和58年〉4月18日)。
この時、先生は北国の広布に生きゆく、けなげな同志に語り掛けた。「桜梅桃李の原理のごとく、だれ人が見ていようが見ていまいが、あくまでも妙法につつまれて自分らしく生きていくことが大事なのである」
皆が主役、皆が人材。自分らしく輝くことを説いた「桜梅桃李」の精神は、世代を超え、今、青年たちの心に刻まれている。
◇
「大好きな庄内の地で広布の使命を果たします!」
こう語るのは齋藤雄一さん(男子部本部長)。現在、地元の金融機関の本店で働きながら大学院で学ぶ。
信心強盛な両親のもとに生まれた。発心のきっかけは、就職直後に父・勇さんが余命半年の宣告を受けたことだった。母・光代さんと共に御本尊に祈った。創価班大学校にも入校し、初めての弘教も実らせた。
成長した齋藤さんの姿を喜んでくれた父は、約2年も寿命を延ばし、10・2「世界平和の日」に霊山へ。その旅立ちは齋藤さんにとって、世界広布の使命と期待を託されたと感じられてならないものだった。
「両親や同志、そして池田先生への感謝を胸に、今いる場所で、国際社会に貢献できる人間に成長していきます!」。齋藤さんは今年も「10・2」を目指して、仕事に、学会活動に、全力で走り抜く。
◇
女子部の鶴巻寿さん(地区副リーダー)は、高校2年の時、進行性の神経疾患との診断を受けた。徐々に足に力が入らなくなり、車いすの生活に。
皆と同じことができない悔しさ、心ない言葉を掛けられる悲しさ——心を閉ざしたくなる自分に、同志はいつも寄り添い、立ち向かう勇気をくれた。
鶴巻さんは、真剣に題目を上げ、仕事と学会活動に全力で挑戦。4年前には、アビリンピック(障害者技能競技大会)のDTP(パソコンでデザイン、レイアウトを行う)種目で全国2位の「銀賞」を受賞するなど、次々と実証を示した。
現在、新たな治療法やリハビリに励みながら、技能にいっそうの磨きをかける。「できないことを嘆くのではなく、全てを前向きに」と語る鶴巻さん。
大会の舞台では、駆け付けた同僚や友人を前に、自分らしく輝く姿で勝利の歌声を響かせていた。
◇
学生部の先輩と共に、折伏に挑んで大会当日を迎えた西堀公聖さん(ビクトリー・リーダー)。今までの学生生活にない充実感が湧き、その喜びをありのままに語り抜いた。
対話を続ける友人が見守る中、西堀さんは、報恩感謝の人生を歩む決意を和傘の演舞に込めた。
2017年9月13日水曜日
2017.09.13 わが友に贈る
真の祈りとは誓願なり。
「必ずこうしてみせる!」
その強き一念から
人間革命の劇は始まる。
大確認の唱題を朗々と!
富木入道殿御返事 P955
『此北国佐渡の国に下著候て後二月は寒風頻に吹て霜雪更に降ざる時はあれども日の光をば見ることなし、八寒を現身に感ず、人の心は禽獣に同じく主師親を知らず何に況や仏法の邪正師の善悪は思もよらざるをや』
☆女性に贈ることば 九月十三日
学びゆく女性は、幸福への世界を広げる。
学びゆく女性は、人生の正しき行路を知ることができる。
☆今日のことば365 九月十三日
結局は 人生とは自分自身との
戦いの連続であるかもしれない
そのなかに不幸は襲い
幸福は安住している
☆池田先生のメッセージ 2017年9月4日
◇青年の連帯と行動こそ不可能を可能にする力
一、「平和の世紀」を開きゆく青春には、澄み切った青空のような清新なる希望がある。
「人道の世界」を築きゆく人生には、どこまでも広がる大海原のような金波銀波の連帯がある。
常に新時代の暁鐘を打ち鳴らす神奈川の天地で、初の開催となる「青年不戦サミット」、誠におめでとう!
ご来賓の先生方、ご多忙のところ、私どもの神奈川文化会館へようこそお越しくださいました。
地元・神奈川、また広島・長崎・沖縄をはじめ、各方面の男女青年部のリーダー、そしてSGI青年部の代表の皆さん、本当にありがとう!
我らの恩師・戸田城聖先生が1957年の9月8日、「原水爆禁止宣言」を発表した横浜・三ツ沢の競技場へ、先ほど、SGIの皆さんが足を運び、60周年の意義を深く刻んでくれたことも、うれしく伺っております。
"世界の民衆の生存の権利を断じて守らねばならない!"との恩師の叫びを胸に、時代変革の行動を巻き起こしてきた、若き世界市民の尊き奮闘とスクラムを、戸田先生がどれほどお喜びでありましょうか。
このサミットの開催を記念して、日本と世界の各地から勇んで集った、わが青年部の全員の名前を「創価21世紀不戦グループ」としてとどめ、次の70周年、また80周年、さらには100周年へ、平和の新潮流を私は託したいと思いますが、皆、どうだろうか!(大拍手)
一、本年7月、国連で「核兵器禁止条約」がついに採択されました。
核兵器の使用や威嚇はもとより、開発から保有に至るまで、いかなる例外も認めることなく禁止する画期的な条約です。
この成立の最大の推進力となったのは、被爆者の方々の切なる訴えであり、市民社会が粘り強く声を上げ続けてきたことにほかなりませんでした。
国連での交渉会議で、市民社会の参加者が座った席は、後方でした。しかし、ある国の代表が称賛したように、"尊敬の最前列にある"と言われるほどの貢献を果たしてきたのです。
戸田先生の宣言を原点に、私たちも、被爆者証言集の出版や、世界各地での"核の脅威展"の開催をはじめ、青年部の皆さんが2010年に取り組んだ「核兵器禁止条約」の制定を求める227万人の署名や、2014年に推進した「核兵器廃絶」を求める512万人の署名など、若き力で、たゆまぬ挑戦を続けてきました。
そして時を経て、世界の市民社会による力強い後押しによって、「核兵器禁止条約」が成立を見たのであります。
条約の実現へリーダーシップを担ってこられた、市民社会のネットワーク組織である「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のベアトリス・フィン事務局長は深い理解の声を寄せてくださっております。
すなわち、「たとえ希望が見いだせず、人々が諦めそうになった困難な時代にあっても、SGIが立ち上がるエネルギーと勇気を発揮し続けてきたことに多大な啓発を受けるのです」と。
核兵器の廃絶を目指して、尊き青春の大情熱を注いでこられたフィン事務局長は、「人々が一緒になれば、本当に多くのことが可能となり、本当に素晴らしいことができるのです」とも語られていました。
まさしく、民衆が連帯し、青年の力で行動の波を起こしていけば、必ず"不可能を可能にする力"が生み出されるのです。
一、いよいよ今月20日から、核兵器禁止条約への署名が始まります。条約の早期発効を導き、核兵器廃絶の流れを大きく前進させるためにも、民衆の連帯をさらに広げていくことを、私は念願してやみません。
「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」
これは、私が対談した大歴史学者トインビー博士の一つの結論でありました。すなわち、「人間革命」を起点として「世界平和」への波動を起こしていくのであります。
この中核を担い、世界の民衆の「生存の権利」を揺るぎなく確立する、歴史的な使命を果たし抜く存在こそ、皆さん方、青年であります。
今回のサミットが、互いの尊き使命を確認し合い、「核兵器のない世界」への偉大な挑戦への新たな出発の場となることを念願し、私のメッセージといたします。(大拍手)
「必ずこうしてみせる!」
その強き一念から
人間革命の劇は始まる。
大確認の唱題を朗々と!
富木入道殿御返事 P955
『此北国佐渡の国に下著候て後二月は寒風頻に吹て霜雪更に降ざる時はあれども日の光をば見ることなし、八寒を現身に感ず、人の心は禽獣に同じく主師親を知らず何に況や仏法の邪正師の善悪は思もよらざるをや』
☆女性に贈ることば 九月十三日
学びゆく女性は、幸福への世界を広げる。
学びゆく女性は、人生の正しき行路を知ることができる。
☆今日のことば365 九月十三日
結局は 人生とは自分自身との
戦いの連続であるかもしれない
そのなかに不幸は襲い
幸福は安住している
☆池田先生のメッセージ 2017年9月4日
◇青年の連帯と行動こそ不可能を可能にする力
一、「平和の世紀」を開きゆく青春には、澄み切った青空のような清新なる希望がある。
「人道の世界」を築きゆく人生には、どこまでも広がる大海原のような金波銀波の連帯がある。
常に新時代の暁鐘を打ち鳴らす神奈川の天地で、初の開催となる「青年不戦サミット」、誠におめでとう!
ご来賓の先生方、ご多忙のところ、私どもの神奈川文化会館へようこそお越しくださいました。
地元・神奈川、また広島・長崎・沖縄をはじめ、各方面の男女青年部のリーダー、そしてSGI青年部の代表の皆さん、本当にありがとう!
我らの恩師・戸田城聖先生が1957年の9月8日、「原水爆禁止宣言」を発表した横浜・三ツ沢の競技場へ、先ほど、SGIの皆さんが足を運び、60周年の意義を深く刻んでくれたことも、うれしく伺っております。
"世界の民衆の生存の権利を断じて守らねばならない!"との恩師の叫びを胸に、時代変革の行動を巻き起こしてきた、若き世界市民の尊き奮闘とスクラムを、戸田先生がどれほどお喜びでありましょうか。
このサミットの開催を記念して、日本と世界の各地から勇んで集った、わが青年部の全員の名前を「創価21世紀不戦グループ」としてとどめ、次の70周年、また80周年、さらには100周年へ、平和の新潮流を私は託したいと思いますが、皆、どうだろうか!(大拍手)
一、本年7月、国連で「核兵器禁止条約」がついに採択されました。
核兵器の使用や威嚇はもとより、開発から保有に至るまで、いかなる例外も認めることなく禁止する画期的な条約です。
この成立の最大の推進力となったのは、被爆者の方々の切なる訴えであり、市民社会が粘り強く声を上げ続けてきたことにほかなりませんでした。
国連での交渉会議で、市民社会の参加者が座った席は、後方でした。しかし、ある国の代表が称賛したように、"尊敬の最前列にある"と言われるほどの貢献を果たしてきたのです。
戸田先生の宣言を原点に、私たちも、被爆者証言集の出版や、世界各地での"核の脅威展"の開催をはじめ、青年部の皆さんが2010年に取り組んだ「核兵器禁止条約」の制定を求める227万人の署名や、2014年に推進した「核兵器廃絶」を求める512万人の署名など、若き力で、たゆまぬ挑戦を続けてきました。
そして時を経て、世界の市民社会による力強い後押しによって、「核兵器禁止条約」が成立を見たのであります。
条約の実現へリーダーシップを担ってこられた、市民社会のネットワーク組織である「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のベアトリス・フィン事務局長は深い理解の声を寄せてくださっております。
すなわち、「たとえ希望が見いだせず、人々が諦めそうになった困難な時代にあっても、SGIが立ち上がるエネルギーと勇気を発揮し続けてきたことに多大な啓発を受けるのです」と。
核兵器の廃絶を目指して、尊き青春の大情熱を注いでこられたフィン事務局長は、「人々が一緒になれば、本当に多くのことが可能となり、本当に素晴らしいことができるのです」とも語られていました。
まさしく、民衆が連帯し、青年の力で行動の波を起こしていけば、必ず"不可能を可能にする力"が生み出されるのです。
一、いよいよ今月20日から、核兵器禁止条約への署名が始まります。条約の早期発効を導き、核兵器廃絶の流れを大きく前進させるためにも、民衆の連帯をさらに広げていくことを、私は念願してやみません。
「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」
これは、私が対談した大歴史学者トインビー博士の一つの結論でありました。すなわち、「人間革命」を起点として「世界平和」への波動を起こしていくのであります。
この中核を担い、世界の民衆の「生存の権利」を揺るぎなく確立する、歴史的な使命を果たし抜く存在こそ、皆さん方、青年であります。
今回のサミットが、互いの尊き使命を確認し合い、「核兵器のない世界」への偉大な挑戦への新たな出発の場となることを念願し、私のメッセージといたします。(大拍手)
2017年9月12日火曜日
2017.09.12 わが友に贈る
「人材育成の秋」到来!
伝統の教学試験へ
受験者に真心の応援を。
共に御書を心肝に染め
広布への誓いを新たに!
盂蘭盆御書 P1430
『我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん』
☆女性に贈ることば 九月十二日
人生は、外見や美貌で、また財産や資産などで、幸福が決まるのではない。
その人自身の宿命転換の力と、その人のもつ生命の福運で決まる。
☆今日のことば365 九月十二日
どこの国でも
少年は
希望にもえて 勉強している
一家も 社会も
少年が成長して
はじめて
価値ある 花が咲くのだ
☆世界広布新時代第27回本部幹部会 SGI青年研修会 全国学生部大会から(要旨) 原田稔会長 2017年9月8日
◇「創価学会会憲」を制定
◇団結固く世界宗教へ雄飛
◇一人立つ勇気で拡大の金字塔を
一、「世界広布新時代第27回本部幹部会」ならびに「全国学生部大会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、SGI理事会の皆さんや青年研修会の皆さんをはじめ、55カ国・地域から280人のSGIメンバーも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心から歓迎申し上げます。
一、初めに「創価学会会憲」の制定について申し上げます。すでに聖教新聞(2日付)でも詳細が報じられている通り、このたび、創価学会の根本規範に当たる"会の憲法"ともいうべき会憲が、最高指導会議ならびに参議会の諮問を経て、総務会にて可決・制定されました。
現在、創価学会は池田先生を中心に、先生と各国リーダーとの師弟の絆によって、世界教団として、その教義や目的を同じくし、基本的な部分で統一的な運営が図られています。これを将来にわたって、三代会長のご指導・ご精神を根幹として、正しく継承し、発展させていかねばなりません。
そこで、創価学会の根本的な規範を明文化し、創価学会総本部が世界各国を指導する世界教団としての体制を構築するために、このたび、池田先生にご報告を申し上げ、ご了解をいただいて、三代会長のご指導を根幹とし、先生が築かれた総本部を中心とする世界教団としての統一的なルールを「創価学会会憲」として制定した次第であります。
池田先生は、小説『新・人間革命』に、つづってくださっています。
「『創価学会仏』たる根本条件は、広宣流布への異体同心の団結にある」と。
今回の会憲制定で、学会が世界宗教へと雄飛する体制は、より強固なものとなりました。私たちは、どこまでも永遠の師匠・池田先生のご指導を根本に、全世界が異体同心の団結で、御本仏の御遺命たる一閻浮提広宣流布を断行していきたい。本日から、その決意も新たに出発していこうではありませんか(拍手)。
師との絆を胸に後継が陸続と
一、さて、この8月、ペルー、ブラジル、メキシコを訪問させていただきました。
ペルーの国立サンマルコス大学と、ブラジルのバレンサ大学からの池田先生への名誉博士号授与、メキシコでの「核兵器なき世界への連帯」展の開幕、また、各国の総会・幹部会など、池田先生の入信70周年を祝賀する諸行事を大成功で終えることができました。
このたびの訪問を通じて改めて実感したのは、「師弟不二の精神に勝る人材育成の源泉はない」という一点です。
例えばメキシコには、池田先生は5度、訪れています。
1965年(昭和40年)、第一歩をしるされた際に先生を出迎えた一人、ヨシヒト・タナカさんは当時20歳。勤務先の倒産など宿命の嵐を勝ち越え、今は150人の社員を抱える、自動車部品の販売を手掛ける会社の社長として活躍。メキシコ創価学会の副理事長としても広布の最前線を走っています。約1000人を収容できる個人会館を建設し、今回、メキシコ総会が開催されたのも、聖教新聞でご覧の通り、"世界一の個人会館"タナカ栄光会館でした。
また74年、給油のためのワンストップ時、空港で未来部を代表して先生に花束を贈呈したフェルナンド・ゴンサーレスさんは、当時8歳。後にメキシコの男子部長を務めるまで成長し、今は実業家として奮闘しています。
81年、子どもを身ごもった状態で空港に駆け付けた草創の婦人部幹部ファナ・レイバさんは、先生の滞在中に男の子を出産。誕生の報告を聞かれた先生は、その子に「ダイサク」と名前を贈られました。このダイサク・レイバさんも後にメキシコ男子部長を務め、今はメキシコ創価学会の職員として尽力。彼の妹のカネコ・レイバさんは鼓笛部長を経て、今は副女子部長として、またプロのフルート奏者として活躍しています。
実は、84年の4回目の訪問で先生は、空港で歓迎の横断幕を持っていた男の子を抱き上げ、激励されましたが、その男の子こそ、ほかならぬダイサク・レイバさんでした。
96年の訪問でも、先生は、ベラクルスの空港で花束を手渡した9歳のマユミ・エルナンデスさんを激励。「大きくなったら日本にいらっしゃい」との先生からの一言を胸に、彼女は大学院を修了して大手石油会社に就職。女子部のリーダーとして来日し、先生との約束を果たしました。その後、女子部本部長として活躍。今はヤング・ミセスで、1歳の男の子を育てながらメキシコ広布に奮闘しています。
このように、池田先生と一瞬の出会いを結んだ子どもたち、未来部、青年部が、今、メキシコ創価学会の中核をなしています。否、メキシコのみならず世界中で、先生によって、まかれた種が成長し、見事な花を咲かせる時を迎えているのです。
皆、決して、何か特別だったわけでもなければ、今日まで順風満帆だったわけでもありません。周りの同志や家族が、その使命を信じ抜き、師匠との絆を絶えず教え、そして本人が、その大恩に報いようと求道心をもって立ち上がったからこそ、誰もが持つ無限の可能性が発揮されたのです。
かつて池田先生は、つづられました。
「日本の創価学会を見て、"すごいな。別世界のようだ"と思っているかもしれないが、30年前は、戸田先生お一人であった。そして、先生と、弟子の私で、壮大な広宣流布の流れを開いたのだ。その師弟の精神がわかれば、どの国の広宣流布も大きく進む。要は、"一人立つ人間"がいるかどうかだ」と。
まさに今、その「一人立つ人間」の陣列によって、絢爛たる世界広布新時代が開かれているのです。
一、いよいよ教学部任用試験(仏法入門)の申し込みも始まりました。「人材育成の秋」「対話拡大の秋」の到来です。
私たちは、まず自分自身が一人立ち、勇気の対話、誠実の対話で、使命深き地涌の眷属を呼びいだしていきたい。
池田先生が、戸田先生と出会われて70年。その戸田先生が夢に見たメキシコでは、世界初の非核兵器地帯条約が調印されたトラテロルコという歴史的な地に、このほど原水爆禁止宣言60周年記念の文字を刻む銘板が設置されました。メキシコの同志が、長年にわたり、師弟共戦で、信頼と対話を広げてきたがゆえに実現したものです。
明年の「1・2」は、池田先生が、90歳のお誕生日、卒寿を迎えられます。
折伏の師匠・池田先生に報恩の誠を示すには、弟子の折伏・弘教しかありません。今この時、私たちもまた、師弟勝利の金字塔を打ち立てていこうではありませんか(拍手)。
伝統の教学試験へ
受験者に真心の応援を。
共に御書を心肝に染め
広布への誓いを新たに!
盂蘭盆御書 P1430
『我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん』
☆女性に贈ることば 九月十二日
人生は、外見や美貌で、また財産や資産などで、幸福が決まるのではない。
その人自身の宿命転換の力と、その人のもつ生命の福運で決まる。
☆今日のことば365 九月十二日
どこの国でも
少年は
希望にもえて 勉強している
一家も 社会も
少年が成長して
はじめて
価値ある 花が咲くのだ
☆世界広布新時代第27回本部幹部会 SGI青年研修会 全国学生部大会から(要旨) 原田稔会長 2017年9月8日
◇「創価学会会憲」を制定
◇団結固く世界宗教へ雄飛
◇一人立つ勇気で拡大の金字塔を
一、「世界広布新時代第27回本部幹部会」ならびに「全国学生部大会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、SGI理事会の皆さんや青年研修会の皆さんをはじめ、55カ国・地域から280人のSGIメンバーも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心から歓迎申し上げます。
一、初めに「創価学会会憲」の制定について申し上げます。すでに聖教新聞(2日付)でも詳細が報じられている通り、このたび、創価学会の根本規範に当たる"会の憲法"ともいうべき会憲が、最高指導会議ならびに参議会の諮問を経て、総務会にて可決・制定されました。
現在、創価学会は池田先生を中心に、先生と各国リーダーとの師弟の絆によって、世界教団として、その教義や目的を同じくし、基本的な部分で統一的な運営が図られています。これを将来にわたって、三代会長のご指導・ご精神を根幹として、正しく継承し、発展させていかねばなりません。
そこで、創価学会の根本的な規範を明文化し、創価学会総本部が世界各国を指導する世界教団としての体制を構築するために、このたび、池田先生にご報告を申し上げ、ご了解をいただいて、三代会長のご指導を根幹とし、先生が築かれた総本部を中心とする世界教団としての統一的なルールを「創価学会会憲」として制定した次第であります。
池田先生は、小説『新・人間革命』に、つづってくださっています。
「『創価学会仏』たる根本条件は、広宣流布への異体同心の団結にある」と。
今回の会憲制定で、学会が世界宗教へと雄飛する体制は、より強固なものとなりました。私たちは、どこまでも永遠の師匠・池田先生のご指導を根本に、全世界が異体同心の団結で、御本仏の御遺命たる一閻浮提広宣流布を断行していきたい。本日から、その決意も新たに出発していこうではありませんか(拍手)。
師との絆を胸に後継が陸続と
一、さて、この8月、ペルー、ブラジル、メキシコを訪問させていただきました。
ペルーの国立サンマルコス大学と、ブラジルのバレンサ大学からの池田先生への名誉博士号授与、メキシコでの「核兵器なき世界への連帯」展の開幕、また、各国の総会・幹部会など、池田先生の入信70周年を祝賀する諸行事を大成功で終えることができました。
このたびの訪問を通じて改めて実感したのは、「師弟不二の精神に勝る人材育成の源泉はない」という一点です。
例えばメキシコには、池田先生は5度、訪れています。
1965年(昭和40年)、第一歩をしるされた際に先生を出迎えた一人、ヨシヒト・タナカさんは当時20歳。勤務先の倒産など宿命の嵐を勝ち越え、今は150人の社員を抱える、自動車部品の販売を手掛ける会社の社長として活躍。メキシコ創価学会の副理事長としても広布の最前線を走っています。約1000人を収容できる個人会館を建設し、今回、メキシコ総会が開催されたのも、聖教新聞でご覧の通り、"世界一の個人会館"タナカ栄光会館でした。
また74年、給油のためのワンストップ時、空港で未来部を代表して先生に花束を贈呈したフェルナンド・ゴンサーレスさんは、当時8歳。後にメキシコの男子部長を務めるまで成長し、今は実業家として奮闘しています。
81年、子どもを身ごもった状態で空港に駆け付けた草創の婦人部幹部ファナ・レイバさんは、先生の滞在中に男の子を出産。誕生の報告を聞かれた先生は、その子に「ダイサク」と名前を贈られました。このダイサク・レイバさんも後にメキシコ男子部長を務め、今はメキシコ創価学会の職員として尽力。彼の妹のカネコ・レイバさんは鼓笛部長を経て、今は副女子部長として、またプロのフルート奏者として活躍しています。
実は、84年の4回目の訪問で先生は、空港で歓迎の横断幕を持っていた男の子を抱き上げ、激励されましたが、その男の子こそ、ほかならぬダイサク・レイバさんでした。
96年の訪問でも、先生は、ベラクルスの空港で花束を手渡した9歳のマユミ・エルナンデスさんを激励。「大きくなったら日本にいらっしゃい」との先生からの一言を胸に、彼女は大学院を修了して大手石油会社に就職。女子部のリーダーとして来日し、先生との約束を果たしました。その後、女子部本部長として活躍。今はヤング・ミセスで、1歳の男の子を育てながらメキシコ広布に奮闘しています。
このように、池田先生と一瞬の出会いを結んだ子どもたち、未来部、青年部が、今、メキシコ創価学会の中核をなしています。否、メキシコのみならず世界中で、先生によって、まかれた種が成長し、見事な花を咲かせる時を迎えているのです。
皆、決して、何か特別だったわけでもなければ、今日まで順風満帆だったわけでもありません。周りの同志や家族が、その使命を信じ抜き、師匠との絆を絶えず教え、そして本人が、その大恩に報いようと求道心をもって立ち上がったからこそ、誰もが持つ無限の可能性が発揮されたのです。
かつて池田先生は、つづられました。
「日本の創価学会を見て、"すごいな。別世界のようだ"と思っているかもしれないが、30年前は、戸田先生お一人であった。そして、先生と、弟子の私で、壮大な広宣流布の流れを開いたのだ。その師弟の精神がわかれば、どの国の広宣流布も大きく進む。要は、"一人立つ人間"がいるかどうかだ」と。
まさに今、その「一人立つ人間」の陣列によって、絢爛たる世界広布新時代が開かれているのです。
一、いよいよ教学部任用試験(仏法入門)の申し込みも始まりました。「人材育成の秋」「対話拡大の秋」の到来です。
私たちは、まず自分自身が一人立ち、勇気の対話、誠実の対話で、使命深き地涌の眷属を呼びいだしていきたい。
池田先生が、戸田先生と出会われて70年。その戸田先生が夢に見たメキシコでは、世界初の非核兵器地帯条約が調印されたトラテロルコという歴史的な地に、このほど原水爆禁止宣言60周年記念の文字を刻む銘板が設置されました。メキシコの同志が、長年にわたり、師弟共戦で、信頼と対話を広げてきたがゆえに実現したものです。
明年の「1・2」は、池田先生が、90歳のお誕生日、卒寿を迎えられます。
折伏の師匠・池田先生に報恩の誠を示すには、弟子の折伏・弘教しかありません。今この時、私たちもまた、師弟勝利の金字塔を打ち立てていこうではありませんか(拍手)。
2017年9月11日月曜日
2017.09.11 わが友に贈る
新聞休刊日
佐渡御書P957
『外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云』
☆女性に贈ることば 九月十一日
遠く離れた他国の人も、身近の人も、同じ人間である。
他者の苦しみに胸を痛める、同苦の心。
他者の幸福を願う、やむにやまれぬ祈りの心。
この女性の心が、世界に友情を広げる「心の国際化」の扉を開く。
☆今日のことば365 九月十一日
真実の友情は利己主義や、独善の支配している人間のなかには芽ばえない。たえず、自分を反省し、成長を図り、同時に、友を思い、ときには自分を犠牲にしても相手の幸福を願っていくところにこそ、真の友情はあるといえよう。
☆世界広布新時代第27回本部幹部会から 池田先生のメッセージ 2017年9月3日
◇「大法弘通」の時は来た
一、世界へ、未来へ、広々と開かれた「正義」と「平和」の港・神奈川での本部幹部会、おめでとう!
「SGIの青年研修会」、さらに「全国学生部大会」も誠におめでとう!
広宣流布の行動は、最も地道でありながら、最も壮大な夢を広げゆく、究極のロマンであります。
ここ鶴見をはじめ、横浜、さらに神奈川は、わが草創の同志との忘れ得ぬ師弟共戦の天地です。
66年前の9月より、私は戸田先生から鶴見支部市場地区の御書講義の担当に任じられ、この地に通いました。愛すべき同志は、経済苦や病などとの闘いを抱えていた。私は一軒一軒、家庭訪問に回り、「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経」(御書1143ページ)等の御文を一緒に拝しつつ、折伏に走りました。
その折々に励まし合ったことは、「今は散々、悪口を言われているけれども、いずれ世界中から地涌の菩薩が続々と集い、世間があっと驚く時が必ず来る」ということです。まさしく今、その通りになっているではありませんか!(大拍手)
私は、生死を超えて結ばれた共戦の宝友たちを偲びながら、ここに颯爽と集ってくれた世界55カ国・地域の青年リーダーを、全国の同志と共に熱烈に大歓迎したい。若い皆さん方が、万難を排して、よくぞ広布のために来日してくれました。ありがとう! 本当にありがとう!(大拍手)
一、60年前の9月、戸田先生が、神奈川を選んで「原水爆禁止宣言」を発表する準備を進められている折、先生と二人で拝した御聖訓があります。
それは、「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(同1467ページ)との仰せであります。
すなわち末法の濁り切った悪世には、人々の心の貪欲(貪り)と瞋恚(瞋り)と愚癡(愚かさ)が増大する一方で、善なる生命力は衰弱してしまう。
しかし、その救い難い時代の危機さえも本源的に打開できる哲理が、妙法である。ゆえに、妙法を受持し、流布しゆく我らには、臆するものなどない。
戸田先生は、「この御書は、御本仏が、我ら創価学会を一閻浮提広宣流布のために、地球上に呼び出してくださった御金言だよ」と言われました。
「一閻浮提」、すなわち全世界が打ち乱れ、核兵器という最大の魔性の産物まで生み出された「大悪」の時だからこそ、我らは、民衆の大地から一人また一人と、地涌の菩薩を涌出させるのだ。どんな不幸の無明も照らし晴らす「元品の法性」という生命の太陽を赫々と昇らせていくのだ。そして「一閻浮提広宣流布」即「世界平和」という「大善」の道を、断固として切り開こうではないか。ここに、創価の師弟が貫き通してきた大誓願があります。
私は、この御聖訓を、新出発のわが男女学生部、また、日本さらに世界のわが青年部に託します。
どうか、広布と青春の途上に何が競い起ころうとも、「大悪は大善の来るべき瑞相なり」と大確信に燃え、いやまして勇敢に立ち向かってください。
◇体験に勝るものなし
一、大悪を乗り切るだけではない。さらには、大善にまで転ずることができる。いな、断じて転じてみせる。これが、他の思想哲学の次元を遥かに凌駕した、日蓮仏法の正義のダイナミズムであります。
創立の父・牧口先生も、「たとえば病気が治るだけではない。以前よりももっと健康になるのが、変毒為薬の妙法である」と弟子を激励されました。
「現証」「実証」「体験」に勝るものはありません。
うれしいことに今、日本中、世界中で青年たちが仏法を実践し、目覚ましい成長を遂げ、人間革命してくれている晴れ姿こそ、何よりの希望の光です。
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
この創価の師弟が掲げた主題に連なって、わが後継の友は一人ももれなく、自らの誓いの舞台で「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)の題目を唱え、いよいよ人間革命の実証を勝ち飾っていただきたい。
そして、不思議なる「大法弘通」の時を迎えた今、一人でも多くの新たな地涌の友を誕生させながら、「慈折広宣流布」という幸福と平和の大潮流を起こしていっていただきたい。
そう私は、強く祈り、念じつつ、小説『新・人間革命』の総仕上げとなる第30巻を、日々、書き進めています。
一、さあ、共々に「地よりか涌きたる我なれば この世で果たさん使命あり」と胸を張り、人間革命の栄光の暁鐘を打ち鳴らしていこうではないか!
愛する皆さんのご家族に、また各国・各地に、安穏あれ! 繁栄あれ!と申し上げ、私のメッセージといたします。
題目を送ります。皆、お元気で!(大拍手)
☆御書と歩む 第80回 求道のドラマを共々に
『法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』(土籠御書、1213ページ)
◇通解
他の人が法華経を読むのは口ばかりで、言葉の上だけでは読んでも、心では読まない。また、心で読んでも身で読まない。あなたが色心の二法にわたって法華経を読まれたことは尊いことである。
◇同志への指針
信心は観念ではない。現実をよりよく変えゆく挑戦であり、実践である。
広宣流布への行動の中で御書を拝するのだ。学会は御書を身で読み切ってきたからこそ、大発展したのである。
この誉れの「行学の二道」に今、世界中の求道の同志が取り組んでいる。共に祈り、共に学び、共に成長する——日々、御書を繙き、人間革命のドラマを綴りゆこう!
佐渡御書P957
『外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云』
☆女性に贈ることば 九月十一日
遠く離れた他国の人も、身近の人も、同じ人間である。
他者の苦しみに胸を痛める、同苦の心。
他者の幸福を願う、やむにやまれぬ祈りの心。
この女性の心が、世界に友情を広げる「心の国際化」の扉を開く。
☆今日のことば365 九月十一日
真実の友情は利己主義や、独善の支配している人間のなかには芽ばえない。たえず、自分を反省し、成長を図り、同時に、友を思い、ときには自分を犠牲にしても相手の幸福を願っていくところにこそ、真の友情はあるといえよう。
☆世界広布新時代第27回本部幹部会から 池田先生のメッセージ 2017年9月3日
◇「大法弘通」の時は来た
一、世界へ、未来へ、広々と開かれた「正義」と「平和」の港・神奈川での本部幹部会、おめでとう!
「SGIの青年研修会」、さらに「全国学生部大会」も誠におめでとう!
広宣流布の行動は、最も地道でありながら、最も壮大な夢を広げゆく、究極のロマンであります。
ここ鶴見をはじめ、横浜、さらに神奈川は、わが草創の同志との忘れ得ぬ師弟共戦の天地です。
66年前の9月より、私は戸田先生から鶴見支部市場地区の御書講義の担当に任じられ、この地に通いました。愛すべき同志は、経済苦や病などとの闘いを抱えていた。私は一軒一軒、家庭訪問に回り、「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経」(御書1143ページ)等の御文を一緒に拝しつつ、折伏に走りました。
その折々に励まし合ったことは、「今は散々、悪口を言われているけれども、いずれ世界中から地涌の菩薩が続々と集い、世間があっと驚く時が必ず来る」ということです。まさしく今、その通りになっているではありませんか!(大拍手)
私は、生死を超えて結ばれた共戦の宝友たちを偲びながら、ここに颯爽と集ってくれた世界55カ国・地域の青年リーダーを、全国の同志と共に熱烈に大歓迎したい。若い皆さん方が、万難を排して、よくぞ広布のために来日してくれました。ありがとう! 本当にありがとう!(大拍手)
一、60年前の9月、戸田先生が、神奈川を選んで「原水爆禁止宣言」を発表する準備を進められている折、先生と二人で拝した御聖訓があります。
それは、「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(同1467ページ)との仰せであります。
すなわち末法の濁り切った悪世には、人々の心の貪欲(貪り)と瞋恚(瞋り)と愚癡(愚かさ)が増大する一方で、善なる生命力は衰弱してしまう。
しかし、その救い難い時代の危機さえも本源的に打開できる哲理が、妙法である。ゆえに、妙法を受持し、流布しゆく我らには、臆するものなどない。
戸田先生は、「この御書は、御本仏が、我ら創価学会を一閻浮提広宣流布のために、地球上に呼び出してくださった御金言だよ」と言われました。
「一閻浮提」、すなわち全世界が打ち乱れ、核兵器という最大の魔性の産物まで生み出された「大悪」の時だからこそ、我らは、民衆の大地から一人また一人と、地涌の菩薩を涌出させるのだ。どんな不幸の無明も照らし晴らす「元品の法性」という生命の太陽を赫々と昇らせていくのだ。そして「一閻浮提広宣流布」即「世界平和」という「大善」の道を、断固として切り開こうではないか。ここに、創価の師弟が貫き通してきた大誓願があります。
私は、この御聖訓を、新出発のわが男女学生部、また、日本さらに世界のわが青年部に託します。
どうか、広布と青春の途上に何が競い起ころうとも、「大悪は大善の来るべき瑞相なり」と大確信に燃え、いやまして勇敢に立ち向かってください。
◇体験に勝るものなし
一、大悪を乗り切るだけではない。さらには、大善にまで転ずることができる。いな、断じて転じてみせる。これが、他の思想哲学の次元を遥かに凌駕した、日蓮仏法の正義のダイナミズムであります。
創立の父・牧口先生も、「たとえば病気が治るだけではない。以前よりももっと健康になるのが、変毒為薬の妙法である」と弟子を激励されました。
「現証」「実証」「体験」に勝るものはありません。
うれしいことに今、日本中、世界中で青年たちが仏法を実践し、目覚ましい成長を遂げ、人間革命してくれている晴れ姿こそ、何よりの希望の光です。
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
この創価の師弟が掲げた主題に連なって、わが後継の友は一人ももれなく、自らの誓いの舞台で「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)の題目を唱え、いよいよ人間革命の実証を勝ち飾っていただきたい。
そして、不思議なる「大法弘通」の時を迎えた今、一人でも多くの新たな地涌の友を誕生させながら、「慈折広宣流布」という幸福と平和の大潮流を起こしていっていただきたい。
そう私は、強く祈り、念じつつ、小説『新・人間革命』の総仕上げとなる第30巻を、日々、書き進めています。
一、さあ、共々に「地よりか涌きたる我なれば この世で果たさん使命あり」と胸を張り、人間革命の栄光の暁鐘を打ち鳴らしていこうではないか!
愛する皆さんのご家族に、また各国・各地に、安穏あれ! 繁栄あれ!と申し上げ、私のメッセージといたします。
題目を送ります。皆、お元気で!(大拍手)
☆御書と歩む 第80回 求道のドラマを共々に
『法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』(土籠御書、1213ページ)
◇通解
他の人が法華経を読むのは口ばかりで、言葉の上だけでは読んでも、心では読まない。また、心で読んでも身で読まない。あなたが色心の二法にわたって法華経を読まれたことは尊いことである。
◇同志への指針
信心は観念ではない。現実をよりよく変えゆく挑戦であり、実践である。
広宣流布への行動の中で御書を拝するのだ。学会は御書を身で読み切ってきたからこそ、大発展したのである。
この誉れの「行学の二道」に今、世界中の求道の同志が取り組んでいる。共に祈り、共に学び、共に成長する——日々、御書を繙き、人間革命のドラマを綴りゆこう!
2017.09.10 わが友に贈る
◇今週のことば
さあ 躍動の座談会だ。
一人一人に光を当て
生き生きと体験を語れ!
「自他共に喜ぶ」
生命の賛歌を賑やかに!
2017年9月10日
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』
☆女性に贈ることば 九月十日
いかなる邸宅に住もうが、貧しい小さいあばら屋に住もうが、母は母である。
母の慈愛の大きさと力と行動が、真実の心の邸宅の大きさである。
☆今日のことば365 九月十日
仕事に不満を持つ人は敗北者である。それは、環境に支配されきっているからだ。どんな環境にあっても、そこを楽しい世界にかえてゆく人こそ、人生の勝利者といい得るのである。
☆原水爆禁止宣言60周年 原点の神奈川で 世界広布新時代第27回本部幹部会
◇世界平和へ「大善」の道を進め
◇池田先生がメッセージ 原田会長、永石婦人部長が海外の友、各部の代表と出席 SGI青年研修会 全国学生部大会も
◇「生命の太陽」を昇らせゆく 慈折広布の大潮流
「世界広布新時代第27回本部幹部会」が2日午後、「SGI(創価学会インタナショナル)青年研修会」「全国学生部大会」の意義を込め、横浜市鶴見区の神奈川池田記念講堂で晴れやかに開催された。これには原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長が各部の代表、研修会で来日した55カ国・地域280人の友と出席した。池田大作先生はメッセージ(3面に掲載)を贈り、心から祝福。日本中、世界中で青年たちが目覚ましい成長を遂げ、人間革命している姿を喜びつつ、「大法弘通」の時を迎えた今こそ「生命の太陽」を昇らせ、新たな地涌の友を誕生させながら、「慈折広宣流布」という幸福と平和の大潮流を起こそうと呼び掛けた。(2・3面に関連記事。全国中継は7日から10日〈中継の会場と時間は各県・区で決定〉)
朝方まで降り続いていた雨がうそのよう。
快晴の空から燦々と降り注ぐ陽光が、神奈川池田記念講堂に続々と集まってきた青年たちを明るく照らしていた。60年前のあの日と同じように——。
それは、1957年(昭和32年)の9月8日。台風一過の晴天に恵まれる中、横浜・三ツ沢の競技場で、青年部の東日本体育大会「若人の祭典」が開かれた日である。
席上、創価学会第2代会長の戸田城聖先生は5万人の青年らを前に「原水爆禁止宣言」を発表した。
核兵器の奥に潜む生命の魔性の"爪"を、もぎ取りたい!
民衆の生存の権利を脅かす魔物を、断じて許してはならぬ!
この思想を広めることこそ、青年の使命である!——と。
競技場に響きわたった烈々たる言々句々。時間にしてわずか3分40秒。だがそこには、恒久平和実現を誓う、火を吐くような気迫が凝縮していた。戸田先生はこの宣言を「遺訓の第一」として、池田先生をはじめ青年たちに託したのである。
池田先生は、恩師の精神を世界に宣揚し続けてきた。そして今、日本中、世界中で、後継の青年たちが平和の連帯を広げている。
池田先生は本部幹部会に寄せたメッセージの中で、若き日に御書講義に通った横浜・鶴見の地での思い出を述懐。経済苦や病などと闘う同志たちと、折々に「いずれ世界中から地涌の菩薩が続々と集い、世間があっと驚く時が必ず来る」と励まし合った日々を振り返った。
そして、「まさしく今、その通りになっているではありませんか!」と呼び掛けると、講堂を埋め尽くした日本と世界の同志たちは笑顔を輝かせ、力強い拍手で応えた。
本年は学生部結成60周年の佳節でもある。「全国学生部大会」の意義も込められた幹部会には、世界各地で平和の哲学を広げる英才たちの姿もあった。
◇地よりか涌きたる我なれば この世で果たさん使命あり
◇人間革命の栄光の暁鐘を打ち鳴らせ
「混迷を深める社会にあって、創価の人間主義の哲理が、いやまして希求される時代が到来したのです」。イギリスのガブリエレ・ウエストヘッド女子学生部長は力を込める。
近年、欧州各地で頻発する凶悪犯罪や悲惨なテロ事件。その中で学生部の友は、"生命尊厳の哲学こそ希望の光源"との信念で、信頼と友情を結ぶ対話の花を咲かせてきた。さらに「SGIの日」記念提言を徹して学び、あらゆる機会に研究発表を。また男子部・女子部とも連携して平和意識調査を実施した。「さらなる対話の大波を起こします!」と、ウエストヘッドさんは決意を新たにする。
一方、アメリカ学生部では近年、「核兵器なき世界」を目指す運動を多角的に展開。約85のキャンパスで4万5000人の友に理解の輪を広げた。この献身的な運動が各界から高く評価され、NPT(核拡散防止条約)に関連する会議などに招待されるまでに。
グレイディ・テッシュ学生部長は誓う。「若き熱と力で、平和の世紀を築きます!」
アジアでも、知勇兼備の人材の活躍が目覚ましい。
シンガポール創価学会(SSA)学生部はこれまで、展示会や講演会に総力を。先日開催したシンポジウムでは「原水爆禁止宣言」に込められた"核兵器は絶対悪"等の平和思想を訴えた。すると500人の来場者から反響が。ある大学の識者は「グローバル化が進展する昨今、学生が連帯を広げ、平和へのメッセージを発信する意義は極めて大きい」と称賛の声を寄せた。
謝明輝学生部長は語る。「先駆の使命を胸に、幸福のスクラムを広げます!」
池田先生はかつて、随筆につづった。
「『生命尊厳』を掲げる若き旗手の英知と勇気がある限り、平和の連帯は広がる。核兵器なき世界、戦争なき地球の明日へ、断固と進むのだ」
平和の地球を我らの勇気で! 平和の地球を世界の友と!
師弟共戦の天地・神奈川から、栄光の船出を開始する本部幹部会では、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介。
次に、SGIの青年を代表して、2人のリーダーが活動体験を披露した。アメリカのマイケル・オマーリー男子部長は明年秋の「青年5万人の結集」を目指して、拡大の勢いが増す様子を報告。韓国の崔?賢女子部長は、各部一体の前進によって、本年、1万5000人の新入会者が誕生した喜びを語った。
音楽隊・神奈川吹奏楽団の演奏に続き、新任の藤原学生部長、渡邉女子学生部長が、行学の二道に先駆ける清新な決意を表明した。
竹岡青年部長は各地の創価青年大会が感動と共感を広げている模様に触れつつ、自身の曽祖母の体験を紹介。広島で原爆の被害に遭った後、折伏を受け、入会し、自身と一家を見事に蘇生させたエピソードを通しながら、「青年部は、相手の心に響く、生き生きとした確信の声で、この仏法を語り抜いていきます」と語った。
原田会長は世界教団としての体制を確立するため、このほど「創価学会会憲」を制定したことに言及。次いで先月訪れたペルー、ブラジル、メキシコにおける広布伸展のドラマや、池田先生の激励によって後継の青年たちが陸続と育っている模様を語りつつ、「師弟不二の精神に勝る、人材育成の源泉はない」と強調した。そして、この師の闘争に続き、まず自らが一人立ち、勇気と誠実の対話で勝利の金字塔を打ち立てていこうと訴えた。
続いて「原水爆禁止宣言」60周年の記念映像を視聴。最後に学会歌「誓いの青年よ」を皆で大合唱した。
さあ 躍動の座談会だ。
一人一人に光を当て
生き生きと体験を語れ!
「自他共に喜ぶ」
生命の賛歌を賑やかに!
2017年9月10日
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』
☆女性に贈ることば 九月十日
いかなる邸宅に住もうが、貧しい小さいあばら屋に住もうが、母は母である。
母の慈愛の大きさと力と行動が、真実の心の邸宅の大きさである。
☆今日のことば365 九月十日
仕事に不満を持つ人は敗北者である。それは、環境に支配されきっているからだ。どんな環境にあっても、そこを楽しい世界にかえてゆく人こそ、人生の勝利者といい得るのである。
☆原水爆禁止宣言60周年 原点の神奈川で 世界広布新時代第27回本部幹部会
◇世界平和へ「大善」の道を進め
◇池田先生がメッセージ 原田会長、永石婦人部長が海外の友、各部の代表と出席 SGI青年研修会 全国学生部大会も
◇「生命の太陽」を昇らせゆく 慈折広布の大潮流
「世界広布新時代第27回本部幹部会」が2日午後、「SGI(創価学会インタナショナル)青年研修会」「全国学生部大会」の意義を込め、横浜市鶴見区の神奈川池田記念講堂で晴れやかに開催された。これには原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長が各部の代表、研修会で来日した55カ国・地域280人の友と出席した。池田大作先生はメッセージ(3面に掲載)を贈り、心から祝福。日本中、世界中で青年たちが目覚ましい成長を遂げ、人間革命している姿を喜びつつ、「大法弘通」の時を迎えた今こそ「生命の太陽」を昇らせ、新たな地涌の友を誕生させながら、「慈折広宣流布」という幸福と平和の大潮流を起こそうと呼び掛けた。(2・3面に関連記事。全国中継は7日から10日〈中継の会場と時間は各県・区で決定〉)
朝方まで降り続いていた雨がうそのよう。
快晴の空から燦々と降り注ぐ陽光が、神奈川池田記念講堂に続々と集まってきた青年たちを明るく照らしていた。60年前のあの日と同じように——。
それは、1957年(昭和32年)の9月8日。台風一過の晴天に恵まれる中、横浜・三ツ沢の競技場で、青年部の東日本体育大会「若人の祭典」が開かれた日である。
席上、創価学会第2代会長の戸田城聖先生は5万人の青年らを前に「原水爆禁止宣言」を発表した。
核兵器の奥に潜む生命の魔性の"爪"を、もぎ取りたい!
民衆の生存の権利を脅かす魔物を、断じて許してはならぬ!
この思想を広めることこそ、青年の使命である!——と。
競技場に響きわたった烈々たる言々句々。時間にしてわずか3分40秒。だがそこには、恒久平和実現を誓う、火を吐くような気迫が凝縮していた。戸田先生はこの宣言を「遺訓の第一」として、池田先生をはじめ青年たちに託したのである。
池田先生は、恩師の精神を世界に宣揚し続けてきた。そして今、日本中、世界中で、後継の青年たちが平和の連帯を広げている。
池田先生は本部幹部会に寄せたメッセージの中で、若き日に御書講義に通った横浜・鶴見の地での思い出を述懐。経済苦や病などと闘う同志たちと、折々に「いずれ世界中から地涌の菩薩が続々と集い、世間があっと驚く時が必ず来る」と励まし合った日々を振り返った。
そして、「まさしく今、その通りになっているではありませんか!」と呼び掛けると、講堂を埋め尽くした日本と世界の同志たちは笑顔を輝かせ、力強い拍手で応えた。
本年は学生部結成60周年の佳節でもある。「全国学生部大会」の意義も込められた幹部会には、世界各地で平和の哲学を広げる英才たちの姿もあった。
◇地よりか涌きたる我なれば この世で果たさん使命あり
◇人間革命の栄光の暁鐘を打ち鳴らせ
「混迷を深める社会にあって、創価の人間主義の哲理が、いやまして希求される時代が到来したのです」。イギリスのガブリエレ・ウエストヘッド女子学生部長は力を込める。
近年、欧州各地で頻発する凶悪犯罪や悲惨なテロ事件。その中で学生部の友は、"生命尊厳の哲学こそ希望の光源"との信念で、信頼と友情を結ぶ対話の花を咲かせてきた。さらに「SGIの日」記念提言を徹して学び、あらゆる機会に研究発表を。また男子部・女子部とも連携して平和意識調査を実施した。「さらなる対話の大波を起こします!」と、ウエストヘッドさんは決意を新たにする。
一方、アメリカ学生部では近年、「核兵器なき世界」を目指す運動を多角的に展開。約85のキャンパスで4万5000人の友に理解の輪を広げた。この献身的な運動が各界から高く評価され、NPT(核拡散防止条約)に関連する会議などに招待されるまでに。
グレイディ・テッシュ学生部長は誓う。「若き熱と力で、平和の世紀を築きます!」
アジアでも、知勇兼備の人材の活躍が目覚ましい。
シンガポール創価学会(SSA)学生部はこれまで、展示会や講演会に総力を。先日開催したシンポジウムでは「原水爆禁止宣言」に込められた"核兵器は絶対悪"等の平和思想を訴えた。すると500人の来場者から反響が。ある大学の識者は「グローバル化が進展する昨今、学生が連帯を広げ、平和へのメッセージを発信する意義は極めて大きい」と称賛の声を寄せた。
謝明輝学生部長は語る。「先駆の使命を胸に、幸福のスクラムを広げます!」
池田先生はかつて、随筆につづった。
「『生命尊厳』を掲げる若き旗手の英知と勇気がある限り、平和の連帯は広がる。核兵器なき世界、戦争なき地球の明日へ、断固と進むのだ」
平和の地球を我らの勇気で! 平和の地球を世界の友と!
師弟共戦の天地・神奈川から、栄光の船出を開始する本部幹部会では、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介。
次に、SGIの青年を代表して、2人のリーダーが活動体験を披露した。アメリカのマイケル・オマーリー男子部長は明年秋の「青年5万人の結集」を目指して、拡大の勢いが増す様子を報告。韓国の崔?賢女子部長は、各部一体の前進によって、本年、1万5000人の新入会者が誕生した喜びを語った。
音楽隊・神奈川吹奏楽団の演奏に続き、新任の藤原学生部長、渡邉女子学生部長が、行学の二道に先駆ける清新な決意を表明した。
竹岡青年部長は各地の創価青年大会が感動と共感を広げている模様に触れつつ、自身の曽祖母の体験を紹介。広島で原爆の被害に遭った後、折伏を受け、入会し、自身と一家を見事に蘇生させたエピソードを通しながら、「青年部は、相手の心に響く、生き生きとした確信の声で、この仏法を語り抜いていきます」と語った。
原田会長は世界教団としての体制を確立するため、このほど「創価学会会憲」を制定したことに言及。次いで先月訪れたペルー、ブラジル、メキシコにおける広布伸展のドラマや、池田先生の激励によって後継の青年たちが陸続と育っている模様を語りつつ、「師弟不二の精神に勝る、人材育成の源泉はない」と強調した。そして、この師の闘争に続き、まず自らが一人立ち、勇気と誠実の対話で勝利の金字塔を打ち立てていこうと訴えた。
続いて「原水爆禁止宣言」60周年の記念映像を視聴。最後に学会歌「誓いの青年よ」を皆で大合唱した。
2017年9月9日土曜日
2017.09.09 わが友に贈る
桜梅桃李の仏法だ。
人にはそれぞれ
越えるべき壁がある。
果たすべき使命がある。
励まし合って前進!
当体義抄送状 P519
『経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり』
☆女性に贈ることば 九月九日
いかなる困難があろうが、ひとつひとつ地道に努力し、そして待つことである。
希望を決して失わずに、時を知り、時をつくり、時を待つことです。必ずや、勝利の時は訪れる。
☆今日のことば365 九月九日
いずれの人、いずれの国でも、哲学をもたないものはない。思想をもたない人生は、舵のない船のようなものである。
☆総県長会議での原田会長の指導(要旨) 2017年9月2日
◇世界宗教へ雄飛する「時」 友人参加の座談会・任用試験・未来部育成に全力
一、ペルー、ブラジル、メキシコと、中南米での行程を一切無事故で終え、帰国いたしました。池田先生に大きく見守っていただく中で、「8・24」ご入信70周年を祝賀する顕彰、各国の総会・幹部会など、全ての行事を大成功で終えることができました(大拍手)。
各国ともに、青年を先頭にメンバーが躍動し、広布拡大の息吹に満ちあふれておりました。学会の永遠性を確立する今この時、私たちも世界広布新時代の拡大を、勢いよく進めていきたいと思います。
◇根本規範を明文化
一、その意味からも本日は、はじめに「創価学会会憲」についてお伝えさせていただきます。
このたび、池田先生にご報告申し上げ、ご了解をいただき、世界教団たる創価学会の根本規範となる、会の憲法ともいうべき「創価学会会憲」を、本日の総務会で制定いたしました。
改めて言うまでもなく、世界広布の礎は全て池田先生が築いてくださいました。先生は第3代会長就任直後の1960年(昭和35年)10月、初の海外指導に出発されて以来、妙法の種を全世界に蒔き続けてこられました。192カ国・地域にまで広布が伸展したのは、まさに先生お一人の大激闘の賜であります。
その成り立ちを振り返れば、世界各国の組織は、創価学会の地区や支部として発足し、発展してきたものであり、創価学会はもともと、各国の組織や団体から構成される世界教団でありました。
その創価学会が、未来と世界に向かって、さらなる発展を遂げるためには、三代会長のご指導・ご精神を根幹に、それを正しく継承し、発展させていくことが不可欠です。そして、そのためには、創価学会の根本的な規範を明文化し、創価学会総本部が世界各国を指導する世界教団としての体制を構築していくことが、必要となってきます。
そこで、このたび、三代会長のご指導を根幹とし、先生が築かれた総本部を中心とする世界教団としての統一的なルールを、創価学会の根本規範たる「創価学会会憲」として制定したものであります。この会憲については、本日のSGI常任理事会、同じくSGI理事会でも発表され、全会一致で承認されました。
私どもは、先生のご指導のもと、世界広布新時代を迎えた2013年(平成25年)以降、広宣流布大誓堂落慶、大聖人の仏法の本義に立ち返った教義条項や三代会長のご指導・ご精神を根幹とする前文への会則改正、創価学会勤行要典の制定など、創価学会の未来と世界を見据え、世界宗教にふさわしい創価学会の宗教的独自性の確立に取り組んでまいりました。
今回の会憲の制定により、創価学会が世界宗教へと雄飛する体制が、より強固なものとなりました。私たちは、どこまでも広宣流布の永遠の師匠である池田先生のご指導を根本に、世界の同志との異体同心の団結をもって、広宣流布を断行していきたい。その決意も深く、本日より、世界広布新時代の前進を加速させてまいりたい。
◇友情の種が開花
一、記念すべき8月24日付の聖教新聞1面を飾ったのは、南米最古の名門学府である、ペルー国立サンマルコス大学からの先生への名誉博士号授与式でした。
思い起こせば、先生の同大学初訪問は1974年(昭和49年)。私も随行させていただきましたが、当時の様子は小説『新・人間革命』第19巻「凱歌」の章に描かれています。日本を発って20日間、連日の激闘から、先生の体調は全く優れず、発熱で足元もおぼつかないほどでした。ふらつかれる先生の腕をとった私は、思わず「先生、今日の大学訪問は中止にしましょう」と申し上げました。
しかし先生は、言下に否定されました。「そんなことはできない! 総長は、大学の在り方について深く考えられ、私と話をしようと、待っておられるんだ。何があってもお伺いするのが、人間の信義じゃないか」と。
そして気迫を振り絞るように、一歩一歩、歩みを進められたのであります。大学での会見は大成功に終わりましたが、翌日の大学行事は代理を立てられ、先生は宿舎で安静にされていました。
その夜、突然、ゲバラ総長が、宿舎にお見舞いに来られました。さらに、お見舞いを終えた総長を、奥さまがホテルの中庭の外まで見送ると、道路ぎわに止めてある車のそばには、総長夫人がたたずんでいらっしゃいました。先生を疲れさせてしまうと気遣い、夫人は外で待っておられたのです。この時のお二人の感動の抱擁は小説に描かれている通りです。
この感動的な出会いから7年後の81年(同56年)、ゲバラ夫妻も来日され、サンマルコス大学の名誉教授称号が先生に授与されたのであります。南北アメリカ大陸からは第1号、モスクワ大学に続いて世界から贈られた第2号となる名誉学術称号となりました。
ゲバラ博士は2000年(平成12年)に90歳で亡くなられるまで先生を敬愛され続け、SGIのイベントにも数多く参加されました。ゲバラ夫人は今回の式典への参加を楽しみにしておられましたが、残念ながら体調を崩され、出席できませんでした。笠貫SGI女性部長が自宅にお見舞いに伺うと、ことのほか喜んでくださり、先生・奥さまへの変わらぬ熱い思いを語ってくださいました。
まさに、池田先生が命懸けで蒔いてくださった信義と友情の種が、今、大きく花開き、顕彰が相次ぎ、ペルー広布が大前進している。その勝利の実証に、胸を熱くした次第です。
一、今回、ペルーにはアサト理事長、ブラジルにはシラトリ理事長と、新任のリーダーも誕生しました。
実は、2人には共通の原点があります。それは01年(同13年)9月12日。あの「9・11」同時多発テロ事件の翌日です。この日に帰国予定だった青年研修会メンバーは、数日間の足止めを余儀なくされました。
池田先生は、この日、モンゴル大使との会見に彼らを同席させました。研修に加え、2人は個人的にも、先生との劇的な出会いを深めたのであります。
一緒にカメラに納まった2人に、先生は万感の思いで語り掛けられました。「ここに集った君たちこそ真実の『世界平和の希望』です」「偉大なる広宣流布の指導者に成長していただきたい」と。この原点を胸に戦い続けてきた池田門下生が、まさに各国の広布の指導者として、新たなスタートを切ったのです。
本日も、新任のリーダーが数多く誕生しました。今この時、広布のリーダーとして先生と共に戦えることこそ、最高の誉れです。私たちも自身の原点を再確認し、誓いも新たに、広布拡大にまい進していきたい。
◇折伏のうねりを
一、この夏の最高協議会で先生は「今、新たな仏縁拡大のチャンスを迎えた」「いよいよ強く朗らかな折伏精神で、妙法を渇仰する民衆の心田に仏種を植え、地涌の人材を林立させようではないか!」と呼び掛けられました。
世界広布の本陣・日本で戦う私たちこそが、明年の「11・18」広宣流布大誓堂完成5周年への世帯増・部員増を目指し、折伏の大波を起こしていきたい。
後半戦に入り、VODの番組「名物もつ煮 三代目奮闘記」が好評を博し、各地から入会決意につながったとの喜びの声が届いています。
また、聖教新聞PR版も発行されますが、毎日の聖教紙面の体験談は、大きな感動を呼んでいます。
先生が「体験こそ力だ。体験こそ喜びだ。御書に『一切は現証には如かず』と仰せである。自信満々に語ることだ」と教えてくださった通り、広布拡大の最大の推進力は「体験」にあります。
VODや聖教新聞の体験はもとより、中でも最も納得と共感を生むのは、座談会での実感こもる体験談であり、直接の語らいです。
広宣流布大誓堂完成5周年への拡大戦、まずは本年の「11・18」に向けて、さらに明年の「1・2」、先生の卒寿のお誕生日をお祝いすべく、VODの活用、聖教新聞の拡大とともに友人参加の座談会を推進し、皆で体験を語りながら、歓喜の折伏を進めてまいりたい。
併せて教学部任用試験(仏法入門)の申し込みが始まっております。本年も地区2人以上の合格を目指し、会友受験に総力を挙げて取り組んでいきたい。
一、先日の随筆に「『学会の永遠性の確立』の急所は、まぎれもなく、未来部の育成にある」とつづられた通り、未来部の激励・育成にこれまで以上に力を入れる意味から、任用試験については本年より、中等部員も受験対象となります。
これは、高等部員に対しては任用試験を通じて各部一体での激励の機会が増える中、それに比べると中等部員への激励の機会が少ないのではないか、といった声に応えるとともに、インターネットなどで玉石混交の情報が飛び交う今、中等部時代から学会への正しい認識をもつことが重要であるとの観点から、受験対象を拡大したものです。こまやかな配慮のもと、丁寧に進めていきたい。
一、本年から、11月に行われる「七五三勤行会」にも、これまで以上に力を入れていきたい。
少子社会の中で、一般的にも、七五三をはじめとする子どもの行事への関心が高くなっており、諸行事には祖父母を含め、家族で参加する形が増えております。学会にあっても、新年勤行会とともに、未入会家族が会館での七五三勤行会に参加するケースも増えてきました。
そこで、未入会のお子さんも、また未入会の親や祖父母も、気楽に参加できるよう、丁寧に声掛けをしていきたい。
"未来部の一人一人を最敬礼の心で励ましたい"との先生の心をわが心として、未来部育成に総力を挙げていきたいと思います。
一、現在、広布部員の申し込みを進めていただいております。本当にありがとうございます。
御書に「ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん」(1231ページ)と仰せの通り、財務の功徳は、計り知れません。一人でも多くの方が、福運と喜びあふれる財務となるよう、無事故・大成功を真剣に祈り、誠実・丁寧に進めていきたいと思います。
◇連続勝利で前進
一、いよいよ、創価学会がさらなる世界宗教へと雄飛する、重要な時を迎えました。
池田先生は9月号の「大白蓮華」の講義で、「今、私どもは新たな決意で、あの地へ、この地へ、妙法という『平和の種』を蒔き、あの友へ、この友へ、『希望の光』を届け、一人からまた一人へと、広宣流布の黄金の波を広げていこう」と呼び掛けてくださいました。
広布の波を広げてこそ、学会のリーダーであり、本物の弟子であります。下半期の折伏・弘教も、聖教拡大も、任用試験の会友受験も、まず私たちリーダーから、率先の行動を起こしてまいりたい。
創価学会の素晴らしさ、池田先生の偉大さを堂々と語りながら、拡大の結果をもって、後半戦も連続勝利の歴史を開きゆこうではありませんか!(大拍手)
人にはそれぞれ
越えるべき壁がある。
果たすべき使命がある。
励まし合って前進!
当体義抄送状 P519
『経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり』
☆女性に贈ることば 九月九日
いかなる困難があろうが、ひとつひとつ地道に努力し、そして待つことである。
希望を決して失わずに、時を知り、時をつくり、時を待つことです。必ずや、勝利の時は訪れる。
☆今日のことば365 九月九日
いずれの人、いずれの国でも、哲学をもたないものはない。思想をもたない人生は、舵のない船のようなものである。
☆総県長会議での原田会長の指導(要旨) 2017年9月2日
◇世界宗教へ雄飛する「時」 友人参加の座談会・任用試験・未来部育成に全力
一、ペルー、ブラジル、メキシコと、中南米での行程を一切無事故で終え、帰国いたしました。池田先生に大きく見守っていただく中で、「8・24」ご入信70周年を祝賀する顕彰、各国の総会・幹部会など、全ての行事を大成功で終えることができました(大拍手)。
各国ともに、青年を先頭にメンバーが躍動し、広布拡大の息吹に満ちあふれておりました。学会の永遠性を確立する今この時、私たちも世界広布新時代の拡大を、勢いよく進めていきたいと思います。
◇根本規範を明文化
一、その意味からも本日は、はじめに「創価学会会憲」についてお伝えさせていただきます。
このたび、池田先生にご報告申し上げ、ご了解をいただき、世界教団たる創価学会の根本規範となる、会の憲法ともいうべき「創価学会会憲」を、本日の総務会で制定いたしました。
改めて言うまでもなく、世界広布の礎は全て池田先生が築いてくださいました。先生は第3代会長就任直後の1960年(昭和35年)10月、初の海外指導に出発されて以来、妙法の種を全世界に蒔き続けてこられました。192カ国・地域にまで広布が伸展したのは、まさに先生お一人の大激闘の賜であります。
その成り立ちを振り返れば、世界各国の組織は、創価学会の地区や支部として発足し、発展してきたものであり、創価学会はもともと、各国の組織や団体から構成される世界教団でありました。
その創価学会が、未来と世界に向かって、さらなる発展を遂げるためには、三代会長のご指導・ご精神を根幹に、それを正しく継承し、発展させていくことが不可欠です。そして、そのためには、創価学会の根本的な規範を明文化し、創価学会総本部が世界各国を指導する世界教団としての体制を構築していくことが、必要となってきます。
そこで、このたび、三代会長のご指導を根幹とし、先生が築かれた総本部を中心とする世界教団としての統一的なルールを、創価学会の根本規範たる「創価学会会憲」として制定したものであります。この会憲については、本日のSGI常任理事会、同じくSGI理事会でも発表され、全会一致で承認されました。
私どもは、先生のご指導のもと、世界広布新時代を迎えた2013年(平成25年)以降、広宣流布大誓堂落慶、大聖人の仏法の本義に立ち返った教義条項や三代会長のご指導・ご精神を根幹とする前文への会則改正、創価学会勤行要典の制定など、創価学会の未来と世界を見据え、世界宗教にふさわしい創価学会の宗教的独自性の確立に取り組んでまいりました。
今回の会憲の制定により、創価学会が世界宗教へと雄飛する体制が、より強固なものとなりました。私たちは、どこまでも広宣流布の永遠の師匠である池田先生のご指導を根本に、世界の同志との異体同心の団結をもって、広宣流布を断行していきたい。その決意も深く、本日より、世界広布新時代の前進を加速させてまいりたい。
◇友情の種が開花
一、記念すべき8月24日付の聖教新聞1面を飾ったのは、南米最古の名門学府である、ペルー国立サンマルコス大学からの先生への名誉博士号授与式でした。
思い起こせば、先生の同大学初訪問は1974年(昭和49年)。私も随行させていただきましたが、当時の様子は小説『新・人間革命』第19巻「凱歌」の章に描かれています。日本を発って20日間、連日の激闘から、先生の体調は全く優れず、発熱で足元もおぼつかないほどでした。ふらつかれる先生の腕をとった私は、思わず「先生、今日の大学訪問は中止にしましょう」と申し上げました。
しかし先生は、言下に否定されました。「そんなことはできない! 総長は、大学の在り方について深く考えられ、私と話をしようと、待っておられるんだ。何があってもお伺いするのが、人間の信義じゃないか」と。
そして気迫を振り絞るように、一歩一歩、歩みを進められたのであります。大学での会見は大成功に終わりましたが、翌日の大学行事は代理を立てられ、先生は宿舎で安静にされていました。
その夜、突然、ゲバラ総長が、宿舎にお見舞いに来られました。さらに、お見舞いを終えた総長を、奥さまがホテルの中庭の外まで見送ると、道路ぎわに止めてある車のそばには、総長夫人がたたずんでいらっしゃいました。先生を疲れさせてしまうと気遣い、夫人は外で待っておられたのです。この時のお二人の感動の抱擁は小説に描かれている通りです。
この感動的な出会いから7年後の81年(同56年)、ゲバラ夫妻も来日され、サンマルコス大学の名誉教授称号が先生に授与されたのであります。南北アメリカ大陸からは第1号、モスクワ大学に続いて世界から贈られた第2号となる名誉学術称号となりました。
ゲバラ博士は2000年(平成12年)に90歳で亡くなられるまで先生を敬愛され続け、SGIのイベントにも数多く参加されました。ゲバラ夫人は今回の式典への参加を楽しみにしておられましたが、残念ながら体調を崩され、出席できませんでした。笠貫SGI女性部長が自宅にお見舞いに伺うと、ことのほか喜んでくださり、先生・奥さまへの変わらぬ熱い思いを語ってくださいました。
まさに、池田先生が命懸けで蒔いてくださった信義と友情の種が、今、大きく花開き、顕彰が相次ぎ、ペルー広布が大前進している。その勝利の実証に、胸を熱くした次第です。
一、今回、ペルーにはアサト理事長、ブラジルにはシラトリ理事長と、新任のリーダーも誕生しました。
実は、2人には共通の原点があります。それは01年(同13年)9月12日。あの「9・11」同時多発テロ事件の翌日です。この日に帰国予定だった青年研修会メンバーは、数日間の足止めを余儀なくされました。
池田先生は、この日、モンゴル大使との会見に彼らを同席させました。研修に加え、2人は個人的にも、先生との劇的な出会いを深めたのであります。
一緒にカメラに納まった2人に、先生は万感の思いで語り掛けられました。「ここに集った君たちこそ真実の『世界平和の希望』です」「偉大なる広宣流布の指導者に成長していただきたい」と。この原点を胸に戦い続けてきた池田門下生が、まさに各国の広布の指導者として、新たなスタートを切ったのです。
本日も、新任のリーダーが数多く誕生しました。今この時、広布のリーダーとして先生と共に戦えることこそ、最高の誉れです。私たちも自身の原点を再確認し、誓いも新たに、広布拡大にまい進していきたい。
◇折伏のうねりを
一、この夏の最高協議会で先生は「今、新たな仏縁拡大のチャンスを迎えた」「いよいよ強く朗らかな折伏精神で、妙法を渇仰する民衆の心田に仏種を植え、地涌の人材を林立させようではないか!」と呼び掛けられました。
世界広布の本陣・日本で戦う私たちこそが、明年の「11・18」広宣流布大誓堂完成5周年への世帯増・部員増を目指し、折伏の大波を起こしていきたい。
後半戦に入り、VODの番組「名物もつ煮 三代目奮闘記」が好評を博し、各地から入会決意につながったとの喜びの声が届いています。
また、聖教新聞PR版も発行されますが、毎日の聖教紙面の体験談は、大きな感動を呼んでいます。
先生が「体験こそ力だ。体験こそ喜びだ。御書に『一切は現証には如かず』と仰せである。自信満々に語ることだ」と教えてくださった通り、広布拡大の最大の推進力は「体験」にあります。
VODや聖教新聞の体験はもとより、中でも最も納得と共感を生むのは、座談会での実感こもる体験談であり、直接の語らいです。
広宣流布大誓堂完成5周年への拡大戦、まずは本年の「11・18」に向けて、さらに明年の「1・2」、先生の卒寿のお誕生日をお祝いすべく、VODの活用、聖教新聞の拡大とともに友人参加の座談会を推進し、皆で体験を語りながら、歓喜の折伏を進めてまいりたい。
併せて教学部任用試験(仏法入門)の申し込みが始まっております。本年も地区2人以上の合格を目指し、会友受験に総力を挙げて取り組んでいきたい。
一、先日の随筆に「『学会の永遠性の確立』の急所は、まぎれもなく、未来部の育成にある」とつづられた通り、未来部の激励・育成にこれまで以上に力を入れる意味から、任用試験については本年より、中等部員も受験対象となります。
これは、高等部員に対しては任用試験を通じて各部一体での激励の機会が増える中、それに比べると中等部員への激励の機会が少ないのではないか、といった声に応えるとともに、インターネットなどで玉石混交の情報が飛び交う今、中等部時代から学会への正しい認識をもつことが重要であるとの観点から、受験対象を拡大したものです。こまやかな配慮のもと、丁寧に進めていきたい。
一、本年から、11月に行われる「七五三勤行会」にも、これまで以上に力を入れていきたい。
少子社会の中で、一般的にも、七五三をはじめとする子どもの行事への関心が高くなっており、諸行事には祖父母を含め、家族で参加する形が増えております。学会にあっても、新年勤行会とともに、未入会家族が会館での七五三勤行会に参加するケースも増えてきました。
そこで、未入会のお子さんも、また未入会の親や祖父母も、気楽に参加できるよう、丁寧に声掛けをしていきたい。
"未来部の一人一人を最敬礼の心で励ましたい"との先生の心をわが心として、未来部育成に総力を挙げていきたいと思います。
一、現在、広布部員の申し込みを進めていただいております。本当にありがとうございます。
御書に「ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん」(1231ページ)と仰せの通り、財務の功徳は、計り知れません。一人でも多くの方が、福運と喜びあふれる財務となるよう、無事故・大成功を真剣に祈り、誠実・丁寧に進めていきたいと思います。
◇連続勝利で前進
一、いよいよ、創価学会がさらなる世界宗教へと雄飛する、重要な時を迎えました。
池田先生は9月号の「大白蓮華」の講義で、「今、私どもは新たな決意で、あの地へ、この地へ、妙法という『平和の種』を蒔き、あの友へ、この友へ、『希望の光』を届け、一人からまた一人へと、広宣流布の黄金の波を広げていこう」と呼び掛けてくださいました。
広布の波を広げてこそ、学会のリーダーであり、本物の弟子であります。下半期の折伏・弘教も、聖教拡大も、任用試験の会友受験も、まず私たちリーダーから、率先の行動を起こしてまいりたい。
創価学会の素晴らしさ、池田先生の偉大さを堂々と語りながら、拡大の結果をもって、後半戦も連続勝利の歴史を開きゆこうではありませんか!(大拍手)
2017年9月8日金曜日
2017.09.08 わが友に贈る
後継の友と一緒に
中継行事に参加しよう。
学会家族で協力し合い
万代の発展の基盤を!
黄金の思い出を共々に!
当体義抄送状 P519
『経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり』
☆女性に贈ることば 九月八日
「声美人」「手美人」という言葉があるが、お母さんの声、お母さんの手ほど美しいものはない。
子どもをあやし、子どもを呼ぶ母の声。おむつを換え、ご飯をつくり、服を着させる母の手。「母の声」「母の手」に守られて、人は皆、大人になっていく。
母の声が世界を結び、母の手が平和へとつながっていく時、どれほど美しい地球になることであろう。
☆今日のことば365 九月八日
人生の風雪を刻みつけた人の顔は美しいという。たとえ幾歳になろうとも、磨きぬかれた木目のように、厳しさに耐えてきた美しさは、立派な風格となって輝きを増すものである。
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 スイス1 2017年9月2日
◇苦労した分 幸せになれる
池田先生とSGIの同志の出会いをつづる「希望航路」。今回は、先生が6度訪問したスイスに輝く師弟のドラマを紹介する。
池田先生が、スイスに第一歩をしるしたのは、1961年10月16日。ジュネーブでチューリヒ行きの飛行機を待つ間、スイス広布の一粒種である婦人のサキ・ブローさんらに励ましを送った。『新・人間革命』「歓喜」の章には、その場面が描かれている。
山本伸一は語る。
「あなたは人一倍、苦労をされてきた。その人こそ、誰よりも幸せになっていけるし、みんなを幸せにしていく、最高の資格がある人です。それが仏法の原理です」
ブローさんは、この日の激励を生涯の宝として、広布の礎を築いた。今日のスイスSGIの発展は、一婦人に対する先生の激励から始まったのである。
先生は、63年1月にジュネーブを再訪し、教学試験と座談会に出席。64年10月には、冷戦下の社会主義諸国(チェコスロバキア〈当時〉、ハンガリー)を訪問した後、チューリヒへ。3年後の5月にもチューリヒで青年部を激励している。
そして、5度目の訪問となった83年6月。この時、先生との出会いを結んだ友は今、壮年・婦人部のリーダーとして広布の中核を担っている。
チューリヒの空港に到着した先生に、歓迎の花束を贈ったアンヌ=マリー・チャボルドさん(婦人部長)もその一人だ。彼女は、「当時はまだ若く、信心の確信は、それほど強くありませんでした」と述懐する。後日の懇談会で、その思いを先生に伝えると、力強い声が返ってきた。
「『疑い』があるのは普通だよ。大切なのは、『疑い』に勝つほどの題目をあげていくことだ。心配ない。必ず実証が出るよ」
この先生の言葉が、信心の土台となっていったのである。
彼女の出身国は、地中海の東岸に位置するレバノン。同国出身の父とスイス出身の母のもとに生まれた。
レバノンでは75年に内戦が勃発。キリスト教徒とイスラム教徒・パレスチナ人の連合勢力との争いに、シリアやイスラエルなどが介入し、15年間、紛争が続いた。
勃発時、彼女は19歳だった。パレスチナ人の収容所が砲撃を受けた際、付近にあった一家のアパートも被弾。生命の危機が迫り、母、きょうだいと地下室に身を潜めた。避難した山中で、軍人の父に助けられ、命からがら、母の祖国スイスに亡命した。
つらかったのは、軍人としてレバノンに残る父との別れだった。内戦は、大切な家族の絆をも引き裂いた。
彼女は言う。「もともと、私の家族はギリシャ正教を信仰していました。でも、キリスト教とイスラムの争いに直面する中で、平和を実現できる他の宗教を求めるようになっていったのです」
彼女が仏法に巡り合ったのは76年。先に入会した兄の勧めで弟と信心を始め、翌77年には母も入会した。
度重なる苦難も、信心で乗り越えてきた。彼女と弟は、結核を患い、経済苦も深刻に。治癒した彼女は百貨店で働き、弟の療養や家計を支え、職場の同僚や上司に弘教を実らせていった。
80年春、彼女は、数人のメンバーと共に、SGIの研修で訪日。東京の宿舎に着くと、部屋のテーブルの上に一枚のカードが。
「ウェルカム トゥ ジャパン(ようこそ、日本へ)。ダイサク&カネコ イケダ」と。真心こもるメッセージが、長旅の疲れを癒やしてくれた。
彼女は、「先生と奥さまの慈愛に触れ、師匠とは、これほどまでに温かいのかと感激しました」と振り返る。
この前年、先生は会長を辞任。悪辣な宗門僧らによる迫害の渦中にあって、先生は、スイスの友を神奈川で迎え、ピアノを弾いて励ました。
感謝の思いを込め、スイスの友は民謡を披露する。彼女は語る。「私たちの歌は、お世辞にも上手と言えるものではありませんでした。それでも、懸命に歌う私たちに、先生は拍手喝采で応えてくださいました」
81年には、彼女の母が、SGI研修で日本へ。母は懇談会の場で、先生に、「夫に信心をさせたいと思っています」と、決意を伝えた。当時、父はまだ、軍人として、レバノンにいた。
スイスの地に父を呼び、家族全員で暮らしたい。一家和楽の信心に励みたい。それが、母子の願いだった。
先生は語った。
「家族が一遍に信心をすることも素晴らしいけれど、家族が後から次々に入会すれば、喜びが二度も、三度も味わえます。諦めずに挑戦を続ければ、祈りは成就しますよ」
先生の言葉通り、母子の祈りは2年後に実現する。父が軍を退役し、スイスへ。85年には、信心を始めた。
第2回スイスSGI総会(89年6月)には父も参加。お気に入りのネクタイを着けて意気込む父に、先生は「素晴らしいネクタイですね」と声を掛けてくれた。一家にとって、生涯忘れ得ぬ「宝の思い出」である。
83年6月12日、先生は、次なる訪問国スペインに向かうため、チューリヒのホテルを出発した。その際、ロビーにいたチャボルドさんと弟のフランソワさんを激励している。
フランソワさんが、"大学に進むべきでしょうか。それとも働くべきでしょうか"と尋ねると、先生は「甘えを排して、心を鍛えるという意味では、社会に出て働くこともいい経験だよ」と言って振り返り、「お姉さんはどう思う?」とチャボルドさんに聞いた。
「まずは大学に行って勉強し、社会に出る力を付けてもらいたいです」と答えた彼女。先生は膝を打ち、「その通りだ! 最初からお姉さんに聞くべきだったなあ」と語ると、笑顔が広がった。
先生は「お姉さんの言うことをよく聞いて、信心に基づいて判断していくんだよ」と語り、弟を励ました。
先生の出国を見送った後、感謝の手紙をしたためた彼女に、先生からの伝言が届いた。
「誠実なお手紙、ありがとうございます。あなたと弟さんが、勇気をもって人生を歩んでいけるように、祈っています」と。
その後、弟はジュネーブ大学法学部を卒業し、司法試験に合格。ジュネーブで法曹として活躍している。
チャボルドさんも、チューリヒ大学に進学し、教育学とフランス文学・言語学で二つの修士号を取得。現在は、中学・高校でフランス語を教えている。
スイス広布の一粒種となったサキ・ブローさんをはじめ、草創期を駆けた婦人部の友。後継のバトンを手に広布の道を走るチャボルド婦人部長は、未来への展望をこう語る。
「スイス婦人部は、皆が師匠を心に抱き、縁する人を幸福に導いていきます。そして青年部を育成し、家族のように仲の良い団結で、広布の大城を築いていく決意です」
中継行事に参加しよう。
学会家族で協力し合い
万代の発展の基盤を!
黄金の思い出を共々に!
当体義抄送状 P519
『経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり』
☆女性に贈ることば 九月八日
「声美人」「手美人」という言葉があるが、お母さんの声、お母さんの手ほど美しいものはない。
子どもをあやし、子どもを呼ぶ母の声。おむつを換え、ご飯をつくり、服を着させる母の手。「母の声」「母の手」に守られて、人は皆、大人になっていく。
母の声が世界を結び、母の手が平和へとつながっていく時、どれほど美しい地球になることであろう。
☆今日のことば365 九月八日
人生の風雪を刻みつけた人の顔は美しいという。たとえ幾歳になろうとも、磨きぬかれた木目のように、厳しさに耐えてきた美しさは、立派な風格となって輝きを増すものである。
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 スイス1 2017年9月2日
◇苦労した分 幸せになれる
池田先生とSGIの同志の出会いをつづる「希望航路」。今回は、先生が6度訪問したスイスに輝く師弟のドラマを紹介する。
池田先生が、スイスに第一歩をしるしたのは、1961年10月16日。ジュネーブでチューリヒ行きの飛行機を待つ間、スイス広布の一粒種である婦人のサキ・ブローさんらに励ましを送った。『新・人間革命』「歓喜」の章には、その場面が描かれている。
山本伸一は語る。
「あなたは人一倍、苦労をされてきた。その人こそ、誰よりも幸せになっていけるし、みんなを幸せにしていく、最高の資格がある人です。それが仏法の原理です」
ブローさんは、この日の激励を生涯の宝として、広布の礎を築いた。今日のスイスSGIの発展は、一婦人に対する先生の激励から始まったのである。
先生は、63年1月にジュネーブを再訪し、教学試験と座談会に出席。64年10月には、冷戦下の社会主義諸国(チェコスロバキア〈当時〉、ハンガリー)を訪問した後、チューリヒへ。3年後の5月にもチューリヒで青年部を激励している。
そして、5度目の訪問となった83年6月。この時、先生との出会いを結んだ友は今、壮年・婦人部のリーダーとして広布の中核を担っている。
チューリヒの空港に到着した先生に、歓迎の花束を贈ったアンヌ=マリー・チャボルドさん(婦人部長)もその一人だ。彼女は、「当時はまだ若く、信心の確信は、それほど強くありませんでした」と述懐する。後日の懇談会で、その思いを先生に伝えると、力強い声が返ってきた。
「『疑い』があるのは普通だよ。大切なのは、『疑い』に勝つほどの題目をあげていくことだ。心配ない。必ず実証が出るよ」
この先生の言葉が、信心の土台となっていったのである。
彼女の出身国は、地中海の東岸に位置するレバノン。同国出身の父とスイス出身の母のもとに生まれた。
レバノンでは75年に内戦が勃発。キリスト教徒とイスラム教徒・パレスチナ人の連合勢力との争いに、シリアやイスラエルなどが介入し、15年間、紛争が続いた。
勃発時、彼女は19歳だった。パレスチナ人の収容所が砲撃を受けた際、付近にあった一家のアパートも被弾。生命の危機が迫り、母、きょうだいと地下室に身を潜めた。避難した山中で、軍人の父に助けられ、命からがら、母の祖国スイスに亡命した。
つらかったのは、軍人としてレバノンに残る父との別れだった。内戦は、大切な家族の絆をも引き裂いた。
彼女は言う。「もともと、私の家族はギリシャ正教を信仰していました。でも、キリスト教とイスラムの争いに直面する中で、平和を実現できる他の宗教を求めるようになっていったのです」
彼女が仏法に巡り合ったのは76年。先に入会した兄の勧めで弟と信心を始め、翌77年には母も入会した。
度重なる苦難も、信心で乗り越えてきた。彼女と弟は、結核を患い、経済苦も深刻に。治癒した彼女は百貨店で働き、弟の療養や家計を支え、職場の同僚や上司に弘教を実らせていった。
80年春、彼女は、数人のメンバーと共に、SGIの研修で訪日。東京の宿舎に着くと、部屋のテーブルの上に一枚のカードが。
「ウェルカム トゥ ジャパン(ようこそ、日本へ)。ダイサク&カネコ イケダ」と。真心こもるメッセージが、長旅の疲れを癒やしてくれた。
彼女は、「先生と奥さまの慈愛に触れ、師匠とは、これほどまでに温かいのかと感激しました」と振り返る。
この前年、先生は会長を辞任。悪辣な宗門僧らによる迫害の渦中にあって、先生は、スイスの友を神奈川で迎え、ピアノを弾いて励ました。
感謝の思いを込め、スイスの友は民謡を披露する。彼女は語る。「私たちの歌は、お世辞にも上手と言えるものではありませんでした。それでも、懸命に歌う私たちに、先生は拍手喝采で応えてくださいました」
81年には、彼女の母が、SGI研修で日本へ。母は懇談会の場で、先生に、「夫に信心をさせたいと思っています」と、決意を伝えた。当時、父はまだ、軍人として、レバノンにいた。
スイスの地に父を呼び、家族全員で暮らしたい。一家和楽の信心に励みたい。それが、母子の願いだった。
先生は語った。
「家族が一遍に信心をすることも素晴らしいけれど、家族が後から次々に入会すれば、喜びが二度も、三度も味わえます。諦めずに挑戦を続ければ、祈りは成就しますよ」
先生の言葉通り、母子の祈りは2年後に実現する。父が軍を退役し、スイスへ。85年には、信心を始めた。
第2回スイスSGI総会(89年6月)には父も参加。お気に入りのネクタイを着けて意気込む父に、先生は「素晴らしいネクタイですね」と声を掛けてくれた。一家にとって、生涯忘れ得ぬ「宝の思い出」である。
83年6月12日、先生は、次なる訪問国スペインに向かうため、チューリヒのホテルを出発した。その際、ロビーにいたチャボルドさんと弟のフランソワさんを激励している。
フランソワさんが、"大学に進むべきでしょうか。それとも働くべきでしょうか"と尋ねると、先生は「甘えを排して、心を鍛えるという意味では、社会に出て働くこともいい経験だよ」と言って振り返り、「お姉さんはどう思う?」とチャボルドさんに聞いた。
「まずは大学に行って勉強し、社会に出る力を付けてもらいたいです」と答えた彼女。先生は膝を打ち、「その通りだ! 最初からお姉さんに聞くべきだったなあ」と語ると、笑顔が広がった。
先生は「お姉さんの言うことをよく聞いて、信心に基づいて判断していくんだよ」と語り、弟を励ました。
先生の出国を見送った後、感謝の手紙をしたためた彼女に、先生からの伝言が届いた。
「誠実なお手紙、ありがとうございます。あなたと弟さんが、勇気をもって人生を歩んでいけるように、祈っています」と。
その後、弟はジュネーブ大学法学部を卒業し、司法試験に合格。ジュネーブで法曹として活躍している。
チャボルドさんも、チューリヒ大学に進学し、教育学とフランス文学・言語学で二つの修士号を取得。現在は、中学・高校でフランス語を教えている。
スイス広布の一粒種となったサキ・ブローさんをはじめ、草創期を駆けた婦人部の友。後継のバトンを手に広布の道を走るチャボルド婦人部長は、未来への展望をこう語る。
「スイス婦人部は、皆が師匠を心に抱き、縁する人を幸福に導いていきます。そして青年部を育成し、家族のように仲の良い団結で、広布の大城を築いていく決意です」
2017年9月7日木曜日
2017.09.07 わが友に贈る
多忙な合間を縫って
役員に就かれる方々
本当にありがとう。
尊き労苦に功徳は燦然!
皆で感謝し 称えよう!
十字御書 P1492
『我等は父母の精血変じて人となりて候へば三毒の根本婬欲の源なり』
☆女性に贈ることば 九月七日
大勢の人に尽くす。その人がいちばん偉い。どんな有名人よりも、権力者よりも偉い。
人生の最期に、みんなが 「ああ、あの人のおかげで、私は幸せになったんだ。あの人の励ましで、私は立ちあがれたんだ」と、慕って集まってくる。そういう人が、人間としていちばん偉い。そして、いちばん幸福です。
☆今日のことば365 九月七日
社会は、家庭という、小さな単位から、学校、さらに国にいたるまで、人間が、おたがいに信用しあうことによって成りたっているのです。ですから、責任を果たすということを、少年時代から、しっかり身につけることが、社会人になるための、もっともだいじな訓練といえます。
☆明日を求めて 池田先生の対話録� 第42回 核戦争防止国際医師会議創設者 バーナード・ラウン博士 2017年9月1日
◇「目の前の一人」を守るために 人類を滅ぼす病(核兵器)と闘い続ける
「ようこそ。お待ちしていました。"行動する医師""行動する知性"であるラウン博士に再びお会いでき、大変にうれしく思います」
1989年3月22日、池田先生がバーナード・ラウン博士を聖教新聞本社に迎えると、柔らかなほほ笑みが返ってきた。
「池田会長の平和行動は、以前から、よく存じております。その進取性に富んだ思想に強く心打たれ、多くのことを学んでおります。特にトインビー博士との対談集には深い感銘を覚えました。同書に込められた思想は、私たちの志向するところと全く一致するものです」
ラウン博士は核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の創設者であり、著名な心臓専門医として、突然死の研究に取り組んできた。
かつてアメリカでは、90秒に1人が心臓疾患による突然死に襲われた。博士は、不整脈と突然死の関係について研究を重ね、直流除細動器を開発。その傍ら、臨床医として患者の病苦に向き合った。
"患者に診察費を請求するのは気が引ける"と博士は言う。「命の危機を救い、長く生きられるように他の人を助ける喜びほど、すばらしいものはない。患者こそ私の最大の教師である。私を医師に育ててくれたのは患者である」
そんなラウン博士だからこそ、"人類の危機"を知り、わが事として受け止めたのだろう。
ある時、博士は平和運動家の講演に誘われた。
"核戦争で、人類は2000年までに死滅する恐れがある"
そう警告され、ラウン博士は葛藤する。医師は"患者の側"にいるだけでは足りない。核兵器の脅威から目を背けていては、目の前の一人すら守れない——。
博士は他の医師と協力し、論文を相次いで発表。核兵器は人類を滅ぼす"凶器""悪魔"であり、そんな兵器を製造して何の益があるのかと訴えた。
池田先生との会談で、ラウン博士は語っている。
「何とか人々を突然死という『不幸な死』から救い出したい。その思いが、やがて、人類全体の『死』をもたらす核兵器の廃絶に向けた信念へと昇華されていったのです」
来し方を振り返る博士に、池田先生はうなずいて言った。
「『一人』への徹底した慈愛は、必然的に『生命』そのものへの慈愛へと深められ、また『人類』全体への責任感に高められていくものです」
◇
IPPNW創設のきっかけは1980年12月、ジュネーブで行われた医師6人による会談だった。
ラウン博士ら3人のアメリカの医師と、3人のソ連の医師がテーブルに向かい合った。
この年の7月、共産圏初開催となるモスクワ五輪が開かれたが、アメリカをはじめ多くの西側諸国が参加を辞退。東西冷戦の真っただ中で、思想も信条も異なる両大国の医師の会談は"けんか腰"の論争になった。
「そちらが先に核実験をやめるべきだ!」
「いや、そちらが先だろう!」
議論は2日間にわたったが、何一つ合意点は見いだせない。テーブルをたたいて怒鳴り、席を蹴って退出する医師もいた。
ラウン博士は言った。
"私たちは医師だ。医師として「すべての生命を守る」使命がある。それがコレラであれ、核兵器であれ、力を合わせて闘う使命がある"
同じ医師として生命尊厳の立場を確認し合う中で、"共通の敵"であり"人類最悪の疫病"である「核兵器」廃絶のために協力することが話し合われ、IPPNWの発足へとつながったのである。
3カ月後、アメリカで開いた大会には12カ国80人の医師が参加。
冷戦下、米ソの医師による運動は国内の批判にさらされ、「共産主義の手先」と書き立てられた。
だが博士は引かなかった。
ユダヤ人として欧州リトアニアに生まれ育った博士は、多くの親類や友人がホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲となっていた。博士自身も、ヨーロッパからの脱出が遅れれば、ナチスの収容所に送られていたという。
「この原体験が、ホロコーストよりさらに恐ろしい、核兵器による大量殺戮に対して抗議の声を上げた一つの理由です」
病も核兵器も「予防」が先決であると訴えるラウン博士。その信念に呼応するように、IPPNWは5年間で60カ国20万人の医師の連帯に発展。85年、ラウン博士らにノーベル平和賞が授与された。
◇
池田先生とラウン博士の出会いは、87年5月25日。
SGI等が主催する"核の脅威展"がモスクワで開かれ、開幕式に博士が駆け付けた。
その後、SGIは国連本部において「戦争と平和」展をIPPNWと共同で開催。さらにSGIの代表がIPPNWの世界大会に参加し、池田先生が同大会にメッセージを贈るなど、両団体は、核兵器のない世界を目指すパートナーとして、長年にわたり協力を重ねてきた。
こうした交流は今日、IPPNWによって2007年に立ち上げられた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)とSGIの核兵器禁止に向けての協力の基礎となっている。
1989年3月に再会した折、池田先生は博士に語った。
「生命を守る医師が、人類の救済という最も崇高な目的のために戦っておられる。いわば最も偉大なる『善』の行動であると思います。人間として生きている限り、最高善の実践に生きるべきです。最高の『善』に対して反対すれば最大の『悪』となり、最高の『善』に賛同し共に行動すれば、自らもそれに連なっていくことができるというのが私の信念です」
青年を平和へと啓発するSGIの運動に触れ、博士は応じた。
「青年への平和の呼び掛けは最も有意義な事であると同時に、最も困難な事の一つであり、池田会長の真心に心から感謝したい。青年が自己の利害や、狭い国家意識を超えて、人類全体という広い視野を獲得することが重要です」
今月は第2代会長・戸田城聖先生の原水爆禁止宣言から60周年。7月の「核兵器禁止条約」採択を経て、核兵器廃絶への取り組みは新たなステージに入った。
平和を願い、行動を続ける人々の連帯は、核時代の終焉を見据えている。
バーナード・ラウン 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)創設者。ハーバード大学名誉教授。1921年、リトアニア生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学医学部を卒業し、74年から91年までハーバード大学公衆衛生学院教授。ジギタリス剤とカリウムの関係の研究や直流除細動器の開発、不整脈と心臓突然死の先駆的研究などで知られる。80年、IPPNWをソ連の医師と創設。その功績により、85年、IPPNWを代表してノーベル平和賞を受賞。医師の立場から核戦争の防止を目指す、国際的活動の中心者として尽力してきた。
役員に就かれる方々
本当にありがとう。
尊き労苦に功徳は燦然!
皆で感謝し 称えよう!
十字御書 P1492
『我等は父母の精血変じて人となりて候へば三毒の根本婬欲の源なり』
☆女性に贈ることば 九月七日
大勢の人に尽くす。その人がいちばん偉い。どんな有名人よりも、権力者よりも偉い。
人生の最期に、みんなが 「ああ、あの人のおかげで、私は幸せになったんだ。あの人の励ましで、私は立ちあがれたんだ」と、慕って集まってくる。そういう人が、人間としていちばん偉い。そして、いちばん幸福です。
☆今日のことば365 九月七日
社会は、家庭という、小さな単位から、学校、さらに国にいたるまで、人間が、おたがいに信用しあうことによって成りたっているのです。ですから、責任を果たすということを、少年時代から、しっかり身につけることが、社会人になるための、もっともだいじな訓練といえます。
☆明日を求めて 池田先生の対話録� 第42回 核戦争防止国際医師会議創設者 バーナード・ラウン博士 2017年9月1日
◇「目の前の一人」を守るために 人類を滅ぼす病(核兵器)と闘い続ける
「ようこそ。お待ちしていました。"行動する医師""行動する知性"であるラウン博士に再びお会いでき、大変にうれしく思います」
1989年3月22日、池田先生がバーナード・ラウン博士を聖教新聞本社に迎えると、柔らかなほほ笑みが返ってきた。
「池田会長の平和行動は、以前から、よく存じております。その進取性に富んだ思想に強く心打たれ、多くのことを学んでおります。特にトインビー博士との対談集には深い感銘を覚えました。同書に込められた思想は、私たちの志向するところと全く一致するものです」
ラウン博士は核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の創設者であり、著名な心臓専門医として、突然死の研究に取り組んできた。
かつてアメリカでは、90秒に1人が心臓疾患による突然死に襲われた。博士は、不整脈と突然死の関係について研究を重ね、直流除細動器を開発。その傍ら、臨床医として患者の病苦に向き合った。
"患者に診察費を請求するのは気が引ける"と博士は言う。「命の危機を救い、長く生きられるように他の人を助ける喜びほど、すばらしいものはない。患者こそ私の最大の教師である。私を医師に育ててくれたのは患者である」
そんなラウン博士だからこそ、"人類の危機"を知り、わが事として受け止めたのだろう。
ある時、博士は平和運動家の講演に誘われた。
"核戦争で、人類は2000年までに死滅する恐れがある"
そう警告され、ラウン博士は葛藤する。医師は"患者の側"にいるだけでは足りない。核兵器の脅威から目を背けていては、目の前の一人すら守れない——。
博士は他の医師と協力し、論文を相次いで発表。核兵器は人類を滅ぼす"凶器""悪魔"であり、そんな兵器を製造して何の益があるのかと訴えた。
池田先生との会談で、ラウン博士は語っている。
「何とか人々を突然死という『不幸な死』から救い出したい。その思いが、やがて、人類全体の『死』をもたらす核兵器の廃絶に向けた信念へと昇華されていったのです」
来し方を振り返る博士に、池田先生はうなずいて言った。
「『一人』への徹底した慈愛は、必然的に『生命』そのものへの慈愛へと深められ、また『人類』全体への責任感に高められていくものです」
◇
IPPNW創設のきっかけは1980年12月、ジュネーブで行われた医師6人による会談だった。
ラウン博士ら3人のアメリカの医師と、3人のソ連の医師がテーブルに向かい合った。
この年の7月、共産圏初開催となるモスクワ五輪が開かれたが、アメリカをはじめ多くの西側諸国が参加を辞退。東西冷戦の真っただ中で、思想も信条も異なる両大国の医師の会談は"けんか腰"の論争になった。
「そちらが先に核実験をやめるべきだ!」
「いや、そちらが先だろう!」
議論は2日間にわたったが、何一つ合意点は見いだせない。テーブルをたたいて怒鳴り、席を蹴って退出する医師もいた。
ラウン博士は言った。
"私たちは医師だ。医師として「すべての生命を守る」使命がある。それがコレラであれ、核兵器であれ、力を合わせて闘う使命がある"
同じ医師として生命尊厳の立場を確認し合う中で、"共通の敵"であり"人類最悪の疫病"である「核兵器」廃絶のために協力することが話し合われ、IPPNWの発足へとつながったのである。
3カ月後、アメリカで開いた大会には12カ国80人の医師が参加。
冷戦下、米ソの医師による運動は国内の批判にさらされ、「共産主義の手先」と書き立てられた。
だが博士は引かなかった。
ユダヤ人として欧州リトアニアに生まれ育った博士は、多くの親類や友人がホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲となっていた。博士自身も、ヨーロッパからの脱出が遅れれば、ナチスの収容所に送られていたという。
「この原体験が、ホロコーストよりさらに恐ろしい、核兵器による大量殺戮に対して抗議の声を上げた一つの理由です」
病も核兵器も「予防」が先決であると訴えるラウン博士。その信念に呼応するように、IPPNWは5年間で60カ国20万人の医師の連帯に発展。85年、ラウン博士らにノーベル平和賞が授与された。
◇
池田先生とラウン博士の出会いは、87年5月25日。
SGI等が主催する"核の脅威展"がモスクワで開かれ、開幕式に博士が駆け付けた。
その後、SGIは国連本部において「戦争と平和」展をIPPNWと共同で開催。さらにSGIの代表がIPPNWの世界大会に参加し、池田先生が同大会にメッセージを贈るなど、両団体は、核兵器のない世界を目指すパートナーとして、長年にわたり協力を重ねてきた。
こうした交流は今日、IPPNWによって2007年に立ち上げられた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)とSGIの核兵器禁止に向けての協力の基礎となっている。
1989年3月に再会した折、池田先生は博士に語った。
「生命を守る医師が、人類の救済という最も崇高な目的のために戦っておられる。いわば最も偉大なる『善』の行動であると思います。人間として生きている限り、最高善の実践に生きるべきです。最高の『善』に対して反対すれば最大の『悪』となり、最高の『善』に賛同し共に行動すれば、自らもそれに連なっていくことができるというのが私の信念です」
青年を平和へと啓発するSGIの運動に触れ、博士は応じた。
「青年への平和の呼び掛けは最も有意義な事であると同時に、最も困難な事の一つであり、池田会長の真心に心から感謝したい。青年が自己の利害や、狭い国家意識を超えて、人類全体という広い視野を獲得することが重要です」
今月は第2代会長・戸田城聖先生の原水爆禁止宣言から60周年。7月の「核兵器禁止条約」採択を経て、核兵器廃絶への取り組みは新たなステージに入った。
平和を願い、行動を続ける人々の連帯は、核時代の終焉を見据えている。
バーナード・ラウン 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)創設者。ハーバード大学名誉教授。1921年、リトアニア生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学医学部を卒業し、74年から91年までハーバード大学公衆衛生学院教授。ジギタリス剤とカリウムの関係の研究や直流除細動器の開発、不整脈と心臓突然死の先駆的研究などで知られる。80年、IPPNWをソ連の医師と創設。その功績により、85年、IPPNWを代表してノーベル平和賞を受賞。医師の立場から核戦争の防止を目指す、国際的活動の中心者として尽力してきた。
2017年9月6日水曜日
2017.09.06 わが友に贈る
夏の疲れが出る頃だ。
交通ルールを順守し
"ながら運転"等は厳禁!
百千万億倍の用心で
無事故第一の日々を!
☆女性に贈ることば 九月六日
私の母は多くの子を育てた。苦労の多かった人生の坂道を、無言の力強さで黙々と歩んだ。
そんな母の最後の言葉は「私の人生は勝ったよ」だった。
☆今日のことば365 九月六日
子供にとって栄養のように大事なのは、親の愛情であり、ときに良薬の苦さのような厳しさと、無限の包容力をもった理解が、子供を大きくたくましく育てるのだ。
☆地域を歩く 岐阜県・関ケ原町 2017年8月31日
◇天下分け目の古戦場
山、山、山。
東西南北、どこを向いても小高い山が見える。
岐阜県不破郡の関ケ原町は、古くから東西を結ぶ交通の要衝である。8世紀初めには、関西と関東の分かれ目といわれた「不破関」が置かれた。現在も、JRの東海道本線、東海道新幹線、名神高速道路といった大動脈が町内を走る。
村田勇さん(支部長)の案内で町内を巡った。
言わずと知れた、天下分け目の合戦が行われた古戦場。町のあちこちに、各武将が陣取っていた地点を示す石碑や、家紋が染め抜かれた3メートルほどの「のぼり」が立っている。
石田三成軍の陣跡がある笹尾山から、町を望んだ。車も電車もない時代に、各地から十数万人がここに集った。眼下には、合戦の終盤、最も激しい攻防が繰り広げられたとされる「決戦地」の碑が見える。戦うということ、生きるということを、しばし考えずにはいられない。
JR関ケ原駅に行ってみた。駅前には「いざ! 関ケ原」と書かれた看板が目を引く、瓦屋根の建物が立っている。土産物店や案内所、小憩スペースを併設している観光交流館だ。
付近には県外ナンバーの車や観光バスが次々に停まり、電車が到着するたびに、大きなリュックサックを背負った観光客が降りてくる。子ども連れの家族や、"歴女"(歴史好き・歴史通の女性)の姿も。皆、案内所で地図やパンフレットを受け取ると、史跡巡りに繰り出していく。
◇自他共の幸福を祈る異体同心の"将軍学"
「こんにちは。ようこそ!」「どこからお越しになったのですか?」
赤い法被を着て、案内所で観光客を迎えているのは、谷口京子さん(地区副婦人部長)。10年ほど前から、ここでボランティアガイドを務めている。
最近は海外からの観光客も増えたため、英会話を勉強し始めたという。
「学会活動で培った、相手を尊重する『おもてなしの心』で、心が通い合うような対応を心掛けています。『また来たいです』と、喜んでもらえたら最高です」
幼少から体が弱く、運動会や遠足には参加できなかった。寝たきりの時期もあった。
19歳で学会に入会し、自転車に乗って広布に駆けた。医師から「心臓が悪いので、子どもは諦めてください」と言われたが、2人の子を授かることができた。
"広布のお役に立てる強い体をください"と常に祈ってきた。皮膚がんや、心臓病など、たびたび病気に見舞われたが、谷口さんの「前向きに生きる気力」は、どの病魔にも、打ち勝ってきた。
退職を機に、何か町の発展に貢献できることはないかと思い、ボランティアガイドを始めた。
いつも前向きな姿に、この20年間で5人の友人・知人が入会している。
元気の秘訣を尋ねると、「題目です」とキッパリ。「でも、自分一人だけでは、信心できません。同志がいるから、"私も頑張らなくちゃ"って思える。本当に、同志はありがたい」
◇
「谷口さんには本当に励まされました」と語るのは清水直美さん(地区婦人部長)。88年に、関ケ原で家具店を営む家に嫁いだ。店は県外からも買い付けに来るほどの盛況ぶり。2人の娘に恵まれ、何不自由ない生活をしていた。
しかしある時、人にだまされ、一気に経済苦に。家庭の不和、そして夫との死別が、苦しみに追い打ちをかけた。
多くの友人が離れていく中で、親身になって話を聞いてくれたのが、学会員の友人だった。2004年、入会を決めた。
関ケ原の同志が、励ましに通ってくれた。中でも谷口さんは、清水さん母子を身内のように包み込み、共に泣き、共に喜んでくれた。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)——本当の幸せは心の豊かさであり、自分は目に見える幸福ばかり追いかけていたのだと気が付いた。
長女の菜月さん(女子地区リーダー)は、当時のことを振り返る。「お題目をあげるようになって、母は見る見る元気になっていきました。笑えるようになり、少しずつ会話も増えました」。母に遅れること1年。娘たち2人も入会を決めた。
清水さんは今、地域のメンバーの激励に走る。
「とにかく一人一人の話に耳を傾けるようにしています。私が先輩たちにしてもらったように」
菜月さんは「母の御祈念帳は、学会員さんや友人のことばかり。私も白蓮グループの活動を通じて、人のために祈ることが、自身の福運となることを知りました」と。
次女の夕貴さん(華陽リーダー)も今年、白蓮グループに入った。
◇
「『戦いの烽火は西から上がる』と言われるほど、昔から、広布拡大の模範の地域なんですよ」と語る幸野邦彦さん(圏長)が、草創の人を紹介してくれた。
その一人、酒井精次さん(副圏長)。60歳で建設関係の会社を設立した。
長年、広布の会場を提供してきた。池田先生が揮毫した「関ケ原」の額は、「支部の宝です」。
支部長時代、支部の皆と2カ月で60世帯の弘教を実らせたことが忘れられないという。
「この地域には古来、勝った人の喜びと、負けた人の悔しさも染みこんでいる。勝負の厳しさが刻まれた所だと思います。だからこそ、皆が幸せに生きられる地にしたいと、仏法を語り抜いてきました」
地域の老人会の会長を務めて10年。町の連合の老人会では、広報部長として広報誌を作成している。「文章を書くことは苦手ですが、地域のことを祈って、少しでも喜んでもらいたいという思いで書いています」
◇
同じく関ケ原の草創期を築いた杉山勝己さん(県主事)。59年に入会。地域の人と協力して、花火大会や、たこ揚げ大会を企画したりと、積極的な地域貢献を心掛けてきた。
79年の宗門事件では、本部長として、妻と共に同志を守るために奔走。89年、池田先生から「全部分かっていますよ」と温かく激励されたことが生涯の誉れだ。
夫妻で題目に徹してきた。「唱題すると、不思議と、周囲の人たちの良いところが見えるんですよ」と杉山さんが言うと妻の信子さん(圏副婦人部長)が相づちを打つ。「そうそう、みんないい人たちばかりだなって、感謝があふれてくる。そう感じるときは、どんな広布拡大の戦いでも、必ず結果が出るんです」
◇
かつて関ケ原を訪れた池田先生は、天下分け目の決戦に触れながら、つづっている。
「『真の団結』は、中心者が、どこまで同志を尊敬できるか、どこまで、同志のもてる力を発揮させることができるか、で決まるといってよいだろう。ゆえに、輝く勝利は、御聖訓にある『異体同心』という厳たる団結にある」と。
皆の幸せを祈り、たたえ、尊重する——関ケ原の友の人生には、その"異体同心の将軍学"が脈打っている。
☆9月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 開目抄 2017年8月26日
◇広布の誓願に生きよ! 大難にも負けない信心を
9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「開目抄」を研さん。いかなる大難にも揺るがない「広布誓願の信心」について学ぶ。
◇御文
『種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(御書232ページ)
◇通解
「種々の大難が出てきても、私の正しい法義が智者に破られることがない限り、彼らの要求を決して受け入れることはない。それ以外の大難は、私にとっては風の前の塵のような、取るに足りないものである。私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」などと誓った大願は、決して破ることはない。
◇背景と大意
本抄は文永9年(1272年)2月、日蓮大聖人が佐渡流罪の渦中に、四条金吾を通し大聖人の門下一同に与えられた。
「開目抄」の開目とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生を救う大聖人に"目を開け"との呼び掛けとも拝される。
当時、迫害の嵐は門下にも及び、退転する者が続出した。
「大聖人が法華経の行者であれば、なぜ諸天善神の守護がないのか」——この疑いを晴らすため、本抄で大聖人は、経文に照らして御自身が法華経の行者であることを明白にされる。
その上で、身命をなげうって民衆救済に立ち上がる大願を明かされるとともに、御自身が、「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを示される。
◇解説
今回の拝読範囲は、大聖人が「法華経の行者」としての御心境と御決意を述べられる重要な御文である。
この前段で大聖人は、法華経の行者が難を受ける理由を、経文を通して説明される。その上で、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と仰せになる。"諸天の加護がなかろうと問題ではない。いかなる大難があろうが、身命を賭して妙法を弘通していく"という、死身弘法の決意を示されたのだ。
それを受けた拝読御文で、こうした大聖人の誓いが、揺らぐことはないと述べられる。
すなわち、「法華経を捨てて念仏信仰に入ったら、日本国の王位を譲ろう」との誘惑や、「念仏を称えなければ父母の首をはねる」との脅迫も、「わが法義が智者に破られる」ことがない限り、そうしたものに従うことはないと、不退転の覚悟を示される。
そして、「わが法義が智者に破られる」ほかの、どのような迫害や大難も、"風の前の塵のように、取るに足りないものだ"と仰せになっている。
最後に大聖人は、「立宗の日」以来、貫かれてきた大願を示される。それが「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」との一節である。
これを「主師親の三徳」に配すれば、柱とは「主徳」、眼目とは「師徳」、大船とは「親徳」に当たる。主徳とは、衆生を守る力、働き。師徳とは衆生を指導する力、働き。親徳とは、衆生を慈しむ力、働きを指す。
この一節は、大聖人が一切衆生に対して、「主師親の三徳」をお持ちであることを表されている。そして「ちかいし願やぶるべからず」と、一切衆生救済の誓願は、どんなことがあっても破ることはないとの言葉で、研さん範囲の御文は締めくくられている。
この大聖人の不惜身命の誓願を受け継ぎ、全民衆の幸福のために戦い続けてきたのが、創価三代の師弟である。
池田先生は、つづられた。
「『誓願』は、悪世末法に法を弘めるうえで根幹の柱です。正義に生きる強い誓いの心がなければ、濁世の激流を押し返すことなどできません。魔性を打ち返すことはできません。いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です」
さあ、いよいよ下半期がスタートした。創価学会創立記念日の「11・18」へ、われら男子部は、大聖人直結の広布の誓願を胸に燃やし、圧倒的な弘教拡大のうねりを起こしていきたい。
交通ルールを順守し
"ながら運転"等は厳禁!
百千万億倍の用心で
無事故第一の日々を!
☆女性に贈ることば 九月六日
私の母は多くの子を育てた。苦労の多かった人生の坂道を、無言の力強さで黙々と歩んだ。
そんな母の最後の言葉は「私の人生は勝ったよ」だった。
☆今日のことば365 九月六日
子供にとって栄養のように大事なのは、親の愛情であり、ときに良薬の苦さのような厳しさと、無限の包容力をもった理解が、子供を大きくたくましく育てるのだ。
☆地域を歩く 岐阜県・関ケ原町 2017年8月31日
◇天下分け目の古戦場
山、山、山。
東西南北、どこを向いても小高い山が見える。
岐阜県不破郡の関ケ原町は、古くから東西を結ぶ交通の要衝である。8世紀初めには、関西と関東の分かれ目といわれた「不破関」が置かれた。現在も、JRの東海道本線、東海道新幹線、名神高速道路といった大動脈が町内を走る。
村田勇さん(支部長)の案内で町内を巡った。
言わずと知れた、天下分け目の合戦が行われた古戦場。町のあちこちに、各武将が陣取っていた地点を示す石碑や、家紋が染め抜かれた3メートルほどの「のぼり」が立っている。
石田三成軍の陣跡がある笹尾山から、町を望んだ。車も電車もない時代に、各地から十数万人がここに集った。眼下には、合戦の終盤、最も激しい攻防が繰り広げられたとされる「決戦地」の碑が見える。戦うということ、生きるということを、しばし考えずにはいられない。
JR関ケ原駅に行ってみた。駅前には「いざ! 関ケ原」と書かれた看板が目を引く、瓦屋根の建物が立っている。土産物店や案内所、小憩スペースを併設している観光交流館だ。
付近には県外ナンバーの車や観光バスが次々に停まり、電車が到着するたびに、大きなリュックサックを背負った観光客が降りてくる。子ども連れの家族や、"歴女"(歴史好き・歴史通の女性)の姿も。皆、案内所で地図やパンフレットを受け取ると、史跡巡りに繰り出していく。
◇自他共の幸福を祈る異体同心の"将軍学"
「こんにちは。ようこそ!」「どこからお越しになったのですか?」
赤い法被を着て、案内所で観光客を迎えているのは、谷口京子さん(地区副婦人部長)。10年ほど前から、ここでボランティアガイドを務めている。
最近は海外からの観光客も増えたため、英会話を勉強し始めたという。
「学会活動で培った、相手を尊重する『おもてなしの心』で、心が通い合うような対応を心掛けています。『また来たいです』と、喜んでもらえたら最高です」
幼少から体が弱く、運動会や遠足には参加できなかった。寝たきりの時期もあった。
19歳で学会に入会し、自転車に乗って広布に駆けた。医師から「心臓が悪いので、子どもは諦めてください」と言われたが、2人の子を授かることができた。
"広布のお役に立てる強い体をください"と常に祈ってきた。皮膚がんや、心臓病など、たびたび病気に見舞われたが、谷口さんの「前向きに生きる気力」は、どの病魔にも、打ち勝ってきた。
退職を機に、何か町の発展に貢献できることはないかと思い、ボランティアガイドを始めた。
いつも前向きな姿に、この20年間で5人の友人・知人が入会している。
元気の秘訣を尋ねると、「題目です」とキッパリ。「でも、自分一人だけでは、信心できません。同志がいるから、"私も頑張らなくちゃ"って思える。本当に、同志はありがたい」
◇
「谷口さんには本当に励まされました」と語るのは清水直美さん(地区婦人部長)。88年に、関ケ原で家具店を営む家に嫁いだ。店は県外からも買い付けに来るほどの盛況ぶり。2人の娘に恵まれ、何不自由ない生活をしていた。
しかしある時、人にだまされ、一気に経済苦に。家庭の不和、そして夫との死別が、苦しみに追い打ちをかけた。
多くの友人が離れていく中で、親身になって話を聞いてくれたのが、学会員の友人だった。2004年、入会を決めた。
関ケ原の同志が、励ましに通ってくれた。中でも谷口さんは、清水さん母子を身内のように包み込み、共に泣き、共に喜んでくれた。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)——本当の幸せは心の豊かさであり、自分は目に見える幸福ばかり追いかけていたのだと気が付いた。
長女の菜月さん(女子地区リーダー)は、当時のことを振り返る。「お題目をあげるようになって、母は見る見る元気になっていきました。笑えるようになり、少しずつ会話も増えました」。母に遅れること1年。娘たち2人も入会を決めた。
清水さんは今、地域のメンバーの激励に走る。
「とにかく一人一人の話に耳を傾けるようにしています。私が先輩たちにしてもらったように」
菜月さんは「母の御祈念帳は、学会員さんや友人のことばかり。私も白蓮グループの活動を通じて、人のために祈ることが、自身の福運となることを知りました」と。
次女の夕貴さん(華陽リーダー)も今年、白蓮グループに入った。
◇
「『戦いの烽火は西から上がる』と言われるほど、昔から、広布拡大の模範の地域なんですよ」と語る幸野邦彦さん(圏長)が、草創の人を紹介してくれた。
その一人、酒井精次さん(副圏長)。60歳で建設関係の会社を設立した。
長年、広布の会場を提供してきた。池田先生が揮毫した「関ケ原」の額は、「支部の宝です」。
支部長時代、支部の皆と2カ月で60世帯の弘教を実らせたことが忘れられないという。
「この地域には古来、勝った人の喜びと、負けた人の悔しさも染みこんでいる。勝負の厳しさが刻まれた所だと思います。だからこそ、皆が幸せに生きられる地にしたいと、仏法を語り抜いてきました」
地域の老人会の会長を務めて10年。町の連合の老人会では、広報部長として広報誌を作成している。「文章を書くことは苦手ですが、地域のことを祈って、少しでも喜んでもらいたいという思いで書いています」
◇
同じく関ケ原の草創期を築いた杉山勝己さん(県主事)。59年に入会。地域の人と協力して、花火大会や、たこ揚げ大会を企画したりと、積極的な地域貢献を心掛けてきた。
79年の宗門事件では、本部長として、妻と共に同志を守るために奔走。89年、池田先生から「全部分かっていますよ」と温かく激励されたことが生涯の誉れだ。
夫妻で題目に徹してきた。「唱題すると、不思議と、周囲の人たちの良いところが見えるんですよ」と杉山さんが言うと妻の信子さん(圏副婦人部長)が相づちを打つ。「そうそう、みんないい人たちばかりだなって、感謝があふれてくる。そう感じるときは、どんな広布拡大の戦いでも、必ず結果が出るんです」
◇
かつて関ケ原を訪れた池田先生は、天下分け目の決戦に触れながら、つづっている。
「『真の団結』は、中心者が、どこまで同志を尊敬できるか、どこまで、同志のもてる力を発揮させることができるか、で決まるといってよいだろう。ゆえに、輝く勝利は、御聖訓にある『異体同心』という厳たる団結にある」と。
皆の幸せを祈り、たたえ、尊重する——関ケ原の友の人生には、その"異体同心の将軍学"が脈打っている。
☆9月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 開目抄 2017年8月26日
◇広布の誓願に生きよ! 大難にも負けない信心を
9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「開目抄」を研さん。いかなる大難にも揺るがない「広布誓願の信心」について学ぶ。
◇御文
『種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(御書232ページ)
◇通解
「種々の大難が出てきても、私の正しい法義が智者に破られることがない限り、彼らの要求を決して受け入れることはない。それ以外の大難は、私にとっては風の前の塵のような、取るに足りないものである。私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」などと誓った大願は、決して破ることはない。
◇背景と大意
本抄は文永9年(1272年)2月、日蓮大聖人が佐渡流罪の渦中に、四条金吾を通し大聖人の門下一同に与えられた。
「開目抄」の開目とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生を救う大聖人に"目を開け"との呼び掛けとも拝される。
当時、迫害の嵐は門下にも及び、退転する者が続出した。
「大聖人が法華経の行者であれば、なぜ諸天善神の守護がないのか」——この疑いを晴らすため、本抄で大聖人は、経文に照らして御自身が法華経の行者であることを明白にされる。
その上で、身命をなげうって民衆救済に立ち上がる大願を明かされるとともに、御自身が、「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを示される。
◇解説
今回の拝読範囲は、大聖人が「法華経の行者」としての御心境と御決意を述べられる重要な御文である。
この前段で大聖人は、法華経の行者が難を受ける理由を、経文を通して説明される。その上で、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と仰せになる。"諸天の加護がなかろうと問題ではない。いかなる大難があろうが、身命を賭して妙法を弘通していく"という、死身弘法の決意を示されたのだ。
それを受けた拝読御文で、こうした大聖人の誓いが、揺らぐことはないと述べられる。
すなわち、「法華経を捨てて念仏信仰に入ったら、日本国の王位を譲ろう」との誘惑や、「念仏を称えなければ父母の首をはねる」との脅迫も、「わが法義が智者に破られる」ことがない限り、そうしたものに従うことはないと、不退転の覚悟を示される。
そして、「わが法義が智者に破られる」ほかの、どのような迫害や大難も、"風の前の塵のように、取るに足りないものだ"と仰せになっている。
最後に大聖人は、「立宗の日」以来、貫かれてきた大願を示される。それが「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」との一節である。
これを「主師親の三徳」に配すれば、柱とは「主徳」、眼目とは「師徳」、大船とは「親徳」に当たる。主徳とは、衆生を守る力、働き。師徳とは衆生を指導する力、働き。親徳とは、衆生を慈しむ力、働きを指す。
この一節は、大聖人が一切衆生に対して、「主師親の三徳」をお持ちであることを表されている。そして「ちかいし願やぶるべからず」と、一切衆生救済の誓願は、どんなことがあっても破ることはないとの言葉で、研さん範囲の御文は締めくくられている。
この大聖人の不惜身命の誓願を受け継ぎ、全民衆の幸福のために戦い続けてきたのが、創価三代の師弟である。
池田先生は、つづられた。
「『誓願』は、悪世末法に法を弘めるうえで根幹の柱です。正義に生きる強い誓いの心がなければ、濁世の激流を押し返すことなどできません。魔性を打ち返すことはできません。いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です」
さあ、いよいよ下半期がスタートした。創価学会創立記念日の「11・18」へ、われら男子部は、大聖人直結の広布の誓願を胸に燃やし、圧倒的な弘教拡大のうねりを起こしていきたい。
2017年9月5日火曜日
2017.09.05 わが友に贈る
苦難と闘う友よ
断じて負けるな!
逆行こそ飛躍の好機だ。
不撓不屈の信心で
試練の山を越えゆこう!
義浄房御書 P892
『相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり』
☆女性に贈ることば 九月五日
人間、孤独では生きていけない。独りで自分勝手に生きることが自由で幸せのように見えることもあろうが、実際はそうではない。人との連帯、励ましあいのなかでこそ、人間は生きがいをもち、使命感や向上心を失わずに進んでいくことができる。
☆今日のことば365 九月五日
自然も、世界も、宇宙も、一瞬として止まってはいない。向上を失った瞬間から、すでに人生の退歩がはじまっている。つねに自分の人生を切りひらき、創造し、前進していくことこそ、真実に生きていることの証であり、それが青年の特権である。
☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 九州 2017年8月28日
◇歌え! わが生命の歓喜の歌を
「常に先駆の九州たれ」
九州の同志の胸に輝くモットーが発表されて、今年で50周年。友は「先駆」の誇りに燃えて、幾多の試練を勝ち越え、広布の地平を切り開いてきた。
1990年(平成2年)に勃発した第2次宗門事件。嫉妬に狂った宗門は学会を権威・権力で攻撃し始め、池田先生がベートーベンの「第九」について語ったことを「外道礼賛」として、時代錯誤の難癖をつけてきた。これに対し学会は、仏意仏勅の団体として堂々と前進し、人間生命の歓喜を歌い上げる文化運動によって、宗教ルネサンスの戦いを開始。その勢いは1992年(平成4年)2、3月、九州・大分の地で加速した。
◆◇◆
「大分は完全に勝利した!」「完璧に勝った」
10年ぶりに来県した池田先生は、第1次宗門事件で最も苦しみ、抑圧に耐え抜いた同志をたたえ、高らかに宣言した。
歓喜に沸いたレインボー音楽祭。「荒城の月」の合唱が始まった。10年前、竹田・岡城址で先生と歌った忘れ得ぬ曲だ。
1番を歌い終えたその時だった。スピーカーから歌声が聞こえてきた。池田先生も一緒に歌っている!
響き合う師弟の旋律。あの時を思い出し、涙にむせぶ友もいた。会場は、今再びの共戦に燃え立つ誓いの熱唱に包まれた。
男子部部長として参加した久保田基さん(圏長)も師の歌声に涙声を重ねた。
妻の留美子さん(支部副婦人部長)は地元で音楽祭の成功を祈っていた。81年12月の幹部会には女子部として参加。長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」の発表に、流れる涙もぬぐわず夢中でメモを取った。
結婚後、長女のさやかさん(総県女子部長)、長男の幸夫さん(男子部員)を身ごもった時から、「わが子を広布の後継者に」とひたぶるに祈り続けた。
夫婦は一度、離婚・別居するが、互いに広布の活動に一歩も引かず励むなか、2013年11月18日、全てを乗り越えて復縁。そこには10年間、一家和楽を祈り続けたさやかさんの存在があった。家族は今、師と共に生きる幸せをかみしめ、使命の天地を舞いゆく。
◆◇◆
1993年の12月、九州は新たな"音楽文化の連続闘争"を打ち出した。
学会創立65周年(95年)を絢爛と開くべく、94年夏から各県で音楽祭・合唱祭等を行い、民衆凱歌のうねりを九州中に巻き起こす。その総仕上げとして、11月に福岡ドーム(現・福岡ヤフオク!ドーム)で前代未聞の「5万人の第九」を開催するというものだった。
池田先生の「創立65周年には5万人で、創立70周年には10万人で、『第九』の合唱を」との提案を、九州青年部こそが実現するという誓願の証しであった。
◆◇◆
まず先駆を切ったのは長崎。8月14日に5000人の青年平和総会を県立総合体育館で開催し、"平和のたいまつ"を受け継ぐ若人たちの賛歌を響かせた。
8月14日は、池田先生と恩師・戸田先生の出会いの日。池田先生は、アジアの民の幸福を願った恩師を偲びつつ、メッセージを贈った。「平和とは、単に『争いなき平穏』を指すのではない。一人一人の内なる生命の変革なくして、揺るがぬ真の平和を築きゆくことはできない」「平和のために勇気を、平和のために行動を、平和のために連帯を」——。
総会では、師の期待に呼応するように、「長崎青年平和宣言」を発表。100人の被爆証言ビデオの制作、反戦・平和の常設展示、平和意識調査などの行動方針が示された。
総会に列席した長崎市の本島等市長(故人)は語った。「私は創価学会の平和運動を高く評価しています。それは、いつの時代も『平和の旗』を高らかに掲げ、真剣に行動する青年がいるからです」
◆◇◆
続いて行われたのが、9月11日の鹿児島青年栄光合唱祭(鹿児島アリーナ)。
その前月、青年部の代表が、リハーサルの模様を収めたアルバムを池田先生に届けた。若人たちのほとばしる情熱が詰まった一葉一葉の写真を見た先生は、「21世紀を開く合唱祭だね!」と、大成功を心から期待した。
合唱祭のテーマは、「世紀乱舞人」。これは1983年3月、鹿児島文化会館の開館に寄せて贈られた、池田先生の揮毫である。
後継の若き志士たちよ、新しき世紀へ舞いに舞いゆけ!——師の願いが凝縮したこの5文字をもとに、合唱祭は「19世紀——薩摩人」「20世紀——鹿児島人」「21世紀——世界人」の3景で構成。歴史回天の先駆に燃える5000人の見事な祭典となった。
この時、贈られた池田先生のメッセージは、鹿児島の永遠の使命をとどめたものであった。
「時代を変え、歴史を変える『核』の存在となってきたのが、まさしく、ここ鹿児島の天地」「このロマンあふれる美しき故郷から、新たなる民衆の幸福のスクラムを、世界へ、世紀へ、拡大していただきたい」
11月3日の宮崎青年部総会には、意気に燃え立つ日向の若人ら6000人がシーガイアコンベンションセンターに集った。新会員ら1000人の大合唱や和太鼓など迫力の演目の後、横暴な宗門などに対して声を上げる集いを行った。
これを聞いた池田先生は、正義の言論に立ち上がった青年の勇気をたたえ、「思い切ってやりなさい」と万感のエールを送った。
県青年部長として総会を指揮した鬼束武人さん(県総合長)。長男の雄人さん(男子部部長)、次男の真人さん(圏男子部長)も当時、未来部として参加した。
武人さんは19歳で入会。家業の倒産を乗り越えて、信心一筋で現在の総合印刷会社を築いた苦労人。息子たちに常に語っているのは「人生の師匠を持つ大切さ」と「青年として苦労し、人格を磨くこと」。父の背中を見て育った息子たちは今、父の会社を担うとともに、広布の舞台でも青年部の中核として奮闘する。
2人の心にはいつも、池田先生の言葉が響いている。「宮崎の若き開拓者の諸君よ、太陽に向かって、決然と立ち上がれ!」
◆◇◆
熊本青年文化合唱祭(11月6日、熊本平和会館で)では、"広布の田原坂"に挑む火の国の若者たちの歌・劇・ダンスが。
池田先生は東京から成功を見守り、和歌を贈った。
「仰ぎみむ 大宮殿に 乱舞せる 我が弟子 嬉しや 熊本健児よ」
「気高くも 広布の歌声 美しく 乙女の成長 諸仏は護らむ」
「松明は 君らに継がれん 新時代 幸福戦士と 走りに走れや」
演目では、新入会の友200人の合唱団が、フレッシュな歌声を響かせた。
この時、水本ルミさん(地区婦人部長)は半年前に入会したばかり。入会前の数年は、宗門による学会員への「御本尊下付停止」のため会友として活動。自宅のある上天草の維和島では理解者も少なく、家族や近隣からの風当たりも強かった。しかし、自室で題目を唱え、広布に励むと命が躍動した。合唱の練習にも車で1時間半かけて練習会場に通った。合唱祭を通し、黄金の思い出を刻んだ。
夫の竜太郎さん(地区部長)と結婚後も夫婦で対話に奔走。今年も家族で2世帯の弘教を実らせた。今、長男・光一さん(学生部ビクトリー・リーダー)、長女・真弓さん(高校3年)を後継の大樹へと育みながら、使命の勝利島を駆け巡る。
◆◇◆
そして決勝点の11月23日。「5万人の第九」の当日を迎えた。大晴天。諸天も勝利の一日を約束した。
福岡ドームに参加者を乗せたバスが続々と到着する。隣県の佐賀からも"栄えの国"の若き勇者、華陽の乙女が参加した。
大野千恵子さん(支部婦人部長)は当時、女子部部長として部のメンバーと共に合唱団の一員に。「池田先生との原点を築こうね」と、ドイツ語の合唱練習にも必死に食らいついた。
池田先生が会場へ。広い広いドームで、大野さんの席からは先生の姿は豆つぶのようだったが、確かにそこに師匠がいる。スクリーンに映し出される師の姿をまぶたに焼き付けながら、全身全霊で歌った——。
大野さんは結婚後、一女一男を出産。長女の美咲さん(女子部員)が中学2年の時、不登校に。「この子を絶対に広布の人材に!」と泣きながら御本尊に祈った。薄紙を?ぐように美咲さんは立ち直り、高校、専門学校へと進学。3年前の青年大会では、母と同じく「第九」を元気に歌った。不滅の名曲が母娘を結ぶ絆のシンフォニーとなった。
◆◇◆
福岡ドームの「第九」はいよいよ第4楽章へ。
♪おお友よ、もっと快い、喜びに満ちた歌を歌おう!——。
やがて合唱がクライマックスに入ると、開閉式のドームの屋根が、ゆっくりと開き始めた。天井から一条の光が差し込む。
頭上を見上げる池田先生。光の筋は、帯となり、大合唱の舞台へ、煌々と降り注いだ。まさに、戸田先生が詠まれた"アジアの民に 日をぞ送らん"との和歌の一節を現出したかのような光景だった。
ドームを揺るがす5万人による瀑布のような歌声。それは、「民衆勝利の栄光の賛歌」であり「精神闘争の不滅の凱歌」であった。
終了後、池田先生は「すごかった。いまだに合唱の響きが残っているよ。よく一つになれたね」と。そして力強く語った。「九州は勝った! 完璧だったよ」
——その後、九州は2001年に116会場を中継で結んだ「10万人の第九」、05年には、沖縄と韓国の友も参加した「アジアの第九」を実現。九州はいかなる障魔の嵐が吹き荒れようと、堂々と師弟の大道を歩み、「第九」とともに勝利また勝利を開いてきた。その歴史は、不滅の"師弟の物語"として、世代を超えて、受け継がれていく。
断じて負けるな!
逆行こそ飛躍の好機だ。
不撓不屈の信心で
試練の山を越えゆこう!
義浄房御書 P892
『相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり』
☆女性に贈ることば 九月五日
人間、孤独では生きていけない。独りで自分勝手に生きることが自由で幸せのように見えることもあろうが、実際はそうではない。人との連帯、励ましあいのなかでこそ、人間は生きがいをもち、使命感や向上心を失わずに進んでいくことができる。
☆今日のことば365 九月五日
自然も、世界も、宇宙も、一瞬として止まってはいない。向上を失った瞬間から、すでに人生の退歩がはじまっている。つねに自分の人生を切りひらき、創造し、前進していくことこそ、真実に生きていることの証であり、それが青年の特権である。
☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 九州 2017年8月28日
◇歌え! わが生命の歓喜の歌を
「常に先駆の九州たれ」
九州の同志の胸に輝くモットーが発表されて、今年で50周年。友は「先駆」の誇りに燃えて、幾多の試練を勝ち越え、広布の地平を切り開いてきた。
1990年(平成2年)に勃発した第2次宗門事件。嫉妬に狂った宗門は学会を権威・権力で攻撃し始め、池田先生がベートーベンの「第九」について語ったことを「外道礼賛」として、時代錯誤の難癖をつけてきた。これに対し学会は、仏意仏勅の団体として堂々と前進し、人間生命の歓喜を歌い上げる文化運動によって、宗教ルネサンスの戦いを開始。その勢いは1992年(平成4年)2、3月、九州・大分の地で加速した。
◆◇◆
「大分は完全に勝利した!」「完璧に勝った」
10年ぶりに来県した池田先生は、第1次宗門事件で最も苦しみ、抑圧に耐え抜いた同志をたたえ、高らかに宣言した。
歓喜に沸いたレインボー音楽祭。「荒城の月」の合唱が始まった。10年前、竹田・岡城址で先生と歌った忘れ得ぬ曲だ。
1番を歌い終えたその時だった。スピーカーから歌声が聞こえてきた。池田先生も一緒に歌っている!
響き合う師弟の旋律。あの時を思い出し、涙にむせぶ友もいた。会場は、今再びの共戦に燃え立つ誓いの熱唱に包まれた。
男子部部長として参加した久保田基さん(圏長)も師の歌声に涙声を重ねた。
妻の留美子さん(支部副婦人部長)は地元で音楽祭の成功を祈っていた。81年12月の幹部会には女子部として参加。長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」の発表に、流れる涙もぬぐわず夢中でメモを取った。
結婚後、長女のさやかさん(総県女子部長)、長男の幸夫さん(男子部員)を身ごもった時から、「わが子を広布の後継者に」とひたぶるに祈り続けた。
夫婦は一度、離婚・別居するが、互いに広布の活動に一歩も引かず励むなか、2013年11月18日、全てを乗り越えて復縁。そこには10年間、一家和楽を祈り続けたさやかさんの存在があった。家族は今、師と共に生きる幸せをかみしめ、使命の天地を舞いゆく。
◆◇◆
1993年の12月、九州は新たな"音楽文化の連続闘争"を打ち出した。
学会創立65周年(95年)を絢爛と開くべく、94年夏から各県で音楽祭・合唱祭等を行い、民衆凱歌のうねりを九州中に巻き起こす。その総仕上げとして、11月に福岡ドーム(現・福岡ヤフオク!ドーム)で前代未聞の「5万人の第九」を開催するというものだった。
池田先生の「創立65周年には5万人で、創立70周年には10万人で、『第九』の合唱を」との提案を、九州青年部こそが実現するという誓願の証しであった。
◆◇◆
まず先駆を切ったのは長崎。8月14日に5000人の青年平和総会を県立総合体育館で開催し、"平和のたいまつ"を受け継ぐ若人たちの賛歌を響かせた。
8月14日は、池田先生と恩師・戸田先生の出会いの日。池田先生は、アジアの民の幸福を願った恩師を偲びつつ、メッセージを贈った。「平和とは、単に『争いなき平穏』を指すのではない。一人一人の内なる生命の変革なくして、揺るがぬ真の平和を築きゆくことはできない」「平和のために勇気を、平和のために行動を、平和のために連帯を」——。
総会では、師の期待に呼応するように、「長崎青年平和宣言」を発表。100人の被爆証言ビデオの制作、反戦・平和の常設展示、平和意識調査などの行動方針が示された。
総会に列席した長崎市の本島等市長(故人)は語った。「私は創価学会の平和運動を高く評価しています。それは、いつの時代も『平和の旗』を高らかに掲げ、真剣に行動する青年がいるからです」
◆◇◆
続いて行われたのが、9月11日の鹿児島青年栄光合唱祭(鹿児島アリーナ)。
その前月、青年部の代表が、リハーサルの模様を収めたアルバムを池田先生に届けた。若人たちのほとばしる情熱が詰まった一葉一葉の写真を見た先生は、「21世紀を開く合唱祭だね!」と、大成功を心から期待した。
合唱祭のテーマは、「世紀乱舞人」。これは1983年3月、鹿児島文化会館の開館に寄せて贈られた、池田先生の揮毫である。
後継の若き志士たちよ、新しき世紀へ舞いに舞いゆけ!——師の願いが凝縮したこの5文字をもとに、合唱祭は「19世紀——薩摩人」「20世紀——鹿児島人」「21世紀——世界人」の3景で構成。歴史回天の先駆に燃える5000人の見事な祭典となった。
この時、贈られた池田先生のメッセージは、鹿児島の永遠の使命をとどめたものであった。
「時代を変え、歴史を変える『核』の存在となってきたのが、まさしく、ここ鹿児島の天地」「このロマンあふれる美しき故郷から、新たなる民衆の幸福のスクラムを、世界へ、世紀へ、拡大していただきたい」
11月3日の宮崎青年部総会には、意気に燃え立つ日向の若人ら6000人がシーガイアコンベンションセンターに集った。新会員ら1000人の大合唱や和太鼓など迫力の演目の後、横暴な宗門などに対して声を上げる集いを行った。
これを聞いた池田先生は、正義の言論に立ち上がった青年の勇気をたたえ、「思い切ってやりなさい」と万感のエールを送った。
県青年部長として総会を指揮した鬼束武人さん(県総合長)。長男の雄人さん(男子部部長)、次男の真人さん(圏男子部長)も当時、未来部として参加した。
武人さんは19歳で入会。家業の倒産を乗り越えて、信心一筋で現在の総合印刷会社を築いた苦労人。息子たちに常に語っているのは「人生の師匠を持つ大切さ」と「青年として苦労し、人格を磨くこと」。父の背中を見て育った息子たちは今、父の会社を担うとともに、広布の舞台でも青年部の中核として奮闘する。
2人の心にはいつも、池田先生の言葉が響いている。「宮崎の若き開拓者の諸君よ、太陽に向かって、決然と立ち上がれ!」
◆◇◆
熊本青年文化合唱祭(11月6日、熊本平和会館で)では、"広布の田原坂"に挑む火の国の若者たちの歌・劇・ダンスが。
池田先生は東京から成功を見守り、和歌を贈った。
「仰ぎみむ 大宮殿に 乱舞せる 我が弟子 嬉しや 熊本健児よ」
「気高くも 広布の歌声 美しく 乙女の成長 諸仏は護らむ」
「松明は 君らに継がれん 新時代 幸福戦士と 走りに走れや」
演目では、新入会の友200人の合唱団が、フレッシュな歌声を響かせた。
この時、水本ルミさん(地区婦人部長)は半年前に入会したばかり。入会前の数年は、宗門による学会員への「御本尊下付停止」のため会友として活動。自宅のある上天草の維和島では理解者も少なく、家族や近隣からの風当たりも強かった。しかし、自室で題目を唱え、広布に励むと命が躍動した。合唱の練習にも車で1時間半かけて練習会場に通った。合唱祭を通し、黄金の思い出を刻んだ。
夫の竜太郎さん(地区部長)と結婚後も夫婦で対話に奔走。今年も家族で2世帯の弘教を実らせた。今、長男・光一さん(学生部ビクトリー・リーダー)、長女・真弓さん(高校3年)を後継の大樹へと育みながら、使命の勝利島を駆け巡る。
◆◇◆
そして決勝点の11月23日。「5万人の第九」の当日を迎えた。大晴天。諸天も勝利の一日を約束した。
福岡ドームに参加者を乗せたバスが続々と到着する。隣県の佐賀からも"栄えの国"の若き勇者、華陽の乙女が参加した。
大野千恵子さん(支部婦人部長)は当時、女子部部長として部のメンバーと共に合唱団の一員に。「池田先生との原点を築こうね」と、ドイツ語の合唱練習にも必死に食らいついた。
池田先生が会場へ。広い広いドームで、大野さんの席からは先生の姿は豆つぶのようだったが、確かにそこに師匠がいる。スクリーンに映し出される師の姿をまぶたに焼き付けながら、全身全霊で歌った——。
大野さんは結婚後、一女一男を出産。長女の美咲さん(女子部員)が中学2年の時、不登校に。「この子を絶対に広布の人材に!」と泣きながら御本尊に祈った。薄紙を?ぐように美咲さんは立ち直り、高校、専門学校へと進学。3年前の青年大会では、母と同じく「第九」を元気に歌った。不滅の名曲が母娘を結ぶ絆のシンフォニーとなった。
◆◇◆
福岡ドームの「第九」はいよいよ第4楽章へ。
♪おお友よ、もっと快い、喜びに満ちた歌を歌おう!——。
やがて合唱がクライマックスに入ると、開閉式のドームの屋根が、ゆっくりと開き始めた。天井から一条の光が差し込む。
頭上を見上げる池田先生。光の筋は、帯となり、大合唱の舞台へ、煌々と降り注いだ。まさに、戸田先生が詠まれた"アジアの民に 日をぞ送らん"との和歌の一節を現出したかのような光景だった。
ドームを揺るがす5万人による瀑布のような歌声。それは、「民衆勝利の栄光の賛歌」であり「精神闘争の不滅の凱歌」であった。
終了後、池田先生は「すごかった。いまだに合唱の響きが残っているよ。よく一つになれたね」と。そして力強く語った。「九州は勝った! 完璧だったよ」
——その後、九州は2001年に116会場を中継で結んだ「10万人の第九」、05年には、沖縄と韓国の友も参加した「アジアの第九」を実現。九州はいかなる障魔の嵐が吹き荒れようと、堂々と師弟の大道を歩み、「第九」とともに勝利また勝利を開いてきた。その歴史は、不滅の"師弟の物語"として、世代を超えて、受け継がれていく。
2017年9月4日月曜日
2017.09.04 わが友に贈る
◇今週のことば
友の心に仏の種を蒔く
下種こそ慈悲の真髄。
「声も惜まず」と
勇敢に朗らかに語ろう!
幸福と平和の拡大へ。
2017年9月4日
兵衛志殿御返事 P1091
『千年のかるかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり』
☆女性に贈ることば 九月四日
私が小学校五年生の頃の秋でした。わが家が、風速三十三メートルほどの大きな台風に襲われたことがあります。
兄たちは、兵隊にとられて家にはいない。真っ暗な家のなか、幼い子どもたちの不安は募りました。しかし、その時です。
父が、厳として、「怖くない!」と言ったのです。母も、毅然 と、「お父さんがいるから、絶対に心配ないよ!」と。
この父母のひと言に、どれだけ、ほっとし、勇気がわいてきたことか。私は、今でも鮮烈に思い出します。
☆今日のことば365 九月四日
長い人生には、敗れることもある。しかし、一陣が敗れたからといって、人生全部が負けたということとは、意味が違うものだ。
敗れることは、人生にも、事業にもあろう。だが、根本的な勝敗は、一生涯を通してみなければ、論ずることはできない。
☆国立サンマルコス大学からの名誉博士号授与式での池田先生の謝辞 2017年8月24日
◇全人類の幸福と英知のために 一切の困難を乗り越え共に前進
一、私は今、かけがえのない人生の宝である、貴・国立サンマルコス大学との黄金の縁を噛みしめております。
私が貴大学を初めて訪問させていただいたのは、43年前、1974年3月であります。
まだ、わが創価大学は開学して3年。産声をあげたばかりの大学でした。ですから、1551年に創立され、南米最古の伝統を誇り、最高の学術探究と人材育成の歴史を刻まれてきた、名門・サンマルコス大学から、大いに学ばせていただきたいとの思いを込めての表敬でありました。
当時のゲバラ総長は、黒縁の眼鏡の奥に笑みを湛えつつ、明快に語られました。「大学の使命は精神的な価値の創造にあり、大学の思想が幾世紀に渡る文化を生むのです」と。
そして総長はじめ貴大学の先生方は、「わが大学は、親友たる創価大学と同じ目的を持つことを誇り高く宣言します」と迎え入れてくださったのであります。
私は感動しました。いな、心で感涙しました。大学とは、何と広々と、いかなる差異も超えて人類を結び合い、高めゆく精神の広場なのか、と。
尽きせぬ感謝を込めて、私自身、この大学と大学の平和創出の連帯を、さらに世界中に広げゆこう! と決意を新たにしたのであります。
1984年に再び貴大学を訪れた折、図書贈呈の式典が行われたのが、本日の会場「サロン・デ・グラードス」でありました。今ここに、大恩ある貴大学から名誉博士号を賜り、私は感慨無量であります。
誠に誠に、ありがとうございます。
◇今日の私は全て師の薫陶ありて
一、この光栄を、私は、何よりもまず、「戸田大学」の卒業生として拝受させていただきます。
戸田大学とは、軍国主義の弾圧を戦い抜いた信念の人間教育者・戸田城聖先生が万般の学問を授けてくださった、一対一の対話による個人授業のことであります。この8月24日で、戸田先生に師事してより満70年となります。(大拍手)
恩師は、こよなく青年を信じ、対話を通して、一人一人の若き生命に秘められた力を引き出し、「人間革命」という軌道へ導いてくださいました。今日の私があるのは全て、師の薫陶あればこそなのであります。
一、私には、貴大学の名総長として指揮を執られた偉大な教育者、ホセ・アントニオ・エンシーナス博士の至言が思い起こされます。
「教師は教授することを目的とするのではなく、学生が持つ自らの可能性を生かして、創造することを教えるべきである」と。
その触発の鍵も「対話」でありましょう。
貴大学を訪問した際、教員と学生、また学生と学生の心開かれた「対話」が重視されていることに、私は深い感銘を覚えました。
今、世界に差別と暴力が渦巻いている時代だからこそ、貴大学が体現されてきた、この「対話の文化」を強め、広げながら、民衆の創造的知性を解き放っていくことが、ますます大切ではないでしょうか。
一、さらに私は、貴大学からの栄誉を、貴国の模範の市民、模範の国民として献身する、ペルーSGIの宝友たちと分かち合わせていただきます。
貴大学の卒業生で、ペルーを代表する作家セバスティアン・サラサル=ボンディ先生は語っています。「知識人は、自らの思考を結実させることで、使命を果たすだけでなく、市民生活の営みと振る舞いの中で、その使命を果たさねばならない」と。
貴大学には、教授も学生も、民衆と共に歩み、人類の幸福と平和と英知という目標に向かって、一切の困難を乗り越えていくべきであるという断固たる気概が受け継がれているのであります。
◇誉れの栄冠を世界の後継に
わがSGIも、貴大学のキャンパスで「環境展」や「法華経展」を開催させていただくなど、草の根の平和・文化・教育運動に惜しみないご協力を賜っていることに、あらためて心から御礼を申し上げます。
今後も、敬愛する貴大学とご一緒に、いやまして誠実に、愛するペルー社会へ貢献していければと、私は願ってやみません。
とともに私は、この栄冠を、ペルーをはじめ、世界の後継の青年たちに託させていただきます。
一、私が胸に刻んできた貴大学の校歌には、高らかに謳い上げられています。
「栄光のサンマルコス大学、前進を!/誰人も汝に勝つことはできない/ゆえに汝は 常に前列にいる/さらにこれからも」と。(拍手)
その通り、貴大学は、史上初めて教員と学生の選挙によって選ばれた、カチャイ総長の卓越したリーダーシップのもと、一段と前進を加速され、創造的変革を力強く推し進められております。
この貴大学に漲る前進の息吹こそ、青年の誉れでもありましょう。
貴大学の名誉教授でペルーの著名な作家として活躍されたアウグスト・タマヨ先生も、「青年一人一人に新しいことを手掛ける意気込みがなければならない」とエールを送りました。
若き創価の世界市民たちが、まさしく、この新たな価値創造の意気込みに燃え、貴大学の英才たちと手を携えて、人類の希望の未来を開いてくれることを、私は大確信しております。
◇深い使命と自らの価値の自覚を
私も、貴大学との黄金の絆を誇りとして、一生涯、貴国の青年の勝利と栄光の道を開いていくことを、ここにお誓い申し上げます。
その心を、貴大学の校歌に託させていただきます。
「サンマルコス大学を母校とするわれらは/常に団結し、偉大な、深い使命のもとで/自らの価値を自覚して/頭を高々と上げていこう!」と。(拍手)
美しき母校愛にあふれる貴大学のいよいよの大発展とともに、本日ご列席の皆さま方のますますのご健勝を、心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムーチャス・グラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)
友の心に仏の種を蒔く
下種こそ慈悲の真髄。
「声も惜まず」と
勇敢に朗らかに語ろう!
幸福と平和の拡大へ。
2017年9月4日
兵衛志殿御返事 P1091
『千年のかるかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり』
☆女性に贈ることば 九月四日
私が小学校五年生の頃の秋でした。わが家が、風速三十三メートルほどの大きな台風に襲われたことがあります。
兄たちは、兵隊にとられて家にはいない。真っ暗な家のなか、幼い子どもたちの不安は募りました。しかし、その時です。
父が、厳として、「怖くない!」と言ったのです。母も、毅然 と、「お父さんがいるから、絶対に心配ないよ!」と。
この父母のひと言に、どれだけ、ほっとし、勇気がわいてきたことか。私は、今でも鮮烈に思い出します。
☆今日のことば365 九月四日
長い人生には、敗れることもある。しかし、一陣が敗れたからといって、人生全部が負けたということとは、意味が違うものだ。
敗れることは、人生にも、事業にもあろう。だが、根本的な勝敗は、一生涯を通してみなければ、論ずることはできない。
☆国立サンマルコス大学からの名誉博士号授与式での池田先生の謝辞 2017年8月24日
◇全人類の幸福と英知のために 一切の困難を乗り越え共に前進
一、私は今、かけがえのない人生の宝である、貴・国立サンマルコス大学との黄金の縁を噛みしめております。
私が貴大学を初めて訪問させていただいたのは、43年前、1974年3月であります。
まだ、わが創価大学は開学して3年。産声をあげたばかりの大学でした。ですから、1551年に創立され、南米最古の伝統を誇り、最高の学術探究と人材育成の歴史を刻まれてきた、名門・サンマルコス大学から、大いに学ばせていただきたいとの思いを込めての表敬でありました。
当時のゲバラ総長は、黒縁の眼鏡の奥に笑みを湛えつつ、明快に語られました。「大学の使命は精神的な価値の創造にあり、大学の思想が幾世紀に渡る文化を生むのです」と。
そして総長はじめ貴大学の先生方は、「わが大学は、親友たる創価大学と同じ目的を持つことを誇り高く宣言します」と迎え入れてくださったのであります。
私は感動しました。いな、心で感涙しました。大学とは、何と広々と、いかなる差異も超えて人類を結び合い、高めゆく精神の広場なのか、と。
尽きせぬ感謝を込めて、私自身、この大学と大学の平和創出の連帯を、さらに世界中に広げゆこう! と決意を新たにしたのであります。
1984年に再び貴大学を訪れた折、図書贈呈の式典が行われたのが、本日の会場「サロン・デ・グラードス」でありました。今ここに、大恩ある貴大学から名誉博士号を賜り、私は感慨無量であります。
誠に誠に、ありがとうございます。
◇今日の私は全て師の薫陶ありて
一、この光栄を、私は、何よりもまず、「戸田大学」の卒業生として拝受させていただきます。
戸田大学とは、軍国主義の弾圧を戦い抜いた信念の人間教育者・戸田城聖先生が万般の学問を授けてくださった、一対一の対話による個人授業のことであります。この8月24日で、戸田先生に師事してより満70年となります。(大拍手)
恩師は、こよなく青年を信じ、対話を通して、一人一人の若き生命に秘められた力を引き出し、「人間革命」という軌道へ導いてくださいました。今日の私があるのは全て、師の薫陶あればこそなのであります。
一、私には、貴大学の名総長として指揮を執られた偉大な教育者、ホセ・アントニオ・エンシーナス博士の至言が思い起こされます。
「教師は教授することを目的とするのではなく、学生が持つ自らの可能性を生かして、創造することを教えるべきである」と。
その触発の鍵も「対話」でありましょう。
貴大学を訪問した際、教員と学生、また学生と学生の心開かれた「対話」が重視されていることに、私は深い感銘を覚えました。
今、世界に差別と暴力が渦巻いている時代だからこそ、貴大学が体現されてきた、この「対話の文化」を強め、広げながら、民衆の創造的知性を解き放っていくことが、ますます大切ではないでしょうか。
一、さらに私は、貴大学からの栄誉を、貴国の模範の市民、模範の国民として献身する、ペルーSGIの宝友たちと分かち合わせていただきます。
貴大学の卒業生で、ペルーを代表する作家セバスティアン・サラサル=ボンディ先生は語っています。「知識人は、自らの思考を結実させることで、使命を果たすだけでなく、市民生活の営みと振る舞いの中で、その使命を果たさねばならない」と。
貴大学には、教授も学生も、民衆と共に歩み、人類の幸福と平和と英知という目標に向かって、一切の困難を乗り越えていくべきであるという断固たる気概が受け継がれているのであります。
◇誉れの栄冠を世界の後継に
わがSGIも、貴大学のキャンパスで「環境展」や「法華経展」を開催させていただくなど、草の根の平和・文化・教育運動に惜しみないご協力を賜っていることに、あらためて心から御礼を申し上げます。
今後も、敬愛する貴大学とご一緒に、いやまして誠実に、愛するペルー社会へ貢献していければと、私は願ってやみません。
とともに私は、この栄冠を、ペルーをはじめ、世界の後継の青年たちに託させていただきます。
一、私が胸に刻んできた貴大学の校歌には、高らかに謳い上げられています。
「栄光のサンマルコス大学、前進を!/誰人も汝に勝つことはできない/ゆえに汝は 常に前列にいる/さらにこれからも」と。(拍手)
その通り、貴大学は、史上初めて教員と学生の選挙によって選ばれた、カチャイ総長の卓越したリーダーシップのもと、一段と前進を加速され、創造的変革を力強く推し進められております。
この貴大学に漲る前進の息吹こそ、青年の誉れでもありましょう。
貴大学の名誉教授でペルーの著名な作家として活躍されたアウグスト・タマヨ先生も、「青年一人一人に新しいことを手掛ける意気込みがなければならない」とエールを送りました。
若き創価の世界市民たちが、まさしく、この新たな価値創造の意気込みに燃え、貴大学の英才たちと手を携えて、人類の希望の未来を開いてくれることを、私は大確信しております。
◇深い使命と自らの価値の自覚を
私も、貴大学との黄金の絆を誇りとして、一生涯、貴国の青年の勝利と栄光の道を開いていくことを、ここにお誓い申し上げます。
その心を、貴大学の校歌に託させていただきます。
「サンマルコス大学を母校とするわれらは/常に団結し、偉大な、深い使命のもとで/自らの価値を自覚して/頭を高々と上げていこう!」と。(拍手)
美しき母校愛にあふれる貴大学のいよいよの大発展とともに、本日ご列席の皆さま方のますますのご健勝を、心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムーチャス・グラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)
2017年9月3日日曜日
2017.09.03 わが友に贈る
「真剣」に勝る力はない。
どうすれば皆が喜ぶか
智慧と真心を尽くそう!
その「人の振舞」に
仏法者の真価は輝く。
御義口伝巻上 P748
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音声なり』
☆女性に贈ることば 九月三日
悲しみを程にして、もっと大きな自分になればいい。もっと素敵な自分になればいい。苦しんだあなただからこそ、そうなれる。
顔をあげればいい。自分は一生懸命生きたのだから、最高の勝利者なのである。
自分で自分を励ますことだ。
☆今日のことば365 九月三日
希望は 人生の夢だ
夢のない人生は灰色だ
一生 今の希望を
もちつづけられる人は
偉大な人だ
打算でも 利害でも
有名人でも ないけれど
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生第3回 関西校 1973〜75年度 2017年8月22日
◇他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない。この信条を培ってほしい。
古来、桜の名所として知られ、『新古今和歌集』や『枕草子』などにも登場する大阪の交野市。
創立者・池田先生は、この詩情豊かな「ロマンの里」に、女子校を建設することを決めた。
設立発表は、東京の創価中学・高校の開校から1年後となる1969年7月だった。
縁深き関西の天地に、いつの日か創価の学舎をつくりたいと、人知れず構想を膨らませていた先生。「女子校をはじめとする教育事業に、残る半生、全魂をこめ、心血をそそいで応援してまいる考えです」——73年1月の落成式に寄せたメッセージには、率直な真情をつづっている。
◇未来の平和への道
陽光が差し込む体育館に、真新しい紺地のセーラー服を着た乙女たちが入って来る。
先生の出席のもと、創価女子中学・高校(当時)の第1回入学式が行われたのは、同年の4月11日である。
誉れの1期生となったのは、高校生239人、中学生148人。スピーチに立った先生は、緊張と決意の表情を浮かべる友を見つめながら、開口一番、こう呼び掛けた。
「今朝、妻に『うちは男の子しかいないから、全員、娘にしたいな』って言ったら、妻も『そうしたいですね』って言うんですよ」
絶妙なユーモアに、歓声と笑みが広がる。
和やかな雰囲気の中、先生は「伝統・平和・躾・教養・青春」の五項目について言及し、「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」との言葉を贈った。
「この心をもち、実践していったならば、まれにみる麗しい平和な学園が実現するでありましょう」「地球は大きく、この学園は、その地球から見るならば、ケシつぶほどのものであるかもしれない。しかし、未来の平和への道を考えるとき、皆さんのこれからの実践は、やがて地球を覆うにたる力をもつはずである、と私は確信したい」
これが、学園の"平和教育の永遠の指針"となった。
式典を終えると、先生は生徒の輪の中へ。「良識・健康・希望」のモットーの碑の除幕式や、入学記念撮影会に参加し、卓球場・テニスコート開きでは、運動着に着替え、一緒に汗を流した。
創立者との絆は、開校初日から固く強く結ばれていった。
◇一流の女性に
この年の秋には、第1回「希望祭」が行われた(9月14日)。
学園生の創意工夫があふれたバザーや展示。先生が来賓・保護者らと見守ったメイン行事"交野秋の夕べ"では、童謡メドレー、舞踊、モダンダンス、授業風景を模したコントなどが次々と披露され、拍手と笑いが絶えなかった。
終盤には、いかなる苦難にも屈しない父子の姿を描いた創作劇「最後の一句」の上演も。迫真の演技に、場内は感動の渦に包まれた。
劇で主人公の弟役を演じた山口好美さん(中学1期)。行事を終え、制服に着替えて校舎の外に出ると、ばったり先生と出会った。
先生は山口さんらを野点の席に招いて言った。
「劇、上手だったね」
思わぬ一言に、山口さんは驚いた。カツラや化粧をした衣装姿は、観賞に来た母親ですら、わが子だと見分けがつかなかったからだ。
さらに先生は、「一流の女性になるためには、お茶の作法も覚えておくんだよ」と、自ら礼儀やマナーを教えた。
「一人一人を大切に育もうとされる先生の振る舞いは、今もこの目に焼き付いて離れません」と山口さん。卒業後は保育士として働きながら、学園生となった2人の子を育て上げた。同窓の誇りと原点を胸に、家族そろって感謝の道を歩む。
◇良識・健康・希望
開校以来、先生は多忙な合間を縫って、関西校に何度も足を運んだ。
中高の全学年がそろった3年目の75年4月。第3次訪中へ旅立つ直前にも、学園を訪れている。生徒たちに会いたいと、大阪から中国に出発することにしたからである。
13日の記念撮影会。新入生にとっては、先生をキャンパスに迎える待望の機会となった。
先生は、モットーである「良識・健康・希望」の意義を語った。
「良識」——即、聡明であり、人間として人間らしく生きる、最も基本の姿である。
「健康」——一生を生きていく上で、最も基礎となるものである。
「希望」——何があろうと希望を抱いて前に進み、自分自身に挑戦していくことである、と。
武内秀子さん(高校3期)は、中学3期の妹・中下愛子さんと共に参加した。両親は、家計が厳しい中、姉妹の同時入学を後押ししてくれた。
「学園に入って本当に良かったと、心から思えた瞬間でした。生涯、創立者の"娘"として、三モットーを胸に生き抜こうと決意しました。それが、最大の親孝行になると思ったんです」
95年に父が急逝した際は、妹と共に母を支え、大阪にある実家の運送業の手伝いを。当時住んでいた埼玉を離れる決断となったが、夫や義母の応援もあり、従業員やその家族の生活を守ることを最優先にした。
「人のために尽くす人生でありたい。それが学園で創立者から教わった生き方です」
武内さんは現在、母の後を継ぎ、会社の代表取締役に就任。2人の息子を学園、創価大学に送り出し、夫婦そろって地域貢献にも励んでいる。
◇タンポポのごとく
76年3月。晴れの第1回卒業式で、先生は期待を込めて語った。
——進学する人もいれば、就職する人もいる。あるいは1年や2年、大学進学への準備を余儀なくされる人もいる。どのような道であっても、努力さえすれば、幸せになることは間違いない。新しい人生へ明るく、そして焦らず、勇気をもって前進していってください——と。
1期生の中には、浪人するメンバーもいた。
直後の4月、先生は彼女たちと懇談の機会をもつ。その際、全員で励まし合えるよう、グループ名を付けてはどうかと提案した。
皆で考えた名称は「たんぽぽグループ」。
それを聞いた先生は喜び、若き日に心に刻んだ「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」との詩を紹介し、一人一人の勝利と成長を念願した。
翌年、「たんぽぽグループ」の友は、全員が大学合格を果たす。
その一人、中内規子さん(高校1期)は、懇談の席上、小学校の教員を目指していることを伝えた。すると、先生は優しく語り掛けた。
「子どもたちを無条件で好きになることです。子どもの心は寒暖計のように敏感で、その人の心がすぐに分かるんだ。誰からも立派な先生だと言われるようになりなさい。きっとあなたに合っているよ」
中内さんは、大学卒業後、先生との誓いを果たし、教職の世界へ。小学校の校長となって、今年で10年目を迎えた。
「苦しい時は"タンポポの詩"を思い返して頑張りました。教師として心掛けてきたことは、自分の価値観を無理に押し付けないことです。子どもや保護者の多様な考えにも耳を傾け、その思いを受け止めるように努力しています。そこに"他人の不幸のうえに自分の幸福を築かない道"があると思うからです」
草創期、先生が示した信条は、時代と共に、卒業生と共に、一段と輝きを増している。
どうすれば皆が喜ぶか
智慧と真心を尽くそう!
その「人の振舞」に
仏法者の真価は輝く。
御義口伝巻上 P748
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音声なり』
☆女性に贈ることば 九月三日
悲しみを程にして、もっと大きな自分になればいい。もっと素敵な自分になればいい。苦しんだあなただからこそ、そうなれる。
顔をあげればいい。自分は一生懸命生きたのだから、最高の勝利者なのである。
自分で自分を励ますことだ。
☆今日のことば365 九月三日
希望は 人生の夢だ
夢のない人生は灰色だ
一生 今の希望を
もちつづけられる人は
偉大な人だ
打算でも 利害でも
有名人でも ないけれど
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生第3回 関西校 1973〜75年度 2017年8月22日
◇他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない。この信条を培ってほしい。
古来、桜の名所として知られ、『新古今和歌集』や『枕草子』などにも登場する大阪の交野市。
創立者・池田先生は、この詩情豊かな「ロマンの里」に、女子校を建設することを決めた。
設立発表は、東京の創価中学・高校の開校から1年後となる1969年7月だった。
縁深き関西の天地に、いつの日か創価の学舎をつくりたいと、人知れず構想を膨らませていた先生。「女子校をはじめとする教育事業に、残る半生、全魂をこめ、心血をそそいで応援してまいる考えです」——73年1月の落成式に寄せたメッセージには、率直な真情をつづっている。
◇未来の平和への道
陽光が差し込む体育館に、真新しい紺地のセーラー服を着た乙女たちが入って来る。
先生の出席のもと、創価女子中学・高校(当時)の第1回入学式が行われたのは、同年の4月11日である。
誉れの1期生となったのは、高校生239人、中学生148人。スピーチに立った先生は、緊張と決意の表情を浮かべる友を見つめながら、開口一番、こう呼び掛けた。
「今朝、妻に『うちは男の子しかいないから、全員、娘にしたいな』って言ったら、妻も『そうしたいですね』って言うんですよ」
絶妙なユーモアに、歓声と笑みが広がる。
和やかな雰囲気の中、先生は「伝統・平和・躾・教養・青春」の五項目について言及し、「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」との言葉を贈った。
「この心をもち、実践していったならば、まれにみる麗しい平和な学園が実現するでありましょう」「地球は大きく、この学園は、その地球から見るならば、ケシつぶほどのものであるかもしれない。しかし、未来の平和への道を考えるとき、皆さんのこれからの実践は、やがて地球を覆うにたる力をもつはずである、と私は確信したい」
これが、学園の"平和教育の永遠の指針"となった。
式典を終えると、先生は生徒の輪の中へ。「良識・健康・希望」のモットーの碑の除幕式や、入学記念撮影会に参加し、卓球場・テニスコート開きでは、運動着に着替え、一緒に汗を流した。
創立者との絆は、開校初日から固く強く結ばれていった。
◇一流の女性に
この年の秋には、第1回「希望祭」が行われた(9月14日)。
学園生の創意工夫があふれたバザーや展示。先生が来賓・保護者らと見守ったメイン行事"交野秋の夕べ"では、童謡メドレー、舞踊、モダンダンス、授業風景を模したコントなどが次々と披露され、拍手と笑いが絶えなかった。
終盤には、いかなる苦難にも屈しない父子の姿を描いた創作劇「最後の一句」の上演も。迫真の演技に、場内は感動の渦に包まれた。
劇で主人公の弟役を演じた山口好美さん(中学1期)。行事を終え、制服に着替えて校舎の外に出ると、ばったり先生と出会った。
先生は山口さんらを野点の席に招いて言った。
「劇、上手だったね」
思わぬ一言に、山口さんは驚いた。カツラや化粧をした衣装姿は、観賞に来た母親ですら、わが子だと見分けがつかなかったからだ。
さらに先生は、「一流の女性になるためには、お茶の作法も覚えておくんだよ」と、自ら礼儀やマナーを教えた。
「一人一人を大切に育もうとされる先生の振る舞いは、今もこの目に焼き付いて離れません」と山口さん。卒業後は保育士として働きながら、学園生となった2人の子を育て上げた。同窓の誇りと原点を胸に、家族そろって感謝の道を歩む。
◇良識・健康・希望
開校以来、先生は多忙な合間を縫って、関西校に何度も足を運んだ。
中高の全学年がそろった3年目の75年4月。第3次訪中へ旅立つ直前にも、学園を訪れている。生徒たちに会いたいと、大阪から中国に出発することにしたからである。
13日の記念撮影会。新入生にとっては、先生をキャンパスに迎える待望の機会となった。
先生は、モットーである「良識・健康・希望」の意義を語った。
「良識」——即、聡明であり、人間として人間らしく生きる、最も基本の姿である。
「健康」——一生を生きていく上で、最も基礎となるものである。
「希望」——何があろうと希望を抱いて前に進み、自分自身に挑戦していくことである、と。
武内秀子さん(高校3期)は、中学3期の妹・中下愛子さんと共に参加した。両親は、家計が厳しい中、姉妹の同時入学を後押ししてくれた。
「学園に入って本当に良かったと、心から思えた瞬間でした。生涯、創立者の"娘"として、三モットーを胸に生き抜こうと決意しました。それが、最大の親孝行になると思ったんです」
95年に父が急逝した際は、妹と共に母を支え、大阪にある実家の運送業の手伝いを。当時住んでいた埼玉を離れる決断となったが、夫や義母の応援もあり、従業員やその家族の生活を守ることを最優先にした。
「人のために尽くす人生でありたい。それが学園で創立者から教わった生き方です」
武内さんは現在、母の後を継ぎ、会社の代表取締役に就任。2人の息子を学園、創価大学に送り出し、夫婦そろって地域貢献にも励んでいる。
◇タンポポのごとく
76年3月。晴れの第1回卒業式で、先生は期待を込めて語った。
——進学する人もいれば、就職する人もいる。あるいは1年や2年、大学進学への準備を余儀なくされる人もいる。どのような道であっても、努力さえすれば、幸せになることは間違いない。新しい人生へ明るく、そして焦らず、勇気をもって前進していってください——と。
1期生の中には、浪人するメンバーもいた。
直後の4月、先生は彼女たちと懇談の機会をもつ。その際、全員で励まし合えるよう、グループ名を付けてはどうかと提案した。
皆で考えた名称は「たんぽぽグループ」。
それを聞いた先生は喜び、若き日に心に刻んだ「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」との詩を紹介し、一人一人の勝利と成長を念願した。
翌年、「たんぽぽグループ」の友は、全員が大学合格を果たす。
その一人、中内規子さん(高校1期)は、懇談の席上、小学校の教員を目指していることを伝えた。すると、先生は優しく語り掛けた。
「子どもたちを無条件で好きになることです。子どもの心は寒暖計のように敏感で、その人の心がすぐに分かるんだ。誰からも立派な先生だと言われるようになりなさい。きっとあなたに合っているよ」
中内さんは、大学卒業後、先生との誓いを果たし、教職の世界へ。小学校の校長となって、今年で10年目を迎えた。
「苦しい時は"タンポポの詩"を思い返して頑張りました。教師として心掛けてきたことは、自分の価値観を無理に押し付けないことです。子どもや保護者の多様な考えにも耳を傾け、その思いを受け止めるように努力しています。そこに"他人の不幸のうえに自分の幸福を築かない道"があると思うからです」
草創期、先生が示した信条は、時代と共に、卒業生と共に、一段と輝きを増している。
2017年9月2日土曜日
2017.09.02 わが友に贈る
友の幸せを願う題目は
必ず相手の心に届く。
たゆまず 焦らず
仏法の素晴らしさを語り
地涌の連帯を広げよう!
聖人御難事 P1190
『設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば梵釈日月四天等天照太神八幡の守護し給うゆへにばつしがたかるべしと存じ給うべし』
☆女性に贈ることば 九月二日
子どもを残して出かける時には、ひと言、声をかけることです。「今日は、ここへ行ってくるよ」「何時には帰りますよ」と。
また帰ってきたら、「ただいま」「ありがとう」と声をかける。たとえ、子どもが先に休んでいても、「よく留守番しててくれたね」「おかげで、お母さん頑張れたよ」と、耳元で優しく感謝の思いを込めて、声をかけていくことです。
☆今日のことば365 九月二日
私は 未来を薔薇色に
夢みる時代を卒業して
現実の地上に根を張った
今日の生活のなかに
幸せの力があることを知ったのだ
☆バレンサ大学からの名誉博士号授与式での池田先生の謝辞
人生の総仕上げの事業は教育
ソクラテスとプラトンの如き対話の金波を広げよ
我らの運命を変える力は我らの哲学にあり ブラジルの大文豪
一、今、私の心は、太平洋の大海原を越え、そびえ立つアンデスの大山脈も越え、「リオデジャネイロ州の誇り」と讃えられる英知の府・バレンサ大学の栄えある授与式に臨ませていただいております。
そして、敬愛してやまぬペレイラ学長から、最大の感謝を込めて「名誉博士号」を拝受しております。
誠に誠に、ありがとうございました。(大拍手)
嬉しいことに、この会場には、わがブラジルSGIの同志も駆け付けてくれております。
私の誇りの宝友たちと、この栄光を分かち合えることは、何ものにも代え難い喜びなのであります。
奇しくも、きょう8月24日は、1947年、19歳だった私が、恩師・戸田城聖先生と共に、平和建設の大航路に出立した原点の日であります。師は第2次世界大戦中、軍部政府の弾圧による2年間の投獄にも、断じて屈しませんでした。
出獄後、「地球民族主義」の理念を青年に示し、最晩年の57年9月8日には、原水爆を「絶対悪」として厳しく断じ、その全面禁止を求める先見の「原水爆禁止宣言」を遺訓として発表しております。
折しも、この7月、国連では核兵器禁止条約が採択され、被爆者の方々をはじめ幾多の先人の命を賭した叫びが、いよいよ世界の思潮となりゆく、一つの結実を見ました。なかでも、貴国・ブラジルは、長年、ラテンアメリカやカリブ海の国々と共に、核兵器を禁止する条約の制定を先導されております。
なかんずく、人権の確立を求め、国連改革を訴えてこられた国際法の権威・ペレイラ学長がリーダーシップを執られる先駆的な大学こそ、貴大学であられます。その最高峰の英知の宝冠を、師弟の出会いより満70年のこの日に賜り、恩師に捧げることができました。これほどの誉れはありません。
重ねて、重ねて御礼申し上げます。(大拍手)
一、本日は、わが愛するブラジルの青年たちと一緒に、貴大学が刻んでこられた偉大な歴史を仰ぎつつ、21世紀を担いゆく若き世界市民の指標を3点にわたって確認し合いたい。
◇人間的価値創造が可能性を開く
第1は、「対話の金波を広げる哲人たれ」という点です。
貴大学は、半世紀前の67年に開学した「バレンサ哲学科学文学大学」が前身であると伺いました。貴大学の創立の志が、その名に表れています。
"我らの運命を変える力は、我らの哲学にあり"とは、大文豪アシスの信念でありました。
確固たる哲学の柱を抱いた青年の「人間的価値の創造」こそ、無限の可能性を開き、世界をも変えていくのであります。そしてそれは、かの大哲学者ソクラテスと弟子プラトンの如く、全人格を傾けた対話を通して共に真理を探求しゆく中で、成し遂げられていくのではないでしょうか。
貴大学は、まさにそうした対話にあふれた人間教育の宝城であります。
大学首脳と学生の代表が「バレンサ大学とコーヒータイム」と呼ばれる交歓会を開いて、大学や学部・学科の在り方や課題、そして今後の発展について闊達に語り合うことも、素晴らしき校風であります。
ブラジルの創価の青年たちも、いやまして朗らかに対話の金波を起こしながら、生命尊厳の哲学のスクラムを広げていってほしいのであります。
◇危機に直面した時が建設の好機
第2に、「危機にたじろがぬ社会建設の先導者たれ」と申し上げたい。
教育が正しい人を創り、その人が正しい社会を創っていく——この電源地こそ、大学です。
特にグローバル化の進む現代にあっては、世界の出来事が直接、困難となって個人に降りかかることも、多々あります。
だからこそ、ペレイラ学長の洞察が、実に含蓄深く、胸に迫ってきます。
すなわち、「危機に面した時に大切なことは、『新たなものを建設する時である』と決断することであり、それが人類の新たな歴史の局面を形成しゆく新たなパラダイムといえる」と。
そして貴大学は、危機にたじろがず、むしろ新たな建設の好機として、「文化的な創造力」「学術面の向上心」を発揮し、社会の発展に貢献する人材を育成されているのであります。
先哲の金言には、試練の時に「賢者はよろこび愚者は退く」とあります。ブラジルの若き賢者の喜びあふれる連帯が、新たな地球社会を建設しゆくことを、私は確信してやみません。
第3に、「力を合わせて地域発展の道を開け」と訴えたい。
わが憧れのバレンサ市の歌には、「バレンサの天空の光/それは、卓越した灯台なり。/ああ、わが故郷よ!/あなたの子どもであることこそ/無窮の栄誉なり」と歌われております。
貴大学は、この麗しき故郷バレンサの地域社会の要請に応えつつ、伝統の教育学部から始まり、堅実に学部を増やし、総合大学に発展してこられました。
とりわけブラジル有数の医学部、リオ州トップクラスの歯学部・獣医学部・看護学部を備え、健康増進プログラムや低所得者のケアに力を注ぐ、地域に不可欠な医療センターとなって大いに信頼されていることも、よく存じ上げています。(大拍手)
地域が抱える諸課題に応じ、その解決に尽くしゆく貴大学の挑戦と、民衆に貢献されゆく貴校の卒業生の活躍こそ、新たな時代を照らし晴らす卓越した英知の灯台なりと、皆で大拍手を送ろうではありませんか!(大拍手)
◇地域貢献のモデルをブラジルから!
一、ブラジル文学アカデミーのアタイデ元総裁は、私との対談で、「人間が他の人と仲良く社会、地域の繁栄を考え、目指し、ともに暮らしていくために教育がある」と語られておりました。わがブラジルSGIもまた、地域貢献・社会貢献のモデルを全世界に、仲良く聡明に、一段と示し切っていただきたいのであります。
思えば、貴大学の源流を成す尊き教育の先人ドン・アンドレ・アルコベルデ先生が、1925年にバレンサの地に赴任して最初に行ったこと——それは、地域の未来を育む小学校と高校を創ることであります。
私もまた、若き日から人生の総仕上げの事業は教育と心に定めてまいりました。恩師の夢を実現する創価教育の学園を創立してからは、50年となります。
ご存知のように、ここブラジルの天地にも創価学園が誕生し、頼もしき英才たちが陸続と学び育っております。
今日よりは、栄光ある貴大学の陣列に連なり、さらに愛するブラジル社会の発展と世界の平和のために尽力していくことをお誓い申し上げます。
その決意を、リオ出身で、ブラジル初の児童図書館を創立された詩心の女性リーダー、セシリア・メイレレスの信条に託させていただきます。
すなわち——「人類の平和も、一人一人の幸福も、思いがけずに享受するものではない。それは、明晰に時間をかけて育んで果たすべき課題である。一人一人の確固たる平和とともに世界の平和をつかみとるのだ」
次の50年へ、敬愛するバレンサ大学に栄光あれ! 勝利あれ!
大好きなブラジルに幸福あれ! 平和あれ!
ムイト・ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変に、大変に、ありがとうございました!」)(大拍手)
必ず相手の心に届く。
たゆまず 焦らず
仏法の素晴らしさを語り
地涌の連帯を広げよう!
聖人御難事 P1190
『設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば梵釈日月四天等天照太神八幡の守護し給うゆへにばつしがたかるべしと存じ給うべし』
☆女性に贈ることば 九月二日
子どもを残して出かける時には、ひと言、声をかけることです。「今日は、ここへ行ってくるよ」「何時には帰りますよ」と。
また帰ってきたら、「ただいま」「ありがとう」と声をかける。たとえ、子どもが先に休んでいても、「よく留守番しててくれたね」「おかげで、お母さん頑張れたよ」と、耳元で優しく感謝の思いを込めて、声をかけていくことです。
☆今日のことば365 九月二日
私は 未来を薔薇色に
夢みる時代を卒業して
現実の地上に根を張った
今日の生活のなかに
幸せの力があることを知ったのだ
☆バレンサ大学からの名誉博士号授与式での池田先生の謝辞
人生の総仕上げの事業は教育
ソクラテスとプラトンの如き対話の金波を広げよ
我らの運命を変える力は我らの哲学にあり ブラジルの大文豪
一、今、私の心は、太平洋の大海原を越え、そびえ立つアンデスの大山脈も越え、「リオデジャネイロ州の誇り」と讃えられる英知の府・バレンサ大学の栄えある授与式に臨ませていただいております。
そして、敬愛してやまぬペレイラ学長から、最大の感謝を込めて「名誉博士号」を拝受しております。
誠に誠に、ありがとうございました。(大拍手)
嬉しいことに、この会場には、わがブラジルSGIの同志も駆け付けてくれております。
私の誇りの宝友たちと、この栄光を分かち合えることは、何ものにも代え難い喜びなのであります。
奇しくも、きょう8月24日は、1947年、19歳だった私が、恩師・戸田城聖先生と共に、平和建設の大航路に出立した原点の日であります。師は第2次世界大戦中、軍部政府の弾圧による2年間の投獄にも、断じて屈しませんでした。
出獄後、「地球民族主義」の理念を青年に示し、最晩年の57年9月8日には、原水爆を「絶対悪」として厳しく断じ、その全面禁止を求める先見の「原水爆禁止宣言」を遺訓として発表しております。
折しも、この7月、国連では核兵器禁止条約が採択され、被爆者の方々をはじめ幾多の先人の命を賭した叫びが、いよいよ世界の思潮となりゆく、一つの結実を見ました。なかでも、貴国・ブラジルは、長年、ラテンアメリカやカリブ海の国々と共に、核兵器を禁止する条約の制定を先導されております。
なかんずく、人権の確立を求め、国連改革を訴えてこられた国際法の権威・ペレイラ学長がリーダーシップを執られる先駆的な大学こそ、貴大学であられます。その最高峰の英知の宝冠を、師弟の出会いより満70年のこの日に賜り、恩師に捧げることができました。これほどの誉れはありません。
重ねて、重ねて御礼申し上げます。(大拍手)
一、本日は、わが愛するブラジルの青年たちと一緒に、貴大学が刻んでこられた偉大な歴史を仰ぎつつ、21世紀を担いゆく若き世界市民の指標を3点にわたって確認し合いたい。
◇人間的価値創造が可能性を開く
第1は、「対話の金波を広げる哲人たれ」という点です。
貴大学は、半世紀前の67年に開学した「バレンサ哲学科学文学大学」が前身であると伺いました。貴大学の創立の志が、その名に表れています。
"我らの運命を変える力は、我らの哲学にあり"とは、大文豪アシスの信念でありました。
確固たる哲学の柱を抱いた青年の「人間的価値の創造」こそ、無限の可能性を開き、世界をも変えていくのであります。そしてそれは、かの大哲学者ソクラテスと弟子プラトンの如く、全人格を傾けた対話を通して共に真理を探求しゆく中で、成し遂げられていくのではないでしょうか。
貴大学は、まさにそうした対話にあふれた人間教育の宝城であります。
大学首脳と学生の代表が「バレンサ大学とコーヒータイム」と呼ばれる交歓会を開いて、大学や学部・学科の在り方や課題、そして今後の発展について闊達に語り合うことも、素晴らしき校風であります。
ブラジルの創価の青年たちも、いやまして朗らかに対話の金波を起こしながら、生命尊厳の哲学のスクラムを広げていってほしいのであります。
◇危機に直面した時が建設の好機
第2に、「危機にたじろがぬ社会建設の先導者たれ」と申し上げたい。
教育が正しい人を創り、その人が正しい社会を創っていく——この電源地こそ、大学です。
特にグローバル化の進む現代にあっては、世界の出来事が直接、困難となって個人に降りかかることも、多々あります。
だからこそ、ペレイラ学長の洞察が、実に含蓄深く、胸に迫ってきます。
すなわち、「危機に面した時に大切なことは、『新たなものを建設する時である』と決断することであり、それが人類の新たな歴史の局面を形成しゆく新たなパラダイムといえる」と。
そして貴大学は、危機にたじろがず、むしろ新たな建設の好機として、「文化的な創造力」「学術面の向上心」を発揮し、社会の発展に貢献する人材を育成されているのであります。
先哲の金言には、試練の時に「賢者はよろこび愚者は退く」とあります。ブラジルの若き賢者の喜びあふれる連帯が、新たな地球社会を建設しゆくことを、私は確信してやみません。
第3に、「力を合わせて地域発展の道を開け」と訴えたい。
わが憧れのバレンサ市の歌には、「バレンサの天空の光/それは、卓越した灯台なり。/ああ、わが故郷よ!/あなたの子どもであることこそ/無窮の栄誉なり」と歌われております。
貴大学は、この麗しき故郷バレンサの地域社会の要請に応えつつ、伝統の教育学部から始まり、堅実に学部を増やし、総合大学に発展してこられました。
とりわけブラジル有数の医学部、リオ州トップクラスの歯学部・獣医学部・看護学部を備え、健康増進プログラムや低所得者のケアに力を注ぐ、地域に不可欠な医療センターとなって大いに信頼されていることも、よく存じ上げています。(大拍手)
地域が抱える諸課題に応じ、その解決に尽くしゆく貴大学の挑戦と、民衆に貢献されゆく貴校の卒業生の活躍こそ、新たな時代を照らし晴らす卓越した英知の灯台なりと、皆で大拍手を送ろうではありませんか!(大拍手)
◇地域貢献のモデルをブラジルから!
一、ブラジル文学アカデミーのアタイデ元総裁は、私との対談で、「人間が他の人と仲良く社会、地域の繁栄を考え、目指し、ともに暮らしていくために教育がある」と語られておりました。わがブラジルSGIもまた、地域貢献・社会貢献のモデルを全世界に、仲良く聡明に、一段と示し切っていただきたいのであります。
思えば、貴大学の源流を成す尊き教育の先人ドン・アンドレ・アルコベルデ先生が、1925年にバレンサの地に赴任して最初に行ったこと——それは、地域の未来を育む小学校と高校を創ることであります。
私もまた、若き日から人生の総仕上げの事業は教育と心に定めてまいりました。恩師の夢を実現する創価教育の学園を創立してからは、50年となります。
ご存知のように、ここブラジルの天地にも創価学園が誕生し、頼もしき英才たちが陸続と学び育っております。
今日よりは、栄光ある貴大学の陣列に連なり、さらに愛するブラジル社会の発展と世界の平和のために尽力していくことをお誓い申し上げます。
その決意を、リオ出身で、ブラジル初の児童図書館を創立された詩心の女性リーダー、セシリア・メイレレスの信条に託させていただきます。
すなわち——「人類の平和も、一人一人の幸福も、思いがけずに享受するものではない。それは、明晰に時間をかけて育んで果たすべき課題である。一人一人の確固たる平和とともに世界の平和をつかみとるのだ」
次の50年へ、敬愛するバレンサ大学に栄光あれ! 勝利あれ!
大好きなブラジルに幸福あれ! 平和あれ!
ムイト・ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変に、大変に、ありがとうございました!」)(大拍手)
2017年9月1日金曜日
2017.09.01 わが友に贈る
地道に信心を貫けば
人格が磨かれる。
周囲から信頼される。
「人間革命」こそ
人生勝利の原動力だ!
撰時抄 P283
『漢土日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかどもいまだ日蓮ほど法華経のかたうどして国土に強敵多くまうけたる者なきなり、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし』
☆女性に贈ることば 九月一日
人びとよりも早く、朝の大気を吸いながら、幸福と平和を願い行動しゆく人の姿は、尊く荘厳である。
☆今日のことば365 九月一日
よく"自分には趣味がない"という人がいる。それは趣味がないのではない。厳密にいえば、自分の趣味に気づき、それを楽しんでいく、心のゆとりがないからではあるまいか。
私は、あなたらしい、ささやかな趣味をもてと願っている。きっとそれは、生活の憩いのオアシスとして、いや、人生のオアシスとして、ここに美しい生命の緑をもたらしていくにちがいない。
☆大白蓮華巻頭言2017年9月号 多宝の命は御書とともに
日蓮大聖人の御書全集は、立宗700年という大佳節(95年)に、創価の師弟の手で発刊された。
戸田城聖先生の喜びは、あまりにも大きかった。
御本仏の力が漲る、この御書を拝すれば、必ず 「生老病死」の苦悩を打開していける。誰人たりと も、「常楽我浄」の境涯へ到達できるんだよと。
御書には、宇宙と社会と人間を貫く生命の究極の法理が明かされている。とともに、いかなる現実の試練にも、希望と勇気の励ましを送られ、変毒医薬へ具体的な指南をしてくださっているのだ。
御書の刊行より65星霜。私の誇りは、大聖人の仰せ」通り、幸福勝利の歓喜の舞を示しゆく多宝の同志が、いずこにも輝いていることである。
座談会で、家庭訪問で、個人指導で、百戦錬磨の広布の父母たちは、何と自在に御文を語ることか。
心肝に染め上げてきた、その命からは、悩める友を蘇生させる御金言の一節一節が溢れ出てくる。
そこには、門下を抱きかかえてくださる御本仏の お心が、実に生き生きと再現される。
仏勅の学会と共に、御書そのままに戦い続けている「実践の教学」の底力が、ここにあると言えまいか。
「どんな時も、『此の事にあはん為なりけり』(P1451)や。恐れるものなどありまへん。勇気が湧きまっせ!」とは、関西の錦宝会の父の言葉である。
創価の無名にして偉大な哲人たちこそが、御書という希望の宝典の光で、民衆を照らしているのだ。
御聖訓
そのまま行ずる かな
多宝かな
常楽我浄と
勇み舞ゆけ
年齢を重ね、多くの苦労が打ち続いていた弟子の報告を聞かれた大聖人は、仰せになられた。
「災難を払はん秘宝には法華経に過ぎずたのもしきかな・たのもしきかな」(P1017)
そして、その上で、一切を「日蓮に任せ給へ」 (同P)と言い切られているのである。
何があろうとも、あなたには妙法があるではないか!私(大聖人)がついているではないか!
御書を開けば、その仰せが命に迫ってくる。
たとえ、若い時のように自由に体は動かなくとも、 心は妙法と一体である。大聖人とご一緒である。
「苦楽ともに思い合せて」(P11431) 題目を唱え、 全てを御本尊にお任せして、朗らかに前進するのだ。
御聖訓には、「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるベし」(P14483)と約束なされている。
未曾有の高齢社会を迎えて、「生老病死」がますます人類の焦点の課題となつていくに違いない。
御書に留められた「生命尊厳」の平和の大光が、 いよいよ地球を包みゆく時代に入っている。
我らは、創価の大船に、さらに多くの友を誘いながら、「常楽我浄」の大航海を進めよぅではないか!
その新たな出航の明るく賑やかな銅鑼を打ち鳴らすのが、教学部の任用試験(仏法入門)である。
「行学の二道」を励み抜いた誉れの多宝の先輩たちに続いて、御書とともに、皆が大勝利の人生を!
人格が磨かれる。
周囲から信頼される。
「人間革命」こそ
人生勝利の原動力だ!
撰時抄 P283
『漢土日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかどもいまだ日蓮ほど法華経のかたうどして国土に強敵多くまうけたる者なきなり、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし』
☆女性に贈ることば 九月一日
人びとよりも早く、朝の大気を吸いながら、幸福と平和を願い行動しゆく人の姿は、尊く荘厳である。
☆今日のことば365 九月一日
よく"自分には趣味がない"という人がいる。それは趣味がないのではない。厳密にいえば、自分の趣味に気づき、それを楽しんでいく、心のゆとりがないからではあるまいか。
私は、あなたらしい、ささやかな趣味をもてと願っている。きっとそれは、生活の憩いのオアシスとして、いや、人生のオアシスとして、ここに美しい生命の緑をもたらしていくにちがいない。
☆大白蓮華巻頭言2017年9月号 多宝の命は御書とともに
日蓮大聖人の御書全集は、立宗700年という大佳節(95年)に、創価の師弟の手で発刊された。
戸田城聖先生の喜びは、あまりにも大きかった。
御本仏の力が漲る、この御書を拝すれば、必ず 「生老病死」の苦悩を打開していける。誰人たりと も、「常楽我浄」の境涯へ到達できるんだよと。
御書には、宇宙と社会と人間を貫く生命の究極の法理が明かされている。とともに、いかなる現実の試練にも、希望と勇気の励ましを送られ、変毒医薬へ具体的な指南をしてくださっているのだ。
御書の刊行より65星霜。私の誇りは、大聖人の仰せ」通り、幸福勝利の歓喜の舞を示しゆく多宝の同志が、いずこにも輝いていることである。
座談会で、家庭訪問で、個人指導で、百戦錬磨の広布の父母たちは、何と自在に御文を語ることか。
心肝に染め上げてきた、その命からは、悩める友を蘇生させる御金言の一節一節が溢れ出てくる。
そこには、門下を抱きかかえてくださる御本仏の お心が、実に生き生きと再現される。
仏勅の学会と共に、御書そのままに戦い続けている「実践の教学」の底力が、ここにあると言えまいか。
「どんな時も、『此の事にあはん為なりけり』(P1451)や。恐れるものなどありまへん。勇気が湧きまっせ!」とは、関西の錦宝会の父の言葉である。
創価の無名にして偉大な哲人たちこそが、御書という希望の宝典の光で、民衆を照らしているのだ。
御聖訓
そのまま行ずる かな
多宝かな
常楽我浄と
勇み舞ゆけ
年齢を重ね、多くの苦労が打ち続いていた弟子の報告を聞かれた大聖人は、仰せになられた。
「災難を払はん秘宝には法華経に過ぎずたのもしきかな・たのもしきかな」(P1017)
そして、その上で、一切を「日蓮に任せ給へ」 (同P)と言い切られているのである。
何があろうとも、あなたには妙法があるではないか!私(大聖人)がついているではないか!
御書を開けば、その仰せが命に迫ってくる。
たとえ、若い時のように自由に体は動かなくとも、 心は妙法と一体である。大聖人とご一緒である。
「苦楽ともに思い合せて」(P11431) 題目を唱え、 全てを御本尊にお任せして、朗らかに前進するのだ。
御聖訓には、「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるベし」(P14483)と約束なされている。
未曾有の高齢社会を迎えて、「生老病死」がますます人類の焦点の課題となつていくに違いない。
御書に留められた「生命尊厳」の平和の大光が、 いよいよ地球を包みゆく時代に入っている。
我らは、創価の大船に、さらに多くの友を誘いながら、「常楽我浄」の大航海を進めよぅではないか!
その新たな出航の明るく賑やかな銅鑼を打ち鳴らすのが、教学部の任用試験(仏法入門)である。
「行学の二道」を励み抜いた誉れの多宝の先輩たちに続いて、御書とともに、皆が大勝利の人生を!
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