2017年8月19日土曜日

2017.08.19 わが友に贈る

積み重ねた祈りと実践が
大福運となる仏法だ。
誰が見ていなくとも
誠実に忍耐強く
「陰の戦い」に徹しよう!

阿仏房尼御前御返事 P1307
『法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり、大水を以て小火をけすが如し』

☆今日のことば365 八月十九日
何があろうとも、その掛で、自分なりに、悔いなく、精一杯生きることだ。そして、自らの力で、自らの運命を切り開いていくことだ。

☆今日のことば365 八月十九日
美人で、しかも暖かい心をもった女性は、きわめてまれのようである。それは美人だと人にもいわれ、自分でも思いこむことによって、どうしても気ぐらいが高くなるからなのかもしれない。気品をもつことは大事であろうが、女性らしさに欠けることは、本人にとっても、マイナスであろう。

☆青春勝利の大道 第6回 最極の使命に生抜く
◇君よ、負けじ魂朗らかに!
仏の異名は「勝者」である。
この仏の生命を、我らは自行化他の題目で涌現するのだ。
ゆえに、いかなる試練にも屈しない。広布と人生の波浪を、一つ一つ、勝ち越えていくのだ。
殉教の師・坂口先生が傍線を引かれ、身読された御書には、「今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(917ページ)とある。
どんな苦難が立ちはだかろすと、「さあ来い!」と迎え撃っていく。ここに、宿命転換があり、人間革命がある。
君よ、「嵐は誉れ」と、創価の負けじ魂朗らかに進みゆけ!

◇万人の幸福を勝ち取る闘争
獄死された坂口先生の誓願を継ぎ、妙法の巌窟王と立ち上がった戸田先生は、若人に託された。「広宣流布とは、万人の幸福を勝ち取る人権闘争である。
正義の闘争である。それが、学会青年の使命だ!」と。
青年が、世界一の生命尊厳の哲学を、縁する友また友に語り、自他共の幸福を勝ち取っていく。これこそ、先師と恩師が熱願された、最も正しく最も確かな、「平和と人道の世紀」を開く王道である。
日蓮大聖人は、「二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(御書1360ページ)と仰せになられた。
世界の友と、青年拡大の出発だ。大誓堂完成5周年(2018年)の「11・18」の栄光の峰へ!

☆地域に親しまれる学会の墓地公園 2017年8月9日
◇6300万人が来園
「恒久性」「平等性」「明るさ」の三つの基本理念を掲げる学会の墓地公園。全国14カ所の墓地公園には、これまでに約6300万人が来園。「憩いの場」として、地域の方々にも親しまれる。ここでは、みちのく池田記念墓地公園(岩手県奥州市)と中国平和記念墓地公園(広島県山県郡北広島町)を紹介する。

【みちのく池田記念墓地公園】
●常楽我浄の生命の理想郷

JR東北新幹線「水沢江刺駅」から車で20分ほど。みちのく池田記念墓地公園は、岩手県の田原字根木町にある。
御書に「蓬?山」(1194ページ)という名の山が登場する。「不老不死」の秘薬があるとされた中国の伝説上の霊山である。
同園は、この名と同じ蓬莱山の麓に立つ。奥州市水沢区の街並みを一望でき、はるかには山々が広がる。
秋には紅葉、冬は銀世界に包まれる。今の季節は、緑の香りが、すがすがしい。夏の陽光を浴びた山々が光り輝き、ウグイスのさえずりに、心が潤う。
その美しさは、管理センター前の「原点の碑」に刻まれている「常楽我浄の生命の理想郷」との言葉を思い起こさせる。
同園の維持・管理に当たる造園会社の女性責任者は、知り合いの学会員が、この墓地で安らかに眠っているという。
「仕事の前に、その方の墓の前で手を合わせ、語り掛けています。"きょうも、墓園をきれいにするからね"って」
自然と調和した同園の環境は、こうした方々の真心に支えられている。
2002年(平成14年)9月、みちのく池田記念墓地公園は開園。今年は、15周年の佳節である。
約21万坪の敷地に、1万6000基の墓石が整然と並ぶ。年間の来園者は約6万人で、間もなく90万人に達する。
田原振興会元会長の菊地強さんは、「広大な自然を眺めつつ、散策や食事などができ、地域の方々に喜ばれています。まさに"地域の宝"です」と語る。 
同園の建設が決定した当時、菊地さんは"墓園の実像"を知るため、宮城県の東北池田記念墓地公園を、地域住民と視察に訪れた。
「墓地には"暗い"という印象がありましたが、学会の墓園は全く違った。皆、"立派だ"と感嘆していました。不安どころか、"一日も早く墓園ができてほしい"という気持ちになったんです」
同園では"地域に開かれた場に"と、地元住民の代表と連絡協議会を定期的に開催してきた。また、「自然との対話——池田大作写真展」「21世紀環境展」などを園内で行い、交流を重ねてきた。
近隣の人たちからは「墓園ができて、地域が明るくなった。それが、うれしい」などの声が多く寄せられているという。
根木町の中山間地域集落前代表の梅原喜久治さんも、「集落に活気が生まれました」と喜ぶ。
梅原さんは、その感謝を形にしようと、「墓園の敷地に、スイセンの球根を植えよう」と提案。2008年(同20年)11月、集落の住民の総意として、墓園へ通じる道沿いに、約2000個の球根を植えた。
今、その道は「スイセンロード」と親しみを込めて呼ばれる。梅原さんは、「これからも墓園と共に地域が発展していけたら」と声を弾ませた。
田原第2区前区長の佐藤勝朗さんは、「長年、お付き合いしてきましたが、"地域に溶け込んでいこう"という墓園の姿勢に感心します」。
根木町は近年、高齢化が進む。佐藤さんは「墓園という『場所』があること。そして、墓園で働いている『人』がいること。これが、地元住民の安心にもなっています」と語った。
近隣との信頼を積み重ねてきた、みちのく池田記念墓地公園は今、"ふれあいの場""安心の城"として、地域を明るく照らしている。

【中国平和記念墓地公園】
●近隣との絆輝く安穏の城

中国平和記念墓地公園は、広島市の爆心地の真北に当たる、東経132度27分に位置する。
園内には「世界平和祈願の碑」が設置されている。世界の全ての核兵器・核実験の犠牲者を追悼し、核兵器廃絶と恒久平和を誓うモニュメントである。
碑の文字は、中国の文豪・金庸氏の筆によるもの。6体のブロンズ像は、フランスの彫刻家ルイ・デルブレ氏が手掛けた。
池田先生は、デルブレ氏と会見した折に語っている。「これから、何万、何十万、何百万人、更にもっと多くの人々が、この地を訪れ、平和の像のもとで、平和を思索し、探求し、平和について語り合うことでしょう」
約3万5000基の墓石が並ぶ。原爆の犠牲となった方も眠る同園にはこれまで270万人以上が来園。故人を偲び、平和への思いを新たにしている。
1996年(平成8年)にオープンした同園は、山陽地方と日本海側を結ぶ要衝の地に広がる。
すぐ近くには、国の天然記念物で、世界で唯一この地域でのみ見られる「テングシデ」の群落があり、蛍やオオサンショウウオも生息する自然豊かな地。付近には田原温泉があり、温泉を訪れた住民が、その足で来園したりと、地域に開かれた墓園として親しまれている。
しかし開園前は、不安や反対の声もあったという。
当時、地元・田原自治会の会長だった槇本幹雄さんが笑顔で語ってくれた。
「いろんな声がありましたが、町に人が訪れるようになれば必ず地域の活性化につながると思ったんです。互いに尊重し、皆で共存共栄していくことが大切だと考えてきました」
自ら住民に開園への理解を呼び掛け、さまざまな交渉にも当たった。さらにバスをチャーターし、兵庫・丹波市の関西池田記念墓地公園や、三重・津市の中部池田記念墓地公園を視察。"こんなにきれいな公園ならば"と、不安の声は消えていった。
開園以来、同園は、園内のレストランで住民を招いて集いを開催するなど、地域との親睦を深める交流行事を積極的に開催してきた。自治会が行う、近隣の道路の清掃にも職員で携わっている。
田原自治会の現会長・竹内求さんは力強く語ってくれた。「墓地公園は、特に春になると桜が圧巻です。住民の皆さんにも、"お墓のイメージじゃないよ。ぜひ行ってみんさい"と勧めているんですよ。私たちの地域の自慢なんです」
墓園は、敷地の約3分の2の自然林をそのまま保存。梅や紅葉など四季折々の花々が咲き誇る。春には正門から続く道路の両脇が満開の桜で彩られ、毎年、近隣の老人ホームからマイクロバスで観桜に訪れるなど、地域の"名所"として愛されている。
開園時から、墓園内の植栽管理を担ってきた地元の造園会社代表取締役の小田正範さん。「天候や気温、湿度などに毎日、気を使いながら取り組んでいます。墓参に来られた方が、すがすがしい気持ちになっていただけるように、常に、園内をきれいに保とうと心掛けています」
多くの方々の日々の努力によって支えられている中国平和記念墓地公園。
近隣との絆を一段と強め、輝かせながら、地域の"平和と安穏の城"として、発展していく。