持続こそ「力」だ。
一日一日の目標を決め
一つ一つ突破しよう!
自己の弱さに勝つことが
一切の勝利の源泉なり。
曾谷殿御返事 P1056
『法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし』
☆女性に贈ることば 八月四日
この世で尊く、信じられるもの−−それは友情である。
人間としての究極の証は友情である。
☆今日のことば365 八月四日
"正確な報告""正確な報道"−−これこそ新時代の平和建設へのバロメーターである。いかなる団体や組織にあっても、正確な情報が流れていないところには、いつか人々の信用を失い、やがてその進展も止まってしまう。
☆地域を歩く 石川県・珠洲市 2017年7月25日
◇再び注目集める里山里海
ゴツゴツと切り立った崖に、日本海の荒波が打ち付けては、白く砕け散る。"陸の孤島"とも呼ばれる能登半島は、深い緑に覆われていた。
半島の先端に位置する珠洲市を目指し、海を左手に国道、県道を進むと「垂水の滝」「塩田」「ゴジラ岩」「禄剛埼灯台」など、次から次に観光名所が現れる。
「珠洲市では今、昔の観光資源の再開発に力を入れています。また少しずつ観光客も戻ってきたかな」と、納谷宣彦さん(副支部長)。昔というのは、1970年代のことだ。映画化もされた人気小説『ゼロの焦点』の舞台となったことから、「奥能登ブーム」に火がついた。当時は、旅館はどこも観光客であふれ返ったという。
その後、ブームが過ぎると、潮が引くように客足が遠のいた。穴水町から珠洲市まで延びていた鉄道も、2005年に廃線となった。
しかし最近では、2015年にNHKの連続テレビ小説「まれ」のロケ地になるなど、再び注目を集めている。
2013年に、金沢方面から半島に延びる「のと里山海道」が無料になったことに加えて、一昨年、北陸新幹線が金沢まで開通したことも、観光客の増加の大きな要因となっている。
「海の日」と合わせて3連休の初日となった今月15日——取材に訪れたこの日も、ツーリングのバイクや、県外ナンバーの車が次々と北上していた。しかし、観光地には、レジャー客からはなかなか見えない、地元民の"生活"もある。
◇時代の風に不変の郷土愛と貢献の志
タイやカワハギなどを取る刺し網漁師の番匠栄作さん(副支部長)は、この道50年。13年連続で漁港トップの漁獲をあげたこともある。
これまで珠洲北部漁業協同組合の代表理事組合長などを歴任。10年以上、県漁協の総代役員を務めてきた。昨年度、市の産業功労賞が贈られた。
「もっと漁師たちのコミュニケーションの場をつくりたいと思っています。学会も座談会や会合でみんなが交流するから元気になる。一人では、発展も向上もありません。やっぱり、ライバルや友達がいないと」
昨年、漁師の一人、北角勇夫さん(壮年部員)が入会した。番匠さんや漁師の松尾忠幸さん(副本部長)ら学会員の姿を、40年以上も見てきた末の決断だった。
「学会の人は、みんな一致団結していて、すごいなって思っていました。まだ何も誇れるものはないけど、朝晩の題目は欠かさずやっています。信心をするようになってからは、以前より自信をもって漁に出られるようになったかな。不漁でも、落ち込むことがなくなったよ」
珠洲市街地に住む橋元宗太郎さん(男子部部長)の実家は、70年代の"奥能登ブーム"の時に、一家で旅館を経営していた。その後、きょうだいそれぞれが独立し、橋元さんの実家は、酒店と銭湯を営むようになった。
宗太郎さんは26歳で勤めていた東京の会社を退職し、地元に戻った。仕事の当てはあった。父の酒店を継ぐことだ。
だが、酒の小売店にとって、時代の風は厳しかった。
町の人口は減少するばかり。全国的に酒類の消費量が減っていく流れもある上に、近くには酒を売るスーパーもできた。
焦った宗太郎さんは、両親に当たった。「売り上げが伸びないのも、全部、お父さんたちが真剣に働かないせいだ! 地域のことばかりやってないで、もっと仕事に専念すればいいだろ!」
やり場のない怒りは、家の壁に向けられ、拳大の穴が、日に日に増えていった。
結局、宗太郎さんは、もう一つの家業である銭湯で働くことに。"天然温泉の風呂は、工夫すれば観光客にも来てもらえるはず"——新たな気持ちで、老舗旅館でアルバイトをしながら接客や経営を習った。湯を沸かす燃料を重油から薪に変え、コストを抑えることも考えた。少しずつ経営が軌道に乗ってきた。
ところが——。
仕事が順調にいきかけた矢先、母・美津枝さん(白ゆり長)の体にがんが見つかった。宗太郎さんは、父親とけんかばかりして母に心配をかけてしまったと、自分を責めた。
それまでは、男子部の先輩が家に来ても追い返していたが、初めて、その人たちに悩みを打ち明けた。会社を経営している先輩は語った。「経営方針うんぬんの前に、君自身が変わることだ」
以来、宗太郎さんは学会活動に励む。教学部任用試験にも合格し、昨年は牙城会の大学校生に。弘教も実らせた。毎朝、家族で勤行するようになり、けんかをすることもなくなった。母の治療は順調に進み、周囲が驚く回復ぶりを見せている。
信心に励んで何か変わったことは——。
「ちょっとしたことで怒らなくなったことですかね。"この信心で、全部プラスに変えていける"との先輩の言葉を思い出すと、怒るどころか、挑戦の意欲が湧いてくるんです」
銭湯の2、3階は、畳張りの大宴会場。本年9月、市が力を入れる奥能登国際芸術祭の展示会場として、提供することが決まった。
最近、父・信勝さん(誓願長〈ブロック長〉)にとってうれしいことがあった。宗太郎さんが、地域の消防団に入団したのだ。そこは本年2月まで、信勝さんが37年間所属し、最後の7年間は分団長を務めたところでもある。
「あれほど私のことを否定していた宗太郎が、自分から『やる』と言った時には、本当に驚いたし、うれしかった。これからは、地域の役に立つ人になってほしい」
能登には、500年続く伝統技法「揚げ浜式製塩」がある。海水を塩田と呼ばれる砂地にまいて乾燥させ、その砂から塩分濃度の高い「かん水」を作り、さらに煮詰めて塩を作る製法である。
塩田を行う家は、最盛期には100軒もあったが、今では10軒ほどになった。テレビや雑誌でも頻繁に取り上げられており、珠洲市の代表的な観光資源でもある。
その担い手の中にも、本紙を長期にわたり愛読している人がいる。勧めたのは新谷恵子さん(支部副婦人部長)。この地に越してきて34年間、本紙の配達を続けている。住民に友好の輪を広げ続ける中で、本紙を20年以上愛読してくれる人が増えてきた。
地域住民の訪問激励を続ける人もいる。珠洲市で生まれた瀬戸谷忠子さん(婦人部副本部長)。50年近く、市内で美容院を開いている。5年前に京都から越してきた宮下マサさん(婦人部員)と共に、毎週、地域の訪問激励に歩く。
◇
観光の町は時代の風に吹かれて、時に盛衰を繰り返す。そんな郷土を愛し、必死に生活と向き合って、人を励まし続ける"地域民"の存在があってこそ、町にはまた、新たな魅力が生まれゆくのかもしれない。