2017年8月3日木曜日

2017.08.03 わが友に贈る

海・山・川での
事故が増える時期。
天候の急変や体調管理に
くれぐれも注意を。
「心に深き用心」あれ!

土篭御書 P1213
『法華経を余人のよみ候は口ばかりことばばかりはよめども心はよまず心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』

☆女性に贈ることば 八月三日
かつて、恩師・戸田先生は、女性たちを励ますために、こう言われました。
「自分のいる場所を幸せにできない者が、どこ右幸せにできるのか」 と。

☆今日のことば365 八月三日
出発も人間、最後も、やはり人間である。いくらコンピューターの時代といっても、幸福の根本は、人間の本質の解明、人間の尊厳の解決に帰着しなくてはならない。

☆8月度男子部「御書活動者会」研さんのために 四条金吾殿御返事(八風抄) 2017年7月29日
◇揺るがぬ自身を築こう 仏縁広げる「鍛えの夏」を
月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四条金吾殿御返事(八風抄)」を研さん。いかなる「八風」にも侵されない、「賢人」の生き方を学ぶ。

◇御文
賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり(御書1151ページ)

◇通解
賢人とは、八風といって、八つの風に侵されない人をいうのである。八つの風とは、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。

◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が身延で認められ、苦境に立つ四条金吾に送られたお手紙で、別名を「八風抄」という。
大聖人が佐渡から帰還された文永11年(1274年)、金吾は主君の江間氏を折伏する。しかし、これをきっかけとして、金吾は、極楽寺良観の信奉者であった江間氏から、疎まれるようになる。
やがて、金吾を取り巻く状況は悪化。建治2年(1276年)には、領地替えの命令が下る。窮地に陥った金吾は、所領の件で主君を訴訟しようと思い詰めるまでになった。
本抄は、こうした報告を聞かれたことに対する、金吾への励ましのお手紙である。
大聖人は金吾に対し、仏法の上からも道理の上からも、恩ある主君に仕えていくことが、人間として正しい振る舞いであることを教えられている。

◇解説
今回の拝読御文では、仏道修行を妨げようとする「八風」に侵されない、「賢人」の生き方が説かれている。
「八風」とは、人々の心を惑わせ、仏道修行を妨げる八つの働きを示す。
それぞれ、利益を得て潤うこと(利)、さまざまに損をすること(衰)、世間から軽蔑されること(毀)、世間から褒められること(誉)、人々からたたえられること(称)、人々から悪口を言われること(譏)、心身が苦しむこと(苦)、心身が楽しいこと(楽)。
このうち、一般的に人々が望む「利・誉・称・楽」を四順といい、反対に、人々が嫌がり避ける「衰・毀・譏・苦」を四違という。たとえ一時的に四順を得ても、それは永遠に続くものではない。肝心なのは、世間の毀誉褒貶や目先の利害損得に振り回されないことである。
本抄で大聖人は、「八風」に侵されることのない「賢人」を、諸天善神が必ず守護すると仰せである。
「無風」の人生などない。「順風」が吹くこともあれば「逆風」が吹くこともある。大切なことは、環境に左右されず、全ての状況を勝利の人生への「追い風」「原動力」にしていくことである。
では、どうすれば、表層の現象や感情に左右されず、絶対的な幸福を追求する「賢人の道」を歩むことができるのか。
同じく金吾に与えられた御書に、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(1143ページ)とあるように、苦しくても、楽しくても、勇んで題目を唱え抜いていく信心の姿勢が重要なのである。
その上で大聖人は、今回の研さん範囲に続く御文で、「檀那(弟子)と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなもので、かなうわけがない」(御書1151ページ、通解)と、広布の師匠に心を合わせて祈ることの大切さを強調している。この点を絶対に忘れてはならない。
池田先生は、「八風に動じない確固とした自身を築くためには、正邪を峻別し、幸不幸の因果を説く『法』と『師匠』の存在が不可欠です」と指導している。
1947年(昭和22年)8月14日、池田先生は戸田先生と出会い、10日後の24日に入信した。本年の8月は、この歴史的な師弟の出会いから70年の佳節となる。
後継の男子部は、池田先生の闘争に学び、師弟の道、広布の道を歩み抜くことが、「八風」に侵されない自身を築く要諦である。
「鍛えの夏」「成長の夏」が到来した。日々の目標を明確にし、仏縁を拡大するとともに、自身の境涯も大きく広げていきたい。

☆壁を破れ!私の決意 第9回 フィリピン ギアン・カルロ・カタフムさん 2017年7月24日
◇全ての苦難を成長の糧に
——SGIに入会した動機を教えてください。

少年時代、わが家は貧乏のどん底でした。性格は内向的で自分に自信が持てず、学校でいじめられる毎日。他人を信じることができず、人と関わり合うことを避けていました。
ある日、自分の苦しい胸の内を祖母(ソレダッド・デラ・ペニャさん)に打ち明けました。すると祖母は「お題目をあげればきっと乗り越えられるし、幸福な人生を送れるよ」と話すのです。
わが家は祖母だけが信心をしていて、私もSGIメンバーではありませんでしたが、わらにもすがる思いで唱題を始めました。
また、祖母と一緒にSGIの座談会にも参加するようになりました。会合に行くたびに女子部のあるリーダーは、御書の一節が書かれたカードを手渡し、力強く励ましてくれました。
祖母や創価家族の励ましを胸に、懸命に唱題を続けると、少しずつ、しかし確実に状況が好転していくのを実感し、11歳の時、自分の意思でSGIの一員となりました。

——小学生の時に、自ら入会されたんですね! その後、学校生活に変化はありましたか。

心が変わると、自然と勉強にも集中できるようになり、学校の成績がぐんぐん良くなりました。"僕もやればできる!"と、自分に自信が持てるようになったのです。すると、同級生たちから信頼され、いじめは自然となくなり多くの友人ができました。
勉強の楽しさを覚えた私は、その後も好成績をキープ。経済的な苦しさは続いていましたが、高校を首席で卒業したため、大学時代は奨学金を受給するとともに成績優秀者として二つの学科で学位を取得しました。
大学を卒業後、難関の公認会計士試験に合格することもできました。そのまま母校から請われ、会計学を教えるため教壇に立つことに。その後、さらなる学位を取得しつつ、キャリアを重ね、現在は学科長として将来の会計士の育成に励んでいます。下ばかり向いていた私が、いつの間にか大学教授となり、信心の大功徳を実感しています。

——素晴らしい体験ですね!

人生の師匠がいればこそ、ここまで歩んでくることができました。
いじめを受け、必死に題目を唱えていた時、フィリピンSGIの機関誌に掲載されていた池田先生のご指導を真剣に読みました。ある時、"勇気を出せば、人生における試練を乗り越え、困難すらも楽しむことができる"との指針に出あい、一念の変革が全てを変えていくと気付いたのです。先生の言われる通りに行動しようと努めた結果、私の人生は大きく変わりました。
この経験を通し、池田先生は、幸福の軌道を指し示してくださる師匠であると思うようになりました。
今振り返ると、いじめがあったからこそ、この信心と師匠に巡り合えたと感じてなりません。そして、全ての苦難を自身の成長の糧としていけるのが、この信仰であると確信します。
今回、初めてSGI研修会(7月度)に参加し、日本と世界の同志の求道心に深く感動しました。池田先生の心を受け継ぎ広布を進めようと、まるで一つの家族のように団結する姿は、生涯、私の心から消えることはないでしょう。この情熱を地元の同志にも伝え、フィリピン広布を前進させていきます!

【プロフィル】パンパンガ州在住。大学教授として勤務しながら、男子部本部長として広大な使命の地域を駆ける。