「平和」とは
遠くにあるのではない。
母を大切にするという
人間学の真髄の中にこそ
未来を開く光源がある!
富木殿御書 P970
『今日本国の諸人悪象悪馬悪牛悪狗毒蛇悪刺懸岸険崖暴水悪人悪国悪城悪舎悪妻悪子悪所従等よりも此に超過し以て恐怖すべきこと百千万億倍なれば持戒邪見の高僧等なり』
☆女性に贈ることば 八月二日
母を忘れたならば動物となる、と言った哲学者がいた。
人生は、母を思い出しながら奮起して立ちあがるのだ。
☆今日のことば365 八月二日
丁重な 誠実な 言葉使いこそ
自らの人間性の表れであり
相手の人格を 最も尊重する
姿勢であることを 忘れまい
☆四季の励まし 和楽の家庭から希望の虹を 2017年7月30日
人間は自分一人で
生まれてくることはできない。
たった一人で一人前の人間に
なれるものでもない。
家族のなかに生まれ、
家族のなかで育ち、
やがて一個の人間として
成長していく。
夫婦も、兄弟姉妹も、
目に見えぬ一つの法則で
結ばれているともいえる。
その心の絆こそ、
家族の結晶であるに違いない。
お母さんの声、お母さんの手ほど
美しいものはない。
子どもをあやし、
子どもを呼ぶ母の声。
おむつを換え、ご飯をつくり、
服を着させる母の手。
「母の声」「母の手」に守られて、
人は皆、大人になっていく。
母の声が世界を結び、
母の手が
平和へとつながっていく時、
どれほど
美しい地球になることであろう。
青年の皆さんは、
どうか、親孝行であってほしい。
明るい笑顔。ありがとうの一言。
一本の電話……。
親というのは、
それだけで幸せな気持ちになって
元気になるものだ。
ちょっとした言葉や振る舞いで、
感謝と愛情を示していくことが、
生きる喜びの名曲となり、
人生の名画となる。
愚痴を祈りに変え、
非難を励ましに変え、
苦楽を共にする
価値創造の家族から、
地域や共同体を変革する
希望が生まれる。
和楽の家庭が築かれてこそ、
真の平和社会が創出されていく。
東京の空に、虹が大きな弧を描いた。七色の光は木々の緑を輝かせ、家々をやさしく包み込む。2002年(平成14年)5月、池田大作先生が新宿区内で撮影した一枚である。
地域や社会の繁栄といっても、その基盤は家族や家庭にある。感謝を忘れず、互いを思いやり、支え合う。その中で、家庭は和楽の場となり、周囲にも安心と希望が広がる。ゆえに、創価学会は「永遠の五指針」の第一に「一家和楽の信心」を掲げる。
ドイツの詩人ヘルダーリンは謳った。「虹は嵐のあとにでるからこそ美しい」(横田ちゑ訳)と。家族もまた、試練という嵐に、共に立ち向かう中で絆が強まり、幸福へと近づく。さあ、わが家から希望の虹をかけよう。「感謝」の二字を抱き締めて——。
☆教学 「立正安国論」研さんの手引き 2017年7月25日
◇人々の心に正法を確立し、安穏な社会を
本年9月24日に実施される「教学部初級試験・青年部教学試験3級」に向けて、各地で研さんの熱が高まっています。ここでは、「立正安国論」の理解を深めるための解説と各段の趣旨を掲載します(本紙面は参考用であり、試験の教材ではありません。出題範囲は「大白蓮華」6月号に全て掲載されています)。
◇執筆の背景
「立正安国論」は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、39歳の時、時の実質的な最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。「諫暁」には、仏法者の立場から相手の誤りを指摘して、正しい道に導く、との意義が込められています。
当時は、大地震・大風・洪水などの自然災害が相次ぎ、深刻な飢饉を招き、加えて疫病の流行などが毎年のように続き、人心は乱れ、民衆は苦悩の底にありました。中でも、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」が、本書の執筆を決意された直接の動機となりました。
大聖人は、災難を止めて民衆を救う道を探求され、誤った教えに帰依するのを止め、正法を人々の心と社会の支柱として打ち立てる以外にないことを深く確信されました。そして、その結論を裏付ける経文を確認するために、一切経を閲覧された後、「立正安国論」を著し、北条時頼の側近である宿屋入道を介して、この書を提出されたのです。
◇10問9答の問答形式
「立正安国論」は、客と主人との10問9答の問答形式で展開され、誤った仏教に執着する客に対して、主人は理路整然と真実を説き示していきます。
まず、相次ぐ災難を嘆く客(=北条時頼を想定)の言葉から始まり、それに対し主人(=日蓮大聖人を想定)は、人々が正法に背き悪法を信じていることに災いの原因があると述べます。
大聖人は、災厄の元凶として、当時、特に隆盛を誇っていた念仏を強く破折されます。そして、このまま謗法に執着していくならば、経文に説かれる七難のうち、まだ起こっていない自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)の二難が起こることを警告され、「実乗の一善(妙法)」に帰依するよう促されます。
最後に、客は謗法を捨て、妙法に帰依することを誓っており、この誓いの言葉が、そのまま本書全体の結論となっています。
◇題号の意味
「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読みます。「立正」は安国の根本条件であり、「安国」は立正の根本目的です。
「立正」とは「正法を立てる」、つまり、正法の流布であり、一切衆生の成仏を可能にする妙法への「信」を人々の胸中に確立し、法華経から帰結される生命の尊厳、人間の尊重という哲理を社会の基本原理としていくことです。
また、「立正」とは、破邪顕正でもあります。妙法の万人成仏、万人平等の精神に反する「民衆蔑視」の教えは、次第に人々の心に浸食し、活力を奪っていきます。この「悪」を打ち破る対話によってこそ、人々の無明を払い、正法を社会に確立することができるのです。
この「立正」の目的である「安国」、すなわち「国を安んず」とは、社会の繁栄と世界の平和にほかなりません。大聖人が示された「安国」の「国」とは、権力者を中心者とした「国家」というよりも、民衆が住む安穏の場である「国土」を指しています。
事実、大聖人は本書で「くに」を表現する際、「国構え(囗)」に「玉(王の意)」と書く「国」や、「国構え」に「或(戈を手にして国境と土地を守る意)」と書く「國」という字よりも、「国構え」に「民」と書く「?」の字を多く用いられています。
民衆に同苦し、民衆に目を向けるのが大聖人の仏法であり、この大聖人が示された立正安国の実現こそ、創価学会の使命です。
◇平和建設の精神
日蓮大聖人の生涯にわたる行動は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます。
「立正安国論」の提出を契機に、幕府や既成の宗教勢力からの大聖人に対する迫害が本格化。ほどなくして念仏者たちが、鎌倉の大聖人の草庵を襲うという松葉ケ谷の法難が起きました。その後も伊豆流罪(1261年)など、命の危険にさらされる迫害を受けても、立正安国を願う大聖人の御覚悟が揺らぐことはありませんでした。むしろ平和な社会の建設に向けた"対話による闘争"を貫かれていったのです。
大聖人が御入滅の直前、弘安5年(1282年)9月にも武蔵国池上(東京都大田区池上)で、「立正安国論」を講義されたと伝えられています。このように、大聖人の御生涯は「立正安国論」を中心に展開しました。立正安国の実現こそ、大聖人の弘教の根本目的だったのです。
◇参考資料
書籍『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために——立正安国論』(写真)には、「立正安国論」の本文・通解・語訳・解説をはじめ、池田先生の指針(抜粋)を収録しています。研さんの一助としてご活用ください。本社刊。700円(税込み)。
◇各段の趣旨
●第1段 御書17ページ1行目〜14行目
相次いで起こる天災や疫病。なすすべもなく人々が苦しむ世の中を客は嘆き、その原因がどこにあるのかと主人に尋ねる。
主人は、世の人が皆、正法に背き悪法を信じているために、国土を守護すべき善神が去り、その後に悪鬼、魔神が入り、それが災難を引き起こしているのであると「災難の根源」を明かし、「神天上の法門」を説く。
●第2段 同17ページ15行目〜20ページ13行目
先の答えに対する根拠を求めた客に対して、主人は四経(金光明経、大集経、仁王経、薬師経)を引いて説明する。
●第3段 同20ページ14行目〜21ページ16行目
客が、当時の仏教が隆盛する姿を示して反論する。主人は、当時の僧侶が実は、正法に背く悪侶であることを、経文を挙げながら示していく。
●第4段 同21ページ17行目〜24ページ4行目
悪侶とは誰のことを指しているのか、と客が問う。主人は、法然を名指しし、法然の著した『選択集』こそが、正法誹謗の邪説であることを明らかにしていく。
●第5段 同24ページ5行目〜25ページ18行目
法然を悪侶であるとした主人に対し、客は憤る。"法然の念仏も釈尊の経典から生まれたものに変わりはなく、主人こそ釈尊に背いている"と指摘し、帰ろうとする。
対して主人は笑みを浮かべて客をとどめ、まず、仮の教えを尊ぶ誤りを指摘。中国と日本の例を現証として挙げ、法然の法華経誹謗の罪を説いていく。
●第6段 同26ページ1行目〜12行目
客は主人の言葉を聞き、少し態度を和らげる。しかし、これまで高僧が多くいたが、念仏を禁じる説を誰も言いだしたことはなく、低い身分の主人がそう言うのは僭越だと語る。
主人は謗法呵責の教えを語り、過去に念仏が禁止された例を挙げる。
●第7段 同26ページ13行目〜30ページ7行目
客が災難を治める具体的な方法を問う。主人は、涅槃経・仁王経等を挙げながら、謗法の人を戒めて、正法を行じる人を重んじれば、国家は安穏になると述べ、国中の謗法を断つように勧める。
●第8段 同30ページ8行目〜18行目
"謗法の輩を断ぜよ"との主人の言葉に客は、斬罪は仏法の教えに反しないかと問う。
主人は、涅槃経等では斬罪が説かれているが、それは釈尊以前の事例であり、釈尊以後は、謗法への布施を止めることがそれに通じると述べる。
●第9段 同31ページ1行目〜32ページ17行目
これまでの疑いや迷いが晴れた客は、主人が言った通りに謗法に対する供養を止め、正法を行じる僧を重んじていくとの決意を表明する。
主人はその申し出を喜んだ上で、七難のうち、まだ現実のものとなっていない他国侵逼難、自界叛逆難の二難が起こらないように、速やかにその決意を実行するよう訴える。
●第10段 同32ページ18行目〜33ページ4行目
客は自らの謗法を速やかに改めることを決意するとともに、自分と同じように邪義に惑わされている世の多くの人々を、覚醒させる実践に励むことを誓って本書は終わる。
※今回の試験の出題範囲は第9、10段です。