2017年7月26日水曜日

2017.07.26 わが友に贈る

創価班・牙城会の
大学校生よ 頑張れ!
青年時代は鍛えの時。
信行学の実践の中で
自らを磨きゆけ!

盂蘭盆御書 P1428
『僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんとせんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず』

☆女性に贈ることば 七月二十六日
成長していく子どもの姿を正しく認識し、それにふさわしい対話を持続していくことである。そのためにも、母親は、つねに、自己自身の成長をはかることが大切であろう。

☆今日のことば365 七月二十六日
人生は夢ではない。一日一日の着実な活動にこそ、真実の姿が形成されるといってよい。

☆御書と歩む 第74回 行学錬磨の光の道を
『日は赫赫たり月は明明たり・法華経の文字はかくかく・めいめいたり・めいめい・かくかくたり、あきらかなる鏡にかををうかべ、すめる水に月のうかべるがごとし』(南条殿御返事、1529ページ)

◇通解
日が赫々と照り、月が明々と輝くように、法華経の文字も赫々明々、明々赫々と照り輝いている。明鏡に顔を映し、澄んだ水に月の影を浮かべているようなものである。

◇同志への指針
法華経、そして御書の文字は、万年までも照らす黄金の光だ。民衆の幸福と平和への道を映し出す明鏡である。
日蓮仏法の根幹たる「広宣流布の信心」の血脈は、創価学会にのみ流れ通っている。この尊き和合僧の中に、真実の行学の錬磨があるのだ。
一緒に御書を拝し、大聖哲の太陽の魂に触れながら、赫々・明々たる人間革命の光の道を進みゆこう!

☆親が子に語る物語 お金持ちの父と貧乏な息子 2017年7月23日
◇貧しい若者の本当の姿とは?
むかし、インドのある街でのことです。
小さいころに家を飛び出し、さまよい続けていた若者が、この街に戻ってきました。
目の前の大きな屋敷を見上げて、ためいきをついています。
「ああ、こんな家に住めたらどんなにいいだろう。ボクはずっと貧乏だったからなぁ」
若者はお金もなく、服はボロボロでした。何日も食べていないので、おなかがグウっと鳴ります。
"どうすればお金に困らない人生を送ることができるんだろう?"——ジッと手を見つめます。でも、出てくるのは、ためいきばかりでした。
そのとき、大きな屋敷の2階で若者の姿をジッと見つめている老人がいます。この屋敷のご主人です。若者が自分の息子だと気づいたご主人は、使いのものをやりました。
「おい、そこで何をしてる!」
使いの門番が怖い顔をしてやってきます。
「ヒエェェ!」
若者は、あわてて逃げ出してしまいました。

数日後、街のはずれに野宿していた若者のもとに、大きな屋敷から使いがやってきました。
「お前、掃除はできるか?」
「はい」と、若者は答えました。
「じゃ、屋敷に来い。雇ってやる」
「はい?」
「給料をよその2倍出そう」
「はい!」
若者は喜びます。
若者はお屋敷で一生懸命に働きます。おかげで、屋敷の外に小屋を借りて住み、なんとか暮らしていけるようになりました。
若者が屋敷を掃除していると、貧相な身なりの老人がやってきます。
「お前は、まじめだから願いをかなえてあげよう。何でも言ってごらん」
「願いだなんて、かないっこありませんよ」
若者は断ります。
すると老人は言いました。
「そうか。でも、私のことを父と思っていいんだよ。私はお前を息子と呼ぶから」
「え? 見ず知らずの人を父だなんて思えませんよ」
あいかわらず、若者は自分は貧乏なまま一生を送るのだと思っていました。

何年かすぎ、屋敷のご主人が病気になりました。どうやら死が近づいているようです。
ご主人の親族や国の大臣らが屋敷にやってきます。国王までもやってきて、ご主人を見舞うのです。
若者がいつものように屋敷を掃除していると、「お前、すぐに来い!」と呼ばれます。ご主人の寝室に来いというのです。
そこには、国王をはじめ大臣らがずらりと並んでいます。みすぼらしい姿の若者はオロオロしていました。
フカフカの布団に寝ている老人を見て若者は驚きました。それは、いつか「願いをかなえてやろう」と言った老人ではありませんか。
そして、老人は起き上がって、そこにいる全員に告げます。
「諸君、この若者は、実はわが子なのです。私の実の息子です」
若者は耳を疑いました。
「まさか!」
はるかむかしに家出をしたきり、父親とは会っていませんでしたから、自分の父親の顔も忘れていたのです。
枕元に行き、若者は老人の手を取ります。その手のぬくもりを感じたとき、若者は、はっきりとわかりました。この人こそが自分の父親だと。
「私の財産は、この息子にすべて譲ります。この場にいるみなさんが、その証人になってください」
老人がそう言ったとき、部屋中に拍手がわきおこります。
「おめでとう!」
若者は、ずっと自分を見守り続けてくれた父親の慈愛を知り、幸せをかみしめるのでした。
◇ ◆ ◇
ぶん・高橋フミアキ
え ・三浦 哲

◇おうちの方へ
今回の物語は、法華経信解品第4に説かれる「長者窮子の譬え」をもとにしています。
これは、法華経に至って、初めて"誰もが仏の生命を具えている"と分かった声聞たちが、自分たちの理解を譬喩に託して述べたものです。
父親である長者は仏を指し、貧しい息子とは衆生を指します。一切衆生は本来、「仏子」であるにもかかわらず、そのことを忘れて迷っている様を、他国を迷い歩くことに譬えています。
そして、男が長者の実の息子であることを皆に明かしたことは、全ての人は「仏子」であり、成仏できることを示しています。それが説かれたのが法華経です。
「無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は 求めざるに自ずから得たり)」(法華経224ページ)とあるように、"皆が、本来、仏の生命という無上の財宝をもっている"と分かった声聞たちの感激は、妙法に巡り合えた私たちの喜びに通じるといえるでしょう。