いつもたゆまず
銀の道を毅然と走る
「無冠の友」に最敬礼。
くれぐれも無理をせず
どうか無事故第一で!
別当御房御返事 P901
『但し当時日蓮心ざす事は生処なり日本国よりも大切にをもひ候、例せば漢王の沛郡ををもくをぼしめししがごとしかれ生処なるゆへなり』
☆女性に贈ることば 七月五日
誰しも転ぶことはある。転んだら、また立ち上がればいい。
立ち上がって、まっすぐ前を向いて進んでいくことだ。
青春に、取り返しのつかない失敗などないのだから!
☆今日のことば365 七月五日
若人は、周囲から、踏まれても、吹かれても、若芽が、黒色の大地より、出づるが如く、力強く、もくもくと起き上がっていかねばならぬ。若々しき清浄なる生命力で生ききらねばならぬ。
☆この一節を胸に行学に励む 執念 2017年7月1日
◇「必ず成し遂げる」との 強盛な祈りで壁を破れ
池田先生は、「『断じて勝つ』。この執念が強いほうが勝つ。心で勝ったものが勝つ。信心の王者こそ、絶対不敗の勝利者なのである」と語られています。今回は勝利への「執念」について確認します。
〈Q〉目標に向かって進む中で、大事なことは何ですか?
〈A〉「戦い続ける心」を奮い起こし、絶対に諦めないことです。
此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候(曾谷殿御返事、御書1056ページ)
妙法弘通に生き抜かれた日蓮大聖人。民衆の幸福を阻む誤った思想に対して、正義の言論を武器に徹底して戦われたため、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、そして竜の口の法難・佐渡流罪など、幾多の大難を受けられました。
大聖人は、この間の激闘と御心境について、「悪口を数知れず言われ、ある時は打たれ、ある時は傷を負い、ある時は弟子を殺され、ある時は首を切られようとし、あるいは2度も流罪に処せられた。この二十余年の間は、一時片時も心安らかなことはなかった」(御書1514ページ、通解)と述べられています。
しかし、一切衆生を救済するとの誓願のままに生きられた大聖人は、いかなる苦難にも屈しませんでした。
大聖人は「この法門を日蓮が申すゆえに、忠言は耳に逆らうの道理であるから、流罪されたり命にも及んだのである。しかしながら、いまだ、こりてはいない」(同1056ページ、通解)と仰せです。
「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と、徹底して戦い抜く姿勢を強調された御書もあります。この大聖人の「戦い続ける心」こそ、学会精神そのものでもあるのです。
〈Q〉最後まで油断してはならないと教わりました。
〈A〉「持続の信心」こそ自身の一生成仏の大道です。
譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき(新池御書、御書1440ページ)
目標や目的に向かって進む中で大事なのは、油断することなく、最後までやり抜くという姿勢です。日蓮大聖人は折に触れて、「持続の信心」の重要性を訴えられています。
一生成仏という、勝利の人生を開いていくためには、信心を貫き通すことが欠かせません。
「例えば、鎌倉から京までは12日の道のりである。それを11日余り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうして都の月を詠ずることができようか」(御書1440ページ、通解)との御金言も、信心を貫き通す大切さを示された一節です。
信心の実践においては必ず障魔が競い起こります。しかし、その時にこそ勇気を奮い起こして、勇んで信心を実践していくことです。池田先生も、この御聖訓を拝して次のように語られています。
「自身の一生成仏のためには、最後の最後の瞬間まで、絶対に信心の歩みを止めてはならないとの御指導です。地涌の菩薩である私たちが、この世に生を受けた意味は、広宣流布のため、人びとの幸福と社会の繁栄のために、行動し続けるためなんです」
信心根本に戦い続ける中に一生成仏の大道があると確信して、前進していきましょう。
〈Q〉環境が厳しく、限界を感じています。
〈A〉岩をも貫く「強き一念」で勝利を開きましょう!
李広将軍と申せし・つはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし(四条金吾殿御返事、御書1186ページ)
仏法説話の一つに「石に矢が立った」という「石虎将軍」のエピソードがあり、御書の中でも触れられています。
「昔、中国の李広将軍という武将は、虎に母を食い殺されて、虎に似た石を射たところ、矢は羽ぶくら(矢の先と反対側に付いている羽根形の部分)まで石に突き刺さった。しかし、あとで、それが石と知ってからは、射ても矢は石に立つことがなかったという」(御書1186ページ、通解)
日蓮大聖人は、強き一念があれば何事も成せる譬えとして、この故事を引用されています。
人生では苦難に直面したり、行き詰まったりする時があります。しかし、どんなに状況が厳しくとも、信心根本に、諦めない「執念の行動」が勝利を開きます。その根本は私たちの「心」「一念」です。
池田先生は、次のようにつづっています。「強き一念の力は、岩をも貫く。人間生命の持つ底力を引き出すための妙法であり、信仰である。不可能を可能にするのは、『断じて成し遂げるのだ』との決定した祈りである。勝利への執念である。断じて諦めない! 最後に必ず勝ってみせる!——この強き心が諸天善神を動かす。一切を味方に変える。信心こそ、壁を破る最極の力だ」
〈智慧の扉〉 仏法は勝負
御書には、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし」(1165ページ)とあります。大聖人は、主君に疎まれ、所領没収の危機に陥った弟子の四条金吾に対して、「決して逃げてはならない」「信心を根本に、難局に立ち向かいなさい」と、教えられました。
人生は戦いであり、何事においても勝つか負けるかです。その上で私たちが実践する信心は、あらゆる勝利への原動力です。
池田先生は「信心とは、『勇猛精進』である。題目をあげ、最高の勇気をもって、たゆみなく、前進また前進するのだ」と、勝利に向かって戦い続ける重要性を教えられています。