熱中症に注意!
小まめな水分・塩分補給
賢明な室温調整で
体調管理を万全に。
健康第一の日々を!
妙密上人御消息 P1239
『此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中(うち)国ごと人ごとに弘むべし』
☆女性に贈ることば 七月十二日
若き日の誓いを、生涯、貫ける人は偉大である。幸福である。
☆今日のことば365 七月十二日
民主主義社会は、人々に自由と、平和を約束してくれます。しかし、民主主義社会をささえるためには、人々は社会に、責任をまっとうすることを約束しなければなりません。この両方の約束の実行のうえに、民主主義は、ゆるぎない社会を形成していくのです。
☆新時代を進む 第13回 勇気の言論で平和と幸福を 2017年7月7日
全同志の祈りと団結で勝ち開いた「立正安国」の凱歌こそ、牧口先生と戸田先生への何よりの報恩であろう。
7月6日は、両先生が、戦時中の法難で、軍部政府に逮捕された日である(昭和18年)。
74星霜を刻んだこの日、私は総本部の恩師記念会館で、殉難の師父の「不惜身命」「死身弘法」の崇高なる精神を偲び、勤行・唱題を行った。
そして九州の記録的豪雨をはじめ中国地方、西日本の大雨に際し、少しでも被害が食い止められるよう、住民の方々が厳然と守られるようにと強盛に題目を送らせていただいた。心よりお見舞い申し上げます。
— ◇ —
総本部では、「創価学会 世界聖教会館」の起工式が行われた。明後年の秋の完成へ、尽力してくださる関係の方々に、心から御礼申し上げ、工事の無事故の進捗を祈りたい。
恩師は聖教新聞を世界中の人に読ませたいと願われた。この心を体し、わが宝友は奔走してくれている。
北海道では、夕張大会の60周年を、目覚ましい聖教の拡大で飾ってくれた。
全国の「無冠の友」の尊き奮闘に感謝は尽きない。世界聖教会館には「配達員顕彰室」も設けられる。
また、新聞長、通信員をはじめ、聖教を支えてくれる全ての方々が誇りにできる平和と正義の新・言論城としたい。世界へ人間主義の大光を放ちゆくのだ。
仏法では、理想の指導者・転輪聖王の武器を「輪宝(車輪をかたどった宝器)」という。
日蓮大聖人は、「輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり」(御書733ページ)と仰せである。
妙法を根本に、信念と誠実の対話で、悪や虚偽を打ち破りながら、友の心に仏縁を結び、幸の種を蒔く。この言論の大回転こそ、楽土を創りゆく希望の力なのだ。
— ◇ —
7月は「師弟」の月であり、男女青年部の結成の月だ。関西の月であり、東北、中部、さらに九州の月でもある。
立正安国論の提出の日16日は、「沖縄原点の日」だ。「世界最初の広宣流布の地帯」に不屈の凱歌あれ!と思いを馳せつつ、私は大好きな「沖縄健児の歌」を口ずさんでいる。
立正安国の対話の精神は「言わずんばある可からず(=言わずにはおれない)」(同17ページ)である。
新たな建設の槌音とともに、勇気の言論で平和と幸福を広げゆこう!
☆7月度座談会拝読御書 乙御前御消息 2017年7月4日
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)8月、身延で認められ、乙御前の母(日妙聖人)に送られたお手紙です。本抄末尾に「乙御前へ」と記されているので、「乙御前御消息」と呼ばれています。
乙御前の母は、鎌倉在住の女性門下で、夫と離別していました。しかし、乙御前という幼い娘を育てながら、竜の口の法難・佐渡流罪の渦中にも、純粋な信心を貫いたのです。
本抄御執筆の前年10月には蒙古の襲来(文永の役)が起きました。さらに本抄御執筆の年の4月には蒙古の使者が再び訪れるなど、世情は騒然としていました。そうした中、乙御前の母は変わらぬ求道の一念を貫き、身延の大聖人をお訪ねしたのです。
蒙古の再びの襲来が懸念され、世情が乱れる中で認められた本抄は、いよいよ強盛に信心に励むことを呼び掛けています。
◇拝読御文
『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』
◇「志をかさぬれば」
拝読御文は「従藍而青」の例えを通して、ますますの求道の心で信心に励んでいくことを教えられています。
「従藍而青」は、古代中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍よりも青し」との言葉に由来します。「従藍而青」を、日蓮大聖人は本抄で信心の修行を重ねていく例えとして用いられています。
藍は、青色を出すための染料になる植物であり、その葉は緑色です。この葉から採れる染料に、布や糸を漬けて染める作業を重ねていくと、鮮やかな青に染まります。
大聖人は「上野殿後家尼御返事」でも、「従藍而青」に触れられています。ここでは、「法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(御書1505ページ)と示されています。
これらの比喩では、成仏の原理が説かれている法華経を、藍に例えられています。さらに、修行の深まりは、藍から採った染料に何度も染められた布や糸が、ますます青くなるようなものであるとされています。
法華経の法門を聞いて信心を深め、修行に励んでいくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯となるのです。
本抄を頂いた乙御前の母は、これまでも強盛な信心に励んできた門下です。その乙御前の母に、ますます信心を奮い起こしていくよう大聖人が教えられているのは、仏法の修行にあっては、"今から、これから"という求道の心で前進することが、常に肝要となるからにほかなりません。
御聖訓にある通り、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益も現れてくることは間違いありません。
◇後継の人材を育む
「従藍而青」の言葉のそもそもの意味は、"教えを受けた人が教えた人より優れること"です。
南条時光に与えられた「上野殿御返事」(御書1554ページ)で、日蓮大聖人は「従藍而青」を"後継者の成長"の例えとして用いられています。
時光の父・南条兵衛七郎は、日蓮大聖人に帰依してほどなく亡くなりました。時光が7歳の時です。それから14年後、時光が父の後を継いで立派に成長し、見事な信心に励んでいる姿を喜ばれた大聖人は、次のように時光をたたえられました。
「亡くなられた上野殿(兵衛七郎)こそ、情けに厚い人と言われていたが、(南条時光は)そのご子息であるから、父のすぐれた素質を受け継がれたのであろう。青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆している。ありがたいことである。ありがたいことである」(同ページ、通解)
ここでは、父・兵衛七郎を「藍」に、時光を「青」に例えられています。
時光は、熱原の法難の際にも、信心根本に難に勇敢に立ち向かい、師弟の道を歩み通しました。
"後輩を自分以上の立派な人材に育てていこう"——これが、創価学会の人材育成の伝統です。慈愛と真心の関わりで後継の人材を育むことが、確かな広布の未来を約束するのです。
◇日妙聖人
日蓮大聖人が佐渡流罪に処せられていた渦中、乙御前の母は、やむにやまれぬ思いから大聖人のもとを訪れました。大聖人は、こうしたけなげな信心をたたえて、佐渡の地から乙御前の母にお手紙を送られています。
その中で大聖人は「いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を」(御書1216ページ)と仰せになっています。
乙御前の母の求道の振る舞いが、過去のいかなる行者にも劣らぬ立派なものであると称賛されているのです。
さらに大聖人は、「日本第一の法華経の行者の女人なり」(同1217ページ)と述べられ、「日妙聖人」という称号まで贈られています。
乙御前の母の尊い求道心については、今回拝読する「乙御前御消息」の中でも、「かつて佐渡まで自らはるばる来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことでした。そのうえ、このたびの身延への訪れは何とも申し述べようがありません」(同1220ページ、趣旨)と絶賛されています。
また本抄末尾では「何かあったら私のところへ、いつでもいらっしゃい」(同1222ページ、趣旨)と、限りない慈愛で母子を包み込まれています。
乙御前の母の求道の姿勢を通し、どんな時にも師匠を求めていく「師弟不二の信心」を心に刻みましょう。
◇池田先生の指針から "持続の信心"で崩れざる境涯を
信心は、社会と人生の荒波を乗り越えるための羅針盤です。
濁世を生きるのであればなおさらのこと、悪縁に紛動されるのではなく、信心を自身の生命と生活の中心軸に据えていくことが肝要となります。(中略)
大聖人は、「いよいよ強盛の御志あるべし」と仰せです。信心があれば、いかなる逆境もはね返すことができる。だからこそ、一層、強盛な信心に立つことが勝利への究極の源泉となるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◆ ◇
「いよいよ強盛」の信心があれば、「色まさり利生もある」とあるように、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます明瞭に現れてくるのです。
いよいよ強盛の信心を重ねることによって、私たちの生命に、金剛不壊の仏界の生命が顕現するからです。(中略)
信心の志を重ねることによって、無常のわが生命が何ものにも崩れざる常楽我浄の永遠の宝によって荘厳されるのです。その大境涯を確立するために、志を重ねることが重要となるのです。「志をかさぬれば」とは、信心の持続です。すなわち、何があってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、わが生命を錬磨していくことです。
同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起こすことによって、功徳はいやまして大きくなり、境涯はいやまして広く、豊かになる。
このことは、現実に皆さんが実感し、実証しているとおりです。
ゆえに御書では「いやましての信心」を強く奨励されている。
例えば、四条金吾に対して「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)、「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192ページ)と仰せです。また、窪尼御前にも「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(同1478ページ)、上野尼御前にも「いよいよ信心をいたさせ給へ」(同1505ページ)と励まされています。
このように信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるということです。(同)
◇参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻(聖教新聞社)