2017年7月13日木曜日

2017.07.13 わが友に贈る

「善友をもつことが
仏道修行の全て」と。
互いに触発し磨き合う
創価家族のスクラム固く
成長と充実の人生を!

如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』

☆女性に贈ることば 七月十三日
親を亡くして、「こんな時に父親がいてくれれば」「母親がいたら」 と思うこともあるかもしれない。
しかし、父も母も、心のなかに永遠に生きている。
釈尊もまた、生まれてすぐに、母親を亡くした。「親がいなくても、人間は偉大になれる」と身をもって示したのです。

☆今日のことば365 七月十三日
目標が、結果として理想であったとしてもいい。私も生涯、青年らしく、若々しく、純粋に生き抜きたい。そして、少しも停滞することなく、常に前進と、向上を続ける人生でありたいと願っている。

☆明日を求めて 池田先生の対話録� 第38回 第5代国連事務総長 デクエヤル氏 2017年7月2日
◇民衆の力で新たな平和の波を 創価の連帯は国連支援の模範
都内の宿舎は、廊下も室内も慌ただしい雰囲気に包まれていた。
1990年11月15日。分刻みの過密な日程をこなすデクエヤル氏に、池田先生は言った。
「世界一忙しく、世界一大切なお立場の事務総長、さぞかし、お疲れでしょう!」
「いいえ。私は池田会長に会うと、エネルギーをいただくことができ、元気になります!」
会談は、この日で4度目。
謹厳実直で知られ、人前ではめったに笑顔を見せないデクエヤル氏が、引き締まった口元を緩ませ、?を上気させた。
「一貫して変わらぬ『国連支援』に心から御礼申し上げます。さらに、それのみならず、私が会長の存在に深い関心を寄せるのは、数百万の人々への『精神的リーダー』としての側面です」

息つく間もなく難題が持ち込まれ、"世界で最も不可能な仕事"といわれる国連の事務総長職。
デクエヤル氏の問題解決への執念と冷静さは際立っていた。
氏はペルー大使として各国に赴任し、外務次官等を経て、82年に国連の第5代事務総長に就任。
同年、イギリスとアルゼンチンが戦火を交えたフォークランド紛争(マルビナス戦争)では、アメリカによる調停が行き詰まり、デクエヤル氏が外交交渉を重ねていた。
フォークランド諸島を国連の暫定統治下に置き、最終的解決を目指した氏の調停は九割九分成功していたが、軍事情勢の急変によって白紙に。しかし、氏は"自分が蒔いた種は、いつかきっと芽を出すにちがいない"と、悔しさをにじませることもなく、次の仕事に向かったという。
その一方で、氏は交渉の「時」を逃さなかった。
事務総長の退任期日である91年12月31日。氏は、エルサルバドル内戦の停止交渉に臨んでいた。
政府と左翼ゲリラの紛争による犠牲者は7万人を超えた。デクエヤル氏は双方と何度も話し合いを深めてきたが、氏が退任すれば合意が崩れかねない。
氏の執念が実を結んだのは、31日深夜。停戦の朗報は、"大みそかの置き土産""新年のプレゼント"として世界に伝えられた。
デクエヤル氏が事務総長を務めた10年間、国連は地道な外交努力を重ね、イラン・イラク戦争の終結、ソ連軍のアフガニスタン撤退、ナミビア独立、カンボジアの和平協定などを実現。
冷戦後の東西協調の流れとともに、国連中心の国際的協調・平和建設が時代の潮流となっていったのである。

「国連支援は平和への私の信念です。これからも全力で貢献していく決意です」
かつて池田先生はデクエヤル氏に述べている。
国連支援は、第2代会長・戸田先生の遺言の一つでもあった。
地球民族主義を唱え、全人類の幸福を訴えた戸田先生は、国連に深い期待を寄せた。
「国連は、20世紀の英知の結晶である。この希望の砦を、次の世紀へ断じて守り抜き、大きく育てていかねばならない」
75年1月、SGI(創価学会インタナショナル)の発足と時を合わせ、学会は国連支援の活動を本格化させた。
学会青年部による「核廃絶1千万署名簿」を、池田先生がワルトハイム国連事務総長に提出。
82年6月、国連本部からスタートした"核の脅威展"は、旧ソ連や中国などの社会主義国を含む24カ国39都市で開催され、170万人が観賞した。
同年8月、事務総長として来日したデクエヤル氏と池田先生の初会見が迎賓館で行われている。
「それぞれの国が国連を支持し、平和に進みゆくことは当然ですが、民衆レベルにあっても、今までの何十倍もの努力で、新しい平和の波をつくっていかなければなりません」
池田先生の言葉にうなずきつつ、デクエヤル氏が語った。
「創価学会のような、強力な、素晴らしい宗教を基盤とした組織が国連に理解を寄せてくださっていることは、大きな国連の支持につながります」
以来、デクエヤル氏が来日するたびに会談は重ねられた。
「仏教思想の根本は平和にあり、仏教の精神が平和を愛する人々に強いインスピレーションを与えています」「創価学会の哲学、信念は国連の理念と相通じます」
デクエヤル氏の期待に、池田先生は「行動」で応えていった。
毎年の「SGIの日」記念提言には、国連中心の平和建設を展望し、具体的な構想を必ず盛り込んだ。「持続可能な開発のための教育の10年」の制定やクラスター爆弾の禁止条約採択など、現実に具体化した提言も数多い。
SGIの友は池田先生の提言を指針とし、国連の取り組みを支援するための展示会やシンポジウムを開催するなど、各国で市民の意識啓発に力を注いできた。
デクエヤル氏は、池田先生に繰り返し語っている。
「国連は各国政府や、SGIのように重要な民間団体に支えられているのです。戦争を終結させ、世界平和を実現するための私たちの活動は、そうした支援なくしては不可能です」「私がSGIの国連支援を評価するのは、具体的な行動をともなっていることに加えて、精神面での強い支援があるからです。その意味で、SGIは国連支援の模範であり、本当に頼もしい存在です」
ある時、氏は、国連のマークと自身のサインが入った文鎮を手に語った。
「人類の相互理解と平和のために貢献されている池田会長の机には、きっと、そのための、たくさんの書類が積まれていることでしょう。この文鎮は、その書類のためにと考えたものです」
各国の同志と池田先生の深き精神の連帯を、デクエヤル氏は見つめていたのかもしれない。
氏の限りない期待に応える創価の平和のスクラムが今、千波万波と広がっている。

ハビエル・ペレス・デクエヤル 1920年、ペルーのリマ生まれ。40年、外務省に入省し、駐スイス大使、ソ連大使、国連大使、安全保障理事会議長等を歴任した。国連事務次長を経て、82年に第5代国連事務総長に就任。91年まで2期にわたって務めた。この間、フォークランド紛争やイラン・イラク戦争の調停、イラクのクウェート侵攻に伴う湾岸危機の平和的解決に奔走。その後、ペルーの首相兼外相(2000年11月〜2001年7月)等を務めた。