2017年7月6日木曜日

2017.07.06 わが友に贈る

日々、御書を拝し
妙法を弘める実践に
無量無辺の功徳が!
「行学の二道」に励み
勝利の人生を飾りゆけ!

乗明聖人御返事 P1012
『夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや』

☆女性に贈ることば 七月六日
病魔に負けるな!
断じて負けるな!
あなたの生命のなかに太陽がある。

☆今日のことば365 七月六日
礼儀正しく、道理正しく、小さなところに気を使ってゆくことが大切である。それが、人生の機微というものだ。

☆希望航路 池田先生と進む人生旅 アメリカ・サンフランシスコ�=完 2017年6月25日
◇民衆勝利の金門橋(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)を
わが弟子が
 堂々 築けり
  将として
 シスコの城は
  人材 光りぬ

1993年(平成5年)3月13日。5度目のサンフランシスコ訪問の折、アメリカSGI最高会議に出席した池田先生は、代表に和歌を詠み贈った。
さらに、サンフランシスコは「アメリカ広布の偉大なる"原点の地"」であると強調。麗しい団結と広布の前進をたたえた。
翌14日、3・16「広宣流布記念の日」の意義を込め、第1回アメリカSGI青年部総会が開かれた。会場は、サンフランシスコ文化会館。かつての女子短期大学の校舎を再利用して、89年にオープンした地域の城である。
会館に到着した先生を、少年少女の歌声が包む。当時、9歳だったブランドン・ニコルソンさん(男子部副本部長)も、その歓迎の列の中にいた。
生後間もなく、耳の感染症の手術を繰り返したニコルソンさん。2歳からは、激しい発作に苦しむように。そんな自分を、母は先生の指針を通して、元気づけてくれた。
病気との闘いの中、いつも身近に感じていた先生。待ちわびた、師の訪問だった。
歌い終えた子どもたちに、先生は深い感謝を述べた。「皆さん、ありがとう。忘れないよ」。ゆっくりと、一人一人に、温かな眼差しを送る。
ニコルソンさんは語る。「幼い私たちに、最大の期待を寄せてくださっているのを感じました。この信心で、必ず病気に打ち勝とうと決意しました」
真剣に唱題を重ねて1カ月。病状は大きく改善し、薬を服用する必要はなくなった。その後も、発作は起きなかった。
この信仰の確信を胸に、未来部や音楽隊で薫陶を受け、心と体を鍛えた。高校卒業後は、プリンストン大学で公共政策、カリフォルニア大学バークレー校の修士課程、博士課程で教育学を学んだ。学費は、成績優秀者として免除された。
「大学は、大学に行けなかった人のためにある」との先生の指針を座右の銘とし、数年前、教育の機会に恵まれない青少年を支援するNPO(非営利法人)を立ち上げた。
全ての人に、限りない可能性があると信じて、若人に向き合っている。

アメリカSGIに未来部(高等部・中等部)が結成されたのは、この日の青年部総会の折である。ウェンディ・デソーザさん(婦人部副本部長)は、サンフランシスコを含む北カリフォルニアの、最初の未来部リーダーに任命された。
当時、大学2年生。鼓笛隊の一員として、会館の外で歓迎演奏を披露した。先生を前に、感動の涙をこらえながらの演奏だった。
この数年前、勉学のストレスなどから、デソーザさんはうつ状態になった。宿命転換を祈り、必死に戦っていた。
そんな中での師との出会い。雲霧が晴れ、生命の底から希望が湧いた。先生のスピーチを、深く胸に刻んだ。
「大聖人は『仏法は勝負』と教えられた。『勝ちなさい』と教えられたのである。勝たねばならない。妙法を持ったことは『勝利の剣』を手にしたことである。一切に堂々と勝っていける。勝って、楽しんでいける。信仰者とは勝利者の異名である」
「『人間』と『社会』と『宇宙』を貫く"生命の哲理"は、時代の混迷を本源的に照らしゆく太陽といってよい。皆さまは、この妙法の『若き哲人』として、人間精神の再生への赫々たる光を、家庭に、地域に、社会に、そして世界に送っていただきたい」
心身の健康を取り戻したデソーザさんは、全米の女子学生部長、女子部長等を歴任。広布の第一線を駆けた。
現在、カリフォルニア大学デービス校の客員講師として、歴史を教えている。
「師匠である池田先生と、アメリカ広布の草創を築いてくださった先輩の皆さんに感謝したい。希望の生命哲学を、さらに社会に広げていきます」

3月15日、先生はカリフォルニア大学バークレー校を再訪し、チェン総長と会見。さらに、ライナス・ポーリング博士との4度目の語らい(16日)、ウォー・メモリアル・アンド・パフォーミング・アーツ・センターからの「国連貢献・国際文化交流推進賞」授賞式(18日)、フランク・ジョーダン市長との会見(同)などに臨み、平和・文化・教育の交流の道を開いた。
ジョーダン市長との会見の折には、名誉市民に当たる「市の鍵」が、先生に贈られた。
「先生に『市の鍵』が授与されたと聞き、感動と誇りで胸がいっぱいになりました」。そう語るのは、ボブ・スウィーニーさん(支部長)。諸行事を支える役員として、先生の車を運転していた。
先生が安心できる、滞在にしたい。その一心だったという。
先生は、車に乗る時も、降りる時も、決まって彼に声を掛け、感謝を述べた。「お腹は空いていませんか」「ゆっくり休んでください」と心を配り、ある時は、平和と健康長寿を祈念して、自らの名刺に指針をしたためて贈っている。
「どんなに高名な方々とお会いする時も、先生は変わらずに、役員の私に励ましを送ってくださいました」とスウィーニーさん。
この出会いの直前、世界各地で免税店を運営する大手会社で、要職に任命された。
緊張と不安の中、手本としたのが、間近で目にした先生の振る舞いだった。
取引相手や部下を心から尊敬し、固い信頼関係を築きながら、会社発展の一翼を担い続けてきた。
経済苦や子どもの病気も、妻と共に信心で勝ち越えた。「先生が教えてくださった、貢献的人生を生きたい」と朗らかに誓う。

サンフランシスコを初訪問した60年10月。先生は、ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)を視察した。
橋のたもとの広場には、橋をつり上げるケーブルの断面図が展示されており、直径約92センチのケーブルの中には、鉛筆ほどのワイヤが2万7000本以上あった。
細いワイヤが、束ねられて大きな力を発揮するように、学会もまた、異体同心の団結によって、考えられないような力が出せる——先生は、後にそうつづっている。
多様な人々が暮らすサンフランシスコ。生まれ育った環境や、この地で重ねた挑戦の軌跡も、人それぞれに違う。無数の個性が集うからこそ、心に師を抱き、共に大目的に生きる同志の連帯は、互いを輝かせ、幸福を開く大きな力となる。
「私の切り開いた道に、今度は皆さま方が続き、壮大なる『民衆勝利の金門橋』を築き上げてくれることを、私は信じてやまない。ゆえに私は幸福である」
この先生の期待のままに、SGIの友は、平和・教育・文化の交流をさらに大きく広げながら、仏法の価値を社会に発信している。
全米で最も美しいとたたえられる町。そこには、師に応えようと約し合う、美しい心の絆が輝いている。

〈取材に協力してくださった方々〉ヨシコ・ヒューズさん、ノブエ・カワハラさん、タカコ・ウエムラさん、ロン・ベアードさん、ジム・クランプさん、マイケル・リーさん