記録的豪雨で
被災された方々に
心からのお見舞いを。
頻発する自然災害に
引き続き厳重警戒!
松野殿御返事 P1388
『妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん』
☆女性に贈ることば 七月七日
わが生命を最大限に充実させながら、自身の人生を満喫し、後悔なく、人びとへの貢献をなしゆく人は、人間らしい人間である。ここに人間の栄光の扉が開かれるからだ。
☆今日のことば365 七月七日
モナ・リザは決して青春を乱舞する、みめうるわしきおとめではない。しかし、この絵には、生命の不変の輝きに迫ろうとするダ・ビンチが、一女性の相貌をかりて、人間だけがもつ、胸奥に秘められた固有の美を描き出そうとした大胆な試みが見られはしないか。
☆新世紀の旭日 アメリカ創価大学第2回 民衆立の学舎 2017年6月26日
◇庶民と共に 誓いの青春
アメリカ創価大学(SUA)があるオレンジ郡は、年間を通じて、温暖な気候に恵まれている。一方で、一日の寒暖差は大きく、夜は厚手の上着が必要になることもある。
2001年8月24日。入学した1期生を、思いがけないサプライズが待っていた。全員に、キルト(重ね縫いした防寒用の布)が贈られたのである。
大学の地元・オレンジ郡在住の婦人を中心に、有志が真心で作成したものだった。
17世紀、ヨーロッパからアメリカに渡った人たちは、小さな布地を集めてキルトを作り、寒さを防いだ歴史がある。19世紀の西部開拓時代、西部に移住する友人との別れを惜しみ、女性たちが託したのもキルトであったといわれる。
世界各国から集う新入生に、アメリカの伝統を感じてもらいたい——キルトの一針一針に、そんな思いが込められていた。
制作は、少人数の婦人から始まった。1998年のことである。キルト作りは全員が初めて。教室に通って習う友もいた。1枚作るのに、数カ月を要した。
"なんとか間に合わせたい"。その一心だったという。
やがて、作業に加わる人の輪は、数十人に広がった。そして3年かけて、120人の1期生全員の分が完成をみたのである。
冷え込む夜。建学の心を燃やし、机に向かう学生の肩を温めたのは、この母たちの真心だった。
◇
「SUAは、民衆立の大学」——創立者の池田先生は折に触れ、学生や教職員に語ってきた。
大学を陰で支える、無数の人たちの心を深く知り、誰よりもたたえたいとの思いからである。
SUAには、これまで40以上の国や地域から学生が集い、巣立っている。発展途上国や紛争が続いた地域の出身者もいれば、さまざまな事情による経済苦の中、進学を決めた人もいる。
そうした環境の学生に対しても、平等に、学問を受ける機会を提供するSUA。それを可能にしているのが、奨学金制度である。
とりわけ2008年には、年収が6万ドル以下の家庭から通う学生に、学業水準を満たせば授業料が全額免除になる「創価オポチュニティー・スカラシップ」をスタート。ほかにも多様な奨学金制度が整い、向学の青春を支えている。
16期生のメワエル・ウェレアレゲイさんは、エチオピアの出身。インターネットでSUAの存在を知り、"貢献的人生を生きゆく世界市民に"との理念に引かれた。
同国は、世界最貧国の一つ。ウェレアレゲイさんの家の収入は、同国の平均を下回り、年上のきょうだい5人は、全員が働いている。
不可能だと思ったSUAへの進学だが、奨学金によってかなった。
「この支援は、SUAの学生への信頼の証しだと思う。だから、その期待に応える自分でありたい」
将来は母国に帰り、開発経済の分野で働きたいと、ウェレアレゲイさんは考えている。
SUAを、SUAたらしめる絆。それは、学問を可能にしてくれた人たちの存在と、恩に報いようと誓う学生たちの心の絆である。
池田先生は語っている。
「なんのために学ぶのか。その目的観が深く偉大であればあるほど、向学の炎は限りなく燃え上がる」
「SUAの学生諸君は、生涯、庶民と共に歩みながら、尊い民衆を守りながら、大恩を返していく使命があることを、むしろ大いなる最高の誇りとして、学び、勝っていただきたいのだ」
◇
SUAの学生は毎年、支援者への感謝を手紙につづり、送っている。全学生の約8割が、自らこの企画に参加している。
「SUAと聞くと、胸が躍るんです」。そう語る兵庫県尼崎市の婦人は、陰で大学を支える一人である。学生から届いた手紙の一枚一枚を、今も大切にしている。
彼女は在日韓国人として、日本で生まれ育った。戦後の暮らしは貧乏のどん底。日雇い労働をしながら、4人の子を育てた。
だが、26歳だった次男を事故で亡くした。その9年後には、次女を病で失う。悲しみの中、最大の励ましを送ったのが池田先生だった。
2000年、1年後に迫ったSUAの開学を、本紙の記事で知った。
「先生は、『創立者の心は、創立者にしか分からない』と言われました。大学を一つ建てるだけでも命懸けのはずです。二つ目の大学を、それもアメリカに創られると聞いて、少しでも力になりたかった」
手紙につづられる、SUAの発展の様子と、学生の成長が大きな喜びだった。ある尼崎出身の学生とは、卒業後も交流を重ね、激励を送り続けてきた。彼は今、企業の最高経営責任者として活躍している。
婦人は12年、念願かなってSUAを訪れた。尼崎の質素な自宅の壁には、その時の写真が、多く飾られている。「夢のようなキャンパス。ここで学べる人たちは、世界一の幸せ者ですよ」
世界中に、SUAの発展をわが夢として、学生に全幅の信頼と期待を寄せる人たちがいる。
SUAで学ぶ全ての人にとって、それは何よりの誇りであり、誓いの青春を生きる原動力である。
◇インタビュー SUA職員 トシコ・サトウさん
●キャンパスに輝く「感謝の心」
創価大学を卒業後、大学院進学で渡米しました。就職でオレンジ郡に住み、SUAの開学当時から、学生と間近で接する機会がありました。
2008年に職員になりました。財務部では、大学を支援してくださる方々とのやりとりや、大切なご支援の記録管理と銘板顕彰、来学者の見学の手配、学生との交流のコーディネートなどを担当しています。
創価芸術センター内や「平和の池」の前、ファウンダーズホール(本部棟)、池田図書館前などに、支援者の名前が刻まれた銘板を顕彰させていただいています。
大学には日々、近隣の住民が訪れ、行事の折には、市長をはじめとする市関係者が来られます。数々の銘板を目にして、「こんなに多くの人に愛されている大学なのか」と安心し、地域の誇りと感じるようです。
全てのご支援には、たくさんの夢と希望が詰まっています。
創立者・池田先生の教育構想を、先生と共に実現したいという思い。
より良い世界をつくる人材を育みたいという、平和への願い。
大学に行けなかった自分の分まで、頑張ってほしいとの深い期待。
一家の皆で協力して、SUAを支援してくださる、家族の絆。
さらに、大学の発展を永遠に見守り続けられるようにと、亡くなられた家族の名前を銘板に残す方々もいます。
こうした支えのおかげで学べるという事実を、学生は片時も忘れることなく、勉学に励んでいるのではないでしょうか。「感謝の心」こそ、SUAの一番の象徴であると感じます。毎年、取り組んでいる支援者への手紙も、「せめてもの恩返しに」と、たくさんの学生が参加しています。
ブラジル出身のある学生は、経済的事情で進学を諦めかけましたが、奨学金でSUAに入学しました。「ここで学べることが、今でも信じられない」と語り、キャンパスに来られる支援者と積極的に交流し、心からの感謝を伝えています。
インド出身の学生は、昨年、手紙を出したことで、日本の支援者との交流が始まりました。日本語の留学で来日していた本年、その方の自宅に何度も招かれ、温かな友情を育んだそうです。
これからも、こうした心の触れ合いを、SUAの宝の精神として守っていきます。そして、先生が示された"民衆を守りゆくリーダー"が陸続と育つよう、陰の陰から、大学の発展を支えていきたいと決意しています。