◇今週のことば
地域の行事を大切に。
近隣の交流を清々しく。
身近な足元から
信頼の絆を広げよう。
誠実な「人の振舞」で!
2017年7月31日
撰時抄 P288
『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一�一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』
☆女性に贈ることば 七月三十一日
「私には関係ない」というのは楽かもしれない。しかし、この「私には関係ない」が、人間を小さくする。
「私には関係ない」と、つぶやくたびに、自分の人間らしさが削られ、どんどん消えていってしまう。
わが社会を平和にしゆく女性が、平和の天使なのである。
☆今日のことば365 七月三十一日
苦しくとも
目に涙を溜めながら
僕は
十年先の
感動の一瞬を信じて
今日も指揮を取る
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 兄弟抄(下) 2017年7月8日
◇師弟不二を貫き人生の勝利者に
今月は、「兄弟抄」の後半を研さんします。
池田先生は、つづっています。
「一人一人の『勝利の物語』。それを実現するのが『師弟の大道』です。『自分中心』では、魔に打ち勝つことはできません。広宣流布の師匠とともに立ち上がることは、確固たる自分自身を築く『正道』です。そして、自身の胸中に『幸福の大道』を見いだした人は、絶対に敗れることはありません」
いかなる苦難にも負けない、「心の師」を求め抜く「師弟不二の信心」を学んでいきましょう。(拝読範囲は、御書1084ページ11行目〜1089ページ本抄末尾)
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、武蔵国池上(東京都大田区池上)の門下である池上宗仲・宗長兄弟と、その夫人たちに対して送られたお手紙です。
池上家は、有力な工匠(建物の建築や修理を統括する役)として鎌倉幕府に仕えていました。しかし、父が兄弟の法華経の信仰に反対し、兄・宗仲を勘当します。本抄は、その報告に対する激励のお手紙です。文永12年(1275年)の御述作とされてきましたが、現在では建治2年(1276年)と考えられています。
当時の勘当は、家督相続権を失うことであり、経済的基盤も、社会的立場も奪われることを意味しました。本抄が認められて以後、兄への2度目の勘当がありましたが、兄弟は大聖人の御指導通りに実践し、最後は父が入信するに至るのです。
◇御文
心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり。
設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはくらせ給うべし、中にも日蓮が法門は古へこそ信じがたかりしが今は前前いひをきし事既にあひぬればよしなく謗ぜし人人も悔る心あるべし、設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず(御書1088ページ15行目〜18行目)
◇通解
「心の師とはなっても、自分の心を師としてはならない」とは、六波羅蜜経の文である。
たとえ、心を煩わせる、どのようなことがあっても、夢と思って、ただ法華経のことだけに専念していきなさい。なかでも日蓮の法門は、昔には信じることが難しかったが、今は前々から言っておいたことが的中しているので、理由もなく誹謗した人々も、悔いる心が起きているであろう。
たとえ、これより後に信仰する男女があっても、あなたがたに替えて思うことはできない。
〈解説〉どこまでも「法」根本の生き方を
掲げた御文で日蓮大聖人は、六波羅蜜経の文を引かれ、"心の師とはなっても、自分の心を師としてはならない"と教えられています。
"自分の心を師とする"とは、縁によって揺れ動く、自身の心に振り回されてしまうことです。悩みや苦難にぶつかった時、自分の弱い心やわがままに従ってしまえば、乗り越えることはできません。
反対に、"心の師となる"とは、法を根本としていくことです。私たちでいえば、「御本尊根本」「御書根本」に前進していくことです。
そして、この法根本の生き方を教えてくださるのが、仏法の師匠です。
"師匠だったらどうされるか"と、常に心に師匠を思い浮かべながら行動するなかに師弟不二の実践があります。
さらに大聖人は、"たとえ何があろうと、夢だと思って、ただ法華経のことだけに専念していきなさい"と仰せです。
どんなに苦しく、大変な状況であっても、ただ「法華経の事のみ」——すなわち、広宣流布に心を定めて信心を貫いていけば、必ず乗り越えていくことができるのです。
本抄の御執筆当時、大聖人が「立正安国論」で予言された「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(他国からの侵略)が的中し、すでに現実のものとなっていました。
この予言的中の現証を見て、それまで大聖人を誹謗していた人々の中にも、悔いる心を起こす人がいました。こうしたなかで大聖人は、純粋に信心を貫き、師弟の道を歩み通してきた池上兄弟と夫人たちを最大にたたえられ、"たとえこの先、信心する人がいても、あなたたちには替えられない"と深い信頼を寄せられます。
悩みや苦難に負けず、師匠と共に広布の大願に生き抜く中に、真の弟子の道があるのです。そして、弟子の勝利のドラマは、「未来までの・ものがたり」(御書1086ページ)として、未来に永遠に輝いていくのです。
池田先生は「弟子の勝利こそ、師匠の祈りであり、喜びなのです」と呼び掛けています。師弟の月・7月。師と共に、誓い新たに幸福のスクラムを広げていきましょう。
◇池田先生の講義から
私も、現代において日蓮仏法の広宣流布に生き抜かれた戸田先生という如説修行の師匠がいて、自分自身があります。私の胸中には、いつも「心の師」である戸田先生がいる。今も日々、瞬間瞬間、胸中の師と対話しています。これが「師弟不二」です。(『一生成仏抄講義』)
◇ ◆ ◇
現代において、「只法華経の事のみ」という「心の師」を求める生き方を堅実に歩んできた学会員は皆、見事に勝利の実証を示しています。
(中略)
その方たちこそ、「広宣流布の宝」です。また、「人類の宝」です。「法」を根幹として、また「師弟不二」に徹して、自身の宿命を転換し、何ものにも揺るがぬ幸福境涯を確立されています。
同時に、社会の繁栄、世界の平和のために尽力し、自他共の幸福の実現という無上の人生を歩む。この宝の如き学会員を、日本だけでなく世界中の知性も賞讃する時代に入りました。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻、「兄弟抄」(聖教新聞社)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第8巻、「兵衛志殿御書」(同)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、「兵衛志殿御返事」(同)
○…『御書の世界』第3巻、「弟子の法難」(同)
2017年7月31日月曜日
2017年7月30日日曜日
2017.07.30 わが友に贈る
真の勝利者とは
何があろうとも
前へ前へと行動する人!
「逆境こそ成長の糧」と
楽観主義で進みゆこう!
松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』
☆女性に贈ることば 七月三十日
喜劇王チャップリンは、晩年にいたるまで「あなたの最高傑作は?」という質問に対して、いつも「ネクスト・ワン(次の作品)」と答えたという。
挑戦の魂に行き詰まりはない。道があるから歩くのではなく、歩くから道ができるのだ。
☆今日のことば365 七月三十日
反抗したい時には
反抗するもよい
しかし それが自己にとって
どこまでが成長律になったかが問題である
☆学会は人類の「平和の宝塔」 原田会長が出席 各部代表者会議 2017年7月22日
世界広布新時代第45回の各部代表者会議が21日、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、冒頭、九州北部豪雨の災害に際し、懸命に尽力する友に深く感謝。
この上半期、偉大な広布の金字塔を打ち立てた全同志の誇り高き奮闘を改めてたたえた。その際、御本仏が女性門下を激励された「日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し」(御書1126ページ)を拝読し、"婦女一体"の「太陽と花のスクラム」を賞讃した。
さらに、全同志が健康長寿と絶対勝利の人生を歩んでいけるよう、それぞれの地域が立正安国の安穏と繁栄に包まれゆくよう、リーダーは勇んで「一念に億劫の辛労」(同790ページ)を尽くす精進行に挑んでいきたいと訴えた。
次いで、「広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(同834ページ)を拝読。世界各国から続々と求道の青年たちが来日することに触れつつ、「今、不思議な『大法弘通慈折広宣流布』の時が来た。わが学会は人類の『平和の宝塔』として、いやまして輝きを放ち始めている」と述べた。そして、世界の若人と手を携え、未来部の宝の友に皆で励ましを送り、いよいよ本門の地涌の人材群を大拡大しようと呼び掛けた。
原田会長は、全同志の健闘に感謝しつつ、庶民の連帯をますます強固に築き広げるために、「声仏事を為す」(同708ページ)、「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(同153ページ)の御聖訓のままに、あの友この友と語り、真心の言葉を届け、仏縁を大いに広げる夏としたいと強調。
学会にとって「人材」以上の宝はないと述べ、「未来部躍進月間」を迎えた今、広布後継の友の育成に総力を挙げ、人材の城をもって、池田先生の入信70周年となる「8・24」を荘厳しようと訴えた。
さらに、谷川主任副会長、木�未来部長らがあいさつ。
河合SGI平和・人権部長が、核兵器禁止条約が採択された、国連本部での交渉会議の模様について報告した。
何があろうとも
前へ前へと行動する人!
「逆境こそ成長の糧」と
楽観主義で進みゆこう!
松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』
☆女性に贈ることば 七月三十日
喜劇王チャップリンは、晩年にいたるまで「あなたの最高傑作は?」という質問に対して、いつも「ネクスト・ワン(次の作品)」と答えたという。
挑戦の魂に行き詰まりはない。道があるから歩くのではなく、歩くから道ができるのだ。
☆今日のことば365 七月三十日
反抗したい時には
反抗するもよい
しかし それが自己にとって
どこまでが成長律になったかが問題である
☆学会は人類の「平和の宝塔」 原田会長が出席 各部代表者会議 2017年7月22日
世界広布新時代第45回の各部代表者会議が21日、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、冒頭、九州北部豪雨の災害に際し、懸命に尽力する友に深く感謝。
この上半期、偉大な広布の金字塔を打ち立てた全同志の誇り高き奮闘を改めてたたえた。その際、御本仏が女性門下を激励された「日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し」(御書1126ページ)を拝読し、"婦女一体"の「太陽と花のスクラム」を賞讃した。
さらに、全同志が健康長寿と絶対勝利の人生を歩んでいけるよう、それぞれの地域が立正安国の安穏と繁栄に包まれゆくよう、リーダーは勇んで「一念に億劫の辛労」(同790ページ)を尽くす精進行に挑んでいきたいと訴えた。
次いで、「広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(同834ページ)を拝読。世界各国から続々と求道の青年たちが来日することに触れつつ、「今、不思議な『大法弘通慈折広宣流布』の時が来た。わが学会は人類の『平和の宝塔』として、いやまして輝きを放ち始めている」と述べた。そして、世界の若人と手を携え、未来部の宝の友に皆で励ましを送り、いよいよ本門の地涌の人材群を大拡大しようと呼び掛けた。
原田会長は、全同志の健闘に感謝しつつ、庶民の連帯をますます強固に築き広げるために、「声仏事を為す」(同708ページ)、「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(同153ページ)の御聖訓のままに、あの友この友と語り、真心の言葉を届け、仏縁を大いに広げる夏としたいと強調。
学会にとって「人材」以上の宝はないと述べ、「未来部躍進月間」を迎えた今、広布後継の友の育成に総力を挙げ、人材の城をもって、池田先生の入信70周年となる「8・24」を荘厳しようと訴えた。
さらに、谷川主任副会長、木�未来部長らがあいさつ。
河合SGI平和・人権部長が、核兵器禁止条約が採択された、国連本部での交渉会議の模様について報告した。
2017年7月29日土曜日
2017.07.29 わが友に贈る
各地の行事に勇み望む
音楽隊・鼓笛隊に感謝!
皆様の希望の調べこそ
地域に歓喜を広げ
友の心を潤す妙音なり!
四信五品抄 P342
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』
☆女性に贈ることば 七月二十九日
テレビにも、いい面と悪い面がある。テレビをきっかけに親と子の対話を深める、というぐらいの余裕があってもいい。
小学生の時、難民の悲惨な状況を伝える番組を見て、「この人たちを救うには、医者になるしかない」と決意し、それから一生懸命に勉強して、医学の道を歩み、活躍している人もいる。
☆今日のことば365 七月二十九日
一時の出会いを大切にしよう
良い印象が成長への糧となり
軽率な言動が反感をうむ
われわれは 大きな慈愛と
清らかな まごころで
正しい航路を示していこう
☆創価学園創立50周年記念展示「君よ 使命の大空へ」が開幕 2017年7月22日
東京=創価文化センターで8月31日まで
関西=関西池田記念会館で8月13日まで
本年11月18日に創立50周年を迎える創価学園。この佳節を記念する新展示「君よ使命の大空へ」が21日、東京と関西で開幕した。オープニングセレモニーは、それぞれ東京・新宿区の創価文化センター、大阪市天王寺区の関西池田記念会館で晴れやかに行われた。
創価学園は、「健康な英才主義」「人間性豊かな実力主義」との教育方針のもと、限りない励ましを送る創立者の池田先生と共に、栄光の歴史を歩んできた。
今や東京、関西の小・中学、高校、札幌の幼稚園の卒業生は3万人を超え、幾多の人材が世界中の各界で活躍している。
さらに、東西の創価高校が文部科学省の教育事業「スーパーグローバルハイスクール」の指定を受けるなど、学園は、さらなる飛躍の時を迎えている。
50周年に当たり、池田先生は、本年4月の入学式のメッセージの中で"全員が「学園新時代」を照らしゆく旭日であり、真っ先に輝きわたる金星である"と万感の期待を寄せた。
今回の展示は、創立者と学園の半世紀の歴史をとどめるとともに、創立100周年に向けた「学園新時代」に、"創立者の精神"を一段と心に刻むものとなっている。
東京展のオープニングセレモニーは、創価文化センター4階の正義会館・桂冠ロビーで行われた。
学園の飯塚常任理事のあいさつに続き、新田勇作さん(創価高校3年)が「創立者から託された『学園新時代』を築き、開くべく、学びに学んで成長します」と決意を語った。
原田学園理事長は、創立者をはじめ学園を支える関係者に心から感謝しつつ、生徒・児童・園児と教職員が一体となって進む学園の未来を展望した。
学園最高顧問の原田会長は、かつて池田先生が学園生に贈った随筆を紹介し、学園生が創立者とひとたび結んだ「父子の絆」は永遠であると強調。創立50周年の節目を、21世紀の世界に創価教育の力を示しゆく新たなスタートにと語った。
一方、関西展のオープニングセレモニーは、関西池田記念会館4階の池田記念講堂で開かれた。
学園の阿部羅事務局次長のあいさつの後、大川正輝さん(関西創価高校3年)が「負けじ魂を燃やし、次の50年へ前進します」と爽やかに誓いを述べた。
武田関西学園長に続き、学園評議員の山内関西長は、関西にそびえ立つ創価教育の大城のさらなる発展を念願した。
◇映像と写真パネルでつづる 創立者の"励ましの心"
展示は、池田先生が東京と関西の各校で撮影した写真と、学園生に贈った詩やエッセーを紹介するコーナー「詩心溢れるキャンパス」からスタート。
池田先生に見守られながら、学園生が青春のひとときを過ごす四季折々のキャンパスの風景に、思わず引き込まれる。
続いて現れるのは、「創立者の"励まし"の心」「英知を磨くは何のため」「一生涯の友情」「感謝を忘れない人に」「師弟の絆」「世界市民に!」「勝つことよりも"負けないこと"」と題した七つのパネル。そこには、池田先生と学園生の交流の模様を収めた写真がちりばめられている。
また、札幌創価幼稚園の園児との触れ合いや、修学旅行中の関西創価小学校の児童との出会い、関西学園生との卒業記念撮影での質問会、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」に関連するスピーチ等の映像を見ることができる。
さらに、池田先生がスピーチで引用した文豪の作品の古書など、ゆかりの物品も展示されている。
展示を締めくくるのは、創立者の長編詩「大空を見つめて」(抜粋)である。
太陽が輝く大空が描かれたパネルには、次の言葉が刻まれている。
君たちから
はるか後継へと
脈々と続く創価兄弟の
悠久の流れの中に
私の生命は
生き続けていく
その成長を見守ることを
最高の命の支えとして
最大の心の翼として
私は世界を
翔け続けよう!
君と 君たちと
共に離れずに!
永遠に共に!
なお、会場では、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)の新番組「創立者とともに 学園生と池田先生の絆——負けじ魂ここにあり」も視聴できる。
◇学園生の声
「"学園生は私の命"との創立者の思いが胸に迫ってきました。映像にも心から感動しました」(東京・創価中学校3年)
◇ ◆ ◇
「創立者がどれだけ学園生に思いを寄せてくださっているかを感じる展示でした。勉強、読書、クラブ活動に励んでいく決意ができました」(関西創価中学校2年)
◇ ◆ ◇
「学園愛唱歌『負けじ魂ここにあり』の映像を見て、創立者と学園生の絆を感じました。学園新時代を迎えた今、学園建設の主体者との自覚も新たに学び抜いていきます!」(東京・創価高校3年)
◇ ◆ ◇
「"負けない心"の大切さを学びました。陰で支えてくださる人に感謝できる自分に成長していこうと決意しました」(関西創価高校2年)
◇お知らせ
【東京展】
▽会場=東京・新宿区の創価文化センター4階の正義会館
▽会期=8月31日(木)まで。休館は月曜および8月7日(月)〜17日(木)。
▽開館時間=午前10時〜午後5時(同4時30分受け付け終了)。
ご来館の際は、創価文化センター南口(JR信濃町駅・信濃平和会館側)をご利用ください。
※天候等により、開館時間などを変更する場合があります。詳しくは、総本部のホームページ(http://www.sokanet.jp/pr/sohonbu/)をご確認ください。
【関西展】
▽会場=大阪市天王寺区の関西池田記念会館4階の池田記念講堂
▽会期=8月13日(日)まで。
▽開館時間=午前10時〜午後5時(同4時30分受け付け終了)。
なお関西展は、少年少女希望絵画展と併せて開催されます。
音楽隊・鼓笛隊に感謝!
皆様の希望の調べこそ
地域に歓喜を広げ
友の心を潤す妙音なり!
四信五品抄 P342
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』
☆女性に贈ることば 七月二十九日
テレビにも、いい面と悪い面がある。テレビをきっかけに親と子の対話を深める、というぐらいの余裕があってもいい。
小学生の時、難民の悲惨な状況を伝える番組を見て、「この人たちを救うには、医者になるしかない」と決意し、それから一生懸命に勉強して、医学の道を歩み、活躍している人もいる。
☆今日のことば365 七月二十九日
一時の出会いを大切にしよう
良い印象が成長への糧となり
軽率な言動が反感をうむ
われわれは 大きな慈愛と
清らかな まごころで
正しい航路を示していこう
☆創価学園創立50周年記念展示「君よ 使命の大空へ」が開幕 2017年7月22日
東京=創価文化センターで8月31日まで
関西=関西池田記念会館で8月13日まで
本年11月18日に創立50周年を迎える創価学園。この佳節を記念する新展示「君よ使命の大空へ」が21日、東京と関西で開幕した。オープニングセレモニーは、それぞれ東京・新宿区の創価文化センター、大阪市天王寺区の関西池田記念会館で晴れやかに行われた。
創価学園は、「健康な英才主義」「人間性豊かな実力主義」との教育方針のもと、限りない励ましを送る創立者の池田先生と共に、栄光の歴史を歩んできた。
今や東京、関西の小・中学、高校、札幌の幼稚園の卒業生は3万人を超え、幾多の人材が世界中の各界で活躍している。
さらに、東西の創価高校が文部科学省の教育事業「スーパーグローバルハイスクール」の指定を受けるなど、学園は、さらなる飛躍の時を迎えている。
50周年に当たり、池田先生は、本年4月の入学式のメッセージの中で"全員が「学園新時代」を照らしゆく旭日であり、真っ先に輝きわたる金星である"と万感の期待を寄せた。
今回の展示は、創立者と学園の半世紀の歴史をとどめるとともに、創立100周年に向けた「学園新時代」に、"創立者の精神"を一段と心に刻むものとなっている。
東京展のオープニングセレモニーは、創価文化センター4階の正義会館・桂冠ロビーで行われた。
学園の飯塚常任理事のあいさつに続き、新田勇作さん(創価高校3年)が「創立者から託された『学園新時代』を築き、開くべく、学びに学んで成長します」と決意を語った。
原田学園理事長は、創立者をはじめ学園を支える関係者に心から感謝しつつ、生徒・児童・園児と教職員が一体となって進む学園の未来を展望した。
学園最高顧問の原田会長は、かつて池田先生が学園生に贈った随筆を紹介し、学園生が創立者とひとたび結んだ「父子の絆」は永遠であると強調。創立50周年の節目を、21世紀の世界に創価教育の力を示しゆく新たなスタートにと語った。
一方、関西展のオープニングセレモニーは、関西池田記念会館4階の池田記念講堂で開かれた。
学園の阿部羅事務局次長のあいさつの後、大川正輝さん(関西創価高校3年)が「負けじ魂を燃やし、次の50年へ前進します」と爽やかに誓いを述べた。
武田関西学園長に続き、学園評議員の山内関西長は、関西にそびえ立つ創価教育の大城のさらなる発展を念願した。
◇映像と写真パネルでつづる 創立者の"励ましの心"
展示は、池田先生が東京と関西の各校で撮影した写真と、学園生に贈った詩やエッセーを紹介するコーナー「詩心溢れるキャンパス」からスタート。
池田先生に見守られながら、学園生が青春のひとときを過ごす四季折々のキャンパスの風景に、思わず引き込まれる。
続いて現れるのは、「創立者の"励まし"の心」「英知を磨くは何のため」「一生涯の友情」「感謝を忘れない人に」「師弟の絆」「世界市民に!」「勝つことよりも"負けないこと"」と題した七つのパネル。そこには、池田先生と学園生の交流の模様を収めた写真がちりばめられている。
また、札幌創価幼稚園の園児との触れ合いや、修学旅行中の関西創価小学校の児童との出会い、関西学園生との卒業記念撮影での質問会、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」に関連するスピーチ等の映像を見ることができる。
さらに、池田先生がスピーチで引用した文豪の作品の古書など、ゆかりの物品も展示されている。
展示を締めくくるのは、創立者の長編詩「大空を見つめて」(抜粋)である。
太陽が輝く大空が描かれたパネルには、次の言葉が刻まれている。
君たちから
はるか後継へと
脈々と続く創価兄弟の
悠久の流れの中に
私の生命は
生き続けていく
その成長を見守ることを
最高の命の支えとして
最大の心の翼として
私は世界を
翔け続けよう!
君と 君たちと
共に離れずに!
永遠に共に!
なお、会場では、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)の新番組「創立者とともに 学園生と池田先生の絆——負けじ魂ここにあり」も視聴できる。
◇学園生の声
「"学園生は私の命"との創立者の思いが胸に迫ってきました。映像にも心から感動しました」(東京・創価中学校3年)
◇ ◆ ◇
「創立者がどれだけ学園生に思いを寄せてくださっているかを感じる展示でした。勉強、読書、クラブ活動に励んでいく決意ができました」(関西創価中学校2年)
◇ ◆ ◇
「学園愛唱歌『負けじ魂ここにあり』の映像を見て、創立者と学園生の絆を感じました。学園新時代を迎えた今、学園建設の主体者との自覚も新たに学び抜いていきます!」(東京・創価高校3年)
◇ ◆ ◇
「"負けない心"の大切さを学びました。陰で支えてくださる人に感謝できる自分に成長していこうと決意しました」(関西創価高校2年)
◇お知らせ
【東京展】
▽会場=東京・新宿区の創価文化センター4階の正義会館
▽会期=8月31日(木)まで。休館は月曜および8月7日(月)〜17日(木)。
▽開館時間=午前10時〜午後5時(同4時30分受け付け終了)。
ご来館の際は、創価文化センター南口(JR信濃町駅・信濃平和会館側)をご利用ください。
※天候等により、開館時間などを変更する場合があります。詳しくは、総本部のホームページ(http://www.sokanet.jp/pr/sohonbu/)をご確認ください。
【関西展】
▽会場=大阪市天王寺区の関西池田記念会館4階の池田記念講堂
▽会期=8月13日(日)まで。
▽開館時間=午前10時〜午後5時(同4時30分受け付け終了)。
なお関西展は、少年少女希望絵画展と併せて開催されます。
2017年7月28日金曜日
2017.07.28 わが友に贈る
御聖訓「一日に二三度
えみて向へとなり」
父母に笑顔で接しよう。
感謝の言葉を届けよう。
親孝行を報恩の心で!
上野殿母尼御前御返事 P1515
『法門の事、日本国に人ごとに信ぜさせんと願して候いしが願や成熟せんとし候らん、当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり子細ありぬと見へ候、本より信じたる人人はことに悦ぶげに候か』
☆女性に贈ることば 七月二十八日
自然も、世界も、宇宙も、一瞬として止まってはいない。向上心を失った瞬間から、すでに人生の退歩が始まる。
☆今日のことば365 七月二十八日
万葉集が千年の歴史に耐えて、今も生気を脈々とたたえているのも、ホイットマンが、国境を越えて、その自我の叫びを力強く訴えかけているのも、形式や虚飾にとらわれない、人間の血脈ともいうべき息吹きがそこにあるからだと思います。
☆世界写真紀行 第19回 アラスカ「ポーテージ氷河」 2017年7月21日
◇「対話」が知恵の門を開く
湖に浮かぶ氷の塊。よく見ると青い。空の色とも、海の色とも異なる、独特の青。「グレーシャー・ブルー(氷河の青)」と呼ばれるものだ。
アメリカ・アラスカ州アンカレジ近郊。氷は、ポーテージ氷河の一部である。
氷河とは、万年雪がそれ自体の重みによって氷の塊となり、低地に向かって流れ下る、文字通り"氷の河"。人間の世界からは想像もつかないほどの長い年月をかけて形成された。
アラスカとは「偉大なる大地」という意味。アメリカ合衆国最大の州であり、面積は日本の約4倍もある。
1983年5月28日、池田先生は、このアラスカの地に第一歩をしるした。
アンカレジ国際空港のロビーに先生の一行が姿を現すと、出迎えたSGIメンバーから歓声と拍手が起こった。一人一人と固い握手を交わす先生。広大な地で広布を開拓してきた友の喜びが弾けた。
翌29日、先生はアンカレジ市内で行われた北米総会に出席。アラスカという名の由来に触れつつ、"この偉大なる大地で、永遠に崩れざる幸福と平和の道を拡大しながら、偉大なる仏法の証明者、偉大なる幸福の栄冠者に"と念願した。
さらに30日、池田先生の一行は、ポーテージ氷河へ。アンカレジから車で1時間半の道のりを、アメリカ、カナダの代表と共に向かった。
氷河を眺めつつ、先生はメンバーの近況を聞き、心からの励ましを。共に記念のカメラに納まった。
アラスカの友は、この師弟の原点を胸に、広布拡大へ極北の広大な大地を駆けた。折々には、思い出のポーテージ氷河に集って誓いを新たにし、社会に友情と信頼の輪を広げていった。
先生は、アラスカの厳しい自然と、そこで鍛えられた人間味豊かな人々との出会いを振り返りつつ、次のように記している。
"民衆は皆、『楽しく平和に暮らしたい』と願っている。それなのに戦争の恐怖や環境破壊がある。青年の心に空虚感があり、老人の心には無力感がある。人間の力を『幸福の道』に使うか、『破滅の道』に使うかは結局、人間次第である"
現代社会において、科学技術は発達し、知識も飛躍的に増大した。しかし、肝心の人間自身の欲望を制御できていない。先生は、そうした人類の行き詰まりの原因の一つとして、「人間が、なかんずく指導者が、〈生と死〉という根本問題について考えることを避けている」からであると指摘。「ゆえに、知識は増えても、智慧は増さない」と。
「必ず来る『自分の死』を直視し、人生の短さを沈思したならば、支配欲や富に溺れて暮らす愚かさが、わかるはずである。もてる力を何に使うべきか、身震いする思いで自覚するはずである。自分の死後までも残る永遠の価値のために立ち上がるはずである」
何のために生きるのか。限りある生を、どう使うのか——この問い掛けはまた、仏法対話の出発点でもある。
友に会い、じっくりと語り合う中で、人生と社会において、最も大切なものが見えてくる。知識が増えるだけではなく、知恵が湧いてくるのだ。
我らの対話運動は、自他共の幸福の直道であると同時に、一人一人の生命に知恵の門を開き、人類的な諸問題に挑戦する精神の闘争である。
えみて向へとなり」
父母に笑顔で接しよう。
感謝の言葉を届けよう。
親孝行を報恩の心で!
上野殿母尼御前御返事 P1515
『法門の事、日本国に人ごとに信ぜさせんと願して候いしが願や成熟せんとし候らん、当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり子細ありぬと見へ候、本より信じたる人人はことに悦ぶげに候か』
☆女性に贈ることば 七月二十八日
自然も、世界も、宇宙も、一瞬として止まってはいない。向上心を失った瞬間から、すでに人生の退歩が始まる。
☆今日のことば365 七月二十八日
万葉集が千年の歴史に耐えて、今も生気を脈々とたたえているのも、ホイットマンが、国境を越えて、その自我の叫びを力強く訴えかけているのも、形式や虚飾にとらわれない、人間の血脈ともいうべき息吹きがそこにあるからだと思います。
☆世界写真紀行 第19回 アラスカ「ポーテージ氷河」 2017年7月21日
◇「対話」が知恵の門を開く
湖に浮かぶ氷の塊。よく見ると青い。空の色とも、海の色とも異なる、独特の青。「グレーシャー・ブルー(氷河の青)」と呼ばれるものだ。
アメリカ・アラスカ州アンカレジ近郊。氷は、ポーテージ氷河の一部である。
氷河とは、万年雪がそれ自体の重みによって氷の塊となり、低地に向かって流れ下る、文字通り"氷の河"。人間の世界からは想像もつかないほどの長い年月をかけて形成された。
アラスカとは「偉大なる大地」という意味。アメリカ合衆国最大の州であり、面積は日本の約4倍もある。
1983年5月28日、池田先生は、このアラスカの地に第一歩をしるした。
アンカレジ国際空港のロビーに先生の一行が姿を現すと、出迎えたSGIメンバーから歓声と拍手が起こった。一人一人と固い握手を交わす先生。広大な地で広布を開拓してきた友の喜びが弾けた。
翌29日、先生はアンカレジ市内で行われた北米総会に出席。アラスカという名の由来に触れつつ、"この偉大なる大地で、永遠に崩れざる幸福と平和の道を拡大しながら、偉大なる仏法の証明者、偉大なる幸福の栄冠者に"と念願した。
さらに30日、池田先生の一行は、ポーテージ氷河へ。アンカレジから車で1時間半の道のりを、アメリカ、カナダの代表と共に向かった。
氷河を眺めつつ、先生はメンバーの近況を聞き、心からの励ましを。共に記念のカメラに納まった。
アラスカの友は、この師弟の原点を胸に、広布拡大へ極北の広大な大地を駆けた。折々には、思い出のポーテージ氷河に集って誓いを新たにし、社会に友情と信頼の輪を広げていった。
先生は、アラスカの厳しい自然と、そこで鍛えられた人間味豊かな人々との出会いを振り返りつつ、次のように記している。
"民衆は皆、『楽しく平和に暮らしたい』と願っている。それなのに戦争の恐怖や環境破壊がある。青年の心に空虚感があり、老人の心には無力感がある。人間の力を『幸福の道』に使うか、『破滅の道』に使うかは結局、人間次第である"
現代社会において、科学技術は発達し、知識も飛躍的に増大した。しかし、肝心の人間自身の欲望を制御できていない。先生は、そうした人類の行き詰まりの原因の一つとして、「人間が、なかんずく指導者が、〈生と死〉という根本問題について考えることを避けている」からであると指摘。「ゆえに、知識は増えても、智慧は増さない」と。
「必ず来る『自分の死』を直視し、人生の短さを沈思したならば、支配欲や富に溺れて暮らす愚かさが、わかるはずである。もてる力を何に使うべきか、身震いする思いで自覚するはずである。自分の死後までも残る永遠の価値のために立ち上がるはずである」
何のために生きるのか。限りある生を、どう使うのか——この問い掛けはまた、仏法対話の出発点でもある。
友に会い、じっくりと語り合う中で、人生と社会において、最も大切なものが見えてくる。知識が増えるだけではなく、知恵が湧いてくるのだ。
我らの対話運動は、自他共の幸福の直道であると同時に、一人一人の生命に知恵の門を開き、人類的な諸問題に挑戦する精神の闘争である。
2017年7月27日木曜日
2017.07.27 わが友に贈る
この夏に取り組む
新たな挑戦を決めよう!
目標を定めることが
勇気と変革の一歩に!
大充実の一日一日を!
松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』
☆女性に贈ることば 七月二十七日
「使命がある」ことと「使命を自覚する」こととは違う。自覚 しないままに、自分をダメにしては、あまりにももったいない。使命を自覚すれば、無限の活力が湧く。
☆今日のことば365 七月二十七日
人生には、あまりにも仮面者が多い。真実を尊しとしてゆかねばならぬ、特に青年は。一生、真実を追究してゆく人は偉大なる人だ。
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生第2回 東京校 1970〜72年度 2017年7月20日
自分の決めた目標へ
努力する姿勢が大切です。
結果は後からついてくる。
1970年4月。開校以来、3度目の春を迎えた創価学園は、中学1年生から高校3年生までの6学年がそろい、一段とにぎわいを見せていた。
初めての卒業生を送り出す、この年度からの3年間も、創立者の池田先生は、激務の合間を縫ってはキャンパスを訪れ、時に一緒に食事やスポーツをしながら、一人一人の近況に耳を傾け、心の絆を結んでいった。
◇最高の親孝行を
草創期、先生は夏などの長期休みが迫ると、寮生や下宿生に「茶葉」を渡して激励した。
その際、作家・吉川英治が『三国志』につづったエピソードを紹介している。
——若き劉備玄徳が、旅先で郷里の母にお茶を買って帰る。母はその孝心を一度は喜ぶも、お茶を持ち帰るために、父の形見の剣を人に与えてしまった劉備を厳しく叱る。"いつか、人々のために立つべき時がくることを忘れてはならない"と。その母の厳愛に、劉備は自身の使命を強く深く自覚する——
この母子のドラマを通して、先生は言った。
「お茶はその昔、とても高級品だったんだ。帰省したら、お父さんとお母さんに差し上げてください。将来は、ご両親が誇れる立派な人に成長するんだ。このお茶は最高の親孝行のしるしだよ」
中立一克さん(高校3期)が、先生からのお茶を手にしたのは、第3回栄光祭が行われた70年7月17日。親元を離れ、初めて迎える夏休みの直前だった。
当時、大阪の実家には、子どもを東京の私立校に送り出す余裕など全くなかった。父は病のために転職したばかり。母がパートで家計を支えていた。
1、2年次に下宿生だった中立さんは、食費を確保することもままならなかった。冬は寒さに耐え、手袋をしながら鉛筆を持ち、机に向かった。
「自分が必ず一家の経済革命を成し遂げるんだ——その思いで、懸命に勉学に取り組みました」
苦労の末、卒業後は京都大学薬学部へ。医薬品メーカーに就職し、東京支社長まで勤め上げた。
「新茶の季節には、今でも時折、実家の両親にお茶を送ります」と中立さん。先生から教わった親孝行の心が社会で勝ち抜く原動力になった。
◇世のため光れ
「大変遅くなって、すみません」。70年9月9日の放課後、先生が体育館に入場すると、割れんばかりの歓声と拍手が響き渡った。
通学生の集いである「潮流会」の第1回総会である。
通学生が創立者を囲んで過ごす待望のひととき。開催が決まってから、皆、大喜びで準備に当たってきた。詩の朗読や合唱・演奏の練習に加え、愛唱歌も作成した。
総会は先生が参加者に質問を投げ掛けながら、和やかに進んだ。
「学校まで来るのに1時間以上かかる人は?」
「体が弱い人はいるかい?」
さらに話題は、将来の夢に。「科学者になりたい人!」。何人かが「はい!」と、元気よく手を挙げる。
教育者、飛行士、医師、実業家、法律家……。
矢継ぎ早の呼び掛けに次々と即答する学園生。その様子を頼もしそうに眺めながら、先生は「職業ごとの色紙に名前を書いて、後世に残しておこう」と提案。こう言葉を継いだ。
「目標は自分で決めることです。たとえ紆余曲折あって、できなかったとしても、自分の決めた目標に向けて努力する姿勢が大切です。結果は後からついてくる」
そして、通学生が練習に練習を重ねた演目を観賞。最後に、愛唱歌「友よ」と「潮流会歌」などを聴き、「上手だね。いい歌だね」とたたえた。
潮流会の中には、何時間もかけて学園に通い続けるメンバーもいた。
ある生徒は、無遅刻・無欠席に挑み、皆勤賞を受賞した。ある生徒は、通学時間を無駄にするまいと、電車内で何百冊もの本を読み抜いた。
彼らは今、若き日の誓いを胸に、自らが定めた使命の分野で黄金の輝きを放っている。
第1回の総会に際し、先生は記念の句を詠み贈った。
「友のため 世のため光れ 潮流会」
◇「学ばずは卑し」
学園の伝統は「学びの伝統」である。
70年12月20日、先生は学園生の代表との懇談の席上、「学ばずは卑し」との言葉を紹介した。
「社会で指導的な立場にある者として、また、時代の先端を行く人として、学ばないのは卑しいことだという意味です」
「真実の人間観を深く追求して生きる人の、一番正しい、一番偉大な言葉である」
参加者の一人で、寮生だった仲浩さん(高校2期)も、この一言を胸中深くに刻んでいる。
創価大学を経て、5年間、大手電機メーカーで"営業の基礎"を身に付けた。
やがて地元・大分県中津市に戻り、父が営む運送会社を手伝うようになってからは、地域の青年会議所で青年実業家たちと社会貢献の在り方などを探求してきた。
父の後を継ぎ、社長になって今年で22年。業績を飛躍的に伸ばし、従業員250人を抱える、県内屈指の企業に発展させた。現在は、中津商工会議所の会頭としても活躍する。
「向上の人生を歩むことができたのは『学ばずは卑し』との指針のおかげです」と仲さん。社会のため、地域のために何ができるかを常に考え、鍛錬を重ねる日々だ。
◇空飛ぶ王の如く
東京校の中央体育館の脇に立つ「青年と鷲」の像は、開校以来の学園のシンボルである。
この像に台座が設置されることになり、除幕式が行われたのは、71年5月22日であった。
先生が見守る中、白いハトが一斉に大空へ放たれ、白布が取り除かれる。巨大なブロンズ像の台座には「青年よ 新世紀の 英智と情熱の 指導者たれ」との言葉が刻まれていた。
集った新入生らに、先生は語り掛けている。
「鷲は、栄光を表す。諸君も、この"空飛ぶ王"のごとくに成長し、世界に羽ばたいてほしい。また、青年はひ弱であってはならない。たくましい根性、不壊の精神を鍛えていっていただきたい」
◇
71年3月の第1回卒業式以降、創立者の期待を背に、数多の学園生が小平の学舎から巣立った。
先生は、第1回と第2回は卒業記念の謝恩会に出席している。
晴れの門出を祝い、1期生に「『何のため』を忘れるな」、2期生には「正義の人であれ」とエールを送った。
初めて卒業式に出席したのは、73年3月の第3回である。自らの青春時代を振り返りつつ、こう期待を寄せている。
「生涯、求道者の姿勢を崩すことなく、それぞれの人間としての頂上を極めていっていただきたい」と。
求道の心を燃やし、わが人生の最高峰を目指す——永遠に変わらぬ学園魂が、ここにある。
新たな挑戦を決めよう!
目標を定めることが
勇気と変革の一歩に!
大充実の一日一日を!
松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』
☆女性に贈ることば 七月二十七日
「使命がある」ことと「使命を自覚する」こととは違う。自覚 しないままに、自分をダメにしては、あまりにももったいない。使命を自覚すれば、無限の活力が湧く。
☆今日のことば365 七月二十七日
人生には、あまりにも仮面者が多い。真実を尊しとしてゆかねばならぬ、特に青年は。一生、真実を追究してゆく人は偉大なる人だ。
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生第2回 東京校 1970〜72年度 2017年7月20日
自分の決めた目標へ
努力する姿勢が大切です。
結果は後からついてくる。
1970年4月。開校以来、3度目の春を迎えた創価学園は、中学1年生から高校3年生までの6学年がそろい、一段とにぎわいを見せていた。
初めての卒業生を送り出す、この年度からの3年間も、創立者の池田先生は、激務の合間を縫ってはキャンパスを訪れ、時に一緒に食事やスポーツをしながら、一人一人の近況に耳を傾け、心の絆を結んでいった。
◇最高の親孝行を
草創期、先生は夏などの長期休みが迫ると、寮生や下宿生に「茶葉」を渡して激励した。
その際、作家・吉川英治が『三国志』につづったエピソードを紹介している。
——若き劉備玄徳が、旅先で郷里の母にお茶を買って帰る。母はその孝心を一度は喜ぶも、お茶を持ち帰るために、父の形見の剣を人に与えてしまった劉備を厳しく叱る。"いつか、人々のために立つべき時がくることを忘れてはならない"と。その母の厳愛に、劉備は自身の使命を強く深く自覚する——
この母子のドラマを通して、先生は言った。
「お茶はその昔、とても高級品だったんだ。帰省したら、お父さんとお母さんに差し上げてください。将来は、ご両親が誇れる立派な人に成長するんだ。このお茶は最高の親孝行のしるしだよ」
中立一克さん(高校3期)が、先生からのお茶を手にしたのは、第3回栄光祭が行われた70年7月17日。親元を離れ、初めて迎える夏休みの直前だった。
当時、大阪の実家には、子どもを東京の私立校に送り出す余裕など全くなかった。父は病のために転職したばかり。母がパートで家計を支えていた。
1、2年次に下宿生だった中立さんは、食費を確保することもままならなかった。冬は寒さに耐え、手袋をしながら鉛筆を持ち、机に向かった。
「自分が必ず一家の経済革命を成し遂げるんだ——その思いで、懸命に勉学に取り組みました」
苦労の末、卒業後は京都大学薬学部へ。医薬品メーカーに就職し、東京支社長まで勤め上げた。
「新茶の季節には、今でも時折、実家の両親にお茶を送ります」と中立さん。先生から教わった親孝行の心が社会で勝ち抜く原動力になった。
◇世のため光れ
「大変遅くなって、すみません」。70年9月9日の放課後、先生が体育館に入場すると、割れんばかりの歓声と拍手が響き渡った。
通学生の集いである「潮流会」の第1回総会である。
通学生が創立者を囲んで過ごす待望のひととき。開催が決まってから、皆、大喜びで準備に当たってきた。詩の朗読や合唱・演奏の練習に加え、愛唱歌も作成した。
総会は先生が参加者に質問を投げ掛けながら、和やかに進んだ。
「学校まで来るのに1時間以上かかる人は?」
「体が弱い人はいるかい?」
さらに話題は、将来の夢に。「科学者になりたい人!」。何人かが「はい!」と、元気よく手を挙げる。
教育者、飛行士、医師、実業家、法律家……。
矢継ぎ早の呼び掛けに次々と即答する学園生。その様子を頼もしそうに眺めながら、先生は「職業ごとの色紙に名前を書いて、後世に残しておこう」と提案。こう言葉を継いだ。
「目標は自分で決めることです。たとえ紆余曲折あって、できなかったとしても、自分の決めた目標に向けて努力する姿勢が大切です。結果は後からついてくる」
そして、通学生が練習に練習を重ねた演目を観賞。最後に、愛唱歌「友よ」と「潮流会歌」などを聴き、「上手だね。いい歌だね」とたたえた。
潮流会の中には、何時間もかけて学園に通い続けるメンバーもいた。
ある生徒は、無遅刻・無欠席に挑み、皆勤賞を受賞した。ある生徒は、通学時間を無駄にするまいと、電車内で何百冊もの本を読み抜いた。
彼らは今、若き日の誓いを胸に、自らが定めた使命の分野で黄金の輝きを放っている。
第1回の総会に際し、先生は記念の句を詠み贈った。
「友のため 世のため光れ 潮流会」
◇「学ばずは卑し」
学園の伝統は「学びの伝統」である。
70年12月20日、先生は学園生の代表との懇談の席上、「学ばずは卑し」との言葉を紹介した。
「社会で指導的な立場にある者として、また、時代の先端を行く人として、学ばないのは卑しいことだという意味です」
「真実の人間観を深く追求して生きる人の、一番正しい、一番偉大な言葉である」
参加者の一人で、寮生だった仲浩さん(高校2期)も、この一言を胸中深くに刻んでいる。
創価大学を経て、5年間、大手電機メーカーで"営業の基礎"を身に付けた。
やがて地元・大分県中津市に戻り、父が営む運送会社を手伝うようになってからは、地域の青年会議所で青年実業家たちと社会貢献の在り方などを探求してきた。
父の後を継ぎ、社長になって今年で22年。業績を飛躍的に伸ばし、従業員250人を抱える、県内屈指の企業に発展させた。現在は、中津商工会議所の会頭としても活躍する。
「向上の人生を歩むことができたのは『学ばずは卑し』との指針のおかげです」と仲さん。社会のため、地域のために何ができるかを常に考え、鍛錬を重ねる日々だ。
◇空飛ぶ王の如く
東京校の中央体育館の脇に立つ「青年と鷲」の像は、開校以来の学園のシンボルである。
この像に台座が設置されることになり、除幕式が行われたのは、71年5月22日であった。
先生が見守る中、白いハトが一斉に大空へ放たれ、白布が取り除かれる。巨大なブロンズ像の台座には「青年よ 新世紀の 英智と情熱の 指導者たれ」との言葉が刻まれていた。
集った新入生らに、先生は語り掛けている。
「鷲は、栄光を表す。諸君も、この"空飛ぶ王"のごとくに成長し、世界に羽ばたいてほしい。また、青年はひ弱であってはならない。たくましい根性、不壊の精神を鍛えていっていただきたい」
◇
71年3月の第1回卒業式以降、創立者の期待を背に、数多の学園生が小平の学舎から巣立った。
先生は、第1回と第2回は卒業記念の謝恩会に出席している。
晴れの門出を祝い、1期生に「『何のため』を忘れるな」、2期生には「正義の人であれ」とエールを送った。
初めて卒業式に出席したのは、73年3月の第3回である。自らの青春時代を振り返りつつ、こう期待を寄せている。
「生涯、求道者の姿勢を崩すことなく、それぞれの人間としての頂上を極めていっていただきたい」と。
求道の心を燃やし、わが人生の最高峰を目指す——永遠に変わらぬ学園魂が、ここにある。
2017年7月26日水曜日
2017.07.26 わが友に贈る
創価班・牙城会の
大学校生よ 頑張れ!
青年時代は鍛えの時。
信行学の実践の中で
自らを磨きゆけ!
盂蘭盆御書 P1428
『僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんとせんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず』
☆女性に贈ることば 七月二十六日
成長していく子どもの姿を正しく認識し、それにふさわしい対話を持続していくことである。そのためにも、母親は、つねに、自己自身の成長をはかることが大切であろう。
☆今日のことば365 七月二十六日
人生は夢ではない。一日一日の着実な活動にこそ、真実の姿が形成されるといってよい。
☆御書と歩む 第74回 行学錬磨の光の道を
『日は赫赫たり月は明明たり・法華経の文字はかくかく・めいめいたり・めいめい・かくかくたり、あきらかなる鏡にかををうかべ、すめる水に月のうかべるがごとし』(南条殿御返事、1529ページ)
◇通解
日が赫々と照り、月が明々と輝くように、法華経の文字も赫々明々、明々赫々と照り輝いている。明鏡に顔を映し、澄んだ水に月の影を浮かべているようなものである。
◇同志への指針
法華経、そして御書の文字は、万年までも照らす黄金の光だ。民衆の幸福と平和への道を映し出す明鏡である。
日蓮仏法の根幹たる「広宣流布の信心」の血脈は、創価学会にのみ流れ通っている。この尊き和合僧の中に、真実の行学の錬磨があるのだ。
一緒に御書を拝し、大聖哲の太陽の魂に触れながら、赫々・明々たる人間革命の光の道を進みゆこう!
☆親が子に語る物語 お金持ちの父と貧乏な息子 2017年7月23日
◇貧しい若者の本当の姿とは?
むかし、インドのある街でのことです。
小さいころに家を飛び出し、さまよい続けていた若者が、この街に戻ってきました。
目の前の大きな屋敷を見上げて、ためいきをついています。
「ああ、こんな家に住めたらどんなにいいだろう。ボクはずっと貧乏だったからなぁ」
若者はお金もなく、服はボロボロでした。何日も食べていないので、おなかがグウっと鳴ります。
"どうすればお金に困らない人生を送ることができるんだろう?"——ジッと手を見つめます。でも、出てくるのは、ためいきばかりでした。
そのとき、大きな屋敷の2階で若者の姿をジッと見つめている老人がいます。この屋敷のご主人です。若者が自分の息子だと気づいたご主人は、使いのものをやりました。
「おい、そこで何をしてる!」
使いの門番が怖い顔をしてやってきます。
「ヒエェェ!」
若者は、あわてて逃げ出してしまいました。
数日後、街のはずれに野宿していた若者のもとに、大きな屋敷から使いがやってきました。
「お前、掃除はできるか?」
「はい」と、若者は答えました。
「じゃ、屋敷に来い。雇ってやる」
「はい?」
「給料をよその2倍出そう」
「はい!」
若者は喜びます。
若者はお屋敷で一生懸命に働きます。おかげで、屋敷の外に小屋を借りて住み、なんとか暮らしていけるようになりました。
若者が屋敷を掃除していると、貧相な身なりの老人がやってきます。
「お前は、まじめだから願いをかなえてあげよう。何でも言ってごらん」
「願いだなんて、かないっこありませんよ」
若者は断ります。
すると老人は言いました。
「そうか。でも、私のことを父と思っていいんだよ。私はお前を息子と呼ぶから」
「え? 見ず知らずの人を父だなんて思えませんよ」
あいかわらず、若者は自分は貧乏なまま一生を送るのだと思っていました。
何年かすぎ、屋敷のご主人が病気になりました。どうやら死が近づいているようです。
ご主人の親族や国の大臣らが屋敷にやってきます。国王までもやってきて、ご主人を見舞うのです。
若者がいつものように屋敷を掃除していると、「お前、すぐに来い!」と呼ばれます。ご主人の寝室に来いというのです。
そこには、国王をはじめ大臣らがずらりと並んでいます。みすぼらしい姿の若者はオロオロしていました。
フカフカの布団に寝ている老人を見て若者は驚きました。それは、いつか「願いをかなえてやろう」と言った老人ではありませんか。
そして、老人は起き上がって、そこにいる全員に告げます。
「諸君、この若者は、実はわが子なのです。私の実の息子です」
若者は耳を疑いました。
「まさか!」
はるかむかしに家出をしたきり、父親とは会っていませんでしたから、自分の父親の顔も忘れていたのです。
枕元に行き、若者は老人の手を取ります。その手のぬくもりを感じたとき、若者は、はっきりとわかりました。この人こそが自分の父親だと。
「私の財産は、この息子にすべて譲ります。この場にいるみなさんが、その証人になってください」
老人がそう言ったとき、部屋中に拍手がわきおこります。
「おめでとう!」
若者は、ずっと自分を見守り続けてくれた父親の慈愛を知り、幸せをかみしめるのでした。
◇ ◆ ◇
ぶん・高橋フミアキ
え ・三浦 哲
◇おうちの方へ
今回の物語は、法華経信解品第4に説かれる「長者窮子の譬え」をもとにしています。
これは、法華経に至って、初めて"誰もが仏の生命を具えている"と分かった声聞たちが、自分たちの理解を譬喩に託して述べたものです。
父親である長者は仏を指し、貧しい息子とは衆生を指します。一切衆生は本来、「仏子」であるにもかかわらず、そのことを忘れて迷っている様を、他国を迷い歩くことに譬えています。
そして、男が長者の実の息子であることを皆に明かしたことは、全ての人は「仏子」であり、成仏できることを示しています。それが説かれたのが法華経です。
「無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は 求めざるに自ずから得たり)」(法華経224ページ)とあるように、"皆が、本来、仏の生命という無上の財宝をもっている"と分かった声聞たちの感激は、妙法に巡り合えた私たちの喜びに通じるといえるでしょう。
大学校生よ 頑張れ!
青年時代は鍛えの時。
信行学の実践の中で
自らを磨きゆけ!
盂蘭盆御書 P1428
『僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんとせんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず』
☆女性に贈ることば 七月二十六日
成長していく子どもの姿を正しく認識し、それにふさわしい対話を持続していくことである。そのためにも、母親は、つねに、自己自身の成長をはかることが大切であろう。
☆今日のことば365 七月二十六日
人生は夢ではない。一日一日の着実な活動にこそ、真実の姿が形成されるといってよい。
☆御書と歩む 第74回 行学錬磨の光の道を
『日は赫赫たり月は明明たり・法華経の文字はかくかく・めいめいたり・めいめい・かくかくたり、あきらかなる鏡にかををうかべ、すめる水に月のうかべるがごとし』(南条殿御返事、1529ページ)
◇通解
日が赫々と照り、月が明々と輝くように、法華経の文字も赫々明々、明々赫々と照り輝いている。明鏡に顔を映し、澄んだ水に月の影を浮かべているようなものである。
◇同志への指針
法華経、そして御書の文字は、万年までも照らす黄金の光だ。民衆の幸福と平和への道を映し出す明鏡である。
日蓮仏法の根幹たる「広宣流布の信心」の血脈は、創価学会にのみ流れ通っている。この尊き和合僧の中に、真実の行学の錬磨があるのだ。
一緒に御書を拝し、大聖哲の太陽の魂に触れながら、赫々・明々たる人間革命の光の道を進みゆこう!
☆親が子に語る物語 お金持ちの父と貧乏な息子 2017年7月23日
◇貧しい若者の本当の姿とは?
むかし、インドのある街でのことです。
小さいころに家を飛び出し、さまよい続けていた若者が、この街に戻ってきました。
目の前の大きな屋敷を見上げて、ためいきをついています。
「ああ、こんな家に住めたらどんなにいいだろう。ボクはずっと貧乏だったからなぁ」
若者はお金もなく、服はボロボロでした。何日も食べていないので、おなかがグウっと鳴ります。
"どうすればお金に困らない人生を送ることができるんだろう?"——ジッと手を見つめます。でも、出てくるのは、ためいきばかりでした。
そのとき、大きな屋敷の2階で若者の姿をジッと見つめている老人がいます。この屋敷のご主人です。若者が自分の息子だと気づいたご主人は、使いのものをやりました。
「おい、そこで何をしてる!」
使いの門番が怖い顔をしてやってきます。
「ヒエェェ!」
若者は、あわてて逃げ出してしまいました。
数日後、街のはずれに野宿していた若者のもとに、大きな屋敷から使いがやってきました。
「お前、掃除はできるか?」
「はい」と、若者は答えました。
「じゃ、屋敷に来い。雇ってやる」
「はい?」
「給料をよその2倍出そう」
「はい!」
若者は喜びます。
若者はお屋敷で一生懸命に働きます。おかげで、屋敷の外に小屋を借りて住み、なんとか暮らしていけるようになりました。
若者が屋敷を掃除していると、貧相な身なりの老人がやってきます。
「お前は、まじめだから願いをかなえてあげよう。何でも言ってごらん」
「願いだなんて、かないっこありませんよ」
若者は断ります。
すると老人は言いました。
「そうか。でも、私のことを父と思っていいんだよ。私はお前を息子と呼ぶから」
「え? 見ず知らずの人を父だなんて思えませんよ」
あいかわらず、若者は自分は貧乏なまま一生を送るのだと思っていました。
何年かすぎ、屋敷のご主人が病気になりました。どうやら死が近づいているようです。
ご主人の親族や国の大臣らが屋敷にやってきます。国王までもやってきて、ご主人を見舞うのです。
若者がいつものように屋敷を掃除していると、「お前、すぐに来い!」と呼ばれます。ご主人の寝室に来いというのです。
そこには、国王をはじめ大臣らがずらりと並んでいます。みすぼらしい姿の若者はオロオロしていました。
フカフカの布団に寝ている老人を見て若者は驚きました。それは、いつか「願いをかなえてやろう」と言った老人ではありませんか。
そして、老人は起き上がって、そこにいる全員に告げます。
「諸君、この若者は、実はわが子なのです。私の実の息子です」
若者は耳を疑いました。
「まさか!」
はるかむかしに家出をしたきり、父親とは会っていませんでしたから、自分の父親の顔も忘れていたのです。
枕元に行き、若者は老人の手を取ります。その手のぬくもりを感じたとき、若者は、はっきりとわかりました。この人こそが自分の父親だと。
「私の財産は、この息子にすべて譲ります。この場にいるみなさんが、その証人になってください」
老人がそう言ったとき、部屋中に拍手がわきおこります。
「おめでとう!」
若者は、ずっと自分を見守り続けてくれた父親の慈愛を知り、幸せをかみしめるのでした。
◇ ◆ ◇
ぶん・高橋フミアキ
え ・三浦 哲
◇おうちの方へ
今回の物語は、法華経信解品第4に説かれる「長者窮子の譬え」をもとにしています。
これは、法華経に至って、初めて"誰もが仏の生命を具えている"と分かった声聞たちが、自分たちの理解を譬喩に託して述べたものです。
父親である長者は仏を指し、貧しい息子とは衆生を指します。一切衆生は本来、「仏子」であるにもかかわらず、そのことを忘れて迷っている様を、他国を迷い歩くことに譬えています。
そして、男が長者の実の息子であることを皆に明かしたことは、全ての人は「仏子」であり、成仏できることを示しています。それが説かれたのが法華経です。
「無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は 求めざるに自ずから得たり)」(法華経224ページ)とあるように、"皆が、本来、仏の生命という無上の財宝をもっている"と分かった声聞たちの感激は、妙法に巡り合えた私たちの喜びに通じるといえるでしょう。
2017年7月25日火曜日
2017.07.25 わが友に贈る
読書は心の滋養
良書は生涯の善友だ。
古今の名著に挑もう!
人格と見識を深めゆく
大成長の夏を共に!
可延定業書 P986
『閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る、早く心ざしの財をかさねていそぎいそぎ御対治あるべし』
☆女性に贈ることば 七月二十五日
賢い人であれ
聡明な人であれ
明るい人であれ
強い人であれ
そして--
優しい人であれ
☆今日のことば365 七月二十五日
不幸を知らないで幸福がわかるはずもないのである。人生のさまざまな労苦というものは、すべて幸福へのためにある。苦労が多ければ多いほど、やがて来る幸福感も大きいに違いない。例えばどんなに絶望的に思われようと、不幸を克服するには苦労をいとってはだめである。
☆世界広布新時代第26回本部幹部会で紹介された池田先生の指針
広布の人生こそ永遠の誉れ
戸田先生「苦労の中で本物は生まれる」
青年よ 困難に挑みゆけ
唱題根本に健康と幸福の道を
「世界広布新時代第26回本部幹部会」(8日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2005年7月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。広布に走る友の指針として掲載する。
一、晴れ晴れと、完全勝利、おめでとう!(大拍手)
全国の皆さん、本当にありがとう!
すべて、勇気ある同志の勝利である。仏法の勝利である。
婦人部の皆さん、家庭を守りながらの活動、本当にご苦労さま!
芸術部の皆さんも、ありがとう!
青年部も、よく頑張った!
どうか、上手に体を休め、英気を養っていただきたい。そして愉快に、爽快に、ともどもに、新たな前進を開始したい。
一、戸田先生は、どんなに忙しくても、青年たちを温かく迎えられた。
「よく来たな! 未来に大きく羽ばたく諸君だ。私は期待し、信頼しているよ」
先生は、青年を、こよなく愛された。
とくに晩年は、"もう青年しかない。青年しか信頼できない。青年が後を継ぐのだ。青年が伸び、青年が増えれば、学会は大きくなり、広宣流布はもっと早く進んでいく"というお心であられた。
私も今、戸田先生とまったく同じ気持ちである。
創価学会は、これから一段と、青年に力を入れていきたい。
一、また戸田先生は言われた。「広宣流布は、思想戦であり、言論戦だ。
書きに書かねばならないし、しゃべりにしゃべりまくらなければならない作業であり、大運動なのだ」と。
どんどん書け。しゃべりにしゃべれ。黙っていてはいけない。言うべきことは、強く言い切っていけ。それでこそ、広宣流布は進むのだ、との戸田先生の厳命である。
もちろん、聞くべきときは、きちんと聞かなければならない。
そのうえで、青年ならば、邪悪を許さぬ、鋭い言論の力を持つべきだ。
「一」言われたら、「十」言い返し、打ち返す「反撃力」を磨き抜いていくのである。
いわれない非難を受けて、黙って下を向いているような意気地なしの青年であってはいけない。
おとなしくして、かしこまっていては損するだけである。
相手の生命に叩き込むくらいの執念と勢いで、これでもか、これでもかと反論することだ。真実を語ることだ。沈黙しないことだ。
生命力に満ち満ちた私たちの力強い「声」——それが"広宣流布の弾丸"である。
偏見や無理解の壁を破る"正義の大砲"である。
わが信念を、わが正義を、どんな相手にも、しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いていくのである。
それが愉快で、楽しくてしかたないという一人一人になっていってこそ、広宣流布は、一段と勢いを増して進んでいく。
◇真剣・努力・執念
一、本当に偉大な人生とは何か——。
戸田先生は語っておられた。
「本当に偉大な人生とは、権力者になることでもなければ、いわゆる有名な人間になることでもない。創価学会のリーダーとなって、広宣流布に尽くしていくことこそ、最高にして永遠の誉れである」
これが先生の絶対の確信であった。
日蓮大聖人は「百二十歳まで長生きし、汚名を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげる事こそが大切である」(御書1173ページ、通解)と仰せである。
結論から言えば、広宣流布に生き抜くことが最高に「名をあげる」ことである。
広宣流布の人生こそ、最も偉大な人生なのである。
それが大聖人の御確信であられた。
青年部の皆さんは、この一点を生涯、忘れないでいただきたい。
一、戸田先生は「人間の"偉さ"は、地位や肩書にあるのではない。本当の『実力』があるかどうかで決まる」と指導された。
学会のリーダーの条件は、社会的地位とか肩書は関係ない。
どこまでも信心が根本であり、人間としての力がどうかである。
つまり、「真剣さ」であり、「努力する姿」であり、「戦い続ける執念」である——それがある人かどうかを見抜いていく以外にない。
一、先生は常々、おっしゃっていた。
「恵まれた環境だからといって、いいものができるのではない。苦難、苦労の中でこそ、偉大なもの、本物は生まれる」
平凡な人生では、平凡な人間しか育たない。
青年ならば、あえて苦難の嵐の中に飛び込んでいくことだ。困難なことに挑戦することだ。
折伏もそうである。大変である。しかし、大変だからこそ、自分が磨かれる。本物の人材と光っていく。
若き皆さんは、この決心で進んでいただきたい。
一、戸田先生が、ある同志に語っていた言葉が忘れられない。
「自身の将来のために、一家の本当の繁栄のために、覚悟して一生涯、信心をしてみなさい。必ず心の底からよかったという日がくるから」と。
信心してよかった!
学会員でよかった!
そう心の底から思える日が必ずくる。それが戸田先生の宣言である。
私たちも、自信をもって堂々とやりましょう!
頑張りましょう!(大拍手)
◇妙法のリズムで
一、健康第一で、夜はなるべく早く休むようにして、食べ過ぎや飲み過ぎにも注意して(笑い)、賢明に過ごしていきたい。
また、日々の会合をより一層、充実させ、組織もしっかりと整備する夏にしてまいりたい。
ともあれ、人生を順調な軌道に乗せ、わが生命を輝かせていく——その原動力が題目である。
生き生きと、妙法のリズムにのっとった生活を送っていきたい。
一番平和で、一番幸福で、一番安全な道を進もう! そして、いざという時には、一番勇気を出して、魂の炎を燃やして、力強く人生を勝ち越えてまいりたい。
ありがとう!
良書は生涯の善友だ。
古今の名著に挑もう!
人格と見識を深めゆく
大成長の夏を共に!
可延定業書 P986
『閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る、早く心ざしの財をかさねていそぎいそぎ御対治あるべし』
☆女性に贈ることば 七月二十五日
賢い人であれ
聡明な人であれ
明るい人であれ
強い人であれ
そして--
優しい人であれ
☆今日のことば365 七月二十五日
不幸を知らないで幸福がわかるはずもないのである。人生のさまざまな労苦というものは、すべて幸福へのためにある。苦労が多ければ多いほど、やがて来る幸福感も大きいに違いない。例えばどんなに絶望的に思われようと、不幸を克服するには苦労をいとってはだめである。
☆世界広布新時代第26回本部幹部会で紹介された池田先生の指針
広布の人生こそ永遠の誉れ
戸田先生「苦労の中で本物は生まれる」
青年よ 困難に挑みゆけ
唱題根本に健康と幸福の道を
「世界広布新時代第26回本部幹部会」(8日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2005年7月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。広布に走る友の指針として掲載する。
一、晴れ晴れと、完全勝利、おめでとう!(大拍手)
全国の皆さん、本当にありがとう!
すべて、勇気ある同志の勝利である。仏法の勝利である。
婦人部の皆さん、家庭を守りながらの活動、本当にご苦労さま!
芸術部の皆さんも、ありがとう!
青年部も、よく頑張った!
どうか、上手に体を休め、英気を養っていただきたい。そして愉快に、爽快に、ともどもに、新たな前進を開始したい。
一、戸田先生は、どんなに忙しくても、青年たちを温かく迎えられた。
「よく来たな! 未来に大きく羽ばたく諸君だ。私は期待し、信頼しているよ」
先生は、青年を、こよなく愛された。
とくに晩年は、"もう青年しかない。青年しか信頼できない。青年が後を継ぐのだ。青年が伸び、青年が増えれば、学会は大きくなり、広宣流布はもっと早く進んでいく"というお心であられた。
私も今、戸田先生とまったく同じ気持ちである。
創価学会は、これから一段と、青年に力を入れていきたい。
一、また戸田先生は言われた。「広宣流布は、思想戦であり、言論戦だ。
書きに書かねばならないし、しゃべりにしゃべりまくらなければならない作業であり、大運動なのだ」と。
どんどん書け。しゃべりにしゃべれ。黙っていてはいけない。言うべきことは、強く言い切っていけ。それでこそ、広宣流布は進むのだ、との戸田先生の厳命である。
もちろん、聞くべきときは、きちんと聞かなければならない。
そのうえで、青年ならば、邪悪を許さぬ、鋭い言論の力を持つべきだ。
「一」言われたら、「十」言い返し、打ち返す「反撃力」を磨き抜いていくのである。
いわれない非難を受けて、黙って下を向いているような意気地なしの青年であってはいけない。
おとなしくして、かしこまっていては損するだけである。
相手の生命に叩き込むくらいの執念と勢いで、これでもか、これでもかと反論することだ。真実を語ることだ。沈黙しないことだ。
生命力に満ち満ちた私たちの力強い「声」——それが"広宣流布の弾丸"である。
偏見や無理解の壁を破る"正義の大砲"である。
わが信念を、わが正義を、どんな相手にも、しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いていくのである。
それが愉快で、楽しくてしかたないという一人一人になっていってこそ、広宣流布は、一段と勢いを増して進んでいく。
◇真剣・努力・執念
一、本当に偉大な人生とは何か——。
戸田先生は語っておられた。
「本当に偉大な人生とは、権力者になることでもなければ、いわゆる有名な人間になることでもない。創価学会のリーダーとなって、広宣流布に尽くしていくことこそ、最高にして永遠の誉れである」
これが先生の絶対の確信であった。
日蓮大聖人は「百二十歳まで長生きし、汚名を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげる事こそが大切である」(御書1173ページ、通解)と仰せである。
結論から言えば、広宣流布に生き抜くことが最高に「名をあげる」ことである。
広宣流布の人生こそ、最も偉大な人生なのである。
それが大聖人の御確信であられた。
青年部の皆さんは、この一点を生涯、忘れないでいただきたい。
一、戸田先生は「人間の"偉さ"は、地位や肩書にあるのではない。本当の『実力』があるかどうかで決まる」と指導された。
学会のリーダーの条件は、社会的地位とか肩書は関係ない。
どこまでも信心が根本であり、人間としての力がどうかである。
つまり、「真剣さ」であり、「努力する姿」であり、「戦い続ける執念」である——それがある人かどうかを見抜いていく以外にない。
一、先生は常々、おっしゃっていた。
「恵まれた環境だからといって、いいものができるのではない。苦難、苦労の中でこそ、偉大なもの、本物は生まれる」
平凡な人生では、平凡な人間しか育たない。
青年ならば、あえて苦難の嵐の中に飛び込んでいくことだ。困難なことに挑戦することだ。
折伏もそうである。大変である。しかし、大変だからこそ、自分が磨かれる。本物の人材と光っていく。
若き皆さんは、この決心で進んでいただきたい。
一、戸田先生が、ある同志に語っていた言葉が忘れられない。
「自身の将来のために、一家の本当の繁栄のために、覚悟して一生涯、信心をしてみなさい。必ず心の底からよかったという日がくるから」と。
信心してよかった!
学会員でよかった!
そう心の底から思える日が必ずくる。それが戸田先生の宣言である。
私たちも、自信をもって堂々とやりましょう!
頑張りましょう!(大拍手)
◇妙法のリズムで
一、健康第一で、夜はなるべく早く休むようにして、食べ過ぎや飲み過ぎにも注意して(笑い)、賢明に過ごしていきたい。
また、日々の会合をより一層、充実させ、組織もしっかりと整備する夏にしてまいりたい。
ともあれ、人生を順調な軌道に乗せ、わが生命を輝かせていく——その原動力が題目である。
生き生きと、妙法のリズムにのっとった生活を送っていきたい。
一番平和で、一番幸福で、一番安全な道を進もう! そして、いざという時には、一番勇気を出して、魂の炎を燃やして、力強く人生を勝ち越えてまいりたい。
ありがとう!
2017年7月24日月曜日
2017.07.24 わが友に贈る
◇今週のことば
広宣流布の推進力は
「声」と「文字」なり。
祈りを込めて対話を!
真心を込めて一筆を!
夏の友好を爽やかに。
2017年7月24日
顕謗法抄 P445
『大酒なる者此の地獄の苦免れがたきか』
☆女性に贈ることば 七月二十四日
夏休みは勉強も大事だが、家の手伝いなどに挑戦するのも大切なことだ。
「何かひとつ」やり抜くことが、子どもの自信につながる。
親子で一緒に何かに挑戦することは、尊い思い出になる。
☆今日のことば365 七月二十四日
遠くの夢を追うあまり、足もとの現実を忘れてはならない。現在から遊離した、未来の理想は、現実からの逃避にすぎなくなってしまうであろう。
☆四季の励まし 若竹のように伸びゆけ 未来部躍進月間きょうスタート 2017年7月16日
未来部の皆さんが、
友と伸び伸びと語り合う。
励まし合いながら、
生涯の友情を広げていく。
ここに希望があり、
平和創出の原動力がある。
皆さんこそ、
世界が期待を寄せる
平和の主人公なのだ。
青春時代にあって、
勉学やスポーツで、
不本意な成績となったり、
負けたりする場合もあるだろう。
しかし、若竹や樹木が、
いかなる風雪にあっても、
上へ上へと
伸びていこうとするように、
「この次は勝利するぞ」
「次の機会には一歩成長するぞ」
「倒れても
ふたたび立ち上がって進むぞ」
との、強き一念を忘れずに
進んでいただきたい。
たとえ諸君が、
自分で自分をだめだと思っても、
私はそうは思わない。
全員が
使命の人であることを疑わない。
だれが諸君をばかにしようと、
私は諸君を尊敬する。
諸君を信じる。
今がどうであれ、
すばらしい未来が開けることを
私は絶対に確信しています。
「青春王者」である皆さんが
一人も残らず
栄光の人生を歩んでいくように、
私も妻も一生涯、
いな永遠に祈り、
見守ってまいります。
どうか、わが若師子の未来部は
"負けじ魂、ここにあり!"を
合言葉として、
快活に、朗らかに、
私と一緒に進んでいこう!
親孝行の夏を頼むよ!
大空に向かい、真っすぐに伸びる竹。2003年(平成15年)4月、池田大作先生は、東京・八王子市で鮮やかな緑の竹林にカメラを向けた。
竹は、植物の中でも著しく成長が早い。ピーク時には1日に1メートル以上、伸びることもある。人もまた、竹のように、ぐんぐん伸びる時がある。それが未来部の時代といえよう。
竹は一本一本、別々に生えているように見えるが、地中では互いに地下茎でつながり、支え合っている。だからこそ激しい風が吹いても、雪が降り積もっても、耐えることができる。
きょうから「未来部躍進月間」(8月31日まで)。創価の若竹たちが悩みの風雪に負けず、大成長の夏となるよう支え、応援したい。
広宣流布の推進力は
「声」と「文字」なり。
祈りを込めて対話を!
真心を込めて一筆を!
夏の友好を爽やかに。
2017年7月24日
顕謗法抄 P445
『大酒なる者此の地獄の苦免れがたきか』
☆女性に贈ることば 七月二十四日
夏休みは勉強も大事だが、家の手伝いなどに挑戦するのも大切なことだ。
「何かひとつ」やり抜くことが、子どもの自信につながる。
親子で一緒に何かに挑戦することは、尊い思い出になる。
☆今日のことば365 七月二十四日
遠くの夢を追うあまり、足もとの現実を忘れてはならない。現在から遊離した、未来の理想は、現実からの逃避にすぎなくなってしまうであろう。
☆四季の励まし 若竹のように伸びゆけ 未来部躍進月間きょうスタート 2017年7月16日
未来部の皆さんが、
友と伸び伸びと語り合う。
励まし合いながら、
生涯の友情を広げていく。
ここに希望があり、
平和創出の原動力がある。
皆さんこそ、
世界が期待を寄せる
平和の主人公なのだ。
青春時代にあって、
勉学やスポーツで、
不本意な成績となったり、
負けたりする場合もあるだろう。
しかし、若竹や樹木が、
いかなる風雪にあっても、
上へ上へと
伸びていこうとするように、
「この次は勝利するぞ」
「次の機会には一歩成長するぞ」
「倒れても
ふたたび立ち上がって進むぞ」
との、強き一念を忘れずに
進んでいただきたい。
たとえ諸君が、
自分で自分をだめだと思っても、
私はそうは思わない。
全員が
使命の人であることを疑わない。
だれが諸君をばかにしようと、
私は諸君を尊敬する。
諸君を信じる。
今がどうであれ、
すばらしい未来が開けることを
私は絶対に確信しています。
「青春王者」である皆さんが
一人も残らず
栄光の人生を歩んでいくように、
私も妻も一生涯、
いな永遠に祈り、
見守ってまいります。
どうか、わが若師子の未来部は
"負けじ魂、ここにあり!"を
合言葉として、
快活に、朗らかに、
私と一緒に進んでいこう!
親孝行の夏を頼むよ!
大空に向かい、真っすぐに伸びる竹。2003年(平成15年)4月、池田大作先生は、東京・八王子市で鮮やかな緑の竹林にカメラを向けた。
竹は、植物の中でも著しく成長が早い。ピーク時には1日に1メートル以上、伸びることもある。人もまた、竹のように、ぐんぐん伸びる時がある。それが未来部の時代といえよう。
竹は一本一本、別々に生えているように見えるが、地中では互いに地下茎でつながり、支え合っている。だからこそ激しい風が吹いても、雪が降り積もっても、耐えることができる。
きょうから「未来部躍進月間」(8月31日まで)。創価の若竹たちが悩みの風雪に負けず、大成長の夏となるよう支え、応援したい。
2017年7月23日日曜日
2017.07.23 わが友に贈る
豪雨・落雷に注意!
竜巻や土砂災害にも
厳重な警戒を!
賢明に情報を収集し
断じて無事故第一で!
顕謗法抄 P452
『後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり』
☆女性に贈ることば 七月二十三日
人は、助けたり、助けられたりして生きていく。それが正しい。そうすれば、助けた人も、助けられた人も、嬉しい。だから、荷物が重すぎる時は、一緒に持ってもらえばよい。それは、人を助ける喜びを周りに与えることにもなる。
一人で、荷物の前に座り込んでいなくていい。そして、重い荷物を持っている人がいたら、張りきって、助けてあげるのだ。
☆今日のことば365 七月二十三日
青年達を利用し犠牲にすることのみ考えて、思いのままに伸び伸びと勉学させ、向上させない指導者は、悪人である。それは、次代の社会の建設を破壊していくことにほかならないからである。
☆池田先生のメッセージ 2017年7月16日
◇栄光は挑み続ける人に輝く
一、みんな、暑い中、ご苦労さま! この1学期も、よく頑張ってくれました。私は、わが学園生の一人一人の勇敢なる挑戦を、忍耐強い努力を、そして目を見張る大成長を、何よりうれしく讃えたい思いでいっぱいです。みんな、本当にありがとう!
わが創価学園の創立50周年を祝う「栄光の日」のテーマに、皆さん方は「我らの旗」「常勝の旗」と高らかに掲げました。
私は、「創価教育の父」である牧口常三郎先生の会心の笑顔を思い浮かべております。というのも、牧口先生は「旗」を大切にされていたからです。
ご自身が学ばれた新潟の荒浜小学校の創立50周年には、同窓の親友たちと一緒に、恩返しの心で素晴らしい母校の旗をつくり、贈られました。先生の深い母校愛と後輩たちへの思いやりは、一生涯、変わらなかったのです。
その意味において、牧口先生は、学園生の麗しい「友情の旗」「連帯の旗」を、さぞかし喜ばれていることでありましょう。とともに、この夏休みは、「ありがとう」を力に変えて、親孝行もよろしくお願いします。
一、きょうは、一点、「栄光は挑み続ける人に輝く」と申し上げたい。
この7月7日、尊い「平和の旗」がニューヨークの国連本部に翻りました。歴史的な「核兵器禁止条約」が採択されたのです。被爆者の方々をはじめ、人類の悲願である「核兵器のない世界」への大いなる一歩が刻まれました。
今から60年前、師匠である戸田城聖先生から「原水爆禁止宣言」を託された私は、先生の師子吼を何としても実現するため、対話と行動を重ねて、道なき道を切り開いてきました。
国連で採択された条約は、まさに先生が叫ばれた核兵器の全面禁止を定めたものであり、私は志を同じくする世界の友、なかんずく、牧口先生と戸田先生の思いを受け継ぎ、21世紀を担い立つ若き皆さんたちと、平和の大潮流をさらに力強く広げていきたいと、決意を新たにしています。
かつて私は、広島で小学校1年生の時に被爆した乙女へ、「大思想は 原爆を恐れじ」と認めて贈ったことがあります。
その方は今も、平和と正義の言論の闘士として戦い続けてくれています。
一、思えば、私が対談を重ねた現代化学の父・ポーリング博士も、「核兵器や軍事力という悪の力より、さらに偉大な力——それは人の心であり、精神の力である」との信念に立って、命の限り世界平和に尽力されました。
いかなる悪の力にも断じて屈しない、この正義の「偉大な力」を、わが生命に、一日また一日、「今に見よ!」と、じっくり蓄えているのが、皆さんの学園生活なのです。
一、ポーリング博士と共に、人生の最後の最後まで、核兵器をなくすために、挑んで挑んで、挑み抜いた大科学者が、ロートブラット博士です。
この博士が、私との対談集で強調されていたことが、「どんな努力も無駄にはならない」「私たち一人ひとりには、ものごとを変える力があります」ということでした。
あきらめず、へこたれず、挑戦を続けていけば、必ず社会を変えることができることを、博士は烈々と示されました。
さらに、連帯すれば、世界までも変えていける。
時間がかかるかもしれないが、長い目でみれば、最後には、連帯した民衆が勝利すると、断言されたのです。
そして、たゆまぬ「挑戦の人生」、すなわち真実の「栄光の人生」を勝ち飾られたロートブラット博士も、ポーリング博士も、心から期待し、人類の前途の希望を託してくださったのが、わが「創価教育」の若き世界市民たちなのであります。
一、どうか、皆さんは「われ学園生なり」という誇りの原点と、「われ世界へ未来へ雄飛せん」という遠大な目的を忘れず、学び進んでいってください。
特に、この夏は、何でもよい。一つ、これをやり抜くと決めて取り組んでみてはどうかと、提案しておきます。「負けたらあかん」「負けじ魂朗らかに」と、良き学友たちと励まし合いながらの前進であってください。
愛する君たち、あなたたちの金の汗輝く挑戦を、私はいつもいつも見守っています。皆さんの躍進こそが、私の最大の喜びであり、栄光なのです。
ご家族に、また、地域の方々にも、くれぐれもよろしくお伝えください。
健康第一、無事故第一で、元気に楽しく充実した、鍛えの夏であれ!(大拍手)
竜巻や土砂災害にも
厳重な警戒を!
賢明に情報を収集し
断じて無事故第一で!
顕謗法抄 P452
『後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり』
☆女性に贈ることば 七月二十三日
人は、助けたり、助けられたりして生きていく。それが正しい。そうすれば、助けた人も、助けられた人も、嬉しい。だから、荷物が重すぎる時は、一緒に持ってもらえばよい。それは、人を助ける喜びを周りに与えることにもなる。
一人で、荷物の前に座り込んでいなくていい。そして、重い荷物を持っている人がいたら、張りきって、助けてあげるのだ。
☆今日のことば365 七月二十三日
青年達を利用し犠牲にすることのみ考えて、思いのままに伸び伸びと勉学させ、向上させない指導者は、悪人である。それは、次代の社会の建設を破壊していくことにほかならないからである。
☆池田先生のメッセージ 2017年7月16日
◇栄光は挑み続ける人に輝く
一、みんな、暑い中、ご苦労さま! この1学期も、よく頑張ってくれました。私は、わが学園生の一人一人の勇敢なる挑戦を、忍耐強い努力を、そして目を見張る大成長を、何よりうれしく讃えたい思いでいっぱいです。みんな、本当にありがとう!
わが創価学園の創立50周年を祝う「栄光の日」のテーマに、皆さん方は「我らの旗」「常勝の旗」と高らかに掲げました。
私は、「創価教育の父」である牧口常三郎先生の会心の笑顔を思い浮かべております。というのも、牧口先生は「旗」を大切にされていたからです。
ご自身が学ばれた新潟の荒浜小学校の創立50周年には、同窓の親友たちと一緒に、恩返しの心で素晴らしい母校の旗をつくり、贈られました。先生の深い母校愛と後輩たちへの思いやりは、一生涯、変わらなかったのです。
その意味において、牧口先生は、学園生の麗しい「友情の旗」「連帯の旗」を、さぞかし喜ばれていることでありましょう。とともに、この夏休みは、「ありがとう」を力に変えて、親孝行もよろしくお願いします。
一、きょうは、一点、「栄光は挑み続ける人に輝く」と申し上げたい。
この7月7日、尊い「平和の旗」がニューヨークの国連本部に翻りました。歴史的な「核兵器禁止条約」が採択されたのです。被爆者の方々をはじめ、人類の悲願である「核兵器のない世界」への大いなる一歩が刻まれました。
今から60年前、師匠である戸田城聖先生から「原水爆禁止宣言」を託された私は、先生の師子吼を何としても実現するため、対話と行動を重ねて、道なき道を切り開いてきました。
国連で採択された条約は、まさに先生が叫ばれた核兵器の全面禁止を定めたものであり、私は志を同じくする世界の友、なかんずく、牧口先生と戸田先生の思いを受け継ぎ、21世紀を担い立つ若き皆さんたちと、平和の大潮流をさらに力強く広げていきたいと、決意を新たにしています。
かつて私は、広島で小学校1年生の時に被爆した乙女へ、「大思想は 原爆を恐れじ」と認めて贈ったことがあります。
その方は今も、平和と正義の言論の闘士として戦い続けてくれています。
一、思えば、私が対談を重ねた現代化学の父・ポーリング博士も、「核兵器や軍事力という悪の力より、さらに偉大な力——それは人の心であり、精神の力である」との信念に立って、命の限り世界平和に尽力されました。
いかなる悪の力にも断じて屈しない、この正義の「偉大な力」を、わが生命に、一日また一日、「今に見よ!」と、じっくり蓄えているのが、皆さんの学園生活なのです。
一、ポーリング博士と共に、人生の最後の最後まで、核兵器をなくすために、挑んで挑んで、挑み抜いた大科学者が、ロートブラット博士です。
この博士が、私との対談集で強調されていたことが、「どんな努力も無駄にはならない」「私たち一人ひとりには、ものごとを変える力があります」ということでした。
あきらめず、へこたれず、挑戦を続けていけば、必ず社会を変えることができることを、博士は烈々と示されました。
さらに、連帯すれば、世界までも変えていける。
時間がかかるかもしれないが、長い目でみれば、最後には、連帯した民衆が勝利すると、断言されたのです。
そして、たゆまぬ「挑戦の人生」、すなわち真実の「栄光の人生」を勝ち飾られたロートブラット博士も、ポーリング博士も、心から期待し、人類の前途の希望を託してくださったのが、わが「創価教育」の若き世界市民たちなのであります。
一、どうか、皆さんは「われ学園生なり」という誇りの原点と、「われ世界へ未来へ雄飛せん」という遠大な目的を忘れず、学び進んでいってください。
特に、この夏は、何でもよい。一つ、これをやり抜くと決めて取り組んでみてはどうかと、提案しておきます。「負けたらあかん」「負けじ魂朗らかに」と、良き学友たちと励まし合いながらの前進であってください。
愛する君たち、あなたたちの金の汗輝く挑戦を、私はいつもいつも見守っています。皆さんの躍進こそが、私の最大の喜びであり、栄光なのです。
ご家族に、また、地域の方々にも、くれぐれもよろしくお伝えください。
健康第一、無事故第一で、元気に楽しく充実した、鍛えの夏であれ!(大拍手)
2017年7月22日土曜日
2017.07.22 わが友に贈る
子どもの話にじっくり
耳を傾ける夏休みに。
親子の宝の思い出が
和楽の家庭を築く。
万代の幸の土台となる。
日眼女造立釈迦仏供養事 P1187
『天照太神八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月諸仏菩薩等は万水に浮べる影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり』
☆女性に贈ることば 七月二十二日
人生は決して平たんな道ばかりではない。晴れの日もあれば、曇りや雨の日もあるだろう。けれども、人生の道から逃げることはできない。一歩また一歩と歩み続けなければならない。
その挑戦の道に、感傷や悲嘆や悲観はいらない。私はただひとつ、明朗という宝をもって、わが人生の大道を進みたい。
☆今日のことば365 七月二十二日
あっという間に
人生の日は
暮れてしまう
ゆえに私は
夢のなかでない現実に
なんらかの構築と
軌跡のために
今日も自らを
励ますのだ
☆新時代を進む 第14回 世界に轟け! 常勝不敗の魂
「東京凱歌」——この書を私が記したのは、昭和58年であった。5月3日を祝賀し、八王子の東京会館の完成を記念して書き留めた。
今その地には殉教の先師を宣揚する東京牧口記念会館が立つ。先師に捧げる「東京凱歌」「創価の凱歌」を轟かせてくれた全同志の尊い尊い奮闘に、あらためて私は合掌したい。
牧口先生の顕彰室には、常に拝され研鑽なされた御書が置かれている。
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)
先生が線を引かれ、大切にされていた一節である。
九州での甚大な豪雨の被害など自然災害が続き、ご苦労が偲ばれてならない。農作物などへの影響も深刻である。被災地の方々、農漁光部の皆さまはじめ、全ての宝友を、仏天よ護りに護れと題目を送っている。
何があっても、我らには変毒為薬の妙法がある。苦楽を分け合う同志がいる。いよいよ強盛に「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)」の行動に打って出て、希望の人生を、和楽の家庭を、福徳の地域を築きゆくのだ。
— ◇ —
7月11日は、男子部結成の記念日であった。
「強敵を伏して始て力士をしる」「師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし」(同957ページ)
これも、牧口先生が線を付された御文である。
広布の激戦の中で、一段と力をつけてきた頼もしき正義の若師子たちに、この御聖訓を贈りたい。
はつらつと前進する花の女子部は、19日に結成の日を迎える。女子部の1期生である妻が大事にしてきた三つの指針を託したい。
「希望は心の太陽」
「努力は心の王道」
「苦難は心の名曲」
華陽の乙女に、幸光れ!
— ◇ —
7月17日は大阪大会より60年。関西の誉れの父母たちに感謝は尽きない。
戸田先生は、関西と私との団結を何よりも喜ばれ、「学会が大変な時に、自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくところにこそ、永遠不滅なる生命の勝利がある」と言われた。
この常勝不敗の魂は、今や日本全国、そして全世界の異体同心の絆となった。
創価ファミリー大会が始まった。さらに、兵庫、岡山、佐賀、岩手、富山、石川と各地で、創価青年大会も行われる。地涌の若人たちの大成長の夏であれ!と祈りに祈っている。
耳を傾ける夏休みに。
親子の宝の思い出が
和楽の家庭を築く。
万代の幸の土台となる。
日眼女造立釈迦仏供養事 P1187
『天照太神八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月諸仏菩薩等は万水に浮べる影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり』
☆女性に贈ることば 七月二十二日
人生は決して平たんな道ばかりではない。晴れの日もあれば、曇りや雨の日もあるだろう。けれども、人生の道から逃げることはできない。一歩また一歩と歩み続けなければならない。
その挑戦の道に、感傷や悲嘆や悲観はいらない。私はただひとつ、明朗という宝をもって、わが人生の大道を進みたい。
☆今日のことば365 七月二十二日
あっという間に
人生の日は
暮れてしまう
ゆえに私は
夢のなかでない現実に
なんらかの構築と
軌跡のために
今日も自らを
励ますのだ
☆新時代を進む 第14回 世界に轟け! 常勝不敗の魂
「東京凱歌」——この書を私が記したのは、昭和58年であった。5月3日を祝賀し、八王子の東京会館の完成を記念して書き留めた。
今その地には殉教の先師を宣揚する東京牧口記念会館が立つ。先師に捧げる「東京凱歌」「創価の凱歌」を轟かせてくれた全同志の尊い尊い奮闘に、あらためて私は合掌したい。
牧口先生の顕彰室には、常に拝され研鑽なされた御書が置かれている。
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)
先生が線を引かれ、大切にされていた一節である。
九州での甚大な豪雨の被害など自然災害が続き、ご苦労が偲ばれてならない。農作物などへの影響も深刻である。被災地の方々、農漁光部の皆さまはじめ、全ての宝友を、仏天よ護りに護れと題目を送っている。
何があっても、我らには変毒為薬の妙法がある。苦楽を分け合う同志がいる。いよいよ強盛に「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)」の行動に打って出て、希望の人生を、和楽の家庭を、福徳の地域を築きゆくのだ。
— ◇ —
7月11日は、男子部結成の記念日であった。
「強敵を伏して始て力士をしる」「師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし」(同957ページ)
これも、牧口先生が線を付された御文である。
広布の激戦の中で、一段と力をつけてきた頼もしき正義の若師子たちに、この御聖訓を贈りたい。
はつらつと前進する花の女子部は、19日に結成の日を迎える。女子部の1期生である妻が大事にしてきた三つの指針を託したい。
「希望は心の太陽」
「努力は心の王道」
「苦難は心の名曲」
華陽の乙女に、幸光れ!
— ◇ —
7月17日は大阪大会より60年。関西の誉れの父母たちに感謝は尽きない。
戸田先生は、関西と私との団結を何よりも喜ばれ、「学会が大変な時に、自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくところにこそ、永遠不滅なる生命の勝利がある」と言われた。
この常勝不敗の魂は、今や日本全国、そして全世界の異体同心の絆となった。
創価ファミリー大会が始まった。さらに、兵庫、岡山、佐賀、岩手、富山、石川と各地で、創価青年大会も行われる。地涌の若人たちの大成長の夏であれ!と祈りに祈っている。
2017年7月21日金曜日
2017.07.21 わが友に贈る
会場提供のご家庭に
感謝の言葉を伝えよう!
時間厳守や節電・節水
駐輪・駐車・立ち話など
わが家以上の配慮を!
御義口伝巻下 P759
『自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり』
☆女性に贈ることば 七月二十一日
子どもにとって母親は、この世でただ一人の存在であり、誰も代わりはできない、絶対の信頼と安心の拠り所です。
☆今日のことば365 七月二十一日
欠点のない完全な人など
いるはずがありません
まして これから成長していく君たちなのですから
欠点が多くて当たり前なのです
今は何を注意されてもいい
一つずつ克服して
今に立派に成長するんだ
という気持ちで
伸びのびと大らかに
進んでいってください
☆創価学園で「栄光の日」の集い 中継で東西結び"負けじ魂"の誓い 2017年7月16日
◇「平和の旗」「友情の旗」高らかに
創価学園創立50周年を寿ぐ7・17「栄光の日」記念の集いが15日、東京と関西の各キャンパスを映像と音声でつないで開催された。これには、創立者の池田大作先生がメッセージ(別掲)を贈り、大成長を遂げゆく学園生を心から祝福。「栄光は挑み続ける人に輝く」と強調した。
◇
1957年(昭和32年)7月、新たな民衆勢力の台頭を恐れた権力により、無実の罪で投獄された創立者。約2週間にわたる勾留の末、「7・17」に出獄し、正義の師子吼を放った。これが「栄光の日」の源流である。
それから60星霜。真夏の太陽の光が燦々と降り注ぐ両学園キャンパスに、"負けじ魂"のバトンを継ぐ学園生の誓いが輝いた。
最初に、東京と関西の各会場ごとに、合唱や群読を披露。続いて各校がこの日までの取り組みをアピールした。
関西創価小学校は「『負けたらあかん』 全てに挑戦、関西小!」をテーマに掲げた。勉強や読書、親孝行など、"毎日が栄光の日"との思いでチャレンジしてきたことを元気いっぱいに発表した。
東京創価小学校は、新愛唱歌「創立者とともに!」を高らかに。テーマ「『ありがとう』を力にかえて さあ前進、先生と共に!」を胸に、感謝の思いで挑戦してきた模様を紹介した。
創立者の常勝不敗の原点を学び深めた関西創価中学・高校は「友よ征こう! 常勝の旗高らかに」をテーマに掲げた。各人が全てに勝利した姿で、新愛唱歌「青春の旗」を歌い上げた。
テーマ「挑め! 未来を拓くため 今こそ掲げん! 我らの旗」のもと、それぞれの目標に挑む日々を送った創価中学・高校。平和貢献の誓いを燃やし、新愛唱歌「我らの旗」を合唱した。
原田学園理事長は、創立者のメッセージを紹介。創立者の精神を体現し、宣揚しゆく力あるリーダーにと念願した。
さらに式典の最後、創立者から伝言が届いた。
「大成功の『栄光の日』おめでとう! 最後にみんなで『負けじ魂ここにあり』を歌おう。みんな元気で!」
会場いっぱいに歓呼の声が響き、学園生が一斉に立ち上がった。
♪正義の誇りに
胸を張れ
君に託さん
この大城を
学べ勝ち抜け
世界まで
負けじ魂
朗らかに……
歌い終えると、会場は、挑戦と努力の日々を思い起こして涙する友、肩をたたきながら健闘をたたえ合う友の姿であふれた。
感謝の言葉を伝えよう!
時間厳守や節電・節水
駐輪・駐車・立ち話など
わが家以上の配慮を!
御義口伝巻下 P759
『自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり』
☆女性に贈ることば 七月二十一日
子どもにとって母親は、この世でただ一人の存在であり、誰も代わりはできない、絶対の信頼と安心の拠り所です。
☆今日のことば365 七月二十一日
欠点のない完全な人など
いるはずがありません
まして これから成長していく君たちなのですから
欠点が多くて当たり前なのです
今は何を注意されてもいい
一つずつ克服して
今に立派に成長するんだ
という気持ちで
伸びのびと大らかに
進んでいってください
☆創価学園で「栄光の日」の集い 中継で東西結び"負けじ魂"の誓い 2017年7月16日
◇「平和の旗」「友情の旗」高らかに
創価学園創立50周年を寿ぐ7・17「栄光の日」記念の集いが15日、東京と関西の各キャンパスを映像と音声でつないで開催された。これには、創立者の池田大作先生がメッセージ(別掲)を贈り、大成長を遂げゆく学園生を心から祝福。「栄光は挑み続ける人に輝く」と強調した。
◇
1957年(昭和32年)7月、新たな民衆勢力の台頭を恐れた権力により、無実の罪で投獄された創立者。約2週間にわたる勾留の末、「7・17」に出獄し、正義の師子吼を放った。これが「栄光の日」の源流である。
それから60星霜。真夏の太陽の光が燦々と降り注ぐ両学園キャンパスに、"負けじ魂"のバトンを継ぐ学園生の誓いが輝いた。
最初に、東京と関西の各会場ごとに、合唱や群読を披露。続いて各校がこの日までの取り組みをアピールした。
関西創価小学校は「『負けたらあかん』 全てに挑戦、関西小!」をテーマに掲げた。勉強や読書、親孝行など、"毎日が栄光の日"との思いでチャレンジしてきたことを元気いっぱいに発表した。
東京創価小学校は、新愛唱歌「創立者とともに!」を高らかに。テーマ「『ありがとう』を力にかえて さあ前進、先生と共に!」を胸に、感謝の思いで挑戦してきた模様を紹介した。
創立者の常勝不敗の原点を学び深めた関西創価中学・高校は「友よ征こう! 常勝の旗高らかに」をテーマに掲げた。各人が全てに勝利した姿で、新愛唱歌「青春の旗」を歌い上げた。
テーマ「挑め! 未来を拓くため 今こそ掲げん! 我らの旗」のもと、それぞれの目標に挑む日々を送った創価中学・高校。平和貢献の誓いを燃やし、新愛唱歌「我らの旗」を合唱した。
原田学園理事長は、創立者のメッセージを紹介。創立者の精神を体現し、宣揚しゆく力あるリーダーにと念願した。
さらに式典の最後、創立者から伝言が届いた。
「大成功の『栄光の日』おめでとう! 最後にみんなで『負けじ魂ここにあり』を歌おう。みんな元気で!」
会場いっぱいに歓呼の声が響き、学園生が一斉に立ち上がった。
♪正義の誇りに
胸を張れ
君に託さん
この大城を
学べ勝ち抜け
世界まで
負けじ魂
朗らかに……
歌い終えると、会場は、挑戦と努力の日々を思い起こして涙する友、肩をたたきながら健闘をたたえ合う友の姿であふれた。
2017年7月20日木曜日
2017.07.20 わが友に贈る
悩める友を見逃さず
こまやかな個人指導を。
じっくりと話を聞き
抜苦与楽の励ましを。
一人も残らず幸福に!
法蓮抄 P1041
『仏は二百五十戒を持ち三千の威儀をととのへ給いしかば諸の天人これを渇仰し四衆これを恭敬す』
☆女性に贈ることば 七月二十日
日常はささいなことの連続かもしれない。しかし、一瞬一瞬の微妙な心のもち方によって、大きく幸福を問いていくことができる。
その心とは--
「賢明なる心」
「建設の心」
「勝ち抜く心」
「善悪を見極める心」
「人びとを救いゆく勇気の心」である。
☆今日のことば365 七月二十日
人が笑うときには、なんの警戒心もないものだ。柔軟な心というものは、笑いのなかにある。笑いのうちに、人は素直にそのままで理解する。
☆国連SDGsハイレベル政治フォーラム SGI主催の教育会議への池田先生のメッセージ 2017年7月15日
◇平和と人道の世界の建設へ——教育で民衆を"変革の主体者"に
「持続可能な開発目標(SDGs)」に関する国連ハイレベル政治フォーラムのサイドイベント(関連行事)として、目標の推進を支える「ノンフォーマル教育(学校外教育)」の重要性と、そのツールの効果と役割について討議する円卓会議を、今回、国連関係者や専門家の方々をお迎えして開催できましたことに、世界192カ国・地域の創価学会インタナショナルのメンバーを代表し、心からの感謝を申し上げます。
SDGsは、地球益や人類益に立脚した、「民衆の民衆による民衆のためのアジェンダ(行動計画)」であり、平和と人道の世界を築くための共通目標です。
その対象は17の分野、169項目という非常に多岐に及ぶものだけに、達成を危ぶむ声もあります。しかし、目標の数の多さは、それだけ大勢の人が深刻な問題に直面していることの証左であり、どれ一つとして、そのままにしてよいものではないはずです。
SDGsが掲げる「誰も置き去りにしない」とのビジョンは、遠大な目標ではありますが、「同じ人間として同じ地球で共に生きる」との思いを一人一人が深め、身近な場所から行動を起こす中で、時代変革の波を力強く広げることができるのではないでしょうか。
その大きな原動力となるのが、世界市民教育や、持続可能な開発のための教育に代表される「教育」です。
私は、長年、持続可能な開発における「教育」の役割の重要性について訴えてまいりました。
2002年にヨハネスブルクで行われた国連の「環境開発サミット」の際には、�地球環境問題の現状を知り、学ぶこと(Learn)、�持続可能な未来を目指し、生き方を見直すこと(Reflect)、�問題解決のために、ともに立ち上がり、具体的な行動に踏み出すためのエンパワーメント(Empower)、の三つのステップに基づく教育の推進を提言しました。
この提言をもとに、2010年にSGIと地球憲章インタナショナルとの共同で「希望の種子」展を制作し、現在までに36カ国・地域で開催してきました。この展示は、多くの若い世代をはじめ、市民社会の幅広い人々が訪れるノンフォーマル教育の場ともなってきました。
今回の円卓会議では、この展示を用いて、環境教育センターと協力し、インド各地で実施したノンフォーマル教育の効果測定の結果が発表され、その意義や課題が議論されると伺っております。
問題が大きすぎたり、複雑化している場合、知識や情報を得るだけでは、自分自身との関わりが見いだしにくく、具体的な行動に踏み出すまでには至らない場合も少なくないといえます。その意味で、持続可能な未来を開くための教育ツールは、「自分自身の行動や生き方」が、「地域の未来」や「地球の未来」に密接につながっており、「一人一人が変革の主体者」であるとの自覚を促す体験を生み出すものとなることが、大切ではないでしょうか。
この問題意識に立って、SGIは、昨年11月に地球憲章インタナショナルと共同で、新たなノンフォーマル教育ツールとして、SDGs啓発アプリ「マプティング」を制作・発表しました。このアプリは、世界各地のSDGsに関連する写真や動画を撮影し、世界地図上で共有するものです。操作を通じて、SDGsが身近なものであるとの実感を与えるとともに、「地域」から「世界」を見たり、また「世界」から「地域」を見る体験を与えてくれます。
こうした、身近で具体的な体験を通じて、SDGsに対する意識を高め行動していくことの意味は、大変に大きいものであると思います。
引き続き、SGIはそれぞれの地域社会における草の根のネットワークを生かし、ノンフォーマル教育の取り組みを積み上げながら、志を同じくする皆さま方と共に、持続可能な地球社会の建設を目指していく所存です。
結びに、ご臨席の皆さま方のご健勝と、関係諸団体のますますの発展を心より念願するとともに、この会議を契機として、「教育」が引き出すプラスの力がより一層注目されることを念願して、私のメッセージとさせていただきます。
こまやかな個人指導を。
じっくりと話を聞き
抜苦与楽の励ましを。
一人も残らず幸福に!
法蓮抄 P1041
『仏は二百五十戒を持ち三千の威儀をととのへ給いしかば諸の天人これを渇仰し四衆これを恭敬す』
☆女性に贈ることば 七月二十日
日常はささいなことの連続かもしれない。しかし、一瞬一瞬の微妙な心のもち方によって、大きく幸福を問いていくことができる。
その心とは--
「賢明なる心」
「建設の心」
「勝ち抜く心」
「善悪を見極める心」
「人びとを救いゆく勇気の心」である。
☆今日のことば365 七月二十日
人が笑うときには、なんの警戒心もないものだ。柔軟な心というものは、笑いのなかにある。笑いのうちに、人は素直にそのままで理解する。
☆国連SDGsハイレベル政治フォーラム SGI主催の教育会議への池田先生のメッセージ 2017年7月15日
◇平和と人道の世界の建設へ——教育で民衆を"変革の主体者"に
「持続可能な開発目標(SDGs)」に関する国連ハイレベル政治フォーラムのサイドイベント(関連行事)として、目標の推進を支える「ノンフォーマル教育(学校外教育)」の重要性と、そのツールの効果と役割について討議する円卓会議を、今回、国連関係者や専門家の方々をお迎えして開催できましたことに、世界192カ国・地域の創価学会インタナショナルのメンバーを代表し、心からの感謝を申し上げます。
SDGsは、地球益や人類益に立脚した、「民衆の民衆による民衆のためのアジェンダ(行動計画)」であり、平和と人道の世界を築くための共通目標です。
その対象は17の分野、169項目という非常に多岐に及ぶものだけに、達成を危ぶむ声もあります。しかし、目標の数の多さは、それだけ大勢の人が深刻な問題に直面していることの証左であり、どれ一つとして、そのままにしてよいものではないはずです。
SDGsが掲げる「誰も置き去りにしない」とのビジョンは、遠大な目標ではありますが、「同じ人間として同じ地球で共に生きる」との思いを一人一人が深め、身近な場所から行動を起こす中で、時代変革の波を力強く広げることができるのではないでしょうか。
その大きな原動力となるのが、世界市民教育や、持続可能な開発のための教育に代表される「教育」です。
私は、長年、持続可能な開発における「教育」の役割の重要性について訴えてまいりました。
2002年にヨハネスブルクで行われた国連の「環境開発サミット」の際には、�地球環境問題の現状を知り、学ぶこと(Learn)、�持続可能な未来を目指し、生き方を見直すこと(Reflect)、�問題解決のために、ともに立ち上がり、具体的な行動に踏み出すためのエンパワーメント(Empower)、の三つのステップに基づく教育の推進を提言しました。
この提言をもとに、2010年にSGIと地球憲章インタナショナルとの共同で「希望の種子」展を制作し、現在までに36カ国・地域で開催してきました。この展示は、多くの若い世代をはじめ、市民社会の幅広い人々が訪れるノンフォーマル教育の場ともなってきました。
今回の円卓会議では、この展示を用いて、環境教育センターと協力し、インド各地で実施したノンフォーマル教育の効果測定の結果が発表され、その意義や課題が議論されると伺っております。
問題が大きすぎたり、複雑化している場合、知識や情報を得るだけでは、自分自身との関わりが見いだしにくく、具体的な行動に踏み出すまでには至らない場合も少なくないといえます。その意味で、持続可能な未来を開くための教育ツールは、「自分自身の行動や生き方」が、「地域の未来」や「地球の未来」に密接につながっており、「一人一人が変革の主体者」であるとの自覚を促す体験を生み出すものとなることが、大切ではないでしょうか。
この問題意識に立って、SGIは、昨年11月に地球憲章インタナショナルと共同で、新たなノンフォーマル教育ツールとして、SDGs啓発アプリ「マプティング」を制作・発表しました。このアプリは、世界各地のSDGsに関連する写真や動画を撮影し、世界地図上で共有するものです。操作を通じて、SDGsが身近なものであるとの実感を与えるとともに、「地域」から「世界」を見たり、また「世界」から「地域」を見る体験を与えてくれます。
こうした、身近で具体的な体験を通じて、SDGsに対する意識を高め行動していくことの意味は、大変に大きいものであると思います。
引き続き、SGIはそれぞれの地域社会における草の根のネットワークを生かし、ノンフォーマル教育の取り組みを積み上げながら、志を同じくする皆さま方と共に、持続可能な地球社会の建設を目指していく所存です。
結びに、ご臨席の皆さま方のご健勝と、関係諸団体のますますの発展を心より念願するとともに、この会議を契機として、「教育」が引き出すプラスの力がより一層注目されることを念願して、私のメッセージとさせていただきます。
2017年7月19日水曜日
2017.07.19 わが友に贈る
教学試験に挑む友も
受験者を支える友も
皆が「行学の闘士」!
仏法は最高峰の哲学だ。
誇りに燃えて研鑽を!
乙御前母御書 P1223
『今御身は女人なりごんじちはしりがたしいかなる宿善にてやをはすらん、昔女人すいをとをしのびてこそ或は千里をもたづね石となり木となり鳥となり蛇となれる事もあり』
☆女性に贈ることば 七月十九日
「心こそ大切なれ」
真実の幸福と勝利は、あなた自身の胸中で決定されるのだ。
☆今日のことば365 七月十九日
地球が七割を占める海−−この膨大なる資源の宝庫は、地上の貧困を埋めて、なおあまりあるものであろう。魚類や海藻などの水産資源ばかりではない。大陸ダナに秘められた豊富な地下資源の開発等、現代の科学技術の発達が、そのまま、明日への人類の課題に向けられた時、どれほどの価値と喜びを生ずることであろう。
☆明日を求めて 池田先生の対話録� 第39回 アメリカの経済学者 サロー博士 2017年7月14日
◇まず「自分」が変われ。自身の変革から社会の変革は始まる
「博士が日本の総理大臣であったら、まず、どんな経済政策に着手しますか?」
池田先生が尋ねると、サロー博士は即座に答えた。
「指導者の使命は、『国民に変化を受け入れるよう説得する』ことです。しかし、その前に、『まず自分が変わる』ことが先決です。しかし、日本のリーダーは、自分は変わりたくないと思っている。変化はトップからやるべきです。政策は、それからです」
「全く、その通りです。全体が変わるためには、上が変わる以外にない。私の恩師も『下じゃない。上だ。幹部だ。幹部で決まる。指導者が自分を変えるしかないのだ』と遺言しました」
現代経済学の最先端をリードするサロー博士との初会見は、1999年1月25日。
約3時間の対談は、世紀を総括しつつ、「仏法と経済」を巡って縦横に交わされた。
経済学の観点から、"歴史上、現代ほど興味を引かれる時代はない"と語るサロー博士。
かつては「資源」が富を生み出してきたが、90年代からは、「知識」が富の源泉となった。博士はそれを「知識主義経済」と呼び、蒸気機関を動力源とした「第1次産業革命」、電気・通信による「第2次産業革命」に続く、「第3次産業革命」と位置付けていた。
しかし、そうした日進月歩の技術革新にもかかわらず、誰も「どこにたどり着くのか」目標点を見いだせていない。"我々は今、革命の中にいる"——それが博士の時代認識であった。
◇
サロー博士の名を一躍知らしめたのが、80年に出版した『ゼロ・サム社会』である。
「利益」と「損失」を合わせれば「ゼロ」になる。
勝者の陰には必ず敗者がいることを訴え、「敗者のいない社会」を建設するために、社会的合意を形成し、政策を行うべきだと博士は主張。その理論は、アメリカの経済政策に大きな影響を与えた。
博士は「どんな学問の成果も、一般の市民に理解できなければ、真の価値はない」と言う。
学生時代、学費を捻出するため、危険と隣り合わせの銅山でのアルバイトにいそしんだ。
共に働く作業員が、教育を受ける機会を得られなかったにもかかわらず、鋭い視点から世界を洞察していることに、博士は驚く。苦学を重ね、マサチューセッツ工科大学教授となった後も、ボストンの貧困地域に居住するなど、社会の最前線に身を置いた。
そうした経験が、机上の学問に終始しない、「実社会に貢献する経済学」に結実していた。
『ゼロ・サム社会』を執筆した当時、アメリカ国内は、オイルショックによる急激なインフレで、"沈没する船"に乗っているかのような失望感が広がっていた。
サロー博士は「それでも、『なぜ、船が沈んでいるのか』という理由さえ分かれば、大した問題ではないのです」と指摘する。
そして、「危機が来る前に、それを阻止するよう、変革を実行するのが真のリーダーなのです」と。
「全く同感です。誰よりも早く先手を打ってこそ指導者です」と池田先生が応じた。
先行きの不透明な未来だからこそ、「挑戦の勇気」「目標となるビジョン」が不可欠となる。
"社会を前進させるビジョンを残さず、ビジョンの実現ができなかった指導者は、その地位を去った後に記憶される価値はない"
この、サロー博士の指導者観を受け、池田先生は語った。
「『その地位を去った後に記憶される価値』がある指導者が、どれだけいるのか。それが社会の未来を決めます」
対談は、同じ99年の10月30日にも東京・新宿区内で行われた。
2度の語らいで、先生は、人々の関心を代弁するように、バブル経済への視点や21世紀への展望、資本主義の功罪などを問うた。一方、博士は、先生が論じる仏教の財産観やアショーカ大王の平和経済学、地球的利他主義といった仏法の視座に、じっと耳を傾けた。
博士は、経済の不確実性の時代には、原理主義の宗教が台頭すると指摘。伝統的宗教と現代経済を効果的に統合させるべきと述べ、池田先生に語った。
「仏教が21世紀に果たす役割は『対話』だと思います。『平和のための対話』の精神を世界に紹介していくことだと思います」
◇
サロー博士を迎えた聖教本社のロビーには、池田先生が撮影したヒマラヤの写真が。博士が、その前で足を止めた。
経済学者として活躍する傍ら、サロー博士は、ヒマラヤへの登山や北極の探検、サウジアラビアの砂漠を自動車で走破するなど、冒険家としても著名である。
「人類にとって、『本当の意味での富』とは何でしょうか」
池田先生の問い掛けに、博士は間髪を入れず答えた。
「『冒険心』、そして『探求心』だと思います」
「『努力』しなければ『自分がどこまで行けるか』わかりません。ですから、新しい未知の世界を探検する『冒険心』が必要です。『冒険心』なくして、自己の限界を知ることはできません」
かつて産業革命を成し遂げた原動力も、強き「探求心」であり、挑戦の魂であった。その発展の方程式は、今も昔も変わらない。
いかなる厳しい逆境も、一人立つ挑戦ある限り、未来はおのずと開かれていくに違いない。
そこに、人類の「本当の富」を生かす道がある。
レスター・C・サロー アメリカを代表する経済学者。1938年、アメリカ・モンタナ州生まれ。オックスフォード大学で修士号、ハーバード大学で経済学博士号を取得。ジョンソン大統領の経済諮問委員会スタッフ・エコノミスト、ハーバード大学経済学部准教授を経て、マサチューセッツ工科大学教授。同大学院スローン・スクール(ビジネス・スクール)校長等を務めた。アメリカが抱える経済問題(エネルギー、インフレーション、経済成長、環境、所得分配などの諸問題)を分析した『ゼロ・サム社会』(1980年)を発表し、アメリカの経済政策に多大な影響を与えた。2016年3月、77歳で死去。
受験者を支える友も
皆が「行学の闘士」!
仏法は最高峰の哲学だ。
誇りに燃えて研鑽を!
乙御前母御書 P1223
『今御身は女人なりごんじちはしりがたしいかなる宿善にてやをはすらん、昔女人すいをとをしのびてこそ或は千里をもたづね石となり木となり鳥となり蛇となれる事もあり』
☆女性に贈ることば 七月十九日
「心こそ大切なれ」
真実の幸福と勝利は、あなた自身の胸中で決定されるのだ。
☆今日のことば365 七月十九日
地球が七割を占める海−−この膨大なる資源の宝庫は、地上の貧困を埋めて、なおあまりあるものであろう。魚類や海藻などの水産資源ばかりではない。大陸ダナに秘められた豊富な地下資源の開発等、現代の科学技術の発達が、そのまま、明日への人類の課題に向けられた時、どれほどの価値と喜びを生ずることであろう。
☆明日を求めて 池田先生の対話録� 第39回 アメリカの経済学者 サロー博士 2017年7月14日
◇まず「自分」が変われ。自身の変革から社会の変革は始まる
「博士が日本の総理大臣であったら、まず、どんな経済政策に着手しますか?」
池田先生が尋ねると、サロー博士は即座に答えた。
「指導者の使命は、『国民に変化を受け入れるよう説得する』ことです。しかし、その前に、『まず自分が変わる』ことが先決です。しかし、日本のリーダーは、自分は変わりたくないと思っている。変化はトップからやるべきです。政策は、それからです」
「全く、その通りです。全体が変わるためには、上が変わる以外にない。私の恩師も『下じゃない。上だ。幹部だ。幹部で決まる。指導者が自分を変えるしかないのだ』と遺言しました」
現代経済学の最先端をリードするサロー博士との初会見は、1999年1月25日。
約3時間の対談は、世紀を総括しつつ、「仏法と経済」を巡って縦横に交わされた。
経済学の観点から、"歴史上、現代ほど興味を引かれる時代はない"と語るサロー博士。
かつては「資源」が富を生み出してきたが、90年代からは、「知識」が富の源泉となった。博士はそれを「知識主義経済」と呼び、蒸気機関を動力源とした「第1次産業革命」、電気・通信による「第2次産業革命」に続く、「第3次産業革命」と位置付けていた。
しかし、そうした日進月歩の技術革新にもかかわらず、誰も「どこにたどり着くのか」目標点を見いだせていない。"我々は今、革命の中にいる"——それが博士の時代認識であった。
◇
サロー博士の名を一躍知らしめたのが、80年に出版した『ゼロ・サム社会』である。
「利益」と「損失」を合わせれば「ゼロ」になる。
勝者の陰には必ず敗者がいることを訴え、「敗者のいない社会」を建設するために、社会的合意を形成し、政策を行うべきだと博士は主張。その理論は、アメリカの経済政策に大きな影響を与えた。
博士は「どんな学問の成果も、一般の市民に理解できなければ、真の価値はない」と言う。
学生時代、学費を捻出するため、危険と隣り合わせの銅山でのアルバイトにいそしんだ。
共に働く作業員が、教育を受ける機会を得られなかったにもかかわらず、鋭い視点から世界を洞察していることに、博士は驚く。苦学を重ね、マサチューセッツ工科大学教授となった後も、ボストンの貧困地域に居住するなど、社会の最前線に身を置いた。
そうした経験が、机上の学問に終始しない、「実社会に貢献する経済学」に結実していた。
『ゼロ・サム社会』を執筆した当時、アメリカ国内は、オイルショックによる急激なインフレで、"沈没する船"に乗っているかのような失望感が広がっていた。
サロー博士は「それでも、『なぜ、船が沈んでいるのか』という理由さえ分かれば、大した問題ではないのです」と指摘する。
そして、「危機が来る前に、それを阻止するよう、変革を実行するのが真のリーダーなのです」と。
「全く同感です。誰よりも早く先手を打ってこそ指導者です」と池田先生が応じた。
先行きの不透明な未来だからこそ、「挑戦の勇気」「目標となるビジョン」が不可欠となる。
"社会を前進させるビジョンを残さず、ビジョンの実現ができなかった指導者は、その地位を去った後に記憶される価値はない"
この、サロー博士の指導者観を受け、池田先生は語った。
「『その地位を去った後に記憶される価値』がある指導者が、どれだけいるのか。それが社会の未来を決めます」
対談は、同じ99年の10月30日にも東京・新宿区内で行われた。
2度の語らいで、先生は、人々の関心を代弁するように、バブル経済への視点や21世紀への展望、資本主義の功罪などを問うた。一方、博士は、先生が論じる仏教の財産観やアショーカ大王の平和経済学、地球的利他主義といった仏法の視座に、じっと耳を傾けた。
博士は、経済の不確実性の時代には、原理主義の宗教が台頭すると指摘。伝統的宗教と現代経済を効果的に統合させるべきと述べ、池田先生に語った。
「仏教が21世紀に果たす役割は『対話』だと思います。『平和のための対話』の精神を世界に紹介していくことだと思います」
◇
サロー博士を迎えた聖教本社のロビーには、池田先生が撮影したヒマラヤの写真が。博士が、その前で足を止めた。
経済学者として活躍する傍ら、サロー博士は、ヒマラヤへの登山や北極の探検、サウジアラビアの砂漠を自動車で走破するなど、冒険家としても著名である。
「人類にとって、『本当の意味での富』とは何でしょうか」
池田先生の問い掛けに、博士は間髪を入れず答えた。
「『冒険心』、そして『探求心』だと思います」
「『努力』しなければ『自分がどこまで行けるか』わかりません。ですから、新しい未知の世界を探検する『冒険心』が必要です。『冒険心』なくして、自己の限界を知ることはできません」
かつて産業革命を成し遂げた原動力も、強き「探求心」であり、挑戦の魂であった。その発展の方程式は、今も昔も変わらない。
いかなる厳しい逆境も、一人立つ挑戦ある限り、未来はおのずと開かれていくに違いない。
そこに、人類の「本当の富」を生かす道がある。
レスター・C・サロー アメリカを代表する経済学者。1938年、アメリカ・モンタナ州生まれ。オックスフォード大学で修士号、ハーバード大学で経済学博士号を取得。ジョンソン大統領の経済諮問委員会スタッフ・エコノミスト、ハーバード大学経済学部准教授を経て、マサチューセッツ工科大学教授。同大学院スローン・スクール(ビジネス・スクール)校長等を務めた。アメリカが抱える経済問題(エネルギー、インフレーション、経済成長、環境、所得分配などの諸問題)を分析した『ゼロ・サム社会』(1980年)を発表し、アメリカの経済政策に多大な影響を与えた。2016年3月、77歳で死去。
2017年7月18日火曜日
2017.07.18 わが友に贈る
新聞休刊日
四条金吾殿御書 P1111
『食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり』
☆女性に贈ることば 七月十八日
人生、すべてが順調というわけにはいかない。勝つ場合も、負ける場合もある。しかし、仮に一時は敗北しても、自分自身に負けてはいけない。
今、どんな境遇にあったとしても、自分自身に勝っているかぎり、その人は勝者である。
☆今日のことば365 七月十八日
自由に責任がともなうものである以上、自由を獲得するためには、責任を果たす能力を備えなければなりません。
☆御書と歩む 第73回 励ましとは「祈り」から
『尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり』(富木殿御返事、978ページ)
◇通解
尼御前(富木常忍の夫人)のご病気のことは、わが身の上のことと思っているので、昼も夜も(健康を)諸天に祈っている。
◇同志への指針
大聖人は、門下の病気をわが事として受け止め、題目を送ってくださった。この大慈大悲を拝し、友の悩みに寄り添い、一緒に祈り、打開してきたのが創価家族である。
「一人を徹して大切に」——これが御本仏に直結する学会精神だ。
変毒為薬の妙法である。離れていても題目の功力は必ず届く。真心の祈りから迸る励ましを、今日も友の生命へ!
☆不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集 師弟こそ仏法の真髄なり 2017年7月17日
◇師弟こそ仏法の真髄なり
きょう7月17日は、1957年(昭和32年)に中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が行われた日である。この時の"戦いは負けたらあかん"との「関西魂」は今、世界に輝き広がる。ここでは、「不敗の原点『大阪大会』60周年記念特集」として、関西婦人部の代表の証言を交え、その精神を確認する。
大阪市の関西池田記念会館に「師弟常勝之碑」がある。碑文は、「大阪大会」50周年の2007年(平成19年)7月、池田先生が関西の友に贈ったものだ。
その冒頭は「師弟こそ 仏法の真髄にして 最極の魂の結合なり」と。
創価学会は、「師弟」という深い人間の絆で結ばれた団体である。ここに、権力の不当な弾圧にも屈しない強さの源泉がある。
60年前、権力の魔性が牙をむいた「大阪事件」に、関西は負けなかった。師と共に、迫害を堂々と勝ち越えた。関西の友が満天下に示したのは、「師弟」の底力にほかならない。
1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は事実無根の冤罪で、不当逮捕された。発端は、3カ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)にさかのぼる。一部の会員が起こした選挙違反を、池田先生に強引に結び付けたのである。
この逮捕までに、警察と検察は、学会員に威圧的な取り調べを行った。
当時、女子部班長だった林智栄子さん(関西婦人部総主事)。参院選から数日後、刑事が自宅に来た。戸別訪問の容疑だという。
連日、朝から晩までの取り調べ。刑事は「誰の指示で動いた!」と問い詰めた。戸別訪問などしていない林さんは、否認し続けた。
その後、取り調べは大阪地方検察庁へ移った。そこでは、複数の検事に取り囲まれた。
◇信心しきったものが必ず勝つ 「関西の友の真心を一生涯、忘れない」
ある時には、検事が池田先生の写真を手に、「知ってるやろ」と恐ろしい剣幕で詰め寄ってきた。
その激しさは、林さんの頭をもうろうとさせ、"私、悪いことしたんやろか"と錯覚させるほどだった。
「罪もない人を平気で陥れようとする。権力の怖さを心の底から感じました」
池田先生が不当逮捕されたのは、この取り調べから1カ月半ほど後のこと。
「先生の逮捕を聞いた時は"私の取り調べでさえ、あれだけ問い詰められたのに、どれほど先生は責められてしまうのか"と不安で仕方ありませんでした」
池田先生は逮捕から5日後の1957年(昭和32年)7月8日、大阪拘置所に移監された。
この日、検事は2人がかりで夕食も取らせず、深夜まで取り調べを続けた。
9日、検事は「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する」と恫喝した。
すでに恩師の体は衰弱しており、逮捕は生命の危険にも結び付きかねない状況だった。
獄中で一人、煩悶を続けた先生は、恩師の身を案じ、法廷で真実を証明することを決断したのである。
◇
57年7月17日の正午過ぎ、池田先生は大阪拘置所から出所。多くの関西の同志が歓喜して出迎えた。
先生はつづっている。
「私の投獄を、わがことのように心配し、悲しみ、憤った、関西の同志たち。私は、その真心への感謝を、絶対に一生涯忘れることはないだろう」
午後6時、場内と場外合わせて約2万人の友が集まり、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開会した。
しばらくすると、空を厚い雲が覆い始めた。横暴な権力に対する諸天の怒りであるかのごとく、豪雨が地面をたたき、空には雷鳴が轟いた。
場外のスピーカーの声は、雨の音でかき消された。だが、誰一人として帰ろうとする人はいない。
仕事を終えて駆け付けた林さん。ずぶ濡れになりながら、堂島川を挟んで公会堂の対岸にあった大阪地検の建物を睨みながら、固く誓った。
"負けたから、こんな悔しい思いをした。戦いは負けたらあかん。一生かけても、この仇は討つ"
その燃えるような気迫は、60年が過ぎた今も赤々と。林さんは力を込めた。
「"仇討ち"とは、個人的な復讐などではありません。"師と共に"との心で、広布拡大に挑むこと。それが、関西の関西たるゆえんであり、池田先生が教えてくださった精神です」
栗原明子さん(関西婦人部総主事)は当時、女子部部隊長を務めていた。
ある日、いてもたってもいられず、警察署などを回った。すると偶然、署の前に一台のジープ型の車が止まった。その直後、先生の姿が見えた。
目が合った。「元気?」と先生から声が。「元気です!」と栗原さん。
今から取り調べが待っているにもかかわらず、一人を大切にする、いつもの「常勝将軍」の雄姿が、そこにはあった。
「いついかなる時も、先生は変わらない。先生のお姿を拝見し、"権力の魔性などに断じて負けてなるものか"と深く誓いました」
もう一つ、栗原さんには忘れられないことがある。
池田先生の逮捕以来、旧関西本部には、頻繁に戸田先生から電話がかかってきた。ある時の電話の後、応対していた壮年が受話器を持ったまま、号泣する姿を、栗原さんは見かけた。
壮年が涙したのは、戸田先生が「代われるものなら、わしが代わってやりたい。あそこは入った者でないと分からないんだ」と語ったからである。
師の恩は山よりも高く、海よりも深い——どこまでも弟子を思う師の慈愛を、栗原さんが深く知った瞬間だった。
「大阪大会」には、場内で参加。終了後、池田先生は「一緒においで」と栗原さんをはじめ、居合わせた友に声を掛けた。
先生の後ろにつき、公会堂の階段を上った。先生は窓を開けると、場外の友に手を振った。
沸き上がる歓声と拍手は、しばしの間、鳴りやまなかった。
「池田先生と関西の絆は、どのような障魔が競い起ころうとも、断ち切ることなどできない。そのことを確信した光景でした」
「大阪大会」で、池田先生は師子吼した。
"最後は、信心しきったものが必ず勝つ"
この宣言は今、人生を切り開き、人間革命の勝利劇をつづりゆく"常勝の指針"として、関西の同志の心に受け継がれている。
◇
「大阪事件」の公判は、逮捕から4年半、84回に及んだ。この間、池田先生は23回、法廷の場に立った。
先生は裁判に出廷する前日、当日、翌日と可能な限り、関西の友に会い、励ましを送り続けた。手づくりで、関西広布を一段と伸展させていったのである。
57年10月18日の初公判の日の夜には、神戸で友を激励。翌19日には、京都の宇治方面を訪れている。
61年(同36年)9月22日の午前には、第二室戸台風で被災した西淀川区に足を運んだ。午後からは大阪地裁で、先生自らが検事への証人尋問に臨んだ。
検察が起訴した刑事事件の有罪率は当時、「99%」を超えた。起訴されてしまえば、無罪は"不可能"といえた。
さらに、「大阪事件」を担当した弁護士は、「有罪は覚悟してほしい」という弱腰だった。その中で、62年(同37年)1月25日、先生に「無罪」判決が出たのである。
峯山益子さん(関西婦人部総主事)は、この日のことが忘れられない。
高校卒業後、図書館で働き始めた。53年(同28年)12月、「常勝の母」と慕われた矢追久子さん(故人)の勧めで信心を始めた。
翌年、先生が矢追さんの家を訪問。そこで、師との初めての出会いを刻んだ。
図書館で勤務していることを伝えると、先生から「御書は持っている?」と聞かれた。この時、まだ持っていなかった。
「その場で、先生は御書を学ぶ大切さを教えてくださいました」
以来、御書の研さんに励んだ。職場には、学会を嫌う人がいた。週刊誌などに学会の批判記事が掲載されると、その雑誌が必ず机の上に置かれていた。
「でも、全く気になりませんでした。"すべて御書の通りだ"って思っていましたから。『大阪事件』が起こった時、信心が揺らがなかったのも、御書を研さんしていたおかげです」
61年、峯山さんは結婚。その直後、肋膜炎を患った。「自宅療養をしていましたが、先生が無罪を勝ち取られた日、母と一緒に旧関西本部へ向かいました」
無罪判決が出た後、先生は旧関西本部へ。「大法興隆所願成就」の関西常住の御本尊の前に端座し、感謝の祈りをささげた。
そして、その場にいた峯山さんの病気平癒を祈り、「大丈夫だよ」と励ましを送った。
「先生の慈愛は、今も心から離れることはありません。生涯、師恩に報いる人生を歩んでいきます」
裁判を勝利で終えた直後も、先生は「一人の励まし」に徹した。広宣流布は、この「一人の励まし」から始まることを、関西の友に改めて示したのである。
◇
「大阪事件」の本質とは、何であったか。
それは、飛躍的な発展を遂げている学会に対して、自分たちを脅かす勢力になると恐れた権力による卑劣な弾圧であった。
池田先生は、小説『新・人間革命』第5巻「獅子」の章でつづっている。
「社会の主役、国家の主役は民衆です。その民衆を虐げ、苦しめ、人権を踏みにじる魔性の権力とは、断固戦わなければならない。それが学会の使命であると、私は宣言しておきます」
民衆の側に立ち、正義の旗を掲げ続ける——。
そのことを、先生が自らの身をもって示した「大阪事件」とその勝利。不滅の「正義の原点」に刻まれた師の精神は、世界広布の明日を照らし続ける。
□取材後記
取材の折、栗原さん、峯山さん、林さんが、同じ言葉を口にした。
「関西を『常勝関西』にしてくださったのは、池田先生です」
「関西が『世界のカンサイ』になったのは、池田先生のおかげです」
「関西に『凱歌の夜明け』を告げてくださったのは、池田先生です」
あふれ出る師への感謝。今も燃える師への誓願。こうした無数の「関西の母」たちありて、「常勝関西」「世界のカンサイ」あり。
池田先生は、関西婦人部をたたえている。
「どんな深い闇も、底抜けに明るい笑顔で打ち破ってくれる関西の母たちこそ、世界第一の『常勝の太陽』なのである」
四条金吾殿御書 P1111
『食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり』
☆女性に贈ることば 七月十八日
人生、すべてが順調というわけにはいかない。勝つ場合も、負ける場合もある。しかし、仮に一時は敗北しても、自分自身に負けてはいけない。
今、どんな境遇にあったとしても、自分自身に勝っているかぎり、その人は勝者である。
☆今日のことば365 七月十八日
自由に責任がともなうものである以上、自由を獲得するためには、責任を果たす能力を備えなければなりません。
☆御書と歩む 第73回 励ましとは「祈り」から
『尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり』(富木殿御返事、978ページ)
◇通解
尼御前(富木常忍の夫人)のご病気のことは、わが身の上のことと思っているので、昼も夜も(健康を)諸天に祈っている。
◇同志への指針
大聖人は、門下の病気をわが事として受け止め、題目を送ってくださった。この大慈大悲を拝し、友の悩みに寄り添い、一緒に祈り、打開してきたのが創価家族である。
「一人を徹して大切に」——これが御本仏に直結する学会精神だ。
変毒為薬の妙法である。離れていても題目の功力は必ず届く。真心の祈りから迸る励ましを、今日も友の生命へ!
☆不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集 師弟こそ仏法の真髄なり 2017年7月17日
◇師弟こそ仏法の真髄なり
きょう7月17日は、1957年(昭和32年)に中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が行われた日である。この時の"戦いは負けたらあかん"との「関西魂」は今、世界に輝き広がる。ここでは、「不敗の原点『大阪大会』60周年記念特集」として、関西婦人部の代表の証言を交え、その精神を確認する。
大阪市の関西池田記念会館に「師弟常勝之碑」がある。碑文は、「大阪大会」50周年の2007年(平成19年)7月、池田先生が関西の友に贈ったものだ。
その冒頭は「師弟こそ 仏法の真髄にして 最極の魂の結合なり」と。
創価学会は、「師弟」という深い人間の絆で結ばれた団体である。ここに、権力の不当な弾圧にも屈しない強さの源泉がある。
60年前、権力の魔性が牙をむいた「大阪事件」に、関西は負けなかった。師と共に、迫害を堂々と勝ち越えた。関西の友が満天下に示したのは、「師弟」の底力にほかならない。
1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は事実無根の冤罪で、不当逮捕された。発端は、3カ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)にさかのぼる。一部の会員が起こした選挙違反を、池田先生に強引に結び付けたのである。
この逮捕までに、警察と検察は、学会員に威圧的な取り調べを行った。
当時、女子部班長だった林智栄子さん(関西婦人部総主事)。参院選から数日後、刑事が自宅に来た。戸別訪問の容疑だという。
連日、朝から晩までの取り調べ。刑事は「誰の指示で動いた!」と問い詰めた。戸別訪問などしていない林さんは、否認し続けた。
その後、取り調べは大阪地方検察庁へ移った。そこでは、複数の検事に取り囲まれた。
◇信心しきったものが必ず勝つ 「関西の友の真心を一生涯、忘れない」
ある時には、検事が池田先生の写真を手に、「知ってるやろ」と恐ろしい剣幕で詰め寄ってきた。
その激しさは、林さんの頭をもうろうとさせ、"私、悪いことしたんやろか"と錯覚させるほどだった。
「罪もない人を平気で陥れようとする。権力の怖さを心の底から感じました」
池田先生が不当逮捕されたのは、この取り調べから1カ月半ほど後のこと。
「先生の逮捕を聞いた時は"私の取り調べでさえ、あれだけ問い詰められたのに、どれほど先生は責められてしまうのか"と不安で仕方ありませんでした」
池田先生は逮捕から5日後の1957年(昭和32年)7月8日、大阪拘置所に移監された。
この日、検事は2人がかりで夕食も取らせず、深夜まで取り調べを続けた。
9日、検事は「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する」と恫喝した。
すでに恩師の体は衰弱しており、逮捕は生命の危険にも結び付きかねない状況だった。
獄中で一人、煩悶を続けた先生は、恩師の身を案じ、法廷で真実を証明することを決断したのである。
◇
57年7月17日の正午過ぎ、池田先生は大阪拘置所から出所。多くの関西の同志が歓喜して出迎えた。
先生はつづっている。
「私の投獄を、わがことのように心配し、悲しみ、憤った、関西の同志たち。私は、その真心への感謝を、絶対に一生涯忘れることはないだろう」
午後6時、場内と場外合わせて約2万人の友が集まり、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開会した。
しばらくすると、空を厚い雲が覆い始めた。横暴な権力に対する諸天の怒りであるかのごとく、豪雨が地面をたたき、空には雷鳴が轟いた。
場外のスピーカーの声は、雨の音でかき消された。だが、誰一人として帰ろうとする人はいない。
仕事を終えて駆け付けた林さん。ずぶ濡れになりながら、堂島川を挟んで公会堂の対岸にあった大阪地検の建物を睨みながら、固く誓った。
"負けたから、こんな悔しい思いをした。戦いは負けたらあかん。一生かけても、この仇は討つ"
その燃えるような気迫は、60年が過ぎた今も赤々と。林さんは力を込めた。
「"仇討ち"とは、個人的な復讐などではありません。"師と共に"との心で、広布拡大に挑むこと。それが、関西の関西たるゆえんであり、池田先生が教えてくださった精神です」
栗原明子さん(関西婦人部総主事)は当時、女子部部隊長を務めていた。
ある日、いてもたってもいられず、警察署などを回った。すると偶然、署の前に一台のジープ型の車が止まった。その直後、先生の姿が見えた。
目が合った。「元気?」と先生から声が。「元気です!」と栗原さん。
今から取り調べが待っているにもかかわらず、一人を大切にする、いつもの「常勝将軍」の雄姿が、そこにはあった。
「いついかなる時も、先生は変わらない。先生のお姿を拝見し、"権力の魔性などに断じて負けてなるものか"と深く誓いました」
もう一つ、栗原さんには忘れられないことがある。
池田先生の逮捕以来、旧関西本部には、頻繁に戸田先生から電話がかかってきた。ある時の電話の後、応対していた壮年が受話器を持ったまま、号泣する姿を、栗原さんは見かけた。
壮年が涙したのは、戸田先生が「代われるものなら、わしが代わってやりたい。あそこは入った者でないと分からないんだ」と語ったからである。
師の恩は山よりも高く、海よりも深い——どこまでも弟子を思う師の慈愛を、栗原さんが深く知った瞬間だった。
「大阪大会」には、場内で参加。終了後、池田先生は「一緒においで」と栗原さんをはじめ、居合わせた友に声を掛けた。
先生の後ろにつき、公会堂の階段を上った。先生は窓を開けると、場外の友に手を振った。
沸き上がる歓声と拍手は、しばしの間、鳴りやまなかった。
「池田先生と関西の絆は、どのような障魔が競い起ころうとも、断ち切ることなどできない。そのことを確信した光景でした」
「大阪大会」で、池田先生は師子吼した。
"最後は、信心しきったものが必ず勝つ"
この宣言は今、人生を切り開き、人間革命の勝利劇をつづりゆく"常勝の指針"として、関西の同志の心に受け継がれている。
◇
「大阪事件」の公判は、逮捕から4年半、84回に及んだ。この間、池田先生は23回、法廷の場に立った。
先生は裁判に出廷する前日、当日、翌日と可能な限り、関西の友に会い、励ましを送り続けた。手づくりで、関西広布を一段と伸展させていったのである。
57年10月18日の初公判の日の夜には、神戸で友を激励。翌19日には、京都の宇治方面を訪れている。
61年(同36年)9月22日の午前には、第二室戸台風で被災した西淀川区に足を運んだ。午後からは大阪地裁で、先生自らが検事への証人尋問に臨んだ。
検察が起訴した刑事事件の有罪率は当時、「99%」を超えた。起訴されてしまえば、無罪は"不可能"といえた。
さらに、「大阪事件」を担当した弁護士は、「有罪は覚悟してほしい」という弱腰だった。その中で、62年(同37年)1月25日、先生に「無罪」判決が出たのである。
峯山益子さん(関西婦人部総主事)は、この日のことが忘れられない。
高校卒業後、図書館で働き始めた。53年(同28年)12月、「常勝の母」と慕われた矢追久子さん(故人)の勧めで信心を始めた。
翌年、先生が矢追さんの家を訪問。そこで、師との初めての出会いを刻んだ。
図書館で勤務していることを伝えると、先生から「御書は持っている?」と聞かれた。この時、まだ持っていなかった。
「その場で、先生は御書を学ぶ大切さを教えてくださいました」
以来、御書の研さんに励んだ。職場には、学会を嫌う人がいた。週刊誌などに学会の批判記事が掲載されると、その雑誌が必ず机の上に置かれていた。
「でも、全く気になりませんでした。"すべて御書の通りだ"って思っていましたから。『大阪事件』が起こった時、信心が揺らがなかったのも、御書を研さんしていたおかげです」
61年、峯山さんは結婚。その直後、肋膜炎を患った。「自宅療養をしていましたが、先生が無罪を勝ち取られた日、母と一緒に旧関西本部へ向かいました」
無罪判決が出た後、先生は旧関西本部へ。「大法興隆所願成就」の関西常住の御本尊の前に端座し、感謝の祈りをささげた。
そして、その場にいた峯山さんの病気平癒を祈り、「大丈夫だよ」と励ましを送った。
「先生の慈愛は、今も心から離れることはありません。生涯、師恩に報いる人生を歩んでいきます」
裁判を勝利で終えた直後も、先生は「一人の励まし」に徹した。広宣流布は、この「一人の励まし」から始まることを、関西の友に改めて示したのである。
◇
「大阪事件」の本質とは、何であったか。
それは、飛躍的な発展を遂げている学会に対して、自分たちを脅かす勢力になると恐れた権力による卑劣な弾圧であった。
池田先生は、小説『新・人間革命』第5巻「獅子」の章でつづっている。
「社会の主役、国家の主役は民衆です。その民衆を虐げ、苦しめ、人権を踏みにじる魔性の権力とは、断固戦わなければならない。それが学会の使命であると、私は宣言しておきます」
民衆の側に立ち、正義の旗を掲げ続ける——。
そのことを、先生が自らの身をもって示した「大阪事件」とその勝利。不滅の「正義の原点」に刻まれた師の精神は、世界広布の明日を照らし続ける。
□取材後記
取材の折、栗原さん、峯山さん、林さんが、同じ言葉を口にした。
「関西を『常勝関西』にしてくださったのは、池田先生です」
「関西が『世界のカンサイ』になったのは、池田先生のおかげです」
「関西に『凱歌の夜明け』を告げてくださったのは、池田先生です」
あふれ出る師への感謝。今も燃える師への誓願。こうした無数の「関西の母」たちありて、「常勝関西」「世界のカンサイ」あり。
池田先生は、関西婦人部をたたえている。
「どんな深い闇も、底抜けに明るい笑顔で打ち破ってくれる関西の母たちこそ、世界第一の『常勝の太陽』なのである」
2017年7月17日月曜日
2017.07.17 わが友に贈る
◇今週のことば
生き生きと友情を育む
「友好拡大」の夏!
後継の人材が伸びゆく
「信心継承」の夏!
力強い唱題のリズムで。
2017年7月17日
日女御前御返事 P1244
『相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり』
☆女性に贈ることば 七月十七日
師の恩を忘れず、また友情が大切に育んでいく--。一見、平凡のように見えるが、決してそうではない。こうした振舞いのなかに、実は人間性の最も美しい発露があり、人間性の真髄がある。
☆今日のことば365 七月十七日
ある人は、ある特定の思想を、あるいは科学を、宗教を、国家を、会社を、肉親を、親友を、そして自己の信念を、医学を、技術を、それぞれ信じているものだ。何ものかを信じなければ、人間の行動は、始まらないからだ。
☆総県長会議での原田会長の指導 2017年7月8日
◇「一対一の語らい」で師弟の魂を継承 未来部の夏 青年大会を各部一体で応援
一、まず、今回の東京都議選では見事、公明党が23人完勝、7回連続となる全員当選で、東京凱歌を打ち立てることができました。全同志の大奮闘に、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました!(拍手)
一、今週に入り、活発な梅雨前線の影響で天候が不安定となり、中国から九州にかけて大雨に見舞われ、島根、福岡、大分には大雨特別警報も出されました。
心よりお見舞い申し上げますとともに、被害状況の把握と会員激励に当たってくださっている皆さまに、感謝申し上げます。
これから、台風の季節にもなります。災害には十分注意してまいりたい。また、猛暑の季節にもなります。健康第一で充実の夏になるよう、留意していきたいと思います。
特に「無冠の友」の皆さまには、無事故最優先での配達を、改めて確認したいと思いますので、何とぞよろしくお願いいたします。
一、いよいよ「未来部の夏」、躍進月間が始まります。創価の宝である未来部メンバーを、最大に激励していきたいと思います。
さらに下半期は、「創価青年大会」も各地で行われます。青年の育成・拡大に、各部一体で総力を挙げてまいりたい。
伝統の教学部初級試験・青年部教学試験3級、教学部任用試験(仏法入門)につきましても、全力で取り組んでいきたいと思います。
共通するのは、全てが「今後の広布拡大に直結する、大事な人材育成である」という点です。先生はかつて、次のようにつづってくださいました。
「創価学会は、日本だけでなく全世界に、人類の幸福と平和を担い立つ、偉大な人材を育成する揺籃となる——これは『"まさか"が実現』という歴史的な勝利を開いた昭和三十一年の七月、私が恩師・戸田先生と師弟二人で語り合った、遠大な未来の展望であった」と。
大阪の戦いの勝利の後、戸田先生と池田先生が、人材輩出という学会の深き使命を展望されたように、新たな広布の扉を開いた今こそ、私たちも今一重、強い決意で、未来を開く人材育成に取り組んでまいりたい。
◇「8・24」目指して
一、本日は、そのポイントを3点、確認していきたい。
先ほど紹介した随筆に引き続いて、先生は「わが創価の人材育成の根本も『師弟』である。みずみずしい師弟の精神が脈打つ場所に、次代を担う真の人材群が育ちゆくのだ」と教えてくださいました。
さらに先生は小説『新・人間革命』「雌伏」の章で、「世界の同志が、また、広宣流布のバトンを受け継ぐ後世の人たちが、創価の師弟の道をまっすぐに歩み通していけるように、小説『人間革命』を書き残しているんです」とも、つづってくださっています。
第1に、人材育成の根本も師弟であります。先生が命を削る思いで「師弟の魂」をつづってくださる今こそ、最大の人材育成のチャンスです。
まずは信心の先輩として、私たちが真剣に学ぶとともに、多くの方が成長の糧とできるように励まし、ともどもに研さんしてまいりたい。
そして、本年の「8・24」は、先生の入信70周年の佳節です。さらにこの日は、「聖教新聞創刊原点の日」でもあります。
夏季友好期間に入りますが、多くの方が聖教拡大にも挑戦し、広布推進の実践の中で師弟を感じながら「8・24」を迎えられるよう、最大に激励していきたい。
一、2点目として、人材育成の要諦が「最前線の一対一の語らい」にあることを、改めて銘記したい。
先生の指導には、こうあります。「最高幹部が、みずから動いて、どんどん地区に入っていくことだ」「新入会の友や若き青年たちに、勤行・唱題の意義など、信仰の大切な基本をていねいに教えていくことも、重要な課題である。全幹部が総力を挙げて、地区部長、地区婦人部長の皆さまを支え、応援しながら、一対一の対話を重ねて、人材育成の波を起こしてほしい」と。
人材育成の波は、一対一の対話から起こります。信心の基本を学ぶ任用試験、また初級・3級試験は、その波を起こす絶好の機会でもあります。特に夏季友好期間は、英気を養うとともに、一人一人と時間をかけて、じっくり語り合えるチャンスです。
先生が「一人」に焦点を当てられ、「一人」を大切にされたからこそ、今の大創価学会が構築されたように、私たちも再び原点に立ち返り、徹底した訪問激励で、人材育成の大波を起こしていきたい。
◇「青年のためなら」
一、第3のポイントとして、「青年のため、後輩のために心を砕くこと」を確認したい。
小説『新・人間革命』第17巻「本陣」の章では、青年部と記念撮影し、激励された後、バレーボールや卓球の試合を観戦するだけでなく、青年の要請で自ら卓球の試合に特別参加したことに触れながら、「青年たちのためなら、なんでもやろう——それが伸一の心であり、また、そこに人材育成の根本の精神がある」とつづられました。
さらに今、連載中の「雄飛」の章に第5次訪中の様子が描かれましたが、最初の訪中団が描かれた第20巻「友誼の道」の章には「"青年たちのためならば、自分は踏み台にもなろう。犠牲にもなろう"というのが、彼の信念であった。今回の歴史的な初訪中のメンバーを、青年たちの代表で構成したのも、自分を土台にして、青年たちに、平和友好の金の橋を架けてほしいとの思いからであった」と、つづってくださっています。
先生の青年への期待と育成を、わが身で知っているのが、現在の壮年部・婦人部幹部であります。未来部躍進月間における未来部員の激励も、青年大会を通じての青年部の育成も、その一つ一つで、広布の未来が決します。私たちは先生と同じ思いで、本年の"青年拡大の年"にふさわしい、人材育成に取り組んでいきたい。
一、ともあれ、全国の同志の大奮闘で、新たなる広布の扉が開かれました。そのうえで、先生は「勝って兜の緒を締めて、皆で結び広げた尊き仏縁を大事に育てゆこう」と呼び掛けてくださいました。
私たちは、兜の緒を締め直して、さらなる広布拡大にまい進してまいりたい。次なる勝利のためにも、未来永劫にわたる盤石な人材城を築くためにも、先生が「師弟の魂」をつづり残されている今この時が重要です。
私たちが徹して一人を大切に、青年を大切に、激励に当たっていけば、人材が出ないわけがありません。
東京凱歌に続く連続勝利へ、新たな出発を開始しようではありませんか!
生き生きと友情を育む
「友好拡大」の夏!
後継の人材が伸びゆく
「信心継承」の夏!
力強い唱題のリズムで。
2017年7月17日
日女御前御返事 P1244
『相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり』
☆女性に贈ることば 七月十七日
師の恩を忘れず、また友情が大切に育んでいく--。一見、平凡のように見えるが、決してそうではない。こうした振舞いのなかに、実は人間性の最も美しい発露があり、人間性の真髄がある。
☆今日のことば365 七月十七日
ある人は、ある特定の思想を、あるいは科学を、宗教を、国家を、会社を、肉親を、親友を、そして自己の信念を、医学を、技術を、それぞれ信じているものだ。何ものかを信じなければ、人間の行動は、始まらないからだ。
☆総県長会議での原田会長の指導 2017年7月8日
◇「一対一の語らい」で師弟の魂を継承 未来部の夏 青年大会を各部一体で応援
一、まず、今回の東京都議選では見事、公明党が23人完勝、7回連続となる全員当選で、東京凱歌を打ち立てることができました。全同志の大奮闘に、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました!(拍手)
一、今週に入り、活発な梅雨前線の影響で天候が不安定となり、中国から九州にかけて大雨に見舞われ、島根、福岡、大分には大雨特別警報も出されました。
心よりお見舞い申し上げますとともに、被害状況の把握と会員激励に当たってくださっている皆さまに、感謝申し上げます。
これから、台風の季節にもなります。災害には十分注意してまいりたい。また、猛暑の季節にもなります。健康第一で充実の夏になるよう、留意していきたいと思います。
特に「無冠の友」の皆さまには、無事故最優先での配達を、改めて確認したいと思いますので、何とぞよろしくお願いいたします。
一、いよいよ「未来部の夏」、躍進月間が始まります。創価の宝である未来部メンバーを、最大に激励していきたいと思います。
さらに下半期は、「創価青年大会」も各地で行われます。青年の育成・拡大に、各部一体で総力を挙げてまいりたい。
伝統の教学部初級試験・青年部教学試験3級、教学部任用試験(仏法入門)につきましても、全力で取り組んでいきたいと思います。
共通するのは、全てが「今後の広布拡大に直結する、大事な人材育成である」という点です。先生はかつて、次のようにつづってくださいました。
「創価学会は、日本だけでなく全世界に、人類の幸福と平和を担い立つ、偉大な人材を育成する揺籃となる——これは『"まさか"が実現』という歴史的な勝利を開いた昭和三十一年の七月、私が恩師・戸田先生と師弟二人で語り合った、遠大な未来の展望であった」と。
大阪の戦いの勝利の後、戸田先生と池田先生が、人材輩出という学会の深き使命を展望されたように、新たな広布の扉を開いた今こそ、私たちも今一重、強い決意で、未来を開く人材育成に取り組んでまいりたい。
◇「8・24」目指して
一、本日は、そのポイントを3点、確認していきたい。
先ほど紹介した随筆に引き続いて、先生は「わが創価の人材育成の根本も『師弟』である。みずみずしい師弟の精神が脈打つ場所に、次代を担う真の人材群が育ちゆくのだ」と教えてくださいました。
さらに先生は小説『新・人間革命』「雌伏」の章で、「世界の同志が、また、広宣流布のバトンを受け継ぐ後世の人たちが、創価の師弟の道をまっすぐに歩み通していけるように、小説『人間革命』を書き残しているんです」とも、つづってくださっています。
第1に、人材育成の根本も師弟であります。先生が命を削る思いで「師弟の魂」をつづってくださる今こそ、最大の人材育成のチャンスです。
まずは信心の先輩として、私たちが真剣に学ぶとともに、多くの方が成長の糧とできるように励まし、ともどもに研さんしてまいりたい。
そして、本年の「8・24」は、先生の入信70周年の佳節です。さらにこの日は、「聖教新聞創刊原点の日」でもあります。
夏季友好期間に入りますが、多くの方が聖教拡大にも挑戦し、広布推進の実践の中で師弟を感じながら「8・24」を迎えられるよう、最大に激励していきたい。
一、2点目として、人材育成の要諦が「最前線の一対一の語らい」にあることを、改めて銘記したい。
先生の指導には、こうあります。「最高幹部が、みずから動いて、どんどん地区に入っていくことだ」「新入会の友や若き青年たちに、勤行・唱題の意義など、信仰の大切な基本をていねいに教えていくことも、重要な課題である。全幹部が総力を挙げて、地区部長、地区婦人部長の皆さまを支え、応援しながら、一対一の対話を重ねて、人材育成の波を起こしてほしい」と。
人材育成の波は、一対一の対話から起こります。信心の基本を学ぶ任用試験、また初級・3級試験は、その波を起こす絶好の機会でもあります。特に夏季友好期間は、英気を養うとともに、一人一人と時間をかけて、じっくり語り合えるチャンスです。
先生が「一人」に焦点を当てられ、「一人」を大切にされたからこそ、今の大創価学会が構築されたように、私たちも再び原点に立ち返り、徹底した訪問激励で、人材育成の大波を起こしていきたい。
◇「青年のためなら」
一、第3のポイントとして、「青年のため、後輩のために心を砕くこと」を確認したい。
小説『新・人間革命』第17巻「本陣」の章では、青年部と記念撮影し、激励された後、バレーボールや卓球の試合を観戦するだけでなく、青年の要請で自ら卓球の試合に特別参加したことに触れながら、「青年たちのためなら、なんでもやろう——それが伸一の心であり、また、そこに人材育成の根本の精神がある」とつづられました。
さらに今、連載中の「雄飛」の章に第5次訪中の様子が描かれましたが、最初の訪中団が描かれた第20巻「友誼の道」の章には「"青年たちのためならば、自分は踏み台にもなろう。犠牲にもなろう"というのが、彼の信念であった。今回の歴史的な初訪中のメンバーを、青年たちの代表で構成したのも、自分を土台にして、青年たちに、平和友好の金の橋を架けてほしいとの思いからであった」と、つづってくださっています。
先生の青年への期待と育成を、わが身で知っているのが、現在の壮年部・婦人部幹部であります。未来部躍進月間における未来部員の激励も、青年大会を通じての青年部の育成も、その一つ一つで、広布の未来が決します。私たちは先生と同じ思いで、本年の"青年拡大の年"にふさわしい、人材育成に取り組んでいきたい。
一、ともあれ、全国の同志の大奮闘で、新たなる広布の扉が開かれました。そのうえで、先生は「勝って兜の緒を締めて、皆で結び広げた尊き仏縁を大事に育てゆこう」と呼び掛けてくださいました。
私たちは、兜の緒を締め直して、さらなる広布拡大にまい進してまいりたい。次なる勝利のためにも、未来永劫にわたる盤石な人材城を築くためにも、先生が「師弟の魂」をつづり残されている今この時が重要です。
私たちが徹して一人を大切に、青年を大切に、激励に当たっていけば、人材が出ないわけがありません。
東京凱歌に続く連続勝利へ、新たな出発を開始しようではありませんか!
2017年7月16日日曜日
2017.07.16 わが友に贈る
努力の人は
行き詰まらない。
地道の人は
断じて負けない。
勝利の人生を共々に!
治病大小権実違目 P998
『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』
☆女性に贈ることば 七月十六日
自ら求めて、苦労をしていってほしい。そして、同じ苦労を するならば、大きな理想のために苦労してもらいたい。
自分の小さな殻に閉じこもるのではなく、友のため、社会のため、そして人類のためという大いなる理想を掲げて、学んでいくことだ。
☆今日のことば365 七月十六日
友をもち、友を信ずるとともに、自らも、友の信頼にこたえようと努力する。それは、おそらく、自分というものへの変革にいどむ、はじめての経験であるはずだ。
☆世界写真紀行第18回 中国・桂林 2017年7月5日
◇言葉の力で社会を潤す
"中国らしさ"といえば、この幻想的な風景を思い浮かべる人も多いに違いない。まるで"山水画の世界"に入り込んでしまったかのようだ。
桂林の奇岩・奇峰。
古来、「桂林の山水は天下に甲たり」とたたえられた。漓江という川を船で下ると、さまざまな形の岩や峰に出合うことができる。
龍が水と戯れているように見える「九龍戯水」。
中国古代の皇帝の冠に似ている「冠岩幽洞」。
9頭の馬の姿が隠れているといわれる「九馬画山」。
数億年の歳月をかけ、少しずつ石灰岩が雨水に浸食されてできたカルスト地形。それぞれの岩や山に、詩情豊かな物語がある。桂林の風景は、悠久の時を超え、人々の心を引きつけてやまない。
1980年4月26日、5度目の訪中で桂林を訪れていた池田先生は、楊堤という町の船着き場に向かった。漓江を船で下りながら、桂林市の要人らと会見するためである。
この時の様子が、小説『新・人間革命』「雄飛」の章につづられている。
徒歩で船着き場に向かう山本伸一の一行。
竹林を抜けると、河原にいた子どもたちが近寄ってきた。その中に、てんびん棒を担いで、薬を売りに来ていた2人の少女がいた。
彼女たちは道行く人に、「薬はなんでもそろっていますよ。お好きなものをどうぞ」と呼び掛けている。
伸一はほほ笑みながら、自分の額を指さして尋ねた。
「それでは、すみませんが、頭の良くなる薬はありませんか?」
すると、少女の一人が、全く動じる様子もなく答えた。
「あっ、その薬なら、たった今、売り切れてしまいました」。そしてニッコリと笑みを浮かべた。
機知に富む当意即妙の答え。その場にいた皆の笑いがはじけた——。
先生は、この時の少女とのやりとりについて「乙女のさわやかな音声は、わが心の水面にいつまでも美しい波紋を広げている」と振り返り、こうつづっている(「主婦の友」92年1月号)。
「聡明な言葉づかいは、凍てついた心をとかす光風となる。どんな局面にあっても、弾力ある知恵の一言があれば、悠々とまた闊達に切り開いていくことができる」
「思えば、中国との友好の橋も、真心と誠実の対話を積み重ねて作りあげてきたものにほかならない。言葉は文字どおり『言の葉』である。春の新緑のようなみずみずしい『言の葉』は、生活にまた社会に、豊かな潤いを添える」
励ましの言葉。友情を結ぶ言葉。感謝を伝える言葉——「言葉の力」によって、人の心は動き、変わっていく。そうして社会の底流もまた、少しずつ、着実に変わっていくのである。
言葉が人間をつくり、社会をつくる。ゆえに、わが地域に、善と和楽の言葉を、真心込めて敷き詰めていきたい。
創価の平和運動とは、言葉の力で人々の心を潤し、友情を育んでいく挑戦でもある。
行き詰まらない。
地道の人は
断じて負けない。
勝利の人生を共々に!
治病大小権実違目 P998
『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』
☆女性に贈ることば 七月十六日
自ら求めて、苦労をしていってほしい。そして、同じ苦労を するならば、大きな理想のために苦労してもらいたい。
自分の小さな殻に閉じこもるのではなく、友のため、社会のため、そして人類のためという大いなる理想を掲げて、学んでいくことだ。
☆今日のことば365 七月十六日
友をもち、友を信ずるとともに、自らも、友の信頼にこたえようと努力する。それは、おそらく、自分というものへの変革にいどむ、はじめての経験であるはずだ。
☆世界写真紀行第18回 中国・桂林 2017年7月5日
◇言葉の力で社会を潤す
"中国らしさ"といえば、この幻想的な風景を思い浮かべる人も多いに違いない。まるで"山水画の世界"に入り込んでしまったかのようだ。
桂林の奇岩・奇峰。
古来、「桂林の山水は天下に甲たり」とたたえられた。漓江という川を船で下ると、さまざまな形の岩や峰に出合うことができる。
龍が水と戯れているように見える「九龍戯水」。
中国古代の皇帝の冠に似ている「冠岩幽洞」。
9頭の馬の姿が隠れているといわれる「九馬画山」。
数億年の歳月をかけ、少しずつ石灰岩が雨水に浸食されてできたカルスト地形。それぞれの岩や山に、詩情豊かな物語がある。桂林の風景は、悠久の時を超え、人々の心を引きつけてやまない。
1980年4月26日、5度目の訪中で桂林を訪れていた池田先生は、楊堤という町の船着き場に向かった。漓江を船で下りながら、桂林市の要人らと会見するためである。
この時の様子が、小説『新・人間革命』「雄飛」の章につづられている。
徒歩で船着き場に向かう山本伸一の一行。
竹林を抜けると、河原にいた子どもたちが近寄ってきた。その中に、てんびん棒を担いで、薬を売りに来ていた2人の少女がいた。
彼女たちは道行く人に、「薬はなんでもそろっていますよ。お好きなものをどうぞ」と呼び掛けている。
伸一はほほ笑みながら、自分の額を指さして尋ねた。
「それでは、すみませんが、頭の良くなる薬はありませんか?」
すると、少女の一人が、全く動じる様子もなく答えた。
「あっ、その薬なら、たった今、売り切れてしまいました」。そしてニッコリと笑みを浮かべた。
機知に富む当意即妙の答え。その場にいた皆の笑いがはじけた——。
先生は、この時の少女とのやりとりについて「乙女のさわやかな音声は、わが心の水面にいつまでも美しい波紋を広げている」と振り返り、こうつづっている(「主婦の友」92年1月号)。
「聡明な言葉づかいは、凍てついた心をとかす光風となる。どんな局面にあっても、弾力ある知恵の一言があれば、悠々とまた闊達に切り開いていくことができる」
「思えば、中国との友好の橋も、真心と誠実の対話を積み重ねて作りあげてきたものにほかならない。言葉は文字どおり『言の葉』である。春の新緑のようなみずみずしい『言の葉』は、生活にまた社会に、豊かな潤いを添える」
励ましの言葉。友情を結ぶ言葉。感謝を伝える言葉——「言葉の力」によって、人の心は動き、変わっていく。そうして社会の底流もまた、少しずつ、着実に変わっていくのである。
言葉が人間をつくり、社会をつくる。ゆえに、わが地域に、善と和楽の言葉を、真心込めて敷き詰めていきたい。
創価の平和運動とは、言葉の力で人々の心を潤し、友情を育んでいく挑戦でもある。
2017年7月15日土曜日
2017.07.15 わが友に贈る
会合に集った友を
「仏を敬うが如く」
真心と笑顔で迎えよう!
一人を徹して大切に!
それが創価の心だ。
内房女房御返事 P1423
『過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり』
☆女性に贈ることば 七月十五日
富める家に生まれたから、幸福ではない。
貧しい家に生まれたから、不幸ではない。
名声の一家に育ったから、幸福ではない。
さまざまな苦しみのなかを、泣きながら生き抜くなかに、普遍の幸福が築かれていくのだ。
大勢の悩める人に希望を贈れる生命が輝いていくのだ。
☆今日のことば365 七月十五日
海外への憧れも、その底流にはなんらかの確固たる目的観があって然るべきだと思う。それなくしては、青春の輝かしい思い出になるひとときも物見遊山で幻影におわってしまう場合もあろう。
☆インド・ガンジー研究評議会議長 N・ラダクリシュナン博士が寄稿 2017年7月3日
凱歌の朝が明けた! 民衆勝利の旗が空高く翻った! さあ清新な決意に燃えて、この世界広布の大道を、朗らかに歩み続けよう! 師と共に、全国・全世界の感激の同志と共に!——きょう3日は、日本の軍国主義の横暴と戦った先師・戸田城聖先生が出獄し、学会の再建へと一人立った日である。そしてまた、関西の地に庶民の一大平和勢力を築くために奔走した池田大作先生が、無実の罪で逮捕された日でもある。後に池田先生は詠んだ。「出獄と 入獄の日に 師弟あり」。ここでは、インド・ガンジー研究評議会議長を務めるN・ラダクリシュナン博士の寄稿を紹介する。また、関西および大阪では、この峻厳な師弟の日「7・3」から、「世界へ 未来へ "関西魂"拡大月間」をスタートする(23日まで)。
「創価学会」を語る時に、最も意義深く、驚嘆すべき点は、幾多の困難の中で誕生し、発展していったという事実です。
牧口初代会長、戸田第2代会長、そして、その遺志を継いだ池田大作博士——人類は、価値を創造し、変革と正義のために生きる名高き闘士たちを、目の当たりにしているといえるでしょう。
はじめは日蓮仏法を実践する数千の人々に限られていた創価学会でしたが、その平和、文化、教育の運動は今や、192カ国・地域に広がり、世界にまで影響を与える存在になりました。
その事実は、戦争なき世界への人道的価値を促進する中心として、創価学会が世界に不可欠な存在であることを示しています。
創価の三代会長の長い歴史の中で、本年の「7・3」は特に意義深いものであります。
60年前のこの日、池田先生は、不当な国家権力によって無実の罪で投獄されました。基本的人権を守ろうと立ち上がったさなかのことでした。
さかのぼって、1945年の7月3日もまた、池田先生の恩師・戸田先生が獄中闘争の末、出獄された日という点で、平和運動と人権の歴史の日であるといえます。
このように、「7・3」は、日蓮大聖人の仏法を根本とし、新しき地球的運動の確立を目指した創価の三代会長の万感の決意が込められた日、と意義付けることができるでしょう。
創価の三代会長と、南アフリカやインドで長きにわたって人権闘争に身をささげたマハトマ・ガンジーが、それぞれ不動の人権の闘士として、また宗教的視座から新しい社会的、政治的秩序の価値を生み出した擁護者という点で、同根であることは驚くにはあたりません。
ガンジーが南アフリカで主導した非暴力・不服従運動は、後に、人類にとって奪うことのできない基本的権利を守るための地球的運動へと発展しました。
創価の三代会長から生まれた人間革命の思想は、世界中の多くの指導者に影響を与え続けています。そして、教育、文化、自然保護、人権、男女平等、青年育成などの分野で、創価学会の果たす役割に対して感謝の意が表されているのです。まさに、この思想は、3人が残した"大きな贈り物"といえるでしょう。
私自身、創価学会が青年や女性を「未来の指導者」として励ましている点に、非常に感銘を受けています。
戦略などということ以上に、この事実には、仏法の光を広げ、広宣流布の旗手を担う未来のリーダーを育成する信仰の実践と決意が表れていると思います。
創価の青年が受けている薫陶や触発は、一人一人が社会の責任ある一員として、一地域、ひいては世界を脅かし増長し続ける暴動やテロ、暴力をなくすための力を磨いていけるものであり、そこに創価の世界との関わりが反映されているのです。
いつも池田博士が強調されるように、これらの世界のマイナス面の状況は、対話の欠如から増大します。良き対話は、毒を薬へと転じていけます。決意ある青年がこの変革をもたらすと確信します。
人権と正義の世界的運動の歴史において、「5・3」(創価学会の日)のように、「7・3」とは、個人の変革のための奉仕、内省、祈り、そして決然たる行動の一日です。正義と平等な機会の否定に対しては、断固として戦わねばなりません。
池田先生は、近代インドの思想家で青年を指導したヴィヴェーカーナンダの言葉「起て、眼覚めよ、ゴールに到達するまでは立ち止まるな」(ヴィヴェーカーナンダ研究会編『スワミ・ヴィヴェーカーナンダ その生涯と語録』アポロン社)との主張を象徴しているといえましょう。「7・3」から聞こえるメッセージは「正義でないものに、断固屈してはならない」ということなのです。
「仏を敬うが如く」
真心と笑顔で迎えよう!
一人を徹して大切に!
それが創価の心だ。
内房女房御返事 P1423
『過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり』
☆女性に贈ることば 七月十五日
富める家に生まれたから、幸福ではない。
貧しい家に生まれたから、不幸ではない。
名声の一家に育ったから、幸福ではない。
さまざまな苦しみのなかを、泣きながら生き抜くなかに、普遍の幸福が築かれていくのだ。
大勢の悩める人に希望を贈れる生命が輝いていくのだ。
☆今日のことば365 七月十五日
海外への憧れも、その底流にはなんらかの確固たる目的観があって然るべきだと思う。それなくしては、青春の輝かしい思い出になるひとときも物見遊山で幻影におわってしまう場合もあろう。
☆インド・ガンジー研究評議会議長 N・ラダクリシュナン博士が寄稿 2017年7月3日
凱歌の朝が明けた! 民衆勝利の旗が空高く翻った! さあ清新な決意に燃えて、この世界広布の大道を、朗らかに歩み続けよう! 師と共に、全国・全世界の感激の同志と共に!——きょう3日は、日本の軍国主義の横暴と戦った先師・戸田城聖先生が出獄し、学会の再建へと一人立った日である。そしてまた、関西の地に庶民の一大平和勢力を築くために奔走した池田大作先生が、無実の罪で逮捕された日でもある。後に池田先生は詠んだ。「出獄と 入獄の日に 師弟あり」。ここでは、インド・ガンジー研究評議会議長を務めるN・ラダクリシュナン博士の寄稿を紹介する。また、関西および大阪では、この峻厳な師弟の日「7・3」から、「世界へ 未来へ "関西魂"拡大月間」をスタートする(23日まで)。
「創価学会」を語る時に、最も意義深く、驚嘆すべき点は、幾多の困難の中で誕生し、発展していったという事実です。
牧口初代会長、戸田第2代会長、そして、その遺志を継いだ池田大作博士——人類は、価値を創造し、変革と正義のために生きる名高き闘士たちを、目の当たりにしているといえるでしょう。
はじめは日蓮仏法を実践する数千の人々に限られていた創価学会でしたが、その平和、文化、教育の運動は今や、192カ国・地域に広がり、世界にまで影響を与える存在になりました。
その事実は、戦争なき世界への人道的価値を促進する中心として、創価学会が世界に不可欠な存在であることを示しています。
創価の三代会長の長い歴史の中で、本年の「7・3」は特に意義深いものであります。
60年前のこの日、池田先生は、不当な国家権力によって無実の罪で投獄されました。基本的人権を守ろうと立ち上がったさなかのことでした。
さかのぼって、1945年の7月3日もまた、池田先生の恩師・戸田先生が獄中闘争の末、出獄された日という点で、平和運動と人権の歴史の日であるといえます。
このように、「7・3」は、日蓮大聖人の仏法を根本とし、新しき地球的運動の確立を目指した創価の三代会長の万感の決意が込められた日、と意義付けることができるでしょう。
創価の三代会長と、南アフリカやインドで長きにわたって人権闘争に身をささげたマハトマ・ガンジーが、それぞれ不動の人権の闘士として、また宗教的視座から新しい社会的、政治的秩序の価値を生み出した擁護者という点で、同根であることは驚くにはあたりません。
ガンジーが南アフリカで主導した非暴力・不服従運動は、後に、人類にとって奪うことのできない基本的権利を守るための地球的運動へと発展しました。
創価の三代会長から生まれた人間革命の思想は、世界中の多くの指導者に影響を与え続けています。そして、教育、文化、自然保護、人権、男女平等、青年育成などの分野で、創価学会の果たす役割に対して感謝の意が表されているのです。まさに、この思想は、3人が残した"大きな贈り物"といえるでしょう。
私自身、創価学会が青年や女性を「未来の指導者」として励ましている点に、非常に感銘を受けています。
戦略などということ以上に、この事実には、仏法の光を広げ、広宣流布の旗手を担う未来のリーダーを育成する信仰の実践と決意が表れていると思います。
創価の青年が受けている薫陶や触発は、一人一人が社会の責任ある一員として、一地域、ひいては世界を脅かし増長し続ける暴動やテロ、暴力をなくすための力を磨いていけるものであり、そこに創価の世界との関わりが反映されているのです。
いつも池田博士が強調されるように、これらの世界のマイナス面の状況は、対話の欠如から増大します。良き対話は、毒を薬へと転じていけます。決意ある青年がこの変革をもたらすと確信します。
人権と正義の世界的運動の歴史において、「5・3」(創価学会の日)のように、「7・3」とは、個人の変革のための奉仕、内省、祈り、そして決然たる行動の一日です。正義と平等な機会の否定に対しては、断固として戦わねばなりません。
池田先生は、近代インドの思想家で青年を指導したヴィヴェーカーナンダの言葉「起て、眼覚めよ、ゴールに到達するまでは立ち止まるな」(ヴィヴェーカーナンダ研究会編『スワミ・ヴィヴェーカーナンダ その生涯と語録』アポロン社)との主張を象徴しているといえましょう。「7・3」から聞こえるメッセージは「正義でないものに、断固屈してはならない」ということなのです。
2017年7月14日金曜日
2017.07.14 わが友に贈る
地域を照らす希望の太陽
ヤング・ミセスの皆様!
いつもありがとう!
明るく仲良く励まし合い
幸の光彩を広げよう!
四恩抄 P937
『然るに今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり』
☆女性に贈ることば 七月十四日
恩師・戸田先生が、「晴れの日であれば、晴れの日は何をする
のか、それを考えよ。晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、同じことをするのは愚かである」と言われていたことを思い出す。
その日、その時に応じて、最も価値的な行動を起こしていくことが大事である。
☆今日のことば365 七月十四日
豊かな土壌には、たくさんの作物が実り、草木が繁茂する。痩せた土地には、発育不全の貧弱な作物しか育たない。政治でも、経済でも、芸術でも、大切なのは、その基調となる思想である。思想には、高低浅深が必ずある。
☆青年SGI 台湾 2017年7月3日
◇社会に貢献する弟子に
台湾SGI初の支部となる台北支部の結成から本年で55年。台湾青年部の友は、社会に貢献する伝統の精神を受け継ぎつつ、一人一人が、信仰の実証を示そうと奮闘している。各部のリーダーに話を聞いた。
◇林澤 青年部長
台湾は現在、日本と同様、少子高齢化が進み、経済的低迷が続く中で、青年が未来に希望を持ちづらい状況にあります。
日本のある作家が言った「小確幸」(小さいけど確かな幸せ)という言葉が台湾でも浸透していて、皆、おいしいものや好きなものを買って、写真に撮ってフェイスブックにあげたりして満足している。そういう個人的な幸福ばかりを追い求め、自分の狭い世界に閉じこもる青年が増えていくような社会は、望ましくはないと思います。
その中で台湾SGIの青年部は、池田先生の思想を学び、「勇猛精進」の実践で仕事や生活に勝利の実証を示しています。さらに「大願に生きる」という指針のもと、自分さえよければいいという小さな自分(小我)を乗り越え、他者のため、社会のために貢献していく、大きな自分(大我)への人間革命に挑戦しています。
本年、台湾青年部では全土の46地域(区単位)で順次、「青年友好フェスティバル」を行っています。テーマは「心の変革」で、小さい世界に収まりがちな台湾の青年たちに、大きな目標を持って生きるSGIの青年の姿を見せていこう。そして、社会全体の青年を勇気づけ、変革していこうというものです。
5月に行われた台中北区のフェスティバルには630人以上が参加。165人の友人が来場し、終了後に対話する中で、48人の友が入会を決意しました。
この取り組みを軸に、「一人が百歩前進よりも、百人が一歩前進」とのスローガンのもと、台湾全土に仏法対話・弘教拡大のうねりが起きています。メンバーは青年部版の「LINE@」に登録していて、対話の挑戦を共有しながら奮闘しています。
今回の戦いの推進力となっているのは、全ての青年部リーダーが現場の第一線の地区に入ってメンバーを激励し、リーダー率先で友人との対話に挑んでいることです。
私も各地のフェスティバルに、学生時代の友人4人と共に参加しましたが、さらなる友人参加を勝ち取ろうと挑戦しています。そのためには、普段の職場や生活の中で信頼の実証を示していくことが必要です。
私は現在、清華大学の准教授をしていますが、そこに至るまでに、なかなか研究成果が出せないという壁に直面しました。しかし2013年、男子部長として参加したSGI青年研修会で、池田先生から頂いた「皆さんの勝利を待っています」との言葉に奮い立ち、研究、SGIの活動、一家和楽の全てをやり抜こうと決意しました。
その後、1年間で5本の論文が国際学術誌に掲載され、その結果、翌14年に准教授に昇格。国際会議で「最優秀論文賞」を受賞できるまでになりました。
自身の信仰体験を語り、率先垂範の拡大に挑みながら、社会で実証を示し抜く台湾の伝統精神を受け継いだ、師弟不二の人材の大連帯を築いていきます。
◇呂科漢 男子部長
競争社会の台湾において、20〜30代の男性が抱える一番の課題は仕事のこと。そこで挫折し希望が持てない人もいます。
本年、台湾青年部の活動の柱に掲げているのが「訪問激励」と「弘教拡大」です。個人指導に徹し、メンバーが社会で実証を示せるように激励する中で、仏法対話につながり、信心の確信が生まれていく。
今、男子部が大事にしているのは「言葉で励ますだけではなく、一緒に題目を唱える」ということです。その中で、台湾全土に唱題の渦が巻き起こっています。青年部版「LINE@」では、「今晩共戦題目30分」というように、地域ごとにメンバーが報告し合いながら、10分でも、1分でも自分も挑戦しようという「善の触発」が生まれています。
その中で、社会で実証を示す体験が次々と生まれています。
台北第2圏男子部長の林靖翔さんは、これまでに何度も転職を繰り返し、実に23度目の仕事が、現在、店長を務める世界的なイタリアブランドの高級カバン等の販売員でした。信心根本に挑戦しようと、昨年は約300軒のメンバーの訪問激励と、友人への対話に励みながら、仕事にも全力で挑みました。
しかし、当時の店長から陰湿ないじめに遭い、接客の場に立つことすら許されませんでした。それでも負けなかった林さんは、店長が代わって接客に立てるようになるや否や抜群の営業成績を収め、世界でもトップのセールスマンになりました。
「全てSGIで受けた薫陶のおかげです」と語る林さんは、先日も青年友好フェスティバルで信仰体験を発表し、多くの人に感動と勇気を与えました。
男子部はどんな社会の荒波にも負けず、力強く台湾広布を進める弟子に成長していきます。
◇蔡宗容 女子部長
台湾の若い女性が抱える悩みを考えると、年代によって大きく二つに分かれると感じます。
25歳以下では、将来の進路や方向性、恋人や友人との人間関係の悩みです。25歳以上になると、仕事上のストレスや職場関係の課題が多くなり、さらに自身の結婚や家族関係、親の老後といった悩みが増えてきます。
特に25歳以上の女子部については、日本の「婦女一体」の活動を参考にしながら、婦人部の方と一緒に訪問激励に行って、励ましを送っています。
本年、台湾女子部が掲げる目標は「信行学の拡大」です。まずは御祈念項目を明確にして、唱題根本に仕事や生活で実証を示すこと。そして勇気を持って仏法対話に挑むこと。また本年、池田華陽会の御書研さん教材の『世界一の生命哲学を学ぶ』(中国語版)が発刊され、教学の研さんにも力を注いでいます。
マッサージ師として店を営む陳均芳さんは、両親の離婚と家庭不和の中で、SGIに入会しました。当初は父を恨み、何事にも愚痴ばかり言っていた彼女は、戸田先生の「親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか」の言葉と、池田先生が親孝行の大切さを語った指導に触れ、父の幸せを祈れる自分に変わりました。仕事でも生き生きと活躍する彼女を見て、弟も入会。今、父親にも仏法対話を続けています。
女子部は、家庭にあっては、単に一人の娘という存在にとどまらず、一家を照らす太陽になっていくことができます。御書に「女子は門をひらく」(1566ページ)とある通り、家庭や社会の宿命を乗り越え、希望を開く使命の道を歩んでいきます。
◇呉兆麟 学生部長
台湾の学生は親元を離れて暮らす下宿生が多く、大学ごとにSGIメンバーが励まし合って活動しています。
また大学がある地域の地区の方々は、"愛心ママ"と呼ばれる婦人部をはじめ、皆で学生部員の悩みに寄り添い、成長を支えてくれています。その中で、男女青年部と一体になって活動し、信心の基本を学んでいます。
台湾学生部では、昨年来、「Rock for Peace」と題し、各大学で平和建設のための展示運動や演劇活動を展開してきました。また恒例の取り組みとして、池田先生と識者の対談集をメンバーで学び合い、社会的なテーマを決めて、友人と共にディスカッションする"学生部座談会"を、年に4回ほど開催しています。
特に本年は、各地の青年友好フェスティバルに向けて訪問激励と仏法対話、弘教拡大に全力で挑戦しています。
◇王艶? 女子学生部長
学歴偏重の傾向が強い台湾では、親から"よい大学に入って、よい就職をすること"を求められる学生が多いです。しかし実際に大学に入ると、何のために大学に入ったのか、自分はどんな人生を進むべきかが見えにくいという現実に直面します。だからこそ学生の時に、単なる学問の習得だけでなく、何のために学び、働くのかという目的観を持つための信仰が必要です。
私自身、学生時代は自分の能力を過信し、信仰は必要ないと思っていました。しかし、大学院で乗り越えられない壁に当たった時、学生部の先輩が一緒に祈ろうと誘ってくれ、国際的な場で論文を発表できるまでになったことが、信心の原点です。
"民衆から遊離したエリートではなく、民衆に奉仕する英才を育てる"との池田先生の理念を胸に、学生部員と共に、社会に貢献するリーダーに成長していく決意です。
ヤング・ミセスの皆様!
いつもありがとう!
明るく仲良く励まし合い
幸の光彩を広げよう!
四恩抄 P937
『然るに今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり』
☆女性に贈ることば 七月十四日
恩師・戸田先生が、「晴れの日であれば、晴れの日は何をする
のか、それを考えよ。晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、同じことをするのは愚かである」と言われていたことを思い出す。
その日、その時に応じて、最も価値的な行動を起こしていくことが大事である。
☆今日のことば365 七月十四日
豊かな土壌には、たくさんの作物が実り、草木が繁茂する。痩せた土地には、発育不全の貧弱な作物しか育たない。政治でも、経済でも、芸術でも、大切なのは、その基調となる思想である。思想には、高低浅深が必ずある。
☆青年SGI 台湾 2017年7月3日
◇社会に貢献する弟子に
台湾SGI初の支部となる台北支部の結成から本年で55年。台湾青年部の友は、社会に貢献する伝統の精神を受け継ぎつつ、一人一人が、信仰の実証を示そうと奮闘している。各部のリーダーに話を聞いた。
◇林澤 青年部長
台湾は現在、日本と同様、少子高齢化が進み、経済的低迷が続く中で、青年が未来に希望を持ちづらい状況にあります。
日本のある作家が言った「小確幸」(小さいけど確かな幸せ)という言葉が台湾でも浸透していて、皆、おいしいものや好きなものを買って、写真に撮ってフェイスブックにあげたりして満足している。そういう個人的な幸福ばかりを追い求め、自分の狭い世界に閉じこもる青年が増えていくような社会は、望ましくはないと思います。
その中で台湾SGIの青年部は、池田先生の思想を学び、「勇猛精進」の実践で仕事や生活に勝利の実証を示しています。さらに「大願に生きる」という指針のもと、自分さえよければいいという小さな自分(小我)を乗り越え、他者のため、社会のために貢献していく、大きな自分(大我)への人間革命に挑戦しています。
本年、台湾青年部では全土の46地域(区単位)で順次、「青年友好フェスティバル」を行っています。テーマは「心の変革」で、小さい世界に収まりがちな台湾の青年たちに、大きな目標を持って生きるSGIの青年の姿を見せていこう。そして、社会全体の青年を勇気づけ、変革していこうというものです。
5月に行われた台中北区のフェスティバルには630人以上が参加。165人の友人が来場し、終了後に対話する中で、48人の友が入会を決意しました。
この取り組みを軸に、「一人が百歩前進よりも、百人が一歩前進」とのスローガンのもと、台湾全土に仏法対話・弘教拡大のうねりが起きています。メンバーは青年部版の「LINE@」に登録していて、対話の挑戦を共有しながら奮闘しています。
今回の戦いの推進力となっているのは、全ての青年部リーダーが現場の第一線の地区に入ってメンバーを激励し、リーダー率先で友人との対話に挑んでいることです。
私も各地のフェスティバルに、学生時代の友人4人と共に参加しましたが、さらなる友人参加を勝ち取ろうと挑戦しています。そのためには、普段の職場や生活の中で信頼の実証を示していくことが必要です。
私は現在、清華大学の准教授をしていますが、そこに至るまでに、なかなか研究成果が出せないという壁に直面しました。しかし2013年、男子部長として参加したSGI青年研修会で、池田先生から頂いた「皆さんの勝利を待っています」との言葉に奮い立ち、研究、SGIの活動、一家和楽の全てをやり抜こうと決意しました。
その後、1年間で5本の論文が国際学術誌に掲載され、その結果、翌14年に准教授に昇格。国際会議で「最優秀論文賞」を受賞できるまでになりました。
自身の信仰体験を語り、率先垂範の拡大に挑みながら、社会で実証を示し抜く台湾の伝統精神を受け継いだ、師弟不二の人材の大連帯を築いていきます。
◇呂科漢 男子部長
競争社会の台湾において、20〜30代の男性が抱える一番の課題は仕事のこと。そこで挫折し希望が持てない人もいます。
本年、台湾青年部の活動の柱に掲げているのが「訪問激励」と「弘教拡大」です。個人指導に徹し、メンバーが社会で実証を示せるように激励する中で、仏法対話につながり、信心の確信が生まれていく。
今、男子部が大事にしているのは「言葉で励ますだけではなく、一緒に題目を唱える」ということです。その中で、台湾全土に唱題の渦が巻き起こっています。青年部版「LINE@」では、「今晩共戦題目30分」というように、地域ごとにメンバーが報告し合いながら、10分でも、1分でも自分も挑戦しようという「善の触発」が生まれています。
その中で、社会で実証を示す体験が次々と生まれています。
台北第2圏男子部長の林靖翔さんは、これまでに何度も転職を繰り返し、実に23度目の仕事が、現在、店長を務める世界的なイタリアブランドの高級カバン等の販売員でした。信心根本に挑戦しようと、昨年は約300軒のメンバーの訪問激励と、友人への対話に励みながら、仕事にも全力で挑みました。
しかし、当時の店長から陰湿ないじめに遭い、接客の場に立つことすら許されませんでした。それでも負けなかった林さんは、店長が代わって接客に立てるようになるや否や抜群の営業成績を収め、世界でもトップのセールスマンになりました。
「全てSGIで受けた薫陶のおかげです」と語る林さんは、先日も青年友好フェスティバルで信仰体験を発表し、多くの人に感動と勇気を与えました。
男子部はどんな社会の荒波にも負けず、力強く台湾広布を進める弟子に成長していきます。
◇蔡宗容 女子部長
台湾の若い女性が抱える悩みを考えると、年代によって大きく二つに分かれると感じます。
25歳以下では、将来の進路や方向性、恋人や友人との人間関係の悩みです。25歳以上になると、仕事上のストレスや職場関係の課題が多くなり、さらに自身の結婚や家族関係、親の老後といった悩みが増えてきます。
特に25歳以上の女子部については、日本の「婦女一体」の活動を参考にしながら、婦人部の方と一緒に訪問激励に行って、励ましを送っています。
本年、台湾女子部が掲げる目標は「信行学の拡大」です。まずは御祈念項目を明確にして、唱題根本に仕事や生活で実証を示すこと。そして勇気を持って仏法対話に挑むこと。また本年、池田華陽会の御書研さん教材の『世界一の生命哲学を学ぶ』(中国語版)が発刊され、教学の研さんにも力を注いでいます。
マッサージ師として店を営む陳均芳さんは、両親の離婚と家庭不和の中で、SGIに入会しました。当初は父を恨み、何事にも愚痴ばかり言っていた彼女は、戸田先生の「親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか」の言葉と、池田先生が親孝行の大切さを語った指導に触れ、父の幸せを祈れる自分に変わりました。仕事でも生き生きと活躍する彼女を見て、弟も入会。今、父親にも仏法対話を続けています。
女子部は、家庭にあっては、単に一人の娘という存在にとどまらず、一家を照らす太陽になっていくことができます。御書に「女子は門をひらく」(1566ページ)とある通り、家庭や社会の宿命を乗り越え、希望を開く使命の道を歩んでいきます。
◇呉兆麟 学生部長
台湾の学生は親元を離れて暮らす下宿生が多く、大学ごとにSGIメンバーが励まし合って活動しています。
また大学がある地域の地区の方々は、"愛心ママ"と呼ばれる婦人部をはじめ、皆で学生部員の悩みに寄り添い、成長を支えてくれています。その中で、男女青年部と一体になって活動し、信心の基本を学んでいます。
台湾学生部では、昨年来、「Rock for Peace」と題し、各大学で平和建設のための展示運動や演劇活動を展開してきました。また恒例の取り組みとして、池田先生と識者の対談集をメンバーで学び合い、社会的なテーマを決めて、友人と共にディスカッションする"学生部座談会"を、年に4回ほど開催しています。
特に本年は、各地の青年友好フェスティバルに向けて訪問激励と仏法対話、弘教拡大に全力で挑戦しています。
◇王艶? 女子学生部長
学歴偏重の傾向が強い台湾では、親から"よい大学に入って、よい就職をすること"を求められる学生が多いです。しかし実際に大学に入ると、何のために大学に入ったのか、自分はどんな人生を進むべきかが見えにくいという現実に直面します。だからこそ学生の時に、単なる学問の習得だけでなく、何のために学び、働くのかという目的観を持つための信仰が必要です。
私自身、学生時代は自分の能力を過信し、信仰は必要ないと思っていました。しかし、大学院で乗り越えられない壁に当たった時、学生部の先輩が一緒に祈ろうと誘ってくれ、国際的な場で論文を発表できるまでになったことが、信心の原点です。
"民衆から遊離したエリートではなく、民衆に奉仕する英才を育てる"との池田先生の理念を胸に、学生部員と共に、社会に貢献するリーダーに成長していく決意です。
2017年7月13日木曜日
2017.07.13 わが友に贈る
「善友をもつことが
仏道修行の全て」と。
互いに触発し磨き合う
創価家族のスクラム固く
成長と充実の人生を!
如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』
☆女性に贈ることば 七月十三日
親を亡くして、「こんな時に父親がいてくれれば」「母親がいたら」 と思うこともあるかもしれない。
しかし、父も母も、心のなかに永遠に生きている。
釈尊もまた、生まれてすぐに、母親を亡くした。「親がいなくても、人間は偉大になれる」と身をもって示したのです。
☆今日のことば365 七月十三日
目標が、結果として理想であったとしてもいい。私も生涯、青年らしく、若々しく、純粋に生き抜きたい。そして、少しも停滞することなく、常に前進と、向上を続ける人生でありたいと願っている。
☆明日を求めて 池田先生の対話録� 第38回 第5代国連事務総長 デクエヤル氏 2017年7月2日
◇民衆の力で新たな平和の波を 創価の連帯は国連支援の模範
都内の宿舎は、廊下も室内も慌ただしい雰囲気に包まれていた。
1990年11月15日。分刻みの過密な日程をこなすデクエヤル氏に、池田先生は言った。
「世界一忙しく、世界一大切なお立場の事務総長、さぞかし、お疲れでしょう!」
「いいえ。私は池田会長に会うと、エネルギーをいただくことができ、元気になります!」
会談は、この日で4度目。
謹厳実直で知られ、人前ではめったに笑顔を見せないデクエヤル氏が、引き締まった口元を緩ませ、?を上気させた。
「一貫して変わらぬ『国連支援』に心から御礼申し上げます。さらに、それのみならず、私が会長の存在に深い関心を寄せるのは、数百万の人々への『精神的リーダー』としての側面です」
◇
息つく間もなく難題が持ち込まれ、"世界で最も不可能な仕事"といわれる国連の事務総長職。
デクエヤル氏の問題解決への執念と冷静さは際立っていた。
氏はペルー大使として各国に赴任し、外務次官等を経て、82年に国連の第5代事務総長に就任。
同年、イギリスとアルゼンチンが戦火を交えたフォークランド紛争(マルビナス戦争)では、アメリカによる調停が行き詰まり、デクエヤル氏が外交交渉を重ねていた。
フォークランド諸島を国連の暫定統治下に置き、最終的解決を目指した氏の調停は九割九分成功していたが、軍事情勢の急変によって白紙に。しかし、氏は"自分が蒔いた種は、いつかきっと芽を出すにちがいない"と、悔しさをにじませることもなく、次の仕事に向かったという。
その一方で、氏は交渉の「時」を逃さなかった。
事務総長の退任期日である91年12月31日。氏は、エルサルバドル内戦の停止交渉に臨んでいた。
政府と左翼ゲリラの紛争による犠牲者は7万人を超えた。デクエヤル氏は双方と何度も話し合いを深めてきたが、氏が退任すれば合意が崩れかねない。
氏の執念が実を結んだのは、31日深夜。停戦の朗報は、"大みそかの置き土産""新年のプレゼント"として世界に伝えられた。
デクエヤル氏が事務総長を務めた10年間、国連は地道な外交努力を重ね、イラン・イラク戦争の終結、ソ連軍のアフガニスタン撤退、ナミビア独立、カンボジアの和平協定などを実現。
冷戦後の東西協調の流れとともに、国連中心の国際的協調・平和建設が時代の潮流となっていったのである。
◇
「国連支援は平和への私の信念です。これからも全力で貢献していく決意です」
かつて池田先生はデクエヤル氏に述べている。
国連支援は、第2代会長・戸田先生の遺言の一つでもあった。
地球民族主義を唱え、全人類の幸福を訴えた戸田先生は、国連に深い期待を寄せた。
「国連は、20世紀の英知の結晶である。この希望の砦を、次の世紀へ断じて守り抜き、大きく育てていかねばならない」
75年1月、SGI(創価学会インタナショナル)の発足と時を合わせ、学会は国連支援の活動を本格化させた。
学会青年部による「核廃絶1千万署名簿」を、池田先生がワルトハイム国連事務総長に提出。
82年6月、国連本部からスタートした"核の脅威展"は、旧ソ連や中国などの社会主義国を含む24カ国39都市で開催され、170万人が観賞した。
同年8月、事務総長として来日したデクエヤル氏と池田先生の初会見が迎賓館で行われている。
「それぞれの国が国連を支持し、平和に進みゆくことは当然ですが、民衆レベルにあっても、今までの何十倍もの努力で、新しい平和の波をつくっていかなければなりません」
池田先生の言葉にうなずきつつ、デクエヤル氏が語った。
「創価学会のような、強力な、素晴らしい宗教を基盤とした組織が国連に理解を寄せてくださっていることは、大きな国連の支持につながります」
以来、デクエヤル氏が来日するたびに会談は重ねられた。
「仏教思想の根本は平和にあり、仏教の精神が平和を愛する人々に強いインスピレーションを与えています」「創価学会の哲学、信念は国連の理念と相通じます」
デクエヤル氏の期待に、池田先生は「行動」で応えていった。
毎年の「SGIの日」記念提言には、国連中心の平和建設を展望し、具体的な構想を必ず盛り込んだ。「持続可能な開発のための教育の10年」の制定やクラスター爆弾の禁止条約採択など、現実に具体化した提言も数多い。
SGIの友は池田先生の提言を指針とし、国連の取り組みを支援するための展示会やシンポジウムを開催するなど、各国で市民の意識啓発に力を注いできた。
デクエヤル氏は、池田先生に繰り返し語っている。
「国連は各国政府や、SGIのように重要な民間団体に支えられているのです。戦争を終結させ、世界平和を実現するための私たちの活動は、そうした支援なくしては不可能です」「私がSGIの国連支援を評価するのは、具体的な行動をともなっていることに加えて、精神面での強い支援があるからです。その意味で、SGIは国連支援の模範であり、本当に頼もしい存在です」
ある時、氏は、国連のマークと自身のサインが入った文鎮を手に語った。
「人類の相互理解と平和のために貢献されている池田会長の机には、きっと、そのための、たくさんの書類が積まれていることでしょう。この文鎮は、その書類のためにと考えたものです」
各国の同志と池田先生の深き精神の連帯を、デクエヤル氏は見つめていたのかもしれない。
氏の限りない期待に応える創価の平和のスクラムが今、千波万波と広がっている。
ハビエル・ペレス・デクエヤル 1920年、ペルーのリマ生まれ。40年、外務省に入省し、駐スイス大使、ソ連大使、国連大使、安全保障理事会議長等を歴任した。国連事務次長を経て、82年に第5代国連事務総長に就任。91年まで2期にわたって務めた。この間、フォークランド紛争やイラン・イラク戦争の調停、イラクのクウェート侵攻に伴う湾岸危機の平和的解決に奔走。その後、ペルーの首相兼外相(2000年11月〜2001年7月)等を務めた。
仏道修行の全て」と。
互いに触発し磨き合う
創価家族のスクラム固く
成長と充実の人生を!
如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』
☆女性に贈ることば 七月十三日
親を亡くして、「こんな時に父親がいてくれれば」「母親がいたら」 と思うこともあるかもしれない。
しかし、父も母も、心のなかに永遠に生きている。
釈尊もまた、生まれてすぐに、母親を亡くした。「親がいなくても、人間は偉大になれる」と身をもって示したのです。
☆今日のことば365 七月十三日
目標が、結果として理想であったとしてもいい。私も生涯、青年らしく、若々しく、純粋に生き抜きたい。そして、少しも停滞することなく、常に前進と、向上を続ける人生でありたいと願っている。
☆明日を求めて 池田先生の対話録� 第38回 第5代国連事務総長 デクエヤル氏 2017年7月2日
◇民衆の力で新たな平和の波を 創価の連帯は国連支援の模範
都内の宿舎は、廊下も室内も慌ただしい雰囲気に包まれていた。
1990年11月15日。分刻みの過密な日程をこなすデクエヤル氏に、池田先生は言った。
「世界一忙しく、世界一大切なお立場の事務総長、さぞかし、お疲れでしょう!」
「いいえ。私は池田会長に会うと、エネルギーをいただくことができ、元気になります!」
会談は、この日で4度目。
謹厳実直で知られ、人前ではめったに笑顔を見せないデクエヤル氏が、引き締まった口元を緩ませ、?を上気させた。
「一貫して変わらぬ『国連支援』に心から御礼申し上げます。さらに、それのみならず、私が会長の存在に深い関心を寄せるのは、数百万の人々への『精神的リーダー』としての側面です」
◇
息つく間もなく難題が持ち込まれ、"世界で最も不可能な仕事"といわれる国連の事務総長職。
デクエヤル氏の問題解決への執念と冷静さは際立っていた。
氏はペルー大使として各国に赴任し、外務次官等を経て、82年に国連の第5代事務総長に就任。
同年、イギリスとアルゼンチンが戦火を交えたフォークランド紛争(マルビナス戦争)では、アメリカによる調停が行き詰まり、デクエヤル氏が外交交渉を重ねていた。
フォークランド諸島を国連の暫定統治下に置き、最終的解決を目指した氏の調停は九割九分成功していたが、軍事情勢の急変によって白紙に。しかし、氏は"自分が蒔いた種は、いつかきっと芽を出すにちがいない"と、悔しさをにじませることもなく、次の仕事に向かったという。
その一方で、氏は交渉の「時」を逃さなかった。
事務総長の退任期日である91年12月31日。氏は、エルサルバドル内戦の停止交渉に臨んでいた。
政府と左翼ゲリラの紛争による犠牲者は7万人を超えた。デクエヤル氏は双方と何度も話し合いを深めてきたが、氏が退任すれば合意が崩れかねない。
氏の執念が実を結んだのは、31日深夜。停戦の朗報は、"大みそかの置き土産""新年のプレゼント"として世界に伝えられた。
デクエヤル氏が事務総長を務めた10年間、国連は地道な外交努力を重ね、イラン・イラク戦争の終結、ソ連軍のアフガニスタン撤退、ナミビア独立、カンボジアの和平協定などを実現。
冷戦後の東西協調の流れとともに、国連中心の国際的協調・平和建設が時代の潮流となっていったのである。
◇
「国連支援は平和への私の信念です。これからも全力で貢献していく決意です」
かつて池田先生はデクエヤル氏に述べている。
国連支援は、第2代会長・戸田先生の遺言の一つでもあった。
地球民族主義を唱え、全人類の幸福を訴えた戸田先生は、国連に深い期待を寄せた。
「国連は、20世紀の英知の結晶である。この希望の砦を、次の世紀へ断じて守り抜き、大きく育てていかねばならない」
75年1月、SGI(創価学会インタナショナル)の発足と時を合わせ、学会は国連支援の活動を本格化させた。
学会青年部による「核廃絶1千万署名簿」を、池田先生がワルトハイム国連事務総長に提出。
82年6月、国連本部からスタートした"核の脅威展"は、旧ソ連や中国などの社会主義国を含む24カ国39都市で開催され、170万人が観賞した。
同年8月、事務総長として来日したデクエヤル氏と池田先生の初会見が迎賓館で行われている。
「それぞれの国が国連を支持し、平和に進みゆくことは当然ですが、民衆レベルにあっても、今までの何十倍もの努力で、新しい平和の波をつくっていかなければなりません」
池田先生の言葉にうなずきつつ、デクエヤル氏が語った。
「創価学会のような、強力な、素晴らしい宗教を基盤とした組織が国連に理解を寄せてくださっていることは、大きな国連の支持につながります」
以来、デクエヤル氏が来日するたびに会談は重ねられた。
「仏教思想の根本は平和にあり、仏教の精神が平和を愛する人々に強いインスピレーションを与えています」「創価学会の哲学、信念は国連の理念と相通じます」
デクエヤル氏の期待に、池田先生は「行動」で応えていった。
毎年の「SGIの日」記念提言には、国連中心の平和建設を展望し、具体的な構想を必ず盛り込んだ。「持続可能な開発のための教育の10年」の制定やクラスター爆弾の禁止条約採択など、現実に具体化した提言も数多い。
SGIの友は池田先生の提言を指針とし、国連の取り組みを支援するための展示会やシンポジウムを開催するなど、各国で市民の意識啓発に力を注いできた。
デクエヤル氏は、池田先生に繰り返し語っている。
「国連は各国政府や、SGIのように重要な民間団体に支えられているのです。戦争を終結させ、世界平和を実現するための私たちの活動は、そうした支援なくしては不可能です」「私がSGIの国連支援を評価するのは、具体的な行動をともなっていることに加えて、精神面での強い支援があるからです。その意味で、SGIは国連支援の模範であり、本当に頼もしい存在です」
ある時、氏は、国連のマークと自身のサインが入った文鎮を手に語った。
「人類の相互理解と平和のために貢献されている池田会長の机には、きっと、そのための、たくさんの書類が積まれていることでしょう。この文鎮は、その書類のためにと考えたものです」
各国の同志と池田先生の深き精神の連帯を、デクエヤル氏は見つめていたのかもしれない。
氏の限りない期待に応える創価の平和のスクラムが今、千波万波と広がっている。
ハビエル・ペレス・デクエヤル 1920年、ペルーのリマ生まれ。40年、外務省に入省し、駐スイス大使、ソ連大使、国連大使、安全保障理事会議長等を歴任した。国連事務次長を経て、82年に第5代国連事務総長に就任。91年まで2期にわたって務めた。この間、フォークランド紛争やイラン・イラク戦争の調停、イラクのクウェート侵攻に伴う湾岸危機の平和的解決に奔走。その後、ペルーの首相兼外相(2000年11月〜2001年7月)等を務めた。
2017年7月12日水曜日
2017.07.12 わが友に贈る
熱中症に注意!
小まめな水分・塩分補給
賢明な室温調整で
体調管理を万全に。
健康第一の日々を!
妙密上人御消息 P1239
『此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中(うち)国ごと人ごとに弘むべし』
☆女性に贈ることば 七月十二日
若き日の誓いを、生涯、貫ける人は偉大である。幸福である。
☆今日のことば365 七月十二日
民主主義社会は、人々に自由と、平和を約束してくれます。しかし、民主主義社会をささえるためには、人々は社会に、責任をまっとうすることを約束しなければなりません。この両方の約束の実行のうえに、民主主義は、ゆるぎない社会を形成していくのです。
☆新時代を進む 第13回 勇気の言論で平和と幸福を 2017年7月7日
全同志の祈りと団結で勝ち開いた「立正安国」の凱歌こそ、牧口先生と戸田先生への何よりの報恩であろう。
7月6日は、両先生が、戦時中の法難で、軍部政府に逮捕された日である(昭和18年)。
74星霜を刻んだこの日、私は総本部の恩師記念会館で、殉難の師父の「不惜身命」「死身弘法」の崇高なる精神を偲び、勤行・唱題を行った。
そして九州の記録的豪雨をはじめ中国地方、西日本の大雨に際し、少しでも被害が食い止められるよう、住民の方々が厳然と守られるようにと強盛に題目を送らせていただいた。心よりお見舞い申し上げます。
— ◇ —
総本部では、「創価学会 世界聖教会館」の起工式が行われた。明後年の秋の完成へ、尽力してくださる関係の方々に、心から御礼申し上げ、工事の無事故の進捗を祈りたい。
恩師は聖教新聞を世界中の人に読ませたいと願われた。この心を体し、わが宝友は奔走してくれている。
北海道では、夕張大会の60周年を、目覚ましい聖教の拡大で飾ってくれた。
全国の「無冠の友」の尊き奮闘に感謝は尽きない。世界聖教会館には「配達員顕彰室」も設けられる。
また、新聞長、通信員をはじめ、聖教を支えてくれる全ての方々が誇りにできる平和と正義の新・言論城としたい。世界へ人間主義の大光を放ちゆくのだ。
仏法では、理想の指導者・転輪聖王の武器を「輪宝(車輪をかたどった宝器)」という。
日蓮大聖人は、「輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり」(御書733ページ)と仰せである。
妙法を根本に、信念と誠実の対話で、悪や虚偽を打ち破りながら、友の心に仏縁を結び、幸の種を蒔く。この言論の大回転こそ、楽土を創りゆく希望の力なのだ。
— ◇ —
7月は「師弟」の月であり、男女青年部の結成の月だ。関西の月であり、東北、中部、さらに九州の月でもある。
立正安国論の提出の日16日は、「沖縄原点の日」だ。「世界最初の広宣流布の地帯」に不屈の凱歌あれ!と思いを馳せつつ、私は大好きな「沖縄健児の歌」を口ずさんでいる。
立正安国の対話の精神は「言わずんばある可からず(=言わずにはおれない)」(同17ページ)である。
新たな建設の槌音とともに、勇気の言論で平和と幸福を広げゆこう!
☆7月度座談会拝読御書 乙御前御消息 2017年7月4日
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)8月、身延で認められ、乙御前の母(日妙聖人)に送られたお手紙です。本抄末尾に「乙御前へ」と記されているので、「乙御前御消息」と呼ばれています。
乙御前の母は、鎌倉在住の女性門下で、夫と離別していました。しかし、乙御前という幼い娘を育てながら、竜の口の法難・佐渡流罪の渦中にも、純粋な信心を貫いたのです。
本抄御執筆の前年10月には蒙古の襲来(文永の役)が起きました。さらに本抄御執筆の年の4月には蒙古の使者が再び訪れるなど、世情は騒然としていました。そうした中、乙御前の母は変わらぬ求道の一念を貫き、身延の大聖人をお訪ねしたのです。
蒙古の再びの襲来が懸念され、世情が乱れる中で認められた本抄は、いよいよ強盛に信心に励むことを呼び掛けています。
◇拝読御文
『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』
◇「志をかさぬれば」
拝読御文は「従藍而青」の例えを通して、ますますの求道の心で信心に励んでいくことを教えられています。
「従藍而青」は、古代中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍よりも青し」との言葉に由来します。「従藍而青」を、日蓮大聖人は本抄で信心の修行を重ねていく例えとして用いられています。
藍は、青色を出すための染料になる植物であり、その葉は緑色です。この葉から採れる染料に、布や糸を漬けて染める作業を重ねていくと、鮮やかな青に染まります。
大聖人は「上野殿後家尼御返事」でも、「従藍而青」に触れられています。ここでは、「法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(御書1505ページ)と示されています。
これらの比喩では、成仏の原理が説かれている法華経を、藍に例えられています。さらに、修行の深まりは、藍から採った染料に何度も染められた布や糸が、ますます青くなるようなものであるとされています。
法華経の法門を聞いて信心を深め、修行に励んでいくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯となるのです。
本抄を頂いた乙御前の母は、これまでも強盛な信心に励んできた門下です。その乙御前の母に、ますます信心を奮い起こしていくよう大聖人が教えられているのは、仏法の修行にあっては、"今から、これから"という求道の心で前進することが、常に肝要となるからにほかなりません。
御聖訓にある通り、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益も現れてくることは間違いありません。
◇後継の人材を育む
「従藍而青」の言葉のそもそもの意味は、"教えを受けた人が教えた人より優れること"です。
南条時光に与えられた「上野殿御返事」(御書1554ページ)で、日蓮大聖人は「従藍而青」を"後継者の成長"の例えとして用いられています。
時光の父・南条兵衛七郎は、日蓮大聖人に帰依してほどなく亡くなりました。時光が7歳の時です。それから14年後、時光が父の後を継いで立派に成長し、見事な信心に励んでいる姿を喜ばれた大聖人は、次のように時光をたたえられました。
「亡くなられた上野殿(兵衛七郎)こそ、情けに厚い人と言われていたが、(南条時光は)そのご子息であるから、父のすぐれた素質を受け継がれたのであろう。青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆している。ありがたいことである。ありがたいことである」(同ページ、通解)
ここでは、父・兵衛七郎を「藍」に、時光を「青」に例えられています。
時光は、熱原の法難の際にも、信心根本に難に勇敢に立ち向かい、師弟の道を歩み通しました。
"後輩を自分以上の立派な人材に育てていこう"——これが、創価学会の人材育成の伝統です。慈愛と真心の関わりで後継の人材を育むことが、確かな広布の未来を約束するのです。
◇日妙聖人
日蓮大聖人が佐渡流罪に処せられていた渦中、乙御前の母は、やむにやまれぬ思いから大聖人のもとを訪れました。大聖人は、こうしたけなげな信心をたたえて、佐渡の地から乙御前の母にお手紙を送られています。
その中で大聖人は「いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を」(御書1216ページ)と仰せになっています。
乙御前の母の求道の振る舞いが、過去のいかなる行者にも劣らぬ立派なものであると称賛されているのです。
さらに大聖人は、「日本第一の法華経の行者の女人なり」(同1217ページ)と述べられ、「日妙聖人」という称号まで贈られています。
乙御前の母の尊い求道心については、今回拝読する「乙御前御消息」の中でも、「かつて佐渡まで自らはるばる来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことでした。そのうえ、このたびの身延への訪れは何とも申し述べようがありません」(同1220ページ、趣旨)と絶賛されています。
また本抄末尾では「何かあったら私のところへ、いつでもいらっしゃい」(同1222ページ、趣旨)と、限りない慈愛で母子を包み込まれています。
乙御前の母の求道の姿勢を通し、どんな時にも師匠を求めていく「師弟不二の信心」を心に刻みましょう。
◇池田先生の指針から "持続の信心"で崩れざる境涯を
信心は、社会と人生の荒波を乗り越えるための羅針盤です。
濁世を生きるのであればなおさらのこと、悪縁に紛動されるのではなく、信心を自身の生命と生活の中心軸に据えていくことが肝要となります。(中略)
大聖人は、「いよいよ強盛の御志あるべし」と仰せです。信心があれば、いかなる逆境もはね返すことができる。だからこそ、一層、強盛な信心に立つことが勝利への究極の源泉となるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◆ ◇
「いよいよ強盛」の信心があれば、「色まさり利生もある」とあるように、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます明瞭に現れてくるのです。
いよいよ強盛の信心を重ねることによって、私たちの生命に、金剛不壊の仏界の生命が顕現するからです。(中略)
信心の志を重ねることによって、無常のわが生命が何ものにも崩れざる常楽我浄の永遠の宝によって荘厳されるのです。その大境涯を確立するために、志を重ねることが重要となるのです。「志をかさぬれば」とは、信心の持続です。すなわち、何があってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、わが生命を錬磨していくことです。
同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起こすことによって、功徳はいやまして大きくなり、境涯はいやまして広く、豊かになる。
このことは、現実に皆さんが実感し、実証しているとおりです。
ゆえに御書では「いやましての信心」を強く奨励されている。
例えば、四条金吾に対して「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)、「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192ページ)と仰せです。また、窪尼御前にも「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(同1478ページ)、上野尼御前にも「いよいよ信心をいたさせ給へ」(同1505ページ)と励まされています。
このように信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるということです。(同)
◇参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻(聖教新聞社)
小まめな水分・塩分補給
賢明な室温調整で
体調管理を万全に。
健康第一の日々を!
妙密上人御消息 P1239
『此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中(うち)国ごと人ごとに弘むべし』
☆女性に贈ることば 七月十二日
若き日の誓いを、生涯、貫ける人は偉大である。幸福である。
☆今日のことば365 七月十二日
民主主義社会は、人々に自由と、平和を約束してくれます。しかし、民主主義社会をささえるためには、人々は社会に、責任をまっとうすることを約束しなければなりません。この両方の約束の実行のうえに、民主主義は、ゆるぎない社会を形成していくのです。
☆新時代を進む 第13回 勇気の言論で平和と幸福を 2017年7月7日
全同志の祈りと団結で勝ち開いた「立正安国」の凱歌こそ、牧口先生と戸田先生への何よりの報恩であろう。
7月6日は、両先生が、戦時中の法難で、軍部政府に逮捕された日である(昭和18年)。
74星霜を刻んだこの日、私は総本部の恩師記念会館で、殉難の師父の「不惜身命」「死身弘法」の崇高なる精神を偲び、勤行・唱題を行った。
そして九州の記録的豪雨をはじめ中国地方、西日本の大雨に際し、少しでも被害が食い止められるよう、住民の方々が厳然と守られるようにと強盛に題目を送らせていただいた。心よりお見舞い申し上げます。
— ◇ —
総本部では、「創価学会 世界聖教会館」の起工式が行われた。明後年の秋の完成へ、尽力してくださる関係の方々に、心から御礼申し上げ、工事の無事故の進捗を祈りたい。
恩師は聖教新聞を世界中の人に読ませたいと願われた。この心を体し、わが宝友は奔走してくれている。
北海道では、夕張大会の60周年を、目覚ましい聖教の拡大で飾ってくれた。
全国の「無冠の友」の尊き奮闘に感謝は尽きない。世界聖教会館には「配達員顕彰室」も設けられる。
また、新聞長、通信員をはじめ、聖教を支えてくれる全ての方々が誇りにできる平和と正義の新・言論城としたい。世界へ人間主義の大光を放ちゆくのだ。
仏法では、理想の指導者・転輪聖王の武器を「輪宝(車輪をかたどった宝器)」という。
日蓮大聖人は、「輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり」(御書733ページ)と仰せである。
妙法を根本に、信念と誠実の対話で、悪や虚偽を打ち破りながら、友の心に仏縁を結び、幸の種を蒔く。この言論の大回転こそ、楽土を創りゆく希望の力なのだ。
— ◇ —
7月は「師弟」の月であり、男女青年部の結成の月だ。関西の月であり、東北、中部、さらに九州の月でもある。
立正安国論の提出の日16日は、「沖縄原点の日」だ。「世界最初の広宣流布の地帯」に不屈の凱歌あれ!と思いを馳せつつ、私は大好きな「沖縄健児の歌」を口ずさんでいる。
立正安国の対話の精神は「言わずんばある可からず(=言わずにはおれない)」(同17ページ)である。
新たな建設の槌音とともに、勇気の言論で平和と幸福を広げゆこう!
☆7月度座談会拝読御書 乙御前御消息 2017年7月4日
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)8月、身延で認められ、乙御前の母(日妙聖人)に送られたお手紙です。本抄末尾に「乙御前へ」と記されているので、「乙御前御消息」と呼ばれています。
乙御前の母は、鎌倉在住の女性門下で、夫と離別していました。しかし、乙御前という幼い娘を育てながら、竜の口の法難・佐渡流罪の渦中にも、純粋な信心を貫いたのです。
本抄御執筆の前年10月には蒙古の襲来(文永の役)が起きました。さらに本抄御執筆の年の4月には蒙古の使者が再び訪れるなど、世情は騒然としていました。そうした中、乙御前の母は変わらぬ求道の一念を貫き、身延の大聖人をお訪ねしたのです。
蒙古の再びの襲来が懸念され、世情が乱れる中で認められた本抄は、いよいよ強盛に信心に励むことを呼び掛けています。
◇拝読御文
『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』
◇「志をかさぬれば」
拝読御文は「従藍而青」の例えを通して、ますますの求道の心で信心に励んでいくことを教えられています。
「従藍而青」は、古代中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍よりも青し」との言葉に由来します。「従藍而青」を、日蓮大聖人は本抄で信心の修行を重ねていく例えとして用いられています。
藍は、青色を出すための染料になる植物であり、その葉は緑色です。この葉から採れる染料に、布や糸を漬けて染める作業を重ねていくと、鮮やかな青に染まります。
大聖人は「上野殿後家尼御返事」でも、「従藍而青」に触れられています。ここでは、「法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(御書1505ページ)と示されています。
これらの比喩では、成仏の原理が説かれている法華経を、藍に例えられています。さらに、修行の深まりは、藍から採った染料に何度も染められた布や糸が、ますます青くなるようなものであるとされています。
法華経の法門を聞いて信心を深め、修行に励んでいくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯となるのです。
本抄を頂いた乙御前の母は、これまでも強盛な信心に励んできた門下です。その乙御前の母に、ますます信心を奮い起こしていくよう大聖人が教えられているのは、仏法の修行にあっては、"今から、これから"という求道の心で前進することが、常に肝要となるからにほかなりません。
御聖訓にある通り、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益も現れてくることは間違いありません。
◇後継の人材を育む
「従藍而青」の言葉のそもそもの意味は、"教えを受けた人が教えた人より優れること"です。
南条時光に与えられた「上野殿御返事」(御書1554ページ)で、日蓮大聖人は「従藍而青」を"後継者の成長"の例えとして用いられています。
時光の父・南条兵衛七郎は、日蓮大聖人に帰依してほどなく亡くなりました。時光が7歳の時です。それから14年後、時光が父の後を継いで立派に成長し、見事な信心に励んでいる姿を喜ばれた大聖人は、次のように時光をたたえられました。
「亡くなられた上野殿(兵衛七郎)こそ、情けに厚い人と言われていたが、(南条時光は)そのご子息であるから、父のすぐれた素質を受け継がれたのであろう。青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆している。ありがたいことである。ありがたいことである」(同ページ、通解)
ここでは、父・兵衛七郎を「藍」に、時光を「青」に例えられています。
時光は、熱原の法難の際にも、信心根本に難に勇敢に立ち向かい、師弟の道を歩み通しました。
"後輩を自分以上の立派な人材に育てていこう"——これが、創価学会の人材育成の伝統です。慈愛と真心の関わりで後継の人材を育むことが、確かな広布の未来を約束するのです。
◇日妙聖人
日蓮大聖人が佐渡流罪に処せられていた渦中、乙御前の母は、やむにやまれぬ思いから大聖人のもとを訪れました。大聖人は、こうしたけなげな信心をたたえて、佐渡の地から乙御前の母にお手紙を送られています。
その中で大聖人は「いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を」(御書1216ページ)と仰せになっています。
乙御前の母の求道の振る舞いが、過去のいかなる行者にも劣らぬ立派なものであると称賛されているのです。
さらに大聖人は、「日本第一の法華経の行者の女人なり」(同1217ページ)と述べられ、「日妙聖人」という称号まで贈られています。
乙御前の母の尊い求道心については、今回拝読する「乙御前御消息」の中でも、「かつて佐渡まで自らはるばる来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことでした。そのうえ、このたびの身延への訪れは何とも申し述べようがありません」(同1220ページ、趣旨)と絶賛されています。
また本抄末尾では「何かあったら私のところへ、いつでもいらっしゃい」(同1222ページ、趣旨)と、限りない慈愛で母子を包み込まれています。
乙御前の母の求道の姿勢を通し、どんな時にも師匠を求めていく「師弟不二の信心」を心に刻みましょう。
◇池田先生の指針から "持続の信心"で崩れざる境涯を
信心は、社会と人生の荒波を乗り越えるための羅針盤です。
濁世を生きるのであればなおさらのこと、悪縁に紛動されるのではなく、信心を自身の生命と生活の中心軸に据えていくことが肝要となります。(中略)
大聖人は、「いよいよ強盛の御志あるべし」と仰せです。信心があれば、いかなる逆境もはね返すことができる。だからこそ、一層、強盛な信心に立つことが勝利への究極の源泉となるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◆ ◇
「いよいよ強盛」の信心があれば、「色まさり利生もある」とあるように、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます明瞭に現れてくるのです。
いよいよ強盛の信心を重ねることによって、私たちの生命に、金剛不壊の仏界の生命が顕現するからです。(中略)
信心の志を重ねることによって、無常のわが生命が何ものにも崩れざる常楽我浄の永遠の宝によって荘厳されるのです。その大境涯を確立するために、志を重ねることが重要となるのです。「志をかさぬれば」とは、信心の持続です。すなわち、何があってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、わが生命を錬磨していくことです。
同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起こすことによって、功徳はいやまして大きくなり、境涯はいやまして広く、豊かになる。
このことは、現実に皆さんが実感し、実証しているとおりです。
ゆえに御書では「いやましての信心」を強く奨励されている。
例えば、四条金吾に対して「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)、「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192ページ)と仰せです。また、窪尼御前にも「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(同1478ページ)、上野尼御前にも「いよいよ信心をいたさせ給へ」(同1505ページ)と励まされています。
このように信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるということです。(同)
◇参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻(聖教新聞社)
2017年7月11日火曜日
2017.07.11 わが友に贈る
地域を大切に!
友好の絆を強めるのは
清々しいあいさつだ。
さわやかな振る舞いで
周囲に希望の涼風を!
四条金吾殿御返事 P1165
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり』
☆女性に贈ることば 七月十一日
自分は、自分自身の使命を帯びて生まれてきた。
それを、人のうわべの姿だけを見て、人と自分を比べ、あの人は幸福そうで、私は貧しいと比較する。それは、最も愚かなことだ。
☆今日のことば365 七月十一日
青年たちの純真な心は、邪悪との対決に燃えていたのである。青年の心は、けっして卑劣な妥協を許さぬものだ。そこに、青春の崇高さがあるといえよう。
☆世界広布新時代第26回本部幹部会への池田先生のメッセージ
◇創価という人類の希望の旗を信ずる青年たちに託す
一、はじめに、九州での記録的豪雨の被災に心からお見舞い申し上げます。一日も早い終息と、愛する九州家族の無事安穏を、強盛に祈ります。被災なされた方々も、必ず変毒為薬していただけるようにと、題目を送っております。
一、海外のリーダーの皆さん方、本当にようこそお越しくださいました。冬の南米からいらした皆さんは、20度も温度差があると伺っています。
深い志で来日された、尊き求道の宝の友を「当に仏を敬うが如く」歓迎したいのであります。本当にありがとう!(大拍手)
◇「仏の仕事」を果たす尊き存在
一、大東京、さらに日本全国、そして全世界の創価家族と共々に、互いの健闘を讃え合い、万歳を叫びゆく凱歌の本部幹部会、誠におめでとう!(大拍手)
御本仏・日蓮大聖人が、いかばかり讃えてくださっているでしょうか。
功労の門下への御聖訓には、「日蓮の道を助けようとして、上行菩薩があなたの御身に入りかわられたのであろうか。または、教主釈尊の御計らいであろうか」(御書1163ページ、通解)と仰せであられる。
「日蓮の道」、すなわち広宣流布のため、立正安国のため、誰に何と言われようとも、労苦を厭わず、声を惜しまず、力を合わせて邁進する学会員ほど、不思議な、偉大な存在は、ありません。
まぎれもなく、創価の友は一人一人が「地涌の菩薩」そのものであり、「仏事」まさしく「仏の仕事」を果たしているのであります。
戸田先生は、猛暑の中、汗を流して学会活動に励む同志の姿に涙されながら言われた。「これほど気高い姿が、いったい、どこにあろうか。この方々がいるからこそ、広宣流布は進むのだ。大作、この尊き方々を、どこまでも守り抜いてくれ!」と。
なかんずく、年配の先輩方、多宝会・宝寿会・錦宝会の方々が、どれほど祈り、どれほど尽くされていることか。
ここで創価の誉れの父母たちに、最大の感謝と尊敬を込め、また益々の健康長寿を祈りつつ、大拍手を送りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
◇女性門下への手紙
一、大聖人は、佐渡流罪の大難で、臆病な弟子たちの心が揺れ動く中、けなげに不退転の信心を貫いている無名の女性門下へお手紙を送られ、「言葉に尽くせないほど立派です」(同1224ページ、通解)と讃嘆なされています。
文字が読めない、この女性のために、大聖人が、わざわざ、別の弟子に読み聞かせを託された、お手紙です。
そこには、広宣流布、立正安国とは、いかなる戦いであるかが記されている。それは、法華経の行者と第六天の魔王が、現実の娑婆世界の真っただ中で「とられじ・うばはんと・あらそう」(同ページ)ことなりと仰せであります。
社会を攪乱し、民衆を不幸に陥れようとする、あらゆる魔軍の働きに、仏の陣列が真っ向から挑み、断じて勝ち抜き、平和と幸福の楽土を開くことこそが、広宣流布であり、立正安国なのであります。
大聖人は、この熾烈な大闘争を起こされて、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同ページ)と言い切られている。
思えば、昭和32年(1957年)、夕張炭労事件、大阪事件等々、三類の強敵が競い起こる中、私は戸田先生に申し上げた。「いつの日か、何ものにも負けず、世間を"あっ"と言わせるような戦いを、必ずいたします」と。
以来60年、異体同心の団結で勝ち取った凱歌を、私たちは胸を張って、戸田先生、そして牧口先生に、ご報告しようではありませんか!(大拍手)
◇ダイヤモンドの生命を磨きゆけ
一、「一度もしりぞく心なし」(同ページ)——この不退の勇気を、日本中、世界中の青年が受け継ぎ、広布の連続闘争を通して立派に成長してくれている。こんな嬉しいことはない。男女青年部の結成66周年、おめでとう!(大拍手)
また、本日(7月8日)、記念の日を迎えた清々しい白蓮グループの皆さん、いつもありがとう!(大拍手)
きょうは、凜々しき未来部の見事な合唱と演奏、本当にありがとう!(大拍手)
ダイヤモンドは、どこにあってもダイヤモンドだ。試練があるほど、輝きを増す。学会っ子は、一人ももれなくダイヤモンドの生命である。何があっても題目を忘れず、学び鍛え、正義の走者の光を放っていただきたい。
戦後、一人立たれた戸田先生が「旗持つ若人 何処にか」と願われた一念は、私をはじめとする後継の青年を呼びいだしてくださった。そして、世界広布の大発展の時を迎えた今、私たちの祈りと励ましに応えて、地涌の若人がいよいよ澎湃と躍り出てこないわけがない。
創価という、人類の平和の旗を、希望の旗を、勝利の旗を、信ずる青年たちに託しゆこうではないか!
一、終わりに、
天晴れて
地明らかなり
乱世にも
創価の太陽
勝ち光りゆけ
と一首を捧げ、私のメッセージといたします。
どうか、いずこも仲良く朗らかに、幸福和楽の前進を!
わが宝の同志に、無量無辺の福徳あれ!(大拍手)
友好の絆を強めるのは
清々しいあいさつだ。
さわやかな振る舞いで
周囲に希望の涼風を!
四条金吾殿御返事 P1165
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり』
☆女性に贈ることば 七月十一日
自分は、自分自身の使命を帯びて生まれてきた。
それを、人のうわべの姿だけを見て、人と自分を比べ、あの人は幸福そうで、私は貧しいと比較する。それは、最も愚かなことだ。
☆今日のことば365 七月十一日
青年たちの純真な心は、邪悪との対決に燃えていたのである。青年の心は、けっして卑劣な妥協を許さぬものだ。そこに、青春の崇高さがあるといえよう。
☆世界広布新時代第26回本部幹部会への池田先生のメッセージ
◇創価という人類の希望の旗を信ずる青年たちに託す
一、はじめに、九州での記録的豪雨の被災に心からお見舞い申し上げます。一日も早い終息と、愛する九州家族の無事安穏を、強盛に祈ります。被災なされた方々も、必ず変毒為薬していただけるようにと、題目を送っております。
一、海外のリーダーの皆さん方、本当にようこそお越しくださいました。冬の南米からいらした皆さんは、20度も温度差があると伺っています。
深い志で来日された、尊き求道の宝の友を「当に仏を敬うが如く」歓迎したいのであります。本当にありがとう!(大拍手)
◇「仏の仕事」を果たす尊き存在
一、大東京、さらに日本全国、そして全世界の創価家族と共々に、互いの健闘を讃え合い、万歳を叫びゆく凱歌の本部幹部会、誠におめでとう!(大拍手)
御本仏・日蓮大聖人が、いかばかり讃えてくださっているでしょうか。
功労の門下への御聖訓には、「日蓮の道を助けようとして、上行菩薩があなたの御身に入りかわられたのであろうか。または、教主釈尊の御計らいであろうか」(御書1163ページ、通解)と仰せであられる。
「日蓮の道」、すなわち広宣流布のため、立正安国のため、誰に何と言われようとも、労苦を厭わず、声を惜しまず、力を合わせて邁進する学会員ほど、不思議な、偉大な存在は、ありません。
まぎれもなく、創価の友は一人一人が「地涌の菩薩」そのものであり、「仏事」まさしく「仏の仕事」を果たしているのであります。
戸田先生は、猛暑の中、汗を流して学会活動に励む同志の姿に涙されながら言われた。「これほど気高い姿が、いったい、どこにあろうか。この方々がいるからこそ、広宣流布は進むのだ。大作、この尊き方々を、どこまでも守り抜いてくれ!」と。
なかんずく、年配の先輩方、多宝会・宝寿会・錦宝会の方々が、どれほど祈り、どれほど尽くされていることか。
ここで創価の誉れの父母たちに、最大の感謝と尊敬を込め、また益々の健康長寿を祈りつつ、大拍手を送りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
◇女性門下への手紙
一、大聖人は、佐渡流罪の大難で、臆病な弟子たちの心が揺れ動く中、けなげに不退転の信心を貫いている無名の女性門下へお手紙を送られ、「言葉に尽くせないほど立派です」(同1224ページ、通解)と讃嘆なされています。
文字が読めない、この女性のために、大聖人が、わざわざ、別の弟子に読み聞かせを託された、お手紙です。
そこには、広宣流布、立正安国とは、いかなる戦いであるかが記されている。それは、法華経の行者と第六天の魔王が、現実の娑婆世界の真っただ中で「とられじ・うばはんと・あらそう」(同ページ)ことなりと仰せであります。
社会を攪乱し、民衆を不幸に陥れようとする、あらゆる魔軍の働きに、仏の陣列が真っ向から挑み、断じて勝ち抜き、平和と幸福の楽土を開くことこそが、広宣流布であり、立正安国なのであります。
大聖人は、この熾烈な大闘争を起こされて、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同ページ)と言い切られている。
思えば、昭和32年(1957年)、夕張炭労事件、大阪事件等々、三類の強敵が競い起こる中、私は戸田先生に申し上げた。「いつの日か、何ものにも負けず、世間を"あっ"と言わせるような戦いを、必ずいたします」と。
以来60年、異体同心の団結で勝ち取った凱歌を、私たちは胸を張って、戸田先生、そして牧口先生に、ご報告しようではありませんか!(大拍手)
◇ダイヤモンドの生命を磨きゆけ
一、「一度もしりぞく心なし」(同ページ)——この不退の勇気を、日本中、世界中の青年が受け継ぎ、広布の連続闘争を通して立派に成長してくれている。こんな嬉しいことはない。男女青年部の結成66周年、おめでとう!(大拍手)
また、本日(7月8日)、記念の日を迎えた清々しい白蓮グループの皆さん、いつもありがとう!(大拍手)
きょうは、凜々しき未来部の見事な合唱と演奏、本当にありがとう!(大拍手)
ダイヤモンドは、どこにあってもダイヤモンドだ。試練があるほど、輝きを増す。学会っ子は、一人ももれなくダイヤモンドの生命である。何があっても題目を忘れず、学び鍛え、正義の走者の光を放っていただきたい。
戦後、一人立たれた戸田先生が「旗持つ若人 何処にか」と願われた一念は、私をはじめとする後継の青年を呼びいだしてくださった。そして、世界広布の大発展の時を迎えた今、私たちの祈りと励ましに応えて、地涌の若人がいよいよ澎湃と躍り出てこないわけがない。
創価という、人類の平和の旗を、希望の旗を、勝利の旗を、信ずる青年たちに託しゆこうではないか!
一、終わりに、
天晴れて
地明らかなり
乱世にも
創価の太陽
勝ち光りゆけ
と一首を捧げ、私のメッセージといたします。
どうか、いずこも仲良く朗らかに、幸福和楽の前進を!
わが宝の同志に、無量無辺の福徳あれ!(大拍手)
2017年7月10日月曜日
2017.07.10 わが友に贈る
◇今週のことば
光の未来部は
「法華経の命を継ぐ人」
全員がダイヤモンドだ。
真心の励ましの声で
宝の命を輝かせよう!
2017年7月10日
四条金吾御書 P1176
『かへらむには第一心にふかきえうじん(用心)あるべし、ここをばかならずかたきのうかがうところなり』
☆女性に贈ることば 七月十日
自らが決めた道を歩めること自体、幸福なのである。ゆえに、健康な時に労を惜しまず、働くことである。努力することである。前進することである。
☆女性に贈ることば 七月十日
私は バラ色の人生を欲しない
真の頂上という人間の限界に
挑戦しゆくところに
処女峰が見いだせることを
知ったからだ
☆世界写真紀行 第16回 オランダの風車 2017年6月15日
◇一日一日、勝利の旗を
ゆるやかな流れに沿って点在する風車。大小の水路に潤された草地が、陽光を浴びて黄金色に輝いている。まるで"おとぎの世界"のようだ。
オランダの首都アムステルダム近郊。
のどかな風景とは対照的に、同国の歴史は絶えざる「水との戦い」だった。
正式な国名は「低地の国」を意味する「ネーデルラント王国」。面積は日本の九州ほどだが、その4分の1は海面より低いため、常に水害の危険にさらされてきた。
15世紀に最初の風車が建造され、国土を広げるため、湖の干拓が始まる。堤防を築いて水を閉じ込め、風車の力で水を堤防の外へくみ出すのだ。16・17世紀には至る所に風車が立ち、大きな湖の干拓が次々と進められた。
こうして、しばしば大洪水に見舞われながらも、商業をはじめ、農業・工業の発展によってオランダは黄金時代を迎えるのである。
池田先生は、オランダの干拓の歴史に触れ、次のように述べている。
「オランダの人たちは、人間の知恵と努力への信頼度が高い気がする。簡単に『しかたがない』とは、あきらめないのだ」
オランダの美しい大地には、不撓不屈の精神が息づいているのである。
1967年5月、先生がオランダを訪れた。61年に続き、2度目の訪問だった。
当時の同国のメンバーは、わずか5人。しかし先生は、未来の大発展を展望して、支部を結成する。
この時の模様が、小説『新・人間革命』第12巻「新緑」の章につづられている。
友を宿舎に招き、近況に耳を傾ける山本伸一会長。
仕事を失ったという青年には、力強く励ました後、こう語り掛けた。
「人生の戦いというのは"もうだめだ"と思ったところから、どう立ち上がっていくかにある。そこから、本当の勝利への飛翔が始まるんだ」
また伸一は、リーダーの団結の重要性を確認した上で、拡大の要諦に言及する。
「広布の戦いは持続です。苦労に苦労を重ねて、あと一歩というところまで来ても、気が緩み、手を抜けば、そこから崩れてしまう」
「決して油断したり、あきらめたりするのではなく、闘魂を、情熱を、いや増して燃え上がらせ、一つ、また一つと、着実に勝利の旗を打ち立てていくことです」
油断せず、そして諦めず。一つ一つ、着実に——師の指針は、「水との戦い」を繰り返してきたオランダの友の胸に強く響いたに違いない。
以来、友は新たな広布拡大への挑戦を開始。団結第一で、一人また一人と粘り強く対話を重ね、地域に友情と信頼を広げた。83年には、ルベルス首相(当時)と池田先生の会見が実現した。
支部結成から本年で50周年。現在、オランダSGIは、5方面37支部に発展。社会に平和と人間主義の光を発信している。
広宣流布は、永遠に仏と魔との激しい戦いである。どんなに努力を重ねてきても、"何とかなるだろう""たぶん大丈夫"などという心の緩みがあれば、一気に崩れてしまいかねない。
何があろうと前進をやめないことだ。強盛な祈りを根本に、一日一日、知恵を絞り、仏縁の拡大に全力を挙げる。そして一日一日、勝利の旗を厳然と打ち立てていく——。その着実な積み重ねが、偉大な栄光の扉を開く。
☆世界写真紀行 第17回 ヒマラヤ山脈 2017年6月30日
◇執念と団結で最高峰へ
白雪を冠した鋭い峰々。近づく者を拒絶するかのような荒々しい山肌。堂々たる王者の風格である。
世界の屋根・ヒマラヤ。
西はインダス川から、東はブラマプトラ川まで東西2400キロに及び、中国・ブータン・ネパール・インド・パキスタンにまたがる大山脈。世界最高峰のエベレストをはじめ、8000メートルを超える山が10以上も連なる。
「ヒマラヤ」の名は、サンスクリット語のヒマ(雪)とアーラヤ(蔵。音写は阿頼耶)が結合したものといわれる。仏典や御書に見られる「雪山」という言葉も、このヒマラヤを指す。古来、人々は深い畏敬の念をもって、この山々を仰いできた。
1979年2月、池田先生は飛行機の中から、ヒマラヤを見つめた。山頂は雲海を突き抜け、王者の冠のように、美しい光を放っていた。
先生はその時の印象を、詩に謳っている。
「烈風吹けども微動だにせず/極寒の吹雪も避けることはない/毅然として堂々/高く高く屹立するその勇姿/万人を魅了してやまぬ気高さに/かつて何人の登山家が/その高峰をきわめんと/挑戦を重ねたことか」——。
人類がエベレストを制覇したのは53年5月29日。イギリス登山隊に参加したヒラリーとシェルパ(案内人)のテンジンが初登頂に成功した。
零下20度を超える寒さ。風速40メートルの強風。酸素濃度は地上の3分の1しかない。
ヒラリーは、ヒマラヤを見上げた時の心境を、後に記している。
「とても登れないよ、と頂上はいう……。不可能? 人間の精神にとって不可能なのか? そこで戦いはまじえられるのだ」(白川義員著『ヒマラヤ』小学館刊所収のヒラリー卿の特別寄稿から)
それでも登山隊は、敢然と山頂を目指した。そして人類の歴史に燦然と輝く、新たな一ページを刻んだのである。
池田先生は、イギリス隊の登頂成功の要因について、次のように語っている。
第一に、早くからの準備に徹したこと。第二に、先入観を捨て、先人が避けた険しいコースを、あえて選んだこと。
さらに、こう強調した。
「『頂上を必ず極めて見せる』との中心者の断固たる執念が、一貫して隊員を支えた。一念三千である。リーダーの『断じて登ってみせる!』との強い精神が、隊員の心に『勇気の炎』をともし続けたのである」「何よりも大きな勝因は『チームワークの良さ』にあった。仲が良かった。がっちり連携が取れていた」
リーダーの不屈の一念と、互いを守り合う団結の力によって、未聞の偉業は可能になったのである。
人生にも、また広宣流布の途上にも、越えなければならない山がある。
登攀の道は険しいかもしれない。"これは無理だ"と思うような難所もあろう。さらに頂上を目前にしたときほど、精神的にも肉体的にも最も苦しいに違いない。
しかし、それは最高峰に挑む人だけが味わうことのできる、誇り高い苦しみなのだ。
その時こそ、リーダーは断固たる執念で勇気の師子吼を響かせ、皆を鼓舞するのである。使命の同志と明るく励まし合いながら、再び勝利へと立ち上がるのである。
途中で歩みを止めてしまえば、頂上からの景色は望めない。何があろうと前進し続ける人に、創価の凱歌の頂が待っている。
光の未来部は
「法華経の命を継ぐ人」
全員がダイヤモンドだ。
真心の励ましの声で
宝の命を輝かせよう!
2017年7月10日
四条金吾御書 P1176
『かへらむには第一心にふかきえうじん(用心)あるべし、ここをばかならずかたきのうかがうところなり』
☆女性に贈ることば 七月十日
自らが決めた道を歩めること自体、幸福なのである。ゆえに、健康な時に労を惜しまず、働くことである。努力することである。前進することである。
☆女性に贈ることば 七月十日
私は バラ色の人生を欲しない
真の頂上という人間の限界に
挑戦しゆくところに
処女峰が見いだせることを
知ったからだ
☆世界写真紀行 第16回 オランダの風車 2017年6月15日
◇一日一日、勝利の旗を
ゆるやかな流れに沿って点在する風車。大小の水路に潤された草地が、陽光を浴びて黄金色に輝いている。まるで"おとぎの世界"のようだ。
オランダの首都アムステルダム近郊。
のどかな風景とは対照的に、同国の歴史は絶えざる「水との戦い」だった。
正式な国名は「低地の国」を意味する「ネーデルラント王国」。面積は日本の九州ほどだが、その4分の1は海面より低いため、常に水害の危険にさらされてきた。
15世紀に最初の風車が建造され、国土を広げるため、湖の干拓が始まる。堤防を築いて水を閉じ込め、風車の力で水を堤防の外へくみ出すのだ。16・17世紀には至る所に風車が立ち、大きな湖の干拓が次々と進められた。
こうして、しばしば大洪水に見舞われながらも、商業をはじめ、農業・工業の発展によってオランダは黄金時代を迎えるのである。
池田先生は、オランダの干拓の歴史に触れ、次のように述べている。
「オランダの人たちは、人間の知恵と努力への信頼度が高い気がする。簡単に『しかたがない』とは、あきらめないのだ」
オランダの美しい大地には、不撓不屈の精神が息づいているのである。
1967年5月、先生がオランダを訪れた。61年に続き、2度目の訪問だった。
当時の同国のメンバーは、わずか5人。しかし先生は、未来の大発展を展望して、支部を結成する。
この時の模様が、小説『新・人間革命』第12巻「新緑」の章につづられている。
友を宿舎に招き、近況に耳を傾ける山本伸一会長。
仕事を失ったという青年には、力強く励ました後、こう語り掛けた。
「人生の戦いというのは"もうだめだ"と思ったところから、どう立ち上がっていくかにある。そこから、本当の勝利への飛翔が始まるんだ」
また伸一は、リーダーの団結の重要性を確認した上で、拡大の要諦に言及する。
「広布の戦いは持続です。苦労に苦労を重ねて、あと一歩というところまで来ても、気が緩み、手を抜けば、そこから崩れてしまう」
「決して油断したり、あきらめたりするのではなく、闘魂を、情熱を、いや増して燃え上がらせ、一つ、また一つと、着実に勝利の旗を打ち立てていくことです」
油断せず、そして諦めず。一つ一つ、着実に——師の指針は、「水との戦い」を繰り返してきたオランダの友の胸に強く響いたに違いない。
以来、友は新たな広布拡大への挑戦を開始。団結第一で、一人また一人と粘り強く対話を重ね、地域に友情と信頼を広げた。83年には、ルベルス首相(当時)と池田先生の会見が実現した。
支部結成から本年で50周年。現在、オランダSGIは、5方面37支部に発展。社会に平和と人間主義の光を発信している。
広宣流布は、永遠に仏と魔との激しい戦いである。どんなに努力を重ねてきても、"何とかなるだろう""たぶん大丈夫"などという心の緩みがあれば、一気に崩れてしまいかねない。
何があろうと前進をやめないことだ。強盛な祈りを根本に、一日一日、知恵を絞り、仏縁の拡大に全力を挙げる。そして一日一日、勝利の旗を厳然と打ち立てていく——。その着実な積み重ねが、偉大な栄光の扉を開く。
☆世界写真紀行 第17回 ヒマラヤ山脈 2017年6月30日
◇執念と団結で最高峰へ
白雪を冠した鋭い峰々。近づく者を拒絶するかのような荒々しい山肌。堂々たる王者の風格である。
世界の屋根・ヒマラヤ。
西はインダス川から、東はブラマプトラ川まで東西2400キロに及び、中国・ブータン・ネパール・インド・パキスタンにまたがる大山脈。世界最高峰のエベレストをはじめ、8000メートルを超える山が10以上も連なる。
「ヒマラヤ」の名は、サンスクリット語のヒマ(雪)とアーラヤ(蔵。音写は阿頼耶)が結合したものといわれる。仏典や御書に見られる「雪山」という言葉も、このヒマラヤを指す。古来、人々は深い畏敬の念をもって、この山々を仰いできた。
1979年2月、池田先生は飛行機の中から、ヒマラヤを見つめた。山頂は雲海を突き抜け、王者の冠のように、美しい光を放っていた。
先生はその時の印象を、詩に謳っている。
「烈風吹けども微動だにせず/極寒の吹雪も避けることはない/毅然として堂々/高く高く屹立するその勇姿/万人を魅了してやまぬ気高さに/かつて何人の登山家が/その高峰をきわめんと/挑戦を重ねたことか」——。
人類がエベレストを制覇したのは53年5月29日。イギリス登山隊に参加したヒラリーとシェルパ(案内人)のテンジンが初登頂に成功した。
零下20度を超える寒さ。風速40メートルの強風。酸素濃度は地上の3分の1しかない。
ヒラリーは、ヒマラヤを見上げた時の心境を、後に記している。
「とても登れないよ、と頂上はいう……。不可能? 人間の精神にとって不可能なのか? そこで戦いはまじえられるのだ」(白川義員著『ヒマラヤ』小学館刊所収のヒラリー卿の特別寄稿から)
それでも登山隊は、敢然と山頂を目指した。そして人類の歴史に燦然と輝く、新たな一ページを刻んだのである。
池田先生は、イギリス隊の登頂成功の要因について、次のように語っている。
第一に、早くからの準備に徹したこと。第二に、先入観を捨て、先人が避けた険しいコースを、あえて選んだこと。
さらに、こう強調した。
「『頂上を必ず極めて見せる』との中心者の断固たる執念が、一貫して隊員を支えた。一念三千である。リーダーの『断じて登ってみせる!』との強い精神が、隊員の心に『勇気の炎』をともし続けたのである」「何よりも大きな勝因は『チームワークの良さ』にあった。仲が良かった。がっちり連携が取れていた」
リーダーの不屈の一念と、互いを守り合う団結の力によって、未聞の偉業は可能になったのである。
人生にも、また広宣流布の途上にも、越えなければならない山がある。
登攀の道は険しいかもしれない。"これは無理だ"と思うような難所もあろう。さらに頂上を目前にしたときほど、精神的にも肉体的にも最も苦しいに違いない。
しかし、それは最高峰に挑む人だけが味わうことのできる、誇り高い苦しみなのだ。
その時こそ、リーダーは断固たる執念で勇気の師子吼を響かせ、皆を鼓舞するのである。使命の同志と明るく励まし合いながら、再び勝利へと立ち上がるのである。
途中で歩みを止めてしまえば、頂上からの景色は望めない。何があろうと前進し続ける人に、創価の凱歌の頂が待っている。
2017年7月9日日曜日
2017.07.09 わが友に贈る
万里の外から
幸福を集める信心だ。
確信の祈りと行動で
和楽と安穏の園を
近隣・家庭に広げゆけ!
諸法実相抄 P1361
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』
☆女性に贈ることば 七月九日
目先のことばかりにとらわれて、あれこれと揺れ動く人生は、愚かである。
自分自身の胸中には、つねに充実という心の宮殿が輝いている--そんな、はつらつたる人生でありたい。
☆今日のことば365 七月九日
僕は 僕らしい一生をはばたくために
悲しい日々も
決して 愚痴だけはいいたくない
☆誓いの天地 神奈川・川崎市中原区 2017年6月28日
◇愛する地域に青年の連帯を 広布の"心臓部"との誇り高く
神奈川県の北東部に位置する川崎市は、横浜市、東京の大田区・世田谷区・調布市・狛江市・町田市・稲城市・多摩市と隣接する。
また、目黒区や品川区などとも、電車一本で結ばれている。
今年4月、人口が150万人を突破。2009年(平成21年)の統計と比較して、川崎区、幸区、中原区、高津区、宮前区、多摩区、麻生区の七つの区全てで、人口が増加した。
その中でも、武蔵小杉エリアで、大規模マンションの建設が進む中原区は、人口が最も多い。街の発展と同時に、住民同士の交流が図られるなど、住みよい地域づくりの試みも進む。
金田美穂子さん(中原勇翔区、区女子部長)は、中原区で生まれ育った。
創価大学に進学し、就職活動では、目指していた食品業界を中心に回ったが、リーマンショックによる不景気の影響もあり、不採用が続いた。
それでも、"使命の職場に"と真剣に祈り続け、空調自動制御システムのメンテナンス会社から採用を勝ち取った。
"職場で光る存在に"と誓いを立て、入社。だが、「やりたい仕事」とは違う業務内容に思い悩んだ。
そんな時、白蓮グループにとの話があった。"今こそ、自身の人間革命に挑戦しよう"と決意し、仕事と活動の両立に挑戦した。
入社2年目、元請け会社に出向。仕事を与えてもらえない時期もあったが、誓いを思い返しては、目の前の仕事に全力を尽くした。
出向の2年間で、「リモートメンテナンス」と呼ばれる技術を身に付けた。当時、その技術を持っていたのは、金田さんだけ。
以来、どんどん仕事を任されるようになった。昨年には、全社員を対象とした会社の評価で、最高の評価を獲得した。
「最初の3年間は、つらい日々でした。それを乗り越え、社会で実証を示すことができたのも、多くの方々の励ましがあったからです」と感謝は尽きない。
昨年11月、区女子部長の任命を受けた。今、愛する地域を駆ける日々だ。
「大好きな中原の地に、華陽姉妹のスクラムを、さらに広げていきます」
◇
山田邦昭さん(中原光城区、男子部本部長)は23歳の時、お笑い芸人を目指し、名古屋市から中原区へ。芸能の専門学校に入った。
一旗揚げることを夢見たが、5年間、鳴かず飛ばずの状態が続く。お笑いだけでは、生活は苦しかった。
相方とも、意見が衝突するようになった。言い争いを繰り返した末に、コンビを解消。失望の中、お笑いは諦めることにした。
高校卒業後に就いた仕事は5年で辞めた。芸人を辞めたのも5年。「宿業」を感じた。
"本気で信心しよう"。腹を決めた。その決意を、男子部の先輩が支えてくれた。毎日、2人で唱題し、御書の研さんに取り組んだ。対話にも挑戦し、人生初の弘教も実らせた。
その直後、アルバイト先の大手スーパーで、マネジャーを任されるように。信心の力を実感した。以来、毎年のように御本尊流布を達成。一昨年には、正社員として採用された。
「先日、新築一戸建ての家を購入できました。ここまで人生が開けるなんて想像もできませんでした」
創価班の一員として、学会厳護の任務にも徹する。
信心があれば、全部、功徳に変わっていく——その確信を胸に、きょうも友の激励に全力を注ぐ。
◇栄光の共戦譜
川崎は、池田先生が若き日から、幾度も広布の足跡を刻んできた師弟共戦の天地である。
1952年(昭和27年)2月、当時の支部における弘教の限界を打ち破った「二月闘争」。先生は大田区から多摩川のガス橋、丸子橋を渡り、川崎でも拡大の勢いを加速させた。
この歴史と共に、川崎の"永遠の原点"となっているのが、60年(同35年)5月3日だ。東京・日大講堂で行われた第3代会長就任式で、川崎支部(当時)は、設営等を担った。
就任式の終了後、川崎の友に届いた「川崎支部が会長にしてくれたようなものだね」との先生の伝言は、"川崎の誇り"と輝く。
91年(平成3年)12月15日には、先生は第1回「川崎文化音楽祭」へ。
「『偉大なる目標』に向かって『偉大なる人生』を生ききった人が、『偉大なる幸福』の人となる」と強調。"毅然たる信心を"と念願した。
この「12・15」は「川崎の日」として、その意義を留めている。
◇
"誉れの原点"の中でも、あの「7月」を思い返すと、川崎の友、なかんずく中原の同志の魂は、熱く燃える。
91年7月20日。東京・千駄ケ谷の創価国際友好会館で、中原区の本部研修会が開催された。この会合に急きょ、先生が出席したのである。
「川崎は、今の10倍の力を秘めている。その可能性を存分に発揮していくならば、その鼓動と波動は、全神奈川、また東京にも伝わり、動かしていく」
参加していた片桐政義さん(中原光城区、副本部長)の五体は、深い感動に貫かれた。
「"自らが10倍の力を発揮するぞ"と誓ったことは、今も忘れません」
妻の喜久江さん(婦人部副本部長)は病弱で、結婚後、流産を3回繰り返した。健康になりたい一心で、58年(昭和33年)に入会。片桐さんも続いた。
入会後、喜久江さんは、見る見る元気になった。その喜びを胸に、夫婦で対話に奔走した。
研修会が行われた91年は第2次宗門事件の渦中。その嵐を勝ち越えた93年(平成5年)には、夫婦で学会の正義を語り抜き、20人以上の友を入会に導いた。
広布の情熱は、今も青年のごとく赤々と。片桐さんは一昨年、喜久江さんは昨年、弘教を実らせている。
長男の馨さん(副本部長)、次男の太さん(副支部長)、長女の河合利子さん(総東京婦人部長)は皆、使命の舞台で活躍。7人の孫にも、信心が受け継がれている。
山崎雄之さん(中原勇翔区、総区副総合長)も、本部研修会に集った一人だ。
54年(昭和29年)の入会。学会活動に駆け回り、縁する人に仏法を語り抜いた。
先生から数々の激励を受けてきた。74年(同49年)12月17日、所用で向かった川崎本部(当時)で偶然、先生との出会いを刻んだ。
「一緒に勤行しよう」と先生から声を掛けられ、山崎さんは、その場にいた4人の同志と一緒に、先生の後ろに座った。
勤行が始まってしばらくすると、鈴が鳴った。リズムが合わない。もう一度、やり直す。まだ、合わない。4回、繰り返した。
「勤行・唱題を根本として、"呼吸を合わせる大切さ"を先生に教えていただきました」
89年(平成元年)12月、長男を22歳の若さで失った。1カ月半後、先生から激励が。師の真心を抱き締め、妻の奈美江さん(区副婦人部長)と共に前を向き、一歩ずつ進んだ。
本部研修会は、夫婦にとって、新たな出発を切る節目になった。
「先生の励ましがあって、今のわが家がある。だからこそ、万代にわたって、山崎家は『創価の旗』を掲げ続けていきます」と山崎さんは力強く語った。
星野照慧さん(中原勇翔区、区副婦人部長)も喜び勇んで、本部研修会へ駆け付けた。
「二月闘争」のさなか、夫の美三郎さん(故人)が座談会に参加。家族全員で信心を始めた。
その後、美三郎さんは、旋盤業で独立。だが、仕事は軌道に乗らず、経済的に深刻な状況が続いた。
どんな試練が襲ってきても、星野さんは口癖のように「今こそ宿命転換の時」と語り、夫婦で信心の歩みを進めてきた。
苦しい生活は、少しずつ改善していった。92年(平成4年)、3階建ての自宅を新築することができた。
「父が亡くなったのは、今年4月。意識がない中で、最後の言葉は『南無妙法蓮華経』でした。信心を貫いた"父の心"を、家族全員が受け継いでいきます」。そう言って、長女のひろ子さん(婦人部副本部長)は、ほほ笑んだ。
◇
池田先生は、川崎への期待をつづっている。
「川崎は、広宣流布の急所である」
「川崎は、神奈川だけでなく、東京、そして首都圏の"心臓部"でもある」
我らの「7月」に「広布の凱歌」を——「首都圏の"心臓部"」との使命に燃え、中原区と川崎総県の友は、勝利の波動を力強く広げていく。
幸福を集める信心だ。
確信の祈りと行動で
和楽と安穏の園を
近隣・家庭に広げゆけ!
諸法実相抄 P1361
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』
☆女性に贈ることば 七月九日
目先のことばかりにとらわれて、あれこれと揺れ動く人生は、愚かである。
自分自身の胸中には、つねに充実という心の宮殿が輝いている--そんな、はつらつたる人生でありたい。
☆今日のことば365 七月九日
僕は 僕らしい一生をはばたくために
悲しい日々も
決して 愚痴だけはいいたくない
☆誓いの天地 神奈川・川崎市中原区 2017年6月28日
◇愛する地域に青年の連帯を 広布の"心臓部"との誇り高く
神奈川県の北東部に位置する川崎市は、横浜市、東京の大田区・世田谷区・調布市・狛江市・町田市・稲城市・多摩市と隣接する。
また、目黒区や品川区などとも、電車一本で結ばれている。
今年4月、人口が150万人を突破。2009年(平成21年)の統計と比較して、川崎区、幸区、中原区、高津区、宮前区、多摩区、麻生区の七つの区全てで、人口が増加した。
その中でも、武蔵小杉エリアで、大規模マンションの建設が進む中原区は、人口が最も多い。街の発展と同時に、住民同士の交流が図られるなど、住みよい地域づくりの試みも進む。
金田美穂子さん(中原勇翔区、区女子部長)は、中原区で生まれ育った。
創価大学に進学し、就職活動では、目指していた食品業界を中心に回ったが、リーマンショックによる不景気の影響もあり、不採用が続いた。
それでも、"使命の職場に"と真剣に祈り続け、空調自動制御システムのメンテナンス会社から採用を勝ち取った。
"職場で光る存在に"と誓いを立て、入社。だが、「やりたい仕事」とは違う業務内容に思い悩んだ。
そんな時、白蓮グループにとの話があった。"今こそ、自身の人間革命に挑戦しよう"と決意し、仕事と活動の両立に挑戦した。
入社2年目、元請け会社に出向。仕事を与えてもらえない時期もあったが、誓いを思い返しては、目の前の仕事に全力を尽くした。
出向の2年間で、「リモートメンテナンス」と呼ばれる技術を身に付けた。当時、その技術を持っていたのは、金田さんだけ。
以来、どんどん仕事を任されるようになった。昨年には、全社員を対象とした会社の評価で、最高の評価を獲得した。
「最初の3年間は、つらい日々でした。それを乗り越え、社会で実証を示すことができたのも、多くの方々の励ましがあったからです」と感謝は尽きない。
昨年11月、区女子部長の任命を受けた。今、愛する地域を駆ける日々だ。
「大好きな中原の地に、華陽姉妹のスクラムを、さらに広げていきます」
◇
山田邦昭さん(中原光城区、男子部本部長)は23歳の時、お笑い芸人を目指し、名古屋市から中原区へ。芸能の専門学校に入った。
一旗揚げることを夢見たが、5年間、鳴かず飛ばずの状態が続く。お笑いだけでは、生活は苦しかった。
相方とも、意見が衝突するようになった。言い争いを繰り返した末に、コンビを解消。失望の中、お笑いは諦めることにした。
高校卒業後に就いた仕事は5年で辞めた。芸人を辞めたのも5年。「宿業」を感じた。
"本気で信心しよう"。腹を決めた。その決意を、男子部の先輩が支えてくれた。毎日、2人で唱題し、御書の研さんに取り組んだ。対話にも挑戦し、人生初の弘教も実らせた。
その直後、アルバイト先の大手スーパーで、マネジャーを任されるように。信心の力を実感した。以来、毎年のように御本尊流布を達成。一昨年には、正社員として採用された。
「先日、新築一戸建ての家を購入できました。ここまで人生が開けるなんて想像もできませんでした」
創価班の一員として、学会厳護の任務にも徹する。
信心があれば、全部、功徳に変わっていく——その確信を胸に、きょうも友の激励に全力を注ぐ。
◇栄光の共戦譜
川崎は、池田先生が若き日から、幾度も広布の足跡を刻んできた師弟共戦の天地である。
1952年(昭和27年)2月、当時の支部における弘教の限界を打ち破った「二月闘争」。先生は大田区から多摩川のガス橋、丸子橋を渡り、川崎でも拡大の勢いを加速させた。
この歴史と共に、川崎の"永遠の原点"となっているのが、60年(同35年)5月3日だ。東京・日大講堂で行われた第3代会長就任式で、川崎支部(当時)は、設営等を担った。
就任式の終了後、川崎の友に届いた「川崎支部が会長にしてくれたようなものだね」との先生の伝言は、"川崎の誇り"と輝く。
91年(平成3年)12月15日には、先生は第1回「川崎文化音楽祭」へ。
「『偉大なる目標』に向かって『偉大なる人生』を生ききった人が、『偉大なる幸福』の人となる」と強調。"毅然たる信心を"と念願した。
この「12・15」は「川崎の日」として、その意義を留めている。
◇
"誉れの原点"の中でも、あの「7月」を思い返すと、川崎の友、なかんずく中原の同志の魂は、熱く燃える。
91年7月20日。東京・千駄ケ谷の創価国際友好会館で、中原区の本部研修会が開催された。この会合に急きょ、先生が出席したのである。
「川崎は、今の10倍の力を秘めている。その可能性を存分に発揮していくならば、その鼓動と波動は、全神奈川、また東京にも伝わり、動かしていく」
参加していた片桐政義さん(中原光城区、副本部長)の五体は、深い感動に貫かれた。
「"自らが10倍の力を発揮するぞ"と誓ったことは、今も忘れません」
妻の喜久江さん(婦人部副本部長)は病弱で、結婚後、流産を3回繰り返した。健康になりたい一心で、58年(昭和33年)に入会。片桐さんも続いた。
入会後、喜久江さんは、見る見る元気になった。その喜びを胸に、夫婦で対話に奔走した。
研修会が行われた91年は第2次宗門事件の渦中。その嵐を勝ち越えた93年(平成5年)には、夫婦で学会の正義を語り抜き、20人以上の友を入会に導いた。
広布の情熱は、今も青年のごとく赤々と。片桐さんは一昨年、喜久江さんは昨年、弘教を実らせている。
長男の馨さん(副本部長)、次男の太さん(副支部長)、長女の河合利子さん(総東京婦人部長)は皆、使命の舞台で活躍。7人の孫にも、信心が受け継がれている。
山崎雄之さん(中原勇翔区、総区副総合長)も、本部研修会に集った一人だ。
54年(昭和29年)の入会。学会活動に駆け回り、縁する人に仏法を語り抜いた。
先生から数々の激励を受けてきた。74年(同49年)12月17日、所用で向かった川崎本部(当時)で偶然、先生との出会いを刻んだ。
「一緒に勤行しよう」と先生から声を掛けられ、山崎さんは、その場にいた4人の同志と一緒に、先生の後ろに座った。
勤行が始まってしばらくすると、鈴が鳴った。リズムが合わない。もう一度、やり直す。まだ、合わない。4回、繰り返した。
「勤行・唱題を根本として、"呼吸を合わせる大切さ"を先生に教えていただきました」
89年(平成元年)12月、長男を22歳の若さで失った。1カ月半後、先生から激励が。師の真心を抱き締め、妻の奈美江さん(区副婦人部長)と共に前を向き、一歩ずつ進んだ。
本部研修会は、夫婦にとって、新たな出発を切る節目になった。
「先生の励ましがあって、今のわが家がある。だからこそ、万代にわたって、山崎家は『創価の旗』を掲げ続けていきます」と山崎さんは力強く語った。
星野照慧さん(中原勇翔区、区副婦人部長)も喜び勇んで、本部研修会へ駆け付けた。
「二月闘争」のさなか、夫の美三郎さん(故人)が座談会に参加。家族全員で信心を始めた。
その後、美三郎さんは、旋盤業で独立。だが、仕事は軌道に乗らず、経済的に深刻な状況が続いた。
どんな試練が襲ってきても、星野さんは口癖のように「今こそ宿命転換の時」と語り、夫婦で信心の歩みを進めてきた。
苦しい生活は、少しずつ改善していった。92年(平成4年)、3階建ての自宅を新築することができた。
「父が亡くなったのは、今年4月。意識がない中で、最後の言葉は『南無妙法蓮華経』でした。信心を貫いた"父の心"を、家族全員が受け継いでいきます」。そう言って、長女のひろ子さん(婦人部副本部長)は、ほほ笑んだ。
◇
池田先生は、川崎への期待をつづっている。
「川崎は、広宣流布の急所である」
「川崎は、神奈川だけでなく、東京、そして首都圏の"心臓部"でもある」
我らの「7月」に「広布の凱歌」を——「首都圏の"心臓部"」との使命に燃え、中原区と川崎総県の友は、勝利の波動を力強く広げていく。
2017.07.08 わが友に贈る
一人一人と友情を結び
善性を引き出すのが
広宣流布の戦いだ。
我らの草の根の対話で
生命尊厳の心を世界に!
乙御前御消息 P1219
『女人は夫を魂とす・夫なければ女人魂なし、此の世に夫ある女人すら世の中渡りがたふみえて候に、魂もなくして世を渡らせ給うが・魂ある女人にもすぐれて心中かひがひしくおはする上・神にも心を入れ仏をもあがめさせ給へば人に勝れておはする女人なり』
☆女性に贈ることば 七月八日
いかに現実が多事多難であろうとも、ここから離れて、幸福の大地はどこにもない。
ゆえに断じて、今、自分がいる場所で勝つことだ。
☆今日のことば365 七月八日
星と人生−−そこには限りないロマンがあった。
特に上古の人々は星座の輝きを見て、そこに神話の調べを聞いた。
それはあるいは、大宇宙の懐に抱かれた人間の存在を考え、変転きわまりない日々を止揚しようとしたのかもしれない。
☆地域を歩く 茨城県・利根町 2017年6月27日
◇豊かな"幸齢社会"を
利根川沿いの県道11号線を下流に向かって行くと、青々とした水田の先に"住宅群"が現れた。一帯は、田んぼと閑静な住宅街が混在している。
ここは茨城県の利根町——県南部に位置するこの町は、元々は純農村地域だった。都心から40キロ圏内という立地から、昭和40年代後半以降に次々とニュータウンが整備され、都内で働く人々が移り住んできた。
それから50年が経とうとする今、かつて家を購入した人たちも年齢を重ね、町の高齢化率の高さは、県内の市町村の中で1、2を争う。にもかかわらず、要介護認定率は県内で最も低いという。
「学会でも、仕事をリタイアし、平日の昼間に活動できるようになった壮年部の敢闘会(太陽会)の活躍は、この地域で目覚ましいものがあります」(星出康拡本部長)
その壮年たちの"元気の秘訣"を探りに、町の中へと歩みを進めた。
◇
住宅地の中心部。目指す建物に到着すると、入り口に「フリフリグッパー体操」と書かれた2メートル以上はありそうな立て看板が目に入った。
中に入ると、受付で役員が「こんにちは!」と"出席カード"を集めていた。奥の多目的室には、おそろいの白いポロシャツを着た20人ほどが談笑している。聞けば、ほとんどが65歳以上で、70代や80代もいるという。これから健康体操を行うそうだ。
高齢化の進む利根町は、「健康寿命」(健康上の問題で日常生活が制限されない期間)を延ばすことに、町を挙げて取り組んできた。
◇信心に"定年"なし 挑戦に"手遅れ"なし
利根町は2001年、国が進める認知症予防対策の研究プロジェクトに参加。その際、茨城にある筑波大学の教授が考案したのが、「フリフリグッパー体操」である。
やり方は簡単。音楽に合わせて足踏みをしながら腰を左右に"フリフリ"動かし、同時に手拍子をしながら、腕を大きく開いて閉じる"グッパー"運動を繰り返す。
「町でこの体操を知らない人はいません。誰でもできる手軽さが、受けてるのかもしれません」と語るのは、市川英夫さん(副支部長)。町内各地で体操を推進・運営するボランティア団体の代表である。
市川さんは2009年に、60歳で電子部品メーカーを定年退職した。
「仕事が無くなると、学会活動以外やることなくて(笑い)。初めは自分の健康のためにも、体を動かそうと思って始めました。自分より年上の方が、元気に体操しているのを見ると負けてられないなって思います」
現在、地元自治会の役員も頼まれ、会長代行を担う。
「敢闘会の中には、趣味を生かして、地域でサークル活動などをしている人が多くいますよ」
市川さんに紹介された壮年部員の自宅を訪ねてみると、4人の壮年が集まってくれていた。
75歳になる深田嘉男さん(支部壮年長)はギターを弾いたり、仕事で培った英語や中国語を使って留学生と交流したりしている。
80歳の川端道信さん(副本部長)は、卓球とハーモニカのサークルに所属。76歳を迎えた浅野好巳さん(副支部長)は別のハーモニカのサークルで会長を務めている。3人は大きな会合があると即席のバンドを結成し、合奏を披露することもあるそうだ。
4人目の齊藤栄さん(副創価長〈副ブロック長〉)は深田さんらの励ましを受け、学会活動に参加するようになったという。「敢闘会に誘われていなければ、ずっと家に引きこもっていたかもしれません」と語る齊藤さんに、敢闘会の魅力を聞いてみた。
製造会社で主に設計業務を担当していた齊藤さんは、59歳で肺がんを患った。治療に専念する中、60歳の定年を迎えた。手術を終え、退院した齊藤さんを、深田さんらがたびたび訪問して励ましてきた。
「仕事のない空虚感と術後の不安を抱えていたので、何度も会いに来てくれたのがうれしかった。敢闘会の会合に行くと、同じような悩みを持つ人、いろんな仕事をしてきた人がいて、とても励みになります。特に、身近に何でも相談できる人ができたというのが、ありがたい。以前は、"このままどうなるのかな"という漠然とした不安がありましたから」
深田さんが「最初に比べると、ずいぶん元気になったよね」とうなずくと、「そうかなぁ」と照れる齊藤さん。
「元気になっていく齊藤さんを見ると、こっちも元気になるよ」と深田さん。「齊藤さんは今年67歳でしょ。60代なら、まだまだ若い。これから何だってできるよ。私たちから見れば、青年部みたいなもんだ。いや、未来部かな(笑い)。"敢闘会未来部"だね!」
すかさず齊藤さんが「未来部はないでしょ」と言うと、その場に笑いがはじけた。
昨年は、任用試験にも合格した齊藤さん。
「自分の中に芯ができた感じがします。"どう生きるか"など、これまで深く考えたこともなかった。『教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ』(御書1174ページ)の御文が好きです。何ごとも、自分の行動に気を配るようになりました」と語った。
ハーモニカサークルで高齢者施設を慰問する浅野さんに、地域貢献への思いを聞いた。
「退職後、地元に恩返しをする思いで、積極的に地域の人と交流することを心掛けてきました。社会福祉協議会の集まりで、町民が少しでも長く幸福に暮らせるよう、町の福祉向上について語り合ったこともあります。町に出て行動してみると"地域の発展に貢献したい"という人とたくさん出会えました。皆さんからたくさんの触発を受けるのが楽しいです」
川端さんがうなずく。
「そうそう。いろんな人と会うことが、私たちの元気の源だよね! 今、こうして誰とでも心を通わせることができるのは、学会活動の薫陶のたまものだと思うよ」
今月21日、布川支部の敢闘会の集いに参加した。雨にも負けず、8人が集っていた。
初めに20分間の唱題。息の合った力強い声が部屋に響く。次にモバイルSTBの番組を視聴し、聖教新聞の「わが友に贈る」を全員で唱和した。
「広布に生きる人生は/毎日が新しい出発なり。/前進だ! 挑戦だ!/『今』この瞬間から/みずみずしい決意で!」
その通りだとばかりに皆がうなずく。
互いの近況を報告し合った後、最後に今年80歳を迎える細田尚孝さん(副本部長)が、サックスで見事な演奏を披露した。パソコンを操作し、伴奏用の音源を作ったりもしているという。
「私は71歳で、これ(サックス)を買いました。挑戦に手遅れはない。どうせやるならと、週に1回、音楽教室に通って、演奏指導を受けています。介護施設などでも吹きますが、喜ばれるたびに、新たな出会いが広がります。それがうれしい」
池田先生は、小説『新・人間革命』につづっている。「かつては、定年後の生活を"余生"ととらえる人が多かった。しかし、これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える"与生"であらねばならない」
敢闘会のメンバーの姿は語っている。物事を始めるのに、遅すぎるということはない、と——。
善性を引き出すのが
広宣流布の戦いだ。
我らの草の根の対話で
生命尊厳の心を世界に!
乙御前御消息 P1219
『女人は夫を魂とす・夫なければ女人魂なし、此の世に夫ある女人すら世の中渡りがたふみえて候に、魂もなくして世を渡らせ給うが・魂ある女人にもすぐれて心中かひがひしくおはする上・神にも心を入れ仏をもあがめさせ給へば人に勝れておはする女人なり』
☆女性に贈ることば 七月八日
いかに現実が多事多難であろうとも、ここから離れて、幸福の大地はどこにもない。
ゆえに断じて、今、自分がいる場所で勝つことだ。
☆今日のことば365 七月八日
星と人生−−そこには限りないロマンがあった。
特に上古の人々は星座の輝きを見て、そこに神話の調べを聞いた。
それはあるいは、大宇宙の懐に抱かれた人間の存在を考え、変転きわまりない日々を止揚しようとしたのかもしれない。
☆地域を歩く 茨城県・利根町 2017年6月27日
◇豊かな"幸齢社会"を
利根川沿いの県道11号線を下流に向かって行くと、青々とした水田の先に"住宅群"が現れた。一帯は、田んぼと閑静な住宅街が混在している。
ここは茨城県の利根町——県南部に位置するこの町は、元々は純農村地域だった。都心から40キロ圏内という立地から、昭和40年代後半以降に次々とニュータウンが整備され、都内で働く人々が移り住んできた。
それから50年が経とうとする今、かつて家を購入した人たちも年齢を重ね、町の高齢化率の高さは、県内の市町村の中で1、2を争う。にもかかわらず、要介護認定率は県内で最も低いという。
「学会でも、仕事をリタイアし、平日の昼間に活動できるようになった壮年部の敢闘会(太陽会)の活躍は、この地域で目覚ましいものがあります」(星出康拡本部長)
その壮年たちの"元気の秘訣"を探りに、町の中へと歩みを進めた。
◇
住宅地の中心部。目指す建物に到着すると、入り口に「フリフリグッパー体操」と書かれた2メートル以上はありそうな立て看板が目に入った。
中に入ると、受付で役員が「こんにちは!」と"出席カード"を集めていた。奥の多目的室には、おそろいの白いポロシャツを着た20人ほどが談笑している。聞けば、ほとんどが65歳以上で、70代や80代もいるという。これから健康体操を行うそうだ。
高齢化の進む利根町は、「健康寿命」(健康上の問題で日常生活が制限されない期間)を延ばすことに、町を挙げて取り組んできた。
◇信心に"定年"なし 挑戦に"手遅れ"なし
利根町は2001年、国が進める認知症予防対策の研究プロジェクトに参加。その際、茨城にある筑波大学の教授が考案したのが、「フリフリグッパー体操」である。
やり方は簡単。音楽に合わせて足踏みをしながら腰を左右に"フリフリ"動かし、同時に手拍子をしながら、腕を大きく開いて閉じる"グッパー"運動を繰り返す。
「町でこの体操を知らない人はいません。誰でもできる手軽さが、受けてるのかもしれません」と語るのは、市川英夫さん(副支部長)。町内各地で体操を推進・運営するボランティア団体の代表である。
市川さんは2009年に、60歳で電子部品メーカーを定年退職した。
「仕事が無くなると、学会活動以外やることなくて(笑い)。初めは自分の健康のためにも、体を動かそうと思って始めました。自分より年上の方が、元気に体操しているのを見ると負けてられないなって思います」
現在、地元自治会の役員も頼まれ、会長代行を担う。
「敢闘会の中には、趣味を生かして、地域でサークル活動などをしている人が多くいますよ」
市川さんに紹介された壮年部員の自宅を訪ねてみると、4人の壮年が集まってくれていた。
75歳になる深田嘉男さん(支部壮年長)はギターを弾いたり、仕事で培った英語や中国語を使って留学生と交流したりしている。
80歳の川端道信さん(副本部長)は、卓球とハーモニカのサークルに所属。76歳を迎えた浅野好巳さん(副支部長)は別のハーモニカのサークルで会長を務めている。3人は大きな会合があると即席のバンドを結成し、合奏を披露することもあるそうだ。
4人目の齊藤栄さん(副創価長〈副ブロック長〉)は深田さんらの励ましを受け、学会活動に参加するようになったという。「敢闘会に誘われていなければ、ずっと家に引きこもっていたかもしれません」と語る齊藤さんに、敢闘会の魅力を聞いてみた。
製造会社で主に設計業務を担当していた齊藤さんは、59歳で肺がんを患った。治療に専念する中、60歳の定年を迎えた。手術を終え、退院した齊藤さんを、深田さんらがたびたび訪問して励ましてきた。
「仕事のない空虚感と術後の不安を抱えていたので、何度も会いに来てくれたのがうれしかった。敢闘会の会合に行くと、同じような悩みを持つ人、いろんな仕事をしてきた人がいて、とても励みになります。特に、身近に何でも相談できる人ができたというのが、ありがたい。以前は、"このままどうなるのかな"という漠然とした不安がありましたから」
深田さんが「最初に比べると、ずいぶん元気になったよね」とうなずくと、「そうかなぁ」と照れる齊藤さん。
「元気になっていく齊藤さんを見ると、こっちも元気になるよ」と深田さん。「齊藤さんは今年67歳でしょ。60代なら、まだまだ若い。これから何だってできるよ。私たちから見れば、青年部みたいなもんだ。いや、未来部かな(笑い)。"敢闘会未来部"だね!」
すかさず齊藤さんが「未来部はないでしょ」と言うと、その場に笑いがはじけた。
昨年は、任用試験にも合格した齊藤さん。
「自分の中に芯ができた感じがします。"どう生きるか"など、これまで深く考えたこともなかった。『教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ』(御書1174ページ)の御文が好きです。何ごとも、自分の行動に気を配るようになりました」と語った。
ハーモニカサークルで高齢者施設を慰問する浅野さんに、地域貢献への思いを聞いた。
「退職後、地元に恩返しをする思いで、積極的に地域の人と交流することを心掛けてきました。社会福祉協議会の集まりで、町民が少しでも長く幸福に暮らせるよう、町の福祉向上について語り合ったこともあります。町に出て行動してみると"地域の発展に貢献したい"という人とたくさん出会えました。皆さんからたくさんの触発を受けるのが楽しいです」
川端さんがうなずく。
「そうそう。いろんな人と会うことが、私たちの元気の源だよね! 今、こうして誰とでも心を通わせることができるのは、学会活動の薫陶のたまものだと思うよ」
今月21日、布川支部の敢闘会の集いに参加した。雨にも負けず、8人が集っていた。
初めに20分間の唱題。息の合った力強い声が部屋に響く。次にモバイルSTBの番組を視聴し、聖教新聞の「わが友に贈る」を全員で唱和した。
「広布に生きる人生は/毎日が新しい出発なり。/前進だ! 挑戦だ!/『今』この瞬間から/みずみずしい決意で!」
その通りだとばかりに皆がうなずく。
互いの近況を報告し合った後、最後に今年80歳を迎える細田尚孝さん(副本部長)が、サックスで見事な演奏を披露した。パソコンを操作し、伴奏用の音源を作ったりもしているという。
「私は71歳で、これ(サックス)を買いました。挑戦に手遅れはない。どうせやるならと、週に1回、音楽教室に通って、演奏指導を受けています。介護施設などでも吹きますが、喜ばれるたびに、新たな出会いが広がります。それがうれしい」
池田先生は、小説『新・人間革命』につづっている。「かつては、定年後の生活を"余生"ととらえる人が多かった。しかし、これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える"与生"であらねばならない」
敢闘会のメンバーの姿は語っている。物事を始めるのに、遅すぎるということはない、と——。
2017.07.07 わが友に贈る
記録的豪雨で
被災された方々に
心からのお見舞いを。
頻発する自然災害に
引き続き厳重警戒!
松野殿御返事 P1388
『妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん』
☆女性に贈ることば 七月七日
わが生命を最大限に充実させながら、自身の人生を満喫し、後悔なく、人びとへの貢献をなしゆく人は、人間らしい人間である。ここに人間の栄光の扉が開かれるからだ。
☆今日のことば365 七月七日
モナ・リザは決して青春を乱舞する、みめうるわしきおとめではない。しかし、この絵には、生命の不変の輝きに迫ろうとするダ・ビンチが、一女性の相貌をかりて、人間だけがもつ、胸奥に秘められた固有の美を描き出そうとした大胆な試みが見られはしないか。
☆新世紀の旭日 アメリカ創価大学第2回 民衆立の学舎 2017年6月26日
◇庶民と共に 誓いの青春
アメリカ創価大学(SUA)があるオレンジ郡は、年間を通じて、温暖な気候に恵まれている。一方で、一日の寒暖差は大きく、夜は厚手の上着が必要になることもある。
2001年8月24日。入学した1期生を、思いがけないサプライズが待っていた。全員に、キルト(重ね縫いした防寒用の布)が贈られたのである。
大学の地元・オレンジ郡在住の婦人を中心に、有志が真心で作成したものだった。
17世紀、ヨーロッパからアメリカに渡った人たちは、小さな布地を集めてキルトを作り、寒さを防いだ歴史がある。19世紀の西部開拓時代、西部に移住する友人との別れを惜しみ、女性たちが託したのもキルトであったといわれる。
世界各国から集う新入生に、アメリカの伝統を感じてもらいたい——キルトの一針一針に、そんな思いが込められていた。
制作は、少人数の婦人から始まった。1998年のことである。キルト作りは全員が初めて。教室に通って習う友もいた。1枚作るのに、数カ月を要した。
"なんとか間に合わせたい"。その一心だったという。
やがて、作業に加わる人の輪は、数十人に広がった。そして3年かけて、120人の1期生全員の分が完成をみたのである。
冷え込む夜。建学の心を燃やし、机に向かう学生の肩を温めたのは、この母たちの真心だった。
◇
「SUAは、民衆立の大学」——創立者の池田先生は折に触れ、学生や教職員に語ってきた。
大学を陰で支える、無数の人たちの心を深く知り、誰よりもたたえたいとの思いからである。
SUAには、これまで40以上の国や地域から学生が集い、巣立っている。発展途上国や紛争が続いた地域の出身者もいれば、さまざまな事情による経済苦の中、進学を決めた人もいる。
そうした環境の学生に対しても、平等に、学問を受ける機会を提供するSUA。それを可能にしているのが、奨学金制度である。
とりわけ2008年には、年収が6万ドル以下の家庭から通う学生に、学業水準を満たせば授業料が全額免除になる「創価オポチュニティー・スカラシップ」をスタート。ほかにも多様な奨学金制度が整い、向学の青春を支えている。
16期生のメワエル・ウェレアレゲイさんは、エチオピアの出身。インターネットでSUAの存在を知り、"貢献的人生を生きゆく世界市民に"との理念に引かれた。
同国は、世界最貧国の一つ。ウェレアレゲイさんの家の収入は、同国の平均を下回り、年上のきょうだい5人は、全員が働いている。
不可能だと思ったSUAへの進学だが、奨学金によってかなった。
「この支援は、SUAの学生への信頼の証しだと思う。だから、その期待に応える自分でありたい」
将来は母国に帰り、開発経済の分野で働きたいと、ウェレアレゲイさんは考えている。
SUAを、SUAたらしめる絆。それは、学問を可能にしてくれた人たちの存在と、恩に報いようと誓う学生たちの心の絆である。
池田先生は語っている。
「なんのために学ぶのか。その目的観が深く偉大であればあるほど、向学の炎は限りなく燃え上がる」
「SUAの学生諸君は、生涯、庶民と共に歩みながら、尊い民衆を守りながら、大恩を返していく使命があることを、むしろ大いなる最高の誇りとして、学び、勝っていただきたいのだ」
◇
SUAの学生は毎年、支援者への感謝を手紙につづり、送っている。全学生の約8割が、自らこの企画に参加している。
「SUAと聞くと、胸が躍るんです」。そう語る兵庫県尼崎市の婦人は、陰で大学を支える一人である。学生から届いた手紙の一枚一枚を、今も大切にしている。
彼女は在日韓国人として、日本で生まれ育った。戦後の暮らしは貧乏のどん底。日雇い労働をしながら、4人の子を育てた。
だが、26歳だった次男を事故で亡くした。その9年後には、次女を病で失う。悲しみの中、最大の励ましを送ったのが池田先生だった。
2000年、1年後に迫ったSUAの開学を、本紙の記事で知った。
「先生は、『創立者の心は、創立者にしか分からない』と言われました。大学を一つ建てるだけでも命懸けのはずです。二つ目の大学を、それもアメリカに創られると聞いて、少しでも力になりたかった」
手紙につづられる、SUAの発展の様子と、学生の成長が大きな喜びだった。ある尼崎出身の学生とは、卒業後も交流を重ね、激励を送り続けてきた。彼は今、企業の最高経営責任者として活躍している。
婦人は12年、念願かなってSUAを訪れた。尼崎の質素な自宅の壁には、その時の写真が、多く飾られている。「夢のようなキャンパス。ここで学べる人たちは、世界一の幸せ者ですよ」
世界中に、SUAの発展をわが夢として、学生に全幅の信頼と期待を寄せる人たちがいる。
SUAで学ぶ全ての人にとって、それは何よりの誇りであり、誓いの青春を生きる原動力である。
◇インタビュー SUA職員 トシコ・サトウさん
●キャンパスに輝く「感謝の心」
創価大学を卒業後、大学院進学で渡米しました。就職でオレンジ郡に住み、SUAの開学当時から、学生と間近で接する機会がありました。
2008年に職員になりました。財務部では、大学を支援してくださる方々とのやりとりや、大切なご支援の記録管理と銘板顕彰、来学者の見学の手配、学生との交流のコーディネートなどを担当しています。
創価芸術センター内や「平和の池」の前、ファウンダーズホール(本部棟)、池田図書館前などに、支援者の名前が刻まれた銘板を顕彰させていただいています。
大学には日々、近隣の住民が訪れ、行事の折には、市長をはじめとする市関係者が来られます。数々の銘板を目にして、「こんなに多くの人に愛されている大学なのか」と安心し、地域の誇りと感じるようです。
全てのご支援には、たくさんの夢と希望が詰まっています。
創立者・池田先生の教育構想を、先生と共に実現したいという思い。
より良い世界をつくる人材を育みたいという、平和への願い。
大学に行けなかった自分の分まで、頑張ってほしいとの深い期待。
一家の皆で協力して、SUAを支援してくださる、家族の絆。
さらに、大学の発展を永遠に見守り続けられるようにと、亡くなられた家族の名前を銘板に残す方々もいます。
こうした支えのおかげで学べるという事実を、学生は片時も忘れることなく、勉学に励んでいるのではないでしょうか。「感謝の心」こそ、SUAの一番の象徴であると感じます。毎年、取り組んでいる支援者への手紙も、「せめてもの恩返しに」と、たくさんの学生が参加しています。
ブラジル出身のある学生は、経済的事情で進学を諦めかけましたが、奨学金でSUAに入学しました。「ここで学べることが、今でも信じられない」と語り、キャンパスに来られる支援者と積極的に交流し、心からの感謝を伝えています。
インド出身の学生は、昨年、手紙を出したことで、日本の支援者との交流が始まりました。日本語の留学で来日していた本年、その方の自宅に何度も招かれ、温かな友情を育んだそうです。
これからも、こうした心の触れ合いを、SUAの宝の精神として守っていきます。そして、先生が示された"民衆を守りゆくリーダー"が陸続と育つよう、陰の陰から、大学の発展を支えていきたいと決意しています。
被災された方々に
心からのお見舞いを。
頻発する自然災害に
引き続き厳重警戒!
松野殿御返事 P1388
『妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん』
☆女性に贈ることば 七月七日
わが生命を最大限に充実させながら、自身の人生を満喫し、後悔なく、人びとへの貢献をなしゆく人は、人間らしい人間である。ここに人間の栄光の扉が開かれるからだ。
☆今日のことば365 七月七日
モナ・リザは決して青春を乱舞する、みめうるわしきおとめではない。しかし、この絵には、生命の不変の輝きに迫ろうとするダ・ビンチが、一女性の相貌をかりて、人間だけがもつ、胸奥に秘められた固有の美を描き出そうとした大胆な試みが見られはしないか。
☆新世紀の旭日 アメリカ創価大学第2回 民衆立の学舎 2017年6月26日
◇庶民と共に 誓いの青春
アメリカ創価大学(SUA)があるオレンジ郡は、年間を通じて、温暖な気候に恵まれている。一方で、一日の寒暖差は大きく、夜は厚手の上着が必要になることもある。
2001年8月24日。入学した1期生を、思いがけないサプライズが待っていた。全員に、キルト(重ね縫いした防寒用の布)が贈られたのである。
大学の地元・オレンジ郡在住の婦人を中心に、有志が真心で作成したものだった。
17世紀、ヨーロッパからアメリカに渡った人たちは、小さな布地を集めてキルトを作り、寒さを防いだ歴史がある。19世紀の西部開拓時代、西部に移住する友人との別れを惜しみ、女性たちが託したのもキルトであったといわれる。
世界各国から集う新入生に、アメリカの伝統を感じてもらいたい——キルトの一針一針に、そんな思いが込められていた。
制作は、少人数の婦人から始まった。1998年のことである。キルト作りは全員が初めて。教室に通って習う友もいた。1枚作るのに、数カ月を要した。
"なんとか間に合わせたい"。その一心だったという。
やがて、作業に加わる人の輪は、数十人に広がった。そして3年かけて、120人の1期生全員の分が完成をみたのである。
冷え込む夜。建学の心を燃やし、机に向かう学生の肩を温めたのは、この母たちの真心だった。
◇
「SUAは、民衆立の大学」——創立者の池田先生は折に触れ、学生や教職員に語ってきた。
大学を陰で支える、無数の人たちの心を深く知り、誰よりもたたえたいとの思いからである。
SUAには、これまで40以上の国や地域から学生が集い、巣立っている。発展途上国や紛争が続いた地域の出身者もいれば、さまざまな事情による経済苦の中、進学を決めた人もいる。
そうした環境の学生に対しても、平等に、学問を受ける機会を提供するSUA。それを可能にしているのが、奨学金制度である。
とりわけ2008年には、年収が6万ドル以下の家庭から通う学生に、学業水準を満たせば授業料が全額免除になる「創価オポチュニティー・スカラシップ」をスタート。ほかにも多様な奨学金制度が整い、向学の青春を支えている。
16期生のメワエル・ウェレアレゲイさんは、エチオピアの出身。インターネットでSUAの存在を知り、"貢献的人生を生きゆく世界市民に"との理念に引かれた。
同国は、世界最貧国の一つ。ウェレアレゲイさんの家の収入は、同国の平均を下回り、年上のきょうだい5人は、全員が働いている。
不可能だと思ったSUAへの進学だが、奨学金によってかなった。
「この支援は、SUAの学生への信頼の証しだと思う。だから、その期待に応える自分でありたい」
将来は母国に帰り、開発経済の分野で働きたいと、ウェレアレゲイさんは考えている。
SUAを、SUAたらしめる絆。それは、学問を可能にしてくれた人たちの存在と、恩に報いようと誓う学生たちの心の絆である。
池田先生は語っている。
「なんのために学ぶのか。その目的観が深く偉大であればあるほど、向学の炎は限りなく燃え上がる」
「SUAの学生諸君は、生涯、庶民と共に歩みながら、尊い民衆を守りながら、大恩を返していく使命があることを、むしろ大いなる最高の誇りとして、学び、勝っていただきたいのだ」
◇
SUAの学生は毎年、支援者への感謝を手紙につづり、送っている。全学生の約8割が、自らこの企画に参加している。
「SUAと聞くと、胸が躍るんです」。そう語る兵庫県尼崎市の婦人は、陰で大学を支える一人である。学生から届いた手紙の一枚一枚を、今も大切にしている。
彼女は在日韓国人として、日本で生まれ育った。戦後の暮らしは貧乏のどん底。日雇い労働をしながら、4人の子を育てた。
だが、26歳だった次男を事故で亡くした。その9年後には、次女を病で失う。悲しみの中、最大の励ましを送ったのが池田先生だった。
2000年、1年後に迫ったSUAの開学を、本紙の記事で知った。
「先生は、『創立者の心は、創立者にしか分からない』と言われました。大学を一つ建てるだけでも命懸けのはずです。二つ目の大学を、それもアメリカに創られると聞いて、少しでも力になりたかった」
手紙につづられる、SUAの発展の様子と、学生の成長が大きな喜びだった。ある尼崎出身の学生とは、卒業後も交流を重ね、激励を送り続けてきた。彼は今、企業の最高経営責任者として活躍している。
婦人は12年、念願かなってSUAを訪れた。尼崎の質素な自宅の壁には、その時の写真が、多く飾られている。「夢のようなキャンパス。ここで学べる人たちは、世界一の幸せ者ですよ」
世界中に、SUAの発展をわが夢として、学生に全幅の信頼と期待を寄せる人たちがいる。
SUAで学ぶ全ての人にとって、それは何よりの誇りであり、誓いの青春を生きる原動力である。
◇インタビュー SUA職員 トシコ・サトウさん
●キャンパスに輝く「感謝の心」
創価大学を卒業後、大学院進学で渡米しました。就職でオレンジ郡に住み、SUAの開学当時から、学生と間近で接する機会がありました。
2008年に職員になりました。財務部では、大学を支援してくださる方々とのやりとりや、大切なご支援の記録管理と銘板顕彰、来学者の見学の手配、学生との交流のコーディネートなどを担当しています。
創価芸術センター内や「平和の池」の前、ファウンダーズホール(本部棟)、池田図書館前などに、支援者の名前が刻まれた銘板を顕彰させていただいています。
大学には日々、近隣の住民が訪れ、行事の折には、市長をはじめとする市関係者が来られます。数々の銘板を目にして、「こんなに多くの人に愛されている大学なのか」と安心し、地域の誇りと感じるようです。
全てのご支援には、たくさんの夢と希望が詰まっています。
創立者・池田先生の教育構想を、先生と共に実現したいという思い。
より良い世界をつくる人材を育みたいという、平和への願い。
大学に行けなかった自分の分まで、頑張ってほしいとの深い期待。
一家の皆で協力して、SUAを支援してくださる、家族の絆。
さらに、大学の発展を永遠に見守り続けられるようにと、亡くなられた家族の名前を銘板に残す方々もいます。
こうした支えのおかげで学べるという事実を、学生は片時も忘れることなく、勉学に励んでいるのではないでしょうか。「感謝の心」こそ、SUAの一番の象徴であると感じます。毎年、取り組んでいる支援者への手紙も、「せめてもの恩返しに」と、たくさんの学生が参加しています。
ブラジル出身のある学生は、経済的事情で進学を諦めかけましたが、奨学金でSUAに入学しました。「ここで学べることが、今でも信じられない」と語り、キャンパスに来られる支援者と積極的に交流し、心からの感謝を伝えています。
インド出身の学生は、昨年、手紙を出したことで、日本の支援者との交流が始まりました。日本語の留学で来日していた本年、その方の自宅に何度も招かれ、温かな友情を育んだそうです。
これからも、こうした心の触れ合いを、SUAの宝の精神として守っていきます。そして、先生が示された"民衆を守りゆくリーダー"が陸続と育つよう、陰の陰から、大学の発展を支えていきたいと決意しています。
2017年7月6日木曜日
2017.07.06 わが友に贈る
日々、御書を拝し
妙法を弘める実践に
無量無辺の功徳が!
「行学の二道」に励み
勝利の人生を飾りゆけ!
乗明聖人御返事 P1012
『夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや』
☆女性に贈ることば 七月六日
病魔に負けるな!
断じて負けるな!
あなたの生命のなかに太陽がある。
☆今日のことば365 七月六日
礼儀正しく、道理正しく、小さなところに気を使ってゆくことが大切である。それが、人生の機微というものだ。
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 アメリカ・サンフランシスコ�=完 2017年6月25日
◇民衆勝利の金門橋(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)を
わが弟子が
堂々 築けり
将として
シスコの城は
人材 光りぬ
1993年(平成5年)3月13日。5度目のサンフランシスコ訪問の折、アメリカSGI最高会議に出席した池田先生は、代表に和歌を詠み贈った。
さらに、サンフランシスコは「アメリカ広布の偉大なる"原点の地"」であると強調。麗しい団結と広布の前進をたたえた。
翌14日、3・16「広宣流布記念の日」の意義を込め、第1回アメリカSGI青年部総会が開かれた。会場は、サンフランシスコ文化会館。かつての女子短期大学の校舎を再利用して、89年にオープンした地域の城である。
会館に到着した先生を、少年少女の歌声が包む。当時、9歳だったブランドン・ニコルソンさん(男子部副本部長)も、その歓迎の列の中にいた。
生後間もなく、耳の感染症の手術を繰り返したニコルソンさん。2歳からは、激しい発作に苦しむように。そんな自分を、母は先生の指針を通して、元気づけてくれた。
病気との闘いの中、いつも身近に感じていた先生。待ちわびた、師の訪問だった。
歌い終えた子どもたちに、先生は深い感謝を述べた。「皆さん、ありがとう。忘れないよ」。ゆっくりと、一人一人に、温かな眼差しを送る。
ニコルソンさんは語る。「幼い私たちに、最大の期待を寄せてくださっているのを感じました。この信心で、必ず病気に打ち勝とうと決意しました」
真剣に唱題を重ねて1カ月。病状は大きく改善し、薬を服用する必要はなくなった。その後も、発作は起きなかった。
この信仰の確信を胸に、未来部や音楽隊で薫陶を受け、心と体を鍛えた。高校卒業後は、プリンストン大学で公共政策、カリフォルニア大学バークレー校の修士課程、博士課程で教育学を学んだ。学費は、成績優秀者として免除された。
「大学は、大学に行けなかった人のためにある」との先生の指針を座右の銘とし、数年前、教育の機会に恵まれない青少年を支援するNPO(非営利法人)を立ち上げた。
全ての人に、限りない可能性があると信じて、若人に向き合っている。
アメリカSGIに未来部(高等部・中等部)が結成されたのは、この日の青年部総会の折である。ウェンディ・デソーザさん(婦人部副本部長)は、サンフランシスコを含む北カリフォルニアの、最初の未来部リーダーに任命された。
当時、大学2年生。鼓笛隊の一員として、会館の外で歓迎演奏を披露した。先生を前に、感動の涙をこらえながらの演奏だった。
この数年前、勉学のストレスなどから、デソーザさんはうつ状態になった。宿命転換を祈り、必死に戦っていた。
そんな中での師との出会い。雲霧が晴れ、生命の底から希望が湧いた。先生のスピーチを、深く胸に刻んだ。
「大聖人は『仏法は勝負』と教えられた。『勝ちなさい』と教えられたのである。勝たねばならない。妙法を持ったことは『勝利の剣』を手にしたことである。一切に堂々と勝っていける。勝って、楽しんでいける。信仰者とは勝利者の異名である」
「『人間』と『社会』と『宇宙』を貫く"生命の哲理"は、時代の混迷を本源的に照らしゆく太陽といってよい。皆さまは、この妙法の『若き哲人』として、人間精神の再生への赫々たる光を、家庭に、地域に、社会に、そして世界に送っていただきたい」
心身の健康を取り戻したデソーザさんは、全米の女子学生部長、女子部長等を歴任。広布の第一線を駆けた。
現在、カリフォルニア大学デービス校の客員講師として、歴史を教えている。
「師匠である池田先生と、アメリカ広布の草創を築いてくださった先輩の皆さんに感謝したい。希望の生命哲学を、さらに社会に広げていきます」
3月15日、先生はカリフォルニア大学バークレー校を再訪し、チェン総長と会見。さらに、ライナス・ポーリング博士との4度目の語らい(16日)、ウォー・メモリアル・アンド・パフォーミング・アーツ・センターからの「国連貢献・国際文化交流推進賞」授賞式(18日)、フランク・ジョーダン市長との会見(同)などに臨み、平和・文化・教育の交流の道を開いた。
ジョーダン市長との会見の折には、名誉市民に当たる「市の鍵」が、先生に贈られた。
「先生に『市の鍵』が授与されたと聞き、感動と誇りで胸がいっぱいになりました」。そう語るのは、ボブ・スウィーニーさん(支部長)。諸行事を支える役員として、先生の車を運転していた。
先生が安心できる、滞在にしたい。その一心だったという。
先生は、車に乗る時も、降りる時も、決まって彼に声を掛け、感謝を述べた。「お腹は空いていませんか」「ゆっくり休んでください」と心を配り、ある時は、平和と健康長寿を祈念して、自らの名刺に指針をしたためて贈っている。
「どんなに高名な方々とお会いする時も、先生は変わらずに、役員の私に励ましを送ってくださいました」とスウィーニーさん。
この出会いの直前、世界各地で免税店を運営する大手会社で、要職に任命された。
緊張と不安の中、手本としたのが、間近で目にした先生の振る舞いだった。
取引相手や部下を心から尊敬し、固い信頼関係を築きながら、会社発展の一翼を担い続けてきた。
経済苦や子どもの病気も、妻と共に信心で勝ち越えた。「先生が教えてくださった、貢献的人生を生きたい」と朗らかに誓う。
サンフランシスコを初訪問した60年10月。先生は、ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)を視察した。
橋のたもとの広場には、橋をつり上げるケーブルの断面図が展示されており、直径約92センチのケーブルの中には、鉛筆ほどのワイヤが2万7000本以上あった。
細いワイヤが、束ねられて大きな力を発揮するように、学会もまた、異体同心の団結によって、考えられないような力が出せる——先生は、後にそうつづっている。
多様な人々が暮らすサンフランシスコ。生まれ育った環境や、この地で重ねた挑戦の軌跡も、人それぞれに違う。無数の個性が集うからこそ、心に師を抱き、共に大目的に生きる同志の連帯は、互いを輝かせ、幸福を開く大きな力となる。
「私の切り開いた道に、今度は皆さま方が続き、壮大なる『民衆勝利の金門橋』を築き上げてくれることを、私は信じてやまない。ゆえに私は幸福である」
この先生の期待のままに、SGIの友は、平和・教育・文化の交流をさらに大きく広げながら、仏法の価値を社会に発信している。
全米で最も美しいとたたえられる町。そこには、師に応えようと約し合う、美しい心の絆が輝いている。
〈取材に協力してくださった方々〉ヨシコ・ヒューズさん、ノブエ・カワハラさん、タカコ・ウエムラさん、ロン・ベアードさん、ジム・クランプさん、マイケル・リーさん
妙法を弘める実践に
無量無辺の功徳が!
「行学の二道」に励み
勝利の人生を飾りゆけ!
乗明聖人御返事 P1012
『夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや』
☆女性に贈ることば 七月六日
病魔に負けるな!
断じて負けるな!
あなたの生命のなかに太陽がある。
☆今日のことば365 七月六日
礼儀正しく、道理正しく、小さなところに気を使ってゆくことが大切である。それが、人生の機微というものだ。
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 アメリカ・サンフランシスコ�=完 2017年6月25日
◇民衆勝利の金門橋(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)を
わが弟子が
堂々 築けり
将として
シスコの城は
人材 光りぬ
1993年(平成5年)3月13日。5度目のサンフランシスコ訪問の折、アメリカSGI最高会議に出席した池田先生は、代表に和歌を詠み贈った。
さらに、サンフランシスコは「アメリカ広布の偉大なる"原点の地"」であると強調。麗しい団結と広布の前進をたたえた。
翌14日、3・16「広宣流布記念の日」の意義を込め、第1回アメリカSGI青年部総会が開かれた。会場は、サンフランシスコ文化会館。かつての女子短期大学の校舎を再利用して、89年にオープンした地域の城である。
会館に到着した先生を、少年少女の歌声が包む。当時、9歳だったブランドン・ニコルソンさん(男子部副本部長)も、その歓迎の列の中にいた。
生後間もなく、耳の感染症の手術を繰り返したニコルソンさん。2歳からは、激しい発作に苦しむように。そんな自分を、母は先生の指針を通して、元気づけてくれた。
病気との闘いの中、いつも身近に感じていた先生。待ちわびた、師の訪問だった。
歌い終えた子どもたちに、先生は深い感謝を述べた。「皆さん、ありがとう。忘れないよ」。ゆっくりと、一人一人に、温かな眼差しを送る。
ニコルソンさんは語る。「幼い私たちに、最大の期待を寄せてくださっているのを感じました。この信心で、必ず病気に打ち勝とうと決意しました」
真剣に唱題を重ねて1カ月。病状は大きく改善し、薬を服用する必要はなくなった。その後も、発作は起きなかった。
この信仰の確信を胸に、未来部や音楽隊で薫陶を受け、心と体を鍛えた。高校卒業後は、プリンストン大学で公共政策、カリフォルニア大学バークレー校の修士課程、博士課程で教育学を学んだ。学費は、成績優秀者として免除された。
「大学は、大学に行けなかった人のためにある」との先生の指針を座右の銘とし、数年前、教育の機会に恵まれない青少年を支援するNPO(非営利法人)を立ち上げた。
全ての人に、限りない可能性があると信じて、若人に向き合っている。
アメリカSGIに未来部(高等部・中等部)が結成されたのは、この日の青年部総会の折である。ウェンディ・デソーザさん(婦人部副本部長)は、サンフランシスコを含む北カリフォルニアの、最初の未来部リーダーに任命された。
当時、大学2年生。鼓笛隊の一員として、会館の外で歓迎演奏を披露した。先生を前に、感動の涙をこらえながらの演奏だった。
この数年前、勉学のストレスなどから、デソーザさんはうつ状態になった。宿命転換を祈り、必死に戦っていた。
そんな中での師との出会い。雲霧が晴れ、生命の底から希望が湧いた。先生のスピーチを、深く胸に刻んだ。
「大聖人は『仏法は勝負』と教えられた。『勝ちなさい』と教えられたのである。勝たねばならない。妙法を持ったことは『勝利の剣』を手にしたことである。一切に堂々と勝っていける。勝って、楽しんでいける。信仰者とは勝利者の異名である」
「『人間』と『社会』と『宇宙』を貫く"生命の哲理"は、時代の混迷を本源的に照らしゆく太陽といってよい。皆さまは、この妙法の『若き哲人』として、人間精神の再生への赫々たる光を、家庭に、地域に、社会に、そして世界に送っていただきたい」
心身の健康を取り戻したデソーザさんは、全米の女子学生部長、女子部長等を歴任。広布の第一線を駆けた。
現在、カリフォルニア大学デービス校の客員講師として、歴史を教えている。
「師匠である池田先生と、アメリカ広布の草創を築いてくださった先輩の皆さんに感謝したい。希望の生命哲学を、さらに社会に広げていきます」
3月15日、先生はカリフォルニア大学バークレー校を再訪し、チェン総長と会見。さらに、ライナス・ポーリング博士との4度目の語らい(16日)、ウォー・メモリアル・アンド・パフォーミング・アーツ・センターからの「国連貢献・国際文化交流推進賞」授賞式(18日)、フランク・ジョーダン市長との会見(同)などに臨み、平和・文化・教育の交流の道を開いた。
ジョーダン市長との会見の折には、名誉市民に当たる「市の鍵」が、先生に贈られた。
「先生に『市の鍵』が授与されたと聞き、感動と誇りで胸がいっぱいになりました」。そう語るのは、ボブ・スウィーニーさん(支部長)。諸行事を支える役員として、先生の車を運転していた。
先生が安心できる、滞在にしたい。その一心だったという。
先生は、車に乗る時も、降りる時も、決まって彼に声を掛け、感謝を述べた。「お腹は空いていませんか」「ゆっくり休んでください」と心を配り、ある時は、平和と健康長寿を祈念して、自らの名刺に指針をしたためて贈っている。
「どんなに高名な方々とお会いする時も、先生は変わらずに、役員の私に励ましを送ってくださいました」とスウィーニーさん。
この出会いの直前、世界各地で免税店を運営する大手会社で、要職に任命された。
緊張と不安の中、手本としたのが、間近で目にした先生の振る舞いだった。
取引相手や部下を心から尊敬し、固い信頼関係を築きながら、会社発展の一翼を担い続けてきた。
経済苦や子どもの病気も、妻と共に信心で勝ち越えた。「先生が教えてくださった、貢献的人生を生きたい」と朗らかに誓う。
サンフランシスコを初訪問した60年10月。先生は、ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)を視察した。
橋のたもとの広場には、橋をつり上げるケーブルの断面図が展示されており、直径約92センチのケーブルの中には、鉛筆ほどのワイヤが2万7000本以上あった。
細いワイヤが、束ねられて大きな力を発揮するように、学会もまた、異体同心の団結によって、考えられないような力が出せる——先生は、後にそうつづっている。
多様な人々が暮らすサンフランシスコ。生まれ育った環境や、この地で重ねた挑戦の軌跡も、人それぞれに違う。無数の個性が集うからこそ、心に師を抱き、共に大目的に生きる同志の連帯は、互いを輝かせ、幸福を開く大きな力となる。
「私の切り開いた道に、今度は皆さま方が続き、壮大なる『民衆勝利の金門橋』を築き上げてくれることを、私は信じてやまない。ゆえに私は幸福である」
この先生の期待のままに、SGIの友は、平和・教育・文化の交流をさらに大きく広げながら、仏法の価値を社会に発信している。
全米で最も美しいとたたえられる町。そこには、師に応えようと約し合う、美しい心の絆が輝いている。
〈取材に協力してくださった方々〉ヨシコ・ヒューズさん、ノブエ・カワハラさん、タカコ・ウエムラさん、ロン・ベアードさん、ジム・クランプさん、マイケル・リーさん
2017年7月5日水曜日
2017.07.05 わが友に贈る
いつもたゆまず
銀の道を毅然と走る
「無冠の友」に最敬礼。
くれぐれも無理をせず
どうか無事故第一で!
別当御房御返事 P901
『但し当時日蓮心ざす事は生処なり日本国よりも大切にをもひ候、例せば漢王の沛郡ををもくをぼしめししがごとしかれ生処なるゆへなり』
☆女性に贈ることば 七月五日
誰しも転ぶことはある。転んだら、また立ち上がればいい。
立ち上がって、まっすぐ前を向いて進んでいくことだ。
青春に、取り返しのつかない失敗などないのだから!
☆今日のことば365 七月五日
若人は、周囲から、踏まれても、吹かれても、若芽が、黒色の大地より、出づるが如く、力強く、もくもくと起き上がっていかねばならぬ。若々しき清浄なる生命力で生ききらねばならぬ。
☆この一節を胸に行学に励む 執念 2017年7月1日
◇「必ず成し遂げる」との 強盛な祈りで壁を破れ
池田先生は、「『断じて勝つ』。この執念が強いほうが勝つ。心で勝ったものが勝つ。信心の王者こそ、絶対不敗の勝利者なのである」と語られています。今回は勝利への「執念」について確認します。
〈Q〉目標に向かって進む中で、大事なことは何ですか?
〈A〉「戦い続ける心」を奮い起こし、絶対に諦めないことです。
此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候(曾谷殿御返事、御書1056ページ)
妙法弘通に生き抜かれた日蓮大聖人。民衆の幸福を阻む誤った思想に対して、正義の言論を武器に徹底して戦われたため、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、そして竜の口の法難・佐渡流罪など、幾多の大難を受けられました。
大聖人は、この間の激闘と御心境について、「悪口を数知れず言われ、ある時は打たれ、ある時は傷を負い、ある時は弟子を殺され、ある時は首を切られようとし、あるいは2度も流罪に処せられた。この二十余年の間は、一時片時も心安らかなことはなかった」(御書1514ページ、通解)と述べられています。
しかし、一切衆生を救済するとの誓願のままに生きられた大聖人は、いかなる苦難にも屈しませんでした。
大聖人は「この法門を日蓮が申すゆえに、忠言は耳に逆らうの道理であるから、流罪されたり命にも及んだのである。しかしながら、いまだ、こりてはいない」(同1056ページ、通解)と仰せです。
「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と、徹底して戦い抜く姿勢を強調された御書もあります。この大聖人の「戦い続ける心」こそ、学会精神そのものでもあるのです。
〈Q〉最後まで油断してはならないと教わりました。
〈A〉「持続の信心」こそ自身の一生成仏の大道です。
譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき(新池御書、御書1440ページ)
目標や目的に向かって進む中で大事なのは、油断することなく、最後までやり抜くという姿勢です。日蓮大聖人は折に触れて、「持続の信心」の重要性を訴えられています。
一生成仏という、勝利の人生を開いていくためには、信心を貫き通すことが欠かせません。
「例えば、鎌倉から京までは12日の道のりである。それを11日余り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうして都の月を詠ずることができようか」(御書1440ページ、通解)との御金言も、信心を貫き通す大切さを示された一節です。
信心の実践においては必ず障魔が競い起こります。しかし、その時にこそ勇気を奮い起こして、勇んで信心を実践していくことです。池田先生も、この御聖訓を拝して次のように語られています。
「自身の一生成仏のためには、最後の最後の瞬間まで、絶対に信心の歩みを止めてはならないとの御指導です。地涌の菩薩である私たちが、この世に生を受けた意味は、広宣流布のため、人びとの幸福と社会の繁栄のために、行動し続けるためなんです」
信心根本に戦い続ける中に一生成仏の大道があると確信して、前進していきましょう。
〈Q〉環境が厳しく、限界を感じています。
〈A〉岩をも貫く「強き一念」で勝利を開きましょう!
李広将軍と申せし・つはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし(四条金吾殿御返事、御書1186ページ)
仏法説話の一つに「石に矢が立った」という「石虎将軍」のエピソードがあり、御書の中でも触れられています。
「昔、中国の李広将軍という武将は、虎に母を食い殺されて、虎に似た石を射たところ、矢は羽ぶくら(矢の先と反対側に付いている羽根形の部分)まで石に突き刺さった。しかし、あとで、それが石と知ってからは、射ても矢は石に立つことがなかったという」(御書1186ページ、通解)
日蓮大聖人は、強き一念があれば何事も成せる譬えとして、この故事を引用されています。
人生では苦難に直面したり、行き詰まったりする時があります。しかし、どんなに状況が厳しくとも、信心根本に、諦めない「執念の行動」が勝利を開きます。その根本は私たちの「心」「一念」です。
池田先生は、次のようにつづっています。「強き一念の力は、岩をも貫く。人間生命の持つ底力を引き出すための妙法であり、信仰である。不可能を可能にするのは、『断じて成し遂げるのだ』との決定した祈りである。勝利への執念である。断じて諦めない! 最後に必ず勝ってみせる!——この強き心が諸天善神を動かす。一切を味方に変える。信心こそ、壁を破る最極の力だ」
〈智慧の扉〉 仏法は勝負
御書には、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし」(1165ページ)とあります。大聖人は、主君に疎まれ、所領没収の危機に陥った弟子の四条金吾に対して、「決して逃げてはならない」「信心を根本に、難局に立ち向かいなさい」と、教えられました。
人生は戦いであり、何事においても勝つか負けるかです。その上で私たちが実践する信心は、あらゆる勝利への原動力です。
池田先生は「信心とは、『勇猛精進』である。題目をあげ、最高の勇気をもって、たゆみなく、前進また前進するのだ」と、勝利に向かって戦い続ける重要性を教えられています。
銀の道を毅然と走る
「無冠の友」に最敬礼。
くれぐれも無理をせず
どうか無事故第一で!
別当御房御返事 P901
『但し当時日蓮心ざす事は生処なり日本国よりも大切にをもひ候、例せば漢王の沛郡ををもくをぼしめししがごとしかれ生処なるゆへなり』
☆女性に贈ることば 七月五日
誰しも転ぶことはある。転んだら、また立ち上がればいい。
立ち上がって、まっすぐ前を向いて進んでいくことだ。
青春に、取り返しのつかない失敗などないのだから!
☆今日のことば365 七月五日
若人は、周囲から、踏まれても、吹かれても、若芽が、黒色の大地より、出づるが如く、力強く、もくもくと起き上がっていかねばならぬ。若々しき清浄なる生命力で生ききらねばならぬ。
☆この一節を胸に行学に励む 執念 2017年7月1日
◇「必ず成し遂げる」との 強盛な祈りで壁を破れ
池田先生は、「『断じて勝つ』。この執念が強いほうが勝つ。心で勝ったものが勝つ。信心の王者こそ、絶対不敗の勝利者なのである」と語られています。今回は勝利への「執念」について確認します。
〈Q〉目標に向かって進む中で、大事なことは何ですか?
〈A〉「戦い続ける心」を奮い起こし、絶対に諦めないことです。
此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候(曾谷殿御返事、御書1056ページ)
妙法弘通に生き抜かれた日蓮大聖人。民衆の幸福を阻む誤った思想に対して、正義の言論を武器に徹底して戦われたため、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、そして竜の口の法難・佐渡流罪など、幾多の大難を受けられました。
大聖人は、この間の激闘と御心境について、「悪口を数知れず言われ、ある時は打たれ、ある時は傷を負い、ある時は弟子を殺され、ある時は首を切られようとし、あるいは2度も流罪に処せられた。この二十余年の間は、一時片時も心安らかなことはなかった」(御書1514ページ、通解)と述べられています。
しかし、一切衆生を救済するとの誓願のままに生きられた大聖人は、いかなる苦難にも屈しませんでした。
大聖人は「この法門を日蓮が申すゆえに、忠言は耳に逆らうの道理であるから、流罪されたり命にも及んだのである。しかしながら、いまだ、こりてはいない」(同1056ページ、通解)と仰せです。
「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と、徹底して戦い抜く姿勢を強調された御書もあります。この大聖人の「戦い続ける心」こそ、学会精神そのものでもあるのです。
〈Q〉最後まで油断してはならないと教わりました。
〈A〉「持続の信心」こそ自身の一生成仏の大道です。
譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき(新池御書、御書1440ページ)
目標や目的に向かって進む中で大事なのは、油断することなく、最後までやり抜くという姿勢です。日蓮大聖人は折に触れて、「持続の信心」の重要性を訴えられています。
一生成仏という、勝利の人生を開いていくためには、信心を貫き通すことが欠かせません。
「例えば、鎌倉から京までは12日の道のりである。それを11日余り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうして都の月を詠ずることができようか」(御書1440ページ、通解)との御金言も、信心を貫き通す大切さを示された一節です。
信心の実践においては必ず障魔が競い起こります。しかし、その時にこそ勇気を奮い起こして、勇んで信心を実践していくことです。池田先生も、この御聖訓を拝して次のように語られています。
「自身の一生成仏のためには、最後の最後の瞬間まで、絶対に信心の歩みを止めてはならないとの御指導です。地涌の菩薩である私たちが、この世に生を受けた意味は、広宣流布のため、人びとの幸福と社会の繁栄のために、行動し続けるためなんです」
信心根本に戦い続ける中に一生成仏の大道があると確信して、前進していきましょう。
〈Q〉環境が厳しく、限界を感じています。
〈A〉岩をも貫く「強き一念」で勝利を開きましょう!
李広将軍と申せし・つはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし(四条金吾殿御返事、御書1186ページ)
仏法説話の一つに「石に矢が立った」という「石虎将軍」のエピソードがあり、御書の中でも触れられています。
「昔、中国の李広将軍という武将は、虎に母を食い殺されて、虎に似た石を射たところ、矢は羽ぶくら(矢の先と反対側に付いている羽根形の部分)まで石に突き刺さった。しかし、あとで、それが石と知ってからは、射ても矢は石に立つことがなかったという」(御書1186ページ、通解)
日蓮大聖人は、強き一念があれば何事も成せる譬えとして、この故事を引用されています。
人生では苦難に直面したり、行き詰まったりする時があります。しかし、どんなに状況が厳しくとも、信心根本に、諦めない「執念の行動」が勝利を開きます。その根本は私たちの「心」「一念」です。
池田先生は、次のようにつづっています。「強き一念の力は、岩をも貫く。人間生命の持つ底力を引き出すための妙法であり、信仰である。不可能を可能にするのは、『断じて成し遂げるのだ』との決定した祈りである。勝利への執念である。断じて諦めない! 最後に必ず勝ってみせる!——この強き心が諸天善神を動かす。一切を味方に変える。信心こそ、壁を破る最極の力だ」
〈智慧の扉〉 仏法は勝負
御書には、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし」(1165ページ)とあります。大聖人は、主君に疎まれ、所領没収の危機に陥った弟子の四条金吾に対して、「決して逃げてはならない」「信心を根本に、難局に立ち向かいなさい」と、教えられました。
人生は戦いであり、何事においても勝つか負けるかです。その上で私たちが実践する信心は、あらゆる勝利への原動力です。
池田先生は「信心とは、『勇猛精進』である。題目をあげ、最高の勇気をもって、たゆみなく、前進また前進するのだ」と、勝利に向かって戦い続ける重要性を教えられています。
2017年7月4日火曜日
2017.07.04 わが友に贈る
「仏種は縁に従って起る」
広げた宝の仏縁を
大切に育んでいこう!
どこまでも誠実に
自他共の幸福の大道を!
御義口伝巻下 P787
『自身の仏乗を悟つて自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり』
☆女性に贈ることば 七月四日
ニューヨークの「自由の女神」の顔は、作者バルトルディのお母さんがモデルであるといわれている。
苦労して自分を育ててくれた母--彼は感謝の思いを、形にしたかったのかもしれない。また、子どもにとって、母の顔はいちばん美しく、尊いものなのかもしれない。
母の恩に応えたい--そうした思いを、本来、誰しも、生命の奥底にもっている。
☆今日のことば365 七月四日
善につけ、悪につけ、幼少の頃に身についた習慣は、なかなか直せるものではない。悪い習慣は、生涯、本人を苦しめ、正しい習慣は、なにものにも代えがたい財宝として、生涯、その人を助けていくことであろう。
☆親が子に語る物語 シギとハマグリ 2017年6月25日
◇目的に向かって心を一つに
はるかむかしの中国のお話です。そのころ、少しでも自分の国を大きくしようと、たえず国同士があらそっていました。
あるとき、趙という国の王が、となりの燕という国を攻めようとおもいました。城のなかでは、話し合いが始まりました。
「わたしは、すぐに攻め込んだほうがいいとおもいますね」と、ひとりの大臣が言いました。
「いや、よく準備をしてからのほうがいい」と、別の大臣が言いました。
誰もが王の顔色をうかがって、あらそいはさけたほうがいい、とは言えませんでした。
王は、みなの様子を見ながら、「反対するものはいないようだな……」と、満足そうにうなずきました。
すると、それまで黙っていた大臣の蘇代が口をひらきました。
「王さま、城へ来るまでにおもしろいものを見ました」
「ほう、なんだ?」
王は、かれのほうへ鋭い眼をむけました。
蘇代は、ゆっくりと話し始めました。
◇
——わたしが川のほとりを通ったときのことです。空を見ると、一羽のシギがゆっくり舞っていました。どうやら腹をすかせて、えさをさがしているようでした。
やがてシギは、えさを見つけたようで、素早く川へ下りていきました。
そこにはハマグリがひとつ、ひなたぼっこでもするように舌を出していました。
シギが鋭いくちばしで突っつくと、ハマグリは、ぱっと口をとざして、シギのくちばしをはさみました。
さあ、それからは大変です。シギはハマグリの口をあけようとふりまわします。ハマグリは、ますますかたく口をとじます。
「いいさ、ずっとこうしていれば、そのうちハマグリの干物ができあがる」と、シギが言いました。
すると、「いや、ずっとこうしていれば、そのうち飢え死にのシギができあがる」と、言いかえしました。
あらそいの決着は、なかなかつきません。その様子を遠くから見ていたものがいました。ひとりの漁師です。
その男は、静かにシギとハマグリに近づきました。そして、ぱっと網を放ってとってしまいました。
シギはハマグリを食べることができず、ハマグリはシギから逃げられず、どちらも漁師の獲物になったのです——。
黙って聞いていた王は、「シギが趙でハマグリが燕——そういうことか?」と、聞きました。
蘇代はうなずいて、「敵も必死です。簡単には降伏しません。ふたつの国があらそいをつづければ、国も人も疲れはててしまいます」と、言いました。
「漁師は、秦だな」
秦は、ひときわ大きな、力のある国でした。
「はい。趙と燕があらそえば、得をするのは秦です」
ほかの大臣たちは、あいかわらず王の顔色をうかがっていました。すると、王は、「ここは蘇代の言うことを聞こう。燕を攻めるのはやめる」と、言いました。
こうして蘇代の知恵のおかげで、無益なあらそいは、とどめられました。
◇ ◆ ◇
ぶん・村上 政彦
え ・松井 春子
◇おうちの方へ
今回の物語は『戦国策』に出てくる「鷸蚌の争い」を基にしたもので、「漁夫の利」という言葉の由来にもなっています。
多くの国が争っていた戦国時代の中国。その中の趙が、隣国の燕に攻め入ろうとした際、臣下の蘇代は、趙と燕が争って国が疲弊すれば、強大な秦の国にのみ込まれてしまうと心配します。そこで王に巧みな譬え話をし、燕への攻撃を思いとどまらせたのです。
日蓮大聖人は池上兄弟に対して、この故事を引き、次のように仰せです。
「2人とも(法華経のゆえに)はっきりとした敵をもつ身であります。それゆえに内輪から争いを起こせば、シギとハマグリが争っているうちに、どちらも漁師に捕らえられてしまったように、敵の乗じるところとなるでしょう」(御書1108ページ、趣旨)
この御書をいただいた池上兄弟は、心を一つにして周囲の信心の反対を乗り越えることができました。私たちは、身近な人たちとの団結こそ勝利の鍵であることを確認していきましょう。
広げた宝の仏縁を
大切に育んでいこう!
どこまでも誠実に
自他共の幸福の大道を!
御義口伝巻下 P787
『自身の仏乗を悟つて自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり』
☆女性に贈ることば 七月四日
ニューヨークの「自由の女神」の顔は、作者バルトルディのお母さんがモデルであるといわれている。
苦労して自分を育ててくれた母--彼は感謝の思いを、形にしたかったのかもしれない。また、子どもにとって、母の顔はいちばん美しく、尊いものなのかもしれない。
母の恩に応えたい--そうした思いを、本来、誰しも、生命の奥底にもっている。
☆今日のことば365 七月四日
善につけ、悪につけ、幼少の頃に身についた習慣は、なかなか直せるものではない。悪い習慣は、生涯、本人を苦しめ、正しい習慣は、なにものにも代えがたい財宝として、生涯、その人を助けていくことであろう。
☆親が子に語る物語 シギとハマグリ 2017年6月25日
◇目的に向かって心を一つに
はるかむかしの中国のお話です。そのころ、少しでも自分の国を大きくしようと、たえず国同士があらそっていました。
あるとき、趙という国の王が、となりの燕という国を攻めようとおもいました。城のなかでは、話し合いが始まりました。
「わたしは、すぐに攻め込んだほうがいいとおもいますね」と、ひとりの大臣が言いました。
「いや、よく準備をしてからのほうがいい」と、別の大臣が言いました。
誰もが王の顔色をうかがって、あらそいはさけたほうがいい、とは言えませんでした。
王は、みなの様子を見ながら、「反対するものはいないようだな……」と、満足そうにうなずきました。
すると、それまで黙っていた大臣の蘇代が口をひらきました。
「王さま、城へ来るまでにおもしろいものを見ました」
「ほう、なんだ?」
王は、かれのほうへ鋭い眼をむけました。
蘇代は、ゆっくりと話し始めました。
◇
——わたしが川のほとりを通ったときのことです。空を見ると、一羽のシギがゆっくり舞っていました。どうやら腹をすかせて、えさをさがしているようでした。
やがてシギは、えさを見つけたようで、素早く川へ下りていきました。
そこにはハマグリがひとつ、ひなたぼっこでもするように舌を出していました。
シギが鋭いくちばしで突っつくと、ハマグリは、ぱっと口をとざして、シギのくちばしをはさみました。
さあ、それからは大変です。シギはハマグリの口をあけようとふりまわします。ハマグリは、ますますかたく口をとじます。
「いいさ、ずっとこうしていれば、そのうちハマグリの干物ができあがる」と、シギが言いました。
すると、「いや、ずっとこうしていれば、そのうち飢え死にのシギができあがる」と、言いかえしました。
あらそいの決着は、なかなかつきません。その様子を遠くから見ていたものがいました。ひとりの漁師です。
その男は、静かにシギとハマグリに近づきました。そして、ぱっと網を放ってとってしまいました。
シギはハマグリを食べることができず、ハマグリはシギから逃げられず、どちらも漁師の獲物になったのです——。
黙って聞いていた王は、「シギが趙でハマグリが燕——そういうことか?」と、聞きました。
蘇代はうなずいて、「敵も必死です。簡単には降伏しません。ふたつの国があらそいをつづければ、国も人も疲れはててしまいます」と、言いました。
「漁師は、秦だな」
秦は、ひときわ大きな、力のある国でした。
「はい。趙と燕があらそえば、得をするのは秦です」
ほかの大臣たちは、あいかわらず王の顔色をうかがっていました。すると、王は、「ここは蘇代の言うことを聞こう。燕を攻めるのはやめる」と、言いました。
こうして蘇代の知恵のおかげで、無益なあらそいは、とどめられました。
◇ ◆ ◇
ぶん・村上 政彦
え ・松井 春子
◇おうちの方へ
今回の物語は『戦国策』に出てくる「鷸蚌の争い」を基にしたもので、「漁夫の利」という言葉の由来にもなっています。
多くの国が争っていた戦国時代の中国。その中の趙が、隣国の燕に攻め入ろうとした際、臣下の蘇代は、趙と燕が争って国が疲弊すれば、強大な秦の国にのみ込まれてしまうと心配します。そこで王に巧みな譬え話をし、燕への攻撃を思いとどまらせたのです。
日蓮大聖人は池上兄弟に対して、この故事を引き、次のように仰せです。
「2人とも(法華経のゆえに)はっきりとした敵をもつ身であります。それゆえに内輪から争いを起こせば、シギとハマグリが争っているうちに、どちらも漁師に捕らえられてしまったように、敵の乗じるところとなるでしょう」(御書1108ページ、趣旨)
この御書をいただいた池上兄弟は、心を一つにして周囲の信心の反対を乗り越えることができました。私たちは、身近な人たちとの団結こそ勝利の鍵であることを確認していきましょう。
2017年7月3日月曜日
2017.07.03 わが友に贈る
◇今週のことば
ああ感激の同志、万歳!
民衆の団結の大勝利だ。
「陰徳陽報」は絶大なり。
いよいよの信頼と福徳で
みなが凱歌の人生を!
2017年7月3日
法華証明抄 P1586
『地にたうれたる人はかへりて地よりをく、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地にはたうれ候へどもかへりて法華経の御手にかかりて仏になるとことわられて候』
☆女性に贈ることば 七月三日
師弟の道こそ、正しい人生をまっとうするための要諦である。
師弟の道を見失い、自己の原点をなくした場合には、大切にしてきた大目的をも忘れ、小さな自身のエゴと虚飾に陥ってしまうことが、あまりに多い。
☆今日のことば365 七月三日
戦争ほど
残酷なものはない
戦争ほど
悲惨なものはない
☆御書と歩む 第72回 苦難を恐れずいよいよ前へ!
『いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし』(兵衛志殿御返事、1090ページ)
◇通解
どのようなことがあっても、少しも弛んではならない。いよいよ声を張り上げてせめていきなさい。
◇同志への指針
壁に突き当たった時が、まことの勝負である。苦難を勝ち越えた東京の大先達・池上兄弟のように、たゆまず団結して挑み抜くのだ。
我らには題目の師子吼がある。勇気の一念が、状況を一変させる。学会精神に燃える勇者の声から、勝利の反転攻勢が始まるのだ。
「いよいよ・はりあげて」攻め抜け!——これが「法華経の兵法」の極意である。
☆7月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 曾谷殿御返事 2017年6月24日
◇立正安国の大闘争を 学会精神の真髄は「いまだこりず候」
7月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「曾谷殿御返事」を研さん。苦難や迫害にも屈することなく、人々に妙法を下種していく広布の実践について学ぶ。
◇御文
此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり(御書1056ページ)
◇通解
この法門を日蓮が説くので、「忠言は耳に逆らう」というのが道理であるから、流罪にされ、命の危険にも及んだのである。しかしながら、いまだ懲りてはいない。法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。
◇背景と大意
本抄は建治2年(1276年)8月、日蓮大聖人が身延の地で御執筆され、下総国(現在の千葉県北部等)の中心的な門下だった曾谷教信か、その一族の誰かに送られたお手紙である。
本抄は、別名を「成仏用心抄」といい、成仏のために用心すべきことが認められている。大聖人は、成仏の根源法、すなわち仏種である妙法を教えてくれた「根源の師」を忘れて成仏はないことを示され、世間と仏法の道理に照らし、誤った師匠を捨てて、正しい師匠につくべきだと仰せである。
拝読御文は本抄の結びの一節に当たり、命にも及ぶ大難に屈せず、謗法を責め抜き、民衆救済に戦われる御本仏の御決意が示されている。
◇解説
本抄の御執筆当時の人々は、阿弥陀如来や大日如来などをあがめ、釈尊をないがしろにし、法華経を誹謗していた。これに対して大聖人は、末法においては、法華経の真髄である「南無妙法蓮華経」こそが万人成仏の大法であると説き、弘通された。
そして大聖人は「此法門」、すなわち"根本とすべき師匠を誤ってはならないこと"を説いて、悪を強く責めた。そのため、「忠言耳に逆う(=忠告の言葉は、欠点や過ちを鋭く指摘しているゆえに聞き入れにくい)」の道理のまま、竜の口の法難で命を奪われそうになり、佐渡への流罪となったのである。
本抄では、誰が根源の師なのかを忘れて、成仏の道はないことを繰り返し教えられている。ここで大聖人は、釈尊が一切衆生にとっての宿縁深き師であると述べられているが、その元意は、弟子の立場から拝すれば、大聖人を末法における根源の師と仰いでいくことは明白である。
大聖人は打ち続く大難の中、「いまだこりず候」と叫ばれた。これは、何があっても全民衆を救うとの御本仏の大慈悲による御宣言である。その不惜身命の実践として、万人の成仏を可能にする「下種仏法」の原理を示されている。
「南無妙法蓮華経」は、あらゆる人を仏にする根源の仏種である。仏はその植え手となって、衆生の心という田に成仏の種を下ろしていく。
同様に、私たちが妙法を語ることで、相手の生命に具わる仏性を呼び覚ますことができるのだ。友の幸福のために、仏法を堂々と語り抜く実践こそ、御本仏の御精神に連なる"仏の行い"にほかならない。
さらに大聖人は、本抄の中で広布を阻む悪と戦う姿勢を強調されている。拝読御文の前には「法華経の敵を見ながら放置して責めなければ、師も檀那もともに無間地獄に堕ちることは疑いない」(御書1056ページ、通解)と仰せである。
現代の私たちにとっては、人を不幸におとしめるウソやデマに対し、折伏精神をたぎらせ、正義と真実を語り抜くことに通じよう。
池田先生は、こう指導している。「大聖人は、命に及ぶ迫害の中で一切を耐え忍び、全民衆の幸福と平和のために『立正安国』の大闘争を貫き通してくださった。『いまだこりず候』——これこそ学会精神の真髄である。我らは何ものにも屈しない。魔の方が音を上げるほどの『負けじ魂』で、戦って戦って戦い抜くのだ」
さあ、7月11日の「男子部結成記念日」へ!——私たちの使命は、破邪顕正の言論戦で全ての障魔をはね返し、正義と真実が勝ち栄える時代を切り開くことである。自他共の幸福と社会の繁栄のため、「負けじ魂」を燃え上がらせ、立正安国の大闘争を繰り広げよう。
◎首都東京の大勝利、おめでとうございます(^^♪
ああ感激の同志、万歳!
民衆の団結の大勝利だ。
「陰徳陽報」は絶大なり。
いよいよの信頼と福徳で
みなが凱歌の人生を!
2017年7月3日
法華証明抄 P1586
『地にたうれたる人はかへりて地よりをく、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地にはたうれ候へどもかへりて法華経の御手にかかりて仏になるとことわられて候』
☆女性に贈ることば 七月三日
師弟の道こそ、正しい人生をまっとうするための要諦である。
師弟の道を見失い、自己の原点をなくした場合には、大切にしてきた大目的をも忘れ、小さな自身のエゴと虚飾に陥ってしまうことが、あまりに多い。
☆今日のことば365 七月三日
戦争ほど
残酷なものはない
戦争ほど
悲惨なものはない
☆御書と歩む 第72回 苦難を恐れずいよいよ前へ!
『いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし』(兵衛志殿御返事、1090ページ)
◇通解
どのようなことがあっても、少しも弛んではならない。いよいよ声を張り上げてせめていきなさい。
◇同志への指針
壁に突き当たった時が、まことの勝負である。苦難を勝ち越えた東京の大先達・池上兄弟のように、たゆまず団結して挑み抜くのだ。
我らには題目の師子吼がある。勇気の一念が、状況を一変させる。学会精神に燃える勇者の声から、勝利の反転攻勢が始まるのだ。
「いよいよ・はりあげて」攻め抜け!——これが「法華経の兵法」の極意である。
☆7月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 曾谷殿御返事 2017年6月24日
◇立正安国の大闘争を 学会精神の真髄は「いまだこりず候」
7月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「曾谷殿御返事」を研さん。苦難や迫害にも屈することなく、人々に妙法を下種していく広布の実践について学ぶ。
◇御文
此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり(御書1056ページ)
◇通解
この法門を日蓮が説くので、「忠言は耳に逆らう」というのが道理であるから、流罪にされ、命の危険にも及んだのである。しかしながら、いまだ懲りてはいない。法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。
◇背景と大意
本抄は建治2年(1276年)8月、日蓮大聖人が身延の地で御執筆され、下総国(現在の千葉県北部等)の中心的な門下だった曾谷教信か、その一族の誰かに送られたお手紙である。
本抄は、別名を「成仏用心抄」といい、成仏のために用心すべきことが認められている。大聖人は、成仏の根源法、すなわち仏種である妙法を教えてくれた「根源の師」を忘れて成仏はないことを示され、世間と仏法の道理に照らし、誤った師匠を捨てて、正しい師匠につくべきだと仰せである。
拝読御文は本抄の結びの一節に当たり、命にも及ぶ大難に屈せず、謗法を責め抜き、民衆救済に戦われる御本仏の御決意が示されている。
◇解説
本抄の御執筆当時の人々は、阿弥陀如来や大日如来などをあがめ、釈尊をないがしろにし、法華経を誹謗していた。これに対して大聖人は、末法においては、法華経の真髄である「南無妙法蓮華経」こそが万人成仏の大法であると説き、弘通された。
そして大聖人は「此法門」、すなわち"根本とすべき師匠を誤ってはならないこと"を説いて、悪を強く責めた。そのため、「忠言耳に逆う(=忠告の言葉は、欠点や過ちを鋭く指摘しているゆえに聞き入れにくい)」の道理のまま、竜の口の法難で命を奪われそうになり、佐渡への流罪となったのである。
本抄では、誰が根源の師なのかを忘れて、成仏の道はないことを繰り返し教えられている。ここで大聖人は、釈尊が一切衆生にとっての宿縁深き師であると述べられているが、その元意は、弟子の立場から拝すれば、大聖人を末法における根源の師と仰いでいくことは明白である。
大聖人は打ち続く大難の中、「いまだこりず候」と叫ばれた。これは、何があっても全民衆を救うとの御本仏の大慈悲による御宣言である。その不惜身命の実践として、万人の成仏を可能にする「下種仏法」の原理を示されている。
「南無妙法蓮華経」は、あらゆる人を仏にする根源の仏種である。仏はその植え手となって、衆生の心という田に成仏の種を下ろしていく。
同様に、私たちが妙法を語ることで、相手の生命に具わる仏性を呼び覚ますことができるのだ。友の幸福のために、仏法を堂々と語り抜く実践こそ、御本仏の御精神に連なる"仏の行い"にほかならない。
さらに大聖人は、本抄の中で広布を阻む悪と戦う姿勢を強調されている。拝読御文の前には「法華経の敵を見ながら放置して責めなければ、師も檀那もともに無間地獄に堕ちることは疑いない」(御書1056ページ、通解)と仰せである。
現代の私たちにとっては、人を不幸におとしめるウソやデマに対し、折伏精神をたぎらせ、正義と真実を語り抜くことに通じよう。
池田先生は、こう指導している。「大聖人は、命に及ぶ迫害の中で一切を耐え忍び、全民衆の幸福と平和のために『立正安国』の大闘争を貫き通してくださった。『いまだこりず候』——これこそ学会精神の真髄である。我らは何ものにも屈しない。魔の方が音を上げるほどの『負けじ魂』で、戦って戦って戦い抜くのだ」
さあ、7月11日の「男子部結成記念日」へ!——私たちの使命は、破邪顕正の言論戦で全ての障魔をはね返し、正義と真実が勝ち栄える時代を切り開くことである。自他共の幸福と社会の繁栄のため、「負けじ魂」を燃え上がらせ、立正安国の大闘争を繰り広げよう。
◎首都東京の大勝利、おめでとうございます(^^♪
2017年7月2日日曜日
2017.07.02 わが友に贈る
団結こそ勝利の力だ!
異体同心の祈りで
スクラム固く進みゆけ!
感激の同志と友に
地域に友情の光彩を!
衆生身心御書 P1594
『つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり』
☆女性に贈ることば 七月二日
私も若い頃、働きながら夜学で学んだ。人間、苦労して学んだことしか血肉にならない。
人一倍の苦労をすればこそ、人の痛みがわかる人間になれる。
何の苦労もせず、人の心がわからないままで、社会の本物のリーダーになることなどできない。
☆今日のことば365 七月二日
人生行路とは 障害物競走と
いってもよいかも知れない
だから 心身ともに 強靱なる
忍耐と努力の持続なくして
栄光のテープは切れない
☆御書と歩む 第71回 「一人立つ」拡大の歴史を
『日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり』(妙密上人御消息、1241ページ)
◇通解
日蓮は、日本国の中でただ一人、南無妙法蓮華経と唱えた。これは須弥山となった始めの一塵であり、大海となった始めの一露である。
◇同志への指針
広宣流布は、人類の宿命を転換し、恒久平和を開きゆく大事業だ。この最極の挑戦に連なる我らの誇りは高い。
一人の生命を揺さぶる対話は、難事中の最難事である。だからこそ、命は磨かれ、心の財が積まれる。
突破口を開くのは、青年の勇気だ。「一人立つ」若人の誠実と確信の声こそ、「黄金の一塵」であり、「福徳の一露」なのである。
☆学生部結成記念日 札幌大会・夕張大会から60周年 2017年6月30日
◇我らは永遠に民衆と共に民衆の中へ 師弟で刻んだ凱歌の軌跡
きょう30日は「学生部結成記念日」。本年は60周年の佳節である。60年前の1957年(昭和32年)、民衆勢力の台頭を恐れた既成権力による学会員への迫害が激しさを増す中で、学生部は産声を上げた。学生部誕生の翌日(7月1日)と翌々日(同2日)には、それぞれ「札幌大会」と「夕張大会」が行われ、若き日の池田大作先生が権力の横暴を徹底的に糾弾し、学会の正義を宣言。民衆凱歌の軌跡が刻まれている。創価の人権闘争の原点から60年——ここでは当時の模様や現在の男女学生部員の活躍とともに、北海道・天使大学の田島忠篤教授へのインタビューを紹介する。
池田先生は小説『新・人間革命』「民衆の旗」の章につづった。「学会は永遠に民衆の側に立つ。ゆえに、これからも行く手には弾圧があろう。謀略の罠も待ち受けていよう。しかし、民衆の栄光のために獅子王のごとく戦い、勝つことが、学会には宿命づけられているのだ」
我らは民衆と共に、民衆の中へ——この学会の根本精神を、いかに次代へと継承していくか。そこに世界広布の永遠の流れも生まれよう。
今月4日、60年前の人権闘争の歴史を知る草創の同志たちが、北海道・夕張平和会館を訪れた。後継の青年たちとの懇談に臨むためである。60年前当時に14歳だった藤田征之さん(太平洋総県総主事)の姿もあった。
炭鉱で働く学会員が炭鉱労働組合(以下、炭労)からの不当な弾圧にさらされた「夕張炭労事件」。夕張市内の至る所に、学会排斥のビラが張り出され、有線放送では学会批判が繰り返された。だが地元の青年部有志は立ち上がり、市内でのデモ行進を決行した。
「"泣く子も黙る"炭労に反旗を翻したわけです。市民は驚いた顔で人垣を作り、行進を見ていました。私も子どもながら、炭労の横暴に負けるものか、と胸を張って歩きました」と藤田さんは振り返る。
戸田城聖先生の命を受けた池田先生は、すぐさま北海道へ。札幌、夕張での決起大会の開催を決定し、会員の激励に走った。
強硬な対決姿勢を崩さなかった炭労が一変したのは、6月29日のことだった。炭労が学会との対決の無期延期を要請。予想外の民衆の蜂起に恐れをなしたのである。その夜、夕張市内の学会員宅で開かれた集いに、藤田さんも参加した。
「池田先生は、会場いっぱいに集った同志の間を縫うようにして一人一人を励まされていました。"正義は必ず勝つ""信心しきった者が勝つ"との力強い言葉に、私の心もスッと晴れ、戦いの勝利を確信しました」
7月1日の札幌大会で池田先生は訴えた。
炭労がどんなに叫んでも、わが学会は日本の潮であり、その叫びは獅子王の叫びである——と。
翌2日の夕張大会には炭労幹部も参加。終了後、ある幹部は池田先生に語った。「学会の主張は、よくわかりました。我々は浅はかな行動はとりません」
こうして、夕張炭労事件は決着を見たのである。
◇勇気の声を! 庶民を守り抜くために
庶民を守り抜いた創価の人権闘争から60周年——全国の男子学生部員は「"先駆拡大"月間」を、女子学生部の友は「"希望の励まし拡大"月間」を勢いよく進み、対話と人材の拡大に邁進してきた。
「札幌大会」「夕張大会」の舞台となった北海道の地でも記念の会合が行われ、創価の俊英たる男女学生部の友がそれぞれ集った。一人一人が、信心への確信と、「生涯、民衆と共に」との誓いを胸に燃やしながら——。
妻倉光海さんは昨年4月、動悸が止まらず、強い不安が伴うパニック発作に襲われ、絶望感に苛まれたという。妻倉さんに寄り添い、励ましを送り続けてくれたのが、学生部の先輩だった。
「今こそ変わるときだよ」——その言葉を信じて、必死の唱題に挑戦。勇気の対話を広げる中、症状は改善していった。学生部の人材グループ・北海道誓城会では団長を務め、初の弘教を実らせた。
今、病は完治。理学療法士を目指して勉学に励んでいる。特技のラップを生かし、精力的にライブ活動も。「大きな困難こそ人間革命のエネルギーと実感します」と笑顔で。
札幌市内の大学に通う我妻里保さん。今月開催された大学祭で、「Talks to Peace(平和への対話)」と題し、テロや紛争、平和に関する展示を企画した。学生に図書館利用を促すため、関連本の展示を行うなど工夫も凝らした。
大学祭へ向け、同じ大学に通う女子学生部の友と約束したことは、「祈りで心を合わせていこう」。楽しく準備を進める中、新たな人材も加わった。我妻さんの熱意に触れた大学教授も、快く協力を引き受けてくれた。当日は、多くの来場者が展示を観賞した。
「信頼する仲間と共に創価の哲学を語り広げながら、使命の進路を勝ち取ります!」
異体同心の祈りで
スクラム固く進みゆけ!
感激の同志と友に
地域に友情の光彩を!
衆生身心御書 P1594
『つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり』
☆女性に贈ることば 七月二日
私も若い頃、働きながら夜学で学んだ。人間、苦労して学んだことしか血肉にならない。
人一倍の苦労をすればこそ、人の痛みがわかる人間になれる。
何の苦労もせず、人の心がわからないままで、社会の本物のリーダーになることなどできない。
☆今日のことば365 七月二日
人生行路とは 障害物競走と
いってもよいかも知れない
だから 心身ともに 強靱なる
忍耐と努力の持続なくして
栄光のテープは切れない
☆御書と歩む 第71回 「一人立つ」拡大の歴史を
『日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり』(妙密上人御消息、1241ページ)
◇通解
日蓮は、日本国の中でただ一人、南無妙法蓮華経と唱えた。これは須弥山となった始めの一塵であり、大海となった始めの一露である。
◇同志への指針
広宣流布は、人類の宿命を転換し、恒久平和を開きゆく大事業だ。この最極の挑戦に連なる我らの誇りは高い。
一人の生命を揺さぶる対話は、難事中の最難事である。だからこそ、命は磨かれ、心の財が積まれる。
突破口を開くのは、青年の勇気だ。「一人立つ」若人の誠実と確信の声こそ、「黄金の一塵」であり、「福徳の一露」なのである。
☆学生部結成記念日 札幌大会・夕張大会から60周年 2017年6月30日
◇我らは永遠に民衆と共に民衆の中へ 師弟で刻んだ凱歌の軌跡
きょう30日は「学生部結成記念日」。本年は60周年の佳節である。60年前の1957年(昭和32年)、民衆勢力の台頭を恐れた既成権力による学会員への迫害が激しさを増す中で、学生部は産声を上げた。学生部誕生の翌日(7月1日)と翌々日(同2日)には、それぞれ「札幌大会」と「夕張大会」が行われ、若き日の池田大作先生が権力の横暴を徹底的に糾弾し、学会の正義を宣言。民衆凱歌の軌跡が刻まれている。創価の人権闘争の原点から60年——ここでは当時の模様や現在の男女学生部員の活躍とともに、北海道・天使大学の田島忠篤教授へのインタビューを紹介する。
池田先生は小説『新・人間革命』「民衆の旗」の章につづった。「学会は永遠に民衆の側に立つ。ゆえに、これからも行く手には弾圧があろう。謀略の罠も待ち受けていよう。しかし、民衆の栄光のために獅子王のごとく戦い、勝つことが、学会には宿命づけられているのだ」
我らは民衆と共に、民衆の中へ——この学会の根本精神を、いかに次代へと継承していくか。そこに世界広布の永遠の流れも生まれよう。
今月4日、60年前の人権闘争の歴史を知る草創の同志たちが、北海道・夕張平和会館を訪れた。後継の青年たちとの懇談に臨むためである。60年前当時に14歳だった藤田征之さん(太平洋総県総主事)の姿もあった。
炭鉱で働く学会員が炭鉱労働組合(以下、炭労)からの不当な弾圧にさらされた「夕張炭労事件」。夕張市内の至る所に、学会排斥のビラが張り出され、有線放送では学会批判が繰り返された。だが地元の青年部有志は立ち上がり、市内でのデモ行進を決行した。
「"泣く子も黙る"炭労に反旗を翻したわけです。市民は驚いた顔で人垣を作り、行進を見ていました。私も子どもながら、炭労の横暴に負けるものか、と胸を張って歩きました」と藤田さんは振り返る。
戸田城聖先生の命を受けた池田先生は、すぐさま北海道へ。札幌、夕張での決起大会の開催を決定し、会員の激励に走った。
強硬な対決姿勢を崩さなかった炭労が一変したのは、6月29日のことだった。炭労が学会との対決の無期延期を要請。予想外の民衆の蜂起に恐れをなしたのである。その夜、夕張市内の学会員宅で開かれた集いに、藤田さんも参加した。
「池田先生は、会場いっぱいに集った同志の間を縫うようにして一人一人を励まされていました。"正義は必ず勝つ""信心しきった者が勝つ"との力強い言葉に、私の心もスッと晴れ、戦いの勝利を確信しました」
7月1日の札幌大会で池田先生は訴えた。
炭労がどんなに叫んでも、わが学会は日本の潮であり、その叫びは獅子王の叫びである——と。
翌2日の夕張大会には炭労幹部も参加。終了後、ある幹部は池田先生に語った。「学会の主張は、よくわかりました。我々は浅はかな行動はとりません」
こうして、夕張炭労事件は決着を見たのである。
◇勇気の声を! 庶民を守り抜くために
庶民を守り抜いた創価の人権闘争から60周年——全国の男子学生部員は「"先駆拡大"月間」を、女子学生部の友は「"希望の励まし拡大"月間」を勢いよく進み、対話と人材の拡大に邁進してきた。
「札幌大会」「夕張大会」の舞台となった北海道の地でも記念の会合が行われ、創価の俊英たる男女学生部の友がそれぞれ集った。一人一人が、信心への確信と、「生涯、民衆と共に」との誓いを胸に燃やしながら——。
妻倉光海さんは昨年4月、動悸が止まらず、強い不安が伴うパニック発作に襲われ、絶望感に苛まれたという。妻倉さんに寄り添い、励ましを送り続けてくれたのが、学生部の先輩だった。
「今こそ変わるときだよ」——その言葉を信じて、必死の唱題に挑戦。勇気の対話を広げる中、症状は改善していった。学生部の人材グループ・北海道誓城会では団長を務め、初の弘教を実らせた。
今、病は完治。理学療法士を目指して勉学に励んでいる。特技のラップを生かし、精力的にライブ活動も。「大きな困難こそ人間革命のエネルギーと実感します」と笑顔で。
札幌市内の大学に通う我妻里保さん。今月開催された大学祭で、「Talks to Peace(平和への対話)」と題し、テロや紛争、平和に関する展示を企画した。学生に図書館利用を促すため、関連本の展示を行うなど工夫も凝らした。
大学祭へ向け、同じ大学に通う女子学生部の友と約束したことは、「祈りで心を合わせていこう」。楽しく準備を進める中、新たな人材も加わった。我妻さんの熱意に触れた大学教授も、快く協力を引き受けてくれた。当日は、多くの来場者が展示を観賞した。
「信頼する仲間と共に創価の哲学を語り広げながら、使命の進路を勝ち取ります!」
2017年7月1日土曜日
2017.07.01 わが友に贈る
人の心は刻々と変わる。
先入観にとらわれず
勇気と誠実の対話を!
希望と笑顔輝く社会を
我らの手で築きゆこう!
諸法実相抄 P1360
『ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり』
☆女性に贈ることば 七月一日
今日も、荒れ狂う喧騒の人間世界の現実のなかで、笑みを浮かべて、あなたの課題をひとつまたひとつと仕上げていくことだ!
☆今日のことば365 七月一日
青年は
真剣に 目的に進む時
最も尊く 最も気高い
−−されど 決して
微笑を忘れてはならぬ
常に快活であれ
中天の太陽のように−−
☆四季の励まし 誠実を貫く人間王者たれ 2017年6月25日
容姿や服装で、
人の真価は決まらない。
振る舞いで決まる。
誠実で決まる。
誠実なくして、
偉くなった人はいない。
誠実——
ここに哲学の究極があり、
人間の世界を照らす光がある。
傲りの心、退転の心に
侵されてはならない。
列車も、飛行機も、
どこかへ向かっていく。
進まなければ、
目的地には着けない。
これが道理である。
人もまた、生き生きと、
新天地に向かって飛び出すのだ。
心を外へ開くのだ。
自分の殻を破るのだ。
そこに希望の拡大がある。
幸福の光が広がる。
勇んで、外へ打って出る——
これが、勝利し、
発展し続けていくための
原則なのである。
真剣——この二字のなかには、
すべてが含まれる。
真剣であれば、勇気も出る。
力も湧く。知恵も回る。
また、真剣の人には、
ふざけも、油断も、怠惰もない。
だから、負けないのである。
そして、そこには、
健気さが放つ、
誠実なる人格の輝きがある。
因果の理法は峻厳である。
自分が、どう祈り、
どう戦っているか、
どう行動してきたかは、
自身の生命に
厳然と刻み残されている。
どこまでも真面目に、
誠実に信心を貫いた人が、
絶対に最後は勝つ。
都電荒川線「町屋駅前」の周辺。今月6日、池田大作先生ご夫妻が東京・荒川区へ。その折、先生は車中から、懐かしい下町の風情をカメラに収めた。
ご夫妻は荒川文化会館を訪れた後、足立を回り、葛飾、墨田、台東、江東等の天地を見つめ、広布に走る"感激の同志"に題目を送った。
列車は、軌道を外れることなく、目的地へひた走る。創価の友もまた、自他共の幸福という軌道を、誠実一路に突き進む。その先には、勝利と栄光の未来が待っている。
スコットランドの詩人バーンズは謳った。"誠実な人は、人間の王者である"と。
どこまでも目の前の一人を大切に、人間王者の大道を朗らかに歩もう!
先入観にとらわれず
勇気と誠実の対話を!
希望と笑顔輝く社会を
我らの手で築きゆこう!
諸法実相抄 P1360
『ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり』
☆女性に贈ることば 七月一日
今日も、荒れ狂う喧騒の人間世界の現実のなかで、笑みを浮かべて、あなたの課題をひとつまたひとつと仕上げていくことだ!
☆今日のことば365 七月一日
青年は
真剣に 目的に進む時
最も尊く 最も気高い
−−されど 決して
微笑を忘れてはならぬ
常に快活であれ
中天の太陽のように−−
☆四季の励まし 誠実を貫く人間王者たれ 2017年6月25日
容姿や服装で、
人の真価は決まらない。
振る舞いで決まる。
誠実で決まる。
誠実なくして、
偉くなった人はいない。
誠実——
ここに哲学の究極があり、
人間の世界を照らす光がある。
傲りの心、退転の心に
侵されてはならない。
列車も、飛行機も、
どこかへ向かっていく。
進まなければ、
目的地には着けない。
これが道理である。
人もまた、生き生きと、
新天地に向かって飛び出すのだ。
心を外へ開くのだ。
自分の殻を破るのだ。
そこに希望の拡大がある。
幸福の光が広がる。
勇んで、外へ打って出る——
これが、勝利し、
発展し続けていくための
原則なのである。
真剣——この二字のなかには、
すべてが含まれる。
真剣であれば、勇気も出る。
力も湧く。知恵も回る。
また、真剣の人には、
ふざけも、油断も、怠惰もない。
だから、負けないのである。
そして、そこには、
健気さが放つ、
誠実なる人格の輝きがある。
因果の理法は峻厳である。
自分が、どう祈り、
どう戦っているか、
どう行動してきたかは、
自身の生命に
厳然と刻み残されている。
どこまでも真面目に、
誠実に信心を貫いた人が、
絶対に最後は勝つ。
都電荒川線「町屋駅前」の周辺。今月6日、池田大作先生ご夫妻が東京・荒川区へ。その折、先生は車中から、懐かしい下町の風情をカメラに収めた。
ご夫妻は荒川文化会館を訪れた後、足立を回り、葛飾、墨田、台東、江東等の天地を見つめ、広布に走る"感激の同志"に題目を送った。
列車は、軌道を外れることなく、目的地へひた走る。創価の友もまた、自他共の幸福という軌道を、誠実一路に突き進む。その先には、勝利と栄光の未来が待っている。
スコットランドの詩人バーンズは謳った。"誠実な人は、人間の王者である"と。
どこまでも目の前の一人を大切に、人間王者の大道を朗らかに歩もう!
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