病魔に負けるな!
「いかなる病
さはりをなすべきや」
全細胞を一新させるとの
強き一念で祈り抜け!
盂蘭盆御書 P1430
『目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う』
☆女性に贈ることば 五月二十五日
「もったいない」この日本の母の"知恵の代名詞"ともいうべき言葉が、環境問題を打開する道として、世界に希望を広げている。
どんなものも無駄にしないという慈しみの心ーこの「母の心」 が、命を尊ぶ心、他者を思いやる心を育むからだ。
☆今日のことば365 五月二十五日
純粋な愛情は美しい。しかし、愚かと、もろさも、そこには同居している。そのために、愛情をふみにじられて、不幸に泣く女性のいかに多いことか。あなたは、そうした不幸の人であってはならぬ。
☆世界広布と新入会の友 アメリカ サンフランシスコ常勝圏 2017年5月19日
◇人間革命の哲学が人生の柱に
新入会のSGIメンバーを紹介する本企画。今回は、アメリカ・カリフォルニア州のサンフランシスコ市、サンノゼ市などを広布の舞台とする、サンフランシスコ常勝圏の友にインタビューした。
◇一家の太陽になりたい/女子部 モニカ・レイノソさん ヌビア・バルガスさん
モニカ・レイノソさんが入会したのは2012年。両親は離婚し、きょうだいもバラバラ。自分が一家の太陽になろうと決めた。
明るく変わっていく彼女の姿を間近で見ていたのは、信心に反対していた母だった。レイノソさんが登壇予定のある日の会合に、母は花束を抱えてやって来た。
「温かな雰囲気に触れたことで、母はSGIへの理解を深め、後に入会しました。一緒に信心できるのがうれしい」
今では両親も、きょうだいも、関係は良好。レイノソさんは白蓮グループの圏責任者として、喜びにあふれて学会活動に励んでいる。
◇
レイノソさんの紹介で入会したヌビア・バルガスさん。
「モニカとは、共通の友人を介して知り合って以来、何でも相談し合える親友。仏法の話を聞いたのは、たしか、一緒にランチをした時でした」
当時、最愛の父をがんで亡くした直後。現実を受け止められず、出口のないトンネルにいるような日々だった。
「モニカは優しいから、決して信仰を押し付けるような言い方ではなかったけど、勇気を出して話してくれてうれしかった。女子部の会合に参加すると、すぐに"ここが私の居場所だ"と感じたんです。会場いっぱいのポジティブな空気に包まれると、私も前に進めるような気がして」
父を亡くして1年後の15年8月に入会し、まず祈ったのは兄の就職。
バルガスさんの兄は、性的マイノリティーの一つであるトランスジェンダー(「性別越境者」等と訳される)。サンフランシスコは性的マイノリティーが多い地域だが、修士号を持つ兄が1年以上も働き口を見つけられずにいた事実に、社会からはまだ、偏見の目が向けられていると感じた。
その兄が、バルガスさんの入会から1週間後、大学での研究職を得ることができた。これが信仰の原点になった。
大学で犯罪学を専攻したバルガスさんは、今、刑務所で入所者の世話に当たる。彼らの多くは出所後、社会で弱い立場に立たされ、時に見下されてしまう人たちだ。
だから「全ての人に、限りない可能性がある」との仏法の価値観を自身の支えとし、周囲にも語り続けている。
◇悩める人を救うため/男子部 ジェシー・カスティージョさん
カリフォルニア大学サンフランシスコ校で神経学の研究に従事する。
ロサンゼルス育ち。学校の成績は常に上位。大学でもトップを目指そう——そんな気持ちで受験を控えた時だった。
「ここに座って」。神妙な面持ちの母から告げられる。「あなたは、アメリカ市民じゃないの」
それは、旅先のメキシコで出生し、2週間後にアメリカに戻ったという事実だった。市民でなければ、大学の奨学金も限られる。やむを得ず、志望大学とは異なる大学に進学したが、「自分の存在価値が分からずに、人との関わりを避けて生きていました」。
それでも勝ち気な性格と努力が実を結び、最優秀の成績で卒業。就職が決まり、心機一転、サンフランシスコへ。
希望の研究職に就き、自信もあったが、勉強のように順調にはいかなかった。新しい場所には頼れる家族も、友人もいない。孤独に陥り、うつ状態になった彼に、同じ研究所で働くSGIメンバーが声を掛けた。
「彼女に誘われてSGIの会合に行くと、初対面なのに、皆が友好的で驚きました。どこで生まれ、どの大学を出て、どんな仕事をしているのか、そこでは関係ないように思えた」
入会後、自分が変われた実感がある。
第一に、つながりを大切にするようになった。
「昔の自分は、勉強ばかりの"ロボット"のようだった。でも今では、人と話すのが本当に楽しい。内気だった自分が、まさか会館警備の牙城会に入るなんて」
そして第二に、全てに意味があると思える自分に変わった。
「自分の居場所が見つからずに悩んだ過去は、同じ境遇の人を救うためだったと思います」
最近、メキシコから移住したばかりという友人が、真心の対話の末に入会を決意してくれた。
◇苦難が自分を鍛えた/壮年部 アービン・リアンさん
台湾生まれ。1歳の時に父が他界した。だから自分は「良い父親になることが夢だった」。
アメリカの大学院に進学し、薬学博士号を取得した。薬剤開発の分野で働いていた2011年に結婚。同年、待望の息子(アンドリュー君)が誕生した。
喜びもつかの間、妻が心のバランスを崩す。妻の介護と息子の世話、過酷な仕事の"3立"に、リアンさんも最大限、努力したが、やがて互いのより良い未来のために、夫妻は離婚した。
「こんなはずじゃなかった」との思いに駆られる。追い打ちをかけるように、親権を巡って前妻とのトラブルが生じた。SGIメンバーだった兄の紹介で入会したのは、そんな時だった。
「これで問題が解決すると思ったら、『きっと悩みは深まっていくよ』と、あるリーダーに言われたんです」
事実、心身をすり減らす日々は、その後も続いた。だが「"泥だらけの濁った水が出てきても、それでも水を流し続ければ、やがてきれいな水が流れてくる"と信じて、祈り続けました」。
苦しみの渦中でも唱題を続けられたのは、この「宿命転換」の哲理への確信とともに、同志の励ましがあったからこそ。
「彼らもそれぞれの悩みがあるはずなのに、何度も私の横で祈ってくれた。"こんな男になりたい"と思える人が、SGIには多くいた」
全てのトラブルは解決し、今、SGIで学んだ慈悲を、共に暮らす息子に注いでいる。
つらかった過去にも意味があるはずと、マイナスをプラスに転じて考えるようになった。苦難が自分を鍛えてくれたと実感している。
◇行動する勇気が湧く/婦人部 ダイアナ・ガレットさん
シリコンバレーの中心・サンノゼ市に35年間、暮らしている。エンジニアやソフトウエア開発者として長年働き、ITにはめっぽう強い。
だが人生は"計算外"の連続。経済難や娘の障がいなど、悩みは消えなかった。人生の軸となる哲学を求め、夫と共にさまざまな宗教を試したが、どれも納得のいくものではなかった。
SGIメンバーから聞いた、"自分の幸福の責任は自分にある"との考え方が気に入り、15年に夫婦で入会。「入会は夫と一緒だけど、今では私のほうが題目をあげるわよ」と笑う。
一番の願いは、娘の成長だった。先天性疾患の影響で、学校での勉強や仕事にも苦労してきた娘だった。だが祈りが深まった母の胸には、「必ず幸せになれる!」との確信が湧いた。
そして今度は、同じ病気の子を持つ親を支えたいと思うようになった。地域にボランティアグループを立ち上げ、本年2月には、医師や心理学者を招いてのシンポジウムを開いた。
「以前の私には、他者を思いやる気持ちはあっても、行動に移す勇気がありませんでした。自らの意思で行動し、それを持続できるようになれたことが、信仰の功徳だと感じています」
楽しみな会合は、毎月の御書学習会。万人を敬う不軽菩薩の振る舞いや、自分にしか果たせない使命があると説く桜梅桃李の思想は、人生の確かな柱となっている。
「この仏法を世界に弘めてくださった池田先生に、感謝します。先生のようにとはいきませんが、私も自分なりに、人に尽くす人生を歩んでいこうと決めています」