2017年5月3日水曜日

2017.05.03 わが友に贈る

きょうも師と共に!
これほど尊く楽しい
生きがいに満ちた
人生の軌道はない。
凱歌の舞を舞いゆこう!

可延定業書 P985
『されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身として病を身にうけさせ給う心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし』

☆女性に贈ることば 五月三日
母の力は大地の力である。
大地が、草木を茂らせ、花を咲かせ、果実を実らせるように、母は、いっさいを育む創造と教育の大地である。その大地が、ひとたび動けば、すべては変わる。
母が家庭を変える。
母が地域を変える。
母が社会を変える。
母が時代を変える。
そして、母が世界を平和へと変えていくのだ!

☆今日のことば365 五月三日
いかなる時も
いずこにあろうとも
燦爛たる太陽のごとく明朗に
天空を翔る若鷲のごとく闊達に
大海のごとく包容力豊かに
然して時来たらば
決然として起ち
疾風怒濤のごとく邪悪と戦う青年であれ

☆親が子に語る物語 南条時光 2017年4月30日
師匠との誓い胸に後継の道を

今から700年あまりむかし。小さいころ日蓮大聖人さまにお会いし、それ以来、水の流れるような、清らかな信心をつらぬいた、ひとりの少年のお話です。
少年の名前は、南条時光。お父さんはりっぱな武士で、大聖人さまの弟子となり、まじめに信心に励みました。ところが、病気がもとで、亡くなってしまったのです。
あとに残されたお母さんと、7歳の時光、たくさんのきょうだいたちは、とほうにくれました。そんな時、思いがけず大聖人さまが、かけつけてくださったのです。そしてお父さんのお墓の前で、ろうろうと題目をとなえてくださいました。
そのどうどうとした姿を、じっと見つめながら、時光少年は思いました。
"ぼくもお父さんのように、大聖人さまのりっぱな弟子になろう!"

その後、大聖人さまは、日本の国を平和にし、人びとを幸せにするため、いのちがけで正しい仏法をひろめていきました。でも悪い僧や武士たちが、つぎつぎとおそいかかり、とうとう遠い島へ、流されてしまったのです。
「大聖人さまが、一日も早く、お帰りになりますように!」
時光少年は、お母さんといっしょに、毎日題目をとなえ続けました。
3年ほどたった時のこと。うれしい便りが、時光たちのところに届きました。大聖人さまが、遠い島からもどられたのです。そして身延という山の中に住み、新たな戦いを、始められました。
「すぐに、お会いしてこよう!」
16歳になり、お父さんのあとをついで、りっぱな武士になった時光は、たくさんのおくり物を持って、大聖人さまのもとへ、かけつけました。
大聖人さまは、時光を見て大よろこび!
「亡くなったお父さんに、そっくりだ。きっと心も、お父さんのように、清らかだね。しっかり信心をやりぬくんだよ」
大聖人さまの、あたたかく力強いひと言ひと言を、時光は心の奥深く、しっかりと受けとめました。

時光青年が住んでいたところは、上野とよばれていました。その近くでは、たくさんの人たちが、大聖人さまの弟子となり、題目をとなえはじめました。それに反対する、悪い僧や武士たちが、弟子たちをいじめぬきました。とうとう、殺される人たちも、あらわれたのです。
「早く、かくれるんだ!」
時光青年は、逃げてきた大聖人さまの弟子を、家にかくまったりして助けました。
そのようすをお聞きになった大聖人さまは、時光を"上野の賢人(かしこい人、りっぱな人)"と、ほめたたえました。
さらに「"大きな願い"をふるいおこしなさい。正しい教えを信じ、ひろめるために、いのちをかけるのです」と、深い弟子の生き方を、教えてくださったのです。
しばらくして、大聖人さまは、すべてをなしとげて、あとのことを弟子たちにたくし、亡くなられました。
その後、時光青年は悲しみを乗りこえて、心に誓った弟子の道を、74歳で亡くなるまで、ひたすら走りぬきました。
胸の中には、師からたくされた"大きな願い"が、いつも、あかあかと輝いていたのです。
◆ ◇ ◆
ぶん・あらやゆきお
え ・奥村かよこ

◇おうちの方へ
今回の物語に登場する南条時光は、駿河国(現在の静岡県中央部)富士郡上野郷の地頭で、日蓮大聖人の門下として活躍しました。
時光の父・南条兵衛七郎は、大聖人に帰依していました。その父が文永2年(1265年)に死去します。大聖人は墓参のために、わざわざ鎌倉から上野郷の南条家まで足を運ばれました。この時、7歳の時光も大聖人にお会いしたと考えられます。
以来、時光は母の上野尼御前と共に純真な信仰に励みました。文永11年(1274年)に大聖人が身延に入山されると、時光は、駿河地方を舞台に日興上人のもとで折伏を展開。「熱原の法難」の際には、熱原の門下たちを守り抜きました。
弘安5年(1282年)に大聖人が御入滅された後も、時光は日興上人を支え、74歳で死去するまで妙法流布に生き抜きました。
生涯のうちに大聖人から数多くの御書を頂いており、大聖人は、南条時光の戦いをたたえて、「上野賢人」(御書1561ページ)との称号を贈られています。