健康こそ幸福なり!
無事故こそ勝利なり!
価値ある一日一日を
賢明に進みゆく中に
真の歓喜と躍動がある。
最蓮房御返事 P1343
『劫初より以来父母主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よもあらじ』
☆女性に贈ることば 五月二日
人生にあって師をもてることは幸せであり、大きな喜びである。自らが決めた師弟の道を人生の誇りとして貫き通すところに、人間としての美しさ、尊さがある。
☆今日のことば365 五月二日
真実の幸福を願うものは、自らの幸福ばかりでなく、他の人の幸福のためにも働く人でなければならないと思う。その人こそ、真の平和を愛する人であり、また真実の幸福を与えきれる、偉大な力を持った人であると信じてよいであろう。
☆5月度男子部「御書活動者会」研さんのために 呵責謗法滅罪抄 2017年4月29日
誓願の祈りで勝利を! "必ずやり抜く"とまず決めよ
5月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「呵責謗法滅罪抄」を研さん。強盛な祈りが、不可能をも可能にすることを学ぶ。
◇御文
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)
◇通解
いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。
◇背景と大意
本抄は、文永10年(1273年)、日蓮大聖人が流罪の地・佐渡から、鎌倉の門下である四条金吾に送られたお手紙であると考えられてきたが、詳細は不明である。
ただ、本抄を与えられた門下は、その内容から、鎌倉に住み、幕府による激しい迫害が加えられていたことは間違いない。
その厳しい状況の中で、この門下は、亡き母の追善のため、供養を携えて佐渡を訪問。大聖人とその弟子たちの生活を支えていたと考えられる。
本抄で大聖人は、佐渡の地にあって今まで命を永らえてきたのは、門下の真心の御供養のおかげであると、その信心を称賛され、法華経の文字が門下の身に入ったようであると仰せになっている。
◇解説
拝読御文は本抄の末尾の一節であり、大聖人御自身が、苦難の中にいる門下の無事・安穏を強盛に祈っていることを述べられている。
大聖人は拝読御文の冒頭で、「何なる世の乱れにも」と仰せである。
本抄御執筆の前年の文永9年(1272年)には、幕府の実権を握る北条一族の内乱である「二月騒動」が起こり、文永11年(1274年)には「蒙古襲来」が起きた。
いずれも大聖人が諸経典に基づいて幕府に警告されていた災難の的中であり、「自界叛逆難」(内乱)が二月騒動として、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が蒙古襲来として現実のものとなったのである。
続く「各各をば法華経・十羅刹・助け給へ」では、乱世で苦闘する門下への大聖人御自身の祈りが示されている。
ここで「法華経」とは、御本尊のこと。また、「十羅刹」は法華経の会座において、諸天善神として法華経の行者を守護することを釈尊の前で誓っている。
さらに、強盛な祈りの姿勢について、大聖人は「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」と、"濡れた木をこすって火を出すように""カラカラに乾いた土から水を得るように"と仰せになっている。
大聖人御自身が、死罪にも等しい佐渡流罪という逆境にあったことは言うまでもない。
だが、過酷な境遇にありながら、そこには、諸天にすがるような弱い祈りはない。
大聖人は、「弟子を必ず守る」「いかなる難事があっても、必ず成就する」との、諸天をも揺り動かしていく確信の祈りに貫かれていた。師匠の強き一念と慈愛に触れた弟子たちは、どれほど励まされただろうか。
私たち男子部も、いかに環境が厳しくとも、"断じて現状を打開しよう""必ず勝利を開く!"との誓願の祈りから出発することを心に刻みたい。
池田先生はつづっている。
「日蓮仏法は『誓願の仏法』です。自分が自分の立場で、御本尊に『私は、これだけ広宣流布を進めます! 断じて勝利します!』と誓願することです。その『誓願の祈り』が出発点です」
決めて、祈って、動く——この"勝利の方程式"を実践する中で、学会員一人一人は広布と人生を大きく勝ち開いてきた。
栄光の「5・3」から師弟凱歌の金字塔を打ち立てる青年の月・7月へ! 今こそ「必ず勝つ」と決めて祈り、広布の大闘争を起こしていこう。