2017年5月5日金曜日

2017.05.05 わが友に贈る

誓いを貫く人は強い。
最も深く 充実した
人生を歩んでいける。
日に日に新たに
使命の道を切り開け!

上野殿御消息 P1527
『友にあふて礼あれとは友達の一日に十度二十度来れる人なりとも千里二千里来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず』

☆女性に贈ることば 五月五日
どんな子であれ、その人にしか見たせない使命がある。誰しも、何かの才能の芽をもっている。
その芽を伸ばすための最高の養分は、信じてあげることです。
人によって、早く芽吹く人もいれば、時間がたってから、急に伸びだす人もいる。
しかし、いつかは必ず才能の芽が伸びることを信じて、温かく見守り、根気強く励ましを重ねていくことです。

☆今日のことば365 五月五日
希望に燃えて 怒濤に向かい
たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが
じっとこらえて 今に見ろ

まずは働け 若さの限り
なかには あなどる者もあろ
されどニッコリ 心は燃えて
強く正しく わが途進め

苦難の道を 悠々と
明るく微笑み 大空仰ぎゃ
見ゆる未来の 希望峰
僕は進むぞ また今日も

☆希望航路—池田大作先生と進む人生旅— ドミニカ共和国3=完 2017年4月29日
共々に悠久なる広布の歩みを
1987年2月、ドミニカ共和国の訪問を終えた池田先生は、同国の友に長編詩「カリブの偉大な太陽」を詠み贈った。

君たちと過ごせし日々は 短くも
ともに金の思い出を育み
祖国ドミニカの
悠久なる広布の
旅立ちの記念碑は厳として築かれた

まさに4日間の滞在は、一人一人と崩れざる「金の思い出」を刻みゆく旅となった。

訪問2日目の2月9日、先生を迎えて行われた「ドミニカ広布21周年記念勤行会」。
席上、婦人部のコーラスが歓迎の歌声を披露した。

♪我々の大地よりも
美しいものはない
愛しのキスケーヤよ
汝を星にたとえて
我は歌う
一番星のように
私の人生を
照らしてくれる……

同国で親しまれている「キスケーヤ(母なる大地)」である。
先生は「いい歌だ、本当にいい歌だ」と何度も感嘆の声を。曲が終わると、立ち上がって拍手を送った。
コーラスの責任者を務めたレイコ・コマツさん(総合婦人部長)は振り返る。
「全身でたたえてくださる真心に感激しました。メンバーと先生の心が深く通じ合ったた瞬間でした」
先生はスピーチの際にも"この歌に歌われる、光に満ちた大地と人間の美しさは、やがてドミニカが、世界のどの国よりも美しく発展していく象徴のようである"と語り、称賛を惜しまなかった。
この日の勤行会の司会は、レイコさんの夫のオサムさん(支部長。当時、男子部長)だった。
「会合中、先生は常に場内に目を配っておられました。スピーチの最中にも、通訳が入るたびに視線を送り、一人一人と目で会話をするように、参加者や役員の顔をじっと見つめておられました」
その中には、オサムさんの母の写真を抱いた父の姿もあった。
先生訪問の半年ほど前、オサムさんは母を亡くしている。父の留守中、ダハボンの実家に強盗が押し入り、事件に巻き込まれたのだ。「私の誕生日前日の出来事でした」
軍人で厳格だった父とは対照的に、優しかった母。オサムさんが実家を出た後も、苦しい時には手紙で励ましてくれ、たびたび手料理を持って、サントドミンゴの家に来てくれた。
最愛の母を失ったショックは大きかった。だが、リーダーである自分の身に起きた不幸によって、メンバーが動揺しないよう、オサムさんは懸命に題目をあげ、気丈に振る舞い続けていた。
先生は滞在中、オサムさんに1枚の色紙を贈っている。そこには「母も又 君の心に燦然と 親子は不二と 勇み生きなむ」と揮毫されていた。
「"お母さんは永遠に君の心の中にいる。頑張れ! 負けてはいけないよ"との深い慈愛を感じました。悲しみに打ち勝ち、絶対に幸福の実証を示すと、固く心に決めました」
オサムさんは一段と広布に駆けた。
その後、勤めていた会社の倒産や多額の負債など、多くの苦難に見舞われるが、師の励ましを胸に全てを乗り越えてきた。現在は、夫婦で立ち上げた電気部品の販売店を経営している。
「清廉潔白」を信条とし、約70社が加盟する電機製造販売連盟の役員も任されるなど、社会で揺るがぬ信頼を築き上げた。
訪問最終日の11日。レイコさんは長女と次女を連れ、ホテルに先生を見送りに行った。先生は2人の頭を優しくなで、「覚えていてね」と語り掛けた。
次女のマサエさんは今、同国SGIの女子部長に。4人姉妹がそれぞれ、後継の道を真っすぐに歩んでいる。

先生は、寸暇を惜しんで目の前の一人と心を通わせた。
3日目(10日)の午前中には、ホテルの中庭で役員と共にラジオ体操を。午後、サントドミンゴ市から「名誉市民証」と「市の鍵」を受章し、ホテルに戻ると、"皆さんを代表して名誉市民証を頂きました。これは皆さんに対する栄誉です"と、役員に感謝を述べた。
滞在中のある日、先生はホテルの売店に立ち寄り、いくつかの帽子を購入。自ら一つをかぶり、「お世話になった方々に」と役員の代表に贈呈した。
さらにはSGIのメンバーだけでなく、ホテルの従業員にも「お世話になります」と、一人一人に声を掛けている。彼らは"これまで多くの要人を迎えたが、これほど素晴らしい方は出会ったことがない"と、口々に語っていた。
国家指導者にも、市井の一庶民にも、一貫して変わらないその振る舞いは、先生を初めて間近にしたドミニカの友の心を強く打った。

ベルナルド・モスケアさん(壮年部長)もその一人。役員として先生に随行し、その一挙手一投足を目に焼き付けた。先生から贈られた白い帽子を、今も宝物として大事にしている。
87年当時は、入会して8年目だった。仏法を信じてはいたが、組織に属することに少し抵抗があった。
「下の人に対して強い態度に出ることが、世間一般のリーダー像でした。私は、そうした人にはなりたくなかった」
しかし、先生の大誠実の姿を目の当たりにし、その考えは一変した。誰に対しても分け隔てがない。謙虚で、会う人会う人を温かく包み込む。「まさに他者を軽んじない『不軽菩薩』の実践そのものでした。この方がリーダーならば、SGIは信じられると確信したのです」
先生と出会い、生涯不退を誓ったモスケアさんは、ここから精力的に学会活動に励むように。誰に対しても胸襟を開いて接するように心掛けた。活動で培った相手に寄り添う姿勢は、職場でも高く評価されていった。
7人きょうだいの末っ子として、貧しい母子家庭に生まれ育ったモスケアさん。現在は経営者として大きく経済革命を果たし、母に家をプレゼントすることができた。
「池田先生から『真の人間の道』を教えていただきました。先生は私の"父"であり、人生の師匠です。『在在諸仏土 常与師倶生』(在在の諸仏の土に 常に師と?に生ず)のままに、広布に尽くしてまいります!」
先生の激励行は、ドミニカを離れる直前まで続いた。
最終日には、同国の繁栄を祈り、独立公園で献花を行った後、スペイン広場で二百数十人の同志との記念撮影に臨んでいる。撮影の前後には、メンバーの輪の中に入り、握手を交わすなど、皆を徹して励まし抜いた。
そして午後5時25分——。先生を乗せた飛行機は、多くの同志に見送られ、大空へと飛び立った。

長編詩「カリブの偉大な太陽」には、こうもつづられている。

ああ カリブの太陽のごとく
力みなぎるドミニカの若き君たちよ
精悍なるあの顔が
すがやかなるあの瞳が
朗らかなるあの笑みが
今も 我が胸中に踊っている
いな 生涯 忘れはしまい

先生の訪問から30星霜。師弟の絆強きドミニカ共和国SGIの友は、世界が憧れるカリブの天地に、平和と幸福の連帯を大きく広げている。