2017年5月23日火曜日

2017.05.23 わが友に贈る

諦めや臆病の心に
打ち勝つための仏法だ。
強盛な祈りに徹し
あらゆる障魔の壁を
断じて乗り越えよう!

御義口伝巻上 P751
『此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり』

☆女性に贈ることば 五月二十三日
笑顔はいわば、ふくよかに香る心の花である。

☆今日のことば365 五月二十三日
漠然とした一日一日を私は避ける
短いこの世にあって 怠惰を乗り越え
人々に感銘を与えながら
この新たなる人生を終わりたい

☆誓いの天地 東京・品川区 2017年5月18日
◇支えてくれる皆に恩返しを 師弟の源流 人材の大河
品川といえば?——この区の住民に聞いた時、皆がそれぞれに、多様な魅力を口にする。
かつて京浜工業地帯の発祥地として発展した品川。現在の区内を歩けば、大使館が点在する地域、高層ビル群が天を突く地域、木造住宅が密集する地域……それぞれの特徴をもつ街が、パッチワークのように広がっている。
八木隆文さん(品川池田区、男子部本部長)は17年前、料理人を志して北海道から上京し、品川の一角で生活を始めた。
レストランに就職し、夢への一歩を踏み出したが、想像以上の激務に心身の限界を感じ、半年で退職。その後はアルバイトを転々とした。
親への申し訳なさ。将来への不安。諦めの心との葛藤。それでも前を向けたのは、地域の壮年や婦人がいつも自宅に招いて励ましてくれ、男子部の先輩たちが、居留守を重ねても訪問し続けてくれたからだ。その恩に報いたいと思った。品川で独立を——自身の目標が明確になった。
池田大作先生の指針を、むさぼるように学んだ。「大事なのはスピードだ。先手必勝の行動だ。『きょう一日』の実践だ」——。調理。素材。経営。接客。しがみつくように学会活動に参加して生命力を蓄え、店を構えるために必要な知識と技術を、着実に身に付けていった。
一昨年9月、品川区にある大崎駅の近くに「ビストロ八木商店」を開業。「遠回りしたようですが、振り返れば全ての経験が生きて最短の道を歩んでいた。先生の指針の通りでした」
現在、昼も夜も予約でいっぱいの、地域の人気店。店名は「一人でも入りやすい、気楽な感じがいいと思って」、祖父母が北海道で経営していた、小さな雑貨店の名前をもらった。
「私の店も、私自身も、皆に支えていただいて今がある。恩返しは、これからですね」。八木さんは力を込めて、そう語る。

品川で生まれ育った山口緑さん(品川戸田区、女子部本部長)。子どもの頃から人と接するのが苦手だった。中学1年の2学期から不登校になり、高校に進学した後も、引きこもるように。ずっと、自信を持てずにいた。
そんな自分を変えたいと御本尊の前に座り、少しずつ女子部の活動にも参加するようになる。
「会合に行くと、皆の姿が明るく、まぶしくて、最初はうまく話すこともできませんでした」
そんな山口さんを、先輩たちは「ありのままでいいんだよ」と、温かく包み込んでくれた。
白蓮グループの一員に。会合運営などに携わるようになると、人を励まし続けている池田先生、また先生の弟子として地域貢献に尽くす親や学会員に、深い尊敬の思いが湧いた。
自らの人間革命を、真剣に祈るようになった。少しずつ、ありのままの自分に自信を持てるように。やがて、気付けば、社会人として信頼してもらえる自分になっていた。
昨年8月、母親が霊山へ旅立った。「その後、近隣の方々が、母の地域貢献への感謝を私に語ってくれたんです」。そうした生き方を継いでいこうと決めた。
今、女子部の皆に励ましを送る日々。「母や私を昔から知る学会員さんが、『あの緑ちゃんが』と喜んでくださることもうれしいです」。人のぬくもりの中で生きる感謝を、かみ締めている。

◇栄光の共戦譜
品川といえば?——この地の学会員に聞いた時、皆が迷いなく、一つの誇りを口にする。
「ここは、"源流"の地なんです」
初代会長・牧口常三郎先生の教育理論を実践する、第2代会長・戸田城聖先生の私塾「時習学館」があった。1958年(昭和33年)3月13日、池田先生が現・品川文化会館の建設地を決定。この日は今、「品川広布誓願の日」となっている。
松崎登代子さん(総区婦人部主事)は、73年(同48年)11月23日の第1回「品川区幹部総会」を、鮮明に思い出す。現在の「品川の日」の淵源となった日だ。
「この時、私は壇上の席に座らせていただき、初めてお会いした池田先生の、温かくも気迫に満ちたご指導を伺いました」
先生は、インフレが進む激動の社会情勢に触れながら、品川の同志に語った。
「東京は、北海道から沖縄までの幅広い地域の人たちが、大勢集まっているところであり、そのうえ職業までが実に多種多様であります」「相手をよく理解することと、信頼関係によって対話をすることが、東京ほど必要な地域はないのであります。どうか、品川の同志の皆さん、広く、温かい人間関係によって、皆さん方の、この愛する地域を、賢明にリードしてくださるようお願いします」
この指針を胸に、松崎さんは婦人部のリーダーとして、広布拡大の先頭に立ち続けた。
「今でいう総区婦人部長を拝命した時に、先生は『苦労してきたね。よく知っているよ』と言ってくださいました」
工務店を経営していた夫が、病気や事故で6度の入院。夫婦の題目で全て乗り越え、仕事は今、地区部長の長男が継いでいる。

73年の後も、池田先生は毎年のように品川へ。78年(同53年)3月27日には品川会館(当時)を訪問し、現在の品川栄光区・池田区内の、支部の会合に出席した。この日が「品川婦人部の日」となっている。
83年(同58年)11月24日、池田先生を迎え、現・品川文化会館で「品川の日」記念幹部会が開催された。池田先生は、強盛な信心の大切さを強調しつつ語った。
「品川家族の団結の前進によって"品川ここにあり"との新鮮な夜明けの光彩を、全東京、全日本に放っていただきたい」「折伏・弘教、学会活動をともかく持続さえしていけば、時がくれば必ず広布は成就しゆくことを確信されたい。ゆえに信心にあっては、いかなることがあっても持続し、実践し抜いていくことが大切なのである」
先生は翌84年(同59年)4月15日、品川文化会館で、「品川王」と刻んだ石碑の除幕式に出席し、さらに代表と懇談を。その場にいた黒鳥恒夫さん(副総区長)は当時、印刷機器の会社の技術者だった。
石碑を見て、"社会で勝利の実証を示せる人材に成長しよう"と決意した。朝は誰よりも早く出社することを自らの挑戦として実践し続けた。「どんな仕事も人間の営みから始まる。多様な人が集まって心を磨き合っている学会は"アイデアの宝庫"でした」
一昨年に退職するまで、技術畑を46年。在職中、約180件の特許登録を実現した。
「退職時、先生から"今度は若い人に自身の体験を語ってください"と、ご伝言をいただきました。持続の信心で、ますます対話拡大に挑みます!」

山形県出身の山田章子さん(品川池田区、婦人部本部長)は、高校卒業後に、就職で東京へ。会社の寮が品川文化会館の近くにあった。以来、結婚後も現在まで、同じ支部内で暮らしてきた。
「かつて戸田先生が訪れていた店があったり、戸田先生と交流のあった方などがいらっしゃったりと、師弟の源流の地であることを肌身で感じる地域です」
山田さんが池田先生に間近に触れたのは、91年(平成3年)3月のことである。「会合の折、池田先生と一緒に、勤行・唱題をする機会がありました。先生の勢いがすごかった。戦いのあり方を教えていただく思いでした」
師と呼吸を合わせた題目で、経済的な困難も、夫・豊彦さん(本部長)のがんも乗り越えてきた。
両親の姿を見て育った長男・輝彦さん(男子部部長)、次男・伸広さん(総区学生部書記長)と共に、一家で品川広布に先駆する。
戸田先生は、出獄の7月3日、空襲で焼失した時習学館の焼け跡に立った。昨年、戸田先生の祥月命日である4月2日、池田先生は品川文化会館を訪問した。
今、この地に"源流"の誇りを継いだ弟子が立つ。さらなる広布の大河を、全東京、全国へと、広げゆくために。