2017年5月31日水曜日

2017.05.31 わが友に贈る

「心の一法より
国土世間も出来」
社会を輝かせる力は
わが生命にあり!
幸の楽土を築きゆけ!

開目抄下 P230
『仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし』

☆女性に贈ることば 五月三十一日
日頃、子どもに語りかけるひと言を大切にしたい。日々、子どもたちと一緒に美しものを喜び、新しいものを見出していきたい。
心を育むものは、心である。

☆今日のことば365 五月三十一日
どんなささいなことであっても物事を軽視する態度は、敗北につながる。
安易な考え方に勝利はない----安直は建設の敵であるからだ。

☆叙勲式で手渡されたSGI会長の謝辞 2017年5月27日
◇青年の交流こそ共生の世界創る力 "メコンの宝石の国"からの栄誉に感謝
一、本日は、誠に光栄にも、貴・ラオス人民民主共和国の尊き「友好記章」を賜り、心より感謝申し上げます。
私は、この栄誉を、貴国の良き国民、良き市民として、日夜、社会貢献を続けるラオスSGIの友と拝受させていただきたいと思っております。
とともに、貴国を敬愛する世界192カ国・地域の同志と、この喜びを分かち合わせていただきます。誠に誠に、ありがとうございます。
光まばゆき「メコンの宝石」と輝く貴国は、悠久の伝統文化が滔々と流れ、多彩な民族が麗しく共存する人類の希望の天地であります。
私は、貴国の魅力を謳い上げた、有名な「美しき豊かなラオス」の詩の一節が大好きであります。
「故郷のラオスは 目に美しき場所 北には山や谷が 重なり合い 好きな森林の音には 無数の木々が 広大な庭園の如く いつも緑に潤う」「ラオスの国土は どうしてこんなに楽しいのか 野原は遠くまで続く 地平線の果てまで」と。
この世界の憧れの貴国と、うれしいことに、わがSGIは、平和・文化・教育の交流を、幾重にも結び広げてくることができました。
特に1998年、ボーセンカム・ヴォンダラ大臣が、最高峰の名門ラオス国立大学の学長として、わが創価大学を訪問してくださったことを、私は改めて、深い感謝とともに思い起こすのであります。
大臣に温かく見守っていただき、同大学と創価大学の間には学術交流協定が結ばれ、今、毎年、貴国の最優秀の英才をお迎えしております。

平和のために行動
一、思えば、私が平和への願いを込めて、民衆と民衆の相互理解と友好の促進のため、民主音楽協会(民音)の創立を構想したのは、メコンの大河が潤すインドシナの大地においてでありました。
この民音も、8年前、「日・メコン交流年」を祝う記念公演に、貴国の誇るラオス国立音楽舞踊団をお招きすることができました。優美にしてロマンあふれる貴国の舞と調べは、幾多の日本人の心を魅了し、新たな友誼の共鳴を奏でてくださったのであります。
さらに、貴国の先生方とSGIは「平和の文化」の創出のため、共々に行動してまいりました。
2004年、私どもはニューヨークの国連本部で、「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力の国際10年」を支援する展示会(「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展)を共催いたしました。
その折、貴国の国連代表部の先生方が展示会の意義に深く賛同し、ご協力くださったことも、忘れ得ぬ歴史であります。

輝く無限の可能性
一、貴国には、人々の幸福のため、正義の前進のため、平和の勝利のため、手を差し伸べて献身する「開かれた友誼の心」があり、皆と力を合わせて苦難を乗り越えゆく「勇敢なる連帯の心」があります。
私が心にとどめる貴国の格言に、こうあります。「木一本だけでは塀で囲えない 誰かが欠けていれば町づくりはできない」(『世界ことわざ大事典』柴田武・谷川俊太郎・矢川澄子編、大修館書店)
誠に、その通りであります。
今、国際社会が追い求めている「人間の安全保障」の原点も、この共生の智慧にあるといって、過言ではないでありましょう。
ともあれ、21世紀の焦点は、アジアであります。なかんずく、その進路を大きく決定づけていくのは、英邁な若き人材の宝庫であり、無限の可能性をたたえた、メコンの宝土であると、私は確信してやみません。
貴国の「建国の英雄」であられるカイソーン元大統領は叫ばれました。
「青年は、激しい嵐にも動じない鷲である。新しい時代を勝利へと変えていくことができる」と。
本日の栄誉にお応えするためにも、私は、生命尊厳の英知みなぎる貴国の皆様方と心を通わせながら、新たな地球文明の創造へ、希望の若鷲たる、両国そして世界の青年の育成と交流に尽力してまいる決心であります。
貴国ラオスと日本は、外交関係が樹立されてより、本年で62周年を迎えました。
貴国の国花・チャンパーと日本の国花・桜に彩られた友好の並木道を、若人たちが手と手を取り合って、さっそうと進みゆく未来を、私は心に思い描いております。
偉大なるラオス人民民主共和国の永遠無窮のご繁栄、そして、本日ご列席くださった皆様方のご健勝を心よりお祈り申し上げ、私の御礼とさせていただきます。
誠に誠に、ありがとうございました!

2017年5月30日火曜日

2017.05.30 わが友に贈る

打てば響くような
素早い報告・連絡を
組織の団結と勢いが
一人一人の力を
何倍にも大きくする。

立正安国論 P31
『但し人の心は時に随つて移り物の性は境に依つて改まる』

☆女性に贈ることば 五月三十日
花々も、毎日、成長している。あらゆる線の木々も、成長している。
人生もまた、成長である。一日また一日、希望と努力を重ねながら、最上の幸福の自身の運命を築くことだ。
決して性急な跳躍をする必要はない。

☆今日のことば365 五月三十日
自分のなすべきことに情熱を燃やそう。今やるべきことに全力を注げない人に、未来を語る資格はない。足元を着実に固めてこそ、次の大きな飛躍がある。

☆御書と歩む 第65回 大確信の名指揮を頼む
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ・又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』(乙御前御消息、1220ページ)

◇通解
一つの船に乗り合わせた時、船頭の舵取りが悪ければ、船に乗った人々は一斉に命を落としてしまう。また、体が強い人でも、心が弱ければ多くの才能も役に立たない。

◇同志への指針
ひとたび船出したからには舵取りの責任は重大だ。リーダーは、いかなる嵐にも決して揺らいではならない。
断じて皆を守り、幸と勝利の港へ導いてみせると、強盛に祈り抜くのだ。その信力・行力の強さによって、仏力・法力も必ず強くなる。
苦労が大きい分、福徳もまた大きい。一人一人の力を引き出しながら、一切の波濤を越えゆく名指揮を頼む!

2017年5月29日月曜日

2017.05.29 わが友に贈る

◇今週のことば
創価の女性スクラムは
平和社会の太陽なり。
「声仏事を為す」
仏の福智を光らせ
自信満々と語りゆけ!
2017年5月29日

当体義抄 P512
『所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり』

☆女性に贈ることば 五月二十九日
世界を支えているのは、一部の偉ぶった指導者などではない。目立たなくても、自らの使命に生き抜いている、お母さんたちです。

☆今日のことば365 五月二十九日
人々の批判をする前に
先ず自分をつくれ
自分を養え
]
☆御書と歩む 第64回 全世界の誓願の友と出発 2017年5月20日
『諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか』(顕仏未来記、507ページ)

◇通解
諸天善神ならびに地涌の菩薩などは、法華経の行者を守護するだろう。この人はそれらの守護の力によって、本門の本尊である妙法蓮華経の五字を閻浮提に広宣流布させていくだろう。

◇同志への指針
御本仏の未来記の通り、妙法を閻浮提に流布したのは創価学会だ。今、日本中、世界中の尊き友が「大法弘通」の誓願を掲げ、祈り行動してくれている。
「太陽の仏法」が、赫々と人類を照らす時を迎えた。
我らは日蓮大聖人の正統として、「慈折広宣流布」という平和と幸福の大道を勝ち開くのだ。仏天の守護の力をいよいよ湧き立たせながら!

☆この一節を胸に行学に励む テーマ 難を乗り越える 2017年5月16日
◇信心はあらゆる試練を自身の成長の糧に転換
仏法では、仏道修行が進めば、必ずそれを阻もうとする障魔や難が競い起こると説かれています。「一生成仏」の途上で、難との戦いを避けることはできません。今回は、難を乗り越えるための信心の姿勢を学びます。

〈Q〉次から次へと試練や苦難に直面し、くじけそうです。

〈A〉全ては自分自身を鍛え、成長するためのチャンスです!

各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし(兄弟抄、御書1083ページ)

私たちは信心に励んでいても、時として試練や苦難に直面することがあります。また、広布のために戦うと、それを妨げようとする障魔が起こり、難にあいます。重要なのは、そうした障魔を自身がどのように受け止めていくかです。
日蓮大聖人の時代にも、信心ゆえに父親から迫害を受けた弟子がいました。池上兄弟です。大聖人は「あなた方兄弟は、かなり法華経を信じてきたので、過去世の重い罪を現世に責めいだされているのである。それは例えば鉄を念入りに鍛え打てば内部の疵が表面に現れてくるようなものである」(御書1083ページ、通解)と仰せです。強盛な信心によって過去世の罪業を責めいだし、わが生命を輝かせていけるのです。
いかなる苦難も、自身が成長するための追い風へと転換していけるのが仏法です。ゆえに難が競い起こった時こそ、強盛な信心が求められます。
大聖人は「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448ページ)とも仰せです。困難な状況に直面した時こそ強盛な信心を奮い起こし、喜び勇んで前進していくならば、全てが自分自身を鍛え、成長させるためのチャンスとなるのです。

〈Q〉この信心では、宿業をどのように捉えるのでしょうか?

〈A〉「いかなる宿命も使命に変えられる」と説いています。

先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱっときへて(転重軽受法門、御書1000ページ)

仏法では「三世の生命」「三世の因果」を説きます。すなわち、生命は今世だけのものではなく、過去世・現在世・未来世の三世にわたるものであり、過去世の行為が因となって、現在世の結果として現れ、また、現在世の行為が因となって、未来世の果をもたらすと見るのです。
しかし、これだけでは現在の苦しみが分かっても、それを今世において直ちに変革することはできません。宿業の考え方は往々にして、希望のない宿命論に陥りやすいのです。
日蓮大聖人の仏法では、「宿命の転換」を説きます。御書に「過去世の重い業が今生では尽きずに、来世に地獄の苦しみを受けるところを、今生にこのような重い苦しみにあえば、地獄の苦しみがぱっと消えて……」(1000ページ、通解)とあるように、大聖人は苦難にあって宿命転換できるのは、「転重軽受」の功徳だと教えられています。
転重軽受とは、「重きを転じて軽く受く」と読みます。過去世からの重い罪業を転じて、その報いを現世で軽く受けて消滅させるとの意味です。
学会員は苦難に直面しても信心の眼で捉えて意味を見いだします。日々、「宿命」を「使命」に変えようと、信心の実践に励んでいるのです。

〈Q〉どうすれば、難を乗り越えていくことができますか?

〈A〉「法華経の行者は必ず仏になる」と確信して、広布に生き抜くことです。

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を(妙一尼御前御消息、御書1253ページ)

御書には至る所に、大聖人の弟子に対する真心の励ましが、つづられています。
夫に先立たれ、病弱な子どもを抱えながら純粋な信心を貫いていた妙一尼にも、大聖人は大確信の激励を送られています。それが、「法華経を信じる人は、冬のようなものである。冬は必ず春となる。冬が秋に戻ったということは、いまだかつて聞いたことも見たこともない。法華経を信ずる人が仏とならず凡夫になるということも聞いたことがない」(御書1253ページ、通解)との一節です。
厳しい冬もいつか暖かい春になるように、信心を貫く人は、必ず勝利するとの確信の言葉に、妙一尼がどれほど勇気づけられたか分かりません。あらゆる苦難も必ず乗り越えて、幸せになれる!——そう確信して前進していくのが日蓮仏法の生き方です。そのためにも日々、「誓願」の題目を唱えていくことが欠かせません。
池田先生は語っています。「仏意仏勅の我ら学会には、無敵の『信心の宝剣』がある。いかなる戦いも、一切の勝利は、強き誓願の題目から開かれる。御本尊に祈るほどに勇気が湧き、元気になる」と。私たちは祈りを根本に勝利を開いていきましょう。

〈智慧の扉〉 永遠の五指針とは
1957年(昭和32年)12月、第2代会長の戸田城聖先生は「永遠の三指針」を発表されました。その後、池田先生は2003年(平成15年)、新たに2項目を加え、「一家和楽の信心」「幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」からなる「創価学会永遠の五指針」を示されました。
この指針には、全同志を漏れなく幸福に導くために、一人一人が目指すべき信心の在り方、何のための信心なのかが、明確に示され、とどめられています。今では、この指針を世界中の同志が心に刻み、世界広布にまい進しています。

2017年5月28日日曜日

2017.05.28 わが友に贈る

次代を担う青年よ
立正安国の先頭に立て!
湯かんなる師子吼で
幸福と正義の連帯を
幾重にも広げゆこう!

新池御書 P1443
『南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり』

☆女性に贈ることば 五月二十八日
順調な時ばかりでは、本当の幸福を実感できるはずがない。
険しき山河がありても、すべてを悠々と乗り越え、深く人間の価値を知りながら進むことだ。
そこには喜びがある。そこには満足がある。そこには後悔がない。

☆今日のことば365 五月二十八日
彼は 今日のために
 未来を忘れている
僕は 未来のために
 今日を修行するのだ

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 乙御前御消息(下) 2017年5月13日
◇"いよいよの心"で広布へ前進
今月は、「乙御前御消息」の後半を学びます。
池田先生は綴っています。
「大聖人御一人から始まった『立正安国』の闘争は、乙御前の母のような女性門下をはじめ、無名の庶民に継承され、そして今では創価学会に受け継がれました。『信念の一人』が立ち上がれば強い。(中略)いよいよ大事なのは、どこまでも『一人』の勝利です。『一人』の勝利こそが、広布の大河の流れを万代へ決定づけるのです」
今回は、勝利の源泉となる"いよいよの強盛な信心"の姿勢と、万人の"心の眼"を開きゆく広布の実践の意義を学びましょう。(今回の拝読範囲は、御書1220ページ13行目「一つ船に乗りぬれば」〜1222ページ本抄末尾です)

◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が身延の地で認められたお手紙です。
宛名は「乙御前」となっていますが、内容は乙御前の母に対して送られたものです。
乙御前の母は、鎌倉に住んでいた門下で、夫と離別し、幼い娘を一人で育てながら純粋な信心を貫いた女性です。大聖人の佐渡流罪の渦中には遠路はるばる佐渡まで訪れ、大聖人から「日妙聖人」という最高の称号を贈られています。
当時、再びの蒙古襲来の可能性に世情が騒然としていました。そうした中、大聖人のおられる身延へと師匠を求めて足を運んだ乙御前の母に送られたのが本抄です。

御文�
『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』(御書1221ページ4行目〜6行目)

◇通解
ますます信心を強盛にしていきなさい。
氷は水からできますが、水よりもいっそう冷たいものです。青い色は藍という草から生まれますが、重ねて染めると藍よりも色が鮮やかになります。
同じ法華経ではあっても、信心をさらに深め、実践を重ねていくならば、他の人よりも輝きが増し、利益もはっきりとあらわれてくるのです。

御文�
『抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、況や日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや、何に況や一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はんをや』(御書1221ページ16行目〜17行目)

◇通解
そもそも、無知な人の眼を開かせる功徳でさえ言い尽くすことができません。
ましてや日本国の一切の人々の眼を開く功徳はなおさらのことです。
ましてや更に、全世界のあらゆる人々の眼を開く功徳は計り知れません。

〈解説〉志を重ねるほど功徳は増大
本抄は、一人の女性門下とその娘の幸福を願われた日蓮大聖人の慈愛があふれています。
〈御文�について〉
悪世の中、師匠を求め、純粋な信心に励む乙御前の母に対し、大聖人は"いよいよ強盛に信心を奮い起こしていきなさい"と呼び掛けられています。
水が凍ってできた氷は水より冷たく、藍の葉から作られる青の染料は、重ねて染めると藍よりも鮮やかな青色になります。
大聖人は、この例を通し、法華経も同じであると仰せです。信心を奮い起こして、広布のための実践を重ねていけば、自身の生命の輝きが増し、功徳もはっきりとあらわれてくると教えられています。
「志をかさぬれば」と仰せの通り、広宣流布のために祈った分、動いた分、語った分、全てが自身の福徳となり、大きく境涯が開かれていくのです。
大事なのは、何があっても強盛な信心を奮い起こして、祈り、行動していく"たゆみない信心の姿勢"です。常に"いよいよこれから"と前進する中で、苦難に負けない確固たる境涯を築くことができるのです。
〈御文�について〉
ここでは、広宣流布を進める人の功徳を強調されています。
対話を通して仏縁を結び、相手に妙法を持たせていくことは、相手の生命の無明を打ち破り、"心の眼"を開かせます。
大聖人は、民衆救済のため、あらゆる大難を乗り越えて万人成仏の妙法を弘め抜かれました。その功徳について大聖人は、"一人の心の眼を開く功徳さえも言い尽くせない。ましてや日本国、さらには全世界の人々の眼を開かせる功徳は、計り知れません"と述べられます。
現代にあって、大聖人と同じ心で人間主義の仏法を弘めているのが、創価学会です。
創価の対話運動は、人々の"心の眼"を開き、自他共の幸福を開きゆく挑戦なのです。
池田先生は綴っています。
「私たちは、目の前の一人を大切にし、相手の仏性を信じ、確信を持って語るのだ。粘り強い大誠実の対話は、悪意や偏見も打ち破る。確かな友情を結び、仏縁を広げていくのだ」
さあ、6・4「世界池田華陽会の日」へ、"いよいよ"の心意気で"正義の対話"を広げ、女子部の「凱歌の花 拡大月間」を勝利していきましょう。

◇池田先生の講義から
信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるということです。(中略)
誰人の人生にも、また、どんな戦いにも、必ず「行き詰まり」を感じる時があります。
しかし、行き詰まった時こそ、自身の信心が試されているのであり、「勝負の時」にほかならない。
大事なことは、常に前進の方向へ一念を定めることです。壁を乗り越える挑戦自体が、自身の境涯を確実に広げていく因となることは間違いありません。
◇ ◆ ◇
法華経の生命尊厳、万人尊貴の思想に基づき、大聖人の人間主義の仏法を弘めているのが、創価学会です。
ゆえに創価の行動は、一閻浮提の一切衆生の眼を開く大闘争です。万人の心の眼を開き、この地上から悲惨と不幸をなくすまで、私たちの前進は止むことはありません。
(いずれも『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)

◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻、「乙御前御消息」(聖教新聞社)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻、「日妙聖人御書」(同)

2017年5月27日土曜日

2017.05.27 わが友に贈る

会った分だけ
友情は深まる。
語った分だけ
信頼が広がる。
さあ今日も行動を!

唱法華題目抄 P4
『謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随順の義なり』

☆女性に贈ることば 五月二十七日
一日一日をていねいに生きよう!
美しいものをたくさん発見できる人こそ、美しい人である。

☆今日のことば365 五月二十七日
自己の向上は
希望ある日々と自信を持った
忍耐の実践からと知れ

☆四季の励まし 未来を決するのは「青年」 2017年5月21日
青年には、未来がある。
青年には、希望がある。
そして——
青年とは、挑戦者だ。
青年とは、先駆者だ。
青年とは、建設者だ。
いかなる国も団体も、
未来の盛衰を決するのは、
理想を抱き、
元気溌剌と実現しゆく
青年である。

青年であることは、
それだけで、
いかなる権力者にも勝る
無限の財宝を
もっていることなのである。
いわんや諸君には「妙法」という
"永遠の財宝"がある。
唯一無上の法とともに生きる人は、
菩薩であり仏である。
この大切な「青春」という宝を、
最高に生かさなければ、
あまりにもむなしい。
燦然と輝かせていくべきである。
そのための信心である。
そのための仏道修行であり、
学会活動である。

青春とは、
"勇気ある挑戦"の連続である。
失敗を恐れて委縮していては、
何もできない。何も残せない。
ともかく
前へ前へと進むことである。
たくましい「挑戦」の心こそが、
自分の「可能性」を広げていく。

真の広布の指導者は、
青年を育成し、
青年に一切を託す。
自ら青年の心をもち、
青年とともに動き、
そして、青年を育て、
青年に未来を託す。
常に青年との輝かしき
共戦譜をもてる人は、
崇高な魂の勝利者である。

"大自然の妙"というべきか。初夏の青空に浮かぶ白雲が、両翼を広げる"大鳳"となった。2004年(平成16年)6月、池田大作先生が、名画のような一瞬を逃さず、八王子市の東京牧口記念会館からシャッターを切った。
雲は、さまざまに形を変えながら、果てしない空を舞う。それはまた、試行錯誤を繰り返し、悪戦苦闘しながら、将来の夢や未来に向かって挑戦し続ける、青年たちの姿と重なる。
青年こそ、一切の状況を打開しゆく希望の存在である。どこまでも青年を信じ、励まし育て、無限の可能性を発揮させてあげたい。一人一人が"大鳳"へと成長し、使命の大空へ羽ばたく姿を思い描きながら——。

2017年5月26日金曜日

2017.05.26 わが友に贈る

いかなる苦悩も悲哀も
大境涯を開く糧となる。
「宿命転換してみせる!」
この誓いを断固と貫き
凱歌の人生を飾れ!

妙法尼御前御返事 P1402
『人の身の五尺六尺のたましひも一尺の面にあらはれ一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候』

☆女性に贈ることば 五月二十六日
親は子どもにとって、最も身近な人生の先輩ともいえる。
平凡であってよい。地味であってよい。失敗があってもよい。
しかし、人間としてのたしかなる完成、また虚栄ではない、真実の栄光を見つめた自らの生き方の軌跡を、子どもに示せる存在でありたい。

☆今日のことば365 五月二十六日
君が もっと明確に
 確信をもって物事をいえば
人々は惑わずに救われたのではないかと
 私は 忠告したいのだ

☆戸田城聖先生 巻頭言集 王仏冥合論 (大白蓮華 昭和三十一年八月一日)
このたびの参議院選挙戦では、大いに社会の注目をひいた。宗教団体であるわが学会人のなかから、政治家をだすのかということについて、内外ともに、いろいろの議論がでている。
たとえば、日蓮正宗を国教にするとか、また何十年後には、衆参両院の議席を学会人で占めるとか、または、創価学会が日本の政治をとるとかいう、あらゆる妄説が唱えられている現状である。
しかし、われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法稟承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである。
三大秘法稟承事にいわく、「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」
以上の御書を分析すると
一、戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して(総じての王仏冥合論)
二、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて(人法論)
三、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時(時を論ず)
四、勅宣並びに御教書を申し下して(国立戒壇論)
五、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か(所を論ず)
六、時を待つべきのみ 事の戒法と申すは是れなり(未来への付属論)
七、三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり(国立戒壇の功徳即一国の平和論)

2017年5月25日木曜日

2017.05.25 わが友に贈る

病魔に負けるな!
「いかなる病
さはりをなすべきや」
全細胞を一新させるとの
強き一念で祈り抜け!

盂蘭盆御書 P1430
『目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う』

☆女性に贈ることば 五月二十五日
「もったいない」この日本の母の"知恵の代名詞"ともいうべき言葉が、環境問題を打開する道として、世界に希望を広げている。
どんなものも無駄にしないという慈しみの心ーこの「母の心」 が、命を尊ぶ心、他者を思いやる心を育むからだ。

☆今日のことば365 五月二十五日
純粋な愛情は美しい。しかし、愚かと、もろさも、そこには同居している。そのために、愛情をふみにじられて、不幸に泣く女性のいかに多いことか。あなたは、そうした不幸の人であってはならぬ。

☆世界広布と新入会の友 アメリカ サンフランシスコ常勝圏 2017年5月19日
◇人間革命の哲学が人生の柱に
新入会のSGIメンバーを紹介する本企画。今回は、アメリカ・カリフォルニア州のサンフランシスコ市、サンノゼ市などを広布の舞台とする、サンフランシスコ常勝圏の友にインタビューした。

◇一家の太陽になりたい/女子部 モニカ・レイノソさん ヌビア・バルガスさん
モニカ・レイノソさんが入会したのは2012年。両親は離婚し、きょうだいもバラバラ。自分が一家の太陽になろうと決めた。
明るく変わっていく彼女の姿を間近で見ていたのは、信心に反対していた母だった。レイノソさんが登壇予定のある日の会合に、母は花束を抱えてやって来た。
「温かな雰囲気に触れたことで、母はSGIへの理解を深め、後に入会しました。一緒に信心できるのがうれしい」
今では両親も、きょうだいも、関係は良好。レイノソさんは白蓮グループの圏責任者として、喜びにあふれて学会活動に励んでいる。

レイノソさんの紹介で入会したヌビア・バルガスさん。
「モニカとは、共通の友人を介して知り合って以来、何でも相談し合える親友。仏法の話を聞いたのは、たしか、一緒にランチをした時でした」
当時、最愛の父をがんで亡くした直後。現実を受け止められず、出口のないトンネルにいるような日々だった。
「モニカは優しいから、決して信仰を押し付けるような言い方ではなかったけど、勇気を出して話してくれてうれしかった。女子部の会合に参加すると、すぐに"ここが私の居場所だ"と感じたんです。会場いっぱいのポジティブな空気に包まれると、私も前に進めるような気がして」
父を亡くして1年後の15年8月に入会し、まず祈ったのは兄の就職。
バルガスさんの兄は、性的マイノリティーの一つであるトランスジェンダー(「性別越境者」等と訳される)。サンフランシスコは性的マイノリティーが多い地域だが、修士号を持つ兄が1年以上も働き口を見つけられずにいた事実に、社会からはまだ、偏見の目が向けられていると感じた。
その兄が、バルガスさんの入会から1週間後、大学での研究職を得ることができた。これが信仰の原点になった。
大学で犯罪学を専攻したバルガスさんは、今、刑務所で入所者の世話に当たる。彼らの多くは出所後、社会で弱い立場に立たされ、時に見下されてしまう人たちだ。
だから「全ての人に、限りない可能性がある」との仏法の価値観を自身の支えとし、周囲にも語り続けている。

◇悩める人を救うため/男子部 ジェシー・カスティージョさん
カリフォルニア大学サンフランシスコ校で神経学の研究に従事する。
ロサンゼルス育ち。学校の成績は常に上位。大学でもトップを目指そう——そんな気持ちで受験を控えた時だった。
「ここに座って」。神妙な面持ちの母から告げられる。「あなたは、アメリカ市民じゃないの」
それは、旅先のメキシコで出生し、2週間後にアメリカに戻ったという事実だった。市民でなければ、大学の奨学金も限られる。やむを得ず、志望大学とは異なる大学に進学したが、「自分の存在価値が分からずに、人との関わりを避けて生きていました」。
それでも勝ち気な性格と努力が実を結び、最優秀の成績で卒業。就職が決まり、心機一転、サンフランシスコへ。
希望の研究職に就き、自信もあったが、勉強のように順調にはいかなかった。新しい場所には頼れる家族も、友人もいない。孤独に陥り、うつ状態になった彼に、同じ研究所で働くSGIメンバーが声を掛けた。
「彼女に誘われてSGIの会合に行くと、初対面なのに、皆が友好的で驚きました。どこで生まれ、どの大学を出て、どんな仕事をしているのか、そこでは関係ないように思えた」
入会後、自分が変われた実感がある。
第一に、つながりを大切にするようになった。
「昔の自分は、勉強ばかりの"ロボット"のようだった。でも今では、人と話すのが本当に楽しい。内気だった自分が、まさか会館警備の牙城会に入るなんて」
そして第二に、全てに意味があると思える自分に変わった。
「自分の居場所が見つからずに悩んだ過去は、同じ境遇の人を救うためだったと思います」
最近、メキシコから移住したばかりという友人が、真心の対話の末に入会を決意してくれた。

◇苦難が自分を鍛えた/壮年部 アービン・リアンさん
台湾生まれ。1歳の時に父が他界した。だから自分は「良い父親になることが夢だった」。
アメリカの大学院に進学し、薬学博士号を取得した。薬剤開発の分野で働いていた2011年に結婚。同年、待望の息子(アンドリュー君)が誕生した。
喜びもつかの間、妻が心のバランスを崩す。妻の介護と息子の世話、過酷な仕事の"3立"に、リアンさんも最大限、努力したが、やがて互いのより良い未来のために、夫妻は離婚した。
「こんなはずじゃなかった」との思いに駆られる。追い打ちをかけるように、親権を巡って前妻とのトラブルが生じた。SGIメンバーだった兄の紹介で入会したのは、そんな時だった。
「これで問題が解決すると思ったら、『きっと悩みは深まっていくよ』と、あるリーダーに言われたんです」
事実、心身をすり減らす日々は、その後も続いた。だが「"泥だらけの濁った水が出てきても、それでも水を流し続ければ、やがてきれいな水が流れてくる"と信じて、祈り続けました」。
苦しみの渦中でも唱題を続けられたのは、この「宿命転換」の哲理への確信とともに、同志の励ましがあったからこそ。
「彼らもそれぞれの悩みがあるはずなのに、何度も私の横で祈ってくれた。"こんな男になりたい"と思える人が、SGIには多くいた」
全てのトラブルは解決し、今、SGIで学んだ慈悲を、共に暮らす息子に注いでいる。
つらかった過去にも意味があるはずと、マイナスをプラスに転じて考えるようになった。苦難が自分を鍛えてくれたと実感している。

◇行動する勇気が湧く/婦人部 ダイアナ・ガレットさん
シリコンバレーの中心・サンノゼ市に35年間、暮らしている。エンジニアやソフトウエア開発者として長年働き、ITにはめっぽう強い。
だが人生は"計算外"の連続。経済難や娘の障がいなど、悩みは消えなかった。人生の軸となる哲学を求め、夫と共にさまざまな宗教を試したが、どれも納得のいくものではなかった。
SGIメンバーから聞いた、"自分の幸福の責任は自分にある"との考え方が気に入り、15年に夫婦で入会。「入会は夫と一緒だけど、今では私のほうが題目をあげるわよ」と笑う。
一番の願いは、娘の成長だった。先天性疾患の影響で、学校での勉強や仕事にも苦労してきた娘だった。だが祈りが深まった母の胸には、「必ず幸せになれる!」との確信が湧いた。
そして今度は、同じ病気の子を持つ親を支えたいと思うようになった。地域にボランティアグループを立ち上げ、本年2月には、医師や心理学者を招いてのシンポジウムを開いた。
「以前の私には、他者を思いやる気持ちはあっても、行動に移す勇気がありませんでした。自らの意思で行動し、それを持続できるようになれたことが、信仰の功徳だと感じています」
楽しみな会合は、毎月の御書学習会。万人を敬う不軽菩薩の振る舞いや、自分にしか果たせない使命があると説く桜梅桃李の思想は、人生の確かな柱となっている。
「この仏法を世界に弘めてくださった池田先生に、感謝します。先生のようにとはいきませんが、私も自分なりに、人に尽くす人生を歩んでいこうと決めています」

2017年5月24日水曜日

2017.05.24 わが友に贈る

「蘭室の友に交りて
麻畝の性と成る」
人間同士の交流が
互いを磨き 高め合う。
善友の絆をひろげゆこう!

十字御書 P1492
『わざわいは口より出でて身をやぶるさいわいは心よりいでて我をかざる』

☆女性に贈ることば 五月二十四日
コンプレックスは、あなたが強く生きていく力となる。すべてのコンプレックスが、あなたの力となる。
コンプレックスに苦しまなかった人は、繊細な心のメロディーがわからない。
コンプレックスで悩んだ分だけ、いじめられた分だけ、心のひだは深くなる。心の響きも豊かになり、人の心がわかる人間になれる。

☆今日のことば365 五月二十四日
平凡なことであるが、およそ対話を抜きにして人間生活は考えられない。否、今日のような殺伐とした時代にあっては、対話こそが、人間の人間に対する不信感を、信頼感に一変させ、あらゆる隔絶を埋める、救いの手段といってよい。

☆国連食糧農業機関(FAO) ダ・シルバ事務局長に聞く 2017年5月18日
◇協調的な世界築く学会の運動に期待
9日から12日まで来日し、政府関係者や議員との意見交換や日本の世界農業遺産(GIAHS)の視察などを行った国連食糧農業機関(FAO)のジョゼ・グラツィアーノ・ダ・シルバ事務局長。3月13日には、イタリア・ローマ市内のFAO本部を訪れた池田博正SGI(創価学会インタナショナル)副会長らSGIの代表と会見している。その時の感想とともに、FAOの役割や今後の展望などを聞いた。

——会見から2カ月がたちました。あらためて、その時の感想をお聞かせください。

はじめにSGIは、あらゆる利害を超えて、協調的な世界を築くために、地球規模で対話に取り組んでいる団体であり、私たちFAOは、その全ての活動に感謝しています。というのも、SGIが取り組む平和運動は、FAOが目指す人類の栄養・生活水準の向上や農業の発展とは別の問題ではなく、むしろ同じ挑戦であると思うからです。
例えば、FAOは農業への支援を通して農村地域の発展を促し、雇用を創出する手助けを担っています。
それぞれの地域が豊かになれば、資源の奪い合いなどが鎮静化する一助になります。これは大きな意味で、平和貢献です。
会見では、池田SGI会長が「世界食糧銀行」という構想を、40年以上も前に提唱されていたという事実に興味を持ちました。
ここで明言しておきたいことは、地球全体として、すでに世界の人々が十分に生きていけるだけの食糧を生産しているということです。ただ、食糧が行き渡る体制がぜい弱なため、食べられずに捨てられているのです。
だからこそ、この問題に対して、解決策を指し示すSGI会長の提案に、深い賛同を示すのです。

——1945年に設立され、現在196カ国(2準加盟国を含む)と欧州連合(EU)が加盟するFAOは、これまで数多くの活動を展開してきましたが、中でも、事務局長が力を入れてこられたことは何でしょうか。

私が事務局長に選出された2012年から、FAOとして、飢餓や栄養不良の根絶を目指し、持続可能な自然資源の使用、農村地域の貧困の減少と農業の強化などに注力してきました。
実は、2015年時点で飢餓に直面する人は、およそ8億人もいます。多すぎる数です。しかし1990年代初頭、発展途上国のおよそ半分の人が飢餓状態にあったことを考えれば、FAOが努力を続けてきた成果はあると実感しています。その上で今、いよいよ「ゼロ・ハンガー(飢餓人口ゼロ)」を目指す時を迎えています。私は、世界の力を結集させ、2030年までに飢餓とあらゆる形態の栄養不良を終わらせたいと決意しています。
日本は常に重要な加盟国です。これまでも食糧の安全保障や持続可能な農業の発展などのために、さまざまな面で支援していただいておりますが、2017年1月からは毎年、FAOと日本との間で戦略協議が開催されることになりました。これによって、飢餓撲滅に向け、より良い政策を生み出していくことができると確信しています。とともに、FAOと日本政府が達成した素晴らしい成果が、日本の皆さんに幅広く伝わっていくことを願っております。

——世界の人口は増加しており、飢餓や貧困の問題は、ますます切実です。

人口増加に直面している今日、最も考慮しなければならないものの一つが気候変動による影響だと思います。気候変動は、水の循環や生態系などに影響を与え、結果として、食糧の安全保障にも影響を及ぼします。
FAOでは、2015年に採択されたパリ協定(地球温暖化防止の国際枠組み)に基づき、飢餓と貧困の減少を目指しながら、地域ごとに持続可能な農業への道を探り、支援しています。それは例えば、農村世帯への投資や社会保護メカニズムの設置などです。
さらに、先ほど述べた、食べられずに捨てられている食糧への対策も大切です。物流の発達、そして、これが最も重要かもしれませんが"消費者の気付き"によって、生産を増やさなくても、飢餓と貧困に立ち向かう力となるのです。

——未来を担うのは、言うまでもなく青年です。青年世代に対し、取り組んでいることを教えてください。

食糧の安全保障を持続的に実現していくためにも、青年が農業分野の中核を担っていかなければなりません。特に、地方は人口減少が進んでいることから、農業の魅力をアピールし、"明日の農業従事者"になってもらう必要があります。
FAOでは、その一つの対策として、"若手農業従事者の学校"を設けています。これは農業技術や生活を生き抜く力などを伝えていくもので、青年に"ビジネスとしての農業の魅力"を感じてもらえるように努めています。その中から、新しい経営感覚や新しい生産技術を持った青年が生まれると信じています。そして、その青年たちの姿は、さらに多くの青年たちの農業への関心を呼び起こす契機になっていくと確信しています。

——国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」について、FAOは、貧困や飢餓の撲滅などの分野でリーダーシップを発揮されようとしています。SGIも現在、市民社会の側から、この「SDGs」の普及・推進に取り組んでいます。

SDGsを達成するには、市民社会に根差した団体の存在は不可欠です。そうした団体は、地域のネットワークを持つ強みを生かし、これまで軽んじられてきたような小さな声をすくい上げ、政策につなげられるような提唱をしてきました。
そうした現場に根差した知恵の一つを、まさに私は、SGIの取り組みに感じています。それは、SGIが地球憲章インタナショナルと開発した啓発アプリ「マプティング(MAPTING)」です。マプティングは、SDGsの推進につながる行動を、各人が写真や動画で撮影し、利用者と共有できるもの。これは利用者にとって、自分たちができることを常に思い起こさせてくれます。
ソーシャルメディアは、巨大なコミュニケーションを拡大させるものです。だからこそ、とりわけ、世界地図を見ながら、各地でSDGsの目標がどれだけ進捗しているのかを確認できる機能は、世界中の人々に良い影響を与えていく素晴らしい発想だと感じました。
このような知恵を持ち、世界にネットワークを持つSGIをはじめ、市民社会とのパートナーシップをさらに強めながら、これからも持続可能な平和社会を、共に築いていきたいと思っています。

◎昨夜の帰宅途中、歩行中に車に衝突される交通事故に遭いました。大きな怪我には至らず、護られました。皆さんも、くれぐれも御注意を!

2017年5月23日火曜日

2017.05.23 わが友に贈る

諦めや臆病の心に
打ち勝つための仏法だ。
強盛な祈りに徹し
あらゆる障魔の壁を
断じて乗り越えよう!

御義口伝巻上 P751
『此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり』

☆女性に贈ることば 五月二十三日
笑顔はいわば、ふくよかに香る心の花である。

☆今日のことば365 五月二十三日
漠然とした一日一日を私は避ける
短いこの世にあって 怠惰を乗り越え
人々に感銘を与えながら
この新たなる人生を終わりたい

☆誓いの天地 東京・品川区 2017年5月18日
◇支えてくれる皆に恩返しを 師弟の源流 人材の大河
品川といえば?——この区の住民に聞いた時、皆がそれぞれに、多様な魅力を口にする。
かつて京浜工業地帯の発祥地として発展した品川。現在の区内を歩けば、大使館が点在する地域、高層ビル群が天を突く地域、木造住宅が密集する地域……それぞれの特徴をもつ街が、パッチワークのように広がっている。
八木隆文さん(品川池田区、男子部本部長)は17年前、料理人を志して北海道から上京し、品川の一角で生活を始めた。
レストランに就職し、夢への一歩を踏み出したが、想像以上の激務に心身の限界を感じ、半年で退職。その後はアルバイトを転々とした。
親への申し訳なさ。将来への不安。諦めの心との葛藤。それでも前を向けたのは、地域の壮年や婦人がいつも自宅に招いて励ましてくれ、男子部の先輩たちが、居留守を重ねても訪問し続けてくれたからだ。その恩に報いたいと思った。品川で独立を——自身の目標が明確になった。
池田大作先生の指針を、むさぼるように学んだ。「大事なのはスピードだ。先手必勝の行動だ。『きょう一日』の実践だ」——。調理。素材。経営。接客。しがみつくように学会活動に参加して生命力を蓄え、店を構えるために必要な知識と技術を、着実に身に付けていった。
一昨年9月、品川区にある大崎駅の近くに「ビストロ八木商店」を開業。「遠回りしたようですが、振り返れば全ての経験が生きて最短の道を歩んでいた。先生の指針の通りでした」
現在、昼も夜も予約でいっぱいの、地域の人気店。店名は「一人でも入りやすい、気楽な感じがいいと思って」、祖父母が北海道で経営していた、小さな雑貨店の名前をもらった。
「私の店も、私自身も、皆に支えていただいて今がある。恩返しは、これからですね」。八木さんは力を込めて、そう語る。

品川で生まれ育った山口緑さん(品川戸田区、女子部本部長)。子どもの頃から人と接するのが苦手だった。中学1年の2学期から不登校になり、高校に進学した後も、引きこもるように。ずっと、自信を持てずにいた。
そんな自分を変えたいと御本尊の前に座り、少しずつ女子部の活動にも参加するようになる。
「会合に行くと、皆の姿が明るく、まぶしくて、最初はうまく話すこともできませんでした」
そんな山口さんを、先輩たちは「ありのままでいいんだよ」と、温かく包み込んでくれた。
白蓮グループの一員に。会合運営などに携わるようになると、人を励まし続けている池田先生、また先生の弟子として地域貢献に尽くす親や学会員に、深い尊敬の思いが湧いた。
自らの人間革命を、真剣に祈るようになった。少しずつ、ありのままの自分に自信を持てるように。やがて、気付けば、社会人として信頼してもらえる自分になっていた。
昨年8月、母親が霊山へ旅立った。「その後、近隣の方々が、母の地域貢献への感謝を私に語ってくれたんです」。そうした生き方を継いでいこうと決めた。
今、女子部の皆に励ましを送る日々。「母や私を昔から知る学会員さんが、『あの緑ちゃんが』と喜んでくださることもうれしいです」。人のぬくもりの中で生きる感謝を、かみ締めている。

◇栄光の共戦譜
品川といえば?——この地の学会員に聞いた時、皆が迷いなく、一つの誇りを口にする。
「ここは、"源流"の地なんです」
初代会長・牧口常三郎先生の教育理論を実践する、第2代会長・戸田城聖先生の私塾「時習学館」があった。1958年(昭和33年)3月13日、池田先生が現・品川文化会館の建設地を決定。この日は今、「品川広布誓願の日」となっている。
松崎登代子さん(総区婦人部主事)は、73年(同48年)11月23日の第1回「品川区幹部総会」を、鮮明に思い出す。現在の「品川の日」の淵源となった日だ。
「この時、私は壇上の席に座らせていただき、初めてお会いした池田先生の、温かくも気迫に満ちたご指導を伺いました」
先生は、インフレが進む激動の社会情勢に触れながら、品川の同志に語った。
「東京は、北海道から沖縄までの幅広い地域の人たちが、大勢集まっているところであり、そのうえ職業までが実に多種多様であります」「相手をよく理解することと、信頼関係によって対話をすることが、東京ほど必要な地域はないのであります。どうか、品川の同志の皆さん、広く、温かい人間関係によって、皆さん方の、この愛する地域を、賢明にリードしてくださるようお願いします」
この指針を胸に、松崎さんは婦人部のリーダーとして、広布拡大の先頭に立ち続けた。
「今でいう総区婦人部長を拝命した時に、先生は『苦労してきたね。よく知っているよ』と言ってくださいました」
工務店を経営していた夫が、病気や事故で6度の入院。夫婦の題目で全て乗り越え、仕事は今、地区部長の長男が継いでいる。

73年の後も、池田先生は毎年のように品川へ。78年(同53年)3月27日には品川会館(当時)を訪問し、現在の品川栄光区・池田区内の、支部の会合に出席した。この日が「品川婦人部の日」となっている。
83年(同58年)11月24日、池田先生を迎え、現・品川文化会館で「品川の日」記念幹部会が開催された。池田先生は、強盛な信心の大切さを強調しつつ語った。
「品川家族の団結の前進によって"品川ここにあり"との新鮮な夜明けの光彩を、全東京、全日本に放っていただきたい」「折伏・弘教、学会活動をともかく持続さえしていけば、時がくれば必ず広布は成就しゆくことを確信されたい。ゆえに信心にあっては、いかなることがあっても持続し、実践し抜いていくことが大切なのである」
先生は翌84年(同59年)4月15日、品川文化会館で、「品川王」と刻んだ石碑の除幕式に出席し、さらに代表と懇談を。その場にいた黒鳥恒夫さん(副総区長)は当時、印刷機器の会社の技術者だった。
石碑を見て、"社会で勝利の実証を示せる人材に成長しよう"と決意した。朝は誰よりも早く出社することを自らの挑戦として実践し続けた。「どんな仕事も人間の営みから始まる。多様な人が集まって心を磨き合っている学会は"アイデアの宝庫"でした」
一昨年に退職するまで、技術畑を46年。在職中、約180件の特許登録を実現した。
「退職時、先生から"今度は若い人に自身の体験を語ってください"と、ご伝言をいただきました。持続の信心で、ますます対話拡大に挑みます!」

山形県出身の山田章子さん(品川池田区、婦人部本部長)は、高校卒業後に、就職で東京へ。会社の寮が品川文化会館の近くにあった。以来、結婚後も現在まで、同じ支部内で暮らしてきた。
「かつて戸田先生が訪れていた店があったり、戸田先生と交流のあった方などがいらっしゃったりと、師弟の源流の地であることを肌身で感じる地域です」
山田さんが池田先生に間近に触れたのは、91年(平成3年)3月のことである。「会合の折、池田先生と一緒に、勤行・唱題をする機会がありました。先生の勢いがすごかった。戦いのあり方を教えていただく思いでした」
師と呼吸を合わせた題目で、経済的な困難も、夫・豊彦さん(本部長)のがんも乗り越えてきた。
両親の姿を見て育った長男・輝彦さん(男子部部長)、次男・伸広さん(総区学生部書記長)と共に、一家で品川広布に先駆する。
戸田先生は、出獄の7月3日、空襲で焼失した時習学館の焼け跡に立った。昨年、戸田先生の祥月命日である4月2日、池田先生は品川文化会館を訪問した。
今、この地に"源流"の誇りを継いだ弟子が立つ。さらなる広布の大河を、全東京、全国へと、広げゆくために。

2017年5月22日月曜日

2017.05.22 わが友に贈る

◇今週のことば
広布に走る一日は
極楽百年の修行に勝る。
なれば今日も
正義と仏縁の拡大だ。
大功徳を積みながら!
2017年5月22日

立正安国論 P31
『国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る』

☆女性に贈ることば 五月二十二日
自分の将来や人生について、両親や先輩と話し合うことは決して古いことではない。大切な示唆となることを忘れてはならない。いちばん賢明に自分を守る羅針盤になるのである。

☆今日のことば365 五月二十二日
人間というものは、自分のことに関しては、甘く、弱いものです。ふだん強そうなことをいっていても、いざ自分のこととなると、いっていることの半分も実行できない。またよいことは自分の手柄にし、悪いことは他人のせいにする醜い面も、だれもがもっています。その弱い自分、醜い自分に打ち勝つことこそ、最大の勇気だといえましょう。

☆戸田先生の指導より 「創価学会の使命」 昭和22年10月19日 創価学会第二回総会 東京教育会館
いま、つらつら日本国土を見るに、所として華洛の土がありません。
インフレの波にもてあそばれて生活の惨苦に悩む人々、あすの不安に焦燥を感じて生気をうしないゆく父や母、あるいは家を失い言えを求めて血みどろのもの、また巷には夜な夜なの強盗騒ぎ、己々の職業にあっては、その資材の不足、資金不足、労働力の減少等、絶えざる不安定感は全国に充満してどこに真の楽土ありといたしましょう。
この国土を救いたい、この民族に楽土を与えたいと、乞いねがわないではおられないのは、わたくしどものみではないでありましょう。
自覚ある人である以上、自己一身の保全に汲々たるのみで晏如(あんじょ)たりうるものでがありません。
しかるに今日の現状は,自己一身の保全、または一家の保全すら、見通しをなしえない状態なのであります。
かかる苦悩の世の中を救うには、仏教の真髄を世に広める以外に方法はないと、二人の大哲人が遠くは三千年の昔に、釈迦と現れ、日蓮大聖人様として現じられて、大声喝破しておられるのであります。
幸いにも、我々学会人は、このみ仏のお教えに随順するものの集まりであります。
仏教の真髄とは、日蓮正宗を除いては真の仏教はないということは、文証珥ついて、理証について、わたくしの常に説くところであり、諸君が常に現証を得られた以上、我々は、日蓮大聖人様に随順して大聖人様の文底秘沈の妙法を、個人の救いのために、国土、民族いな、全宇宙の衆生を救わんがために、説かなくては為らないのであります。
われらは、日蓮大聖人様ご図顕の大御本尊様のご威徳、広大なる大聖人様のご慈悲によって、このようなつまらぬ凡身に、仏を感応することができる大果報を喜ぶとともに、人々にもこの喜びをわけて、仏の国土を清めなくてはならない。
当然のことでございます。
この当然の行為は、すなわち、われわれをして、仏の使いをたらしめるものであります。されば、また仏からつかわされたものとして、慈悲の袋に救いの源泉をつつんで、人々にあたえることこれを折伏というのであります。
折伏こそ学会の使命であり、信条であるのであります。
されば吾人は、仏を感得しうるの大果報人であるとともに、世の中に大確信を伝えなくてはならないのであります。
仏に貧乏があってなるものですか。
仏が三世の仏菩薩、諸天善神に守られなくて、なんとしよう。
前世は必ず安穏であること疑いないのであります。
されば仏の集まりが学会人であると悟らなくてならないのであります。
迷える人々を仏のもと、すなわち、日蓮正宗の御本尊様の御もとに、案内するの集まりであると、知らなくてはなりません。
このためには、けっして、信仰や折伏を、自分の金もうけや都合に利用してはならないのであります。
仏罰の恐ろしさを知るならば、そんなことは、けっしてでき得ないので、世に言う悪などということの何千倍の悪であります。
学会は名誉のためにも、金もうけのためにも、寄付をもらうためにも動いてはならないのであります。
ご利益や大果報は、御本尊様からのみ得られると、確信すべきであります。
もともとわが創価学会は、故牧口常三郎先生の提唱と実行運動に、その端を発し、いま不肖、非才をもかえりみず、先生なき後の学会の理事長として、先生の意志をつぐものであります。
先生の後半生、すなわち、創価学会の活動いらいの先生は、多くの悪口罵詈、誹謗が、あたかも先生の全人生のごとくであって、そのなかに、なんら恐るることなく、日蓮正宗流布のため、寧日なかったのであります。
しかも、軍閥主義の横暴と、時の警視庁の小役人の無知蒙昧から、ついに牢死までなされてみ仏にささげたお方であります。
されば、その後をつぐわれわれも、三障四魔紛然とおこるとも恐るることなく、三類の強敵、雲のごとく集まるも、日蓮上人様のおことばを信じ、霊鷲山会に参ずるときは三世常恒の御本尊様に、胸を張ってお目通りのかなうよう、たがいに努めようではありませんか。

☆青春譜——池田先生と綴る未来 創価大学第13回 ロシア研究会 2017年5月17日
◇「この道」を歩み続ける人に
「そこに人間がいるから、私は行くのです」——世界を分断した東西冷戦の渦中、創価大学創立者の池田先生は、ソ連(当時)への第一歩をしるした。1974年9月のことである。
先生は翌75年5月にも再び訪ソを。この時、名門・モスクワ大学と創大との間で学術交流協定が結ばれている。
同年、入学した5期生。先生の勇気の行動を目の当たりにした彼・彼女らは"創立者に続こう!"と燃えていた。
この5期生の数人によって創部されたのが、現在の「ロシア研究会」である。
モットーは"直接行って、自分の目で確かめる"。ロシア語の研さんはもとより、ロシアの歴史、文化、文学などを幅広く学習。研究誌を毎年発行し、主催するロシア語スピーチコンテストは26回を数える。モスクワ大学をはじめ、ロシアの各大学へ留学するメンバーも多い。

◇日ロ友好の人材を
創部当時、創大にロシア語専攻はなかった。創大のロシア語教育の草分け的な存在であった酒井一之教授(故人)が顧問となり、学生たちは語学の習得に挑戦。部室には一冊のノートが置かれ、両国友好への熱い思いを、互いに書き込んでいった。
そんな研究会の友を、池田先生はずっと見守ってきた。
76年秋の創大祭。来学したソ連の賓客との会見に、研究会の学生の代表2人が同席。先生は通訳に挑戦するよう促した。
「きょうは、ゆっくり学内を散策するような一日にしたいですね」と語る先生の言葉を、しどろもどろになりながら伝える学生。しかし、後が続かない。先生は、ほほ笑みながら「しっかり勉強するんだよ」と温かく励ました。
別の会見では、研究会の部長を同席させ、「ロシア語であいさつを」と勧めたこともある。懸命に言葉をつないだ友を優しく見つめ、「彼にとって、生涯忘れられない瞬間となったことでしょう」と来賓に語った。
そうやって先生は、両国友好の人材を手塩にかけて育ててきたのである。

◇平和と友情の虹の橋
79年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻。世界に緊張が走る。当時、研究会の学生が、ロシア語を学び続けることへの一抹の不安を、池田先生に打ち明ける機会があった。
すると先生は、いつになく厳しい表情で語った。「国際情勢は変わり続けるものです。それに一喜一憂するのであれば、初めからやらないほうがいい。自分で選んだ『この道』を歩み続けるのが偉大な人です」
その信念を貫き、先生は研究会の友を含む250人の交流団を率いて3度目の訪ソを(81年5月)。自らが先頭に立ち、平和・文化・教育の新たな道を開拓した。
創立者のように、いかなる時代の変化にも左右されない。創立者の心を伝えるために、ロシア語を学ぶのだ!——学生たちは固く誓った。
◇ ◆ ◇
2007年6月11日。冷戦終結の立役者となったゴルバチョフ元大統領が創大へ。記念講演を行った後、池田先生と9度目の再会を果たした。
語らいを終えた二人を待っていたのは、ロシア研究会の代表数十人だった。
「ぜひ再び、創価大学に来てください!」。声を合わせて、ロシア語で呼び掛ける学生。元大統領は「皆さんの声が、あまりにも素晴らしいので感動しました」と、満面の"ゴルビースマイル"で応じた。
元大統領を見送った先生は研究会の友のもとへ。一人一人と握手を交わし、「ありがとう」と何度も何度も口にした。
初訪問から40年の時を刻んだ14年には、研究会のメンバーにこう真情を伝えている。
「私と一緒に、道なき道を開き、ロシアとの『平和』と『友情』の虹の橋を結んでくれた皆さんのことは、私の胸の奥に、いつも輝き光っています」
創部から四十余星霜。
一貫して変わらぬ先生の期待を胸に、研究会出身者は、両国を舞台とする第一級の通訳や研究者、商社社長をはじめ、ロシアで、世界で、日本で、使命の人生を力強く歩んでいる。
先生が開いた「この道」。
先生が架けた「虹の橋」。
真っ先に続くのは、創大生であり、ロシア研究会である。

2017年5月21日日曜日

2017.05.21 わが友に贈る

御聖訓「わたうども
二陣三陣つづきて」
後継の友よ立て!
善のスクラムを広げる
勇気の言論戦を!

日興遺誡置文 P1618
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』

☆女性に贈ることば 五月二十一日
生まれてきたからには、幸福を勝ち取らねばならない。
断じて、不幸に負けてはならない。
若々しく希望の光に包まれた、貴女の闘争の力こそが、すべてを幸福に変えていくのだ。

☆今日のことば365 五月二十一日
決して自分だけで悩むな。よき友、よき先輩と何でも相談していくことだ。

☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 関西 2017年5月16日
◇常勝不敗の原点を永遠に継承
「正しい信心が最後は必ず勝つ!」
池田先生の正義の師子吼が轟いた「大阪大会」から本年で60周年を迎える。
1957年(昭和32年)7月3日、民衆勢力の台頭を恐れた権力によって池田先生が不当逮捕・投獄された。後の裁判でも明らかになるように全くの無実の罪であった。そして、出獄した同月17日に中之島の大阪市中央公会堂で行われたのが大阪大会である。
この時、関西の同志は心に誓った。
「仏法は勝負や。負けたらあかん。絶対に、負けたらあかんのや!」——
師弟共戦で関西に築かれた不滅の錦州城。その常勝不敗の魂は今、脈々と後継の友へと受け継がれている。
◇◆◇
大阪・旭常勝区の小田文子さん(支部副婦人部長)は大阪大会の日、母・馬場美江子さんが、家に帰るなり顔を紅潮させて語った言葉を鮮明に覚えている。
「折伏せなあかん! 味方をつくらなあかん!」
「先生を、あんな目に遭わせて! 折伏して、創価学会の真実を言い切らなあかん」
美江子さんは、55年(同30年)10月に入会。翌年、池田先生が関西の同志と共に「1万1111世帯」の金字塔を打ち立てた「大阪の戦い」でも、弘教に奔走した。
週末ともなれば、経済的に大変な中で旅費を工面し、父・順三さんと地方折伏へ走ったこともある。地域に青年部が引っ越してくると親身に面倒を見た。服や靴下など、家にあるものを惜しげもなく渡してしまう。「わが身に置き換えたら、うれしいと思って」と。
2008年(平成20年)に霊山に旅立つまで、愚痴を聞いたことがない。弘教した人の数を尋ねても「覚えてへん」。それほど多くの友に仏縁を広げた。「この信心しなかったら、幸せになれへんねん」「この信心を教えてくれた先生のためにやらなあかん」が口癖だった。
母に続いて入会した時、中学生だった文子さんも、女子部で弘教にまい進。当時は対話に出向いても水を掛けられることもあった。
そんな時に母は「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(御書234ページ)の御文を拝して毅然と語った。「難があるのは当たり前。これで宿命転換できる。うれしいことや」
文子さんは20代の頃、神戸市の王子陸上競技場での関西体育大会に女子部の合唱団の一員として参加。入場する池田先生が、ぴたっと文子さんの前で止まった。「体が基本だよ。広宣流布のために、元気になることが大事だよ」
どきっとした。小学校も休みがちで体が弱かった文子さん。師の一言に涙が止まらなかった。
以来、"信心で健康になる"と祈りを定め、弘教に走り抜いた。仕事も商社の服飾デザイン部門で活躍。気付けば、日々の学会活動や深夜に及ぶ仕事も全力で取り組めるほど健康になっていた。
しかし、地区婦人部長として奔走していた1988年(昭和63年)、ひどい肩こりに襲われた。マッサージしても治らない。病院へ行くと医師から「乳がんかもしれません」と。文子さんの脳裏には、かつての池田先生の言葉が浮かんだ。「先生はこの時のために私に指導してくださったんだ。健康を勝ち取るんだ!」
その足で、予定されていた御書講義の講師を担当。「今、乳がんだと言われてきたけど、これは御本尊からの最高のプレゼントだと思って、戦います!」。自然と口から出た。"言い切れた。これで絶対に勝てる!"と文子さんは確信した。
手術は無事成功。術後の痛みもなく、医師から他の患者に話をして不安を解消してあげてほしいと頼まれるほどだった。とはいえ、腕が上がらず、少しの段差も越せないほど歩行も困難に。それも、4カ月に及ぶリハビリで克服した。
後に寛解を勝ち取った文子さん。「本当に学会員で良かった。これからも池田先生の弟子として、『伝持の人』として広布に走り、先生が築かれた麗しい学会の世界を守り抜きたい」
そんな文子さんと、どんな時も題目を唱え抜く夫・繁太さん(地区幹事)の姿を見て育った長女・陽子さん、長男・宏一さんは、ともに関西創価小学校から大学まで創立者のもとで薫陶を受け、後継の道を真っすぐに歩む。そして、孫たちへと、関西魂は4世代に流れ通っている。

兵庫・姫路総県の網干勇勝圏で婦人部副本部長を務める北浦恵理子さんの母・生田美佐子さんも、姫路から幾度も大阪に足を運び、師弟の共戦譜をつづった一人だ。
55年(同30年)の入会。自宅を個人会場に提供し、毎日のように集う同志と、友好を広げた。近所で美佐子さんを知らない人はいないほど地域広布に徹した。
美佐子さんはよく孫を連れて対話に歩いた。道中では、「大阪の戦い」の際に池田先生の「全ての活動が、宿命転換のための戦いであり、幸福になるための戦いなんだよ」との励ましに触れ、感動したこと。命の底から確信が湧いて、勇んで折伏に走り抜いたことなどを語ってくれたという。訪問した友人の中には、素っ気ない対応をする人もいたが、「また来るからね」と笑顔で返す姿に常勝の魂を学んだと、孫たちは口をそろえる。
一貫して友人を大切にし、毎年、200枚ほどの年賀状を手作りで作成していた。2004年(平成16年)7月1日の朝、所願満足の生涯を閉じた時も、近所の人々が「2、3日前にも訪ねてこられたわよ」と驚くほど、最後まで広布に歩いた人生だった。
恵理子さんは「とにかく厳しい母でした。『信心はさぼったらあかん。真面目にするんやで』『愚痴は言うたらあかん。信心は喜んでするもんや』と。そのおかげで今があります」と感謝する。
恵理子さん自身は、未来部で五年会、関西鳳雛会2期として、池田先生から慈愛の薫陶を受け、後継を誓った。高校・短大を卒業後、美容師に。東京での4年半の修業を経て帰郷し、26歳から現在まで、自宅兼店舗の経営を切り盛りしている。姫路文化会館や兵庫池田文化会館などで、池田先生の来県のたびに女子部のリーダーとして師弟の出会いを結んだことが、揺るぎない原点だ。
北浦さん一家に宿命の嵐が襲ったのは2004年。支部婦人部長として奮闘していた恵理子さんが1月に脳梗塞を発症。祖父も父も同じ病だった。「今こそ宿命転換の時!」と祈り抜き、2週間で後遺症もなく退院することができた。一安心したのもつかの間、4月には夫・平三さん(副本部長)が、勤めていた中堅ゼネコンからリストラを宣告される。そして7月の母・美佐子さんの逝去。長女・恵美子さんの大学受験も控えていた。「今こそ題目だ! 負けたらあかん!」と一家が一丸となって御本尊に向かった。
数カ月後、これまでより良い条件で平三さんの再就職が決定。恵美子さんは創価大学に特別奨学生での入学を勝ち取った。
「結果的に全てが良い方向になっていました。凡夫ですから未来は分かりません。でも題目の功徳はすごい。これだけは間違いありません」。当時を振り返りながら、平三さんは語る。
現在、長女・恵美子さんはじめ、創大教育学部出身の次女・正子さん、創大通教出身の長男・良明さんの、きょうだい3人がそろって小学校の教員として奮闘し、広布の第一線で活躍している。
一昨年12月、2度目の脳梗塞になったが、大きな後遺症もなく、以前の健康を取り戻すことを目指す恵理子さん。「何が起きても一喜一憂せずに、素直に信心する。それが大事であることを母から受け継ぎました。どこまでも学会と共に、師弟不二で、社会に実証を示していきます」
◇◆◇
路地裏まで一軒一軒訪ねて、膝詰めで語り、肩をたたいて庶民を励ました池田先生の温もりが生きている。そのかけがえのない共戦の日々を誇りとし、正義の魂を語り継ぐ同志が、どの町にもいる。これが関西の強さだ。
常勝関西よ、永遠なれ! 断じて不敗の関西であれ!——この限りない師の信頼と期待を胸に、今、青年たちが立ち上がる。

2017年5月20日土曜日

2017.05.20 わが友に贈る

事実は百万言に勝る。
体験を語ろう!
行動で示そう!
ありのままの姿で
社会に勇気と希望を!

諸法実相抄 P1358
『釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』

☆女性に贈ることば 五月二十日
今の仕事に全力で当たれ!
今日の課題に懸命に挑め!
足下の己の使命に徹せよ!
そこに勝利がある。

☆今日のことば365 五月二十日
汝自身を知ることは、大変なことである
苦悩も 失敗も 自身を知らぬことから
出発するのかも知れぬ

☆本紙創刊66周年を記念 無冠の友へのメッセージ
◇不屈の楽観主義で前へ 配達即「地域広布」なり
毎日、朝早くから信心の息吹と感動を全国の同志に届けてくださる配達員の友。この"朝一番の言論戦"こそ、日々の広布拡大の原動力である。ここでは、本紙配達員の機関紙「無冠」の創刊記念日特集に掲載された、池田先生のメッセージを紹介する。

最も敬愛し、信頼する「無冠の友」の皆さま! 皆さま方の尊き奮闘あればこそ、わが聖教新聞は、この4月20日、創刊66周年を晴れやかに迎えることができました。心より御礼申し上げます。
いよいよ7月からは、新たな正義の言論城となる「創価学会 世界聖教会館」の建設が始まります。新会館には、配達員の皆さま方の功労を讃え、永遠に顕彰させていただく一室も設置される予定となっております。完成する2019年の11月18日を楽しみにしながら、勝利、勝利の大前進をお願いいたします。

聖教新聞は、折しも厳寒の冬を耐えて、桜前線が日本列島を北上していく季節に誕生しました。
構想を、恩師・戸田城聖先生と私が語り合ったのは、1950年(昭和25年)の夏8月24日、先生の事業が最大の苦境にあった渦中でした。それから、まさしく秋霜と猛吹雪のような試練を、一つ一つ勝ち越えて、ついに聖教新聞の創刊まで、たどり着いたのが、翌51年の春4月の20日だったのです。
迎えた晴れわたる5月3日、恩師は、あの「75万世帯の拡大」を宣言されました。当時、ほとんどの人が夢物語として聞いていたことでしょう。
しかし、先生と私の師弟は、断じて実現を疑いませんでした。なぜならば、聖教新聞が産声を上げ、烈々たる学会精神が脈動を始めていたからです。
そして、この学会精神を、今も生き生きと受け継いでくださっているのが、「無冠の友」の皆さまにほかなりません。

先日、東北の無冠の友から尊い便りを頂きました。
雪深き天地で聖教新聞の配達を担い立たれ、この春で32年になる創価の母です。亡きご主人の「俺の分まで!」との遺言を支えに、冬はスキーのストックをつきながら、歩いて配達してくださっています。
この2月には、ご本人も、息子さんも、共に友人に折伏を実らせることができたと、喜びが綴られていました。
さらに、この3月は、東北総会を期して聖教新聞の大拡大をしていただき、配達部数も大幅に増えました。皆の真心の結晶である一部また一部に、題目を唱えながら、また学会歌を口ずさみつつ、元気いっぱい無事故で配達してくださっているとの近況を、何より有り難く、うれしく拝見したのです。
こうした「無冠の友」のあまりにも深く強く、清らかな信心の志ありて、広宣流布がたゆみなく進んでいることに、私は妻と、ただただ合掌する日々です。
そして日蓮大聖人が、けなげな門下を讃えられた御聖訓「同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり」(御書1221ページ)を謹んで捧げたいのであります。

戸田先生は、聖教の創刊号から健筆をふるい続けられました。
法華経の寿量品には、「未曽暫癈(未だ曽て暫くも癈せず)」——「仏は未だかつて少しも説法を休んだことはない」とあります。
先生は「仏は『未曽暫癈』と仰せだ。だから私も休むわけにはいかないのだ」と語られながら、広布の言論闘争に生命を注がれたのです。
師弟は不二なるがゆえに、この恩師に続き、私もまた今日までペンを執り続けてきました。小説『新・人間革命』の連載も、おかげさまで総仕上げの第30巻に入っております。
雨の日も、雪の日も、誇り高く広布の機関紙を届けてくださる皆さま方のことを思えば、限りない力が湧いてくるのです。
無冠の友の皆さまの一歩また一歩こそ、最も尊貴な「仏の歩み」でなくて何でありましょうか。

第2総東京のある無冠の母は、一家の経済的な苦境にもひるまず、自ら仕事をしながら、学会活動と聖教配達を長年にわたって、やり抜いてこられました。
その姿を見て育った娘さん方も、「お母さんのように、少しでも地域のお役に立ちたい」と、女子部のリーダーとして活躍されています。自ら進んで、無冠の道に続いてくれるようにもなりました。
大聖人は、「父母の成仏即ち子の成仏なり」(御書813ページ)と仰せです。父母の労苦は必ず子の幸福に、さらには地域・社会の発展に通じていきます。わが地域に、希望と勇気を届ける聖教の配達は、かけがえのない貢献であります。
ゆえに私は、配達は即「地域広布」なり、そして配達は即「一軒一軒の幸福勝利劇」の始まりなりと申し上げたいのです。
現実の日々の歩みには、さまざまな苦労や、心労もあるでしょう。
しかし、アメリカの社会福祉運動家ヘレン・ケラーが「一つ一つの労苦が勝利なのです」と語ったように、何があろうとも不屈の楽観主義で前へと進む人には、常に成長があり、充実があり、勝利があります。
私は、厳しい冬を乗り越えて、爛漫と咲き香る桜を見るたびに、無冠の友の皆さまの笑顔を思います。
わが地域から社会へ、朗らかな幸福前線を広げゆく尊い皆さま方が、健康長寿・絶対無事故で前進されますよう、私と妻は、朝な夕な真剣に祈り抜いてまいります。
偉大なる無冠の友と、ご一家の皆さま、万歳!
どうかどうか、お元気で!

2017年5月19日金曜日

2017.05.19 わが友に贈る

絶対勝利の信心だ。
変毒為薬の妙法だ。
「祈りとして
叶わざるなし」の
大確信で進みゆけ!

新池御書 P1440
『かやうに此の山まで度度の御供養は法華経並に釈迦尊の御恩を報じ給うに成るべく候、弥はげませ給うべし懈ることなかれ』

☆女性に贈ることば 五月十九日
他人の畑に気を取られていては、どこまでいっても満足は得
られない。
自分の畑を耕さないかぎり、人生の真の実りは満喫できない。

☆今日のことば365 五月十九日
いつの世にも、なにより美しく、尊いものは、人の情愛である。
人間の真情は、ひとたび危急におちいったときにこそ、偽りのベールをはらって、本当の顔をあらわすものだ。

☆御書と歩む 第63回 広布の勝利劇を綴りゆけ 2017年5月13日
『世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』(佐渡御書、956ページ)

◇通解
世間の浅いことには、命を失うことはあっても、大事な仏法のために命を捨てることは難しい。それ故に仏になる人もいないのである。

◇同志への指針
人間として生を受けたことが、いかに尊貴な福運か。ゆえに「浅き事」に流されて、悔いを残してはならない。
恩師は私に"若き命を「大事の仏法」に懸けてみよ。絶対に正しき人生を歩める"と約束くださった。この70年の軌跡が、その証明である。
私も叫びたい。"地涌の若人よ、広宣流布という壮大なロマンの勝利劇を、思う存分に綴りゆけ!"と。

2017年5月18日木曜日

2017.05.18 わが友に贈る

陰に徹する友に称賛を!
悩める人には同苦を!
「こんなところにまで」と
皆が感嘆するほど
隅々に光を当てよう!

同生同名御書 P1114
『石を珠といへども珠とならず珠を石といへども石とならず』

☆女性に贈ることば 五月十八日
いちばん大切な生命を守り育みゆく、女性の智慧と慈悲の結集にこそ、人類史の転換は託されている。
偉大なる母性の力は、権力にも勝る。

☆今日のことば365 五月十八日
新緑ほど、生き生きとした生命の輝きと躍動を感じさせるものはない。
その緑一色も、よく見ると、実に多種多様な一本一本の草から成り立っている。それらは、多く雑草と呼ばれ、あまり名も知られていない。この雑草は、何の飾り気もなく、ありのままの姿で、精一杯生きようとしている。

☆世界写真紀行 第14回 マレーシア「ペトロナス・ツインタワー」 2017年5月12日
◇麗しき団結の人間城を
競い合うように天空を目指すビル群。その中で、ひときわ目を引く一対の塔。
まるでこの国の勢いを象徴しているかのようだ。
マレーシアの首都クアラルンプールに立つ「ペトロナス・ツインタワー」。
地上452メートルの88階建て。1998年に完成した。20世紀に建てられたビルでは最も高く、ツインタワーとしては、今も「世界一」を誇る。
多民族国家のマレーシア。クアラルンプールの街並みも、壮麗なイスラム建築やにぎやかなチャイナタウン、英国統治時代の面影を残す洋館と多彩だ。マレー語・英語・中国語が飛び交い、鮮やかな民族衣装の人々が往来する。
この国に妙法の灯がともったのは半世紀前。まだ日本軍による侵略の記憶が生々しい頃だった。
草創の友は、時に「敵の宗教をやるのか!」と言われながらも、軍国主義と戦い抜いた創価の師弟の精神を語った。さらに多民族の国に、共生の哲理を語り広げていった。
88年2月、池田先生が初訪問。"現実の社会で価値を創造する人に"との師の期待に、友はさらなる広布拡大と社会貢献を誓った。
98年には、マレーシアの国家行事の開幕式で、マレーシア創価学会のメンバー5000人が人文字を披露。
マハティール首相(当時)は"団結と真剣さによって成し得た人文字の演技は、マレーシア人が全力を尽くして全ての困難を乗り越える意志と力を備えていることを表現していた"と絶賛した。
2000年11月27日、先生が12年ぶりにマレーシアへ。そこには、ツインタワーをはじめとするクアラルンプールの目覚ましい発展があった。
翌12月の1日、先生がマレーシア創価学会の代表者会議に出席した。
多文化が混在するマレーシアで、粘り強く妙法の種をまいてきた友。先生は「娑婆世界」の「娑婆」とは「堪忍」、すなわち、たえ忍ばねばならない世界であり、そこで勝ち抜く中に、真の鍛えがあると強調。さらに、次のように呼び掛けた。
「釈尊は、同志の結合を『不敗の集い』と呼び、『善き友』と歩むなかに仏道修行のすべてが納まっていると教えた。麗しき信心の団結の姿のなかにこそ、仏道修行があり、人生の勝利がある」「どこまでも仲良く明るく、前進していただきたい。そして、ペトロナス・ツインタワーが世界一であるように、『世界一の団結の人間城』を築き上げていっていただきたい」
創価の同志は皆、今この時に戦うことを誓い、勇んで集った地涌の菩薩である。使命のない人など一人もいない。
信心を根本に、それぞれの持ち味を最大に生かす。多様な個性の人がいれば、その分、新しい可能性も広がる。"あの人はこうだから"などの決め付けは仏法に反する。
どこまでも「一人」を信じ、励ます。そして広宣流布へ、共に祈り、行動を開始する。どんな困難も、朗らかに笑い飛ばし、肩を組んで支え合っていく——。
こうした麗しい「団結の力」で勝ち進んできたのが創価の師弟である。この勝利の方程式は永遠に変わらない。

2017年5月17日水曜日

2017.05.17 わが友に贈る

�張りのある勤行
�無理と無駄のない生活
�献身の行動
�教養のある食生活
これが健康長寿の要諦!

四条金吾殿御返事 P1151
『申すままにて候あいだいのり叶いたるやうにみえて候』

☆女性に贈ることば 五月十七日
家族のため、近隣のために、自分らしく、誠実に精一杯の努カをして生きてきた女性の一生は、平凡であっても、尊く美しい。

☆今日のことば365 五月十七日
会議は、議論のための議論であってはならない。本当に真剣であれば、おのずから知恵が湧いてくる。

☆誓いの天地 東京・足立区 2017年5月9日
◇青年に光る「地域貢献の心」 「覚悟の信心」ここにあり
東京23区の最北端に位置し、埼玉県川口市、草加市、八潮市に隣接する足立区。建設業や運送業関連の事業所が数多くある。
近年、「つくばエクスプレス」「日暮里・舎人ライナー」が整備され、沿線の住宅建設が進む。新住民が増えているが、人情味あふれる気風は変わらない。
「庶民の街」であることに誇りを持ち、地域のために汗を流す。その"地元愛"は、壮年・婦人部とともに、青年部にも息づく。
塗装業を営む黒岩高志さん(足立戸田区、男子部本部長)。2年前から地元町会の青少年部長を務める。
2002年(平成14年)、父・幸博さんが肺がんで亡くなった。父も町会の青少年部長を務めていた。
地域の多くの人から「お父さんには本当に世話になってね」と声を掛けられた。周囲から慕われた父の「地域貢献の心」を、黒岩さんは受け継いだ。
父に肺がんが見つかった当初、"なぜ"との思いが抑えられず、御本尊の前に座れない日々が続いた。入院2カ月ほどが過ぎたある日、父と2人で会話を。
「信心だけは絶対に負けないから」。父の力強い言葉に、自身の姿勢を猛省した。最後の最後まで生き抜こうとした姿を、黒岩さんは深く心に刻んだ。
その後、父が立ち上げた塗装業の会社が、多額の負債で廃業に追い込まれた。だが、懸命に祈り、再出発。丁寧な仕事ぶりが評判を呼び、それまで取引のあった会社からの信頼を回復し、新規顧客の開拓にも結び付いていった。
6年前には自宅を改築。2年前に、個人会館「黒岩栄光会館」が誕生した。
「発展する街と共に、自らも成長し、これからも地域に尽くしていきます」

齋藤裕子さん(竹の塚牧口区、女子部副部長)は、地元町会の和太鼓チームのリーダーだ。
小学1年の時、チームに入った。現在、子どもから高齢者まで、幅広い年齢で構成され、夏祭りなどに出演。先月は地域の桜祭りで、軽快なバチさばきを披露した。
「和太鼓の活動を通して、地域に貢献する多くの学会員さんがいることを知りました。私自身も、皆さんに喜んでもらえる演奏をし、地域活性化の役割を果たしていきたい」
幼い頃から、学会が大好きだった。地域の壮年・婦人部が、いつも優しく声を掛けてくれたからだ。
小学生の時、足立総区少年少女部の「ドリーム合唱団」に入団。中学1年からは、鼓笛隊で信心の薫陶を受けた。
高校卒業後、ホテル業界を目指して専門学校へ。週末は一日中、ホテルでの実習が続き、学会活動に参加することが難しくなった。ホテルに就職した後も、本部幹部会中継行事へ行くのがやっとだった。
だが、一昨年、女子部の先輩の温かい激励に、"私も先輩のようになりたい"と発心。昨年からは、白蓮グループの一員として、対話拡大にも率先する。
「自分の姿を通して、地域に学会理解の輪を広げていきたい」。齋藤さんの笑顔が輝いた。
——「足立」には昔、見渡す限り「葦」が生えており、「葦立ち」と呼ばれた。それが転じて、現在の地名になったという説がある。
池田先生はかつて、この由来に言及。「世界第一の『模範の信心』で、東京全区をリードしゆく『人材の足立』『団結の足立』を」と念願した。
今、名実共に東京をリードする足立。後継の青年たちの凱歌の前進は、加速度を増している。

◇栄光の共戦譜
学会草創期から、常に激戦に臨み、勝利し、新たな歴史を開いてきたのが、「王者・足立」である。
1955年(昭和30年)3月1日、池田先生は足立の座談会に参加。以来、幾度も励ましを送り、手づくりで人材を育んできた。
71年(同46年)12月18日、足立区体育館(当時)で記念撮影が行われた。「足立の日」の淵源である。
撮影の合間、先生はマイクを手に参加者を激励し、さらに、役員のための撮影会を提案。翌72年(同47年)1月8日に、役員の友の撮影会が行われた。
この撮影会に参加した平田恵美子さん(梅島正義区、婦人部副本部長)。77年(同52年)、夫が胃がんで亡くなった。撮影会のことを思い返しては、自身を奮い立たせ、女手一つで、3人の子どもを育てた。
90年(平成2年)、右目が網膜剥離に。その後、左目も黄斑上膜を患い、両目の視力を徐々に失っていった。99年(同11年)には甲状腺がん、4年前には腹部大動脈瘤、大腸がんの手術を。数々の病魔を、全て信心で勝ち越えてきた。
「目は不自由ですが、心は自在です。広布に歩む人生こそ、無上の幸福です」
今も対話に歩く平田さん。広布に情熱を燃やす姿は、多くの同志を鼓舞している。
◇ 
足立は、師弟の絆を断ち切ろうとした第1次宗門事件の反転攻勢の暁鐘を打ち鳴らした地である。
81年(昭和56年)10月25日、1万5000人の友が集い、創価大学で足立区友好総会が開催された。
先生の「私は何があっても、富士山のごとく不動です」との師子吼に、足立の友は勇み立った。
三津木基之さん(大谷田創価区、副本部長)も、その一人。「"私は皆さん方の避雷針です"との言葉に、どこまでも報恩感謝の心で進もうと誓いました」
中学卒業後、精肉店で働き始めた。そこで仏法の話を聞き、59年(同34年)に入会した。
白雲会(飲食業に携わる壮年・男子部の人材グループ)の一員として、幾度も師との出会いを刻んだ。その"宝の思い出"を胸に、広布の道を駆けてきた。
現在、1人暮らしの高齢者などに、食事を届ける仕事に従事。地域活動にも率先する。
3人の子ども、4人の孫にも"学会一筋"の心が受け継がれている。
81年の友好総会後、先生は足立を"首都圏の中心軸"と見定め、師弟の魂魄を留めてきた。中でも、多くの友が"足立の魂"として心に刻むのが、85年(同60年)の歴史だ。
同年1月18日、先生は千住文化会館を訪問。「『覚悟』とは、あらゆる人生の局面にあって、あくまで自らの力と意志で、難局を開き、希望の曙光をつかみとっていこうとする強き一念のことである」と強調した。
5カ月後の6月21日、先生は足立平和会館へ。懇談会が行われた。
伊藤昌子さん(綾瀬前進区、総区婦人部総主事)は、その場に居合わせた。
勤行を終えると、先生は「大勝利の万歳をしよう」と。ところが、全体の声がそろわず、弱々しい。すると、先生は再び万歳三唱を提案。今度は全員の呼吸が合った、勢いのある万歳になった。
「先生は"もう一度!"と言われ、私たちの臆病な一念を打ち破ってくださったんです」
師の"呼吸"は、すぐに足立の隅々にまで伝わった。翌月、足立は未曽有の拡大を達成。新たな勝利の金字塔を打ち立てた。
同年8月、伊藤さんは足立区(当時)の婦人部長に。だが、88年(同63年)1月、子宮がんを発症した。
闘病の間、師から「生きて生きて生き抜くんだ」との激励が。"絶対に広布の陣列に戻る"と祈り、1年後に学会活動を再開した。
「今の人生があるのは、全て先生のおかげ。報恩の誠を尽くしていきます」
◇ 
足立池田記念講堂(当時、足立池田講堂)が開館したのは、87年(同62年)4月。今年、30周年の佳節である。翌年6月19日、先生が出席しての支部長会が開催された。
会合に集った三輪由美さん(江北常勝区、区副婦人部長)。当時、夫の征四郎さん(同、副本部長)が勤めていた会社の経営状況が厳しく、転職せざるを得ない状況だった。
しかし、この時の師との出会いに改めて決意し、夫婦で祈りから出発。家族が団結して、経済的苦境を乗り越えていった。
高校生の時、父を亡くした。悲しみの中、参加した夏季講習会で師との出会いがあった。
「先生は、父親を亡くしたメンバーに『私をお父さんと思って、頑張りなさい』と。この激励が、自身の原点となりました」
看護の専門学校を卒業後、看護師に。白樺グループで薫陶を受け、"妙法の看護師"として目の前の一人に尽くしてきた。
その"献身の心"は今、地域活動に。4月には、居住する団地の自治会長に就任した。
「愛するわが団地に、幸の花を咲かせていきます」
3人の娘も、後継の道を朗らかに進んでいる。
——83年(同58年)12月20日、「足立の日」記念幹部会で、先生は語った。
「足立の地に、日本で初の広宣流布の縮図をつくりあげていただきたい」
いかなる激戦であろうとも、断じて勝つ。その「覚悟」が、足立の友には脈打っている。

2017年5月16日火曜日

2017.05.16 わが友に贈る

「心こそ大切なれ」
何事も受け身ではなく
主体的にチャレンジを!
その勇気の実践が
限りない成長の源だ!

御講聞書 P843
『然りと雖も諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん』

☆女性に贈ることば 五月十六日
憂鬱な人生よ、去れ!
悲惨な人生よ、去れ!
愚かな人生よ、去れ!
無駄な道を歩むな!
絶望の道を歩むな!
賢く生き抜いてこそ、青春だ。

☆今日のことば365 五月十六日
夢は どこまでも夢である
故に 私はながめるだけでなく
  厳しい批判のなかにあっても
   実践という悔いのない一点を持続する

☆日蓮仏法の視座 御書根本こそ学会の正道 2017年5月9日
◇「不動の信心」を青年が継承 「行学の二道」に徹する鍛えの青春を
「どうすれば教学の力がつきますか?」「広布拡大の原動力として、御書をどのように学ぶべきでしょうか?」——御書講義を担当した折、参加者から、こうした質問をよく受ける。先月、「SGI春季研修会」で来日したアフリカ各国のSGIメンバーと森中教学部長による質問会に同席した際も、御書の内容を通した質問が相次ぎ、その求道心に感動した。本年は御書発刊から65周年。御書根本こそ学会の正道である。本稿では、私たち創価の青年が継承すべき「御書根本」の生き方について考察したい。

◇心肝に染めた御金言
「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書1361ページ)
第2代会長・戸田城聖先生は御書の「発刊の辞」で、この「諸法実相抄」の一節を引き、「剣豪の修行」を思わせる「行学の二道」の厳格なる鍛錬が、学会の伝統と名誉ある特徴であると述べている。
学会は創価三代の会長のもと、常に「御書根本」「御本尊根本」で世界広布を進めてきた。また、多くの同志は「行学の二道」に徹し抜く中で、御書の一節を心肝に染め、襲い掛かる宿命や苦難の嵐を乗り越え、信心の確信を深めてきたのである。
私が19歳の時に、学生部の先輩から教わった御聖訓がある。
それが「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(同1351ページ)との「祈祷抄」の一節である。
当時、折伏に挑戦しても実らずに悩んでいた私に、先輩はこの御文を通して「大事なのは『法華経の行者』の祈りだよ。祈りとしてかなわざるなしの信心だ。必ず折伏はできるよ!」と励ましてくれた。この一節を何度も拝して挑戦を続け、初めて弘教が実った時の感動は今も忘れられない。
その後も、悩みや壁にぶつかるたびに、先輩は御書の一節や池田先生の指導を通して激励してくれた。当時の御書の書き込みは、20年以上過ぎた今も鮮明に残っている。

◇一度もしりぞく心なし
御書には、日蓮大聖人の正義の叫びや迫害にも屈しない御境涯がつづられる一方、苦境にある門下への真心こもる同苦や、慈愛の励ましがあふれている。
大聖人の御生涯は、民衆の胸中に潜む「無明」を打ち破り、妙法を流布していく大闘争の日々であった。
大聖人は御自身の生涯を振り返り、「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と仰せである。また、別の御書では「今に至るまで軍やむ事なし」(502ページ)、「然どもいまだこりず候」(1056ページ)とも述べられている。
妙法流布に立ち上がられてから、一度も退くことなく障魔と戦い続けられた大聖人。その舞台は常に現実社会であり、眼前の課題と向き合いながら、「不退の心」で広布に生き抜かれたのである。
大聖人は門下に対しても、"私と同じ心を起こしていきなさい"と呼び掛けられている。「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同1190ページ)との御聖訓は、「熱原の法難」の渦中の弟子に送られたお手紙である。
当時の門下も、迫害や試練に直面するたびに大聖人の励ましを受け、信心根本に難と立ち向かい、勝利を開いていったに違いない。
いかなる状況においても、「勇気」や「執念」の心で、信心根本に戦い続ける——。これこそ私たち学会員が実践する「人生勝利の要諦」である。学会員の偉大さとは、苦難に直面しても逃げずに向き合い、挑んでいけることではないだろうか。

◇八風に負けない賢人
大聖人は弟子の四条金吾に、「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり」(同1151ページ)と仰せである。
「八風」とは、仏道修行を妨げる八つの働きのこと。それは皆が望み求める「四順」と、皆が嫌がり避ける「四違」とに分かれる。
「四順」とは、利益を得て潤う「利い」、世間から誉められる「誉れ」、人々からたたえられる「称え」、心身が楽しい「楽しみ」のこと。また「四違」とは、さまざまに損をする「衰え」、世間から軽蔑される「毀れ」、人々から悪口を言われる「譏り」、心身にわたって苦しむ「苦しみ」のことである。
大聖人は、この八風に侵されない人こそ、「賢人」であると述べられている。
生きていれば、楽しみや苦しみがあるのは当然である。いわば、八風のない生活はあり得ない。大事なことは、順風であっても、逆風であっても、それを自分自身の成長と勝利のための「追い風」「原動力」へと変えていけるかどうかである。
その方途が「南無妙法蓮華経」の唱題行であることも、大聖人は明確に教えられている。
いかなる苦難にも負けずに戦い、不動の自分自身を作り上げる——。これが私たちの信仰の目的である。また、大聖人が示された「戦う心」「不動の信心」を継承していくことこそ、青年部の使命であろう。

◇戦いの中での研さん
私は本紙の記者として、これまで数多くの同志を取材する機会に恵まれた。その中で、自身の病と闘いながら、同志を励まし続けた大阪・豊中の男子部員が忘れられない。
彼は38歳で末期がんの宣告を受け、抗がん剤治療を開始。「5年生存率は13・2%」という厳しい現実と対峙しながら唱題に励み、学会活動に走った。
病気になって、彼は池田先生の『生死一大事血脈抄講義』を熟読し、真剣に御書を研さんするようになったという。そして、学会や同志と共に生きるありがたさを実感。自身の生きる意味や使命について考えた。
取材で彼は語っていた。「昔は『いい車に乗りたい』『金がほしい』ということばかり考えていた。でも病気になって、それらが全く意味のないものに思えてきた。むしろ、限りある『生』を病や困難で苦しむ人々のため、広布のために使えることが本当にうれしい。病気になって池田先生の指導や御書の一節が、自身の心にびんびん響いてきます」と。
取材後も彼とは連絡のやりとりが続き、東京にも来てくれた。死への恐怖や限られた生への執着といった率直な思いも聞いた。
昨年1月、彼は多くの同志に惜しまれながら安らかに霊山へと旅立った。最期まで病魔と戦い、不退の青春を歩んだ彼の姿は、間違いなく勝利の人生だったと確信する。
仏法には「生老病死」という人間の根源的な苦悩を乗り越えていく方途も全て示されている。だが、それは知っていれば良いというものではない。「大聖人の仰せのままに実践しよう」「広宣流布のために戦おう」との決意で、自他共の幸福に尽くす信心の実践の中で、体得すべきものだ。
池田先生は語っている。「御書を学べば、勇気が出る。智慧がわく。大聖人の大精神が、わが生命に脈打つからだ。そこにこそ『難を乗り越える信心』の炎が燃えあがる」と。
さまざまな苦難に直面しながら、一歩も引かずに戦っている男子部の友も多い。私たちは、今こそ御書をひもときながら眼前の戦いに挑み、青年の月・7月を勝利で荘厳していきたい。

2017年5月15日月曜日

2017.05.15 わが友に贈る

◇今週のことば
「妙とは蘇生の義なり」
座談会こそ
生命が蘇るオアシスだ。
明るく楽しき語らいから
歓喜踴躍の大前進を!
2017年5月15日

教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』

☆女性に贈ることば 五月十五日
自分自身をつくることです。自分のなかに、幸福の引力をもつことです。自分が幸福の太陽になって、一家も一族をも照らしていくのです。

☆今日のことば365 五月十五日
しかられて、一時は自信を失っても、そのなかから、次に湧き上がってくる自信が、真実の自信である。そこで崩れてしまうような自信は、本当の自身ではない。

☆新時代を進む 第9回 今日も「慈折広布」の大道を 2017年5月9日
晴れやかな「創価学会の日」を、世界中の内外の宝友から慶祝していただき、心より御礼申し上げたい。
5月は、恩師・戸田先生が会長に就任され、「大法弘通慈折広宣流布」の御本尊を発願なされた月である。「慈折」の二文字、すなわち「慈悲の折伏」に、人類を照らす世界宗教の大光がある。
3日には、広宣流布大誓堂で勤行し、全同志が健康長寿であれ、無事安穏であれ、そして幸福勝利あれと深く祈念した。
御宝前には、総東京男子部の署名簿なども供えられており、若き地涌の友どちよ、一人も残らず栄光凱歌の青春をと祈った。
7日には、恩師にゆかりの目黒区などを車で回り、同志に題目を送った。目黒の三田は、65年前の5月に、私たち夫婦が新出発をした地でもあり、発展の様子を懐かしく見つめた。
— ◇ —
「創価学会母の日」には、敬意と感謝を込めてピアノで「母」を弾いた。
明るくたくましく育ちゆく未来部と青年部へ届けと「こいのぼり」「月の沙漠」そして"大楠公"を。恩師の故郷・北海道に思いを馳せ「さくら」も奏でた。
厚田の戸田記念墓地公園は8千本の桜が満開となり、"さくらまつり"が多くの来賓方を迎えて行われる。開園より40年にして、来園された方も1千万人を超えたと伺った。
あの夕張での闘争からは60年——。愛する北海天地の父母たちは地域の信頼の柱と仰がれ、三代城の丈夫も、華陽の乙女も、目覚ましく成長してくれている。恩師がどれほどお喜びか。
昭和32年の7月3日、北海道から大阪へ向かう途中、羽田空港に降り立った私に、恩師は言われた。
「広宣流布は、現実社会での格闘なのだ。どんな難が競い起ころうが、戦う以外にないのだ。大作、征ってきなさい!」と。
不二の師弟に恐れなし。
元初から誓った「立正安国」の遠征を勇敢に続け、正義の勝利を一つ一つ打ち立てていくのみである。
— ◇ — 
我らには「一閻浮提第一の御本尊」(御書1361ページ)がある。御本仏は「あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(同1124ページ)と仰せである。
感激の同志と励まし合い、共々に祈り抜き、祈り切りながら、今日も「慈折広布」の大道を、強く朗らかに進みゆこう!

2017年5月14日日曜日

2017.05.14 わが友に贈る

団結に勝る力はない。
世界広布の大願成就へ
心一つに前進しよう!
誉れの同志と共に
一筋に師弟の大道を!

佐渡御書 P957
『肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし』

☆女性に贈ることば 五月十四日
叱るといっても、親が理由も言わずに、怒りにまかせて叱ってばかりいると、子どもがおびえます。そして、とにかく「慈られないように」「叱られないように」と、一種のずるさを身につけてしまうこともある。
そんなことを繰り返しているうちに、大事な時にも親の言うことに耳を傾けなくなってしまう。

☆今日のことば365 五月十四日
若い時代に、天下を取ったら、老人の意見を大事にしなければならぬ。逆に、老人となって、天下を動かすときは、必ず若い人の意見を聞いてやらねばならぬ。

☆四季の励まし 全ての母に感謝の花束を 2017年5月7日
母は温かい。母は賢い。
そして母は強い。
母ありてこそ、私たちがいる。
「母への感謝」は
人類永遠の美心である。
いわんや、友のため、
地域・社会のため、広宣流布のため、
だれよりも真剣に、大誠実で
戦ってくださっているのが、
わが婦人部の皆さんであられる。

美しい自然、美しい姿、
美しい人生、美しい家庭——。
人間だれしも
美しいものに憧れるが、
それは自分の中に
閉じこもっていては得られない。
自分だけを
見つめていてもつくれない。
人との"よりよいお付き合い"、
地域社会との"心豊かな交流"、
自然との"優しい関係"。
それらに向かって努力する中に、
自分もまた
美しく成長していくのである。

尊敬は、深い次元で、
相手の尊敬の心を呼び覚ます。
相手に、
こちらの気持ちが伝わるように、
大誠実を尽くすのだ。
真心は、最後には必ず通ずる。
創価の女性の対話こそが、
この世で最も麗しい
信頼のスクラムを広げているのだ。

母は一家の船長であり、
操縦士である。
婦人が勇敢にして
聡明な信心を貫けば、
家庭は必ず変わる。
家庭が変われば、
近隣が変わり、地域が変わる。
社会が変わり、ひいては
人類も必ず変わっていく——
これが
「人間革命」の方程式である。

赤、ピンク、黄色……。柔らかな春の光に包まれ、色鮮やかなチューリップの花が、凜と咲いていた。2006年(平成18年)3月、池田大作先生が東京・新宿区内でカメラに収めた。
チューリップの花言葉の一つに「思いやり」と。どこまでも家族や友の幸福を祈り、励ましを送る創価の母たち。その真心の行動があったからこそ、今日の創価学会の発展がある。
人は、母を思う時、優しくなれる。そして強くなれる。母を喜ばせようとする心こそ、平和をつくる第一歩といえよう。
全ての母に感謝の花束を! 母たちに幸福あれ、栄光あれ!——5月3日は「創価学会母の日」。そして、来る14日は「母の日」である。

2017年5月13日土曜日

2017.05.13 わが友に贈る

勇気の人は明朗だ!
信念の人は愉快だ!
「艱難 汝を玉にす」
あえて苦難に挑み
不動の自己を築きゆけ!

阿仏房御書 P1304
『抑宝塔の御供養の物銭一貫文白米しなじなをくり物たしかにうけとり候い了んぬ、此の趣御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候御心やすくおぼしめし候へ』

☆女性に贈ることば 五月十三日
自分を産み、育ててくれたお母さん。
昼も、夜も、休むことなく働き続けてきたお母さん。
いつもは口うるさくても、いざという時は必ず守ってくれた
お母さん。
わが子のため、家族のために、ひたぶるな祈りを重ねてきた
お母さん。
尊い、尊い、お母さんです。
どんな有名人や、政治家をさしおいても、無名のお母さんこそ、たたえていくべきです。誰がたたえなくても、私は最大に賞賛し、感謝の心を贈りたい。

☆今日のことば365 五月十三日
青春時代には、学歴、地位、財産、名誉、肩書きなどに、決して幻惑されてはならない。素っ裸の人間として、人生の勝利を勝ち取っていくべきだ。

☆みんなで学ぶ教学〜新会員教室〜第5回 勤行・唱題 2017年5月6日
◇たゆまぬ祈りで生命力を豊かに
前回(4月11日付)、信仰の基本である「信行学」について学び、「行」には「自行」と「化他行」があることを確認しました。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「自行」である「勤行・唱題」について学びます。

◇法華経読誦の意義
——「南無妙法蓮華経」とは何でしょうか?
日蓮大聖人が覚知された、宇宙と生命を貫く根源の法であり、万人の苦悩を根本から解決する法です。自身と宇宙(万物)に具わる仏界の名でもあります。
私たちが信仰の根本として拝する御本尊は、大聖人が顕された南無妙法蓮華経の御本尊です。「本尊」とは、「根本として尊敬する」という意味です。
この御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱える時、本来、私たちに内在する仏界が呼び起こされ、豊かな生命力を涌現させることができるのです。

——勤行では、何を読んでいるのですか?
私たちの日々の勤行では、題目を唱える「唱題」とともに、法華経の方便品第2と如来寿量品第16の自我偈を「読誦」(読経)しています。
釈尊が説いた一切経の中で、最高の真実を伝える経典が法華経です。全体で28品(章)からなる法華経の中でも、方便品と寿量品の自我偈を読誦するのは、万人成仏を説く法華経の最も大切な品だからです。
方便品では、法華経の前半である迹門の中心的な法理である「諸法実相(宇宙のありとあらゆる事象が『妙法』の現れであるということ)」が説かれています。
また、寿量品では、法華経の後半である本門の中心的な法理である「久遠実成(釈尊は実ははるか久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住する仏であるということ)」が説かれています。

◇御本尊を信じる心
——読経と唱題の関係について教えてください。

あくまでも、南無妙法蓮華経の題目を唱えることが、勤行にあって根幹の修行です。ゆえに、唱題を「正行」といいます。
方便品・自我偈の読誦は「正行」である題目の功徳を助け顕すために行うので、「助行」といいます。
米やパンといった主食(=正行)と、塩や酢といった主食の味を助ける調味料(=助行)の関係に譬えられることもあります。

——難しい経文の意味が分からないといけないのでしょうか?

題目や経文の意味が分からなくても、勤行の功徳は変わりません。
たとえば、外国語の意味を理解していなくても、正しく発音さえしていれば、その言語を使っている方に正しく伝えることができます。「南無妙法蓮華経」の題目や、法華経の経文は、仏の世界で用いられる"言葉"と考えればよいでしょう。
大切なのは、御本尊を信じる心であり、賛嘆する心です。

◇一遍の題目に功徳が
——正直、忙しくて勤行ができない日もあるのですが……。
生活上の理由で、決まった時間に勤行ができなかったり、思うように時間がとれなかったりすることもあるでしょう。しかし、気に病む必要はありません。
何より大切なのは、"御本尊に向かおう"という一念です。実践できるように挑戦する姿勢自体が、信心の眼から見れば、すでに勝利した姿なのです。

——祈るうえで大切なことを教えてください。
「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(御書1143ページ)とあるように、苦しい時も、うれしい時も、素直な心で御本尊に向かって祈ることが大切です。
また、「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(同1352ページ)と仰せのように、大確信をもって祈りましょう。
池田先生は、「たとえ一遍の題目であっても、全宇宙に響き渡る。妙法の音律は、諸天を揺り動かさずにはおかない」と語っています。
勤行・唱題に真剣に励んだ時、どんな困難や課題をも乗り越えていける力強い生命力が湧いてきます。願いをかなえるための具体的な智慧が湧き、勝利するための実践を一つ一つ着実に積み重ねていくことができます。
祈りは、目的に向かっていくための"エンジン"ともいえます。勝利の人生を荘厳することを確信し、朗々と勤行・唱題に励んでいきましょう。

◇放課後メモ
「勤行・唱題」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『信仰の基本「信行学」』(聖教新聞社)
○…『法華経 方便品・寿量品講義』普及版〈上・下〉(同)
○…『新会員の友のために——創価学会入門』(同)

2017年5月12日金曜日

2017.05.12 わが友に贈る

全員が宝の人材だ!
地道な訪問激励で
皆を幸福の軌道に!
新しい力を結集し
広布の緑野を開きゆけ!

四条金吾殿女房御返事 P1135
『大将軍よはければしたがうものもかひなし、弓よはければ絃ゆるし風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり』

☆女性に贈ることば 五月十二日
自己の目的と使命に向かって、挑戦に挑戦を重ねる。あきらめない。動く。学び、語る。また学ぶ。その、これでもか、これでもかという実践の結果、ある時、パーッと大きく開けてくるものである。

☆今日のことば365 五月十二日
人生にあって最大なる幸福は、生涯の師をもつことであろう。師をもたぬ人生ほど不幸なことはない。どんな有名人となり、成功者となっても、師なき人はさびしい。

☆未来部育成のページ 5・5「創価学会後継者の日」 中国未来会 2017年5月2日
岡山 倉敷総県 副総県長 藤原智さん『地域密着の企業で専務として活躍』
そよそよと揺れる柳。江戸時代の風情を漂わす白壁でできた屋敷。瀬戸内海の中央に位置する岡山県・倉敷には、美しい町並みが残る。
この町で、設備会社の代表取締役専務として活躍するのが、藤原智さん=岡山・倉敷総県、副総県長=だ。
同社は、地域と密着しながら、さまざまな設備工事を手掛けている。
従業員の無事故を祈るのが、藤原さんの朝の日課。
入社は、創価大学を卒業して間もない頃だった。"父親のように、地元で事務員として働きたい"との願いがかない、現在の職場の総務職に就職が決まった。
しかし、実際に仕事をしてみると、期待は裏切られた。
中小企業の総務職は、"何でも屋"として、業務が多岐にわたる。
藤原さんも、事務の仕事に収まらず、集金、営業、職人の手伝いなど、ありとあらゆる業務に携わった。
ある時は、職人の横で、つるはしを持って道路を掘り、また、ある時は、詰まったトイレの汚水の処理を手伝う。耐え切れずに、仕事を辞めていく同期入社の友もいた。
藤原さんの失望は大きかった。ところが、苦しい時に、不思議と思い起こされるのが、人生の原点となった「あの日」だった。

◇青春時代の原点
1971年(昭和46年)2月14日、岡山を訪問していた池田先生は、中国未来会を結成した。中学生だった藤原さんも結成式に参加。"何があっても、学会の庭で戦い切っていくんだよ"——師匠の厳愛の言葉を胸に刻んだ。
未来会は、当時、池田先生の手作りで、全国各地で誕生した未来部の人材グループである。先生はメンバーに、次のことを訴え続けた。
「若き苗が、使命の大樹へと育ちゆくには、身悶えするような苦闘と精進の歳月が不可欠である。幾たびもの、風雪と嵐を経なければならない」
当時、藤原さんの一家は、経済苦の真っただ中にあった。
知人の借金の保証人となった父親が、借金返済の肩代わりをし、信心強盛な母親が、仕出し弁当の工場で働きながら、家計を支えた。
藤原さんは、友人からもらった運動靴を何度も何度も自分で縫い直しては、また履いた。
苦しさのあまり、"非行に走ってしまおう"と、投げやりな気持ちになったこともあった。
しかし、それでも苦境に耐えられたのは、学会の同志の温かい絆と師匠の励ましがあったからだった。
"こんなに激励を受けながら、負けるわけにはいかない"——「負けじ魂」が、勉学の意欲を駆り立てた。
そして、創価大学に進学。大学を卒業する頃には、一家の経済苦を乗り越えることができたのである。

◇「負けじ魂」で再起
社会に出てからも「苦闘と精進の歳月」は続いた。
"会社を辞めたい"と思ったこともあった。そんな時に再起できた原動力は、青春時代に心に刻んだ「負けじ魂」だった。
仕事が多忙な中も、"負けるものか"と祈り、学会活動に走った。すると、置かれている環境に感謝できるようになったという。
「あらゆる業務を任されるというのは、考えてみれば、すごいことですよね。全てが自身の血肉となり、大きな経験となります。
人のために祈り、動く学会活動を通して、苦労の大切さを身に染みて感じ、職場に感謝できる自分に変わりました。未来会での"学会の庭で戦い切っていくんだよ"との師匠の言葉は、社会、地域で勝利するための大切な指針となっています」
どんな仕事も誠実に遂行する姿勢によって、職場での信頼は増し、97年(平成9年)、会社の役員に就任。
それまで培った手腕を発揮し、不良債権の処理などにも尽力し、会社の財務体質は改善。同社は、無借金の黒字経営を10年以上続けている。
「派手な結果は出せなくても、自分の置かれた場所で、地道に信心根本に挑戦し抜いていく。その『負けじ魂』を未来部時代に育んでいただきました」
温和な笑みをたたえる藤原さんの表情に、さっと力がこもった。「報恩感謝を胸に、いっそうの決意をもって、職場、地域で後継者育成に励んでまいります」

2017年5月11日木曜日

2017.05.11 わが友に贈る

御書に無限の智慧あり!
どうすれば壁を破れるか
皆が勇気を燃やせるか。
真剣に御文を拝すれば
希望の光は燦然と!

妙法尼御前御返事 P1402
『須弥山を他方の世界へつぶてになぐる人よりも三千大千世界をまりの如くにけあぐる人よりも無量の余の経典を受け持ちて人に説ききかせ聴聞の道俗に六神通をえせしめんよりも、末法のけふこのごろ法華経の一句一偈のいはれをも尋ね問う人はありがたし』

☆女性に贈ることば 五月十一日
人生の幾山河を乗り越えてきた、かけがえのない経験の輝きは、年輩者のみがもつものである。若い人たちは、尊き人生の長者の方々を尊敬し、その智慧の宝を決しておろそかにしてはならない。

☆今日のことば365 五月十一日
小さなことを、ひとつひとつきちっと、やりきって働くことが大切である。小さな事も満足にできずして、どうして大事を成し遂げることができようか。

☆未来部育成のページ 池田先生の指針 2017年5月2日
どんな境遇であろうと、「自分はいちばん幸福だ」と言える人間になってもらいたい。そう言える、立派な自分をつくってもらいたい。
今、成績が悪い人もいるかもしれない。その人は、猛勉強することです。やれば、必ず成績はよくなる。大事なのは、一念です。
また「もっと、お金持ちの家に生まれたかった」と思う人もいるかもしれない。
しかし、若い時から、おいしいものばかり食べて、いい服ばかり着て——それで、立派な人間になれるわけがない。
欲望のままに生きていては、動物のようになって、堕落してしまう。あまりにも不幸だ。
お金がないなかで頑張るから偉くなる。そのほうが、どれほどすがすがしいか。
将来、大人になり、働いて、その時に、お金に困らない自分になればよい。
今は我慢することも勉強です。お父さん、お母さんの苦労がわかる皆さんであっていただきたい。その人が大人です。
(『池田大作全集』第90巻、〈5・5「創価学会後継者の日」記念未来部総会〉)
◇◆◇
未来部の育成は、真剣勝負で、若き生命の「善の可能性」を開く戦いだ。
英国の哲学者で、教育家のラッセル卿は言った。
「子供たちや若い人びとは、彼らの幸せを本当に願ってくれる人びとと、彼らをある計画のための素材としか考えていない人びととの違いを本能的に感じとるものである」
ゆえに、一回一回の出会いを大切にして、真心を込め、誠意を尽くしていきたい。
自らが「善知識」となって、どこまでも成長と幸福を祈り、若き生命と「善縁」を結んでいくことだ。
ある調査で、中学生の問題行動について"悪友の影響が大きい"と分析されていた。
多感な時代であればこそ、子どもたちが結ぶ人間関係は極めて重要である。
また、御書には、「悪人に近づき親しめば、自然に十度に二度、三度と、その教えに従っていくうちに、ついには自分も悪に染まってしまう」(1341ページ、通解)と示されている。
善い友人、善い先輩と出会えるかどうか。いかなる教師に出会い、いかなる人生の師匠を持つか——それが、どれほど大切か。
若き生命が健やかに成長し、正しき人生を勝ち進むために、最高の「善縁」と「師弟」の道を示しているのが、創価の世界である。
(『池田大作全集』第137巻、「随筆 人間世紀の光」〈未来部・躍進の春〉)
◇◆◇
何としても、未来に生きゆく友に大仏法を伝え、一人ももれなく幸福に——。これが、法華経に脈打つ仏の心である。その烈々たる一念に連なって祈り抜き、億劫の辛労を尽くしてきたのが、わが学会の未来部育成であるといってよい。
「あの子を広布の大人材に育てずにおくものか!」
「この子も創価の庭で大成長させてみせる!」
見返りなど何も求めない。ただ、ひたぶるに友の偉大な使命と栄光の人生を願い、励ましを贈る。
ここに、法華経の魂の真髄がある。
だからこそ、若き地涌の菩薩が澎湃と呼び出され、躍り出てくるのだ。
(『随筆 希望の大道』「未来部・躍進の夏」)

2017年5月10日水曜日

2017.05.10 わが友に贈る

苦難こそ人生の宝。
逆境が人間を鍛える。
自分を強くする。
宿命を使命に転じゆく
挑戦のドラマを共に!

諸法実相抄 P1358
凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり

☆女性に贈ることば 五月十日
細やかな情愛がにじみ出ている夫婦や家庭には、不思議と、ほめ上手の奥さんがいるようだ。身近な家族同士では、意外に不平や欠点の指摘に終始していることも多い。そうしたなかで、ほんのちょっとした励ましの言葉が、相手の心をほぐし、会話を円滑にする。自信をもたせる。

☆今日のことば365 五月十日
梅は梅、桜は桜、菊は菊。花にもそれぞれ個性がある。人もまたおなじである。さまざまな個性の人が集まり、しかも、それが調和を保っていくのが、人生であり、社会といえよう。

☆未来部育成のページ 5・5「創価学会後継者の日」 小樽マリン少年少女合唱団 2017年5月2日
北海道 小樽県・桜花支部 地区婦人部長 緒方範子さん『治すと決めると、痛みに怯えなくなった』
自宅から練習会場の小樽文化会館まで、バスを乗り継いで約1時間。小学4年で、少年少女部の小樽マリン合唱団に入団してから3年間、緒方範子さんは練習に通った。
勤行・唱題に始まり、発声練習、歌唱指導。練習を通じて、あいさつの仕方、人の話を最後まで聞くことなど、合唱の楽しさのみならず人としての基本も教わった。
「厳しく言われることもありました。でも、それ以上に、『いい声だね』と褒められたり、会うたびに声を掛けてもらえたりすることがうれしくて、いつしか会館に行くのが楽しみになっていました」
担当者が語る体験談、悩みを乗り越え成長していく仲間の姿。同志との出会いを通して祈り続けることの大切さを肌で感じた緒方さんは、日々の勤行・唱題を自ら実践するようになった。
高等部時代、学会活動から遠ざかった時期もあった。しかし、高校を卒業後、1年間の浪人を機に唱題に再び挑戦。翌年には志望校に合格。25歳で看護師になるまでの5年間、昼は看護助手などとして働き、夜は専門学校で学ぶ日々が続いた。
「会合に参加するのも大変でした。でも、職場での人間関係、国家試験など、課題に直面するたび、唱題し困難に向き合ってこられたのは、合唱団時代の薫陶のおかげです」

◇絶望と葛藤
2006年(平成18年)に結婚。その1年後、経験したことのない全身の痛みに襲われる。リウマチの発症だった。一度は症状が治まったが、出産を機に悪化した。
鉛が入ったように体が重く、何をしていても痛みが走る。関節が腫れ、体を動かすのもままならない。かわいい盛りの子どもを抱くことさえできず、これまで当たり前のようにしてきた、外出や家事も諦めざるを得なくなった。
"この苦しみがいつまで続くのだろう"。痛みが出るたびに、絶望感に覆われた。
「これまで何かあるたびにお題目で乗り越えてきました。でも、いざという時、心がかき乱されて、祈りが定まらないことを痛感しました」
押し返そうと思うほど、強く襲ってくる痛み。諦める心とのせめぎ合いは、3年、5年と続いた。

◇弱気な心と決別
発症から6年。症状は変わらず、医師からは新たな薬を勧められた。しかし、1回に掛かる医療費は3万円。2人の子どもを幼稚園に通わせながら簡単に負担できる金額ではなかった。
「こうなったら信心で乗り越えるしかない」——崖っぷちに立たされ、かえって緒方さんの決意が固まり、題目闘争が始まった。
「広宣流布に、自在に動き回るために、どうか大生命力をください」
聖教新聞に掲載された池田先生の指針を胸に、痛む体で子どもを抱えながら、誓願の祈りを重ねた。すると、2カ月後の検査で、初めて改善の兆しが見えた。
「それまでは、厳しい現状を嘆いてばかりでした。でも、治すと決めてからは、今の自分にできることをしようと考えられるようになりました。何より痛みにおびえなくなりました」
現実の変革は、常に一念の変革から始まる。この時期を境に少しずつ病状が好転していった。
発症から10年。今も抗リウマチ薬の服用は続けているが、症状は安定し、仕事にも復帰。小学校の役員、学会活動、聖教新聞の配達と、多忙な日々を送っている。
夫の正彦さんは、病と闘う緒方さんを長い間支え続け、6年前に2人の子どもと入会した。
長女の美海さん(小学3年)と長男の蓮介君(同1年)は、座談会で未来部コーナーを担当し、この4月からは、2人揃って小樽マリン少年少女合唱団のメンバーに。今、緒方さんの家族は、一家和楽の道を朗らかに歩む。
「祈りはかなう。合唱団で教えてもらったこの確信がなければ、今の自分はありませんでした。今度は子どもたちに伝えていきたいです」
一日一日、体を動かせる喜びをかみしめながら、緒方さんは創価の母として、"未来っ子"たちと成長の道を歩む。

2017年5月9日火曜日

2017.05.09 わが友に贈る

リーダーが
本気の決意に燃え
自身の行動で道を示す。
そこに共感と共戦の
魂の波動が生まれる!

千日尼御前御返事 P1316
『譬えば一の師子に百子あり彼の百子諸の禽獣に犯さるるに一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす』

☆女性に贈ることば 五月九日
世間では、富や名声をもつ人ばかりが、もてはやされがちだ。しかし、本当の人間の価値とは、物質的な豊かさや名声のなかにあるのではない。
もちろん、誰もが裕福で、健康であってほしい。しかし、心の豊かさにこそ、最高の価値があることを忘れてはなるまい。

☆今日のことば365 五月九日
青春時代の友情は、ある意味で、恋愛の序曲であり、自らも人格を傾けるし、相手にも全人格的信頼を期待する。人間の尊さを知る上での貴重な一歩であり、それ自体は、かりにはかなく消えても、その経験は、一生を左右するほどのものである。真実の友情の経験をもたない人は、人間として不具となるといっても、私は、決して言いすぎではなかろうと思う。

☆随筆永遠なれ創価の大城 第19回 我らの凱歌の五月三日 2017年5月3日
◇王者堂々と広布の峰へ前進! 「師弟共戦」「異体同心」の信心は無敵なり
日蓮大聖人の仏法は、全人類を永遠に照らす「太陽の仏法」である。
御聖訓には、「一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(御書一四六七ページ)と仰せである。
ゆえに時代の闇が深いほど、いよいよ鮮烈に、智慧と希望の陽光を放って、我らは進むのだ。
久遠よりの誓願である広宣流布を断行するために! 民衆の幸福を勝ち取り、平和の未来を創り開きゆくために!
誇り高き使命の大行進の中で迎える栄光の五月三日、誠におめでとう!皆、本当にありがとう!

◇師匠を偲びつつ
一段と勢いを増しゆく学会の大発展の様子を、創立の師父に御報告したい——その思いを込め、私は、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂を訪れた(四月二十六日)。
同じ区内には、かつて牧口先生と戸田先生が、暴走する軍国主義と国家神道に抵抗して投獄された東京拘置所があった。師弟して「立正安国」のために戦い抜かれた魂の決戦場である。
この師弟の殿堂を守り荘厳されている豊島区・北区をはじめ地元の方々に感謝は尽きない。
遠来の友を「当起遠迎、当如敬仏」の精神で迎えてくれる創価班、牙城会、白蓮グループにも、また音楽隊、鼓笛隊、ドクター部、白樺の皆様、栄光会など役員の方々にも、さらに王城会、香城会、会館守る会、サテライトグループなどの方々にも、心から御礼申し上げたい。
御書には、「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか」(一一一三ページ)と記されている。
学会の会館は、御本仏の不惜の精神に直結して殉難した、創価の師弟の崇高な魂魄を留める広布の法城である。ゆえに、集い来る地涌の闘士たちが皆、「心の財」を無量に積みゆけることも、また絶対に間違いないのだ。
師弟共戦の歴史を綴ってきた講堂を訪問した意義を刻み、ここでは不滅の学会精神を三点にわたり確認し合いたい。

◇勝利は祈りから
一つ目は、一切の勝利は「祈り」から始まる、ということだ。
牧口、戸田両先生の肖像が見守る講堂で、私は妻と厳粛に勤行・唱題し、死身弘法の御徳に報恩感謝の祈りを捧げた。とともに、慈折広宣流布の大願成就を、そして大東京をはじめ、全国、全世界の宝友の幸福勝利を真剣に祈念した。
大聖人は、「多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし」(御書一一九四ページ)と仰せである。
大聖人の仏勅である広宣流布、立正安国を誓願し、我ら創価の師弟が唱えてきた自行化他の題目が、どれほど莫大であることか。その功徳は、今や壮大に青き地球を包んでいるのだ。
女性門下に送られた御文には、「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同一一八七ページ)と説かれる。
まさしく、仏天をも揺り動かす絶対勝利の祈りで、一切を勝ち開いてくれているのが、世界一の太陽の婦人部である。
五月三日は「創価学会母の日」——私たちは、尊き広布の母に、最大の賞讃と深謝を捧げたい。
母たちを中心に、我ら創価家族の祈りは「異体同心」の祈りである。
いずこでも、悪戦苦闘の友がいれば、励まさずにはおかない。共に祈り、同志のために動かずにはいられない。
「自他彼此の心なく」結ばれた、この最高に麗しい絆が日本中、世界中に張り巡らされている。だから、御本仏の大生命が脈々と流れ通うのだ。

◇自ら人間革命を
二つ目は、広宣流布の全ての戦いは、自分自身の「人間革命」のためにあるということだ。
戸田講堂の恩師記念室では、貴重な広布史の展示を拝見した。
丹精込めて復元された豊島公会堂の模型も、誠に懐かしかった。
戸田先生は、先師が獄死された拘置所の間近にある、この公会堂を正義の言論戦の舞台として、御書や法華経を講義していかれたのだ。
六十年前の八月、私が荒川区で広布拡大の指揮を執った直後にも、先生は、この豊島の会場での本部幹部会で全国の飛躍を讃えられた。そして、新入会の友らを温かく励まし、皆に「信心してよかった」という喜びを味わわせてほしいと念願されたのである。
「各人が幸福をつかむ信心」の確立にこそ、先生の鋭き焦点があった。
そのためには、労苦をいとわず「地涌の菩薩」の行動を、と教えられた。
我らの地球が正確に自転しつつ太陽の周りを公転するが如く、「人間革命」と「広宣流布」は絶妙に連動して、無限の価値を創造していくのだ。
「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」(御書三三ページ)とは、「立正安国論」の結論である。
日々、「行学の二道」に励みながら、大法弘通のため、立正安国のため、勇んで戦っていく。このダイナミックな学会活動こそ、皆が宿命を転換し、絶対的な幸福境涯を開きゆく、最も確かにして速やかな「一生成仏」の軌道であることを、先生は明かされたのだ。
展示の中に、一九七三年の五月五日、豊島の友三千四百人との記念撮影や子ども運動会の写真もあった。この折、皆で「勝利」の意義を語り合ったことも思い出深い。
——新しき前進への活力は、勝つことである。勝利は、新しき希望を生み、新しき勇気を育む。ゆえに、一つ一つの課題に断固として勝ち続けていくことが、広宣流布の原動力である、と。
当時の可愛らしい未来部の友も、皆、立派に成長して、「人間革命」即「広宣流布」の勝利のために、団結し、奮闘してくれていることが、何より嬉しく、頼もしい。

◇巌窟王の精神で
三点目に、「巌窟王の折伏精神を忘るるな」と訴えたい。
学会が「広宣流布」という言葉を公の場で使った最初の記録は、七十五年前(一九四二年)の五月、創価教育学会の総会での牧口先生の発言であった。既に太平洋戦争の渦中である。
牧口先生は、軍部政府からの弾圧も覚悟されていたのであろう。この総会で、嵐に立ち向かうが如く、我らは国家社会を大善の方向に導くのだと師子吼されている。
そして一対一の折伏によってこそ、「家庭を救い社会を救い、そうして広宣流布に到るまでの御奉公の一端も出来ると信ずる」と断言された。
ここに「広宣流布」という学会永遠の使命と責任が定められたのだ。
正義の師を獄死せしめた権力の魔性に憤怒した戸田先生は、妙法の巌窟王となって、一九四五年の七月三日に出獄した。
必ず広宣流布することこそが、師の仇討ちなりと覚悟された戸田先生は烈々と叫ばれている。
「私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします」
「私の手で」と、先生は言われた。誰かではない、自ら人生を懸けた誓願として言い切られている。
そして戸田先生は、牧口先生と寸分違わず、「一対一の膝詰めの対話」によって、広宣流布の道を切り開いていかれたのである。
一対一で、勇気をもって正義を語る、真心込めて友を励ます——この折伏精神に、人間一人ひとりの無限の可能性を開きゆく広宣の直道がある。
日本も世界も、激動と不安の中にある。誰もが心から信頼できる何かを求めている。だからこそ、私たちは、目の前の一人を大切にし、相手の仏性を信じ、確信を持って語るのだ。
粘り強い大誠実の対話は、悪意や偏見も打ち破る。確かな友情を結び、仏縁を広げていくのだ。
恩師・戸田先生は水滸会や華陽会の折々に、「巌窟王の心」とは、何があっても巌の如く信念を貫き通す折伏精神であると教えてくださった。
この心で、私は恩師の出獄から十二年後の七月三日に入獄した。全く無実の罪であった。本年夏で六十年となる。「師弟共戦」と「異体同心」の信心は無敵なりと、満天下に示し切ってきた。
そして今、わが愛弟子たちが一切を受け継ぎ、師弟の正義を、巌窟王の如く威風堂々と勝ち示してくれることを、私は大確信してやまない。

◇凱旋の鐘を打て
戸田講堂の平和ロビーには、二〇〇一年の「五月三日」を記念する第一回東京総会に際し、私が鳴らした「七つの鐘」のオブジェがあった。
今回、湧き上がる思いのまま、「わが全同志に勝利の鐘よ響け! 大東京に凱歌よ轟け!」と、再び強く、また強く鐘を打ち鳴らした。
鐘の響きには、深く共鳴しつつ、はるか彼方まで届いて、魂を呼び覚ます力がある。
我らも大歓喜の生命の躍動を、一人また一人と伝え、社会へ、世界へ、未来へ、大いなる希望の波動を広げていくのだ。
さあ、広宣流布の峰を目指し、共に、共々に、勇気凜々と、晴れやかな凱旋の暁鐘を、打ち鳴らそうではないか!

2017年5月8日月曜日

2017.05.08 わが友に贈る

新聞休刊日

千日尼御前御返事 P1312
『其の恩徳ををもへば父母の恩国主の恩一切衆生の恩なり、父母の恩の中に慈父をば天に譬へ悲母をば大地に譬へたりいづれもわけがたし、其の中にも悲母の大恩ことにほうじがたし』

☆女性に贈ることば 五月八日
お母さんへ感謝を忘れてはいけません。母への感謝を忘れた時、人は倣慢になる。大切な何かを見失ってしまう。
母に最敬礼する心から、正義も平和も生まれる。

☆今日のことば365 五月八日
目的のある、苦労は、張り合いがある。目的なく、苦労して、死んでいく人は、奴隷のように見える。

☆御書と歩む 第62回 父母に最高の親孝行を
『法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり』(上野殿御消息、1528ページ)

◇通解
法華経(御本尊)を持つ人は、父と母の恩を報じているのである。自分の心には父母の恩を報じているとは思わなくても、この経の力によって報じているのである。

◇同志への指針
正しい信仰は最高の親孝行である。「成仏」という永遠の幸福の光を、大恩ある父母に送ることができるからだ。
青年に、背伸びなどいらない。ありのままの自分で、題目を唱えながら、学び鍛え、前進していけばよいのだ。ここに、わが生命を最大に充実させ、皆に希望と喜びを広げゆける青春がある。
未来を創る君たちよ、朗らかに育ちゆけ!

2017年5月7日日曜日

2017.05.07 わが友に贈る

◇今週のことば
「ほむれば弥功徳まさる」
尊き友の健闘を
最大に讃え励まそう!
喜びと感動を増して
いよいよ勝利の波動を!
2017年5月7日

同生同名御書 P1114
『大闇をば日輪やぶる女人の心は大闇のごとし法華経は日輪のごとし』

☆女性に贈ることば 五月七日
お金や栄誉を得ることよりも、人間としていちばん大事なのは、学ぶことです。
いくら有名人でも、学ぶ心のない人は尊敬できません。一生涯、学び続ける−−−その人を尊敬すべきです。

☆今日のことば365 五月七日
幸福は、外からやってくるものと思いこんではいけない。特に青春時代には、そのような追随主義や消極性、あるいは付和雷同の人であってはいけない。自らを革命し、さらに、自分の境遇を改革しきっていこうという積極主義とその勇気なくしては、悩みを切り開くことはできないのである。

☆誓いの天地 東京・豊島区 2017年4月30日
◇育ててくれた地域に尽くす 勇敢な魂で民衆凱歌を
4社8線の鉄道が乗り入れ、1日250万人以上が利用する池袋駅。同駅周辺は2020年春に向け、八つの劇場を含む国際的な文化拠点へと整備が進む。
一方で、"おばあちゃんの原宿"として有名になった巣鴨の地蔵通り商店街もある。南長崎には、手塚治虫や石ノ森章太郎が青春を過ごした漫画の聖地「トキワ荘」があった。
東京・豊島区は、さまざまな文化が一体となり、魅力あふれる都市として発展を続ける。
現在、駅周辺の整備が進む大塚。毎年8月になると、駅前の大通りで1000人以上の踊り手が集う「東京大塚阿波おどり」が行われる。学会の男子部員も、運営・整理役員として積極的に関わり、行事を支える力となっている。
参加団体の中でもひときわ人気の高い「新粋連」で太鼓を担当するのが菊池健一さん(豊島戸田区、男子部副本部長)だ。総務として団体の運営に携わる。
1995年に地域の先輩に声を掛けられ、数人で立ち上げた。地道に技術を磨き、昨年、阿波踊りの本場・徳島で行われた全国コンテストで「新粋連」が優勝を果たす。今では"日本一の団体"として地元住民の誇りに。老人ホームの慰問など、地域貢献にも取り組んでいる。
"生まれも育ちも豊島"の菊池さんは顔が広く、誰とでもすぐに打ち解ける。"地元愛"も人一倍強い。
"学会2世"として生まれたが活動には消極的だった。25歳で豊子さんと結婚。しかし、生活のすれ違いから、夫婦関係がうまくいかなくなった。
落ち込む菊池さんのもとへ、多くの友人が心配して来てくれた。その中に、心に残る励ましが。学会の男子部だった。力強い言葉に、"自分もこの人たちのようになりたい"と学会活動に挑戦。創価班大学校にも入校した。
"一番、仏法を伝えたい人は誰か"と考えたとき、すぐに豊子さんの顔が浮かんだ。あらためて一対一で向き合い、仏法対話を。豊子さんは、菊池さんの真心と前向きに変わった姿に信心への理解を深め、入会した。その後、2女に恵まれ、和楽の家庭を築くことができた。
シャッター等を製造・販売する会社に勤務。学会の設営グループである栄光会の総区委員長を務める。
「信心に目覚めさせてくれた妻、そして何より、師匠・池田先生への感謝は尽きません。育ててくれた地域のために動き、報恩の道を貫きます」

市原友莉さん(豊島池田区、女子部副本部長)も豊島で育った。自宅は広布の会場。いつも明るい母と、創価家族の姿から自然に信心を学んだ。
"人の役に立ちたい"と勉学に励み、看護師になった。最初に配属されたのは、がんなどの終末期の高齢者が暮らす病棟。毎日のように「死」を目の当たりにする。"昨日、会話した人が今日はいない"という現実に、ついていけないこともあった。
苦しい時こそ、学会活動に挑戦し、御書を繙いた。白樺グループの会合では仏法の「抜苦与楽」の精神を学んだ。"池田先生ならどうされるか"と考えて患者に接することができるように。ある患者から、「あなたが私の担当でよかった」と言われたことが忘れられない。病棟では看護師のリーダーを務め、昨年、新たな病棟へ移った。
不規則な勤務の中でも、学会活動する日を決め、真剣に取り組む。この2年間で、市原さんが担当する部から5人の白蓮グループが誕生するなど、総区でも模範の人材育成が光る。地域のバレーボールチームにも所属し、友情の輪を大きく広げてきた。
「"一人を大切にする"精神を胸に、大好きな豊島に華陽のスクラムを広げたい」と決意する。
三代会長が不滅の足跡を刻んだ豊島。その地に今、後継の青年の陣列が躍動している。

◇栄光の共戦譜
今月26日、池田先生ご夫妻が、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂を訪れた。
同講堂が開館したのは1979年(昭和54年)6月。第3代会長辞任の直後だった。以来、わずか半年で18回の訪問。
先生は、この講堂で、幾多の同志と出会いを重ねつつ、創価の"反転攻勢"の指揮を執った。
今回で、66回目の訪問となった。
先生は初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長・戸田城聖先生の肖像が掲げられた講堂で勤行・唱題した後、豊島の広布史を紹介する展示を丹念に見学。そこには、間もなく迎える5・5「豊島の日」の淵源も記されていた。
73年(同48年)の5月5日。池田先生と豊島の同志3400人との記念撮影が行われた。
先生は撮影の合間にマイクを取り、参加者に語り掛けた。
「勇気ある信仰を貫くことです。そのために何が大事か、一にも二にも迷わぬ信仰の姿勢を確立することです」
「私と一緒に楽しい人生を送ろう。しかし、邪悪とは断固、戦おう!」
記念撮影に参加した志村三千子さん(豊島戸田区、婦人部副本部長)は、初めて先生と出会いを刻んだ。「"信心のことで夫婦げんかをしてはいけないよ"との言葉が、今も胸に残っています。あの日、先生こそ人生の師匠だ、と深く心に決めました」
64年(同39年)、母の病を機に入会。母は寿命を延ばし、安らかに霊山へ旅立つ。志村さんは、信仰の確信を胸に広布に走った。
記念撮影から6年後の79年(同54年)4月24日、突然の会長辞任の報。同じ団地の住民から、「会長やめちゃったね」と言われた。志村さんは「先生の舞台は世界ですから!」と言い切った。
同年、東京戸田記念講堂の落成を控え、生け花の心得があった志村さんは、会館を花などで飾るグループの一員となる。
10月のある日、講堂の入り口で花の手入れをしていた志村さん。そこへ池田先生が訪れた。
「女子大生?」
「婦人部です!」
先生のユーモアに笑顔の輪が広がる。先生は、志村さんや夫・仙十郎さん(副支部長)の近況を聞いた後、純粋な信心の大切さを語った。
その後、志村さんは民生委員を21年務めた。誠実に地域に尽くす姿に信頼が広がり、友情を結んだ婦人に後年、真心の弘教も実った。2年前からは居住する団地の自治会長として奮闘する。
「"先生と共に"との思いで苦難を乗り越えてくることができました。恩返しの人生を歩みます」

記念撮影で整理役員を担った谷山守さん(総区主事)。当時、男子部の部長。「輸送班(現在の創価班)での薫陶が人生の礎です」と胸を張る。
69年(同44年)、夏季講習会の役員だった谷山さんに先生と勤行する機会が。「師匠の気迫に触れ、五体に電流が走るようでした」。その翌年の講習会でも再び師と勤行を。前年も共に勤行させていただいたと報告すると、先生は喜び、谷山さんを心から励ました。"先生を中心とする広布の奔流のまっただ中に生き抜く"と深く誓った。
その後、大病を何度も経験するが、その度に信心で乗り越えた。
本部長時代に始めた壮年部リーダーによる御書と池田先生の指導を研さんする集い「剣豪塾」は200回を超え、人材の流れが大きく広がる。さらに初代の豊島池田区長に就き、拡大の先頭に立った。
仕事は弁理士として、77歳の今も現役だ。
「偉大な師匠に出会い、広布の理想に人生を懸けることができた。いよいよ師恩に報いる時です」
豊島は、三代会長に有縁の地である。
牧口先生は、「サンシャイン60」が立つ地にあった東京拘置所で殉教した。戸田先生は豊島公会堂で学会再建の師子吼を放った。
池田先生もまた、文京支部長代理として豊島の地を駆けた。そして宗門事件の嵐が吹き荒れた時には、邪悪を打ち砕く正義の大闘争を、ここ豊島の地で展開したのである。
池田先生は94年、豊島の同志に詠み、贈った。
「勇敢な 魂吹き込む 豊島かな 恩師の叫びの 源忘るな」
師弟の魂が脈打つ豊島。池田門下の不二の叫びで、民衆凱歌の新時代を築く時は今である。

2017年5月6日土曜日

2017.05.06 わが友に贈る

「賢者はよろこび
愚者は退く」御聖訓。
いかなる困難な壁も
喜び勇んで立ち向かう。
その人が真の勝利者だ!

日厳尼御前御返事 P1262
『水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとくみなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心のいさぎよきはすめるがごとし』

☆女性に贈ることば 五月六日
木も大きな花を咲かせ、皆の心を楽しませてくれる。
人間も、何か人のためにならねばならない。

☆今日のことば365 五月六日
ちょうど、人生は、マラソンのようなものである。はなばなしく、五千メートルまでトップを走っていても、倒れてしまっては意味がない。九千九百メートルまで一番で拍手を送られていても、そこで失格すれば負けである。最後まで走りつづけた人だけが、人生の勝利者といえる。一番、二番ということは問題ではなくて、ゴールを目ざして、最後までがんばりきることである。

☆誉れの学園 世界市民を育む創価教育 第11回 語学の翼 2017年4月26日
◇多様性を尊重する"心の国際人"
東京・小平市の創価学園が開校した年(1968年)の12月、栄光寮の会食会が開催されている。「アフリカの人種問題を解決したい」と決意を語る生徒に、創立者・池田先生は、こう助言した。
「語学を勉強しなさい」「それができる裏付け、実力があり、理想を実現できる武器がなければならない。その武器は何か。絶対条件として、これは語学なのです」
先生の指針を基とする「語学習得」への果敢な挑戦は、創立以来の伝統となった。
今日の学園生は、語学を「学びの目的」ではなく、「学びのツール(道具)」として駆使しながら、英字新聞コンテストや模擬国連の国際大会、英語ディベートの全国大会などでも高い評価を受けている。
今月、長崎で開かれた、日米露3カ国の高校生による核兵器廃絶問題に関する国際会議「クリティカル・イシューズ・フォーラム」(主催=ミドルベリー国際大学院モントレー校ジェームズ・マーティン不拡散研究所)には、2年連続で、東京高と関西高の生徒が日本代表で出場。特定のテーマに基づき、研究成果を英語で発表し、米露の生徒とも意見を交換した。

学園の創立は、日本で海外渡航が自由化された3年後であり、当時の日本人出国者は年間約27万人〈以下の統計数は、「日本政府観光局(JNTO)」のウェブサイト〉。外国人訪日者の数も年間約48万人であったが、国際化の進展に伴い、日本社会も変容している。
昨年、海外に渡った日本人は1700万人を超え、外国人訪日者数は、2400万人以上。今後、海外に出ずとも、外国人との交流の機会は、増え続けるだろう。
その一方で、こんな指摘もある。単一民族に近い日本人には、外国人を「よそ者」として排他的に見る一面がある、と。国内の国際化に日本人の心が追い付いていないのでは、と危惧する声も少なくない。
未知の国際化時代に突入する日本人が、備えるべき能力は何か。日本国際理解教育学会の多田孝志元会長は、こう論じる。
「文化の多様性への関心をもち、異文化をもつ人々との相互理解を図り、相互浸透を受け入れ、彼らと積極的に交流し、共生できる人間の育成が必要となり、教育への期待となっている」(『グローバル時代の国際理解教育』明石書店)と。
語学はもとより、「共生の精神」を育むことが、時代の要請であるといえよう。
約30年前、池田先生は学園生に、「大事なことは語学を身につけながら、同時にその国の人の考え方を知り、心を学んでいくことである」と呼び掛けている。
世界に羽ばたく"心の国際人"の育成へ、語学と人間性の"両翼"を鍛えるとの先生の教育方針は、すでに、80年代に示され、学園の授業に反映されてきた。
東西の学園では、多様な国の人々との触れ合いを重視し、先生の理念を体現している。
その第一の例は、多言語授業である。
東京高の学校設定科目「国際理解」では、韓国、スペイン、ドイツ、中国、ロシア、フランスの6言語の授業が、3年生の選択科目として開設され、大学での本格的な語学学習への導入的な役割も果たしている。
1、2年生の学習意欲にも応じ、全学年を対象として、放課後には、6言語を学ぶ研究会が活動している。5言語を教えるのは、その言語を母語とする外国人講師だ。ウラジオストク出身のロシア語講師は、学園生との出会いの印象をこう語った。
「私が教員になる前、初めて創価学園の授業を見学した時、初対面で緊張していたら、学園生が気さくに声を掛け、温かく迎えてくれました。"この子たちの心には国境の壁なんてないんだ"と感動し、このように豊かな人間性を育てる創価学園の教員になりたいと思ったのです」
授業では、各講師が出身国の社会事情や生活習慣、独自の文化などについて、自身の体験を交えながら、生徒に紹介する。
そうした経験を踏まえ、学園生が発信する言葉は具体性を帯び、説得力を増す。
昨年、人民中国雑誌社、中国駐日大使館等が主催した「全日本青年作文コンクール」では、東京高の生徒が、日中友好の思いをつづり、優秀賞に輝いた。中国への研修旅行に招待され、生徒の作品は「人民中国」誌に掲載される。同じく昨年に行われた、韓国の延世大学等が主催する、第25回「外国人ハングル白日場大会」でも、東京高の生徒が優秀賞を受賞している。
第二の例として、創価大学の留学生との交流授業が挙げられる。東西の創価小・中・高校の6校全てで行われているものだ。
東京創価小学校(小平市、国分寺市)は、4、5年次に留学生と交流する。
教員が、「どうして留学生の人たちは、創価小学校に来てくれるのかな?」と問い掛けると、児童から「日本語や日本文化を学ぶため」など、多くの意見が出る。
そして、児童は、留学生の側に立って、どう迎えれば喜んでもらえるかと考え、日本語や漢字の穴埋めクイズを作るなど、創意工夫の"おもてなし"で歓迎する。
児童の中には、留学生に日本語が伝わらず、小さな体を懸命に動かし、身ぶり手ぶりで、思いを表現している子がいた。
留学生も全身を耳にして、児童の思いを受け止める。伝えたい、分かりたいと、向き合う中で、相互理解の心が育つのだ。
この出会いの2週間後には、5年生の児童たちが創大を訪問。今度は、留学生たちが児童を迎え、出身国の文化を紹介し、創大のキャンパスを案内してくれる。
関西創価高校(大阪・交野市)では、留学生と共に小グループをつくり、英語のポスター制作を行っている。留学生が母国の社会問題からテーマを抽出し、学園生と英語で議論。課題の分析と解決案をポスターにまとめ、評価し合っている。
これまで、約10度、学園生との交流会に応募し、参加してきたインドからの創大留学生アローラ・トゥシタさんは語る。
「学園生の特色は、外国人へのオープン(開放的)な姿勢だと思います。私が困らないようにと、こまやかな配慮をしてくれる学園生を見ていると、私をインド人としてではなく、『一人の人間』として大切にしてくれているんだと実感します。また、学園生の英語の学習に対する熱心さ、異文化への関心の高さは、通訳を目指す私に、触発を与えてくれるのです」
トゥシタさんは、交流会の後も学園生と友好を深めている。その中には、トゥシタさんとの出会いを契機にインドへの留学を決意し、今秋、交換留学生として、デリー大学に向かう関西高の卒業生もいる。

なぜ、学園生の心には、多様性を尊重しようとする思いが芽生えるのか。それは、常に「創立者」の振る舞いを、自身の行動の規範としているからであろう。
東西冷戦の時代にあって、池田先生は、中国やソ連など共産主義国にも渡り、平和と友好に向けた人間外交を貫いた。あらゆる差異を超え、人間と人間を結びゆく先生。その信念と行動は、世界市民を目指す学園生にとって、最高の「教科書」である。

◇池田先生の指針
たとえば、優れた外国の本の登場人物と対話をかわし、"友だち"になる。そうすれば、その国の「心」を深く知った人ともいえる。また世界中の人々に通じる普遍的な「人間性」を磨いたことにもなる。
その人は、たんに語学力を鼻にかけ、さも国際通のように見せかける傲慢な人になるより、よほど"心の国際人"であるといえまいか。
もちろん、語学は絶対に必要である。大事なことは語学を身につけながら、同時にその国の人の考え方を知り、心を学んでいくことである。
(1989年10月10日 関西創価小・中・高校合同第8回健康祭)

2017年5月5日金曜日

2017.05.04 わが友に贈る

友情広げる好機到来。
大胆に動き 語ろう!
尊き広布の力走に
諸天の守護は厳然!
無量の功徳が輝く!

南条兵衛七郎殿御書 P1498
『二心ましまし人の聞にはばかりなんどだにも候はばよも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ』

☆女性に贈ることば 五月四日
笑顔は、幸福の結果というよりも、むしろ幸福の原因だともいえよう。

☆今日のことば365 五月四日
よく読め よく書け
そして 雄弁たれ
それが 偉大なる発展への推進力だ

☆誓いの天地 東京・大田区 2017年4月28日
◇師の故郷で躍動する青年 「広宣の源流」の誇りもて
1947年(昭和22年)3月、当時の大森区と蒲田区が合併して、「大田区」が誕生した。今年、区制70周年である。
大田区の特徴の一つは「ものづくりの町」。大森南、糀谷、羽田、下丸子、多摩川、矢口などには、高い技術力を持つ町工場が集まる。京浜島、城南島、昭和島にも工業団地が形成されている。
坂本勇一さん(大田池田区、男子部部長)は、本羽田で絶縁ゴムカバーの製造業を営む。
一昨年、先代の経営者が高齢を理由に引退を宣言。信頼されていた坂本さんが事業を引き継ぐことに。
「引き継ぐ」といっても、経営者から「君の力で、別の会社を立ち上げなさい」と。司法書士や事業継承の専門家と相談を重ね、昨年2月、会社設立にこぎ着けた。
開業当初は、売り上げが伸びなかった。必死に祈り、高品質・低コスト製品の提供、厳格な納期管理など工夫を重ね、取引先からの信頼を勝ち取った。
そうした経営努力が評価され、今年、中小企業庁の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」の1社に選ばれた。
30代半ばまで転職を繰り返した坂本さん。新しい仕事に就くたび、人間関係で行き詰まった。
ある時は、銀行の預金残高が、700円しかなかった。どん底まで落ちた自身の情けなさに、涙が止まらなかった。
意を決して、学生時代からお世話になっていた学会の先輩に、数年ぶりに連絡を。すぐに、激励に駆け付けてくれた。その温かさに、信心で立ち上がろうと腹を決めた。
「学会活動に挑戦して、人生が百八十度、変わりました。試練に遭遇しても、"前に進もう"という勇気が湧いてくるんです」
今年、会社は「拡大」を目標に掲げる。「ものづくりの町・大田」を代表する会社を目指し、自身の人間革命に挑み続けている。

2010年(平成22年)10月、羽田空港に新国際線旅客ターミナルが開業。15年(同27年)には、世界1144の空港の中で、第5位の旅客数を記録している(国際空港評議会の報告から)。
今年、大田区は「国際都市おおた宣言」を発表。今後、国際交流拠点都市、多文化共生都市としての魅力を発信していくという。
門脇沙都紀さん(蒲田太陽区、女子部本部長)は、羽田空港国際線の免税店で働く。「海外のお客さまが、日本での最後の一時を過ごす場所です。だから、常に笑顔と真心で接客しています」
創価大学2年の時、学費を支払うため、飲食店や塾講師など、三つのアルバイトを掛け持ちしていた。だが、多忙な毎日のストレスで、摂食障害になった。
苦しみの渦中、何人もの同級生が声を掛けてくれた。友の励ましを胸に、1年の通院で摂食障害を乗り越えることができた。
その後、語学力を鍛えようと、アメリカのシアトルに留学。空港のインターンシップ(就業体験)も経験した。
就職活動では、大手航空会社をはじめ、空港に関係する会社の採用試験を受けた。その数、30社を超えたが、全て不採用。
"もう無理かな"と思っていた時、壮年から「諦めは、親不孝だよ」と。その一言に目が覚めた。"必ず就職を勝ち取ろう"と決意新たに御本尊の前に座った。卒業式を目前に控えた「3・16」に、今の会社で働くことが決まった。
卒業式では、学業・研究面で優れた業績を収めた学生・団体に贈られる「創価大学ダ・ヴィンチ賞」を受賞した。
今年、白蓮グループの総区委員長の任命を受けた。「女子は門をひらく」(御書1566ページ)の御聖訓を胸に、師の故郷・大田に、満開の勝利桜を咲かせゆくことを誓う。

◇栄光の共戦譜
池田先生は、大田で生まれた。
生涯の師・戸田城聖先生と出会ったのも、大田だ。
池田先生は大田で、「二月闘争」の指揮を執った。1955年(昭和30年)には、横浜・鶴見区と共に、大田で圧勝劇を飾った。世界広布へ旅立ったのは、羽田空港からである。
先生は新宿区信濃町に居を移すまで、ほぼ38年を大田で過ごした。その後の足跡も、区内のそこかしこに刻まれている。
90年(平成2年)11月1日に開館した大田池田文化会館に、これまで14回訪問。
第1次宗門事件の嵐の渦中だった79年(昭和54年)3月11日には、馬込会館(当時)へ足を運んだ。85年(同60年)6月14日には雪谷文化会館へ向かい、友を激励した。
また、96年(平成8年)5月15日には羽田平和会館、2002年(同14年)5月6日には蒲田文化会館、昨年8月28日には森ケ崎文化会館を訪れている。
数ある"黄金の歴史"の中でも、「4月29日」の感動は、大田の友の心に、今も輝き続ける。
1973年(昭和48年)のこの日、大田区体育館(当時)に5000人の友が集い、記念撮影が行われた。
撮影会が始まると、先生は「大田より 師子は育ちて 広布かな」など10句を詠み、川柳も一句、披露。さらに、伊豆諸島、小笠原諸島から駆け付けた友に励ましを。集った青年・未来部で「大田兄弟会」を結成することを提案し、満場一致で決定した。
その一人、石塚春好さん(蒲田広宣区、副総区長・区総合長兼任)は、この時の師との出会いが、生涯の原点だ。
「先生は、『五体から根性がにじみ出てくるような青年の中の青年の闘士であってほしい』と。その深い真心に、断じてお応えしていこうと決意しました」
石塚さん自身、「五体から根性がにじみ出る」人生を生きてきた。1歳半の時、ポリオ(小児まひ)にかかり、左腕の自由を失った。これがきっかけで、58年(同33年)に一家で入会した。
懸命に勉学に励み、創価高校に1期生として入学。創価大学卒業後、区の福祉事業に携わり、その向上に尽力してきた。現在、知的障がい者支援の活動に取り組んでいる。
学会活動にも全力を注いできた。総区壮年部長として一昨年12月、本陣長(ブロック長)、副本陣長が本部単位で、小説『新・人間革命』を研さんする「大田壮年『本陣大学校』」をスタート。信心の歓喜に燃える黄金柱の連帯が広がる。
「不屈の根性で、東京凱歌の歴史を切り開いていきます」

大田に新たな会館を——先生がこう提案したのは、83年(同58年)1月31日、大森文化会館(当時)を訪問した時のことだ。
大田池田文化会館が誕生したのは、この時から7年後。会館完成を祝し、先生は「天までも 功徳で築きし 大田城 富士もかなたに この城 守れや」など、3首の和歌を詠み贈っている。
90年(平成2年)11月7日、先生は同会館を初訪問。会館近くの鵜の木の商店街には、三色旗がはためき、「祝 大田池田文化会館落成」の横断幕が掲げられた。
開館記念勤行会で先生は、大田ゆかりの池上兄弟に与えられた御聖訓「未来までの・ものがたり(物語)なに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)を拝読。「大田もまた、『団結の勝利』の模範であっていただきたい」と念願した。
勤行会に参加した宮本純子さん(大田池田区、区副婦人部長、伊豆諸島栄光圏婦人部長兼任)。
「先生は会場に入られると、参加者に"学会の根本は師弟だよ"と。直後に第2次宗門事件が勃発。師弟の魂魄をとどめてくださったんだと知り、"何があっても先生と共に"と改めて誓いました」
結婚後、大田の地へ。流産や卵巣のう腫の手術などの苦難を乗り越え、2人の子どもを授かった。
支部婦人部長として奮闘していた時、先生から支部に「常勝の 城をかざりし 桜花 秋に散りゆく 落葉の香りよ」との激励の和歌が届いたことは、宝の思い出だ。
「皆が歓喜し、師恩を胸に、対話に走りました」。その感動を今も忘れず、夫・和徹さん(副区長・区書記長兼任)と、同志の激励に奔走する。
2人の子も、後継の道を真っすぐに進む。長女・和美さんは総区女子部長、長男・勇一さん(男子地区副リーダー)は広島の大学院で教育の研究に励む。

新たな広布の歴史を開く時、師と共に立ち上がり、戦い、勝利を刻んできた大田の友。先生は万感の思いを詠んだ。
「広宣の 源流 大田と 誇りもて 偉大な使命を 断じて忘るな」
日本も、世界も、大田を源流として、広布の潮流は千波万波と広がった。その「広布源流の地」の底力が、いよいよ発揮される。

2017.05.05 わが友に贈る

誓いを貫く人は強い。
最も深く 充実した
人生を歩んでいける。
日に日に新たに
使命の道を切り開け!

上野殿御消息 P1527
『友にあふて礼あれとは友達の一日に十度二十度来れる人なりとも千里二千里来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず』

☆女性に贈ることば 五月五日
どんな子であれ、その人にしか見たせない使命がある。誰しも、何かの才能の芽をもっている。
その芽を伸ばすための最高の養分は、信じてあげることです。
人によって、早く芽吹く人もいれば、時間がたってから、急に伸びだす人もいる。
しかし、いつかは必ず才能の芽が伸びることを信じて、温かく見守り、根気強く励ましを重ねていくことです。

☆今日のことば365 五月五日
希望に燃えて 怒濤に向かい
たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが
じっとこらえて 今に見ろ

まずは働け 若さの限り
なかには あなどる者もあろ
されどニッコリ 心は燃えて
強く正しく わが途進め

苦難の道を 悠々と
明るく微笑み 大空仰ぎゃ
見ゆる未来の 希望峰
僕は進むぞ また今日も

☆希望航路—池田大作先生と進む人生旅— ドミニカ共和国3=完 2017年4月29日
共々に悠久なる広布の歩みを
1987年2月、ドミニカ共和国の訪問を終えた池田先生は、同国の友に長編詩「カリブの偉大な太陽」を詠み贈った。

君たちと過ごせし日々は 短くも
ともに金の思い出を育み
祖国ドミニカの
悠久なる広布の
旅立ちの記念碑は厳として築かれた

まさに4日間の滞在は、一人一人と崩れざる「金の思い出」を刻みゆく旅となった。

訪問2日目の2月9日、先生を迎えて行われた「ドミニカ広布21周年記念勤行会」。
席上、婦人部のコーラスが歓迎の歌声を披露した。

♪我々の大地よりも
美しいものはない
愛しのキスケーヤよ
汝を星にたとえて
我は歌う
一番星のように
私の人生を
照らしてくれる……

同国で親しまれている「キスケーヤ(母なる大地)」である。
先生は「いい歌だ、本当にいい歌だ」と何度も感嘆の声を。曲が終わると、立ち上がって拍手を送った。
コーラスの責任者を務めたレイコ・コマツさん(総合婦人部長)は振り返る。
「全身でたたえてくださる真心に感激しました。メンバーと先生の心が深く通じ合ったた瞬間でした」
先生はスピーチの際にも"この歌に歌われる、光に満ちた大地と人間の美しさは、やがてドミニカが、世界のどの国よりも美しく発展していく象徴のようである"と語り、称賛を惜しまなかった。
この日の勤行会の司会は、レイコさんの夫のオサムさん(支部長。当時、男子部長)だった。
「会合中、先生は常に場内に目を配っておられました。スピーチの最中にも、通訳が入るたびに視線を送り、一人一人と目で会話をするように、参加者や役員の顔をじっと見つめておられました」
その中には、オサムさんの母の写真を抱いた父の姿もあった。
先生訪問の半年ほど前、オサムさんは母を亡くしている。父の留守中、ダハボンの実家に強盗が押し入り、事件に巻き込まれたのだ。「私の誕生日前日の出来事でした」
軍人で厳格だった父とは対照的に、優しかった母。オサムさんが実家を出た後も、苦しい時には手紙で励ましてくれ、たびたび手料理を持って、サントドミンゴの家に来てくれた。
最愛の母を失ったショックは大きかった。だが、リーダーである自分の身に起きた不幸によって、メンバーが動揺しないよう、オサムさんは懸命に題目をあげ、気丈に振る舞い続けていた。
先生は滞在中、オサムさんに1枚の色紙を贈っている。そこには「母も又 君の心に燦然と 親子は不二と 勇み生きなむ」と揮毫されていた。
「"お母さんは永遠に君の心の中にいる。頑張れ! 負けてはいけないよ"との深い慈愛を感じました。悲しみに打ち勝ち、絶対に幸福の実証を示すと、固く心に決めました」
オサムさんは一段と広布に駆けた。
その後、勤めていた会社の倒産や多額の負債など、多くの苦難に見舞われるが、師の励ましを胸に全てを乗り越えてきた。現在は、夫婦で立ち上げた電気部品の販売店を経営している。
「清廉潔白」を信条とし、約70社が加盟する電機製造販売連盟の役員も任されるなど、社会で揺るがぬ信頼を築き上げた。
訪問最終日の11日。レイコさんは長女と次女を連れ、ホテルに先生を見送りに行った。先生は2人の頭を優しくなで、「覚えていてね」と語り掛けた。
次女のマサエさんは今、同国SGIの女子部長に。4人姉妹がそれぞれ、後継の道を真っすぐに歩んでいる。

先生は、寸暇を惜しんで目の前の一人と心を通わせた。
3日目(10日)の午前中には、ホテルの中庭で役員と共にラジオ体操を。午後、サントドミンゴ市から「名誉市民証」と「市の鍵」を受章し、ホテルに戻ると、"皆さんを代表して名誉市民証を頂きました。これは皆さんに対する栄誉です"と、役員に感謝を述べた。
滞在中のある日、先生はホテルの売店に立ち寄り、いくつかの帽子を購入。自ら一つをかぶり、「お世話になった方々に」と役員の代表に贈呈した。
さらにはSGIのメンバーだけでなく、ホテルの従業員にも「お世話になります」と、一人一人に声を掛けている。彼らは"これまで多くの要人を迎えたが、これほど素晴らしい方は出会ったことがない"と、口々に語っていた。
国家指導者にも、市井の一庶民にも、一貫して変わらないその振る舞いは、先生を初めて間近にしたドミニカの友の心を強く打った。

ベルナルド・モスケアさん(壮年部長)もその一人。役員として先生に随行し、その一挙手一投足を目に焼き付けた。先生から贈られた白い帽子を、今も宝物として大事にしている。
87年当時は、入会して8年目だった。仏法を信じてはいたが、組織に属することに少し抵抗があった。
「下の人に対して強い態度に出ることが、世間一般のリーダー像でした。私は、そうした人にはなりたくなかった」
しかし、先生の大誠実の姿を目の当たりにし、その考えは一変した。誰に対しても分け隔てがない。謙虚で、会う人会う人を温かく包み込む。「まさに他者を軽んじない『不軽菩薩』の実践そのものでした。この方がリーダーならば、SGIは信じられると確信したのです」
先生と出会い、生涯不退を誓ったモスケアさんは、ここから精力的に学会活動に励むように。誰に対しても胸襟を開いて接するように心掛けた。活動で培った相手に寄り添う姿勢は、職場でも高く評価されていった。
7人きょうだいの末っ子として、貧しい母子家庭に生まれ育ったモスケアさん。現在は経営者として大きく経済革命を果たし、母に家をプレゼントすることができた。
「池田先生から『真の人間の道』を教えていただきました。先生は私の"父"であり、人生の師匠です。『在在諸仏土 常与師倶生』(在在の諸仏の土に 常に師と?に生ず)のままに、広布に尽くしてまいります!」
先生の激励行は、ドミニカを離れる直前まで続いた。
最終日には、同国の繁栄を祈り、独立公園で献花を行った後、スペイン広場で二百数十人の同志との記念撮影に臨んでいる。撮影の前後には、メンバーの輪の中に入り、握手を交わすなど、皆を徹して励まし抜いた。
そして午後5時25分——。先生を乗せた飛行機は、多くの同志に見送られ、大空へと飛び立った。

長編詩「カリブの偉大な太陽」には、こうもつづられている。

ああ カリブの太陽のごとく
力みなぎるドミニカの若き君たちよ
精悍なるあの顔が
すがやかなるあの瞳が
朗らかなるあの笑みが
今も 我が胸中に踊っている
いな 生涯 忘れはしまい

先生の訪問から30星霜。師弟の絆強きドミニカ共和国SGIの友は、世界が憧れるカリブの天地に、平和と幸福の連帯を大きく広げている。

2017年5月3日水曜日

2017.05.03 わが友に贈る

きょうも師と共に!
これほど尊く楽しい
生きがいに満ちた
人生の軌道はない。
凱歌の舞を舞いゆこう!

可延定業書 P985
『されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身として病を身にうけさせ給う心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし』

☆女性に贈ることば 五月三日
母の力は大地の力である。
大地が、草木を茂らせ、花を咲かせ、果実を実らせるように、母は、いっさいを育む創造と教育の大地である。その大地が、ひとたび動けば、すべては変わる。
母が家庭を変える。
母が地域を変える。
母が社会を変える。
母が時代を変える。
そして、母が世界を平和へと変えていくのだ!

☆今日のことば365 五月三日
いかなる時も
いずこにあろうとも
燦爛たる太陽のごとく明朗に
天空を翔る若鷲のごとく闊達に
大海のごとく包容力豊かに
然して時来たらば
決然として起ち
疾風怒濤のごとく邪悪と戦う青年であれ

☆親が子に語る物語 南条時光 2017年4月30日
師匠との誓い胸に後継の道を

今から700年あまりむかし。小さいころ日蓮大聖人さまにお会いし、それ以来、水の流れるような、清らかな信心をつらぬいた、ひとりの少年のお話です。
少年の名前は、南条時光。お父さんはりっぱな武士で、大聖人さまの弟子となり、まじめに信心に励みました。ところが、病気がもとで、亡くなってしまったのです。
あとに残されたお母さんと、7歳の時光、たくさんのきょうだいたちは、とほうにくれました。そんな時、思いがけず大聖人さまが、かけつけてくださったのです。そしてお父さんのお墓の前で、ろうろうと題目をとなえてくださいました。
そのどうどうとした姿を、じっと見つめながら、時光少年は思いました。
"ぼくもお父さんのように、大聖人さまのりっぱな弟子になろう!"

その後、大聖人さまは、日本の国を平和にし、人びとを幸せにするため、いのちがけで正しい仏法をひろめていきました。でも悪い僧や武士たちが、つぎつぎとおそいかかり、とうとう遠い島へ、流されてしまったのです。
「大聖人さまが、一日も早く、お帰りになりますように!」
時光少年は、お母さんといっしょに、毎日題目をとなえ続けました。
3年ほどたった時のこと。うれしい便りが、時光たちのところに届きました。大聖人さまが、遠い島からもどられたのです。そして身延という山の中に住み、新たな戦いを、始められました。
「すぐに、お会いしてこよう!」
16歳になり、お父さんのあとをついで、りっぱな武士になった時光は、たくさんのおくり物を持って、大聖人さまのもとへ、かけつけました。
大聖人さまは、時光を見て大よろこび!
「亡くなったお父さんに、そっくりだ。きっと心も、お父さんのように、清らかだね。しっかり信心をやりぬくんだよ」
大聖人さまの、あたたかく力強いひと言ひと言を、時光は心の奥深く、しっかりと受けとめました。

時光青年が住んでいたところは、上野とよばれていました。その近くでは、たくさんの人たちが、大聖人さまの弟子となり、題目をとなえはじめました。それに反対する、悪い僧や武士たちが、弟子たちをいじめぬきました。とうとう、殺される人たちも、あらわれたのです。
「早く、かくれるんだ!」
時光青年は、逃げてきた大聖人さまの弟子を、家にかくまったりして助けました。
そのようすをお聞きになった大聖人さまは、時光を"上野の賢人(かしこい人、りっぱな人)"と、ほめたたえました。
さらに「"大きな願い"をふるいおこしなさい。正しい教えを信じ、ひろめるために、いのちをかけるのです」と、深い弟子の生き方を、教えてくださったのです。
しばらくして、大聖人さまは、すべてをなしとげて、あとのことを弟子たちにたくし、亡くなられました。
その後、時光青年は悲しみを乗りこえて、心に誓った弟子の道を、74歳で亡くなるまで、ひたすら走りぬきました。
胸の中には、師からたくされた"大きな願い"が、いつも、あかあかと輝いていたのです。
◆ ◇ ◆
ぶん・あらやゆきお
え ・奥村かよこ

◇おうちの方へ
今回の物語に登場する南条時光は、駿河国(現在の静岡県中央部)富士郡上野郷の地頭で、日蓮大聖人の門下として活躍しました。
時光の父・南条兵衛七郎は、大聖人に帰依していました。その父が文永2年(1265年)に死去します。大聖人は墓参のために、わざわざ鎌倉から上野郷の南条家まで足を運ばれました。この時、7歳の時光も大聖人にお会いしたと考えられます。
以来、時光は母の上野尼御前と共に純真な信仰に励みました。文永11年(1274年)に大聖人が身延に入山されると、時光は、駿河地方を舞台に日興上人のもとで折伏を展開。「熱原の法難」の際には、熱原の門下たちを守り抜きました。
弘安5年(1282年)に大聖人が御入滅された後も、時光は日興上人を支え、74歳で死去するまで妙法流布に生き抜きました。
生涯のうちに大聖人から数多くの御書を頂いており、大聖人は、南条時光の戦いをたたえて、「上野賢人」(御書1561ページ)との称号を贈られています。

2017年5月2日火曜日

2017.05.02 わが友に贈る

健康こそ幸福なり!
無事故こそ勝利なり!
価値ある一日一日を
賢明に進みゆく中に
真の歓喜と躍動がある。

最蓮房御返事 P1343
『劫初より以来父母主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よもあらじ』

☆女性に贈ることば 五月二日
人生にあって師をもてることは幸せであり、大きな喜びである。自らが決めた師弟の道を人生の誇りとして貫き通すところに、人間としての美しさ、尊さがある。

☆今日のことば365 五月二日
真実の幸福を願うものは、自らの幸福ばかりでなく、他の人の幸福のためにも働く人でなければならないと思う。その人こそ、真の平和を愛する人であり、また真実の幸福を与えきれる、偉大な力を持った人であると信じてよいであろう。

☆5月度男子部「御書活動者会」研さんのために 呵責謗法滅罪抄 2017年4月29日
誓願の祈りで勝利を! "必ずやり抜く"とまず決めよ
5月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「呵責謗法滅罪抄」を研さん。強盛な祈りが、不可能をも可能にすることを学ぶ。

◇御文
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)

◇通解
いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

◇背景と大意
本抄は、文永10年(1273年)、日蓮大聖人が流罪の地・佐渡から、鎌倉の門下である四条金吾に送られたお手紙であると考えられてきたが、詳細は不明である。
ただ、本抄を与えられた門下は、その内容から、鎌倉に住み、幕府による激しい迫害が加えられていたことは間違いない。
その厳しい状況の中で、この門下は、亡き母の追善のため、供養を携えて佐渡を訪問。大聖人とその弟子たちの生活を支えていたと考えられる。
本抄で大聖人は、佐渡の地にあって今まで命を永らえてきたのは、門下の真心の御供養のおかげであると、その信心を称賛され、法華経の文字が門下の身に入ったようであると仰せになっている。

◇解説
拝読御文は本抄の末尾の一節であり、大聖人御自身が、苦難の中にいる門下の無事・安穏を強盛に祈っていることを述べられている。
大聖人は拝読御文の冒頭で、「何なる世の乱れにも」と仰せである。
本抄御執筆の前年の文永9年(1272年)には、幕府の実権を握る北条一族の内乱である「二月騒動」が起こり、文永11年(1274年)には「蒙古襲来」が起きた。
いずれも大聖人が諸経典に基づいて幕府に警告されていた災難の的中であり、「自界叛逆難」(内乱)が二月騒動として、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が蒙古襲来として現実のものとなったのである。
続く「各各をば法華経・十羅刹・助け給へ」では、乱世で苦闘する門下への大聖人御自身の祈りが示されている。
ここで「法華経」とは、御本尊のこと。また、「十羅刹」は法華経の会座において、諸天善神として法華経の行者を守護することを釈尊の前で誓っている。
さらに、強盛な祈りの姿勢について、大聖人は「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」と、"濡れた木をこすって火を出すように""カラカラに乾いた土から水を得るように"と仰せになっている。
大聖人御自身が、死罪にも等しい佐渡流罪という逆境にあったことは言うまでもない。
だが、過酷な境遇にありながら、そこには、諸天にすがるような弱い祈りはない。
大聖人は、「弟子を必ず守る」「いかなる難事があっても、必ず成就する」との、諸天をも揺り動かしていく確信の祈りに貫かれていた。師匠の強き一念と慈愛に触れた弟子たちは、どれほど励まされただろうか。
私たち男子部も、いかに環境が厳しくとも、"断じて現状を打開しよう""必ず勝利を開く!"との誓願の祈りから出発することを心に刻みたい。
池田先生はつづっている。
「日蓮仏法は『誓願の仏法』です。自分が自分の立場で、御本尊に『私は、これだけ広宣流布を進めます! 断じて勝利します!』と誓願することです。その『誓願の祈り』が出発点です」
決めて、祈って、動く——この"勝利の方程式"を実践する中で、学会員一人一人は広布と人生を大きく勝ち開いてきた。
栄光の「5・3」から師弟凱歌の金字塔を打ち立てる青年の月・7月へ! 今こそ「必ず勝つ」と決めて祈り、広布の大闘争を起こしていこう。

2017年5月1日月曜日

2017.05.01 わが友に贈る

◇今週のことば
輝く「創価の母の日」。
皆で感謝の最敬礼を!
太陽の婦人部と共に
明るく賑やかに行進。
友情と信頼の拡大だ!
2017年5月1日

四条金吾殿御返事 P1169
『仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり』

☆女性に贈ることば 五月一日
日々新たにして日に日に新たなり−
今日も生まれ変わった生命の息吹で
全力で走りゆくことだ
今日の満足と、明日への飛躍と

☆今日のことば365 五月一日
民衆の声ほど 強きものはない
民衆の怒りほど 恐ろしきものはない
民衆の叫びほど 正しきものはない

☆大白蓮華巻頭言 2017年5月号 若き君よ!仏法を試みよ
「池田君、何があっても、青春は『当たって砕けろ』の勇気でいこぅよ!」
若き日、悪戦苦闘の只中で、敬愛する先輩が声をかけてくれた励ましが、今も胸に温かく蘇る。
「青春の哲学」とは何か。それは、「思いきってやってみろ!」という一言に要約される——。こう結論したのは、アメリカの教育思想家ボーンである。
「もし思いきってやりさえすれば、ひじょうに多くのことをなしうるのだ!」というのだ。
いつの世も、青年の前には分厚い壁が立ちはだかる。特に現代は、若き心を萎縮させる重圧があろう。
その中で、挑戦の勇気を解き放ち、思いきり青春桜を咲かせているのが、創価の誉れの青年たちだ。
日蓮仏法は「太陽の仏法」である。それは青年の 旭日の生命を最大に輝かせゆく哲理といってよい。
大聖人は、大難の中、青年門下の南条時光を鍛え育まれた。どんな圧迫があろうとも、「我が信心を試しているのか」(1540ページ、趣旨)と、うれしく思って、切り返し打ち返していくよう教えられている。
時光の重病の際は烈々と病魔を叱咤され、「すこしも・をどろく事なかれ」(1587ページ)と激励なされた。
御書では随所に、苦難とは仏になるための試練であると示されている。ゆえに「まことの信心が今、試されているのだ」と立ち向かえば、断じて乗り越えられないわけがない。そして、その戦いによって、境涯を開き、仏の命をより強く光らせていけるのだ。
師・戸田城聖先生は、よく言われた。
「信心も、平坦な道ばかりをゆっくり歩いていては、何も変わらない。大きな闘争があるからこそ、大きな成長があり、大きな勝利があるんだよ!」と。
だからこそ、青年ならば、「広宣流布」「立正安国」の大闘争に勇んで同志と共に身を投じていくのだ。
その地道にして、粘り強い実践にこそ、あらゆる労苦を突き抜けて、言い知れぬ生命の充実がある。
自分が確実により良く変わり、人間革命しながら、存分に社会に貢献していく青春の喜びがある。
「僕も変われた。君も必ず変われる」「私も人間革命できた。貴女も必ずできる」—そう自信を持って語りゆく青年の連帯が、世界をも変えるのだ。
学会は、青年が先頭に立つゆえに、常に明るい。
もう40数年前になろうか。学会本部で行われていた首都圈のリーダーの協議会の会場に後方から入ると、最後列に、仕事をやりくりし、汗だくになって駆けつけてきた青年たちがいた。私は労いを込め、そのまま皆に後ろを向いてもらい、青年を最前列にして懇談した、楽しき思い出がある。その後、青年も先輩も共に、全てに先駆をとの心意気で、私と一緒に広布の拡大と勝利へ走ってくれた。
「撰時抄」には、「此の度仏法を心みよ」(291ページ)と呼びかけられている。試みて絶対に悔いのない、正しき幸福と平和の大道がここにあるのだ。
若き君よ、共々に思いきり試みようではないか!

妙法は
 絶対勝利の
  力なり
 誓いの青春
   勝ちて飾れや