2016年4月1日金曜日

2016.04.01 わが友に贈る

輝く桜花の如く
生き生きと進もう!
生命力が大切だ。
祈りを根本に
わが課題に挑め!

道妙禅門御書 P1243
『只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候、法華第三に云く「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」第七に云く「病即消滅して不老不死ならん」との金言之を疑う可からず』

☆四季の語らい
人間関係を豊かにしていく上で、最も大切なことは何か。「誠実」である。結局、「誠実」しかない。「誠実」は強い。最高の武器である。最後は、「誠実」な人が信頼され、勝利する。

☆今日のことば365 四月一日
太陽は、うまず、たゆまず、自らの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。
女性は、一家の太陽です。太陽の如く明ふく、太陽の如く力強く、太陽の如く健康に、「今日も、何かに挑戦しよう!」「今日も、一歩進もう!」と、目標をもって、掛りのある一日一日を積み重ねていってほしい。

☆今日のことば365 四月一日
人の一生の重さを計る基準は、単に生きた年数の長短によって決まるのではない。
その人生の価値内容によるものだ。

☆仏法の教え 心をあらためたアジャセ王
◇人生の師と共に正しい道を
とおいとおい むかしのおはなしです。
インドのマガダ国に ひとりの王子が生まれました。
生まれるまえから すでに父をにくんでいたという ふかい業をもつ、この男の子は、アジャセと名づけられました。
やがて、アジャセは、せいちょうし、青年となりました。
ところが、こまったことに、ダイバダッタという たいそうおそろしい男が王子にちかづいてきて、あれこれとわるいたくらみをはじめます。
ある日、ダイバダッタは、いいました。
「王子、今こそ、父上をなきものにして、王の座をうばうチャンスですぞ」と。
そそのかされたアジャセは、おそろしいことに、たいせつな父親をころしてしまったのです。
こうして、アジャセは、マガダ国の王になりました。
しばらくして、ダイバダッタは、さらに、とんでもないくわだてをします。
「アジャセ王どの、つぎは、シャクソンをなきものにしたらいかがか、と」
またしても、そそのかされたアジャセ王は、あろうことか、とうといシャクソンさまをころそうとします。
コブが三つもある大きなゾウに酒をたくさんのませてよっぱらわせ、シャクソンさまをおそわせたのです。
「ぱぁー。ぱぁー。ぱぉぉおーん!」
よっぱらいゾウは、ながいはなをふりまわし、くるったようにおおあばれ。
のっしのっしと むらじゅうの家をこわし、ひとびとをふみつけました。
さすがに、よったゾウといえども、シャクソンさまをころすことはできませんでしたが、おおくのでしたちが いのちをおとしてしまいました。

ほどなくして、ある日、ごおーっというものすごい地ひびきがしました。
いなずまとともに、大地がふたつにさけました。すると、そのさけめに、あのダイバダッタが、すいこまれるようにおちていったではありませんか。
ダイバダッタは、わるいことを つみかさねたむくいで、じごくにおちたのでした。
このことをしったアジャセ王は、うろたえました。
「あぁ、つぎは、わたしのばんだ。わたしもおなじように じごくにおちることになるにちがいない」
じっさい、からだじゅうにはれものができ、ねっとうをかけられたようにあつく、きりきりといたみ、すでにじごくのくるしみを あじわっていました。
そこへ、ギバという医者があらわれて、つげました。
ギバは、シャクソンさまのでしでした。
「王さまのやまいをなおすのは、仏のおしえのほかありません」
「仏だと。あのシャクソンさまを なきものにしようとしたわたしが、仏の道などゆるされようはずがあるまい」
アジャセ王は、父をころし、シャクソンさままで なきものにしようとした罪をたいへんにくいていました。
「ああ、なんてことをしてしまったのだ! わたしの罪はおもい。すくってもらうことなどできようか」
すると、ギバは、そんなアジャセ王をまっすぐにみつめ、つつみこむように、かたりました。
「たしかに、王のされたことは、わるいことです。しかし、あやまちをみとめ、仏のおしえをうけようと ひとたびきめたならば、だれにでもびょうどうに 道はひらかれているのです。さあ、シャクソンさまのもとへ いそぎましょう」

こうしてかけつけたふたりをシャクソンさまは、とてもあたたかくむかえました。
「アジャセ王よ、安心しなさい。わたしのもとにやってきたということは、いま、まさに、仏の道をあゆみはじめたということなのです」
シャクソンさまのまごころのことばに、アジャセの目から ひとすじのなみだが こぼれおちました。すると、ふしぎなことに、からだじゅうのはれものが すうっときえたのです。
「ああ、ありがたい。これからは、仏をうやまい、民のために王として力をつくさねば」
アジャセ王は、このときのちかいどおりに、みなから したわれる りっぱな王へとかわりました。
そして、こころざしあつく仏をうやまいつづけ、シャクソンさまなきあとも 仏の教えをひろめることに、こころをつくしたのでした。