2016年4月25日月曜日

2016.04.25 わが友に贈る

◇今週のことば
万人に幸福と安穏あれ!
この立宗の大精神を
創価は世界で実践する。
「いまだこりず候」
不屈の魂で対話に挑戦!
2016年04月25日

唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』

☆四季の語らい
常に皆の先頭に立ち、率先して道を開く。皆に代わって、襲いかかる嵐を一身に受けて立つ−−これが開拓者である。狡賢く苦難を避けて立ち回っていては、「開拓」はできない。

☆女性に贈ることば 四月二十五日
躾とは、日々の生活を、開運に、円滑に、自他ともに楽しく、回転させていくためのリズムを、「身」に「美しく」体得していくことといえるかもしれない。

☆今日のことば365 四月二十五日
人間の幸福への勝負は
 四十代 五十代であると
  思うから
そのために
 今日も 着実に
自身らしく
 思う存分に振る舞うことだ

☆随筆 永遠なれ創価の大城 第5回 民衆厳護の言論王
◇御聖訓「妙とは蘇生の義なり」—不撓不屈の大九州たれ!
このたび九州の熊本県、大分県で起こった大地震により、被災された全ての皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
熊本地方、阿蘇地方、そして大分県……打ち続く地震に、眠れぬ夜を過ごされている方々を案じ、胸をかきむしられる思いです。
また、南米エクアドルでも大きな地震があり、心を痛めております。
日蓮大聖人は、『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か』(P31)と、「立正安国」の根本の祈りを示してくださいました。
甚大な災難が、突然、人びとの絆を断ち切るが如く襲いかかる時、その試練をはね返すものは、我ら民衆の、何があっても共に守り合い、生き抜いていくという誓いであり、祈りではないでしょうか。
自分も負けない。決して屈しない。とともに、苦しんでいる人を絶対に置き去りにしない。手を取り合い、支え合って、断固と乗り越えてみせる——この最も強く温かな心を燃え上がらせ、進んでくれているのが、愛する九州家族です。
御聖訓には、『真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』(P1170)と、厳然と仰せであります。
色心を苦しめる、いかなる難にも怯まず、一つ一つ必ず打開していく原動力が、妙法の信心です。
『妙とは蘇生の義なり』(P947)です。不退の負けじ魂で、蘇生の希望の光を広げゆかれる同志に、私も、日々、懸命に題目を送っております。
苦難に遭遇した時に、「師子王の心」を取り出し、最大の生命の底力を発揮して、一切の艱難の山を登り切ってみせる。これが日蓮仏法の極意であり、創価の師弟の誇りです。
わが熊本の同志よ!
わが大分の同志よ!
世界一の勇気と同志愛で先駆する、わが大九州の勇者たちよ!
断じて、負けるな!
今こそ不撓不屈たれ!
『未来までの・ものがたり(物語)なに事か・これにすぎ候べき』(P1086)と謳われゆく「異体同心」と「変毒為薬」の凱歌の歴史を頼みます。

◇「人間主義」の旗
今、あらためて思うことは、東日本大震災の時も、阪神・淡路大震災の時も、聖教新聞に報じられる同志の姿が、大きな勇気と希望の光となった事実である。
未曽有の震災の中、「負げでたまっか!」「負けたらあかん!」と悲しみに耐え抜き、前進する能忍の魂。家族のため、友のため、地域のために行動し、励ましを送り続ける尊貴な姿。同苦の涙と汗を流しながら、懸命に救援活動、復興支援に奮闘し抜く勇姿——。
いかなる大難にも壊されない「心の財」を持つ生命の光彩を伝えてきたのが聖教新聞である。
四月二十日は、この聖教新聞創刊の日——。
一九五一年(昭和二十六年)、恩師・戸田先生の第二代会長就任に先駆け、広宣流布の闘争開始を告げる「吶喊(鬨の声)」の如く誕生したのだ。今年で六十五周年の歴史を刻んだ。
戸田先生は、"地涌の菩薩を旗頭として、その使命完遂のために聖教新聞は働くのである"と宣言されている。
聖教新聞は、「人間主義」の旗を掲げる新聞である。災害時などには、逆境の中で輝く人間の真価を、尊厳なる生命の宝として宣揚し抜いてきた。
聖教新聞は、「立正安国」の言論城である。徹して民衆の側に立ち、正義と人道の連帯を広げる力となってきた。
法華経には、地涌の菩薩の英姿を、「志固くして怯弱無し」「難問答に巧みにして 其の心に畏るる所無く 忍辱の心は決定し」(創価学会版法華経四七二ページ)と記される。
まさしく聖教新聞は、この地涌の力用をもった言論紙なのである。
「信念」の新聞であり、「勇気」の新聞である。「智慧」の新聞であり、「対話」の新聞である。「慈悲」の新聞であり、「堅忍不抜」の新聞である。その言論力で、広宣流布の大誓願を完遂していくのだ!
一号また一号、今日もまた、明日もまた——。

◇新聞が結ぶ奇跡
「毎日、新聞が出るということはそれ自体すでに奇跡であります」と言ったのは、チェコの作家チャペックであった。
社会に巣くう悪、さらに暴虐非道のナチスなどに、「民衆新聞」の記者としてペンを武器に挑んだ勇者である。ゆえに、真実を追求し伝える新聞が読者の元に届くことが、いかに至難であり重大であるかを知り抜いていたのであろう。
この"奇跡"というべき発展の歴史を、気高き同志の力の結集で、わが聖教新聞は歩んできた。その歩みは、今や一万九千号を超えた。
日々、限られた時間の中で懸命に紙面を作り上げ、確実に読者のもとへ届けていく、編集、整理、電送、印刷、輸送、販売店など全ての方々の尽力の結晶である。
最前線の躍動する息吹を伝えてくれる通信員の皆様の奮闘も光る。
この熱き心のリレーのアンカーを、雨の日も、風の日も担われているのが、"無冠の王"たる配達員の皆様である。尊き陰徳に、「冥の照覧」は、絶対に間違いない。
さらに聖教は、新聞長をはじめ幾多の同志、幾百万の読者の皆様に支えられている。
聖教新聞は、労苦をいとわぬ全ての方々の心血が注がれた、広宣流布への正義の弾丸である。

◇世界市民の誕生
本年二月、「セイキョウオンライン」が刷新され、約百四十カ国・地域で閲覧されていると伺った。
また世界各地で、日本の聖教新聞や大白蓮華に当たる機関紙誌が刊行されている。その数は八十以上にも上る。
先のチャペックは、「世界市民は新聞を読むことから生まれた」とも言っていた。
今、聖教新聞と姉妹紙誌を共感と対話の広場として世界に広がりゆく、平和・文化・教育のスクラム——それは、万人の尊厳性を確信し、「自他共の幸福」を願って行動する草の根のネットワークである。
ここに、「新たな世界市民」の誕生の黎明を見るのは、私一人ではないはずだ。
「聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい」と願われた恩師・戸田先生がどれほど喜ばれていることだろうか。

◇文字と言葉の力
目覚ましい発展を続けるスペインSGIにも、機関誌「シビリサシオン・グロバル(地球文明)」がある。以前、その編集長を務めていたのが、カプート理事長である。
彼は十五年ほど前、来日した折に、念願だった聖教新聞の配達を、新宿婦人部の"無冠の友"に同行して体験した。
「まるで宝物のように新聞を優しく抱きかかえ、同志の元へ。その姿が肌寒い早朝の大気を温めているかのようでした」——彼は、配達の感動を語っている。
日々、一軒また一軒と、"無冠の友"が聖教新聞を届けてくださる真心は、そのまま広宣流布への「一対一の対話」の真心に通じていよう。
大聖人が『仏は文字に依って衆生を度し給うなり』(P153)と仰せの通り、広宣流布は「文字の力」「言葉の力」で友に希望を送りゆく戦いであるからだ。
相手の仏性を信じ、一人また一人と語りかける我らの勇気の対話こそ、大聖人のお心に直結した慈悲の行動である。
大事なことは友の幸福を祈り抜くことだ。立正安国への誓願の祈りだ。その深き祈りを根本とした言論こそ、無敵の力なのである。

◇民衆の声は偉大
私が欧州に初めて一歩を印したのは、五十五年前、デンマークの首都コペンハーゲンであった。
この国で活躍された女性詩人・グレース博士と、私たちは深い友情を結んできた。博士の詩に、こうあった。
「ささやかな一言が 世界を善く変えられる ささやかな一言が人間を善く変えられる」
庶民が持つ変革の力を確信する博士の口癖は、「ふつうの人の声が大事なんです。ふつうの民衆を尊敬し、崇めるべきなのです」であった。
わが同志の確信の言葉によって、どれだけの人が奮起し、苦しみから立ち上がってきたことか。
日々の学会活動で紡がれる言葉一つ一つは、無上の価値を持つ。
同じ言葉でも、発する人間の誠意で重みは変わる。いわんや友の幸福を願い続けた心が届かないはずはない。行動に裏打ちされた真心、言外にあふれる思いが相手の胸に染み入るからである。
最も誠実な民衆の声、すなわち仏の声を、聖教は発信し続けるのだ。

◇越せぬ坂はない
一九八一年(昭和五十六年)の師走——永久に忘れ得ぬ歴史がある。
競い起こる三障四魔の迫害の嵐と戦い、必死に激闘する大分、熊本、そして福岡の同志の元へ、私は飛び込んでいった。
大分で私が発表した長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を即日の作業で紙面に掲載し、日本全国の同志へ電撃的に伝えてくれたのは、聖教新聞であった。
阿蘇の"白菊講堂"への道で、若き友の手作りの凧を仰いだことも、私は忘れない。正義の旗の如く寒風に翻っていた。
あの竹田の岡城址、さらに熊本市の壱町畑公園で結んだ不滅の"師弟の一会"を、大きく引き延ばした見開きの写真と記事で紹介したのも、聖教であった。皆と歌った「荒城の月」と「田原坂」は、我らの胸に凱歌の如く轟き渡っている。
「雨はふるふる 人馬はぬれる 越すにこされぬ 田原坂 ……」
創価の師弟に、「越せない坂」は絶対にない!
これが、未来永遠に変わらざる九州同志と私との不撓不屈の誓いだ。

◇立正安国の挑戦
六十五年前の五月三日、第二代会長に就任された戸田先生は、「楽土日本を築くのだ」「この地上から『悲惨』の二字を無くすのだ」との一念で、一段と強盛なる祈りを開始された。
弟子の私も、第三代に就任した五月三日(一九六〇年)より、いやまして強く、祈り続けてきた。
「世界が平和であるように」
「大地震がないように」
「豊作であるように、飢饉がないように」
三災七難に負けずに、民衆の安穏と社会の繁栄、そして地球の平和を実現する。この人類の悲願へ、我らは自行化他の妙法を朗々と唱え、立正安国の挑戦を貫いていくのだ。
いかなる災害や危機にも、断固と立ち向かう希望の大城が創価であり、その揺るぎなき言論の柱、民衆厳護の言論王こそ、聖教新聞である。
さあ、今日も、聖教と共に、「生命はかくも尊厳なり。無窮なり」と、人間革命の讃歌を、民衆勝利の大叙事詩を、綴りゆこうではないか!