2016年4月5日火曜日

2016.04.05 わが友に贈る

わが「命」を
何に「使」うのか。
常に自身に問い掛けよ!
広布の使命を自覚した時
無限の希望が生まれる。

南条兵衛七郎殿御書 P1495
『これらをもつてしるべし善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし』

☆四季の語らい
民衆に仕え、民衆に尽くし、そして民衆から愛されゆくことは、指導者の最高の栄冠であろう。愚人にほめられる必要などない。それほど恥ずかしいことはない。

☆女性に贈ることば 四月五日
過去にとらわれるのではなく、「これから」「今から」「今日
から」−−と、つねに前に進んでいく強き一念を忘れまい。

☆今日のことば365 四月五日
戦災に 残りて咲きし桜花
空は蒼空 落花紛々

その背景は 現実の廃墟
花仰がずして 民憐れなり

流浪の彼方 厳しや
親子の道

群居の波に開花あり
夜明けの彩色か 桜花

ああ複写あり この存在
権力人と 平和人

散る桜 残る桜も 散る桜 と
謳いし人あり

青春桜 幾百万
なぜ 散りゆくか 散りゆくか

南海遠しや 仇桜
爛漫未熟に 枝痛し

残りし友も いつの日か
心傷あり 理念界

諸行は無常か 常住か
それも知らずに 散りゆくか

散る桜 残る桜よ 永遠に
春に 嵐と 咲き薫れ

☆新時代を創る 第11回 威風堂々と師弟の桜道を
爛漫と
 師弟の勝ち鬨
  桜かな

わが師・戸田先生の祥月命日を前に、師弟原点の地・大田区の文化会館で、懇ろに報恩感謝の勤行を行った(3月30日)。
先生は桜がお好きであった。厳寒の冬を耐えて咲き誇る桜花のごとく、大難を越え、爛漫たる広布と人生の凱歌を飾られた。そして桜の花の咲く頃に、霊山へ旅立たれたのである。
来る年来る春、門下が桜を仰ぎつつ、後継の決意を新たにして、「五月三日」へ勢いを増していけるようにと、前進のリズムを留めてくださった。
桜は希望と平和の象徴である。学会から大田区に寄贈された千本の桜の若木も、40年を経て立派な大樹となり、各地の方々に愛でられている。
記念の月間を勇み走る、ふるさと大田の同志をはじめ、わが友の健闘を讃え、福徳と人材の花よ、咲け! そう祈って、"桜の城"の会館で、ピアノを弾いた。
「さくら」「森ケ崎海岸」、そして先生と幾たびとなく歌った"大楠公"……。
師匠を思えば、力は無限に湧いてくるのだ。

日蓮大聖人は『さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ』(P1492)と仰せになられた。
——明るく美しい桜の花が暗いゴツゴツした木から咲き出ずるように、凡夫の心からも、最極の仏の生命を絶対に涌現できる、と。
御本仏が示された通り、我らは一人また一人と「人間革命」の花を咲き薫らせてきた。「幸福」と「平和」の創価の桜道を、日本中、世界中に開いているのだ。

尊き"桜守"の方々は、見事な開花のためには、咲いていない時の手入れこそ勝負と教えてくれる。
人材を育てるのも、友情を育むのも、道理は同じだ。陰の労苦を惜しんではならない。真心込めて祈り、励ましの声をかける。勇気と誠実の対話を、粘り強く重ねることだ。
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず』(P910)との御聖訓のまま、勇敢に拡大に打って出よう!
いかなる試練の風雪も、断じて恐れることはない。「冬は必ず春となる」——この希望の勝利劇を、いやまして威風堂々と示していこうではないか!