2016年4月2日土曜日

2016.04.02 わが友に贈る

足を運び続ける。
悩みに寄り添い続ける。
粘り強い励ましが
友の心に灯をともす。
誠実第一の人たれ!

撰時抄 P266
『南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや』

☆四季の語らい
仏法は、あくまでも道理である。社会から離れて、また現実から離れて、仏法はない。ゆえに、良識豊かに、そして、常識を大事にしていくことである。社会を尊重し、社会と調和していく。人間を敬い、人々の中に入っていく。これが仏法のいき方である。

☆今日のことば365 四月二日
恩師・戸田先生は、「恩を返すのが最上の人間だ」と言われた。
報恩の人生は美しい。お世話になった人に恩返しをしていこうという心が、一番、自分を成長させる。限りない向上のエネルギーとなっていく。
報恩の人こそ、人生の勝利者である。

☆今日のことば365 四月二日
自分の道は誰にも頼らず、自分で決めることだ。どんな苦難にもくじけない、強い自己の建設のみが、新しい自己の革命となるのである。

☆大白蓮華巻頭言 2016年4月号 一人ももれなく!喜びの舞を
悠久のシルクロードの天地で語り継がれてきた英知の言葉が、思い起こされる。
それは、「良き人と友情を結べば、人生において、すべてを勝ち取ることができる」というのである。
人間同士の豊かな「つながり」は、健康と長寿においても、かけがえのない力を持っていることが、今、医学的に多次元から立証されている。
深刻な孤立や無縁が憂慮され、心の砂漠が広がる少子高齢社会にあって、温かな思いやりに潤う命のオアシスこそ、創価の地区であり、ブロックである。
我らは、来る日も来る年も、勇気と誠実の対話を重ねながら、人類をつなぐ友情のシルクロードを、遂に世界百九十二カ国・地域まで開いてきたのだ。
御聖訓には、『無一不成仏と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人・人として仏にならざるはなし』(P1373)と記されている。
人々を幸福にする妙法の功力とは、これほどまでに大きい。ゆえに仏縁を結ぶことが、いかに大切か。
また、広宣流布の陣列に、ひとたび縁した一人一人が、いかに大事な存在か、計り知れないのだ。
日蓮太聖人は門下に、『一日片時であっても私の命を助けてくれた人々であるから、どうして他人のように思えようか』(P1489、趣意)と仰せである。
そして、その人の難しい立場を思いやられ、『何があろうとも、どうして、あなた方を見捨てるようなことがあるでしょうか』(同P、趣意)と明言された。
御本仏の慈悲は、あまりにも広大無辺であられる。
このお心を拝する創価家族のスクラムは、この世で最も明るく、麗しく、大らかな人間の絆なのだ。
今、思うように会合に参加できない同志もいる。
あるいは、組織から遠ざかって久しい場合もあろう。
しかし皆、宿福深厚なるゆえに、妙法を受持した地滴の菩薩である。心田に蒔かれた仏種が、芽吹き、育ち、花開いていかないわけがない。
だからこそ、強盛に題目を送り、「歓喜の中の大歓喜」の波動を、友の生命に伝え広げていくのだ。
真心込めて訪問・激励を、粘り強く重ねていくのだ。
創価の励ましの達人たちは、まさに「柔和忍辱の衣」を帯して、慈愛の包容力を発揮してくれている。
たとえ、すぐに相手が発心しなくとも、焦ることはない。折り、動き、打ち込んだことは、「一念三千」の力用で、未来までも変えていくからである。
「一人」のためにと、二日がかりで、九州まで足を運ばれた、牧口常三郎先生は語られた。
「私の足跡の後に必ず青年が続々と続きます」と。
創立の父の率先垂範を偲びつつ、私が九州へ第一歩を印したのは六十年前、大阪の戦いの渦中であった。
九州の宝友は、私と不二の心で立ち上がってくれた。
広宣流布、立正安国の大誓願に勇んで挑む歓喜踊躍の舞は、必ずや新たな地滴の友を呼び出すのだ。
さあ、栄光の五月三日から、創価女性の月・六月へ、青年凱歌の七月へ、楽しく賑やかに大前進を!

幸福と
 勝利をつかむ
  広布施
 あの友この友
  皆で愉快に