2016年4月23日土曜日

2016.04.23 わが友に贈る

あの人の胸に希望を!
その祈りと行動が
わが生命を輝かせる。
自他共の幸福の実現が
我らの信仰の目的だ。

種種御振舞御書 P916
『依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと』

☆四季の語らい
慢心によって、人の忠告を聞けなくなってしまえば、もはや成長はない。幸福もない。自身の破壊に通ずる。特に、人の意見、なかんずく、女性の意見に「耳を傾ける」ことは、指導者の鉄則である。「聞かない」のは、指導者失格である。

☆女性に贈ることば 四月二十三日
私は、生涯青春という言葉が好きである。
いわゆる若さとは、決して年齢によって決まるものではない。自分のもつ目標に向かって、たくましく生き抜く情熱の炎によって決まると信じているからだ。
若くして心の老いた人もいる。一方、どんなに高齢になっても希望を失わず、心の若々しい人は生渡青春である。

☆今日のことば365 四月二十三日
テレビによって育てられたともいえる現代っ子は、ものごとの直感的な把握という面ではすぐれた感覚をもっている。だから、そういう意味での観察は鋭いし、反応も速い。しかも、表現も感覚的でおもしろい。

☆仏法の教え 常勝は大歓喜の闘争の中に 2016年4月12日
『迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(P1300)。
池田先生は、この「大悪大善御書」の一節について、「あの『大阪の戦い』で関西の不二の同志と心に刻んだ御聖訓である。どんな大悪も大善に変えてみせると、勇気と団結の舞を舞いながら、未曽有の拡大と勝利を飾った」と綴ってくださった。「"まさか"が実現」の大闘争から60周年の今こそ、あらためて「大悪大善御書」を拝し、常勝の歴史を切り開く要諦を確認したい。

◇広宣流布に生き抜く門下に示された要諦
「大悪大善御書」を繙くと、"私たち日蓮大聖人門下が広宣流布の大闘争に勝利するために大切なことは何か"を学ぶことができる。
その第一は、「困難を前進の力に」である。
「大悪大善御書」の執筆年次は不明である。しかし、内容から、大聖人が身延に入られて以降と考えられる。すなわち、当時、大聖人が「立正安国論」で予言された自界叛逆難、他国侵逼難が、それぞれ二月騒動、蒙古襲来として現実のものとなり、大聖人門下も厳しい迫害の嵐にさらされていた。
そうした中にあって、大聖人は『大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる』(P1300)と仰せになられた。大悪が起きているからには、次に大善がやってくることは間違いない、と断言されたのだ。
それは、"大善が起こるのをただ待っていればよい"ということではない。置かれた状況が厳しければ厳しいほど、成長の好機と捉えて新たな前進を開始しようという力強い決意と勇気の実践を促されたのである。
そして第二には「師匠と心を合わせる」ことである。
大聖人は、当時の社会情勢を踏まえて『すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき』(同P)と述べられている。"今こそ大正法が弘まるべき時なのだ。弟子たちよ、何を嘆くことがあろうか"との御本仏の大確信に触れた門下の心に、無上の勇気が湧き上がったであろうことは想像に難くない。師匠の心に連なった時、弟子の一人一人が、自身の限界を超える大きな力を発揮することができる。
第三は「歓喜の心で戦う」ことである。
大聖人は、成仏の法を聞いて大歓喜に舞い踊った迦葉や舎利弗のように、また、妙法流布を担おうと大地から躍り出た(地涌の菩薩の上首である)上行菩薩のように、どんなに厳しい苦難を前にしても、喜び勇んで広布に邁進するよう教えられている。
「生命尊厳」「人間尊敬」を説く日蓮仏法に巡り合い、この大法を弘めていく以上の喜びはない。その尊き使命を想起する時、私たちの生命は生き生きと躍動するのだ。

◇「あんな楽しい戦いは経験したことがない」
「戸田会長に代わって、このたびの戦いの指揮は、私が執らせてもらいます!」
1956年(昭和31年)、若き池田先生が関西を舞台に繰り広げられた「大阪の戦い」は、まさに「大悪大善御書」に示されている"勝利の要諦"をそのまま実践するものであった。
困難を前進の力に——。当時の関西の同志は人数も少なく、その大半が入会して日の浅いメンバーだった。しかし、前年から一念に億劫の辛労を尽くしてこられた池田先生は、1月5日の地区部長会において、現状の厳しさをつぶさに語った上で「強盛な祈り」と「最高の作戦、最高の行動」を訴えられ、同志の一念を一変させた。
その後の活動の中で、「大悪大善御書」の一節を拝して"不可能を可能にする戦いを信心で勝ち取ろうではないか"と同志に呼び掛けられたこともあった。
拡大を進める中、メンバーが事実無根の容疑で逮捕され、悪意のマスコミが学会を「暴力宗教」と報道するなど、新たな困難が行く手を阻もうとしたこともあった。しかし、「そないに有名な学会の座談会や、あんたも来てみまへんか?」等と切り返し、中傷すらも前進の原動力に変えて、5月の1カ月間で1万1111世帯の弘教という不滅の金字塔を打ち立てたのだ。
師匠と心を合わせる——。"大阪の地から、貧乏人と病人をなくしたい!"と叫ばれた戸田先生。恩師の掲げた理想を実現するべく、池田先生は「師弟不二」の闘争を展開された。池田先生の「早朝の御書講義」や「徹底した個人指導」によって、師弟の精神が会員一人一人の心にみなぎり、勝利の鼓動が脈打っていったのだ。
歓喜の心で戦う——。それは「大阪の戦い」の当初から始まっていた。1月の地区部長会の折、池田先生は、緊張して硬くなっていた空気をほぐすかのように「黒田節」を歌おうと提案され、自ら見事に舞われた。皆も次々と即興の踊りを披露した後、「このたびの戦いは、このように舞を舞って戦うのです。楽しく前進しましょう」と呼び掛けられた。
もちろん、困難な戦いの連続であり、苦労も多かった。しかし、この歴史的な戦いに参加した草創の先輩に話を伺うと、誰もが「あんな楽しい戦いは経験したことがない」と口をそろえる。

◇「阪神・淡路大震災」で被災した友への激励
「大悪をこれば大善きたる」。池田先生は、95年(平成7年)の「阪神・淡路大震災」の時も、この一節を拝して渾身の励ましを送ってくださった。一番大変な時に、一番苦しんでいる人のもとへ、真心の励ましを送る——池田先生の温かさをあの時ほど感じたことはなかった。
1月17日の震災の報を聞かれた先生は、ハワイ大学スパーク・マツナガ平和研究所と東西センターの招聘を受けてのハワイ訪問のための離日を4日延期し、被災地への激励の手を次々と打ってくださった。
そして、28日にハワイで開催された「世界青年平和文化祭」に出席。関西吹奏楽団の代表と共に参加していた私の心が感動に打ち震えたのは、その最中であった。関西吹奏楽団が「常勝の空」を演奏した時、先生が、かぶっていた白い帽子を手に取り、大きく左右に振り始められたのだ。「関西の同志に届け!」「兵庫の空まで届け!」とばかりに——。
ハワイでの諸行事を終えられた池田先生は、2月2日に関西国際空港に到着。4日に関西文化会館で開催された「追善勤行法要」において「広宣流布へと戦い、生命に積んだ福徳は、事故等では絶対に破壊されない」「生死不二であるゆえに、再び私どもの広布の陣列に入ってこられるのである」と激励された。
親しい人を亡くしたり、経済的な基盤を失ったりした人の苦悩は、計り知れない。だが、だれもが"師匠が見てくださっている。絶対に負けるわけにはいかない"と歯を食いしばり、勇気の一歩を踏み出し始めた。

?今再びの 陣列に
 君と我とは 久遠より
 誓いの友と 春の曲
 愛する関西 勇み立て

78年(昭和53年)7月に池田先生が万感の思いを込めて作ってくださった「常勝の空」。この歌詞に込められた意味について、池田先生は、小説『新・人間革命』の中で次のように綴られている。
「関西の同志との絆は、決して偶然でもなければ、今世限りのものではない。広宣流布を誓願して躍り出た地涌の菩薩として、久遠の使命に結ばれたものだ」
社会が閉塞感に覆われている今こそ、久遠の使命に目覚めた友が、「困難を前進の力にして」「師匠と心を合わせて」「歓喜の心で戦う」時にほかならない。
「いざや前進 恐れなく」——。同志と共に「常勝の空」を高らかに歌いながら大歓喜の闘争を繰り広げ、世界広布新時代の「常勝の金字塔」を打ち立てる決意である。