陰で奮闘する友を
最大に讃えよう!
「感謝の言葉」
「温かな心配り」が
前進への原動力となる。
上野殿御返事 P1540
『千丁万丁しる人もわづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり、今度法華経のために命をすつる事ならばなにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給い檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、さればひが事をすべきにはあらず、今はすてなばかへりて人わらはれになるべし』
☆四季の語らい
「一人の人を大切に」「一人の心を大切に」−−そうでなければ、組織に"人間"が押しつぶされてしまう。指導者は「生きた精神」をもって、人々の心にだれよりも敏感に、だれよりも真剣に、こまやかに応える−−そういう「ハートのある人」であってほしい。
☆女性に贈ることば 四月二十四日
平凡でもいい
私はいつも
春風の笑顔を 忘れずにいたい
太陽の希望を はつらつと輝かせたい
月光と語らいながら 知性を深めたい
白雪のごとく 清らかに光る人でありたい
☆今日のことば365 四月二十四日
時を知ることほど大切なことはない。百千万の作戦も時を得なけえば成功しない。事業も、人の出処進退も、時を誤れば、混乱と敗北を招くだけである。
☆仏法の教え 立正安国 2016年4月16日
◇自他共の幸福を実現する指標
「日蓮大聖人御一代の御化導は立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます。大聖人は、現実社会を舞台に自他共の幸福を実現していく実践の指標として「立正安国」の原理を示されました。今回は「立正安国」について学びます。
〈Q〉「立正安国」の法理について教えてください。
〈A〉仏法の生命尊厳・人間尊敬の理念に基づいて、社会の平和・繁栄を実現することです。
『一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か』(立正安国論、P31)
「立正安国」は、「正を立てて、国を安んず」と読みます。「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受すること、さらにいえば、仏法の生命尊厳・人間尊敬の理念が社会の基本原理として確立されることです。そして「安国」とは、社会の平和・繁栄を実現することです。
相次ぐ自然災害や飢饉・疫病に苦しむ民衆の姿を目の当たりにされた日蓮大聖人は、民衆を救う道を探求され、「立正安国」の原理を示した「立正安国論」を時の最高権力者である北条時頼に提出されました。
池田SGI会長は、小説『新・人間革命』「力走」の章で、「立正安国論」の『一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである』(P31、通解)との一節を引用し、次のように述べています。
「宗教者が人類的課題に眼を閉ざし、社会に背を向けるならば、宗教の根本的な使命である『救済』の放棄となる。荒れ狂う現実社会に飛び込み、人びとを苦悩から解放するために戦ってこそ、真の仏法者なのだ」
創価学会が仏法の理念を根本に、平和・文化・教育など多彩な活動に取り組んでいるのも、「立正安国」の法理に基づいた実践にほかなりません。
〈Q〉仏法では思想と社会の関係についてどのように説かれていますか。
〈A〉思想が乱れれば社会も乱れる——ゆえに卓越した思想・哲学が求められます。
『国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る』(立正安国論、P31)
日蓮大聖人は「立正安国論」の中で「仁王経」の『国土が乱れる時はまず鬼神が乱れる。鬼神が乱れるゆえに万民が乱れる』(P31、通解)との一節を引用され、続けて『今、この文について、つぶさに現状を考え合わせると、百鬼は早くから乱れ、万民は多く死亡している。鬼神が乱れると、万民が乱れるという先難は、このように明らかである。国土が乱れるという後災が起こることを、どうして疑うことができようか』(同P、通解)と綴られています。
ここでいう国土とは、自然環境的な側面だけでなく、広く「社会」を意味します。そして「鬼神」とは、『鬼とは命を奪う者にして奪功徳者と云うなり』(P749)と仰せのとおり、生命自体を破壊し、福運を奪う「人間の内なる働き」を意味します。現代的には、人の心を蝕む「思想」「宗教」といえるでしょう。
社会が乱れる時には、最初に人間の思想・宗教の乱れが起きる。人格を織りなす基となる思想・宗教の乱れは、必然的に人間の心と行動の乱れを引き起こし、やがては万民の乱れ、社会の混乱へとつながっていく——。ゆえに、いつの時代にあっても、未来を開く卓越した思想・哲学が求められるのです。
〈Q〉私たちは具体的に何をすればいいのでしょうか。
〈A〉一対一の誠実な対話こそ「立正安国」の実践にほかなりません。
『独り此の事を愁いて胸臆に憤?す客来って共に嘆く?談話を致さん』(立正安国論、P17)
『自分も一人でこのことを憂い、胸の中で憤って、もどかしい思いでいたところ、あなたが来て同じことを嘆くので、しばらく、これについて語り合おうと思う』(P17、通解)——度重なる災難を嘆く客に対する"主人の返答"であり、ここから二人のやりとりが始まる「立正安国論」。
同書は、北条時頼を想定した「客」と、日蓮大聖人を想定した「主人」の十問九答の問答形式で展開されています。このこと自体、「立正安国」の実現の方途が"対話"にあることを示していると拝することができます。
誤った教えに執着していた客は、初めのうちは主人に反発しましたが、理路整然と訴える主人の言葉に次第に胸襟を開いていきます。そして『速に実乗の一善に帰せよ』(P32)との主人の言葉を受けて、謗法の教えを捨てて妙法に帰依することを決意。さらに『唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ』(P33)との客の誓いの言葉で「立正安国論」は結ばれています。
誠実な対話によって、当初は無理解だった友が新たな同志として立ち上がっていく——。「立正安国論」に描かれる一対一の対話こそ、私たちが目指すべき「立正安国」の実践の手本といえるでしょう。
〈智慧の扉〉 大聖人が最も重視された書
日蓮大聖人は、文応元年(1260年)に北条時頼に「立正安国論」を提出したものの、鎌倉幕府は黙殺の態度をとりました。
同書の提出を契機に、幕府や既成の宗教勢力からの迫害が本格化しましたが、大聖人の立正安国の精神が揺らぐことはありませんでした。その後も「立正安国論」を添えて諫暁を重ねられ、後世に残す御配慮の上からも、「立正安国論」を自ら何度も清書されています。
御入滅される直前に武蔵国の池上の地で最後に講義されたのも「立正安国論」でした。「立正安国論」こそ、大聖人御自身が最も重視された書なのです。